土曜日, 4月 11, 2020

カレツキとマルクス

マルクスの信用貨幣論は信用論であり、恐慌論の裏返しだ。
危機の時期には金属貨幣が復権する。
対してカレツキはマルクスから出発しながら信用貨幣論を補強する。


カレツキとマルクス 栗田康之(上武大学)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/47/4/47_KJ00009361665/_pdf
34頁

カレツキの表式では,信用貨幣と信用創造(=「購買力の創出」)を前提としている。すなわち,「追加的な投資のための資金は,いわゆる購買力の創出によって調達される。銀行信用に対する需要が増加し,それらの信用は銀行によって供給されるのである」(Kalecki[1935], Kalecki[1971b]邦訳29頁)と❖8)。貨幣の支出と流通についてみれば,マルクスの再生産表式と同じく,各部門の資本家が支出した貨幣は,流通して各部門の資本家のポケットに入る。但し,投資のための資金が信用を利用して調達される限りでは,貨幣は,企業からの需要に応じて銀行によって供給された信用貨幣であり,利潤として他の資本家のポケットに入ると同時に預金として銀行に戻る❖9)。

Kalecki,  M.[1935]“The Mechanism of the Business Upswing”,  translated from the  Polish in Kalecki[1971b]
Kalecki,  M.[1971b]Selected Essays on the Dynamics of the Capitalist  Economy:  1933─1970,  Cambridge:  Cambridge University Press(浅田統一郎・間宮陽介訳『資本主義経済の動態理論』日本経済評論社,1984年)

("The Marxian equations of reproduction and modern economics"「マルクスの再生産の方程式と近代経済学」1968,1991未邦訳より)

再生産表式は信用貨幣論的展開が可能で内生的貨幣観を補強する。ただし価値形態論も可逆的な金属貨幣論批判として読み方によっては読める。


❖8)  なお信用貨幣と信用創造の表式的展開については,ここで引用したカレツキの初期の論文「景気上昇のメカニズム」(Kalecki[1935])が明快に展開しており注目される。この論文では,投資財部門と消費財部門の2部門分割によって,信用による投資資金の調達と流通を分析している。
❖9)  なお,貨幣については,『資本論』体系全体を見れば,マルクスは,貨幣の諸機能や信用貨幣を展開しており,金貨幣を前提するかしないかという,貨幣・信用制度の歴史的前提条件にかかわる点を別とすれば,マルクス再生産表式とカレツキ表式において貨幣の機能のとらえ方に本質的な差はないともいえる。なお,サルドーニ(Sardoni[1989])は,マルクス再生産表式における資本家のもとへの貨幣の環流と蓄蔵手段としての貨幣の前提を,カレツキの「投資および資本家消費による利潤の決定」と関連させて分析している。さらに,マルクス再生産表式で前提されている金貨幣を銀行システムによる貨幣供給に代えることは可能であるとして,両者の理論的つながりを強調している。もっともその際,サルドーニが「マルクスは,総利潤が資本家の消費支出および投資支出と,資本家の流動性選好との両者によって決定される,という結論に達した」(Sardoni[1989]p.213)というのは,マルクスのカレツキ的およびケインズ的解釈というべきものであろうが。


カレツキとマルクス 栗田康之(上武大学)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/47/4/47_KJ00009361665/_pdf


