Isonomia and the Origins of Philosophy [Kindle edition] by Kojin Karatani, Joseph A. Murphy 2017/8/11
http://nam-students.blogspot.jp/2017/10/isonomia-and-origins-of-philosophy.html 序文_序説 交換様式論*____________________________________
| 序論 国家の起源 | B1 | | 序論 氏族社会への移行 4首長の逆説☆|
|1原都市☆|2ルソー |1アジア | |呪術 農業共同体B←定住民A(←D) |
|6官僚制 | ホッブズ(中心、中核) |氏族社会 (互酬 と 共同寄託) |
|___第1章国家___|__第3章世界帝国__| 第2章贈与と呪術 | 第1章定住革命 |
| 3国家の矛盾|3
ギリシア| B3 | モース、ブーバー |サーリンズ☆、モーガン|
| | 4ローマB2| 5封建制| フロイト☆|2交易と戦争、クラストル
| | |(亜周辺)|2周辺と亜周辺☆ | |
|_____|_第二部 世界=帝国_1ウィットフォーゲル_第一部 ミニ世界システム__(交換様式)
| (B)1呪術から宗教へ | (A)(再分配)|(互酬) |
|1国家と貨幣 | ウェーバー、ニーチェ| | B国家 |Aネーション
| 自給自足☆ |2帝国と一神教 |遊牧民C←狩猟採集民(遊動バンド)D |
| 第2章世界貨幣 | 第4章普遍宗教 | |_*序説 交換様式論_|
|3『リヴァイアサン』と|3
模範的預言者4倫理的・ | 2図:近代の社会構成体☆
|『資本論』価値形態論☆| 6キリスト教| |(商品交換) (X)歴史☆
| ホッブズ、マルクス|8イスラム教・仏教・道教 | C資本 |D X 平等☆
|___________|___________|___________4交通概念、モーゼス・へス
| 序論 世界=帝国と世界=経済 ウォーラーステイン | |
| ドップ、スウィージー、ブローデル、ポランニー| | |
|4マルクスの国家論 | 2アンダーソン| | |
| 第1章近代国家 |第3章ネーション | | |
|3カール・シュミット |3スミス4バウムガルテン | |
| | 5図:ボロメオの環☆ | |
| | | | |
|____第三部 近代世界システム_______|______第四部 現在と未来________|
| (C)ロールズ | (D) |
| |9福祉国家主義☆ | |2アンチノミー(国家)|
|7産業資本主義の限界 |第4章 | | |
| 第2章産業資本 |アソシエーショニズム |第1章世界資本主義の | 第2章世界共和国へ |
|4産業資本主義の起源 | 3経済革命と| 段階と反復 | 5贈与による|
|3産業資本の自己増殖☆| 政治革命 |1図:資本主義の世界史的諸段階☆ 永遠平和 |
|2労働力商品 | プルードン|4ネグリ&ハート |4カントとヘーゲル |
|_アンチノミー____|4労働組合と協同組合☆|___________|___________|
☆
序文____
『世界史の構造』の構造______
| | |2(氏族社会)1 |
| 1国家 |3世界帝国|贈与と呪術| 定住革命|
| 第2部
ギリシア| 第1部 |
|___世界=帝国___|__ミニ世界システム_|
| (B) | (A) |
| | | |序説 |
|2世界貨幣|4普遍宗教| |交換様式論|
|_____|_____|_____|_____|
| |3 | | |
|1近代国家|ネーション| | |
| 第3部 | 第4部 |
|_近代世界システム__|___現在と未来___|
| (C)4 |1 (D) 2 |
|2産業資本|アソシエー|世界資本主|世界 |
| |ショニズム|義の段階と|共和国へ |
|_____|_____|反復___|_____|
ちなみに『トランスクリティーク』では、1:3:2でハイデガーがスピノザとの対比で批判され、そのギリシア哲学理解も疑問に付される。
定本『トランスクリティーク』他総合索引 ____『トランスクリティーク』構造図____
| | | | |
|代表機構 | 移動 | 1:1 | 1:2 |
| | |カント的 |綜合的判断|
|____2:1____|転回_第一部__の問題|
| 移動と批判 | カント |
|恐慌として|アナキスト| 1:3 | イントロ|
|の視差 |たち |超越論的と|ダクション|
|微細な差異|_____|__横断的|_____|
| | | | |
| :1 | 2:2 | 国家と |ネーション|
| |綜合の危機| 2:4 |
|____第二部____|トランスクリティカルな|
| マルクス |対抗運動 | |
| 2:3 | :4 | | 可能なる|
|価値形態と| | 資本と |コミュニズム
|剰余価値_|_____|_____|_____|
以下、『プラトンと資本主義』より
以下、wikiより
______
ソ ク ラ テ ス 以 前________
| イタリア、 イオニア、 |
|(エレア学派)(ミレトス学派) (独自の主張) |
| | | |
| |
タレス(前624―546頃)水 |
| | | |
| | アナクシマンドロス 無限定 イオニア諸都市 |
| |(前610頃ー546)なもの 前560年 |
| | | | リディア王国に併合
| | | アナクシメネス 空気 前546 |
| | |(前585ー525) ペルシアに併合 |
| | | | |
| | クセノファネス| ピタゴラス |
| |(前570頃ー)| (前582ー497) |
| |(イオニア、コロ| (サモス島→南伊) |
| |フォン→エレア)| || |
| | _|_ | || |
| | | _|__|____|| 前499or8〜4|
| | | | | | | イオニアの反乱
wiki| | | x | | x 前492ー449頃
| | | 普←| | →変 ペルシア戦争 |
| | | 遍 | | 化 |
| パルメニデス |__|___
ヘラクレイトス 火 |
|(前515ー450) | (前540ー480) |
| | | (イオニア、エフェソス) |
| |___折_衷__| 前479 |
| | | ミュカレの戦い
wiki |(エレア派)(多元論者) |
| ゼノン
エンペドクレス(シチリア島) |
| | (前490ー430頃) |
| | | |
| | アナクサゴラス(イオニア→アテネ) |
| | (前500頃ー428頃) |
| | |________ペリクレス |
| | (原子論者) エウリピデス |
| |__レウキッポス(ミレトス→エレア) |
| | 前431ー404|
| |_デモクリトス ペロポネソス戦争|
| (前460頃ー370頃) |
|______________|____________|
|ヒポクラテス
|(前460ー377)
|(イオニアのコス島生まれ)
|
_
ポ リ ス を 基 盤 に|し て い た 人 々_
| 同等? |末裔 |
|
ソクラテス ←対立→ ソフィスト |
| (前469ー399頃) |
| |||_クセノフォン(軍人、弟子) (犬儒派)
| ||______________アンティステネス
| | | |
| _
プラトン(前427ー347) ディオゲネス
| | | |
| |
アリストテレス(前384ー322) |
|_|_____|___________________|
| アレクサンダー大王 アルキメデス
| エウクレイデス
| (アレクサンドリア)
_|___ヘ レ ニ ズ ム 時 代 以 降_____
| | ゼノン(ストアの開祖)|
| | キケロ |
| | (懐疑主義)(エピクロス主義)(ストア主義) |
| | ピュロン エピクロス セネカ |
| |影響 エピクテートス |
| (新プラトン主義) マルクス・ |
| プロティノス アウレリウス |
| プロクロス |
|___________________________|
(『30分でわかる哲学&思想』 小須田健 13頁より:改)
別サイト ______________
哲学の起源(参考:
古代ギリシア哲学史)______________
| | | | | トロイア戦争 | | |
| | | | | (前1250頃) | | |
| | | | |(ミュケナイ国家の末期| | |
|_____|_____|_____|_____|__前1200頃)__|_____|_____|
| ペロポネソス戦争 | | | | | | |
|(前431ー404) |
プラトン | | | | |
| | |(前427ー347) | | | | |
|_____|___ステート____|_____|_____|___ネーション___|_____|
| | | | | | (オリンピア競技会 前776)
| | | | | | | ホメーロス |
| | | | | | | (前750年頃詩作)|
|_____|_____|__
ソクラテス____|_____|_____|__ヘシオドス____|
|
アリストテレス |(前469ー399頃)| | | (前700年頃詩作)|
|(前384ー322) | |ストア派 | | | | |
| | | | | | |
タレス +
ディオゲネス|_____|_____|_古代ギリシア哲学__|_____|(前624―546頃)水
| | | | | ソロンの改革 | | |
| | | | | (前594年)| | |
| | | | | クレイステネスの改革| ピタゴラス |
|___ペルシア戦争__|_____|_____|____(前508年)|_(前582ー497)|
|(前492ー449頃)| | | アナクシマンドロス | |数 |
| ヘロドトス | トゥキュディデス | アナクシメネス +空気 | |
|(前485頃ー420頃)(前460頃ー395)| クセノファネス| | |
|_____|___キャピタル___|_____|_____|__アソシエーション_|___火_|
| | | | | イオニアの反乱 |
ヘラクレイトス + |
| | | | | (499ー8頃) |(前540ー 480)|
|ヒポクラテス | | | | | パルメニデス |
|(前460ー377)_|__レウキッポス___|_アナクサゴラス___|(前515ー450)_|
| 黄胆汁質
四体液説|(前440ー430頃)|(前500頃ー428頃) ゼノン |
四大元素 |
黒胆汁 短気 多血質 | デモクリトス | |
エンペドクレス 乾 火 熱|
・陰鬱 + 楽天的 |(前460頃ー370頃) | (前490ー430頃)土 + 空気
|___鈍重|_____|_____|_____|_____|_____|_____|冷 水 湿|
粘液質
ちなみに、
四体液説では、血液が多い人は楽天的、粘液が多い人は
鈍重、黒胆汁が多い人は憂鬱(メランコリーの語源は黒
胆汁である)、黄胆汁が多い人は気むずかしい気質を持
つとされる。血液循環説を否定しているので現代医学か
らは評価されないが、その
知の体系化は評価されていい。
(「哲学の起源」に四体液説の記述はない。ただし定本第一巻150頁にはヒポクラテスに関する記述がある。)
「ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心(ママ)の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなさ
れている。そして、病気を癒すのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはあ
る意味で東洋医学の原理である。」(定本『日本近代文学の起源』150頁より)
_________
哲学の起源_________
| | | | |
|ペロポネ | |トロイア | |
|ソス戦争 | プラトン| 戦争 | |
|___ステート____|___ネーション___|
|アリストテレス | |ホメロス |
レウキッポス|ソクラテス| |ヘシオドス|
デモクリトス| ストア派| | |
ディオゲネス|_古代ギリシア哲学__|__タレス|
| | アナクシマンドロス |
|ペルシア戦争 アナクシメネス | ピタゴラス
|ヘロドトス| クセノファネス | |
|___キャピタル___|__アソシエーション_|
| | イオニアの反乱 ヘラクレイトス
| 黄胆汁 | パルメニデス|乾 火 熱|
黒胆汁+多血|アナクサゴラス ゼノン|土 + 空気
|__粘液_|_____|_____|冷 水 湿|
ヒポクラテス エンペドクレス
四体液説 四大元素 不平等⇦ ⇨平等
_____________
専|僣主政 | 哲人王 |
制| | |
⇧|______|______|
⇩|デモクラシー| イソノミア|
自| | |
由|______|______|
哲学の起源 柄谷行人 (『新潮』 2011年7月号〜) →
詳細目次第一章 普遍宗教と哲学 7月号 第一回
1 交換様式から見た普遍宗教
2 預言者の出現
3 イオニアの社会と思想
第二章 イオニアにおけるイソノミア
1 イソノミアとデモクラシー
2 アテネのデモクラシー
3 国家と民主主義
4 植民とイソノミア
5 イオニアとアメリカ
6 イソノミアと評議会
_
第三章 イオニア自然哲学の背景 8月号 第二回
1 自然哲学と倫理
2 ヒポクラテス
3 ヘロドトス
4 ホメロス
5 ヘシオドス
_
第四章 宗教批判としての自然科学 9月号 第三回
1 宗教批判
2 運動する物質
3 制作と生成
_
第五章 イオニア没落後の思想 10月号 第四回
1 ピタゴラス
a イソノミアの崩壊
b 輪廻の観念
c 二重世界
d 数学と音楽
2 ヘラクレイトス
a 反民衆的
b 反ピタゴラス
_
3 パルメニデス 11月号 第五回
a ヘラクレイトスとパルメニデス
b ピタゴラス批判
c 間接証明
4 エレア派以後
a エンペドクレス
b 原子論
c ポリスからコスモポリスへ
_
第六章 アテネ帝国とソクラテス 12月号 第六回
1アテネ帝国と民主制
2ソフィストと弁論の支配
3ソクラテスの裁判
4ソクラテスの謎
5ダイモン
6ソクラテスの問答法
7プラトンとピタゴラス
8哲人王
9イソノミアと哲人王
不平等⇦ ⇨平等
_____________
専|僣主政 | 哲人王 |
制| | |
⇧|______|______|
⇩|デモクラシー| イソノミア|
自| | |
由|______|______|
///////////////
以下、
詳細目次(参考文献付き)
哲学の起源 柄谷行人 (『新潮』 2011年7月号〜)
第一章 普遍宗教と哲学 第一回
1 交換様式から見た普遍宗教
柄谷行人『世界史の構造』
ウェーバー『宗教社会学』@
2 預言者の出現
ウェーバー(『宗教社会学』)
孔子(『論語』)
3 イオニアの社会と思想
プラトン『パイドン』
ヘロドトス『歴史』
第二章 イオニアにおけるイソノミア
1 イソノミアとデモクラシー
ハンナ・アレント『革命について』@
アリストテレス『政治学』@
シュミット『現代議会主義の精神史的地位』@@
2 アテネのデモクラシー
ヘロドトス『歴史』
ヘーゲル『哲学史講義』@
3 国家と民主主義
(前508年 アテネ、クレイステネスの改革)
4 植民とイソノミア
モルガン『古代社会』@
アラン・テスタール『新不平等起源論』@
ヘロドトス『歴史』@
5 イオニアとアメリカ
ヘロドトス『歴史』@
6 イソノミアと評議会
ヘーゲル『哲学史講義』@
ハンナ・アレント『革命について』@
ルソー
モンテスキュー*
注
*ドナルド・グリンデ、ブルース・ジョハンセン『アメリカ建国とイロコイ民主制』
_
第三章 イオニア自然哲学の背景 8月号 第二回
1 自然哲学と倫理
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』
ヘカタイオス(ホメロス批判)*
広川洋一『ソクラテス以前の哲学者』@
(イオニアと東ギリシアの伝統 前後世紀後半に栄える)
ロザリンド・トーマス『ヘロドトスの歴史的文脈(Herodotus in Context)』@
2 ヒポクラテス
(前460−377)
ヒポクラテス『古い医術について』@@@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第2分冊(アルクマイオン)@
アルキダマス『メッセニア人を讃える演説』
アンティフォン『真理について』
アリストテレス『政治学』@
プラトン『国家』
3 ヘロドトス
ヘロドトス『歴史』@@
アリストテレス『政治学』@
カタイオス
ロザリンド・トーマス
ヒポクラテス『古い医術について』
ヘロドトス『歴史』@@
4 ホメロス
(ホメロス前750年頃 ヘシオドス前700年頃詩作)
ホメーロス『オデュッセイア』(筑摩)@
『イリーアス』
(ミュケナイ国家の末期 前1200年頃)
(常備軍)**
ハムラビ法典
関広野『プラトンと資本主義』@
5 ヘシオドス
ヘシオドス『神統記』
『仕事と日』@@@@
(オリンピア競技会 前776)
ジョージ・トムスン『最初の哲学者たち』@***
アリストテレス『形而上学』
ヘシオドス『仕事と日』@
注
*広川洋一『ソクラテス以前の哲学者』@
**商鞅(しょうおう)
***ギルバァト・マレー『ギリシア宗教発展の五段階』
_
第四章 宗教批判としての自然科学 9月号 第三回
1 宗教批判
ヘシオドス『神統記』
(アテネ、前510年に民主制。サモス島、前538年ポリュクラテスが僣主となる)
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(アナクシマンドロス)@
2 運動する物質
アリストテレス『形而上学』(全集12)@
『魂について』@
コーンフォード(『宗教から哲学へ』)
(アナクシメネス)*
ブロッホ『ルネサンスの哲学』@@
ブルーノ
(1548−1600)
スピノザ(『スピノザ書簡集』書簡56)
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(クセノファネス)@@ →
☆3 制作と生成
アリストテレス『形而上学』(全集12)@
ファリントン『ギリシア人の科学』
岩崎允胤『ギリシア・ポリス社会の哲学』@@
アリストテレス『自然学』(エンペドクレス)@
ファリントン『ギリシア人の科学』(ディオドロス『歴史』)@
ダーウィン『種の起原』
スペンサー
マルクス『デモクリトスとエピクロスの差異』
注
*岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(シンプリキオス:アナクシマンドロス)@
_
第五章 イオニア没落後の思想 10月号 第四回
1 ピタゴラス
a イソノミアの崩壊
(ピタゴラス 前582ー497)
b 輪廻の観念
プラトン『パイドン』
ジョージ・トムスン『最初の哲学者たち』@
c 二重世界
ニーチェ『権力への意志』@
マルクス『ドイツ・イデオロギー』@
d 数学と音楽
ヘーゲル『哲学史講義』
プラトン『国家』@
ピタゴラス*/**
2 ヘラクレイトス
a 反民衆的
ポパー『開かれた社会とその敵』@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(ヘラクレイトス)@@@
山川偉也『ギリシアの思想』@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(ヘラクレイトス)@@@@@@@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(アナクシマンドロス)@
b 反ピタゴラス
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(クセノファネス)@@
アリストテレス『形而上学』@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(ヘラクレイトス)@@@@@@
プラトン『国家』
注
*アリストテレス『天体論』
**プルタルコス『哲学者の自然学概要』
_
3 パルメニデス 11月号 第五回
a ヘラクレイトスとパルメニデス
アリストテレス『形而上学』
ヘーゲル『哲学史講義』@@
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』@@
b ピタゴラス批判
アリストテレス『形而上学』(全集12)@
プラトン『パルメニデス』
ベルグソン(『時間と空間』?)
c 間接証明
山川偉也『ギリシアの思想』@@@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第2分冊(パルメニデス)@
カント「ヘルツ宛書簡」1781.5.11
京都大学『ソクラテス以前の哲学者たち』(パルメニデス)@
4 エレア派以後
a エンペドクレス
ヘシオドス『神統記』
b 原子論
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第3分冊(アナクサゴラス)@@
レウキッポス*
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第2分冊(エンペドクレス)@
c ポリスからコスモポリスへ
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第2分冊(エンペドクレス)@@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第4分冊(デモクリトス)@
注
*岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第4分冊(レウキッポス)@
_
第六章 アテネ帝国とソクラテス 12月号 第六回(最終回)
1 アテネ帝国と民主制
ソロンの改革
(前594年)
クレイステネスの改革
(前508年)
ペロポネソス戦争
(前431年〜。敗戦時「三〇人の僣主」)
ペリクレス
(前444年〜?、執政官、アルコンに)
ハンナ・アーレント『全体主義の起源1』
注
*トゥキュディデス『戦史』
アリストファネス『女の平和』
**ペリクレス
2 ソフィストと弁論の支配
注
***アスパシア
プラトン『ゴルギアス』
ヒッピアス(プラトン『プロタゴラス』)@
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝上』(ソクラテス)@
プラトン『政治家』
プラトン『ゴルギアス』
プラトン『国家』@
アルキビアデス
(前416年、メロス島へ討伐)
3 ソクラテスの裁判
アテネ「四〇〇人の支配」
(前411年)
民主制が復活
(前403年)
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝上』(ソクラテス)@
アリストファネス『雲』
プラトン『ソクラテスの弁明』@@
4 ソクラテスの謎
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝上』(ディオゲネス)
カント『啓蒙とは何か』
注
****マルクス『ユダヤ人問題によせて』@
クセノフォン『ソクラテスの思い出』@@
5 ダイモン
プラトン『ソクラテスの弁明』@
アリストファネス『雲』
ヘーゲル『哲学史講義上』@
6 ソクラテスの問答法
プラトン『ソクラテスの弁明』@
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝上』(ソクラテス)@
注
*****フロイト
7 プラトンとピタゴラス
プラトン『パイドン』@
プラトン『メノン』
アリストテレス『形而上学』@@
プラトン『ソピステス』@
プラトン『ティマイオス』
プラトン『国家』@
注
******プラトン『国家』@
8 哲人王
プラトン『国家』@@@
『第七書簡』@@@
ソクラテスの事件=死
(前399年)
プラトン『国家』@
プラトン、イタリアへ渡る
(前388年)
プラトン『国家』@
9 イソノミアと哲人王
プラトン『国家』@
プラトン『ポリティコス(政治家)』@@
法遵守 法軽視
単独者支配 王政 僣主政
少数者支配 貴族政 寡頭政
多数者支配 良民政 民主政
不平等⇦ ⇨平等
_____________
専|僣主政 | 哲人王 |
制| | |
⇧|______|______|
⇩|デモクラシー| イソノミア|
自| | |
由|______|______|
注
*******ポパー『開かれた社会とその敵』
********ジャック・デリダ
柄谷行人『探究1』@
(連載完結)
エンペドクレスの四大元素(
参考)
火
____/||\____
|乾 _//||\\_ 熱|
||\\/ || \//||
||/\\ || //\||
|// \\||// \\|
/____\||/____\
土 _____ _____ 空気
\\ /||\ //
|\\ //||\\ //|
||\\/ || \\/||
||/\\_||_/\\||
|冷__\\||//__湿|
\||/
水
以下、ライプニッツ『結合法論』(邦訳著作集1に抄訳所収)扉より
火(IGNIS)
siccus =乾 calidus=熱
土(TERRA) 空気(AER)
frigida =冷 humida=湿
水(AQVA)
すべて(svmma)ゆるされた?(remissa)=共存可能?
反対(contraria)
両立可能(combinatio possibilis)
両立不可能(combinatio impossibilis)
象徴要素?(sybolizm fla)
______水______
| | |
| 冷 | 湿 |
土______|______空気
| | |
| 乾 | 熱 |
|______火______|
エンペドクレスの4大元素図を上下逆さに転置すると、4つの交換図の政体のそれぞれの感触と重なる気がする。
ネーション=湿
ステート=冷
キャピタル=乾
アソシエーション=熱
というように。
付録:
四体液説 冬
粘液質
(鈍重)
______水______
| | |
黒胆汁質 冷 | 湿 |多血質
秋 土|______|______空気 春
(陰鬱) | (楽天的)
| 乾 | 熱 |
|______火______|
黄胆汁質
(短気)
夏
上記、四体液、四元素、四季との関係図(参考:アヴィセンナorイブン・シーナ邦訳『医学の歌』232頁)
Mundus-Annus-Homo
世界ー年ー人
水
冷_____/|\_____湿
| / 冬 \ |
| / | \ |
| / | \ |
| / 粘液質 \ |
|/ (鈍重) \|
/ | \
土_秋_黒胆汁質|_多血質_春_空気
\ (陰鬱)|(楽天的) /
|\ | /|
| \ 黄胆汁質 / |
| \ (短気) / |
| \ | / |
|____\ 夏 /____|
乾 \|/ 熱
火
http://en.wikipedia.org/wiki/Humorism 黄胆汁質
火
多血質 黒胆汁質
空気 水 土
粘液質
黄胆汁ー火ー夏
/\
/ \
/ \
熱/______\乾
血液 /| |\ 黒胆汁
| / | | \ |
空気/ | | \ 土
| \ | | / |
春 \ | | / 秋
\|______|/
湿\ /冷
\ /
\ /
\/
粘液ー水ー冬
四体液、四元素、四季との関係図(『医学の歌』232頁より)
以下、
http://fisheaters.com/fourtemperaments.htmlhttp://acupfullofsunshine.blogspot.com/2011/02/four-temperaments.htmlhttp://www.kb.nl/manuscripts/search/simple/The+four+temperamentschole "sanguis" (blood).
