水曜日, 5月 17, 2017

京都学派 Kyoto School(西田幾多郎関連)


NAMs出版プロジェクト: 京都学派 Kyoto School
http://nam-students.blogspot.jp/2017/05/kyoto-school.html?m=0
SUZUKI Daisetz 鈴木大拙 NHK婦人の時間 (+西田幾多郎関連)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/suzuki-daisetz-nhk.html

西田幾多郎『続思索と体験』岩波文庫208頁

歌并[ならびに]詩
昭和四年

《此頃しばしばマルキスト来りマルクスを論ず
夜更けまで又マルクスを論じたりマルクスゆゑにいねがてにする》

*「いねがてにする」は「寝ることができない」の意


西田幾多郎『善の研究』より座談会『近代の超克』 (冨山房百科文庫)を読むべきだ。
以下のようなマトリクスが考えられる。

      宗 教
       |
     西谷啓治
   林房雄 |亀井勝一郎 
     西田幾多郎 小林秀雄  
国______|竹内好____個
家      |       人
   津村秀夫| 
      諸井三郎
       |下村寅太郎
       |
      科 学

西田と下村をつなぐのはライプニッツだ。
西田にはプラグマティズムと華厳経の影響がある。




近代の超克

(0)『「近代の超克」その戦前・戦中・戦後』 (2015) 鈴木貞美

(1)『近代の超克』 (1943/1979)
   西谷啓治、諸井三郎、鈴木成高、菊池正士、下村寅太郎、吉満義彦、小林秀雄、
   亀井勝一郎、林房雄、三好達治、津村秀夫、中村光夫、河上徹太郎、竹内好

(2)『季刊・思潮 No.4 近代の超克と西田哲学』 (1989) 廣松渉、浅田彰、市川浩、柄谷行人

(3)『論 昭和思想史への一視角』 (1989) 廣松渉

(4)『「近代の超克」とは何か』 (2008) 子安宣邦

・西谷啓治 - 京都学派の哲学者。京都帝国大学助教授。論文「「近代の超克」私論」を執筆。
・諸井三郎 - 音楽評論家。東洋音楽学校・東京高等音楽院講師。論文「吾々の立場から」を執筆。
・鈴木成高 - 京都学派の西洋史家。京都帝大助教授。
・菊池正士 - 物理学者。大阪帝国大学教授。論文「科学の超克について」を執筆
・下村寅太郎 - 京都学派の科学史家。東京文理科大学教授。論文「近代の超克の方向」を執筆。
・吉満義彦 - 哲学者・カトリック神学者。東京帝国大学講師。論文「近代超克の神学的根拠」を執筆。
・小林秀雄 - 文学界同人の文芸評論家。明治大学教授。
・亀井勝一郎 - かつて日本浪曼派に参加し、文学界同人の文芸評論家。論文「現代精神に関する覚書」を執筆。
・林房雄 - 文学界同人の文芸評論家。論文「勤王の心」を執筆。
・三好達治 - 文学界同人の詩人。明大講師。論文「略記」を執筆。
・津村秀夫 - 映画評論家。朝日新聞記者。文部省専門委員。論文「何を破るべきか」を執筆。
・中村光夫 - 文学界同人の文芸評論家。論文「「近代」への疑惑」を執筆。
・河上徹太郎 - 文学界同人の文芸評論家。論文「「近代の超克」結語」を執筆。


目新しいのは鈴木 『「近代の超克」その戦前・戦中・戦後』。

近代の超克に留まらない、日本と世界の近現代史論。
哲学、科学、政治、宗教・精神史から
生命論、エネルギー論、言語論などを通し、
圧倒的なスケールで近代の超克問題を立て直す、21世紀の必読書。

☆☆☆☆☆


      宗 教
       |
     西谷啓治
   林房雄 |亀井勝一郎 
     西田幾多郎 小林秀雄  
国______|_______個
家      |       人
   津村秀夫| 
      諸井三郎
       |下村寅太郎
       |
      科 学

