日曜日, 1月 22, 2012

Lacan «Je dis toujours la vérité , pas toute. »- Télévision 1973

                   (ラカンの動画精神分析リンク:::::::::

「ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる」ラカン
《La psychanalyse peut tout sauf rendre intelligent quelqu'un d'idiot.》
http://network.architexturez.net/pst/az-cf-56379-817742161
(ドゥルーズ「思い出すこと」批評空間1996Ⅱ-9より)
"Le 'Je me souviens' de Gilles Deleuze" (interview by Didier Eribon)
in Le Nouvel Observateur 1619 (16-22 November 1995), 50-51.


Lacan «Je dis toujours la vérité , pas toute. »- Télévision 1973☆

http://www.youtube.com/watch?v=4YYZfmX7jNU

frangment of "Télévision 1973"

Jacques Lacan «Je dis toujours la vérité : pas toute, parce que toute la dire, on n'y arrive pas... Les mots y manquent... C'est même par cet impossible que la vérité tient au réel.»
[ Jacques Lacan ] - Séminaire - Télévision 1973

ラカン「私は常に真実を語るが、すべてを語るわけではない」



ラカンの動画
ラカンの動画を紹介します。邦訳された『テレヴィジオン』所収のものと同じですが、動画の音声と比較するとミレールの採録が恣意的だということがわかります。
ちなみにラカンは、1私は何を知りうるか。 2私は何をなすべきか。 3私は何を望むことが許されるか。 4人間とは何か。

というカントの有名な問いに『テレヴィジオン』のなかで断片的に答えていて、それぞれ1何も知りえない 2自分がやっていることをなすべき 3何をではなく、どこから望むかが問題、と答えています。

動画は以下のような英字幕付きのものもいくつかありますが、


http://www.youtube.com/watch?v=URsYj-TVFjc



ミレール:「それではボワローが『よく理解されたことは明瞭に表現される』と詩文にしている心理について、どう思いますか?あなたの文体のことなどともあわせて。」

ラカン:「即座に答えしましょう。十年も立てば私の言説は万人に明晰(クレール)なものになります。私の学位論文(テーズ)でそれがわかりました。その論文ではまだ私の文体は結晶的(クリスタラン)ではありませんでした。つまりこれは経験的事実(フエ・デクスペリアンス)です。しかし私は無期延期であなた方を待たせたりはしません。
わたしは『よく表現されたことは明瞭に理解される』と校訂(レタプリ)します。明晰ということはそれが自ら道を開くという意味です。一つの倫理の厳格さゆえに、このような成功の約束、少なくとも売れ行き成功の約束は絶望的ですらあります。
それは私たちに神経症の値打ちを実感させてくれるでしょう。フロイトが私たちに想起させてくれること、つまり『罪悪性を生み出すのは悪(マル)ではなく善(ビヤン)である』ということは、この神経症によって支えられているのです。

こういったことのなかで、自ら道を見いだすことは、去勢(カストラシオン)が意味することについて、少なくとも推測してみることなしには不可能です。そしてこのことはボワローがそのことについて、人がそれを間違えるように、つまり人がそれを信じ込むように『明晰に』広まるがままにしておいた噂話(脚注:『女嫌いのボワローは性的不能でありその理由は幼年期に雄の鵞鳥に性器をかじられていたからである』という噂が広まっていた)について、はっきりと理解させてくれます。

彼の有名な黄土(ocre)のなかに陣取っている(アンスタレ)中傷(me'dit)、すなわち『中庸から最悪に段階なし(IL N'EST PAS DE DEGRE DU MEDIOCRE AU PIRE )』、この中傷が、この詩文の作者の手になるものとは信じがたいことです。この詩文はこんなにも見事に、この語を茶化しているのです。

これらはすべて容易なことです。しかし、それ、つまり、わたしが活字の足において修正しているものを耳にすることの方が、『それであるもの』として現れてくるものに、より相応しいのです。『それであるもの』というのは、すなわち、誰一人として気づくことのない機知のことです。

機知が計算された言葉の誤り、無意識を手なずけた言葉の誤りであることを、私たちは知ってはいないないでしょうか。(上記youtubeではここまで)それは機知に関するフロイトの論文で読むことが出来ます。…」

(中略) 「…裏返された手袋を前にして、手は自分のしていることを知っていたと想起することは、その手袋をラ・フォンテーヌやラシーヌが耐え忍んでいたであろうなにものかに返却することにはならないでしょうか。解釈は貸借を満たすために快速でなければなりません。
純粋欠損によって永続するものから、最悪の父によってしか賭けることのないものに向けて。a/-φ」
 『テレヴィジオン』(青土社、藤田博史/片山文保訳、p111-114)より

参考(乱暴な要約です):
フロイトの機知に関しての文章から、ラカンは無意識が言語構造(=表現、というよりシニフィアン)にもとづいていること、主体化は去勢という放棄によって成し遂げられることを示そうとしているようです。ラカンの言葉遊びは、言語構造の臨界点を指し示しているので単なる親父ギャグではありません。最終的な主体化?(この場合は脱存在化)の数式(すべてを放棄する聖人のそれ?)は欄外に示された「a/-φ」ということになります。

youtubeには英字幕付きのヴァージョンもいくつかアップされているようですし↓(上記「STYLE」にあたる部分は未確認、頁数は邦訳より)、
p22、http://www.youtube.com/watch?v=URsYj-TVFjc
p25前、http://www.youtube.com/watch?v=CNbee0pyHgE
p25後、http://www.youtube.com/watch?v=rImaj5s__so
p28中略、p29、http://www.youtube.com/watch?v=7prWAs5o0kQ
p32、http://www.youtube.com/watch?v=N2TEuzK-hKc
p71、http://www.youtube.com/watch?v=N7v19ZKIpuU
p72、http://www.youtube.com/watch?v=I5XPnhsC9QA
p111字幕なし、前出、http://www.youtube.com/watch?v=u8kzic0gyDw

90分にわたる無字幕のヴァージョンは以下で見ることが出来ます。
http://ubu.wfmu.org/sound/lacan_jacques/Lacan-Jacques_Television_1973.mov
http://www.hydra.umn.edu/lacan/vid/index.html

参考までに最後の行の別訳↓は以下です。
「最悪の場合にも、多少とも父のみに賭けることにより得られる純粋な喪失のなかで、持続する何かがあるのです」(マリーニ『ラカン 思想・生涯・作品』新曜社、p387より)

参考サイト:松岡正剛千夜千冊
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0911.html

追記:
最後の文章は以下のようにも訳せるでしょう。
「純粋に消え失せたものを喪失することから、唯一、父のもとより最悪の事態へ向かって賭けることへ。」
原文は、 「De ce qui perdure de perte pure'ce qui ne parie que du pe're au pire.」 。
「‥through pure dross, and the hand that draws only from Dad to worse.」という英訳の方がニュアンスが伝わりやすいのかも知れません。


追記の追記:
フロイト嫌いの知人に頼んで訳してもらったところでは、 「ピュアなケツラクをチョーシカトするよりぃ~、オヤジよりチョーヤバイってカンジになるしかないッてカンジ?」 となりました、、、、

『テレヴィジオン』に関してはこのサイト(藤田博史さん関連)↓も参考になります。
http://72.14.235.104/search?q=cache:v59MvZYeBngJ:foujita.vis.ne.jp/ST13.pdf+


追加参考資料:
以下はラカンの音声動画まとめサイト。
http://parolesdesjours.free.fr/lacan.htm


ラカンの"petit a"の発音は以下で聞けます。

音声、
http://www.ubu.com/sound/lacan.html
Radiophonie: Question 2 (17分50秒頃)
http://ubu.wfmu.org/sound/lacan_jacques/radiophonie/Lacan-Jacques_Radiophonie_02_question-2.mp3

テクスト(『ラジオフォニー』)、
http://aejcpp.free.fr/lacan/1970-06-05.htm
該当箇所、質問2の最後の方より。

Qu’il en soit ainsi du d�part dont le signifiant vire au signe, o� trouver maintenant le quelqu’un, qu’il faut lui procurer d’urgence ?
C’est le hic qui ne se fait nunc qu’� �tre psychanalyste, mais aussi lacanien. Bient�t tout le monde le sera, mon audience en fait prodrome, donc les psychanalystes aussi. Y suffirait la mont�e au z�nith social de l’objet dit par moi petit a, par l’effet d’angoisse que provoque l’�videment dont le produit notre discours, de manquer � sa production.


