http://www.freeassociations.org/
ボロメオの環(カント、ヘーゲル):
______ ______
/ \/ \
/ /\ \
| | | |
| 悟性 _|__|_ 感性 |
| / | | \ |
\ / \/ \ /
\_|____/\____|_/
| |
| 想像力 |
\ /
\______/
______ ______
/ \/ \
/ /\ \
| | | |
| 国家 _|__|_ 市民社会 |
| / | | \ |
\ / \/ \ /
\_|____/\____|_/
| |
| ネーション |
\ /
\______/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁より)
「市民社会=市場経済(感性)と国家(悟性)がネーション(想像力)によって結ばれている…」
カント、ヘーゲル、ラカン、吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a,剰余享楽
通常はネーションが共同幻想になるが、吉本隆明の場合、共同幻想と個人幻想は逆立する。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
文学芸術の位置にアソシエーションがあるとも考えられる。aの位置にあると考えても同じことである。
対象a=アソシエーション?とも言える。
最初の図で言えば、カントのような公私の逆転はあり得る。吉本の欠点はアソシエーションの位置がわかりにくいことだ。
こうなるとむしろ、ラカンで参照すべきなのは四つの言説であろうが…。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
二つの図の関係は、上記の図形とその展開図を考えればいい。
カント、ヘーゲル、ラカン、吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a,剰余享楽
通常はネーションが共同幻想になるが、吉本隆明の場合、共同幻想と個人幻想は逆立する。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
文学芸術の位置にアソシエーションがあるとも考えられる。aの位置にあると考えても同じことである。
対象a=アソシエーション?とも言える。吉本の欠点はアソシエーションの位置がわかりにくいことだ。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
二つの図の関係は、上記の図形とその展開図を考えればいい。
(左右反転させ、さらに反時計回りに回転させると、)
カント、ヘーゲル、ラカン、吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a,剰余享楽
通常はネーションが共同幻想になるが、吉本隆明の場合、共同幻想と個人幻想は逆立する。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
文学芸術の位置にアソシエーションがあるとも考えられる。aの位置にあると考えても同じことである。
対象a=アソシエーション?とも言える。吉本の欠点はアソシエーションの位置がわかりにくいことだ。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
二つの図の関係は、上記の図形とその展開図を考えればいい。
カント、ヘーゲル、ラカン、吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a、剰余享楽。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
二つの図の関係は、上記の図形とその展開図を考えればいい。
カント、ヘーゲル、ラカン、吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a、剰余享楽。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
二つの図の関係は、下記の図形とその展開図を考えればいい。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
カント、ヘーゲル、ラカン、吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a、剰余享楽。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
上の二つの図形の関係は、下記の図形とその展開図を考えればいい。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
カント、ヘーゲル、ラカン、吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a、剰余享楽。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
上の二つの図形の関係は、下記の図形とその展開図を考えればいい。aは点になる。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
(左右反転させ、さらに反時計回りに回転させると、)
カント、ヘーゲル、ラカン、吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a、剰余享楽。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
上の二つの図形の関係は、下記の図形とその展開図を考えればいい。aは点になる。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
(左右反転させ、さらに反時計回りに回転させると、)
カント、ヘーゲル、ラカン、吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a、剰余享楽。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
上の二つの図形の関係は、下記の図形とその展開図を考えればいい。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
階級闘争史観でうまくいかないから民俗学を取り入れ、
マルクスでうまく行かないからヘーゲルに遡行したのだろう。
アンダーソン『想像の共同体』あたりとつながるが、
国民は説明出来ても国家は説明出来ていない。
柄谷の吉本と同じ素材を扱った近年の仕事を参照する必要がある。
そこでは表出ではなく交換(マルクスが交通として準備したが展開
しきれなかったターム)がキーワードになる。
ボロメオの環(カント、ヘーゲル):
____ ____
/ \/ \
/ /\ \
| | | |
| 悟性 |__| 感性 |
| /| |\ |
\ / \/ \ /
\|___/\___|/
| |
| 想像力 |
\ /
\____/
____ ____
/ \/ \
/ /\ \
| | | |
| 国家 |__| 市民社会|
| /| |\ |
\ / \/ \ /
\|___/\___|/
| |
| ネーション |
\ /
\____/
「市民社会=市場経済(感性)と国家(悟性)がネーション(想像力)によって結ばれている…」
(柄谷行人『世界共和国へ』。図は175頁より)
425 10/29(火)19:35 0↓
AA縮小
(>>424の図を左右反転させ、さらに反時計回りに回転させると、)
カント、
ヘーゲル、
ラカン、
吉本隆明:
____ ____
/ \/ \
/ 悟性 /\ 想像力 \
| 国家 |意味|ネーション|
|象徴界S |__|想像界I |
|共同幻想/| a|\個人幻想|
\ ファロス\/文学\ /
\の享楽_/\芸術_|/
| 感性 |
| 市民社会 |
\ 現実界R /
\_対幻想/
a=対象a、剰余享楽。
通常はネーションが共同幻想になるが、吉本隆明の場合、共同幻想と個人幻想は逆立する。
426 10/29(火)19:38 P↓
AA縮小
>>425の図は柄谷行人の交換図と類似する。
柄谷行人:
_________________
| | |
| S | I |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| 共同幻想 | 個人幻想 |平
|________|________|
| | |等
| R | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| 対幻想 | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
文学芸術の位置にアソシエーションがあるとも考えられる。aの位置にあると考えても同じことである。
対象a=アソシエーション?とも言える。吉本の欠点はアソシエーションの位置がわかりにくいことだ。
>>425と上の二つの図の関係は、下記の図形とその展開図を考えればいい。
______
/ 悟性 /|
/_____/想|
| |像|
| 感性 |力|
| | /
|_____|/
吉本を文字通り単純に解釈すると
共同幻想|対幻想(家族)
____|____
個人幻想|
となる。
しかし、個人幻想を現実界におくのはおかしい。
個人幻想|共同幻想(家族)
____|____
対幻想|
これがしっくりくる。
ラカンの四つの言説のように主体がズレる
上記では時計回りに、、
S1 S2
主人 大学人
ヒステリー分析家
S/ a
四つの言説
http://yokato41.blogspot.jp/2013/09/blog-post_25.html
日本精神分析再考(講演)(2008) - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-67.html
結論としていえば、日本人はいわば、「去勢」が不十分である、ということです。象徴界に入りつつ、同時に、想像界、というか、鏡像段階にとどまっている。この見方は日本の文化・思想の歴史について、あてはまると思います。つまり、丸山真男などが扱ってきた問題は、このような文字の問題を通した「精神分析」を通してこそアプローチできるのではないか、と私は思ったのです。(柄谷行人『日本精神分析再考(講演)(2008)』)
http://yokato41.blogspot.jp/2013/09/blog-post_25.html
日本精神分析再考(講演)(2008) - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-67.html
結論としていえば、日本人はいわば、「去勢」が不十分である、ということです。象徴界に入りつつ、
同時に、想像界、というか、鏡像段階にとどまっている。この見方は日本の文化・思想の歴史につい
て、あてはまると思います。つまり、丸山真男などが扱ってきた問題は、このような文字の問題を通
した「精神分析」を通してこそアプローチできるのではないか、と私は思ったのです。
(柄谷行人『日本精神分析再考(講演)(2008)』)
http://yokato41.blogspot.jp/2013/09/blog-post_25.html
存在者 現存在 存在
分析
存在
規定 反省
存在者
総合
存在者 現存在 存在
分析
存在
規定 反省
存在者
総合
存在者 現存在 存在
分析
存在
規定 反省
存在者
総合
反省=現存在
存在
存在者 現存在
存在者 現存在 存在
分析
存在
規定 反省
存在者
総合
反省=現存在
存在
存在者 現存在
スピノザからハイデガーのように存在者を引きずり降ろすとカント、柄谷の図になる。
現存在は両者の交わる場になる。
存在者 現存在 存在
||
\/
分析
存在
規定 反省
存在者
総合
反省=現存在
||
\/
存在
存在者 現存在
スピノザからハイデガーのように存在者を引きずり降ろすとカント、柄谷の図になる。
現存在は両者の交わる場になる。
10:49 午前
存在者 現存在 存在
||
\/
分析
存在
規定 反省
存在者
総合
反省=現存在
||
\/
存在
存在者 現存在
スピノザからハイデガーのように存在者を引きずり降ろすとカント、柄谷の図になる。
現存在は両者の交わる場である。
Blogger yoji さんは書きました...
921 11/4(月)21:02 P↓
AA縮小
>>711
補足:
存在者-現存在-存在
||
\/
分析
|
存在 |
|
規定----+----反省
|
存在者 |
|
総合
反省=現存在
||
\/
| 存在
______|______
|
存在者 | 現存在
スピノザからハイデガーのように存在者を引きずり降ろすとカント、柄谷の図になる。
現存在は両者の交わる場である。
現実には、産業資本から金融資本への移行に類する変化が各交換部門で起こる。
4:03 午前 削除
Blogger yoji さんは書きました...
