http://www.freeassociations.org/
《ピケティは、20世紀の危機が資本を制御したことを解き明かしたが、なぜナショナリズムが昂揚したのか、なぜ戦争が起きたのか、なぜ年金生活者は自殺に追い込まれたのか、といった問題は提起しなかった。心性(マンタリテ)の力学はブラックボックスのままだ。それによって偶然にしか見えない出来事や、ピケティが提案した改革の非現実的な性格がおそらく持っている道理が解き明かされるだろう。とはいえ、ピケティが比較に基づく厳密な社会経済的な枠組みを通じて、現代史を描き出したことは確かである。そして、歴史家たちにこの枠組みをわがものとし、残された疑問を解明してみろと挑発している。この傑作を読み終えると、まだ解かれていない問いや謎で頭が一杯になり、マルク・ブロックが『歴史のための弁明』に記した一節を想起せずにはいられない。〈それぞれの学問分野は分割されてしまっているが、往々にして隣の分野からの脱走者が、学問に成功をもたらす最高の立役者となる。生物学を刷新したパストゥールは生物学者ではなかった。デュルケームとヴィダル・ド・ラ・ブラーシュは20世紀初頭の歴史研究にどんな専門家も及ばない比類のない足跡を残したが、デュルケームは社会学に移行した哲学者であり、ド・ラ・ブラーシュは地理学者であった。二人とも、いわゆる歴史学者とはみなされていなかった〉》 (翻訳・西泰志) Emmanuel Todd
>>726自分ならウォーラーステインとブローデルを勧めるが経済学部の教授からは馬鹿にされるかも知れない図書館でめくってみてくださいブローデルには図版が興味深い本が(高価だが)数冊あります『物質文明~』の「市場(いちば)」の絵とか、、、、数式は嫌でも見るようになるだろうし、、、、経済学史ならシュンペーターか?A・マディソンの統計類も持っていて損はない。
ピケティは何もわかっていない
この本で歴史的にマルクスの亡霊から知識人は自由になるだろう。その意味で画期的だが、本書はあくまでも経済学ではなく統計学の勝利だ。
ピケティは経済学については何もわかっていない。古典派の知識もない。
例えばビル・ゲイツ批判を読めばピケティは資本の源泉について何もわかっていないことがわかる。
ゲイツが無数のエンジニアから搾取していると書く時、集合力こそが資本の源泉だということが忘れられている。
また、クズネッツの統計にあった農工の区別は捨象すべきではない。それだと能動的に今後何もできなくなる。農工のどちらに力を入れるべきか、そのバランスをどうするかが第三世界、国内格差を見る時の鍵だからだ。(財務省だけで世界国家が運営できるはずがない。)
マルクスは資産の1/10ほどが交換過程に入ると書いたが、そうしたマルクスの試行錯誤をピケティは知らない。
サルトルがマルクス主義を批判したことも知らずにサルトルが創刊した雑誌に書き、サルトルを批判するのは滑稽だ。
また、レトリカルに金融政策を軽視するのも間違いだ。例えばゲゼルの減価マネーは一見金融政策ではあるが資本全体に関わるものだからだ。
人口が減少することで所得より資本がクローズアップされるとピケティは指摘するが、本書もそうしたトレンドの一環にあるに過ぎない。今後、統計学者同士の「組合」が本書を拡大し続けるだろうが、世界政府を前提とするような解決策案はジジェクが言うように楽観的すぎる。
新たなスーパー官僚を生み出すだけだろう。
この本で歴史的にマルクス*の亡霊から知識人は自由になるだろう。その意味で画期的だが、本書はあくまでも経済学ではなく統計学の勝利だ。
ピケティは経済学については何もわかっていない。古典派の知識もない。
例えば彼のビル・ゲイツ批判を読めばピケティは資本の源泉について何もわかっていないことがわかる。
ゲイツが無数のエンジニアから搾取しているとピケティが書く時、集合力こそが資本の源泉だということが忘れられている。
また、クズネッツの統計にあった農工の区別は捨象すべきではない。そんなことをすれば能動的に今後何もできなくなる。農工のどちらに力を入れるべきか、そのバランスをどうするかが第三世界、国内格差を見る時の鍵だからだ。(財務省だけで世界国家が運営できるはずがないのだ。)
