土曜日, 4月 16, 2016

中央構造線:「震源、じわじわと東に」 別の活断層に影響の可能性 朝日新聞2016年4月16日

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中央構造線:「震源、じわじわと東に」 別の活断層に影響の可能性 朝日新聞2016年4月16日
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カント『自然地理学』:メモ
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交通情報:
トヨタ 通れた道マップ
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トヨタが熊本で通れた道を情報として提供しています。


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「震源、じわじわと東に」 別の活断層に影響の可能性

朝日新聞デジタル 4月16日(土)11時35分配信




「震源、じわじわと東に」 別の活断層に影響の可能性
 今後の地震活動について、専門家はさらに別の活断層が動く可能性を指摘する。九州を東西に横断する別府・島原地溝帯沿いには多数の活断層が存在し、四国や紀伊半島を通る中央構造線断層帯に連なる。

【写真】各地の主な震度

 川崎一朗・京都大名誉教授(地震学)は「震源はじわじわと東に移動している。断層が動くと、その延長線上の断層も動きやすくなる」と話す。地震が発生すると、周囲の断層への力のかかり方が変化して、地震を起こしやすくなることがあるからだ。

 地震予知連絡会会長の平原和朗・京都大教授(地震学)も「大分の地震は震源地から100キロ近く離れており、余震とは考えにくい。大分県の別府―万年山(はねやま)断層帯が誘発されて動いた可能性もある。今後、何が起こるかは正直わからない。仮に中央構造線断層帯がどこかで動けば、長期的には南海トラフ巨大地震に影響を与える可能性があるかもしれない」と話す。

 東北大の遠田晋次教授(地震地質学)は「地震活動が南へ拡大する可能性も忘れてはいけない。日奈久断層帯は北部で地震が発生したが、南への延長部分では地震が起きておらず、注意が必要だ」と話す。
朝日新聞
中央構造線断層帯:

中央構造線


 赤線が中央構造線、青線に囲まれたオレンジ色の部分はフォッサマグナ
Camera-photo Upload.svg画像提供依頼:中央構造線の各地の露頭の画像提供をお願いします。2016年3月
中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん。Median Tectonic Line)は、日本最大級の断層系。英語表記からメディアンラインメジアンラインとも言い、略して MTL とも言う。
関東から九州へ、西南日本を縦断する大断層系で、1885年明治18年)にハインリッヒ・エドムント・ナウマンにより命名される。中央構造線を境に北側を西南日本内帯、南側を西南日本外帯と呼んで区別している。一部は活断層である[1]
構造線に沿って南北に分布する岩石は、北側(内帯側)は領家変成帯中生代ジュラ紀付加体が同白亜紀に高温低圧型変成を受けたもの)、南側(外帯側)は三波川変成帯(白亜紀に低温高圧型変成を受けたもの)である[2]長野県には、領家変成帯と三波川変成帯が直に接しているのを確認できる北川露頭がある[3]#観光関連を参照)。しかし四国においては領家変成帯は和泉帯に覆われがちとなり、構造線は和泉帯と三波川変成帯の境界となっている。領家変成帯には白亜紀の花崗岩も見られる[2][4]
中央構造線は、糸魚川静岡構造線(糸静線)より東のフォッサマグナ地域では、フォッサマグナのを埋めた新第三紀堆積岩に覆われている。第四紀に大きく隆起している関東山地では古第三紀以前の基盤岩が露出し、その北縁の群馬県下仁田町に中央構造線が露出している[5]関東平野では新第三紀や第四紀の地層に覆われている。九州中部でも新第三紀後期以後の火山岩[要出典]阿蘇山をはじめとする現在の火山におおわれている[6]近畿南部から四国にかけては、中央構造線に沿って約360kmにわたり活動度の高い活断層(中央構造線断層帯)が見られ[7][8]、要注意断層のひとつとされている[9]