34頁

的継承を確認できる。しかし,カレツキの経済学の基礎にマルクスの経済学ことに再生産表式論があり,理論的・学説的な継承関係を確認できるとしても,そのことは,必ずしもカレツキの経済学がマルクスの経済学の直接的な延長線上にあることを意味しない。その点は,以上みてきたカレツキの表式的展開に限っても言えることである。以下あらためて,カレツキの表式的展開とマルクスの再生産表式の分析対象ないしは分析方法を比較しよう。
(2)分析対象および分析方法の相違
 マルクスの再生産表式もカレツキの表式的分析も,資本主義経済における年々の社会的生産物の取引を分析している。しかし,両者の分析対象および分析方法は必ずしも同じではない。
 すなわち,まずマルクス再生産表式の分析対象は,総資本の生産物としての原材料等の中間生産物を含む1 年間の「総生産物」である。次に,分析方法としては,「総生産物」を使用価値的に生産手段(部門Ⅰ)と消費手段(部門Ⅱ)とに分割し,それぞれ c+v+m の価値構成で表示して,部門間および部門内の取引を分析している。また,生産物の価値は,労働価値説によって,各生産物の生産に直接・間接的に必要な労働量に比例した「価値どおりの価格」として前提される。
 それに対して,カレツキの表式的分析の対象は,1年間の「国民生産物」ないしは「国民所得」である。それは減価償却費を含む「粗国民生産物」・「粗国民所得」として前提されているが,使用価値的にはいわゆる「最終生産物」である。分析方法としては,すでにみたように,2部門分割では生産物を「投資財」と「消費財」に分割し,3部門分割では「投資財」と「資本家消費財」および「賃金財」に分割している。また,価値的にはいわゆる「統合生産」(垂直統合生産)の視点から中間生産物としての原材料等の付加価値をすべてそれらの「最終生産物」の価値に集約して,それぞれ C+S ないしは P+W の価値構成で表示している。そのような方法的前提のもとで部門間および部門内の取引を分析している。なお,カレツキは労働価値説を拒否しており,また平均利潤率による生産価格も前提しない❖6)。したがって,生産物の価値については,市場価格が前提されているにすぎない❖7)。
 なお,部門分割については,マルクスも,消費手段の必要生活手段と資本家用の「奢侈的消費手段」への再分割を行っている(『資本論』第2巻, 第3編, 第20章, 第4節)。しかし,それはあくまで消費手段の「亜部門」への再分


割である。マルクスの再生産表式は社会的再生産過程の分析として,基本的には,生産手段と消費手段との2 部門分割を採用している。それに対して,カレツキは,すでにみたように投資財と消費財への2部門分割も採用してはいるが,「投資および資本家消費による利潤の決定」というカレツキ有効需要理論の命題に即してみれば,またすでに1933年の『景気循環論』において資本家用消費財と労働者の消費財を区別しているという点から言えば,基本的には3部門分割を採用している,と言える。
 さらに,カレツキは資本家と労働者との階級関係の把握をマルクスから継承しているが,両者の分析の前提になっている賃金と利潤との分配関係の把握は異なる。マルクスの再生産表式において賃金と利潤との分配関係を示す剰余価値率 m′=m/v は,労働力の価値規定を前提とする必要労働と剰余労働との比率であり,資本・賃労働の実体的関係を示す。それに対して,カレツキの分配率 w=W/Y は,市場内部の個別企業(個別資本)の「独占度」よる主要費用(賃金費用+原材料費)へのマーク・アップを通じて決定される。それは,個別諸資本(諸企業)の「競争」(不完全競争)の次元での規定である。
 両者が前提している貨幣についてみれば,まず,マルクスにおける貨幣は,基本的に金貨幣である。再生産表式においては,貨幣は,主として流通手段として前提されているが,固定資本の補塡や蓄積との関係では,蓄蔵手段としての貨幣が前提されている。さらに,金生産部門からの貨幣金の供給も考慮されている。また,貨幣の支出と流通についてみれば,貨幣の所有者は資本家であり,貨幣が流通手段として機能する限りでは各部門の資本家が支出した貨幣が部門間あるいは部門内を流通してもとに戻る。蓄蔵手段としての貨幣が前提される限りでは,各資本家が一方的に支出(固定資本の更新投資および新投資)した貨幣は他の資本家のポケットに入り蓄蔵(減価償却資金,蓄積資金の形成)される。
 それに対して,カレツキの表式では,信用貨幣と信用創造(=「購買力の創出」)を前提としている。すなわち,「追加的な投資のための資金は,いわゆる購買力の創出によって調達される。銀行信用に対する需要が増加し,それらの信用は銀行によって供給されるのである」(Kalecki[1935], Kalecki[1971b]邦訳29頁)と❖8)。貨幣の支出と流通についてみれば,マルクスの再生産表式と同じく,各部門の資本家が支出した貨幣は,流通して各部門の資本家のポケットに入る。但し,投資のための資金が信用を利用して調達される限りでは,貨幣は,企業からの需要に応じて銀行によって供給された信用貨幣であり,利潤として他の資本家のポケットに入ると同時に預金として銀行に戻る❖9)。
 以上のような基本的な分析対象および方法的前提のもとで,マルクスの再生産表式は,「社会的総資本の再生産過程」が正常に進行するための条件を分析している。それは,年々の社会的生産物の需要・供給の均衡条件の分析になっている。それに対して,カレツキの表式的分析,特に彼独自の3部門分割による表式は,資本家が「決意」する「投資および資本家消費」による「利潤」および「国民所得」の決定を分析しており,部門間での有効需要の波及過程の分析になっている。
 以上みたように,カレツキの表式的分析はマルクスの再生産表式を継承してはいるが,両者の分析対象と分析方法は異なる。それは,カレツキ独自の「カレツキ表式」とも言うべき「国民所得の経済表」の提示に端的に示される。しかも,そのような独自の「カレツキ表式」の展開が,マルクスが特に『資本論』第3巻で提起した「剰余価値の実現の問題」に対する「解答」を与えることになっているのである。それらの関係は,両者の経済学体系との関連において,どのように理解したらよいのであろうか。あらためて,カレツキの資本主義経済論とマルクス『資本論』について,理論的・方法的な比較・検討を行いたい。