マルクスは資産の1/10ほどが交換過程に入ると書いたが、そうしたマルクスの試行錯誤もピケティは知らない。
サルトルがマルクス主義を批判したことも知らずにサルトルが創刊した雑誌に書き、サルトルを批判するのは滑稽だ。
また、レトリカルに金融政策を軽視するのも間違いだ(例えばゲゼルの減価マネーは一見金融政策ではあるが資本全体に関わるものだからだ)。
人口が減少することで所得より資本がクローズアップされるとピケティは指摘するが、本書もそうしたトレンドの一環にあるに過ぎない(これらは彼が軽視した資本主義の周期性に過ぎないかもしれないが、資本主義が周期的なのは否定できない)。今後、統計学者同士の「労働組合」が本書を拡大し続けるだろうが、世界政府を前提とするような解決策案はジジェクが言うように楽観的すぎる。
本書からは離れた議論になるが、ガンジーが実践したように、分配は生産の現場でなされなければならないという原則がやはり見直されるべきだろう(累進課税で得た税収はそうした組合支援へ回すべきだということでもある~労働者はそのことを恥ずべきではない!~)。
*ちなみにヘーゲルから自由になったのは近年の柄谷行人『世界史の構造』によってだ。
田舎から社会的栄達を夢見てパリに上ってきた貧しい青年貴族ウージェーヌ・ラスティニャックに近づき、ヴォートランはいう。「金と快楽」の情念が沸騰している大都市パリで成り上がり、上流の暮らしをするには先立つものが要る。どうやって金を手に入れるか? 法学部で学業を続けて法曹になり、妥協や譲歩を繰り返しながら地味に階段を上り続けるか、それとも、巨額遺産相続の見込みのある若い娘を欺いて、金目当ての結婚をするか。
三十になってもまだ法服を脱ぎすてていなかったら、年俸千二百フランの判事ってところかな。四十に手がとどくところになれば、製粉業者の娘あたりと結婚できるだろう。しかも年収六千フランの持参金つきでね。ありがたいことさね。後盾があれば、三十にして年俸三千フランの初審裁判所検事だ。そして町長の娘と結婚できるのさ。(……)政治上の卑劣行為をやってのけるなら、四十歳で検事長になり、そうしてあとあと代議士くらいにはなれえるだろう。(……)ご参考までに申しあげると、フランスに検事長はは二十人しかいないのに、検事長になりたがっている男は二万人もいる。この二万人のなかには一階級昇るためなら、家族のものだって売りかねない手合いだっているんだぜ。さてこの商売がきにくわないとなりゃあ、ひとつほかの商売を考えてみようか。ラスティニャック男爵どのは、弁護士になる気がおありかな? けっこうなご商売でさあね。十年間はまず粒々辛苦を重ねなければならんな。毎月千フランも金を使い、図書室やら事務室を設け、社交界に顔をだし、事件をよこしてもらうために代訴人の法服に接吻し、裁判所の床を舌で舐めまくるくらいのことはしなきゃならんぜ。もしこの商売で君が成功するものなら、わしはなにも言わん。しかし五十歳にして年収五万フランを超える弁護士が、いったいパリに五人でもいるのかね。
(5) バルザック、オノレ・ド『ゴリオ爺さん』上巻、高山鉄男訳、岩波文庫、二〇一頁〜二〇二頁。因みにピケティによれば、バルザックが作中人物ヴォートランに語らせたこれらの報酬額は、一九世紀前半のパリの相場に正確に一致しているという(PIKETTY, Thomas, op. cit., p. 380.)。
3 minutes ago
邦訳ピケティ249~250頁(別訳)。
現代思想ピケティ堀茂樹論考より
バルザック以外にも文学、映画への言及が多く、別途メモしておいた。
タランティーノ『ジャンゴ』171頁
キャメロン『タイタニック』304
オースティン『分別と多感』(小説)428
ワイラー『女相続人』430
ウェルズ『偉大なるアンバーソン家の人々』430
批判的か大して読んでないかどちらかだろうが、(住居が近かったはずの)ドゥルーズをどう思うか聞いてみたい、、、。
賛辞は飽きたので以下批判的なことを箇条書き的に述べると、
この本によって今後歴史的にマルクスの亡霊から知識人は自由になるだろうし、
その意味で画期的だが、本書はあくまでも経済学ではなく統計学の勝利だ。
(図をカラーにした改訂版が必要だが。)
