火曜日, 8月 02, 2011

『哲学の貧困』(マルクス)へのプルードンの書き込み(簡易版):再送

以前公開した作業中の『哲学の貧困』(1847)へのプルードンの書き込み(全54箇所)の簡易版をご紹介します。
全体としてはマルクスによるプルードン『経済的諸矛盾の体系または貧困の哲学』(1846)からの剽窃(特に書き込み<17><27>=番号より)といった事件が浮かび上がります。第一章第3節で批判された「構成された価値」などは後の「価値形態論」そのものではないでしょうか(マルクスはプルードンが冒頭に貨幣論をおいたことを非難しているのに[岩波文庫p80]、のちに『資本論』で自身もそれを模倣する)。 リンク交換銀行定款クールベ論『プルードン・セレクション』書評関連動画マルクスとの往復書簡著名人によるプルードン評

追記:
マルクスの日本語訳は大月書店の第4巻から、プルードンの書き込み仏語原文はリヴィエール版『経済的諸矛盾の体系または貧困の哲学』第二巻の巻末付録から引用した。
プルードンの『哲学の貧困』(1847年)への書き込みは、ほぼ第二章第1節「方法」と第2節「分業と機械」とに集中している。
それ以外に書き込みのある箇所は以下の第一章第2節(一箇所)と第二章第3節冒頭(二個所)におけるものである。
また、『プルードンと現代』(藤田勝次郎、世界書院、p53)によれば、オプマンの研究で第一章の書き込みはプルードンのものではないことが明らかになっているが(プルードンの書き込みは全54箇所)、参考までにリヴィエール版の記述をすべて紹介することにする。
(オプマン=Pierre Haubtmannの大著、"Proudhon Sa vie et sa pensée"のp.1055-1063に第三者を含む書き込み文のリストが掲載されている。)

参考サイト:
スペイン語のブログ
A POLÉMICA DAS DUAS "MISÉRIAS"
(上記サイトが参照している1950年Alfred Costes編集のマルクス全集版には、プルードンの書き込みがマルクスの本文に組み込まれた形で収録されている。)





斎藤悦則氏のサイト
プルードンとマルクス
マルクスの『哲学の貧困』を読む

////////////////

<>内は通し番号(全54箇所)、
大月全集版(第四巻)頁数/岩波文庫版頁数、()内はマルクスの言葉(大月版)、「」内はプルードンの書き込み、「()」内はプルードンの言葉の邦訳。

<1>
第一章
第2節より
100/69
(政治的平等は、目的としては誤謬であり、手段としてもまた誤謬である。)
       「Oui.(そうだ。)」

<2>
第二章
第1節方法より
第一考察
129/111
(しかし、諸カテゴリーは生産諸関係の理論的表現にほかならないのであるから、生産諸関係の歴史的運動を追求しない限り、これらのカテゴリーをば、自然発生的な、現実的諸関係とかかわりのない諸観念や諸思考としてしかもはや考えようとしないかぎり、純粋理性の運動をこれらの思考の源泉とみなすほかなくなる。)
     「Il est bien forcé, puisque, dans la société,tout est,quoi qu'on dise,contemporain;comme,dans la nature,tous les atomes sont éternals.(それは必然なのだ。今日、あなたが何と言おうと社会のすべての原子が永遠であるように。)」

<3>
131/114
(ヘーゲルが次のようなことばで語るのは、この絶対的方法のことなのである。) :
   「Très bien; cela est-il si bête?(大いに結構、でもこれは馬鹿げていないかね?)

<4>
133/116
(彼は思考の運動によって世界を建設することができると信じこんでいる。しかし彼が[実際に]おこなっていることは、ただ、万人の頭脳のなかにある諸思考を体系的に再建設し、絶対的方法に従わせることであるにすぎない。).
      「Je ne prétends pas faire autre chose; et je crois que c'est quelque chose. Votre première observation n'observe rien.(私は何か他のものを装ったりはしない。そして私はそれが何か大事なものであると信じている。あなたの最初の考察は、何も考察していない。)」

<5>
第2考察
133/117
(しかし、これらの一定の社会的諸関係もまた麻布、リンネル等々と同様に、人間によって生産されるものであるということ、それを彼は理解することができなかった。)
     「Mensonge : c'est précisément ce que je dis. La société produit les LOIS et MATÉRIAUX de son expérience.(嘘だ。それは私が正確に言っておいた。社会は経験を通じてその法と素材をつくるのだ。)」(Les mots sont soulignes par Proudhon.(この言葉は、プルードンによって下線を引かれている。))

<6>
134/117
(それゆえ、これらの観念、これらのカテゴリーは、それらの表示する諸関係と同様に、永久的なものではない。)
「Oui, éternelles comme l'humanite, ni plus ni moins; et toutes contemporaines.
Votre deuxième observation n'aboutit pas.(いや、人間性が永遠であるように、すべては同時代のものでもある(それ以上でも以下でもない)。
あなたの第2考察は失敗している。)」


第3考察
<7>
134/138
(ついで、プルードン氏が純粋理性の力によって、他の諸局面の産出にとりかかると、彼はあたかもそれらが生まれたばかりの赤ん坊であるかのように取り扱い、それらが最初の局面の局面と同じ年齢であることを忘れてしまうのである。)
    「Je dis précisément tout cela.Dites-moi donc comment vous vous y prendrez pour parler tour a tour des objets de l'Econ.pol.? (私はこれをすべて正確に述べておいた。
どこまで経済、政治の事象からかけ離れたおしゃべりをするというんだ?)」


<8>
134/119
(諸カテゴリーをもって一個の観念体系という建築物を建造することにより、)
 「Oui vous parle de tout cela ?  Votre observation n'est qu'une calomnie.
(わかった、これがあなたの言わんとするすべてかね。あなたの考察は、中傷にすぎない。)」

第4考察
<9>
135/119
(彼は、小ブルジョアたちが…歴史上の偉人を考察するのと同じように[経済的に]諸カテゴリーを考察するのである。)
「J'ai fait moi-mêre la critique de cette manière de raisonner.(私は自身でこのような推論をすでに批判しておいた。)」

<10>
135/119
(解決すべき問題は、悪い面を除去して良い面を保存することである。)
  「Calomnie effrontée.(厚かましい中傷だ)」

<11>
135/120
(奴隷制度も、ほかの経済的カテゴリーと同様な一つの経済的カテゴリーである。)
「 Cela n'est que perfide ,mais raisonnable,point.―L'esclavage, extrême du proletariat, c'est-à-dire de l'infériorité relative, a sa raison d'être, qui le fera toujours exister, non comme esclavage, mais comme apprentis-sage, ou tout autre analogue. C'est toujours comme la douane.(これは、信頼するには足らないが、理にかなった見方だ。奴隷制度、ここでいう増大するプロレタリアートは、いわば相対的な下層階級であり、常に存在するその存在理由においては、奴隷制度というより、模倣または類似した別ものとしての奴隷制度である。それは、あたかも常なる習慣となったかのようだ。)」

<12>
136/121
Comment M. Proudhon s'y prendra-t-il
(ヘーゲルは提起すべき問題をもたない。彼がもっているのは弁証法である。ヘーゲルの弁証法についてプルードン氏のもっているのは、ただ、そのことばづかいだけである。彼独特の弁証法的運動[方法]は、独断的な、善悪の区別である。)
        「Absurde.(馬鹿げている。)」

<13>
136/122
(悪い面を除去するという問題をみずからに課することだけで、弁証法的運動は中断されてしまう。)
        「Qui vous a jamais parlé d'élimination ?(除去するなどと誰がいったであろうか?)」

<14>
137/123
(:第4の考察の終わり)
       「Votre quatrième observation n'est qu'un mensonge, qu'(?) une calomnie.
(あなたの第4の考察は嘘ばかりで、中傷だ。)」


第5考察
<14,b>137/123
(すなわち、プルードン氏の言によると、(諸カテゴリーがそのなかに自己を顕現したところの)歴史的継起を、)   
            「 Il n'y en a pas.(そんなものはありはしない。)」

<15>137/124
(彼がわれわれに経済的諸カテゴリーを与えるその順序はもはや経済的諸カテゴリーが相互に生みだしあうその順序ではない、)
「Faux.Apprécier à sa juste valeur la logique, ce n'est pas nier la logique.(虚偽だ。公正価格の論理で評価されたものは、その論理を否定することはできない。)」

<16>138/124
(世紀が原理に所属していたのであって、原理が世紀に所属していたのではなかった、)
  「Oui vous parle de cela ? Quand je dis positivement le contraire?
(誰がそれを言ったのだ?私が言ったのは正反対のことなのに?)」


<17>138/125
(しかし、人間を彼ら自身の歴史の俳優兼作者として表現するやいなや、)
   「 Voila donc que j'ai le malheur de penser encore comme vous!
Ai-je jamais prétendu que les PRINCIPES sont autres choses que la représentation intellectuelle,non la cause génératrice des faits?
    Votre cinquième observation est une imputation calomnieuse.
    Le veritable sens de l'ouvrage de Marx,C'est qu'il a regret quepartout j'aie pense comme lui,et que je l'aie dit avant lui.
Il ne tient qu'au lecteur de croire que c'est Marx qui,apres m'avoir lu,a regret de penser comme moi! Quel homme!
   (そう、あなたのように考えるならそれは私の不幸だというものだ。
私は原理が、事実から生起していない知的な表象だと言っただろうか?
あなたの第5の考察は名誉を毀損するものだ。…マルクスの著作の本当の意味は、とりわけわたしがかれと同じように考え、そしてかれよりも前にわたしがそのことを言ったことを残念がっているところにあるのだ。いやはや何という男だ!)」


第6考察
<18>139/126
(経済的諸関係が、活動的でかつ現に活動しつつある人間に先だって存在していたということに、一応しておこう。)
      「Je n'ai pas besoin de votres supposition.(私にはあなたの推測は必要ない。)」

<19>139/126
(諸矛盾を生みだす力は、これほどまでにすさまじいものであるので、)
       「Apparaître et exister sont deux choses différentes, dont la premiere n'est vraie que pour nous.
(現象と存在は2つの異なるものであり、そして、最初のものが我々にとっての真実である。)」