Choleric Sanguine
黄胆汁質 多血質
(短気)夏、火 (楽天的)春、空気
人間
黒胆汁質 粘液質
(陰鬱)秋、土 (鈍重)冬、水
melancholic Phlegmatic
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/igaku/exhibitions/2007/exhib1.htm春が上のバージョン:
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20110103/p1↓
ヒポクラテスの『人間の自然性について』の第7節では、人間が粘液、血液、黄胆汁、黒胆汁から構成されていて、それらのうちのどれが四季の変化とともに強くなるかが述べられています。しかしこの文書の著者は突然医学の領域を踏み越えて、宇宙論的な議論を展開します。曰く、
つまり、一年全体が温、冷、乾、湿のすべてにそれぞれあずかっているのである。実際、これら四性質のどれ一つといえども、この宇宙にあるすべてのものがないならば、一時たりとも存続できないだろう。が、逆にこのうち何か一つが欠けても、すべてのものが消失するであろう。それというのも、すべてのものが、同じ必然性から成り立っており、相互に養い合っているからである。それと同様に、以上の構成要素[温、冷、乾、湿、あるいは粘液、血液、黄胆汁、黒胆汁]のうちの何かが人が欠けるとしても、人は生きていくことができないであろう。
http://arisugawa.cocolog-nifty.com/alice/2007/09/post_a309.htmlMundus-Annus-Homo
世界ー年ー人
火
乾_____/|\_____熱
| / 夏 \ |
| / | \ |
| / | \ |
| / 黄胆汁質 \ |
|/ (短気) \|
/ | \
土_秋_黒胆汁質|_多血質_春_空気
\ (陰鬱)|(楽天的) /
|\ | /|
| \ 粘液質 / |
| \ (鈍重) / |
| \ | / |
|____\ 冬 /____|
冷 \|/ 湿
水
参考:
ヒポクラテス「人間の自然性について」第五〜七節『古い医術について』岩波文庫103〜7頁
(岩波文庫の解説ではエンペドクレスの影響からの脱却が強調される。実際に「古い医術について」第二十節に同様の記述がある。)
☆
第三回第四章2でスピノザの先行者として言及された
クセノファネスに関しては、
http://happy.ap.teacup.com/togenuki/635.html、
http://www005.upp.so-net.ne.jp/entartete/miretos.html等を参照。
「しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/
あるいは手によって絵をかき/
人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/
馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/
それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう」(断片15)
参考:
「もし三角形が話す能力を持つとしたら、三角形は同様に、神は優越的に三角形であると言うでしょうし、また円は円で、神的本性は優越的意味において円形であると言うでしょう。そして、このようにして各人は、自己の諸属性を神に帰し、自己を神と類似のものとし、その他のものは彼には醜く思われるでありましょう。」書簡56(スピノザからボクセルへ)『スピノザ書簡集』岩波文庫261頁より スピノザに関しては以下も参照→
http://nam-students.blogspot.com/2011/11/blog-post.html参考:
hegel.netにおける
ギリシア、及び、
ギリシア哲学。
縮尺版: ______
ソ ク ラ テ ス 以 前________
| イタリア、 イオニア、 |
|(エレア学派)(ミレトス学派) (独自の主張) |
| | | |
| |
タレス(前624―546頃)水 |
| | | |
| | アナクシマンドロス 無限定 イオニア諸都市 |
| |(前610頃ー546)なもの 前560年 |
| | | | リディア王国に併合
| | | アナクシメネス 空気 前546年 |
| | |(前585ー525) ペルシアに併合 |
| | | | |
| | クセノファネス| ピタゴラス |
| |(前570頃ー)| (前582ー497) |
| |(イオニア、コロ| (サモス島→南伊) |
| |フォン→エレア)| || |
| | _|_ | || |
| | | _|__|____|| 前499or8年 |
| | | | | | | イオニアの反乱
wiki| | | x | | x 前492ー449頃
| | | 普←| | →変 ペルシア戦争 |
| | | 遍 | | 化 |
| パルメニデス |__|___
ヘラクレイトス 火 |
|(前515ー450) | (前540ー480) |
| | | (イオニア、エフェソス) |
| |___折_衷__| 前479 |
| | | ミュカレの戦い
wiki |(エレア派)(多元論者) |
| ゼノン
エンペドクレス(シチリア島) |
| | (前490ー430頃) |
| | | |
| | アナクサゴラス(イオニア→アテネ) |
| | (前500頃ー428頃) |
| | |________ペリクレス |
| | (原子論者) エウリピデス |
| |__レウキッポス(ミレトス→エレア) |
| | 前431ー404|
| |_デモクリトス ペロポネソス戦争|
| (前460頃ー370頃) |
|______________|____________|
|
_
ポ リ ス を 基 盤 に|し て い た 人 々_
| 同等? |末裔 |
|
ソクラテス ←対立→ ソフィスト |
| (前469ー399頃) |
| |||_クセノポン(軍人、弟子) (犬儒派)
| ||______________アンティステネス
| | | |
| _
プラトン(前427ー347) ディオゲネス
| | | |
| |
アリストテレス(前384ー322) |
|_|_____|___________________|
| アレクサンダー大王 アルキメデス
| エウクレイデス
| (アレクサンドリア)
_|___ヘ レ ニ ズ ム 時 代 以 降_____
| | ゼノン(ストアの開祖)|
| | キケロ |
| | (懐疑主義)(エピクロス主義)(ストア主義) |
| | ピュロン エピクロス セネカ |
| |影響 エピクテートス |
| (新プラトン主義) マルクス・ |
| プロティノス アウレリウス |
| プロクロス |
|___________________________|
(『30分でわかる哲学&思想』 小須田健 13頁より:改)
別サイト ______________
哲学の起源(参考:
古代ギリシア哲学史)______________
| | | | | (ミュケナイ国家の末期 前1200頃)|
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
|_____|_____|_____|_____|__トロイア戦争___|_____|_____|
| ペロポネソス戦争 | | | (前1250頃) | | |
|(前431ー404) |
プラトン | | | | |
| | | | | | | | |
|_____|___ステート____|_____|_____|___ネーション___|_____|
| レウキッポス | | | | (オリンピア競技会 前776)|
| デモクリトス | | | ヘシオドス | ホメーロス |
| | | | |(前700年頃詩作) |(前750年頃詩作) |
|_____|_____|__
ソクラテス____|_____|_____|____
タレス____|
|
アリストテレス |(前469ー399頃)| | |(前624―546頃)|
| | | |ストア派 | | | |+ |
| | | | | | | |水 |
ディオゲネス|_____|_____|_古代ギリシア哲学__|_____|_____|_____|
| | | | | アナクシマンドロス | | |
| | | | | アナクシメネス | | |
| | | | | | +空気| ピタゴラス |
|___ペルシア戦争__|__ヘロドトス____|_____|_____|_(前582ー497)|
|(前492ー449頃)| トゥキュディデス | クセノファネス| |数 |
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
|_____|___キャピタル___|_____|_____|__アソシエーション_|_____|
| | | パルメニデス | イオニアの反乱 |
ヘラクレイトス |
| | | (前515ー450)| (499ー8頃) |(前540ー 480)|
|
エンペドクレス | ゼノン | | | |火 |
(前490ー430頃)_|_____|____ |_____|_____|_____|+____|
|
四大元素 | | | | | | | |
|乾 火 熱| アナクサゴラス | | | | | |
|土 + 空気 ヒポクラテス | | | | | |
|冷 水 湿|(前460ー377)_|_____|_____|_____|_____|_____|
_________
哲学の起源_________
| | | | |
|ペロポネ | |トロイア | |
|ソス戦争 | プラトン| 戦争 | |
|___ステート____|___ネーション___|
|アリストテレス |ヘシオドス|ホメロス |
レウキッポス|ソクラテス| | |
デモクリトス| ストア派| | タレス |
ディオゲネス|_古代ギリシア哲学__|_____|
|ペルシア | アナクシマンドロス |
| 戦争 | アナクシメネス | ピタゴラス
|ヘロドトス| クセノファネス | |
|___キャピタル___|__アソシエーション_|
エンペドクレス イオニアの反乱 ヘラクレイトス
乾 火 熱 | |パルメニデス |
土 + 空気|アナクサゴラス ゼノン| |
冷 水 湿_|ヒポクラテス_____|_____|
四大元素序文_序説 交換様式論*____________________________________
| 序論 国家の起源 | B1 | | 序論 氏族社会への移行 4首長の逆説☆|
|1原都市☆|2ルソー |1アジア | |呪術 農業共同体B←定住民A(←D) |
|6官僚制 | ホッブズ(中心、中核) |氏族社会 (互酬 と 共同寄託) |
|___第1章国家___|__第3章世界帝国__| 第2章贈与と呪術 | 第1章定住革命 |
| 3国家の矛盾|3
ギリシア| B3 | モース、ブーバー |サーリンズ☆、モーガン|
| | 4ローマB2| 5封建制| フロイト☆|2交易と戦争、クラストル
| | |(亜周辺)|2周辺と亜周辺☆ | |
|_____|_第二部 世界=帝国_1ウィットフォーゲル_第一部 ミニ世界システム__(交換様式)
| (B)1呪術から宗教へ | (A)(再分配)|(互酬) |
|1国家と貨幣 | ウェーバー、ニーチェ| | B国家 |Aネーション
| 自給自足☆ |2帝国と一神教 |遊牧民C←狩猟採集民(遊動バンド)D |
| 第2章世界貨幣 | 第4章普遍宗教 | |_*序説 交換様式論_|
|3『リヴァイアサン』と|3
模範的預言者4倫理的・ | 2図:近代の社会構成体☆
|『資本論』価値形態論☆| 6キリスト教| |(商品交換) (X)歴史☆
| ホッブズ、マルクス|8イスラム教・仏教・道教 | C資本 |D X 平等☆
|___________|___________|___________4交通概念、モーゼス・へス
| 序論 世界=帝国と世界=経済 ウォーラーステイン | |
| ドップ、スウィージー、ブローデル、ポランニー| | |
|4マルクスの国家論 | 2アンダーソン| | |
| 第1章近代国家 |第3章ネーション | | |
|3カール・シュミット |3スミス4バウムガルテン | |
| | 5図:ボロメオの環☆ | |
| | | | |
|____第三部 近代世界システム_______|______第四部 現在と未来________|
| (C)ロールズ | (D) |
| |9福祉国家主義☆ | |2アンチノミー(国家)|
|7産業資本主義の限界 |第4章 | | |
| 第2章産業資本 |アソシエーショニズム |第1章世界資本主義の | 第2章世界共和国へ |
|4産業資本主義の起源 | 3経済革命と| 段階と反復 | 5贈与による|
|3産業資本の自己増殖☆| 政治革命 |1図:資本主義の世界史的諸段階☆ 永遠平和 |
|2労働力商品 | プルードン|4ネグリ&ハート |4カントとヘーゲル |
|_アンチノミー____|4労働組合と協同組合☆|___________|___________|
☆
序文____『世界史の構造』の構造______
| | |2(氏族社会)1 |
| 1国家 |3世界帝国|贈与と呪術| 定住革命|
| 第2部
ギリシア| 第1部 |
|___世界=帝国___|__ミニ世界システム_|
| (B) | (A) |
| | | |序説 |
|2世界貨幣|4普遍宗教| |交換様式論|
|_____|_____|_____|_____|
| |3 | | |
|1近代国家|ネーション| | |
| 第3部 | 第4部 |
|_近代世界システム__|___現在と未来___|
| (C)4 |1 (D) 2 |
|2産業資本|アソシエー|世界資本主|世界 |
| |ショニズム|義の段階と|共和国へ |
|_____|_____|反復___|_____|
リンク:
http://nam-students.blogspot.com/2011/11/blog-post.htmlスピノザ
http://nam-students.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.htmlマルクス
http://nam-students.blogspot.com/2011/10/blog-post_27.htmlカント
スピノザマルクス カント 柄谷
『哲学の起源』(岩波書店):目次 →詳細目次
目 次
_______
『哲学の起源』 柄谷行人 岩波書店2012.11
はじめに
序 論 1
1 普遍宗教 3
2 倫理的預言者 8
3 模範的預言者 12
第一章 イオニアの社会と思想 17
1 アテネとイオニア 19
2 イソノミアとデモクラシー 23
3 アテネのデモクラシー 29
4 国家と民主主義 33
5 植民とイソノミア 35
6 イオニアと北アメリカ 43
7 イソノミアと評議会 49
第二章 イオニア自然哲学の背景 55
1 自然哲学と倫理 57
2 ヒポクラテス 64
3 ヘロドトス 69
4 ホメロス 75
5 ヘシオドス 82
第三章 宗教批判としての自然科学 91
1 宗教批判 93
2 運動する物質 95
3 制作と生成 102
第四章 イオニア没落後の思想 111
1 ピタゴラス 113
a 輪廻の観念
b 二重世界
c 数学と音楽
2 ヘラクレイトス 130
a 反民衆的
b 反ピタゴラス
3 パルメニデス
a ヘラクレイトスとパルメニデス 142
b ピタゴラス批判
c 間接証明
4 エレア派以後 157
a エンペドクレス
b 原子論
c ポリスからコスモポリスへ
第五章 アテネ帝国とソクラテス 167
1アテネ帝国と民主制 169
2ソフィストと弁論の支配 175
3ソクラテスの裁判 180
4ソクラテスの謎 186
5ダイモン 192
6ソクラテスの問答法 197
7プラトンとピタゴラス 203
8哲人王 207
9イソノミアと哲人王 212
注 219
附録 『世界史の構造』から『哲学の起源へ』 235
地 図
古代ギリシア史年表
思想家年表
________________________________________
詳細目次
『哲学の起源』 柄谷行人 岩波書店2012.11
はじめに
柄谷行人『世界史の構造』
序 論 1
1 普遍宗教 3
ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』,3@
ウェーバー『宗教社会学』,3-4@
2 倫理的預言者 8
3 模範的預言者 12
*並木浩一,13(219)
孔子(『論語』),14@
第一章 イオニアの社会と思想 17
1 アテネとイオニア 19
プラトン『パイドン』,19
アリストテレス『形而上学』,19
2 イソノミアとデモクラシー 23
ハンナ・アーレント『革命について』,24@
アリストテレス『政治学』,26@@
シュミット『現代議会主義の精神史的地位』,27@,27-8@
3 アテネのデモクラシー 29
ヘロドトス『歴史』,29
トゥキュディデス『戦史』,29
(エウリピデス『イオン』,220)
ヘーゲル『哲学史講義』,31@
4 国家と民主主義 33
(前508年 アテネ、クレイステネスの改革),34
5 植民とイソノミア 35
モルガン『古代社会』,38@
アラン・テスタール『新不平等起源論』,38@
ヘロドトス『歴史』,40@
6 イオニアと北アメリカ 43
(870〜930年、ノルウェーからアイスランドへの移民),45
(1262年、デンマーク アイスランド征服 ),47
→ノルウェーの間違い、デンマークは1380年以降
(1763年、ポンティアック戦争 ),48
ヘロドトス『歴史』,48@
7 イソノミアと評議会 49
ヘーゲル『哲学史講義』,49@
ハンナ・アレント『革命について』,50-51@,52@
ハイデガー,53,54
ニーチェ,54
ルソー×
モンテスキュー×
(ドナルド・グリンデ、ブルース・ジョハンセン『アメリカ建国とイロコイ民主制』×)
第二章 イオニア自然哲学の背景 55
1 自然哲学と倫理,57
プラトン『ソピステス』,59
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』,59@
アナクシマンドロス,60
(広川洋一『ソクラテス以前の哲学者』,220@)
広川洋一『ソクラテス以前の哲学者』(デモクリトス),61@(221)
ロザリンド・トーマス『ヘロドトスの歴史的文脈(Herodotus in Context)』62,63@
(イオニアと東ギリシアの伝統 前後世紀後半に栄える),63
ヘカタイオス,63
2 ヒポクラテス,64
(前460−377),64
ヒポクラテス『古い医術について』,64-65@,65-64@,66@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第2分冊(アルクマイオン),67@
アルキダマス『メッセニア人を讃える演説』,68@
アンティフォン『真理について』,68
アリストテレス『政治学』,68@
プラトン『国家』,68
3 ヘロドトス,69
ヘロドトス『歴史』,69
(トゥキュディデス『戦史』,221@)
ヘロドトス『歴史』,70,71@,71@
アリストテレス『政治学』,71-2@
カタイオス,72,73(『世界記述』)
ロザリンド・トーマス,73
ヒポクラテス『古い医術について』,73
ヘロドトス『歴史』,73-4@,74@
4 ホメロス,75
(ホメロス前750年頃 ヘシオドス前700年頃詩作),75
ホメーロス『オデュッセイア』(筑摩),77@,78,79
『イーリアス』,77,78,76
(ミュケナイ国家の末期 前1200年頃),78
専制国家,80
常備軍,80
法,80
(商鞅(しょうおう),222)
ハムラビ法典,80@
関広野『プラトンと資本主義』,80,81@
5 ヘシオドス,82
ヘシオドス『神統記』,82
『仕事と日』,84@,85@,85@,85@
(オリンピア競技会 前776),83
ジョージ・トムスン『最初の哲学者たち』85,86@***
ウェーバー,86
宗教改革,86
(ギルバァトx ギルバート・マレー『ギリシア宗教発展の五段階』,222)
アリストテレス『形而上学』,86-7@
ヘシオドス『仕事と日』,88@
第三章 宗教批判としての自然科学 91
1 宗教批判,93
ヘシオドス『神統記』,93
(アテネ、前510年に民主制。サモス島、前538年ポリュクラテスが僣主となる),94
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(アナクシマンドロス),95@
2 運動する物質,95
アリストテレス『形而上学』(全集12),95-6@
『霊魂論』,97@(タレス)
タレス,97
コーンフォード(『宗教から哲学へ』),97
アナクシメネス,98
(岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(シンプリキオス:アナクシマンドロス),223@)
アナクシマンドロス,98
(田辺元,223)
ブロッホ『ルネサンスの哲学』,100@,100-1@
ブルーノ(1548−1600),100
スピノザ(『スピノザ書簡集』書簡56),101
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(クセノファネス),101,102@,102@
3 制作と生成,102
アリストテレス『形而上学』(全集12),103@
ファリントン『ギリシア人の科学』,104-5@,105@,106-7(ディオドロス『歴史』)@,108
岩崎允胤『ギリシア・ポリス社会の哲学』,105@,105@,106@
アリストテレス『自然学』(エンペドクレス)@
ファリントン『ギリシア人の科学』(ディオドロス『歴史』),106-7@
ダーウィン『種の起原』,108
進化論,108
(アル=ジャーヒズ,224)
スペンサー,109,(224)
マルクス『デモクリトスとエピクロスの差異』,109
第四章 イオニア没落後の思想 111
1 ピタゴラス,113
(ピタゴラス 前582ー497),114
a 輪廻の観念,113
ポリュクラテス,114
プラトン『パイドロス』,115
『パイドン』,116
『メノン』,116
ジョージ・トムスン『最初の哲学者たち』,116@,117-8@
b 二重世界,118
ポリュクラテス,118
(ポリュクラテス・コンプレクス,225)
ニーチェ『権力への意志』,119,120@
マルクス『ドイツ・イデオロギー』,120-1@
(マルクス『資本論』,225)
c 数学と音楽,124
コーンフォード(『Principium Sapientiae, 1952』),124
天界の音楽,127
ヘーゲル『哲学史講義』,129
アンティステネス,129?
プラトン,129
ピタゴラス,124-130
(アリストテレス『天体論』,225-6@)
(プルタルコス『哲学者の自然学概要』,226)
2 ヘラクレイトス 130
(前540ー480),131
a 反民衆的,130
ポパー『開かれた社会とその敵』,131@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(ヘラクレイトス),132@,134@,134@,134-5@,135@,135@,136@
山川偉也『ギリシアの思想』,133@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(アナクシマンドロス),136@
b 反ピタゴラス,136
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(ヘラクレイトス),136-7@,138@,138@,139@,139@,141@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(クセノファネス),137@,@
アリストテレス『形而上学』,138@
プラトン『国家』,141
3 パルメニデス 142
a ヘラクレイトスとパルメニデス,142
アリストテレス『形而上学』,143@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(ヘラクレイトス),143@
ヘーゲル『哲学史講義』,143-144@,145-6@
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』,146@,146@
b ピタゴラス批判,147
アリストテレス『形而上学』(全集12),147@
プラトン『パルメニデス』,149
ベルグソン(『時間と空間』)?,150
c 間接証明,151
山川偉也『ギリシアの思想』,152@,153@
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第2分冊(パルメニデス),153@
カント,154,155,
「ヘルツ宛書簡(1781.5.11)」,155
京都大学『ソクラテス以前の哲学者たち』(パルメニデス),156@
4 エレア派以後 157
a エンペドクレス,157
ヘシオドス『神統記』,157-8@,159
b 原子論,159
エンペドクレス,158,159-162
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第3分冊(アナクサゴラス),160@,160@
メリッソス『?』,160@
レウキッポス,160
(岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第4分冊(レウキッポス?),227@)
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第2分冊(アエティオス),161@
ドルトン,161
c ポリスからコスモポリスへ,163
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第2分冊(プルタルコス(エンペドクレス)),163@,163@
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』,164
岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第4分冊(デモクリトス),165@
第五章 アテネ帝国とソクラテス 167
1アテネ帝国と民主制,169
ソロンの改革(前594年),169
クレイステネスの改革(前508年),169
ペロポネソス戦争(前431年〜404。敗戦時「三〇人の僣主」),170,171
ペリクレス(前444年〜?、執政官、アルコンに),172
ハンナ・アーレント『全体主義の起源1』,172(228@)
ポリス,174
ペロポネソス戦争,174
(トゥキュディデス『戦史』,228)
(アリストファネス『女の平和』,228)
外国人,175
(ペリクレス,229)
植民者,176
(アスパシア,229)
2ソフィストと弁論の支配 175
プラトン『ゴルギアス』,176,178
ヒッピアス(プラトン『プロタゴラス』),177@
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝上』(ソクラテス),177@
プラトン『政治家』,178
プラトン『ゴルギアス』,178
フィシス,178
ノモス,178
プラトン『国家』178,179@
アルキビアデス(前416年、メロス島へ討伐),179
3ソクラテスの裁判 180
アテネ「四〇〇人の支配」(前411年),180
民主制が復活(前403年),180
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝上』(ソクラテス),181@
アリストファネス『雲』,183
プラトン『ソクラテスの弁明』,184@,184-5@
4ソクラテスの謎 186
クセノフォン,186
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝上』(ディオゲネス),187,188
世界市民,188
カント『啓蒙とは何か』,189
マルクス「ヘーゲル国法論批判」,189
(マルクス『ユダヤ人問題によせて1』@),229
クセノフォン『ソクラテスの思い出』,191@,191@,192@
5ダイモン 192
プラトン『ソクラテスの弁明』,193@
アリストファネス『雲』,194@
ヘーゲル『哲学史講義上』,195@
フロイト,196
6ソクラテスの問答法 197
プラトン『ソクラテスの弁明』,197-8@
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝上』(ソクラテス),200@
弁証法,201
(プラトン『国家』,230@)
7プラトンとピタゴラス 203
プラトン『ソクラテスの弁明』,203@,203@
(孔子『論語』,231@)
プラトン『クリトン』,203
プラトン『パイドン』,203,204
イデア,204,205
アリストテレス『形而上学』,204@,204@
プラトン『ソピステス』,205-6@
プラトン『ティマイオス』,206
8哲人王 207
プラトン『メノン』,207
プラトン『国家』,207-8@,209-210@,211@
『第七書簡』,208@,208-9@,209@
ソクラテスの事件=死(前399年),209
プラトン、イタリアへ渡る(前388年),210
9イソノミアと哲人王 212
プラトン『国家』,214@
プラトン『ポリティコス(政治家)』,214,215@↓,215@,215@,217@↓
法遵守 法軽視
単独者支配 王政 僣主政
少数者支配 貴族政 寡頭政
多数者支配 良民政 民主政 ,215
不平等⇦ ⇨平等
_____________
専|僣主政 | 哲人王 |
制| | |
⇧|______|______|
⇩|デモクラシー| イソノミア|
自| | |
由|______|______| ,217
注
(ポパー『開かれた社会とその敵』),231@
(ジャック・デリダ),232
(フーコー『真理の勇気』),233
注 219
序論,219、
一,219、
二,220、
三,223、
四,225、
五,228
附録 『世界史の構造』から『哲学の起源へ』 235
地 図,242-3
古代ギリシア史年表,244-5
思想家年表,246↓
思想家年表,245
紀元前
八〇〇年 七〇〇年 六〇〇年 五〇〇年 四〇〇年 三〇〇年
ホ メ ロ ス
ヘ シ オ ド ス
タ レ ス
アナクシマンドロス
アナクシメネス
ピ タ ゴ ラ ス
ヘラクレイトス
バルメニデス
アナクサゴラス
エンペドクレス
ゼノン
プロタゴラス
ヘロドトス
ソクラテス
トゥキュディデス
ヒポクラテス
デモクリトス
プラトン
ディオゲネス
アリストテレス
エ ピ ク ロ ス
エレミア
エゼキル
ブ ッ ダ
マハヴィーラ
老 子
孔 子
墨 子
孟 子
公 孫 龍
韓非子
以下メモ:
<紀元前六世紀ごろ、エゼキエルの代表される預言者>,3
<マハヴィーラ(ジャイナ教開祖)>,3
<諸子百家のなかに…公孫龍に代表される名家>,14
<「無為自然」という考えは、交換様式Dを示唆しているといってよい(4)。>,15
<(4)このことはまた、老子がのちに道教の始祖とみなされた理由、そして、その道教が中国史において反国家的な社会運動の思想的源泉であり続けた理由を説明するものである。>,219
870-930年 ノルウェーからアイスランドへの移民
1262年 デンマーク アイスランド征服 ,47
ノルウェーの間違い
デンマークは1380年以降
1763年 ポンティアック戦争 ,48
164 Comments:
|第一章
|第二章
|第三章
_____|_____
|第四章
第五章B|第五章A
|
|
|第三章
_____|_____
|第四章
第五章B|第五章A
|第一章、第二章
|
|第三章、第一章
_____|_____
|第四章、第二章
第五章B|第五章A
イオニアという地名は、先祖であるイオニア人に由来する。それまでイオニア人は、ギリシア本土とアナトリア半島の間にあるエーゲ海の島々に住んでいたが、アッティカ(最も重大なのはアテナイ)および現在のトルコ地方の両方に移住し、植民地を建設していた。
イオニア地方は、北はヘルムス川(現・ゲディズ川)河口近くのポカイア(現フォチャ)から、南はメアンデル川(現・メンデレス川)の河口近くのミレトスまでの狭い沿岸と、キオス島、サモス島から成り、北をアイオリス(アイオロス)、東をリディア、南をカリアに囲まれていた。この地方の都市は、ペルシア帝国とギリシアとの衝突で重要な役割を持っていた。
古代ギリシア人の言い伝えによると、イオニア地方の諸都市はエーゲ海の反対側からやってきた植民者によって建設された。その植民はアッティカのイオニア人たちの伝説と深く関係していて、最後のアテナイ王コドロスの息子、ネイレウスおよびアンドロクロスが率いての植民だったという。
後世の年代学者たちはこれを「イオニア人の移動」と呼び、その時期は、トロイア戦争の140年後、あるいはヘラクレスの息子たちヘーラクレイダイ(Heracleidae)のペロポネソス半島への帰還の60年後と見なしている。1910年、当時の研究者たちは、正確な時期はともかく、イオニア地方が比較的遅くギリシア化したという、ギリシア人たちに伝わる通説に賛成した。その時期は、ドーリア人の侵入と拡大以後、また、初期エーゲ時代以後にあたる。
紀元前7世紀、遊牧騎馬民族のキンメリア人がリディアをはじめ小アジアの大部分を侵略した。キンメリア人はメアンデルのマグネシアは略奪できたものの、エフェソスの攻略には失敗した。
紀元前700年頃、今度はリディアのメルムナス朝の始祖ギュゲス王がスミルナとミレトス一帯を侵略した。その息子アルデュスがプリエネを落とした時には、既にコロフォンもリディアのものになっていたと言われている。長い服従の時代が続いた。紀元前547年、リディアは滅亡したが、それで終わったわけではなかった。リディア王クロイソスを打ち負かした大キュロスが引き続きイオニアを支配したのである。他のアジアのギリシア人都市とともに、イオニア地方はペルシア帝国の属領となってしまった。首都から遠いところにあったので、ある程度の自治は許されたが、統治する僭主は全員ペルシア王の手下だった。
200年頃のミレトスの市場とその周辺を再現した1/300のモデル。1968年、H. Schleif&K. Stephanowitz作。
そうした僭主の一人、ミレトスのヒスティアイオス(とその婿アリスタゴラス)の扇動で、紀元前500年頃、イオニア諸都市はペルシアに対してイオニアの反乱を起こした。まず、アテナイとエレトリアに応援を求め、サルディスに侵攻し、町を焼き払った。この事件がペルシア戦争の引き金となった。しかし、ラデ沖の戦いでイオニア艦隊は敗北。ミレトスも長期の包囲攻撃の末、陥落し、イオニアは再びペルシアに征服されてしまった。
しかし、ギリシア軍の相次ぐ勝利は、エーゲ海対岸の同胞たちに幸運をもたらした。ミュカレの戦い(紀元前479年)におけるペルシア軍の敗北で、ついにイオニアは自由を手に入れた。イオニアはアテナイの独立した同盟国となった(デロス同盟を参照)。しばらく自治は続いたが、紀元前387年のアンタルキダスの和平により、他のアジアのギリシア人都市同様、イオニアは再びペルシアの支配下に置かれた。もっともそれは名目上で、実際にはかなりの自由を保持していた。しかし、それもアレキサンダー大王の小アジア侵攻の時までだった。グラニコス川の戦いで、イオニアのほとんどの都市が征服されてしまった。ミレトスは単独で持ちこたえたが、長きにわたる包囲攻撃に、陥落してしまった(紀元前334年)。この時からイオニアはマケドニア王国の領土となった。しかし、ミレトスを除く都市は、アンティゴノス朝やその次のローマの支配下でも、なお繁栄を続けたのだった。
紀元前500年頃、イオニア諸都市はペルシアに対してイオニアの反乱を起こした。まず、アテナイとエレトリアに応援を求め、サルディスに侵攻し、町を焼き払った。この事件がペルシア戦争の引き金となった。しかし、ラデ沖の戦いでイオニア艦隊は敗北。ミレトスも長期の包囲攻撃の末、陥落し、イオニアは再びペルシアに征服されてしまった。
しかし、ギリシア軍の相次ぐ勝利は、エーゲ海対岸の同胞たちに幸運をもたらした。ミュカレの戦い(紀元前479年)におけるペルシア軍の敗北で、ついにイオニアは自由を手に入れた。イオニアはアテナイの独立した同盟国となった(デロス同盟を参照)。しばらく自治は続いたが、紀元前387年のアンタルキダスの和平により、他のアジアのギリシア人都市同様、イオニアは再びペルシアの支配下に置かれた。
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Ionia also functioned as an institution that reified power by defining a host of socially or economically aberrant behaviors as mental illnesses in ways suggestive of sociologist Michel Foucault's description, in Madness and ...
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As you know, there were four kinds of Greek harmony:64 the Lydian mode which Plato dislikes because it is too solemn; the Phrygian mode which Plato associates with the passions; the Ionian mode which is too soft and effeminate; ...