こうしてシニフィアンが記号へと次第に変わる出発点があるわけですが、では今、早急に見つけ出すべきこの何者かは、果たしてどこで見出されるのでしょうか。
これこそ精神分析家たる者、しかもラカン派分析家が、ココニテ今解決すべき問題なのです。遠からず、すべての人がラカン派となるでありましょうし、事実、私の聴講者がその先触れを告げております。それは対象、私のいう小文字のa、つまり、これを生み出すのは、われわれの精神分析的言説ではなく、分析家がこれを本当に生みだしうるか否かの苦悩を通して生みだされるところの空虚な穴たる小文字のaが、好評を博して世間に響き渡っている、と指摘しておけば十分かと思います。
(邦訳『ディスクール』p76より)

該当箇所のみ音声ピックアップ、

petit-a



ラカンの対象aに関する発声(3例)を集めた別ブログ↓。
http://yojisekimoto.seesaa.net/article/84225055.html

______



ラカン les deux sexes
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/52573463.html



『テレヴィジオン』(青土社)93頁~

たとえば、<男>が<女>を欲するとき、<男>は倒錯の領野に陥ることによってしか<女>に到達し得ない、といえるでしょうか。これは精神分析のディスクールによって制定された経験から定式化されることです。これが実証されるならば、これは万人に教え得ること(アンセニャーブル)、つまり科学的なことでしょうか。というのも、科学はこの公準から出発することで自分の道を切り開いてきたからです。

 わたしは、それ(サ)が万人に教え得ることであるといいましょう。そして、ルナン Renan が『科学の未来 l'avenir de la science』のためにそう願ったのと同じく、それは影響を及ぼさないものであるだけに~~というのも、<女>は外-在しないわけですから~~なおさらそういえるのです。しかしながら、<女>は外-在しない、ということは、人が<女>を欲望の対象とする、ということを除外するものではありません。むしろまったく逆で、そこから結果が生じてくるのです。

 このおかげで、<男>は間違って、ひとりの(ユンヌ)女に出遇い、このひとりの(ユンヌ)女とともに一切が起きるのです。すなわち、通常、この失敗のなかに、性行為の成功というものがあるのです。演劇で知られるように、役者たちはこのことについて、もっとも高度な事実を表現することができます。
 
 高尚劇(ノーブル)、悲劇(トラジック)、喜劇(コミック)、滑稽劇(ブウフォン)(ガウス曲線で描けるような具合に)、要するに、舞台が生み出すものの多様性(エヴァンタイユ)、そしてその舞台からそれ(サ)が姿を表すのです~~この舞台は、あらゆる社会的絆から、さまざまな恋愛ざたを切り出してきます~~こうして多様性が実現されます、~~そうしてさまざまな幻想(ファンタスム)を生み出し、この幻想によって、言葉を持つ動物たち(レ・ゼートル・ドゥ・パロール)は、自らが『生(ラ・ヴィ)』と名づけているもののなかで暮らしています(スユプジスト)。彼らがどうしてそう名づけているのかはよく分かりません。(以下略)










90分にわたる無字幕のヴァージョンは以下で見ることが出来ます。
http://ubu.wfmu.org/sound/lacan_jacques/Lacan-Jacques_Television_1973.mov
http://www.hydra.umn.edu/lacan/vid/index.html


参考:
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51762392.html

冒頭の動画は1時間12分ごろから





90分にわたる無字幕のヴァージョンは以下で見ることが出来ます。
http://ubu.wfmu.org/sound/lacan_jacques/Lacan-Jacques_Television_1973.mov
http://www.hydra.umn.edu/lacan/vid/index.html
時間指定は絵と音が(約2分)ずれてしまったので参考程度。



_______


ラカンのジャネ及びスピノザへの言及(『テレヴィジオン』より)
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/52577360.html

 


たとえば悲しみ(トリステス)を、人は抑鬱(デプレッシオン)と呼び、媒体(スユポール)として、それに魂を与えたり、哲学者ピエール・ジャネ Pierre Janet のいう心理学的緊張(タンシオン・プシコロジック)を与えたりします。しかし、これはひとつの心理状態(エタ・ダーム)ではなく、ダンテ Dante やスピノザ Spinoza が表明したように、単純にひとつの道徳的な過ち(フォット・モラル)なのです。すなわちひとつの罪(ペシエ)、つまりひとつの道徳的な怯え(ラシユテ)なのであり、この罪は最終的に思考によってしか、つまり善辯(ビヤン・ディール)の当為(ドウヴワール)、あるいは、無意識のなか、構造のなかで自らの位置を知ることの当為によってしか位置づけられないのです。

『テレヴィジオン』60頁より



Jacques Lacan - Television (7/10)
http://www.youtube.com/watch?v=deOU_R2h0ZQ
より抜粋








以下、個人メモ


第2章
p22   1:00
p24   7:00
p25   11:00
p27   14:15
p28   17:10
p28   18:00
p29   19:20
p30   20:00   
p33   23:50
p34   24:45

第5章
p71   25:30

第3章
p40   44:34マルクス
p41   46:00
p42   47:50

p45   56:40

第4章
p56   59:30
p57   1:00:30 フリース
p58           対象
p59     1:02  プラトン
p60   1:03:33スピノザ

(p63   1:04:50)
(p63    1:05:40シネマ)
2分ずれ

p63   1:07:50シネマ
      1:09:30資本のディスクール


第6章
p90?   1:10:40(カント)
p93   1:12:00
p93   1:12:50
p94   1:14:00 科学の未来
p102   1:20
p104   1:21:20 あかんべえ
p105   1:22:22
p106   1:23:20
p107   1:25:30
p108はカット

第7章
p111   1:26:30

48 Comments:

Blogger yoji said...

ラカンによるプルードン評http://yojiseki.exblog.jp/4900101/
ラカンはプルードンの恋愛論(おそらく『革命と教会における正義』におけるそれ)に関して「セミナール2」において以下のように述べています。

「プルードンを読まれることを薦めます。この人は揺るぎない精神の持ち主で、教父のような確かな語調で語る人です。彼は人間の条件についてほんの少し身を引いて考察し、一般に考えられているよりずっと手を焼かされると同時に繊細なこの事柄、つまり貞節に接近しようとしました。(中略)プルードンの思考はことごとくロマンティックな幻想に刃向かうものですが、一見したところ神秘主義的とも見えるような文体で結婚における貞節を規定しようとします。そして彼が解答を見いだすのは象徴的契約としてしか認識できない何ものかにおいてなのです。」(「ソジー」『フロイト理論と精神分析技法における自我―1954-1955 (下) 』岩波書店pp146-7)

相手である異性を通して「すべての男/女」につながろうとする恋人同士の感情の奥に潜む無意識をラカンは、プルードンの相務的契約=相互主義的交換理論をヒントに読み解こうとしています。ラカンもプルードンも原理的な主張と政治的な主張を一つの文章の中で行なおうとしていて文章が難解になる点が似ているのですが、そこから明確な解答を得ようとする方向性も似ています。
二人とも交換=契約によってカオスを脱しようとしているのです。
もちろんラカンは「剰余享楽」(これはセミナール16にある用語)にも注意を払っています。マルクスの用語である剰余価値をラカンは「剰余享楽」と読み替えるなど、思い切った試みをしています。かつて、ラカンはフロイトよりもジャネの方がすぐれていると指摘したことがあるらしいですが(『ラカン』マローニ、新曜社)、マルクスやフロイトに対する見直しもラカンを鍵に行えるかもしれません。
ちなみに、プルードンの交換システムなどは、文学理論とは違う「現実界」のものですが、ラカンの立場からは「象徴界」と「想像界」を含むボロメオの結び目(これはイタリアのボロメオ家の紋章が名称の元になっている)をつなぐ試みとして考えることも出来るでしょう。ラカンとプルードンの違いをあえて指摘するならば、ラカンの方が、契約を保障する象徴的な第三項により多くの構造上の力点を置いている点でしょう。

ところで、『ジャック・ラカン伝』(河出書房新社、p26,69)を読むと、ラカンは若いころスピノザのエチカの構成を表す図面(色付の矢印つき)を部屋に飾っていたそうです。プルードンも『革命と教会における正義』で『エチカ』から引用していましたが(第5部定理20)、これは相互主義の理論的強化に役立つ部分でした。ラカンとプルードンのスピノザ理解(具体的にはラカンの飾った図はどのようなものだったのでしょうか?)も興味深いところです。

10:39 午後  
Blogger yoji said...

