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『福沢諭吉全集』全21巻・別巻1巻|研究余録 ~全集目次総覧~
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第4巻 1970.1.13
文明論之概略………………………………… 1
学者安心論………………………………… 213
分権論……………………………………… 231
民間経済録………………………………… 299
福沢文集…………………………………… 387
通貨論……………………………………… 537
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
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福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
福沢 諭吉【著】/小室 正紀【編】
価格 ¥3,520(本体¥3,200)
慶応義塾大学出版会(2003/05発売)
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サイズ B6判/ページ数 382,/高さ 20cm
商品コード 9784766408829
NDC分類 081.6
Cコード C0300
内容説明
西南戦争後のインフレから松方デフレを経て起業勃興へ―。変動する明治揺籃期の経済状況をリアルに見据えつつ、天下万事「官」主導の時代に、立国の基礎たる「一身独立」の実業を望んだ福沢諭吉の経済論集。
目次
民情一新
民間経済録
民間経済録二編
通貨論
通貨論(時事新報)
尚商立国論
実業論
著者等紹介
小室正紀[コムロマサミチ]
1949年生まれ。1973年慶応義塾大学経済学部卒業、1978年同大学院経済学研究科博士課程修了。現在、慶応義塾大学経済学部教授、経済学博士。『福沢諭吉書簡集』(全9巻、岩波書店、2001~2003)編集委員
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
大学生が福沢諭吉を卒論を書く際に便利な本なのだろうが推薦できない。
解説が少ないので学問のすすめや脱亜論の真意は理解できないだろう。
国家に対する個人のようなストーリーは虚構だ。
時々でポジションが変わるので福沢諭吉にしろ渋沢栄一にせよ時々で国家を代弁することもある。
近年福沢諭吉が再評価されるのは脱亜論の真意とともに
その貨幣論だ
表券主義を福沢諭吉ほど明確に言語化した近代人はいない
簿記の紹介は個人も国家も超越するが、其の役割の違いも同時に明確にする
本書は大部なのにそうしは貨幣論は一切収録されていない。
まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい『学問のすゝめ』 Kindle版 2020/02/28
小浜逸郎 (著)
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
以下に目を通すべきだ。
まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい『学問のすゝめ』 Kindle版 2020/02/28
小浜逸郎 (著)
世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ) (日本語) 単行本 – 2006/4/21
竹森 俊平 (著)
ただし上記は福沢諭吉の言葉は現代語訳されているので以下が必須になる
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
大学生が福沢諭吉を卒論を書く際に原文を参照するのに便利な本なのだろうが推薦できない。
解説が少ないので学問のすすめや脱亜論の真意は理解できないだろう。
国家に対する個人のようなストーリーは虚構だ。
時々でポジションが変わるので福沢諭吉にしろ渋沢栄一にせよ時々で国家を代弁することもある。
近年福沢諭吉が再評価されるのは脱亜論の真意とともに
その貨幣論だ
表券主義を福沢諭吉ほど明確に言語化した近代人はいない
簿記の紹介は個人も国家も超越するが、其の役割の違いも同時に明確にする
本書は大部なのにそうしは貨幣論は一切収録されていない。
以下に目を通すべきだ。
まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい『学問のすゝめ』 Kindle版 2020/02/28
小浜逸郎 (著)
世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ) (日本語) 単行本 – 2006/4/21
竹森 俊平 (著)
ただし上記は福沢諭吉の言葉は現代語訳されているので以下が必須になる。
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
上が文庫化されると助かる。
大学生が福沢諭吉を卒論を書く際に代表的な著作の原文を参照するのに便利な本なのだろうが推薦できない。
解説が少ないので学問のすすめや脱亜論の真意は理解できないだろう。
国家に対する個人のようなストーリーは虚構だ。
時々でポジションが変わるので福沢諭吉にしろ渋沢栄一にせよ個人の立場を取ることもあるし、国家を代弁することもある。
近年福沢諭吉が再評価されるのは脱亜論の真意とともにその貨幣論だ。
表券主義を福沢諭吉ほど明確に言語化した近代人はいない。
簿記の紹介は個人も国家も超越するが、其の役割の違いも同時に明確にする。
本書は大部なのにそうしは貨幣論は一切収録されていない。
以下に目を通すべきだ。
まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい『学問のすゝめ』 Kindle版 2020/02/28
小浜逸郎 (著)
世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ) (日本語) 単行本 – 2006/4/21
竹森 俊平 (著)
ただし上記の福沢諭吉の言葉は現代語訳されているので以下が必須になる。
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
上が文庫化されると助かる。
大学生が福沢諭吉を卒論を書く際に代表的な著作の原文を参照するのに便利な本なのだろうが推薦できない。
解説が少ないので学問のすすめや脱亜論の真意は理解できないだろう。
国家に対する個人のようなストーリーは虚構だ。
時々でポジションが変わるので福沢諭吉にしろ渋沢栄一にせよ個人の立場を取ることもあるし、国家を代弁することもある。
近年福沢諭吉が再評価されるのは脱亜論の真意とともにその貨幣論だ。
表券主義を福沢諭吉ほど明確に言語化した近代人はいない。
簿記の紹介は個人も国家も超越するが、其の役割の違いも同時に明確にする。
本書は大部なのにそうした貨幣論は一切収録されていない。
以下に目を通すべきだ。
まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい『学問のすゝめ』 Kindle版 2020/02/28
小浜逸郎 (著)
世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ) (日本語) 単行本 – 2006/4/21
竹森 俊平 (著)
ただし上記の福沢諭吉の言葉は現代語訳されているので以下が必須になる。
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
(これが文庫化されると助かるのだが)
548 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ bac9-8KU9)[sage] 2021/04/29(木) 06:22:37.58 ID:A/lRevoK0
アニマルスピリット 単行本 ? 2009/5/29
ジョージ・A・アカロフ (著), ロバート・シラー (著), 山形 浩生 (翻訳)
>セールで買って、ほとんど読んでなかったが、福沢諭吉が出てくるなw
ジョージ・アカロフ 他2名
アニマルスピリット―人間の心理がマクロ経済を動かす
5つ星のうち4.3
(40)
#11
だがこの種の自信過剰は、日本文化にしばらく前から見られるようになっていた。それは特に福沢諭吉が発展させた国家哲学の一部となっていた。福沢諭吉は現代日本の創始者の一人とされる★18。かれは自立と外国から学ぶことについての物語を奨励し、外国の成功を精力的にまねても恥ずかしいことは何もないと論じた。他人のまねを、日本人の創意と知性のシンボルにしたのが福沢だ。 これに対し、一九五五年にIKAが強い政府支援で創業したときには、日本のような個人の強いやる気も、必ず成功するという自信もアルゼンチンでははっきり表明された哲学として存在しなかった。アルゼンチンには福沢諭吉はいなかった。それどころか、IKAの経営陣はアルゼンチン人ではなく、アメリカから連れて来られたのだった。この事業が生まれたのは、アルゼンチン政府が自動車産業を作りたいと思ったからだ。そこで政府はヘンリー・カイザー──すでにアメリカで自動車生産者として失敗した実績があった──に対し、強い関税保護を提供した。コルドバ州はかれに、一〇年間の免税措置を与えた★19。
. Fukuzawa, Yukichi. 1969. An Encouragement of Learning, 1876 edition translated by David A. Dilworth and Umeyo Hirano. Tokyo: Sophia University. 福沢諭吉『学問のすゝめ』(岩波書店,1978).