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『哲学の起源』政体関係構造図:
不平等⇦ ⇨平等
_____________
専|僣主政 | 哲人王 |
制| | |
⇧|______|______|
⇩|デモクラシー| イソノミア|
自| | |
由|______|______|
エンペドクレスの四大元素:
火
____/||\____
|乾 _//||\\_ 熱|
||\\/ || \//||
||/\\ || //\||
|// \\||// \\|
/____\||/____\
土 _____ _____ 空気
\\ /||\ //
|\\ //||\\ //|
||\\/ || \\/||
||/\\_||_/\\||
|冷__\\||//__湿|
\||/
水
______水______
| | |
| 冷 | 湿 |
土______|______空気
| | |
| 乾 | 熱 |
|______火______|
エンペドクレスの4大元素図を上下逆さにすると、4つの交換図の政体のそれぞれの感触と重なる。
ネーション=湿
ステート=冷
キャピタル=乾
アソシエーション=熱
というように。
エンペドクレスの四大元素:
火
____/||\____
|乾 _//||\\_ 熱|
||\\/ || \//||
||/\\ || //\||
|// \\||// \\|
/____\||/____\
土 _____ _____ 空気
\\ /||\ //
|\\ //||\\ //|
||\\/ || \\/||
||/\\_||_/\\||
|冷__\\||//__湿|
\||/
水
______水______
| | |
| 冷 | 湿 |
土______|______空気
| | |
| 乾 | 熱 |
|______火______|
エンペドクレスの4大元素図を上下逆さにすると、4つの交換図の政体のそれぞれの感触と重なる気がする。
ネーション=湿
ステート=冷
キャピタル=乾
アソシエーション=熱
というように。
生年が紀元前460年とされることから、ヒポクラテスは『戦史』を著した歴史家トゥキディデスと同い年、また哲学者ソクラテスよりおよそ10歳年少で喜劇作家アリストパネスよりも15歳ほど年長であった。
原子論で知られるアデブラのデモクリトスは、いつでも誰に対しても笑っていたり、動物の死骸が家の周りに散乱するなどしていたので市民から少し頭がおかしくなったのではないかと思われてしまっていた。市民に請われデモクリトスを診たヒポクラテスは、デモクリトスの聡明さとその行動が彼の哲学によるものであることを知り、「幸福な人である」と診断した。このことがあってからデモクリトスは「笑う哲学者」と呼ばれるようになったという[68][69]。ディオゲネス・ラエルティオスは、ヒポクラテスとデモクリトスは友人であったと述べている。
イブン・スィーナ(またはイブン・シーナ、Ibn SINA 1980-1037)は西欧ではアヴィセンナまたはアヴィケンナの名で知られる近代医学の創始者。アリストテレスの百科全書的知識の後継者でもある。
『世界史の構造』(158頁)で世界帝国における合理的で総合的な知の例として、朱子、トマス・アクィナスと並べられていたので調べてみた。
『東方の医と知』に詳しいが、ヒポクラテスの四元素説を医学に定式化したことや、恋煩いの青年の相手を特定することでその病を治すエピソードが面白い。
「自然とは元素のこと
混じり合っては体となる
ヒポクラテスは正しくも
水、火、土、風を説く
証拠といえば肉体は
死して四元素に帰りゆく」
(『東方の医と知』152頁より。『医学の歌』としても邦訳〜〜草風館版だと上記の該当箇所は13頁〜〜がある。)
黄胆汁ー火ー夏
/\
/ \
/ \
熱/______\乾
血液 /| |\ 黒胆汁
| / | | \ |
空気/ | | \ 土
| \ | | / |
春 \ | | / 秋
\|______|/
湿\ /冷
\ /
\ /
\/
粘液ー水ー冬
四体液、四元素、四季との関係図(『医学の歌』232頁より孫引き)
血液循環説を否定したので、現代医学からは評価されないが、その知の体系化は評価されていいい。
むろん、その功績は医学にとどまらない。「救済の書」などは「誤謬の海に溺れることからの救済」を意味し、論理学、自然哲学、数学、形而上学(神学と倫理学とを含む)の四部門からなる予定だったという(中世思想原典集成11解説より)。
______水______
| | |
| 冷 | 湿 |
土______|______空気
| | |
| 乾 | 熱 |
|______火______|
エンペドクレスの4大元素図を上下逆さにすると、4つの交換図の政体のそれぞれの感触と重なる。
ネーション=湿
ステート=冷
キャピタル=乾
アソシエーション=熱
というように。
なおエンペドクレスの四大元素説を引き継いだヒポクラテス及びイブン・シーナの四体液説に基づいた性格論
(メランコリーの語源は黒胆汁)を図に付記すると以下になる。
粘液質
(鈍重)
______水______
| | |
黒胆汁質 冷 | 湿 |多血質
土|______|______空気
(陰鬱) | (楽天的)
| 乾 | 熱 |
|______火______|
黄胆汁質
(短気)
むろん構造的に転移可能だが、
アソシエーションは楽天的かつ短気でないと無理かも知れない。
冬
粘液質
(鈍重)
______水______
| | |
黒胆汁質 冷 | 湿 |多血質
秋 土|______|______空気 春
(陰鬱) | (楽天的)
| 乾 | 熱 |
|______火______|
黄胆汁質
(短気)
夏
四体液、四元素、四季との関係図(『医学の歌』232頁より)
ヒポクラテスの『人間の自然性について』の第7節では、人間が粘液、血液、黄胆汁、黒胆汁から構成されていて、それらのうちのどれが四季の変化とともに強くなるかが述べられています。しかしこの文書の著者は突然医学の領域を踏み越えて、宇宙論的な議論を展開します。曰く、
つまり、一年全体が温、冷、乾、湿のすべてにそれぞれあずかっているのである。実際、これら四性質のどれ一つといえども、この宇宙にあるすべてのものがないならば、一時たりとも存続できないだろう。が、逆にこのうち何か一つが欠けても、すべてのものが消失するであろう。それというのも、すべてのものが、同じ必然性から成り立っており、相互に養い合っているからである。それと同様に、以上の構成要素[温、冷、乾、湿、あるいは粘液、血液、黄胆汁、黒胆汁]のうちの何かが人が欠けるとしても、人は生きていくことができないであろう(大槻マミ太郎訳)。
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20110103/p1
イシドルスの,物の本質について,J. Fontaine
でしょうかね? 保障はないですが、まあそんな感じです。
このラテン語が全部訳せれば何かしら分かると思うんですが。
ネット上の辞書や、翻訳、googleを駆使して単語をひとつひとつ引いてるうちに、途中で飽きました。無理。
なので一箇所だけ。
Mundus-Annus-Homo
Siccus calidus ignis: aestas, cholera rubea.
Calidus humidus aer: uer, sanguis.
Humida frigida aqua: hiemps, phlegma.
Frigida sicca terra: autumnus, melancholia.
の部分だけね。
世界-年-人
乾 熱 火;夏 胆汁質
湿 熱 気;春 多血質
湿 冷 水;冬 粘液質
乾 冷 地;秋 憂鬱質
http://arisugawa.cocolog-nifty.com/alice/2007/09/post_a309.html
【ヒポクラテスの誓い・原文:小川鼎三訳】
医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。
この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。
その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。
頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。
純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。
結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。
いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。
医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。
この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。
http://www.health-station.com/topic130.html
○ヒポクラテスの提唱した四つの体液説
「人間の生体組織において共に作用している体液の適正でない混合のなかに、あらゆる病気の本質を探究」し、「正常な有機体において体液はある一定の比率を保っていなければならず、病んだ肉体においては、体液にこの混合比率からのずれが生じる」ここで気がつくのはヒポクラテスの言う四つの基本要素は東洋医学の陰陽五行説とかなり似た所があります。身体の構成要素と自然界の不調和が病気の発症と考えている点です。
紀元前にギリシャと中国で同じ様な考えが自然同時発生したことは興味深いことです。ヒポクラテスのこの四つの体液説はその後3世紀の医学者ガレノスによってさらに体液病理学として集大成されました。
そしてこの説は西洋医学を支配し15世紀まで続きました。東洋医学と西洋医学の大きな分れ目はどうもこの15世紀を境にしているように見えます。
それは15世紀になってこの四つの体液説がパラケルススによって否定されたからです。パラケルススは人体を構成するものを化学物質としてとらえ、身体を構成するものとして、硫黄、水銀、塩の3つを挙げ、次にこれらを動かして生命現象を作り上げる力をアルケウスと名付けたのです。
対幻想=性的な対象をめぐる記述とその思惟構造。
象徴的な共同体を個人の欲望を媒介に破壊する効果を持つ。
自己内幻想に自足しないがゆえに、現実界(ラカン)の範疇にあるとも言えるが、
国家及び共同体(ヘーゲル)に回収され、民族の存続に奉仕する生殖という体
制維持に加担する危険も合わせ持つ。
フレーゲによる一対一対応(ヒューム)の数学的再評価と呼応し得る。
63 :考える名無しさん :sage :2011/11/09(水) 23:37:34.17 P
>一対一対応(ヒューム)の数学的再評価
だから対現実と呼ぶべきなのだ。
岩田靖夫『神の痕跡 ハイデガーとレヴィナス』(岩波書店、1990年)
著者は1932年生まれ。執筆当時は東北大学文学部教授。アリストテレスを中心に古代ギリシア哲学を専攻。しかし本書のように現代思想をも論じている。
以下は、第一章「自由と運命」から。昨日の「時間が経過するにつれてますます多くの無秩序と世界の汚れを不可逆的に生み出していく「熱いシステム」」という記述に関連して、秩序を否定する近代思想の極点は、すでにギリシアにおいても確認できる。ギリシア哲学研究の大家がギリシアには全ての問題が詰まっていると言うのを聴いたことがあるが、たしかに、古代ギリシアの思想の移りゆきには、思考の行き着く先とでもいうべきものを見ることができるように思う。
「・・神々と宗教を根底から覆すこのような[古代ギリシアの]否定の精神は、いったいどのような人生観を生み出したであろうか。それは、一言でいえば、善悪の相対化、つまり価値を主観的定立に還元する視点主義である。すでにプロタゴラスは善や美が各共同体内における一時的な行動の基準であるといい、ヒッピアスは、法(ノモス)が人間に対する暴君として多くの非本性的なことがらを強要すると述べたが、後期のソフィストたちはこの思想を徹底し既成道徳をすべて虚構として斥けるまでに至った。たとえばアンチフォンはこういった。「正義とは、自分が住んでいる共同体の定めを犯さないことである。したがって、他人がみているときには法を重んじ、自分一人だけのときには自然(ピュシス)の定めを重んじるならば、自分のためにもっとも有効に正義を利用することができるだろう。・・・」同様に、トラシュマコスや、カリクレスも既成道徳を転覆して自然そのものによる倫理を説いたのであるが、それならば、かれらのいう自然とは何であったのか。
・・・・その自然とはニーチェのいうあのディオニュソス的なものと同様にあらゆる秩序を否定する「偶然」であり、「あくなき生への意志」であり、力ある者の気儘な支配力である。ちょうど啓蒙思想に酔った一八世紀末葉のロマン派が、デカルト的自己意識を極点にまで昂揚して想像的精神を謳歌した時、常に「新しきもの」の産出を目指すあまり、遂にはあらゆる秩序と法則を否定し去ったのと同じ状況がここに現出しているのである。「カオスより根源的なものはない」とシュレーゲルもいっている。」(15-16頁)
http://scs.kyushu-u.ac.jp/~kaburagi/hondana.htm
Classical rhetorics and rhetoricians: critical studies and sources - Google ブック検索結果
books.google.co.jp/books?isbn=0313321787...Michelle Ballif, Michael G. Moran - 2005 - Language Arts & Disciplines - 402 ページ
In Plato's Protagoras (337d), Hippias declares that human custom or "law" (nomos) is a tyrant that constrains us against nature (physis). Unlike "laws of nature," the social is a transitory institution and not all of its changes are ...
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/gyoseki.article14.html
居丈高な仮想論難者と戸惑うソクラテス
─『大ヒッピアス』篇の一解釈─
『紀要』第42号(1999年、中央大学哲学科)
土橋 茂樹
「だから、法を制定しようとする者が、善を捉え損なうとき、法に適うことも、法自体も捉え損なっているのだ。」(284d6-7)
http://books.google.co.jp/books?id=AF1VViQLWDQC&pg=PA21&dq=Protagoras%E3%80%80Hippias&hl=ja&ei=Hq66TofaHov2mAXo1_z-Bw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=8&ved=0CFQQ6AEwBw#v=onepage&q=law&f=false
NAMでおこったことはその後のNPOでもよくおこっている。
特にWEBでつながっている団体に起こる問題点をすべて悪い意味で?先取りしていた。
例としては、
私信を公開MLで送ってしまう。
事務局が影の力を得てしまう。
プロジェクト重視で母体が貧弱になる、等々。
これらは思想地図界隈でも縮小再生産されている、と思う。
ただ知識人は雑誌を使って(反純粋主義的に)闘うしかないということは
はっきりした。
ヘロドトス(Ἡρόδοτος Hēródotos 羅:Herodotus 紀元前485年頃 - 紀元前420年頃)
トゥキディデス(トゥキュディデス、希:Θουκυδίδης、ラテン文字表記:Thukydides/Thucydides、紀元前460年頃 - 紀元前395年)
レウキッポス Leukippos(生没年不詳)紀元前440-430年頃に活動したギリシア哲学者。
デモクリトス Dēmokritos(紀元前460年頃-紀元前370年頃)古代ギリシアの哲学者。
アナクサゴラース(Αναξαγορας、Anaxagoras、紀元前500年頃 - 紀元前428年頃)は、古代ギリシアの自然哲学者。イオニア学派の系譜をひくとされる。
(前500頃ー428頃)
____『トランスクリティーク』構造図____
| | | | |
|代表機構 | 移動 | 1:1 | 1:2 |
| | |カント的 |綜合的判断|
|____2:1____|転回_第一部__の問題|
| 移動と批判 | カント |
|恐慌として|アナキスト| 1:3 | イントロ|
|の視差 |たち |超越論的と|ダクション|
|微細な差異|_____|__横断的|_____|
| | | | |
| | 2:2 | 国家と |ネーション|
| |綜合の危機| | |
|____第二部____|____2:3____|
| マルクス | | |
| 2:3 | | 資本と | 可能なる|
|価値形態と| | |コミュニズム
|剰余価値_|_____|_____|_____|
1:3:2でハイデガーがスピノザとの対比で批判され、そのギリシア哲学理解も疑問に付される。
729 :考える名無しさん :2011/12/24(土) 21:53:00.71 0
つまりこういうことだ。
柄谷が最後に早稲田で、雨の日の12月に解散の集会をやった時だ。
柄谷はそこで「最大公約数」ということについて語っていた。(という)
その都度の人々の経済的な購入で、最大公約数的な部分に、常に、自動的に
市民通貨と考えられるような、倫理的な抵抗を設けながら、それが対抗運動として
移動するようにしたらよい。
そのコンセプトが市民通貨Lという幻の通貨の内容であって、
最後に柄谷はそのコンセプトを語ったとことでNAMは終了した。(ということになっている)
730 :考える名無しさん :sage :2011/12/24(土) 21:59:06.52 0
この市民通貨Lと消費行動、経済行動における最大公約数の統計的なコンセプトというのは、
我々のところにも情報として転がってきた。
それは最終集会に参加したNAM会員の口から漏れてきたのか、
あるいは2ちゃんねるに放り込まれた雑多な投稿の中から知れることができたのか、
人様々のところであるが、結局対抗運動のその最終的なコンセプトについて
東は、鈴木健などの内輪的なNAM関係者から後で伝え聞いている可能性もあるだろう。
もっとも確実にその最終コンセプトを知るためには、そういう内輪の人間から情報を取るのが
一番よかったはずだ。攝津の口からもその最大公約数の概念は語られていた。
2ちゃんのログでもたぶんどこかにはあると思うが、そんな明瞭な伝えられ方はしてないから
これはきっと内輪から内輪へと伝わった情報であるのだろう。
731 :考える名無しさん :sage :2011/12/24(土) 22:04:42.31 0
柄谷が最後に早稲田の教室で、なかば会員たちを恫喝しながら語ったその最大公約数の概念が
まさに今回の一般意志である。
これはわかる人には最初からわかっていたはずである。
統計的な最大公約数の意志の値、つまり集団的な経済的選択の無意識の値を、
大衆の意識的な語ではなく、統計的な無意識の可視化として抽出するという作業は、
対抗運動の手段として、柄谷によって既に構想されていたものである。
だから東は、ものすごく気にしてNAMの情報を、いろんなところから入手していたんだな。
そして最終的なライバル柄谷行人をひっくりかえす、ぎゃふんといわせるような
理論的体系を示してやろうと考えていた。
あずまんのその目論見は、見通図としては、結構早く完成した。
NAM解散決定後、苦し紛れに出てきた市民通貨、L(後にGに改名)案は原資
を持つタイプだが、減価方式でもあった。
このことは実はマルクスの間違いを意味する。
一方マルクスの影響を受けていない東は資本主義のスケールフリー性やそれ
に対抗するセミラティスの重要性がわかってない。
ハイエクと同じで市場経済と資本主義経済の違いがわかってないのだ。
マルクスへの批判が曖昧だから、日本の知識人はこういう両極の間違いを
犯し続けることになる。
NAM解散決定後、苦し紛れに出てきた市民通貨案、L(後にGに改名)は原資
を持つタイプだが、減価方式でもあった。
このことは実はマルクスの間違いを意味する。
一方マルクスの影響を受けていない東は資本主義のスケールフリー性やそれ
に対抗するセミラティスの重要性がわかってない。
ハイエクと同じで市場経済と資本主義経済の違いがわかっていないのだ。
マルクスへの批判が曖昧だから、日本の知識人はこういう両極の間違いを
犯し続けることになる。
柄谷だけがマルクスへの批判的吟味をつきつめているが、後続の人間がいない。
肝心の柄谷も再生産表式への理解が足りない。
NAM解散決定後、苦し紛れに出てきた市民通貨案、L(後にGに改名)は原資
を持つタイプだが、減価方式でもあった。
このことは実はマルクスの間違いを意味する。
一方マルクスの影響を受けていない東は資本主義のスケールフリー性やそれ
に対抗するセミラティスの重要性がわかってない。
ハイエクと同じで市場経済と資本主義経済の違いがわかっていないのだ。
マルクスへの批判が曖昧だから、日本の知識人はこうした両極の間違いを
犯し続けることになる。
柄谷だけがマルクスへの批判的吟味をつきつめているが、後続の人間がいない。
そして肝心の柄谷も再生産表式への理解が足りない。
NAM解散決定後、苦し紛れに出てきた市民通貨案、L(後にGに改名)は原資
を持つタイプだが、減価方式でもあった。
このことは実はマルクスの間違いを意味する。
一方マルクスの影響を受けていない東は資本主義のスケールフリー性やそれ
に対抗するセミラティスの重要性がわかってない。
ハイエクと同じで市場経済と資本主義経済の違いがわかっていないのだ。
マルクスへの批判が曖昧だから、日本の知識人はこうした両極の間違いを
犯し続けることになる。
柄谷だけがマルクスへの批判的吟味をつきつめているが、後続の人間がいない。
そして肝心の柄谷も再生産表式への理解が足りないから経済的分析が具体的にならない。
四元素論、五行説、ひも理論
「…エンペドクレスの四元素論は、原始論からみると不徹底に見えるが、逆に、原子論に解消できない性質をとらえようとしているともいえる。
このことはむしろ、原子論を自然哲学としてではなく、社会哲学としてみるときに重要となる。」(『新潮』2011年10月)
柄谷行人が『哲学の起源』連載第5回目でエンペドクレスの四元素論を擁護している。
素粒子など最小単位に眼を向けるよりも、質的な問題を解決するようなバランスを仮象としてでも提示する方がより有効だということだろう。
それは五行説*から現代のひも理論にいたるまで共通する考え方かも知れない。
(M理論はMという文字が5つの点をつなぐことからの命名だろう)
もっとも柄谷が着目するのは社会哲学への応用であって、上記の動画で言えば、そこで紹介される研究チームのトランスナショナルなあり方こそ重要なのかも知れない。
*
五行説の構成アイテム (五元素)
水
金 土 木
火
(董仲舒 〜とうちゅうじょ B.C.179?-B.C.104?〜の五行説はひとつが真ん中に位置するので四元素論と極めて似ている)
http://zipangu.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/198-2b67.html
五行は、センターを 「土」 とし、
上から時計回りに、「水」⇒「木」⇒「火」⇒「金」の順。
>>120
欲望を座標軸に持ってくるのはいいが、そもそもラカンはスピノチスト
だから振り出しにもどる(スピノザ的には、欲望=コナトゥス)。
さて、東の言う欲望の可視化には賛成だが(映画監督はそれに生涯をかける)、
日本の文脈だと柄谷が批判するような美学的ドゥルジアン(ドゥルーズ
本人は違う)が跋扈するようになるだけなので、柄谷のカントへの転回
は正しかったということになるのでないか?
また、橋下論議はもうすこし二重行政をいかに防ぐか、という具体的な問題に
絞って考えた方がいい。著名人によるポジショントークは不毛だ。
二重行政を防ぐためだけに行政単位を大きくするのは単に遅れてきた
平成の大合併にすぎない。
中間団体はできるだけ維持すべきだと思うし、東などはそうした行政の運営に
WEB2.0を転用することを考えるべきだ。
地域SNSなどは明らかに転機を迎えつつある(限界も明確になったが可能性も
明確になった)が、多分、消費税が上がれば(原資担保型の)地域通貨ももう
一度見直されることになるだろう。
一般意志2.0には離散数学への理解がない
セミラティス状の組織構造が維持されなければそれはファシズムである
多分、大学受験における離散数学の軽視が背景にある
始皇帝|戦国
法家 |
___|__
道教 |儒教
毛沢東| 清朝
___|__
鄧小平|儒教?
柄谷at2012春号参照
いきなり国連や国政の場では無理だから、
地道に、(それらの写像としての)自分の職場や学校に
くじ引きを導入してゆくしかないだろう
完全にネット完結にしようとすると実はこのくじ引きはむずかしい
宝くじだって射的を生中継するわけだから
909 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:14:17.52 0
柄谷
去年の秋に『ニューヨーク・ポスト』というタブロイド新聞を読んでいたら、
tattoo/tabooという駄洒落の見出しのついた記事があって、アメリカで今流行している入れ墨のことを特集していた。
親はみんな嫌がっているわけ。子供が何をやっても許すけど、入れ墨だけは困る。痕が残るからです。
ところが、その中で、一人の女の子がこういうことを言っていた。
親は簡単に離婚してしまうし、友達はすぐさよならで、残るものが何もない。
しかし入れ墨だけは残るからやるんだと言うんですよ。僕はなるほどな、と思った。
これは攻撃衝動というか、死の欲動だと思うんですけど、僕が最近考えているのは、フロイトの言う死の欲動というのは、
カントで言うと、永遠になろうとか不死に向かう衝動だと思うんだね。
だから、「入れ墨は残るから」と言う、その女の子は非常に正確なことを言っていると思った。
村上
石原慎太郎はやっぱりいいなと思ったのはね、あの人はピアスをずっと攻撃していたんですよ、意味なく。
ピアスをすると不妊になるとかね、わけのわからないことを言って(笑)。
それで僕が『サンデー毎日』で対談した時に、
「石原さん、ピアスしてる子はね、タトゥーも同じですけど、親を否定したいんだ」と言ったんですよ。
親を否定したいがために、彼らは血縁とかある種の時間の流れを切りたいから、永遠に残るもので身体を加工したいんだと。
そうしたら、あーっと感心して諺を言ったんですよ。僕は忘れましたけど。
「ああ、それを否定したいわけか。わかった、それはわかった。だったらわかる」とか言ってね。
柄谷
「身体髪膚、これを父母に受く、あえて既存せざるは孝の始め也」でしょ。
村上
それです、それです。
柄谷
この言葉には、結構深い意味があるんだなと最近思ったんです。
これはどういうことか昔わからなかったんです。
村上
逆にピアスとかタトゥーとかそういう人が出ないとわからないですよね。 <続>
910 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:15:05.18 0
柄谷
そう。孔子は死の欲動に気づいていたのではないかと思う。
ピアスやタトゥーの根源にあるものに。
それをやめることが孝のはじまりだと言うわけですからね。
村上
うーん。すごい言葉ですね。
柄谷
石原慎太郎はその欲動が強いんじゃないの(笑)。
村上
むしろそっちの方が強いんですよね、きっと。
~~略~~
村上
柄谷さんが、「ネーション・ステート」が機能しなくなって宗教と家族に両極化すると仰る。
その時の家族のイメージというのは、近代になってからのもの、それとも中世のものですか?