952
>>921
柄谷交換図、大審問官バージョン:
3権威|2奇跡
___|___
1パン|
悪魔 1「石をパンに変えよ」
2「塔から飛び降りて、奇跡を見せよ」
3「私(悪魔)にひざまづけば、この地上の権威と栄光を差し上げましょう」
キリスト 1「人はパンのみにて生きるにあらず」
2「神を試みてはならない」
3「ただ神にのみ仕えよ」
柄谷交換図、原発バージョン:
3天下り|2放射能
____|___
1電力 |
悪魔 1「ウランを電力に変えよ」
2「放射能をばらまいて、直ちに影響が出る証拠を見せよ」
3「天下りを認めれば、この地上の権威と栄光を差し上げましょう」
現代のキリスト 1「人は電力のみにて生きるにあらず」
2「現在及び未来の子どもをモルモットにしてはならない」
3「ただ民にのみ仕えよ」
参照: http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html 4:1~11
柄谷交換図、大審問官バージョン:
3権威|2奇跡
___|___
1パン|
悪魔:
1「石をパンに変えよ」
2「塔から飛び降りて、奇跡を見せよ」
3「私(悪魔)にひざまづけば、この地上の権威と栄光を差し上げましょう」
キリスト:
1「人はパンのみにて生きるにあらず」
2「神を試みてはならない」
3「ただ神にのみ仕えよ」
柄谷交換図、原発バージョン:
3天下り|2放射能
____|___
1電力 |
悪魔:
1「ウランを電力に変えよ」
2「放射能をばらまいて、直ちに影響が出る証拠を見せよ」
3「天下りを認めれば、この地上の権威と栄光を差し上げましょう」
現代のキリスト:
1「人は電力のみにて生きるにあらず」
2「現在及び未来の子どもをモルモットにしてはならない」
3「ただ民にのみ仕えよ」
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html 4:1~11
柄谷、柳田国男論下、文学界2013-11参考文献リスト
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
折口信夫天皇論集 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
セム族の宗教 前編 (1) (岩波文庫 白 215-1)
W.R.スミス (文庫)
「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫)
(抄訳 神の生命(いのち)―霊的進化の哲学
シュリー オーロビンド (単行本))
東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫)
¥ 1,155
庶民の発見 (講談社学術文庫)
宮本 常一 (文庫)
高群逸枝と柳田国男―婚制の問題を中心に (1977年)
村上 信彦 (-)
高群逸枝全集 第2巻 招婿婚の研究 1
高群 逸枝 (単行本)
律令国家と古代の社会
吉田 孝 (単行本)
¥ 5,460
死の人類学 (講談社学術文庫)
内堀 基光 (文庫)
祖先崇拝の論理 (1980年)
マイヤー フォーテス (-)
柄谷、柳田国男論下、文学界2013-11参考文献(柳田国男以外)リスト
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
折口信夫天皇論集 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
285
セム族の宗教 前編 (1) (岩波文庫 白 215-1)
W.R.スミス (文庫)
286
「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫)
281
タテ社会の人間関係
中根千恵
283
(抄訳 神の生命(いのち)―霊的進化の哲学
シュリー オーロビンド 290(単行本))
東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫)
281
庶民の発見 (講談社学術文庫)
宮本 常一 (文庫)
281
高群逸枝と柳田国男―婚制の問題を中心に (1977年)
村上 信彦 (-)
280
高群逸枝全集 第2巻 招婿婚の研究 1
高群 逸枝 (単行本)
280
律令国家と古代の社会
吉田 孝 (単行本)
281
死の人類学 (講談社学術文庫)
内堀 基光 (文庫)
279
祖先崇拝の論理 (1980年)
マイヤー フォーテス (-)
277,286
同柳田国男
神道と民俗学273,275
日本の祭273,274-5,278,289
神道私見273
郷土生活の研究法274,282
先祖の話275,276,282,284,288-9,292
祭礼と世間275
婿入り考280
家閑談283
家の研究292
論語277
ウェーバー289
宣長
玉勝間
274
海上の道274
フォーテス277,278,286
メルフォード・スパイロ
母系社会のエディプス278
マリノフスキー278
バッハオーフェン
モルガン278
吉田律令281,282
勝海舟282
タテ社会283
折口信夫民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
橋川文三
柳田国男論集成291
谷崎潤一郎291
村井紀
反折口信夫論292
西田幾多郎292
オーロビンド290,292
柄谷行人「遊動論ー山人と柳田国男」下(第四章)、
文学界2013-11参考文献(柳田国男&柳田国男以外)リスト
柳田国男:
神道と民俗学273,275
日本の祭273,274-5,278,289
神道私見273
郷土生活の研究法274,282
先祖の話275,276,282,284,288-9,292
海上の道274
祭礼と世間275
婿入り考280
家閑談283
家の研究292
柳田国男対談
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
折口信夫:
神道の新しい方向285
民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
以上、
折口信夫天皇論集 (講談社文芸文庫) 285
倭をぐな 292
////////////////
以下、章、節1~6ごとに列挙。
第四章 固有信仰
1 新古学 273~
神道と民俗学273
日本の祭273
神道私見273
宣長 玉勝間274
郷土生活の研究法274
海上の道274
日本の祭274-5
神道と民俗学275
祭礼と世間275
先祖の話275
2 固有信仰 276~
先祖の話276,
論語277
祖先崇拝の論理 (1980年)
マイヤー フォーテス (-) 277,286
日本の祭,278
メルフォード・スパイロ
母系社会のエディプス278
マリノフスキー278
バッハオーフェン 278
モルガン278
死の人類学 (講談社学術文庫)
内堀 基光 (文庫) 279
3 祖霊信仰と双系制 280~
婿入り考280
高群逸枝全集 第2巻 招婿婚の研究 1
高群 逸枝 280
高群逸枝と柳田国男―婚制の問題を中心に (1977年)
村上 信彦 (-) 280
庶民の発見 (講談社学術文庫)
宮本 常一 (文庫) 281
律令国家と古代の社会
吉田 孝 281
「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫) 281
東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫) 281
4 「場」としての家 282~
律令国家と古代の社会
吉田 孝 282
勝海舟282
郷土生活の研究法,282
先祖の話,282,284,288-9,292
タテ社会の人間関係
中根千恵 283
家閑談283
5 折口信夫と柳田国男 284~
折口信夫
神道の新しい方向285
民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
セム族の宗教 前編 (1) (岩波文庫 白 215-1)
W.R.スミス (文庫)286
6 固有信仰と未来 288~
日本の祭,289
ウェーバー289
柳田国男対談
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
(抄訳 神の生命(いのち)―霊的進化の哲学
シュリー オーロビンド 290,292(単行本))人名のみ
橋川文三
柳田国男論集成291
注 291~292
谷崎潤一郎291
村井紀 反折口信夫論292
西田幾多郎292
家の研究292
折口信夫 倭をぐな 292
柄谷行人「遊動論ー山人と柳田国男」下(第四章)「文学界」2013-11。新しい論点はないが死の人類学は補強され、双系制についての考察はこれまでの決定版。江戸時代への言及は柳田国男の弱点を補完する。折口信夫との比較もわかりやすい。他の誌面では高橋源一郎の資本論と比較したなんとなくクリスタル続編論が印象的。
柄谷行人「遊動論-山人と柳田国男」下「文学界」12月。新しい論点はないが死の人類学は補強され、双系制についての考察はこれまでの決定版。江戸時代への言及は柳田国男の弱点を補完する。折口信夫との比較もわかりやすい。他には高橋源一郎の資本論と比較した続なんとなくクリスタル評が印象的。
柄谷行人「遊動論ー山人と柳田国男」下(第四章)、
文学界2013-12参考文献(柳田国男&柳田国男以外)リスト
柳田国男:
神道と民俗学273,275
日本の祭273,274-5,278,289
神道私見273
郷土生活の研究法274,282
先祖の話275,276,282,284,288-9,292
海上の道274
祭礼と世間275
婿入り考280
家閑談283
家の研究292
柳田国男対談
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
折口信夫:
神道の新しい方向285
民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
以上、
折口信夫天皇論集 (講談社文芸文庫) 285
倭をぐな 292
////////////////
以下、章、節1~6ごとに列挙。
第四章 固有信仰
1 新古学 273~
神道と民俗学273
日本の祭273
神道私見273
宣長 玉勝間274
郷土生活の研究法274
海上の道274
日本の祭274-5
神道と民俗学275
祭礼と世間275
先祖の話275
2 固有信仰 276~
先祖の話276,
論語277
祖先崇拝の論理 (1980年)
マイヤー フォーテス (-) 277,286
日本の祭,278
メルフォード・スパイロ
母系社会のエディプス278
マリノフスキー278
バッハオーフェン 278
モルガン278
死の人類学 (講談社学術文庫)
内堀 基光 (文庫) 279
3 祖霊信仰と双系制 280~
婿入り考280
高群逸枝全集 第2巻 招婿婚の研究 1
高群 逸枝 280
高群逸枝と柳田国男―婚制の問題を中心に (1977年)
村上 信彦 (-) 280
庶民の発見 (講談社学術文庫)
宮本 常一 (文庫) 281
律令国家と古代の社会
吉田 孝 281
「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫) 281
東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫) 281
4 「場」としての家 282~
律令国家と古代の社会
吉田 孝 282
勝海舟282
郷土生活の研究法,282
先祖の話,282,284,288-9,292
タテ社会の人間関係
中根千恵 283
家閑談283
5 折口信夫と柳田国男 284~
折口信夫
神道の新しい方向285
民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
セム族の宗教 前編 (1) (岩波文庫 白 215-1)
W.R.スミス (文庫)286
6 固有信仰と未来 288~
日本の祭,289
ウェーバー289
柳田国男対談
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
(抄訳 神の生命(いのち)―霊的進化の哲学
シュリー オーロビンド 290,292(単行本))人名のみ
橋川文三
柳田国男論集成291
注 291~292
谷崎潤一郎291
村井紀 反折口信夫論292
西田幾多郎292
家の研究292
折口信夫 倭をぐな 292
「僕の本には書いてないんですけど…想起ということの問題を改めて考えました。
思い出すというのは、ソクラテス問答法というのは…相手が思い出すのを助ける。
自分は何もしない…
精神分析も医者は関係ない。患者が思い出すだけです…後になって理論的にまとめ
たのは医学用の話で…
僕はそのことで思うのは、それは革命の問題もみな同じではないか。
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかと聞く
んですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働
商品ではないから、イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言
っているんです。マルクスは若いときから言っています‥
『彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、
崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会
の諸要素を解放することである。』(『フランスの内乱』より)
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…それを思い出せばいいだけです。」
「民主主義を超えて――イソノミアへ 」柄谷行人(大澤真幸との対談)
2013年02月7日 @新宿サザンシアター
《世界史の構造》日本語版目次
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236930/top.html
《世界史的构造》大陸版目次
http://book.douban.com/subject/19897923/
《世界史的結構》台湾版目次
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《세계사의 구조》韓国語版目次
http://www.aladin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8991706592
The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange
https://www.dukeupress.edu/The-Structure-of-World-History/
Kojin Karatani - The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange
table of contents
https://www.dukeupress.edu/The-Structure-of-World-History/
Translator's Note vii
Author's Preface to the English Translation ix
Preface xiii
Introduction. On Modes of Exchange 1
Part I. Mini World Systems 29
1. The Sedentary Revolution 35
2. The Gift and Magic 50
Part II. World-Empire 57
3. The State 63
4. World Money 81
5. World Empires 104
6. Universal Religions 127
Part III. The Modern World System 157
7. The Modern State 165
8. Industrial Capital 182
9. Nation 209
10. Associationism 228
Part IV. The Present and the Future 265
11. The Stages of Global Capitalism and Repetition 267
12. Toward a World Republic 285
Acknowledgments 309
Notes 311
Bibliography 339
Index
Description
《世界史の構造》日本語版目次
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《世界史的构造》大陸版目次
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Introduction. On Modes of Exchange 1
Part I. Mini World Systems 29
1. The Sedentary Revolution 35
2. The Gift and Magic 50
Part II. World-Empire 57
3. The State 63
4. World Money 81
5. World Empires 104
6. Universal Religions 127
Part III. The Modern World System 157