ラカンはフロイトに私淑する前にジャネの人格主義を知っていた
だからフロイトの弱点を客観視できた
ラカンはフロイトの汎性欲論を受け継いでいないし
ラカンにとってファロスはシニフィアンとして構造化される
それをコナトゥスと呼んでもいい
父親の弱みを握っているからこそその遺産を独り占めに出来た息子

すべてはラカンの博士論文にある

3:11 午前  
Blogger yoji said...


音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク:::::

11:33 午後  
Blogger yoji said...


http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/?p=3
ちなみにラカンは、1私は何を知りうるか。 2私は何をなすべきか。 3私は何を望むことが許されるか。 4人間とは何か。

というカントの有名な問いに『テレヴィジオン』のなかで断片的に答えていて、それぞれ1何も知りえない 2自分がやっていることをなすべき 3何をではなく、どこから望むかが問題、と答えています。


人間とは何か、には答えていない???
(体現はしている)


http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51762392.html

12:39 午前  
Blogger yoji said...

common, pair, and individual illusions
共同、対、個人幻想
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     /    \
    / 個人幻想 \
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  /| 文学\/   |\
 /  \芸術/\  /  \
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| 対幻想 |  | 共同幻想|  
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『共同幻想論』の骨格
吉本隆明:『日本語のゆくえ』:p123~124をトポロジーとしてまとめてみたもの
http://www.momoti.com/blog2/2008/02/post_143.php
http://www.momoti.com/blog2/bw_uploads/tm_08013103_1.jpg

ラカンで言えば以下、

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     /    \
    /  想像界 \
   |     I  |
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  /| 文学\/   |\
 /  \芸術/\  /  \
|    \|__|/    | 
| 現実界 |  | 象徴界 |  
|   R |  |   S |
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    /  現実界 \
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  /| 文学\/   |\
 /  \芸術/\  /  \
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| 想像界 |  | 象徴界 |  
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共同、対、個人幻想の訳語は以下を参照。
common, pair, and individual illusions
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006865306

以下の書籍では幻想にimageの訳語を採用している(異論もある。特にフーコーに
渡した翻訳文は訳語に問題があったとされる)。
The Critique of the Virtual Shifting Discrusive Space in Japanese Literature ... - Koichi Haga -
http://books.google.co.jp/books?id=Hit0_9wIgjMC

図解に関しては、以下の書籍の評価が高い。
http://www.amazon.co.jp//dp/4907221002/
吉本隆明『共同幻想論』の読み方 (テツガクのなる木) [単行本(ソフトカバー)]
宇田亮一 (著)

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    /  想像界 \
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2:57 午前  
Blogger yoji said...

http://yokato41.blogspot.jp/2010_12_12_archive.html

2:58 午前  
Blogger yoji said...



common, pair, and individual illusions
共同、対、個人幻想
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    / 個人幻想 \
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  /| 文学\/   |\
 /  \芸術/\  /  \
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| 対幻想 |  | 共同幻想|  
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『共同幻想論』の骨格
吉本隆明:『日本語のゆくえ』:p123~124をトポロジーとしてまとめてみたもの
http://www.momoti.com/blog2/2008/02/post_143.php
http://www.momoti.com/blog2/bw_uploads/tm_08013103_1.jpg

ラカンで言えば以下、

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    /  想像界 \
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|   R |  |   S |
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http://yokato41.blogspot.jp/2010/12/blog-post_19.html


共同、対、個人幻想の訳語は以下を参照。
common, pair, and individual illusions
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006865306

以下の書籍では幻想にimageの訳語を採用している(異論もある。特にフーコーに
渡した翻訳文は訳語に問題があったとされる)。
The Critique of the Virtual Shifting Discrusive Space in Japanese Literature ... - Koichi Haga -
http://books.google.co.jp/books?id=Hit0_9wIgjMC

図解に関しては、以下の書籍の評価が高い。
http://www.amazon.co.jp//dp/4907221002/
吉本隆明『共同幻想論』の読み方 (テツガクのなる木) [単行本(ソフトカバー)]
宇田亮一 (著)

3:01 午前  
Blogger yoji said...


http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20120609
●明日の中沢新一読書会のためにもう一度『愛と経済のロゴス』を、ラカンの解説書などと比べながら読む。
http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2012/05/post-8524.html
この本は一見読みやすく、さらっと読んでなんとなくわかった気にはなれるから、そのレベルで満足したり批判したりするのはぜんぜん難しくないけど、よくみてみるといろんなところに「深みと広がり」があって、たとえば経済に詳しい人ならその方向で、人類学に詳しい人ならまた別の方向で、哲学に詳しい人ならまたまた別の方向で、それぞれ違った形で批判的なツッコミも含めた味わい深い読み方が可能なのではないかと感じさせられる。
●この本ではラカンのボロメオの環の図がでてきて、想像界のところに「贈与」が、象徴界のところに「交換」が、現実界のところに「純粋な贈与」が置き換えられていて、これだけみると「いかにも図式的」な感じがする。でも、そう簡単でもない。
この本では、経済のもっとも根本的な原理が「純粋贈与」で、そこから「贈与」が派生し、贈与から「交換」が生じるということになっている。だとするとそれは階層構造で、もっとも深層に純粋な贈与があって、表層に交換があることになるのだが、しかし表層にある交換が中間層の贈与を経ずに直接、純粋な贈与と接している面もあるので、階層構造であると同時に循環構造でもあるということになる。さらに、この三つの層がすべて直接に接する面もあるから、同時にフラットな並立構造でもある。階層構造であり循環構造であり並列構造でもある(逆に言えば、そのどれでもないとも言える)という、三次元では描写出来ない複雑に絡み合った構造が、ボロメオの環という形で表現されているのではないか。この本で中沢新一が経済の「全体性」と言って示そうとしているのは、このような構造なのではないだろうか。

3:03 午前  
Blogger yoji said...

common, pair, and individual illusions
共同、対、個人幻想
      ____
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    / 個人幻想 \
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  /| 文学\/   |\
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| 対幻想 |  | 共同幻想|  
|     |  |     |
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『共同幻想論』の骨格
吉本隆明:『日本語のゆくえ』:p123~124をトポロジーとしてまとめてみたもの
http://www.momoti.com/blog2/2008/02/post_143.php
http://www.momoti.com/blog2/bw_uploads/tm_08013103_1.jpg

ラカンで言えば以下、

      ____
     /    \
    /  想像界 \
   |     I  |
   |___  ___|
  /| 女の\/ 意味|\
 /  \悦楽/\  /  \
|    \|__|/    | 
| 現実界 |ファロス 象徴界|  
|   R の悦楽|   S |
 \     \/     /
  \____/\____/ 
http://yokato41.blogspot.jp/2010/12/blog-post_19.html

      ____
     /    \
    /  現実界 \
   |        |
   |___  ___|
  /|   \/   |\
 /  \  /\  /  \
|    \|__|/    | 
| 想像界 |  | 象徴界 |  
|     |  |     |
 \     \/     /
  \____/\____/ 

共同、対、個人幻想の訳語は以下を参照。
common, pair, and individual illusions
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006865306

以下の書籍では幻想にimageの訳語を採用している(異論もある。特にフーコーに
渡した翻訳文は訳語に問題があったとされる)。
The Critique of the Virtual Shifting Discrusive Space in Japanese Literature ... - Koichi Haga -
http://books.google.co.jp/books?id=Hit0_9wIgjMC

図解に関しては、以下の書籍の評価が高い。
http://www.amazon.co.jp//dp/4907221002/
吉本隆明『共同幻想論』の読み方 (テツガクのなる木) [単行本(ソフトカバー)]
宇田亮一 (著)

      ____
     /    \
    /  想像界 \
   |        |
   |___  ____
  /| 文学\/   |\
 /  \芸術/\  /  \
|    \|___/    | 
| 現実界 |  | 象徴界 |  
|     |  |     |
 \     \/     /
  \____/\____/ 

3:06 午前  
Blogger yoji said...


      ____
     /    \
    /  想像界 \
   |     I  |
   |___  ___|
  /| 女の\/ 意味|\
 /  \悦楽/\  /  \
|    \|_a|/    | 
| 現実界 |ファロス 象徴界|  
|   R の悦楽|   S |
 \     \/     /
  \____/\____/ 

a=対象a,剰余享楽

3:09 午前  
Blogger yoji said...


      ____
     /    \
    /  想像界 \
   |    I   |
   |___  ___|
  /| 女の\/ 意味|\
 /  \悦楽/\  /  \
|    \|_a|/    | 
| 現実界 |ファロス 象徴界|  
|  R  の悦楽|   S |
 \     \/     /
  \____/\____/ 
http://yokato41.blogspot.jp/2010/12/blog-post_19.html
a=対象a,剰余享楽

3:10 午前  
Blogger yoji said...

