木曜日, 6月 01, 2017

Liebig ユストゥス・フォン・リービッヒ

                  (農業マルクスリンク:::::::::
NAMs出版プロジェクト: Liebig ユストゥス・フォン・リービッヒ
http://nam-students.blogspot.jp/2017/06/liebig.html@
リービッヒ土壌疲弊説とデューリング Eugen Dühring 1865


《自然科学的見地からする近代的農業の消極的側面の展開はリービヒの不朽の功績の一つである。》
資本論1:13:10注
河出訳(国民文庫版②466頁に該当)


《資本制的生産様式にともなって、生産および消費の廃物の利用が拡大される。
なるほど、ロンバルディや南中国や日本でのような園芸式にいとなまれる小規模農業でも、この種の大きな節約が行なわれる。だが、だいたい、こうした体制では、農業の生産性が、ほかの生産部面からとりあげられる人間労働力の多大の浪費によって購われている。》
資本論3:5:4
河出訳(国民文庫版⑥171~2頁に該当)


リービヒ
化学の農業および生理学への応用ed.9  [初版は1840]部分訳 吉田武彦 全153頁

以下は上記20頁を参照。
リービヒのみた日本農業 吉田武彦
…人糞尿施肥を中心とした日本,中国の施肥法に拍手と絶賛を惜しまなかった人物がある.農芸化学の父といわれる19世紀のドイツ化学界の巨人ユストゥス・リービヒがその人である.彼の主著「化学の農業および生理学への応用」第9版(1876)には,幕末の日本農業に触れたところが2,3個所あるが,そのうち最も詳しい序論中の小論文「農耕と歴史(Der Feldbau und die Geschichte)(2)」の一節を引用すると,こんなぐあいである
."山が多く,最大でも国土の半分しか耕作できないのに,住民数は大ブリテンよりも多い島帝国日本は,草地も,飼料作も,グアノ,骨粉,チリ硝石の輸入もなしに,住民のあらゆる栄養を完全に生産しているばかりでなく,開国以来,毎年少なからぬ量の生活物資の輸出さえしている.中国および日本の農業は,経験と観察にみちびかれて,土地を永久に肥沃に保ち,その収穫性を人口の増加に応じて高めてゆくのに適した,無類の農法をつくりあげた".
"中国と日本の農業の基本は,土壌から収穫物中に持ち出された全植物養分を完全に還元することにある.日本の農民は輪作による強制については何も知っておらず,ただ最も有利と思われるものを作るだけである.彼の土壌からの収穫物は地力の利子なのであって,この利子を引き出さねばならぬ資本に手をつけることは,けっしてない.われわれが荒廃と不毛に陥ったのを見てきたスペイン,イタリア,ペルシャなどの国々一般と同様に,ヨーロッパの農業は日本農業とは完全に対照的であって,肥沃性の諸条件に関しては耕地の略奪に頼りきっている".
リービヒはもちろん中国や日本を訪れたことがなく,しかも1873年(明治6年)に死去しているから,明治維新後ヨーロッパの技術をとり入れた日本農業を知るはずがない.
実は,前記のリービヒの文章には種本があるのであって,同書の付録に収められたH.マロンの報告書(Ann.der preuss. Landwirthschaft, Januarheft, 1862)(3)がそれである.マ

"日本人はただ,継続した施肥なしに継続した生産はない,ということを公理としているだけである".
"日本人は肥料なしにはいかなる穀物をも栽培しない.日本人は,すべての播種,植付けにさいして,作物が完全に生育するだけしか肥料を与えない,将来に向かって土壌を肥やすためにはまったく何もしない.日本人は各作ごとに施肥し,われわれの形態での「休閑」の概念を知らないから,彼らは毎年の生産肥料を耕地の全面積に分配せねばならず,これは連作と追肥によってのみ可能となる".

"これがヨーロッパと日本の農耕の大きな違いである.ヨーロッパのは見かけの農耕にすぎず,遅かれ早かれ欺瞞の暴露する時がやってくる.日本のは実際的な,真の農耕であって,土壌の生産性は地力の利子である.日本人は利子で生きなければならぬことを知っているので,資本が減らないことに第一の注意を払う.日本人は左手で受取ることのできるときにのみ,右手でもって他人に与え,そして与える以上のものを土壌からけっして奪わない.日本人は大量の窒素化合物を添加することによって,無理に奪うことをけっしてしない".これはまさに手放しの絶讃であって,私たち日本人は顔が赤くなるほどである.