福沢 諭吉 他1名
近代日本思想選 福沢諭吉 (ちくま学芸文庫)
5つ星のうち3.0 (1)
宇野重規編
大学生が福沢諭吉を卒論を書く際に代表的な著作の原文を参照するのに便利な本なのだろうが推薦できない。
解説が少ないので学問のすすめや脱亜論の真意は理解できないだろう。
国家に対する個人のようなストーリーは虚構だ。
時々でポジションが変わるので福沢諭吉にしろ渋沢栄一にせよ個人の立場を取ることもあるし、国家を代弁することもある。
近年福沢諭吉が再評価されるのは脱亜論の真意とともにその貨幣論だ。
表券主義を福沢諭吉ほど明確に言語化した近代人はいない。
簿記の紹介は個人も国家も超越するが、其の役割の違いも同時に明確にする。
本書は大部なのにそうした貨幣論は一切収録されていない。
以下に目を通すべきだ。
まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい『学問のすゝめ』 Kindle版 2020/02/28
小浜逸郎 (著)
世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ) (日本語) 単行本 – 2006/4/21
竹森 俊平 (著)
ただし上記の福沢諭吉の言葉は現代語訳されているので以下が必須になる。
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
(これが文庫化されると助かるのだが)
《しかりしこうしてその大切なる由縁は、 品の質にあらずして その働きにあるものなり。 今、金銀と紙とその質は異なれども、 これを貨幣に用いて 働きに異なる所あらざれば、 紙を大丈夫なりと言いて 毫も異論あるべからず。》
通貨論
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
福沢諭吉がMMTと接近するのは表券主義的信用貨幣論においてではなく
以下の認識においてであろう。
「天下一夫も仕事を得ざるものなからしむる」(「外債論」)
著作集6解説377頁(大正版全集9,48頁)より
これはJGPに近い
大隈、福沢は緊縮策に反対し、特に福沢は外債に頼るべきとした
https://www.dl.ndl.go.jp/api/iiif/979059/manifest.json
福沢全集9,47~63頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=36&outputScale=1
福沢諭吉がMMTと接近するのは表券主義的信用貨幣論においてではなく
以下の認識においてであろう。
「天下一夫も仕事を得ざるものなからしむる」(「外債論」) 1885
著作集6解説377頁(大正版全集9,48頁)より
これはJGPに近い
大隈、福沢は緊縮策に反対し、特に福沢は外債に頼るべきとした
https://www.dl.ndl.go.jp/api/iiif/979059/manifest.json
福沢全集9,47~63頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=36&outputScale=1
通貨論は
大正版第5巻
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979055
福沢諭吉 著,時事新報社 編
詳細情報
タイトル 福沢全集
著者 福沢諭吉 著
著者 時事新報社 編
出版地 東京
出版社 国民図書
出版年月日等 1925-1926
JP番号 51000179
DOI 10.11501/1912689
巻次 苐六卷
部分タイトル 第1巻(大正15) 緒言 華英通語,西洋事情 第2巻(大正15) 雷銃操法,西洋旅案内,条約十一国記,西洋衣食住,訓蒙窮理図解,洋兵明鑑,掌中万国一覧,清英交際始末,英国議事院談,世界国尽,啓蒙手習之文 第3巻(大正15) 学問のす丶め,童蒙教草,寓言かたわ娘,改暦弁,帳合之法,文字之教,文字之教附録手紙之文,会議弁 第4巻(大正14) 文明論之概論,学者安心論,分権論,民間経済録,福沢文集 第5巻(大正15) 通貨論,通俗民権論,通俗国権論,民情一新,時事小言,時事大勢論,帝室論,徳育如何,兵論,学問之独立,全国徴兵論,通俗外交論 第6巻(大正15) 日本婦人論,品行論,士人処世論,男女交際論,日本男子論,尊王論,国会の前途,国会難局の由来,治安小言,地租論,実業論,明治十年丁丑公論,瘠我慢の説,女大学評論,新女大学,福沢先生浮世談,旧藩情 第7巻(大正15) 福翁百話,福翁百余話,福翁自伝 第8巻(大正15) 時事論集第1巻 第9巻(大正15) 時事論集第2巻 第10巻(大正15) 時事論集第3巻
製作者 国立国会図書館
出版年(W3CDTF) 1926
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979055
info:ndljp/pid/979055
タイトル
福沢全集. 第5巻
著者
福沢諭吉 著[他]
出版者
国民図書
出版年月日
大正14-15
請求記号
520-51
書誌ID(国立国会図書館オンラインへのリンク)
000000590635
DOI
↓ 福沢全集 [347]
・ 標題
・ 目次
・ 通貨論/1
・ 通俗民權論/35
・ 通俗國權論/73
・ 通俗國權論二編/131
・ 民情一新/163
・ 時事小言/241
・ 時事大勢論/411
・ 帝室論/437
・ 徳育如何/481
・ 兵論/499
・ 學問之獨立/571
・ 全國徴兵論/603
・ 通俗外交論/635
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979055
大正版全集5,7頁
《しかりしこうしてその大切なる由縁は、 品の質にあらずして その働きにあるものなり。 今、金銀と紙とその質は異なれども、 これを貨幣に用いて 働きに異なる所あらざれば、 紙を大丈夫なりと言いて 毫も異論あるべからず。》
通貨論1878
福沢諭吉著作集〈第6巻〉民間経済録・実業論
小浜逸郎『まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(2020)では
福沢諭吉の『通貨論』1878が重視されている。
《それ(通貨)が大切なのは、その質にあるのではなくて、働き(機能)にある。金銀と紙とは質が
異なっていても働きに何の違いもない。だから紙でも大丈夫であることには異論のさしはさむ余地はない》
原文は旧大正版福沢全集5,7頁、
《しかりしこうしてその大切なる由縁は、 品の質にあらずして その働きにあるものなり。 今、金銀と紙とその質は異なれども、 これを貨幣に用いて 働きに異なる所あらざれば、 紙を大丈夫なりと言いて 毫も異論あるべからず。》