   ____  ____
  /    \/    \
 /     /\     \
|     |  |     | 
| 悟性  |__| 感性  |  
|    /|  |\    |
 \  /  \/  \  /
  \|___/\___|/ 
   |        |
   |   想像力  |
    \      /
     \____/ 

   ____  ____
  /    \/    \
 /     /\     \
|     |  |     | 
| 国家  |__| 市民社会|  
|    /|  |\    |
 \  /  \/  \  /
  \|___/\___|/ 
   |        |
   |  ネーション |
    \      /
     \____/ 

 ボロメオの環
(『世界共和国へ』より)

3:29 午前  
Blogger yoji said...


      ____
     /    \
    /  想像界 \
   |    I   |
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  /| 女の\/ 意味|\
 /  \享楽/\  /  \
|    \|_a|/    | 
| 現実界 |ファロス 象徴界|  
|  R  の享楽|   S |
 \     \/     /
  \____/\____/ 
http://yokato41.blogspot.jp/2010/12/blog-post_19.html
a=対象a,剰余享楽

3:37 午前  
Blogger yoji said...


ラカン、吉本隆明、カント:
   ____  ____
  /    \/    \
 /象徴界S /\ 想像界I\
| 共同幻想|意味|個人幻想 | 
| 国家  |__|ネーション|  
|  悟性/| a|\ 想像力|
 \ ファロス\/文学\  /
  \の享楽_/\芸術_|/ 
   |  現実界R  |
   |  対幻想   |
    \ 市民社会 /
     \__感性/ 

(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a,剰余享楽
通常はネーションが共同幻想になるが、吉本隆明の場合、共同幻想と個人幻想は逆立する。
http://www.momoti.com/blog2/2008/02/post_143.php
http://www.momoti.com/blog2/bw_uploads/tm_08013103_1.jpg
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20120609
http://yokato41.blogspot.jp/2010/12/blog-post_19.html 

柄谷行人:
 _________________
|        |        | 
|  S     |  I     | 
|  国家    |  ネーション |  
|  B     |  A     |     
|  共同幻想  |  個人幻想  |平     
|________|________|
|        |        |等    
|  R     |        | 
|  資本    |アソシエーション|    
|  C     |  D  X  |    
|  対幻想   |        |    
|________|________|
        自 由

『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。
文学芸術の位置にアソシエーションがあるとも考えられる。
最初の図で言えば、カントのような公私の逆転はあり得る。

5:52 午前  
Blogger yoji said...


ラカン、吉本隆明、カント:
   ____  ____
  /    \/    \
 /象徴界S /\ 想像界I\
| 共同幻想|意味|個人幻想 | 
| 国家  |__|ネーション|  
|  悟性/| a|\ 想像力|
 \ ファロス\/文学\  /
  \の享楽_/\芸術_|/ 
   |  現実界R  |
   |  対幻想   |
    \ 市民社会 /
     \__感性/ 

(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a,剰余享楽
通常はネーションが共同幻想になるが、吉本隆明の場合、共同幻想と個人幻想は逆立する。
http://www.momoti.com/blog2/2008/02/post_143.php
http://www.momoti.com/blog2/bw_uploads/tm_08013103_1.jpg
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20120609
http://yokato41.blogspot.jp/2010/12/blog-post_19.html 

柄谷行人:
 _________________
|        |        | 
|  S     |  I     | 
|  国家    |  ネーション |  
|  B     |  A     |     
|  共同幻想  |  個人幻想  |平     
|________|________|
|        |        |等    
|  R     |        | 
|  資本    |アソシエーション|    
|  C     |  D  X  |    
|  対幻想   |        |    
|________|________|
        自 由

『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。
文学芸術の位置にアソシエーションがあるとも考えられる。
最初の図で言えば、カントのような公私の逆転はあり得る。
吉本の欠点はアソシエーションの位置がわかりにくいことだ。

5:53 午前  
Blogger yoji said...

ちなみにラカンは、
1私は何を知りうるか。
2私は何をなすべきか。
3私は何を望むことが許されるか。
4人間とは何か。

というカントの有名な問いに『テレヴィジオン』のなかで断片的に答えていて、それぞれ
1何も知りえない
2自分がやっていることをなすべき
3何をではなく、どこから望むかが問題、
と答えています。

http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51762392.html

7:59 午前  
Blogger yoji said...


ちなみにラカンは、
1私は何を知りうるか。
2私は何をなすべきか。
3私は何を望むことが許されるか。
4人間とは何か。

というカントの有名な問いに『テレヴィジオン』のなかで断片的に答えていて、それぞれ
1何も知りえない、
2自分がやっていることをなすべき、
3何をではなく、どこから望むかが問題。
と答えています。

8:02 午前  
Blogger yoji said...



http://www.momoti.com/blog/2006/12/post_365.html
ラカン:ボロメオの環
       ______
      /      \   
     /  想像界   \ 
    |          |
   _|____  ____|_
  / |女の悦楽\/ 意味 | \
 /  |    /\    |  \
|    \  | a|  /    | 
|     \_|__|_/     | 
| 現実界   |Φ の|   象徴界 |  
|       |悦楽|       |
 \       \/       /
  \______/\______/ 

a=対象a,剰余享楽
Φ =ファルス

seminaire201204 of ユーロクリニーク文化部公式サイト

http://euroclinique-dc.com/_src/sc2205/83Z837E83l815B838B92f8FCD201294N48C8E.pdf
下から黒い輪、赤い輪、青い輪が重なっているだけです。各々はバラバラなのです。ラカンはここへ第四の輪 le quatrième cercle を導入します。つまりこの第四の輪が三つの輪に対して補填として働くのです。このようにして 三つの輪を繋ぎ合わせます。

(ホワイトボードに書く)
この第四の輪こそが「人間」という「症候」を作りだしている張本人といえるでしょう。いわゆる正常な人もいわ
ゆる異常な人も、人間である以上、例外なく全員が症状を出しているのです。この第四の輪による補填に注目して、
ラカンは一人の作家に注目してセミネールをおこないました。これがジェイムズ・ジョイスを巡って1975年から76
年にかけておこなわれた「ル・サントム Le sinthome」と題されたセミネールです。ちなみにこのsinthomeという
用語は、症状という意味のフランス語である symptôme の古い表記法です。と同時に英語のsin (罪)とフランス
ジェイムズ・ジョイスと補填
ル・サントムのセミネールでは、三つの輪をつなぎ止めている輪を S に相当するギリシャ語のシグマ Σで表わし ています。このΣは先ほどの第四の輪の絡み方とは異なり、部分的な留め合わせをおこなっています。このような部 分的な補填のことを補綴 プロテーゼ prothèse と呼んでいます。ジェイムズ・ジョイスはこの補綴によってジェイム ス・ジョイスたりえているのです。ラカンはこれをジョイスのエゴ Ego de Joice と表現しました。つまりジョイス のエゴはこういう形で世界を繋ぎ止めている。それによって逆に世界に対してジョイス的な意味を与えているという ことです。ちなみにラカンはこの補綴も含めて、補填の絡み方を巡って、RSI 以降のセミネールのなかで試行錯誤し ています。補填の場所をいろいろ入れ替えたりしています。



http://www.momoti.com/blog/2006/12/post_365.html
ラカン:ボロメオの環
       ______
      /      \   
     /  想像界   \ 
    |          |
   _|____  ____Σ _
  / |女の悦楽\/ 意味 | \
 /  |    /\    |  \
|    \  | a|  /    | 
|     \_Σ __|_/     | 
| 現実界   |Φ の|   象徴界 |  
|       |悦楽|       |
 \       \/       /
  \______/\______/ 

a=対象a,剰余享楽
Φ =ファルス

12:31 午前  
Blogger yoji said...

http://psychanalyse.hatenablog.com/entry/2012/06/20/230912
4.それ以降の展開

 時間がありませんので,それ以降の展開についてはかいつまんでご紹介することしかできません.70年代のラカンは,作家ジェイムズ・ジョイスに集中的に言及しています.享楽のために意味を超越した文字を操作するジョイスの作品は,彼にとっての父の機能の埋め合わせであったとラカンは考えています.実際,ジョイスには想像界に位置づけられる身体の障害が見られたのですが,それが創作活動によって補填され,彼の精神病を臨床的に発病させないままに免除したとラカンは結論づけています.このような考えは,精神病の発病回避や,近年「普通の精神病」と呼ばれ注目されている顕在発症を来さない精神病についての理論の基礎となっています.
 最後に,ジャック=アラン・ミレールが,ジョイスやカントールに言及しながら,次のように述べていることをご紹介しましょう.