ピケティは経済学については何もわかっていない。古典派の知識もない。
例えば彼のビル・ゲイツ批判(462頁)を読めばピケティは資本の源泉について何も
わかっていないことがわかる。
ゲイツが無数のエンジニアから搾取しているとピケティが書く時、集合力こそが
資本の源泉だということが忘れられている(労働価値説を取らないのは仕方ない)。
また、クズネッツの統計にあった農工の区別は捨象すべきではない。そんなことを
すれば能動的に今後何もできなくなる。農工のどちらに力を入れるべきか、その
バランスをどうするかが第三世界、国内格差を見る時の鍵だからだ。(財務省だ
けで世界国家が運営できるはずがないのだ。)
マルクスは資産の1/10ほどが交換過程に入ると書いたが、そうしたマルクスの試
行錯誤もピケティは知らない。
サルトルがマルクス主義を批判したことも知らずにサルトルが創刊した雑誌に書
き、サルトルを批判するのは滑稽だ。
また、レトリカルに金融政策を軽視するのも誤解の元だ(例えばゲゼルの減価マネー
は一見金融政策ではあるが資本全体に関わるものだからだ)。同じように教育の軽視も
間違いだ。教育がなければ統計も集められないからだ。
利子率の設定を論じる人には資本収益率r>自然成長率gはお馴染みだし、何も新しくは
ない。
人口が減少することで所得より資本がクローズアップされるとピケティは指摘する
が、本書もそうしたトレンドの一環にあるに過ぎない(これらは彼が軽視した資本
主義の周期性に過ぎないかもしれないが、資本主義が周期的なのは否定できない)。
今後、統計学者同士の「労働組合」が本書を拡大し続けるだろうが、世界政府を
前提(したがって官僚を前提)とするような解決策案はジジェクが言うように楽観的
すぎる。新たなスーパー官僚を生み出すだけだろう。
本書冒頭でマルサスが批判的に言及されるが、やっていることはマルサスと同じで
結論が違うだけだ。
ピケティはまるで、偏差値がわからないと勉強できないと言っている受験生のようだ。
彼はそもそも貧富の差を論じても労働者の労働環境に興味はない。資本主義の第1,2
基本法則も労働環境とは関係ない(ちなみにマルクスの「資本の有機的構成」c/vに
おける不変資本cと可変資本vを、それぞれ資本と所得に見立てれば、ピケティの
第一基本法則(56頁)における資本/所得比率βがフラクタルに出来上がる)。
これは本書からは離れた議論になるが、ガンジーが実践したように、分配は生産の
現場でなされなければならないという原則がやはり見直されるべきだろう(累進課
税で得た税収はそうした組合支援へ回すべきだということでもある~労働者はその
ことを恥ずべきではない〜)。
この書を基礎に将来の世界政府、世界連合が建設されるべきだが、他にもすること、
出来ること、やるべきことがある、と言いたい。
◆ピケティ氏による資本主義の基本法則
『第1法則』
資本分配率=資本収益率(r)×資本ストック÷国内総生産(GDP)
・・・資本分配率はGDPのうち資本に回る分
『第2法則』
資本ストック÷GDP=貯蓄率÷経済成長率(g)
・・・gが下がり、貯蓄率÷gが上昇すると資本ストック÷GDP(1単位の生産に必要な資本ストック)も上昇。
rが一定といった条件下では、第1法則に基づき資本分配率が上昇し、労働分配率は下落
(注)ピケティ氏は実証分析などに基づき、格差拡大を説明できる関係式として基本法則を示した
α=r×β (56頁,1章)
β=s/g (173頁,5章)
資本/所得比率β、所得の中の資本シェアα、資本収益率r
貯蓄率s、成長率g
(例:所得の中の資本シェアα=30%,資本収益率r=5%,資本/所得率β=600%、57頁より)
(例:「ある国が所得の12%を毎年貯金しており、当初の資本ストックが所得6年分とすると、資本ストックの成長率は年間2パーセントだ。つまり国民所得とまったく同じ比率であり、資本/所得率は安定状態を保つ。」178頁より)
経済成長理論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7%E7%90%86%E8%AB%96
主要な経済成長理論[編集]
ハロッド・ドーマーモデル[編集]
