木曜日, 1月 24, 2013

カント『自然地理学』:メモ

                    (大陸移動説:メモカント:インデックスリンク::::::::

NAMs出版プロジェクト: 宇宙の泡状構造
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/blog-post_24.html
中央構造線:「震源、じわじわと東に」 別の活断層に影響の可能性 朝日新聞2016年4月16日
http://nam-students.blogspot.com/2016/04/2016416-1135.html
NAMs出版プロジェクト: ケンペル『日本誌』及び「鎖国論」:メモ
https://nam-students.blogspot.jp/2013/02/blog-post_21.html
地政学の逆襲
http://nam-students.blogspot.jp/2018/02/blog-post_4.html
ウィットフォーゲル
http://nam-students.blogspot.com/2017/03/karl-august-wittfogel.html
世界遺産 World Heritage Site
https://nam-students.blogspot.com/2019/01/world-heritage-site.html
プロトガイア
https://nam-students.blogspot.com/2019/02/leibniz-protogaea-1749.html
NAMs出版プロジェクト: 博物学:インデックス
Natural history を自然史(誌)、あるいは博物学、博物誌と訳す場合とがある。
 
Imanuel Kants physische Geographie(1802) 自然地理学 / [カント著]
全体の構成:

     |
     |一、生成
     | (地質学)
_____|_____
二、生命 |三、地理
(生物学)| (公民)
     |

 風 海 | 水 陸(地震)
_____|_________
 鉱物植物|アジア  アフリカ
 動物人間|ヨーロッパアメリカ


カント『自然地理学』:目次概略
(岩波書店版全集第16巻には詳細目次が所収されている。日本に関する記述は同第18巻。以下は主に理想社版全集第15巻を参照。)

自然地誌学 
 序論(1-6)
 数学的予備概念(7-11=地球、公転)

自然地理学論攷(自然地理学叙説)(12)
第一部(総論)
(感覚:)
 1、水について(13-35)
 2、陸について(36-52、49-52=地震)
  (泉と井戸の歴史(53-54)、河川の歴史(55-62))
(自然的:)
 3、空間(大気圏、風)(63-73)
 4、時間・歴史(海の変動)(74-79)
  (航海について(80-81))

第二部(各論)
(論理的:)
 1、人間について(1-7)
 2、動物界※
 3、植物界
 4、鉱物界

第三部(特殊な地理学区分による)※※
 1、アジア(:日本)※※※
 2、アフリカ
 3、ヨーロッパ
 4、アメリカ



 動物界
 1蹄(ひづめ)、
 2趾(あしゆび)、
 3鰭(ひれ)、
 4卵生四足動物、
 5海棲(甲殻動物)、
 6蛇、
 7昆虫、
 8鳥

※※
 地理学には、数学的、倫理的、政治的、産業的、等がある(4,5)。

※※※
 カントの日本に関する記述(原著初版にはない)の主な典拠は以下を参照。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/エンゲルベルト・ケンペル(ケンプファー)
 ケンペル(当ブログ記事)の日本滞在は1680から1692年のほぼ元禄江戸時代。

 ケンペル『日本誌』(図版あり)
 http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kaempfer/index.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kaempfer/eng9.jpg(リンク切れ)
KANAGAWA University Repository: Histoire Naturelle, Civile, et Ecclesiastique de l'Empire du Japon Vol.1
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/handle/10487/4806(参考)


http://moekaki.blog.so-net.ne.jp/2011-11-06

 <左はケンペル著の『日本誌』、右はシーボルト著の『日本』から、出島の見取り図です。 日本国内の文献が乏しいので、主にこうしたオランダ人の手による文献を元にして出島の復元作業が進められているそうです。>

 http://elib.doshisha.ac.jp/japanese/digital/history.html
 The History of Japan…
 『日本誌』(英語版)
 <18世紀以降、ヨーロッパ人が日本のことについて述べる場合、必ずと言っても良いほど本書のおかげを蒙っているようです。モンテスキューの「法の精神」の中の日本の項、ヴォルテールの「諸風俗論」の中の日本事情、カントの「永久平和論」における日本の鎖国政策への論及などはその例です。このようにケンペルの「日本誌」は、130年後シーボルトの大著「日本」(ケーリ文庫所蔵)が現れるまで日本研究の基礎となりました。 >


追記:
カントも明言するように、本書はビュフォン『博物誌(一般と個別の博物誌 Histoire naturelle, generale et particuliere)』(1749年から1778年までに36巻が刊行)からの影響が大きい。
カントの『自然地理学』も博物学と考えるとしっくりくる(ナチュラル・ヒストリー=博物学ならぬフィジカル・ジオグラフィーではあるが)。

メモ:
1757年の「自然地理学講義草案」(理想社1巻p.273)にビュフォンやライプニッツなどの名がある。
宇宙論として知られる『天界の一般自然史と理論──別名、ニュートンの諸原則に従って論じられた全宇宙構造の体制と力学的起源についての試論』(1755年原著。理想社10巻)も内容的に関連する。こちらもビュフォンが参照されている。
「さまざまな人種」(1775年。理想社3巻)の冒頭にもビュフォンの名がある。
『一七六五年・一七六六年冬学期講義案内』にビュフォンの名はなく主にバウムガルテンが言及されるが、学問体系における自然地理学の位置づけに関する興味深い記述(思想ではなく思考することが大事だという指摘と共に真逆の指摘がなされる)がある(理想社3巻p.113-)。


http://ja.wikipedia.org/wiki/博物誌_(ビュフォン)

http://www.kousakusha.co.jp/DTL/buffon.html#mokuji

参考:
ヘーゲル自然哲学

ヘーゲルが歴史に傾注したのと対照的に、カントは地理学に傾注している。
人間学(心、内官)完成への前段階(外官)とも言えるし、空間をカントは最初に考えたのだろう。 

40年にわたる講義自体が旅をする代わりだったとも言える。世間知、人間学の予習の側面もある。

また、自然の巧知の具体例(河川)、地震論の集大成、生物学、人間学〜性格論(日本人論が少しある)の補助的部分もある。


カントの科学分類(『カントと地理学』212頁):

      自 然     人間(心または自我)
    (内官と外官)    (内官)

      物理学   |
      および   |
理論的 その他の理論的 |  心理学(?)
      自然科学  | 
   _________|_________
      地理学   |  人間学
経験的   および   |  および
     自然の歴史  | 道徳の歴史
            |
    (空間と時間) |  (時間)

『カントと地理学』
J.A.May/〔著〕 松本正美/訳
(上記の図は的確だが人間学の位置づけなど、再考の余地もある。)

同書も指摘するように、カントは、『教育学』(1803) の「こころの教育について」で小説を避け地理学を推奨する(最終的には数学)。 地図作成能力も推奨される。 記憶術の面で、コメニウスも間接的に推奨される(岩波17,p273、理想社16,p61)。

ちなみに、
ハーツホーン(Hartshorne)は『地理学の性格』でカントを高く評価している。











自然の内部に、被造物の精神は踏み込まない - 東京大学学術機関 ...

(Adobe PDF)

アルブレヒト・フォン・ハラー(Albrecht von Haller, 1708-1777)は、近代. 生理学・解剖 学・植物学 .... ドイツ語圏文学の歴史にハラーが登場するのは、アルプスの自然に美を ...... 容と、(前カント的な意味における)時間と空間の限界なき広がりという自. 然科学的  ...









ポープカント - 東京家政大学


タイトル (ヨミ) ポープ ト カント 掲載誌情報 東京家政大学研究紀要 人文科学・自然科学 Vol.25 page.19-26 (1985) 本文へのリンク http://ir.tokyo-kasei.ac.jp/metadb/up/kasei/2011_k_0514.pdf 著者 馬場, 喜敬 著者 (ヨミ) ババ, ヨシユキ 著者の別表記 Baba, ...


http://ir.tokyo-kasei.ac.jp/metadb/up/kasei/2011_k_0514.pdf
ポープとカント - 東京家政大学
ir.tokyo-kasei.ac.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?flm...tlang...
タイトル (ヨミ) ポープ ト カント 掲載誌情報 東京家政大学研究紀要 人文科学・自然科学 Vol.25 page.19-26 (1985) 本文へのリンク http://ir.tokyo-kasei.ac.jp/metadb/up/ kasei/2011_k_0514.pdf 著者 馬場, 喜敬 著者 (ヨミ) ババ, ヨシユキ 著者の別表記 Baba, ...


天界の一般自然誌と理論(てんかいのいっぱんしぜんしとりろん)とは ...
kotobank.jp/word/天界の一般自然誌と理論-1187973
世界大百科事典 第2版 - 天界の一般自然誌と理論の用語解説 - I.カントの一連の自然 哲学に関する論説中もっとも著名なものであり ... 天界の一般自然誌と理論 てんかいの いっぱんしぜんしとりろん Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels.
イマヌエル・カント - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/イマヌエル・カント
イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、 プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授で ... 1755年 、(正規に出版されたものとしては)最初の論文『Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels(天界の一般的自然史と理論)』で太陽系は星雲から生成され たと論証した。
カント全集
www.fuchu.or.jp/~d-logic/jp/books/kant.html
Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels, 1755. ... このタイムラグの おかげで、カントの宇宙論は、自然科学の世界ではカントよりずっと大物のラプラスの 宇宙論(『宇宙の体系』、1796)と時代的に重なり、共通点も少なく ...

カント第二批判末尾へ…



108 Comments:

Blogger yoji said...



カントと地理学

J.A.May/〔著〕 松本正美/訳

出版社名 : 古今書院
出版年月 : 1992年10月
ISBNコード : 978-4-7722-1628-9
(4-7722-1628-6)
税込価格 : 4,893円
頁数・縦 : 430P 20cm
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商品の内容

[要旨]

本書は、哲学者カントに地理学を語らせようとする野心作である。地理学に対するカントの考え方が見事なまでに整理され、カント哲学の全体像のなかで地理学観が披露されるとき、これまでの地理学史に新たな光明を投げかけている。

[目次]

哲学と地理学―その関係の概要;カントの地理学概念の起源、展開、および影響;カントの地理学概念(科学としての地理学;経験科学との連関における地理学;地理学の実用的側面および目的論的側面);現代地理学の限界と範囲;地理学の本質に関する現代的概念;科学分類における地理学の位置;付録 カント『自然地理学』序論の翻訳

7:29 午前  
Blogger yoji said...

自然の巧知の具体例
地震論の集大成

人間学、性格論
(日本人論が少しある)の補助的部分もある

2:18 午前  
Blogger yoji said...

    1生成

2生命 3地理

5:14 午後  
Blogger yoji said...

世間知
人間学の予習

6:15 午後  
Blogger yoji said...

1蹄(ひづめ)、
2趾(あしゆび、し)、
3鰭(ひれ)
4卵生四足動物、
5海棲(甲殻動物)、
6蛇、
7昆虫、
8鳥

6:52 午後  
Blogger yoji said...

【報告】石川文康「カントの歴史哲学―理念の歴史性をめぐって」 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/03/post-206/
カントの歴史哲学は、明らかにドイツ啓蒙主義の哲学――レッシングやヘルダー――と共通の洞察を分け持っている。発表の冒頭では、カントの歴史哲学的著作(「世界市民的見地における一般史の構想」(1784)や「人類史の憶測的起源」(1786)など)について言及されていたが、これらの著作は基本的に啓蒙主義の歴史哲学的な背景とともに理解されるべきものである。たとえば、レッシングは『人類の教育』(1780)において、理性の発展を啓示の実現に重ね合わせながら描いている。歴史とは理性の成長であり啓示の実現なのである。啓示の概念をあからさまに導入するレッシングの立場は、カントが秘かに前提としているものを照らし出してくれるように思われる。「~べし」においてカントの独特の啓示の解釈を見出す必要あるのではないか。このような論点は、最初匿名で出版されたためカントの著作と誤解されたフィヒテの『あらゆる啓示批判の試み』(1792)を含めて検討すべきだろう。

9:57 午後  
Blogger yoji said...

カント再読 - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-42.html
『判断力批判』においてカントが考えていたのは、実は、進化論の問題だった。いうまでもないが、進化論はダーウィン以前からあった。たとえば、ライプニッツも進化論的であった。カントはそれを批判的に吟味したのである。ついでにいうと、カントは『判断力批判』以後も、人間史(一般史)における「進化」の問題について、同様の観点から考えた。《ところで我々はこの場合に、作用する様々な原因の集合をエピクロス風の考えに従って、――諸国家は物質の微塵すなわち原子と同じく、偶然的な衝突に依って有りとある形態をとるが、これらの形態はまたもや新たな衝撃に依って破壊され、このような過程が何度となく繰返されたあげく、その形態を永く保持しうるような形態をいつかは偶然に獲得する(これはとうてい起こりそうもない僥倖である)、というふうに考えてよいのだろうか。それとも、自然は、この場合にも規則正しい経過を辿り、われわれ人類を導いて動物性という低い段階から人間性という最高の段階に到らしめ、しかもその方法としては、なるほど人間から無理取りしたにせよ、しかしもともと自然の意図に出づる巧みな手段を用い、こうして一見したところ野放図な無秩序のさなかに、自然が人間に与えた根源的素質を、極めて規則正しく開展する、というふうに考えてよいのだろうか》(「世界公民的見地における一般史の構想」)。

10:02 午後  
Blogger yoji said...

http://blog.chase-dream.com/2010/11/22/1138
啓蒙とは何か 他四篇
カント(著),篠田英雄(訳),岩波書店,1974
自分のアホさを棚に上げて言わしてもらうと,訳が読めない.翻訳者は本当に意味を理解した上で日本語で書いたのか疑問だ.仮に理解していたとしても,カントが伝えようとした意味を読者に伝えようという意図があるのか疑問だ.仮にその意図があったとしても,本書でそれを実現できているのか疑問だ.というより,ハッキリ言えば,できてない.なんと読みにくい文章か.カントの原文が難解であるという言い訳が解説に書かれているが,そればかりではなく,徹底した逐語訳(原文を知らないが強くそう感じさせる)という訳し方の問題だろう.読んで疲れた.失礼ながら,翻訳の何たるかを知るために,「不実な美女か貞淑な醜女か」(米原万里,新潮社)を読ませてあげたい.

それでも,意味がわかったところには,興味深いことが書かれていた.カントの人間の本性に対する信頼が溢れていると感じた.

啓蒙とは何か
最初に,啓蒙が定義される.

啓蒙とは,人間が自分の未成年状態から抜けでることである,ところでこの状態は,人間がみずから招いたものであるから,彼自身にその責めがある.未成年とは,他人の指導がなければ,自分自身の悟性を使用し得ない状態である.ところでかかる未成年状態にとどまっているのは彼自身に責めがある,とういのは,この状態にある原因は,悟性が欠けているためではなくて,むしろ他人の指導がなくても自分自身の悟性を敢えて使用しようとする決意と勇気とを欠くところにあるからである.

そもそも,本書「啓蒙とは何か 他四篇」を手にしたのは,師が人々を啓蒙するという行為について考えてみたかったからなのだが,この定義を読むと,カントのいう「啓蒙」と我々の普通の意味での「啓蒙」とが異なることは明らかだ.実際,広辞苑によると啓蒙は「無知蒙昧な状態を啓発して教え導くこと」であるが,カントは「他人の指導がなければ,自分自身の悟性を使用し得ない状態」を「未成年」と定義し,「他人の指導がなくても自分自身の悟性を敢えて使用しようとする決意と勇気とを」もって,その「未成年状態から抜けでること」を「啓蒙」と呼んでいる.他人に頼るのではなく,自分の責任で成長しなければならないというわけだ.そういう意味では,カントが言っているのは,啓蒙というよりも,自己啓発?に近いだろうか.これも違う気はするのだが...

世界公民的見地における一般史の構想
人類の歴史とはいかにあるべきか,人類の発生と発展もその一部である自然が人類に何を求めているのかが論じられている.こんな考え方もあるのだと感心させられた.カントの論は順を追って,以下の9つの命題からなる.

第一命題:およそ被造物に内具するいっさいの自然的素質は,いつかはそれぞれの目的に適合しつつ,あますところなく開展するように予め定められている.
第二命題:人間にあっては,理性の使用を旨とするところの自然的素質があますところなく開展するのは,類においてであって,個体においてではない.
第三命題:自然が人間に欲しているのは,次の一事である,すなわち−人間は,動物的存在としての機械的体制以上のものはすべて自分自身で作り出すということ,また人間が本能にかかわりなく,彼自身の理性によって獲得した幸福,或いは成就した完全性以外のものには取り合わない,ということである.
第四命題:自然が,人間に与えられている一切の自然的素質を発展せしめるに用いるところの手段は,社会においてこれらの素質のあいだに生じる敵対関係にほかならない,しかしこの敵対関係が,ひっきょうは社会の合法的秩序を設定する原因となるのである.
第五命題:自然が人間に解決を迫る最大の問題は,組織全体に対して法を司掌するような公民的社会を形成することである.
第六命題:如上の問題は,最も困難であると同時に,また人類によって最後に解決されるべき課題である.
第七命題:完全な意味での公民的組織を設定する問題は,諸国家のあいだに外的な合法的関係を創設する問題に従属するものであるから,後者の解決が実現しなければ,前者も解決され得ない.
第八命題:人類の歴史を全体として考察すると,自然がその隠微な計画を遂行する過程と見なすことができる,ところでこの場合に自然の計画というのは,各国家をして国内的に完全であるばかりでなく,更にこの目的のために対外的にも完全であるような国家組織を設定するということにほかならない,このような組織こそ自然が,人類に内在する一切の自然的素質を剰すところなく開展し得る唯一の状態だからである.
第九命題:自然の計画の旨とするところは,全人類のなかに完全な公民的連合を形成せしめるにある.
自然の一部である人間という立場から出発して,最終的に,人類は公民的な世界的連合組織を形成せざるをえず,それは避けられない歴史の必然なのであると結論づける.ただし,そこに至る道程は決して平坦なものではなく,途中で酷い状態を経験せざるを得ないのだとも.

人類がこの最終の段階(すなわち諸国家の連合)に到達する前に,つまりこの連合の形成される過程のほぼ中途にさしかかったところで,極悪の状態を経験する,そしてその悪とは,うわべだけの繁栄というごまかしの仮面を被った福祉にほかならない.

大昔,まだ組織や社会なるものを持たなかった人間が社会を形成するようになったのは,それなしでは人間がまともに生活できない悲惨な状況におかれてしまうと痛感したからだ.そこで,個々の権利を阻害しうる個人連合組織(社会)を形成した.この現象が大きな規模で起こっていくと,国家間紛争の絶えない悲惨な状況の後に,個々の国家の権利を阻害しうる国家連合組織が形成されるのが歴史の必然であるというわけだ.

本論「世界公民的見地における一般史の構想」においては,最終的に国家レベルの連合組織にまで話が進むのだが,その前に,自然は人間に何を求めているのかが論じられている.個人レベルでは,むしろ,この指摘が心に強く残る.

自然は,人間に理性とこれに基づく意志の自由とを与えたのである.このことにかんがみても,人間の先天的素質に関する自然の意図は明白である.自然が人間に欲したのは,彼が本能によって指導されたり,或いは生得の知力に教えられて生活にいささかも不自由しないということではなくて,むしろいっさいのものを自分自身で作り出すことである.(中略)自然の狙いは,人間の安楽な生活というよりも,むしろ人間が自己の理性的価値を認識することにあったかのようである.(中略)いずれにせよ自然は,人間が安楽に生きることなどは,まったく考慮しなかったらしい.自然が深く心に掛けたのは,人間は,自分の行動に依って,自己の生活と身心の安寧とを享受するに値いするような存在になる,ということであった.

10:08 午後  
Blogger yoji said...

人類の歴史の憶測的起源
西洋人が人類の起源と言えば,当然,旧約聖書の創世記を指す.本論「人類の歴史の憶測的起源」では,人間は理性を持つ創造物であるという観点から,人間がどのように歩んできたか(歩まざるを得なかったか),その歴史を解説している.実に興味深い考察だ.当然,創世記の内容を知っていることが前提だが.

人類の最初の居所として,理性が人間に指示したのは無憂の楽園である,それにも拘わらず人間がこの楽園から出ていったのは,動物的な被造物の未開状態から人間性へ,本能といういわばあんよ車から理性の指導へ,換言すれば−自然の後見から自由の状態への移行にほかならない,ということである.

失楽園は,人間が本能のみで生きる動物的な状態から,理性と自由意志で生きる人間らしい状態に移行する際に必然的に生じたというわけだ.エデンの園に留まることは人間の責務でも使命でもなかった.もちろん,人間が学ぶためには失敗も必要である.だから,色々と悪いことも起きる.それは仕方がない.それでも,全体としては,善い方向に向かっているというのがカントの結論である.

このように哲学によって人類の最古の歴史を吟味した結果は,摂理と人事が全体として辿るところの過程とに満足するということになった.この過程は,善から始まって悪に趣くのではなくて,比較的に悪い状態からいっそう良い状態に向って次第に発展するのである.そして各人が,おのがじし分に随って力の及ぶ限りこの進歩に寄与することこそ,すなわち自然そのものによって人間に課せられた任務なのである.

途中,例えば,生活スタイルの違いから牧羊民族と農耕民族が対立するようになることが必然的であると指摘されているのは,カインとアベルの解釈である.このように創世記に沿う形で,理性を用いる人間が歴史を織りなしていく様子が描かれており,面白かった.

万物の終り
本論において,カントは次のように言明している.

我々が生涯を終えるまで我々の行状を支配している原理(善の原理にせよ,或いは悪の原理にせよ)は,死後もその支配を続けるのであって,この原理が来世,すなわち当に来るべき永遠において,変更されるなどと考える理由をいささかももつものでないということを,我々が自分自身について知る限りのこの道徳的状態にかんがみて,合理的に判断するよりほかはないのである.すると我々は,永遠の生活においても善もしくは悪の原理の支配下にあって,現在の道徳的功過に随いそれぞれの応報を受けねばならないであろう.このように考えると,我々が現世の生活を終える際の道徳的状態と,それから生じるところの応報とは,来世の生活に入ってからもやはり不変であるかのように行動するのが賢明である,ということになる.

今の人生が終わった後に控えているのが,永遠の生活(審判の日以降の天国か地獄かはともかく)なのか,輪廻転生による次の人生なのかはともかく,合理的に判断すれば,人間は善もしくは悪の原理の支配下にあって自分の道徳的功過の報いを必ず受けなければばならず,この因果応報を認識して現世の生活を送るべきだということになる.

まさに,原因と結果の法則であり,引き寄せの法則である.例えば,「[決定版]生きがいの創造」(飯田史彦,PHP研究所)や「生きがいの教室―人生の意味を問う「生きがい教育」のすすめ」(飯田史彦,PHP研究所)に書かれている生きがい論というのも,このような法則に基づくものである.このような法則を論じる意図は異なっており,また,カントが考察によって結論を導き出しているのに対して,生きがい論は昨今の臨床データに基づいているという違いはあるにしても.

理論と実践
原題は「理論では正しいかも知れないが,しかし実践には役に立たないという通説について」.本論を書くにあたり,カントはかなり怒っている.

無知な人が,自分で実践と思いなしているところのものについて,理論はもともと不必要であり無くても済むものだなどと放言しているのは,まだしも我慢できる.しかし利口ぶった人が,理論とその価値とを,(ただ頭脳を訓練する目的だけの)学課としては認めるが,しかしいざ実践ということになると,様子ががらりと変ってくるとか,或いは学校を出て実社会に出ると,これまで空虚な理想や哲学者の夢に徒らに追随してきたことをしみじみと感じるとか,要するに,理論ではいかにも尤もらしく聞こえることでも,実践にはまったく当てはまらないなどと主張するにいたっては,とうてい我慢できるものではない.

結論は当然ながら,理論と実践は一致するということになる.

私は,人間の本性が悪のなかにすっかり沈没して人間の本性を愛すべきものとし顕示する時期が到来しない,と考えることはできないし,またそのように考えることを欲しないのである.それだから世界市民的見地においても,理性根拠にもとづいて理論に当てはまることはまた実践にも通用する,という主張には変りがないのである.

この問題提起から結論に至るまでに,様々な考察がなされているのだが,私が興味を持ったこと(当然ながら理解できた事柄に限定される)についてメモしておこう.

まず,人間の平等と不平等について,カントは以下のように述べている.

国家における従属者たる国民としての人間が,押しなべて平等であるということは,彼等の所有物の量や程度に関する最大の不平等とよく両立するのである.このような不平等は身体的もしくは精神的な優劣とか,或いは運不運に依存する外的財貨の多少とか,或いはまた一般に権利強弱ということもあるだろう.(中略)しかし人間としての権利について言えば,上に挙げたような不平等があるにも拘わらず,すべての人間は国民として互に平等なのである,何びとといえども公法によるのでなければ,他の何びとをも強制することができないからである.

10:09 午後  
Blogger yoji said...

公共体における従属者たる国民としての平等という理念から,また次のような方式が生じる.公共体の各成員は,その公共体における一個の身分を形成するいかなる階級にも達することが許されねばならない,すなわち何びとによらず自分の才能,勤勉および幸運によって,この地位に到達することができるのである.そして彼と同じく従属者であるところのものは,このような人とその子孫とを永久に抑えつけておくために,自分の世襲的特権(或る種の身分に与えられた先取特権の所有者として)かかる人の行路を妨げることは許されない.

カントは公法とその下での人間の権利に強い関心を寄せ,それらについて論じているのだが,平等と不平等についての捉え方は,福沢諭吉が「学問のすすめ」の冒頭に述べていることと同じだと思う.非常に有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉で福沢諭吉が主張しているのは,人は誰しも生まれながらにして平等だということではなく,貧乏なのはその人が学問しなかったからで自業自得,そうなるのが嫌なら学問しなさいということだ.これを,人権の立場からの主張であると勘違いする人々がいるのは,恐らく,古典の題目と著者と最初の一文を丸暗記させる日本国の国語教育の弊害だろう.あまりに浅薄で話にならない.一度は自分で読むべきだ.読んでもいないのに,題目と著者を覚えたところで無意味だ.

