「不嘲不欺不呪而唯識」は スピノザの" Non ridere, non ligere, neque detestari, sed intelligere.(not to laugh, not to lament, not to curse, but to understand). " (『国家論』 より)を訳した言葉。
スピノザ翻訳者として知られる畠中尚志(1899-1980)の回想記に出て来る。
「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する」あるいは「私は人間の諸行動を笑わず、嘆かず、呪うこともせずにただ理解することにひたすら努めた」(畠中訳)と訳される。
以下、畠中氏の回想録。
(岩波書店「図書」1977年2月、330号より)
スピノザを訳した日々のこと
畠中尚志
一昨年のことであったか、東北大学に勤めている私の長女が恩師から「こんなもの見たことありますか?」と二枚の小さな新聞の切抜きを渡されたと言って家に持って来た。見ると、それは私が昭和七年十一月、スピノザ生誕二百年に際してA新聞へ寄せたささやかな文章で、私などのとうに失くし、忘れもしていたものであった。今年は哲学者の三百年忌に当り、その間四十四年余りの歳月が流れている。そして彼に支えられて生きて来た私の病臥生活は、さらにそれ以上の月日が経ったのである。
私がスピノザの諸著作を訳したその折々の思い出を書いてみないかとの編集郎のN氏のすすめに応じて、心に浮かぷことどもを妻に口授して筆記してもらうことにする。
大正十一、二年頃、私は東大法学部の学生であった。その前東北の旧制高校時代からいろいろな病気にかかり、果ては脊椎カリエスを患い、東京へ来てからはそれが悪化する一方であった。私はコルセットをつけて時折り学校に通ったが、次第にそれもまれになり法学への興味もうすれてきて、哲学や宗教の問題に心をひかれるようになった。時には大手町の会館に内村鑑三氏の説教を聴きに行くこともあったが、多くは家にこもって哲学関係の書などに読みふけっていた。こんなある日、街を歩いているとき突如何の脈絡もなく私の頭に 「スピノザ」という名前が雷光の様に閃いて過ぎた。そうだ、スピノザを研究してみよう、と私は思いついたのである。私をそれまで彼に惹きつけていたものは、その学説はもちろん、その至純な人間性でもあった。私はその後改めてて「エチカ」をドイツ語訳でくりかえし読んだ。また「短論文」も英訳で読んだ。しかしスピノザを研究するには、何といってもラテン語とオランダ語を学ばなければならない。私は前者を教文館にあった赤い表紙の教本で独習した後者は外国語学校(今の外語大)のオランダ語科の学生に家に来てもらって手ほどきを受けてから独習した。今や私の目標は定まった。この哲学者を私の病みがちな生涯の友とし、彼の全作品を邦訳し、その伝記を書き、その哲学を解説して世に贈ろうと。私は十四年、大学へ退学届を出し法律学と永く訣別した。
昭和三、四年頃、私は福岡に居た。この頃私は「知性改善論」を読んでいたので、まずそれの訳出を手がけようと思った。スピノザ哲学の序論でもあり量的にも短かいので、当時の私にはやりやすかったからである。私はギプスベッドに仰臥したまま、細めの大学ノート三冊に鉛筆で横書きにし、終ると采を投ずる気持で岩波に送った。一、二カ月後返事が来て「店に関係ある先生に見て頂いたら『珍らしいものだから出すように』と言われたので、文庫の一冊として出させてもらいたい」という意味のものであった。この「店に関係ある先生」とは出隆先生のことであることが後で分った(出先生といえば学生時代、私は法学部の授業を抜け出して一、二度先生の「エチカ」の演習でひそかに聞いたことがあった)。戻ってきたノートの右側のブランクのぺージには五、六の短かい書き入れがあり、その一つに natura =本性とあった。これは私が natura を性質としたのを正して下さったものである。その原稿が本になったのは、昭和六年早春、私が東京のA病院で右腎臓の摘出手術を受けた時であった。文庫部の小山二郎氏が美しいベゴニヤの鉢植えを持って見舞いに来てくれたことを忘れない。小山氏はそこで「改善論」の奥付の検印を(私に代って)押し、また若干の印税を置いて行かれた。この印税はすぐ手術料の支払いの一部に使われた。なお、小山氏は「改善論」の広告文を百五十字以内だかに書くように頼んで帰ったが、私は二、三日後それを招き、たまたま遠くから見舞いに来ていた友人の妹に托して岩波に届けてもらった。この女性が後に私の妻になり、スピノザの仕事の上の手伝いをもすることになったのは一つの因縁である。