4 Comments:

Blogger yoji said...

マルクスの信用貨幣論は信用論であり、恐慌論の裏返しだ。
危機の時期には金属貨幣が復権する。
対してカレツキはマルクスから出発しながら信用貨幣論を補強する。


カレツキとマルクス 栗田康之(上武大学)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/47/4/47_KJ00009361665/_pdf
34頁
《カレツキの表式では,信用貨幣と信用創造(=「購買力の創出」)を前提としている。すなわち,「追加的な投資の
ための資金は,いわゆる購買力の創出によって調達される。銀行信用に対する需要が増加し,それらの信用は銀行に
よって供給されるのである」(Kalecki[1935], Kalecki[1971b]邦訳29頁)と❖8)。貨幣の支出と流通についてみ
れば,マルクスの再生産表式と同じく,各部門の資本家が支出した貨幣は,流通して各部門の資本家のポケットに入る。
但し,投資のための資金が信用を利用して調達される限りでは,貨幣は,企業からの需要に応じて銀行によって供給さ
れた信用貨幣であり,利潤として他の資本家のポケットに入ると同時に預金として銀行に戻る❖9)。》

Kalecki, M.[1935]“The Mechanism of the Business Upswing”, translated from the Polish in Kalecki[1971b]
Kalecki, M.[1971b]Selected Essays on the Dynamics of the Capitalist Economy: 1933─1970, Cambridge:
Cambridge University Press(浅田統一郎・間宮陽介訳『資本主義経済の動態理論』日本経済評論社,1984年)

2:55 午前  
Blogger yoji said...

マルクスの信用貨幣論は信用論であり、恐慌論の裏返しだ。
危機の時期には金属貨幣が復権する。
対してカレツキはマルクスから出発しながら信用貨幣論を補強する。
ただし価値形態論も可逆的な読みが可能だ。


カレツキとマルクス 栗田康之(上武大学)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/47/4/47_KJ00009361665/_pdf
34頁
《カレツキの表式では,信用貨幣と信用創造(=「購買力の創出」)を前提としている。すなわち,「追加的な投資の
ための資金は,いわゆる購買力の創出によって調達される。銀行信用に対する需要が増加し,それらの信用は銀行に
よって供給されるのである」(Kalecki[1935], Kalecki[1971b]邦訳29頁)と◆8)。貨幣の支出と流通についてみ
れば,マルクスの再生産表式と同じく,各部門の資本家が支出した貨幣は,流通して各部門の資本家のポケットに入る。
但し,投資のための資金が信用を利用して調達される限りでは,貨幣は,企業からの需要に応じて銀行によって供給さ
れた信用貨幣であり,利潤として他の資本家のポケットに入ると同時に預金として銀行に戻る◆9)。》

Kalecki, M.[1935]“The Mechanism of the Business Upswing”, translated from the Polish in Kalecki[1971b]
Kalecki, M.[1971b]Selected Essays on the Dynamics of the Capitalist Economy: 1933─1970, Cambridge:
Cambridge University Press(浅田統一郎・間宮陽介訳『資本主義経済の動態理論』日本経済評論社,1984年)

3:01 午前  
Blogger yoji said...