通貨論1878
近年の福沢諭吉著作集では〈第6巻〉民間経済録・実業論2003年,220頁に所収。
福沢諭吉がMMTと接近するのは表券主義的信用貨幣論においてではなく
以下の認識においてであろう。
「天下一夫も仕事を得ざるものなからしむる」(「外債論」) 1885
著作集6解説377頁(大正版全集9,48頁)より
これはJGPに近い
大隈、福沢は緊縮策に反対し、特に福沢は外債に頼るべきとした
https://www.dl.ndl.go.jp/api/iiif/979059/manifest.json
福沢全集9,47~63頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=36&outputScale=1
通貨論は
大正版第5巻
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979055
小浜逸郎『まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(2020)では
福沢諭吉の『通貨論』1878が重視されている。
《それ(通貨)が大切なのは、その質にあるのではなくて、働き(機能)にある。金銀と紙とは質が
異なっていても働きに何の違いもない。だから紙でも大丈夫であることには異論のさしはさむ余地はない》
原文は旧大正版福沢全集5,7頁、
《しかりしこうしてその大切なる由縁は、 品の質にあらずして その働きにあるものなり。 今、金銀と紙とその質は異なれども、 これを貨幣に用いて 働きに異なる所あらざれば、 紙を大丈夫なりと言いて 毫も異論あるべからず。》
通貨論1878
近年の福沢諭吉著作集では〈第6巻〉民間経済録・実業論2003年,220頁に所収。
6:21 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
福沢諭吉がMMTと接近するのは表券主義的信用貨幣論においてではなく
以下の認識においてであろう。
「天下一夫も仕事を得ざるものなからしむる」(「外債論」) 1885
著作集6解説377頁(大正版全集9,48頁)より
これはJGPに近い
インフレ後の現状に対応したものでもあるからだ
さらに大隈、福沢は緊縮策に反対し、特に福沢は外債に頼るべきとした
https://www.dl.ndl.go.jp/api/iiif/979059/manifest.json
福沢全集9,47~63頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=36&outputScale=
小浜逸郎『まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(2020)では
福沢諭吉の『通貨論』1878が重視されている。
《それ(通貨)が大切なのは、その質にあるのではなくて、働き(機能)にある。金銀と紙とは質が
異なっていても働きに何の違いもない。だから紙でも大丈夫であることには異論のさしはさむ余地はない》
原文は旧大正版福沢全集5,7頁、
《しかりしこうしてその大切なる由縁は、 品の質にあらずして その働きにあるものなり。 今、金銀と紙とその質は異なれども、 これを貨幣に用いて 働きに異なる所あらざれば、 紙を大丈夫なりと言いて 毫も異論あるべからず。》
通貨論1878
近年の福沢諭吉著作集では〈第6巻〉民間経済録・実業論2003年,220頁に所収。
福沢諭吉がMMTと接近するのは表券主義的信用貨幣論においてではなく
以下の認識においてであろう。
「天下一夫も仕事を得ざるものなからしむる」(「外債論」) 1885
著作集6解説377頁(大正版全集9,48頁)より
これはJGPに近い
インフレ後の現状に対応したものでもあるからだ
(通貨論[時事新報]1882は江戸明治の貨幣価値、インフレを分析)
さらに大隈、福沢は緊縮策に反対し、特に福沢は外債に頼るべきとした
https://www.dl.ndl.go.jp/api/iiif/979059/manifest.json
福沢全集9,47~63頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=36&outputScale=
小浜逸郎『まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(2020)では
福沢諭吉の『通貨論』1878が重視されている。
《それ(通貨)が大切なのは、その質にあるのではなくて、働き(機能)にある。金銀と紙とは質が
異なっていても働きに何の違いもない。だから紙でも大丈夫であることには異論のさしはさむ余地はない》
原文は旧大正版福沢全集5,7頁、
《しかりしこうしてその大切なる由縁は、 品の質にあらずして その働きにあるものなり。 今、金銀と紙とその質は異なれども、 これを貨幣に用いて 働きに異なる所あらざれば、 紙を大丈夫なりと言いて 毫も異論あるべからず。》
通貨論1878
近年の福沢諭吉著作集では〈第6巻〉民間経済録・実業論2003年,220頁に所収。
福沢諭吉がMMTと接近するのは表券主義的信用貨幣論においてではなく
以下の認識においてであろう。
「天下一夫も仕事を得ざるものなからしむる」(「外債論」) 1885
著作集6解説377頁(大正版全集9,48頁)より
これはMMTにおけるJGPに近い
インフレ後の現状に対応したものでもあるからだ
(通貨論[時事新報]1882は江戸明治の貨幣価値、インフレを分析)
さらに大隈、福沢は緊縮策に反対し、特に福沢は外債に頼るべきとした。
外債論に関しては竹森俊平『デフレは三度来(きた)る』上第三章 松方正義と金本位制 79頁が詳しい。
https://www.dl.ndl.go.jp/api/iiif/979059/manifest.json
福沢全集9,47~63頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=36&outputScale=
福沢諭吉貨幣論1411-7-550-11/13メルマガブログ転送 - ごじたのブログ
http://gojita.hatenablog.com/entry/2014/11/13/071313
福沢諭吉貨幣論1411-7-550-11/13メルマガブログ転送
2014-11-13
ブログ「日本を安倍晋三から取り戻す」
http://ameblo.jp/datoushinzoabe/
(見出し)
「2014-11-02 07:26:47NEW !