<20>140/127
(なにものかが生産されうることを拒否するのである。)
   「Oui,production,c'est apparition.(そうだ。生産は外観上のものだ。)」

<21>140/127
(そうするために彼は、一つのあらたな理性を発明した。)
        「Vous plaisantez toujours par avance :commencez par avoir raison.
(あなたは、前提を常に間違えている:正確に始めるべきだ。)」


<22>141/129
(このようなことばの入れかえには、もはや、(プルードン氏の名において)われわれを驚かしうるほどのものは一つもない。…
…プルードン氏の理想だからである。)
       「Bavardage.(無意味なおしゃべり。)」

<23>142/130
(だから神意は、…
…歴史の進行を説明するために今日もちいられている大言壮語である。…)
       「Me voilà coupable encore d'adoration à la Providence !…(ここでまだ私は神意を崇拝するという罪を犯しているのだそうだ!)」

<24>142/130
(神意にたいして、あれほど優しい気持を抱いているのであるから、)
      「Pasquinade!(皮肉か!)」

<25>142/130
(…事実のありふれた言いかえ方の一つである)
「ー Quelle est cette chicane ? ― les générations transforment ! ―Je dis moi que le mème principe unit, gouverne, toutes les manifestations; ― je ne sais ce que c'est que transformation.
     La France de 89 a transformé son monarque absolu en monarque constitutional. Soil. Voilà votre style.
     Je dis, de mon côté, que l'Etat, en 89, a régularisré la division des pouvoirs politiques qui existait avant 89.
     Le lecteur jugera.
     La sixiéme observation tombe sur Hegel, et n'a trait à rien.(この詭弁は何だろうか?ー世代は移り変わる!-すべての病状を呈している政府について、私の原則、政府がどのように変化するかはわからないと私は自身に言い聞かせる。
1789年、フランスは、立憲君主制においてその専制君主を土塊に変えた。それは、あなたの[政治革命の]スタイルだ。
私が主張するのは、私の見方では、1789年の国家は1789年以前と 政治勢力の分割を変えたということだ。これは読者が判断することだ。
第6の考察はヘーゲルを攻撃しているが、それは何も成し遂げていない。)」


<26>143/132
(神意にたいして、あれほど優しい気持を抱いているのであるから、), nous le renvoyons à l'Histoire de l'économie politique, de M. de Villeneuve-Bargemont, qui, lui aussi, court après un but providentiel. Ce but ce n'est plus l'égalité,c’est le catholicisme.
       「Quelle bêtise après ce que j'ai écrit ! ー En vérité, Marx est jaloux.
       (わたしが書いておいたというのに何という馬鹿なことを! 本当のところ、マルクスは嫉妬しているのだ。)」



第7考察
<27>145/134
(だから、封建的生産について正しい判断をくだすために、), il faut la considérer comme un mode de production fondé sur l'antagonisme.
        「Est-ce que Marx a la prétention de donner tout ceci comme sien, en opposition avec quelque chose de contraire que j'aurais dit ?(マルクスは私が正反対のことを言ったことにして、すべてが自分の言葉であるかのように主張するのか?)」

<28>146/135
(たえず増大するプルレタリアート).
 「Mais tout cela c'est moi!(しかし、すべて私の言葉だ!)」

<29>146/136
(この闘争に参加するプロレタリアートは、)
      「J‘ai dit tout cela.(もうすべて私が書いたことだ。)」

<30>147/138
(しかし彼らは、他の人々よりもブルジョア的なのである。)
 「Marx fait comme Vidal.(マルクスはヴィダル*のようだ。)」

ヴィダル,フランソア Vidal,Francois(1814-1872)
フランスの小ブルジョア経済学者、社会主義者、ルイ・ブラン派(大月書店『マルクス=エンゲルス全集』第七巻参照)。
<ヴィダルは、『富の分配について』という著書によって共産主義作家として知られ、リュクサンブール委員会ではルイ・ブランの秘書だった。>(フランスにおける階級闘争 第三章 より
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/class_struggle_in_france.html#%91%E6%8El%8F%CD)

<31>147/138
(これらの理論家たちは、(被抑圧階級の欲求にそなえてそれにこたえるため、)もろもろの体系を一時のまにあわせにつくり、)
      「Plagiat de mon chapitre I(er).(私の第一章の剽窃だ。)」

<32>148/139
(ではプルードンに話を戻そう。)
      「Comment! revenons! Mais les pages qui precedent sont une copiu de moi.
      (なんと!、話を戻そうだと! だがこれまでの数頁はわたしのひき写しではないか。)」


第2節分業と機械
<33>149/141
(ものごとをあまりにも簡単なものにしてしまうことであろう。)
        「Qu'est-ce que tout cela prouve ?
        Que l'humanité progresse lentement.(このことは、何を証明しているだろうか?
人類は、ゆっくり進歩しているということだ。)」


<34>150/142
(アダム・スミスはプルードン氏が考えているよりも、もっと先を見ている。)
 「Bien.(よろしい。)」

<35>150/142
(このことはまったく、プルードン氏が別の箇所で、アダム・スミスは分業の生みだす欠陥に気づいてもいなかった、と述べることを妨げないのである。)
        「Bien. Mais Smith a-t-il éclairci le problème ? ーNon.(よろしい。しかしスミスは、問題をはっきりさせただろうか?ーいいや。)」

<36>152/144
(Citation de Ferguson et deux paragraphes suivants.ファーガソンの引用と2パラグラフに続いて)

Le problème n'est pas éclairci.(問題は解決されていない。)


<37>153/146
(「細分された労働の第一の結果は」とプルードン氏はつづける、…
…プルードン氏は、この賃金の低下が堕落した魂に相応することを証明するために、…だと言って、)
       「Allons, cher Marx, vous êtes de mauvaise foi ,et tout à la fois vous ne savez rien.
(さて、親愛なるマルクスよ、あなたは不誠実だ、そして、ここから先あなたは何も理解していない。)」


<38>154/148
(機械は一つの生産力であるにすぎない。)
        「C'est un philosophie qui dit cela.(これは言わば一つの哲学[思弁]だ。)」

<39>158/153
(ものごとを見るにしてもそれを逆に見るプルードン氏にとっては)
        「Non pas la division dans le sens d'A. Smith , mais la grande division naturelle des métiers.
         (アダム・スミスの意味での分割ではなく、職業の自然的大分割なのだ。)」


<40>
158/154
(本来の意味での機械は、一八世紀末から存在している。機械を分業の反定立と考えたり、細分された労働の統一を回復する総合と考えたりするほど、ばかげたことはない。)
        「Je maintiens cela.(私はそれ[=矛盾]を維持する。)」

<41>
158/154
(分業によって…バビッジ、パリ、1833)
        「Donc la machine vient après la division.(そして、機械は分業の後到来する。)」

<42>
158/154
(簡単な道具、これらの道具の集積)
       「Donc l'atelier qui groupe les parties du travail vient aussi après la division.(そして職場を束ねる労働団体は、分業の後、到来する。)」

<43>
158/154
(生産諸用具の集中…不可分である。)
       「Sans doute,il ne s'agit que d'une succession logique.(疑いなく、これはただの論理的帰結だ。)」

<44>
158/154
(プルードン氏にとっては、労働用具の集中は分業の否定である。)
「Oui.(そうだ。)」

<45>
158/155
(用具の集中が発展するのに応じて分業もまた発展し、分業が発展するのに応じて用具の集中もまた発展する。)
     「Oui aussi, tout cela est vrai en mème temps.
      (これまたその通り。これらすべては同時に本当のことだ。)」


<46>
159/155
(分業におけるすべての発展がこんどはまた、機械装置におけるあらたな諸発明をもたらすことになるのである。)
  「Très bien, cela s'explique dans ma théorie parfaitement, comme le développement parallèle de la richesse et de la misère.
     (よろしい、これは富と貧困の平行した発展として、完全に私の理論で説明される。)」


<47>
159〜160/156〜156
((引用者注:機械の必要性をマルクスは説き、)自動機械工場は、…自動機械の、発生しつつある絶対的支配にたいして(抵抗したのであった。))
「Absurde, comme l'opinion qui croit déshonorer la balance du commerce par les vexations de la douane.(税関の嫌がらせによって貿易収支が不渡りを出すのを信じるといった意見のように、不合理だ。)」

<48>
160/157
(だが実際、…われわれが今自動機械工場で見るような分業とのあいだには、なんという相違があることだろう!)
         「La division, pour moi, remonte plus haut qu'A. Smith ; elle est prise aussi dans un sens plus large.
(分業は、私の考えでは、A・スミスよりももっとさかのぼり、それはより広い意味に理解される。)」


<49>
161/158
(それゆえ、自動機械制度の原理は、…)
          「 L'un n'est que la conséquence de l'autre; et tout ce qui se dit du premier convient au second.(ものごとはある事柄の帰結であり、そしてすべてははじめからから二番目につづく必要があるということだ。)」

<50>
162/159
(このような配置の転換は、…旧来の慣例に公然と対立するものである。)
           「 Très bien : j'ai marqué cette opposition ―, la dégradation de l'ouvrier est plus avancée dans ce que vous appelez systéme automatique que dans ce qu'A. Smith appelle division : ー quant à moi, j' ai marqué ces deux degrés par la Division, et machines.
      J'ai dit : la Division du Travail morcelle, mutile, éparpille l'homme ; ― Les machines l'asservissent : c'est exactement la même chose que le Dr Ure.(大いに結構。私の意見はその反対だ。労働者の堕落は、スミスが分割とよぶものにおけるよりも、あなた[マルクス]が自動体系とよぶものにおける方が、より以上すすむのである。私についていえば、私は、分割と機械によって、これら二つの程度を示したのである。細分化され、ばらばらにされた分業は、人間を分散させる。機械は、人間を隷属させる。これは、ドクトゥール・ユアとまったく同じことである、と私は、のべたのである。)」