マルクスの信用貨幣論は信用論であり、恐慌論の裏返しだ。
危機の時期には金属貨幣が復権する。
対してカレツキはマルクスから出発しながら信用貨幣論を補強する。
ただし価値形態論も可逆的な読みが可能だ。

参考:
カレツキとマルクス 栗田康之(上武大学)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/47/4/47_KJ00009361665/_pdf
34頁
《カレツキの表式では,信用貨幣と信用創造(=「購買力の創出」)を前提としている。すなわち,「追加的な投資の
ための資金は,いわゆる購買力の創出によって調達される。銀行信用に対する需要が増加し,それらの信用は銀行に
よって供給されるのである」(Kalecki[1935], Kalecki[1971b]邦訳29頁)と❖8)。貨幣の支出と流通についてみ
れば,マルクスの再生産表式と同じく,各部門の資本家が支出した貨幣は,流通して各部門の資本家のポケットに入る。
但し,投資のための資金が信用を利用して調達される限りでは,貨幣は,企業からの需要に応じて銀行によって供給さ
れた信用貨幣であり,利潤として他の資本家のポケットに入ると同時に預金として銀行に戻る❖9)。》

Kalecki, M.[1935]“The Mechanism of the Business Upswing”, translated from the Polish in Kalecki[1971b]
Kalecki, M.[1971b]Selected Essays on the Dynamics of the Capitalist Economy: 1933─1970, Cambridge:
Cambridge University Press(浅田統一郎・間宮陽介訳『資本主義経済の動態理論』日本経済評論社,1984年)

3:02 午前  
Blogger yoji said...

Stephanie Kelton (@StephanieKelton)
2020/01/13 7:46
Joan Robinson (1943) on the “logic” of austerity. pic.twitter.com/aRooHKEXqh

https://twitter.com/stephaniekelton/status/1216491689218641922?s=21

6:27 午後
Blogger yoji said...
Blogger yoji said...
収入を超えるほど重たい税を資本に課することはできないのと同様、課税の対象がどう分類されようと、資本家はつねに優遇され、プロレタリアばかりが税の不公正と抑圧で苦しめられる。まちがいは税の割り当てにではなく、財産の割り当てにある。(『貧困の哲学』第7章)

プルードン
恐るべし

11:30 午前
Blogger yoji said...
タックス・ヘイヴン(英語: tax haven)とは、一定の課税が著しく軽減、ないしは完全に免除される国や地域のことであり、租税回避地(そぜいかいひち)とも、低課税地域(ていかぜいちいき)、とも呼ばれる[1]。

フランス語では「税の楽園」「税の天国」を意味するパラディ・フィスカル(フランス語: paradis fiscal)と言い、ドイツ語などでも同様の言い方をする。しかし、英語のタックス・ヘイヴンのhavenの日本語での意味は「避難所」であって、「楽園」「天国」を意味するheavenではないことに留意されたい。

目次

5:59 午後
Blogger yoji said...
第4章 商品税,所得税および資本税の理論  34

41頁

資本課税にカレツキは肯定的だが現実化しないだろうと見ている
ジジェクのピケティ評のように



賃金をめぐる戦いが国民所得の分配に根本的な変化をもたらす可能性は低いことは事実です。所得税と資本税は、この目的を達成するためのはるかに強力な武器です。これらの税金は(商品税とは対照的に)プライムコストに影響を与えず、したがって価格を引き上げる傾向がないためです。しかし、このように収入を再分配するためには、政府はそれを実行する意志と力の両方を持たなければならず、これは資本主義システムでは起こりそうにない。


ロビンソンの言葉が引用される
https://academic.oup.com/ej/article-abstract/46/184/691/5268207

5:28 午前
Blogger yoji said...
資本課税を掛けられるような世界政府があれば資本課税の必要はないとジジェクがピケティを混ぜっ返していたが、
カレツキも実は似た意見だ(資本主義経済の動態理論41頁)
だから分配は協同組合によって生産現場で行われなければならない
これはガンジーの意見でもある(ガンジー自立の思想)

4:49 午前  

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