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フォッサマグナ


  薄い赤色の地域がフォッサマグナ
フォッサマグナFossa magna意味:大きな溝)は、日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本西南日本の境目となる地帯。中央地溝帯(ちゅうおうちこうたい)、大地溝帯(だいちこうたい)とも呼ばれる。端的に言えば、古い地層でできた本州の中央をU字型の溝が南北に走り、その溝に新しい地層が溜まっている地域である。
本州中央部、中部地方から関東地方にかけての地域を縦断位置する。西縁は糸魚川静岡構造線(糸静線)、東縁は新発田小出構造線及び柏崎千葉構造線となるが、東縁には異説もある。フォッサマグナはしばしば糸静線と混同されるが、糸静線はフォッサマグナの西端であり、フォッサマグナそのものではない。地図の上でもフォッサマグナが「面」であるのに対し、糸静線はその一方の境界を成す文字通りの「線」であることが一目瞭然である。

ハインリッヒ・エドムント・ナウマンHeinrich Edmund NAUMANN)はこの地質構造の異なるラインが糸魚川から静岡にまで至るのを発見し、1885年に論文 "Über den Bau und die Entstehung der japanischen Inseln"(「日本群島の構造と起源について」)として発表した。但し、発表論文「日本群島の構造と起源について」のなかで同じものに "grosser Graben der Bruchegion" との表記も使用している[1]が、翌1886年にはFossa Magna(フォッサマグナ)と命名した。この論文は1893年に初発表され、論文名に初めて「フォッサマグナ」が登場した。彼は南アルプス山系から八ヶ岳関東山地を眺望した際、巨大な地溝帯の存在を思いついたとされる。
フォッサマグナ内部の地層が褶曲していることはアルフレッド・ウェゲナーの『大陸と海洋の起源』において、陸地の分裂・衝突の証拠として紹介された。しかし、ナウマンの考えたフォッサマグナは、伊豆地塊が日本に接近したことで日本列島が割れた「裂け目」であった。一方で原田豊吉は、旧富士火山帯とほぼ同一のラインでシナ地塊サハリン地塊(シベリア地塊)が衝突してできたものだとする富士帯説を発表、両者の間で激しい論争となった。
その後フォッサマグナ説が大方支持されるようになっていった。しかし、ナウマンが考えていたフォッサマグナの東縁は新潟県直江津神奈川県平塚を結ぶラインであったが、新潟県柏崎千葉県銚子を結ぶラインも提唱されるようになった。そして、1970年には山下昇が柏崎と千葉県千葉市を結ぶ「信越房豆帯」説を発表、1988年加藤芳輝が柏崎〜銚子のラインの北部を修正した新潟県上越と銚子を結ぶラインを発表した。後に北部を大きく修正した新潟県新発田と同県小出を結ぶライン(新発田小出構造線)が提案された。このように、東縁については諸説出ており現在も結論は揺れ動いている。
東縁が諸説出た背景には、フォッサマグナ南部の関東山地(長野県南東部・山梨県埼玉県西部・東京都西部・神奈川県北西部)に西南日本や東北日本と同じ年代の地層を含む山塊がぽつんと取り残されて存在していて、混乱が生じたことが挙げられる。この山塊は後述のように、フォッサマグナが開いてから再び閉じる間に西南日本か東北日本から切り離されて、フォッサマグナの新しい地層とともに圧縮され一体化したものと考えられている。

地学的知見編集

現在のプレートテクトニクス理論ではフォッサマグナは北アメリカプレートユーラシアプレートの境界に相当するとされる。1983年日本海中部地震前後までは、北海道中部の日高山脈付近が両プレートの境界と考えられていたが、地震を契機に日本海東縁部〜フォッサマグナを境界とする説が広く支持されるようになった。フォッサマグナの厚さは、地下約6,000(平野部) - 9,000m(山地)にも及ぶ。これより深い所は基盤岩とよばれ、西南日本や東北日本と同じ地層の並びになっていると推定されている。フォッサマグナ本体は第三紀火山岩堆積岩によって埋積されている。地質断面図で見ると、年代の異なる地層の境界がU字型に形成されている。
フォッサマグナ北部では第三紀層の褶曲によって生じた丘陵地形が際立って目立っている(頸城丘陵魚沼丘陵など)。また、褶曲に伴って形成されたと考えられる天然ガス石油の埋蔵も多い。一方、南部ではフィリピン海プレートによって運ばれ、日本列島に衝突した地塊が含まれる(丹沢山地伊豆半島など)。
また、フォッサマグナの中央部を、南北に火山の列が貫く。北から新潟焼山妙高山草津白根山浅間山八ヶ岳富士山箱根山天城山などである。これらの成因の1つとして、フォッサマグナの圧縮によってできた断層にマグマが貫入して、地表に染み出やすかったことが考えられている。
西縁の糸魚川静岡構造線上および東縁の一部と考えられている群馬県太田断層[2][3]では、マグニチュード7規模の地震が繰り返し発生している。
北部フォッサマグナの東側(信越地域:長野県北部から新潟県頚城地域)には、大峰面[4]と呼ばれる第四紀の70万年前に海岸平原であったとされる頃に形成された花崗岩質の礫及びシルトによる平坦な地形が広がっていた[5]が、その後の地殻変動により浸食され現在は、標高900m前後の山々に痕跡が残る[6]