<51>
163/161
(しかし、すべての特殊的な発展が停止するとき、、、)
   「Bon! Et comment entendrez-vous ce développement intégral ?(よろしい。だが、あなたは、この全般的発展をどのように理解するのであろうか)」

<52>
163/161
(プルードン氏は…。そして、たんに一本の針の一二分の一の部分をつくるだけでなくて、一二の部品をすべてつぎつぎとつくることを、労働者に提議する。労働者は、そうすることによって、針の知識と意識に到達するであろう。)
         「Oui, en tant qu'il ne s'agirait que de résoudre l'antinomie de la division; mais je n'ai pas dit que tout fut là.
Il faut que l'habileté anciennne et moderne, sache travailler à la fois, et par ses doigts, et par les machines.
         Car, il est absurde qu'il ne puisse se passer de la machine, lui qui s'est fait remplacer par la machine.
          Le synthétisme, parvenu au plus haut degré, exige de l'ouvrier tout à la fois, et une plus grande capacité, et un développement moindre de…[Sagacité?]
(そうだ、分業の矛盾を解決することが必要なだけだが、しかし、私は問題のすべてがそこにあるとは言わなかった。
我々は、指先と機械とによる、古くて現代的な能力を同時に必要としている。
というのは機械に出来ないことができる職人が機械に取り替えられるのは不合理だからだ。ジンテーゼ(最も高水準の総合)のためには、労働者が、もっと大きな能力と[知恵?]のよりゆるやかな発展とを同時に得る必要がある。)」



第二章第3節より
<53>
169/163
(恋する男の直接対象が女であるならば、生産活動上の励みあいの直接対象は生産物であって、利潤ではない。)
      「Synonymes ici.(これは同語反復だ。)」

<54>
169/163
((競争は、)生産活動上の励みあいではなくて、商業上の励みあいである。)
       「Autres synonymes.(またしても同語反復だ。)」

44 Comments:

Blogger yoji said...

リンク

     スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    フロイト
      柄谷

7:44 午前  
Blogger yoji said...

「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」*(プルードン『革命と教会における正義』、 斉藤悦則氏のHPより)


この言葉はベンヤミン『パサージュ論』邦訳第4巻(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている(アルマン・キュヴィリエ Cuvillier,Armand「マルクスとプルードン」1937未邦訳より)。ベンヤミンは『パサージュ論』で20箇所くらいプルードンに言及しているが(マルクスの半分以下だろう)、孫引きが多い。ボードレール論を書く際にもその素材をフーリエやブランキを描写したようには活用しなかった。このことは再度書いてみたい。

10:11 午後  
Blogger yoji said...

ゲルツェン、ボードレールによるプルードン評。
1848年当時のプルードンを知る貴重な資料として、ゲルツェン『過去と思索』(第五部41章)及びボードレールの回想(筑摩版全集全六巻)がある。

ゲルツェンは亡命ロシアの貴族で、プルードンの新聞『人民の声』のパトロンになった人物でもある。『過去と思索』の第五部41章(筑摩版世界文学全集のゲルツェン第二、83巻所収。三巻本では中巻)がプルードンに関する記述で、後半部をその古典的女性観の追究にあてている。
『神曲』の言葉を引用してプルードンを形容したり、あるいはその古典的女性観を批判したりして興味深いが、特に印象に残ったのは以下の部分である。

<ーーあなたの学説はたいへん気に入りましたーーあるイギリスの旅行者がプルドンに言った。
 ーーしかし、わたしには学説なんてものは全然ありませんーープルドンは不機嫌に答えた。そしてそのとおりだった。>
(世界文学全集ゲルツェン2pp113より)

ゲルツェンはプルードンの言葉を鵜呑みにしたが、その交換銀行計画のバックボーンである相互主義は十分学説たりうると思う。

一方、ボードレールはプルードンに対して、あなたは暗殺の標的になっているとストーカーまがいの手紙を送ったり(第6巻p201)、交換銀行に関してジャーナリスティックな批判をしたりしている(「国民論壇」第5巻p395)。
なかでも興味深いのは一緒に食事をとったという話だ。

<「文学者にしては、と私は彼に言いました、驚くほど召し上がりますね。」
「なすべき大きな事があるからです」と彼は私に答えました。きわめてあっさりとそう言ったので、真面目に話しているのか、おどけてみせたのか、察することもできませんでした。>
(筑摩版全集第6巻p543より)

ボードレールにとってはプルードンは文学者だったのかと思うと少し拍子抜けするが、こうしたプルードンの生きた時代を映画は無理でも漫画に出来たら面白いと思う。
http://yojiseki.exblog.jp/7269573/

http://yojiseki.exblog.jp/7269573/

8:24 午前  
Blogger yoji said...

http://yojiseki.exblog.jp/i14/3/

8:24 午前  
Blogger yoji said...

318 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 04:43:18.03 P
ただしその理屈から刺青=近代にはならない。
最近のファッションタトゥーの流行はむしろ中世的なものの復権であり、一元
的な近代主義からの退行現象なのだ。
要するに友敵二元論を思考回路にする近代主義者が近代を幅の狭いものにして
しまっているのだ。

319 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 04:44:57.61 P
所有ではなく所持(プルードン)が真の近代的理念である。

11:45 午前  
Blogger yoji said...

909 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:14:17.52 0
柄谷
去年の秋に『ニューヨーク・ポスト』というタブロイド新聞を読んでいたら、
tattoo/tabooという駄洒落の見出しのついた記事があって、アメリカで今流行している入れ墨のことを特集していた。
親はみんな嫌がっているわけ。子供が何をやっても許すけど、入れ墨だけは困る。痕が残るからです。
ところが、その中で、一人の女の子がこういうことを言っていた。
親は簡単に離婚してしまうし、友達はすぐさよならで、残るものが何もない。
しかし入れ墨だけは残るからやるんだと言うんですよ。僕はなるほどな、と思った。
これは攻撃衝動というか、死の欲動だと思うんですけど、僕が最近考えているのは、フロイトの言う死の欲動というのは、
カントで言うと、永遠になろうとか不死に向かう衝動だと思うんだね。
だから、「入れ墨は残るから」と言う、その女の子は非常に正確なことを言っていると思った。

村上
石原慎太郎はやっぱりいいなと思ったのはね、あの人はピアスをずっと攻撃していたんですよ、意味なく。
ピアスをすると不妊になるとかね、わけのわからないことを言って(笑)。
それで僕が『サンデー毎日』で対談した時に、
「石原さん、ピアスしてる子はね、タトゥーも同じですけど、親を否定したいんだ」と言ったんですよ。
親を否定したいがために、彼らは血縁とかある種の時間の流れを切りたいから、永遠に残るもので身体を加工したいんだと。
そうしたら、あーっと感心して諺を言ったんですよ。僕は忘れましたけど。
「ああ、それを否定したいわけか。わかった、それはわかった。だったらわかる」とか言ってね。

柄谷
「身体髪膚、これを父母に受く、あえて既存せざるは孝の始め也」でしょ。

村上
それです、それです。

柄谷
この言葉には、結構深い意味があるんだなと最近思ったんです。
これはどういうことか昔わからなかったんです。

村上
逆にピアスとかタトゥーとかそういう人が出ないとわからないですよね。 <続>

910 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:15:05.18 0
柄谷
そう。孔子は死の欲動に気づいていたのではないかと思う。
ピアスやタトゥーの根源にあるものに。
それをやめることが孝のはじまりだと言うわけですからね。

村上
うーん。すごい言葉ですね。

柄谷
石原慎太郎はその欲動が強いんじゃないの(笑)。

村上
むしろそっちの方が強いんですよね、きっと。

~~略~~

村上
柄谷さんが、「ネーション・ステート」が機能しなくなって宗教と家族に両極化すると仰る。
その時の家族のイメージというのは、近代になってからのもの、それとも中世のものですか?

柄谷
もちろん近代です。だから、昔と同じ言葉を使うとは思わないけど、やっぱり「孝」というような観念が復活するんじゃないか。
中国人は毛沢東時代に「ネーション・ステート」を強調したけど、市場経済を導入してから、一方で儒教が強くなってるんじゃないかな。
『三国志』を読んでいて、へえーと思ったことがあった。
戦争をしている時に母親が病気だから帰らせてくださいとか言ってさ(笑)。

村上
確かにそうですよね。そうするとみんな帰すんですよね。
「それは帰れ」って、それが忠孝の士として残ったりするんですよね。 <続>

911 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:16:51.36 0
柄谷
中国では「孝」のほうが大事でしょ。「忠」は契約関係の問題だから、相互的ですね。主君がだめなら去ってよい。
「孝」が大事なのは、親が威張るとかいうことではなくて、やはり魂の永遠にかかわるからですね。
自分の死後祀ってくれる子孫がいないといけない。大衆にはそれしか永遠性の保証がない。

村上
うーん、そうですね。

柄谷
中国だけではなく、プラトンのなかにもそういうことが書いてあります。
一つは創造的であることによってイデア的に永遠性を獲得すること。言いかえれば、歴史に名を残すことですよね。
これは少数の者しかできないから、もう一つは子孫をもつこと。
ところが、『論語』の言葉には、それを合わせたようなことが書いてある。
さっき言った「身体髪膚……」のあとに、「身を立て、名を後世に挙げ、以て父母の名を顕すは孝の終り也」とある。

村上
でも、それすごいですよ。孔子ってすごいね。
それに対比するような生物学的エネルギーがあるとわかってるから言ってるんですよね。

柄谷
さっきも言った、自己破壊衝動というのは昔からあったと思うんですね。
身体髪膚をあえて傷つけるなというのは、昔読んだとき、事故で怪我したらどうするんだよと思ったりしたけど、そういうことじゃない。
自己に向かう攻撃衝動の禁止ですね、入れ墨も含めて。

村上
コンラート・ローレンツなんかよりもはるか昔に孔子が人間の攻撃性を、ね。
あとセックスというのは、それを含んでないとできないでしょうね。バタイユなんか見るまでもなく。
もちろん宗教は今はもう細分化して崩壊しているわけだけど、家族が国家の機能を代替する時に出てくる規範というか、
家族のイメージというのは、絶対反動的ですよね。

(ユリイカ6月臨時増刊号 1997.6.25発行)

11:30 午後  
Blogger yoji said...