いや話が完全に逸れてしまったが,公法とその下での人間の権利に関するカントの考察は続く.

国民が,現行の或る立法のもとでは彼等の幸福を失う公算が多分にあると判断するとしたら,彼等はどうすればよいのだろうか,彼等は立法者に反抗してはいけないのだろうか.これに対する答えはただ一つしかあり得ない,国民としては,服従するよりほかに何ごともなし得ない,と.ここで問題となっているのは,従属者たる国民が公共体の制度或いは行政から期待し得る幸福ではなくて,何よりもまず公共体によって各人に保証せられるべき権利だからである.つまり問題は,公共体に関するいっさいの格律を発生せしめる源であるところの,そしてまた他のいかなる原理によっても制限せられ得ないところの最高原理はいかなるものか,ということなのである.

従属者たる国民が,彼等の不満を行動によって表示するために,最高の立法的権力に対して起こすところのいっさいの煽動や,また謀反につながるいっさいの暴動は,公共体において最高の刑罰に値いする犯罪である,かかる所行は,公共体の基礎を破壊するものだからである.

このように,カントは原理原則を徹底的に重視して考察を進めていく.どのような理由があろうとも,国民は最高の立法的権力に対して一切の不法行為を働いてはならないというのが結論である.およそ信頼できない国家権力の実像を目にしている国民にとっては,心情的に納得できない主張であるかもしれないが,国民が勝手に自分の解釈で正義を持ち出してしまえば,もはや社会は混乱を免れない.そうなれば,公共体の基礎は破壊されてしまう.

しかし,とカントは言う.国民は本当に国家に対して不満を抱いているのだろうか.国家を正そうと思っているのだろうか.彼はこう述べる.

これまで非常に長く存続してきた国家組織は,たとえ幾多の欠陥があるにせよ,、またこれらの組織がそれぞれいかに異なっているにせよ,けっきょく次の点で同じ結果を示すのである,すなわち−国民は現在の組織に満足している,ということである.

鋭い指摘だと思う.政治家や官僚を批判する日本国民だって,そのほとんどはマスコミのワイドショーか週刊誌レベルの伝言ゲームをしている程度でしかない.それに,口先で批判しているだけで,別に選挙に行くわけでもない.別に体制を変えようなどとは思っていないのだ.テレビや週刊誌を見て平々凡々としていても,日々の生活に窮するわけでもなく,ブランド品を買えないわけでもなく,戦役に駆り出されるわけでもなく,せいぜい年金が心配なくらいで,まあ,現状でもいいんじゃないのということだろう.

いや,また話が完全に逸れてしまったが,カントは本論「理論と実践」においても,人類が最終的には世界レベルの公民的連合組織を形成せざるを得ないとの結論に達している.とにかく,このことを主張したい様子だ.

国内の至る処で起きた暴力沙汰とそれから生じた困窮とは,けっきょく国民を強制して,理性がみずから彼等に指示して強制手段であるところの公法に服従して国家公民的組織を結成するという決意に達せざるを得なくした.同様に諸国家はしょっちゅう戦争を起こして互に侵略し合い,相手の国家を屈従せしめようとするが,こうして絶え間なく勃発する戦争から生じる困窮はこれらの国家をして,自己の意志に反してすら世界公民的組織を結成せしめざるを得なくするか,(中略)世界公民的公共体ではないにせよ,しかし共同で取極めた国際法に従うところの連合という法的状態を形成するに至らしめるのである.



目次

啓蒙とは何か
世界公民的見地における一般史の構想
人類の歴史の憶測的起源
万物の終り
理論と実践
111111111
関連する記事:
東洋思想,西洋哲学,古典,教養,自己啓発
これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学
ニコマコス倫理学

10:09 午後  
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    | 水 陸(地震)
    | 風 海
____|_________
鉱物植物|アジアアフリカ
動物人間|ヨーロッパアメリカ

1:49 午前  
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風 海 | 水 陸(地震)
____|_________
鉱物植物|アジアアフリカ
動物人間|ヨーロッパアメリカ

1:51 午前  
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理想社
82頁
15

湾の一覧 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BE%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

ヨーロッパ [編集]

オスロ・フィヨルド
キール湾
クライド湾
コトル湾
コリンティアコス湾
ゴールウェイ湾
サンマロ湾
セーヌ湾
ソルウェー湾
ターラント湾
テルマイコス湾
ナポリ湾
バレンシア湾
ビスケー湾
フィンランド湾
ヴィボルグ湾
フォース湾
ヴェネツィア湾
トリエステ湾
ピラン湾
ヘルゴラント湾
ボスニア湾
ポメラニア湾
ポルト湾
マレー湾
メクレンブルク湾
リューベック湾
リオン湾
リガ湾

3:47 午前  
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理想社
84頁
15

海峡 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%B3%A1

世界の海峡 [編集]

アイアンボトム・サウンド
アレヌイハハ海峡
イギリス海峡
イルベ海峡
インベスティゲータ海峡
ヴィリキツキー海峡
ウィンドワード海峡
エーレスンド海峡
オトラント海峡
カイウイ海峡
カウアイ海峡
カウラカヒ海峡
カテガット海峡
カプリコーン海峡
カボット海峡
カラ海峡
カリマタ海峡
カルスキエボロタ海峡
カルパトス海峡
カルマル海峡
クイーンシャーロット海峡
クック海峡
クラレンス海峡
ケイマン海峡
ケルチ海峡
コルビル海峡
サイパン海峡
サウス海峡
ザンジバル海峡
サンタレン海峡
サンベルナルジノ海峡
シチリア海峡
ジブラルタル海峡
ジャマイカ海峡
ジョージア海峡
小ベルト海峡
ジョホール海峡
シンガポール海峡
スカゲラク海峡
スミス海峡
スラサン海峡
スンダ海峡
センキール海峡
大ベルト海峡
台湾海峡
ダンピール海峡
チャタム海峡
チャナッカレ海峡
済州海峡
瓊州海峡
チラン海峡
デービス海峡
テンディグリー(十度)海峡
デンマーク海峡
ドーバー海峡
ドレーク海峡
トレス海峡
南極海峡
ニュージョージア海峡
ノース海峡
ノース海峡
バシー海峡
バス海峡
バトゥイラ海峡
ハドソン海峡
バブ・エル・マンデブ海峡
バラバク海峡
バリ海峡
バンクス海峡
ビーグル水道
ファンデフーカ海峡
フェーマルン・ベルト海峡
フォークランド海峡
フォーボー海峡
ブーゲンビル海峡
ブランズフィールド海峡
ブリストル海峡
フロリダ海峡
ベーリング海峡
ペンバ海峡
ポーク海峡
渤海海峡
ボスポラス海峡
ボニファシオ海峡
ホルムズ海峡
ボルンホルムスガッテト海峡
マカッサル海峡
マキノー海峡
マゼラン海峡
マトチキン海峡
マラッカ海峡
マルタ海峡
ミンチ海峡
ミンドロ海峡
メッシナ海峡
メンタウィ海峡
モザンビーク海峡
モナ海峡
ユカタン海峡
ランカスター海峡
ルソン海峡
ロング海峡
ロンボク海峡

3:49 午前  
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地質学、生物学、公民

3:59 午前  
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Translating Kant's Physical Geography: Travails

9:41 午後  
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わし星雲の翼を形作るガスや塵の筋、ESOが画像公開
2013年02月07日 12:56 発信地:ヨーロッパ

【2月7日 AFP】欧州南天天文台(European Southern Observatory、ESO)は6日、
「わし星雲(Seagull Nebula)」(正式名:IC 2177)の一角が持つ複雑な構造を捉えた画像を公開した。

画像に写されているガスや塵(ちり)の筋は、「シャープレス2-296(Sharpless 2-296)」(正式名:Sh 2-296)として知られ、
わしの翼部分の一部を形作っている。

この領域では、暗黒星雲と赤色星雲が混ざり、明るい星々の間で折り重なって、魅惑的な光景を生み出している。

画像は南米チリのラ・シーヤ天文台(La Silla Observatory)にある
MPG/ESO2.2m望遠鏡の広視野撮像器(Wide Field Imager)が撮影した。(c)AFP
__________

▽記事引用元 AFPBBNews
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2926252/10233498

▽関連
ESO
The Wings of the Seagull Nebula
6 February 2013
http://www.eso.org/public/news/eso1306/
http://www.eso.org/public/archives/images/screen/eso1306a.jpg

3:48 午前  
Blogger yoji said...

 自然地理学| 人間学
(外官)  |(心、内官)
______|______
      |

8:41 午前  
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ビュフォンの博物誌―全自然図譜と進化論の萌芽 『一般と個別の博物誌』ソンニーニ版より [単行本]
ジョルジュ・ルイ・ルクレール ビュフォン (著), ベカエール 直美 (翻訳)


カントも影響を受けた


ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン
(ビュフォンから転送)


ビュフォン伯の肖像画
ビュフォン伯ジョルジュ=ルイ・ルクレール(Georges-Louis Leclerc, Comte de Buffon 、1707年9月7日 - 1788年4月16日)は、フランスの博物学者、数学者、植物学者である。
ビュフォンはモンバールのコート・ドールに生まれた。父親はディジョンとモンバールの領主であった。
彼ははじめ数学の分野で有名になり、確率論の分野に、微分や積分の概念を導入した。スイスの数学者ガブリエル・クラメールと手紙のやり取りをした。モンテカルロ法のルーツとなった「ビュフォンの針」の問題で知られる。
パリに出て、ヴォルテールらの知識人と交流し、27歳でフランス科学アカデミーに入会した。1739年からパリ植物園の管理者になった。ビュフォンが園長を務める間に、パリ植物園は王の庭園から研究機関、博物館、公園に変え、多くの世界中の植物を集めた。1740年にロンドン王立協会のフェローに選出された[1]。
ビュフォンは、1749年から1778年までに36巻が刊行され、ビュフォン没後にラセペードによって8巻が追加された『一般と個別の博物誌 Histoire naturelle, generale et particuliere』の著者としても著名である。これはベストセラーとなり、博物学や科学思想の発展に影響を及ばした。
『博物誌』の中の1778年に刊行された『自然の諸時期 Les Epoques la Nature』の巻では、太陽系の起源について考察し、ビュフォンは惑星は、太陽に彗星が衝突して形成されたという説を述べた。また地球の年齢を鉄の冷却率から75,000年だと推定した。これは、17世紀のアイルランドの司教ジェームズ・アッシャーが、聖書の記述をもとに天地創造までの時間を計算して求めた、地球の起源が紀元前4004年に始まるという説を否定するものであった。ノアの洪水伝説があったことも否定したが、自らが無神論者であることは否定した。
出典 [編集]



博物誌 (ビュフォン)


"地球の理論の証明"のページ
『博物誌』(はくぶつし、仏: L’Histoire Naturelle, générale et particulière, avec la description du Cabinet du Roi、『王室博物館の解説による博物史、総論および各論』)は、1749年から刊行されたフランスの百科事典である。
目次 [非表示]
1 概要
2 構成
3 ビュフォン没後の他の著者による増補、改訂
4 図版
5 主な協力者
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
概要 [編集]

ビュフォンの執筆の動機については、プリューシュ神父の『自然の光景』全5部8巻が1732年から1750年のあいだに刊行されて、好評を博したのを受けて執筆されたともされる。1749年に最初の3巻が刊行されると、美しい図版を豊富に盛り込んだこと、文体も論文調でなく文学的な文体を用いたことで[1]、学問の世界よりも社交界(サロン)で評判を呼んだ。ビュフォンが没するまで、36巻が書き続けられ、没後、ラセペードが書き継いだ。
構成 [編集]

(A)『一般と個別の自然誌、王立陳列室の記述を含む』(ビュフォンとドパートンが執筆)15巻
第1巻(1749年):「自然誌の研究と取り扱いの方法について」「地球の歴史と理論」「地球の理論の証拠」
第2巻(1749年):「動物の(一般)自然誌」「人間の自然誌」
第3巻(1749年):「王立陳列室の記述」「人間の自然誌」(続き)
第4巻(1753年):「動物の本性についての論説」「家畜」「動物の記述について」
第5巻(1755年):「ヒツジ」「ヤギ」「ブタ」「イヌ」など
第6巻(1756年):「ネコ」「野生動物」
第7巻(1758年):「肉食動物」-「オオカミ」「キツネ」など
第8巻(1760年):「モルモット」「ハリネズミ」「モグラ」「コウモリ」など
第9巻(1761年):「ライオン」「種々のトラ」「窮大陸の動物」「新世界の動物」など
第10巻(1763年):「オオコウモリ」「チスイコウモリ」「モモンガ」「アリクイ」など
第11巻(1764年):「ゾウ」「サイ」「フタコブラクダ、ヒトコブラクダ」「バク」など
第12巻(1764年):「自然についての第一の見解」「シマウマ」「カバ」「ヘラジカ、トナカイ」など
第13巻(1765年):「自然についての第二の見解」「キリン」「リャマ、ピクーニャ」「スカンク」など
第14巻(1766年):「サル類の命名法」「オランウータン」など「モモンガ」「アリクイ」など
第15巻(1767年):「新世界のサル類」「本著作で故意に言及されなかった若干の動物の略述」「四足獣類名索引」など
(B)『鳥類の自然誌』(ビュフォンとモンペヤール、ベクソン神父が執筆)9巻
第1巻(1770年):「著作の構成」「鳥類の本性についての論説」「猛禽類」「夜行性猛禽類」「飛べない鳥類」
第2巻(1771年):「ノガン」「ニワトリ」「クジャク」「キジ」など
第3巻(1778年):「シメ」「イシカ」「スズメ」「カラス」「ツグミ」など
第4巻(1778年):「カナリア」「ヒタキ」「ヒワ」「ホホジロ」など
第5巻(1778年):「ヒバリ」「ナイチンゲール」「ロビン」「ミソサザイ」など
第6巻(1779年):「ハチドリ」「オウム」「インコ」「カッコウ」など
第7巻(1780年):「キツツキ」-「オオハシ」など「水鳥」-「コウノトリ」「ツル」など
第8巻(1781年):「トキ」「チドリ」「クイナ」「グンカンドリ」など
第9巻(1783年):「ハクチョウ」「ガン」など、「不確実あるいは未知の数種の鳥類の略述と覚え書き」「鳥類名索引」
(C)『自然誌補遺』(ビュフォン)7巻
第1巻(1774年):「元素について」「引力の法則に関する考察」「実験の部」
第2巻(1775年):「実験の部」(つづき)「仮説の部」-「地球と惑星の冷却に関する研究」「惑星の温度に関する先の研究の根拠」
第3巻(1776年):「雑種について」「『4足獣の自然誌』に対する追加」
第4巻(1777年):「アカデミー・フランセーズにおける演説」「精神算術試験」「『人間の自然誌』の種々の項目に対する追加」
第5巻(1778年):「自然の諸時期」「『地球の理論の証拠』の種々の項目に対する追加と訂正」「『自然の諸時期』で報告された事柄の証拠となる注」「地図の説明」
第6巻(1782年):「『4足獣の自然誌』に対する補遺」
第7巻(1789年):「サルの項目に対する追加」「雑種について」「犬の項目に対する追加」など
(D)『鉱物の自然誌』(ビュフォン)5巻
第1巻(1783年):「鉱物の形成について」「原初のガラス」「石英」「碧石」「雲母」「長石」など
第2巻(1783年):「瀝青」「黄鉄鉱」「火山物質」「イオウ」「塩」「金」など
第3巻(1785年):「銀」「銅」「スズ」「鉛」「水銀」「プラチナ」「ヒ素」など
第4巻(1786年):「種々碧石」「礫」「ヒスイ」「真珠」「サンゴ」「ダイヤモンド」「玄武岩と溶岩」など「鉱物の起源」
第5巻(1788年):「鉱石とその用途に関する論」「地図」
ビュフォン没後の他の著者による増補、改訂 [編集]

ラセペードによる追加
1798-1789:『卵生四足動物およびヘビ類誌』2巻
1798-1803:『魚類の自然誌』5巻
1804:『クジラ類の自然誌』1巻
ソンニーニによる『自然誌』新版が全127巻で彩色版として刊行(1799-1808)
図版 [編集]

6:06 午後  
Blogger yoji said...

1757

自然地理学講義草案

理想社1
p.273

にビュフォン
ライプニッツなどの名がある

7:19 午後  
Blogger yoji said...

 『一七六五年・一七六六年冬学期講義案内』,❸T.63,

にも自然地理学に関する記述がある

理想社3巻p.113-


思想ではなく思想を
という指摘と共に真逆の指摘がある

8:52 午後  
Blogger yoji said...

地理学の歴史 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
この時代の地理の書物と言えばセバスチャン・ミュンスターの「コスモグラフィア」(宇宙誌)である。これは、世界観の拡大によって可能となった、名の通りありとあらゆる地球と宇宙を含めた、世界を包括に記載するという試みで、(未だ天動説の時代であった)人々の関心を地理学にひき、いくつもの版を重ねるほどの盛況ぶりであった。また、地球の様子を総体的に把握できるようになり、それまでヨーロッパ人には信じられていなかった熱帯の存在も組み込まれるようになり、気候区分を試みも行われるようになっていった。
ミュンスターに限らず、このような地表と宇宙との関係までも一括して考察したコスモグラフィー的な著作がこの時代の地理の書物の特徴だが、当時の科学の未発達と、まだ確実とはいえない世界に対する知識も相まってやがて版を重ねると、物語のような誇大表現をするようになっていった。しかし、これらの著作がその後長い事人々の地理の知識向上に貢献したことも事実である。
しかし「地理上の大発見」といわれたこの時代の地理学も、地理的視野の拡大と緯度経度の有効性、さらには気候や地形の把握といったことが行われたが、しかし現代の科学的な地理学からすれば単なる地域の記載に終わっているといえる。というのも、まだ地理学を科学的に分析し、解明するほどに自然科学が発達していなかったためであった。従って大航海時代の特徴は、ヨーロッパ人の地理的知識の拡大に終わり、地理学の学問的発展にはあまり寄与できなかったということになる。
科学的地理学の萌芽 [編集]

地理上の発見がなされた大航海時代でヨーロッパ人は大幅な地理的な知識は得たものの、それを学問上で後押しするだけの科学技術は後の17・18世紀まで待たねばならなかった。17世紀以降、自然科学はかつてないほど著しく発展していった。当時のコスモグラフィー的な著作は、単なる地誌の記載に終わり、さらに誇大表現から徐々に地表の現象における神の摂理など科学的なスタンスからはかけ離れていったことも相まって徐々に姿を消した。
科学が発展してきた17世紀以降、地表で展開される気象や地形などの多様な自然現象は決して個々の独立した現象ではなく体系的に解明・理解されるうるものであり地理学はこうした科学的な解明を行う学問を目指すべきだという考えがなされるようになった。その人物の代表格は、オランダ人のワレニウスである。彼の著作「一般地理学」は、こうした理念の下、地理学の下に海洋学、気候学などが来ることを構想していた。こうして古代より停滞していた一般地理学の理論構築が再び模索されるようになった。しかし、ワレニウスの没後彼の考えを継ぐものが現れず、地理学は一時停滞した。
この時代の実績として、スネリウスによる三角測量の発明があげられる。また、学問の細分化と自然科学が目覚しく発展した時期でもある(ニュートンなどが現れたのも、この時期である)。こうした自然科学の発展とそれに伴う測定機器の発展は、後の地理学発展の下地になっていった。
一時期停滞していた地理学の歴史を動かしたのは、哲学者でもあるイマヌエル・カントである。彼はケーニヒスベルク大学で地理学を講じ、「地理学はそこに山があり、そこに川があるのを決して神の摂理とするのではなく、科学的に解明されうるものとしなくてはならない」と説いた。
しかし、このような精神で地理学を論ずるものは少なく、この時代の多くの地理書は、知らない土地の自然の不思議な現象を興味本位に書き立てたり、地理学とはおおよそ関係ないその土地の歴史や政治制度を記載してあったり、それを元にしたあまり正確ともいえない考察がされていたりしていた。
またこの時代は、地質学など近接分野にも目覚しい発展が見られ地理学に影響を与えたのも見逃せない。このように、地理学が近代学問としてその姿を見せるようになったのであるが、それを決めるのは19世紀のフンボルトとリッターという人物の出現を待たないとならない。また、地理学が近代的な姿になるのは、現代で言う自然地理学の分野によってである。人文地理学に光が当てられるのも、19世紀に入ってからである。

1:00 午前  
Blogger yoji said...


http://wind.ap.teacup.com/kanto/55.html
Allgemeine
Naturgesichte und Theorie des Himmels
order
Versuch
von der Verfassung und dem mechanishen Ursprunge
des ganzen Weltgeba"udes,
nach
Newtonischen Grundsa"tzen
abgehandelt
(1755)

天界の一般自然史と理論
すなわち
ニュートンの原理に従って
宇宙全体の構造と機械的起源を論じる試論

目次

献辞
序文
本書全体の要旨

第一部 恒星群の体系的構造の概略
    ならびに
    そのような恒星系が多数あることについて
 緒言 ニュートンの宇宙論の基本概念のうち、
    以下の叙述を理解する為に
    最も不可欠な基本概念の概要
 恒星群の体系的構造について

第二部 自然の最初の状態、天体の形成、そして天体の運動
    ならびにこの運動の体系的関係の原因を、
    特に惑星系に関して論じ、
    更に創造の全体に関しても論じる
 第一章 惑星宇宙一般の起源とその運動の原因について
 第二章 惑星の密度の違いとその質量の関係について
 第三章 惑星軌道の離心率と彗星の起源について
 第四章 衛星の起源と惑星の自転について
 第五章 土星の環の起源について、
     更にこの環の状態から土星の自転周期を算出する
 第六章 黄道光について
 第七章 空間および時間において
     無限な範囲にわたる創造について
   第七章への補論
     太陽の一般的理論と歴史を概括する
 第八章 宇宙構造に関する機械的学説が
     そもそも正当で有る事を一般的に証明する。
     特に我々の学説の確実性について

第三部 自然の類比に基づいて
    さまざまな惑星の住人を比較する試論
  付論 異星の住人について
  結語




1755年
理想社10巻

2:03 午前  
Blogger yoji said...

上記は岩波版より

マンデルブローが一部引用しているはず

2:13 午前  
Blogger yoji said...

上記もビュフォンとライト(英国人)の影響下にある

2:14 午前  
Blogger yoji said...

http://www.fuchu.or.jp/~d-logic/jp/books/kant.html
『カント全集 第十巻 自然の形而上学』

高峯一愚訳、理想社、1966年

意外かもしれないが、宇宙論の歴史にはカントの名前が欠かせない。それはひとえに、ここに収められた『天界の一般自然史と理論』の故。この巻では他に『自然科学の形而上学的原理』も読める。

原題その他は、
Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels, 1755.
Metaphysische Anfangsgruende der Naturwissenschaft, 1786.

『天界の一般自然史と理論』は1755年の作とはいっても、印刷中に出版社が破産したとかで、ほとんど世間には出回ってない。1791年になって、ドイツ語に翻訳されたハーシェルの著作の付録として抜粋が収録され、ようやく「カントの宇宙論」というものが流通するようになる。1797年には、『時代順カント小論文全集』第1巻、および『カント初期未収録小論文』に再録される。その後単行本としても出版された。

このタイムラグのおかげで、カントの宇宙論は、自然科学の世界ではカントよりずっと大物のラプラスの宇宙論(『宇宙の体系』、1796)と時代的に重なり、共通点も少なくなかったことから、「カント=ラプラス説」として擦り合わせが行われたのであった(幸か不幸か)。

例えば『天文の事典』(平凡社)のような本に「天球の回転について」という項目があるのは不思議でもない。しかし、その少し前のページに「天界の一般自然誌と理論」という項目を発見したりすると、「さすが平凡社」と思わずにはいられない。

I. カントの一連の自然哲学に関する論説中もっとも著名なものであり、1755年の著作。……。この付録は論外として、本書に展開されたカントの太陽系、銀河系宇宙に関する構想は、定性的には現代にも通用するものを含んでいて興味深い。[1]
『西洋思想大事典』(これも平凡社)の「宇宙のイメージ」(エレーヌ・L・テュゼ執筆)という項目では、

世界の形成と進化をめぐる、最初にして最も大がかりな統一的システムは、イマヌエル・カントの『天界の一般自然史と理論』(1755)のそれである。[2]
上の二つの引用元では、カントの論考は歴史的なモニュメントとして冷静に取り扱われているけれど、20世紀初頭には、まだまだ生々しい批判の対象になりえたようだ。アーレニウスの『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(1908)を見ると、

以上述べたところから考へて見てもカントの宇宙開闢説の基礎には實際の關係とは一致しないやうな空想的な假定が澤山にはひつて居ることが分るであらう。まだ此の他にも同樣な箇條を擧げればいくらも擧げられるのであるが、併しさうしたところで別に大した興味はないから先づ此位にしておく。[3]
「科学的宇宙観」として論ずるに足るものではない、とわざわざ強調しなけりゃならない程、カントの名前に威力があったわけですね。カントが嫌いらしいアーレニウスも、科学的という尺度を離れると、上で引用したエレーヌ・テュゼと同様、カントの空想の崇高美の魅力までは否定できない。
併しこの美しい哲學的詩に物理學の尺度をあてがふのは穩當ではあるまい。カントでさへ此の詩の美しさの餘りにしばらくいつもの書き振りを違えたのである。此のカントの立派な創作は畢竟自然の永遠性に對する彼の熱烈な要求を表はすもので、しかも餘程迄は眞理に近いものであるが、自然科學的批判の下には所詮烏有に歸してしまふのである。吾々がカントの宇宙開闢論の著述を讚美するのは物理學的見地から見てではなくて、寧ろ其の企圖の規模の偉大な點にある。此の企圖を細密に仕上げることは蓋しカントの任ではなかつたのである。[4]
細密に仕上げられたものでなかったおかげで、この自然史は、カントのいわゆる哲学的著作(「批判」シリーズ)よりも長生きするのではないかと思います。

「この美しい哲學的詩」は、ジュール・ヴェルヌの小道具としても使われている。『地球から月へ』に膨大な註を付して英訳したW・J・ミラーの指摘。

ヴェルヌは以上のたった八行で、彼の時代に「カント=ラプラースの星雲理論」として知られていた太陽系生成理論の要約を試みている。この小説が現れた(一八六五)後、この理論は久しく等閑に付されていたが、我々の時代にかつてない華々しい復権をみている。
 哲学者イマヌエル・カント(一七二四-一八〇四)はその『一般自然史と天体の理説』(一七五五)の中で、太陽系は、冷たいガスと塵の回転する塊が凝集し分かれて太陽、惑星、衛星になることによって生成されたと主張した。[5]
ヴェルヌの作品の中でカントに出会うとは思ってもみなかった(もっとも、ヴェルヌの原文にはカントの名前もラプラスの名前も出てこない。名前を出すまでもなかったということか)。

『天文の事典』で「論外」とされた付録というのは、「第三篇 自然の諸類比に基づいて種々なる惑星の居住者を比較する試論」のこと。つまり、地球外生命体(ET)についてのお話だ。

2:27 午前  
Blogger yoji said...