フォッサマグナの誕生編集

この地域は数百万年前まではであり、地殻が移動したことに伴って海の堆積物隆起し現在のような陸地になったとされる。
原始の日本列島は、現在よりも南北に直線的に存在して、アジアに近い位置にあったと考えられている。約2,000万年前に、プレートの沈み込みに伴う背弧海盆の形成が始まった。背弧海盆とは、沈み込んだプレートがマグマとなって上昇し、海溝の内側のプレートを押し広げてできるものであるが、これによって日本海が現在のように広がり、日本列島もアジアから離れていった。
ただ、日本近海の海溝は向きが異なる南海トラフ日本海溝の2つだったため、日本列島は中央部が真っ二つに折られる形でアジアから離れた。折れた原始日本列島の間には日本海と太平洋をつなぐ海が広がり、新生代にあたる数百万年間、などが堆積していった。そして数百万年前、フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、真っ二つになっていた列島が圧縮され始めた。この時、間にあった海が徐々に隆起し、新生代の堆積物は現在陸地で見られる地層になったと考えられている。

火山編集

フォッサマグナの「面」に属する活動中の火山を挙げると、北(日本海側)から南(太平洋側)へ順に、新潟焼山妙高山浅間山八ヶ岳富士山が列んでいる。

参考文献編集

脚注編集

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  1. ^ 山下昇:構造地質学的にみたフォッサ・マグナの問題点:その歴史と現状 地質学雑誌 Vol.82(1976) No.7 P.489-492
  2. ^ 関東平野北部の活断層“太田断層”の認定と周辺の古地震・地盤災害との関係 2013年度日本地理学会春季学術大会 セッションID:S0804
  3. ^ 群馬県東部における短い活断層の分布と活動性、地下形状の推定-大久保断層および太田断層- 産総研 活断層・地震研究セミナー 第17回 9月26日(金)
  4. ^ 仁科良夫:大峰面上の旧河道地形とその堆積物日本地質学会学術大会講演要旨 100, 319, 1993-03-25
  5. ^ 衣笠善博:東北日本北米プレート説再考地學雜誌 Vol.99(1990) No.1 P.13-17
  6. ^ 木村純一:長野県聖山北麓の更新統:中部から上部更新統地質学雑誌 Vol.93(1987) No.4 P.245-257

下仁田ジオパーク 地学講座: 大地の大きな構造 その2 中央構造線
http://geoharumi.blogspot.jp/2014/03/2.html
  みやま文庫 日曜地学散歩  1971年 より

下仁田町中心部近く、川井の善福寺下の川岸で
中央構造線の断層が
はっきり見られます。

左図の赤い線が断層です。

                        
下仁田駅の西、諏訪神社に行くと、中央構造線をながめられます。ちょっと離れてはいますが、・・・
 諏訪神社で、社殿のきれいな彫り物を見たら、川の対岸も見てみましょう。対岸の川下に緑色片岩、上流側に2000万年ほど前の砂岩の地層・下仁田層がみえます。境目が断層。これが中央構造線です(下の写真)。
川井の断層と呼びならわしています。
対岸の善福寺からは断層部分に行くこともできます。


川井の断層



諏訪神社から見たもの




手前が下仁田層の砂岩、
左奥(川下方向)が緑色片岩(三波川結晶片岩)。
両者の間が断層で、中央構造線。

善福寺方面から、通路を通って行って見ると、、ここはほぼ垂直な断層になっていて、砂岩層と緑色岩が断層で接しています。
この断層では、断層面に沿って,岩石がすりつぶされて粘土状になった数十cmの黒色の部分(断層粘土・断層ガウジ)が見られます。
緑色片岩(三波川結晶片岩)は断層近くで広く破砕されていて(断層破砕帯)、断層の大きさを物語っています。     