909 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:14:17.52 0
柄谷
去年の秋に『ニューヨーク・ポスト』というタブロイド新聞を読んでいたら、
tattoo/tabooという駄洒落の見出しのついた記事があって、アメリカで今流行している入れ墨のことを特集していた。
親はみんな嫌がっているわけ。子供が何をやっても許すけど、入れ墨だけは困る。痕が残るからです。
ところが、その中で、一人の女の子がこういうことを言っていた。
親は簡単に離婚してしまうし、友達はすぐさよならで、残るものが何もない。
しかし入れ墨だけは残るからやるんだと言うんですよ。僕はなるほどな、と思った。
これは攻撃衝動というか、死の欲動だと思うんですけど、僕が最近考えているのは、フロイトの言う死の欲動というのは、
カントで言うと、永遠になろうとか不死に向かう衝動だと思うんだね。
だから、「入れ墨は残るから」と言う、その女の子は非常に正確なことを言っていると思った。

村上
石原慎太郎はやっぱりいいなと思ったのはね、あの人はピアスをずっと攻撃していたんですよ、意味なく。
ピアスをすると不妊になるとかね、わけのわからないことを言って(笑)。
それで僕が『サンデー毎日』で対談した時に、
「石原さん、ピアスしてる子はね、タトゥーも同じですけど、親を否定したいんだ」と言ったんですよ。
親を否定したいがために、彼らは血縁とかある種の時間の流れを切りたいから、永遠に残るもので身体を加工したいんだと。
そうしたら、あーっと感心して諺を言ったんですよ。僕は忘れましたけど。
「ああ、それを否定したいわけか。わかった、それはわかった。だったらわかる」とか言ってね。

柄谷
「身体髪膚、これを父母に受く、あえて既存せざるは孝の始め也」でしょ。

村上
それです、それです。

柄谷
この言葉には、結構深い意味があるんだなと最近思ったんです。
これはどういうことか昔わからなかったんです。

村上
逆にピアスとかタトゥーとかそういう人が出ないとわからないですよね。 <続>

910 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:15:05.18 0
柄谷
そう。孔子は死の欲動に気づいていたのではないかと思う。
ピアスやタトゥーの根源にあるものに。
それをやめることが孝のはじまりだと言うわけですからね。

村上
うーん。すごい言葉ですね。

柄谷
石原慎太郎はその欲動が強いんじゃないの(笑)。

村上
むしろそっちの方が強いんですよね、きっと。

~~略~~

村上
柄谷さんが、「ネーション・ステート」が機能しなくなって宗教と家族に両極化すると仰る。
その時の家族のイメージというのは、近代になってからのもの、それとも中世のものですか?

柄谷
もちろん近代です。だから、昔と同じ言葉を使うとは思わないけど、やっぱり「孝」というような観念が復活するんじゃないか。
中国人は毛沢東時代に「ネーション・ステート」を強調したけど、市場経済を導入してから、一方で儒教が強くなってるんじゃないかな。
『三国志』を読んでいて、へえーと思ったことがあった。
戦争をしている時に母親が病気だから帰らせてくださいとか言ってさ(笑)。

村上
確かにそうですよね。そうするとみんな帰すんですよね。
「それは帰れ」って、それが忠孝の士として残ったりするんですよね。 <続>

911 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:16:51.36 0
柄谷
中国では「孝」のほうが大事でしょ。「忠」は契約関係の問題だから、相互的ですね。主君がだめなら去ってよい。
「孝」が大事なのは、親が威張るとかいうことではなくて、やはり魂の永遠にかかわるからですね。
自分の死後祀ってくれる子孫がいないといけない。大衆にはそれしか永遠性の保証がない。

村上
うーん、そうですね。

柄谷
中国だけではなく、プラトンのなかにもそういうことが書いてあります。
一つは創造的であることによってイデア的に永遠性を獲得すること。言いかえれば、歴史に名を残すことですよね。
これは少数の者しかできないから、もう一つは子孫をもつこと。
ところが、『論語』の言葉には、それを合わせたようなことが書いてある。
さっき言った「身体髪膚……」のあとに、「身を立て、名を後世に挙げ、以て父母の名を顕すは孝の終り也」とある。

村上
でも、それすごいですよ。孔子ってすごいね。
それに対比するような生物学的エネルギーがあるとわかってるから言ってるんですよね。

柄谷
さっきも言った、自己破壊衝動というのは昔からあったと思うんですね。
身体髪膚をあえて傷つけるなというのは、昔読んだとき、事故で怪我したらどうするんだよと思ったりしたけど、そういうことじゃない。
自己に向かう攻撃衝動の禁止ですね、入れ墨も含めて。

村上
コンラート・ローレンツなんかよりもはるか昔に孔子が人間の攻撃性を、ね。
あとセックスというのは、それを含んでないとできないでしょうね。バタイユなんか見るまでもなく。
もちろん宗教は今はもう細分化して崩壊しているわけだけど、家族が国家の機能を代替する時に出てくる規範というか、
家族のイメージというのは、絶対反動的ですよね。

(ユリイカ6月臨時増刊号 1997.6.25発行)

11:30 午後  
Blogger yoji said...

そしてゲゼルのアイデアにはプルードンという先行者がいる。

「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところ
はここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミック
な二項との間でバランスをとる」
(プルードン『革命と教会における正義』、 斉藤悦則氏のHPより)
http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/vive.html

見えない所に何か深遠な哲学があるわけではないのだ。

11:14 午前  
Blogger yoji said...

 さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなければなり
ません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲----かつて革命と呼ばれたものがなければ実際には可
能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、単なる揺れ動き
にすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、私自身も長いこと共
有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜け出したのです。成功する
ためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段として革命的行動を主張する必要はな
いと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、専制に、要するに矛盾に訴えるものにす
ぎないからなのです。そういうわけで、私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社
会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。言い換えれば、あな
た方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめた
いものを生み出すように、所有に抗して、所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私は
この問題を短期に解決する方法を知っています。それゆえ私は、所有者たちの聖パルテルミーの日を作るこ
とによって、所有に新たな力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。

ブルードンからマルクスへの手紙 

                    一八四六年五月一七日
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/50790313.html

5:20 午後  
Blogger yoji said...


音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク:::::

11:34 午後  
Blogger yoji said...


プルードン『所有とは何か』より

«Supprimez la propriété en conservant la possession; et, par cette seule modification dans le principe, vous
changerez tout dans les lois, le gouvernement, l'économie, les institutions : vous chassez le mal de la terre. »

《Suppress property while maintaining possession, and, by this simple modification of the principle,
you will revolutionize law, government, economy, and institutions; you will drive evil from the face of the earth.》

《所持を保全しながら所有を廃止せよ。ただそれだけの修正によって諸君は法律、政治、経済、
諸制度の一切を変えるだろう。諸君は地上の悪を除きさるのだ》

《所有を維持し乍ら財産を抑圧せよ。そして、此単純なる原理の變換に依り、諸君は法律、政治、経済
及び組織を革命し、地表から害悪を一掃するのである。》

《诸位先生,保全所持而除所有,仅靠这种修正就可以改変法律、政治、経済和一切制度。
就可以消除地上的所有罪悪。》

参照:
Qu'est-ce que la propriété?: Premier mémoire: Recherches sur le principe du ... - Pierre-Joseph Proudhon
 http://books.google.co.jp/books?id=iWbn2Jy6czAC&pg=PA223
What is Property?, by P. J. Proudhon (1840) 5:2:3:1
 http://www.gutenberg.org/files/360/360-h/360-h.htm#noteref-35
『所有とは何か』「ブルードン」長谷川進・江口幹訳、三一書房299頁(改訳)
柄谷行人『トランスクリティーク』現代文庫247頁、定本254頁
Transcritique: On Kant and Marx: Kojin Karatani, Sabu Kohso p.167(直接引用をしていない)
 http://books.google.co.jp/books?id=mR1HIJVoy6wC&pg=PA167&lpg=PA167
『財産とは何ぞや』(新明正道訳、405頁、大正十年、1921年、発禁)
『跨越性批判一康德与马克思』中央编译出版社出版 127頁(『什么是所有权』蒲鲁东)
   http://book.douban.com/subject/5920564/ 中国語版は内山書店で購入可能


新明はパーソンズ研究でも知られる
所持と所有を、所有と財産とで訳し分けている


《Suprimid la propiedad conservando la posesión, y con esta sola modificación habréis cambiado por completo las leyes,
el gobierno, la economía, las instituciones: habréis eliminado el mal de la tierra.》

Pierre Joseph Proudhon, 1809-1865
¿Qué es la propiedad?
http://www.eumed.net/cursecon/textos/proudhon/506.htm

6:38 午前  
Blogger yoji said...