したがってもしこれらの精神的能力がその内在している機構の素材に必然的に依存するとすれば、真実らしいというより以上の憶測をもって、思惟的諸自然の卓越性、その諸表象の敏速性、それが外界の印象によってえる概念の明瞭性、加うるにそれらを総括する能力、最後にまた実際の行使における機敏性、要するに、この思惟的諸自然の完全性の全範囲は、それらの在り場所が持つ太陽からの距離に比例してそれらがますます勝れ、ますます完全となるという一定の規則に従う、と結論することができるであろう(178-9ページ)。
一読しただけでは何のことやらよくわからないが、早い話、太陽から一番遠い惑星(当時は土星)に棲む生物が最も高級である、と。似たような議論がヴェルヌの『地球から月へ』にもある(「空想三昧」のアジ演説の中で)。

第一、地球には衛星がひとつしかないのに、木星、天王星、土星、海王星には、たくさん衛星があって、これは見落とせぬ利点でありましょう。[6]
カントに言わせると、太陽から遠い惑星に衛星がたくさんあるのは、「昼の光の奪われている間十分な代償によってそれを補う」(181ページ)ためである。土星は木星よりも衛星の数が多く、しかも「その構造はそれを取りまく美しい有用な環によって、その性質に関してさらに大きい優越点をなしているように思われ、木星に比べて一層優位を占めている」(181ページ)。

ちなみに、天王星が発見されたのは1781年(ウィリアム・ハーシェル。それ以前にも観測されてはいたが、惑星だとは思われていなかった)。『天界の一般自然史と理論』を書いていた頃のカントはまだその存在を知らない。海王星の発見は1846年(J・G・ガレ。遥か昔、ガリレオも惑星とは知らぬまま観測していた)。

カントになり代わって、「天王星はいかなる点において土星よりも優れているか」を立証してみるのも一興でしょう。

自転軸の傾きと生命体の完璧さとの関係にヴェルヌは目を着けた。

……このような幸運に恵まれ、このようなすばらしい条件下に暮らしているわけですから、この幸運な世界の住民たちは優秀な存在であり、その科学者はずっと科学的だし、芸術家はずっと芸術的であり、悪人はずっと悪くなく、善人はずっと善いはず、とこれだけは少なくとも、明白であろうと思います。ああ! 我々の地球には全体なにが欠けているため、この木星のような完璧さに到達できないのでしょう。大した原因ではないのです! 自転軸の公転軌道に対する傾きがもっと小さくなればよいのです![7]
もちろん、カントがこうした関係を見逃すはずがない。木星の自転軸の傾きが小さいことは知っていた。ただし、土星の軸の傾きが地球のそれより大きいことも知っていた。土星が地球よりも不完全であっては困るので、カントが重視するのは自転周期である。木星の一日が10時間であることから、

……もし木星に地球人よりも繊細に形成されていてより弾力的な力とそれを行使するのにより大きな敏捷さとをそなえた一層完全な被造物が住んでいるとすれば、われわれは、この五時間が木星人にとっては、地球上の人間という卑小な部類のものにとって真昼の十二時間に相当すると同じ、またそれより以上であると信ずることができる(181ページ)。
木星人は素材が繊細なので、太陽から受ける光や熱が少なくても足りる。逆に金星人は粗大かつ鈍重で、大量の光と熱の刺激を受けないと身動き取れないのである。

目次

『天界の一般自然史と理論──別名、ニュートンの諸原則に従って論じられた全宇宙構造の体制と力学的起源についての試論』

捧げの言葉

全著作の内容

第一篇 恒星間の体系的体制の概要、同じくそのような恒星系が多数あることについて

以下の叙述の理解に必要なニュートンの宇宙科学の最も不可欠な根本概念の摘要
恒星間の体系的体制について
第二篇 自然界の最初の状態、諸天体の形成、それらの運動の諸原因および特に惑星系における、また全創造に関する諸天体の体系的関繋の諸原因について
第一章 惑星宇宙一般の起源とその運動の諸原因とについて
第二章 惑星の種々なる密度と惑星の諸質量の関係とについて
第三章 惑星起動の離心率と彗星の起源とについて
第四章 月の起源と惑星の自転運動とについて
第五章 土星の環の起源とこの惑星の昼夜回転をこの星の諸事情から計算することについて
第六章 黄道光について
第七章 空間ならびに時間の面からの無限性の全範囲における創造について
第七章への付録 総じて太陽の一般理論と歴史
第八章 総じて宇宙の組織を力学的に理論化することが正当であることの一般的証明、特に今の理論の確実なゆえんについて
第三篇 自然の諸類比に基づいて種々なる惑星の居住者を比較する試論
付録 天体の居住者について
結語
注:

『天文の事典』(平凡社、1987年)、473ページ。執筆者は堀源一郎。
ついでながら、同書の「天球の回転について」の項(執筆は同じく堀源一郎)にも、カントの名前が登場する。
本書は天文学を離れて社会全般に与えた影響も大きく、本書で<回転>の意味に用いられた revolutio は1600年ころから<革命>の意味に使われるようになり、またカントはその著《純粋理性批判》第2版(1788)の序言で、従来の主観が客観に従うという立場をすてた主観的観念論への転回を<コペルニクス的転回>ということばで表現した(同上、475ページ)。
エレーヌ・L・テュゼ「宇宙のイメージ」高山宏訳、『西洋思想大事典』第1巻(平凡社、1990年)、224ページ。
アーレニウス『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(寺田寅彦訳、岩波文庫、1931年)、151ページ。
同上、212ページ。
ジュール・ヴェルヌ『詳注版 月世界旅行』(W・J・ミラー注、高山宏訳、ちくま文庫、1999年)、124ページ、注4。
なお、これは『地球から月へ』(De la Terre a la lune, 1865)の英訳(From the Earth to the Moon, 1978)の翻訳で、創元推理文庫の『月世界へ行く』(Autour de la lune, 1869)とは別の作品なのである(後者は前者の続編だ)。
同上、392ページ。
同上、393-4ページ。
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Last Modified : Feb 21, 2004

2:28 午前  
Blogger yoji said...

……
理想社第10巻

目次

『天界の一般自然史と理論──別名、ニュートンの諸原則に従って論じられた全宇宙構造の体制と力学的起源についての試論』

捧げの言葉

全著作の内容

第一篇 恒星間の体系的体制の概要、同じくそのような恒星系が多数あることについて

以下の叙述の理解に必要なニュートンの宇宙科学の最も不可欠な根本概念の摘要
恒星間の体系的体制について
第二篇 自然界の最初の状態、諸天体の形成、それらの運動の諸原因および特に惑星系における、また全創造に関する諸天体の体系的関繋の諸原因について
第一章 惑星宇宙一般の起源とその運動の諸原因とについて
第二章 惑星の種々なる密度と惑星の諸質量の関係とについて
第三章 惑星起動の離心率と彗星の起源とについて
第四章 月の起源と惑星の自転運動とについて
第五章 土星の環の起源とこの惑星の昼夜回転をこの星の諸事情から計算することについて
第六章 黄道光について
第七章 空間ならびに時間の面からの無限性の全範囲における創造について
第七章への付録 総じて太陽の一般理論と歴史
第八章 総じて宇宙の組織を力学的に理論化することが正当であることの一般的証明、特に今の理論の確実なゆえんについて
第三篇 自然の諸類比に基づいて種々なる惑星の居住者を比較する試論
付録 天体の居住者について
結語
注:

2:30 午前  
Blogger yoji said...

ラストは第二批判の末尾を先取りしている

2:40 午前  
Blogger yoji said...

カントの科学分類(『カントと地理学』212頁):

      自 然     人間(心または自我)
    (内官と外官)    (内官)

      物理学   |
      および   |
理論的 その他の理論的 |  心理学(?)
      自然科学  | 
   _________|_________
      地理学   |  人間学
経験的   および   |  および
     自然の歴史  | 道徳の歴史
            |
    (空間と時間) |  (時間)

8:39 午前  
Blogger yoji said...

参考:

カントの科学分類(『カントと地理学』212頁):

      自 然     人間(心または自我)
    (内官と外官)    (内官)

      物理学   |
      および   |
理論的 その他の理論的 |  心理学(?)
      自然科学  | 
   _________|_________
      地理学   |  人間学
経験的   および   |  および
     自然の歴史  | 道徳の歴史
            |
    (空間と時間) |  (時間)

カントと地理学
J.A.May/〔著〕 松本正美/訳

8:40 午前  
Blogger yoji said...

ハーツホーンは

地理学の性格で

カントを高く評価している
Hartshorne Geography

5:46 午前  
Blogger yoji said...

NAMs出版プロジェクト: 教育学と教育術
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_20.html?m=0


 編者の序言
序  説
本  説
 自然的教育について <養護、教化p242、(絶対的従順、理性的従順p285)>
 こころの教育について <ある程度までは自然的p265。目的体系p275)>
 実践的教育について <1熟達性、2世間的怜悧、3道徳性p293>
 結  語

カントはこころの教育についてで小説を避け地理学を推奨する(最終的には数学)
記憶術の面で、
コメニウスも間接的に推奨される

岩波17,p273
理想社16,p61



ゆっくり急げfestina lente

岩波p295

6:33 午前  
Blogger yoji said...

教育学では地図作成能力も推奨される

6:41 午前  
Blogger yoji said...

地理学の本質: geopolitical critique
http://geopoliticalcritique.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-c4e3.html
前置きがすっかり長くなったが,ハーツホーンは1939年に「The nature of geography」という論文を発表した。それは後に単行本化されるのだが,驚くべきことに,米国地理学会の学会誌を2号分占拠して,この論文は掲載されたのだ。タイトルだけ見ると,本書はこの論文の翻訳だと思われるが,実はそうではない。上述したハーツホーンを批判したシェーファーの論文が掲載されたのが1953年。ハーツホーンはそうした批判に答えるべく,新たな本を1959年に出版する。これも出版元は米国地理学会であり,タイトルは『Perspective on the nature of geography』というものであり,本書はその翻訳となる。なお,原著の書誌情報は訳書にかならず記載するものだが,なぜか本書には原著タイトルさえ記載されていない。早速目次をみてみよう。

I 序章――地理学の必要性とその目的
II 空間異相の岳としての地理学とは何か?
III ”地表”とは何であるか?
IV 異質現象の総合は地理学の特殊性であるか?
V 地理学における”意味”の尺度は何をもってするか?
VI 人文的要素と自然的要素の間に区別をつけねばならないか?
VII トピカルな問題の分野における地理学の分け方――自然地理学と人文地理学の二重構造
VIII 地理学における時間と発生
IX 地理学は”系統的”と”地域的”の2つにわけられるであろうか?
X 地理学は科学法則を樹立しようとするものか,あるいは個々のケースの記載をするものであるか?
XI 科学の分類からみた地理学の位置
XII あとがき

8:13 午後  
Blogger yoji said...

木星人は素材が繊細なので、太陽から受ける光や熱が少なくても足りる。逆に金星人は粗大かつ鈍重で、大量の光と熱の刺激を受けないと身動き取れないのである。

理想社10巻
目次

『天界の一般自然史と理論──別名、ニュートンの諸原則に従って論じられた全宇宙構造の体制と力学的起源についての試論』

捧げの言葉

全著作の内容

第一篇 恒星間の体系的体制の概要、同じくそのような恒星系が多数あることについて

 以下の叙述の理解に必要なニュートンの宇宙科学の最も不可欠な根本概念の摘要
 恒星間の体系的体制について
第二篇 自然界の最初の状態、諸天体の形成、それらの運動の諸原因および特に惑星系における、また全創造に関する諸天体の体系的関繋の諸原因について
第一章 惑星宇宙一般の起源とその運動の諸原因とについて
第二章 惑星の種々なる密度と惑星の諸質量の関係とについて
第三章 惑星起動の離心率と彗星の起源とについて
第四章 月の起源と惑星の自転運動とについて
第五章 土星の環の起源とこの惑星の昼夜回転をこの星の諸事情から計算することについて
第六章 黄道光について
第七章 空間ならびに時間の面からの無限性の全範囲における創造について
第七章への付録 総じて太陽の一般理論と歴史
第八章 総じて宇宙の組織を力学的に理論化することが正当であることの一般的証明、特に今の理論の確実なゆえんについて
第三篇 自然の諸類比に基づいて種々なる惑星の居住者を比較する試論
付録 天体の居住者について
結語
注:

『天文の事典』(平凡社、1987年)、473ページ。執筆者は堀源一郎。
ついでながら、同書の「天球の回転について」の項(執筆は同じく堀源一郎)にも、カントの名前が登場する。
本書は天文学を離れて社会全般に与えた影響も大きく、本書で<回転>の意味に用いられた revolutio は1600年ころから<革命>の意味に使われるようになり、またカントはその著《純粋理性批判》第2版(1788)の序言で、従来の主観が客観に従うという立場をすてた主観的観念論への転回を<コペルニクス的転回>ということばで表現した(同上、475ページ)。

10:47 午後  
Blogger yoji said...

 恒星間の体系的体制について

の一部をマンデルブローが引用している

10:48 午後  
Blogger yoji said...

カント再読 - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-42.html
『判断力批判』においてカントが考えていたのは、実は、進化論の問題だった。
いうまでもないが、進化論はダーウィン以前からあった。たとえば、ライプニッ
ツも進化論的であった。カントはそれを批判的に吟味したのである。ついでにい
うと、カントは『判断力批判』以後も、人間史(一般史)における「進化」の問
題について、同様の観点から考えた。

《ところで我々はこの場合に、作用する様々な原因の集合をエピクロス風の考え
に従って、――諸国家は物質の微塵すなわち原子と同じく、偶然的な衝突に依っ
て有りとある形態をとるが、これらの形態はまたもや新たな衝撃に依って破壊さ
れ、このような過程が何度となく繰返されたあげく、その形態を永く保持しうる
ような形態をいつかは偶然に獲得する(これはとうてい起こりそうもない僥倖で
ある)、というふうに考えてよいのだろうか。それとも、自然は、この場合にも
規則正しい経過を辿り、われわれ人類を導いて動物性という低い段階から人間性
という最高の段階に到らしめ、しかもその方法としては、なるほど人間から無理
取りしたにせよ、しかしもともと自然の意図に出づる巧みな手段を用い、こうし
て一見したところ野放図な無秩序のさなかに、自然が人間に与えた根源的素質を、
極めて規則正しく開展する、というふうに考えてよいのだろうか》
(「世界公民的見地における一般史の構想」)。

10:59 午後  
Blogger yoji said...


http://elib.doshisha.ac.jp/japanese/digital/history.html
The History of Japan…
『日本誌』(英語版)            
 ケンペル(Engelbert, Kaempfer 1651-1716)はドイツのウェストファーリアの小村レムゴーに生まれました。少年の頃から東方への関心を抱き多くの旅行記を読んでいたようです。青年時代、ダンチヒ、クラカウ、ケーニヒスブルグなどの大学で、哲学、歴史、博物学、医学を修め、語学も古典語のみならず、英、仏、蘭、露、ポルトガル、スエーデンの各国語を学びました。彼の生涯の目標は、探検旅行家となることであり、これらの学問はそのための準備でもありました。1689年、ジャワのバタビアにあるオランダ東インド会社に医師として赴きましたが、適当な地位が得られず、長崎出島のオランダ商館の医師を勧められて、1690年9月(元禄3年)に来日しました。ケンペルは2年1ヶ月余り日本に滞在し、その間、2度の江戸参府を行い、将軍綱吉に謁見しています。1692年10月日本を離れ、郷里レムゴーに帰った後、ケンペルは東方旅行中に得た資料や手記の整理、執筆に努力しましたが、一方では領主リッペ伯の待医として時間を奪われたり、夫人との不和に悩まされたり、3人の子供に先立たれたり、不幸な晩年でした。

 今回紹介するケンペルの主著「日本誌」(The History of Japan)は、最初イギリスのスローン卿によって刊行されました。スローン卿は学者、探検家であり、後にロンドンの王立学士院長になった人ですが、蒐集家としても有名でした。彼の集めた文献類が、大英博物館の蔵書の基礎になったと言われています。

 スローン卿はケンペルの残したぼう大な資料の中から「日本誌」の原稿を整理し、スイス人ショイツエルという青年医師に、英訳を依頼し、1727年に本書を出版しました。英語版に次いで、オランダ語版(1729)、フランス語版(1729)が出版されましたが本国のドイツ語版は1777~1779年に至ってようやく完全な形で出版されました。図書館所蔵(ケーリ文庫)のものは1728年刊の英語版です。本書内容は日本の風土、自然、地理、動植物、地下資源、さらに日本の風俗、宗教、社会、政治、歴史などについての観察、報告ですが、ケンペルはこれを詳細に、また正確に記述しています。この中で特に注目を引くのは、ケンペルの日本鎖国政策擁護の立場で、これは要するに当時の日本の置かれた国際的環境下ではむしろ賢明な政策であったというものですが、この箇所は早くから関心を集め「鎖国論」として部分訳が行われました。(1801年志筑忠雄訳)

 日本についての著書、例えば有名なカロンの「日本大王国志」、モンタヌスの「東インド会社遣日使節紀行」(いずれも図書館ケーリ文庫所蔵)などを参照したとケンペル自身「日本誌」の中でことわっていますが従来の著書に比べて、いわゆるカソリック的見地から解放され、西洋とは別の一つの文明圏としての日本を据えているのが本書の特徴です。

 18世 紀以降、ヨーロッパ人が日本のことについて述べる場合、必ずと言っても良いほど本書のおかげを蒙っているようです。モンテスキュウーの「法の精神」の中の日本の項、ヴォルテールの「諸風俗論」の中の日本事情、カントの「永久平和論」における日本の鎖国政策への論及などはその例です。このようにケンペルの「日本誌」は、130年後シーボルトの大著「日本」(ケーリ文庫所蔵)が現れるまで日本研究の基礎となりました。

 なお図書館所蔵のものとしては英語版(ケーリ文庫所蔵F291.09;K8-2a)の他に、今井正訳「日本誌」(291.09;K8-2)、斉藤信訳「江戸参府旅行日記」(291.09:K8)(部分訳)、異国叢書第6,7巻所収の「ケンプェル江戸参府紀行」(210.5;I-1a)(部分訳)があります。

12:10 午前  
Blogger yoji said...


http://elib.doshisha.ac.jp/japanese/digital/history.html
The History of Japan…
『日本誌』(英語版)            
 ケンペル(Engelbert, Kaempfer 1651-1716)はドイツのウェストファーリアの小村レムゴーに生まれました。

 18世 紀以降、ヨーロッパ人が日本のことについて述べる場合、必ずと言っても良いほど本書のおかげを蒙っているようです。モンテスキューの「法の精神」の中の日本の項、ヴォルテールの「諸風俗論」の中の日本事情、カントの「永久平和論」における日本の鎖国政策への論及などはその例です。このようにケンペルの「日本誌」は、130年後シーボルトの大著「日本」(ケーリ文庫所蔵)が現れるまで日本研究の基礎となりました。


12:26 午前  
Blogger yoji said...


http://moekaki.blog.so-net.ne.jp/2011-11-06
http://moekaki.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ab5/moekaki/DSC03016b.JPG?c=a1
 左はケンペル著の『日本誌』、右はシーボルト著の『日本』から、出島の見取り図です。 日本国内の文献が乏しいので、主にこうしたオランダ人の手による文献を元にして出島の復元作業が進められているそうです。






九州大
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kaempfer/eng9.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kaempfer/eng9.jpg
日本地図

12:45 午前  
Blogger yoji said...


http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%87%9D
ビュフォンの針
ビュフォンの針(ビュフォンのはり、英: Buffon's needle problem)は18世紀の博物学者ジョルジュ=ルイ・ルクレール、コント・ド・ビュフォンが提起した数学上の問題である。
もし床に多数の平行線を引き、そこに針を落すならば、どれかの線と針が交差する確率はどのようになるか
積分と幾何学を使ってこの問題は解け、またこの方法を使って、モンテカルロ法で円周率の近似値を求めることができる。

7:27 午前  
Blogger yoji said...


http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E7%8E%8B%E5%9B%BD%E5%BF%97
『日本大王国志』(にほんだいおうこくし、蘭:Beschryvinghe van het machtigh koningryk Japan、英:A True Description of the Mighty Kingdoms of Japan)とは、フランソワ・カロンが執筆した書物。1620年~1640年に平戸のオランダ商館に勤務したカロンが、1636年にバタヴィア商務総監のフィリプス・ルカスの質問に対した回答が元になってる。
目次 [非表示]
1 概要
2 質問内容
3 脚注
4 関連項目
5 参考
概要 [編集]

カロンは、料理人[1]として1619年に平戸のオランダ商館に着任した[2]。その直後に、日本人女性と結婚し、6人の子供をもうけ[2] 、日本語に熟達した。1627年には、通訳として参府している[2][3]。1626年には商館助手に昇進し、1633年4月9日には次席(ヘルト)となり、1636年2月には館長代理となった。
館長代理時代、バタヴィア商務総監のフィリプス・ルカスから日本の事情に関する報告を書くように要請されたが、一般的記事を書くことは断り、1636年にルカスの質問31問に回答する形で執筆された。カロンは本書が出版されることを想定していなかったが、1645年に『オランダ東インド会社の創建ならびに発展誌』の巻末に添付され、翌年には再版が出版された。さらに1661年にはカロン自身が校正を加え、さらに挿絵を付け加えた上で1661年に単行本として出版された。オランダ語版に加えて、英語版、ドイツ語版、フランス語版、イタリア語版、ラテン語版、スウェーデン語版が出版された。
質問内容 [編集]

 日本国の大きさ、日本は島国か
 如何に多くの州を含むか
 日本における最上支配者の特質と権力
 将軍の住居、地位、行列
 兵士の数と武器
 幕閣およびその権力
 大名とその勢力
 大名の収入とその源泉
 処刑の方法
 何が重罪に相当するか
 住民の信じる宗教
 寺院
 僧侶
 宗派
 キリシタンの迫害
 家屋、建具
 来客の接待
 結婚生活
 子供の教育
 遺言が無い場合の相続
 日本人は信用できるか
 貿易および貿易従事者
 内地商業および外国航海
 商業の利益
 外国との交際
 日本の物産
 貨幣および度量衡
 鳥獣類
 鉱泉
 将軍への謁見
 言語、写字、計算方法、子孫に歴史を公開するか

脚注 [編集]

[ヘルプ]
^ 東インド会社は雑用係りを料理人と称していたようである。
^ a b c Otterspeer, Willem. (2003). Leiden Oriental Connections, 1850-1940, p. 355.
^ 長崎遊楽 江戸参府年表
関連項目 [編集]

7:28 午前  
Blogger yoji said...

カントの引用した部分が見つからない

4・3?
p177?


http://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=H2xdLbvCR6sC&q=silence#v=snippet&q=silence&f=false

7:18 午前  
Blogger yoji said...

カン トの思考世界と日本 - 大分大学
ir.lib.oita-u.ac.jp/dspace/bitstream/10559/3595/1/23-1-3.pdf
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
熊谷教子 著 - 2001
向け, 研究の対象と したカ ン トの存在は当時の思想界にあっては例外といっ. てよい。 ...... このような賛美ともとれる日本理解とかれの鎖国擁護論は, ケンペル自身が 「現にわた しが ..... ー3) Heーmuth v。n Gーasenapp,Kant und Reーigi。nen des 。Stens ...

9:40 午前  
Blogger yoji said...