翌年の暮からまた福岡生活が始まった。十年頃であったか、出先生や未見の師伊藤吉之助氏の仲立ちで、ボエティウスの「哲学の慰め」や「アベラールとエロイーズの手紙」の仕事を文庫のためにさせてもらったが、その際岩波では、もし私がスピノザのものをやりつづけたいなら、これと並行的にまず「国家論」を訳してもらいたいとのことだったので、それにとりかかった。この本は各論にはともかく、総論には多くの不易的な思想を含み、行文は平明簡素で全体として難解なところは少なかった。しかし当然のことながら法的表現が多く出てくるので、念のため当時家庭的にも交際のあった九大の法学部教授河村又介氏(後の最高裁判事)に一度目を通してもらうことにした。氏は「私はスピノザについては『大きな魚は小きな魚を食うように決定されている』という言葉のほか何も知らないのですよ」と、笑いながら、それでも快く引受けてくれた。一週間後、福岡に特有な夏のとてもむし暑い一夜、氏はわざわざ私の家まで原稿を持って釆て、二、三の注意を言って帰られた。ちなみに、氏がそれだけしか知らないと言った「大きな魚は小さな魚を云々」という言葉は、「神学政治論」十六章で自然権について論じ始めるところに出てくるものであり、そして自然権こそその時目を通して頂いた国家論の主要テーマの一であったのは、面白い偶会である。なお、ずっと後のことだが、かねて私の仕事に配慮をいただいていた安倍能成先生が、私に二、三枚の半折を書いて下さる意向であることを聞いた時、私は、「国家論」の第一章にある Non ridere, non ligere, neque detestari, sed intelligere というスピノザの自戒の語を.その中の一枚に加えて下さるようにお願いした。先生は.これを「不嘲不欺不呪而唯識」と訳して、先生一流の風格ある文字にしたためて下さった。私はこれを装幀して時々床の間にかけ「スピノザ学者としてもすぐれていた先生を偲んでいる。
次に私は「神学政治論」に着手した。「エチカ」と並んでスピノザの二大主著の一であり、その聖書−−ことに旧約−−の批判は徹底的かつ破壊的で、その「国家の目的は実に自由に存する」の宣言は高らかで信念に満ちたものであった。故に無神論者の大王の名を刻印せしめたのも本書であり、彼に生前「エチカ」の出版を断念させたのも、本書が巻き起こしたごうごうたる世の非難のためであった。この書には彼の他の著者に見られない激しい調子が一貫しているので、私はそれをできるだけ出すように努めた。何しろ大冊なので訳了に二年近くはかかったかと思う。「国家論」の仕事も今度の仕事もやはりギプスベッドの中で行なわれた。終日ベッドの中にこもり、一日に一度だけ階段の手すり伝いに下に降りて便所に通うのが唯一の変化であり、唯一のなぐさめであった。しかしスピノザに親しむことができて、私にとっては幸福な日々であった。「神学政治論」を訳し終えた頃は戦局もすでに不利となり、物資は乏しく、本の紙の配給は窮屈になっていたので、自由主義者のものなどには果してどうかと案じられたが、思いがけなく上下二冊合わせて一万部分の配給があったので安心した。従来の文庫は八ポイントの活字で組まれたが、本書は、その一時期の他の諸書がそうであったであろうように、九ポイントで組まれた。若い者に細かい文字を読ませて日を悪くしてはいけない、というのが当局の方針だったと聞いている。
終戦の年、私ははるばる妻の故郷である岩手県南のある村に移り住んだ。深く蝕まれた私の脊椎はまだ完癒するに至らず、依然ギプスベッド生活を余儀なくされたが、その上さらに新しい病気が出てきた。両眼の角膜炎、網膜炎、眼底出血とつづき、ことに左眼は文字がギザギザとゆがんで見え出し、学究生活も中絶しなければならなかった。しかし、眼球注射をつづけることによってやや小康を得たのを機に、妻に伴われて上京し東大病院で精密検査を受けた。その結果、それは強度近視による根底変質であることが分り、適当な採光のもとになら一日二、三時間くらいの読書はさしつかえないとのことだ。私は喜んで家に帰り、その頃岩波から依頼されていた「エチカ」の新訳にとりかかった。古典中の古典なので私は緊張していた。周知のごとく、本書は幾何学的方法で簡潔に書かれているので、むしろ忠実訳によって原文の格調と含蓄性を保持するように心掛けた。しかし必要と思われる個所は多少の自由訳を辞さなかった。一方タームの訳語の統一ないし連絡ということに心をくばったが、affectio, affici などのタームには特に悩まされた。