柄谷
もちろん近代です。だから、昔と同じ言葉を使うとは思わないけど、やっぱり「孝」というような観念が復活するんじゃないか。
中国人は毛沢東時代に「ネーション・ステート」を強調したけど、市場経済を導入してから、一方で儒教が強くなってるんじゃないかな。
『三国志』を読んでいて、へえーと思ったことがあった。
戦争をしている時に母親が病気だから帰らせてくださいとか言ってさ(笑)。
村上
確かにそうですよね。そうするとみんな帰すんですよね。
「それは帰れ」って、それが忠孝の士として残ったりするんですよね。 <続>
911 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:16:51.36 0
柄谷
中国では「孝」のほうが大事でしょ。「忠」は契約関係の問題だから、相互的ですね。主君がだめなら去ってよい。
「孝」が大事なのは、親が威張るとかいうことではなくて、やはり魂の永遠にかかわるからですね。
自分の死後祀ってくれる子孫がいないといけない。大衆にはそれしか永遠性の保証がない。
村上
うーん、そうですね。
柄谷
中国だけではなく、プラトンのなかにもそういうことが書いてあります。
一つは創造的であることによってイデア的に永遠性を獲得すること。言いかえれば、歴史に名を残すことですよね。
これは少数の者しかできないから、もう一つは子孫をもつこと。
ところが、『論語』の言葉には、それを合わせたようなことが書いてある。
さっき言った「身体髪膚……」のあとに、「身を立て、名を後世に挙げ、以て父母の名を顕すは孝の終り也」とある。
村上
でも、それすごいですよ。孔子ってすごいね。
それに対比するような生物学的エネルギーがあるとわかってるから言ってるんですよね。
柄谷
さっきも言った、自己破壊衝動というのは昔からあったと思うんですね。
身体髪膚をあえて傷つけるなというのは、昔読んだとき、事故で怪我したらどうするんだよと思ったりしたけど、そういうことじゃない。
自己に向かう攻撃衝動の禁止ですね、入れ墨も含めて。
村上
コンラート・ローレンツなんかよりもはるか昔に孔子が人間の攻撃性を、ね。
あとセックスというのは、それを含んでないとできないでしょうね。バタイユなんか見るまでもなく。
もちろん宗教は今はもう細分化して崩壊しているわけだけど、家族が国家の機能を代替する時に出てくる規範というか、
家族のイメージというのは、絶対反動的ですよね。
(ユリイカ6月臨時増刊号 1997.6.25発行)
http://media.excite.co.jp/book/news/topics/117/index.html
この吉田拓郎説はあたってる
吉本は旧左翼の戦争責任を追及してのしあがった(拓郎が政治的フォークソングを
批判してのし上がったように)
左翼の思想的内ゲバの勝者とも言える
(ネトウヨはこうしたアナーキズムとマルキシズムといった最低限の左翼内の論争の構図を
理解すべきだ。吉本はもちろん後者だが、市場を肯定した点、市井を貫いた点は前者
に近い。)
大衆消費社会を肯定してからおかしくなったが、それは狭義のポジショントークに
堕したからだ
日本では珍しく市井の総合知識人だったが、アカデミズムへのコンプレックスが
晩年を貧しくさせた
表出理論は評判が悪いが、対幻想、共同幻想、自己幻想、さらに指示表出、
自己表出といったタームは今でも有効だと思う。
知の職人と言った感じの人だが(これを糸井は再評価している)、マルクスの理解が
文学的だから、柄谷行人(文学出だが数学的なところもある)が出てからは過去の人だった。
ちなみに文学的なマルクスはヘーゲルヘの退行にすぎない、、、、
晩年の原発賛美はポジショントークではあるが、戦時中の理系信仰(理系だと
徴兵制を免れ得た)から来ていると思う。
時代の制約を笠に着てスターになったが、同じ理由で古くなった。
合掌。
ヘーゲルやマルクスもスピノザを読んでるから自然の考え方、自然観が能産的
であり、自立分散的であり、自律的だ。
つまり吉本やその批判者による自然観よりよっぽど豊かだ。これはその自然観
がそのまま大衆観に直結するので重要な点だ。
吉本がスピノザを読んでないのはアカデミズムからはなれたからだし、
プルードンなどアナキズムの豊かな遺産を活用できなかったのは党派性から
離れる代わりに人脈も断ってしまったからだろう。
そうした貧しさは我々も受け継いでしまっているかも知れない。
つまり、ヘーゲルは二重に批判されなければならない。
ヘーゲル流のアウフヘーベンの必要性はなく、
さらにヘーゲルの体系自体においてはアウフヘーベンが実現されていない、と、、、
吉本的な大衆の原像は統整的理念だから、吉本はヘーゲルよりカントへ遡行するべきだったし、
吉本をヘーゲルに回収するつもりもないが、あえて吉本との関連で以下述べると、、、
ヘーゲルやマルクスもスピノザを通過しているから自然の考え方、自然観が能産的であり、
自立分散的であり、自律的だ。
つまり吉本やその批判者による自然観よりよっぽど豊かだ。これはその自然観がそのまま
大衆観及び科学観に直結するので重要な点だ。
吉本がスピノザを読んでないのはアカデミズムからは離れたからだし、プルードンなど
アナキズムの豊かな遺産を活用できなかったのは党派性から離れる代わりに人脈も断って
しまったからだろう。
そうした貧しさは我々も受け継いでしまっているかも知れない。
吉本のタームを柄谷の交換図に当てはめると、
自己幻想|共同幻想
____|____ 平等
対幻想 |
|
自由
となる。
(共同幻想と自己幻想は吉本に準拠するなら逆かも)
右下のアソシエーションが欠けているのが吉本の欠点だが、
これは指示表出、自己表出といった表出理論によって補われ得る。
吉本自身が下町の思想職人として体現したとも言えるが、
そこには神格化の危険が伴う。
吉本のタームを柄谷の交換図に当てはめると、
共同幻想A|共同幻想B
_____|____ 平等 指示表出
対幻想 |自己幻想
|
自由
自己表出
となる。
右下のアソシエーションは吉本自身が下町の思想職人として体現、自己表出したとも言えるが、
そこには神格化(自己幻想の共同幻想化)の危険が伴う。
共同幻想A、Bの区別がないのは文学的なマルクス主義を受け継いだからである。
花田との再生産表式をめぐる論争は発展の余地があった。
吉本のタームを柄谷の交換図に当てはめると、
共同幻想A|対幻想
_____|____ 平等 指示表出
共同幻想B|自己幻想
|
自由
自己表出
となる。
右下のアソシエーションは吉本自身が下町の思想職人として体現、自己表出したとも言えるが、
そこには神格化(自己幻想の共同幻想化)の危険が伴う。
共同幻想A、Bの区別がないのは文学的なマルクス主義を受け継いだからである。
そこに花田との再生産表式をめぐる論争は発展の余地があった。
吉本のタームを柄谷の交換図に当てはめると、
共同幻想 |対幻想A
_____|____ 平等 指示表出
対幻想B |自己幻想
|
自由
自己表出
となる。
右下のアソシエーションは吉本自身が下町の思想職人として体現、自己表出したとも言えるが、
そこには神格化(自己幻想の共同幻想化)の危険が伴う。
対幻想A、Bの区別がないのは文学的なフロイト、マルクス主義を受け継いだからである。
後者においては花田との再生産表式をめぐる論争を発展させる余地があった。
吉本のタームを柄谷の交換図に当てはめると、
共同幻想 |対幻想A
_____|____ 平等 指示表出
自己幻想 |対幻想B
|
自由
自己表出
となる。
右下のアソシエーションは吉本自身が下町の思想職人として体現、自己表出したとも言えるが、
そこには神格化(自己幻想の共同幻想化)の危険が伴う。
対幻想A、Bの区別がないのは文学的なフロイト、マルクス主義を受け継いだからである。
後者においては花田との再生産表式をめぐる論争を発展させる余地があった。
吉本のタームを柄谷の交換図に当てはめると、
|___|_
共同幻想 |対幻想|
_____|___|_ 平等 指示表出
自己幻想A|自己幻想B
|
自由
自己表出
となる。
右下のアソシエーションは吉本自身が下町の思想職人として体現、自己表出したとも言えるが、
そこには神格化(自己幻想の共同幻想化)の危険が伴う。
自己幻想A、Bの区別がないのは文学的なフロイト、マルクス主義を受け継いだからである。
前者においては花田との再生産表式をめぐる論争を発展させる余地があった。
吉本のタームを柄谷の交換図に当てはめると、
共同幻想 |対幻想
_____|____ 平等 指示表出
個体幻想 | X
|
自由
自己表出
となる。
ただしこれだとアソシエーションがないので、(個体幻想をアソシエーションに転化する道を選ぶなら)以下のようになるべきだった。
共同幻想 |対幻想A
_____|____ 平等 指示表出
対幻想B |個体幻想
|
自由
自己表出
第一図では対幻想が未分化だったが、ここに可能性もあったのだ。
右下のアソシエーションは吉本自身が下町の思想職人として体現、自己表出したとも言えるが、
そこには神格化の危険が伴う。
対幻想A、Bの区別がないのは文学的なフロイト、マルクス主義を受け継いだからである。
後者においては花田との再生産表式をめぐる論争を発展させる余地があった。
自己表出と指示表出を二律背反的に捉えたことも概念の発展を阻害した原因だった。
吉本隆明のタームと柄谷行人の交換図
最近亡くなった吉本隆明のタームを柄谷行人の交換図に当てはめると、
第一図
共同幻想 |対幻想
_____|____ 平等 指示表出
個体幻想 | X
|
自由
自己表出
となる。
ただしこれだとアソシエーションが欠如しているので、(個体幻想をアソシエーションに転化する道を選ぶとして)以下のようになるべきだった。
第二図
共同幻想 |対幻想A
_____|____ 平等 指示表出
対幻想B |個体幻想
|
自由
自己表出
右下のアソシエーションは吉本自身が下町の思想職人として体現、自己表出したとも言えるが、そこには神格化の危険が伴う。
吉本の対幻想概念に第二図のようなA、Bの区別がないのは文学的なフロイト、マルクス主義を受け継いだからである(第一図にあるように吉本の対幻想は未分化で曖昧だったが、そこにこそ可能性もあったのだ)。
『共同幻想論』においては性的事象は国家に対するタブーとしてあくまで美学的な領域における侵犯として機能する。中上健次が『共同幻想論』を評価したのもそうした侵犯としてだが、中上には市場経済への視座もあった、、、、
交換C、市場経済の領域(対幻想概念B)においては花田との再生産表式をめぐる論争(http://yojiseki.exblog.jp/14944588/)を発展させる余地があったが、政治的なポジショントークに終始し、発展しなかった。
追記:
吉本が自己表出と指示表出を二律背反的に捉えたことも概念の発展を阻害した原因だった。
匿名で意見を述べる人は、現実に他人と接触しません。一般的にいって、
匿名状態で解放された欲望が政治と結びつくとき、排外的・差別的な運動
に傾くことに注意すべきです。だから、ここから出てくるのは、政治的に
はファシズムです。しかし、それは当たり前なのだから、ほうっておくほ
かない。2ちゃんねるで、人を説得しようなどとしてはいけない。場所あ
るいは構造が、主体をつくるのです。その証拠に、匿名でない状態におか
れると、人はただちに意見を変えます。
だから、日本では、デモは革命のために必要だというようなものではない。
とりあえず、デモが存在することが大事なのです。しかし、そのためには、
アソシエーションがなければならない。
柄谷行人『政治と思想』平凡社ライブラリー 151頁
2ちゃんねる交換様式図
削除依頼|画像掲示板
(国家)|(国民)
____|______
モリタポ|アンカー
(資本)|(アソシエーション)
麻原に関しては少年期の盲学校における優越感(障害は軽い方だった)と
実社会における劣等感(障害以外に、初期の宗教活動に関して非科学的
だとして取り調べでよくいじめられていた)との二重性が彼を怪物にした
という指摘が若手精神科医?からあった。朝生だったかな?
ただし障害者への差別を遠慮したのかマスコミでこうした指摘はあまり
展開されなかった。
これらに無理矢理吉本のタームをあてはめるなら、
共同幻想(宗教)とそれに逆立するべき自己幻想(ロボットによる支配を麻原は夢見た)
が構造的に癒着したままだと言うことが指摘できるだろう。
そこに対幻想(女弟子との関係)も融合してしまっていた。
『共同幻想論』で活用されたフロイト的無意識の構造とマルクスの社会学的分析
が必要だということで、ここに吉本の活躍する素材であったと思うが、吉本の宗
教観(親鸞には詳しいが密教には疎かった)がかえって邪魔したと思う。
宗教者としての麻原には仏教(脱神秘主義)とチベッツ密教(神秘主義)の混交、
混同を指摘できると思う。
ω無矛盾
移動: 案内, 検索
数学基礎論において、ω無矛盾(オメガむむじゅん、omega-consistency)とは、公理系の性質を表す概念のひとつである。不完全性定理を示すためにクルト・ゲーデルによって導入された。ω無矛盾性は、通常の無矛盾性よりも強い性質である。
ヒルベルト・プログラムの下、数学の完全性と無矛盾性を示そうとする試みがなされていたが、1931年にゲーデルの発表した不完全性定理は、ある意味でそのふたつが両立することは不可能であるというものであった。ゲーデルは「公理系が無矛盾ならば不完全」であることを示そうとしたが果たせず、それよりも少し弱い「ω無矛盾ならば不完全」であることを示した。1936年に、ジョン・バークリー・ロッサーは、ゲーデルの当初の目的である「無矛盾ならば不完全」であることを示した。今日では、通常これを第1不完全性定理と呼ぶ。
[編集] 定義
ある公理系が通常の意味で矛盾しているとは、ある論理式 P が存在して、P と ¬P とがともに証明可能であることを意味する。これに対し、ω矛盾とは、自然数 n によって定まる論理式 Q(n) が存在して、次を満たすことをいう。
Q(0), Q(1), Q(2), …が全て証明可能であるが、「∃n: ¬Q(n) 」も証明可能である。
矛盾していない公理系を無矛盾であるといい、ω矛盾していない公理系をω無矛盾であるという。
通常の感覚では、Q(0), Q(1), Q(2), … が全て証明可能であれば、「∀n:Q(n) 」も証明可能であるように思え、 したがってもし公理系が無矛盾なら「∃n: ¬Q(n) 」は証明不能であるように思える。 しかしnの 取り得る範囲が無限に多いときは上の直観は一般には正しくない。 実際Q(0) の証明、Q(1) の証明、Q(2) の証明、… を並べただけでは、無限に長いものになってしまうため、それは妥当な証明とはみなされない。 したがって、Q(0), Q(1), Q(2), … の各々が全て証明可能であっても「∀n:Q(n) 」が証明可能であるとは限らないのである。 よって公理系が通常の意味で矛盾していなくともω矛盾している、という状況が起こり得る。
ω無矛盾性は無矛盾性よりも強い(弱くない)概念である。 実際、ある公理系が矛盾している場合、P と¬Pがともに証明可能であるようなPが存在し、したがって前述のQ(n) として P をとれば、その公理系がω矛盾している事が分かる。 したがって対偶をとる事で、ω無矛盾性が無矛盾性を含意する事が分かる。 よって特に、ロッサーの結果はゲーデルの結果の拡張とみなされる。
公理系が無矛盾であれば、対偶を取る事により、ω矛盾の概念が次と同値である事を示せる:
「∃n: Q(n) 」が証明可能であるが、Q(0), Q(1), Q(2), … のいずれも証明可能ではない。
カントの力学的アンチノミーに近いか?
ジェファーソンのタウンシップを描いた映画はないだろうか?
西部劇はそのへんに疎い
アテネのデモクラシー(国家の為の哲学)に対する
イオニアのイソノミア(個人の自由)的哲学を
哲学・思想史から再評価しようという試みだと思いますが
ヘロドトスもアーレントもそのような事は
書いていないのではないかと思います。
柄谷氏がなぜそう考えたのか、
柄谷氏のいうイソノミアは無かったと反論も困難なので
「哲学の起源」の外国語版が発表された場合の評価に
興味あります。
http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20110126
2011-01-26 アレント 『革命について』
政治現象としての自由は、ギリシアの都市国家の出現と時を同じくして生まれた。ヘロドトス以来、それは、市民が支配者と被支配者に分化せず、無支配(ノー・ルール)関係のもとに集団生活を送っているような政治組織の一形態を意味していた(11)。この無支配という観念はイソノミアという言葉によって表現された。古代人たちがのべているところによると、いろいろな統治形態のなかでこのイソノミアの顕著な性格は支配の観念がそれにまったく欠けている点にあった。都市国家は民主政ではなくイソノミアであると思われていた。「民主政」という言葉は当時でも多数支配、多数者の支配を意味していたが、もともとはイソノミアに反対していた人びとがつくった言葉であった。彼らはこういおうとしたのである。「諸君たちのいう『無支配』なるものは、実際は別の種類の支配関係にすぎない。それは最悪の統治形態、つまり、民衆(デモス)による支配である(12)。」
すなわち、トックヴィルの洞察にしたがってわれわれがしばしば自由にたいする脅威だと考えている平等は、もともと、自由とほとんど同じものなのであった。しかし、イソノミアのもつ言葉が示唆している法の範囲内におけるこの平等は、――たしかに政治的領域そのものが財産と奴隷をもつ者にだけ開かれていた古代世界においては、ある程度まであらゆる政治活動の条件ではあったが、――条件の平等ではなく、同輩者の一団を構成している人びとの平等であった。イソノミアは平等を保証したが、それはすべての人が平等に生まれ平等につくられているからではなく、反対に、人は自然において平等ではなかったからである。
ヘロドトスが自由を無支配と同一視したとき、その論点は支配者自身は自由ではないというところにあった。他人を支配することによって、支配者は彼らとのあいだで本来なら自由でありえた同輩者たちから自ら去ったからである。いいかえれば、彼は政治的空間そのものを破壊したのであり、その結果、彼自身にとっても彼が支配した人びとにとっても、もはや自由は存在しないのである。このようにギリシアの政治思想において自由と平等との相互結合が強調された理由は、自由が、人間活動のすべてではないにしろ、そのある部分に明示されているものと考えられ、これらの活動は他人がそれを見、それを判断し、それを記憶しているばあいにのみあらわれ、現実のものとなるからであった。自由人の生活は他人の存在を必要としたのである。
(11) 私は、ヘロドトスが一人支配、少数者支配、多数者支配の三つの主要な統治形態を、おそらくはじめて規定し、その価値を論じている有名な一節に拠っている(Book III, 80-82)。その中で、アテネ民主政――といっても、それはイソノミアと呼ばれていたが――のスポークスマンは、差し出された王国を固辞して、その理由を次のようにのべている。「私は支配することも支配されることも望みません。」それについてヘロドトスは、彼の家が全ペルシア帝国でたった一つの自由の家になったとのべている。
ヘロドトス『歴史』(松平千秋訳、中央公論社) 巻三
〔八三〕ペルシアに万民同権の体制を実現しようと熱意を燃やしたオタネスであったが、自分の説が通らぬこととなったとき一同にむかっていうには、
「同志の方々よ、かくては籤によってきめるか、あるいはその他の方法によるかはともかく、われらのうちのだれか一人が王になるほかはあるまいが、私にはそなたらと王位を争うつもりはない。私は人を支配することも、人から支配を受けることも好まぬからだ。そこで私は支配者の地位を断念するが、ただしそれには条件がある。私はもちろん私の子孫も代々にわたり、そなたらのうちなんびとの支配も受けぬということだ」
今もなおペルシアにおいてオタネス家のみは相変わらず自由独立のままで、ペルシアの法律に背くことはしないが、自分たちが望まぬかぎりは王の支配を受けぬのである。
sasaki_makoto 2011/01/26 08:54
また、アーレントが依拠したヘロドトスの記述でも
オタネスが語ったイソノミアが、柄谷氏の言うように
イオニアの事であったか明確でない。
吉本に関しては先日の東京堂での高澤秀次との対談で個人的にア
ドバイスを受けた話をしていた。死人をネタにはしたくないだろ
うから活字になるのはもう少ししてからだろう。
原発に関して言うと、柄谷はマルクス主義の看板を下ろしていないから、
反発する側も賛同する側も勘違いするという構図になっている。
アナーキーで自立分散的なオルタナティブ(太陽光発電等)をマル
クス主義は抑圧してきたから、柄谷をマルクス主義者だと考える人
は柄谷の狭義なマルクス主義的言説と脱原発とを結びつけることは
原理的に不可能なのだ。
ただし柄谷は数学的思考によって自立分散的システムを誰よりも
形式的に考えてきた思想家なので、脱原発の鍵は柄谷の非政治的
言説(セミラティス云々等)のなかにある、、、。
吉本に関して追記するとデビュー作トクヴィル版『畏怖する人間』
ですでに批判的言及がなされているとはいえ、『世界史の構造』
(第一部の素材が『共同幻想論』と同じだ)によってはじめて柄谷
は吉本(そしてヘーゲル)を越えたのではないかと思う。
NAMはマルクス主義の延命装置だった
柄谷は近代文学の延命装置をはずしたようにマルクス主義の延命主義をはずすべきだった
『群像』連載の「探究3」にプルードンについての考察はない
プルードンへの考察が加わりそれが『トランスクリティーク』になりNAMになった
だが『NAM原理』からはプルードンの記述はほとんどない(注釈以外は)
結果としてNAMはマルクス主義者の延命装置となり、そこでは自らの組織自体の自律性
は問われることがなかった
NAMはマルクス主義の延命装置だった
柄谷は近代文学の延命装置をはずしたようにマルクス主義の延命主義をはずすべきだった
『群像』連載の「探究3」にプルードンについての考察はない
プルードンへの考察が加わりそれが『トランスクリティーク』になりNAMになった
だが『NAM原理』からはプルードンの記述はほとんどない(注釈以外は)
結果としてNAMはマルクス主義者の延命装置となり、その自らの組織自体の自律性
が問われることがなかった
http://associationists.fc2web.com/yoji0001.html
構造図解説
表紙の構造図は理想像なので現実にはN**はその有機的構成を得るにはいたらなかった。N**は2002年に代表団が選挙+籤引きで再選出された後に、代表団それぞれがその代表する関心系、階層系、地域系を離れてしまったため、代表制が空転する事態となった(代表団は代表団を代表しているにすぎなかった)。
最大の問題は、事務局のあり方だが(構造図では斜めの黒い楕円となっている)、これは各ML(関心系、階層系、地域系)が代表を排出し、センター事務局(斜めの白い楕円)へ配属させるのと同じように、各ML(関心系、階層系、地域系)が代表の委託という形で、事務員を選出し、事務局MLに配属させるのが望ましかった。このやり方だと各ML内で予算の問題が議論できる。また、対価が発生するのは事務局に対してだが、このやり方だと掲示板ではなくMLを使った議論でも十分管理及び対応ができるはずである。事務局のストレスが溜まるのは、要するに自分の所属していないMLを管理することに対してであり、少なくともそのストレスは回避できる。欠点としては事務局員が多くなることだが、これは事務局長の任命権をセンターが持っていれば、心配いらない。また、このやり方だと地域による輪番制は、責任者及び、総会開催場所の輪番ということになる。
ちなみに構造図では、それぞれの所属「系」の中にセンター評議委員と事務局員という二つの中心が存在するため、各「系」は楕円となっている。
N**は議論の場を徐々にMLから掲示板へ移行するべきだったが、時期を逸した(或いはまだその過渡期にあると考えていい)。これには通信環境がまだ整っていなかった側面が原因としてある。今ならパスワードで会員のみ書き込み可能、または会員のみ読み込み可能などそれぞれの系によって適した選択できるだろう。これは対外的、対内的説明責任を考えた時にも必要不可欠なやり方だ。
またN**では地域系の重要性があまり認識されていなかったことが欠点として挙げられる。関心系が横断的組織(ユニオン)として全国をカバーしても、その結節点たる地域系がモデルとして数カ所でもいいから存在していなければ、関心系の持つ多様性は各個人にフィードバックされない。これは地域社会へのビジョンを疎かにしてきた左翼的思考の欠点を端的に示している。また逆に、関心系が横断的に存在しなければ、地域の組織(コーポラティブ)は共同性を帯びた閉じたものになってしまうのは言うまでもない(地域系は自律分散したモデルケースになるべきだろう)。
プロジェクトに関しては、いずれ別図で指し示すつもりだが、要するに、組織に隣接する無数の輪と考えていい。センターMLへの所属はチームの時点では義務だが、独立すればHPからのリンクと総会での説明責任を負うだけになる。ちなみにN**における無記名投票は人間に自由を、籤引きは平等をそれぞれ可能にするアイテムとして考えられる。
N**の総括
要するにN**は籤引きは成功したが、地域通貨には失敗した。その失敗は理論的なものだったが、のちにその運営部に転化されることとなった。ひとつのLETSが巨大化(多様化ならまだわかる)していく方向性は、LETSの特性から考えて現実的にあり得ない。複数のLETSの設立がめざされるべきだったろう。とはいえ全国式LETSのバックアップを唯一可能にする組織としてのN**の組織構造の画期的な部分が自覚されていないのは残念だ。
地域通貨のアポリアは、多様なコンテンツが集まりにくいということだが、N**にはその多様性を関心系が集め、地域が交換の場を組織するという形があり得たからである(これは市民通貨と地域通貨の共存に関しても有効な考え方だ)。だから交換の場の組織を考えた時、事務労働対価をLETS(無償信用と交換の両側面がある)の基軸にすえるのは間違った考え方ではない。
付記:構造図は、いずれ海外において外国語版N**が成立した時に明確になるだろう。
左翼にはアナキズムとマルクス主義が有る
柄谷はアナキズムに転向した
トラクリは基本的にはプルードン主義の書物
プルードン批判が書かれた世界史の構造でもマルクス主義は批判の対象だ
問題はプルードンが批判した弁証法を柄谷がまだ信じていることだ
ただこれは二項の交差に依る象限図の作成が弁証法の内在的刷新であるという
ことを考慮しなければならない
マルクスが復活するとしたらカレツキが試みた再生産表式の具体的な
再検討以外にはない
他は弁証法を引きずった詭弁だ
あ み だ く じ
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マ カ メ ア カ
ル ラ シ サ ン
ク タ ア ダ ト
ス ニ
下のフォームに必要事項を記入するだけで簡単にあみだくじが出来ます。
上のあみだくじがきちんと表示されないときは、フォントの設定を変更してみてください。
http://www.res.kutc.kansai-u.ac.jp/~murata/Labo/amida94/amida94.cgi
[716]あみだくじ改訂版 8/25(土)03:07 P↓
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イ カ メ ナ カ
ン ラ シ マ ン
テ タ ア ポ ト
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下のフォームに必要事項を記入するだけで簡単にあみだくじが出来ます。
(窓)(窓)http://www.res.kutc.kansai-u.ac.jp/~murata/Labo/amida94/amida94.cgi
プラトン国家
http://philosophy.csusb.edu/~tmoody/repub_06.htm.html
http://wen.org.cn/modules/article/view.article.php/2438
人文与社会 - 文章 - 赵京华:《柄谷行人文集》编译后记
赵京华:《柄谷行人文集》编译后记
人文与社会 提交 2011/03/09 阅读: 150
来源:《柄谷行人文集》
关键词: 赵京华 柄谷行人
柄谷行人(Kojin Karatani),1941年生于日本兵库县尼崎市。早年就读于东京大学经济学本科和英文科硕士课程。毕业后曾任教于日本国学院大学、法政大学和近畿大学,并长期担任美国耶鲁大学东亚系和哥伦比亚大学比较文学客座教授。2006年荣休。是享誉国际的日本当代著名理论批评家,至今已出版著述30余种。
作为日本后现代思想的主要倡导者和左翼马克思主义理论批评家,柄谷行人40余年来的文艺批评和理论实践,比较完整地反映了“后现代思想”发源于68革命,经过上世纪70、80年代的迅猛发展而于90年代逐步转向新的“知识左翼”批判的演进过程。特别是他倚重马克思的批判性思想又借用解构主义的思考理路和分析工具,从反思“现代性”的立场出发,对后现代思想的核心问题如“差异化”“他者”与“外部”等观念以及整个20世纪人文科学领域中的“形式化”倾向所做出的独特思考,大大地丰富了日本后现代批评的内涵。另一方面,他始终尊重和坚信马克思思想对于资本主义制度的批判价值和方法论意义,一贯致力于从各种不同的角度解读马克思的文本,从中获取不尽的思想资源。而他从1970年代侧重以解构主义方法颠覆各种体系化意识形态化的马克思主义,并重塑文本分析大师的马克思形象,到1990年代借助康德“整合性理念”和以他者为目的之伦理学而重返社会批判的马克思,并力图重建“共产主义”的道德形而上学理念,其发展变化本身既反映了他本人作为日本后现代主义批评家的独特思考路径,又体现出其与“西方马克思主义”之间存在着的共通性。2000年前后,柄谷行人积极倡导并正式组织起“新联合主义运动”(New Associationist Movement,一种抵抗资本与国家并追求“可能的共产主义”的市民运动),通过重新阐发马克思政治经济学批判中的价值形态理论,提出从消费领域而非生产领域来抵抗资本主义的斗争原理。这些新的尝试包括遇到的理论与实践难关,对于我们理解马克思的思想在当今的理论价值,思考全球化新帝国主义时代资本制度的内在结构和周期性的“信用”危机形态,激发人们超越和克服世界资本主义的理论想像力等方面,都具有重要的参考价值。
实际上,柄谷行人近年来在汉语读书界已受到比较广泛的关注,他本人与中国知识界的交流也早在10年前就开始了。1998年底,他借“中日知识共同体”对话会第一次造访北京,与汪晖等中国学人就亚洲、全球化和马克思主义观察视角等问题展开交流。也就是在这之后的2000年左右,我与柄谷行人先生取得联系,争得他的同意翻译其早期著作《日本现代文学的起源》。2003年,该书中文版由北京三联书店出版,如今包括第二次印刷已经印行近20000册。其中,有关现代文学“风景之发现”即认识论上的“颠倒”装置以及这个“文学”与民族国家制度建设同时发生并形成“共谋”关系等思考,得到中国学者和大学在校博士生的广泛征引,直接影响了中国现当代文学研究的阐释架构。2006年,大陆和台湾又不约而同地推出柄谷行人的另外两部著作。一是中央编译出版社的《马克思,其可能性的中心》(中田友美译),一是台湾商务印书馆的《迈向世界共和国》(墨科译)。前者与《日本现代文学的起源》一样属于柄谷行人1970年代的早期著作,而后者则是写于2006年反映了作者最新理论思考的书籍。可以说,作为具有世界视野和左翼批判倾向的日本著名理论批评家,柄谷行人在汉语学术界已经有了一定的知名度并正在扩大其影响。然而我们也注意到,汉语读书界对他的介绍和翻译有些偏于一端,其理论思考最为活跃也最为成熟的1980年代以后的主要著作还没有迻译过来。这使我产生了编译他的文集在大陆出版的念头。