「すべての論理学は排除と相関的である.同一化の誘惑を拒絶する排除という一歩は,すべての知の発明の条件であり,このことは現実界において証明される」(J.A.Miller, Sur la leçons des psychoses)

12:34 午前  
Blogger yoji said...

斉藤環 生き延びるためのラカン - NOVAが駅前にある限り
http://d.hatena.ne.jp/rt0420/20081125/1227638839
17 
ボロメオの輪 三界の結びつきをトポロジー的に表現
象徴界の働きは、想像界のスクリーンを通してはじめて意味あるものとして受け止められる。(嘘を通じてしか、本当のことには近づけない)
もう一つの、第四の輪
エディプス・コンプレックスという心的現実により、世界の崩壊をつなぎとめる。
ラカン「父の名のはたらきが主体を命名し、命名することが症状を固定する」
精神病的な傾向を持つ者の場合、「父の名の排除」のため、個人的な妄想などで第四の輪の役割を果たすものを作り出す必要が出てくる。
Ex。ジョイス(象徴界と現実界が直接からまりあう)、フランシス・ベーコン、リンチなどの作品 →「文脈病」

12:38 午前  
Blogger yoji said...

KAKEN - ラカン・クリステヴァの精神分析的視点からの文学表象理論の構築(16520153) - FY2006 Annual Research Report
http://kaken.nii.ac.jp/d/p/16520153/2006/3/ja.en.html
ラカンとクリステヴァの精神分析理論を文学の表象理論に応用し、新たな文学理論を構築するために、今年度試みたのは、以下の諸点である。
1 フロイトは心的世界の構造を、三つの位相に分割して考察した。無意識、前意識、意識よりなる第一局所論と、エス、自我、超自我の第二局所論である。問題はこれら三つの審級が、空間的な階層構造として解釈されることが多かったことにある。ラカンは、新に現実界(R)、想像界(I)、象徴界(S)の三界を提案した。コンピュータになぞらえて言えば、0-1によるデジタルな象徴界、それを映像化する想像界、直接には接近不可能なOSが現実界である。これら三界がラカン最晩年に、ボロメオの結び目として定式化される。
2 ボロメオの結び目とは、R, I, S,の一つを切り離すと残りの二つもバラバラになってしまうような三つの輪によって構成される。このバラバラな状態が精神病であり、その発症を妨げるために、第四の輪が補完される。この第四の輪は「父の名」と命名されるが、これはエディプス期に第三者たる父が母子融合状態に介入してこれを切断しない限り、言い換えると「父の名の排除」が生じる場合に精神病が育まれうることに起因する。父の名に由来する症状、つまり父の欠如を補填する症状をラカンは「サントーム」と呼ぶ。
3 『フィネガンズ・ウェイク』を初めとするジェイムズ・ジョイスの芸術は、まさにこのサントームそのものである。R, I, S,の三つのボロメオの輪をしっかりとつなぎ止め、父の欠如を代償する、第四の輪としての彼のエクリチュールの働きによって、ジョイスは、想像界抜きで現実界と象徴界とが癒着する精神病を免れているといえる。彼のエクリチュールが症状と等価であり、症状が現実界に由来するものであるなら、ジョイスを読むことは、現実界に位置する「享楽」を解放することにつながる

12:41 午前  
Blogger yoji said...



http://www.momoti.com/blog/2006/12/post_365.html
ラカン:ボロメオの環
       ______
      /      \   
     /  想像界   \ 
    |      ____| _Σ
   _|____/ ____|_ |
  / |女の悦楽\/ 意味_|_\
 /  |  / /\/   |  \
|    \| |a/|  /    | 
|     \_||_|_/     | 
| 現実界 |_|Φ の|   象徴界 |  
|       |悦楽|       |
 \       \/       /
  \______/\______/ 

a=対象a,剰余享楽
Φ =ファルス
Σ =サントーム(症例)

1:23 午前  
Blogger yoji said...

=ファルス


http://www.momoti.com/blog/2006/12/post_365.html
ラカン:ボロメオの環
       ______
      /      \   
     /  想像界   \ 
    |   I _____| _Σ
   _|____/ ____|_ |
  / |女の悦楽\/ 意味_|_\
 /  |  / /\/   |  \
|    \| |a/|  /    | 
|     \_||_|_/     | 
| 現実界 |_|Φ の|   象徴界 |  
| R     |悦楽|   S   |
 \       \/       /
  \______/\______/ 

a=対象a,剰余享楽
Φ =ファルス
Σ =サントーム(症例)

http://kaken.nii.ac.jp/d/p/16520153/2006/3/ja.en.html
 ボロメオの結び目とは、R, I, S,の一つを切り離すと残りの二つもバラバラになってしまうような三つの輪によって構成される。このバラバラな状態が精神病であり、その発症を妨げるために、第四の輪が補完される。この第四の輪は「父の名」と命名されるが、これはエディプス期に第三者たる父が母子融合状態に介入してこれを切断しない限り、言い換えると「父の名の排除」が生じる場合に精神病が育まれうることに起因する。父の名に由来する症状、つまり父の欠如を補填する症状をラカンは「サントーム」と呼ぶ。
 『フィネガンズ・ウェイク』を初めとするジェイムズ・ジョイスの芸術は、まさにこのサントームそのものである。R, I, S,の三つのボロメオの輪をしっかりとつなぎ止め、父の欠如を代償する、第四の輪としての彼のエクリチュールの働きによって、ジョイスは、想像界抜きで現実界と象徴界とが癒着する精神病を免れているといえる。彼のエクリチュールが症状と等価であり、症状が現実界に由来するものであるなら、ジョイスを読むことは、現実界に位置する「享楽」を解放することにつながる

1:29 午前  
Blogger yoji said...


http://euroclinique-dc.com/_src/sc2205/83Z837E83l815B838B92f8FCD201294N48C8E.pdf

ル・サントムのセミネールでは、三つの輪をつなぎ止めている輪を S に相当するギリシャ語のシグマ Σで表わし ています。このΣは先ほどの第四の輪の絡み方とは異なり、部分的な留め合わせをおこなっています。このような部 分的な補填のことを補綴 プロテーゼ prothèse と呼んでいます。ジェイムズ・ジョイスはこの補綴によってジェイム ス・ジョイスたりえているのです。ラカンはこれをジョイスのエゴ Ego de Joice と表現しました。つまりジョイス のエゴはこういう形で世界を繋ぎ止めている。それによって逆に世界に対してジョイス的な意味を与えているという ことです。ちなみにラカンはこの補綴も含めて、補填の絡み方を巡って、RSI 以降のセミネールのなかで試行錯誤し ています。補填の場所をいろいろ入れ替えたりしています。

1:31 午前  
Blogger yoji said...


http://www.momoti.com/blog/2006/12/post_365.html
ラカン:ボロメオの環
       ______
      /      \   
     /  想像界   \ 
    |   I _____| _Σ
   _|____/ ____|_ |父の名
  / |女の悦楽\/ 意味_|_\
 /  |  / /\/   |  \
|    \| |a/|  /    | 
|     \_||_|_/     | 
| 現実界 |_|Φ の|   象徴界 |  
| R     |悦楽|   S   |
 \       \/       /
  \______/\______/ 

a=対象a,剰余享楽
Φ =ファルス
Σ =サントーム(症状)

http://kaken.nii.ac.jp/d/p/16520153/2006/3/ja.en.html
 ボロメオの結び目とは、R, I, S,の一つを切り離すと残りの二つもバラバラになってしまうような三つの輪によって構成される。このバラバラな状態が精神病であり、その発症を妨げるために、第四の輪が補完される。この第四の輪は「父の名」と命名されるが、これはエディプス期に第三者たる父が母子融合状態に介入してこれを切断しない限り、言い換えると「父の名の排除」が生じる場合に精神病が育まれうることに起因する。父の名に由来する症状、つまり父の欠如を補填する症状をラカンは「サントーム」と呼ぶ。
 『フィネガンズ・ウェイク』を初めとするジェイムズ・ジョイスの芸術は、まさにこのサントームそのものである。R, I, S,の三つのボロメオの輪をしっかりとつなぎ止め、父の欠如を代償する、第四の輪としての彼のエクリチュールの働きによって、ジョイスは、想像界抜きで現実界と象徴界とが癒着する精神病を免れているといえる。彼のエクリチュールが症状と等価であり、症状が現実界に由来するものであるなら、ジョイスを読むことは、現実界に位置する「享楽」を解放することにつながる。

http://euroclinique-dc.com/_src/sc2205/83Z837E83l815B838B92f8FCD201294N48C8E.pdf
ル・サントムのセミネールでは、三つの輪をつなぎ止めている輪を S に相当するギリシャ語のシグマ Σで表わし ています。このΣは先ほどの第四の輪の絡み方とは異なり、部分的な留め合わせをおこなっています。このような部 分的な補填のことを補綴 プロテーゼ prothèse と呼んでいます。ジェイムズ・ジョイスはこの補綴によってジェイム ス・ジョイスたりえているのです。ラカンはこれをジョイスのエゴ Ego de Joice と表現しました。つまりジョイス のエゴはこういう形で世界を繋ぎ止めている。それによって逆に世界に対してジョイス的な意味を与えているという ことです。ちなみにラカンはこの補綴も含めて、補填の絡み方を巡って、RSI 以降のセミネールのなかで試行錯誤し ています。補填の場所をいろいろ入れ替えたりしています。

1:32 午前  
Blogger yoji said...

ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる

10:02 午前  
Blogger yoji said...

http://d.hatena.ne.jp/rothko/comment?date=20040926


なき・・・(1)
 残念ながらまだ刊行されていない講義録のなかで、ラカンがドゥルーズに触れた機会が二度ほどあります。一度は1967年4月19日。ドゥルーズの『マゾッホとサド』に関する非常に好意的な論評です。

「しかし驚くべきことではないかと思うのは、こうしたテクストが本当の意味で、私が今実際に、今年切り開いた途上でいうべきことをすでに先取りしているということです。」

もう一度は1969年3月12日。今度は『意味の論理学』に関するコメントです。ここでは若干の見解の相違点を指摘しつつも、こんな指摘を。

「喜んで労を払おうという方なら、この《他者》のレベルに、ドゥルーズの本の中では出来事、上演と題され、呼ばれているものを位置づけることが出来るでしょう。これは厳密さと尊敬すべき正確さでもって、判明に、それも現代論理学思考が定義しうるものすべてとも調和を保っています。あるいは、ランガージュの存在と結びついたあらゆるパレードと呼んでもいいかもしれません。ここにこそ、《他者》の中にこそ、無意識は一つのランガージュとして構造化されているのです。」

 ついでにいえば、この翌週3月19日の講義では、ジャック・ナシフが『意味の論理学』のレジュメを発表しています。
 まあそんなわけで、『批評空間』1996年春号でドゥルーズが、『アンチ・オイディプス』発表後の数ヶ月後のラカンとの思い出話のなかで「ラカンは、ミレールを除くあらゆる弟子の悪口を言ったあげく、『私に必要なのは君のような人だ』」と言った」というのも、まあそういうことあったろうなあ、という気もするのです。すくなくともドゥルーズ側がこういうネタを吹聴する必要もなさそうですから。

12:29 午後  
Blogger yoji said...

Blogger yoji さんは書きました...
3. "Le 'Je me souviens' de Gilles Deleuze" (interview by Didier Eribon) in Le Nouvel Observateur 1619 (16-22 November 1995), 50-51.

- See more at: http://jdeanicite.typepad.com/i_cite/2006/02/smith_the_inver.html#sthash.azHwawLN.dpuf


http://wine.wul.waseda.ac.jp/search~S9*jpn/X?Le+Nouvel+Observateur&SORT=D&searchscope=9

タイトル Le nouvel observateur.
出版事項 [Paris : s.n.]

種別 未製本分は3階雑誌フロア(鳩の巣書架)
no.351-408:大型本コーナー
配架場所 中央 3F雑誌
請求記号 SZ1 0207
図書館所蔵 351-352,354-388,390-440,442-506,508-611,613-706,708-715,718-2326,2328-2574<1971-2014>+
最新の受入: 2014 3月 12 no.2574
種別 最新1年分のみ保存 / カウンター横"一般洋雑誌棚"に配架 / 最新4号分は教員室に配架
配架場所 政経教員図書室
最新の受入: 2014 3月 12 no.2574
種別 最新1年分のみ新着棚
配架場所 法律文献情報センター
最新の受入: 2014 3月 13 - 2014 3月 19 no.2575
種別 最新1年分のみ保存
配架場所 教育教員図書室
最新の受入: 2014 2月 27 no.2573
種別 2565以降新着雑誌棚配架
配架場所 戸山 B1雑誌
請求記号 N 027
図書館所蔵 796-803,806-808,810-823,826-841,843-856,875-877,879,881-890,901-902,904,906-931,935-942, 964-993,999,1001-1011,1013,1015-1017,1020-1035,1039-1047,1049-1102,1104-1139,1148-1151, 1153-1170,1172-1184,1186-1187,1189-1192,1194-1198,1201,1205-1206,1209,1216-1226,1228-1231, 1233-1241,1243-1245,1249,1251-1252,1254-1255,1257,1268-1276,1278-1284,1286,1289-1294, 1297-1306,1308-1372,1374,1376-1392,1394,1400-1447,1450-1466,1474-1495,1497-1519,1523-1530,1534-1538,1542-1543,1545-1588,1830-2042,2044-2108,2110-2134,2136-2227,2241-2161,2163-2575<1979-2014>+
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種別 洋雑誌大型本書庫配架
配架場所 戸山 B1雑誌(大型)
請求記号 N 027
図書館所蔵 27-49,51-56,58-90,115,135-183,186-211,213-224,227-230,232-236,238-261,263-266,268-326,328-330<1965-1971>
種別 フランス語フランス文学コース室配架
配架場所 戸山(仏語仏文学)
請求記号 N 027

12:33 午後  
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http://jdeanicite.typepad.com/i_cite/2006/02/smith_the_inver.html
My only great encounter with him was after the appearance of Anti-Oedipus [1972].2 I'm sure he took it badly. He must have held it against us, Félix and me. But finally, a few months later, he summoned me—there's no other word for it. He wanted to see me. And so I went. He made me wait in his antechamber. It was filled with people, I didn't know if they were patients, admirers, journalists.... He made me wait a long time—a little too long, all the same—and then he finally received me. He rolled out a list of all his disciples, and said that they were all worthless [ nuls ] (the only person he said nothing bad about was Jacques-Alain Miller). It made me smile, because I recalled Binswanger telling the story of a similar scene: Freud saying bad things [End Page 635] about Jones, Abraham, etc. And Binswanger was shrewd enough to assume that Freud would say the same thing about him when he wasn't there. So Lacan was speaking, and everyone was condemned, except Miller. And then he said to me, "What I need is someone like you" [ C'est quelqu'un comme vous qu'il me faut .].3



- See more at: http://jdeanicite.typepad.com/i_cite/2006/02/smith_the_inver.html#sthash.azHwawLN.dpuf

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Psychoanalysis can do everything except make an idiot seem intelligible.

http://jdeanicite.typepad.com/i_cite/2006/02/smith_the_inver.html

Lacan noticed me when he devoted a session of his seminar to my book on Sacher-Masoch [1967].1 I was told—although I never knew anything more than this—that he had devoted more than an hour to my book. And then he came to a conference at Lyon, where I was then teaching. He gave an absolutely unbelievable lecture.... It was there that he uttered his famous formula, " Psychoanalysis can do everything except make an idiot seem intelligible. " After the conference, he came to our place for dinner. And since he went to bed very late, he stayed a long time. I remember: it was after midnight and he absolutely had to have a special whisky. It was truly a nightmare, that night.