また laetitia con comitante idea aliquis rei tanquam causa という一見何でもないような愛の説明などにいろいろと考え込んだ(これについてはかつて出ていた『文庫』という雑誌にくわしく書いたことがある)。読者の便利のため、巻頭にかなり長い解説を、巻末にかなり多量の索引を付した。福岡時代、私は仕事は朝早い時間を好んだ。そのため毎夜数本の鉛筆の先をナイフで研いで枕元に置いて寝につくのが習いであった。今は眼疾のため仕事の時間がいちじるしく制限された。朝はもちろん夜の電燈下もいけなかった。昼もあまり曇った日はだめであり、晴れた日も日光が障子一ばいに当ればまぶしくて堪えられなかった。そんな時は雨戸を閉め、雨戸と雨戸の間を数センチずつすかし、光線を加減して仕事をした。
「エチカ」以後は目をいたわるため、清書ばかりでなく下書きまで妻に口授して書いてもらった。「エチカ」の各定理の証明の終りごとに必ず出てくるQ・E・Dという句を、当時まだ幼なかった次女がいつの間にか聞き覚えていて、いつか夕食の折り、何かの拍子に突然「キューイーデー」と言い出して家人を笑わせたのもなつかしい思い出である。こうした雰囲気の中で 「エチカ」がどうやらまとまったのは二十五年も末近くであった。
つづいて「短論文」「往復書簡集」「デカルトの哲学原理」の順で訳したが、それにいちいち触れていては与えられた紙数を越えそうだからか割愛する。ただ言っておきたいのは、このうち「書簡集」はスピノザの全作品中私にとって最も骨の折れたものの一つだったということである。「書簡集」といっても、それは主として友人たちの学問上の質疑とスピノザの応答とを中心とする八十余通の手紙を含み、実質的に言って一個の学的著作なのである。私はその中に混っている十七世紀の自然科学に関する個所にはしばしば辟易し、その処理に多くの時間を費やしたが、一方哲学方面については、スピノザの神観、倫理説、形而上学を理解するのに役立つ貴重な思想と意見がいたるところ出てくるのに心おどりを感じ、慎重に対処していった。後で、ある人から「私は『書簡集』をフランス語訳で読んだがよく分らなかった。今文庫版で読んで初めて目から鱗の落ちる思いがした」と言われた時、私はほんとうにホッとした気持ちであった。
スピノザにはこのほかに「ヘブライ語文法綱要」という作品があるけれども、こと哲学に関する限り、以上で全部である。外国でもスピノザ全集の翻訳といえばこの七書から成っている。それでわが国でも、これでスピノザ全集はそろったわけである。ただ訳者の微力の故に不完全なものにとどまっていることは残念であるが、将来生れるであろう、よりよきものための捨て石となり得れば幸いである。なお、この全集の邦訳は、その時の事情、その時の都合で原典成立の年代とはまるで関係なくなされているから、念のため、ここに成立順に並べると「短論文」「知性改善論」「デカルトの哲学原理」「神学・政治論」「エチカ」「国家論」となり、「往復書簡集」はその間十五年に亙って友人との間に交わされた手紙の集積ということになる。
私の視力は病気の性質上年々少しずつ、しかし確実に低下してゆき、四十二年「知性改善論」を紙型磨滅のため改訳する頃はまだ自分でできたが、その四、五年後はもはや強いルーペを用いても本を読むのが困難になった。最近「エチカ」や「国家論」を改訂した際には、長女を仙台からほとんど休暇ごとに家に呼びよせ枕頭に座らせて助手の役目を勤めてもらわなければならなかった。
全集邦訳と並んで私の若き日の目標の他の一半であったスピノザの伝記とその哲学解説の作成は、邦訳終了後しばしぱ試みたにもかかわらず病いと種々の故障に妨げられて遅々として進まず、今の視力ではいつ出来上るかも当てがない。それを思うと私はいつも胸の痛むのをおぼえるのである。
(はたなか なおし・哲学)
13 Comments:
スピノザ『神学・政治論』
________自然6
| 宗教の目的: |
| /服従13、|
| / \ 神学|
| / (1~15)|
| / \ |
|/ ______ \|
| |奇蹟6 | |
マイモニデス7 | |\
(超自然的力→比喩) | | \
/ | |_預言者__| | \
/ | 法4=|=契約12、17 \
/ | 表象能力2 | \
/_____|__________|_____\
|__国家の___哲学15、政治(16~20)
目的:自由 理性15、19
20
スピノザ『国家論』
目的:平和安全1:6、5:2
悪\ /善4:1
恐怖\ 民主国家11 /希望3:3
\____________/
越権行為\ 貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院400人?)