2007年5月,应清华大学之邀柄谷行人再次访问北京,做题为“历史与反复”的讲演并与在京中国学者就“文学时代的终结”和“走向世界共和国”等话题进行了深入的讨论。这给文集编译出版的商谈提供了机会也促成他与中央编译出版社的一段美妙因缘。记得那天晚上,闻讯而来的时任中央编译社总编室主任的邢艳琦和策划编辑高立志两先生在万圣书园与柄谷行人会面,一面就《马克思,其可能性的中心》中文版因联系管道不畅未能获得事先授权做出说明以求得谅解,一面提出未来双方合作的意愿。柄谷行人在了解了事情原委之后,不仅开怀大笑欣然同意事后授权,而且在得知中央编译社乃中国以编印马恩全集闻名的一家老资格出版机构后,更愉快地答应今后多多合作。
这次计划编译的《柄谷行人文集》,依据的底本是素以刊行有利于“文化建设”的古典和进步知识界的学术著作而著称的日本出版业重镇――岩波书店2004年版《定本柄谷行人集》。作者从自己近30种著作中遴选并加以改写修订而结集出版的这个“定本”,可以视为其著述的自选决定版,具有高度的信赖性。全部共有5卷∶
第一卷《日本现代文学的起源》
第二卷《作为隐喻的建筑》
第三卷《跨越性批判――康德与马克思》
第四卷《民族与美学》
第五卷《历史与反复》
我从其中选出第二、第三和第五卷编成三卷本的中文版《柄谷行人文集》,其理由一如前面所述,主要是考虑到这三卷分别代表了柄谷行人1980年代、1990年代和新世纪以来的理论思考精髓与批评实践的主要业绩,与已经有了中译本的《日本现代文学的起源》等配合起来,可以给中国读者提供一个比较综合而经典的著作系列。
《作为隐喻的建筑》(中文版《柄谷行人文集》Ⅰ)初版于1983年,1992年刊行英文本和2003年编入《定本柄谷行人集》之际,作者都对其内容做了比较大的修订和改编。可以说,这是一部有关解构主义问题的理论著作,集中反映了1980年代身处后现代思潮旋涡之中的柄谷行人在日本语境下对“解构”问题的独特思考和理论贡献。所谓“日本语境”,即在作为非西方国家而没有形而上学传统并感觉不到“结构”体系之思想重压的日本,“解构”什么?如何在确认了解构的对象之后推动解构主义的发展并彰显其批判的功能?柄谷行人的战略是一人扮演“两重角色”∶先建构而后解构。他认为,“解构只有在彻底结构化之后才能成为可能”。因此,该书首先从古希腊以来西方哲学家强固的“对于建筑的意志”即构筑形而上学体系之欲望入手,考察20世纪人文和自然科学领域中普遍存在的“形式化”倾向,并透过逻辑学之罗素、哲学之胡塞尔、语言学之索绪尔、数学之哥德尔乃至人类文化学之列维·斯特劳斯等试图挣脱形而上学束缚却最终没有走出“形式化”逻辑,证实“形式主义”的革命不仅没能真正颠覆传统形而上学,反而使种种思想努力落入了“结构”的死胡同之中。那么,如何走出这个形式主义的深渊,怎样确立解构主义的理论基础和思想批判路径呢?在此,受到萨义德“世俗批评”的启发,柄谷行人转而从西方知识界找到另一个反体系反形而上学的思想家系列,通过对两个代表人物即维特根斯坦和马克思的创造性阐发,提炼出“相对的他者”和“社会性的外部”等重要概念,为解构主义批评乃至后现代思想建立了稳固的理论基础。这对日本知识界从根源上认识和理解发源于西方的作为批判理论的解构主义,做出了重要贡献。今天看来,《作为隐喻的建筑》无疑已然成为日本批评史上纪念碑式的作品。而作为同属于非西方国家的中国读者来说,该书的解构主义思考战略必定会有其参考价值的。除此之外,该书中还涉及到许多“建筑”本身包括城市开发设计的问题,正如柄谷行人在“中文版序言”中特意强调的那样,这对于思考正处在一浪高过一浪的毁灭性开发和重建之水深火热中的中国城市问题来说,也不无启发意义吧。
《跨越性批判――康德与马克思》(中文版《柄谷行人文集》Ⅱ)日文版初版于2001年,无论从理论深度还是从现实批判的意义上,都可以称之为柄谷行人迄今为止最主要的代表作,也是他历经10年思考而磨砺出来的“集大成”之作。我无法在此穷尽其详,只就其思考理路和主要观点略作介绍以供中国读者参考。首先,1990年代东西方冷战格局的解体和马克思主义所面临的从未有过的危机是柄谷行人重新思考马克思的起点。对于资本主义国家中的左翼知识分子来说,苏联东欧社会主义阵营的土崩瓦解不仅意味着作为实体的社会主义制度的消失,更意味着作为乌托邦理念的共产主义信仰的破灭。制度可以改变和另建,但作为理念即有关世界同时革命和人类解放的道德形而上学观念,共产主义是否可以重建?柄谷行人认为,不仅可以而且需要这种重建。其次,要重建共产主义的道德形而上学,就需要重新回到马克思思想本身并恢复其固有的批判精神――《资本论》之政治经济学批判。在此,柄谷行人引入康德并与马克思的著作对照阅读。与1980年代以来西方的“康德热”旨在重温资产阶级“市民社会”的理想设计蓝图不同,柄谷行人在康德那里看到了其“形而上学批判”背后对作为实践和道德命令之形而上学“重建”的意图以及追求扬弃民族国家之世界共和国的理想,这触发他以康德“整合性理念”而非“建构性理念”来理解“共产主义”,同时发现了康德和马克思的共通之处――始终坚持一种横向的跨越性批判。第三,在柄谷行人看来,作为道德形而上学理念的共产主义之所以破灭,主要是因为19世纪来世界社会主义运动逐渐偏离了将其视为乌托邦理念或者康德所谓“超越论假象”的方向,把生产领域的斗争和对抗国家的运动作为扬弃资本主义制度之革命的主要目标,结果是共产主义变成了“建构性理念”,革命成了建设现代民族国家的工具(社会主义制度建设是另一种形态的民族国家建构),而那个作为“整合性理念”的共产主义理想却灰飞烟灭。第四,深入钻研《资本论》柄谷行人发现,从商品到货币再到价值形态论乃至剩余价值理论,马克思严格从经济学角度出发揭示了资本自我增殖的过程和资本主义社会“货币神学”的形成,但我们从《资本论》中并不能直接推导出资本主义必然灭亡和无产阶级革命必然爆发的原理。重新恢复马克思的政治经济学批判,也便是要坚持从资本的逻辑出发分析资本主义社会及其生产关系和意识形态这样一种批判的立场,而对20世纪社会主义革命和制度建设的经验教训需要深刻反思。第五,马克思在世期间未能就国家问题提出完整的理论阐述,而重建共产主义道德形而上学坚持政治经济学批判的立场,需要今天的我们认真思考国家问题以弥补马克思的不足。柄谷行人一个重大的理论贡献是在深入研读马克思的基础上提出了资本-民族-国家三位一体说。他认为,分别基于不同的交换原理的资本、民族、国家在从封建社会向资本主义社会演进过程中逐渐联结成三环相扣的圆环,我们注意到民族与国家在近代的“结婚”(安德森),却忽略了之前国家与资本的结合。这个圆环异常坚固复杂,任何扬弃资本主义制度的革命如果只是针对其中的一项或两项都不能解决问题。因此,他提倡从消费领域抵抗资本自我增殖的“新联合主义”运动,同时强调“自上而下”来抑制国家并警惕民族主义泛滥的必要性,唯此方可期待“世界同时革命”的到来。当然,这第五点在本书中并没有充分展开,中国读者可以参阅台湾商务印书馆的中文版《迈向世界共和国》。
《历史与反复》(中文版《柄谷行人文集》Ⅲ)是作者为2004年岩波书店版《定本柄谷行人集》新编的一卷,大部分内容写于1989年前后,但重编之际做了全面的调整和改写并增添了新内容。实际上,是一部尝试运用马克思《路易·波拿巴的雾月十八日》的历史分析方法透视世界近代史,透过文学文本的解读来观察日本明治维新以来的近代化历程和思想话语空间的著作,反映了柄谷行人当前对马克思的最新探索以及对文学和历史的新思考。他认为,马克思的《路易·波拿巴的雾月十八日》并非对于法国当下历史事件的新闻记事性的著述,而是关于国家即政治过程的原理性阐释。如果说《资本论》是对于近代经济学的批判,那么《雾月十八日》则可以说是对近代政治学的批判。之所以能够达成这种原理性的“批判”,在于马克思对历史现象采取了“结构性”分析的方法,由此看到了历史的反复(重演)。于此,马克思形成了透过历史材料观察当今社会政治的历史主义视角和方法论,足以打开我们观察瞬息万变之世界趋势的视野和眼光。所谓“历史的反复”大概有以下几种情况,如马克思最早在《资本论》中分析经济危机的周期性循环采用了10年一个周期的短期波动说,这是一种结构性反复的类型。又如《雾月十八日》深刻阐发了1848年革命到波拿巴登上皇帝宝座的过程乃是对60年前拿破仑通过第一次法国大革命而当上皇帝的历史重演,这是另一个历史周期反复的类型。柄谷行人在该书中主要依据60年一个周期的反复模式,来观察世界近代史上1870年代进入帝国主义时代、1930年代转向法西斯主义和1990年代进入全球化新帝国主义时代的历史重叠现象,同时也考察了从“明治维新”(1870年代)到“昭和维新”(1930年代)再到“昭和时代的终结”(1989年)这一历史时间的巧合和诸多事件的惊人相似性,试图从中发现结构性反复的规律。不过,有意思的是,他在前不久写来的“中文版序言”中,又强调面对当今的世界金融危机自己感到60年一个周期的观点可能也有不适当的地方,可以再放开视野以120年为一个“反复”的周期来看当下的世界局势。不过依我看来,到底是采用10年、60年还是120年周期的历史分析单位并不特别重要,重要的是柄谷行人最初提出的这一观点∶历史的反复是存在的,但反复的并非事件而是结构。中国亦有历史循环一个甲子周而复始的说法,只要我们能够从柄谷行人的论述中体会到历史的复杂结构,并透过这种“结构”分析开阔我们观察当今世界的眼光和视野,就是有益的。
2008年5月的一天,我借短期访学日本之机于细雨蒙蒙中拜访了位于东京郊外南大泽一片茂密丛林旁的柄谷行人宅第,时隔一年的重逢让柄谷先生有些滔滔不绝,他讲起未来自己的著作计划和思考方向,谈到退休后在市公民馆开设免费讲座与听众热议“迈向世界共和国”的理念······。我印象中,已经67岁的柄谷先生思惟依然敏捷激情丝毫不减当年。当请求他为中文版文集作序时,他不仅满口答应而且坚持要三卷各写一篇序言,并热切期待中国读者能够接受他的思考和著作。在告别后回住所的路上,依然是细雨蒙蒙中,我遐想这位身处资本主义国度中的左翼马克思主义理论家,其思想的力量和信念是不是正在于他大胆地把共产主义作为“整合性理念”而化作心中的道德命令呢?在今天这个缺少理念和想像力的贫乏时代,我在感谢柄谷先生为中文版作序并提供各种翻译上的帮助同时,还想由衷表达我的一份敬意。
末了,我要特别感谢一起合作承担了《文集》第一卷《作为隐喻的建筑》和第三卷《历史与反复》翻译工作的两位译者,即老友王成和新朋应杰两先生。他们都在北京的高校工作教学任务十分繁重,为了《文集》的翻译不惜挤压自己宝贵如生命的时间,而且如约出色地完成任务,在统一译文的概念术语、格式体例方面相互切磋彼此配合,让我感到了未曾有过的协同作战的快乐。同时,也向中央编译出版社的社长助理邢艳琦和责编冯彰两先生对本《文集》出版的大力支持,表示深深的谢忱!
2009年4月13日
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动态 » 讲座与会议
柄谷行人:2012.9清华授课大纲
世界史の構造
人文与社会 提交者 7/23 11:54 阅读: 1611
摘要:应清华大学人文与社会科学高等研究所的邀请,日本著名理论家柄谷行人教授将于今年秋季在清华开设课程,课程内容以柄谷教授《世界史的构造》(中央编译出版社即将出版)为基础。
关键词: 柄谷行人
作者简介: 柄谷行人 からたに こうじん
1941年生,日本兵库县人。东京大学经济学部本科毕业,后获同大学英国文学专业硕士学位。日本现代三大文艺批评家之一,代表作《日本现代文学的起源》
世界历史的构造与中华帝国
本课程以柄谷行人教授的《世界史的构造》(岩波书店2010,中央编译出版社即将出版)为基础。马克思主要从经济基础的方面考察了社会构成体的历史。这也可以说是从"生产方式"(谁拥有生产手段)的角度来观察的。在这种情况下,国家和民族被视为观念上的上层建筑。但过往的研究没有充分说明前资本主义社会的状况,也未能说明为什么即使在资本主义社会,国家和民族也并非只要"生产方式"改变就会自动消解的观念性对象。结果,强调政治性、观念性的上层建筑之独立性的观念论成为占主导的理论倾向。针对这种状况,《世界史的构造》试图再次回到经济基础的视角来考察社会构成体的历史。不过,并非从"生产方式"而是从"交换样式"这一经济基础的角度来考察。
交换样式有四种类型。A.赠与和还礼的互酬交换;B.掠夺与再分配,或服从与稳定;C.商品交换;D.更高维度上对A的恢复。
一般只是把商品交换视为交换。实际上,A和B也是广义上的交换。例如,村落共同体主要建立在交换样式A的基础之上。其次,交换样式B表面上看似乎并非交换,但服从统治者而换来安全,这也是一种交换。国家的建立就是以这种交换样式B为基础的。与以上两种交换样式比较,交换样式C似乎是建立在个人自由的协议基础上似的,而实际上乃是货币所有者和商品所有者之间的一种交换,由此导致与B性质不同的阶级关系。而交换样式D乃是在更高维度上对交换样式A的恢复。它在历史上是以普世宗教的形式展现出来的。就是说,它是一种想像物,即使实际存在过也是短期的和局部性的。
无论哪种社会构成体,都是以四种交换样式之接合的形式存在的。但是,因其中一种交换样式成为占统治地位的,而呈现出不同来。在游动的狩猎采集社会中,生产物要汇聚起来并平等地实施再分配。这个阶段中,不存在互酬交换。定居下来之后,开始出现财富的积蓄和阶级分化的可能性。而抑制这种状态之出现的原理,即赠与和还礼的义务(交换样式A)。氏族社会主要是靠这一原理建构起来的。但是,这之外的交换样式也同时存在于氏族社会。比如,会有与外部的贸易和战争。就是说,交换样式B和C的契机是存在的。
其次,在国家社会中,交换样式B占统治地位。但同时,交换样式A和C依然存在。换言之,农村共同体和都市仍在发展。但是,它们终归是从属于国家,即占统治地位的交换样式B的。接下来到了资本制社会,交换样式C成为占统治地位的。而旧有的交换样式A和B还继续存在。只不过是以变形的形态存在着。结果,形成了资本-民族-国家这一接合体。最后,超越此前所有形态的社会(共产主义),乃是交换样式D占统治地位的社会构成体。
以上,是对一般社会构成体的考察。现实之中社会构成体并非单独的存在。而是存在于诸种社会构成体的关系,即世界体系之中的。因此,社会构成体的历史必须作为世界体系的历史来思考。这个世界历史可以分为四个阶段。第一,是微型世界体系。它依靠交换样式A而形成。第二,是世界-帝国。它基于交换样式B而形成。第三,是世界-经济。它基于商品交换样式C而形成。根据沃勒斯坦的说法,我们可以称之为"现代世界体系"。在此,资本-民族-国家成为普遍一般的。最后,还有一个超越上述一切的全新体系。这就是基于交换样式D的世界体系。康德称之为"世界共和国"的,就是指此。
本课程将在阐明这种世界体系如何变化的同时,考察未来怎样向新的世界体系转变的问题。进而,从以上世界史的角度重新思考中国和日本的历史。
课时计划(共8课)
1, 交换样式论
2, 微型世界体系
a. 定居革命
b. 赠与和巫术
3, 世界-帝国
a. 国家的起源
b. 货币的起源
c. 世界帝国
d.中心、边缘、半边缘
4, 普世宗教
a. 从巫术到宗教
b. 帝国与一神教
c. 希腊与希伯来
d.佛教、儒教、道教
5, 世界-经济、现代世界体系(1)
a. 现代国家
b. 产业资本
6, 现代世界体系(2)
c. 民族
d.联合主义
7, 世界资本主义的阶段与反复
走向世界共和国
柄谷行人:1941年生,日本兵库县人。东京大学经济学部本科毕业,后获同大学英国文学专业硕士学位。日本现代三大文艺批评家之一,代表作《日本现代文学的起源》
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《世界史的构造》序章
柄谷行人
1 马克思的黑格尔批判
今天的发达资本主义国家中,存在资本=民族=国家三位一体的系统。其结构为:首先有资本主义的市场经济。然而,如果放任自流,必然造成经济差距和阶级对立。对此,民族从追求共同性和平等性的目标出发,要求解决资本主义带来的诸多矛盾。于是,国家通过税收和再分配等规则实现这一课题。资本、民族和国家作为不同的东西,植根于各自不同的原理,但它们在此互补地结合在了一起,是缺一不可的博罗梅奥之环。
迄今为止,没有人把握住了这个构造。但某种意义上可以说,黑格尔的《法哲学》进行了这一尝试。不过,黑格尔将资本=民族=国家看成是最后的社会形态,没有考虑过对其的超越。虽然这么说,为了超越资本=民族=国家,首先要发现这一结构。因此,必须从对黑格尔《法哲学》的根本性批判(考察)开始。
青年马克思的知识活动开始于黑格尔法哲学批判。那时,相对于民族=国家置于无上地位的黑格尔体系,他将国家和民族作为观念的上层构造,将市民社会(资本主义经济)作为基础的下层构造。并且,他把这运用到整个世界史中。例如,马克思写道:
我所得到的、并且一经得到就用于指导我的研究工作的总的结果,可以简要地表述如下:人们在自己生活的社会生产中发生一定的、必然的、不以他们的意志为转移的关系,即同他们的物质生产力的一定发展阶段相适合的生产关系。这些生产关系的总和构成社会的经济结构,即有法律的和政治的上层建筑竖立其上并有一定的社会意识形式与之相适应的现实基础。物质生活的生产方式制约着整个社会生活、政治生活和精神生活的过程。不是人们的意识决定人们的存在,相反,是人们的社会存在决定人们的意识。……随着经济基础的变更,全部庞大的上层建筑也或慢或快地发生变革。在考察这些变革时,必须时刻把下面两者区别开来:一种是生产的经济条件方面所发生的物质的、可以用自然科学的精确性指明的变革,一种是人们借以意识到这个冲突并力求把它克服的那些法律的、政治的、宗教的、艺术的或哲学的,简言之,意识形态的形式。……大体说来,亚细亚的、古代的、封建的和现代资产阶级的生产方式可以看作是经济的社会形态演进的几个时代。资产阶级的生产关系是社会生产过程的最后一个对抗形式,这里所说的对抗,不是指个人的对抗,而是指从个人的社会生活条件中生长出来的对抗;但是,在资产阶级社会的胎胞里发展的生产力,同时又创造着解决这种对抗的物质条件。因此,人类社会的史前时期就以这种社会形态而告终。[1]
这种看法,被恩格斯之后的马克思主义者称为历史唯物论。问题在于,国家、民族被看成是跟艺术、哲学等相同的观念的上层构造。这样,批判了视国家为能动主体的黑格尔,而仅仅将国家看作市民社会规定的观念的对象。由此,首先产生了以下的想法:只要经济构造发生变化,国家和民族就会自动消亡。可是,这种想法忽视了国家和民族能动的主体性,给马克思主义带来了各种各样的挫折。一方面,将国家社会主义(斯大林主义)带进了马克思主义者之间,另一方面,导致了对抗马克思主义的国民社会主义(法西斯主义)的胜利。换言之,超克资本主义的运动,非但没有消解国家和民族,反而使其无比强大。
这一经验是马克思主义者的巨大教训。为此,他们开始重视上层结构的“相对自主性”。例如,以法兰克福学派为代表的马克思主义者引入了韦伯的社会学和弗洛伊德的精神分析等。当然,并没有因此抛弃经济的下层构造起决定的概念。实际上,没有考察经济的下层构造,只是将其束之高阁而已。[2]这种倾向跟文学、哲学及其他的自律性主张、跟所谓文本解释的“绝对不可能性”的主张联系在一起,成为了后现代主义的一个源泉。然而,这种所谓的“上层构造相对自主性”,其实只是归结为譬如国家和民族作为历史形成的表现的产物可以通过启蒙来消解这样的想法。这就没有看到国家和民族植根于某种下层构造,因此才具有能动的主体性。
以前,对资本主义以前的社会的研究中就有对历史唯物论的批判和质疑。经济的下层构造和政治的上层构造这种马克思主义的看法是建立在现代资本主义社会上的东西。因此,对资本主义以前的社会不那么适用。例如,原始社会(部族的共同体)本来就没有国家,并且不存在经济构造和政治构造的区分。就像马塞尔•毛斯指出的,这种社会的特征是互惠交互起决定作用。这在“生产方式”里难以说明。坚持生产方式这一概念的人类学家马歇尔•萨林斯提出“家族的生产方式”的概念,认为其具有过小生产(underproduction)的特征。[3]但是,过小生产毋宁说正是用互惠交互决定才能说明的东西。因此剩余生产物最终不是积蓄而是馈赠,必然会导致过小生产。
接着,“亚细亚生产方式”的情况下,国家机器(军队、官僚、警察机构等)不是经济的生产关系之上的东西。皇帝、王、支持其的官僚阶层和被支配者的政治关系本身就是经济的关系。那里没有经济构造和政治构造的区分。对于古典古代(希腊、罗马)也一样。用奴隶制生产方式难以说明它们固有的、不同于亚细亚国家的政治系统。因为正是为了确保市民的自由和平等,奴隶制才变得不可或缺。
由此,以经济的下层构造=生产方式为前提,无法说明资本主义以前的社会。不仅如此,它连资本主义经济都难以说明。资本主义经济本身是建基于“观念的上层构造”即货币和信用之上的巨大体系。为了说明这一点,马克思在《资本论》里不是从生产方式的层面,而是从商品交换的层面开始考察的。资本主义的生产方式即资本和工人的关系是通过货币和商品的关系(交换方式)组织起来的。并且,鼓吹历史唯物论的马克思主义者没有充分阅读《资本论》,只是反复“生产方式”这一概念而已。
因此,我们应该放弃“生产方式”=经济的下层构造的看法。但这并不是在一般的意义上放弃“”经济的下层构造。[4]可以说只是换掉生产方式,从交换方式出发。如果交换作为经济的概念,所有的交换方式就都是经济的东西。也就是说,从广义来看“经济的”,就算说“经济的下层构造”决定社会形态也没什么问题。例如,国家和民族源于各自不同的交换方式(经济的下层构造)。将它们从经济的下层构造中区别出来,看成是观念的上层构造就很奇怪。国家和民族不是仅仅通过启蒙就可以消解的,正因为它们植根于某种交换方式中。当然,它们也是观念论的形态。但这个情况即使对于植根于资本主义经济的商品交换也是一样的。资本主义系统非但不是“物质的”,而且是建基于信用之上的观念的世界。正因为这样,才包藏着接连不断的“恐慌”(危机)。
2 交换方式的类型
说到交换,立刻会联想到商品交换。只有在商品交换方式为主导资本主义社会,这才是理所当然的。可是,存在跟着不同类型的交换。第一,就是所谓的馈赠—回礼的互惠。人类学者马塞尔•毛斯认为,在未开化社会,食物、财产、女人、土地、侍奉、劳动、礼仪等各种东西馈赠和回礼的互惠系统中形成了社会形态。这并非未开化社会特有的东西,通常以各种各样的形态存在于共同体之中。但严格说来,这种交换方式A不是共同体内部的原理。
马克思反复强调,商品交换(交换方式C)始于共同体之间。“商品交换是在共同体的尽头,在它们与别的共同体或其成员接触的地方开始的”。[5] 尽管这里看到进行交换的是个人,实际上,个人是作为家族、部族的代表者这么干的。马克思强调这一点,是为了批判亚当•斯密,他从个人之间的交换来思考交换起源的的观点,不过是将现在的市场经济投影到过去的做法。同时,我们必须注意其他类型的交换也是发生在共同体之间的。即互惠是发生在共同体之间的。
这个意义上,必须将互惠从家庭内的共同保管(再分配)中区别出来。例如,若干家庭组成的狩猎采集营居群里,猎物全都被共同保管并平等地再分配。然而,这种共同保管=再分配是仅仅存在于家庭或若干家庭组成的营居群内部的原理。与此相对,互惠则发生在家庭和营居群与外部的家庭和营居群之间恒常的友好关系形成过程中。即通过互惠形成超越于家庭之上的集团。因此,互惠与其说是共同体的原理,不如说是层级性形成更大共同体的原理。
然后,交换方式B也发生在共同体之间。这始于一个共同体掠夺其他共同体之时。掠夺本身不是交换。但掠夺如何成为交换方式的呢?如果掠夺持续的话,统治的共同体就不能仅仅掠夺,必须有所给予对方。也就是说,统治的共同体要保护服从的被统治共同体免受其他侵略,通过灌溉等公共事业予以扶植。这就是国家的原型。马克斯•韦伯指出,国家的本质是暴力的独占。但并非意味着国家仅仅是建立在暴力之上的。国家通过禁止国家以外的暴力保护服从者免于暴力。也就是说,对被统治者而言,国家成立的时刻,意味着通过服从给予安全和安宁的一种交换。这是交换方式B。
这里需要提及,经济人类学家卡尔•波兰尼提出互惠和商品交换之外“再分配”。[6]他将再分配看作是从未开化社会到现代福利国家一以贯之存在的东西。可是,未开化社会的再分配和国家的再分配是不同的。例如,首长制社会中,各家庭可以说是通过首长来实现征税的。然而,这完全是经由互惠强制的共同保管。首长没有绝对权力。并且,在国家中,掠夺先于再分配。正是为了继续掠夺才进行再分配。从历史上看,国家的再分配以灌溉、社会福利、治安等公共政策的形式进行。结果,国家可以看作“公共的”权力。然而,国家(王权)不是作为部落社会首长制的延长而产生的。原本是建立在掠夺—再分配的交换方式B之上的。像波兰尼那样将再分配看成是所有社会同一的东西,就忽视了国家固有的层面。[7]
然后,第三种交换方式C即商品交换是建基于相互合意的东西。它是交换方式A和B,也就是经由馈赠受到限制,通过暴力强夺无法实现时成立的。也就是说,商品交换只有相互承认对方是自由的存在时才能成立。因此,商品交换发达的时候,它就会让各个个人从基于馈赠原理的一次共同体的限制中独立出来。都市就是由这种个人自发的联合形成而来的。当然,都市本身也作为二次的共同体限制其成员,但总是和一次共同体有所不同。
关于商品交换重要的在于,尽管其前提是相互的自由,并不意味相互的平等。虽然商品交换可以看成生产物和服务的直接交换,实际上,是作为货币和商品的交换进行的。这一情况下,货币和商品及其所有者的立场是不同的。马克思指出,货币具有“交换一切的权限”。货币所有者不用诉诸暴力的强制,就能取得他人的产品、驱使他人工作。因此,货币所有者和商品所有者或者债权者和债务者不是平等的。货币所有者通过商品交换实现货币的积累。这就是作为货币自我增殖活动的资本的活动。资本的积累不是通过对他人的物理的强制,而是通过基于同意的交换实现的。这依靠不同价值体系间交换所得的差额(剩余价值)而得以可能。当然,这会带来贫富差异。这样,商品交换方式C造成了与交换方式B造成的“身份”关系不同类别的“阶级”关系——虽然是渐渐相互连接在一起的。
加上这些,这里必须讨论交换方式D。不仅是交换方式B带来的对国家的否定,而是超越交换方式C中产生的阶级分裂,可以说是在更高层面上向交换方式A的回复。这是自由而相互的交换方式。不是前三种那样实际的存在,而是向被交换方式B和C压抑的互惠的契机之想象性回复的东西。并且,其最初是作为宗教的运动显现的。
关于交换方式的区别,我还要补充一点。关于“政治”,卡尔•施密特看作是相对独立而固有的领域,他说:道德的领域里,最终的区别是善与恶,美的领域里是美和丑,经济的领域里是利和害,譬如盈利或亏损。同样,政治领域里固有的最终区别就是敌和友的区别。但我认为,交换方式B也有固有的东西。并且,“政治”固有领域里,不得不说是从广义上经济的下层构造而来的。
顺便一提,道德。通常,道德的领域和经济的领域是分别来考察的。但是,这跟交换方式并非没有关系。例如,尼采说罪的意识来自于债务感。这是道德的、宗教的东西,却也表明了跟一定的生产方式有深刻联系。并且,把经济的下层构造看作交换方式而非生产方式,就能够从经济的下层构造来说明道德性。
以交换方式A(互惠)为例。在部落社会里,这是主导的交换方式。这里,没有财富和权力的独占。一旦国家社会即阶级社会诞生,这种契约就变成从属的了。交换方式B成了主导。进而,交换方式C也发展起来。交换方式C占支配地位,就是资本主义社会。但这个过程里,交换方式A遭到压抑,却没有消失。用弗洛伊德的话说,就是作为“压抑的重返”而回复。也就是交换方式D。交换方式D是交换方式A在高层次的回复。
交换方式D首先是在古代帝国的阶段作为超越交换方式B和C的东西展开的。同时,也是超越了仅仅支撑这种体制的传统共同体的束缚的东西。因此,交换方式D不是交换方式A的回归,而是对其否定,并在高层次回复的东西。明确显示了交换方式D的是基督教也好佛教也好,存在于普遍宗教创始期的共产主义的集团。之后,社会主义运动采取了宗教的形态。
十九世纪后半叶以后,社会主义的宗教色彩渐渐消失了。但重要的是,社会主义根本上是交换方式A在高层次的回复。例如,汉娜•阿伦特指出,评议会共产主义(苏维埃或)不是革命的传统和理论的结果,在任何时候任何地方,都“完全是自发的,每次都像从来没有过那样出现”。[10]自然发生的评议会共产主义表明交换方式A在高层次的回复。
交换方式D及其出现的社会形态可以称为诸如社会主义、共产主义、无政府主义、评议会共产主义、联合主义等等。因为这些概念里附着着历史中各种各样的意思,不管怎么称呼都会带来误解和混乱,我干脆称其为X,重要不是词语,而是要明白它处在什么样的位置。
综合以上,交换方式大致分为互惠、掠夺与再分配、商品交换和X四种。可以显示在图1的矩阵里。它由横轴的不平等/平等,纵轴的不自由/自由的区别构成。图2则是它们历史的派生状态资本、民族、国家和X的位置。
B掠夺与再分配
(支配与保护) A 互惠
(馈赠与回礼)
C 商品交换
(货币与商品) D X
图1 交换方式
B国家 A 民族
C 资本 D X
图2 现代社会形态
重要的是,实际的社会形态是作为这样的交换方式的复合存在的。历史的社会形态包括所有这些方式。不同在于哪个为主导。部落社会里互惠的交换方式占主导。但并不意味着B和C不存在。例如,经常发生战争和交易。只是B和C这样的契机被互惠原理所压抑了,没有转化为B占主导的社会,即国家社会。另一方面,即使在B占主导的社会,A也以其他形式存在着,例如农民共同体。而交换方式C也在发展,诸如都市。但资本主义以前的社会形态里,这些要素被国家在上面管理、统合。交换方式B占主导也是这个意思。
接着,交换方式C主导的当然就是资本主义社会了。马克思认为,资本主义社会形态是由“资本主义生产”的生产方式所决定的社会。但资本主义生产的特征是什么呢?不是分工与合作或机器的使用等“生产方式”。要说这种东西在奴隶制下也有可能。同时,资本主义生产不能消解为商品生产一般。奴隶制和农奴制也有商品生产,也是因此而发展起来的。资本主义生产跟奴隶制和农奴制的区别是“劳动力商品”的商品生产。奴隶制社会里人成为商品。不是人的商品化,人的“劳动力”商品化的社会,资本主义生产才得以可能。包括土地的商品化,没有渗透到社会全体就不会产生。因此,“资本主义生产”不是从生产方式,而是从交换方式来观察才能理解。
资本主义社会里,商品交换是占支配的交换方式。但其他交换方式及其派生物并没有因此消失。其他要素变形得存续下去,国家成为了现代国家、共同体成为了民族,总之,资本主义以前的社会形态随着商品交换方式成为主导,变形为了资本=民族=国家的结合体。只要这么考虑,就能够重新唯物论地把握黑格尔《法哲学》里三位一体的体系。进而可以思考如何对其扬弃。
马克思主义者将国家和民族看作意识形态的上层结构。然而,国家和民族具有无法还原为资本主义经济构造的自主性,因为那不是“具有相对独立性的意识形态上层结构”。因为它们植根于各自不同的经济的下层构造即不同的交换方式。马克思自己阐明的只是商品交换形成的世界。也就是《资本论》。但将其他交换方式形成的世界,即国家和民族塞进了框框里。他力图,考察不同交换方式各自形成的世界的同时,它们复杂的结合的社会形态的历史变迁,进而如何扬弃成为可能。
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What's the difference?:再投稿 : 関本洋司のブログ
用匿名的方式公表意見的人、在現実中不會興他人接触。ー般説来、
想要脱離匿名状態的欲望興政治結合的時候、有一個顕著的傾
向、就是容易産生排外的・歧視的運動;在政治上會出現法西斯主義。
但這是必然的事情、我們除了暫時容忍、没有別的辨法。 想要透過密名
的方式宣揚理念、是心行不通的。 人的「 主體」是由他身處的場合或結構
所形塑而成的。證據很明顯‥人一員離開匿名的状態、就合立刻改變他
的意見。
所以、日本之所以貢要示威活前、並不是為了要発動革命;但總而
言之、小威活前的存在是板重翌的一件事。不過、為了這個目標、我們
需要Association。
『柄谷行人談政治』柄谷行人 / 林暉鈞 / 心靈工坊文化 22011-7-4 180頁
http://book.douban.com/subject/6756119/