7. The Modern State 165
8. Industrial Capital 182
9. Nation 209
10. Associationism 228
Part IV. The Present and the Future 265
11. The Stages of Global Capitalism and Repetition 267
12. Toward a World Republic 285
Acknowledgments 309
Notes 311
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Description
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Translator's Note vii
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Preface xiii
Introduction. On Modes of Exchange 1
Part I. Mini World Systems 29
1. The Sedentary Revolution 35
2. The Gift and Magic 50
Part II. World-Empire 57
3. The State 63
4. World Money 81
5. World Empires 104
6. Universal Religions 127
Part III. The Modern World System 157
7. The Modern State 165
8. Industrial Capital 182
9. Nation 209
10. Associationism 228
Part IV. The Present and the Future 265
11. The Stages of Global Capitalism and Repetition 267
12. Toward a World Republic 285
Acknowledgments 309
Notes 311
Bibliography 339
Index
Description
序文
序説 交換様式論
第1部 ミニ世界システム
1 定住革命
2 贈与と呪術
第2部 世界=帝国
3 国家
4 世界貨幣
5 世界帝国
6 普遍宗教
第3部 近代世界システム
7 近代国家
8 産業資本
9 ネーション
10 アソシエーショニズム
第4部 現在と未来
11 世界資本主義の段階と反復
12 世界共和国へ
注
あとがき
序文
序説 交換様式論
第1部 ミニ世界システム
序論 氏族社会への移行
第1章 定住革命
第2章 贈与と呪術
第2部 世界=帝国
序論 国家の起源
第1章 国家
第2章 世界貨幣
第3章 世界帝国
第4章 普遍宗教
第3部 近代世界システム
序論 世界=帝国と世界=経済
第1章 近代国家
第2章 産業資本
第3章 ネーション
第4章 アソシエーショニズム
第4部 現在と未来
第1章 世界資本主義の段階と反復
第2章 世界共和国へ
注
あとがき
序文
序説 交換様式論
1 マルクスのヘーゲル批判
2 交換様式のタイプ
3 権力のタイプ
4 交通概念
5 人間と自然の「交換」
6 社会構成体の歴史
7 近代世界システム
第1部 ミニ世界システム
序論 氏族社会への移行
第1章 定住革命
1 共同寄託と互酬
2 交易と戦争
3 成層化
4 定住革命
5 社会契約
6 贈与の義務
第2章 贈与と呪術
1 贈与の力
2 呪術と互酬
3 移行の問題
第2部 世界=帝国
序論 国家の起源
第1章 国家
1 原都市=国家
2 交換と社会契約
3 国家の起源
4 共同体=国家
5 アジア的国家と農業共同体
6 官僚制
第2章 世界貨幣
1 国家と貨幣
2 商品世界の社会契約
3 『リヴァイアサン』と『資本論』
4 世界貨幣
5 貨幣の資本への転化
6 資本と国家
第3章 世界帝国
1 アジア的専制国家と帝国
2 周辺と亜周辺
3 ギリシア
4 ローマ
5 封建制
第4章 普遍宗教
1 呪術から宗教へ
2 帝国と一神教
3 模範的預言者
4 倫理的預言者
5 神の力
6 キリスト教
7 異端と千年王国
8 イスラム教・仏教・道教
第3部 近代世界システム
序論 世界=帝国と世界=経済
第1章 近代国家
1 絶対主義王権
2 国家と政府
3 国家と資本
4 マルクスの国家論
5 近代官僚制
第2章 産業資本
1 商人資本と産業資本
2 労働力商品
3 産業資本の自己増殖
4 産業資本主義の起源
5 貨幣の商品化
6 労働力の商品化
7 産業資本主義の限界
8 世界経済
第3章 ネーション
1 ネーションの形成
2 共同体の代補
3 想像力の地位
4 道徳感情と美学
5 国家の美学化
6 ネーション=ステートと帝国主義
第4章 アソシエーショニズム
1 宗教批判
2 社会主義と国家主義
3 経済革命と政治革命
4 労働組合と協同組合
5 株式会社と国有化
6 世界同時革命
7 永続革命と段階の「飛び越え」
8 ファシズムの問題
9 福祉国家主義
第4部 現在と未来
第1章 世界資本主義の段階と反復
1 資本主義の歴史的段階
2 資本と国家における反復
3 1990年以後
4 資本の帝国
5 つぎのヘゲモニー国家
第2章 世界共和国へ
1 資本への対抗運動
2 国家への対抗運動
3 カントの「永遠平和」
4 カントとヘーゲル
5 贈与による永遠平和
6 世界システムとしての諸国家連邦
注
あとがき
《世界史の構造》日本語版目次
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《世界史的构造》大陸版目次
http://book.douban.com/subject/19897923/
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Translator's Note vii
Author's Preface to the English Translation ix
Preface xiii
Introduction. On Modes of Exchange 1
Part I. Mini World Systems 29
1. The Sedentary Revolution 35
2. The Gift and Magic 50
Part II. World-Empire 57
3. The State 63
4. World Money 81
5. World Empires 104
6. Universal Religions 127
Part III. The Modern World System 157
7. The Modern State 165
8. Industrial Capital 182
9. Nation 209
10. Associationism 228
Part IV. The Present and the Future 265
11. The Stages of Global Capitalism and Repetition 267
12. Toward a World Republic 285
Acknowledgments 309
Notes 311
Bibliography 339
Index
Description
序文
序説 交換様式論
第1部 ミニ世界システム
1 定住革命
2 贈与と呪術
第2部 世界=帝国
3 国家
4 世界貨幣
5 世界帝国
6 普遍宗教
第3部 近代世界システム
7 近代国家
8 産業資本
9 ネーション
10 アソシエーショニズム
第4部 現在と未来
11 世界資本主義の段階と反復
12 世界共和国へ
注
《世界史の構造》日本語版目次
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236930/top.html
《世界史的构造》大陸版目次
http://book.douban.com/subject/19897923/
《世界史的結構》台湾版目次
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《세계사의 구조》韓国語版目次
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Kojin Karatani -The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange
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Table Of Contents
Translator's Note vii
Author's Preface to the English Translation ix
Preface xiii 序文
Introduction. On Modes of Exchange 1 序説 交換様式論
Part I. Mini World Systems 29 第1部 ミニ世界システム
1. The Sedentary Revolution 35 定住革命
2. The Gift and Magic 50 贈与と呪術
Part II. World-Empire 57 第2部 世界=帝国
3. The State 63 国家
4. World Money 81 世界貨幣
5. World Empires 104 世界帝国
6. Universal Religions 127 普遍宗教
Part III. The Modern World System 157 第3部 近代世界システム
7. The Modern State 165 近代国家
8. Industrial Capital 182 産業資本
9. Nation 209 ネーション
10. Associationism 228 アソシエーショニズム
Part IV. The Present and the Future 265 第4部 現在と未来
11. The Stages of Global Capitalism and Repetition 267 世界資本主義の段階と反復
12. Toward a World Republic 285 世界共和国へ
Acknowledgments 309 謝辞
Notes 311 注
Bibliography 339 著作目録
Index 索引
Description 書誌
序文
序説 交換様式論
第1部 ミニ世界システム
1 定住革命
2 贈与と呪術
第2部 世界=帝国
3 国家
4 世界貨幣
5 世界帝国
6 普遍宗教
第3部 近代世界システム
7 近代国家
8 産業資本
9 ネーション
10 アソシエーショニズム
第4部 現在と未来
11 世界資本主義の段階と反復
12 世界共和国へ
注
あとがき
柄谷行人『山人と柳田国男』文春新書(2014年)
驚くべきことに、1974年の「柳田国男試論」終盤で柄谷行人はすでに柳田国男の
旅行記における移動の重要性に着目していた。「島の文化史上の意義」もすでに
指摘されている(253頁)。ただし、(文学界の連載がまだ終わってないので断定出
来ないが)この柳田国男の旅行は国家を前提にしたもう一つのノマディズムの側
面も多少ある…。むろん当時の柳田国男の「現実の諸条件」における努力を全否
定はできないが。
その他、柳田国男が宣長より荻生徂徠に近いという指摘は面白い*。
また、折口信夫への言及がその論理的一貫性を明確にしていて興味深い(これは
他でも書いていたはずだが)。
ただ、 大抵の柳田国男論に乗り切れない自分の意見を述べると、
柳田国男は、
本来の日本=今の日本-西欧文化-江戸-仏教-中国-アイヌ
と考えたようだが、江戸を引いたのが余計だった、と思う。
この明治政府官僚だったことによるバイアス(江戸時代への対抗心)があちこち
で齟齬をきたす原因になっている**。
例えば協同組合の原型であり得た報徳社を柳田国男は必要以上に批判しすぎた。
信用制度が弱いのは当たり前だし、それこそ明治政府***がやるべき仕事なのに。
これで日本の協同組合運動は断ち切られた(オーバーな言い方かも知れないが)。
端的に言えば自然主義****から始まった柳田国男の仕事は一からやり直す必要があるのだ。
*
最新作では新国学は宣長を次ぐものとされる。
**
多角的な視点が熊楠にはあったし、他者からの視点が折口信夫にはあった。
***
社倉は遊動性を確保した貯蓄ということなのだろうが
それでも矛盾はあり得る。国家は両義的になる。
柳田国男はそうした国家の両義性から逃避している。
柄谷はat18でそうした柳田国男を擁護しているが、これはプルードン批判したマルクスを
擁護するのと同じ構図だ。
****
自然主義はナチュラルリズムとして考えると良い。
超-に対してただの自然主義。スピノザも自然主義と言える。
ちなみにインスクリプト『柳田国男論』扉には、
『一九七二年 作家の肖像』(佐伯 剛正)
http://www.amazon.co.jp/dp/4860293541/
に収めれた柄谷行人の若かりし日の写真が2枚掲載されている。
表紙の港千尋による写真(縄文的イメージ?)が相対化されていると言えなくもない。
インスクリプト『柳田国男論』扉には、『一九七二年 作家の肖像』(佐伯 剛正)
http://www.amazon.co.jp/dp/4860293541/
に収めれた柄谷行人の若かりし日の写真が2枚掲載されている。
表紙の港千尋による写真(縄文的イメージ?)が相対化されていると言えなくもない。
内容に関して言うと驚くべきことに、1974年の「柳田国男試論」終盤で柄谷行人はすでに柳田国男の
旅行記における移動の重要性に着目していた。「島の文化史上の意義」もすでに
指摘されている(253頁)。ただし、この柳田国男の旅行は国家を前提にしたもう一つのノマディズムの側
面も多少ある…。むろん当時の柳田国男の「現実の諸条件」における努力を全否
定はできないが。
その他、柳田国男が宣長より荻生徂徠に近いという指摘は面白い*。
また、折口信夫への言及がその論理的一貫性を明確にしていて興味深い(これは
他でも書いていたはずだが)。
ただ、 大抵の柳田国男論に乗り切れない自分の意見を述べると、
柳田国男は、
本来の日本=今の日本-西欧文化-江戸-仏教-中国-アイヌ
と考えたようだが、江戸を引いたのが余計だった、と思う。
この明治政府官僚だったことによるバイアス(江戸時代への対抗心)があちこち
で齟齬をきたす原因になっている**。
例えば協同組合の原型であり得た報徳社を柳田国男は必要以上に批判しすぎた。
信用制度が弱いのは当たり前だし、それこそ明治政府***がやるべき仕事なのに。
これで日本の協同組合運動は断ち切られた(オーバーな言い方かも知れないが)。
端的に言えば自然主義****から始まった柳田国男の仕事は一からやり直す必要があるのだ。
*
最新作では新国学は宣長を次ぐものとされる。
**
多角的な視点が熊楠にはあったし、他者からの視点が折口信夫にはあった。
***
社倉は遊動性を確保した貯蓄ということなのだろうが
それでも矛盾はあり得る。国家は両義的になる。
柳田国男はそうした国家の両義性から逃避している。
柄谷はat18でそうした柳田国男を擁護しているが、これはプルードン批判したマルクスを
擁護するのと同じ構図だ。
****
自然主義はナチュラルリズムとして考えると良い。
超-に対してただの自然主義。スピノザも自然主義と言える。
インスクリプト『柳田国男論』扉には、『一九七二年 作家の肖像』(佐伯 剛正)
http://www.amazon.co.jp/dp/4860293541/
に収めれた柄谷行人の若かりし日の写真が2枚掲載されている。
表紙の港千尋による写真(縄文的イメージ?)が相対化されていると言えなくもない。
内容に関して言うと驚くべきことに、1974年の「柳田国男試論」終盤で柄谷行人はすでに柳田国男の
旅行記における移動の重要性に着目していた。「島の文化史上の意義」もすでに
指摘されている(253頁)。ただし、この柳田国男の旅行は国家を前提にしたもう一つのノマディズムの側
面も多少ある(むろん当時の柳田国男の「現実の諸条件」における努力を全否
定はできないが)。
その他、柳田国男が宣長より荻生徂徠に近いという指摘は面白い*。
また、折口信夫への言及がその論理的一貫性を明確にしていて興味深い(これは
他でも書いていたはずだが)。
ただ、 大抵の柳田国男論に乗り切れない自分の意見を述べると、
柳田国男は、
本来の日本=今の日本-西欧文化-江戸-仏教-中国-アイヌ
と考えたようだが、江戸を引いたのが余計だった、と思う。
この明治政府官僚だったことによるバイアス(江戸時代への対抗心)があちこち
で齟齬をきたす原因になっている**。
例えば協同組合の原型であり得た報徳社を柳田国男は必要以上に批判しすぎた。
信用制度が弱いのは当たり前だし、それこそ明治政府***がやるべき仕事なのに。
これで日本の協同組合運動は断ち切られた(オーバーな言い方かも知れないが)。
端的に言えば自然主義****から始まった柳田国男の仕事は一からやり直す必要があるのだ。
*
最新作では新国学は宣長を次ぐものとされる。
**
多角的な視点が熊楠にはあったし、他者からの視点が折口信夫にはあった。
***
社倉は遊動性を確保した貯蓄ということなのだろうが
それでも矛盾はあり得る。国家は両義的になる。
柳田国男はそうした国家の両義性から逃避している。
柄谷はat18でそうした柳田国男を擁護しているが、これはプルードン批判したマルクスを
擁護するのと同じ構図だ。
****
自然主義はナチュラルリズムとして考えると良い。
