http://www.freeassociations.org/
NAMs出版プロジェクト: 軍事関連:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_8677.html石川達三の『生きている兵隊』の中国語訳。翻訳は各種あるようだ。南京大虐殺を扱っている。死者の数は5万と書いていたはずだが、中国語訳ではどうなっているのか今度確認したい(*)。
作品としては日本兵のPTSDを扱っていて秀逸だ。日本語版は中公文庫から。
《十二月十三日、西沢部隊は峯つづきの天文台を通って山を下り城外を迂回して下関停車場に入り更に輛頭に出て、一ヶ月あまりで再び揚子江の水を見た。友軍の城内掃蕩はこの日もっとも湊壮であった。南京防備軍総司令[官]唐生智は昨日のうちに部下の兵をまとめて担江門から下関に逃れた。担江門を守備していたのは広東の兵約二千名であった。彼等はこの門を守って支那軍を城外に一歩も退却させない筈であった。唐生智とその部下とはトラックに機銃をのせて、この担江門守備兵に猛烈な斉射をあびせながら城門を突破して下関に逃れたのであった。》
*
活着的士兵-戦争系列文集
http://www.frelax.com/cgilocal/getitem.cgi?db=book&ty=id&id=HZDS257420商品名: | 活着的士兵-戦争系列文集 |
価格: | 1320円(税込.送料無料) |
商品コード: | HZDS257420 |
編著者: | (日)石川達三 著 唐卉 訳 |
出版社: | 中国广播電視 |
サイズ: | 16開 |
装幀: | 平装 |
ページ: | 161 |
出版年月: | 2008年3月 |
ISBN: | 7504355038 |
ISBN13: | 9787504355034 |
分類: | 日本 |
在庫状況: | 取り寄せ(海外から) |
活着的士兵 (豆瓣)
http://book.douban.com/subject/2006206/
2 Comments:
「便衣兵の処刑」という勘違い
http://www10.ocn.ne.jp/~war/beni.htm
月曜日いっぱい、市内の東部および北西地区で戦闘を続ける中国軍部隊があった。しかし、袋のねずみとなった中国兵の大多数は、戦う気力を失っていた。何千という兵隊が、外国の安全区委員会に出頭し、武器を手渡した。委員会はその時、日本軍は捕虜を寛大に扱うだろうと思い、彼らの投降を受け入れる以外になかった。たくさんの中国軍の集団が個々の外国人に身を委ね、子供のように庇護を求めた。
(F・ティルマン・ダーディン発、1938年1月9付「ニューヨークタイムズ」
・・・・青木書店「南京事件資料集①アメリカ編」P-436,437)
「本部に戻ると、入り口にすごい人だかりがしていた。留守の間に中国兵が大勢おしかけていたのだ。揚子江を渡って逃げようとして、逃げ遅れたに違いない。我々に武器を渡したあと、彼らは安全区のどこかに姿を消した。シュペアリング(エドゥアルト・シュペアリング、「上海保険公司」所属のドイツ人、安全区委員会のメンバー)は非常に厳しい堅い表情で正面玄関にたち、モーゼル拳銃を手に、といっても弾は入っていなかったが、武器をきれいに積み上げさせ、ひとつひとつ数えさせていた。あとで日本軍に引き渡さなくてはならない」
(ジョン・H・D・ラーベ「南京の真実」)
★★★★これらの資料を読むにあたってのポイント★★★★
1.小銃を破壊し、燃やしたのが兵士であるか市民であるか定かではないが、
少なくとも落とし主は小銃の再使用について全く考慮していなかったと思われる。
2.銃器を保持していれば日本軍に必ず殺されるということが
南京の一般市民の間でも常識だったようである。
3.安全区に逃げ込んだ兵士たちは自分の銃器の処分を安全委員会に委ねたこと。
銃器をどこかに隠匿し、再起に備えるつもりなど毛頭なかったようだ。
4.安全区に逃げ込むだけなら、どこからでも忍び込めばいいのに、
わざわざ本部まで出向いて武器を委員に手渡さずにはいられなかったこと。
日本軍からの追撃から逃げ回るだけでなく、安全委員会の保護を求めていたこと。
よほど日本軍の凶行を恐れていたのであろう。
以上から、安全区に逃げ込んだ兵士には全く抗戦する意思を無くしていたと言える
【産経/南京「30万人」の虚妄】NYタイムズ元東京支局長ヘンリー・S・ストークス氏に聞く「責任は敵前逃亡した蒋介石に」[12/28] [転載禁止]©2ch.net
1 :ロンメル銭湯兵 ★@転載は禁止:2014/12/29(月) 07:49:23.64 ID:???