匿名で意見を述べる人は、現実に他人と接触しません。一般的にいって、
匿名状態で解放された欲望が政治と結びつくとき、排外的・差別的な運動
に傾くことに注意すべきです。だから、ここから出てくるのは、政治的に
はファシズムです。しかし、それは当たり前なのだから、ほうっておくほ
かない。2ちゃんねるで、人を説得しようなどとしてはいけない。場所あ
るいは構造が、主体をつくるのです。その証拠に、匿名でない状態におか
れると、人はただちに意見を変えます。
だから、日本では、デモは革命のために必要だというようなものではない。
とりあえず、デモが存在することが大事なのです。しかし、そのためには、
アソシエーションがなければならない。
柄谷行人『政治と思想』平凡社ライブラリー 151頁
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所形塑而成的。證據很明顯‥人一旦離開匿名的状態、就會立刻改變他
的意見。
所以、日本之所以貢要示威活動、並不是為了要發動革命;但總而
言之、示威活動的存在是很重要的一件事。不過、為了這個目標、我們
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哲学の起源
柄谷行人
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-024040
デモクラシーを超えてイソノミアへ
アテネのデモクラシー以前に、古代イオニアには自由ゆえに平等なイソノミア
(無支配)が実現していた。滅びゆくイソノミアを記憶し保持するものとして
イオニアの自然哲学を読み直し、アテネ=デモクラシー神話を解体する。
http://www.amazon.co.jp/dp/4000240404/
単行本: 256ページ
出版社: 岩波書店 (2012/11/16)
ISBN-10: 4000240404
ISBN-13: 978-4000240406
Amazon発売日: 2012/11/17
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http://www.psygarden.com.tw/book/book.php?func=visit&bookid=MjAxMTA0MjAxNDEzNTM=
倫理21
倫理21
作者: 柄谷行人
書系:All Type 004
定價:350元
頁數:248 頁
出版日期:2011 年 06 月 15 日
ISBN:978986-6112089
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子女犯罪,應該追究父母的責任嗎?
環境被污染,是誰該出面負責?是企業?是國家?還是你我?
面對無法控制的核災,面對尚未出生的孩子們,身為世界公民的我們,又該負起什麼樣的責任?
這些倫理(道德)問題,是21世紀人類最深層的精神問題,也是數千年來人類生存問題的核心之一。無數卓越的哲學家前仆後繼,也無法為它找出終極的根據或指標。日本當代思想家柄谷行人從社會時事切入,縱剖近代歷史,橫跨基督教、佛教、與西洋哲學,尋找倫理問題的答案。最後,他終於以康德的思想為軸,試圖為21世紀的人類,尋找個人心靈的依歸,以及世界和平之可能。作者提出,我們必須把「認識原因」和「追究責任」分開進行,否則永遠無法從歷史學到教訓。其次,他相信人類即使在不得已的情況下,依然有「決定自己行為的自由」,也因此應該為自己的行為負起責任。如果不認清這一點,就無法釐清善惡,人類的文明與生存便無法往前躍進。
從美國次級房貸引爆的全球金融危機,可以預見資本主義即將走到盡頭。但即使資本主義社會崩解,人類仍要繼續活下去。作者提出馬克斯的「可能實現的共產主義」,以對抗資本主義,為人類的未來社會擘畫新藍圖。
相關活動:7/22《倫理21》《柄谷行人談政治》雙書發表會
本書目錄:
前言
〔第一章〕慣於追究家長責任的日本社會的特殊性
「世間」這個實體不明的東西所具有的力量
円地文子的《沒有餐桌的家》中所描述的兩場鬥爭
〔第二章〕認識人類的攻擊性
精神分析不能直接應用在育兒與教育上
不論用多麼和平的方式養育,在多麼和平的環境下成長,人類的「攻擊性」也不會完全消失
〔第三章〕自由絕對不會從「自然」中產生
認識「決定人類行為的結構」
「作一個自由的主體」之義務與自由
〔第四章〕將自然的、社會的因果性置入括號之中
從「自由」的觀點來看道德性
如何負起「徹底認識原因」之責任
〔第五章〕從世界公民的角度來思考,才是真正「公眾的」
康德對於「私領域」與「公領域」的顛覆性看法
與抱持不同「共通感覺」的他者取得共識
〔第六章〕 只有用倫理的角度來看,宗教才值得肯定
世界宗教否定自由意志
五十步與百步,其差異之絕對性
〔第七章〕幸福主義(功利主義)裡沒有「自由」
憑藉幸福主義不能解決環境問題
「敬畏死者」這句話的意義
〔第八章〕責任的四種區別與其根本的形而上本質
實現康德理念之國際法
關於戰爭責任議題「哲學家」的欺瞞
〔第九章〕日本天皇對於戰爭應負的刑事責任
為什麼東京大審判沒有追究天皇的戰爭責任
天皇制度的結構與天皇的戰爭責任
〔第十章〕「非轉向」共產黨員之「政治責任」
丸山真男的共產黨批判
以現實的認知問題,來思考大戰時的轉向與非轉向
〔第十一章〕「已死的他者」和我們的關係
「歷史的重新認識」不可避免
〔第十二章〕我們對「尚未出生的他者」應負的倫理義務
以「可能實現的共產主義」對抗資本與國家
後記
相關活動訊息:
無
http://www.psygarden.com.tw/book/book.php?func=visit&bookid=MjAxMTA2MjcxMTEwMjM=
《柄谷行人談政治》
柄谷行人政治を語る
作者: 柄谷行人、小嵐九八郎
譯者:林暉鈞
書系:All Type PH005
定價:340元
頁數:208 頁
出版日期:2011 年 07 月 04 日
ISBN:9789866112126
特別推薦:盧郁佳、龔卓軍 聯合推薦
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柄谷行人,日本現代知識分子的前衛標竿。
他是下筆犀利的文藝評論家,跨越文學、經濟、歷史、哲學等多元領域;
他是後現代思想的主要宣導者,對全球權力結構有深入研究;
他是左翼批判理論家,不斷思索資本主義和馬克思主義的消長;
他更是革命行動的實踐者,從一九六○年就參與鬥爭行動,熱衷公共演說,
還曾籌組NAM運動,鼓勵成立各種小型共同體,與國家和資本對抗。
《柄谷行人談政治》以訪談形式,完整呈現柄谷行人的理念精華,
全書從日本六○年安保鬥爭、六八年熱血沸揚的抗爭運動談起,
一路談到他如何走上思想家之路,思索歷史的力量及其反覆性,
如何解析當前的國家資本主義、金融危機、九一一後的世局變化,
並倡議小區域個體的團結與對抗之道。
柄谷行人的前衛批判觀點,深具啟蒙意義。
我們每一個人,不管願不願意,都已站在世界洪流之中,
個體和社群如何產生力量,例如消費者用鈔票投票,對商品、企業行使罷免;
區域性的生產和消費可以團結互利,對抗大財團資本怪獸,
這些提案,都可為現代人提供一個對抗洪流的生活革命之道。
相關活動:7/22《倫理21》《柄谷行人談政治》雙書發表會
対幻想=性的な対象をめぐる記述とその思惟構造。
象徴的な共同体を個人の欲望を媒介に破壊する効果を持つ。
自己内幻想に自足しないがゆえに、現実界(ラカン)の範疇にあるとも言えるが、
国家及び共同体(ヘーゲル)に回収され、民族の存続に奉仕する生殖という体
制維持に加担する危険も合わせ持つ。
フレーゲによる一対一対応(ヒューム)の数学的再評価と呼応し得る。
63 :考える名無しさん :sage :2011/11/09(水) 23:37:34.17 P
>一対一対応(ヒューム)の数学的再評価
だから対現実と呼ぶべきなのだ。
吉本隆明のタームと柄谷行人の交換図
最近亡くなった吉本隆明のタームを柄谷行人の交換図に当てはめると、
第一図
共同幻想 |対幻想
_____|____ 平等 指示表出
個体幻想 | X
|
自由
自己表出
となる。
ただしこれだとアソシエーションが欠如しているので、(個体幻想をアソシエーションに転化する道を選ぶとして)以下のようになるべきだった。
第二図
共同幻想 |対幻想A
_____|____ 平等 指示表出
対幻想B |個体幻想
|
自由
自己表出
右下のアソシエーションは吉本自身が下町の思想職人として体現、自己表出したとも言えるが、そこには神格化の危険が伴う。
吉本の対幻想概念に第二図のようなA、Bの区別がないのは文学的なフロイト、マルクス主義を受け継いだからである(第一図にあるように吉本の対幻想は未分化で曖昧だったが、そこにこそ可能性もあったのだ)。
『共同幻想論』においては性的事象は国家に対するタブーとしてあくまで美学的な領域における侵犯として機能する。中上健次が『共同幻想論』を評価したのもそうした侵犯としてだが、中上には市場経済への視座もあった、、、、
交換C、市場経済の領域(対幻想概念B)においては花田との再生産表式をめぐる論争(http://yojiseki.exblog.jp/14944588/)を発展させる余地があったが、政治的なポジショントークに終始し、発展しなかった。
追記:
吉本が自己表出と指示表出を二律背反的に捉えたことも概念の発展を阻害した原因だった。
【コラム】日銀が金融緩和しても給料上がらず…"あり余る資金"どう民間に流すかが問題
http://news.mynavi.jp/column/urayomi/020/index.html
「(1)日本銀行→金融機関(緩和)
(2)金融機関→民間(貸出し) という2ステップが踏まれて初めて、我々の元に…」
だから、蛇口の大元を緩める金融緩和と並んで、地域の銀行に地域への融資を義務づけ
る地域再投資法(CRA)という二段構えの政策が必要になる。
財政出動するにしても的確な判断が政治家にも官僚にも出来ない。
だから国防以外は民間に任せるべき。
そこがポイント。
>>410
暴力団にはカタギの仕事をまわす
それがCRA
今の福岡県警のような純粋主義は、禁酒法と同じで逆効果
新自由主義には自立分散型のビジョンはない
安倍総裁は「国」よりも「郷」を大事にするべきだ
公共投資はソフトとハードを半々にするべき
ニューディールはそこだけが見習うべき点だった
麻生のアニメの殿堂もソフトがなかった
[459]11/8(木)02:17 juXT3cPPP(4)↓
ただ的確な公共投資を判断する能力は
官僚にも政治家にもない
近代化が完成した今、
もう時代が違うのだ
世界史の構造の左側は逆N状になっている
国家から資本を通ってネーションへ可能性が探られる
哲学の起源はU字状
右から左へ
最終的には反動化する
http://nam-students.blogspot.jp/2006/06/blog-post.html
NAMs出版プロジェクト: 『世界共和国へ』索引
<「無為自然」という考えは、交換様式Dを示唆しているといってよい(4)。>
<(4)このことはまた、老子がのちに道教の始祖とみなされた理由、そして、その道教が中国史において反国家的な社会運動の思想的源泉であり続けた理由を説明するものである。>
岩波『哲学の起源』15、219頁
2012.11.16
<マハヴィーラ(ジャイナ教開祖)>
同3頁
<諸子百家のなかに…公孫龍に代表される名家>
同14頁
http://ja.wikipedia.org/wiki/公孫竜
公孫竜は、古代中国の思想家。趙の人であり、生没年ははっきりしないが、おおよそ紀元前320年から紀元前250年の間に活躍した。 名家の代表的人物で、「白馬非馬説」が有名である。
初めて名前が登場するのが、燕の昭王に対して非戦を説いたときで、さらに趙の平原君の客となり、恵文王に対しては兼愛を説いたという。この二つは墨家の思想的特長である。
しかし、公孫竜が今日まで名を残しているのは、何といっても論理学の成果によるものである。 代表的なものが「白馬非馬説」で、「白とは色の概念であり、馬とは動物の概念である。であるから、この二つが結びついた白馬という概念は馬という概念とは異なる」という論である。 もう一つ有名なもの(時期的には白馬非馬説より前)が「白くて固い石は手で触っているときには白いということは解らず、目で見ているときには硬いということが解らない。すなわち、白いという概念と硬いという概念は両立しない」(堅白同異)という論である。 この二つの論は明らかに詭弁である。実際に陰陽家の鄒衍に「詭弁だ」と非難され、平原君の寵愛を失い、最後は憂死したという。
<紀元前六世紀ごろ、エゼキエルの代表される預言者>
同3頁
思想家年表(『哲学の起源』246頁:参照)
紀元前
八〇〇年 七〇〇年 六〇〇年 五〇〇年 四〇〇年 三〇〇年
ホ メ ロ ス
ヘ シ オ ド ス
タ レ ス
アナクシマンドロス
アナクシメネス
ピ タ ゴ ラ ス
ヘラクレイトス
バルメニデス
アナクサゴラス
エンペドクレス
ゼノン
プロタゴラス
ヘロドトス
ソクラテス
トゥキュディデス
ヒポクラテス
デモクリトス
プラトン
ディオゲネス
アリストテレス
エ ピ ク ロ ス
エレミア
エゼキル
ブ ッ ダ
マハヴィーラ
老 子
孔 子
墨 子
孟 子
公 孫 龍
韓非子
<紀元前六世紀ごろ、エゼキエルの代表される預言者>
同3頁
<マハヴィーラ(ジャイナ教開祖)>
同3頁
<諸子百家のなかに…公孫龍に代表される名家>
同14頁
<「無為自然」という考えは、交換様式Dを示唆しているといってよい(4)。>
<(4)このことはまた、老子がのちに道教の始祖とみなされた理由、そして、その道教が中国史において反国家的な社会運動の思想的源泉であり続けた理由を説明するものである。>
岩波『哲学の起源』15、219頁
2012.11.16
45ページ
870-930
ノルウェーからアイスランドへの移民
1262 デンマーク アイスランド征服 47ページ
1763 ポンティアック戦争 48ページ
エウリピデス イオン 220ページ(29ページ)
1262 デンマーク アイスランド征服 47ページ
ノルウェーの間違い
デンマークは1380以降
新潮版とは冒頭第一章がかなり違う
233頁(217頁)関連:
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012060300010.html?guid=on
ミシェル・フーコー講義集成13 真理の勇気 自己と他者の統治2 [著]ミシェル・フーコー - 柄谷行人(評論家) - 書評
■「真の生」開く哲学、ソクラテスに探る
本書はフーコー最晩年(1984年)の講義録であり、その主題は「パレーシア」である。それはギリシャ語で「真理を語る」という意味だ。真理を語るといっても、いろんなケースがある。真理を語ることによって、相手との関係が損なわれたり、自分の身が危うくなる場合がある。パレーシアとはそのような場において真理を語ることである。だから、パレーシアには「勇気」がいる。
なぜフーコーはこのことを考えるようになったのか。それは哲学の意味を問い直すためである。今日、哲学は知識を厳密に基礎づける仕事として存在している。それはプラトン以来の哲学がたどった道である。フーコーはそれに異議を唱える。哲学は「真の生」を開示するものであった、と彼はいいたいのだ。そして、彼は、「ソクラテス以前の哲学」に向かった同時代の傾向に反して、その手がかりをソクラテスに見いだそうとする。
ソクラテスがパレーシアの人であったことは疑いない。彼はそのために死刑に処されたのであるから。しかし、彼がパレーシアの勇気をもっていたといえる証拠は、民会(議会)や学校ではなく、広場(市場)で真理を語ったことにある。彼は誰彼となく問答をして相手を怒らせ、殴り蹴られる目に何度もあった。なぜ我慢するのかと訊(き)かれて、「ロバに蹴られて告訴するだろうか」と答えた。プラトンの書いた「対話」にこんなものはない。そこでは、“ソクラテス”はいつもスムーズに人々を真理に導く。つまり、哲学はアカデミア(学園)の教えであり、もっぱら知的なものである。
そのような伝統がソクラテスに由来することは否定できない。しかし、ソクラテスには別の側面がある。フーコーはそれを受け継ぐ者を、キュニコス派(犬儒派)のディオゲネスに見た。彼にはさまざまな伝説がある。彼を犬扱いした相手に、小便をかけてまわった。物乞いし、樽(たる)の中に住んだ。人前で自慰をした、等々。こうしたエピソードは、彼のスキャンダラスで戦闘的な言動がパレーシアであったことを物語っている。事実、プラトンは彼を「狂ったソクラテス」と呼んだ。
フーコーによれば、キュニコス主義は古典古代において嫌悪されながら重視され続けた。そして、それはやがて、キリスト教の修徳主義(ドミニコ会やフランシスコ会)に取り入れられた。つまり、パレーシアや哲学的な「生」は、哲学よりむしろ宗教のほうに残ったのである。その後も消えることはなかった。近代では、それは芸術家の生き方や「極左主義」というかたちをとったと、フーコーはいう。30年後の今日、それは消えてしまっただろうか。
◇
慎改康之訳、筑摩書房・6195円/Michel Foucault 1926〜84。フランスの哲学者・思想家。著書に『狂気の歴史』『性の歴史』など。本書はコレージュ・ド・フランスでの講義録(講座名は思考諸体系の歴史)の一部(邦訳は全13冊)。
7頁-9頁
神強制
http://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/20110607_1.html
立ち読み|新潮|新潮社
ウェーバーはこう述べている。《宗教的行為は「神礼拝(ゴツテスデイーンスト)」ではなくて、「神強制(ゴツテスツ【ワに濁点】ング)」であり、神への呼びかけは、祈り(ゲベート)ではなくて呪文である》(『宗教社会学』(「経済と社会」第2部・第5章)武藤一雄他訳、創文社p.35~6)。この意味で、脱呪術化は「神強制」の断念であり、それは、交換様式の観点から見ると、神と人間の互酬的関係の否定にほかならない。
五 |二
__|___
四 |一、三
159頁
ヘシオドス『神統記』
2,1
鉄の時代=3
3,4
ドルトンは相対原子質量(原子量)の表を出版した。最初の表には、水素、酸素、窒素、炭素、硫黄、リンという6種類の元素が掲載されており、水素原子の質量を1としている。この論文では、どうやってそれらの値に到達したのかは説明されていない。しかし、実験室のノートには1803年9月6日付け[4]で、同時代の化学者らによる水、アンモニア、二酸化炭素などの分析からそれら元素の相対原子質量を求めたことがわかった。
気体が全て原子から成ると確信したドルトンは、次に原子の相対的大きさ(直径)を求めるという問題に直面した。そして組み合わせは常に可能な限り単純なものになると仮定し、化学反応が異なる質量の粒子の組み合わせで起きるという考え方に到達した。この点が古代ギリシアのデモクリトスやルクレティウスの原子論と異なる点である[要出典]
この考え方を物質全般に拡張することで倍数比例の法則が導かれ、実験によってそれが正しいことを確認した[5]。「酸素はある量の窒素またはその倍の量の窒素を化合するが、その中間の量の窒素とは化合しない」という倍数比例の法則の元になったと思われる記述が1802年11月に発表した論文にあるが、この論文が実際に出版されたのは1805年であり、その間に加筆された可能性も否定できない。
1808年の著作 New System of Chemical Philosophy には2原子、3原子、4原子の分子などが化合物を表す最も単純な形態として一覧で描かれている。
彼は化合物の構造が整数比率で表されると仮定した。従って、元素Xの原子1個と元素Yの原子1個が結びついて2元化合物となり、元素Xの原子1個と元素Yの原子2個(またはその逆)が結びついて3元化合物になるとした。New System of Chemical Philosophy に示された化合物の構造は、現代の観点から見て正しいものもあれば、間違っているものもある。
ドルトンが A New System of Chemical Philosophy (1808) で描いた様々な原子や分子
彼は元素記号も発表したが、それは黒く塗りつぶされた丸が炭素を表す、といったようなものであったため広まりはしなかったものの、歴史的な意義はあった。New System of Chemical Philosophy ではその記号を使って元素や化合物を表している。
単行本は章番号が一つ少ない
雑誌:
|
第六章 |第三章、第一章
_____|_____
|第四章、第二章
第五章B|第五章A
単行本:
|
第五章 |第二章、序章
_____|_____
|第三章、第一章
第四章B|第四章A
柄谷行人が新著『哲学の起源』冒頭でちょうどバビロン捕囚について言及しています。
ちなみに、柄谷によれば、スピノザの人格神批判の原型はクセノファネスにあるそうです(同101-102頁参照)。
「しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/
あるいは手によって絵をかき/
人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/
馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/
それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう」
(クセノファネス断片15)
「もし三角形が話す能力を持つとしたら、三角形は同様に、神は優越的に三角形
であると言うでしょうし、また円は円で、神的本性は優越的意味において円形で
あると言うでしょう。そして、このようにして各人は、自己の諸属性を神に帰し、
自己を神と類似のものとし、その他のものは彼には醜く思われるでありましょう。」
(書簡56、スピノザからボクセルへ、『スピノザ書簡集』岩波文庫261頁より)
思想家年表(『哲学の起源』246頁:参照)
紀元前
八〇〇年 七〇〇年 六〇〇年 五〇〇年 四〇〇年 三〇〇年
ホ メ ロ ス
ヘ シ オ ド ス
タ レ ス
アナクシマンドロス
アナクシメネス
ピ タ ゴ ラ ス
クセノファネス
ヘラクレイトス
バルメニデス
アナクサゴラス
エンペドクレス
ゼノン
プロタゴラス
ヘロドトス
ソクラテス
トゥキュディデス
ヒポクラテス
デモクリトス
プラトン
ディオゲネス
アリストテレス
エ ピ ク ロ ス
エレミア
エゼキル
ブ ッ ダ
マハヴィーラ
老 子
孔 子
墨 子
孟 子
公 孫 龍
韓非子
http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post_07.html
NAMs出版プロジェクト: 四体液説
http://nam-students.blogspot.com/2011/10/blog-post_18.html
(『哲学の起源』と『世界史の構造』の構造:メモ及び目次 )より抜粋
_________哲学の起源_________
| | | | |
|ペロポネ | |トロイア |ホメロス |
|ソス戦争 | プラトン| 戦争 |ヘシオドス|
|___ステート____|___ネーション___|
|アリストテレス | | |
レウキッポス|ソクラテス| | |
デモクリトス| ストア派| | タレス |
ディオゲネス|_古代ギリシア哲学__|_____|
| | アナクシマンドロス |
|ペルシア戦争 アナクシメネス | ピタゴラス
|ヘロドトス| クセノファネス | |
|___キャピタル___|__アソシエーション_|
| | イオニアの反乱 ヘラクレイトス
黒 粘液 多| パルメニデス|冷 水 湿|
胆 + 血|アナクサゴラス ゼノン|土 + 空気
汁_黄胆汁_|_____|_____|乾 火 熱|
ヒポクラテス エンペドクレス
四体液説 四大元素
四体液説では、血液が多い人は楽天的、粘液が多い人は鈍重、黒胆汁が多い人は憂鬱(メランコリーの語源は黒胆汁である)、黄胆汁が多い人は気むずかしい気質を持つとされる。血液循環説を否定しているので現代医学からは評価されないが、その知の体系化は評価されていい。
(「哲学の起源」に四体液説の記述はない。ただし定本第一巻150頁にはヒポクラテスに関する記述がある。)
「ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心(ママ)の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなさ
れている。そして、病気を癒すのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはあ
る意味で東洋医学の原理である。」(定本『日本近代文学の起源』150頁より)
http://yojiseki.exblog.jp/9064801
ライプニッツと四大元素:メモ
アリストテレス
火
____/||\____
|乾 _//||\\_ 熱|
||\\/ || \//||
||/\\ || //\||
|// \\||// \\|
/____\||/____\
土 _____ _____ 空気
\\ /||\ //
|\\ //||\\ //|
||\\/ || \\/||
||/\\_||_/\\||
|冷__\\||//__湿|
\||/
水
火(IGNIS)
siccus =乾 calidus=熱
土(TERRA) 空気(AER)
frigida =冷 humida=湿
水(AQVA)
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52057772.html
【動画】-人間は洞窟にとらわれた囚人である-プラトンの洞窟の世界観をクレイアニメで表現したショートフィルム : カラパイア
洞窟の比喩はプラトンの著書『国家』第7巻に記述されている。(wikipedia)
(514A-515A) ……地下の洞窟に住んでいる人々を想像してみよう。明かりに向かって洞窟の幅いっぱいの通路が入口まで達している。人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない。入口のはるか上方に火が燃えていて、人々をうしろから照らしている。火と人々のあいだに道があり、道に沿って低い壁が作られている。……壁に沿って、いろんな種類の道具、木や石などで作られた人間や動物の像が、壁の上に差し上げられながら運ばれていく。運んでいく人々のなかには、声を出すものもいれば、黙っているものもいる。……
洞窟に住む縛められた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考えていたのだ。
そしてプラトンは、アリストテレスにこう言った。「私たちは何も知らなさすぎる。私たちは、その洞窟を抜け出して太陽を見なければならない。太陽というものは真実なのだ。そして、太陽を見ようをもがき、考えることを"哲学する"というのだ」と。
http://yojiseki.exblog.jp/10632864/
洞窟と映画
isonomy については ポパー『開かれた社会とその敵1』邦訳103−4、272−4参照
3つの要求に関しては104頁
http://books.google.co.jp/books?id=v-yrLmQNRvsC&pg=PA93#v=onepage&q&f=false
p93-4
本文isonomy
isonomy については ポパー『開かれた社会とその敵1』邦訳103−4、272−4参照
1:6:3
3つの要求に関しては104頁
63頁
ミレトスのヘカタイオスwiki
ミレトスのヘカタイオス
Ἑκαταῖος
誕生 紀元前550年頃
死没 紀元前476年頃
職業 著作家、歴史家、神話学者
テンプレートを表示
ミレトスのヘカタイオス(ギリシャ語:Ἑκαταῖος, Hekataïos, 紀元前550年頃 - 紀元前476年頃)は、古代ギリシアの著作家、歴史家、神話学者。
目次 [非表示]
1 生涯
2 作品
3 懐疑主義
4 参考文献
5 脚注
6 外部リンク
生涯 [編集]
ヘカタイオスは富裕な家に生まれた。名前はギリシア神話の女神ヘカテーにちなんでつけられた。全盛期はペルシア戦争の頃である。広範囲にわたって旅した後、生まれ故郷のミレトスに定住した。高い地位に就き、神話学や歴史の本の執筆に専念した。アリスタゴラスがミレトスの僭主として、ペルシアに対してイオニアの反乱を計画した時、ヘカタイオスは説得してやめさせようとした[1]。紀元前494年、敗北したイオニア諸都市がいろいろな条件を要求された時には、ヘカタイオスは大使の一人としてペルシアのサトラップ、アルタフェルネスのところに行き、イオニア諸都市の国体の復活を説得した[2]。ヘカタイオスはギリシアで最初の歴史家とも言われ[3]、ケルト人について言及した最初期の著作家の1人でもある。
作品 [編集]
ヘカタイオスの世界地図の復元(著作:Bibi Saint-Pol)
2巻から成る『Ges Periodos(地球を回る旅、世界概観)』と題された本をヘカタイオスの作とする意見がある。どちらの巻もペリプルスの形式で書かれていて、沿岸を点々に眺めたものである。1巻はヨーロッパについてのもので基本的に地中海の周航記である。スキタイの北まで各地域を順番に記述している。もう1巻はアジアについてで、1世紀の周航記『エリュトゥラー海案内記』と似た構成になっている。ヘカタイオスは既知の世界の国々とそこに住む住人を記述している。エジプトについてはとくに広範囲に及んでいる。解説にはアナクシマンドロスの世界地図を修正・拡大した地図がついている。この本は374の断片が現存している。ビザンティウムのステファヌス編纂の地理用語集『Ethnika』にも多数引用されている。
ヘカタイオスの作品で他に知られているものは、ギリシア神話や伝説を合理的に体系化した『Genealogiai(系譜)』がある。これは叙事詩的な神話作りの伝統を捨てたもので、2、3の断片の中に残っている。
懐疑主義 [編集]
ヘカタイオスの著作、とくに『Genealogiai』は顕著な懐疑主義を示している。『Genealogiai』は次の言葉で始まる。「ミレトスのヘカタイオスはかく語りき。私は真実と思うことを書く。ギリシア人の話は多種多様で、私にはばかげたものに思われる」[4]。しかし、同時代のクセノパネスと違って、ヘカタイオスは神話を批判しなかった。ヘカタイオスの疑問はむしろ、旅で知った神話の多くの矛盾から生じたものだった。
ヘカタイオスはホメーロスなど詩人たちの信頼性は認めるものの、神話と歴史的事実とは区別して、散文による歴史を書こうとした最初のロゴグラポスであったと思われる。
ところで、同じように散文で歴史を書いたヘロドトスは、古代エジプトのテーベの神殿を訪ねた時、エジプトの祭司たちから、神殿内の広間にあった歴代の祭司長の木像を見せられた。ヘロドトスは、ヘカタイオスが自分の系譜を調べたら16代目で神に辿り着いたと言ったことを思いだし、エジプトの祭司たちにそう話すと、エジプト人たちはそんなことはありえないと否定する。なぜなら自分たちは神から数えて345世代目だからと言う[5]。この話はヘカタイオスの懐疑主義とは関係ないが、ギリシア人の神話化された歴史が、ミケーネ誕生前(紀元前2000年頃)からあった文明の歴史を途方もなく短く縮めていることを示すものである[6]。
参考文献 [編集]
この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed (1911).Encyclopædia Britannica (11 ed.). Cambridge University Press.
