水曜日, 1月 10, 2018

スピノザと動物たち アリエル・シュアミ:著, アリア・ダヴァル:著, 大津真 作:訳 2017 Ariel Suhamy & Alia Daval, Spinoza par les bêtes, Paris,Ollendorf & Desseins, 2008.

                     ( スピノザリンク:::::::::

スピノザと動物たち アリエル・シュアミ:著, アリア・ダヴァル 2017 Ariel Suhamy & Alia Daval, Spinoza par les bêtes, 2008.

http://nam-students.blogspot.jp/2018/01/2017-ariel-suhamy-alia-daval-spinoza.html



スピノザと動物たち アリエル・シュアミ:著, アリア・ダヴァル:著, 大津 真 作:訳 2017/12
 Ariel Suhamy & Alia Daval, Spinoza par les bêtes, Paris, Ollendorf & Desseins, 2008.

http://red.ap.teacup.com/izumisz/118.html


スピノザと動物たち

  • 単行本: 173ページ
  • 出版社: 法政大学出版局 (2017/12/22)
  • 言語: 日本語
想像以上に文字が多くスピノザ有段者向け…(その分訳者による註は充実しているが)
絵の比率が低い
例えば13話で紋章の話が出るが以下の図版は採用されていない
#1
「蜘蛛が張る蜘蛛の巣は,人間には非常な困難をもってしか作ることはできない。一方,人間は,おそらく天使にさえ不可能な,実に多くのことをきわめて容易になし遂げる」。*
*『デカルトの哲学原理』第1部,定理7,備考。52頁。
#8
それでは,いま~~とスピノザは言う~~線分の一端を動かないようにして,線分が回転するとわざと仮構してみたら,そのときには,円についての真の観念を私は生成することになる。特性(諸点の等距離性)のほうは,そこから必然的に出てくる。虚構だとはスピノザも認める。なぜなら, どのような円も自然からは生まれないからだ。とはいえ,虚構は現実と再び一緒になっている。というのも, この虚構は,円の本質を生み出すことができるもつとも簡単な方法を表現しているからだ。*
『知性改善論』(95)75頁。「……こうした定義は,円のある特性を明らかにするに過ぎない……」。
起成原因なる語は使われない。

#24
「都市国家の平和が臣民の無気力の結果にすぎず,臣民がまるで家畜のように導かれていて,単に隷属することのみを知っているにすぎない場合には,都市国家というよりはむしろ荒野の名がふさわしい」
『国家論』第5,第4節,57頁。

 Ariel Suhamy & Alia Daval, Spinoza par les bêtes, Paris, Ollendorf & Desseins, 2008.
 こちらは、ちょっと楽しい本。題名通り、蜘蛛から(書簡32に出てくる)イソップの山羊に至るまで、スピノザと関わりがあったり、スピノザの著作に出てくる動物たちとの関係でスピノザの思索を見ていくもの。スピノザと非人間主義的思考を考えるためにも、何かインスピレーションを与えてくれるかも知れない。


内容紹介

蜘蛛、馬、犬、獅子、ネズミ、そしてペガサスやセイレン……。テキストに登場する動物やキマイラたちの寓話と、たくさんの美しいイラストを通じて、スピノザ哲学の核心をみごとに解説する全30話の入門書! 無限の力である〈神=自然〉の外には何もないスピノザ的宇宙にあって、人間とはどんな生き物なのか? 迷える人びとに知的幸福をもたらしてくれる、哲学の不思議な動物園へようこそ。

内容(「BOOK」データベースより)

蜘蛛、馬、獅子、ネズミ、そしてペガサスやセイレン…。テキストに登場する動物やキマイラたちの寓話と、たくさんの美しいイラストを通じて、スピノザ哲学の核心にいざなう全30話の入門書。

著者について

(Ariel Suhamy)
高等師範学校卒(ノルマリアン)で、哲学教員資格者ならびに哲学博士。学位論文『スピノザにおける善のコミュニケーション』(ガルニエ)のほかに、共著で『スピノザ』(エリプス)、共同編集で『自由なマルチチュード、『国家論』の新しい読み方』(エディシヨン・アムステルダム)など、スピノザに関する数本のエッセーと論文の著者。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

シュアミ,アリエル
ノルマリアンで、哲学教員資格者ならびに哲学博士。学位論文『スピノザにおける善のコミュニケーション』(ガルニエ)のほかに、スピノザに関する数本のエッセーと論文の著者

ダヴァル,アリア
ニース国立芸術高等学院卒。科学画家として長年先史研究所に勤務。2002年からマルチメディア集団セルヴォヴァルヴの一員。『スピノザと動物たち』は初めての著作

大津/真作
1945年大阪府生まれ。西欧社会思想史専攻。甲南大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



スピノザと動物たち

Ariel Suhamy, Alia Daval, 

スピノザと動物たち

A5判変型 172ページ 並製
定価:2,700円+税
ISBN978-4-588-15087-6 C1010
奥付の初版発行年月:2017年12月 / 発売日:2017年12月下旬