テーマ:書評・オススメ本
竹森俊平「世界デフレは三度来る 上」 ① 」
(引用開始)
19世紀終わりから21世紀初頭にかけての、経済政策・経済論戦の変遷をたどる大著です。経済だけでなく、歴史物語としても十分に楽しめる壮大なストーリーです。近代資本主義の発生以降に生じた2回のデフレと1回のインフレ、そして未遂になるだろうと書いている3回目のデフレについて書かれています。
上下巻で1000ページ以上もの大著ですが、より面白いのは上巻です。
竹森俊平氏は慶応大学の教授で、経済書は他に「経済論戦は甦る」などで有名です。
重要な箇所を引用しながら、自分の感じたことを書いていきます。
まずは、「序」です。
P.3
「スピーチのはじめにアメリカの学者はジョークを言い、日本の学者は謝罪を述べる」という言葉があるので、
ここでは謝罪から始める。
それは題名についてである。ここで「世界デフレ」というのは、ヴィクトリア朝に発生した一回目のもの(1873-1936)、
「大恐慌」として知られる二回目のもの(1929-1936)、
そして二十一世紀の初めに可能性をいわれ、結局、未遂に終わりそうな三回目のものである。
題名からすると、本書はデフレだけを扱うようだが、実際にはインフレも扱う。
すなわち、1970年代の世界的な「高インフレ」を、起承転結の「転」の部分に盛り込んで、
都合、四部構成にしている。こうすると、十九世紀後半から今日までの歴史を中断なく展望できるからである。
それは一言でいって、インフレとデフレのあいだの経済変動に焦点を当て、
財政、金融政策によってその経済変動を管理するという思想がどのように深まったのかを振り返り、
さらにその思想が日本においてどのように受け入れられたのかをテーマにした「歴史物語」ということになる。
(中略)
本書の題名について、もう一つ謝らなければならないのは、三回目が「きたる」というのは不正確だという点だ。
つまり、三回目は二十一世紀の初めに「くる」と喧伝されたが、実際には来たらず、このまま回避されそうである。
この本は2006年発刊なので、この時点での「世界デフレ」は回避されそうだったのは事実なのですが、
その後はリーマンショック、そしてギリシャに端を発するユーロショックにより、
本物の「三回目のデフレ」がまさに来るような気配があります。
その後、「第一部 金の十字架」では、ヴィクトリア朝のイギリスは、
市民が紅茶をすすりつつ世界中の物産を注文できる一方で、工業力でアメリカやドイツに追いかけられ、
国内投資が減って海外への投資が増えてデフレになっていくことが書かれています。
今の日本と似ているような気がしてなりません。
第一部の見どころは、アメリカを舞台とする大統領選(ブライアン対マッキンリー)における金本位制を巡る論争と、
日本を舞台とする松方正義VS福沢諭吉の経済論争、そして国立銀行の設立と日本における金本位制VS銀本位制論争です。
二つ目の見どころに焦点を当てて、福沢諭吉の経済認識について書かれた文章を引用したいと思います。
P.74
(前略)
それで明治10年に西南戦争が勃発すると、その戦費の調達のために、明治政府は不換紙幣の大量増発に追い込まれた。
その時、財政を仕切っていたのは大隈重信である。
このころから福沢は大隈と協力関係にあり、時には言論によって大隈を援護した。
たとえば、不換紙幣が大量に増発されて兌換がますます遠のくのは嘆かわしいことだとする世論に対して、
福沢は、通貨など不換紙幣で十分だという開き直った議論をして、大隈を援護する。
明治10年の『通貨論』がそれである。不換紙幣を正当化するというのは、当
時の欧米の経済学界においても革新的な立場だった。
福沢の通貨論は革新的だったと書かれていますが、著者の竹森氏は他の書籍で、
最初の不換紙幣発行者としてジョン=ローを挙げています。
この人物は、新大陸(ニューオーリンズ)でミシシッピ計画の事業を起こし、
バブルを発生させました。
ゲーテの戯曲「ファウスト」にも似たようなエピソードがあります。
皇帝をそそのかして、悪魔メフィスト=フェレスが不換紙幣をばらまいて景気を回復させたエピソードです。
竹森氏は経済理論だけでなく、こうした深い教養に裏打ちされた記述が魅力です。
P.79
「人民の一家ならば、貯蓄や貸金を増やすのを目的とするのも結構なことだが、
政府の経済は、たとえ負債があったとしても貯蓄は持つべきではない。
なぜなら政府は本来、元手があるわけではなく、ただ毎年国民の財を集めて、
毎年これを消費するだけのものであるので、もしも政府の財政に余裕が生じるくらいならば、
始めからこれを取りたてずに国民の手元に残しておいたほうが、経済にとり都合がよいからである。
このように一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、
ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、
天然の人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、
また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。
その生産活動から生じた利益が誰の手に落ちようとも、自国内にあるならばそれで満足するべきである。
政府は極貧にして借金が山のようにあっても、人民が豊かなら少しも心配することはない。
なぜならば、その借金はすなわち人民の借金なのだから、
払おうと思えばいつでも容易に払うことができるからである。」
この文章が明確に述べているように、人的資源をフルに活動させることこそが、
経済政策の目的であるべきだというのが福沢の主張である。財政が緊縮型か、
積極型かによって、その目的の達成に違いが出てくることも、福沢はもちろん認識していた。
それで、この文章のように赤字財政でも構わないという主張をするわけである。
それはもちろん福沢の目的意識が、「自分は、国中に身体障害者や病人の他は、
手を空しくしている者が一人でも少ないことを望む」(前掲書)というところにあったからである。
なんと、世界でも最も早い時点で、ケインズ型の財政政策を主張していたことになるのです。
福沢諭吉がここまで経済について深い洞察をしていたとは、この本を読むまで知りませんでした。
今の日本の経済学者や政治家は、100年以上前の福沢諭吉の認識に負けているといわざるをえません。
福沢諭吉貨幣論1411-7-550-11/13メルマガブログ転送 - ごじたのブログ
http://gojita.hatenablog.com/entry/2014/11/13/071313
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2014-11-13
ブログ「日本を安倍晋三から取り戻す」
http://ameblo.jp/datoushinzoabe/
(見出し)
「2014-11-02 07:26:47NEW !