ユストゥス・フォン・リービッヒ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%

ユストゥス・フォン・リービッヒ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ユストゥス・フォン・リービッヒ



リービッヒの最小律
「植物の生長は、必要とされる無機養分のうち最も少ないものによって決まる」という法則。

ユストゥス・フォン・リービッヒ男爵(Justus Freiherr von Liebig1803年5月12日 - 1873年4月18日)は、ドイツ化学者。名はユーストゥスまたはユスツス、姓はリービヒと表記されることもある。有機化学の確立に大きく貢献した、19世紀最大の化学者の一人。
ユストゥス・フォン・リービッヒ
Justus von Liebig.jpg
生誕1803年5月12日
Flagge Großherzogtum Hessen ohne Wappen.svg ヘッセン大公国 ダルムシュタット
死没1873年4月18日(満69歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国 ミュンヘン
研究分野化学
研究機関ユストゥス・リービッヒ大学ギーセン
ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン
出身校ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン
フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルク
パリ大学ソルボンヌ校
博士課程
指導教員
カール・カストナー
他の指導教員ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック
博士課程
指導学生
カール・シュミット
アンリ・ヴィクトル・ルニョー
アウグスト・ケクレ
アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン
ライアン・プレイフェア
エミール・エルレンマイヤー
アドルフ・ストレッカー
主な業績リービッヒの最小律
リービッヒ冷却器
主な受賞歴コプリ・メダル(1840年)
プロジェクト:人物伝
自らが研究していた雷酸塩 (AgONC) と、フリードリヒ・ヴェーラーが研究していたシアン酸塩 (AgOCN) は全く性質が異なるが分析結果が同じであったことから異性体の概念に到達した。燃焼法による有機化合物の定量分析法を改良してリービッヒの炭水素定量法を創始し、様々な有機化合物の分析を行った。ヴェーラーとともに苦扁桃油からベンゾイル基 (C6H5CO-) を発見し、有機化合物の構造をによって説明した。ほかにも、クロロホルムクロラールアルデヒドなどをはじめ多くの有機化合物を発見している。
応用化学においては、植物の生育に関する窒素リン酸カリウムの三要素説、リービッヒの最小律などを提唱し、これに基づいて化学肥料を作った。そのため、「農芸化学の父」とも称される。
また教育者としても抜きん出ており、体系だったカリキュラムに基づいた化学教育法を作り上げ、アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンをはじめ多くの優秀な化学者を育成した。
彼が教授職を務めたヘッセン州のギーセン大学は、今日では「ユストゥス・リービッヒ大学ギーセン」と彼の名を冠した名称に改められている。

目次

生涯編集

生い立ち編集

8歳のときにギムナジウムに入学したが、勉強よりも父親の仕事や実験を手伝うのが好きだったという。
リービッヒが生まれたダルムシュタットは、1806年に成立したばかりのヘッセン大公国の首都であり、宮廷所在地でもあった。宮廷図書館には大人向けの化学関連書籍がそろっており、学校よりも図書館を好んだ。学校の課題よりも化学に興味があったため、成績もよくなかった。
彼は雷酸水銀をギムナジウムに持っていっていたが、それが爆発を起こし、退学させられてしまった。1817年のことであった。
そこで彼はヘッペンハイムの薬剤師のもとへ徒弟として住み込むことになった。彼は居室として与えられた屋根裏部屋で雷酸塩の実験を続けていた。しかし、また爆発事故を起こしてしまい、ヘッペンハイムから追い出されて実家へと戻った。
その後、1820年にヘッセンの政府からの奨学金を受け、新設されたばかりのボン大学に入学しカール・カストナーの元で学んだ。彼は雷酸塩の研究を続けており無機化合物の分析法について学びたいと考えていたが、カストナーがこのテーマに明るくなかったためリービッヒは失望し、やがて学生運動に身を投じることになった。そして町の住民と衝突した際に、暴力を振るったために逮捕されてしまった。

パリへ留学編集

生まれ故郷のヘッセン大公であったルートヴィヒ1世から留学の奨学金を認められて1822年パリ大学へと入学した。
リービッヒはソルボンヌ校(パリ大学理学部)に加わった。当時は国によって化学の研究方法や理論が異なっていた。
リービッヒはアレクサンダー・フォン・フンボルトの紹介でゲイ=リュサックの研究室で研究を行うことができ、1824年に雷酸塩の研究結果について発表し、フンボルトの推薦状を持ってドイツに帰国した。ルートヴィヒ1世はこれをみて大学に諮ることなく、わずか21歳のリービッヒをギーセン大学の助教授に任命した。彼の能力は同僚にも直ちに認められ、翌1825年には教授へと昇進した。