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E8%AA%8C
18世紀フランスで編纂された百科事典については「博物誌 (ビュフォン)」をご覧ください。
博物誌(はくぶつし)
博物学の視点から、主に自然界の事象を記述した著書。
古代ローマの博物学者、大プリニウスが著した百科全書的な書。本項で詳述。
西晋の重臣張華の代表作。
フランスの詩人ジュール・ルナールの散文詩集。
目次 [非表示]
1 プリニウスの博物誌
2 主な内容
3 『博物誌』に記された怪物
4 訳書
5 日本語入門書
6 外部リンク
プリニウスの博物誌 [編集]



1669年版の表紙
『博物誌』(Naturalis Historiæ)は、ローマの大プリニウスが著した書。全37巻。地理学、天文学、動植物や鉱物などあらゆる知識に関して記述している。数多くの先行書を参照しており、必ずしも本人が見聞、検証した事柄だけではない。怪獣、巨人、狼人間などの非科学的な内容も多く含まれ、学問的な体系を完全に成しているわけではない。
古くから知られていたが、特にルネサンス期の15世紀に活版印刷で刊行されて以来、ヨーロッパの知識人たちに愛読され、引用されてきた。科学史・技術史上の貴重な記述を含むほか、芸術作品についての記述は古代ローマ芸術についての資料として美術史上も珍重された。また、幻想文学にも影響を与えた。
主な内容 [編集]

第1巻 序文
第2巻 天文
第3 - 6巻 地理
第7巻 人間
第8 - 10巻 動物
第11巻 昆虫
第12 - 19巻 植物
第20 - 27巻 薬草
第28 - 32巻 動物性薬品
第33巻 鉱物
第34巻 彫刻
第35巻 絵画
第36巻 建築
第37巻 宝石  
『博物誌』に記された怪物 [編集]

プリニウスが記した『博物誌』には、実在する生物に混ざって、ペガサス、ユニコーン、スフィンクス、マンティコア、サラマンダーといった有名なものから、コロコッタ、アンフィスバエナ、カトブレパスなど、あまり知られていないものまで、多数の怪物が記されている。
アピス(Apis)
右腹に三日月型の白斑がある雄牛。エジプトの神牛。(第8巻第71(46)章第184 - 186節)
アンフィスバエナ(Amphisbaena)
エチオピアに棲む双頭の毒蛇。(第8巻第35(23)章第85節)
エアレー(Eale)
カバぐらいの大きさで、ゾウの尾を持ち、毛色は黒あるいは黄褐色で、イノシシの顎を持ち、どの角度にも動かすことの出来る二本の長い角を持つ動物。(第8巻第30(21)章第73節)
カトブレパス(Catoblepas)
頭をいつも地面に垂れ下げていて、その目を見た者は誰でも即座に絶命する。(第8巻第32(21)章第77節)
コロコッタ(Crocota, Corocotta)
ハイエナと雌ライオンとの交配によって生まれる怪物。人間や牛の声を真似る。(第8巻第30(21)章第72節、第8巻第45(30)章第107節)
サラマンダー(Salamandra)
トカゲのような形をした、全身を斑点に覆われている動物。(第10巻第86(66)章第188節、第11巻第116(53)章第280 – 281節、第29巻第23(4)章第74 - 76節)
スフィンクス(Sphinx)
毛が褐色で胸に一対の乳房がある獣。(第8巻第30(21)章第72節)
ドラゴン(Draco)
インドに棲むドラゴンは象と戦う際に、体を巻きつけ、動けないようにする。(第8巻第11(11)章第32節)
トリトン(Triton)
半人半魚の姿をした海神。(第9巻第4(5)章第9節)
ナウプリウス(Nauplius)
船の形をした貝。(第9巻第49(30)章第94節)
ネレイス(Nereis)
半人半魚の姿をした海の精霊。
バシリスク(Basiliscus)
キュレナイカ(リビア王国東半)に生息する猛毒のトカゲの一種。その目で見られた者は即死、もしくは石化するといわれる。(第8巻第33(21)章第78 - 79節)
フェニックス(Phoenix)
アラビアに生息し、大きさは鷲ぐらいで、頸まわりは金色、尾は青く、薔薇色の毛が点々と混ざり、体は紫。(第10巻第2(2)章第3 - 5節)
ペガサス(Pegasus)
エチオピアに生息する翼の生えた角を持つ馬。(第8巻第30(21)章第72節、第10巻第70(49)章第136節)
マンティコア(Mantichora)
エチオピアに生息し、顔は人間、体は獅子、尻尾はサソリのようで、人間の声を真似るという。(第8巻第30(21)章第75節、第8巻第45(30)章第107節)
ユニコーン(Monoceros)
インドに生息し、馬の体、鹿の頭、象の肢、猪の尾を持ち、額の中央に黒く、長い一本の角が生えている獰猛な獣。(第8巻第31(21)章第76節)
レウクロコタ(Leucrocota)
ハイエナの異種。ロバほどの大きさで、鹿の肢、獅子の首、尾、胸、穴熊の頭、割れた蹄、耳まで裂けた口を持ち、歯のかわりに一本の連続した骨がある。人間の声を真似る。(第8巻第30(21)章第72節)
訳書 [編集]

プリニウス『プリニウスの博物誌』〈I・II・III〉 
中野定雄・中野里美・中野美代訳、雄山閣出版、1986年。新版1995年。
『プリニウスの博物誌1〜5』
上記の縮刷版で、五分冊。雄山閣出版2012年。
『プリニウス博物誌 植物篇』大槻真一郎[責任編集] 岸本良彦ほか訳 
『プリニウス博物誌 植物薬剤篇』八坂書房、1994年、普及版2009年。
日本語入門書 [編集]

ウェザーレッド『古代へのいざない プリニウスの博物誌』中野里美訳、雄山閣出版、1990年
中野里美『ローマのプリニウス』 光陽出版社、2008年 
澁澤龍彦『私のプリニウス』 青土社、河出文庫
外部リンク [編集]

ウィキソースにプリニウスの博物誌の原文があります。
LacusCurtius, Pliny the Elder's Natural History
Pliny the Elder, The Natural History(eds. John Bostock, M.D., F.R.S., H.T. Riley, Esq., B.A.)

4:33 午後  
Blogger yoji said...


http://blog.goo.ne.jp/irienohotori/e/144cf2d3429a1bd99cdfdca3538bd4c3
 JIS+2D21「人生における最大の罪は、初めて金を自分の指につけた人物によって侵された」
   (註:古くからローマ人には指輪をつける風習があった。当初
    は鉄製のものが使われたらしい) 
                                         JIS+2D22「儲けの多い怠惰な生活の最初の源は貨幣の発明にあった。急速に、もはやただの貪欲というものではなく、金に対する絶対的な飢餓が、一種狂乱状態をもって燃え上がった」 

 JIS+2D23「人生から金が完全に放逐できたらよいのだが。金は世界のもっとも賢明な人びとに毒づかれながらも、ただ人生を破壊するためにのみ発見されたのだ」 

 これこそまさにプリニウスの「金」言である。                                                                               

4:38 午後  
Blogger yoji said...

http://ir.lib.oita-u.ac.jp/dspace/bitstream/10559/3595/1/23-1-3.pdf#search='カン+トの思考世界と日本++大分大学+ir'

5:14 午後  
Blogger yoji said...

http://ir.lib.oita-u.ac.jp/dspace/bitstream/10559/3595/1/23-1-3.pdf#search='カン+トの思考世界と日本++大分大学+ir'

基礎的文献

5:15 午後  
Blogger yoji said...

Kant und die Religionen des Ostens - Helmuth von Glasenapp - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books/about/Kant_und_die_Religionen_des_Ostens.html?id=rzIwAAAAMAAJ&redir_esc=y
カントと東洋の哲学
グラーゼナップ

5:43 午後  
Blogger yoji said...

http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b16/buffon_cont.html
一般と個別の博物誌
Histoire naturelle, generale et particuliere

 ビュフォン(Buffon, Georges Louis Leclerc, comte de, 1707-88)はフランスの博物学者で、パリ王立植物園園長をつとめていました。本書『一般と個別の博物誌』(1749年からビュフォン没後の1804年まで全44巻が刊行された)で、ビュフォンは、リンネの人為的な分類法に対し、自然界を総合的にとらえた上で判断するという「自然的分類法」を提唱しています。出版当時はベストセラーとなり、のちの博物学や科学・思想全般にも大きく影響しました。
 もっとも大部なものは1798-1808刊行のSonnini版(127巻)ですが、初版に比べてかなり大きく改訂されています。本学医学図書館所蔵のものは1785-91に刊行されたもの(54巻)で、ビュフォン生前の初版の姿をより色濃く残していると考えられます。


De la Maniere d'etudier & de traiter l'Histoire Naturelle, etc...
総論 ほか

T. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13


oiseaux
鳥類

T.1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18


quadrupedes
四足獣

T.1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14

Histoire naturelle des mineraux
鉱物

T. 1 2 3 4 5 6 7 8

10:35 午後  
Blogger yoji said...

I 学問の三分類
http://www.qmss.jp/interss/01/materials/cois/matsu1.htm

 一口に「学問」といっても、そこには様々な領域が渾然と含まれているが、大きく学問を分類するとすれば、何と言っても「万学の祖」といわれるアリストテレスの分類であろう。アリストテレスによると、学問は「理論(テオリア)」・「実践(プラクシス)」・「制作(ポイエーシス)」に三分される。現代的な言葉に対応させるとすると、「理論」とは科学的な学問、「実践」とは有用性(役に立つこと)を主眼においた学問、「制作」とは価値(美しいもの、興味深いもの、感動的なもの、等)を創出することを目指す学問、ということになる。

(1)「理論」の学問とは、物理学・化学・生物学などの自然科学や数学などがその典型として挙げられるが、応用生物学としての医学・農学や、経済学など社会科学といわれる学問もこれを標榜している。近代においては、「理論」といわれる学問傾向の範囲の伸張は著しい。

「理論」としての学問は、思考によって何をどのようにして明らかにするかを問うものであり、論文を書くときには「どこまでが今まで判っていて、どこからが新しい知見なのか」を明確に示すことから始めるのが一般的である。学問によって導き出された果実が有用であるかどうかは「理論」の重要な要素ではないが、「理論」が「実践」と関わっているときには、事実上、「実践」のための「理論」としてその意義が問われる。

(2)「実践」としての学問は役に立つことを目指すが、この場合何にとって役立つかという参照点が必要となることは明らかである。「人にとって」であれば倫理学、「社会にとって」であれば政治学(場合によっては政治哲学)、「家計(1)にとって」であれば(かつての)経済学、「国家にとって」であれば土木工学(シヴィル・エンジニアリング)、かつての軍事学などがその良い例となる。

実践の論文の書き方は、解決を必要とする課題をまず規定し、用いることのできる方法の有用性・有効性を論じ、結果を確認する、という順序で行われる。目的~方法~結果の連関は、ふつう理論によって仲立ちされるから、実践の学問は多くは理論の要素を含む。また有用性の「用」は、さまざまな人間的価値(2)のあり方に関わるから、制作の学問にも関連している。建築学や都市工学はその好例といえよう。

一般に現代社会は多くの実践学を生み出した。臨床医学、看護学、福祉介護の諸理論、そして経済学もまた実践の学に入れられるだろう。また社会科学の中でも「法解釈学」は法の合目的性、法的安定性を目指した実践学の面が濃厚である。

(3)最後の「制作」の学問(制作学)は、文学、音楽、芸術の諸学問である。「ポエム」からも判るように、プラトン、アリストテレスにおいては「詩学」で代表される学問である。ただし、「制作(ポイエーシス)」にはテクネー(技術)が本来的な関わりを有するから、ギリシャ以来の原義とはやや異なり、現代的意味における制作学には「工学」の考え方なども含まれよう(3)。フィールド・サイエンスは発見された所見に発見者の価値が組み込まれるという点で、実践学よりも制作学しての性質を帯びている。もちろん、フィールド・サイエンス以外でも、近年においては一般に実践学と制作学は融含してきているというのが現状である。

制作学の諸学について論文の書き方を述べる事は難しい。審美性を兼ね備え、それにより人の価値観に訴え感動を引き起こすような論文は、形式によってというよりはその文章によって生み出されるものである。

(1) 「オイコス」「オイコノミクス」の原義である。

(2) 現代のタームでは「効用」

(3) ギリシャ哲学においても結果的にはこのように意識されてはいたが、本来的な意味ではない。

10:37 午後  
Blogger yoji said...

http://philos.fc2web.com/aristote/organon.html

講義草稿からできた著書群は、だいたい、次のように分類されました。

論理学
自然学(物理学・心理学・生物学)
形而上学
実践学(倫理学・政治学)
制作術

10:38 午後  
Blogger yoji said...

カントが日本に関して主に参照したのはケンペル独語版2冊らしい岩波18,546頁

1:56 午前  
Blogger yoji said...

Kant und die Religionen des Ostens - Helmuth von Glasenapp


http://catalog.hathitrust.org/Record/002047069

検索のみ

4:12 午前  
Blogger yoji said...

http://ir.lib.oita-u.ac.jp/dspace/bitstream/10559/3595/1/23-1-3.pdf#search='カン+トの思考世界と日本++大分大学+ir'

基礎的文献




 近代になってヨーロッパの海外進出をくい止める措置として,清朝中国や徳川政権下の日本
をはじめ東アジアのいくつかの国が,鎖国政策をとったことをカントは「賢明な措置」として
肯定している。かれはケンペルの旅行記をとおして,日本が鎖国政策に踏み切った理由をかれ
なりに理解していた。ケンペルは『日本誌』の付録第二章「もっともな理由のある日本の鎖国」
でつぎのような見解をのべている。

 日本人の場合は,異国との交わりは、ただ生活のため,便益のため、贅沢のために必要な
物資を入手する方便であることは,だれも否定しないであろう。日本の場合には,外国から
もたらすものは,法律は自分の国の国造りのため,宗教は心の安らぎのため,学問は教養の
充実のため,機械技術は生活の必要を充たし,生活に輝きをあたえるため、生産物は衣食生
活に潤いをあたえるため,薬剤は健康をたもつためにほかならない。
 人類の繋りの基盤がここに置かれているならば,自然にめぐまれ,あらゆる種類の必要物
資を豊富に授かっており,かつその国民の多年にわたる勤勉な努力によって国造りが完成し
ている国家としては,自分からは何も求めるものがない外国にたいしては,外国人どもの計
略にのらず,貪慾をはねかえし,騙されないようにし,戦いをしないようにして,その国民
と国境を守ることが上策であり,また為政者の義務でもある。
 その国の位置やその他の条件が,このような隔離を許す状態であり,この国の国民が非常
に強くかつ勇敢で,この隔離状態をまもりとおせるならば。それはたしかに納得できる国家
の行き方であろう。日本は他の世界諸国に比べて、このような有利な条件に恵まれている国
である。@

 このような賛美ともとれる日本理解とかれの鎖国権護論は,ケンペル自身が「現にわたしが
耳にした限りでも,最近の学者のなかにも何人か,目本の鎖国を非難する議論を展開している
ものがある」@@とかたっているように,ヨーロッバでは賛否両論意見がわかれるところであっ
だ。ヨーロッパ中心主義がつよまる十八世紀半ばをすぎるとなおさらである。


@
1)E、Kampfcr,Geshichte und Bcschreibung von Japan,Bd.2,Lemgo 1779,S.395.
  ケノベルの鎖国論は,最初『廻国奇観』に掲載されていが,C.W,Dohmが『日本誌jのドイツ語版
 を編集するさいに,『日本誌』の末尾に収録して出版した。したがって,この論文では,ドーム版『日
 本誌』のページ数をしめすことにする。
@@
2)Phvsische Geogmphie k : Kants Werke Bd.!X,S.159.

4:52 午前  
Blogger yoji said...

http://1000ya.isis.ne.jp/0982.html

荒俣宏
世界大博物図鑑
平凡社 1987~1991


 本文の組み立ても、書きっぷりも、さすがにうまい。ナチュラル・ヒストリーならではの自由度と荒俣宏ならではの知識の屈託が心地よく婚姻している。1項目の構成は「名の由来」「博物誌」の基本項目を中心に、これに随時、「発見史」「絶滅記録」「家畜史」「美術」「神話・伝説」「民話・伝承」「ことわざ・成句」「天気予知」「星座」「文学」の順で項目が追加されている。
 この執筆構成の部立(ぶだて)がすでに、ナチュラル・ヒストリーとして自在奔放な新機軸になっている。執筆枚数は「鳥類」1巻だけで、400字詰で1300枚におよんだという。

2:16 午前  
Blogger yoji said...



 そもそもナチュラル・ヒストリーという領域は、博物全般をめざしてスタートしながらも、その尻尾を近代生物学のほうから齧られ、その頭部を科学一般の常識から寄り詰められて、ナチュラル・ヒストリー本来の「存在をふやす学」という目的を逸したかにみえた半死半生領域だったのである。いってみれば、博物学自体が絶滅に瀕した珍獣のようなものだったのだ。
 それを荒俣宏が完全復活させた。環境保護をした。つまり「存在をふやす学」としての博物学復古計画が企てられ、足掛け8年をもってその生物篇が奇蹟的に再生されたのだ。荒俣君本人も書いていることだけれど、「これは、科学でもなければ文学でもない。その両方が分化する以前の知の体系なのである」。

2:17 午前  
Blogger yoji said...


和文
エンゲンベルト・ケンプル著,志筑忠雄訳「鎖国論」,『少年必読日本文庫 第五編』所収,博文館,1891(志筑忠雄訳「鎖国論」,1801成,オランダ語版に基づく)
エンゲルベルト・ケンペル著,今井正編訳『[新版]改訂・増補 日本誌-日本の歴史と紀行-』(7分冊),霞ヶ関出版,2001(ドーム版に基づく)

※ドーム版に基づく小堀桂一郞訳「鎖国論」は下記の小堀桂一郞(1974)に含まれている(pp.61-124).

小堀桂一郞(1974)『鎖国の思想:ケンペルの世界史的使命』,中公新書

10:51 午後  
Blogger yoji said...


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%AB
その頃ちょうどバンダール・アッバースにオランダの艦隊が入港していた。彼はその機会を捉え、使節団と別れて船医としてインドに渡る決意をする。こうして1年ほどオランダ東インド会社の船医として勤務した。その後東インド会社の基地があるオランダ領東インドのバタヴィアへ渡り、そこで医院を開業しようとしたがうまくいかず、行き詰まりを感じていた彼に巡ってきたのが、当時鎖国により情報が乏しかった日本への便船だった。こうして彼はシャム(タイ)を経由して日本に渡る。1690年(元禄3年)、オランダ商館付の医師として、約2年間出島に滞在した。1691年と1692年に連続して、江戸参府を経験し徳川綱吉にも謁見した。滞日中、オランダ語通訳今村源右衛門の協力を得て精力的に資料を収集した。

12:43 午前  
Blogger yoji said...


http://www.aflo.com/sys/static/lcat.asp?s=m&c=230471

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12:47 午前  
Blogger yoji said...

カント地理学も
ダーウィンも
ダヴィンチも

博物学と考えるとすっきりする

12:49 午前  
Blogger yoji said...

地中海6つの旅を見た。
http://h2o.blog9.fc2.com/blog-entry-319.html

2006/08/03(木) 21:55:13

地中海6つの旅~大地の歴史をさぐる~ 「2 石と建築」 BBC地球伝説 BS朝日 を見てました。

エジプトの遺跡はナゼ三角形なのか?ギリシアの遺跡はナゼ四角形?ローマの遺跡が円形なのはナゼ?地質学者の私は文明を形作ったのは石であると考えます。古代遺跡はその土地で手に入りやすい石によって、様式や形が決まるのです。

と言う感じで番組が始まりました。私は地質学者ではないのですが、その手の話は隙なんで見てみたんですが面白かったですね。

ピラミッドは石灰岩で作られていて、その石灰岩はプランクトンの死骸が固まってできたのだそうです。つまり、ピラミッドはプランクトン製なのでした。てっきりマグマが冷えてできた岩で作られたのだと思ってたんですけどね。ルクソールは砂が固まった砂岩。

ギリシアの遺跡は大理石で作られてます。なんと贅沢に高級素材を使ってると思えば、身近にいっぱいあるからだったんですね。目の前に大理石があるとは、ギリシアはついてました。

でも、地質学的に宝くじをあてたのはローマ。その宝くじともいえる魔法の建材は火山灰。くわしく言えば、火山灰と石灰を混ぜてできるコンクリート。ローマの遺跡はコンクリートで作って、レンガや大理石で外観を覆ってます。だから、円形競技場も作れちゃうのだそうです。

そんな話は、ローマ帝国好きなんですが、うかつにも知りませんでしたね。 

明日の「3 色と芸術」も面白そう。

BBC地球伝説シリーズは、類人猿の話のころから録画する設定にしてます。

9:25 午前  
Blogger yoji said...

http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/na_06_03.html

→ 自然一覧へ
地中海 6つの旅 ~大地の歴史をさぐる~
第3回 色と芸術
© BBC

私たちの足元、大地の下で働いている地質学的な力に着目し、地中海沿岸の歴史や文化を見直し、謎を解き明かしていくシリーズの第三夜。今回は、色と芸術との関係を考える。
一見無関係に思える絵画と地質学だが、実は深い関係があった。ラスコー洞窟の壁画から印象画の絵画まで、美の追求の影には鉱物から顔料を開発する歴史の積み重ねがあったことが明らかにされていく。「絵画はさまざまな石の性質を閉じ込めた地質学的なカタログ」と語るイアンは、名画を別の角度から見る楽しみを教えてくれる。古代エジプトで作られた史上初の人口顔料"エジプト青"を実際に当時の方法で作り出したり、アラビアの錬金術師と同じ方法で辰砂から水銀を取り出してみたりといった実験も興味深い。顔料について説明する過程で、原子の構造といった難しい事柄も出てくるが、それをわかりやすく説明するのはイアン・スチュワートならではだ。風船を持った観光客に協力してもらい、ビッグバン後の原子の生成を楽しく紹介する。

地質学者のイアン・スチュアートが地中海の名所を旅しながら、大地の下で働く地質学的な力と芸術の関係を見ていく。現代社会はあらゆる色であふれているが、そこには岩から顔料を開発する長い試行錯誤の歴史があった。
フランスのラスコー洞窟にある1万5千年前の壁画には、赤や茶色、黒、白しか使われていない。黄土など手近な土をすりつぶして顔料にしていたためだ。
約5千年前の古代エジプトでは、鶏冠石やクジャク石など、色のある鉱石を砕いて顔料にするようになったため、黄色やオレンジ、緑も使われている。また初めて化学的に合成された顔料といえる"エジプト青"も生み出された。これに触発され、人工的に金を作り出そうとする試みが始まる。 8世紀にはアラビアの錬金術師が、硫化水銀である辰砂を分解し、化合し直せば金を作れると考える。結局金は作れなかったが、その過程で朱が生まれる。こうした実験で豊かになった顔料は地中海一帯に広まり、やがて16世紀に入り、ルネサンスが開花した。しかしこれらの顔料は、色褪せしやすい上に、有毒であるという欠点があった。
19世紀に入ると、産業革命に駆られて進歩した近代科学によって、万物を構成しているのは元素であることが発見される。また元素の周期表が作られたことによって、色を発する元素(遷移金属)も特定され、それらを合成して、安全で長持ちする顔料が作られるようになる。この新しい絵の具を使い、印象派の名画が生まれたのである。
現在では研究が進み、原子が3種類の素粒子(電子・陽子・中性子)で構成されることも分かっている。色が色として認識されるのには、光が7色の波長を持つことと関係している。遷移金属が色を発するのは、その電子が特定の色を吸収・反射するためである。

9:29 午前  
Blogger yoji said...

地中海 6つの旅 ~大地の歴史をさぐる~
第2回 石と建築
© BBC
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/na_06_02.html

私たちの足元、大地の下で働いている地質学的な力に着目し、地中海沿岸の歴史や文化を見直し、謎を解き明かしていくシリーズ。第二夜である今回は、建築をテーマに送る。
なぜ古代エジプト人は三角のピラミッドを造ったのか? なぜ古代ギリシャ人は四角いパルテノン神殿を、なぜ古代ローマ人は丸いドームを持つパンテオンを造ったのか…? その答えは、大地の下にあった。大地の下で働く力がそれぞれ異なった性質の石を生み出したためだ。それぞれの土地で手に入る石や自然現象が、その土地の建築の様式を決めてきたというイアン・スチュアートの説は、説得力がある。また地質学的な事象を、身近なものを使い、子供でも楽しく学べるように説明するイアンの進行ぶりは見る者をひきつける。ウェハースを砂岩に、マーブルケーキを大理石に、シャンパンを噴火する火山に見立てたり、浮き袋を使って地殻プレートの衝突や沈み込み現象を説明するなど、地質学を親しみの持てるものにしている。

地質学者のイアン・スチュアートが地中海の名所を旅しながら、大地の下で働く地質学的な力と古代建築の関係をひもといていく。
古代エジプトのピラミッドは、石灰岩でできている。その石灰岩は、5千万年前、エジプト北部が海底にあった頃、海洋生物の死骸が積もってできた堆積岩である。ピラミッドの形は、石灰岩という素材で天に届くほど高い建造物を造ろうとして行き着いた答えだった。
同じエジプトでも、カルナックのアメン大神殿は砂岩でできている。屋根を支える柱が必要だったが、砂岩は堆積岩なので層の向きを誤ると脆くなる。そこで石を水平に積み重ねて柱を造る技術が生まれた。
この柱と梁の構造を応用したのが、古代ギリシャである。豊富にあった大理石でパルテノン神殿を造ったのだ。大理石はもともと石灰岩だったが、地殻プレートが衝突し、地中に潜り込んでマグマの熱にさらされて変質した変成岩である。堆積岩より強度があるため、細く装飾的な柱や梁を造ることが可能となった。
しかしもっとも恵まれていたのは、古代ローマだった。火山があるため豊富にあった火山灰と石灰を混ぜて、水に強いモルタルを発明した。さらにモルタルに砂利を混ぜて、強固で自由自在に作れるコンクリートを生み出した。このコンクリートと、従来からあった焼きレンガの組み合わせで、コロッセウムをはじめとする数々のアーチ建築が生まれた。梁のように中央が崩落する心配のないアーチは、画期的な構造だった。そのアーチ建築の集大成といえるのが、パンテオンの巨大な丸い屋根である。半球型のドームの実現により、内部に広大な空間を持つ、柱を使わない建築が生まれたのだ。

9:37 午前  
Blogger yoji said...