My only great encounter with him was after the appearance of Anti-Oedipus [1972].2 I'm sure he took it badly. He must have held it against us, Félix and me. But finally, a few months later, he summoned me—there's no other word for it. He wanted to see me. And so I went. He made me wait in his antechamber. It was filled with people, I didn't know if they were patients, admirers, journalists.... He made me wait a long time—a little too long, all the same—and then he finally received me. He rolled out a list of all his disciples, and said that they were all worthless [ nuls ] (the only person he said nothing bad about was Jacques-Alain Miller). It made me smile, because I recalled Binswanger telling the story of a similar scene: Freud saying bad things [End Page 635] about Jones, Abraham, etc. And Binswanger was shrewd enough to assume that Freud would say the same thing about him when he wasn't there. So Lacan was speaking, and everyone was condemned, except Miller. And then he said to me, "What I need is someone like you" [ C'est quelqu'un comme vous qu'il me faut .].3

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La psychanalyse peut tout faire, sauf faire un idiot semble intelligible.
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My only great encounter with him was after the appearance of Anti-Oedipus [1972].2 I'm sure he took it badly. He must have held it against us, Félix and me. But finally, a few months later, he summoned me—there's no other word for it. He wanted to see me. And so I went. He made me wait in his antechamber. It was filled with people, I didn't know if they were patients, admirers, journalists.... He made me wait a long time—a little too long, all the same—and then he finally received me. He rolled out a list of all his disciples, and said that they were all worthless [ nuls ] (the only person he said nothing bad about was Jacques-Alain Miller). It made me smile, because I recalled Binswanger telling the story of a similar scene: Freud saying bad things [End Page 635] about Jones, Abraham, etc. And Binswanger was shrewd enough to assume that Freud would say the same thing about him when he wasn't there. So Lacan was speaking, and everyone was condemned, except Miller. And then he said to me, "What I need is someone like you" [ C'est quelqu'un comme vous qu'il me faut .].3



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Psychoanalysis can do everything except make an idiot seem intelligible.

http://jdeanicite.typepad.com/i_cite/2006/02/smith_the_inver.html

Lacan noticed me when he devoted a session of his seminar to my book on Sacher-Masoch [1967].1 I was told—although I never knew anything more than this—that he had devoted more than an hour to my book. And then he came to a conference at Lyon, where I was then teaching. He gave an absolutely unbelievable lecture.... It was there that he uttered his famous formula, " Psychoanalysis can do everything except make an idiot seem intelligible. " After the conference, he came to our place for dinner. And since he went to bed very late, he stayed a long time. I remember: it was after midnight and he absolutely had to have a special whisky. It was truly a nightmare, that night.



My only great encounter with him was after the appearance of Anti-Oedipus [1972].2 I'm sure he took it badly. He must have held it against us, Félix and me. But finally, a few months later, he summoned me—there's no other word for it. He wanted to see me. And so I went. He made me wait in his antechamber. It was filled with people, I didn't know if they were patients, admirers, journalists.... He made me wait a long time—a little too long, all the same—and then he finally received me. He rolled out a list of all his disciples, and said that they were all worthless [ nuls ] (the only person he said nothing bad about was Jacques-Alain Miller). It made me smile, because I recalled Binswanger telling the story of a similar scene: Freud saying bad things [End Page 635] about Jones, Abraham, etc. And Binswanger was shrewd enough to assume that Freud would say the same thing about him when he wasn't there. So Lacan was speaking, and everyone was condemned, except Miller. And then he said to me, "What I need is someone like you" [ C'est quelqu'un comme vous qu'il me faut .].3

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12:34 午後  
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3. "Le 'Je me souviens' de Gilles Deleuze" (interview by Didier Eribon) in Le Nouvel Observateur 1619 (16-22 November 1995), 50-51.

12:38 午後  
Blogger yoji said...

ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる

ラカン

(ドゥルーズ「思い出すこと」批評空間1996Ⅱ-9)
"Le 'Je me souviens' de Gilles Deleuze" (interview by Didier Eribon) in Le Nouvel Observateur 1619 (16-22 November 1995), 50-51.

2:03 午前  
Blogger yoji said...

ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる

ラカン

(ドゥルーズ「思い出すこと」批評空間1996Ⅱ-9より)
"Le 'Je me souviens' de Gilles Deleuze" (interview by Didier Eribon)
in Le Nouvel Observateur 1619 (16-22 November 1995), 50-51.

2:04 午前  
Blogger yoji said...

アメリカが兌換を中止したのは金の流出を防ぐためだし、リーマンショック以降の金の価格上昇は記憶に新しい。
柄谷はヒステリーのような恐慌はもうないと言っているが、、、、


http://www.systemicsarchive.com/ja/a/phallic_money.html
ラカン研究者の福原泰平は、ファルスと貨幣の類似を次のように説明している。

貨幣がその物質的素材である金や銀、そして銅やアルミニウムといったものの現実の使用価値を無化して、そこに等価的な交換への傾きを担わされているように、ファルスもその実体的な内容が問題とされるようなものではない。それはペニスが一方の性に欠如しており、その突出した形態から特権的なものとして選ばれたにしろ、脚でも親指でも何でもかまわなかったことをみれば理解される。

さらにいえば、貨幣の代表選手である金が、地上における現実的なものの次元を離れ、ある日突然、物々交換における価値の尺度へと高められて市場に介入してきたように、ペニスも現実の性的対象であることを離れ、突如あらゆる快を担う幻想的な運び手として世界に介入してくる。

こうした過程を経ることで性的な原器とでもいったものが成立すると、あらゆる性的対象は悦びに対して交換可能なものとなり、人々の間を流通しはじめる。母の欲望も父による禁止もすべてのものが性的等価物として市場に出回り、そこで値を付けて売り買いがなされるようになっていく。

[福原 泰平:ラカン―鏡像段階, p.154-155]
ファルスとはたんなるペニスではない。貨幣はファルスのように振舞うというよりも、むしろファルスそのものなのである。

8:33 午後  
Blogger yoji said...

物々交換が行われている前近代社会を幼児と比べてみよう。生後2-3年の肛門期で、幼児は、排尿・排便に快を感じるようになる。幼児は、母乳のお返しとして、便と尿を母親に与えていると意識する。フロイトによれば、金や銀が物品貨幣として流通したのは、尿が金色で、便が鋳潰した銀のような色をしているためであり、吝嗇、すなわち、資本主義の原動力となった蓄積への欲望は、便を貯めることによって得られる肛門の快楽に由来する。

こうしたフロイトの説明は、物品貨幣の説明としては適切である。肛門期の幼児は、母親との間に鏡像的でシンメトリカルな関係を持ち、そこで体験する取引は物々交換的である。しかし、生後3-5年の男根期になると、子供の関心は、ペニスへと向けられる。そしてシンメトリカルな母子関係に、父親という第三項が加わる。子供は、母親の欲望が、自分の糞尿ではなくて、父親のペニスに向けられていることに気が付く。そして男の子は母親のペニスになることを欲望しつつ、去勢に怯え、女の子はペニスがないことに劣等感を持ち、ペニスを羨望するようになる。こうした男根期の子供が持つ欲望を、ファルスへの欲望と呼ぶことができる。

ファルスとはペニスを意味するギリシャ語である。しかし精神分析では、ファルスは、母親の欲望の対象を意味する象徴的な言葉として使われる。ファルスは肉の塊としてのペニスではないし、現実に存在するみすぼらしい父親のことでもない。だから、「私の母は父親のペニスに欲情していなかった」とか「うちはかかあ天下で、父親に権勢はなかった」などと反論しても的外れである。

8:34 午後  
Blogger yoji said...

2、「わたしがお父さんに叩かれる」
 ラカンは、『無意識の形成物』のセミネールにおいて、エディプス・コンプレックスが形成され、そこから自我理想(ラカンの用語で言えば<父の名>)が主体に導入される過程を論じているが、そのなかでもこの幻想の第二段階を特に重視している。この第二段階において、主体は「自分を冒涜しつつも、同時にそれ自体として聖別し価値を高めてくれるものに行き当たった」と感じ、「承認の次元と、主体の父性的主体との関係の禁じられた様態とを同時に示す」としている(Lacan, S5-Ja362)。
つまり、この第二段階において、父が「叩く」という行為は二重の意味作用――メッセージとそのシニフィカシオン――を持っているのである(S5-Ja355)。つまり父親が「ぶった」ということは、「ぶたれる価値があるお前は愛されている」というシニフィカシオンとして主体に理解されるのである。
 ということは、この段階には、父と子供である「私」の他に、「私」のライバルである兄弟や姉妹が想像されているということである。ライバルである様々な他者たち[autrui]のなかから「私」が一人だけ選ばれて叩かれることによって、「私」にはぶたれる価値があるというシニフィカシオンが生まれる。



 最後に、幻想の第三段階である。これは、<父の名>の導入として理解できる。



「子供が叩かれる」とマルクスの価値形態論
 ここでラカンは「一般的形式」という言葉を用いているが、この言葉はマルクスのいう「貨幣の一般形式」としてとらえることができるのではないだろうか。
 「子供が叩かれる」という幻想の第三段階において、ひとつの主人のシニフィアン[signifiant maitre]が制定されることによって、その他のすべての主体(子供たち)が表現されるという事態は、まさしく貨幣が体現している事態(マルクスのいう「貨幣形態」)に他ならないのである。*4

http://psychanalyse.hatenablog.com/entry/20070522/p1


8:38 午後  
Blogger yoji said...