大学での初期の活動編集

リービッヒの年齢で大学教授になるのは異例のことであった。ソルボンヌ校の経験から、リービッヒは世界で最初期となる学生実験室を大学内に設立した。ここでは学生は定性分析と定量分析、化学理論を系統立てて教えられ、最後に自ら研究論文を書くことを求められた。実験から化学を学びたい学生がイギリス、フランス、ベルギー、ロシアなど各国から集まり、ギーセンは化学教育のメッカとなった。アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンフリードリヒ・ケクレシャルル・ヴュルツシャルル・ジェラールエドワード・フランクランドアレキサンダー・ウィリアムソンといった著名な有機化学者もここで学び、リービッヒの教育手法が各国に広がっていった。これはドイツが有機化学の中心地となる礎となった。
1826年に彼はイェンス・ベルセリウスの下でフリードリヒ・ヴェーラーが研究していたシアン酸塩が雷酸塩と同じ組成を持っていることを発見した。このように異なる性質を持ちながら同じ組成を持つ化合物はベルセリウスによって異性体と名づけられた。これが縁でヴェーラーと親しくなり、以後たびたび共同研究を行うようになった。その後も、二人は生涯文通を続けた。
リービッヒの最大の失敗は、臭素の発見にかかわるものである。1826年にギーセン大学教授に就任した直後、海水から食塩を精製する実験中にわずか一滴ではあったが赤褐色の液体を得た。このとき、実験を進めず塩化ヨウ素が得られたものと早合点してしまう。翌年、フランスのアントワーヌ・ジェローム・バラールによる臭素発見の報を受け、例の液体を調べるとほぼ純粋の臭素であった。
1831年に二重のガラス管の内側に蒸気を、外側に冷却水を通じて蒸気を凝縮する冷却器を発表した。これは現在リービッヒ冷却器の名で呼ばれており、広く用いられている。同年にはフランスのウジェーヌ・スーベイラン、アメリカのサミュエル・ガスリーと同時期にクロロホルムを発見。
1832年にはヴェーラーとともに苦扁桃油(ビターアーモンドオイル)について研究を行い、その主成分であるベンズアルデヒドに対して様々な実験を行った。その結果、反応によって変化しないC7H5Oという単位(当時は2倍量で計算していた)が存在することに気がついた。これをリービッヒたちは(根(こん)、ラジカル)と呼んだ。この結果はジェラールによって発展され、さらに原子価の理論へとつながった。
また、同じ年に化学の論文誌である『薬学年報』(Annalen der Pharmacie) を創刊し、自ら編集を行った。これはその後1840年に『薬学および化学年報』(Annalen der Chemie und Pharmacie) となり、さらにリービッヒの死後には彼を記念して名を『ユストゥス・リービッヒ化学年報』(Justus Liebigs Annalen der Chemie) と改められた。この雑誌は1997年に『ヨーロッパ有機化学ジャーナル』(European Journal of Organic Chemistry) と名を変え、発行が続けられている。
その後1834年エチル基を発見、1835年アルデヒドを精製し命名するなどの業績を挙げた。

応用化学への転向編集

1837年には生化学へと研究分野を移し、ヴェーラーとともに尿酸の研究を行った。ヴェーラーと共同で最初の配糖体(アミグダリン)を発見し、翌1838年にヴェーラーと共著の論文『有機酸の構造について』で、未知の有機化合物の構造を決定する方法を述べた。
またベルセリウスが開発した燃焼法による有機化合物元素分析の改良を行った。リービッヒの炭水素定量法にジャン=バティスト・デュマの窒素定量法を組み合わせ、フリッツ・プレーグルによって改良されたものが現在も使われている微量分析法である。
1840年、『有機化学の農業および生理学への応用』(Die organische Chemie in ihrer Anwendung auf der Agrikultur und Physiologie) を発表し、植物の生長に対する腐葉土の重要性を否定。同年、ロンドン王立協会のフェローに選出され、コプリ・メダルを受賞[1]
1841年には植物が土の中のカリウムやリンを生長に必須としていることを明らかにした。そして土の中で最も少ない必須元素の量によって植物の生長速度が決定されるというリービッヒの最小律を提唱した。それに基づいて従来の農業を土中の栄養を略奪するものだとして排し、化学肥料を開発した。また動物体内の代謝などについても研究を行い、体温や筋肉のエネルギーは脂肪や炭水化物といった食物が体内で酸化されるときのエネルギーに由来すると述べた。
1842年『有機化学の生理学および病理学への応用』(Die Tierchemie oder die organische Chemie in ihrer Anwendung auf Physiologie und Pathologie) を発表。1844年、化学啓蒙書『化学通信』(Chemische Briefe) の初版を出版。
1845年男爵に列せられ、以後フォン・リービッヒと称した。

ミュンヘン大学への異動後編集

1852年、バイエルン王マクシミリアン2世の招聘に応じ、28年間にわたったギーセンでの研究を後任に任せてミュンヘン大学へ異動した。これは過労による不眠症の治療のためである。ミュンヘン大学では、実験を止め講義や文筆を中心とする生活へと切り替えた。1859年にはバイエルン科学学士院院長に就任。
このころ、食品などに関する研究を行った。その成果をもとに1865年に肉エキスを抽出する会社を設立、また1867年には育児用ミルクを作成した。肉エキスは後に栄養学的にはあまり意味がないことが明らかになったが、嗜好品として商業的には大成功し、食品加工産業の先駆となった。
1873年にミュンヘンで死去。南墓地に埋葬された。

人物編集

リービッヒは学生時代からカリスマ性のある社交的な人間で、国内外に多くの友人を作り、教え子とも進んで親しく付き合った。しかしその性格は好く言えば情熱的、悪く言えばかんしゃく持ちであったといわれる。彼は妥協するということを知らない頑なな人間で、夢中になって研究へ打ち込む一方、自らが「間違っている」と考えた理論には激しい攻撃を加え、それはしばしば個人へも及んだ。そのため味方も多いが敵も多かった。
ベルセリウスとの間には酸や触媒の理論をめぐって激しい議論がおき、『有機化学の生理学および病理学への応用』の内容に関する論争ではついに10年来のつきあいがあった両者は絶交してしまった。また、発酵が単なる化学反応か生物の作用かをめぐってルイ・パスツールとも長い論争を繰り広げ、敗れている。
その一方、壮年期に肥料の研究に乗り出したのはこの時期にヨーロッパを襲った飢饉を解決しようとしてだったといわれるし、普仏戦争の終結に際してバイエルン科学学士院で「今のドイツの学者はフランスに学んだ。次のフランスの学者はドイツに学ぶであろう。両国民が常にこのように手をとりあうべきである」と演説をするなど、きわめて進歩的な思想の持ち主でもあった。