蜘蛛、馬、犬、獅子、ネズミ、そしてペガサスやセイレン……。テキストに登場する動物やキマイラたちの寓話と、たくさんの美しいイラストを通じて、スピノザ哲学の核心をみごとに解説する全30話の入門書! 無限の力である〈神=自然〉の外には何もないスピノザ的宇宙にあって、人間とはどんな生き物なのか? 迷える人びとに知的幸福をもたらしてくれる、哲学の不思議な動物園へようこそ。


目次

第1話 蜘 蛛
第2話 二匹の犬
第3話 人間、ロバ、象
第4話 血のなかにいる虫
第5話 海の魚
第6話 天使とネズミ
第7話 翼のある馬の観念
第8話 キマイラ
第9話 驚 き
第10話 痕 跡
第11話 前 兆
第12話 奇 蹟
第13話 隣人の雌鶏
第14話 作者の考え
第15話 神の法
第16話 石の落下
第17話 ビュリダンのロバ
第18話 陶工の神
第19話 馬のリビドー
第20話 蜜蜂と鳩
第21話 獅 子
第22話 蛇
第23話 憂鬱な気分の人
第24話 家 畜
第25話 記憶喪失に陥った詩人
第26話 二匹の犬
第27話 子 供
第28話 社会的動物
第29話 セイレンたち
第30話 イソップのヤギ


文献抄
訳者あとがき

8 Comments:

Blogger yoji said...

スピノザと動物たち

 こちらは、ちょっと楽しい本。題名通り、蜘蛛から(書簡32に出てくる)イソップの山羊に
至るまで、スピノザと関わりがあったり、スピノザの著作に出てくる動物たちとの関係で
スピノザの思索を見ていくもの。スピノザと非人間主義的思考を考えるためにも、何か
インスピレーションを与えてくれるかも知れない。
http://www.ajup-net.com/bd/ISBN978-4-588-15087-6.html
第1話 蜘 蛛/第2話 二匹の犬/第3話 人間、ロバ、象/
第4話 血のなかにいる虫/第5話 海の魚
第6話 天使とネズミ/第7話 翼のある馬の観念/第8話 キマイラ
第9話 驚 き/第10話 痕 跡
第11話 前 兆/第12話 奇 蹟
第13話 隣人の雌鶏/第14話 作者の考え
第15話 神の法/第16話 石の落下
第17話 ビュリダンのロバ/第18話 陶工の神
第19話 馬のリビドー/第20話 蜜蜂と鳩
第21話 獅 子/第22話 蛇
第23話 憂鬱な気分の人/第24話 家 畜
第25話 記憶喪失に陥った詩人/第26話 二匹の犬
第27話 子 供/第28話 社会的動物/第29話 セイレンたち/第30話 イソップのヤギ

4:15 午前  
Blogger yoji said...

文字が多くスピノザ有段者向け

3:49 午前  
Blogger yoji said...

もろの記号から一般的,
普遍的概念を形成する
·」。『知性改善論』(20), 22頁。「単に聞き
覚えだけから,つまり,慣習的記号から…
疑ったことがない事柄を知る」。
第17話
ビュリダンのロバ
1
『エチカ』第3部,
定理2,
「精神」
邦訳では,
という訳語が用いら
備考。
『短論文』第2部,第1章, 114-115頁。
「第一のものは,通常,誤謬に従う。第二,第
三のものは,誤ることはありえない。
はちょうど,オウムが人から教えられたことを
喋るようなものである。
たる認識 」。スピノザは,認識を想像によ
る第一種の認識と,理性による第二種の認識お
よび第三の認識の三種類にわけていて,理想の
認識は第三種の認識で直観的科学と称される
ものであるとしている。
「霊魂」ではなく,
れている。
11
157
それ2同所。
3
少なくとも,
ちをてんなふうに想像している。スピノザに
とっては,獣にも命がある。議論は,対人論証
である。(原註)
自由意志の支持者たちは,
獣た
第三は
明瞭判然
アド·ホミネム
H.G.ウェルズのSF小説『モロ-博士の島』
(邦訳·宇野利泰訳,早川書房〈ハヤカワ文庫
SF〉,
実験を行なっていた。
4
1977)
の主人公で,
動物を人間に変える
蜜蜂が功利主義者だというのは,
者のバーナード·マンデヴィルが18世紀初頭
に著わした『蜂の寓話』(泉谷治訳,法政大学
出版局, 1985年)から来ている。
12
功利主義
『エチカ』第3部,定理2,備考。著者の訳で
は,「精神の決定と身体の規定とは」となって
いて,原文にあるappetitus (衝動,欲動) と
いう言葉を訳していない。この名詞が邦訳ある
いはアピュソ版(仏訳),アリアンサ版(西訳)
のように,「精神の決意,ないし衝動」と訳す
べきか,あるいは, レクラム文庫(独訳),プ
レイヤッド版(仏訳)その他のように「身体の
決定あるいは欲動」と身体に固有のものとして
訳すべきなのか
しれない。
5
ウッディ·アレンの「俺たちは本みたいな
もんだ」という警句を言い換えているのかもし
れない。人間のうわべだけしか見ていないこと
を,本のカバーの紹介文に例えている。
13
第16話
石の落下
はっきりしていないからかも
『エチカ』第2部,定理13,備考。「程度の差
はあるにせよ,すべての個体には、霊魂があ
る」。プレイヤッド版の仏訳では, ここで言う
霊魂は,物体を突き動かす運動のアニミズム的
原理ではなく,単に「身体の観念」のことでぁ
るという註釈を施している。
1
同,
ピノザ自身は,
支えるために,ビュリダンの馬に救いを求めた
(『形而上学的思想』第2部,第12章)。しかし
いまでは,彼ははるかに懐疑的であることを表
明している。