超-に対してただの自然主義。スピノザも自然主義と言える。
実際の遊動民より遊動性という性質が重要になる
それが山人であったり縄文人であったりオオカミであったり固有信仰であったり国連委員であったり
協同組合であったりする
現実に遊動することより性質としての遊動性を常民(common people)がいかに取り込むかが大事になる
ジェットセッターが遊動性を持つというわけではなく
いつでも動ける用意があるのが遊動性ということになる
人類が遊動しない場合、120年周期で抑圧されたものが回帰してくる
____
実際の共同体ではなく共同性が重要になる
その共同体の持つ共同性をいかに外に開くか
が重要だということでもある
僕の考えでは、一つは共同幻想ということの問題がある。つまり共同幻想の構造という問題がある。それが国家とか法とかいうような問題になると思います。 もう一つは、僕がそういうことばを使っているわけですけれども、対幻想、つまりペアになっている幻想ですね、そういう軸が一つある。それはいままでの概念でいえば家族論の問題であり、セックスの問題、つまり男女の関係の問題である。そういうものは大体対幻想という軸を設定すれば構造ははっきりする。 もう一つは自己幻想、あるいは個体の幻想でもいいですけ
れども、自己幻想という軸を設定すればいい。芸術理論、文学理論、文学分野というものはみんなそういうところにいく。 つまりそういう軸の内部構造と、表現された構造と、三つの軸の相互関係がどうなっているか、そういうことを解明していけば、全幻想領域の問題というものは解きうるわけだ、つまり解明できるはずだというふうになると思うんです。そういうふうに統一的にといいますか、ずっと全体の関連が見えるようになって、その一つとして、たとえば、自分がいままでやってきた文学理論の問題というのは、自己幻想の内的構造と表現の問題だったなというふうに、あらためて見られるところがあるわけです。そして、たとえば世の人々が家族論とか男女のセックスの問題とか、そういうふうにいっていた問題というのは、これは対幻想の問題なんだというふうにあらためて把握できる。それから一般に、政治とか国家とか、法律とか、あるいは宗教でもいいんですけれども、そういうふうにいわれてきた問題というものは、これは共同幻想の問題なんだなというふうに包括的につかめるところができてきた。だから、それらは相互関係と内部構造とをはっきりさせていけばいいわけなんだ、そういうことが問題なんだ、今度は問題意識がそういうふうになってきます。
https://kindle.amazon.co.jp/post/gIcxklvaQvevlgFvjbIOWA
改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)
by 吉本 隆明
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中上健次の解説がなくなっているのが残念
yojisekimoto highlighted:
そうすると、お前の考えは非常にヘーゲル的ではないかと
いう批判があると思います。しかし僕には前提がある。そういう幻想領域を扱うときには、幻想領域を幻想領域の内部構造として扱う場合には、下部構造、経済的な諸範疇というものは大体しりぞけることができるんだ、そういう前提があるんです。しりぞけるということは、無視するということではないんです。ある程度までしりぞけることができる。しりぞけますと、ある一つの反映とか模写じゃなくて、ある構造を介して幻想の問題に関係してくるというところまでしりぞけることができるという前提があるんです。 はっきりさせるために逆にいいますと、経済的諸範疇を取り扱う場合には幻想領域は捨象することができるわけです。捨てることができる。自己幻想がどうなっているかとか、共同幻想はどうなっているかということは大体捨象することができるわけです。 ところが、幻想的範疇をその構造において取り扱う場合には、少なくとも反映とか模写じゃなくて、ある構造を介して関係があるというところまでは経済的範疇というものはしりぞけることができる。そこまではしりぞくという前提があるんですよ。だから僕にいわせれば決してヘーゲル主義ではないんですけれども、そういうように統一的にといいますか、つかむ機軸が自分で見えてきたということで、おそらく僕なんかのやっている仕事がそういう形である意味で広がっていいるし、広がりながら関連はつくというふうになってきた。そういうところだと思いますね。
対幻想を経済として捉えなかったことが弱点だ
ただ柄谷をある程度先行している
共同幻想 個人幻想
対幻想
吉本は以上のように提示したつもりだが、
共同幻想 対幻想
個人幻想
これが実際に提示したもの
最初の図式を貫くなら、経済を対幻想として捉えるべきだった
デュルケム
宗教生活の原初形態
上298
集合的トーテミズムと
個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう
レヴィ・ストロースはトーテミズムのどういう点を批判の対象にしたのですか?
viva_blue_daemonさん
レヴィ・ストロースはトーテミズムのどういう点を批判の対象にしたのですか?
違反報告
質問日時:2012/10/24 07:42:28
解決日時:2012/10/28 21:44:53
閲覧数:319回答数:2
ベストアンサーに選ばれた回答
seizeponzuさん
レヴィ=ストロースのトーテミズム批判は、主に集団とトーテムとの間の関係性ばかりを「換喩」的にとらえようとする人類学者(ex.機能主義のマリノフスキー)に向けられました。
結論を言えば、トーテミズムは人類学者のつくりあげた幻想だ、ということです。
トーテミズムを信じる人類学者は、未開の地にもぐりこんだ時に、そこに現れるあらゆる現象をトーテミズムという自分の枠組みに押し込んで解釈しがちです。
レヴィ=ストロース研究家の立命館大学・渡辺公三先生が巧い喩えをされていたので借用させていただきます…
トーテミズムを信じる人類学者が「ニッポン」という未開の地にフィールドワークに入ったと思ってください。その地域では奇妙な卵形の建物に群衆が集まって「ヤキュウ」と呼ばれるある種の祭礼を行うようです。祭礼では「虎」をトーテムとする集団と「巨人」をトーテムとする集団が交互に、つまり互酬性の規則に従って儀礼を行うらしい。ちなみに「ニッポン」では同時に他のトーテム集団が対となって各地で同様の儀礼を行っていることが判明しました。それらは「鯉」「星」「燕」「竜」というトーテム集団である。またこの人類学者は「ニッポン」では、個々人は生まれた年によってネズミ、牛、虎など12種の動物をトーテムとすることも判明した。この人類学者は、それぞれの集団にとってそのトーテムがどのような機能を果たしているのかを歴史的にたどることで調査することとした。
どうですか?
我が国のなんでもない文化も、それを知らない(そしてトーテミズムを信じる)人類学者からみたらこんなに都合よく解釈されてしまうのです。
でも、当たり前だけど、「巨人」をチームのシンボルとしているからといってジャイアンツの選手たちが「巨人」となにか関わりがあるわけではないし、タイガースの選手が虎のように鋭い牙をもっているわけでもありません。」
集団Aとそのトーテムとされる種a(動物なり植物なり)との間に何らかの必然的な関わりがあると考える思考体系は「換喩的」と言えます。
でも実際にはこの種a、種bというのはその集団を表すシンボルにすぎないのであって、その象徴的な存在を通じて他の集団との差異化が図られればそれでいいのです。(野球の6球団が「鯉」「金魚」「鯵」「鯖」「カレイ」「ヒラメ」とかだとなんだかキャラがかぶりすぎてて差異化が図られず微妙ですね)。
だから。レヴィ=ストロースの主張は、大事なのは集団Aと種a(「ヤキュウ」の例でいえば阪神の選手と虎の関係)なのではなく、「集団Aと集団Bとの関係」が「種aと種bとの関係」で象徴的に表現されることなのだ、ということです。関係と関係の間の関係を見る…換喩ではなく隠喩的な見方は、レヴィ=ストロース的構造主義の鉄則です。こういう関係論で社会を分析する手法が構造主義の「構造」なのです。「虎」「巨人」といった架空のものを含む種による命名は、虎と巨人が異なるように、2つのチームが異なることを表示するのだ、と。
トーテミズムばかりを信じていると、とりわけ自分たちにはなじみのない文化に対しては深読みしすぎて、自分たちの都合のいいように解釈しがちです。
「トーテム制度が援用するのは、社会集団と自然種[動植物の種]の間の相同性ではなくて、一方で社会集団のレベルに現われる差異と、他方で自然種のレベルに現われる差異との間にある相同性なのである。それゆえこれらの制度は、一方は自然の中に、他方は文化の中に位置する二つの差異体系の間の相同性という公準の上にのっている。」
自然 ; 種a ≠ 種b ≠ 種c ≠ ……… 種n
| | |
文化 ; 集団A≠集団B≠集団C ≠………集団n」
↑
よく援用される『野生の思考』で示される図式です。「種 a≠ 種b」と「集団A ≠ 集団B」とが、「種b ≠ 種c」と「集団B ≠ 集団C」とがそれぞれ対応し、相同関係にあります。
おわかりいただけましたでしょうか。宜しければ渡辺公三先生の『レヴィ=ストロース』等も読んでいただければさらに理解が深まるかと思います。
真と善を美が媒介するという前提
真 美
善
悟性と感性を想像力がつなぐという前提
悟性 想像力
感性
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
真と善を美が媒介する
真 美
善
あるいは、
悟性と感性を想像力がつなぐ
悟性 想像力
感性
という前提でだが、
共同幻想 個人幻想
対幻想
吉本は以上のように提示したつもりだが、
共同幻想 対幻想
個人幻想
これが実際に提示したもの
最初の図式を貫くなら、経済を対幻想として捉えるべきだった
対幻想を経済として捉えなかったことが弱点だ
ただ柄谷をある程度先行している
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
共同幻想 個人幻想
対幻想
吉本は以上のように提示したつもりだが、
(対幻想にアクティブな可能性がある)
真と善を美が媒介する
真 美
善
あるいは、
悟性と感性を想像力がつなぐ
悟性 想像力
感性
という前提でだが、
共同幻想 対幻想
個人幻想
これが実際に提示したもの
最初の図式を貫くなら、経済を対幻想として捉えるべきだった
対幻想を経済として捉えなかったことが弱点だ
ただ柄谷をある程度先行している
自己表出
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音楽
言語
絵画
0 指示表出
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自己表出
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0 絵画
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/\非知へ
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/\ 詩/\
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/\言語にとって/\
/__美とは何か/__\
/自己表出\ /指示表出\
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/共同幻想\ /ハイイメージ
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/\共同幻想論 /\ /\心的現象論 /\
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/\ 詩/\ 吉本隆明体系 /共同幻想\
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/\言語にとって/\ /\共同幻想論 /\
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/非知へ
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/\ 詩/\ 吉本隆明体系 /共同幻想\
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/\言語にとって/\ /\共同幻想論 /\
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/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
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3は主体性はあるが神秘主義になる
4は主体性は劣るが神秘主義は回避できる
吉本は3
最近の柄谷は4
ラカンのように両者を横断することが神秘主義を回避しつつ
主体性を持つために必要になる
/非知へ
/関係の絶対性
/\親鸞/\
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/\心的現象論 /\
/__\ /__\
マスイメージ\ /ハイイメージ
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/\ /マルクス
/__\ 吉本隆明体系 /__\
/\ 詩/\ /共同幻想\
/__\/__\ アフリカ\/アジア
/\言語にとって/\ ヘーゲル/\共同幻想論 /\古事記
/__美とはなにか__\ /__\ /__\
/自己表出\ /指示表出\ /個人幻想\ /\対幻想\
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
遠野物語
3分割法は主体性はあるが神秘主義になる
4は主体性は劣るが神秘主義は回避できる
吉本は3
最近の柄谷は4
ラカンのように両者を横断することが神秘主義を回避しつつ
主体性を持つために必要になる
集合的トーテムは世襲
個人的トーテムは個人獲得
性的トーテムは両方
つまり
集合的
個人的 X
両方の特質をプラスに捉えるならアソシエーション=Xを性的トーテムとして考えることもできる
共同幻想
個人幻想 対幻想
と図示できるのだ。
実は初期柄谷の思考法もトリアーデだった、、、
『柄谷行人初期論文集』をめぐって/浅田彰
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/020410.html
1966年、東大新聞の五月祭賞で、25歳の青年の書いた「思想はいかに可能か」という論文が佳作となる。三島由紀夫/吉本隆明/江藤淳という当時もっとも注目されていた文学者たちの思想を「明晰」/「自立」/「成熟」の三角関係において見事に構造化し、それら三極を上から総合する視点を否定しつつも、いわばどこにもない中点のようなところに自らの批評の場所を見いだそうとする、驚くほどシャープな論文だ。36年後のいま初めて『柄谷行人初期論文集』(批評空間)の巻頭論文として刊行されたこの処女作は、批評家・柄谷行人の誕生を示すモニュメントである。
実際、そこには柄谷行人の思考の基本的な構造が現れていると言ってよい。とくに、三極構造(たとえばカントの三批判に対応するような)を設定し、どこにもない中点に批評の「場所」を見出すという戦略*[1]。もっとも、2001年の『トランスクリティーク』(批評空間)の前後から、柄谷行人は、そのようなどこにもない場所からのネガティヴな批評に飽きたらず、むしろ社会変革のためのポジティヴな構想が必要だと考えるようになる。そこで打ち出されたのが、市場/共同体/国家(資本制国民国家という形で統合された)のいずれとも原理を異にするアソシエーションという概念であり、資本と国家に対抗してそれを実現していこうという New Associationist Movement である。だが、柄谷行人がたんなる社会運動家になったと思ったら大きな間違いだ。現に、市場(交換)/共同体(贈与)/国家(再分配)の三極構造を設定し、そのいずれでもないものとしてのアソシエーションを目指すという構図は、まさに「思想はいかに可能か」の構図と同じではないか*[2]。むろん、柄谷行人は、アソシエーションを不在の中点にとどめることなく、地域通貨 LETS などによって具体化していこうとするだろう。だが、それは徹底的な批評家であることによって社会運動家になることなのであり、批評家をやめることではまったくないのである。
最後に、この本の最終章についてひとこと。1972年、サドを特集した『ユリイカ』の4月号を、15歳の少年が興味本位で手にする。思ったほどエロティックな内容ではなかったけれど、なかなか面白い。とくに、柄谷行人(この名前は一体どう読むのか?)という人の「サドの自然概念に関するノート」は、異様に明晰なのに、安易な理解をはねつけるところがあって、どうも気になる。もちろん、少年――つまり私は、後に柄谷行人と『批評空間』の編集委員を務めるようになろうとは夢にも思っていない……。さて、今日、25歳の大学院生は、いや、15歳の少年は、この本をどう読むだろうか。反発するならそれでもいい。とにかく、とりわけそういう若い読者に、ライヴァルに挑むような気持ちでぜひ読んで欲しいと思う。
付記:これは i-critique の原稿(3月26日配信分)に加筆したものである。
Copyright © 2002 Critical Space Organization. All rights reserved.