関連項目編集

リービッヒの名が冠された用語編集


リービッヒのカリ球
リービッヒ冷却器
蒸留用や還流用の冷却器の一つ。保温管としても用いられる。ガラス製の内管と外筒からなり、外筒と内管の間に冷媒を流し、内管に通した気体などを冷却する。
リービッヒ‐グラハム冷却器
グラハム冷却器の別名。冷却効率を上げるため、リービッヒ冷却器の内管を螺旋状に改良したもの。
リービッヒ石 (liebigite)
ウランの含水炭酸塩鉱物。組成式は Ca2(UO2)(CO3)3・11H2O。リービッヒの名前にちなんで名づけられた。
リービッヒ滴定
銀滴定によるシアン化物イオンの定量法。シアン化物イオンが銀イオンと反応して安定な錯体を作ることを利用する。
リービッヒのカリ球
カリ球の一種。右の写真参照。球の中の水酸化カリウム二酸化炭素を吸収し、その質量の変化によって試料中の炭素の量を測定するのに用いる。
リービッヒの最小律
「植物の生長は、必要とされる無機養分のうち最も少ないものによって決まる」という法則。
リービッヒの炭水素定量法
有機化合物の定量分析法の一つ。
リービッヒ法
  1. 非電解質中の硫黄の定量法の一つ。水酸化カリウム硝酸カリウムを用いて試料中の硫黄を硫酸イオンにする。
  2. リービッヒ滴定のこと。

参考文献編集

  1. ^ Liebig; Justus (1803 - 1873)” (英語). Past Fellows.  The Royal Society2011年12月11日閲覧。

著書編集

  1. 化学通信1・2(柏木肇訳、岩波文庫刊、1952年。3・4巻は未刊)
  2. 化学の農業及び生理学への応用(吉田武彦訳〔部分訳〕、北海道農業試験場研究資料 第30号、1-152, 1986年)
  3. リービヒ-ローズ論争関係資料(吉田武彦訳、北海道農業試験場研究資料 第40号、1-140, 1989年 上記2.の割愛部分を含む資料)
  4. リービヒ「化学の農業および生理学への応用」(吉田武彦 訳・解題(上記2.の完訳)北海道大学出版会 2007年 409頁 ISBN 978-4832981744)
上記2. 3.の著作は左のページにてpdfのファイル形式により閲覧できる。北海道農業試験場研究資料(20-60号)

伝記編集

  • 化学者リービッヒ(田中実著、岩波新書刊。1977年)
  • 続 化学史窓 ―リービッヒのアルバム―(山岡望著、内田老鶴圃新社刊。1973年)
  • 化学を築いた人々(原光雄著、中央公論社刊。1973年)
  • 百万人の化学史 ―「原子」神話から実体へ―(筏英之著、アグネ承風社刊。1989年)
  • 人物化学史 ―パラケルススからポーリングまで―(島尾永康著、朝倉書店。2002年)

外部リンク編集

22 Comments:

Blogger yoji said...

ちくま


あるいは、後にエンゲルスから厳しく批判されることになる左派の経済学者、オイゲン・デューリングも、リービッヒの理論に注目し、「意識的な物質分配の規制」を訴えた。アメリカではヘンリ・チャールズ


マルクスより先にデューリングはリービッヒに着目している

4:12 午後  
Blogger yoji said...

Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished ...
https://books.google.co.jp/books?isbn...

Kohei Saito - 2017 - ‎プレビュー - ‎他の版
In his book Carey's Revolution of National Economy and Social Science (Carey's Umwälzung der Volkswirthschaftslehre und Socialwissenschaft), Dühring emphasized the meaning of the theory of “soil exhaustion proved by Liebig” for Carey's economic system, maintaining that it “builds a pillar on [Carey's] system.” 14 He argued: Also the problem of soil exhaustion, which has already become quite threatening in North America, for example, will . . . be halted in the long run only ...
The greatest of literary problems, the authorship of the ... - 298 ページ
https://books.google.co.jp/books?id...

James Phinney Baxter - 1930 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
A fair example of this is furnished by two among Bacon's biographers, one of whom, Dixon,1 has grossly overpraised, and the other, an anonymous but able writer, has as grossly abused, him.2 Two German writers have especially made Bacon the subject of animadversion, Liebig and Duhring. 3 Says Fowler of the former, " Baron Liebig, whose diatribe affords an example of literary animosity which is fortunately rare in recent times, condemns almost all his logical precepts as ...
MarxÕs Ecology: Materialism and Nature - 161 ページ
https://books.google.co.jp/books?isbn...