ロイ・ハロッドとエブセイ・ドーマーにより1930年代から40年代にかけて発表されたモデル。経済の自律的な安定を確保する難しさを例示するなど、ケインズ理論の影響を強く受けた経済成長モデルである。いわゆる動学理論とよばれるものである。
このモデルの一番の特徴は、投資の生み出す供給能力と、需要それぞれの増加量とが安定的に調和するような保証経済成長率 (資本の増加率)が、完全雇用をもたらすような自然経済成長率 (労働力の増加率)と別個に規定され、その関係が自律的に均衡に向かわないと仮定することにある。両者の不均衡は慢性的な経済の停滞やインフレを導くもとと結論づけられた。安定的な成長率の実現は非常に困難で、ナイフ・エッジの均衡とも呼ばれる。また、保証成長率は貯蓄率に影響するものと定義された。
ハロッド・ドーマーモデルは、前提が硬直的であるために、ソロー・スワンモデルと同様、成長理論の雛型として教科書で登場する他は、そのまま議論の道具として用いられることは現在では少ない。
尚、保証経済成長率=貯蓄率X資本の生産性(生産1単位を増やすのに必要な資本の量をあらわす資本係数の逆数)となる(ハロッド・ドーマーの基本方程式)。
ソロー・スワンモデル[編集]
ロバート・ソロー、トレイヴァー・スワンが1956年に提唱した成長モデルの1つ、生産関数の考え方、その導き出す結論が新古典派の思想に共通することから、新古典派成長モデルとも呼ばれる。
基本的なアイディアは、資本の増加が人口増加を上回った際に、資本1単位あたりの生産効率がだんだん下がる(資本量が2倍になっても生産は2倍にはならず、1-2倍の範囲内に収まる)ために、資本の増加量が鈍化し、人口増加率に追いつき、逆に人口増加が資本の増加を上回った場合には資本1単位あたりの生産効率が上昇するために資本増加率は人口増加率に追いつくというものである。一時的なショックにより資本と人口の増加率が乖離しても、長期的な資本の増加は人口増加率に収束し、資本をより効率的に使えるような新技術の登場がない限りは一人当たりの国民所得は増加しないという結論を導いた。
成長理論の雛型として教科書に登場する非常に簡単なモデルであるにも関わらず、依然として経済成長の分析に多用されている。最も良くみられる分析は、経済成長の要因を資本、労働、技術進歩の各要因に分解することである。こうした分析は、アラモビッツやソローによって始められた、成長会計と呼ばれる手法である。技術進歩率は経済成長を資本と労働の寄与で説明した残りとして求められるため、ソロー残差と呼ばれることもある。
このモデルの欠点は、技術進歩と貯蓄率が外生的に与えられていることで、これを改善するために次に示すようなモデルの展開を導いた。
フォン・ノイマンの多部門成長モデル[編集]
フォン・ノイマンが1937年に発表した経済成長モデル。新古典派成長モデルの基となったラムゼイのモデルが1部門の経済成長モデルであるのに対し、各種の財の生産、投資がなされる現実の経済に即したモデルの構築が行われた。
多部門モデルは、第二次世界大戦後、サミュエルソン、森嶋らの努力によって改良が加えられた。サミュエルソンの見出したターンパイク定理はとりわけ有名な発見である。
内生的成長モデル[編集]
1980年代ころから盛んに研究が行われるようになったモデルで、従来の成長モデルが技術進歩の要因を説明できなかったのに対し、技術進歩を経済活動の成果として取り込んだ事が大きな特徴である。1986年にポール・ローマーが発表した論文「increasing return and long-run growth[1]」が契機となり、内生的成長理論が発展していった。
環境経済学や医療経済学、教育経済学の成果である拡張された資本理論を取り入れつつ、発展を続けている。
近代経済学における成長理論 - Wikibooks
http://ja.m.wikibooks.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%B5%8C%E6%B8%88%
E5%AD%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%88%90%E9%
95%B7%E7%90%86%E8%AB%96