http://www.momoti.com/blog/2006/12/post_365.html
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yoji said...
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Φ =ファルス
34ー46
高澤 柄谷さんは吉本隆明さんとどういう出会いを?
柄谷 寮に住んで大学のそばに引っ越そうとして、斡旋する場所に行った
ら近くにあったんで。田端の駅からに近い。開成とかあって。降りた所に吉本の家があって
田畑の風呂屋を捜して…「試行」というのをとろうと思って見るとすぐそこな
んですよ。家が出版社だから。
高澤 いきなり申し込みに行ったんですか?
柄谷 その時に始めて風呂屋に行こうと思っただけ。それから吉本宅を訪ねて。割とよく行
ってましたね。年に二三回は。
高澤 読者にとどまらず「試行」に投稿とかそう言うこと一切しなかったですね?
柄谷 吉本さんは面白い人で、僕にいろいろ忠告してくれた。あなたは商業誌に書けばいい。
色のついた雑誌はダメだ。
高澤 そういう吉本隆明はいいですね。
柄谷 いいんですよ。中野重治も「新潮」でやってるじゃないか。自分が真っ赤になればいい。
彼はむしろ「試行」に書くなという感じだった。色はつかないほうがいい…
柄谷&高澤@東京堂20120330『政治と思想』刊行記念
高澤 柄谷さんは吉本隆明さんとどういう出会いを?
柄谷 寮に住んで大学のそばに引っ越そうとして、斡旋する場所に行った
ら近くにあったんで。田端の駅からに近い。開成とかあって。降りた所に吉本の家があって
田畑の風呂屋を捜して…「試行」というのをとろうと思って見るとすぐそこな
んですよ。家が出版社だから。
高澤 いきなり申し込みに行ったんですか?
柄谷 その時に始めて風呂屋に行こうと思っただけ。それから吉本宅を訪ねて。割とよく行
ってましたね。年に二三回は。
高澤 読者にとどまらず「試行」に投稿とかそう言うこと一切しなかったですね?
柄谷 吉本さんは面白い人で、僕にいろいろ忠告してくれた。あなたは商業誌に書けばいい。
色のついた雑誌はダメだ。
高澤 そういう吉本隆明はいいですね。
柄谷 いいんですよ。中野重治も「新潮」でやってるじゃないか。自分が真っ赤になればいい。
彼はむしろ「試行」に書くなという感じだった。色はつかないほうがいい…
柄谷&高澤@東京堂20120330『政治と思想』刊行記念
高澤 柄谷さんは吉本隆明さんとどういう出会いを?
柄谷 …大学のそばに引っ越そうとして、斡旋する場所に行ったら近くにあったんで。田端の駅
からに近い。開成とかあって。降りた所に吉本の家があって田畑の風呂屋を捜して…「試行」と
いうのをとろうと思って見るとすぐそこなんですよ。家が出版社だから。
高澤 いきなり申し込みに行ったんですか?
柄谷 その時に始めて風呂屋に行こうと思っただけ。それから吉本宅を訪ねて。割とよく行
ってましたね。年に二三回は。
高澤 読者にとどまらず「試行」に投稿とかそう言うこと一切しなかったですね?
柄谷 吉本さんは面白い人で、僕にいろいろ忠告してくれた。あなたは商業誌に書けばいい。
色のついた雑誌はダメだ。
高澤 そういう吉本隆明はいいですね。
柄谷 いいんですよ。中野重治も「新潮」でやってるじゃないか。自分が真っ赤になればいい。
彼はむしろ「試行」に書くなという感じだった。色はつかないほうがいい…
柄谷&高澤@東京堂20120330『政治と思想』刊行記念
高澤 柄谷さんは吉本隆明さんとどういう出会いを?
柄谷 …大学のそばに引っ越そうとして、斡旋する場所に行ったら近くにあったんで。田端の駅
からに近い。開成とかあって。降りた所に吉本の家があって田端の風呂屋を捜して…「試行」と
いうのをとろうと思って見るとすぐそこなんですよ。家が出版社だから。
高澤 いきなり申し込みに行ったんですか?
柄谷 その時に始めて風呂屋に行こうと思っただけ。それから吉本宅を訪ねて。割とよく行
ってましたね。年に二三回は。
高澤 読者にとどまらず「試行」に投稿とかそう言うこと一切しなかったですね?
柄谷 彼はそう言うことはいわなかった。吉本さんは面白い人で、僕にいろいろ忠告してくれた。
あなたはもっと商業誌に書けばいいんですよ。色のついた雑誌はダメだ。「試行」も含めて。
高澤 そういう吉本隆明はいいですね。
柄谷 いいんですよ。よければ小林秀雄も通るんだ。中野重治も「新潮」でやってるじゃないか。
自分が真っ赤になればいい。彼はむしろ「試行」に書くなという感じだった。色はつかないほうがいい…
柄谷&高澤@東京堂20120330『政治と思想』刊行記念
吉本隆明「情況への発言(一九七四年三月)」
わたしが、柳田について感想をのべたのは、柄谷の引用している「無方法の
方法」という十枚前後の月報文章だけにちかい、といってよい。
柄谷のここでやっている詐術は、まず、わたしがまとまった柳田国男論を
やり、それを「無方法の方法」というところに集約していると、読者に印象
づける書きっ振りをしているところにある。第二の詐術は、わたしの
〈方法〉と〈体系〉が、柄谷のこの雑文ごときで片がつくと読者に
思わせようとしているところにある。
わたしの〈方法〉の背後にも〈体系的叙述〉の背後にも、柄谷の言いぐさを
かりれば「その叙述形式とはべつに一つの明瞭な内的体系」があることを、
見てみぬふりをしているにすぎない。柄谷が、〈ブント〉についていた
頃は、「年から年中騒ぎ立てている急進主義者」(柄谷自身の言葉―註)
であり、〈柳田国男〉を試論すれば、たちまち「世間」とか「分別」とかを
尊重する若年寄に変貌してしまう、といっただらしなさや、小利巧さや、
幼稚さを挙げつらっても仕方がない。「内省の学」ではないような学問は
空疎な知識だという柄谷の文章のどこに、柄谷の現在軽蔑する「急進
主義者」から「世間」や「分別」に感心する小廻りのきく〈オポチュニスト〉
に変貌した過程への「内省」があるのか。
まことに、柄谷のいうとおり「変えるということは『反省』することにほか
ならない」のだ。
柄谷の詐術はもっとある。たとえば柄谷が「柳田を批判する急進主義者に
欠けているのは、知るということ自体のラディカリズムである。また、柳田
が土着思想を発掘したなどというのは甚だしい迷妄である」と書くとき、
ほとんどハレンチとしかいいようのない詐術をやっている。
あるいは、柄谷が勝手につくりだした俗耳に入りやすい標的かもしれないと
思う。
吉本隆明「情況への発言(一九八六年十一月) 海路の日和」
『完本 情況への発言』(洋泉社)
柄谷の『日本近代文学の起源』など柳田国男の『明治大正史(世相篇)』の模倣でしかない。
蓮實重彦、柄谷行人に浅田彰を加えれば、まさに知的スノッブの三バカだよ。
吉本隆明「情況への発言(一九八九年二月) 《エチカの闘争》
『完本 情況への発言』(洋泉社)
それを推察できないとすれば、柄谷が頓馬であることを物語っているか、
あるいは柄谷が故意に知らぬふりをして「甚だしい迷妄である」などと
いう、カッコイイ見得を切りたいつまらぬ男であることを証明しているに
すぎない。
柳田国男など、ろくに読んだこともないで書いている柄谷には、いい薬に
なるから記しておこう。
わたしに附き合えないのに、文壇のメダカ批評家である柄谷などに附き
合えるはずがない。わたしは「世間」とか「分別」とかいうものの内実を、
実践的に拒否するがゆえに、対象化の欲求をもつので、それ以外に「世間」
の概念に感心した振りをしているのは、アランのような西洋的な思想
コットウ屋か、生イカを喰べれば色白になると言われて、生イカを喰べて
本当に色白になってしまう女とおなじく、対象に乗り移って、ほんとうに
日本共産党の理論(?)機関誌『前衛』(一九七四年一月)に、「吉本
隆明氏によるマルクス主義の『変革』」という、ポンチ絵まがいの批判を
書いている野村昂という人物も、柄谷とは立場こそちがえ、おなじ病いと
しかいいようがない。
いったい柄谷にしろ、この野村という人物にしろ、わたしの仕事を、だしに
つかったり批判したりするのに、一カ月のやっつけ仕事で可能だと思って
いるのか。
(一九七四・一・二三)
>>445
柄谷は最新柳田論を吉本批判から始めており、
少し前の『世界史の構造』第一部は共同幻想論と題材が重なる
吉本のマルクス主義は資本の分析がなく、上下のヒエラルキーを逆転するだけだった
その結果、吉本はドゥルーズと逆に80年代以降の消費社会に理論的に対抗出来なかった
柄谷も似たところはあるが、一種のアナーキズム(ドゥルーズのは違うそれ)を展開することで
切り抜けたと思う
ただ吉本の提示した課題は依然課題であり続けている。
近年の柄谷は回答を出していると思う。
柄谷は最新柳田論を吉本批判から始めており、
少し前の『世界史の構造』第一部は共同幻想論と題材が重なる
吉本のマルクス主義は資本の分析がなく、上下のヒエラルキーを逆転するだけだった
その結果、吉本はドゥルーズと逆に80年代以降の消費社会に理論的に対抗出来なかった
柄谷も似たところはあるが、一種のアナーキズム(ドゥルーズとは違うそれ)を展開することで
切り抜けたと思う
ただ吉本の提示した課題は依然課題であり続けているし、
近年の柄谷は回答を出していると思う
柄谷は最新柳田論を吉本批判から始めており、
少し前の『世界史の構造』第一部は共同幻想論と題材が重なる
吉本のマルクス主義には資本の分析がなく、上下のヒエラルキーを逆転するだけだった
その結果、吉本はドゥルーズと逆に80年代以降の消費社会に理論的に対抗出来なかった
柄谷も似たところはあるが、一種のアナーキズム(ドゥルーズとは違うそれ)を展開することで
切り抜けたと思う
ただ吉本の提示した課題は依然課題であり続けているし、
近年の柄谷は回答を出していると思う
柄谷は最新柳田論を吉本批判から始めており、
少し前の『世界史の構造』第一部は共同幻想論と題材が重なる
吉本のマルクス主義には資本の分析がなく、上下のヒエラルキーを逆転するだけだった
(政治的、文化的な抑圧が前提となる自立だった)
その結果、吉本はドゥルーズと逆に80年代以降の消費社会に理論的に対抗出来なかった
柄谷も似たところはあるが、一種のアナーキズム(ドゥルーズとは違うそれ)を展開することで
切り抜けたと思う
ただ吉本の提示した課題は依然課題であり続けているし、
近年の柄谷は回答を出していると思う
柄谷は最新柳田論を吉本批判から始めており、
少し前の『世界史の構造』第一部は共同幻想論と題材が重なる
吉本のマルクス主義には資本の分析がなく、上下のヒエラルキーをレトリカルに逆転するだけだった
(政治的、文化的な抑圧が前提となる自立だった)
その結果、吉本はドゥルーズと逆に80年代以降の消費社会に理論的に対抗出来なかった
柄谷も似たところはあるが、一種のアナーキズム(ドゥルーズとは違うそれ)を展開することで
切り抜けたと思う
ただ吉本の提示した課題は依然課題であり続けているし、
近年の柄谷はそこに回答を出していると思う
柄谷は最新柳田論を吉本批判から始めており、
少し前の『世界史の構造』第一部は共同幻想論と題材が重なる
吉本のマルクス主義には資本の分析がなく、上下のヒエラルキーをレトリカルに逆転するだけだった
(政治的、文化的な抑圧が前提となる自立だった)
その結果、吉本はドゥルーズと逆に80年代以降の消費社会に理論的に対抗出来なかった
柄谷も似たところはあるが、一種のアナーキズム(ドゥルーズとは違うそれ)を展開することで
切り抜けたと思う
ただ吉本の提示した課題は依然課題であり続けているし、
近年の柄谷はそこに回答を出していると思う
柄谷は最新柳田論を吉本批判から始めており、
少し前の『世界史の構造』第一部は『共同幻想論』と題材が重なる
吉本はヘーゲルに遡行し
柄谷はカントに遡行した
ドゥルーズはライプニッツに遡行したと思うが
スピノザ、ニーチェを強調する人が多い