John Bellamy Foster - 2000 - ‎プレビュー - ‎他の版
The widespread use of the concept of metabolism during these decades—a usage that cannot be attributed to any one thinker, although Liebig clearly played an important role-was pointed out by Engels in Anti-Dühring (1877-1878). The fact that “metabolism” or “the organic exchange of matter,” Engels wrote, “is the most general and characteristic phenomenon of life has been said times without number during the last thirty years by physiological chemists and chemical physiologists.

4:34 午後  
Blogger yoji said...

1877: Anti-Duhring
https://www.marxists.org/archive/marx/works/1877/anti-duhring/preface.htm
Marx and I were pretty well the only people to rescue conscious dialectics from German idealist philosophy and apply it in the materialist conception of nature and history. But a knowledge of mathematics and natural science is essential to a conception of nature which is dialectical and at the same time materialist. Marx was well versed in mathematics, but we could keep up with natural science only piecemeal, intermittently and sporadically. For this reason, when I retired from business and transferred my home to London, [15] thus enabling myself to give the necessary time to it, I went through as complete as possible a "moulting", as Liebig calls it, [16] in mathematics and the natural sciences, and spent the best part of eight years on it. I was right in the middle of this "moulting" process when it happened that I had to occupy myself with Herr Dühring's so-called natural philosophy. It was therefore only too natural that in dealing with this subject I was sometimes unable to find the correct technical expression, and in general moved with considerable clumsiness in the field of theoretical natural science. On the other hand, my lack of assurance in this field, which I had not yet overcome, made me cautious, and I cannot be charged with real blunders in relation to the facts known at that time or with incorrect presentation of recognised theories. In this connection there was only one unrecognised genius of a mathematician a who complained in a letter to Marx [17] that I had made a wanton attack upon the honour of the square root of minus one.

4:37 午後  
Blogger yoji said...

moulting
日本語
休み

4:39 午後  
Blogger yoji said...

Regulierung der Verteilung des bewussten Stoffes

4:40 午後  
Blogger yoji said...

moulting
日本語
休み

羽がわり

と訳されている

4:57 午後  
Blogger yoji said...

J・S・ミルの経験論哲学 - 広島大学 学術情報リポジトリ (Adobe PDF)
ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/.../k6574_3.pdf
この第三篇は、当時の科学についての包括的な哲学的研究として国内外を問. わず広く読まれた。例えば、ミルが著作内でも言及したドイツの化学者、ユストゥス・フォ. ン・ リービッヒもこの著作に魅入られた一人である。リービッヒは『論理学体系』における ...... 物質論に限りなく近接する。実際、ミルはバークリについての論文も執筆しており、その中. でバークリが『視覚新論』において我々が視覚情報から観念を生成する過程を分析したこと. に触れ、その正しさを認めている108。 パスモアによれば、ミルは「神に頼ることがなく ...

5:00 午後  
Blogger yoji said...

福富正実『経済学と自然哲学』世界書院、一九八九年
吉田文和『環境と技術の経済学』青木書店、一九八〇年
椎名重明『農学の思想』東京大学出版会、一九七六年

5:03 午後  
Blogger yoji said...

農学の思想 マルクスとリービヒ
版情報   増補新装版
叢書名   UPコレクション  ≪再検索≫
著者名等  椎名重明/著  ≪再検索≫
著者等紹介 1925年茨城県生まれ。52年東京大学農学部卒。立正大学経済学部教授をへて、東京
大学農学部教授などを歴任。現在、東京大学名誉教授。主要著書「イギリス産業革命期の
農業構造」など。
出版者   東京大学出版会
出版年   2014.9
大きさ等  19cm 296p
NDC分類 610.12
件名    農学  ≪再検索≫ リービヒ,J.
件名    マルクス,カール
要旨    マルクスの自然概念への批判的考察を補った決定版。
目次    序章 日本の農業と西洋の農業;第1章 リービヒの農学―その思想と科学;第2章 ロ
ーズおよびギルバートに代表される近代的農業論;第3章 国民経済学的地力概念―J.
コンラートのリービヒ批判;第4章 土地に関する思想―歴史的考察;第5章 マルクス
とリービヒ;補論 マルクスの自然概念・再考
内容    有機農業を破壊した元凶として不当に貶められたリービヒを、マルクス的理解に基づき再
評価。「有機農法」に対する関心の高まりとそれと裏腹の関係にある農薬・肥料公害、自
然破壊の問題にあるべき農学を提起する。

5:12 午後  
Blogger yoji said...

http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2005/02/13171550/
ジョン・ベラミー・フォスター『マルクスのエコロジー』
2005年2月13日 at 17:15:50
マルクスのエコャ??ー表紙

ジョン・ベラミー・フォスター氏は、『独占資本主義の理論』(鶴田満彦監訳、広樹社、1988年)などの著書で知られるアメリカの経済学者。現在はオレゴン大学教授(社会学)。

で、この本は、最初は「マルクスとエコロジー」という題名で書かれる予定だったが、執筆の過程で「マルクスのエコロジー」に変わったという。著者によれば、マルクスに対するエコロジーの側からの批判は、次のような6点にかかわっている。