【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(4)前半】 騒動に巻き込まれた英国人
中国が主張する「南京大虐殺」は「事実ではない」と主張する英国人ジャーナリストがいる。米紙ニューヨーク・タイムズ元東京支局長で
日本滞在50年のヘンリー・S・ストークスだ。「歴史の事実として『南京大虐殺』はなかった。中華民国政府が捏造(ねつぞう)した
プロパガンダ(謀略宣伝)だった」と強調する。
昨年12月に発売した著書『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)は10万部を超えるベストセラーとなった。
ところが、この本をめぐってストークスは今年5月、共同通信の記事により「歴史騒動」に巻き込まれた。
共同通信が5月8日に配信した記事で、問題とした記述は次の通りだ。
「国際委員会の報告によれば、南京に残っていた人口は、南京戦の時点で20万人だった。しかし、南京が陥落してから人口が増え始め、
翌1月には、25万人に膨れ上がった。戦闘が終わって治安が回復されて、人々が南京へと戻ってきたのだ。このことからも『南京大虐殺』など
なかったことは、明白だ」
共同はこの箇所について「著者に無断で翻訳者が書き加えていた」と伝えた。同書は国際ジャーナリストの藤田裕行が翻訳した。
翌9日、ストークスは祥伝社を通じ「共同通信の記事は著者の意見を反映しておらず、誤り」「本書に記載されたことは、全て著者の見解。
訂正する必要はない」との声明を発表した。
藤田も「共同の記者には問題とされた部分についてのストークスの英文見解をEメールし、誤解ないよう電話で念押しをした。
記者は『指摘があったことは了解した』と答えたが、直後に無視し記事を配信した。明らかに意図的な捏造で悪意のある虚報だ」と語る。
共同通信社総務局は9日、「翻訳者同席の上で元支局長に取材した結果を記事化した。録音もとっている」と反論した。
あれから7カ月、ストークスは「記者の質問の趣旨を誤解して答えた。だから共同の記事の内容は自分の意見ではない」としたうえで、
「南京大虐殺」がなぜ「事実でない」との結論にたどり着いたかを語り始めた。(敬称略)。
産経ニュース 2014.12.28 09:38
http://www.sankei.com/world/news/141228/wor1412280008-n1.html
【歴史戦 第8部 南京「30万人」の虚妄(4)後半】 「責任は敵前逃亡した蒋介石に」 NYタイムズ元東京支局長に聞く
(画像:滞日50年の英国人記者のヘンリー・ストークス氏)
http://www.sankei.com/images/news/141228/wor1412280009-p1.jpg
--なぜ『南京大虐殺』は事実ではないのか
「文献によると、南京市内のあちこちで散発的な暴力行為はあったが『大虐殺』という言葉を使って南京で起きたことを語るべきではない。
虐殺はとても血なまぐさく目撃した人の記憶に残るものだが、むしろ日本軍が占領したことで、治安が回復した。『虐殺』より『事件』と呼ばれるべきだ」
--その理由は
「そもそも国民政府の蒋介石や軍幹部が首都陥落直前に敵前逃亡し、南京ではあまり戦闘はなかった。中国兵が軍服を脱いで
(民間人に偽装した)便衣兵や不良捕虜となったため、日本軍は処断を余儀なくされた。こうした捕虜の処断は国際法に準じて行われたが、
大量に処断された。このことは悲惨だった。ただし、日本軍による中国人の処断の数について中国政府が主唱し、一部の識者が追随している
万の単位を超えるようなものではなく、20万、30万人という虐殺などあったはずはない。中国の反日プロパガンダ(謀略宣伝戦)だ。
(事態を招いた)責任は第一義的に敵前逃亡した国民政府にある。日本軍だけに責任を負わせるのは非道で、蒋介石の責任が問われるべきだ」
--「外交は無形の戦争である」と語った蒋介石は国際情報戦に力を入れた
「国民政府は戦わず情報戦を仕掛けた。中央宣伝部が巧みに欧米のジャーナリストを取り込み『大虐殺』を捏造(ねつぞう)した」
(>>2以降に続く)
関連スレ
【産経/南京「30万人」の虚妄】アイリス・チャンの“業績”を踏襲せよ! 米の教科書に堂々と載る「40万人虐殺」[12/26] [転載禁止]©2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1419737046/l50
2 :ロンメル銭湯兵 ★@転載は禁止:2014/12/29(月) 07:50:07.46 ID:???