 <在此、马克思将私人所有与个人所有区别开来、意味着什么呢? 近代
的私有权利乃是以交付課税为代价由绝对主义国家所賦予的。私有,毋宁
说是一称国有,反辺来说,国有制正見私有財布制度。因此,把私有財产
的度除等同于国有化是完全错误的。私有財布的度除必須以国家的度除为
前提。対马克思来说,共产主义意味着新的 “个体所有” 的倫立,因为他
将共产主义視为一种生产合作社的联合。
 这种思考明湿地建立在蒲鲁东的思想基确上。仕青年马克思賛収不已
的蒲鲁东《什么是所有权》,因 “所有权就是盗窃” 一句名言而著名。但
是,蒲鲁东并没有否定一般的所有。他批判的是 “不劳而获,即不劳动而
前益的力量” 。因此严格地说,他区分了所持和所有。“诸位先生,保全所
持而除所有,仅靠这种修正就可以改変法律、政治、経済和一切制度。
就可以消除地上的所有罪悪。”(《什么是所有权》)対他更没有把 “不劳而
获” 等同于封建的掠奪。他所谓的 “不劳而获” 乃是資本主义生产所固有
的东西。例如,毎个劳动者状資本家那里荻得劳动所得的工資,而它们通
过协作即 “集合力” 所得到的利益之多出部分則为資本家所夺取。亚当・
斯密将此視为正当利潤的源泉,而蒲鲁东却称其为 “盗窃” 。英国的李嘉
图左派早已将比称作剰余价値了,由此产生了政治上激烈的劳动运动。対
此,蒲鲁东反対政治性的俎前,他提侶在通道分工和俳作以提高生产力的
同吋建立尤以产生 “盗窃” 的劳动合資公司,认为这种伦理一経済的交換
体系的拡大,将消灭資本和国家。
  如此观之,很清楚马克思从来没有放弃道早期状蒲鲁东那里学来的思
想。他所謂与 “私人所有” 相対立的 “个人所有” ,是蒲鲁东所说的 “所
持”。>
(柄谷行人『跨越性批判一康德与马克思』中央编译出版社出版 127-8頁)


http://www.chinese-lab.com/search/cc.php
簡体字変換サイト

<ここでマルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な
私有権は、それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えら
れたものだ。私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのであ
る。それゆえに、私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むし
ろ、私有財産の廃棄は国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズム
が新たな「個体的所有」の確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソ
シエーションとして見ていたからである。
 こうした考えは、明らかにプルードンの考えにもとづいている。若いマルクスが絶賛し
たプルードンの『所有とは何か』という著作は、「所有とは盗みである」という言葉で有
名である。しかし、プルードンは所有一般を否定したのではない。彼が否定したのは、
「不労収益権、すなわち働かずに利得する力」である。よって厳密には、彼は所持と所有
を分ける。《所持を保全しながら所有を廃止せよ。ただそれだけの修正によって諸君は法
律、政治、経済、諸制度の一切を変えるだろう。諸君は地上の悪を除きさるのだ》(『所
有とは何か』「ブルードン」長谷川進・江口幹訳、三一書房)。さらに、彼は「不労収益」を封
建的収奪と同一視したのではない。むしろ、彼のいう「不労収益」とは、資本制生産に固
有のものである。たとえば、個々の労働者は資本家から労働に対して賃金を支払われるが、
彼らの協業、すなわち「集合力」によって得られる利益の増加分は、資本家によって奪わ
れる。アダム・スミスはこれを正当な利潤の源泉と見なしたが、プルードンはそれを「盗
み」と呼んだのである。すでにイギリスのリカード左派はそれを剰余価値と呼んでおり、
そこから激しい政治的労働運動が生じた。それに対して、プルードンは政治的活動に反対
し、むしろ分業と協業によって生産力を上げながら同時にそれが「盗み」を生み出さない
ような、労働合資会社を作ることを提唱した。そのような倫理ー経済的な交換システムの
拡大が、資本と国家を死滅させる、と。
 このように見ると、実際上、マルクスが初期にブルードンから学んだ考えを一度も放棄
したことがないことがわかる。彼が「私的所有」に対立させる「個体的所有」は、プルー
ドンが「所持」と呼んだものに他ならないのである。>
(柄谷行人『トランスクリティーク』現代文庫246−8頁、定本253-4頁)


http://books.google.co.jp/books?id=mR1HIJVoy6wC&pg=PA167&lpg=PA167

http://book.douban.com/subject/5920564/

中国語版は内山書店で購入可能

6:42 午前  
Blogger yoji said...


<What does this distinction between “private property” and “individual
property” mean? Precisely because modern private ownership
was that which was awarded by the absolutist state in exchange for
paying taxes, private ownership is equal to state ownership. So lt ls a
total fallacy to abolish private property by means of state ownership.
The abolition of private property must be anabolition of the state
itself. To Marx, communism came to signify the establishment of a new
kind of individual property, and this was because he considered communism
as being equal to all association of producer's cooperatives.
 Such a view is obviously based upon Proudhon, whose book
(Qu'est-ce que la propriété?) that young Marx praised, is famous for its
unhesitant vocation, “la propriété, c’est le vol.” Yet Proudhon did
not deny Property in general. What he denied was earning income
without working. So he distinguished between possession and property,
and insisted on abolishing property. He believed that this revision
would change every aspect of social institutions: law, politics,
and economy.
 In addition, he never identified unearned profit with feudal plundering.
What he calls unearned profit is rather intrinsic to the capitalist mode
of production. For instance, each individual worker is paid wages
for their work, but not for their joint work or increased Proudhon by
their “collective power" which goes to the capitalist.
 Adam Smith regarded this as a legitimate source of profit, but
Proudhon regarded it as theft. Meanwhile, the Left Ricardians in
Britain had called it the exploitation of surplus value. While it motivated
a vehement political labor movement there, in France Proudhon
was rather against Political activity, advocating workers partnerships
where there could no longer be “theft" at the same time as advocating
a rise in Productivity by cooperative work. He believed that the
expansion of such an ethico-economic exchange system would replace
capital and the state.
 In this light, it turns out that Marx never abandoned the basic
ideas he had learned from Proudhon since his youth. What he
called “individual property” in contrast to private property is no
other than what Proudhon called “possession.” >
(Transcritique: On Kant and Marx: Kojin Karatani, Sabu Kohso p.166-7)


http://www.gutenberg.org/files/360/360-h/360-h.htm#noteref-35

I. Individual POSSESSION 35 is the condition of social life; five thousand years of property demonstrate it. PROPERTY is the suicide of society. Possession is a right; property is against right.


Suppress property while maintaining possession, and, by this simple modification of the principle, you will revolutionize law, government, economy, and institutions; you will drive evil from the face of the earth.

6:42 午前  
Blogger yoji said...

新明正道、作田啓一など
パーソンズ研究者はプルードンと接点が多い
社会学の中でも特筆すべきだ

5:01 午後  
Blogger yoji said...

(→リンク::::::

4:34 午前  
Blogger yoji said...

プルードンの社会構想と組織論 (レジュメ) : 関本洋司のブログ
http://yojiseki.exblog.jp/5230243/

「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」 (「連合の原理」)定本TCp274 、現代文庫版267頁、三一書房第三巻339頁

英語版177頁
中国語版140頁

8:02 午前  
Blogger yoji said...

プルードンの社会構想と組織論 (レジュメ) : 関本洋司のブログ
http://yojiseki.exblog.jp/5230243/

「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」 (「連合の原理」)定本TCp274 、現代文庫版267頁、三一書房第三巻339頁

"a social order arises that forms nothing but transactions and exchanges."

(The Principle of Federations, trans. Richard Vernon(Tronto: University of Tronto Pres, 1970),p.11)

英語版177頁

“政治机能将还原为产业机能,社会的秩序仅源自于商贸和交易还一単纯的事实。”

中国語版140頁
http://dokochina.com/sim2tra.htm



仅=only

这 這

還元
还原

8:54 午前  
Blogger yoji said...

Elle consiste en ce que, les fonctions politiques étant ramenées aux
fonctions industrielles, l’ordre social résulterait du seul fait des transactions et
des échanges.

Du principe Fédératif (Principle of Federation, 1863)

http://fr.wikisource.org/wiki/Proudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif/Texte_complet
p.29
http://fr.wikisource.org/wiki/Page%3AProudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif.djvu/36

「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」
(プルードン「連合の原理」、定本『トランスクリティーク』274頁 、現代文庫版267頁、
 三一書房版選集第三巻339頁)

"a social order arises that forms nothing but transactions and exchanges."
(Proudhon"The Principle of Federations#", trans. Richard Vernon. Tronto: University of Tronto Pres, 1970, p.11)
(KARATANI Kojin"Transcritique"英語版177頁)

“政治机能将还原为产业机能,社会的秩序仅源自于商贸和交易还一単纯的事实。(蒲鲁东《連合的原理》)”
(柄谷行人《跨越性批判一康德与马克思》中国語版140頁)

9:19 午前  
Blogger yoji said...

" les fonctions politiques étant ramenées aux fonctions industrielles,
l’ordre social résulterait du seul fait des transactions et des échanges."

Du principe Fédératif (Principle of Federation, 1863)

http://fr.wikisource.org/wiki/Proudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif/Texte_complet
p.29
http://fr.wikisource.org/wiki/Page%3AProudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif.djvu/36

「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」
(プルードン「連合の原理」、定本『トランスクリティーク』274頁 、現代文庫版267頁、
 三一書房版選集第三巻339頁)

"a social order arises that forms nothing but transactions and exchanges."
(Proudhon"The Principle of Federations#", trans. Richard Vernon. Tronto: University of Tronto Pres, 1970, p.11)
(KARATANI Kojin"Transcritique"英語版177頁)

“政治机能将还原为产业机能,社会的秩序仅源自于商贸和交易还一単纯的事实。(蒲鲁东《連合的原理》)”
(柄谷行人《跨越性批判一康德与马克思》中国語版140頁)

9:20 午前  
Blogger yoji said...



" les fonctions politiques étant ramenées aux fonctions industrielles,
l’ordre social résulterait du seul fait des transactions et des échanges."

Du principe Fédératif (Principle of Federation, 1863)

http://fr.wikisource.org/wiki/Proudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif/Texte_complet
p.29
http://fr.wikisource.org/wiki/Page%3AProudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif.djvu/36

「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」
(プルードン「連合の原理」三一書房版選集第三巻339頁、定本柄谷行人集『トランス
クリティーク』274頁 、現代文庫版267頁)

"a social order arises that forms nothing but transactions and exchanges."
(Proudhon"The Principle of Federations#", trans. Richard Vernon. Tronto: University of Tronto Pres, 1970, p.11)
(KARATANI Kojin"Transcritique"英語版177頁)

“政治机能将还原为产业机能,社会的秩序仅源自于商贸和交易还一単纯的事实。(蒲鲁东《連合的原理》)”
(柄谷行人《跨越性批判一康德与马克思》中国語版140頁)

9:21 午前  
Blogger yoji said...

"les fonctions politiques étant ramenées aux fonctions industrielles, l’ordre social
résulterait du seul fait des transactions et des échanges."