マルクスのエコロジーにかんする記述は「啓発的な余談」であって、マルクスの著作本体とは体系的に関連づけられていない。
マルクスのエコロジーにかんする洞察は、もっぱら初期の「疎外」論から生まれたもので、後期の著作にはエコロジーにかんする洞察は見られない。
マルクスは、結局、自然の搾取という問題へのとりくみに失敗し、それを価値論に取り込むことを怠った。
マルクスは、科学の発展と社会変革がエコロジー的限界の問題を解決し、未来社会ではエコロジー的問題は考える必要がないと考えた。
マルクスは、科学の問題やテクノロジーの環境への影響に関心を持たなかった。
マルクスは、人間中心主義である。
著者は、こうした見方が、マルクスが批判した相手の議論であって、マルクスのものではないことを明らかにしていくのだが、その詳細は省略せざるを得ない。

面白いのは、こうした問題とかかわって、著者が、自分のマルクス主義理解を問題にしていること。「私のエコロジー的唯物論への道は、長年学んできたマルクス主義によって遮られていた」(まえがき)と書いて、次のように指摘している。

私の哲学的基礎はヘーゲルと、ポジティヴィズム〔実証主義〕的マルクス主義に対するヘーゲル主義的マルクス主義者の反乱に置かれていた。それは1920年代にルカーチ、コルシュ、グラムシによって始められ、フランクフルト学派、ニュー・レフトへとひきつがれたものであった。……そこで強調されたのは、マルクスの実践概念に根ざした実践的唯物論であり、……このような理論の中には、自然や、自然・物質科学の問題へのマルクス主義的アプローチが入り込む余地はないように思われたのである。……私が自分の一部としたルカーチやグラムシの理論的遺産は、弁証法的方法を自然界に適用することの可能性を否定した。それは基本的に領域全体をポジティヴィズムの手に譲り渡すことになると考えたのである。……私の唯物論は、完全に実践的な、政治経済学的なものであり、哲学的にはヘーゲルの観念論とフォイエルバッハによるその唯物論的転倒から知識を得たものだったが、哲学と科学内部における唯物論のより長い歴史については無知だった。(本書、9?10ページ)

著者はまた、「唯物論を実践的なものにする際に、マルクスは自然の唯物論的把握への、つまり存在論的および認識論的カテゴリーとしての唯物論への一般的な関わりをけっして放棄しなかったということである」とも指摘している(同、23ページ)。

で、著者は、唯物論の歴史をふり返って、何を強調しているかというと、それは唯物論が反目的論であること、すなわち自然の説明に目的因や神の意図を持ち出すことを排除する立場であるということ。著者はこのことを強調して、マルクス主義が、自然に対する人間中心主義、つまり「自然は人間のためにつくられた」という立場とは、まったく異なるものであることを強調している。

もう1つは、マルクスの唯物論が、機械論的自然観、機械論的決定論ではないということ。「明白に唯物論的な見地から、マルクスはこうして実在論的であると同時に関係的な(つまり弁証法的な)アプローチを採用した」(同、24ページ)。

そして、エコロジー問題の捉え方についても、次のように指摘する。

現代の社会経済思想のほとんどがそうなのだが、人類とその環境との相互作用の基本的な性格を認識できていない(同、29?30ページ)
問題は人間中心主義対生態系中心主義という対立ではない。実際、こうした二元論は、生物圏の内部における人間存在の現実的な、つねに変化しつつある物質的諸条件を理解する上で、全く役に立たない(同、30ページ)
徹底的なエコロジー的分析には、唯物論的であると同時に弁証法的な立場が必要である(同、37ページ)
ところで、この本の面白いのは、著者がマルクスの史的唯物論や「資本論」の理論を再構成するにあたって、ダーウィンやリービッヒなどの影響、デューリングにたいするエンゲルスの批判などを取り上げていること。この点では、『自然の弁証法』の研究などに示された見地と共通するところがたくさんあること(それが、僕などには、この著者の結論をきわめて妥当なものに思わせるのだが)。
また、未来社会を論じるにあたって、未来社会を「結合した生産者たちの社会」として論じていることも、最近の到達点と共通する部分があって、興味深かった。

日本でのマルクス理解の到達点と共通する見地が、アメリカの研究者のエコロジー問題とマルクス主義についての真しな研究の結果と一致する、少なくとも同じ方向を向いている、というのは、とても面白い事態だと思う。

【書誌情報】著者:ジョン・ベラミー・フォスター/訳者:渡辺景子/書名:マルクスのエコロジー/出版社:こぶし書房/出版年:2004年4月、原著2000年/定価:本体5600円+税/ISBN4-87559-183-7

共有:
クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして Google+ で共有 (新しいウィンドウで開きます)
Similar Articles:
woの先行詞は「南部」か?
フリッツ・ロイター
Google Booksでは「児童労働調査委員会報告書」も見つかる件
Google Booksではいろんなものが見つかってしまう件(続き)
Google Booksで資本論の各版が見つかる件
Tags: ヘーゲル, マルクス, 資本論

Posted in 哲学・思想, 読書

Print This Post Print This Post

人気ブログランキングに参加しています。よかったらクリックしてください。

Trackback This Post
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2005/02/13171550/trackback/


Leave a Reply
Name (required)

Mail (will not be published) (required)

5:16 午後  
Blogger yoji said...