火山
大気



http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/na_68_04.html
神秘の惑星~地球の秘密 4 海
© BBC

私たちの星、地球。この宇宙でもたぐい稀なる惑星は、45億年の歳月をかけ、地表の景色を変え続け、生命を育んできた。
このシリーズでは、地質学者のイアン・スチュワートが、地球を形作った自然の力を4つの切り口から紹介する。第4話のテーマは、「海」。
海は、荒々しい力で海岸線を刻み、エネルギーを地球全体に移動させ、地球の姿と気候を変えてきた。また、海に生息する植物プラントンと海流のネットワークは生物の生存に欠かせないものである。それを体感するためにイアンは地中海のシチリア諸島、ニューヨーク州グリーンレイク、イタリアのドロミーティ、イギリスのシリー諸島、パラオ諸島を訪れ、岩塩採掘場のチャペル、かつて海底だった地層など興味深い映像と共に、海の現在と過去を検証する。かつて海の生物が死に絶えた時代の遺物を探索し、そこで何か起こっていたかを解き明かしていく。そして、地球のすべての生命の基盤である「海」を見つめ、未来の「海」のあり方に思いをめぐらす。

地球の4分の3を覆う海は、40億年の間存在し、海岸線を削り、気候を変動させ、生命の運命を左右してきた。
海には、エネルギーを捕らえ、保存し、伝え続ける力がある。風の力によって波が生まれ、月の引力が潮を満ち引きさせる。
まずイアン・スチュアートはハワイの海を訪れ、波の構造を解説し、海がどのようにして誕生したかを分かりやすく説明する。
誕生以来、大陸の移動にともない、姿を変え続けてきた海。600万年前には、地中海が蒸発したこともあった。この劇的な出来事の痕跡をシチリア島の地下500メートルの所で見ることができる。岩塩採掘場を訪れたイアンは、地中海が干上がって出来た膨大な量の岩塩の層と、海水と地下からの熱水で結晶した石膏の洞窟を探索する。地中海の蒸発は、動物にも特有の進化を及ぼし、シチリア島で発見されたヤギほどの大きさの象の化石を紹介する。
シリー諸島では、メキシコ湾流を体感しながら、海が持つ一番大きな力、海洋大循環について解き明かす。太平洋コンベアベルトは、地球の熱を循環させ、気候に影響を与え、生命の生存に欠かせない酸素や栄養分を運んでいる。もしそれが機能しなくなれば、地球の生物はほとんど絶滅してしまうだろう。イアンは、2億5千年前に死に絶えた生物が堆積した、ドロミーティ山脈にある黒い岩の層を訪ね、かつてそれが現実だったことを実証する。
そして現在、海は新たな危機に直面している。人類が大気中に放出している大量の二酸化炭素が、水温を上昇させ、海水を酸性にしているのだ。最後に訪れたのは、その影響が顕著に見られる南太平洋のパラオ諸島。水温に敏感なクラゲや、酸性では生きていけない珊瑚が死滅の脅威に脅かされている。また生命の源で、酸素を作り出している植物プラントンも酸性に弱く、海の健康は著しく損なわれている。
そんな地球の「海」をみつめたイアンは「人間と海の闘いで、人間が勝つことはない」と語る。
人類にとって、「海」の健康を保つことは、重要な課題なのだ。

9:48 午前  
Blogger yoji said...


この項目では、イギリスの化石採集者・古生物学者について記述しています。彼女にちなみ名付けられた小惑星については「メアリー・アニング (小惑星)」をご覧ください。

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
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メアリー・アニング

人物情報
誕生 1799年5月21日
死没 1847年3月9日(満47歳没)
学問
研究分野 古生物学
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メアリー・アニング(Mary Anning、1799年5月21日 - 1847年3月9日)は、イギリスの初期の化石採集者で古生物学者。

非表示人生
メアリー・アニングはイギリス南部沿岸ドーセット州のライム・リージス村で生まれた。彼女が生後15か月だった1800年、雷が村を襲い、4人に直撃した。その内3人が死亡したが、生き残った1人がメアリーだった。

メアリーの父リチャードは家具職人だったが、ライム・リージス村沿岸の崖で化石を採集し、それを観光客に売ることで生計を立てていた。1810年に父が結核で亡くなるとアニング家の収入は途絶え、学校にも行けなくなった。メアリーと兄のジョセフで化石を採集し、生計を支えなければならなくなった。

化石採集は18世紀終わりから19世紀始めにかけてブームになった。始めの頃は切手収集とおなじような余暇であったが、しだいに地質学や生物学の理解に必要な科学になっていった。彼女は始めは観光客相手に化石の採集を始めたが、すぐに化石への興味が強く高い値段で買ってくれる科学界と関係を築いていった。

メアリーと科学界との関係が最初にできたのは、父の死の数ヶ月後の1811年、彼女がイクチオサウルスの骨格の化石を見つけた時であった。ジョセフが一年前に大きなワニのように見える頭蓋骨の化石を見つけていたが、骨格の残りの部分は始めは見つかっていなかった。しかしメアリーが嵐の後に来てみると、化石を含んだ崖の一部が削り取られていた。イクチオサウルスの化石自体は1699年にウェールズですでに発見されていたが、彼女が発見したのは最初の全身化石であった。これは重要な発見で、化石はすぐに王立協会の手に渡ったが、メアリーはこの時わずか12歳であった。彼女はその後2体の別のイクチオサウルスの化石を発見している。



生家に掛けられている記念盾
メアリーの評判が高まると、彼女は裕福な化石収集者であるトーマス・バーチ (Thomas Birch) の目に留まった。アニング家が貧困で困っているのを見て、彼は自身の化石を売り、売り上げの約400ポンドをアニング家に与えた。ここ10年で初めて財政的な態勢が整ったことで、メアリーはジョセフが家具職人として勤め始めてからも化石採集を続けた。彼女の次の大発見は、1821年のプレシオサウルスの骨格化石の初めての発見であった。この発見は後にウィリアム・コニーベアー (William Conybeare) によって記載され、メアリーの発見した化石がその後タイプ標本となった。その後1828年には新種の魚の化石や、ドイツ以外では初めてとなる翼竜(ディモルフォドン)の、全身の化石などを発見した。

以上の3つの発見によってメアリーの名前は歴史に残ったが、彼女は生涯を通じて化石の発掘を続け、初期の古生物学に大きく貢献した。30代後半になると、イギリス学術振興協会から収入を得ることになった。メアリーは乳癌により47歳で世を去ったが、死の数か月前にロンドン地質学会の名誉会員に選ばれた。

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非表示科学に与えた影響


ロンドン自然史博物館に展示されているプレシオサウルス化石とアニングの解説文
メアリー・アニングの発見は、過去に絶滅があったことの証拠となった。その頃までは、動物が絶滅するとは信じられておらず、奇妙な化石が発見されても地球上の未開の地に棲息している未発見の動物だと説明されてきた。アニングの発見した化石はこのような議論に終止符を打つものであり、古代の生物への正しい理解を導いた。

メアリーは死後、一旦は忘れ去られたが、後に再発見され、ロンドン地質学会は彼女を追悼して教区教会の聖ミカエル教会にステンドグラスを作った。銘にはこう書かれている。「このステンドグラスは、1847年3月9日に亡くなったこの教区のメアリー・アニングを追悼するために作られたものである。これは、司教代理とロンドン地質学会の会員有志によって、彼女の博愛、高潔と地質学への貢献を記念して作られた。」

メアリーは、She sells sea shells by the sea shore.(彼女は海岸で貝殻を売った)という早口言葉のモデルになった人物であると考えられている。また、「アーティチョーク」というグループの歌、Anning, Maryの題材になっている。

3:22 午前  
Blogger yoji said...


http://www.kochinews.co.jp/09jishin/siten091115.htm
 1880年、ベルリンに生まれたヴェーゲナーは、1899年にベルリン大学に入学した。寺田寅彦は1909年、東京帝国大学助教授になると同時にベルリン大学に留学し、物理学や地球物理学や地理学を学んだ。帰国した後、寺田寅彦は、東京地学協会総会で「アイソスタシーに就(つい)て」と題する講演を1915年に行い、その中でヴェーゲナーの大陸移動説を紹介したという。また、関東大震災の直前には、日本天文学会で大陸移動説について話したという記録がある。

 ヴェーゲナーの『大陸と海洋の起源』の第1版が出たのは、1915年であり、その後、20年、22年と版を重ね、29年に第4版が出た。第4版の第1章は、この本が生まれた事情の説明から始まる。「大陸移動という観念を私がはじめて思いついたのは、1910年のことであった。それは世界地図を見て、大西洋の両岸の海岸線の凹凸がよく合致するのに気がついた時であった」とある。寺田寅彦のいたベルリン大学で、このヴェーゲナーの考えが教授たちの話題になっていたにちがいない。

 日本語訳は、北田宏蔵訳『大陸漂移説解義』が1926年に古今書院から、仲瀬善太郎訳『大陸移動説』が1928年に岩波書店から出版された。

9:21 午後  
Blogger yoji said...

大陸移動説前史 [編集]

ウェーゲナーは大陸移動を思いついたきっかけとして、大西洋両岸の大陸の形状(特にアフリカと南アメリカ)が一致することをあげているが、これについて言及している人物は、もっとも古くはフランドルの地図製作者アブラハム・オルテリウス (1596年)がいる[3]。フランシス・ベーコンも1620年に西アフリカと南アメリカの形状の一致について述べており[4]、セオドア・クリストフ・リリエンタール(Theodor Christoph Lilienthal、1756年)は大西洋にあったとされる大陸アトランティスの沈降と海水準の変動に絡めて考察している[3]。また、アレクサンダー・フォン・フンボルト(1801年, 1845年)は、「大西洋は一種の巨大な河底として誕生した。そしてその河川水がまわりの大陸の海岸線を削り取っていった」と述べており、その理由として南緯10度以北の海岸の並行性をあげている[5]。アントニオ・スナイダー=ペレグリニ(英語版)は1858年に『天地創造とそのあばかれた神秘』という本の中で南北アメリカをヨーロッパとアフリカに結合した図を載せている[5]。
具体的に証拠をあげて、かつて大陸同士がつながり超大陸を形成していたと述べたのはエドアルト・ジュース(1901年)で、ペルム紀に栄えた裸子植物グロッソプテリスの化石の分布から、南アメリカ、アフリカ、インドが一つの大陸だったと考え、ゴンドワナ大陸と名付けた。また、アルプスの山から海底堆積物や海生生物の化石が見つかることから、かつてそこは海の底であったと考え、地中海よりも広かったそれをテチス海と名付けている。しかし、彼は大陸自体が動いたとは考えておらず、当時の地球収縮説を使って説明している[6]。
また、ウィリアム・ヘンリー・ピッカリングは1907年に、かつて超大陸として1つだった南北アメリカとヨーロッパ、アフリカが、月が太平洋から分離したため分裂を始めたという考えを述べている。1909年にはロベルト・マントヴァーニ(英語版)が地球膨張説を提唱し、膨張により大陸間の相対距離が増大したとしている。さらに1910年にフランク・バーズリー・テイラー(英語版)が山脈の形成システムを述べた本の中で、大西洋中央海嶺があるため大西洋が広がって大陸が移動したという、後の海洋底拡大説に似た説を述べている。

9:33 午後  
Blogger yoji said...

4
Keary, P; Vine, F. J. (1990). Global Tectonics. Oxford: Blackwell Scientific Publications. pp. 302.

9:34 午後  
Blogger yoji said...

『起源』第2版について話している。恐らくこの談話会のことを聞いた天文学 会の関係者が,寺田に春季定会での講演を依頼したのであろう。
春季定会では『起源』第3版にも言及しながらウェゲナーの大陸移動説を次 のように肯定的に紹介している。
「独逸のアルフレッド・ウェゲナーと云ふ学者は地球の上の各大陸の位置は 一定不動のものではなく絶えず移動しているものであると云う説を唱へて, 世界中の学者の注意をひいて居る。...彼は地球上の総べての大陸は,池に浮 かぶ氷の様に,地球を包む粕い熔岩の上に浮かんで居て長い年月の間には段
々に動いて行くであらうと者へた。この考えによると,従来の学説では説明 の困難だった地質学や地球物理学等の色々な問題が容易く説明されるのであ る。...従来の学説では地球が段右に熱を失って縮って行き,縮むにつれて表 面に雛が出来,その高い所が陸で,凹だ所が海となったと考えて居た。所が 之では都合の悪いことが沢山出て来た。...併しウェグナーの説に依れば之等 の困難な問題も極めて都合よく説明される。」(20) 寺田が大陸移動説を積極的に紹介し始めたのは,それを以前から知っていた
としても,1922年になってからであり,やはり例のMJmγcの紹介記事を読ん でからであろう。勿論山崎と何らかの連絡を持っていたことは十分考えられ る。それにしてもラウエ斑点の解釈で先を越された寺田は,大陸移動説の受容 を巡ってもプラッグの後塵を拝したようである。
(20)Anon.,ウェグナーの大陸移動説(日本天文学会講演)理学博士寺田寅彦談,理 学界,1923,21825-28.

9:48 午後  
Blogger yoji said...

山崎と矢部は1922年5月中旬にヨーロッパに旅立ち,会議に出席した後矢部 はその年の12月中旬に,山崎は翌年の1月中旬に相次いで帰国した。
実は山崎は1922年の出発直前の『学芸』5月号に,「地殻漂移説につきて」 と題する,非常に要領よくまとめられたウェゲナーの大陸移動説の紹介記事を
発表している。この中で彼は次のように言っている。 「地球の表面に大陸が横はってをり,其の上には又幾多の山脈が鋺挺として
走ってをる ゚これらの大陸山脈の成因を説明するには,従来地殻収縮説が金 科玉條視せられてゐた。


^ 日本に紹介したのは山崎直方が最初であるという調査もある。“GlobalTectonics論の形成と受容 (PDF)”. 谷本勉. 2012年7月15日閲覧。

http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/2604/1/kyoyo_76_tanimoto.pdf

9:51 午後  
Blogger yoji said...

24 :名無しさん@恐縮です:2013/06/27(木) 08:52:16.57 ID:/ijUw3S+0
キャンディーという単語は、アラビア語が起源だって知ってますか?

レモンもオレンジもシュガーもシャーベットも甘いものや果物類にはアラビア語起源の
言葉が多い。甘いものだけじゃなくて、数学や科学の用語でも(例えば「アルゴリズム」)
アラビア語起源の言葉が多い。
15世紀ころからルネサンスとかいって西洋が古代ギリシャの文明を再興させて
科学を発展させたと言われているが、実は8世紀~15世紀ころまでイスラム圏において
営々と発展させてきた数学や医学や天文学などの成果を西洋が横取りして、自分たちの
発明品のようにしてきた部分がかなり多いことが最近の研究でわかってきた。

6:28 午後  
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【気候】氷河期繰り返す謎を解明 10万年周期、氷で地盤上下/東京大
1 :白夜φ ★:2013/08/23(金) 21:45:56.73 ID:???
氷河期繰り返す謎を解明 10万年周期、氷で地盤上下


過去100万年の間、陸地を覆う氷(氷床)が拡大した寒冷な氷河期が約10万年の周期で繰り返しているのは、
氷床の重さで下の地盤がゆっくりと上下するためだと、阿部彩子・東京大准教授らの研究チームが、
氷床分布を計算するモデルを使って16日までに突き止めた。

10万年周期の原因は、地球の公転軌道の変化などに伴う日射量の変化と関係があるとされてきたが、それだけでは説明できず、長年の謎だった。
地球温暖化の予測にも役立つ成果という。

成果は英科学誌ネイチャーに発表した。

2013/08/16 19:12 【共同通信】
______________

▽記事引用元 47NEWS 2013/08/16 19:12配信記事
http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013081601001916.html

▽関連
・東京大学大気海洋研究所
人類が経験した最大の気候変動、10万年周期の 氷期-間氷期サイクルのメカニズムを解明
http://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/news/2013/20130808.html
・Nature 500, 190?193 (08 August 2013) doi:10.1038/nature12374
Received 19 February 2013 Accepted 10 June 2013 Published online 07 August 2013
Insolation-driven 100,000-year glacial cycles and hysteresis of ice-sheet volume
http://www.nature.com/nature/journal/v500/n7461/abs/nature12374.html

6:04 午前  
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巨大隕石落下の証拠発見=2.1億年前、岐阜と大分で―カナダにクレーター
時事通信 9月16日(月)18時13分配信
 岐阜県坂祝町の木曽川沿岸と大分県津久見市の津久見湾沿岸に露出した約2億1500万年前(三畳紀後期)の地層から粘土岩を採取、分析したところ、巨大隕石(いんせき)の成分物質が含まれていることが分かった。九州大と熊本大、海洋研究開発機構の研究チームが16日付の英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表した。
 熊本大の尾上哲治准教授は「カナダ・ケベック州には直径約100キロの『マニクアガン・クレーター』があり、年代が一致する。直径3.3~7.8キロの巨大隕石が落下してこのクレーターを作り、地球大気上層まで舞い上がった成分が遠く離れた所に降ったとみられる」と話している。
 当時の地球は大陸が大きくまとまっており、同クレーターは大陸北部、岐阜や大分の地層は赤道近くの海底にあったと考えられる。尾上准教授や九州大の大学院生佐藤峰南さんらは、巨大隕石の成分が含まれる地層が地球のどこかにあるとみて古い露出地層を探し、発見した。 
 この成分は白金族元素のオスミウム。隕石には地球の地殻より桁違いに多く含まれ、同位体「188」に対する「187」の割合が非常に低い特徴がある。粘土岩に含まれるオスミウムは前後の年代の岩石より多く、187の割合が低かった。
 約6500万年前(白亜紀末)に現在のメキシコ・ユカタン半島に落下し、推定直径約180キロのクレーターを作った巨大隕石は直径約10キロとみられ、地球が寒冷化して恐竜などが絶滅したと考えられている。
 巨大隕石の直径が7.8キロの場合、重さは推定約5000億トン。尾上准教授は「この巨大隕石の影響で、それまで繁栄していた『哺乳類型爬虫(はちゅう)類』が絶滅し、恐竜が大型化したのではないか」と話している。

4:45 午後  
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【宇宙】鉄はどこから来たのか? -X線天文衛星「すざく」が初めて明らかにした鉄大拡散時代-
1 : ◆SWAKITI9Dbwp @すわきちφφ ★:2013/10/31(木) 13:14:46.19 ID:???
 X線天文衛星「すざく」を用いた観測により、スタンフォード大およびJAXAの研究者たちが、
100億年以上前の太古に、鉄などの重元素が宇宙全体にばらまかれた時代があり、
それが現在宇宙に存在するほとんどの重元素の起源であることを確認しました。
 鉄などの重元素は、宇宙の始まりであるビッグバンの時点では存在せず、星の中で合成されたのち、
その星が最後に超新星爆発を起こすことで周辺の空間に拡散します。
宇宙誕生から約30億年後(いまから約110億年前)に、星が大量に誕生し、
星の大集団、銀河が沢山生まれたと考えられています。
星々で生まれた重元素が銀河の外まで運ばれることは知られていましたが、
この時代の重元素が銀河の中や近くにとどまっていたのか、
あるいは銀河間空間をはるか遠方にまで大きく広がったのかについては知られていませんでした。
全宇宙の鉄などの重元素の多くが生成されたこの時期、その重元素がどのように宇宙中に広がったのかを知ることは、
すなわち、我々の身の回りの重元素がどこから来たのかを知ることに他なりません。
110億年前の宇宙の重元素の分布を観測することはまだ難しいのですが、
現在、我々の身の回りにある銀河の大集団、「銀河団」を観測し、個々の銀河の周辺や、
銀河間空間の全体に大きく広がるガスの中の重元素の割合を調べれば、そのばらつき、
特に銀河の分布との関係から、この疑問への手がかりが得られるはずです。
 スタンフォード大学カブリ素粒子宇宙論研究所(Kavli Institute for Particle Astrophysics and Cosmology)の
ノロベルト・ウェルナー(Norbert Werner)研究員、
JAXAインターナショナルトップヤングフェローのオーロラ・シミオネスク(Aurora Simionescu)研究員らからなる
研究グループは、高い感度と分光性能を誇るX線天文衛星「すざく」を用いて
ペルセウス座銀河団の広い範囲にわたって鉄の割合を調べ、そのばらつきが小さいことを発見しました。
実際、得られたデータは、そのようなばらつきが全くないと考えて説明でき、銀河の分布と相関していません。
1000万光年にも及ぶ広い範囲について鉄の割合がほぼ一様であることから、
鉄のほとんどは、銀河団が形成された時代よりも前に、宇宙に大きく広がりよく混ざっていたと考えられます。
銀河団の誕生は宇宙誕生から約40億年後(いまから約100億年前)だと考えられていますので、
いまから100億年以上前に、鉄などの重元素が星々から大量にまき散らされ、宇宙中に拡散した時代があったこと、現在の宇宙に広がるほとんどの重元素はその時代にまき散らされたものであることが分かったのです。
 数多の星が生まれ、巨大ブラックホールが急成長したこの時代、星々から生み出された重元素は、
銀河からの強い風に乗って宇宙中に拡散していたのです(図1)。

 今回の結果は「すざく」衛星を用いた「キープロジェクト」と呼ばれる、
特別な大規模観測プログラムから得られました。
我々の近傍にあるペルセウス座銀河団を、2週間にわたってかつてない精度で観測したことで、
鉄の分布を精度よく知ることが初めて可能となったのです(図2)。
今後「すざく」や、より高感度の次期X線天文衛星ASTRO-Hなどを用いて、
他の銀河団でも同様な現象がみられるのか、
さらには、複数の銀河団を含む大規模構造全体ではどうなのかなどを調査することで、
重元素の生成とその拡散の歴史に関する理解がさらに進むものと期待されます。
 なお、この成果は英科学誌「ネイチャー」の2013年10月31日号に掲載されました。

JAXA
http://www.jaxa.jp/press/2013/10/20131031_suzaku_j.html
図1:100-120億年前の宇宙の想像図。星が大量に生まれ、超新星爆発を起こして死んで行き、
我々の周囲にある多くの重元素を作り出しました。
同時期には、巨大ブラックホールもまた急成長しており、そこから強いジェットや風が吹いたと考えられます。
超新星爆発とブラックホールのエネルギーは強力な風を生み、この風に乗って大量の重元素が宇宙中にばらまかれたのです。(画像提供:池下章裕)
http://www.jaxa.jp/press/2013/10/img/20131031_suzaku_01.jpg
図2:ペルセウス座銀河団の観測結果。
「すざく」を用いて84回もの観測を行い、
銀河団の東西南北の8方向について1000万光年にわたって鉄の分布を調べました。
図で白/赤がX線で明るい所、緑/青が暗い所です。
(From Urban et al. submitted to Monthly Notices of the Royal Astronomy Society)
http://www.jaxa.jp/press/2013/10/img/20131031_suzaku_02.jpg
NATURE
http://www.nature.com/nature/journal/v502/n7473/full/nature12646.html

2 : ◆SWAKITI9Dbwp @すわきちφφ ★:2013/10/31(木) 13:15:17.97 ID:???
(つづき)

 主著者のスタンフォード大学のノロベルト・ウェルナー研究員のコメント:
「鉄の分布が驚くほど一様であることをはっきり示せたことで、
はるかな昔に重元素を大規模にかき混ぜる時代があることが確認できました。」(図3)

 観測プロジェクト提案者の一人で共著者のJAXAインターナショナルトップヤングフェローシップの、
オーロラ・シミオネスクのコメント:
「我々の起源はとても古かったわけです。
皆さんの血液にも含まれる鉄の中には、遥かな昔100億年も前に、100万光年の彼方で作られ、
宇宙を旅して来たものも含まれていることになります。」

 観測プロジェクトのリーダー、スタンフォード大のスティーブ・アレン准教授のコメント:
「「すざく」衛星の結果は、銀河団という宇宙最大の天体の成長の過程を知る貴重な手がかりを示してくれます。
こうした観測は「すざく」や次世代のASTRO-H衛星などのX線衛星でしかなし得ません。」

 データ解析に参加したスタンフォード大の大学院生、オンドレイ・ウルバンさんのコメント:
「沢山の重元素が銀河から吐き出され上に、
広大な銀河間空間でほとんど均一に混ざりあうほどに強い風が吹いたということは、
この時代の星生成とブラックホール成長によるエネルギー解放がいかに莫大であったかを示しています。」

 JAXAインターナショナルトップヤングフェローシッププログラムは、
JAXAが2009年度より設けた研究員制度で、
世界からJAXA 宇宙科学研究所で進めている宇宙科学の研究分野において卓越した能力と
高い意欲を持つ若手研究者を宇宙科学研究所に招聘し、
宇宙科学研究所を研究拠点として世界レベルの研究成果を創出することを目的としたプログラムです。

 「すざく」衛星は、2005年に日本が打ち上げたX線天文衛星であり、その開発にはNASAも協力しています。
暗い放射を検出する感度にすぐれ、世界中に開かれた国際X線天文台として運用されています。
本成果もその公募観測の中から生まれました。「すざく」は2013年現在も精力的に宇宙観測を続けています。

図3:100-120億年前に、超新星爆発や急成長するブラックホールが生み出した強い風は、
コーヒーカップのスプーンのように、銀河から溶け出した鉄を、宇宙中にかき混ぜたと考えられます。
(画像提供:池下章裕/JAXA)
http://www.jaxa.jp/press/2013/10/img/20131031_suzaku_03.jpg

(おわり)

11:12 午後  
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3年連続「寒冬」の日本 背景には「温暖化」?〈AERA〉
dot. 12月9日(月)7時15分配信
 11月に入って一気に気温が下がった感のある日本。今年の冬は例年に比べて寒くなるという。気象庁は12~2月の寒候期の予測を9月に発表した。気象庁の藤川典久予報官(季節予報担当)は話す。

「気象条件により、暖かい冬になる可能性は低い」

ここで気になることがある。日本の冬は東日本、北日本では2年、西日本に至っては3年連続の寒冬だ。地球は温暖化しているはずだったのに、なぜ寒い冬が到来するのか。

 実は、「温暖化」こそが、寒い冬の要因の一つとして考えられる、と言うのは国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次評価報告書の執筆者、東京大学の木本昌秀教授(気象学)だ。

「ここ数年は温暖化が日本の冬が寒いことの要因の一つでした。北極付近の氷が溶け、周辺の大気の温度が高くなる」

 その結果、大気の流れが変わり、日本に強い寒気をもたらす「シベリア高気圧」が拡大する配置になりやすい。ただし、これが今年の冬にあてはまるかどうかについては不明だという。

 日本の冬の気温はここ10年は上昇していない。世界の気温も上昇しているようには見えない。別の要因があると、木本教授は続ける。

「この10年の温暖化のハイエイタス(中断)傾向には海水の温度が影響していました」

 太平洋ではアラスカ沖から赤道付近にかけた海域と日本近海の間で、海水温の高温域と低温域の分布が約10~20年周期で交互に入れ替わる。現在は日本付近の低温域が「広い」ため、地球全体の気温を下げる方向に働いているという。

 それなら「寒冷化」か、と早合点してはいけない。木本教授は断言する。

「これから本格的に温暖化することは間違いない」

 北極の氷は減り続けており、海が熱を吸収しているのも確実で、温暖化は疑いようがない。

「その年、その場所の天気や気温などの一つ一つの事象は『自然のゆらぎ』によって変動がある。ですが、地球温暖化が進むというIPCCや科学者の見解は、微動だにしていない」

※AERA  2013年12月9日号より抜粋
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131209-00000004-sasahi-soci

12:11 午前  
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【地学】河川の石はなぜ丸いのか? 数学者が地質学における長年の謎の解明に成功/米研究
1 :一般人φ ★:2014/02/16(日) 16:44:30.48 ID:???
これまで何世紀にも渡って地質学者は河川にある石は下流に進むに従ってなぜ丸く、そして小さくなるのか
その謎の解明を続けてきた。しかし、これまで地質学者の間では、この理由をはっきりとは解明できずにいた。
普通に考えると石は下流に流されるに従って摩耗されていくことで丸く、そして小さくなると思うだろう。
しかし、そうではなく初めから小さな石だから下流にまで流されてきたという可能性もあるのだ。では一体、
本当のところ、なぜ、河川にある石は下流に進むに従って丸く、そして小さくなるとのだろうか?