マクロ経済学初中級 > 近代経済学における成長理論
(1)経済成長会計
経済成長会計とは、付加価値の要素を資本と労働だと考え、それぞれの変化が生産量の変化に及ぼした影響を計測するものである。
コブ・ダグラス型関数
所得をコブダグラス型関数と呼ばれるものとする。 Y=A・K^α ・L^(1-α) A:技術水準 K:資本 L:労働 両辺の対数をとると
LogY=logA+αlogK+(1-α)logL
経済成長率=技術水準+α×資本の成長率+(1-α)×労働の成長率
となる。
(2)新古典派経済成長理論(ソローモデル)
仮定1:Y=F(K,L)、ただしコブダグラス型関数を前提とする
仮定2:Y=cY+I
(平均貯蓄性向=s(0<s<1)、平均消費性向c=1-sとし、sとcは一定とする。つまり所得に対する消費と貯蓄の割合は一定。)
①一人当たりの生産関数
労働者一人当たりの所得と資本を求めるために
Y=F(K,L)に(1/L)
を両辺にかける 。
Y/L=F(K/L,L/L)
Y/L=F(K/L,1)
一人当たりの所得Y/Lをyとおき、F(K/L,1)をf(k)とする 。
y=f(k)
また、仮定2から
Y=cY+I
(1-c)Y=I
I=sY
I=Sより これを代入すると
S=sY
また、ΔK=I=sY なので一人当たりに直すと
ΔK/L=I/L=sY/L
Δk=i=sy
i=sf(k)
②減価償却費をモデルに組み込む
ⅰ.仮定:Δk=i-δk(ただし、δは減価償却費)
ⅰ=sf(k)なので
Δk=s・f(k)-δk
δkの意味は、資本ストックが大きいほど、減価償却費も比例して大きくなる 。 Δk=s・f(k)-δk =0のとき、定常状態。
ⅱ.資本蓄積の黄金律
y=c+i
c=y-i
c=f(k)-s・f(k) ①
また、Δk=i-δk=0のとき定常状態なので
i=δk
また、ⅰ=sf(k)なので
s・f(k)=δk ②
①に②を代入すると
c=f(k)-δk
つまりMPK=δのとき、cは最大 。
(3).ラムゼーモデル
ソローモデルでは所得に対する貯蓄・消費の割合 s、(1-s)は一定と仮定した。 この一定の仮定をはずし、貯蓄の割合を変化させたらどのように資本水準が変化するかを検討するのがラムゼーモデルと考えると分かりやすい。 資本収益率は資本水準が高ければ低下するし、逆に資本水準が低ければ資本収益率は高いだろう。 次に、経済学では貯蓄は将来の消費であり、消費は現在の消費と考える。 投資利回りが高ければ、貯蓄の割合を増やし、現在の消費を控える。 逆に投資利回りが低ければ、貯蓄の割合を減らし、現在の消費を増やす行動になるだろう。 つまり、投資と貯蓄の割合は投資利回り(資本収益率)に影響される。 資本水準、資本収益率、貯蓄と投資の割合という3つのファクターを考えるのがラムゼーモデルともいえる。
Δk(t+1)
=k(t+1)-k(t)
=f(k)t-c(t)-δk(t) ①
f(k)t-c(t)は資本の積み増しに当たる部分である。 閉鎖経済では国内貯蓄に相当する。 δk(t)は固定資本減耗である。 ⊿k=0のとき、定常状態となることから
c(t)=f(k)-δk ②
となる
c(t)=f(k)-δk
これの消費水準を最大化するための極大化条件
f'(kg)=δ③
競争的な貸借市場においては、(実質利子率r)と資本の限界生産性から固定資本減耗率を差し引いたものに対応する。
r>f'(k)-δ
であれば資本水準を縮小し、 逆に r<f'(k)-δ であれば資本水準を積み増す。 よって
r=f'(k)-δ ④
となる。
ケインズラムゼイルールより
u'(c[t])=(1+r[t])/(1+ρ)・u'(c[t+1]) (15-5)式
この (15-5)式に
効用関数u(c)={c^(1-1/σ)}/(1-1/σ)
を代入すると
[{c[t]^(1-1/σ)}/(1-1/σ)]'={(1+r[t])/(1+ρ)}・[{c[t+1]^(1-1/σ)}/(1-1/σ)]'
c[t]^(-1/σ)=(1+rt)/(1+ρ)c[t+1]^(-1/σ) 両辺に対数すると
ln c[t+1]-ln c[t]=σ{ln(1+r[t])-ln(1+ρ)}