田中正治/農の21世紀システム:5.リービッヒとマルクス
http://associationists.fc2web.com/tanaka0005.html
associationists.fc2web.com/tanaka0005.html
2)『資本論』の草案を大部分書き上げた1864-65年頃、マルクスはリービッヒの見解に共鳴し、リービッヒ近代農業批判の一般理論の経済学的意義を全般的に提起した。」( 福冨正実『経済学と自然哲学』世界書院) そのポイントは、「人類世代の永続的諸条件の確保」としての大地、「人間と土地との間の物質代謝の高次な形における再建」、「都市と農村との対立の克服」であり、農業の永続性、工業に対する利点、未来性を暗示した。 つまり人間の文明史的視点から大工業が資本主義文明を崩壊に導かざるえないことを洞察し ...

8:58 午前  
Blogger yoji said...

Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished ...
https://books.google.co.jp/books?isbn...

Kohei Saito - 2017 - ‎プレビュー - ‎他の版
In his book Carey's Revolution of National Economy and Social Science (Carey's Umwälzung der Volkswirthschaftslehre und Socialwissenschaft), Dühring emphasized the meaning of the theory of “soil exhaustion proved by Liebig” for Carey's economic system, maintaining that it “builds a pillar on [Carey's] system.”14 He ...
Justus Von Liebig: The Chemical Gatekeeper - 5 ページ

9:29 午前  
Blogger yoji said...

斎藤幸平 (@koheisaito0131) | Twitter
twitter.com/koheisaito0131
欲望の民主主義」で言及していた、資本主義が自然素材の枯渇をもたらすことで自滅することを、マルクスが言及していたと。この打破も、個々の主体化 ... ようになりました。 Kohei Saito : « La justice climatique inclut une composante de la lutte des classes ...

9:32 午前  
Blogger yoji said...

マルクスとエコロジー ――資本主義批判としての物質代謝論 (Νύξ叢書2) 単行本 – 2016/6/10
岩佐茂 (著), 佐々木隆治 (著), 明石英人 (著), 斎藤幸平 (著), 隅田聡一郎 (著), 羽島有紀 (著), 梁英聖 (著), クォン・オボム (著), ポール・バーケット (著), ジョン・ベラミー・フォスター (著), カール=エーリッヒ・フォルグラーフ (著)
5つ星のうち 4.3 3件のカスタマーレビュー

9:39 午前  
Blogger yoji said...

マルクスとエコロジー 資本主義批判としての物質代謝論
岩佐茂佐々木隆治明石英人斎藤幸平隅田聡一郎羽島有紀ジョン・ベラミー・フォスターポール・バーケットカール゠エーリッヒ・フォルグラーフ權五範梁英聖
発行:堀之内出版
四六判 368ページ 上製
価格 3,500円+税
ISBN978-4-906708-60-4CコードC0010


序文 岩佐茂

第一部 マルクスのエコロジー論
 第一章 マルクスのエコロジー論の意義と射程―物質代謝論の視点から 岩佐茂 
 第二章 マルクスと自然の普遍的な物質代謝の亀裂 ジョン・ベラミー・フォスター
 第三章 持続可能な人間的発展についてのマルクスのヴィジョン ポール・バーケット 

第二部 経済学批判とエコロジー
 第一章 経済学批判体系における物質代謝論の意義 佐々木隆治
 第二章 資本の弾力性とエコロジー危機 明石英人 
 第三章 資本主義的生産様式における「自然の無償性」とは何か? 羽島有紀

第三部 新MEGAとエコロジー
 第一章 「フラース抜粋」と「物質代謝論」の新地平 斎藤幸平 
 第二章 マルクスと発展した資本主義的生産における社会の物質代謝の絶え間ない破壊 カール゠エーリッヒ・フォルグラーフ 

第四部 マルクスのエコロジー論の現代的射程
 第一章 マルクス『資本論』における技術論の射程―原子力技術に関する理論的考察 隅田聡一郎
 第二章 マルクスの資本主義に対するエコロジー的批判と二一世紀の食糧危機―過少生産論に対する批判的検討 權 五範(クォン・オボム)(翻訳 梁英聖)
 

あとがき 佐々木隆治 

参考文献

9:41 午前  
Blogger yoji said...

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784906708604

9:42 午前  
Blogger yoji said...

デューリング
ヘンリーケアリー論 1867年

9:49 午前  
Blogger yoji said...

ちくま


あるいは、後にエンゲルスから厳しく批判されることになる左派の経済学者、オイゲン・デューリングも、リービッヒの理論に注目し、「意識的な物質分配の規制」を訴えた。アメリカではヘンリ・チャールズ


マルクスより先にデューリングはリービッヒに着目している

4:21 午後
Blogger yoji said...
Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished ...
https://books.google.co.jp/books?isbn...