(>>1の続き)
・英語で立場発信を
--著書では、慰安婦問題について「実体は、『性奴隷』では全くない。『売春婦』だ」と記した
「中国と韓国は日本が反論しないため、捏造してプロパガンダを繰り返し、欧米のメディアが追随している。『南京』も『慰安婦』も、
このままでは世界から糾弾され続ける。日本は全ての事実を明らかにし、英語で日本の立場を世界に発信してゆくべきだ。
訴え続けなければ歴史的事実として確定してしまう」
--『虐殺』の存在を否定した欧米人ジャーナリストとなった
「この10年で北村稔、東中野修道ら日本の学者によって研究が進み、中国側史料からもいわゆる『虐殺』はなかったということが
明白になってきたからだ。日本を深く知れば知るほど、『南京虐殺』に対する認識が変わった」
--他の欧米ジャーナリストから批判されたか
「出版以来、外国特派員の同僚や英国の友人から『クレージー』『子供じみている』など多くの批判を受けた。しかし、仲間から『リビジョニスト
(歴史修正主義者)』『右翼』などと呼ばれようと自分の主張は変えない。この主張に自分の存在をかけている。たとえ1人で孤立しても、
それを誇りに、信念を持って世界に伝えたい」
・東京裁判は復讐劇
--「勝者の裁き」を受け入れた「東京裁判史観」からの脱却を著書で訴えた
「来日当時は戦勝国史観を疑うことなく信奉していたが、半世紀にわたり日本と日本人を知るうちに、そもそも東京裁判は戦勝国の
復讐(ふくしゅう)劇であると考えるようになった。戦勝国が全能の神であるかのように日本の罪を裁くことに違和感を覚えた。
実際にインド人判事のラダ・ビノード・パールは『全員無罪』とした。オーストラリア人高裁判事のデール・スミスは30年研究して『司法殺人?』と
題する本を出版している。ところが戦後の日本が東京裁判に基づいた歴史観を受け入れたかのような政治・外交姿勢を取り続けているのは、
情けなく愚かなことだ。史実に反するプロパガンダである東京裁判史観から脱却しなければいけない」
--具体策は
「外務省はじめ政府が真実を世界に発信しなければいけない。国を挙げて宣伝のためのシンクタンクを設立するのも一考だ」
【プロフィル】ヘンリー・S・ストークス 1938年英国生まれ、61年オックスフォード大学修士課程修了後、
62年英紙フィナンシャル・タイムズ社に入社し、64年に初代東京支局長に就任。その後も英紙タイムズや
米紙ニューヨーク・タイムズの東京支局長を歴任した。作家の三島由紀夫とも親交があった。
産経ニュース 2014.12.28 11:10
http://www.sankei.com/world/news/141228/wor1412280009-n1.html
(おしまい)
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