テーマ:書評・オススメ本
竹森俊平「世界デフレは三度来る 上」 ① 」
(引用開始)
P.74
(前略)
それで明治10年に西南戦争が勃発すると、その戦費の調達のために、明治政府は不換紙幣の大量増発に追い込まれた。
その時、財政を仕切っていたのは大隈重信である。
このころから福沢は大隈と協力関係にあり、時には言論によって大隈を援護した。
たとえば、不換紙幣が大量に増発されて兌換がますます遠のくのは嘆かわしいことだとする世論に対して、
福沢は、通貨など不換紙幣で十分だという開き直った議論をして、大隈を援護する。
明治10年の『通貨論』がそれである。不換紙幣を正当化するというのは、当
時の欧米の経済学界においても革新的な立場だった。
福沢の通貨論は革新的だったと書かれていますが、著者の竹森氏は他の書籍で、
最初の不換紙幣発行者としてジョン=ローを挙げています。
この人物は、新大陸(ニューオーリンズ)でミシシッピ計画の事業を起こし、
バブルを発生させました。
ゲーテの戯曲「ファウスト」にも似たようなエピソードがあります。
皇帝をそそのかして、悪魔メフィスト=フェレスが不換紙幣をばらまいて景気を回復させたエピソードです。
竹森氏は経済理論だけでなく、こうした深い教養に裏打ちされた記述が魅力です。
P.79
「人民の一家ならば、貯蓄や貸金を増やすのを目的とするのも結構なことだが、
政府の経済は、たとえ負債があったとしても貯蓄は持つべきではない。
なぜなら政府は本来、元手があるわけではなく、ただ毎年国民の財を集めて、
毎年これを消費するだけのものであるので、もしも政府の財政に余裕が生じるくらいならば、
始めからこれを取りたてずに国民の手元に残しておいたほうが、経済にとり都合がよいからである。
このように一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、
ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、
天然の人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、
また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。
その生産活動から生じた利益が誰の手に落ちようとも、自国内にあるならばそれで満足するべきである。
政府は極貧にして借金が山のようにあっても、人民が豊かなら少しも心配することはない。
なぜならば、その借金はすなわち人民の借金なのだから、
払おうと思えばいつでも容易に払うことができるからである。」
この文章が明確に述べているように、人的資源をフルに活動させることこそが、
経済政策の目的であるべきだというのが福沢の主張である。財政が緊縮型か、
積極型かによって、その目的の達成に違いが出てくることも、福沢はもちろん認識していた。
それで、この文章のように赤字財政でも構わないという主張をするわけである。
それはもちろん福沢の目的意識が、「自分は、国中に身体障害者や病人の他は、
手を空しくしている者が一人でも少ないことを望む」(前掲書)というところにあったからである。
なんと、世界でも最も早い時点で、ケインズ型の財政政策を主張していたことになるのです。
福沢諭吉がここまで経済について深い洞察をしていたとは、この本を読むまで知りませんでした。
今の日本の経済学者や政治家は、100年以上前の福沢諭吉の認識に負けているといわざるをえません。
原文追加
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(見出し)
「2014-11-02 07:26:47NEW !