近似式
ln(c[t+1])-lnct≒Δct+1/Δct
ln(1+r[t])≒r[t]
ln(1+ρ)≒ρより
簡便化したオイラー方程式
Δc[t+1]/Δc[t]=σ(r[t]-ρ)
が導出できる
ハロッドドーマー
240頁
β=s/g
コブ・ダグラス
226頁~
592頁
r=g
資本蓄積の黄金則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%
E3%83%89%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7
%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9
エドマンド・ストロザー・フェルプス(Edmund Strother Phelps、1933年7月26日 - )は、アメリカ合衆国の経済学者。
コロンビア大学経済学部教授。イリノイ州エヴァンストン出身。2006年、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞(ノーベル経済学賞)を単独授与された。
目次 [非表示]
1 来歴
2 業績
3 博士号など
4 著作
5 関連事項
6 外部リンク
来歴[編集]
1933年:イリノイ州エヴァンストンで生まれた。
6歳のとき、ニューヨーク州のHasting-on-Hudsonへ転居。
1955年:アマースト大学卒業(BA)。
1957年:イェール大学からMAを取得。
1959年:イェール大学で経済学博士号(Ph.D.)取得。
1959年-1960年:RAND Corporationに入るが、興味のあるマクロ経済学の仕事が出来ないため学界に戻る。
1960年-1966年:イェール大学に属するコール財団に入り、イェール大学で経済学助教授として教える。
1961年:'Golden Rule saving rate'についてAER誌に載せる。
1962年-1963年:マサチューセッツ工科大学(MIT)で教える。
1963年-1966年:イェール大学で教える。
1966年-1971年:ペンシルベニア大学経済学科教授
1971年:コロンビア大学経済学教授就任。
1974年:米国上院の社会保障制度の顧問となる。
1976年-1978年:アメリカ経済学会の執行委員を務める。
1978年-1979年:ニューヨーク大学で教える。
1979年:再びコロンビア大学に移り、教鞭をとる。
1981年:米国科学アカデミー会員。
1982年:McVickar Professor of Political Economy 就任。
2000年:アメリカ経済学会の Distinguished Fellow に選ばれる。
2001年:Center on Capitalism and Society (Earth Institute) 所長。
業績[編集]
ミルトン・フリードマンとほぼ同時に自然率仮説を独自に考案していたといわれる。
フェルプスにとって、自然率仮説は失業の唯一の構成要素ではないが主要なものとして、ジョブサーチ(仕事探し)の概念と結びつけた。失業者は高い支払いをする最良な仕事を探し、失業期間が長引くにつれて自分の望み徐々に下げていく。その上、仕事を探すことは時間がかかるので、彼らが現在の職を辞めることすらあるかもしれない。フェルプスたちは、1960年代の辞職や一時解雇のパターンと自然失業率の上昇傾向を説明しようとして、ジョブサーチ・モデル(仕事探しモデル)に含まれた意味を明らかにした。
70年代以降は、現在ではごく当たり前の「スタグフレーション」、すなわちインフレションと失業の同時発生の問題に関する研究を行っている。
フェルプスは、初期には成長理論に関する研究をやっていた。成長理論やマクロ経済学に関する数多くの論文は2巻物の『マクロ経済理論研究』(1979年、1980年)に収録されている。
Phelps, Edmund S. (1961). "The Golden Rule of Capital Accumulation". American Economic Review 51: 638-643.