Kohei Saito - 2017 - ‎プレビュー - ‎他の版
In his book Carey's Revolution of National Economy and Social Science (Carey's Umwälzung der Volkswirthschaftslehre und Socialwissenschaft), Dühring emphasized the meaning of the theory of “soil exhaustion proved by Liebig” for Carey's economic system, maintaining that it “builds a pillar on [Carey's] system.”14 He ...

9:30 午前
Blogger yoji said...
soil exhaustion

土壌疲弊

斎藤公平

9:31 午前
Blogger yoji said...
斎藤幸平 (@koheisaito0131) | Twitter
twitter.com/koheisaito0131
欲望の民主主義」で言及していた、資本主義が自然素材の枯渇をもたらすことで自滅することを、マルクスが言及していたと。この打破も、個々の主体化 ... ようになりました。 Kohei Saito : « La justice climatique inclut une composante de la lutte des classes ...

9:55 午前  
Blogger yoji said...

Carey's Umwälzung der Volkswirthschaftslehre und Socialwissenschaft : 12 Briefe
Dühring, Eugen
Published by ReInk Books, 2017
Print on Demand

10:20 午前  
Blogger yoji said...

abandon the principle of laissez faire,” a staple of classical political economy since Adam Smith. Dühring asks for “conscious regulation of material distribution” (bewusste Regulirung der Stoffvertheilung) as the “only countermeasure” against wasteful production in that it would overcome the division between town and country. 16

14. Eugen Dühring, Carey’s Umwälzung der Volkswirthschaftslehre und Socialwissenschaft (Munich: E. A. Fleischmann, 1865), xv. 15. Ibid., xiii. 16. Eugen Dühring, Kritische Grundlegung der Volkswirthschaftslehre (Berlin: Alb. Eichhoff, 1866), 230.

10:25 午前  
Blogger yoji said...

6  Marx’s Ecology after 1868

10:25 午前  
Blogger yoji said...

佐々木隆治×斎藤幸平 『マルクスとエコロジー』刊行記念対談「マルクスのアクチュアリティ」|堀之内出版ブログ(公式)|note
https://note.mu/horipub/n/n81771f5788bf
久留間派の潮流を受け継いで
斎藤 「物質代謝」(Stoffwechsel)とも関連しますが、今回、マルクスのエコロジーに結びついた着眼点はStoffつまり、「素材」、「物質」という概念で、それがフォスターたちの研究とも交差しています。
 この「素材の思想」は佐々木さんが独自に展開したものですが、佐々木さんの『資本論』の読解は、大谷禎之介先生、平子友長先生といったMEGA編集にもかかわっている日本の研究者たちに通じていて、さらに遡ると久留間鮫造先生の研究につながっています。ただ残念なことに、久留間先生の研究はあまり知られていませんね……。
佐々木 久留間先生は、東京帝国大学を卒業後、住友銀行に入行しますが、米騒動の労働者の運動に衝撃を受けて退行し、大原社会問題研究所に入所して研究者として活動された方です。
 久留間先生はまずスミスやリカードに関心を持ち、マルクスがスミスやリカードを研究した、いわゆる『剰余価値学説史』、いまでいえば『一八六一—六三草稿』を読むことからマルクス研究を開始されました。だから、いわゆる「マルクス主義」といわれるような政治的なマルクス解釈にとらわれることなく、マルクスをあくまでもテキストに即して研究したのです。間違いなく、久留間先生は、マルクスの経済学批判の核心を圧倒的に高い水準で明らかにした方だと思います。自分の独自の枠をつくるとか、独自の学派を展開するとか、一見、派手そうなことではなく、マルクスをきちんと理解するという点、とりわけ貨幣論や恐慌論では世界随一の仕事をされた。誤解を恐れずにいえば、価値形態論を本当にわかっているのは、管見のかぎり、久留間先生の仕事を継承する潮流だけです。
斎藤 久留間先生自身がまさにそのようにいっていますね。「マルクスの書いていることを正しく理解しようとして繰り返し読んだ結果、なるほどこれはこういうことだったのかというふうに、自分なりに納得がいくようになった。……もしぼくが、弁証法とか分析的方法とかについての先入見をもってマルクスを読んでいたら、へたをすれば、かえってとんでもないまちがった解釈をすることになったかもしれないと思うのです。」久留間先生の研究の成果が『マルクス経済学レキシコン』(大月書店)として出版され、それがドイツの出版社の目にとまりドイツ語版が出版されたことで、海外でも業績が認められるようになりました。久留間先生の弟子である大谷先生も、『資本論』草稿をアムステルダムで解読して、一文一文エンゲルス版と比較して検討し、その成果が海外の研究者たちに高く評価されている。
 だから、MEGAは九〇年代に入ってソ連が崩壊したときにプロジェクトの存続が危ぶまれたのですが、国際体制で政治的には中立な新プロジェクトとしてMEGAが継続されることが決まったときに、日本のグループとしても参加してくれ、と言われたのは大谷先生だったわけですね。

5:54 午前  

コメントを投稿

Links to this post:

リンクを作成

<< Home