テーマ:書評・オススメ本
竹森俊平「世界デフレは三度来る 上」 ① 」
(引用開始)
P.74
(前略)
それで明治10年に西南戦争が勃発すると、その戦費の調達のために、明治政府は不換紙幣の大量増発に追い込まれた。
その時、財政を仕切っていたのは大隈重信である。
このころから福沢は大隈と協力関係にあり、時には言論によって大隈を援護した。
たとえば、不換紙幣が大量に増発されて兌換がますます遠のくのは嘆かわしいことだとする世論に対して、
福沢は、通貨など不換紙幣で十分だという開き直った議論をして、大隈を援護する。
明治10年の『通貨論』がそれである。不換紙幣を正当化するというのは、当
時の欧米の経済学界においても革新的な立場だった。
福沢の通貨論は革新的だったと書かれていますが、著者の竹森氏は他の書籍で、
最初の不換紙幣発行者としてジョン=ローを挙げています。
この人物は、新大陸(ニューオーリンズ)でミシシッピ計画の事業を起こし、
バブルを発生させました。
ゲーテの戯曲「ファウスト」にも似たようなエピソードがあります。
皇帝をそそのかして、悪魔メフィスト=フェレスが不換紙幣をばらまいて景気を回復させたエピソードです。
竹森氏は経済理論だけでなく、こうした深い教養に裏打ちされた記述が魅力です。
P.79
「人民の一家ならば、貯蓄や貸金を増やすのを目的とするのも結構なことだが、
政府の経済は、たとえ負債があったとしても貯蓄は持つべきではない。
なぜなら政府は本来、元手があるわけではなく、ただ毎年国民の財を集めて、
毎年これを消費するだけのものであるので、もしも政府の財政に余裕が生じるくらいならば、
始めからこれを取りたてずに国民の手元に残しておいたほうが、経済にとり都合がよいからである。
このように一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、
ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、
天然の人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、
また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。
その生産活動から生じた利益が誰の手に落ちようとも、自国内にあるならばそれで満足するべきである。
政府は極貧にして借金が山のようにあっても、人民が豊かなら少しも心配することはない。
なぜならば、その借金はすなわち人民の借金なのだから、
払おうと思えばいつでも容易に払うことができるからである。」
原文
《人民の一家には貯蓄貸金の多きを以て無上の目的と為すと雖も政府の経済
は假令ひ負債あるも蓄積ある可らず如何となれば政府は本来無一物、たゞ年々國民の財を集めて年々
これを消費する筈のものなるが故に若しも政府に余裕生ずる位なれば初めより之を取らして國民の
手元に残し置く方こそ便利なる可ければなり
一家の世帯と一國の経済と其相違すること斯の如くにし
て政府の目的とする所は唯全國の人民が其智力のあらん限り、腕力のあらん限り心身を労役して天然
の物に人為を加へ以て人間の快楽を多からしむるやう其仕組を作り又自然に此仕組あるのを妨げざ
るに在るのみ其労力より生じたる利金が誰の手に落るも自國の内にさへあれば夫れにでて満足す可し政
府は極貧にして借金山の如くなるも人民富實[?]なれば少しも憂ふるに足らず如何となれば共借金は即ち
人民の借金なるが故に払ふ可き時には之を払ふこと容易なればなり》
外債論1885年 旧全集9:47~8頁
[外債論]
旧全集9
該当48頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059/37
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=37&outputScale=1
この文章が明確に述べているように、人的資源をフルに活動させることこそが、
経済政策の目的であるべきだというのが福沢の主張である。財政が緊縮型か、
積極型かによって、その目的の達成に違いが出てくることも、福沢はもちろん認識していた。
それで、この文章のように赤字財政でも構わないという主張をするわけである。
それはもちろん福沢の目的意識が、「自分は、国中に身体障害者や病人の他は、
手を空しくしている者が一人でも少ないことを望む」(前掲書)というところにあったからである。
なんと、世界でも最も早い時点で、ケインズ型の財政政策を主張していたことになるのです。
福沢諭吉がここまで経済について深い洞察をしていたとは、この本を読むまで知りませんでした。
今の日本の経済学者や政治家は、100年以上前の福沢諭吉の認識に負けているといわざるをえません。
原文
《人民の一家には貯蓄貸金の多きを以て無上の目的と為すと雖も政府の経済
は假令ひ負債あるも蓄積ある可らず如何となれば政府は本来無一物、たゞ年々國民の財を集めて年々
これを消費する筈のものなるが故に若しも政府に余裕生ずる位なれば初めより之を取らして國民の
手元に残し置く方こそ便利なる可ければなり
一家の世帯と一國の経済と其相違すること斯の如くにし
て政府の目的とする所は唯全國の人民が其智力のあらん限り、腕力のあらん限り心身を労役して天然
の物に人為を加へ以て人間の快楽を多からしむるやう其仕組を作り又自然に此仕組あるのを妨げざ
るに在るのみ其労力より生じたる利金が誰の手に落るも自國の内にさへあれば夫れにでて満足す可し政
府は極貧にして借金山の如くなるも人民富實[?]なれば少しも憂ふるに足らず如何となれば共借金は即ち
人民の借金なるが故に払ふ可き時には之を払ふこと容易なればなり》
福沢諭吉外債論1885年 旧全集9:47~8頁
[外債論]
旧全集9
該当48頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059/37
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=37&outputScale=1
以下、竹森俊平「世界デフレは三度来る 上」 P.79より
「人民の一家ならば、貯蓄や貸金を増やすのを目的とするのも結構なことだが、
政府の経済は、たとえ負債があったとしても貯蓄は持つべきではない。
なぜなら政府は本来、元手があるわけではなく、ただ毎年国民の財を集めて、
毎年これを消費するだけのものであるので、もしも政府の財政に余裕が生じるくらいならば、
始めからこれを取りたてずに国民の手元に残しておいたほうが、経済にとり都合がよいからである。
このように一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、
ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、
天然の人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、
また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。
その生産活動から生じた利益が誰の手に落ちようとも、自国内にあるならばそれで満足するべきである。
政府は極貧にして借金が山のようにあっても、人民が豊かなら少しも心配することはない。
なぜならば、その借金はすなわち人民の借金なのだから、
払おうと思えばいつでも容易に払うことができるからである。」
福沢諭吉外債論1885年 旧全集9:47~8頁
原文
《人民の一家には貯蓄貸金の多きを以て無上の目的と為すと雖も政府の経済
は假令ひ負債あるも蓄積ある可らず如何となれば政府は本来無一物、たゞ年々國民の財を集めて年々
これを消費する筈のものなるが故に若しも政府に余裕生ずる位なれば初めより之を取らして國民の