University of Pennsylvaniaの Douglas Jerolmackは、Budapest University of Technology and Economicsの数学者の
協力を得ることでこの難問に挑戦した。その結果、研究チームのモデルは多くの地質学者の考えとは
対照的に、石が摩耗されることがこのパターンを形成する主要な要因となっているはいるものの、他にも2つの
プロセスが生じることがこのパターンを形成させることを発見した。どういうことかというと、最初の段階として
摩耗が生じることで石は丸くなる。しかし、同時に摩耗によって石が小さくなるためには、石は初めから
滑らか(smooth)である必要があることを見つけたのである。

「この回答はこうした地質学上の難問の答えとしては、単純であり、また明確なものとなるでしょう」
とJerolmack は述べる。

このモデルは、河川を石が旅をすることによって摩耗と浸食が生じる過程を説明してくれるだけでなく、また、
河川がいつから存在しているのかといった地質学的歴史を解明するための手がかりを提供するものとなるだろう。
最近、火星探査ローバーは火星で河川の流れによって生じたものと見られる丸い石を発見した。このモデルはまた、
こうした火星で発見された丸い石から火星にかつてあった河川の形成起源を解明することもできるかもしれない。

そして研究チームはこの研究成果をPLOS ONEを通じて発表した。

地質学におけるこれまでの定説では、河川で生じる丸い石の形成原因は摩耗にあるとは考えていなかった。
地質学者はこれまで、この謎の解明のために多くの実験を行ってきたが、実験の結果、石が摩耗するプロセスは
非常にゆっくりとしか進まないため、摩耗ではこの現象は説明することはできないと考えていたのである。そのため、
地質学では、この現象の原因は、初めから小さな石が選択的に下流にまで運ばれることにあると考えていた。
この理論に基づくと、上流にある丸くて小さな石ほど、下流まで容易に流されていくことができるということになる。

Budapest Universityは地質学者がとってきたこれまでのアプローチとは異なり、この問題を地質学的問題
としては数学的問題として解くことを考えた。研究チームは、石のとがっている部分を数学的にモデル化することで、
それらが下流に流されていくことでどれだけ摩耗が生じて丸くなっていくかを方程式化して解いたのである。

この摩耗方程式により石は、高いカーブ曲線を描いている部分は早く摩耗するが、直線に近い部分やマイナスの
カーブ曲線の箇所に関しては摩耗は全く生じないことが判った。

この小石の摩耗方程式は、与えられて空間の中で熱がどのように拡散するかを解くための方程式と類似したものであり、
両方の方程式は共に、拡散を扱っている点において同じものとなる、と研究チームは述べている。

今、あなたが、河原で丸い小石を拾ったとしよう。研究チームによるこの摩耗方程式を使うことにより、その石が
これまでにどれだけの距離をそしてどれだけの時間をかけて流れてきたかを割り出すことができるようになるのである。

▽記事引用元 SciecenNewsline(February 12, 2014.)
http://jp.sciencenewsline.com/articles/2014021223440024.html

▽ペンシルベニア大学プレスリリース
http://www.upenn.edu/pennnews/news/penn-geophysicist-teams-mathematicians-describe-how-river-rocks-round

▽PLOS ONE
「How River Rocks Round: Resolving the Shape-Size Paradox 」
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0088657

12:30 午前  
Blogger yoji said...

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1394423433/-100

74 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/10(月) 13:11:00.03 ID:UJVZHxxA0
津波をよくご存じない人へ。

4メートルの波と、4メートルの津波の違いはこのようになっております。

●4メートルの波
            ザッパン

                          波
                         波
                      波波         ●
                    波波波         人
波波波波波波波波波波波波波波波波--------------

●4メートルの津波
  ←何十キロもの彼方までおんなじ高さ

          ゴゴゴゴゴゴゴ‥         

波波波波波波波波波波波波波波波波波波
波波波波波波波波波波波波波波波波波  
波波波波波波波波波波波波波波波波          Σ ●
波波波波波波波波波波波波波波波波           人
波波波波波波波波波波波波波波波---------------

12:37 午前  
Blogger yoji said...

【岩手】「点呼取らなくていいから、とにかく走れ!」生存率99・8%「釜石の奇跡」 「津波てんでんこ」の教えの正しさ
1 : ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★@転載禁止:2014/03/10(月) 23:11:35.24 ID:???0
★【温故地震 大震災編】生存率99・8%「釜石の奇跡」 「津波てんでんこ」の教えの正しさ 都司嘉宣
2014.3.10 11:00

千年に一度の超巨大津波に襲われた東日本大震災から明日で3年。被災地の調査を続ける中で、
常々思い知らされるのは「津波てんでんこ」の教えの正しさだ。

てんでんことは各自のこと。海岸で大きな揺れを感じたときは、津波が来るから肉親にもかまわず、
各自てんでんばらばらに一刻も早く高台に逃げて、自分の命を守れ-という意味だ。

この教訓に基づき、片田敏孝・群馬大教授(災害社会工学)の指導で津波からの避難訓練を8年間
重ねてきた岩手県釜石市内の小中学校では、全児童・生徒計約3千人が即座に避難。
生存率99・8%という素晴らしい成果を挙げて「釜石の奇跡」と呼ばれた。

同市北部に位置する鵜住居(うのすまい)町の海岸線から約800メートル、海抜約3メートルの
川沿いの低地に並んで建っていた釜石東中学校と鵜住居小学校の事例を見てみよう。

平成23年3月11日。午後2時46分に東日本大震災が発生すると、釜石東中の副校長は教室から
校庭に出始めた生徒たちに、「(避難所へ)走れ!」「点呼など取らなくていいから」と大声で叫んだ。

そして若い教職員に、率先避難者となって生徒たちと避難所へ走るよう指示。避難所は約700メートル
南西の福祉施設で、所在地は訓練で全生徒に周知していた。(以下略)

http://sankei.jp.msn.com/science/news/140310/scn14031009350003-n1.htm

8:35 午前  
Blogger yoji said...

遺跡の中に張り巡らされている水路の水源を見つけるには遺跡の中の巨大な石、途方もない数の石を取り除かなければなりません。この時点で水源を見つけるのは不可能なのです。


水源は、おそらくマチュピチュ山だと推測されています。マチュピチュ山にも水路は発見されています。マチュピチュ山は岩山なので川などはないのですが、毎朝濃い霧が発生するので、その霧が水滴となって永久に枯れない水源となっているようです。

マチュピチュ遺跡はマチュピチュ山の尾根にあります。

ただ、インカ人は水を低い位置から高い位置に吸い上げる技術を持っていて、何キロも水を引いてくる技術もありました。

クスコ郊外のピキラクタ遺跡には、この技術で数キロ先の水源から水を引いてきています。ただ、この遺跡はインカ時代よりもはるかに古い遺跡ですけどね。

この技術を用いていれば、マチュピチュ山以外からも水を引いて来ているかもしれませんね。

回答日時:2011-04-26T19:55:58+09:00回答した人:shiranui_maichanさん

10:40 午前  
Blogger yoji said...

【気象学】冬の異常気象は太平洋が原因だった?
1 :Cancer ★@転載禁止:2014/05/27(火) 07:16:14.66 ID:???
冬の異常気象は太平洋が原因だった?

Dan Vergano, May 26, 2014

 北半球が乗り越えたばかりの冬の異常気象。原因は融氷の進む北極ではなく、一段と
暖かい西太平洋だったとする気候学者の論文が、「Science」誌5月23日号に掲載された。

歩道の雪かきに追われるアジム・ファジリ(Azim Fazili)さん。シカゴで2月17日に撮影。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_images/harsh-winter-climate-change_80097_990x742_600x450.jpg

 アラスカは暖かな日差しに照らされ、デトロイトを極寒が襲い、イギリスが洪水に
見舞われた昨冬、アメリカ中西部では観測史上最低レベルの気温を記録した。一方、
干ばつに苦しんだカリフォルニアをはじめとする西部の州では、記録的な暖かさとなった。

 凍えた人々とずぶぬれになった人々に共通なのは、彼らが異常な冬に耐えたという
だけでなく、極渦という言葉を気象学者たちから繰り返し聞かされた点だろう。極渦は、
北極上空の極めて冷たい低気圧を指し、通常は寒帯ジェット気流のためその場に留まる。
しかし昨冬は、高速の風を吹かせるこのリング状の気流が北から南へと大きく蛇行し、
北極の空気がアメリカに流れ込む形となった。

 一説では、ジェット気流の変化は北極の温暖化と海氷の融解が原因という。しかし
オックスフォード大学の気候専門家ティム・パーマー(Tim Palmer)氏は、発端が
西大西洋にあったと指摘する。「熱帯太平洋で起こる現象は、世界的影響をもたらすと
言っても過言ではない」。

◆雷雨と台風

 パーマー氏の見方を簡単に説明しよう。昨冬、異常に暖かい太平洋の海水が大まかに
フィジーからインドネシアまで広がり、激しい雷雨を引き起こした。嵐が生み出すエネ
ルギーは大気上層に達し、ジェット気流の経路を変化させた。その結果、輪のような
形状のジェット気流がアラスカに暖かい空気を送ると同時に冷たい空気が南へと流れ込み、
大陸の残りが極寒に見舞われたというものだ。

 パーマー氏の仮説に対し、他の気候科学者たちからは支持と批判の両方の声が聞かれる。

「おおむね正しいと思う」と話すのは、コロラド州ボルダーにある国立大気研究センター
(NCAR)の気候データ専門家ケビン・トレンバース(Kevin Trenberth)氏。昨冬、熱帯
太平洋は「驚異的な降水量を記録した」と同氏は言う。「北アメリカをジェット気流の
波が横断する一因となった可能性がある」。

 一方、北極に原因があると主張する人々は、より慎重な態度を見せる。「新たなメカ
ニズムの可能性を示すものだが、議論を証明するまでの道のりはまだ長い」と指摘する
のは、北京にある中国科学院の気候科学者チウホン・タン(Qiuhong Tang)氏。「議論を
裏付けるような、観測に基づく根拠が論文にはほとんど見当たらない」。

 しかし、ラボックにあるテキサス工科大学の気候科学者キャサリン・ヘイホー(Katharine
Hayhoe)氏は、「二つの見方は必ずしも競い合うものではない。互いが補完関係にある
可能性もある」と話す。

>>2以降につづく

ソース:ナショナルジオグラフィック ニュース(May 26, 2014)
冬の異常気象は太平洋が原因だった?
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140526001

原論文:Science
Tim Palmer, 2014. Record-breaking winters and global climate change.
http://www.sciencemag.org/content/344/6186/803

2 :Cancer ★@転載禁止:2014/05/27(火) 07:17:38.61 ID:???
>>1からのつづき

◆真の原因は?

 パーマー氏は、人為的な気候の変化によって自然気候変動が増幅された結果、昨冬の
荒々しい気象が生じたと見ている。西太平洋の海水が暖かいのは自然な現象だが、地球
温暖化の影響で海面温度はさらに上がっているという。

「熱帯海域の温度が0.1度上昇しただけでも、気候に多大な影響を及ぼす」と同氏は付け加える。

 北極の温暖化が異常気象をもたらしたとする説は、人為的な気候変動をより直接的な
原因とする。正しければ、今後も同様の冬が相次ぐはずだ。だが、異常に暖かい西大西洋が
第一の原因とするパーマー氏が正しければ、前回のような冬はそれほど頻繁に見られない
だろう。エルニーニョ現象の発生が見込まれる中、前回よりは平年に近づくのではと予測
する同氏の考えは、来冬試されることになる。

おわり

6:50 午後  
Blogger yoji said...

【地球物理学】地球で最多量の鉱物、ようやく命名
1 :Cancer ★@転載は禁止:2014/06/19(木) 23:07:11.17 ID:???
地球で最多量の鉱物、ようやく命名

Brian Clark Howard, June 19, 2014

 地球に最も多量に含まれると目されている鉱物に、このほど初めて名前が付けられた。
ブリッジマナイト(bridgmanite)という。

地球深部の下部マントル内に豊富に存在する鉱物がブリッジマナイトと命名された。地球に
135年前に墜落した隕石が、研究の手がかりとなった。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_images/bridgmanite_80821_990x742_600x450.jpg

 この鉱物の存在は、専門家の間では数十年前には知られていたが、直接調べられる
ようになったのはここ数年のこと。地底の奥深くに豊富に眠っているが、存在の確認と
調査が行われたのは、135年前に地球に衝突した隕石を用いてのことだ。

 これまでその化学的組成から、ケイ酸塩ペロブスカイト((Mg,Fe)SiO-3)と呼ばれて
いたこの鉱物に与えられたブリッジマナイトという名前は、高圧に関する研究で1946年に
ノーベル物理学賞を受賞したパーシー・ブリッジマン(Percy Bridgman)氏にちなむ。

 カリフォルニア工科大学の鉱物学者チー・マー(Chi Ma)氏はナショナルジオグラ
フィックの取材に対し、今回の命名はブリッジマン氏の「高圧物理学の礎を築いた功績」に
敬意を表したものだと答えた。

 マー氏はネバダ大学ラスベガス校のオリバー・チャウナー(Oliver Tschauner)研究准教授
とともに、この鉱物の性質を研究した。研究を率いたのはチャウナー研究准教授である。

「この研究は、鉱物の分類上の悩みの種であった空隙を埋めるものだ」と、チャウナー研究
准教授はアメリカ地球物理学連合に対してコメントしている。

 ブリッジマナイトは地球上で最も多量に存在する鉱物と考えられているが、これまで
間接的な調査しか行えずにいた。地球の深部でのこの鉱物の移動に伴い、地震波に変動が
生じるのを計測するという形であった。この鉱物は地表から670~2900キロメートルの
深さにかけて広がる下部マントルに含まれると考えられている。

◆高温、高圧下で形成

 ブリッジマナイトは地球の深部のような高温、高圧下で形成され、その結果、独特の
原子配列が生まれる。

 チャウナー研究准教授とマー氏は2009年から、有名なテンハム隕石の中にこの鉱物が
含まれていないかと調査を開始した。この隕石は1879年にオーストラリアのクイーンズ
ランドに落ちたものだ。

 テンハム隕石からは、1960年代にまず高圧鉱物のリングウッダイトが発見された。
それ以降、この隕石や類似の隕石の中から、ほかにも高圧鉱物が見つかるのではないか
として、調査が進められているとマー氏は説明する。

>>2以降につづく

ソース:ナショナルジオグラフィック ニュース(June 19, 2014)
地球で最多量の鉱物、ようやく命名
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140619003

プレスリリース:Caltech(06/17/2014)
Earth-Building Bridgmanite. Our planet's most abundant mineral now has a name.
http://www.caltech.edu/content/earth-building-bridgmanite

参考:IMA-CNMNC (まだBridgmaniteはリストされてません)
New minerals recently approved by the IMA-CNMNC
http://pubsites.uws.edu.au/ima-cnmnc/recentmin.htm

2 :Cancer ★@転載は禁止:2014/06/19(木) 23:07:24.40 ID:???
>>1からのつづき

 この隕石は45億年前に形成され、宇宙空間の高エネルギーの衝撃という、地球の
深部と似たような高温、高圧環境に耐えてきたものと見られる。

 隕石の中から天然のブリッジマナイトが見つかったことで、地球の深部での物質の
生成と形成のメカニズムの理解が進むものと期待されるとマー氏は言い添える。

 また、太陽系における小型の天体同士の衝突によって物質が変成する過程についても、
新たな知見を得られる可能性がある。

 ブリッジマナイトは非常に不安定な鉱物で、電子顕微鏡の電子ビーム照射に耐えられ
ない。そのため、チャウナー研究准教授とマー氏は5年かけてさまざまな実験を行い、
ようやくその構造を突き止めた。最終的に有効であった検査方法はシンクロトロンX線
回折といい、シカゴおよびカリフォルニア州バークレーの実験施設で行われた。

 両氏はこの鉱物の構造と命名をまとめ、国際鉱物学連合に2014年3月に提出した。
これは確認のうえ、6月2日に承認された。

おわり

11:23 午前  
Blogger yoji said...

地球上にすむ生物にとって、必要不可欠な存在である海。その面積は広大で、地球の表面の約7割を占めます。人間も魚を獲ったり資源を得たりする場として恩恵を受けている海ですが、「海の水はそもそもなぜ塩水なのか」と疑問に思っている方も多いのではないでしょうか。その疑問を解決すべく、海の水がしょっぱい理由をまとめてみました。

■ 海水に含まれる成分

海水中には約3.5%の塩分が含まれており、これが海の塩辛さの元になっています。具体的には以下のような成分で構成されています。

・塩化ナトリウム:約78%
・塩化マグネシウム:約11%
・硫酸マグネシウム:約5%
・硫酸カルシウム:約4%
・硫酸カリウムなど:約2%

海の成分のうち、約8割は塩化ナトリウムが占めます。

■ 海の水はなぜ塩水なのか?

海水がしょっぱいのは、海水中の塩分によるものですが、その塩は海が誕生するときに起きた「中和反応」により発生しました。

◎ 原始の地球の大気には塩化水素が含まれていた

今から約46億年前、微惑星どうしが衝突を繰り返して地球が誕生しました。最初の地球には海が存在せず、微惑星の衝突エネルギーによって溶かされた岩石によるマグマで覆われていました。その頃の地球は、地表のマグマと、大気中に存在する二酸化炭素による温室効果でとても高温だったので、水分はすべて水蒸気として大気中に存在していました。その水蒸気には水分や二酸化炭素以外にも、酸素や窒素、そして塩化水素が含まれていました。

※塩化水素は塩素と水素から成る気体です。塩化水素が水に溶けたものを「塩酸」と呼びます。

◎ 塩酸の雨と岩石のナトリウムの中和で塩ができる

微惑星の衝突が徐々に減少すると、次第に地球の温度も低下していきました。やがて、大気中の水蒸気が水に変わり、大気中の塩化水素と混ざって塩酸になりました。塩酸は雨として地表に大量に降り注ぎ、マグマを固め、そして海を形成します。塩酸の雨は、地表のナトリウムやマグネシウムを含む岩石を溶かしていきました。すると、塩酸とナトリウムで中和反応が起こって塩が発生し、塩分を含む水が海に流れ込んで溜まっていったのです。その後、海の水は蒸発し、再び塩酸の雨を降らせ、岩石のナトリウムと中和しながらまた海に流れ込みます。一方、発生した塩は取り残されるので、海中の塩分濃度はだんだん高くなっていきます。この繰り返しで、現在のしょっぱい海が作られていったのです。

■ 海はなぜ青いのか?

海にまつわる疑問として、ほかにも「どうして海が青いのか」という疑問もあると思います。海が青いのは、海中に太陽光線が入ると、光線に含まれる青色の光だけが海の中を進んでいき、それ以外の色が吸収されてしまうからです。太陽の光は白く見えますが、それは波長の異なる赤・だいだい・黄・緑・青・藍・紫の虹の7色が混ざり合っていることが理由です。この光が海の水に入ると、波長の長い赤や黄色などは水に吸収されます。すると、波長が短い青い光だけが吸収されず海に取り残されるので、海の水が青く見えるのです。

■ おわりに

海水浴に行ったとき、海の水が口に入ると感じるあのしょっぱさは、実は大昔に地球で起きた中和反応によるものだったのですね。このように海の成り立ちをたどっていくと、海水の塩辛さにもロマンを感じます。今度海に行く機会があったら、ぜひ感じてみてください。
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20140817-00000002-nanapi

(著:nanapiユーザー・taka 編集:nanapi編集部)

10:46 午後  
Blogger yoji said...

なぜ海の水は塩水なの?なんで海は青いの?海水にまつわる雑学 - ネタりか
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20140817-00000002-nanapi

10:47 午後  
Blogger yoji said...


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412622689
台風の渦は、なぜ必ず反時計回り(左回り)になるのでしょうか?

toirehakase2000さん2007/08/30 21:58:28
台風の渦は、なぜ必ず反時計回り(左回り)になるのでしょうか?
回答数:4 閲覧数:30,864 お礼:知恵コイン0
違反報告
ベストアンサー

gohan3388さん2007/08/30 22:32:46
「コリオリの力」によるものです。

「コリオリの力」は、球体である地球が自転しているため生じるものです。つまり、球体である地球が自転しているため、仮に地球上の2つの同じ物体が静止していたとしても、赤道上にある物体の方が、極地にある物体の方よりも、地球の自転方向に大きな速度で運動をしているために、生じるものです。この「コリオリの力」は、北半球では進行方向に対して右向きに働きます。台風の渦が反時計回りになるのは、風が中心に向かって進む際にこの進行方向右向きのコリオリの力を受けるためです。南半球では、反対向きになります。

参考HP(Wikipedia):
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%AA%E...

8:51 午後  
Blogger yoji said...

【北米】カナダとアメリカに寒波襲来、「氷震」も頻発...外出を控えるように呼びかけ [15/01/09]©2ch.net
1 :ゆでたてのたまご ★ 転載ダメ©2ch.net:2015/01/09(金) 12:59:55.91 ID:???
カナダと米国に寒波襲来、「氷震」も頻発
【AFPBB News】 2015/01/09 10:53

【1月9日AFP】カナダ全域と米国の一部地域では今週、北極からの寒波の到来に伴い、学校の休校や飛行機の
欠航が相次いだ他、少なくとも4人が死亡、さらに寒さが原因の地震までも発生している。

カナダの首都オタワ(Ottawa)では7日夜、「氷河性地震(氷震)」によって発生した大きな破裂音に、住民の
間からは「あれはいったい何だったの」といった声が上がった。氷震は、水分を多量に含む地面が極寒状態で
凍り、亀裂が生じた際に発生する。

トロント大学(University of Toronto)の気候研究所では、数十回の氷震が感知された。主な発生地はオタワと
モントリオール(Montreal)で、米国のいくつかの州でも発生した。

風速冷却を考慮した8日の体感温度は、低いところでは氷点下40度まで低下。このレベルの寒さは危険と
みなされ、肌を露出したままにすれば数分以内に凍傷になる。

加米両国の当局は住民に対し、やむを得ない場合を除いて外出を控え、ペットの犬や猫も外に出さないよう
呼び掛けている。やむを得ず外出する必要が生じた人々は、重ね着して肌を露出しないようにし、衣服を
ぬらさず、寒さを避け、暖かいと錯覚を起こすアルコールを飲まないべきだとされている。

気温は週明けから落ち込んでおり、この寒気は少なくとも10日までとどまると予想されている。
(c)AFP/Michel COMTE

ソース: http://www.afpbb.com/articles/-/3036020
画像: http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/1/4/500x400/img_1449b078d293412b94fe17a7db3aa415192425.jpg
 (米首都ワシントン(Washington D.C.)の連邦議会議事堂で、雪かきをする人(2015年1月6日
 撮影)。(c)AFP/BRENDAN SMIALOWSKI)

関連スレッド:
【アメリカ】寒気流入で真冬日続く...氷点下30度の予報も [15/01/08]
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1420700785/

11:23 午後  
Blogger yoji said...

【3:51】【気候学】地球の平均気温、観測史上最高…温暖化鮮明に [転載禁止]©2ch.net
beチェック
1 名前:もろ禿HINE! ★@転載は禁止 2015/02/03(火) 12:46:41.52 ID:???
地球の平均気温、観測史上最高…温暖化鮮明に (読売新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150202-00050151-yom-soci


 【パリ=石黒穣】世界気象機関(WMO)は2日、2014年の地球全体の平均気温が観測史上最高だったと発表した。

 陸地と海洋上を合わせた14年の平均気温は14・57度となった。基準年(1961~90年)の平均14度を0・57度上回る数値で、これまで最高
だった10年の14・55度、2番目に高かった05年の14・54度を超えた。

 これにより今世紀に入って続く気温の上昇傾向は、一段と鮮明になった。WMOのミシェル・ジャロー事務局長は「大気中の温室効果ガスの増
加が続き、海洋に蓄えられた熱が増大しており、温暖化は今後も進む」と警告した。

 地球の気温上昇に伴って各地で異常気象現象も頻発している。ジャロー事務局長は「14年の豪雨、洪水及び干ばつを伴う記録的暑さは、気候
変動から予想される通りのものとなった」と指摘した。

12:22 午前  
Blogger yoji said...