4:3、4\________/
\ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
4:1最高権力 権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
________\__/_______________
自然状態、自然権 \/
3:2 本性,本能1:7、6:1
Commented by スピノザ『国家論』 :目次 at 2011-11-02 20:30 x
スピノザ『国家論』 :目次
1序論(エチカ参照箇所→)3p1,3p32n,4f13,3p31n,3p31n,4p58n,4p15,5p4n,5p42n
2自然権について(神学政治論,エチカの要約)4p37n2,4p66n,4p67,3p29n
3国家の権利について
4最高権力の所管事項について
5国家の目的について
6、7君主国家について(7)3p29,4p58
8、9、10貴族国家について
11民主国家について(未完、以下を欠く)
『神学・政治論』と『国家論』とでは国家の位置づけが違う。
前者では自然権に近かったが、後者では制度となっている。
国家の二重性とも言える。
エチカでの前半と後半の態度変更に近い。
民主国家は希有なものとなるのだ。
http://yojiseki.exblog.jp/9155400/
スピノザ『国家論』
目的:平和安全1:6、5:2
悪\ /善4:1
恐怖\ 民主国家11 /希望3:3
\____________/
越権行為\ 貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院400人?)
4:3、4\________/
\ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
4:1最高権力 権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
___________\__/_______________
自然状態、自然権 \/
3:2 本性,本能1:7、6:1
スピノザ『神学・政治論』
________自然6
| 宗教の目的: |
| /服従13、|
| / \ 神学|
| / (1~15)|
| / \ |
|/ ______ \|
| |奇蹟6 | |
マイモニデス7 | |\
(超自然的力→比喩) | | \
/ | |_預言者__| | \
/ | 法4=|=契約12、17 \
/ | 表象能力2 | \
/_____|__________|_____\
|__国家の___哲学15、政治(16~20)
目的:自由 理性15、19
20
スピノザ『国家論』
目的:平和安全1:6、5:2
悪\ /善4:1
恐怖\ 民主国家11 /希望3:3
\____________/
越権行為\ 貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院400人?)
4:3、4\________/
\ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
4:1最高権力 権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
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自然状態、自然権 \/
3:2 本性,本能1:7、6:1
スピノザ『国家論』 :目次
1序論(エチカ参照箇所→)3p1,3p32n,4f13,3p31n,3p31n,4p58n,4p15,5p4n,5p42n
2自然権について(神学政治論,エチカの要約)4p37n2,4p66n,4p67,3p29n
3国家の権利について
4最高権力の所管事項について
5国家の目的について
6、7君主国家について(7)3p29,4p58
8、9、10貴族国家について
11民主国家について(未完、以下を欠く)
『神学・政治論』と『国家論』とでは国家の位置づけが違う。
前者では自然権に近かったが、後者では制度となっている。
国家の二重性とも言える。
エチカでの前半と後半の態度変更に近い。
民主国家は希有なものとなるのだ。
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p49n1
三 この説は共同生活のために寄与する。なぜならこの説は、何びとをも憎まず、蔑(さげす)まず、嘲らず、何びとをも怒らず、嫉(ねた)まぬことを教えてくれるし、その上また、各人が自分の有するもので満足すべきこと、そして隣人に対しては女性的同情、偏頗心ないし迷信からでなく、理性の導きのみによって、すなわち私が第四部で示すだろうように時と事情が要求するところに従って、援助すべきことを教えてくれるからである。
スピノザのこの言葉は、
ニーチェ
華やぐ知恵に引用されている
ニーチェ『悦ばしき知識』 ... 嘆かず、笑わず、呪詛もせず、ただ理解する――スピノザ.