Du principe Fédératif (Principle of Federation, 1863)

http://fr.wikisource.org/wiki/Proudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif/Texte_complet
p.29
http://fr.wikisource.org/wiki/Page%3AProudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif.djvu/36

「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」
(プルードン「連合の原理」三一書房版選集第三巻339頁、定本『トランスクリティーク』274頁 、
現代文庫版267頁より孫引き)

"reducing political functions to industrial functions; and that a social order arises that forms
nothing but transactions and exchanges."
(Proudhon"The Principle of Federations#", trans. Richard Vernon. Tronto: University of Tronto Pres, 1970, p.11)
(KARATANI Kojin"Transcritique"英語版177頁)

"political functions have been reduced to industrial functions, and that social order arises from
nothing but transactions and exchanges."
http://www.ditext.com/proudhon/federation/federation.html#2

“政治机能将还原为产业机能,社会的秩序仅源自于商贸和交易还一単纯的事实。(蒲鲁东《連合的原理》)”
(柄谷行人《跨越性批判一康德与马克思》中国語版140頁)
http://book.douban.com/subject/5920564/

9:29 午前  
Blogger yoji said...

「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」
(プルードン「連合の原理」三一書房版選集第三巻339頁、定本『トランスクリティーク』274頁 、
現代文庫版267頁より孫引き)

“政治机能将还原为产业机能,社会的秩序仅源自于商贸和交易还一単纯的事实。(蒲鲁东《連合的原理》)”
(柄谷行人《跨越性批判一康德与马克思》中国語版140頁)
http://book.douban.com/subject/5920564/


"reducing political functions to industrial functions; and that a social order arises that forms
nothing but transactions and exchanges."
(Proudhon"The Principle of Federations#", trans. Richard Vernon. Tronto: University of Tronto Pres, 1970, p.11)
(KARATANI Kojin"Transcritique"英語版177頁)
http://www.ditext.com/proudhon/federation/federation.html#2


"les fonctions politiques étant ramenées aux fonctions industrielles, l’ordre social
résulterait du seul fait des transactions et des échanges."
(Pierre-Joseph Proudhon: Du principe Fédératif , 1863)

http://fr.wikisource.org/wiki/Proudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif/Texte_complet
p.29
http://fr.wikisource.org/wiki/Page%3AProudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif.djvu/36

9:32 午前  
Blogger yoji said...

「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」
(プルードン「連合の原理」三一書房版選集第三巻339頁、定本『トランスクリティーク』274頁 、
現代文庫版267頁より孫引き)

“政治机能将还原为产业机能,社会的秩序仅源自于商贸和交易还一単纯的事实。(蒲鲁东《連合的原理》)”
(柄谷行人《跨越性批判一康德与马克思》中国語版140頁)
http://book.douban.com/subject/5920564/

"reducing political functions to industrial functions; and that a social order arises that forms
nothing but transactions and exchanges."
(Proudhon"The Principle of Federations#", trans. Richard Vernon. Tronto: University of Tronto Pres, 1970, p.11)
(KARATANI Kojin"Transcritique"英語版177頁)
http://www.ditext.com/proudhon/federation/federation.html#2

"les fonctions politiques étant ramenées aux fonctions industrielles, l’ordre social
résulterait du seul fait des transactions et des échanges."
(Pierre-Joseph Proudhon: Du principe Fédératif , 1863)
http://fr.wikisource.org/wiki/Proudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif/Texte_complet p.29
http://fr.wikisource.org/wiki/Page%3AProudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif.djvu/36

9:34 午前  
Blogger yoji said...



「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」
(プルードン「連合の原理」三一書房版選集第三巻339頁、定本『トランスクリティーク』274頁 、
現代文庫版267頁より孫引き)

“政治机能将还原为产业机能,社会的秩序仅源自于商贸和交易还一単纯的事实。(蒲鲁东《联合的原理》)”
(柄谷行人《跨越性批判一康德与马克思》中国語版140頁)
http://book.douban.com/subject/5920564/

"reducing political functions to industrial functions; and that a social order arises that forms
nothing but transactions and exchanges."
(Proudhon"The Principle of Federations#", trans. Richard Vernon. Tronto: University of Tronto Pres, 1970, p.11)
(KARATANI Kojin"Transcritique"英語版177頁)
http://www.ditext.com/proudhon/federation/federation.html#2

"les fonctions politiques étant ramenées aux fonctions industrielles, l’ordre social
résulterait du seul fait des transactions et des échanges."
(Pierre-Joseph Proudhon: Du principe Fédératif , 1863)
http://fr.wikisource.org/wiki/Proudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif/Texte_complet p.29
http://fr.wikisource.org/wiki/Page%3AProudhon_-_Du_Principe_f%C3%A9d%C3%A9ratif.djvu/36

9:55 午前  
Blogger yoji said...

連→联

9:56 午前  
Blogger yoji said...

《連合的原理》→《联合的原理》

9:57 午前  
Blogger yoji said...

プルードン『所有とは何か』より



«Supprimez la propriété en conservant la possession; et, par cette seule modification dans le principe, vous
changerez tout dans les lois, le gouvernement, l'économie, les institutions : vous chassez le mal de la terre. »

《Suppress property while maintaining possession, and, by this simple modification of the principle,
you will revolutionize law, government, economy, and institutions; you will drive evil from the face of the earth.》

《所持を保全しながら所有を廃止せよ。ただそれだけの修正によって諸君は法律、政治、経済、
諸制度の一切を変えるだろう。諸君は地上の悪を除きさるのだ》

《所有を維持し乍ら財産を抑圧せよ。そして、此単純なる原理の變換に依り、諸君は法律、政治、経済
及び組織を革命し、地表から害悪を一掃するのである。》

《诸位先生,保全所持而除所有,仅靠这种修正就可以改変法律、政治、経済和一切制度。
就可以消除地上的所有罪悪。》

参照:
Qu'est-ce que la propriété?: Premier mémoire: Recherches sur le principe du ... - Pierre-Joseph Proudhon
 http://books.google.co.jp/books?id=iWbn2Jy6czAC&pg=PA223
What is Property?, by P. J. Proudhon (1840) 5:2:3:1
 http://www.gutenberg.org/files/360/360-h/360-h.htm#noteref-35
『所有とは何か』「ブルードン」長谷川進・江口幹訳、三一書房299頁(改訳)
柄谷行人『トランスクリティーク』現代文庫247頁、定本254頁
Transcritique: On Kant and Marx: Kojin Karatani, Sabu Kohso p.167(直接引用をしていない)
 http://books.google.co.jp/books?id=mR1HIJVoy6wC&pg=PA167&lpg=PA167
『財産とは何ぞや』(新明正道訳、405頁、大正十年、1921年、発禁)
『跨越性批判一康德与马克思』中央编译出版社出版 127頁(『什么是所有权』蒲鲁东)
   http://book.douban.com/subject/5920564/ 中国語版は内山書店で購入可能

7:45 午前  
Blogger yoji said...

返信

yoji2:33 午前

http://www.chinese-lab.com/search/cc.php
 <在此、马克思将私人所有与个人所有区别开来、意味着什么呢? 近代
的私有权利乃是以交付課税为代价由绝对主义国家所賦予的。私有,毋宁
说是一称国有,反辺来说,国有制正見私有財布制度。因此,把私有財产
的度除等同于国有化是完全错误的。私有財布的度除必須以国家的度除为
前提。対马克思来说,共产主义意味着新的 “个体所有” 的倫立,因为他
将共产主义視为一种生产合作社的联合。
 这种思考明湿地建立在蒲鲁东的思想基确上。仕青年马克思賛収不已
的蒲鲁东《什么是所有权》,因 “所有权就是盗窃” 一句名言而著名。但
是,蒲鲁东并没有否定一般的所有。他批判的是 “不劳而获,即不劳动而
前益的力量” 。因此严格地说,他区分了所持和所有。“诸位先生,保全所
持而除所有,仅靠这种修正就可以改変法律、政治、経済和一切制度。
就可以消除地上的所有罪悪。”(《什么是所有权》)対他更没有把 “不劳而
获” 等同于封建的掠奪。他所谓的 “不劳而获” 乃是資本主义生产所固有
的东西。例如,毎个劳动者状資本家那里荻得劳动所得的工資,而它们通
过协作即 “集合力” 所得到的利益之多出部分則为資本家所夺取。亚当・
斯密将此視为正当利潤的源泉,而蒲鲁东却称其为 “盗窃” 。英国的李嘉
图左派早已将比称作剰余价値了,由此产生了政治上激烈的劳动运动。対
此,蒲鲁东反対政治性的俎前,他提侶在通道分工和俳作以提高生产力的
同吋建立尤以产生 “盗窃” 的劳动合資公司,认为这种伦理一経済的交換
体系的拡大,将消灭資本和国家。
  如此观之,很清楚马克思从来没有放弃道早期状蒲鲁东那里学来的思
想。他所謂与 “私人所有” 相対立的 “个人所有” ,是蒲鲁东所说的 “所
持”。>
(柄谷行人『跨越性批判一康德与马克思』中央编译出版社出版 127-8頁)


<ここでマルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な
私有権は、それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えら
れたものだ。私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのであ
る。それゆえに、私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むし
ろ、私有財産の廃棄は国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズム
が新たな「個体的所有」の確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソ
シエーションとして見ていたからである。
 こうした考えは、明らかにプルードンの考えにもとづいている。若いマルクスが絶賛し
たプルードンの『所有とは何か』という著作は、「所有とは盗みである」という言葉で有
名である。しかし、プルードンは所有一般を否定したのではない。彼が否定したのは、
「不労収益権、すなわち働かずに利得する力」である。よって厳密には、彼は所持と所有
を分ける。《所持を保全しながら所有を廃止せよ。ただそれだけの修正によって諸君は法
律、政治、経済、諸制度の一切を変えるだろう。諸君は地上の悪を除きさるのだ》(『所
有とは何か』「ブルードン」長谷川進・江口幹訳、三一書房)。さらに、彼は「不労収益」を封
建的収奪と同一視したのではない。むしろ、彼のいう「不労収益」とは、資本制生産に固
有のものである。たとえば、個々の労働者は資本家から労働に対して賃金を支払われるが、
彼らの協業、すなわち「集合力」によって得られる利益の増加分は、資本家によって奪わ
れる。アダム・スミスはこれを正当な利潤の源泉と見なしたが、プルードンはそれを「盗
み」と呼んだのである。すでにイギリスのリカード左派はそれを剰余価値と呼んでおり、
そこから激しい政治的労働運動が生じた。それに対して、プルードンは政治的活動に反対
し、むしろ分業と協業によって生産力を上げながら同時にそれが「盗み」を生み出さない
ような、労働合資会社を作ることを提唱した。そのような倫理ー経済的な交換システムの
拡大が、資本と国家を死滅させる、と。
 このように見ると、実際上、マルクスが初期にブルードンから学んだ考えを一度も放棄
したことがないことがわかる。彼が「私的所有」に対立させる「個体的所有」は、プルー
ドンが「所持」と呼んだものに他ならないのである。>
(柄谷行人『トランスクリティーク』現代文庫246−8頁、定本253-4頁)

http://books.google.co.jp/books?id=mR1HIJVoy6wC&pg=PA167&lpg=PA167

http://book.douban.com/subject/5920564/

中国語版は内山書店で購入可能

7:48 午前  
Blogger yoji said...