「子供が叩かれる」とマルクスの価値形態論
 ここでラカンは「一般的形式」という言葉を用いているが、この言葉はマルクスのいう「貨幣の一般形式」としてとらえることができるのではないだろうか。
 「子供が叩かれる」という幻想の第三段階において、ひとつの主人のシニフィアン[signifiant maitre]が制定されることによって、その他のすべての主体(子供たち)が表現されるという事態は、まさしく貨幣が体現している事態(マルクスのいう「貨幣形態」)に他ならないのである。*4

8:39 午後  
Blogger yoji said...

フロイト 貨幣 糞 著作集 欲動転換、とくに肛門愛の欲動転換について」田中麻知子訳『フロイト著作集 5 』

8:46 午後  
Blogger yoji said...

地下一階に展示された作品に視点を移してみよう。貨幣システム を考察した作品の中でひと際異彩を放っていたのは、地下の金庫室 の鉄格子の奥に展示されたトム・フリードマンの《真実の愛(》2004 年)である。
フリードマンの作品は、黄色い蝶が糞にとまっているものである。 職人芸的に精巧に作られた美しい蝶(北米でよく見かけるオオカバマ ダラを模している)と、同じく本物そっくりに作られた汚らしい糞が、 ともに紙という同じ素材で作られている。糞に群がるのは蝿と思いが ちであるが、実際は蝶も栄養補給のために糞に食らいつく。美しい 蝶と汚らしい糞の間に芽生えた「真実の愛」を形にした作品である。
ゲルトシャイサーは、金を糞のように尻からひり出す存在であった ように、貨幣と糞便の間には密接な関係がある。それを最も説得力 のある形で論じたのはジグムント・フロイトであろう。この精神分析 の創始者は「、欲動転換、とくに肛門愛の欲動転換について(」1917 年)で、肛門期の幼児が、糞便への関心を、贈り物への関心、さら には貨幣への関心へと移行させていく様子を論じている(6)。肛門 期の幼児にとって、糞便を上手に保持したり排泄したりすると褒めら れるので、糞便は母親を喜ばせる贈り物として象徴化され、さらに、 労働に対する対価としての貨幣へと置換されていくのである。
糞便が貨幣に象徴的に置換されるとは、何を意味するのだろうか。 フロイトによれば、清潔でありたいという欲求は、糞便に塗れて汚ら しくありたいとする欲望を転換させたもの、つまり、肛門期の欲動に 対する反動形成である。それがこの論文の表題になっている「欲動 転換」の意味である。フロイトは、成人して吝嗇という性格が生まれ るのも反動形成に他ならないと考える。つまり、貨幣をコツコツと蓄 えようとする欲望は、糞便を自由にぶちまけたいとする欲望を抑圧し た結果生じたものなのである。
この貨幣への関心と糞便への関心が同一視されるのは、個人の性 格発達に関してだけではない「。性格と肛門愛(」1907 年)で、フ ロイトは人類史的な視点から次のように述べている。

実際、太古的な考え方が支配的であったところ、あるいは残って いるところではどこでも、古代文化においても、神話、童話、迷信に おいても、無意識的な思考においても、夢においても、また神経症 においても、貨幣は糞便ともっとも深い関係をもたされている。悪 魔がその情婦に贈る黄金が、彼の立ち去った後、糞に変わってし まうという話はよく知られているが、この悪魔はしかし、抑圧され た無意識の本能生活が擬人化されたものにほかならないのであ る。さらによく知られているのは、宝の発見を糞便と一緒にする迷 信であり、また「ドゥカーテンシャイサー〔金貨をひり出す者〕」の 像は誰にも親しまれているものである(7)。
貨幣と糞便の密接な関係を、神話や童話、迷信の中にも見いだそ うとするフロイトは、ここで「ドゥカーテンシャイサー」というゲルトシャ イサーの別名にも言及している。情婦に気前よく与えていた金は実は 糞便だったという悪魔の所業に「抑圧された無意識の本能生活」を 見るフロイトは、いわば、資本としての貨幣の背後でいかに多形的な 欲動が作動しているかを指摘したのである。


6 Sigmund Freud, “Über Triebumsetzungen, insbesondere der Analerotik” (1917), in Sigmund Freud, Gesammelte Werke: Chronologisch Geordnet, eds. Anna Freud et al., vol. 10 (London: Imago,1946), pp. 401–410〔. フロイト「欲動転換、とくに肛門愛の欲動転換について」田中麻知子訳『フロイト著作集 5(』人文書院、1977年)、 385‒390 ページ〕
7 Sigmund Freud, “Charakter und Analerotik” (1908), in Gesammelte Werke 7 (1955), pp. 203–209.〔ジークムント・フロイト「性格と肛門愛」懸田克躬・吉村博次訳、
『フロイト著作集 5』(人文書院、1969 年)、137 ページ〕。原文を参照しながら、訳文に多少の改変を加えた。

9:06 午後  
Blogger yoji said...


ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる

ラカン

(ドゥルーズ「思い出すこと」批評空間1996Ⅱ-9より)
"Le 'Je me souviens' de Gilles Deleuze" (interview by Didier Eribon)
in Le Nouvel Observateur 1619 (16-22 November 1995), 50-51.



http://network.architexturez.net/pst/az-cf-56379-817742161
LACAN. Il m'a repere au moment ou il a fait une seance de
son seminaire sur mon livre sur Sacher Masoch
[<>, Minuit, 1967]. On m'a
dit, mais je n'en ai jamais su beaucoup plus, qu'il avait
fait presque une heure sur mon livre. Et puis il est venu
faire une conference a Lyon, ou j'enseignais alors. Il nous
a fait un numero absolument incroyable... C'est la qu'il a
lance sa celebre formule:

<>

Apres la
conference, il est venu diner chez nous. Et comme il se

10:25 午後  
Blogger yoji said...

lance sa celebre formule: 《La psychanalyse peut tout sauf
rendre intelligent quelqu'un d'idiot.》

10:25 午後  
Blogger yoji said...

ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる

ラカン

(ドゥルーズ「思い出すこと」批評空間1996Ⅱ-9より)
"Le 'Je me souviens' de Gilles Deleuze" (interview by Didier Eribon)
in Le Nouvel Observateur 1619 (16-22 November 1995), 50-51.



http://network.architexturez.net/pst/az-cf-56379-817742161
LACAN. Il m'a repere au moment ou il a fait une seance de
son seminaire sur mon livre sur Sacher Masoch
[<>, Minuit, 1967]. On m'a
dit, mais je n'en ai jamais su beaucoup plus, qu'il avait
fait presque une heure sur mon livre. Et puis il est venu
faire une conference a Lyon, ou j'enseignais alors. Il nous
a fait un numero absolument incroyable... C'est la qu'il a
lance sa celebre formule: 《La psychanalyse peut tout sauf
rendre intelligent quelqu'un d'idiot.》



Apres la
conference, il est venu diner chez nous. Et comme il se

10:26 午後  
Blogger yoji said...

yoji さんは書きました...
ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる
l《La psychanalyse peut tout sauf
rendre intelligent quelqu'un d'idiot.》


ラカン

(ドゥルーズ「思い出すこと」批評空間1996Ⅱ-9より)
"Le 'Je me souviens' de Gilles Deleuze" (interview by Didier Eribon)
in Le Nouvel Observateur 1619 (16-22 November 1995), 50-51.

10:27 午後  
Blogger yoji said...


「ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる」ラカン
《La psychanalyse peut tout sauf
rendre intelligent quelqu'un d'idiot.》
http://network.architexturez.net/pst/az-cf-56379-817742161

(ドゥルーズ「思い出すこと」批評空間1996Ⅱ-9より)
"Le 'Je me souviens' de Gilles Deleuze" (interview by Didier Eribon)
in Le Nouvel Observateur 1619 (16-22 November 1995), 50-51.

10:28 午後  
Blogger yoji said...

Sartre/Deleuze | Architexturez Network
http://network.architexturez.net/pst/az-cf-71479-917285790

12:15 午前  
Blogger yoji said...

テレヴィジオン (講談社学術文庫)
 ジャック・ラカン (著)税込価格:648円 発売日:2016/12/10

8:34 午後  
Blogger yoji said...

テレヴィジオン (講談社学術文庫) 文庫 – 2016/12/10
ジャック・ラカン (著), 藤田 博史 (翻訳), & 1 その他
5つ星のうち 4.0 1 件のカスタマーレビュー

5:41 午前  
Blogger yoji said...

テレビジョン冒頭10秒はクールベのドキュメンタリーdvdに入っていた
youtubeにある90分動画にはない


どういうことか?

ケインズも肝心なところがない

4:09 午前  

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