熱放射 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E6%94%BE%E5%B0%84

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年8月)
熱放射(ねつほうしゃ、英: thermal radiation)は、伝熱の一種で、熱が電磁波として運ばれる現象。または物体が熱を電磁波として放出する現象をさす。熱輻射(ねつふくしゃ)、あるいは単に輻射ともいう。
熱を運ぶ過程には大きく分けて次の三通りがある。
熱伝導
移流(対流)
熱放射
熱伝導は物体が移動せず直接触れ合うことにより、移流は流体の流れを媒介させることにより間接的に熱を伝える。どちらも熱は熱振動のまま伝わってゆく。それに対し熱放射では、輸送元の物体が電磁波を出し、輸送先の物体がそれを吸収することによって熱が運ばれる。この過程だと、二つの物体のあいだに媒介する物質がなく、真空であったとしても熱が伝わる。
目次 [非表示]
1 例
2 理論
2.1 派生的な理論
3 面の間で運ばれる熱量
4 関連項目
例[編集]
地球が太陽から熱を得ている過程は熱放射であり、太陽放射と呼ばれる。
白熱電球は熱放射によって光る。電球に流れる電流が少ないと、白熱電球は弱く赤っぽい光を出すが、電流が多くなると強く白っぽい光を出す。これらは以下のプランクの法則で説明できる。
炭火や、熱せられたストーブが赤く光るのも熱放射のためである。
地球温暖化は、地表が発する熱放射の一部を大気中の温室効果気体が吸収することで生じる。
理論[編集]
熱放射の基礎理論はプランクの法則である。この法則は、黒体という仮想的な物体について、その温度とその物体が出す熱放射のスペクトルを理論的に関係づける。黒体が発する熱放射を黒体放射という。実際の物体が出す熱放射は、黒体放射よりも小さい。実際の物体が出す熱放射/黒体放射の比を射出率または放射率εという。
派生的な理論[編集]
以下の理論は、全てプランクの法則から導出される。
ウィーンの変位則
黒体放射のスペクトルにおいてピークとなる波長と温度が反比例することを示す法則。プランクの法則で説明されるスペクトル曲線の極大値を数学的に求めることで導出される。例えば、金属製のストーブが熱すると赤く輝き始めるのは熱せられた物体から赤色の光(電磁波)が出ているのである。赤い光は比較的低温で、温度が上がるにつれて青白い光に変わる。
シュテファン=ボルツマンの法則
黒体放射によって輸送されるエネルギーフラックスが温度の4乗に比例することを示す法則。プランクの法則で説明されるスペクトル曲線を積分することで導出される。
レイリー・ジーンズの法則
黒体放射のピークに対応する波長よりもはるかに長い波長において、単位波長あたりの放射量が絶対温度に(近似的に)比例するという法則。プランクの法則の近似として導出される。
面の間で運ばれる熱量[編集]
絶対温度Ts 、表面積A2 で放射率ε2 の物体が、周囲の壁面(表面積A1 、放射率ε1 、温度Ta)に熱放射によって放出する熱量P は下の式になる。

σ:シュテファン=ボルツマン定数
A2 << A1 の時、すなわち遠くへ熱が広がっていく場合は

となる。シュテファン=ボルツマン定数は小さい値なので[要検証 – ノート]、温度が低い時の熱放射される熱量は小さい。
壁面がより一般的な位置関係をとる場合は、形態係数F1→2 を用いて次のように表される。

関連項目[編集]
黒体
佐久間-服部方程式(英語版)
キルヒホッフの法則 (放射エネルギー)
放射温度計
カテゴリ: 熱放射熱力学電磁波伝熱物理化学の現象

2:55 午前  
Blogger yoji said...

【地質学/天文学】豪州で巨大隕石の衝突跡を発見、幅400キロ 3億年以上前に落下か [転載禁止]©2ch.net
1 :もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@転載は禁止:2015/03/24(火) 17:55:12.63 ID:???
豪州で巨大隕石の衝突跡を発見、幅400キロ 3億年以上前に落下か (AFP=時事) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150324-00000018-jij_afp-sctch


【AFP=時事】オーストラリア中部の地殻内深部に、3億年以上前に地球に落下した巨大隕石(いんせき)が残した幅400キロの衝突跡を発見したとの研究結果を、オーストラリア国立大学
(Australian National University)の科学者チームが23日、発表した。

 隕石の衝突で生じた地表のクレーターは既に消失していたが、研究チームは豪州東部と中部の地面を地下1.6キロ以上掘削することで、巨大隕石が地球に衝突した地点を特定した。3億年~
6億年前に地球に落下し、破壊的な衝撃を生み出したと思われるこの巨大隕石は、地面に衝突する直前に2つに割れたと研究チームは考えている。

 研究を率いた同大考古学・人類学学部のアンドリュー・グリクソン(Andrew Glikson)氏は「2つに割れた小惑星はそれぞれ直径が10キロ以上あったとみられ、衝突により当時地球上に生息していた
多くの生物種が死滅したと思われる」と語る。

 学術誌「テクトノフィジックス(Tectonophysics)」に掲載された論文によると、極度の高温高圧の下で地殻が地下19キロ以上の深部で砕けたことが、分析により判明した。

 また、周辺の磁気モデリングにより、落下地点の地殻深部に、鉄とマグネシウムを豊富に含む地球のマントルから岩石が引き上げられた隆起がみられることが分かった。

 45億年に及ぶ地球の歴史には、地球外天体の衝突や地球内部の地質学的変化などの事象に起因する急激な環境変動が起きた時代が含まれている。

「こうした大規模な衝撃は、これまで考えられていたよりはるかに重大な役割を地球の進化の中で担ってきたのかもしれない」とグリクソン氏は指摘する。

 オーストラリアに落下した隕石の衝突により、灰と塵(ちり)でできた巨大な雲が大気中に放出されたとみられており、これによって地球の気温が変化し、さまざまな生物種が死滅する原因となった
可能性がある。

 ただ、6600万年前に地球に衝突し恐竜などの生物種の大量絶滅を引き起こしたと考えられている巨大隕石に匹敵する破壊的な影響を、この隕石が及ぼしたことを示す証拠は存在しない。

 研究チームは、これまでのところ今回の隕石衝突事象を地球上で大量絶滅が発生した特定の時代に結びつけるまでには至っておらず、この地域の年代が推定よりはるかに古い可能性もあると
している。

「これは謎だ。今回の衝突と時代が一致する大量絶滅事象が見つからないのだ。衝突は3億年より前の時代に起きた可能性があるのではないかと、私は考えている」とグリクソン氏は話した。
【翻訳編集】 AFPBB News

6:48 午前  
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化石の森国立公園 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E7%9F%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92
化石化した木は、ナンヨウスギ科で、北半球では絶滅したが南半球の隔絶した場所で生き残っている木の仲間である。 三畳紀後期において、この砂漠地帯は熱帯に位置し、乾季と雨季があった。 洪水の季節には、木々が育ったところから押し流され、砂の多い河道に溜まった。そして、そこではるかに西にある火山の火山灰を豊富に含む砂利混じりの砂の層に周期的に埋められた。 火山灰は、埋められた木を化石化し、木を二酸化珪素に置き代え、鉄とマンガンの酸化物で着色する二酸化珪素の源である[5]。 いくつかの大きな、そして多くのより小さな珪化木の集積が公園内で、チンル層のソンセラ部層 (Sonsela Member) 及び適切な名を持つ化石の森部層 (Petrified Forest Member) のいくつかの地層間隔に相当するところで起きた。 化石となった木の幹の大半は倒れた状態で保存されており、元々生育していた場所から少なくともある程度の距離を運ばれてきたにもかかわらず、大きな集積は、「森」 ("forests") (例えば、虹の森 (Rainbow Forest) 、水晶の森 (Crystal Forest) 、黒森 (Black Forest) など)と名付けられた。 しかし、(一般の観光客には簡単に行けない)いくつかの場所では、木の切り株のまま化石となったものもあり、おそらくその多くは埋められる前に大きく移動したわけではないであろう。

保護や、私有地から合法的に収集された木が近くで売られているという事実にもかかわらず、木の化石の盗難は、問題となり続けている。 7人の国立公園局の保護官の監視、柵、警告の標識、275ドルの罰金という脅しにもかかわらず、毎年約12から14 t の木の化石が化石の森から姿を消す。

化石の森国立公園のチンル層は、また葉、脊椎動物(植竜類と呼ばれる巨大なワニのような爬虫類[6]、メトポサウルス (metoposaurs) と呼ばれる大きなサンショウウオのような両生類[7]、北米最古の恐竜の化石)、無脊椎動物(真水にすむ巻貝や二枚貝など)の豊富な化石を産出する。

ペインテッド砂漠地域を作り出しているチンル層の悪地の人目を引く縞模様の色彩のほとんどは、三畳紀後期における土壌の生成によるものである[8]。 これらの古土壌 (古代の土壌)は、三畳紀における地形や古代の気候などの様相の証拠を保存している。 チンル古土壌は、気候が季節によって大きく変化し、雨季と乾季がはっきりしていたことを示唆している。 この気候はおそらく現代のインド洋地域のモンスーン気候に似ており、すべての大陸が集まって超大陸パンゲア大陸を形成していた時代、すなわち古生代後期と中生代前期の地球の熱帯地方の特徴であった。

11:56 午後  
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ひまわり8号・9号[編集]

ひまわり8号を搭載したH-IIAロケット25号機の打ち上げ(2014年10月7日)
詳細は「ひまわり8号」を参照
ひまわり8号は2014年10月7日に打ち上げられ、2015年7月7日に運用が開始された。ひまわり9号は2016年に打ち上げが計画されている。
地球観測機能を大幅に強化した「静止気象衛星」として整備される[8]。寿命は運用8年・待機7年の合計15年となり、現在の10年 (運用、待機ともに5年) より長寿命化がなされ、また解像度や観測頻度、チャンネル数が増加しデータ量は現在の50倍以上となる。これまでのひまわりに比べて観測バンド数が大幅に増えたため静止地球環境観測衛星とも呼ばれる[9]。
現行の6、7号の経費を70%負担していた国土交通省航空局が計画から外れたため、一時は予算の観点から実現が危ぶまれた。そのため、他の機関や民間の衛星との相乗りや衛星画像の有料化なども検討された。しかし条件を満たす衛星の計画が存在せず、また気象衛星画像はそれ自体では商品価値は薄いことや、防災に直結する基本的なインフラであるため有料化はそぐわないとして共に見送られることとなった。最終的に気象庁は単独で後継機を打ち上げることを決め、平成21年度予算で77億円の要求を行っている。なお、気象庁の単独予算により気象衛星が製作されるのは初めてとなる。

6:39 午後  
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http://www.kawachi.zaq.ne.jp/seq/toybox/moon.html

地震の前に月や夕焼けが赤色に変化するのは、「エアロゾル」の仕業です。
気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子をエアロゾル(aerosol)といいます。
エアロゾルは,その生成過程の違いから粉じん(dust)とかフューム(fume),ミスト(mist),ばいじん (smokedust) などと呼ばれ,
また気象学的には,視程や色の違いなどから,霧(fog),もや(mist),煙霧 (haze),スモッグ(smog)などと呼ばれることもあります。
これが空気中にあると、波長の短い青い光は、赤い光に比べてより沢山の上下運動をしているので、空気の中を赤い光より長く通るわけです。
そのため、青い光がエアロゾルにあたる機会が増えることによって、遮られやすくなってしまいます。
そうすると、遮られにくい波長の長い赤い光が私たちの所まで届きます。そんなわけで、夕焼けや月が異常に赤くみえるのです。
さて、この「エアロゾル」と地震は一体どういう関係になるのでしょうか。地震が起きる前、地面の中で亀裂が入ります。
そして、その亀裂からエアロゾルの元が出てきてます。そして空気中に漂い、エアロゾルとなって、結果、赤い月や赤い夕焼けが見られるのです
空気が澄んでいるところでは月は白く輝くのです。

5:46 午前  
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【天体】今夜は「ストロベリー・ムーン」が見えるかも! 幸運のシンボルを観察しよう [6月20日夜]©2ch.net
1 :
筑前鐵太郎 ★@無断転載は禁止 ©2ch.net
2016/06/20(月) 18:19:08.25 ID:CAP_USER
今夜は帰宅する際に、少し頭を上げて月を探してみてください。明日の6月21日には夏至を迎えますが、その前日となる6月20日の今夜は「ストロベリー・ムーン」という興味深い天文現象が見られそうなんです!
 
ストロベリー・ムーンとは地上近くの月が赤や茶色っぽく見える現象です。なぜストロベリーと名づけられたかというと、北アメリカに在住しているインディアンのアルゴンキン族が、6月にこの月がのぼったら苺摘みの季節になると考えたからなんです。インディアンによる伝承だなんて、なんだかロマンティックですね!
 
また、この現象は太陽が日中に非常に高い地点にあり、逆に月が非常に低い地点にあるタイミングで起きます。そうすることで月からの光が分厚い空気の層を通過し、その中の水分に影響されることで「月が赤く見える」のです。これはちょうど、夕暮れに太陽が赤く見える現象と同じものです。
 
なお、今夜の月の出は18時38分、月の入りは04時15分となっています。ただしtenki.jpによれば、今夜の日本の天気は全般的に曇り。仙台などごく一部で夜空が覗くとの予報です。うーん、こんなに素晴らしい月が昇るはずなのに、ちょっと残念な天気ですね。
 
また、ストロベリー・ムーンは「幸運のシンボル」とも言われることがあるそうですよ。幸せになりたい人は要チェック!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160620-00010003-sorae_jp-sctch

http://amd.c.yimg.jp/amd/20160620-00010003-sorae_jp-000-2-view.jpg

5:47 午前  
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http://potato.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1467757312/-100
【気候学】氷に覆われてるのに「グリーンランド」、なぜ? アイスランドとグリーンランドは名前を交換したほうがいいのか [無断転載禁止]©2ch.net

1 : もろ禿HINE! ★@無断転載は禁止2016/07/06(水) 07:21:52.73 ID:CAP_USER
氷に覆われてるのに「グリーンランド」、なぜ? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/070500249/


 不思議に思ったことはないだろうか? どうして、「氷の大地」という名前のアイスランドが緑に覆われていて、「緑の大地」グリーンランドは氷に覆われているのかと。

 よく耳にするのは、これらのネーミングには意図があるというもの。アイスランドに移住したバイキングが、自分たちの緑豊かな島への過剰な移住を阻止するために、わざと魅力的でない名前を付けた。その一方、氷に覆われたグリーンランドへの移住は誰も気に留めなかったというものだ。ところが真実はもう少し複雑で、古代スカンジナビア人の習慣と地球の気候変動が関係しているらしい。


グリーンランド、8割以上が氷

 グリーンランドの8割以上が氷に覆われている。しかし、「赤毛のエイリーク」として知られるバイキングが島の南西部に初めて降り立った西暦982年の夏は、おそらくもっと草が青々としていただろう。グリーンランド南西部のその地は、アイスランドよりも南に位置し、現在でも牧羊とジャガイモ栽培が盛んだ。(参考記事:グリーンランドは温暖だった?写真で見る洞窟探検)

 一方、メキシコ湾流の影響で、アイスランドの海面温度はグリーンランドよりも6℃ほど高くなることがある。気候が穏やかなため、夏のアイスランドは至るところで緑が生い茂る。ただし、面積の11%は常に氷河に覆われたままだ。ヴァトナヨークトル氷河は欧州最大の氷河で、プエルトリコの面積とほぼ同じ広さがある。(参考記事:2012年5月号「アイスランド:火山と氷河の創造美」)
2 : もろ禿HINE! ★@無断転載は禁止2016/07/06(水) 07:22:13.09 ID:CAP_USER
名前の違和感はこうして生まれた

 現在の名称はともに、バイキングによって付けられたものだ。古代スカンジナビアでは、物に見たままの名前を付けるのが一般的だった。例えば、赤毛のエイリークの息子であるレイフ・エリクソンは、野生のブドウ(おそらくブラックベリーだろう)が沿岸で生えているのを見つけたため、現在のカナダの一部に「ブドウの大地」という名前を付けた。(参考記事:2012年11月号「バイキングと北米先住民」)

 氷床コアと軟体動物の殻のデータから、西暦800年から1300年にかけて、グリーンランド南部は現在よりもずっと暖かかったことが示唆されている。つまり、バイキングが初めてこの地を訪れたとき、グリーンランドという名前は辻つまが合っていたと考えられる。しかし、14世紀までに、グリーンランドの夏の最高気温は低下した。気温の低下は作物の減少と海氷の増加を意味し、そこに暮らしていた古代スカンジナビア人は、植民地を去らざるを得なかった。

 ではアイスランドはどうだろう。違和感ある名前の変遷が、アイスランドの英雄伝説に書かれている。

 ナッダドールという古代スカンジナビア人探検家がアイスランドに初めて到達したとき、雪が降っていた。そこで「雪の大地」と名付けた。その後、スウェーデンのバイキング、ガルザル・スヴァヴァルソンがやって来た。そのためこの島は、「ガルザルの島」と呼ばれるようになった。この島は、次に訪れたバイキング、フローキ・ビリガルズソンにはあまり優しくなかった。島へ航行中、フローキの娘が溺れ死んだ。その後、冬が到来し、全ての家畜が飢え死にした。失望し落ち込んだフローキが山に登ったところ、氷に埋め尽くされたフィヨルドを発見し、それが島の新しい名前「氷の大地」につながったと、伝説には書かれている。

 フローキが付けた名前は、急速にバイキングの世界に定着していった。ノルウェーに戻った彼はアイスランドをそれほど価値ある土地だと考えていなかったが、乗組員の1人だったソーロールヴが、「新しい島は豊かで、草の葉1枚1枚からバターが滴っていた」という噂を広めた。その直後、永住を求めて島に渡る人が出始めた。

 歴史学者でアイスランドの新大統領に選出されたばかりのグズニ・ヨハネソン氏によると、アイスランドに移り住んだ人たちは「自分たちは北欧の一部であると認識しながらも、独自のアイデンティティをもちたがった」と言い、自らを「ノルウェーにあるアイスランドの出身者」を意味する「イスランティンクル(Islendingur)」と呼んだそうだ。

「島には名前が必要です。そして、それが定着しました」とヨハネソン氏。

 その1世紀後にはアイスランドに民主主義が育ち、赤毛のエイリークが居を構えていた。しかし、彼は抗争で3人を殺したため、国外に追放されることとなる。新天地を求めて西に向かい、新しい島を発見した。グリーンランドのネーミングの経緯に関して、英雄伝説には次のような簡単な記述しかない。「その夏、エイリークは自分が発見した国に移り住んだ。彼はその国をグリーンランドと名付けた。魅力的な名前を付ければ、人々がやって来てくれると考えたからだ」

 かくして、アイスランドは悲劇のバイキングによって名付けられ、グリーンランドは中世のマーケティング戦略として名付けられたのだ。

「グリーンランドという名前が定着したのは不運でした。なぜなら、先住民はその名前を認識していなかったからです」とヨハネソン氏は言う。現在のグリーンランド住民は祖国を「カラーリット・ナヌート」と呼ぶ。これは、グリーンランドイヌイットの言葉で、「人々の土地」を意味する。(参考記事:2015年11月号「消え行く氷と極北の狩猟民」)


気候変動で違和感が解消される?

 残念なことがある。氷と共生してきたこれらの土地は今、気候変動に直面している。グリーンランドの氷床が急速に解ける一方で、北大西洋の水温が下がり、メキシコ湾流の速度が大幅に低下している。この傾向が続けば、アイスランドは一層の気温低下と海氷に苦しめられるだろう。一方で、グリーンランドは温暖化が進み、氷山が驚くべきスピードで減少するだろう。

 1、2世紀もすれば、アイスランドとグリーンランドは、1000年前に与えられた名前にぴったりの場所になっているかもしれない。
3 : 名無しのひみつ@無断転載は禁止2016/07/06(水) 07:23:53.50 ID:GfMAwDCD
グリーンランドって熊本県荒尾市?かなんかにある遊園地だっけ?

7:04 午後  
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【地震学】巨大地震、大潮の時期に発生確率上昇か 東大研究 [無断転載禁止]©2ch.net

1 : もろ禿HINE! ★@無断転載は禁止2016/09/20(火) 07:31:47.33 ID:CAP_USER
巨大地震、大潮の時期に発生確率上昇か 東大研究 (AFP=時事) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160913-00000010-jij_afp-sctch


【AFP=時事】月と太陽が一直線上に並ぶ際に満潮を引き起こすのと同じ重力が、巨大地震の誘発にも関与している可能性があるとの研究結果が12日、発表された。

 東京大学(University of Tokyo)の研究チームによると、このメカニズムをより詳細に解明することが、既知の断層が大地震を引き起こす可能性が高い時期を予測する一助となると考えられるという。

 英科学誌「ネイチャー・ジオサイエンス(Nature Geoscience)」に発表した論文で研究チームは、「大地震が発生する確率は、大きな潮汐応力が及ぼされている時期に高くなる」と結論づけており、また重力によって引っ張られる力が最大になる時に「微小な岩石破壊が巨大な破裂にまで拡大する可能性が増大する」と述べている。

 東大の井出哲(Satoshi Ide)教授と共同研究者らは、この20年間に世界中で発生したマグニチュード(M)5.5以上の大地震に着目。それぞれの地震発生前2週間における、「潮汐応力」として知られる引力の大きさを再構成した。

 地震の規模がM5.5より小さい場合には、明確な相関関係は認められなかったが、2004年12月26日に発生したM9.3のインドネシア・スマトラ島(Sumatra island)沖地震などの最大級の地震の多くは、月と太陽の引力が特に強大になる期間中に発生していた。

■大潮が危険

 2010年に発生したM8.8のチリ・マウレ(Maule)地震や、2011年のM9.0の東北地方太平洋沖地震にも、これと同じ関連性が存在していた。

 巨大地震がどのようにして始まり、発展するかの正確な仕組みについては、まだ不明な点が多い。ある理論では、すべての地震が微小な破砕から始まり、雪だるま式に大規模な破裂へと成長することが示唆されている。

 これが正しいとすれば、この現象が起きる確率が、新月や満月の時期に発生する大潮の期間に高くなることを、今回の最新研究は示唆している。

 今回の成果は「特に巨大地震に関して、地震発生の確率的予測を向上させるために利用することができる」と、井出教授と研究チームは結論付けている。【翻訳編集】 AFPBB News

10:07 午後  
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http://mainichi.jp/articles/20161218/k00/00e/040/099000c?campaign_id=A100
命名から150年 なぜ「北海道」に

毎日新聞2016年12月18日 12時00分(最終更新 12月18日 14時03分)
社会一般
北海道
速報
社会

松浦が作成した北海道地図。北海道という名前になり、初めての地図で、現在とは南北が逆になっており、北海道の下にサハリンが描かれている=松浦武四郎記念館提供
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 なるほドリ 2018年で「北海道」と命名されて150年目になるんだってね。

 記者 幕末にロシアの日本進出が進み、国境問題への危機感が高まりました。それまでは国境があいまいだったからです。江戸幕府や明治政府は当時、北海道を蝦夷(えぞ)地と呼んでいました。蝦夷とは中央政権から見て異民族という意味です。日本の領土として明確にするため、名前を改めることになり、1869(明治2)年8月15日の太政官布告で、蝦夷地を北海道とすることが周知されました。

 Q どうして「北海道」になったの?

 A 明治政府の官僚でもあった探検家の松浦武四郎が「北加伊道」という名前を提案しました。松浦は1863(文久3)年にまとめた「天塩日誌」で、「アイヌ民族の長老から『カイ』は『アイヌ』を指すと聞いた」などと記しており、「北加伊道」に「アイヌ民族が暮らす北の土地」という意味を込めたと言われています。ちなみに、「道」は律令国家で全国が東海道や南海道など七道に分けられていたことにならったものです。提案後すぐに、政府は「加伊」を「海」に改め、北海道としました。

 Q へー、そんな意味があったんだね。ところで松浦武四郎ってどんな人なの?

 A 1818(文化15)年に三重県で生まれ、10代のころから日本全国を旅していたそうです。ロシアの脅威を知り、26歳のときに当時はまだあまり知られていなかった蝦夷地を調べることを決意します。58(安政5)年までに計6回調査し、アイヌの人々とも親交を深めました。69(明治2)年に開拓使が設置され、開拓の現地責任者である開拓判官に任命されました。しかし、アイヌ民族への差別や暴力をなくしたいという松浦の訴えが聞き入れられず、翌年に辞職してしまいました。2018年には生誕200年を迎えます。

 Q 北海道という名前が決まった時、アイヌ民族の反発はなかったの?

 A 政府はアイヌ民族にも戸籍を作り、日本国民とした一方、旧土人として差別しました。開拓者に漁場や農地などを独占させたり、優先的に払い下げたりして、アイヌ民族を迫害しましたが、アイヌ側の当時の記録が見つかっておらず、詳しいことは分かっていません。

 Q そうなんだ。150年前の北海道ってどんなところだったんだろうね。

 A 明治以前の北海道の産業は漁業が中心だったため、内陸部は原始林に覆われていました。当初、裁判所などの行政機関は箱館(函館)に置かれていましたが、ロシアへの対応などのため、札幌を開拓の拠点とすることになりました。街の整備は1871(明治4)年に始まり、現在のような碁盤の目の道路や偕楽園、最初の官立学校である資生館などが作られました。

 Q 一から街を作ったんだね。150年目を記念する事業もあるんだってね?