235頁。ここでは,スピノザは,人間はロバと
同じではないとして,『エチカ』とは反対のこ
とを主張している。ジャン·ビュリダンは14
世紀初頭のスコラ哲学者で,パリ大学学長。唯
名論者で,オッカムの弟子とされる。ピュリダ
ンのロバの寓話は,決定論者に対する反駁のた
めに考え出されたと言われる。

第2部,
定理49,
若い頃に,
備考。上, 158頁。ス
デカルト的自由観を
6
『書簡集』書簡58, 269-270見
所」という言葉はスピノザの文通者オルデプ
ルクも1661年9月27日の書簡のなかで用い
ている。「したがって,われわれは説明ので
きない形相とか隠れた性質とかに,つまり無知
の避難所に逃げ場を求める必要はないと確信し
ております」(『書簡集』書簡3, 21頁)。
2
「無知の避難
(原註)
/『デカルトの哲学原理』
『エチカ』第1部,付録。
『書簡集』書簡58, 269頁。
3
4
7
『エチカ』第2部,定理49,備考。

3:02 午後  
Blogger yoji said...



第2部,
定理49,
若い頃に,
備考。上, 158頁。ス
ピノザ自身は,若い頃に、
デカルト的自由観を
支えるために,ビュリダンの馬に救いを求めた
(『形而上学的思想』第2部,第12章)。しかし
いまでは,彼ははるかに懐疑的であることを表
明している。(原註)
/『デカルトの哲学原理』
235頁。ここでは,スピノザは,人間はロバと
同じではないとして,『エチカ』とは反対のこ
とを主張している。ジャン·ビュリダンは14
世紀初頭のスコラ哲学者で,パリ大学学長。唯
名論者で,オッカムの弟子とされる。ビュリダ
ンのロバの寓話は,決定論者に対する反駁のた
めに考え出されたと言われる。

3:08 午後  
Blogger yoji said...


6
第2部,定理49,備考。上, 158頁。スピノザ自身は,若い頃に、
デカルト的自由観を支えるために,ビュリダンの馬に救いを求めた
(『形而上学的思想』第2部,第12章)。しかしいまでは,彼ははるかに懐疑的であることを表
明している。(原註)/『デカルトの哲学原理』
235頁。ここでは,スピノザは,人間はロバと同じではないとして,『エチカ』とは反対のこ
とを主張している。ジャン·ビュリダンは14世紀初頭のスコラ哲学者で,パリ大学学長。唯
名論者で,オッカムの弟子とされる。ビュリダンのロバの寓話は,決定論者に対する反駁のた
めに考え出されたと言われる。

3:11 午後  
Blogger yoji said...

「もし人間が

分自身を自分で決定するだろう」6。

3:13 午後  
Blogger yoji said...

第四に次のような反対がなされうる。もし人間が自由意志によって行動するのでないとしたら、彼がブリダンの驢馬のように平衡状態にある場合にはどんなことになるであろうか、彼は餓えと渇きのために死ぬであろうか、もしこのことを容認するなら、私は驢馬、もしくは人間の彫像を考えて現実の人間を考えていないように見えるであろう、これに反してもしこのことを否定するなら彼は自分自身を決定するであろう、したがって彼は自分の欲する所へ行き自分の欲することをなす能力を有することになる、と。

3:15 午後  
Blogger yoji said...


 最後に第四の反対論に関しては、そのような平衡状態に置かれた人間(すなわち餓えと渇き、ならびに自分から等距離にあるそうした食物と飲料のほか何ものも知覚しない人間)が餓えと渇きのため死ぬであろうことを私はまったく容認する。もし反対者たちが、そうした人間は人間よりもむしろ驢馬と見るべきではないかと私に問うなら、自ら溢死する人間を何と見るべきか、また小児、愚者、狂人などを何と見るべきかを知らぬようにそれを知らぬと私は答える。

3:15 午後  

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