Phelps, Edmund S. (1966). Golden Rules of Economic Growth.
Phelps, Edmund S. (1966). "Models of Technical Progress and the Golden Rule of Research". Review of Economic Studies 33: 133-146.
Phelps, Edmund S. (1968). "Money-Wage Dynamics and Labor Market Equilibrium". Journal of Political Economy 76: 678-711.
Phelps, Edmund S. (1984). Individual Forecasting and Aggregate Outcomes.
Phelps, Edmund S. (1990). Seven Schools of Macroeconomic Thought: The Arne Ryde Lectures, Oxford.
Phelps, Edmund S. (2003). Designing Inclusion.
「マクロ経済思想―七つの学派」 E.S.フェルプス,平山 朝治訳 新世社 (1991)
α=r×β (56頁,1章)
β=s/g (173頁,5章)
α=r×β (56頁,1章) α/β =r
β=s/g (173頁,5章) s/β=g
(α/β =)r > (s/β=)g
α > s
資本/所得比率β、
所得の中の資本シェアα、
資本収益率r
貯蓄率s、
成長率g
拡大再生産と同じことだ
農業と工業の区別は重要では?
先進国は農業を切り捨てたのではなく、其の生産性を高めたというのがクズネッツの意見。政府は農業を切り捨てようとしているが。
ゲゼルの減価マネーをどう思うか?ローカルな金融政策の一貫でしかないか?
ドゥルーズに会ったことは?パリのクリシーで家は近かったのでは?タルドを評価した人だから意見は正反対だと思うが。
質問は3つ
1/3
今後統計を取る上で、農業と工業の区別は重要では?
先進国は農業を切り捨てたのではなく、その生産性を高めたというのがクズネッツの意見でしょう。日本政府は農業を切り捨てようとしています。
2/3
ゲゼルの減価マネーをどう思いますか?ローカルな金融政策の一貫でしかないと思いますか?
3/2
ドゥルーズに会ったことはありますか?パリのクリシーで家は近かったのでは?タルドを評価した人だから意見は正反対だと思いますが。
フリードマン
ハンガリー東部(現在はウクライナの一部となっているザカルパッチャ州Berehove)からのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれる。父親は工場経営者・資本家で、ナオミ・クラインは絶望工場的な場所だったと指摘している[3]。
奨学金を得て、15歳で高校を卒業した。ラトガーズ大学で学士を取得後、数学と経済学のどちらに進もうか悩んだ結果、世界恐慌の惨状を目にしたこともあって、シカゴ大学で経済を専攻し、修士を取得した。さらに、コロンビア大学でサイモン・クズネッツ(1971年ノーベル経済学賞受賞)の指導を受け博士号を取得した。コロンビア大学と連邦政府で働き、後にシカゴ大学の教授となる。また、アーロン・ディレクターの妹であるローズ・ディレクターと結婚し、一男(デヴィッド・フリードマン)一女をもうけた。