吉本の言説を文字通り単純に解釈すると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本の言説を文字通り単純に解釈すると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
吉本の言説を文字通り単純に解釈すると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
対幻想にアソシエーションの可能性もあったがこれを吉本は家族に回収した。
吉本の言説を文字通り単純に解釈すると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
対幻想にアソシエーションの可能性もあったがこれを吉本は家族に回収した。
ヘーゲルではなくカントに依拠するべきだった。
吉本の言説を文字通り単純に解釈すると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
対幻想にアソシエーションの可能性もあったがこれを吉本は家族に回収した。
ヘーゲルではなくカントに依拠するべきだった。
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
集合的トーテムは世襲
個人的トーテムは個人獲得
性的トーテムは両方
つまり
集合的
個人的 X
両方の特質をプラスに捉えるならアソシエーション=Xを性的トーテムとして考えることもできる
共同幻想
個人幻想 対幻想
と図示できるのだ。
吉本の言説を文字通り単純に解釈すると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
対幻想にアソシエーションの可能性もあったがこれを吉本は家族に回収した。
ヘーゲルではなくカントに依拠するべきだった。
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
集合的トーテムは世襲
個人的トーテムは個人獲得
性的トーテムは両方
つまり
集合的
個人的 X
両方の特質をプラスに捉えるならアソシエーション=Xを性的トーテムとして考えることもできた。
共同幻想
個人幻想 対幻想
と図示できたのだ。
吉本の言説を文字通り単純に解釈すると、
共同幻想|対幻想(家族)
平等| 博愛
____|____平等
個人幻想| X
自由|
自由
となり、各幻想の下にそれぞれの理念が対応する。
柄谷のいうアソシエーションが足りないのだ。
国家は平等を建前にするから柄谷の見たてと逆になる。
吉本は左下に自由を見るが、アソシエーションと区別がつかない。
資本主義と市場経済の違いがわからないからだ。
対幻想にアソシエーションの可能性もあったがこれを吉本は家族に回収した。
ヘーゲルではなくカントに依拠するべきだった。
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレーザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
集合的トーテムは世襲
個人的トーテムは個人獲得
性的トーテムは両方
つまり
集合的
個人的 X
本来なら、両方の特質をプラスに捉え、アソシエーション=Xを性的トーテムとして考えることもできた。
共同幻想
個人幻想 対幻想
と柄谷の見たて通り図示できたのだ。
最近の柄谷は吉本が広げた風呂敷を閉じようとしていて、今、両者ともに読むと面白い。
吉本の最初のドゥルーズ評は自身を唯心論、ドゥルーズを唯物論と卒直に規定していて
これも面白い。全集撰3?でしか読めないかも、、、、
おすすめはフーコーとの対談が載った「世界認識の方法」でkindle,ibooksで読める。
フーコーの引き立て役になってるだけだが、フーコー論として吉本はいい指摘(ニーチェとの
類似性)もしている。
吉本はカントをちゃんと読んでなかったから柄谷に越されたが、自分を含めた下手な
ドゥルジアンよりはヘーゲルを読み込んでいる。そこは認めたい。
例:自由主義経済思想
____
/アイデア\
/ 思想 \
|イデオロギー__|
|___ / |\
/| \ | \
/ \ | \ / |
| \|__|/ |
| | |数学モデル|
| 現実 \ | /
\ /____/
\____/ 例:一般均衡モデル
例:社会主義の崩壊
図3.51 現実・思想・モデルの関係 神取2014:256頁より
柄谷行人「思考と抽象 柳田国男試論⑴」 : 柄谷行人を解体する
http://makorin.blog.jp/archives/52007952.html
2014年04月17日
柄谷行人「思考と抽象 柳田国男試論⑴」
柄谷行人「思考と抽象 柳田国男試論⑴」
吉本(隆明)氏は柳田の方法を「無方法の方法」とよんだが、私はそうは思わぬ。彼の中には一貫した方法がある。たしかに、柳田学は体系的ではない。それなら、モンテーニュの『エセー』が体系的でないという理由で、これを利用すべき(キリスト教)反キリスト教もなまの素材といってよいだろうか。モンテーニュの『エセー』には、その叙述形式とはべつに一つの明瞭な内的体系がある。
同じように、柳田学の中にも一見そうみえるものとはべつの一つの内的体系がある。それをつかむかわりに、柳田学を体系化しようとすることは”抽象“の本質とは無縁である。むしろ柳田はその種の抽象が自己完結したとたんに、いつも別の相貌を以てあらわれる、私は何を知っているか、という永遠的な問いかけがそこにあらわれるのである。
吉本隆明「情況への発言(一九七四年三月) 切れ切れの思想」
『試行』第四〇号 一九七四年三月二十日
『完本 情況への発言』(洋泉社)
わたしが、柳田について感想をのべたのは、柄谷の引用している「無方法の方法」という十枚前後の月報文章だけにちかい、といってよい。
柄谷のここでやっている詐術は、まず、わたしがまとまった柳田国男論をやり、それを「無方法の方法」というところに集約していると、読者に印象づける書きっ振りをしているところにある。第二の詐術は、わたしの〈方法〉と〈体系〉が、柄谷のこの雑文ごときで片がつくと読者に思わせようとしているところにある。
わたしの〈方法〉の背後にも〈体系的叙述〉の背後にも、柄谷の言いぐさをかりれば「その叙述形式とはべつに一つの明瞭な内的体系」があることを、見てみぬふりをしているにすぎない。柄谷が、〈ブント〉についていた頃は、「年から年中騒ぎ立てている急進主義者」(柄谷自身の言葉―註)であり、〈柳田国男〉を試論すれば、たちまち「世間」とか「分別」とかを尊重する若年寄に変貌してしまう、といっただらしなさや、小利巧さや、幼稚さを挙げつらっても仕方がない。「内省の学」ではないような学問は空疎な知識だという柄谷の文章のどこに、柄谷の現在軽蔑する「急進主義者」から「世間」や「分別」に感心する小廻りのきく〈オポチュニスト〉に変貌した過程への「内省」があるのか。
まことに、柄谷のいうとおり「変えるということは『反省』することにほかならない」のだ。
柄谷の詐術はもっとある。たとえば柄谷が「柳田を批判する急進主義者に欠けているのは、知るということ自体のラディカリズムである。また、柳田が土着思想を発掘したなどというのは甚だしい迷妄である」と書くとき、ほとんどハレンチとしかいいようのない詐術をやっている。
あるいは、柄谷が勝手につくりだした俗耳に入りやすい標的かもしれないと思う。
それを推察できないとすれば、柄谷が頓馬であることを物語っているか、あるいは柄谷が故意に知らぬふりをして「甚だしい迷妄である」などという、カッコイイ見得を切りたいつまらぬ男であることを証明しているにすぎない。
柳田国男など、ろくに読んだこともないで書いている柄谷には、いい薬になるから記しておこう。
わたしに附き合えないのに、文壇のメダカ批評家である柄谷などに附き合えるはずがない。わたしは「世間」とか「分別」とかいうものの内実を、実践的に拒否するがゆえに、対象化の欲求をもつので、それ以外に「世間」の概念に感心した振りをしているのは、アランのような西洋的な思想コットウ屋か、生イカを喰べれば色白になると言われて、生イカを喰べて本当に色白になってしまう女とおなじく、対象に乗り移って、ほんとうに対象そのものと同じように自分を錯覚してしまう柄谷のようなミイハア批評家だけである。わたしは、柳田国男に比べれば、お前などはコケだといわれても、わらって我慢してもよいが、柄谷ごときにコケあつかいされるような仕事をしてきた覚えはない。
日本共産党の理論(?)機関誌『前衛』(一九七四年一月)に、「吉本隆明氏によるマルクス主義の『変革』」という、ポンチ絵まがいの批判を書いている野村昂という人物も、柄谷とは立場こそちがえ、おなじ病いとしかいいようがない。
いったい柄谷にしろ、この野村という人物にしろ、わたしの仕事を、だしにつかったり批判したりするのに、一カ月のやっつけ仕事で可能だと思っているのか。
(一九七四・一・二三)
『柳田国男研究 』(筑摩書房1973年) [古書] 神島 二郎 (編集)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J9FVFQ/
本書に所収された三島由紀夫の柳田国男に関するエッセイには吉本隆明への言及がある。
三島は死の直前、吉本と対談したがっていたそうだが、『共同幻想論』「他界論」における
死に関する記述*が三島の目に止まったのだということが分かる。
その他、折口信夫、吉本隆明、花田清輝、(及び中村哲)等、柄谷行人が『柳田国男論』(及び
『遊動論』)で引用した文献が並ぶ。目新しさはないがお得感がある。
*
以下、共同幻想論 by 吉本隆明より、
三島由紀夫が「名著再発見『遠野物語』」(1970年6月12日読売新聞)で引用した箇所。
「ここまできて、わたしたちは人間の〈死〉とはなにかを心的に規定してみせることができる。
人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで共同幻想に〈侵蝕〉された状態を〈死〉と
呼ぶというふうに。〈死〉の様式が文化空間のひとつの様式となってあらわれるのはそのため
である。」(『共同幻想論』文庫旧版122頁)
「言語にとって美とはなにか」を読んで、指示表出とか自己表出ってのが良く分からなかったが
柄谷行人が「あれは夏目漱石が言ってる、Fプラスfだ」って本で言ってて、ちょっと理解できた気がした
Fが指示表出で、fが自己表出なんだな
対幻想は
和辻倫理学の
二人共同体に似ている
対幻想は共同幻想に対して
ヘーゲル的には安定だし
フロイト的には破壊だ
吉本は両方提示しているが
最終的には共同幻想に従属させるに至る
というのは
家族(対幻想)→国家(共同幻想)→近代国家(自己幻想)
という
日本の歴史をそのまま反映させているから
ラカンのような構造主義的自覚が足りない
対幻想は、セックスのかかわる家族の次元の領域の問題
幻想はマルクス唯物論がおろそかにしてきた部分の意識化を意味する
世界認識の方法
インタビュアー
(1)共同幻想=国家、法、宗教 (2)対幻想=セックス、家族 (3)個人(自己)幻想=芸術、文学 の三つの軸を設定して、この三つの軸の相互関係を解明していけば〈幻想〉領域は統一的に解明できるのではないか…
これだと経済の位置がわからない
吉本はアダムスミスを基礎においているが
無価値はネーションに置かれるべきものだ
対幻想は、セックスのかかわる家族の次元の領域の問題
(幻想はマルクス=唯物論がおろそかにしてきた部分の意識化を意味する)
(1)共同幻想=国家、法、宗教 (2)対幻想=セックス、家族 (3)個人(自己)幻想=芸術、文学
の三つの軸を設定して、この三つの軸の相互関係を解明していけば〈幻想〉領域は統一的に
解明できるのではないか…
あたかも特殊な利益と共同の利益とのこの矛盾から共同の利益は国家として、----現実的な個別的および総体的利益から切り離されていると同時に幻想的な共同性として独立した---- 形態をとるようになる
(「ドイツ・イデオロギー」大月版ME全集旧版3巻29頁)
わかりにくいとは思うけど、この文章をどう思う?