 A 道が「150年道民検討会議」を設置して事業展開を考えており、18年夏ごろに記念セレモニーを行う予定です。今はPR用ロゴマークの選定を行っており、近く三つの最終候補からインターネット投票と審査委員の投票結果で決定します。また、道庁赤れんが庁舎も改修され、館内には松浦武四郎を紹介する展示も企画されています。<回答・今井美津子>

5:41 午前  
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170115-00000507-san-sctch
「千葉時代」誕生か 地質年代名で日伊が激突 地層の優劣、年内にも決着
産経新聞 1/15(日) 12:05配信

「千葉時代」誕生か 地質年代名で日伊が激突 地層の優劣、年内にも決着
日本が「チバニアン」の命名を目指す年代の地層=千葉県市原市(草下健夫撮影)(写真:産経新聞)

 地球の歴史を刻む地質年代に、初めて日本の名称がつくのか注目が集まっている。地球の磁気が逆転した数十万年前の年代名について、日本は千葉県に由来する「チバニアン」(千葉時代)を提唱してきたが、命名を争うイタリアとの攻防が激化。年内にも決着する名前の行方を探った。(草下健夫、原田成樹)

 地球の誕生から現在までの約46億年を時代ごとに区切ったのが地質年代だ。地球の磁気や生物、気候などの変化を基に古生代、中生代などの大きな年代や、さらに細かい年代が決められている。

 まだ名前がない年代もある。恐竜が絶滅して哺乳類が繁栄した新生代のうち、約77万~12万6千年前の「第四紀中期更新世」がその一つだ。この名称をめぐって日本とイタリアが激しく争っている。

 命名にあたっては、その年代の境界が現れた地層を各国の研究チームが国際地質科学連合に申請。年代の見本となる基準地に決まると、地名に由来する名称がつけられる。

 日本は千葉県市原市の地層を基準地にチバニアンを提唱。イタリアは南部2カ所の地層を提案し、いずれも地中海のイオニア海に由来する「イオニアン」の名前を目指す。同連合は5月末に申請を締め切り、作業部会で数カ月後に最有力地を決め来年にも正式決定する。

 ■地磁気データが鍵

 基準地の地層は、その年代を示す国際標準の役割を持つ。このため、海で連続的に積もった安定した地層▽当時の環境が詳しく分かる▽地磁気の逆転が分かる-などの条件を満たすことが望ましい。日本がイタリアより優勢だったのは、地磁気の逆転を示す明確なデータがあるからだ。

 現在の地磁気は「正磁極」と呼ばれ、方位磁石のN極が北、S極が南を示す。これとは反対の「逆磁極」の時代もあり、数万~数十万年ごとに入れ替わってきた。千葉県の地層は逆磁極の時代が約77万年前に終わり、現在の向きに逆転したことが明瞭に分かる。チームを率いる岡田誠茨城大教授(古地磁気学)は「逆転がこれほどよく分かる場所は他にない」と強調する。

 一方、イタリアの2カ所のうちバレ・ディ・マンケは目立った長所がなく、対抗馬はモンテルバーノ・イオニコだ。ここは当時の環境が日本より詳しく分かる半面、地磁気のデータがないのが弱点だったが、日本をしのぐ有力候補地に急浮上してきた。

 地磁気は逆転する途中で弱まる時期がある。このときは宇宙線が地球に多く降り注ぎ、大気中で放射性元素が増加する。伊チームは地層に含まれる元素の分析でこの変化をとらえ、地磁気の逆転を推定できたと昨夏に発表した。

 ■日本、逆転へ新論文

 日本も黙っていない。環境データで肩を並べて再び逆転しようと、地層に含まれる花粉などに関する論文を月内にもまとめる。花粉は当時の植生が分かるため、気候を理解する重要な手掛かりになる。

 約77万年前は温暖な間氷期で気候が現在とよく似ているとされ、チームの菅沼悠介国立極地研究所准教授(地質学)は「今後の気候変動や地球温暖化の影響を探る上で注目されている」と話す。

 勝敗の行方は現時点で五分五分。チバニアンに決まれば地球史の中で日本列島の重要性が再評価されそうだ。

 ■「逆転」示す一筋の層

 房総半島の田園地帯を走る小湊(こみなと)鉄道に乗り、千葉県市原市の月崎駅で下車。徒歩30分ほどで下り坂の小道に入り、やがて風光明媚な養老川の岸に着く。ぬかるみを歩くとチバニアンの命名を目指す同市田淵の地層が現れた。

 そそり立つ地層の上部に水平に1本、細い筋が走っている。約77万年前に御嶽山(長野、岐阜両県)の噴火で積もった火山灰の層だ。この時代を境に地球の磁気が逆転した。ここから上は地磁気の弱い層が続き、徐々に現在と同じ地磁気の時代に移っていく。

 この地層は一帯が海だった時代に泥や砂が堆積してできた。速く積もったため地磁気などの変化が分かりやすいのが特徴だ。表面は地下水がしみ出し、常に濡れている。岡田誠茨城大教授は「乾燥せず、内部の酸化が抑えられるので研究に好都合だ」と話す。

 ■地磁気の逆転、日本人が発見

 地磁気の逆転現象は1929年、京都帝国大教授だった地質学者の松山基範博士によって世界で初めて発見された。

 松山博士は景勝地の玄武洞(兵庫県)の玄武岩を分析し、現在の地磁気と逆向きの磁気を帯びていることを発見。時代が異なる各地の岩石も調べ、ほぼ正反対の2つのグループに分かれることを見いだし、過去に地磁気の逆転があったと結論付けた。

 大発見だったが、当時は見向きもされなかった。孫弟子で東大大気海洋研究所教授の山崎俊嗣氏は「放射性年代測定もないころに、磁気が逆向きの岩石は古いと見抜いたのは、まさに洞察力だ」と話す。

 溶岩が冷えるとき、鉄などの成分はその時代の地磁気の方向に沿って固まる性質がある。岩石は地磁気の化石ともいえる。

 没後の64年、その偉業をたたえ、直近で地磁気が逆転していた時代が「松山逆磁極期」と命名された。日本がチバニアンを提唱する年代の直前にあたる。

 地磁気の逆転は地球史をたどる目盛りとなる。海底火山帯の海嶺付近で磁気を調べると、海嶺から離れるにつれて、しま模様のように逆転が繰り返し現れる。噴出したマグマが当時の地磁気を記録しながら海底に広がったためだ。これが海底のプレート(岩板)が移動するプレートテクトニクス説の裏付けとなった。

 日本の古い地層に残る地磁気の向きが東西で異なることから、ほぼ直線だった列島が、約1500万年前に折れ曲がって現在の姿になったことも説明できる。

 地磁気は一気に逆転するのではなく、いったん弱まってから逆転する。この100年で6%ほど弱まっており、このペースが続けば約2千年後に逆転が始まる計算になるという。

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最終更新:1/15(日) 14:22産経新聞

9:30 午後  
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http://ir.tokyo-kasei.ac.jp/metadb/up/kasei/2011_k_0514.pdf
ポープとカント - 東京家政大学
ir.tokyo-kasei.ac.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?flm...tlang...
タイトル (ヨミ) ポープ ト カント 掲載誌情報 東京家政大学研究紀要 人文科学・自然科学 Vol.25 page.19-26 (1985) 本文へのリンク http://ir.tokyo-kasei.ac.jp/metadb/up/ kasei/2011_k_0514.pdf 著者 馬場, 喜敬 著者 (ヨミ) ババ, ヨシユキ 著者の別表記 Baba, ...

1:02 午前 削除
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天界の一般自然誌と理論(てんかいのいっぱんしぜんしとりろん)とは ...
kotobank.jp/word/天界の一般自然誌と理論-1187973
世界大百科事典 第2版 - 天界の一般自然誌と理論の用語解説 - I.カントの一連の自然 哲学に関する論説中もっとも著名なものであり ... 天界の一般自然誌と理論 てんかいの いっぱんしぜんしとりろん Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels.
イマヌエル・カント - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/イマヌエル・カント
イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、 プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授で ... 1755年 、(正規に出版されたものとしては)最初の論文『Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels(天界の一般的自然史と理論)』で太陽系は星雲から生成され たと論証した。
カント全集
www.fuchu.or.jp/~d-logic/jp/books/kant.html
Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels, 1755. ... このタイムラグの おかげで、カントの宇宙論は、自然科学の世界ではカントよりずっと大物のラプラスの 宇宙論(『宇宙の体系』、1796)と時代的に重なり、共通点も少なく ...

1:08 午前  
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ガンジス川などに「人間の地位」認める インド裁判所 [無断転載禁止]©2ch.net

1 : 朝一から閉店までφ ★2017/03/23(木) 12:57:30.90 ID:CAP_USER
CNN.co.jp 3/23(木) 12:33配信
ニューデリー(CNN) インド北部ウッタラカンド州の裁判所は23日までに、ガンジス川と支流のヤムナ川は「生きている存在」であるとの判断を下した。

これらの河川は「存在そのものを失い」つつあり、その「保全には非常手段を取る」必要があるというのがその根拠だ。

ガンジス川とヤムナ川はともにヒンズー教において聖なる川とされ、擬人化された同教の女神も存在する。判決によれば地元民にとって2つの川は「物理的にも精神的にも支え」になっているという。

都市の水質管理の専門家は、今回の裁判所の判断が現場でどのように解釈されるのかわからないとしながらも、「水質を向上させる取り組みは歓迎する。これまでの政治レベルの努力は結果を残さなかった」と期待感を示した。

川に「人の地位」が認められるのはこれが2例目。ニュージーランドでは今月、世界で初めてワンガヌイ川に人間と同じ法的地位を与える法律が成立した。
先住民のマオリは長年にわたり、自分たちとワンガヌイ川との特別な関係を政府に認めさせようと努力してきた。

新法によれば、ワンガヌイ川の「健康」を守るため、代理人が2人選任されるという。

インドの判決も同様に、当局者3人を川の「法的な後見人」に指名した。

ガンジス川はヒマラヤ山脈の氷河が源流で、インドとバングラデシュの2520キロを流れる大河だ。流域に住む多くの住民の生活を支えている。

また、ヤムナ川はデリーに暮らす1900万人のうち数百万人の飲料水の水源となっている。ただ、デリーの東側を抜けるころにはインド国内でも最低水準の水質となっている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170323-35098589-cnn-int
最終更新: 3/23(木) 12:33

12:48 午前  
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解明
ナショナル ジオグラフィック日本版 5/2(火) 17:20配信

南極を流れる不気味な「血の滝」、謎を解明
南極にある「血の滝」。なぜそんな色をしているのか、なぜ凍らずに水が流れ続けるのかは、謎とされてきた。(PHOTOGRAPH BY ALASDAIR TURNER/GETTY IMAGES)
なぜ赤い? なぜ凍らない? レーダー調査で仕組みを分析
 南極にある「血の滝」は、水が赤い色をしていることからその名がついた。だが実際は、誰かが流した血のせいで赤くなっているわけではない。

【動画】ハワイで「溶岩の滝」が海へ、圧巻の光景

 かつては、この色をつくり出しているのは赤い藻類であると考えられていた。しかし学術誌「Journal of Glaciology」に発表された最新の論文によると、レーダーを用いて氷の層をスキャンすることによって、本当の原因が解明されたという。

 この発見は、ナショナル ジオグラフィックのエマージング・エクスプローラーでもあるエリン・ペティット氏を含む研究チームによってもたらされた。

 南極のマクマードドライバレーに位置する血の滝は、テイラー氷河から流れ落ちており、その水は氷河の表面に走る亀裂からもふつふつと湧き出している。この水がなぜ流れることができるのかは、これまで謎とされてきた。なぜなら、一帯の平均気温はマイナス17℃であり、また氷河の表面にはほとんど融解が見られないからだ。

 氷河の下をスキャンした画像が、この謎を解くヒントとなった。氷河の下には、川と湖の複雑なネットワークが存在する。そのネットワークは全体が鉄分の高い塩水で満たされており、これが滝を赤く染める原因となっている。

 論文は、塩水が凍結せずに流れている理由は、塩水の性質から説明できるとしている。「氷河の内部やその下の環境では、水が氷になるときに発生する熱(潜熱)と、高い塩分含有量とが組み合わさることによって、塩水が液状に保たれる」

カギは「鉄分の高い塩水」
 氷河の下にある湖の水は、異常なほど塩分が高い。塩水は純水よりも凝固点が低く、また凍結するときに熱を放出するために周囲の氷を解かし、それによって水が流れることができる。

 つまり、テイラー氷河は流水を維持する仕組みを有しており、また流水を内包する世界で最も冷たい氷河であるということになる。ただし、流水に含まれる鉄分が極めて高いために、滝が血のように赤く染まってしまうというわけだ。

 加えて同研究では、ここを流れる「鉄分の高い塩水」の量も計測しており、その量は滝に近づくにつれて増加することがわかった。

 また、水温と塩水の濃度の間には関連があることも判明している。氷河に走る大小さまざまな亀裂を通じて、塩水は氷河に流れ込む。そして塩水が凍結し始めると、そこで発生する凝固潜熱によって周囲の氷が温められると同時に、亀裂中央の塩水の濃度が上昇する。

文=Delaney Chambers/訳=北村京子

8:55 午前  
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【天体】初夏の赤い満月「ストロベリームーン」を見よう[06/09] [無断転載禁止]©2ch.net

1 : 朝一から閉店までφ ★@無断転載は禁止2017/06/09(金) 11:55:50.86 ID:CAP_USER>>5>>28
景山 えりか 宇宙・天体 ガイド
夏至の頃の満月は赤みがかった色が特徴で、「ストロベリームーン」と呼ばれています。2017年は6月9日(金)に、満月を見ることができるでしょう。今回は初夏の満月が赤く見える理由や、ストロベリームーンにまつわる言い伝えなどをご紹介します。


6月の満月とイチゴの関係


ネイティブ・アメリカンは、1年のうちに12回現れる満月を大自然や人間のいとなみの節目として考え、季節に応じてそれぞれの満月に名称をつけました。その由来は、狩りでしとめた獲物や収穫物の名前など。やがて満月の名称は、ヨーロッパからの移住者へ伝わり、英語の名称に変わっていきました。


(画像)
赤い満月は甘酸っぱいイチゴ味!?


それらの中で、6月の満月、もしくは初夏の赤みがかった満月をさすのが「ストロベリームーン(Strawberry Moon)」です。日本語にすると「イチゴ満月」といったところでしょうか。なんだかおいしそうですね。

日本では春のイメージが強いイチゴですが、本来の旬は初夏。俳句では、イチゴは夏の季語です。

ネイティブ・アメリカンが、初夏の収穫物であるイチゴと6月の満月を結びつけたことは、自然の成り行きといえるでしょう。けれど、ひとつ見逃せないことがあります。それは色。イチゴの鮮やかな赤色と、満月の色が関係していたことは想像に難くありません。

というのも、この時季の満月は赤みがかって見えるから。それはなぜでしょう? ストロベリームーンを解き明かすカギは「夏至」にあります。


夏至の日に近い満月が赤く見える理由


どの季節でも満月になるのは、地球を真ん中にして月が太陽の反対側にいるときです。ですから、おおざっぱにいってしまうと、太陽の高さと満月の高さは逆の関係となります。

日本を含む北半球では、太陽の高さは夏に高く、冬に低くなるので、満月の高さは夏に低く、冬に高くなります。さらにいえば、1年のうちで太陽の南中高度がもっとも高くなる夏至の頃の満月は、真南に昇ったときでも地平線にずいぶん近いということです。

たとえば東京の場合。6月の満月(夏至に近い満月)の高さは、南の空高く昇ったときでも、地平線から30度くらいです。ひじを曲げずに、腕をまっすぐに伸ばした状態で空に向けたげんこつの大きさが約10度ですから、地平線からげんこつ3つ分ほどの高さを想像すれば、月の高さがかなり低いことがわかるでしょう。

ちなみに、12月の満月(冬至に近い満月)の高さは、なんと80度超え。天頂付近まで昇ってきます。夏と冬では、満月の高さはずいぶん違うものなのです。

朝日や夕日が赤く見えるように、月も高度が低いと赤みを帯びて見えます。そのため、地平線に近い空を移動する6月の満月(夏至に近い満月)は、夜中でも赤みがかって見えるわけです。


(画像)
神秘的な赤い満月。言い伝えによれば、見た者は幸せになれるのだそう


毎年、夏至は6月21日頃です。2017年の場合、夏至は6月21日(水)。一番近い満月の日である6月9日(金)がストロベリームーンとなります。

2016年は夏至の翌日が満月でタイミングが近かったのですが、年によっては今年のように夏至の日と満月の日が離れてしまうことがあります。たとえば2015年は、夏至は6月22日で、6月の満月は6月3日、夏至の日に一番近い満月は暦月が変わってしまって7月2日でした。

ストロベリームーンは学術用語ではないので、明確な定義がなく、少々曖昧なところがあります。

ですから、ストロベリームーンとは、
・6月の満月
・夏至の日に近い満月
・初夏の赤みがかった満月
というように、風情を表す月の名称としてとらえるのがよさそうです。

なお、出所ははっきりしませんが、ストロベリームーンを見ると「幸せになれる」「好きな人と結ばれる(結婚できる)」といわれています。そんな言い伝えを知っておくと、ストロベリームーンを見るときのワクワク感が増しますね。この時季ならではの、赤く輝くストロベリームーン。初夏の夜気を感じながら、じっくりと味わってください。
更新日:2017年06月09日
この記事の初回公開日は、2015年06月22日。
https://allabout.co.jp/gm/gc/455930/?FM=rssaa_latest-rhobby

3:05 午前  
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NHKスペシャル公式 (@nhk_n_sp)
2017/07/29 21:00
1400万年前
世界遺産、熊野古道沿いに並ぶ、巨岩奇石の数々。
それらは、実は巨大カルデラ噴火によって生まれたものでした。
人々の心を支える熊野信仰は、太古に起こった巨大噴火がきっかけで生まれたものだったのです!
#ジオ・ジャパン pic.twitter.com/YYQPwvOzDm

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5:25 午前  
Blogger yoji said...

NHKスペシャル|列島誕生ジオ・ジャパン 第1集▽奇跡の島はこうして生まれた|2017/07/26(水)00:10放送|NHK総合|TVでた蔵
http://datazoo.jp/tv/NHKスペシャル/1082118
オープニング映像。
第1集「奇跡の島はこうして生まれた」
和食×絶景で大地の謎が!?
スタジオではジオ御膳が出された。和食と絶景から日本列島の成り立ちを探るという。劇団ひとりと指原莉乃は富山湾のホタルイカの旬菜和えを味わった。
キーワード
富山湾のホタルイカの旬菜和え
ホタルイカは大地のミステリー
富山湾が紹介された。ホタルイカは深海で暮らすために光を使っている。ホタルイカが沿岸でホタルイカが穫れるのは日本だけであるという。富山湾にはすぐ近くにがあり、富山湾のように陸に深海が迫っている地形は珍しいという。
キーワード
ホタルイカ
日本列島の奇跡が和食の中に!
スタジオでは日本列島について話題となった。専門家によると日本は世界でみても珍しく、山が高いことで雨も多く、様々な生き物が住んでいるという。
キーワード
ごはんアユの塩焼きキンメダイのお造りタケノコの炊き合わせハモのお吸い物ホタルイカの和え物甘エビの金箔のせ
カセイ岩は見た!第1の大事件
日本列島が紹介された。46億年前、当時の地球の表面はドロドロに溶けた状態であった。その後、冷えて大陸が出来上がる。大陸は形を変えながら移動を繰り返した。1億年前の地球には日本列島がなかった。
キーワード
仏ヶ浦尖閣湾浦富海岸福光海岸
大地のルーツを探せ!絶景の旅
日本列島のルーツが紹介された。飛水峡の地層は恐竜の時代に、日本の地形がロシアのハバロフスクの近くにあったことを教えている。日本列島は大陸の縁が引きちぎれて出来たという。
キーワード
ハバロフスク(ロシア)飛水峡
太古の日本列島 驚きの過去とは?
太古の日本列島が紹介された。3000万年前は恐竜が絶滅した後の哺乳類の時代で、この時に大地に亀裂が入った。2500万年前には太平洋から海水が流れ込み、陸地が大陸から引きちぎられていった。
太古の日本列島が紹介された。日本海の拡大が終わると海底火山が次々に出現し、海底大噴火が繰り返された。この時の火山灰が仏ヶ浦の絶景を生んだという。第1の大事件は「大陸の縁が引きちぎられた」ことであった。
キーワード
仏ヶ浦
大発見!引きちぎられ日本は2本でやってきた
スタジオでは太古の日本列島が紹介された。日本海の真ん中にある海底はユーラシア大陸の沿岸の形にはまるという。日本は当初、日本の陸であった。大陸が割れると割れ目ができて、水が金の成分を抽出して固まったという。
キーワード
アユの塩焼き甘エビの金箔のせ
引きちぎりのミステリー南鳥島は語る
南鳥島が紹介された。南鳥島は動いているが、南鳥島を乗せている太平洋プレートが動いているという。太平洋プレートが沈み込むことで、大陸のプレートには右向きの強い流れが生まれ、日本列島が大陸から引きちぎられたという。
キーワード
南鳥島小笠原村(東京)
2本の日本にまたしても大事件が!
スタジオでは太古の日本列島について話題となった。1500年前の日本列島はまだ2本の陸であった。だが、その後に奇跡的な大事件によって日本は1本になるという。
当たるはハシ?第2の大事件
日本列島が紹介された。丹沢山地には枕状溶岩という石やサンゴやオウムガイの化石がある。丹沢は南の海の火山島であったという。南の火山島こそ、第2の大事件の主役たちであるという。
キーワード
三宅島丹沢山地御蔵島
日本列島が紹介された。火山島が関東のほうに向かってのびていることが第2の事件の原因であるという。2500万年前では火山島は南にあったが、その後は北に向かって動いたという。
日本列島が紹介された。500万年前には丹沢山地のもととなる島々が衝突した。島の周囲の珊瑚礁も海底の溶岩も陸地の高いところに押し上げられていった。この事件の名残が丹沢山地に枕状溶岩があることとなっている。
ついに日本は1本につながった!/第2の大事件 その思いがけない「恵み」
スタジオでは太古の日本列島について話題となった。専門家によると南でできた火山島が連続して衝突してきたというのは非常に珍しく、このような場所は少なくとも地球上にはないという。
キーワード
キンメダイのお造り桜餅
火山島衝突がもたらした究極の絶景!
富士山の風景も火山島の連続衝突が生んだものであるという。伊豆大島の元となる島が列島に衝突したことで島にあったオオシマザクラも本州にもたらされたという。
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オオシマザクラソメイヨシノ伊豆大島富士山
(エンディング)
次回予告
NHKスペシャルの次回予告。
(番組宣伝)
NHKスペシャル
NHKスペシャルの番組宣伝。
大河ドラマ おんな城主直虎
「大河ドラマ おんな城主直虎」の番組宣伝。

5:48 午前  
Blogger yoji said...

NHKスペシャル 列島誕生 ジオ・ジャパン 激動の日本列島 誕生の物語
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9:41 午後  
Blogger yoji said...

『人新世の哲学: 思弁的実在論以後の「人間の条件」』篠原雅武 (2018/1/22)

一万年に及んだ完新世が終わり、新たな時代が始まっている。
環境、物質、人間ならざるものたちとの共存とは何か。
メイヤスー、ハーマン、デランダ、モートン、チャクラバルティ、アーレントなどを手掛かりに探る壮大な試み。


・『現代思想 2017年12月号 人新世 ―地質年代が示す人類と地球の未来―』 (2017/11/27)

さまざまな場所で議論を巻き起こしている「人新世」。その可能性の中心に迫る。
ノーベル化学賞受賞者P・クルッツェンが提唱した「人新世」とは、
人間の活動による環境の変動によって新たな地質学的時代が始まったという仮説である。
地球という惑星のなかで人間はいかなる位置を占めているのか。
そして環境システムの全地球的・不可逆的転換という超巨視的なスケールの変化に
私たちはいかに向きあうことができるのか。
目次*
【論考/エッセイ】
中村桂子/水口憲哉/有賀暢迪/大村敬一/
奥野克巳/北野圭介+飯田麻結+依田富子/桑田学/斎藤幸平/
篠原雅武/林竜馬/原島大輔/C・イェンセン/
D・ハラウェイ/T・モートン/A・マルム+A・ホアンボー/B・ラトゥール…

8:55 午前  
Blogger yoji said...

251 名無しさん@恐縮です[sage] 2019/03/10(日) 12:21:40.21 ID:LjgDo0YM0
ブラタモリ第4シリーズ登場数ランキング
(パイロット版含む、スペシャル除く。1回に複数県登場した場合もそれぞれ1回とカウント。富士山回は富士山に。登場順)

10回 神奈川
*9回 北海道
*8回 京都
*6回 東京
*5回 静岡、鹿児島
*4回 埼玉、栃木、兵庫
*3回 青森、長野、福岡、三重、広島、山梨、愛知、和歌山、富山、富士山
*2回 長崎、石川、奈良、宮城、島根、群馬、愛媛、沖縄、熊本、福島、新潟、大阪、香川、大分、山口、佐賀、福井、ローマ、パリ
*1回 岩手、千葉、茨城、岡山、秋田、高知、岐阜、滋賀、宮崎、鳥取、山形、徳島

複数県登場した回は何回かあるが、確かに単独回がないのは秋田だけだね

4:50 午前  
Blogger yoji said...

プリニウス 1巻 (バンチコミックス) Kindle版
ヤマザキマリ (著), とり・みき (著)
5つ星のうち 3.8 33件のカスタマーレビュー
プリニウス (8冊) の1冊目

9:04 午後  

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