手元に残し置く方こそ便利なる可ければなり
一家の世帯と一國の経済と其相違すること斯の如くにし
て政府の目的とする所は唯全國の人民が其智力のあらん限り、腕力のあらん限り心身を労役して天然
の物に人為を加へ以て人間の快楽を多からしむるやう其仕組を作り又自然に此仕組あるのを妨げざ
るに在るのみ其労力より生じたる利金が誰の手に落るも自國の内にさへあれば夫れにでて満足す可し政
府は極貧にして借金山の如くなるも人民富實[?]なれば少しも憂ふるに足らず如何となれば共借金は即ち
人民の借金なるが故に払ふ可き時には之を払ふこと容易なればなり》
[外債論]
旧全集9
該当48頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059/37
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=37&outputScale=1
以下、竹森俊平「世界デフレは三度来る 上」 P.79より現代語訳
「人民の一家ならば、貯蓄や貸金を増やすのを目的とするのも結構なことだが、
政府の経済は、たとえ負債があったとしても貯蓄は持つべきではない。
なぜなら政府は本来、元手があるわけではなく、ただ毎年国民の財を集めて、
毎年これを消費するだけのものであるので、もしも政府の財政に余裕が生じるくらいならば、
始めからこれを取りたてずに国民の手元に残しておいたほうが、経済にとり都合がよいからである。
このように一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、
ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、
天然の人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、
また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。
その生産活動から生じた利益が誰の手に落ちようとも、自国内にあるならばそれで満足するべきである。
政府は極貧にして借金が山のようにあっても、人民が豊かなら少しも心配することはない。
なぜならば、その借金はすなわち人民の借金なのだから、
払おうと思えばいつでも容易に払うことができるからである。」
福沢諭吉「外債論」1885年 旧全集9:47~8頁より
原文
《人民の一家には貯蓄貸金の多きを以て無上の目的と為すと雖も政府の経済
は假令ひ負債あるも蓄積ある可らず如何となれば政府は本来無一物、たゞ年々國民の財を集めて年々
これを消費する筈のものなるが故に若しも政府に余裕生ずる位なれば初めより之を取らして國民の
手元に残し置く方こそ便利なる可ければなり一家の世帯と一國の経済と其相違すること斯の如くにし
て政府の目的とする所は唯全國の人民が其智力のあらん限り、腕力のあらん限り心身を労役して天然
の物に人為を加へ以て人間の快楽を多からしむるやう其仕組を作り又自然に此仕組あるのを妨げざ
るに在るのみ其労力より生じたる利金が誰の手に落るも自國の内にさへあれば夫れにでて満足す可し政
府は極貧にして借金山の如くなるも人民富實[?]なれば少しも憂ふるに足らず如何となれば共借金は即ち
人民の借金なるが故に払ふ可き時には之を払ふこと容易なればなり》
[外債論]
旧全集9
該当48頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059/37
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=37&outputScale=1
以下、竹森俊平「世界デフレは三度来る 上」 P.79より現代語訳
「人民の一家ならば、貯蓄や貸金を増やすのを目的とするのも結構なことだが、
政府の経済は、たとえ負債があったとしても貯蓄は持つべきではない。
なぜなら政府は本来、元手があるわけではなく、ただ毎年国民の財を集めて、
毎年これを消費するだけのものであるので、もしも政府の財政に余裕が生じるくらいならば、
始めからこれを取りたてずに国民の手元に残しておいたほうが、経済にとり都合がよいからである。
このように一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、
ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、
天然の人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、
また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。
その生産活動から生じた利益が誰の手に落ちようとも、自国内にあるならばそれで満足するべきである。
政府は極貧にして借金が山のようにあっても、人民が豊かなら少しも心配することはない。
なぜならば、その借金はすなわち人民の借金なのだから、
払おうと思えばいつでも容易に払うことができるからである。」
福沢諭吉「外債論」1885年 旧全集9:47~8頁より
原文
《人民の一家には貯蓄貸金の多きを以て無上の目的と為すと雖も政府の経済
は假令ひ負債あるも蓄積ある可らず如何となれば政府は本来無一物、たゞ年々國民の財を集めて年々
これを消費する筈のものなるが故に若しも政府に余裕生ずる位なれば初めより之を取らして國民の
手元に残し置く方こそ便利なる可ければなり一家の世帯と一國の経済と其相違すること斯の如くにし
て政府の目的とする所は唯全國の人民が其智力のあらん限り、腕力のあらん限り心身を労役して天然
の物に人為を加へ以て人間の快楽を多からしむるやう其仕組を作り又自然に此仕組あるのを妨げざ
るに在るのみ其労力より生じたる利金が誰の手に落るも自國の内にさへあれば夫れにでて満足す可し政
府は極貧にして借金山の如くなるも人民富實[?]なれば少しも憂ふるに足らず如何となれば共借金は即ち
人民の借金なるが故に払ふ可き時には之を払ふこと容易なればなり》
[外債論]
旧全集9
該当48頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059/37
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=37&outputScale=1
以下、竹森俊平「世界デフレは三度来る 上」 P.79より現代語訳
「人民の一家ならば、貯蓄や貸金を増やすのを目的とするのも結構なことだが、
政府の経済は、たとえ負債があったとしても貯蓄は持つべきではない。
なぜなら政府は本来、元手があるわけではなく、ただ毎年国民の財を集めて、
毎年これを消費するだけのものであるので、もしも政府の財政に余裕が生じるくらいならば、
始めからこれを取りたてずに国民の手元に残しておいたほうが、経済にとり都合がよいからである。
このように一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、
ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、
天然の人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、
また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。
その生産活動から生じた利益が誰の手に落ちようとも、自国内にあるならばそれで満足するべきである。
政府は極貧にして借金が山のようにあっても、人民が豊かなら少しも心配することはない。
なぜならば、その借金はすなわち人民の借金なのだから、
払おうと思えばいつでも容易に払うことができるからである。」