<What does this distinction between “private property” and “individual
property” mean? Precisely because modern private ownership
was that which was awarded by the absolutist state in exchange for
paying taxes, private ownership is equal to state ownership. So lt ls a
total fallacy to abolish private property by means of state ownership.
The abolition of private property must be anabolition of the state
itself. To Marx, communism came to signify the establishment of a new
kind of individual property, and this was because he considered communism
as being equal to all association of producer's cooperatives.
 Such a view is obviously based upon Proudhon, whose book
(Qu'est-ce que la propriété?) that young Marx praised, is famous for its
unhesitant vocation, “la propriété, c’est le vol.” Yet Proudhon did
not deny Property in general. What he denied was earning income
without working. So he distinguished between possession and property,
and insisted on abolishing property. He believed that this revision
would change every aspect of social institutions: law, politics,
and economy.
 In addition, he never identified unearned profit with feudal plundering.
What he calls unearned profit is rather intrinsic to the capitalist mode
of production. For instance, each individual worker is paid wages
for their work, but not for their joint work or increased Proudhon by
their “collective power" which goes to the capitalist.
 Adam Smith regarded this as a legitimate source of profit, but
Proudhon regarded it as theft. Meanwhile, the Left Ricardians in
Britain had called it the exploitation of surplus value. While it motivated
a vehement political labor movement there, in France Proudhon
was rather against Political activity, advocating workers partnerships
where there could no longer be “theft" at the same time as advocating
a rise in Productivity by cooperative work. He believed that the
expansion of such an ethico-economic exchange system would replace
capital and the state.
 In this light, it turns out that Marx never abandoned the basic
ideas he had learned from Proudhon since his youth. What he
called “individual property” in contrast to private property is no
other than what Proudhon called “possession.” >
(Transcritique: On Kant and Marx: Kojin Karatani, Sabu Kohso p.166-7)

7:49 午前  
Blogger yoji said...

.@shibufusky 今のプルードンの考え方が次の記述に注としてつけられてました→「「社会的義務」なる甘美な夢が尚も夢見続けられる。人は再び思う。我々の必要とするものは社会が与えてくれる、故に我々は社会に義務づけられてあり、全て社会のおかげをこうむっているのだと。」

TwitterLeethoo_Tat(ληθω Τατ(レートー・タト))-12月27日 19時05分

1RTお気に入りリツイート返信
.@shibufusky なるほど、たとえば、シュティルナーはこんな考え方に抵抗してるようですね。→「産業においても科学におけると同じく、発明の公表は第一にして最も神聖な義務だ」(プルードン「秩序の創造」)

TwitterLeethoo_Tat(ληθω Τατ(レートー・タト))-12月27日 19時02分

1RTお気に入りリツイート返信

9:46 午前  
Blogger yoji said...


プルードンの結論と定義
今年で生誕200年を迎えるプルードンの遺稿ほど興味深いものはない。
斉藤悦則氏が紹介しているが、そこには集合組織、集合行動、集合理性といったパーソンズを先取りする考察(手編・『進歩の哲学の諸原理』)があるし、『経済的諸矛盾の体系』の「結論」(手編・『経済学——社会哲学の新原理』)があるという。
それらは当然今日の哲学を予見している。
例えば、「器官なき身体」や「欲望する諸機械」というタームを定義なしに書き進めた『アンチ~』『千の~』におけるドゥルーズはそれとは知らずプルードンの以下の系列的思考法に近づいていたのだと思う。

http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/economie.html
(以下、斉藤悦則氏の研究サイトより)

 <新たな方法論とは何か。それは「定義」から出発しないということである。あるいは,とりあえず経済の諸観念は定義不能であるとの断言から出発することである。しかし,この新たな方法論の意義がどういうものであるのかを知るためにも,われわれはプルードンにおけるこうした転換が何を契機としたものであるかを確認しておきたい。

 転換にとって決定的だったのは,52年と53年に出たコクラン編の『政治経済学辞典』35)である。プルードンはその4千項目を読み,読書ノートをつけ,「なかなか有益な考え方や貴重な教訓が含まれている」としながら,結論としては「しかし,科学は一歩も前進していない」36)と断ずる。そして,次のように述べる。

「経済学者たちの無能ぶりと科学の不条理さを目の当たりにして,私は仮説を変えた。つまり,定義された諸観念を使いながら前に進むのではなくて,未定義の観念から出発した方がよいのではないかと考えたのである」37)。」

(略)

35)主だった執筆者の名前を列挙すれば,バスティア,ブランキ,シュルビュリエ,ミシェル・シュヴアリエ,デュノワイエ,ガルニエ,モリナリ,レオン・セイなど,当時一流の陣容である。
36)Mss.2863(注:これは図書館による整理番号でプルードン『経済学』草稿はMss.2863-2867), no.10.
37)Mss.2863, no.72. >


さらに、以下の斉藤氏の脚注における別の記述を読むと、プルードンの世界観が、

        理想(宗教、道徳、芸術)

(政治→)経済学        論理学(哲学、科学)

といったように、どの分野も特権的にはあり得ずにラカンのいうボロメオの環のような三つ巴の構造を持っていたことも解る。

<24〕Mss.2866,no.126。三編の構成について,次のような記述もある。

「社会についての科学は大きく三つに区分されるが,それらは互いに類似し,相互補完的であり,相関的である。

 1.経済学,利害についての科学,政治学はこのなかに溶解する。

 2.論理学,あるいは哲学,諸理念の形成と分類と結合についての科学。

 3.理想,ここには宗教・モラル・芸術が含まれる。

 さて,経済学はもっとも最近になってできたものであるが,にもかかわらず他の科学の基礎であり,その軸をなす。われわれはまさにこの経済学から新たな探求の系列を開始することにしよう」。 >
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by yojisekimoto | 2009-09-17 02:22 | プルードン | Trackback(1) | Comments(2)
デカルトとスピノザの世界観:メモ >>
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Tracked from ねっちょり at 2009-09-20 05:32
タイトル : もみもみボーナスwwww
ぴゃはー!!!!!!!!なにこれwwww10分くらいもみもみなめなめしただけなのに3万もらったーwwwwwww今日は時間が無かったからちょっとだけだったけど、明日はたっぷり堪能してやるぜ( ̄ー ̄)ニヒヒ...more
Commented by 祖ちン at 2009-09-22 20:37 x
これ始めたら女釣れすぎーw ww
いつもテ〃リ嬢に金払ってたのがバカみてぇ。。
だってヤる度に金くれんだもんヽ(´ー`)ノ
ぶっちゃけ風俗は卒業ッス(´ー`)y─┛~~

Commented by clonecd602 at 2011-05-12 19:09 x
Lookers-on see more than players.
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4:13 午前  
Blogger yoji said...

斉藤悦則の節句働き
http://www.kagomma.net/saito/works.html
「プルードンの名著『貧困の哲学』の翻訳は
2012年5月から本格的に仕事を始めました。
平凡社ライブラリーで2013年には出るはずです。
もうしばらくお待ちください。」

4:15 午前  
Blogger yoji said...


http://www.kagomma.net/saito/travaux/economie.html
「経済学者たちの無能ぶりと科学の不条理さを目の当たりにして,私は仮説を変えた。
つまり,定義された諸観念を使いながら前に進むのではなくて,未定義の観念から出発
した方がよいのではないかと考えたのである」37)。」
プルードン

4:37 午前  
Blogger yoji said...


http://www.kagomma.net/saito/travaux/economie.html
「経済学者たちの無能ぶりと科学の不条理さを目の当たりにして,私は仮説を変えた。
つまり,定義された諸観念を使いながら前に進むのではなくて,未定義の観念から出発
した方がよいのではないかと考えたのである」37)。」
37)Mss.2863, no.72.
プルードンの未発表手編『経済学』より

4:39 午前  
Blogger yoji said...


http://www.kagomma.net/saito/travaux/economie.html
「経済学者たちの無能ぶりと科学の不条理さを目の当たりにして,私は仮説を変えた。
つまり,定義された諸観念を使いながら前に進むのではなくて,未定義の観念から出発
した方がよいのではないかと考えたのである」37)。」
プルードンの未発表手編『経済学』37)Mss.2863, no.72.より

4:39 午前  
Blogger yoji said...

集合力が搾取される
正しい分配もあり得るが、生産の場で分配されなければ官僚制に搾取される
ちなみにこのスレでは集合知が搾取されている

7:24 午前  
Blogger yoji said...