ヘロドトス『歴史』(松平千秋・訳。岩波文庫)
脚注 [編集]
^ ヘロドトス『歴史』v.36, 125
^ シケリアのディオドロス『歴史叢書』10.25
^ Lamberg-Karlovsky, C. C. and Jeremy A. Sabloff (1979). Ancient Civilizations: The Near East and Mesoamerica. Benjamin/Cummings Publishing. pp. p. 5.
^ The History of History; Shotwell, James T. (NY, Columbia University Press, 1939) p. 172
^ ヘロドトス『歴史』ii.143
^ Ibid., pp. 172–173; also The Ancient Greek Historians; Bury, John Bagnell (NY, Dover Publications, 1958), pp. 14, 48
外部リンク [編集]
Livius, Hecataeus of Miletus by Jona Lendering
Iranica: detailed article on Hecataeus of Miletus, bibliography
1831 edition of Hecateus' fragments from Google Books
日本现代文学的起源
柄谷行人 / 赵京华 / 生活・读书・新知三联书店 / 2006-8 / 18.00元
8.8(243人评价)
跨越性批判 : 康德与马克思
【日本】柄谷行人 / 赵京华 / 中央编译出版社 / 2011-1 / 49.00元
7.8(14人评价)
作为隐喻的建筑
【日本】柄谷行人 / 应杰 / 中央编译出版社 / 2011-1 / 39.00元
7.5(42人评价)
历史与反复
【日本】柄谷行人 / 王成 / 中央编译出版社 / 2011-1 / 42.00元
7.3(20人评价)
马克思,其可能性的中心
柄谷行人 / 中田友美 / 中央编译出版社 / 2006-7-1 / 19.80元
8.7(16人评价)
柄谷行人談政治
柄谷行人 政治を語る
柄谷行人 / 林暉鈞 / 心靈工坊 / 2011-7-4 / NT$340
(少于10人评价)
book-douban
日本现代文学的起源
柄谷行人 / 赵京华 / 生活・读书・新知三联书店 / 2006-8 / 18.00元
跨越性批判 : 康德与马克思
/ 赵京华 / 中央编译出版社 / 2011-1 / 49.00元
作为隐喻的建筑
/ 应杰 / 中央编译出版社 / 2011-1 / 39.00元
历史与反复
/ 王成 / 中央编译出版社 / 2011-1 / 42.00元
马克思,其可能性的中心
柄谷行人 / 中田友美 / 中央编译出版社 / 2006-7-1 / 19.80元
柄谷行人談政治
柄谷行人 / 林暉鈞 / 心靈工坊 / 2011-7-4 / NT$340
http://wen.org.cn/modules/news/view.article.php/231
柄谷行人:2012.9清华授课大纲
http://wen.org.cn/modules/news/view.article.php/a234
清华大学人文与社会系列讲座
http://wen.org.cn/modules/article/view.article.php/2438
人文与社会 - 文章 - 赵京华:《柄谷行人文集》编译后记
http://www.douban.com/group/topic/32500365/
柄谷行人《世界史的构造》的“序章”部分,当时只...
Open Society and Its Enemies, Volume 1: The Spell of Plato
Open Society and Its Enemies, Volume 1: The Spell of Plato
著者: Karl R. Popper,Sir Karl Raimund Popper
161頁
ジョン・ドルトンwiki
ジョン・ドルトン(John Dalton, 1766年9月6日 - 1844年7月27日)は、イギリスの化学者、物理学者ならびに気象学者。原子説を提唱したことで知られる。また、自分自身と親族の色覚を研究し、自らが先天色覚異常であることを発見したことによって、ドルトニズムの語源となった。
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柄谷行人のように国家を交換様式の一つとして捉えるべきだろう
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| 資本 | アソシエーション |
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自 由
単行本はプラトン国家引用箇所が増えた
5,6,7巻特に6
http://philos.fc2web.com/plato/politeia.html
哲人政治論
───プラトン著 藤沢令夫訳『国家(上)』岩波文庫青601-7──────
「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり」(とぼくは言った、)「あるいは、)現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、すなわち、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり、(親愛なるグラウコンよ、)国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは思う。……
──────────P405(ステファヌス版473D)より引用─────5巻18──
哲学の起源214頁
http://blog.goo.ne.jp/dreamct-1/e/daf9ef1ff04e384ed034fbbbb13f1d18
『国家−上・下』プラトン著(岩波文庫)を読んで-gooブログ
・ その国において支配者となるべき人たちが、支配権力を積極的に求めることの最も少ない人間であるような国家、
(そういう国家こそが、最もよく、内部的な抗争の最も少ない状態で治まる。)
下109
7巻5
哲学の起源214頁
http://web.ias.tokushima-u.ac.jp/shin-kokusai/philosophy/2012/20120511shiryo
pdf
2. 哲学的問答法(ディアレクティケー)とは:
a.「すなわちそれは、理(ことわり、logos)がそれ自身で、問答(対話)の力によって把握す るところのものであって、この場合、理はさまざまの仮設(ヒュポテシス)を絶対的始原とする ことなく、文字どおり〈下に(ヒュポ)置かれたもの(テシス)〉となし、いわば踏み台として、 また躍動のための拠り所として取り扱いつつ、それによってついに、もはや仮設ではないものに まで至り、万有の始原に到達することになる。そしていったんその始原を把握したうえで、こん どは逆に、始原に連絡し続くものをつぎつぎと触れたどりながら、最後の結末に至るまで下降し て行く…」(『国家』VI.511B)
哲学の起源230頁
柄谷哲学の起源単行本はプラトン国家引用箇所が増えた
5,6,7巻特に6
10の引用はカットされた
http://philos.fc2web.com/plato/politeia.html
哲人政治論
───プラトン著 藤沢令夫訳『国家(上)』岩波文庫青601-7──────
「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり」(とぼくは言った、)「あるいは、)現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、すなわち、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり、(親愛なるグラウコンよ、)国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは思う。……
──────────P405(ステファヌス版473D)より引用─────5巻18
哲学の起源214頁
http://blog.goo.ne.jp/dreamct-1/e/daf9ef1ff04e384ed034fbbbb13f1d18
『国家−上・下』プラトン著(岩波文庫)を読んで-gooブログ
・ その国において支配者となるべき人たちが、支配権力を積極的に求めることの最も少ない人間であるような国家、
(そういう国家こそが、最もよく、内部的な抗争の最も少ない状態で治まる。)
下109
7巻5
哲学の起源214頁
http://web.ias.tokushima-u.ac.jp/shin-kokusai/philosophy/2012/20120511shiryo
pdf
a.「すなわちそれは、理(ことわり、logos)がそれ自身で、問答(対話)の力によって把握す るところのものであって、この場合、理はさまざまの仮設(ヒュポテシス)を絶対的始原とする ことなく、文字どおり〈下に(ヒュポ)置かれたもの(テシス)〉となし、いわば踏み台として、 また躍動のための拠り所として取り扱いつつ、それによってついに、もはや仮設ではないものに まで至り、万有の始原に到達することになる。そしていったんその始原を把握したうえで、こん どは逆に、始原に連絡し続くものをつぎつぎと触れたどりながら、最後の結末に至るまで下降し て行く…」(『国家』VI.511B)
哲学の起源230頁
129頁
"@ty_ys: ヒルシュベルガーの哲学史には、「私は馬を見るが、馬のイデアは見ない」といったアンティステネスにプラトンが「それはあなたが眼をもっていても理性をもたないからだ」と答えたと紹介されているが、熊野純彦の哲学史には同じエピソードの机バージョンをディオゲネスのものとして紹介してる。"
http://homepage2.nifty.com/eleutherion/lecture/politeia2004/node14.html
哲学者の定義と哲学のための弁明
区別のための原理的基準である「原因(根拠)の思考」ということの,このよ うな実際の内容を見るならば,『メノン』における知識と正しい思わくとの区 別は,区別それ自体は強調されてはいるけれども,しかしその実態はなお一種 ゆるやかな差異にとどまっているといわなければならないであろう。両者の区 別がそのまま,感覚的経験の世界とイデア界という,対象そのものの厳しい区 別に直結する明確なイデア論の思想のもとでは,思わくから知識への移行は, 苦難にみちた精神の飛躍と転換によってはじめて可能となるような,同じく厳 しいものであることが強調されるからである。それと対比するかぎり,『メノ ン』において右のように語られるその移行---想起---は,「忽然として」と 形容されるような非連続的なものであるよりは,むしろ,「つぎつぎと」と語 られるような連続性を印象づけられる。
次にイデア論に基づいて哲学者と他の様々な美の愛好者とが区別される。
美の愛好者 哲学者
対象 様々の美しいもの 美そのもの
精神の状態 夢を見ている 覚醒している
精神状態の正しい呼び名 思わく 知識
476D その当人
ここでプラトンはアンティステネス13を念頭に置いていると考えられている。 アンティステネスはプラトンのイデアを批判してこう言ったと伝えられてい る。
「プラトンよ,わたしは馬は見るが,馬性は見ない。さらにこう言った。 君は馬を見る眼は持っているが,馬性を見るものを君は今までに決して持っ たことはないのだ。」(シンプリキオス『アリストテレス範疇論註解』 208.30-32.)
注意しなければならないのは,プラトンがここでアンティステネスを念頭に置 いているとしても,彼だけのことを言っているのではなく,彼の中に見られる 人間の類型を個人として描いているだけだということである。
、、、、、、、、、、、、美の愛好者、、、、哲学者
対象、、、、、、、、、、様々の美しいもの、美そのもの
精神の状態、、、、、、、夢を見ている、、、覚醒している
精神状態の正しい呼び名、思わく、、、、、、知識
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-195.html
しかしアリストテレスは、プラトンの考えは、本末転倒であると考えました。
馬のイデアというのは、私たち人間が、実際の多くの馬を見ていく中で、その共通性を見て作り上げた概念に過ぎない。
だから、そのような経験に先立つ、馬のイデアとか型が先に存在する訳ではない、というのです。
生まれてから一度も馬を見たことのない人が、急に馬の実物を見せられても、それが馬だとか、何であるかは解るわけがありません。
柄谷哲学の起源単行本はプラトン国家引用箇所が増えた
5,6,7巻特に6
10の引用はカットされた
http://philos.fc2web.com/plato/politeia.html
哲人政治論
───プラトン著 藤沢令夫訳『国家(上)』岩波文庫青601-7──────
「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり」(とぼくは言った、)「あるいは、)現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、すなわち、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり、(親愛なるグラウコンよ、)国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは思う。……
──────────P405(ステファヌス版473D)より引用─────5巻18
哲学の起源214頁
http://blog.goo.ne.jp/dreamct-1/e/daf9ef1ff04e384ed034fbbbb13f1d18
『国家−上・下』プラトン著(岩波文庫)を読んで-gooブログ
・ その国において支配者となるべき人たちが、支配権力を積極的に求めることの最も少ない人間であるような国家、
(そういう国家こそが、最もよく、内部的な抗争の最も少ない状態で治まる。)
下109
7巻5
哲学の起源214頁
http://web.ias.tokushima-u.ac.jp/shin-kokusai/philosophy/2012/20120511shiryo
pdf
a.「すなわちそれは、理(ことわり、logos)がそれ自身で、問答(対話)の力によって把握す るところのものであって、この場合、理はさまざまの仮設(ヒュポテシス)を絶対的始原とする ことなく、文字どおり〈下に(ヒュポ)置かれたもの(テシス)〉となし、いわば踏み台として、 また躍動のための拠り所として取り扱いつつ、それによってついに、もはや仮設ではないものに まで至り、万有の始原に到達することになる。そしていったんその始原を把握したうえで、こん どは逆に、始原に連絡し続くものをつぎつぎと触れたどりながら、最後の結末に至るまで下降し て行く…」(『国家』VI.511B) 6:21
哲学の起源230頁
6:6
6:12
http://homepage2.nifty.com/eleutherion/lecture/politeia2004/politeia2004.html
道新文化センター2004年度
「プラトン『国家』を読む」資料
http://www.amazon.co.jp/dp/4876981345/ref=pd_sim_b_3
Amazon.co.jp: 初期ストア派断片集〈2〉 (西洋古典叢書): クリュシッポス, 水落 健治, 山口 義久: 本
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mochi_space/ancient_philosophy/stoics/stoics.html
古代ギリシア哲学 ストア派
(図多数)
つまり、ストア派における「基体」は「自然」を内包していない状態のものということになりますが、2-3で主張したように、ストア派においてはこの「自然」と「基体」の区別はあくまで概念上の区別であり、存在者としての立場を認められているものは「自然」と「基体」が結びついている「自然を内在しているもの」、すなわち、「物体」のみでした。
ですから、この一番目のカテゴリーとしてストア派が提示している「基体」というのも、それは存在として認められているわけではなく、あくまで、存在者である「物体」を概念として厳密に規定するために用意したものと考えるべきでしょう。
2-4-2、性質的形容
次に「性質的形容」についてみてみましょう。例によって、以下の資料を見て下さい。
『初期ストア派断片集2』三九五(シンプリキオス『アリストテレス「魂について」注解』二一七-二一八)
具体的なものの場合にも、[質料と]統一された形相があるなら、ストア派の人々の間では、性質的形容は固有の仕方ではそれに基づいて語られ、それがまた、一挙につけ加わったりまた離れたりして、具体的なものの全寿命を通じて同じものとして存続するのだが、他の諸部分は時によって生じたり滅んだりする。
http://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=DTWttRSMtbYC&q=township#v=onepage&q=townships&f=false
Notes on the State of Virginia - Thomas Jefferson - Google ブックス
ヴァジニア覚え書
単行本はプラトン国家からの引用箇所が増えた
ポパーのプラトン批判に似てきた
マルクス批判にはいかないだろうが
50?
http://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=DTWttRSMtbYC&q=township#v=onepage&q=townships&f=false
Notes on the State of Virginia - Thomas Jefferson - Google ブックス
ヴァジニア覚え書
http://en.wikipedia.org/wiki/Antisthenes
Antisthenes - Wikipedia, the free encyclopedia
Logic
In logic, Antisthenes was troubled by the problem of universals. As a proper nominalist, he held that definition and predication are either false or tautological, since we can only say that every individual is what it is, and can give no more than a description of its qualities, e. g. that silver is like tin in colour.[21] Thus he disbelieved the Platonic system of Ideas. "A horse," said Antisthenes, "I can see, but horsehood I cannot see."[22] Definition is merely a circuitous method of stating an identity: "a tree is a vegetable growth" is logically no more than "a tree is a tree."
^ a b Aristotle, Metaphysics, 1043b4
^ Simplicius, in Arist. Cat. 208, 28
ヘーゲルのいうイオニア哲学は
タレス
アナクシマンドロス
アナクシメネス
哲学の起源159頁
エンペドクレス159頁
2混合1愛
3分裂4結合
3=3
2英雄時代青銅の時代1銀の時代黄金の時代
3鉄の時代
ヘシオドス神統記
http://www.kitashirakawa.jp/taro/lit58.html
4つの時代―オウィディウス
オウィディウスは、人間の時代を4つにわけて、歴史的変遷をあとづけています。黄金、銀、青銅の時代に続き、鉄の時代が訪れたとのべていますが、それは、欲望と争いに満ち満ちた時代です。ヘシオドスの『仕事と日』の五時代説話の描写と比べてみるのも一興です。
「黄金の時代が最初に生じたが、そこでは、懲罰者もいず、法律もなしに、おのずから信実と正義が守られていた。刑罰も恐怖もなかったし、銅板による公告にも威嚇的な言辞は読み取れなかった。哀願する罪人たちの群れが、裁判官の顔に恐怖をおぼえることもなく、罰し手などはいなくても、生活は無事であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%A8%E6%97%A5
仕事と日 - Wikipedia
『仕事と日』は、財産をめぐって争っていた弟のペルセースに語りかける形で、まず女神エリス、パンドーラー、
人類の5つの時代(黄金時代、銀の時代、青銅時代、英雄時代、鉄の時代。Hesiod's Five Ages参照)
の神話を語り、続いて、誠実な労働生活の助言・叡智・処世術を教え、汚い金儲け・怠惰・(弟ペルセースに有利な判決を下した)不正な裁判官を非難する。ヘーシオドスは、正義も不正も、地上を見回る不死なる神々にはお見通しで(『仕事と日』250)、労働はすべての善の源と見なされ、神々も人間も、ミツバチの巣の中で何もしないごくつぶしのミツバチに似た働かざる者を憎んでいる(300)と語っている。
『仕事と日』はまたシリウス星について言及した最初期のものでもある。シリウス星はセイリオス星( Σείριος)と表記され、その意味は「輝く」または「より熱い」である。
http://philos.fc2web.com/presocra/empedo.html
エンペドクレス
4期を永遠に繰り返す
宇宙は、「愛が完全支配する時期」「憎しみが侵入する時期」「憎しみが完全支配する時期」「愛が侵入する時期」、この4時期を永遠に繰り返す。こういう風に、エンペドクレスは考えた。我々人類が生きているのは、第2期なんです。3期になると動きが完全に止まってしまいます。
彼のこの理論は、意外に長く用いられます。錬金術なども、この考え方を土台にしています。
http://greek-mythology.jimdo.com/%E7%B5%B5%E7%94%BB%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1/%E4%BA%94%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E8%A9%B1/
五つの時代の話 - ギリシア神話のポストカード
絵画の中のギリシア神話
第004話 五つの時代の話
ギリシア神話では人類の歴史は「五つの時代」に分かれています。ちょっと先走りますが今、私達は五つの時代の最後「鉄の時代」を過ごしています。この鉄の時代、個人的には結構良い時代だと思っていますが、ギリシア神話ではそうでもないようです。五つの時代とは、
①黄金時代
特に働く事なく食べ物は勝手に育ち、憂い、労苦、嘆きもなく、不死ではなかったが、不老で眠りにつくかのように死を迎えた。そして死後は生ある者の守護者となり、五つの時代の中で最も幸せな時代と言えます。なお、この時代は大神ゼウスではなく、父親のクロノスが治めていた時代になります。
②白銀時代
黄金の種族とは姿も心も似ても似つかぬ種族で百年の間、子供のままで過ごし、成人するとすぐに死ぬ種族でした。無分別で神を崇めようとしなかった為、大神ゼウスにより滅ぼされてしまいました(女家長時代っぽかったらしいです)。
③青銅時代
白銀の種族とは更に似ていなく「とねりこ」の木から生まれ、戦好きの種族でした。穀物すら口にせず、その心は鋼のごとく硬く苛酷で力は強靭、武器も住む家も青銅製、という種族でした(青銅フェチ?)。この種族はお互いに殺し合うことで滅びました。なお「とねりこ」とは木の種類で当時、槍の柄の部分に使用されていたようです。
④英雄時代
五つの時代で唯一、先代より良くなった時代です。この時代に「テバイ戦争」や「トロイア戦争」などがあり、半神半人の英雄が活躍した時代です。この時代は青銅時代に属している為に5時代ではなく4時代とする場合もあります。
⑤鉄の時代
今の時代です。ゼウスが作られた種族で豊饒の大地に住む人間になります。まぁ、今と言ってもヘシオドスやホメロスの時代ですので今から3000年ぐらい前の時代ですが……。
になります。名前の通りに時代を下るに従い退廃していきます(唯一、英雄時代を除いて)。ヘーシオドス 著/松平千秋 訳「仕事と日」(岩波文庫)の「五時代の説話」には、
かくなればわしはもう、第五の種族とともに生きたくはない、
むしろその前に死ぬか、その後に生まれたい。
今の世はすなわち鉄の種族の代なのじゃ(p32抜粋)。
とあります。う~ん今の時代、そこまで悪いですかね。まぁ確かに「昼も夜も労役と苦悩に苛まれ」というのは当っていますね。
哲学の起源159頁
エンペドクレス159頁
2混合1愛
3分裂4結合
3=3
2銀の時代1黄金の時代
3英雄時代4鉄の時代
=青銅の時代
ヘシオドス神統記
哲学の起源159頁
エンペドクレス159頁
2混合1愛
3分裂4結合
1愛4結合
2混合3分裂
3=3
2銀の時代1黄金の時代
3英雄時代4鉄の時代
=青銅の時代
ヘシオドス神統記
哲学の起源159頁
エンペドクレス159頁
2混合1愛
3分裂4結合
3=3
2英雄時代=青銅の時代1銀の時代黄金の時代
3鉄の時代
ヘシオドス神統記5or4分類
_________哲学の起源_________
| | | 青銅、銀、黄金
|ペロポネ | |トロイア(英雄)+ |
|ソス戦争 | プラトン| 戦争 |鉄の時代 |
|___ステート____|___ネーション_ヘシオ
|アリストテレス | | ドス
レウキッポス|ソクラテス| | ホメロス|
デモクリトス| ストア派| | |
ディオゲネス|_古代ギリシア哲学__|__タレス|
| | アナクシマンドロス |
|ペルシア戦争 アナクシメネス | ピタゴラス
|ヘロドトス| クセノファネス | |
|___キャピタル___|__アソシエーション_|
| | イオニアの反乱 ヘラクレイトス
| 黄胆汁 | パルメニデス|乾 火 熱|
黒胆汁+多血|アナクサゴラス ゼノン|土 + 空気
|__粘液_|_____|_____|冷 水 湿|
ヒポクラテス エンペドクレス
四体液説 四大元素/四期
混合 愛
+
分裂 結合
世界史の構造は、逆コの字と逆N字型
http://book.douban.com/search/柄谷行人
豆瓣
日本现代文学的起源
柄谷行人 / 赵京华 / 生活・读书・新知三联书店 / 2003-1-1 / 16.00
跨越性批判 : 康德与马克思
【日本】柄谷行人 / 赵京华 / 中央编译出版社 / 2011-1 / 49.00元
马克思,其可能性的中心
柄谷行人 / 中田友美 / 中央编译出版社 / 2006-7-1 / 19.80元
历史与反复
【日本】柄谷行人 / 王成 / 中央编译出版社 / 2011-1 / 42.00元
作为隐喻的建筑
【日本】柄谷行人 / 应杰 / 中央编译出版社 / 2011-1 / 39.00元
柄谷行人談政治
柄谷行人 政治を語る
柄谷行人 / 林暉鈞 / 心靈工坊 / 2011-7-4 / NT$340
世界史的构造
【日本】柄谷行人 / 赵京华 / 中央编译出版社 / 2012-9 / 59.00元
倫理21
柄谷行人 / 林暉鈞 / 心靈工坊 / 2011-6 / NT350
[856]12/16(日)07:55 P↓
NAMで言えば地域系/関心系/階層系といったように分節化されていないと
国家主義に吸収されやすい
またすでに一元化された各地域社会には情報がフィードバックされにくい
地域通貨とは言わないまでも各政党の地域金融への政策は無策に近い
例えば銀行がコミュニティカフェに融資するなどという事例はもっとあっていい
(→リンク::::::)
電子メール送信 Dialogues in Human Geography-2012-Karatani-30-52.pdf
http://dhg.sagepub.com/Dialogues in Human Geography http://dhg.sagepub.com/content/2/1/30The online version of this article can be found at: DOI: 10.1177/2043820612436923 2012 2: 30
Dialogues in Human Geography
Kojin Karatani and Joel Wainwright
'Critique is impossible without moves': An interview of Kojin Karatani by Joel Wainwright Published by
emphasisonsocialrelationsofproduction.Thisis notentirelywrong,ofcourse.ConsiderMarx’ssummaryoftheconclusionsofhisresearchinhisfamous PrefacetohisCritiqueofPoliticalEconomy:
Inthesocialproductionoftheirexistence,meninevitablyenterintodefiniterelations,whichareindependentoftheirwill,namelyrelationsofproduction appropriatetoagivenstageinthedevelopmentof theirmaterialforcesofproduction.Thetotalityof theserelationsofproductionconstitutestheeconomicstructureofsociety,therealfoundation,on whicharisesalegalandpoliticalsuperstructureand towhichcorresponddefiniteformsofsocialconsciousness.Themodeofproductionofmateriallife conditionsthegeneralprocessofsocial,politicaland intellectuallife.(Marx,1977[1859])
Thisstatementandotherslikeitgaverisetoa schoolofMarxistthoughtthatinterpretscapitalism
asamodeofproduction,the‘base’ofallsocial relationsincapitalistsociety.AsIhaveargued,politicallythispositionhasbeendisastrous.
