土曜日, 1月 17, 2015

信念について


宗教、信仰だと社会学の対象になるが、信念になると哲学の対象になる。

(呪術(一体一)と宗教(媒介のある三角形)の違いに関してはR.オットー*が何か言っていた。)

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|命題 ____  ____   |

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|| 真理  |知識| 信念  ||

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知識 - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%AD%98


プラトンが『テアイトス』においてソクラテスとテアイトスの対話の形で

提示した諸定義などをふまえつつ、古典的な認識論では長らく知識という

ものを「正当化された真なる信念」と分析した。もう少し分解すると

「知識というのは、真であり、なおかつ、信じられている命題部分集合

とも表現される。それをベン図で表すと上記のようになる。


参考:

信念の検証について ― C.S.パースの認識批判再考 ― 野口良平


なおカントは、「純粋理性批判」第二版の序文で「信仰場所を作るために
知識を制限しなければならなかった」という意味のことばを述べている。
ただし、総じてカントは宗教を理性で置き換えたと言える。

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 命題l信仰
 --+--
l真理l知識

 第二節 『聖なるもの』 ― オットー

ルードルフ・オットー

 二〇世紀の前半にヨーロッパは第一次世界大戦(一九一四~一九一七年)やロシアでの共産主義革命(一九一七年)などの激動を体験します。その直後にキリスト教界に衝撃を与える重要な著作が現れます。一つはルードルフ・オットーの『聖なるもの』(一九一七年)であり、もう一つはカール・バルトの『ローマ書講解』(一九一九年)です。バルトが二〇世紀の神学に与えた巨大な影響とその宗教観については次章で取り上げることにして、ここでは、宗教学の古典となった『聖なるもの』を出したオットーについて見ておきましょう。

 オットー(1869-1937)はルター派の組織神学者で、聖書神学の著作もかなり出しています。彼は前出のトレルチとほぼ同じ年代に活躍した人です。先に見たように、トレルチは一九〇二年に『キリスト教の絶対性と宗教史』を書いて、キリスト教と諸宗教との関係を問題にしていましたが、おそらくそれよりも早くオットーは若い頃から世界の諸宗教に強い関心を持ち、世界の各地を旅行して実際にその地の宗教に触れています。彼は日本にも来て、高野山で僧侶に講演したり座禅したりしています。ただ触れるだけではなく、アラビア語を学びイスラム教を研究し、サンスクリット語を勉強してヒンズー教を研究、その聖典『バガヴァッド・ギータ』や『ウパニシャッド』などのドイツ語訳と注解研究書を七冊も出版しています。このような研究を土台にして、晩年には『東西の神秘主義』と『インドの恩寵宗教とキリスト教』という宗教比較の模範となるような著作を出しています。前者はインドのヴェーダーンタ学派の神秘家シャンカラとドイツの神秘主義者エックハルトの比較研究です。後者は、ヒンズー教のなかでもっとも明確に他力救済を唱えるバクティ派とルターの信仰義認論に代表されるプロテスタンティズムの比較研究です。このような優れた宗教比較は、オットーのようなキリスト教とヒンズー教の両宗教に深く通じた研究者によって初めて可能になります。

 このように世界の諸宗教に通じたオットーが、人間の宗教的営みに通底する根底的体験を明らかにしようとする著作を出します。それが『聖なるもの』です。「聖」は宗教における最高の価値とされ、すでにシュライエルマッハーもその『宗教論』において聖の観念を宗教の中心概念としています。聖書の宗教においても神は「聖なる方」として賛美され(イザヤ六・三)、神の民は「聖である」ことを求められます(レビ一一・四四、ペトロⅠ一・一六)。ところが「聖」は善とか正義というような倫理的合理的概念の究極の成就態として理解されがちです。それに対してオットーは、人間が絶対的な他者に遭遇する宗教的体験において体験する対象や感動を「ヌミノーゼ」と名付け、その体験が倫理とか合理性を超えていることを主張しました。「ヌミノーゼ」というのは「ヌーメン」(神性、神的な力)というラテン語からオットーが造語して用いたもので、宗教的体験の非合理的神秘的な面を指しています。