さて、人間はやがて、神の力を制限するだけでは満足せず、神をなきものにしようとの思い をつのらせながら、神の領分の割譲を求める。
神学者はこう考えるようになる。「私はものを感じ、考える一個の精神、一個の自我である から、やはり絶対的な存在のはしくれなのだ。私も神と対等に自由であり、創造者であり、不 滅である」。 まさしく「我思うゆえに我あり」だ。その派生命題が「我思うゆえに我不滅なり」で、これ は神がモーセに名前を問われて答えた「わたしはある。わたしはあるという者だ」[『出エジプ ト記』三章十四節]の翻訳にほかならない。こうして哲学は聖書と和合する。 神の存在と魂の不滅は、考え方としては同じこと。人間は、自我を宇宙の中心に置いて宇宙 の名で語り、あるいは自分自身の名で語る。このように宇宙と自我を行き来し、自覚しないま ま同じ話をくりかえしているのだ。


プルードン『貧困の哲学――経済における矛盾の体系』(1846年)の
プロローグ6頁
http://www.kagomma.net/saito/travaux/prologue.html
http://www.kagomma.net/saito/travaux/prologue.pdf


6:47 午後  
Blogger yoji said...

「プルードンの名著『貧困の哲学』の翻訳は
2012年5月から本格的に仕事を始めました。
平凡社ライブラリーで2013年には出るはずです。
もうしばらくお待ちください。」
http://www.kagomma.net/saito/works.html

プルードン『貧困の哲学――経済における矛盾の体系』(1846年)の
プロローグを翻訳した。
http://www.kagomma.net/saito/travaux/prologue.html
http://www.kagomma.net/saito/travaux/prologue.pdf

この部分は,神学談義みたいに読めるので
プルードンの経済学を期待している人にとっては厄介。
だけど、当時のひとびとの心をしっかりとらえ、多くの人に読まれた。
神の存在を仮定しておいて,結論としては無神論にいたる。
さらに,それが本書全体の体系づけにつながり
人間による社会の変革を励ます。
そういうアクロバチックな「妙技」が読者を楽しませた。

本書の翻訳は2013年ごろ、平凡社から出る予定だが
それに先だち「前宣伝」を兼ねて
冒頭部分の翻訳のみ,紹介する。

「つかみ」としてちゃんと機能するかどうか
そこが訳者として一番気にしている点である。

2012.06.27 斉藤悦則
http://www.kagomma.net/saito/travaux/prologue.html
http://www.kagomma.net/saito/travaux/prologue.pdf

6:47 午後  
Blogger yoji said...

フランスにおける階級闘争
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/class_struggle_in_france.html#%91%E6%8El%8F%CD
第三章

<ヴィダルは、『富の分配について』といふ著書によつて共産主義作家として知られ、リュクサンブール委員会ではルイ・ブランの秘書だった。>

Vidal,Francois
(1814-1872)
フランスの小ブルジョア経済学者、社会主義者、ルイ・ブラン派。
マルエン全集第七巻参照

2:45 午前  
Blogger yoji said...

■ ドストエフスキーとプルードン ( 2011-11-22 16:53:00 )
■ 農工連合(プルードンの遺言) ( 2011-11-11 02:13:00 )
■ 集合力と集合論 ( 2011-05-24 15:08:00 )
■ プルードンとベンヤミン ( 2011-05-22 00:37:00 )
■ 書評:『プルードン・セレクション』(平凡社ライブラリー) ( 2010-12-08 11:02:00 )



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[ 2006-12-26 19:55 ]
「君に告白するよ」(プルードン141周忌)
[ 2006-01-19 02:00 ]
「永続博覧会計画」by Proudhon
[ 2005-09-23 05:28 ]
プルードンの墓
[ 2005-08-24 18:06 ]
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8:33 午前  
Blogger yoji said...

プルードンとマルクスを二律背反にしない柄谷のスタンスは正しい
マルクスはプルードンから多くを受け取っている

プルードンからすれば哲学の貧困はこういうことになる

「…マルクスの著作の本当の意味は、とりわけわたしがかれと同じように考え、
そしてかれよりも前にわたしがそのことを言ったことを残念がっているところに
あるのだ。いやはや何という男だ!)」

1:38 午前  
Blogger yoji said...

“从资本主义生产方式产生的资本主义占有方式,从而资本主义的私有制,是对个人的、以自己劳动为基础的私有制的第一个否定。但资本主义生产由于自然过程的必然性,造成了对自身的否定。这是否定之否定。这种否定不是重新建立私有制,而是在资本主义时代的成就的基础上,也就是说,在协作和对土地及靠劳动本身生产的生产资料的共同占有的基础上,重新建立个人所有制。”〔36〕

〔36〕《资本论》第1卷第7篇第24章第7节,见《马克思恩格斯全集》中文版第23卷第832页,北京:人民出版社,1972。

10:17 午後  
Blogger yoji said...

参考:
ゲルツェン、ボードレールによるプルードン評。
1848年当時のプルードンを知る貴重な資料として、ゲルツェン『過去と思索』(第五部41章)及び
ボードレールの回想(筑摩版全集全六巻)がある。

ゲルツェンは亡命ロシアの貴族で、プルードンの新聞『人民の声』のパトロンになった人物でも
ある。『過去と思索』の第五部41章(筑摩版世界文学全集のゲルツェン第二、83巻所収。三巻
本では中巻)がプルードンに関する記述で、後半部をその古典的女性観の追究にあてている。
『神曲』の言葉を引用してプルードンを形容したり、あるいはその古典的女性観を批判したりして
興味深いが、特に印象に残ったのは以下の部分である。

《ーーあなたの学説はたいへん気に入りましたーーあるイギリスの旅行者がプルドンに言った。
 ーーしかし、わたしには学説なんてものは全然ありませんーープルドンは不機嫌に答えた。そ
してそのとおりだった。》
(世界文学全集ゲルツェン2pp113より)

ゲルツェンはプルードンの言葉を鵜呑みにしたが、その交換銀行計画のバックボーンである
相互主義は十分学説たりうると思う。

一方、ボードレールはプルードンに対して、あなたは暗殺の標的になっているとストーカーまが
いの手紙を送ったり(第6巻p201)、交換銀行に関してジャーナリスティックな批判をしたりしてい
る(「国民論壇」第5巻p395)。
なかでも興味深いのは一緒に食事をとったという話だ。

《「文学者にしては、と私は彼に言いました、驚くほど召し上がりますね。」
「なすべき大きな事があるからです」と彼は私に答えました。きわめてあっさりとそう言ったので、真面目に話しているのか、おどけてみせたのか、察することもできませんでした。》
(筑摩版全集第6巻p543より)

6:42 午後  
Blogger yoji said...



経済学における古典派の命名はマルクスによるものと一般に言われている。ケインズが
一般理論#1注で言及している。

以下は『経済学批判』より
http://web1.nazca.co.jp/hp/nzkchicagob/DME/KeiHi1.html

《商品を分析して二重の形態の労働に帰すること、つまり使用価値を現実の労働または合
目的的な生産的活動に帰し、交換価値を労働時間または同質の社会的労働に帰することは、イ
ギリスではウィリアム・パティ、フランスではボアギュベールにはじまり(15)、イギリスではリカア
ド、フランスではシスモンディにおわる古典派経済学の一世紀半以上にわたる諸研究の批判
的な成果である。》

通常『経済学批判』1859年第1章が参照されるが、『哲学の貧困』1847年#2:1:7の方が早い。

《 宿命論派経済学者があり、ブルジュワ自身が実践において、かれらが富を獲得することを
たすけるプロレタリアの苦悩に無関心であるのとおなじく、かれらの理論においてかれらが
ブルジュワ的生産のふつごうとよぶところのものに対して無関心である。この宿命論学派のな
かには古典派とロマン派とがある。古典派はアダム・スミスやリカードのように、なお封建社会
の遺物とたたかいつつ、ただ経済関係から封建的汚点をふきとり、生産力を増大し、産業や
商業に新しい飛躍をあたえることのみをつとめているブルジュワジーを代表する。

…ロマン派は、ブルジェワジーがプロレタリアートに直接対立し、貧困が富とおなじほど大量
に産出される、現代に属する。

…つぎには人道学派がくる。これは現在の生産関係の悪い方面を気にかける。これは、気や
すめや、現実の対照をすこしでもごまかそうとつとめる。それはプロレタリアートの悲嘆、ブル
ジュワ相互間の拘束のない競争を、心からなげく。

…博愛学派は完成された人道学派である。これは対立の必然性を否定する。これはすべて
の人をブルジュワにしようとする。

…経済学者がブルジュワ階級の科学的代表者であるのとおなじように、社会主義者と共産
主義者とはプロレタリア階級の理論家である。

…氏[プルードン]はただ、資本と労働とのあいだを、経済学と共産主義とのあいだを、たえず
動揺する、… 》


プルードンが中間に位置付けられている



古典派の使用例最古はマルクス。それをケインズが流用した。

マルクス哲学の貧困2:1:7

宿命論派経済学者があり、ブルジュワ自身が実践において、かれらが富を獲得することをたすける
プロレタリアの苦悩に無関心であるのとおなじく、かれらの理論においてかれらがブルジュワ的
生産のふつごうとよぶところのものに対して無関心である。この宿命論学派のなかには古典派と
ロマン派とがある。古典派はアダム・スミスやリカードのように、なお封建社会の遺物とたたかい
つつ、ただ経済関係から封建的汚点をふきとり、生産力を増大し、産業や商業に新しい
飛躍をあたえることのみをつとめているブルジュワジーを代表する。この闘争にあずかるプロレタリアート
は、この熱狂的な仕事に夢中になって、ただ一時的偶然的苦悩をもつにすぎず…
…ロマン派は、ブルジェワジーがプロレタリアートに直接対立し、貧困が富とおなじほど大量に産出される、
現代に属する。


ケインズ一般理論
序章
1一般理論

(1)「古典派経済学者」とは、リカード、ジェームズ・ミル、および彼らの先行者たち、すなわち、
リカードの経済学において最高潮に達する理論の創設者たちをひっくるめて言うために、マルクスがひ
ねり出した呼称である。通常の用法には外れるかもしれないが、私は私なりに、リカードの追随者、
すなわちリカードの経済理論を採用し完成させた人たち、(たとえば)J・S・ミル、マーシャル、
エッジワース、それにピグー教授も一緒に「古典派」に含めることにしている。

5:43 午後  

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