Wainwright:Becauseitsuggestedthatrevolution simplyrequiredtheuseofstatepowerbyavanguard partytooverthrowcapitalism.
Karatani:Yes,whichinfactonlycontributed morepowertothestateandnation.Andwhilecapitalistsocialrelationswererepressed,theywerenot overcome.Alongwiththepoliticalcritiqueofthe base-superstructuremetaphor,Iwouldemphasize thatwehavetoconsiderMarx’sanalysisinCapital, whichdoesnotstrictlyfollowhisoutlinefromthe earlierPreface.Tobesure,Marxcontinuestodiscuss capitalismasa‘modeofproduction’.
Wainwright:Intheveryfirstsentenceof
NAMは2002年のくじ引きで柄谷さんを引きづりおろしている
二代目代表がプロジェクト優先の間違った路線をとって自爆した
Qとの不仲の責任を取って柄谷さんは一度NAMを辞めている
対外的には柄谷がNAMを解散したことになっているが実情は違う
2002年NAM代表くじ引き選出
http://youtu.be/n85bgj0iLao
無論柄谷にも非はある。
それはアメリカでNAMを監視したことではなく、マルクスの名の下でNAMをはじめてしまったことである。
NAMはプルードンの原理である。
それは探究Ⅲからトラクリへの改稿の過程を見ればわかる。
プルードンを勉強して柄谷は実践を思いついたのだ。
マルクスを擁護したために、あれだけ「at」誌上で展開したトロツキー「世界同時革命」批判も単純な政治革命の擁護という真逆の解釈をされてしまう始末だ。
(『世界史の構造』のトロツキー批判はかなり圧縮されている)
http://www.psygarden.com.tw/book/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=
《世界史的結構》
世界史の構造
作者: 柄谷行人
譯者:林暉鈞
書系:All Type 006
定價:750元
頁數:576 頁
出版日期:2013 年 01 月 29 日
ISBN:9789866112676
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世界正陷入巨大的不安與變動之中。歐債危機、金融風暴、溫室效應、資源耗竭、急速擴大的貧富差距、紛爭不斷的世界政局……預示著全球化資本主義的末日已經逐漸逼近。
接下來,人類社會將何去何從?
柄谷行人是日本當代重要的文藝評論家、思想家、左翼理論大師、後現代批評的標竿。《世界史的結構》是柄谷行人2010年最新力作,充滿犀利創見與深度。他從東歐革命、蘇聯解體、911事件、風起雲湧的反抗運動、中國與印度的崛起⋯⋯等巨變現象中,思索著世界史的演變與未來。
從2006到2009年,柄谷行人陸續在美國、加拿大、英國、中國、克羅埃西亞、斯洛維尼亞、土耳其、墨西哥等國的知名大學,以書中論點發表演說,與聽眾交流,並且在旅行途中,觀察到許多現況,正是書中的具體縮影。
柄谷行人認為,從經濟結構角度來看,人類社會的演變並非根據「生產方式」,而是「交換模式」,世界史的發展,則可區分為氏族社會、國家社會、資本主義社會。本書的目標是以超越論的方式,闡明交換模式之間的關聯;並且以結構論的方式,說明世界史上所發生的三次「位移」。更進一步,希望透過這樣的研究,找出第四次位移──也就是朝向世界共和國移動──的著手處。這將是人類社會未來的出路。
本書目錄:
目次
中文版序 從「交換模式」出發
日文版序 為了永久的和平
緒論 交換模式論
1、馬克思對黑格爾的批判
2、交換模式的類型
3、權力的類型
4、交通概念
5、人類與自然的「交換」
6、社會構成體的歷史
7、近代世界系統
第一部 微型世界系統
前言 朝向氏族社會的轉變
第一章 定居革命
1、共同寄託與互酬
2、交易與戰爭
3、層級化
4、定居革命
5、社會契約
6、贈與的義務
第二章 贈與與巫術
1、贈與的力量
2、巫術與互酬
3、轉變的問題
第二部 世界-帝國
前言 國家的起源
第一章 國家
1、原都市-國家
2、交換與社會契約
3、國家的起源
4、共同體-國家
5、亞細亞式國家與農業共同體
6、官僚制
第二章 世界貨幣
1、國家與貨幣
2、商品世界的社會契約
3、《利維坦》與《資本論》
4、世界貨幣
5、貨幣變為資本的轉化
6、資本與國家
第三章 世界帝國
1、亞細亞式專制國家與帝國
2、周邊與亞周邊
3、希臘
4、羅馬
5、封建制
第四章 普遍宗教
1、從巫術到宗教
2、帝國與一神教
3、模範的先知
4、倫理的先知
5、神之力
6、基督教
7、異端與千禧年主義
8、伊斯蘭教、佛教、道教
第三部 近代世界系統
前言 「世界-帝國」與「世界-經濟」
第一章 近代國家
1、絕對主義王權(絕對君主制)
2、國家與政府
3、國家與資本
4、馬克思的國家論
5、近代官僚制
第二章 產業資本
1、商人資本與產業資本
2、勞動力商品
3、產業資本的自我增殖
4、產業資本主義的起源
5、貨幣的商品化
6、勞動力的商品化
7、產業資本主義的界限
8、世界經濟
第三章 國族(NATION)
1、國族的形成
2、共同體的替身
3、想像力的地位
4、道德感情與美學
5、國家的美學化
6、「國族-國家」與帝國主義
第四章 ASSOCIATIONISM
1、宗教批判
2、社會主義與國家主義
3、經濟革命與政治革命
4、工會與合作社
5、股份公司與國有化
6、世界同時革命
7、永續革命與階段的「飛越」
8、法西斯主義的問題
9、福利國家主義
第四部 現在與未來
第一章 世界資本主義的階段與反覆
1、資本主義的歷史性階段
2、資本與國家的反覆
3、一九九○年以後
4、資本的帝國
5、繼起的霸權國家
第二章 邁向向世界共和國
1、對抗資本的運動
2、對抗國家的運動
3、康德的「永久和平」
4、康德與黑格爾
5、透過贈與帶來永久和平
6、作為世界系統的諸國家聯邦
後記
相關活動訊息:
無
yoji said...
吉本に関しては先日の東京堂での高澤秀次との対談で個人的にア
ドバイスを受けた話をしていた。死人をネタにはしたくないだろ
うから活字になるのはもう少ししてからだろう。
原発に関して言うと、柄谷はマルクス主義の看板を下ろしていないから、
反発する側も賛同する側も勘違いするという構図になっている。
アナーキーで自立分散的なオルタナティブ(太陽光発電等)をマル
クス主義は抑圧してきたから、柄谷をマルクス主義者だと考える人
は柄谷の狭義なマルクス主義的言説と脱原発とを結びつけることは
原理的に不可能なのだ。
ただし柄谷は数学的思考によって自立分散的システムを誰よりも
形式的に考えてきた思想家なので、脱原発の鍵は柄谷の非政治的
言説(セミラティス云々等)のなかにある、、、。
吉本に関して追記するとデビュー作トクヴィル版『畏怖する人間』
ですでに批判的言及がなされているとはいえ、『世界史の構造』
(第一部の素材が『共同幻想論』と同じだ)によってはじめて柄谷
は吉本(そしてヘーゲル)を越えたのではないかと思う。
http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=de&tl=ja&u=http%3A%2F%2Fwww.amazon.de%2FTRANSKRITIK-Kojin-Karatani%2Fdp%2F9753426747%2Fref%3Dsr_1_17%3Fie%3DUTF8%26qid%3D1367327087%26sr%3D8-17%26keywords%3DKaratani
TRANS批評[トルコ] [ペーパーバック]
柄谷行人 (著者) ERKAL UNAL (翻訳)
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862 :考える名無しさん :sage :2013/05/01(水) 18:35:28.59 0
2001年、『トランスクリティーク カントとマルクス』を、その前年に自らも関わって立ち上げた生産者協同組合である、
批評空間社から出版、その内容をもとに、2000年6月、アソシエーション=「国家と資本への対抗運動」の活動、NAM(New Associationist Movement)を立ち上げる。
『NAM原理』(2000・太田出版)は、WEB上でその内容が公開されていたにもかかわらず当時1万7千部以上売れた。
著名なエコロジー活動家など多数が参加し、最大700人の会員数を数えた。2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件発生した際、
NAMのサイトに「テロにも報復戦争にも反対する」という旨の声明が出た。なお『批評空間』のWEBサイト上で、
9.11同時多発テロに対する柄谷行人のコメントとして「これは予言ではない」と題する文章が掲載された。
2001年12月にはWEB上でのヴァーチャルな取引を、制度設計として組み込んだことを目玉とする地域通貨Qを、
NAMとは独立した任意団体として西部忠を中心に立ち上げた。当初の予定では、批評空間社もこのQに参入し、
productsを部分的にQ支払い可能にし、出版・メディア、そして最終的には流通一般そのもの、
の既成の仕組みを徐々に変革していくことが目指されていた。第3期批評空間創刊記念シンポジウムでは、
建築や芸術のジャンルから磯崎新や岡崎乾二郎らがパネリストとして並び、地域通貨Qによる流通の変革への期待が述べられた。
しかし、人間関係の軋轢、未知の問題点の噴出、ネット上でのコミュニケーションからおこる通信上の混乱などで、
NAMは2003年1月に早々と解散。あるいは柄谷が「身も蓋もなく潰」した。批評空間社も社長兼『批評空間』の編集者の内藤祐治の死(2002年春)を契機に解散した。
2000年~2002年は激動の3年間だな
http://dhg.sagepub.com/content/2/1/30.refs.html
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References
‘Critique is impossible without moves’: An interview of Kojin Karatani by Joel Wainwright
Dialogues in Human Geography March 20122: 30-52,
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3.論集目次
第9/10号(2012年)
タイトル 執筆者
頁
日本精神分析再考 柄谷 行人
3
日本ラカン協会読書会報告
――「『盗まれた手紙』についてのセミネール」冒頭部読解
若森 栄樹
13
【実践と臨床】
00 年代のラカン派
立木 康介
34
精神 分析における臨床について
向井 雅明
52
【日本社会のいじめ問題】
精神 分析的「子ども」における事後性によるいじめの幻想化
――隠蔽記憶としてのいじめ
赤坂 和哉
70
いじ め問題によせて
――中間集団としての学級をめぐって
川崎 惣一
86
【精神分析と文学】
三島 由紀夫 筋肉のメランコリー
福田 大輔
106
主体 の組成と解体
――漱石『明暗』の文字によって
野網 摩利子
138
文学 作品における「詩的なもの」
――ラカンとマンデリシュタームの手紙
斉藤 毅
165
宮沢 賢治と精神分析
――奇妙さと隣り合うために
太田和彦
189
【精神分析と人文社会科学】
真 理・意味・主体
――デイヴィドソンの根元的解釈とラカン
上野 修
214
回帰 する人民
――ポピュリズムと民主主義の狭間で
布施 哲
236
無意 識の構造/構造の無意識
――マッテ・ブランコの対称性の射程
中野 昌宏
264
【フロ イト=ラカン研究】
Sexuationの式
――Le savoir du psychanalysteの1972年6月1日のアン
トゥルティアンを中心に 荻本 芳信 298
〈公募論文〉
要素 現象(基礎的現象)
――ヤスパースからラカンへの隠された道
松本 卓也
334
アル チュセールのイデオロギー批判における精神分析的側面 土 佐 厳人 357
フロ イトと哲学空間 小長野 航太
385
事務局報告
409
編集後記
414
規約 415
総頁数 420頁
第8号(2011年)
タイトル 執筆者
頁
〈シンポジウム〉
日本精神分析再考(※お詫びと訂正) 柄谷 行人
3
日本における精神分析の可能性と不可能性
若森 栄樹
22
阿闍 世 = 親鸞 vs. オイディプス = フロイト
――精神分析学的知見と近代日本文化(その1)
石澤 誠一
38
〈論文〉
「空虚なる日本」の精神分析
――あるいは、死の欲動の美的/暴力的解消について 遠藤 不比人 79
ポストモダン日 本社会におけるイマジネールと症状 樫村 愛子 102
象徴界は衰退しているのか 萩原 優騎 123
「ふ つうの精神病」の一症例
森 綾子
155
〈翻訳〉
資本 主義を讃えて
――ラカン以後 に構想しうる資本主義について
Eloge du capitalisme
– Sur le capitalisme tel que
nous pouvons le concevoir après Lacan
アラン・ジュラ ンヴィル
Alain Juranville
藤岡 俊博 訳 188
現代 哲学の根本的な矛盾とその体現者カール・シュミット
La contradiction fondamentale
de la philosophie contemporaine et son incarnation
en Carl Schmitt
アラン・ジュラ ンヴィル
Alain Juranville
柵瀨 宏平 訳
219
現代 思想の矛盾に対する解決策としての無意識
L'inconscient comme solution à la contradiction
de la pensée contemporaine
アラン・ジュラ ンヴィル
Alain Juranville
柵瀨 宏平 訳
255
事務局報告
294
規約
304
日本ラカン協会役員一覧 311
総頁数 311頁
(※) お詫びと訂正
柄谷氏の講演は私が録音を起 こしたものを手違いで掲載しています。決定稿「日本精神分析再考」は本機関誌の次号に掲載の予定です。柄谷氏および皆様には深くお詫び致します。
日本ラカン協会理事長 若森栄樹
第7号(2009年)
タイトル 執筆者
頁
Das Ding そして超自我の方へ 保科 正章
2
限界 を象る、あるいはシニフィアンからファルスへ
原 和之
21
ヴァージニア・ウルフにおける創造の幻視的過程と感覚の役割
La sensation dans le processus visionnaire de la création
chez Virginia Woolf
アンヌ・ジュランヴィル
Anne Juranville
藤岡 俊博 訳
77
ナタ リー・ジョーデルの報告への序文
立木 康介
102
ラカ ン派応用精神分析の現在
――施設=制度における精神病臨床
Actualité de la psychanalyse appliquée lacanienne
– Clinique de la psychose dans l'institution
ナタリー・ジョーデル
Nathalie Jaudel
立木 康介 訳 117
公募論文
「否 定」にみるシニフィアンの形成
小長野 航太
141
日本 における漢字の運命
――日本語の話者が精神分析を行う準備として
佐藤 正明
173
書評
『文 字と見かけの国――バルトとラカンの「日本」』
市村 卓彦
210
初代 理事長 佐々木孝次先生への謝辞
石澤 誠一
234
編集後記
236
規約
247
総頁数 240頁
第 6号 (2007年)
タイトル 執筆者
頁
フロ イトと「性」
――ラカンのシニフィアンと性、日本の近代化と性 石澤 誠一
3
斜め から読むフランス精神分析
――心理学の歴史と医療人類学からの視線
福田 大輔
129
隣人 愛から非人間的戦争へ
De l’amour du prochain à la guerre inhumaine
ベルナール・バース
Bernard Baas
福田 大輔 /
伊藤 啓輔 訳
153
反復
保科 正章
180
規約
199
総頁数 203頁
180
新た な心的経済とセクシュアリティーの運命
――フロイト、ラカン、メルマンとともに
立木 康介
206
書評
いま こそ、ラカンを
―― The Cambridge Companion to LACAN
川崎 惣一
237
ジョ エル・ドールの『ラカン読解入門』
西尾 彰泰
250
『精 神分析学を学ぶ人のために』
番場 寛
266
事務局報告
276
規約 279
総頁数 283頁
第4号(
日本 語における「意味」
――イザヤ・ベンダサン『日本教について』再読
佐 々木 孝次
238
フィ リップ=ジュリアン著『ラカン、フロイトへの回帰 ラカン入門』
川 崎 惣一
262
一つ の歴史的証言
――ルイ・アルチュセール『フロイトとラカン――精神分析論集』
伊 吹 浩一 273
事務局報告
305
規約
309
総頁数 314頁
第1号(
18 :考える名無しさん :sage :2013/11/11(月) 03:37:08.88 P
あ み だ く じ
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┣━┫ ┣━┫ ┃
┣━┫ ┣━┫ ┃
┣━┫ ┣━┫ ┃
┃ ┣━┫ ┣━┫
┣━┫ ┣━┫ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
マ カ メ ア カ
ル ラ シ サ ン
ク タ ア ダ ト
ス ニ
下のフォームに必要事項を記入するだけで簡単にあみだくじが出来ます。
上のあみだくじがきちんと表示されないときは、フォントの設定を変更してみてください。
(p)http://www2u.biglobe.ne.jp/~hannya/donzoko/amida94/amida94.cgi
19 :考える名無しさん :sage :2013/11/11(月) 03:39:07.04 P
(p)http://www2u.biglobe.ne.jp/~hannya/donzoko/amida94/index.html
哲学的起源 (豆瓣)
https://book.douban.com/subject/26590119/
豆瓣评分
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内容简介 · · · · · ·
作者说在《世界史的构造》这本书里,他从交换样式(而非生产方式)的角度,对人类社会历史进行了重新思索,并在交换样式A、B、C之外,发现了交换样式D。作者还指出,交换样式D必然收敛为宗教的形态,而在遥远的伊奥尼亚时代的政治和思想中,恰恰曾经存在过这具有普遍意义的宝贵精神财富。但当时因为篇幅的原因,未能充分探讨,于是另外写了《哲学的起源》这本书作为前书的续篇,试图对上述问题进行深入考察。
作者简介 · · · · · ·
作者简介:
柄谷行人(Kojin Karatani),1941年生于日本兵库县尼崎市。早年就读于东京大学经济学本科和英文科硕士课程。毕业后曾任教于日本国学院大学、法政大学和近畿大学,并长期担任美国耶鲁大学东亚系和哥伦比亚大学比较文学系客座教授。2006年荣休。是享誉国际的日本当代著名理论批评家,至今已出版著述30余种。代表作有《日本现代文学的起源》《跨越性批判――康德与马克思》《走向世界共和国》等,2004年岩波书店出版有《定本柄谷行人集》全5卷。
译者简介:
潘世圣,1960年生。1983年东北师范大学毕业,同年入吉林大学开始硕士阶段学习,1986年起在北京语言学院任教。1994年赴日留学,获日本鹿儿岛大学硕士及九州大学博士学位。2006年回国任华东师范大学外国语学院教授,从事日本近现代文学及中日比较文学的教学研究至今。曾任日本西南学院大学客座研究员、中部大学及九州大学客座教授。有著书《鲁迅明治日本漱石——关于影响及结构的综合性比较研究》(日文)《现代中国的文化》(日文、合著)、译著《现代行政法》及各类研究论文若干。
目录 · · · · · ·
序论
1普世宗教
2伦理型先知
3模范型先知
第一章伊奥尼亚的社会与思想
1雅典与伊奥尼亚
2Isonomia(无支配)与Democracy(多数者统治)
3雅典的Democracy
4国家与民主主义
5移民与Isonomia
6冰岛与北美洲
7Isonomia与评议会
第二章伊奥尼亚自然哲学的背景
1自然哲学与伦理
2希波克拉底
3希罗多德
4荷马
5赫西奥德
第三章伊奥尼亚自然哲学的特质
1宗教批判
2运动的物质
3制作与生成
第四章伊奥尼亚没落后的思想
1毕达哥拉斯
a轮回的观念
b二重世界
c数学与音乐
2赫拉克利特
a反民众
b反毕达哥拉斯
3巴门尼德
a巴门尼德
b毕达哥拉斯批判
c间接证明
4埃利亚学派之后
a恩培多克勒
b原子论
c从城邦到世界
第五章雅典帝国与苏格拉底
1雅典帝国与民主政
2智者与辩论的支配
3苏格拉底审判
4苏格拉底的谜
5灵机
6苏格拉底的问答方法
7柏拉图与毕达哥拉斯
8哲学王
9Isonomia与哲学王
附录从《世界史的构造》到《哲学的起源》
古代希腊史年表
译后记
· · · · · · (
*
ヘロドトスが伝えるペルシアのオタネスの言葉では、イソノミアの特徴に真っ先に抽籤が挙げられている。
参考:
以下、http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/41967342.htmlより
歴史家のヘロドトスは、ペルシア王ダレイオスの即位(B.C. 521年)のいきさつを述べる中で、前王カンビュセスの没(B.C. 522年)後の王位継承争いを鎮(しず)めたダレイオスの仲間7人の討論を紹介している。討論は、今後ペルシアはいかなる政治体制を選ぶべきかという問題をめぐっておこなわれた。オタネスは万民同権の平等政治(民主政)をとるべきだと主張し、メガビュソスは優れた少数者による寡頭政治(貴族政)を主張し、ダレイオスは最も優れた一人による独裁政治(君主政)を採用すべしと主張した。
「… 独裁者というものは父祖伝来の風習を破壊し、女を犯し、裁きを経ずして人命を奪うことだ。それに対して大衆による統治は先ず第一に、万民同権(イソノミア――イソス「平等」原理にもとづく政治)という世にも美わしい名目を具えており、第二には独裁者の行なうようなことは一切行なわぬということがある。職務の管掌は抽籤により、役人は責任をもって職務に当り、あらゆる国策は公論によって決せられる。されば私としては、独裁制を断念して大衆の主権を確立すべしとの意見をここに提出する。万事は多数者にかかっているからだ」岩波文庫『歴史』(3:80)339頁
*
ヘロドトスが伝えるペルシアのオタネスの言葉では、イソノミアの特徴に真っ先に抽籤が挙げられている。
参考:
以下、http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/41967342.htmlより
歴史家のヘロドトスは、ペルシア王ダレイオスの即位(B.C. 521年)のいきさつを述べる中で、前王カンビュセスの没(B.C. 522年)後の王位継承争いを鎮(しず)めたダレイオスの仲間7人の討論を紹介している。討論は、今後ペルシアはいかなる政治体制を選ぶべきかという問題をめぐっておこなわれた。オタネスは万民同権の平等政治(民主政)をとるべきだと主張し、メガビュソスは優れた少数者による寡頭政治(貴族政)を主張し、ダレイオスは最も優れた一人による独裁政治(君主政)を採用すべしと主張した。
「… 独裁者というものは父祖伝来の風習を破壊し、女を犯し、裁きを経ずして人命を奪うことだ。それに対して大衆による統治は先ず第一に、万民同権(イソノミア――イソス「平等」原理にもとづく政治)という世にも美わしい名目を具えており、第二には独裁者の行なうようなことは一切行なわぬということがある。職務の管掌は抽籤により、役人は責任をもって職務に当り、あらゆる国策は公論によって決せられる。されば私としては、独裁制を断念して大衆の主権を確立すべしとの意見をここに提出する。万事は多数者にかかっているからだ」岩波文庫『歴史』上(3:80)339頁
国内オリンピック委員会(こくないオリンピックいいんかい、
英: National Olympic Committee、略:NOC)とは、国際
オリンピック委員会(IOC)の管理の下、国際的なオリンピック
活動の国内または地域内組織である。各国または各地域での参加
派遣は選考会の参加枠によって決められる。歴史的な事情などにより、
国内に複数のNOCを擁する国がある。
台湾はIOCによって「チャイニーズ・タイペイ(Chinese Taipei)」としてNOCが認定されている。
NOCの数は全部で206となった[1]。国連加盟国193カ国より多い。
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