論じてる対象はまったく違うけど、これがたぶん、共同幻想論の直接の源流。
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレイザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
参考:
フレイザー『トーテミズム』(未邦訳?)
Sir James George Frazer Totemism(1887 全96頁)
http://www.masseiana.org/totemism.htm#2
原書2頁に clan totem, sex totem, individual totem
の分類がある。
ヘーゲルの場合は段階的な発展を意味してしまう
吉本の場合、個々の幻想は構造的に互いに抑制し合うから
ラカンのボロメオの輪に近い
広い意味でヘーゲルの読み替えということもできるが
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298頁では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレイザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
以下はちくま文庫版上より
2:4
《 集合的トーテミスムと個人的トーテミスムとのあいだには、どちらともよく似た中間形態が存在している。
それは性的トーテミスムである。…
このように、この動物守護者は、氏族のトーテムが氏族集団に対して果たすのと同じ役割を、各々の性別
社会に対して果たしている。したがって性的トーテミスムという表現──これはフレーザーから借用したの
だが(58)*──は当を得ている。…
実際それらは、部族のすべては一組の神話的存在から生じたとされていることに起因している。そのような
信念は、部族的な感情が十分な力を手に入れ、氏族の個別主義に抗してある程度まで優位に立つようになっ
たことを、まさに含意しているように思われる。》
(『宗教生活の基本形態(全)──オーストラリアにおけるトーテム体系)エミール・デュルケーム山亮訳)
*
フレイザー『トーテミズム』(未邦訳)
Sir James George Frazer Totemism(1887 全96頁)
http://www.masseiana.org/totemism.htm#2 リンク切れ
https://archive.org/details/totemism01frazgoog
原書2頁に clan totem, sex totem, individual totem の分類がある。
吉本の新しさは三者をそれぞれが牽制し合うシステムと位置付けたことである。
それはカント三批判書のポストモダン的読解に似ている
日本神話における性的トーテムの強調は中国に、伝説におけるそれは皇室に対抗したものであろう。
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298頁では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレイザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
以下はちくま文庫版上より
2:4
《 集合的トーテミスムと個人的トーテミスムとのあいだには、どちらともよく似た中間形態が存在している。
それは性的トーテミスムである。…
このように、この動物守護者は、氏族のトーテムが氏族集団に対して果たすのと同じ役割を、各々の性別
社会に対して果たしている。したがって性的トーテミスムという表現──これはフレーザーから借用したの
だが(58)*──は当を得ている。…
実際それらは、部族のすべては一組の神話的存在から生じたとされていることに起因している。そのような
信念は、部族的な感情が十分な力を手に入れ、氏族の個別主義に抗してある程度まで優位に立つようになっ
たことを、まさに含意しているように思われる。》
(『宗教生活の基本形態(全)──オーストラリアにおけるトーテム体系)エミール・デュルケーム山亮訳)
*
フレイザー『トーテミズム』(未邦訳)
Sir James George Frazer Totemism(1887 全96頁)
http://www.masseiana.org/totemism.htm#2 リンク切れ
https://archive.org/details/totemism01frazgoog
原書2頁に clan totem, sex totem, individual totem の分類がある。
日本神話における性的トーテムの強調は中国に、伝説におけるそれは皇室に対抗したものであろう。
吉本の新しさは三者(集合、個人、性的)をそれぞれが牽制し合うシステムと位置付けたことである。
それはカント三批判書のポストモダン的読解に似ている
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298頁では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレイザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
以下はちくま文庫版上より
2:4
《 集合的トーテミスムと個人的トーテミスムとのあいだには、どちらともよく似た中間形態が存在している。
それは性的トーテミスムである。…
このように、この動物守護者は、氏族のトーテムが氏族集団に対して果たすのと同じ役割を、各々の性別
社会に対して果たしている。したがって性的トーテミスムという表現──これはフレーザーから借用したの
だが(58)*──は当を得ている。…
実際それらは、部族のすべては一組の神話的存在から生じたとされていることに起因している。そのような
信念は、部族的な感情が十分な力を手に入れ、氏族の個別主義に抗してある程度まで優位に立つようになっ
たことを、まさに含意しているように思われる。》
(『宗教生活の基本形態(全)──オーストラリアにおけるトーテム体系)エミール・デュルケーム山亮訳)
*
フレイザー『トーテミズム』(未邦訳)
Sir James George Frazer Totemism(1887 全96頁)
http://www.masseiana.org/totemism.htm#2 リンク切れ
https://archive.org/details/totemism01frazgoog
原書2頁に clan totem, sex totem, individual totem の分類がある。
日本神話における性的トーテムの強調は中国に、伝説におけるそれは皇室に対抗したものであろう。
吉本の新しさは三者(集合、個人、性的)をそれぞれが牽制し合うシステムと位置付けたことである。
それはラカンやカント三批判書のポストモダン的読解に似ている
デュルケム『宗教生活の原初形態』岩波上298頁では、
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレイザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
以下はちくま文庫版上より
2:4
《 集合的トーテミスムと個人的トーテミスムとのあいだには、どちらともよく似た中間形態が存在している。
それは性的トーテミスムである。…
このように、この動物守護者は、氏族のトーテムが氏族集団に対して果たすのと同じ役割を、各々の性別
社会に対して果たしている。したがって性的トーテミスムという表現──これはフレーザーから借用したの
だが(58)*──は当を得ている。…
実際それらは、部族のすべては一組の神話的存在から生じたとされていることに起因している。そのような
信念は、部族的な感情が十分な力を手に入れ、氏族の個別主義に抗してある程度まで優位に立つようになっ
たことを、まさに含意しているように思われる。》
(『宗教生活の基本形態(全)──オーストラリアにおけるトーテム体系)エミール・デュルケーム山亮訳)
*
フレイザー『トーテミズム』(未邦訳)
Sir James George Frazer Totemism(1887 全96頁)
http://www.masseiana.org/totemism.htm#2 リンク切れ
https://archive.org/details/totemism01frazgoog
原書2頁に clan totem, sex totem, individual totem の分類がある。
日本神話における性的トーテムの強調は中国に、伝説におけるそれは皇室に対抗したものであろう。
吉本の新しさは三者(集合、個人、性的)をそれぞれが牽制し合うシステムと位置付けたことである。
それはカント三批判書のポストモダン的読解及びラカンに似ている
837 考える名無しさん[sage] 2020/12/04(金) 16:05:45.86 ID:0
>>836
>人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで共同幻想に〈侵蝕〉された状態を〈死〉と呼ぶ
でもこれは自殺のことではないよ。
これもマルクスの言葉のリライト。
すぐ引用できないけど、個体の死は共同性の連続として乗り越えられるとか何とかいうところ。
838 考える名無しさん[sage] 2020/12/04(金) 16:46:33.36 ID:0
見つけた。
「死は個人にたいする類の冷酷な勝利のようにみえ、そして両者の統一に矛盾するようにみえる。しかし特定の個人はたんに一つの特定の類的存在であるにすぎず、そのようなものとして死をまぬがれないものなのである。」
(『経済学哲学草稿』ー私有財産と共産主義)
ご教授ありがとうございます。
ちなみにマルクスも参照したであろうヘーゲル『エンチクロペディ』では、
《δ 個体のおのずからなる死
三七五
… この不適合性の止揚は、それ自身このような運命の完成である。個体は、その個別性を普遍性へ馴化することによって、この不適合性を止揚するのであるが、しかしその個別性を普遍性へ馴化して見ても、その普遍性が抽象で直接的なものであるかぎり、単に抽象的な客観性に達するのみであり、個体の活動は、そのなかで鈍化し硬化してしまい、生命は、無過程な習性に化し去り、こうして個体は、みずから己れ自身を殺すのである。
三七六
しかし普遍性とのこのような同一性に達しても、それは、形式的な対立、すなわち、
直接的な個別性と個体性が持っている普遍性との対立、の止揚であり、しかも
それは自然的なものの死という単なる一面、ただし抽象的な一面に達したに
すぎない。しかし主体性は、生命という理念においては概念である。したがっ
て主体性は、自体的には現実性の絶対的な自己内存在であり、具体的な
普遍性である。主体性は、その実在性の直接性を、ただいま示したように
止揚することによって、自己自身と合致するに至る。》
かくして、思惟と存在とはたしかに区別されはするのだけれど、しかし同時におたがいに統一されているのだ。
死というものは、限定された個人にたいする類の過酷な勝利であって、おたがいの統一に矛盾しているようにも見える。けれども、限定された個人とは、限定された類的本質存在にほかならないのであるから、そのようなものとして、死すべきものである。
「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。
アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」
(プルードン『革命と教会における正義』未邦訳、斉藤悦則氏のHPより)
http://www.kagomma.net/saito/works.html
矛盾と生きる――プルードンの社会主義(91.10)
http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
- 1858 - De la justice dans la Révolution et dans l’Eglise - Tome I ☆
この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている。
ちなみにマルクスも参照したであろうヘーゲル『エンチュクロペディ』では、
《δ 個体のおのずからなる死
三七五
… この不適合性の止揚は、それ自身このような運命の完成である。個体は、その
個別性を普遍性へ馴化することによって、この不適合性を止揚するのであるが、しかし
その個別性を普遍性へ馴化して見ても、その普遍性が抽象で直接的なものである
かぎり、単に抽象的な客観性に達するのみであり、個体の活動は、そのなかで