その後、ニーチェはスピノザ の神への知的な愛が気に入らなくなってくる(悦ばしき知識333など)。
http://yojiseki.exblog.jp/7291394/
参考:ニーチェのスピノザ評
ネグリのスピノザ論*は(それまでのスピノザ研究を考慮したという点で)精緻ではあるが、スピノザを評価しながらも後にその感情面の欠如を批判したニーチェに似ているかも知れない。
まず、ニーチェはスピノザに最大限の賛辞を贈っている。
「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ。僕には先駆者がいたんだ、なんという先駆者だろう。
僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザを(読んで)認めるまで。………彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿を見た。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近いのだ。
………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を苦しくさせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、すくなくとも(スピノザを読んだ)いまは、二人連れの孤独になったんだ――不思議だね!」
(ニーチェ。1881年、オーヴァーベック宛て書簡)』
その後、ニーチェはスピノザの神への知的な愛が気に入らなくなってくる(悦ばしき知識333など)。
ニーチェは、後にスピノザの神への知的な愛を感情面の肯定である運命への愛へ、コナトゥスを力への意志へと読み替えるのだ。
とはいえ、スピノザ=パルメニデスだとしたら、ニーチェ=ヘラクレイトスである(イルミヤフ・ヨベルの説)。
両者はニーチェの近親憎悪とお馴染みの通過儀礼によって引き裂かれるにしても思考構造は似ている(このことは対カントという問題意識を想定すると分かりやすいかも知れない)。
*
先の日記に書名を出さなかった英語版タイトルは以下↓。なおこの英語版は『マルチチュード』の共著者であるマイケル・ハートが翻訳している。
ただし、英語版にはドゥルーズの序文は掲載されていない。邦訳には是非収録してほしい。
The Savage Anomaly: The Power of Spinoza's Metaphysics and Politics - Antonio Negri
追記:
スピノザを感情を重視する立場から読み替えたニーチェよりも、老子を契約論的に読み替えた韓非子の態度が参考になるかも知れない。
老子は、記述の方向は真逆だが、直観知を重視した点でスピノザとつながるものがある。
畠中尚志「スピノザを訳した日々のこと」(岩波書店「図書」no.330, 1977.2)
をオンラインン上にアップしてくださっとことにお礼申し上げます。
誤植かもと思われる箇所をリストアップしました。
深刻なものはほとんどありません。
写真版を同時にアップしてくださっているので、読者自ら確認することができるのは感謝です。
重箱の隅をつつくようなことをしておりますが、ご海容いただければ幸いです。
-----
スピノザ生誕二百年に際して->スピノザ生誕三百年に際して
心に浮かぷことどもを->心に浮かぶことどもを
私の頭に 「スピノザ」という->私の頭に「スピノザ」という (空きツメル)
雷光の様に閃いて過ぎた。->電光の様に閃いて過ぎた。
独習した後者は->独習した。後者は
細めの大学ノート三冊に->薄めの大学ノート三冊に
「エチカ」の演習でひそかに->「エチカ」の演習をひそかに
私は二、三日後それを招き、->私は二、三日後それを書き、
non ligere,->non lugere,
時々床の間にかけ「スピノザ学者としても->時々床の間にかけ、スピノザ学者としても
故に無神論者の大王の名を->彼に無神論者の大王の名を
日を悪くしてはいけない、->目を悪くしてはいけない、
障子一ばいに->障子一ぱいに
光線を加減して仕事をした。(改行)「エチカ」以後は目をいたわるため、->光線を加減して仕事をした。(追い込み)「エチカ」以後は目をいたわるため、
邦訳終了後しばしぱ試みた->邦訳終了後しばしば試みた
以上。
547 考える名無しさん[] 2019/01/30(水) 21:55:07.72 ID:0
普通にその辺の参考書で十分だよ
スピノザのラテン語はかなりシンプルだし
思うにスピノザはラテン語がデカルトやホッブズほど得意ではなくて、自分の哲学を上手くラテン語にできなかったんじゃないかという節もある
550
古典ギリシャ語やラテン語はちょっとやって基本語彙とその変化を学ぶだけでも
英独仏らへんの本がだいぶ読みやすくなる
551 考える名無しさん[sage] 2019/01/31(木) 13:08:18.69 ID:0
ありがとうございます
有田潤の初級ラテン語入門を読んでみようと思います
552 考える名無しさん[] 2019/01/31(木) 18:14:46.15 ID:0
若い人なら『基本から学ぶラテン語』が一番現代的な構成(最近の英語の参考書みたい)になってていいかも
『ラテン語四週間』はあまりおすすめ出来ない
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