福沢諭吉貨幣論1411-7-550-11/13メルマガブログ転送 - ごじたのブログ
http://gojita.hatenablog.com/entry/2014/11/13/071313
啓蒙としてはグレーバー『負債論』が重要。
David Graeber: debt and what the government doesn't want you to know
2015/10/28
https://youtu.be/LxJW7hl8oqM
ケルトンもグレーバーに多くを負っている。
ただしそれ以前に日本の知識人達がちゃんと福沢諭吉を読んでさえいれば、
とっくにMMTは常識のはずだった。
《人民の一家には貯蓄貸金の多きを以て無上の目的と為すと雖も政府の経済
は假令ひ負債あるも蓄積ある可らず如何となれば政府は本来無一物、たゞ年々國民の財を集めて年々
これを消費する筈のものなるが故に若しも政府に余裕生ずる位なれば初めより之を取らして國民の
手元に残し置く方こそ便利なる可ければなり…(略)》
(福沢諭吉「外債論」1885年、 旧全集第九巻47~8頁より)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979059/37
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F979059&contentNo=37&outputScale=1
以下、現代語訳
《人民の一家ならば、貯蓄や貸金を増やすのを目的とするのも結構なことだが、
政府の経済は、たとえ負債があったとしても貯蓄は持つべきではない。
なぜなら政府は本来、元手があるわけではなく、ただ毎年国民の財を集めて、
毎年これを消費するだけのものであるので、もしも政府の財政に余裕が生じるくらいならば、
始めからこれを取りたてずに国民の手元に残しておいたほうが、経済にとり都合がよいからである。
このように一家の世帯と一国の経済は違うもので、政府が目的とするべきことは、
ただ全国の人民がその知力のあるかぎり、腕力のあるかぎり、心身を働かせて、
天然の人為を加え、それによって人間の快楽が多くなるようなそういう仕組みを作り、
また自然にそういう仕組みがある場合にはそれを妨害しないことにある。》
(竹森俊平『世界デフレは三度来る 上』79頁より)
福沢諭吉はJGPも先取りしている。
freeassociations: アドルフ・ケトレー Lambert Adolphe Jacques Quételet アドルフ・ケトレー1796-1874 Wikipedia
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/01/wikipedia_19.html
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/features/2020/06-1_2.html
【特集:福澤諭吉と統計学】 座談会:150年のスパンで「統計学」を見る
2020/06/05
『文明論之概略』に見られる統計的思考
福澤は『文明論之概略』で、結婚を取り上げ、出雲大社の縁結びの神説など、縁談を運命のように考える人が多いが「スタチスチク」からみると、それは違う、その年の婚姻の多寡は「米相場」によって決まる、と喝破しています。福澤にとって統計学は、人々の間に流布する偏見や謬説をひっくり返す、最強の学問だったと思います。
それゆえに、ゴルトンを『時事小言』の中で紹介するときは、人間はみんな平等だというけれども、しかし実際には平等ではない、人間の才能は家系によって違いがある、と言うわけです。
ただし実はこれは、福澤の有名な『学問のすゝめ』(初編、1872年)の冒頭の一文、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と矛盾します。
一方で冷徹に一般的事実を解明する統計学を重んじ、他方で人間の平等性など倫理にかかわる規範的な政治哲学を講じる、そうした両義性こそ、福澤諭吉の面白さだと思います。
https://nam-students.blogspot.com/2020/04/blog-post_22.html
https://nam-students.blogspot.com/2020/04/blog-post_30.html@
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/05/blog-post_51.html
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2021/09/francis-wayland-wikipedia.html
小浜逸郎『まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい「学問のすゝめ」』(2020)では
福沢諭吉の『通貨論』1878が重視されている。
《それ(通貨)が大切なのは、その質にあるのではなくて、働き(機能)にある。金銀と紙とは質が
異なっていても働きに何の違いもない。だから紙でも大丈夫であることには異論のさしはさむ余地はない》
《しかりしこうしてその大切なる由縁は、 品の質にあらずして その働きにあるものなり。 今、金銀と紙とその質は異なれども、 これを貨幣に用いて 働きに異なる所あらざれば、 紙を大丈夫なりと言いて 毫も異論あるべからず。》
通貨論1878
近年の福沢諭吉著作集では〈第6巻〉民間経済録・実業論に所収。
「甲申事変」の裏に日本がいると欧米に主張する清国に対抗するために「脱亜論」を書いた。つまり「亜細亜の旧体制からの脱却」がイコール「脱亜」であったと。
そして朝鮮国も日本同様、独立自尊の道を進むことを望んでいた、それで多くの留学生を受け入れたと。ふむ🤔
#歴史秘話ヒストリア #福沢諭吉
まだMMT理論を知らない貧困大国日本 新しい『学問のすゝめ』 Kindle版 2020/02/28
小浜逸郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0855L3763/
まだ M M Tを知らない貧困大国日本 ─ ─目次
はじめに
第 1章日本に迫りくる衰退の兆候
Ⅰ .貧困化する日本
Ⅱ .日本の科学技術が衰弱している
Ⅲ .国防の脆弱さ
Ⅳ .領土侵略に対しても無力
Ⅴ .情報戦における敗北
Ⅵ .少子高齢化のどこが問題か ?
Ⅶ .若者の生活不安定
第 2章なぜインテリは思考停止するのか
第 3章安倍政権はなぜ大失敗しているのか
第 4章よい学問と悪い学問の違い★
終章日本の凋落を克服するたった一つの方法
あとがき
ーーーちなみに以下にも福沢諭吉論がある(後述)
竹森俊平「世界デフレは三度来る 上」 ① 」
世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ) (日本語) 単行本 – 2006/4/21
5つ星のうち5.0 MMTと福沢諭吉、小浜逸郎さん渾身の良書です。
2020年3月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
平成30年間の日本の衰退は緊縮財政とグローバリゼーションがもたらした政策的人災であることは明白です。
福沢諭吉は130年も前にMMT現代貨幣論の一歩手前まで自力で理論構築していた、と目の覚める論理構成です。
緊縮財政とグローバリゼーションで失われた国力を取り戻し、将来に希望を持てる日本国に再生させたい、そういう思いがふつふつと湧き上がり元気になりました。
この本や令和の政策ピボットメンバーの著書、講演、動画などで、緊縮財政脳から目を覚まして、正しい政治を選択しませんか。
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