鈍化し硬化してしまい、生命は、無過程な習性に化し去り、こうして個体は、
みずから己れ自身を殺すのである。
三七六
しかし普遍性とのこのような同一性に達しても、それは、形式的な対立、すなわち、
直接的な個別性と個体性が持っている普遍性との対立、の止揚であり、しかも
それは自然的なものの死という単なる一面、ただし抽象的な一面に達したに
すぎない。しかし主体性は、生命という理念においては概念である。したがっ
て主体性は、自体的には現実性の絶対的な自己内存在であり、具体的な
普遍性である。主体性は、その実在性の直接性を、ただいま示したように
止揚することによって、自己自身と合致するに至る。》
ちなみにマルクスも参照したであろうヘーゲル『エンチュクロペディ』では、
《δ 個体のおのずからなる死
…
三七六
しかし普遍性とのこのような同一性に達しても、それは、形式的な対立、すなわち、
直接的な個別性と個体性が持っている普遍性との対立、の止揚であり、しかも
それは自然的なものの死という単なる一面、ただし抽象的な一面に達したに
すぎない。しかし主体性は、生命という理念においては概念である。したがっ
て主体性は、自体的には現実性の絶対的な自己内存在であり、具体的な
普遍性である。主体性は、その実在性の直接性を、ただいま示したように
止揚することによって、自己自身と合致するに至る。》
ちなみにマルクス、吉本も批判的に参照したであろうヘーゲル『エンチュクロペディ』では、
《δ 個体のおのずからなる死
…
三七六
しかし普遍性とのこのような同一性に達しても、それは、形式的な対立、すなわち、
直接的な個別性と個体性が持っている普遍性との対立、の止揚であり、しかも
それは自然的なものの死という単なる一面、ただし抽象的な一面に達したに
すぎない。…》
結局、マルクスも吉本もヘーゲルから脱することはなかった。
それは彼らが弁証法を信じていたからだ。
「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。
アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」
(プルードン『革命と教会における正義』未邦訳)
http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている。
人類がヘーゲルから脱するには柄谷の交換図というヘーゲル体系の代替物が必要だった。
ちなみにマルクスや吉本も批判的に参照したであろうヘーゲル(『エンチュクロペディ』)は
こう書いている。
《δ 個体のおのずからなる死
…
三七六
しかし普遍性とのこのような同一性に達しても、それは、形式的な対立、すなわち、
直接的な個別性と個体性が持っている普遍性との対立、の止揚であり、しかも
それは自然的なものの死という単なる一面、ただし抽象的な一面に達したに
すぎない。…》
結局、マルクスも吉本もヘーゲルから脱することはなかった。
それは彼らが弁証法を信じていたからだ。
「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。
アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」
(プルードン『革命と教会における正義』未邦訳)
http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている。
人類がヘーゲルから脱するには柄谷の交換図というヘーゲル体系の代替物が必要だった。
slowslow2772
@slowslow2772
《集合的トーテミスムと個人的トーテミスムとのあいだには、どちらともよく似た中間形態が存在している。それは性的トーテミスムである。…性的トーテミスムという表現──これはフレーザーから借用したのだが──は当を得ている》
『宗教生活の基本形態』デュルケーム
nam-students.blogspot.com/2013/10/blog-p…
2023/09/27 22:33
https://x.com/slowslow2772/status/1707025575469334729?s=61
集合的トーテミズムと個人的トーテミズムとの間には、性的トーテミズムがあるとされる。
フレイザー経由のこの概念が対幻想として吉本へ受け継がれたのだろう。
参考:
フレイザー『トーテミズム』(未邦訳?)
Sir James George Frazer Totemism(1887 全96頁)
http://www.masseiana.org/totemism.htm#2 リンク切れ
https://archive.org/details/totemism01frazgoog
原書2頁に clan totem, sex totem, individual totem
の分類がある。
ちくま上
宗教生活の基本形態(全)──オーストラリアにおけるトーテム体系エミール・デュルケーム山亮訳
2:4
集合的トーテミスムと個人的トーテミスムとのあいだには、どちらともよく似た中間形態が存在している。それは性的トーテミスムである。これはオーストラリアにのみ、しかも少数の部族においてのみ見られる。それはとりわけ、ヴィクトリア州やニュー・サウスウェールズ州において報告されている(55)。マシューズが、自分が訪れたオーストラリアのすべての場所でこれが観察された、と言明しているのは事実だが、しかし彼の断定を支持するだけの明確な事実は報告されていない(56)。
これらさまざまな民族においては、それぞれどのような個別の氏族に所属していても、一方では部族のすべての男性が、他方ではすべての女性が、二つの異なる社会のようなものを形成していて、それらは対立さえしている。ところで、これら二つの性別団体は、特定の動物と神秘的な絆によって結びついていると信じられている。クルナイ族では、すべての男性は、エミュームシクイ(イエールングYeerùng〔*6〕)の兄弟とみなされており、すべての女性はルリオーストラリアムシクイ〔*7〕(ディートグンDjeetgùn)の姉妹とみなされている。男性はみなイエールングであり、女性はみなディートグンなのである。ウォトジョバルク族やウルンジェリ族では、コウモリとヨタカnightjar(フクロウの一種)とが、それぞれこの役割を果たしている。また別の部族では、キツツキがヨタカと入れ換わっている。各々の性は、このように縁続きの動物を、最大の敬意をもって扱うにふさわしい守護者とみなすのであり、したがって、この動物を殺したり食べたりすることは禁じられるのである(57)。
このように、この動物守護者は、氏族のトーテムが氏族集団に対して果たすのと同じ役割を、各々の性別社会に対して果たしている。したがって性的トーテミスムという表現──これはフレーザーから借用したのだが(58)──は当を得ている。この新種のトーテムはとりわけ、それもまた集合的であるという意味において氏族のトーテムに類似している。それは無差別に、同じ性の諸個人全員のものとなるのである。それは、動物守護者と、対応する性とのあいだに、系譜関係や血縁関係が含意されているという点でも、氏族のトーテムに類似している。クルナイ族では、すべての男性はイエールングの、またすべての女性はディートグンの血を引いているとみなされている(59)。一八三四年にこの奇妙な制度を最初に指摘した観察者は、次のような言葉でこれを記述している。「女たちは、ティルムンというツグミ大の小鳥(これはキツツキの一種である)が最初に女を作った、とみなしている。この鳥は、女だけが崇敬しているのである(60)」。それゆえこれは大祖先なのである。しかし他方ではこの同じトーテムは、個人的トーテムにも似ている。実際、性別集団の各構成員は、対応する動物種の特定の個体に個人的に結びついている、と信じられている。両者の生命は、その動物の死が人間の死をも引き起こすほど、きわめて緊密に連結されている。「コウモリの生命は人間の生命だ(61)」とウォトジョバルク族は言う。これこそは、単に各々の性がそのトーテムを尊敬するばかりではなく、もう一方の性の構成員も等しくこれを尊敬するよう義務づけられていることの理由なのである。この禁忌のどのような違反でも、男女のあいだに(62)、まさに流血の乱闘を引き起こすのである。
結局のところ、これらの[性的]トーテムにおいて真に独自なのは、それらがある意味では部族のトーテムに近いという点である。実際それらは、部族のすべては一組の神話的存在から生じたとされていることに起因している。そのような信念は、部族的な感情が十分な力を手に入れ、氏族の個別主義に抗してある程度まで優位に立つようになったことを、まさに含意しているように思われる。男性と女性とで異なる起源が割り当てられているという事実に関してはもちろん、両性が分離状態で生活していることにその理由を求めなけれねばならない(63)。
(56)[Mathews,"[EthnologicalNotesonthe]AboriginalTribes[ofN.S.WalesandVictoria]",inJournalandProceedingoftheR.SocietyofN.S.Wales,XXXVIII,[1904,]p.339.ワラムンガ族の以下の慣習のなかにも性的トーテミスムの痕跡を見出すべきであろうか。死者を埋葬する前に腕の骨が取って置かれ、女性の場合には、この骨を包んだ樹皮にエミューの羽毛が、男性の場合にはミミズクの羽毛が、添えられるのである(North.Tr.,p.169)。
(57)各々の性別集団が二つの性的トーテムをもつ事例も挙げられている。こうしてウルンジェリ族はクルナイ族の性的トーテム(エミュームシクイとルリオーストラリアムシクイ)とウォトジョバルク族の性的トーテム(コウモリとヨタカモリフクロウ)とを併せもつようになったのであろう。Howitt,Nat.Tr.,p.150を見よ。
(58)J.G.Frazer,Totemism,[Edinburgh,Adam&CharlesBlack,1887,]p.51.(59)FisonetHowitt,KamilaroiandKurnai,p.215.(60)Mathews,loc.cit.,p.339に引用されたスレルケルト【二版以降はThrelldkeとあるが、これは誤植で初版のThrelkeldが正しい(原典p.236,n.2)】[の言葉]。(61)Howitt,Nat.Tr.,pp.148,151.(62)[FisonetHowitt,]KamilaroiandKurnai,pp.200203;Howitt,Nat.Tr.,p.149;Petrie,op.cit.,p.62.クルナイ族では、これら流血の争いはしばしば結婚によって終止符が打たれるのであり、これらの争いはこの結婚の儀礼上の前触れのようなものなのである。また時には、これらの乱闘が単なる遊びになることもある(Petrie,loc.cit.)。(63)この点に関しては、近親婚の禁止とその起源についての私の研究([E.Durkheim,]"Laprohibitiondel'incesteetsesorigines",inl'Annéesociologique,I,[1898,]pp.44etsuiv.)を見よ[小関藤一郎訳「近親婚の禁止とその起源」(同編訳『デュルケーム家族論集』川島書店、一九七二年)]。
(64)しかしながらもっと後(第二部第九章)で、性的トーテムと大神とのあいだに、ある関係が存在していることを見ることになる。
訳註
*1この箇所は初版のpraenomenが、二版以降prœnomenと誤植になっている。*2この箇所は初版ではcérémoniesreligieusesparticulièrementimportantesであったものが、二版以降、particulièrementの直前にtoutが付加されて強調されている。ここでは後者による(原典p.224)。*3この箇所は初版ではavoirの三人称単数形のaであったものが、二版以降possèdeとなって強調されている。ここでは後者による(原典p.224)。*4この箇所は初版ではdesesmembresとなっていたものが、二版以降d'entresesmembresと明確にされている(原典p.227)。*5初版から現行版まで一貫してYarraikannaとあるが、これは誤植で、Yaraikannaが正しい(原典p.232)。*6Yeerùngと次に出てくるDjeetgùnのùは初版ではŭと表記されていた。*7原語はsuperbefaubetteであり、新英訳ではlinnetとなっている。HowittのNat.Tr.,p.150ではtheSuperbWarblerとなっている。現在ではSuperbFairywarenないしはSuperbBluewarenと呼ばれ、学名はMaluruscyaneusである。オーストラリア南東部にのみ分布する固有種の鳥。