下も断層付近の写真です。

                                               写真 関谷友彦さん


活断層、日本に2千以上 どこでも大地震が起こる恐れ

朝日新聞デジタル 4月17日(日)5時3分配信 

 熊本県で発生した今回の地震は、活断層で起きたとみられる。活断層は、過去に地震を起こした形跡があり、将来も地震を起こす可能性がある断層だ。日本には2千以上の活断層があり、全国どこでも大きな地震が起こる恐れがある。

 日本では、東日本大震災や南海トラフで繰り返されてきた海溝型の巨大地震だけでなく、1995年の阪神大震災(M7・3)、2004年の新潟県中越地震(M6・8)、14年の長野県北部の地震(M6・7)など、内陸での活断層型地震が繰り返されてきた。

 陸域が震源となる活断層型の地震は、人が住む地域や交通網などの直下で起きることがある。このため、強い揺れや地表にできる段差で、地震の規模が海溝型地震ほど大きくなくても、深刻な被害が起きる恐れがある。

 政府の地震調査委員会は、全国の活断層のうち97を主要活断層として、地震が起きた場合の規模、30年以内に地震が起きる確率などを示し、警戒を促して きた。熊本の地震を起こした日奈久(ひなぐ)断層帯も布田川(ふたがわ)断層帯もその一つだ。しかし、00年の鳥取県西部地震(M7・3)や08年の岩 手・宮城内陸地震(M7・2)のように、地震前には確認されていなかった「未知の活断層」で起きる例も相次いだ。

 活断層による地震は、1千年から数万年の間隔で発生するものが多い。防災科学技術研究所の藤原広行部門長(地震学)は「活断層の中には、地表には痕跡が 現れにくいものや、長い年月で痕跡が消えてしまったものもあり、活断層が見つかっていない地域でも注意が必要だ」と話す。
朝日新聞社

1 Comments:

Blogger yoji said...

【チバニアン】 地球史に 「千葉時代」誕生へ 日本初の地質年代名、国際審査でイタリア破る

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1影のたけし軍団 ★2017/11/13(月) 14:27:31.53ID:CAP_USER9>>42>>66
地球の歴史で約77万~12万6千年前の年代が「チバニアン」(千葉時代)と命名される見通しになったことが13日、関係者への取材で分かった。
この年代の基準地として千葉県の地層を国際学会に申請し、命名を目指す日本の研究チームが、競合するイタリアを一次審査で破った。

週内にも発表する。正式決定すれば地質年代に初めて日本の名前が付く快挙となる。

日本チームとイタリアの2チームは6月、この年代の国際標準となる基準地の地層を国際地質科学連合にそれぞれ申請。
各国の専門家で構成する作業部会が審査し、今月10日を期限に投票を行った結果、日本が全体の6割以上の支持を得て候補地に選ばれた。

来年にも見込まれる正式承認までさらに3段階の審査があるが、
過去に作業部会の結論が覆ったのは例外的なケースだけで、事実上の決着となった。

日本は国立極地研究所や茨城大などのチームが千葉県市原市の地層を基準地として申請。ラテン語で千葉時代を意味するチバニアンの年代名を提唱した。
イタリアは「イオニアン」の年代名を目指して南部2カ所の地層を申請していた。

地球の歴史を区切る地質年代は、中生代や白亜紀といった大きな区分の名称が既に決まっているが、小さな区分は未定のものがある。
今回の年代はネアンデルタール人が生きていた「第四紀更新世」の中期に当たり、命名の行方が国際的に注目されていた。

この年代の境界となる約77万年前は、地球の磁気が南北で逆転する現象が最後に起きたことで知られる。
イタリアの地層はこの現象を示すデータが不十分だったのに対し、千葉県の地層は明瞭に確認できることが評価されたとみられる。

地質年代は、その年代の境界が最もよく分かる地層が世界の基準地として選ばれ、地名に由来する年代名が付けられる。
これまでは欧州による命名が多く、アジアでは中国の名称が認定されていた。
http://www.sankei.com/life/news/171113/lif1711130023-n1.html

10:14 午後  

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