あるいは、

      宗 教
       |
     西谷啓治
   林房雄 |亀井勝一郎 
       |   小林秀雄  
過______|_______未
去      |       来
   津村秀夫| 
      諸井三郎
       |下村寅太郎
       |
      科 学
京都学派(きょうとがくは)とは、一般に西田幾多郎田邊元および彼らに師事した哲学者たちが形成した哲学の学派のことを指すが、京都大学人文科学研究所を中心とした学際的な研究を特色とした一派も、京都学派、あるいは哲学の京都学派と区別するために、新・京都学派とも称する。その他にも様々な学問分野において『京都学派』と呼ばれるグループが存在している。
目次:
京都学派(哲学)
京都学派(哲学)の人物
京都学派(近代経済学)
京都学派(京大人文研)
東洋史学
京都学派(憲法学)
京都学派(精神医学)
関連人物
哲学
近代経済学
憲法学
精神医学
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク

京都学派(哲学)編集

その詳細な定義は国や研究者によって異なり、未だに世界各国で盛んな研究の対象となっている。主なメンバーとして、西田幾多郎田邊元波多野精一朝永三十郎和辻哲郎三木清西谷啓治久松真一武内義範土井虎賀壽下村寅太郎上田閑照大橋良介らが挙げられ、また左派としては三木清以外に戸坂潤中井正一久野収らが挙げられる。とりわけ中井は後述する京都学派(人文研)の桑原武夫や、京都学派(近代経済学)の青山秀夫とも懇意であった。また桑原は父親が京大文学部教授であったこともあって西田とも若い頃から接していたという。
京都学派は西洋哲学東洋思想の融合を目指した『善の研究』などで表される西田哲学の立場に立ち、東洋でありながら西洋化した日本で、ただ西洋哲学を受け入れるだけではなくそれといかに内面で折り合うことができるかを模索した。しかしながら東洋の再評価の立場や独自のアイデンティティを模索することは次第に「西洋は行き詰まり東洋こそが中心たるべき」との大東亜思想に近づくことになった。特に京都学派四天王(西谷啓治・高坂正顕高山岩男鈴木成高)らは、「世界史の哲学」や「近代の超克」を提唱し、海軍に接近した。このため太平洋戦争の敗戦により、戦前の京都学派はいったん没落した。だが戦後も高坂、高山らは自民党などの保守政治に接近し、京都学派と政治とのかかわりは今日に至るまで脈々と続いている。なお、陸軍が海軍に較べて圧倒的な力をもっていた時代において、海軍への接近は軍部政権への翼賛というよりは、軍部の方針を是正しようとする体制批判の行動であったと、大橋良介は評している。また、大島康正メモによると、この海軍のブレーントラストとしての京都学派の集まりに、京都学派(東洋史学)の宮崎市定も常連として参加していたと大橋は指摘する。
なお、大橋の著書では梯明秀の分類に依拠しながら、京都学派と京都哲学とを分けて捉えることを提案する。要するに、「何らかのかたちで<無>の思想を継承・展開した思想家のネットワーク」を京都学派と捉え、西田や田辺に学び、単に彼らの知的ネットワークの下にいるものを京都哲学に分類する。その場合、三木は微妙な立ち位置になるとされるが、多くの左派の弟子たちは京都学派に含まれない。また弟子として西田の著作の編集や解説を書きつつ、自分自身の研究は歴史的な方向へと向かった下村寅太郎もたぶん含まれないであろう。また京都大学とは縁はないので一般に京都学派に含めないし、大橋も言及していないが、鈴木大拙は西田の親友で、「<無>の思想を継承・展開」するという点でも相互に影響を与え合っているし、京都の大学(大谷大学)に務めてはいるので、大橋の定義に従えば鈴木も京都学派ということにもなる。他方、中村雄二郎は『共通感覚論』 (1979) において、三木や戸坂や中井(それに京大卒ではないが戸坂と親しい三枝博音の名が挙げられる)の共通感覚への言及を追っていくと、西田哲学の「場所の論理」の批判的乗り越えが可能となると示唆する。その点からも京都学派(哲学)を狭く捉えすぎない方が、生産的であるとも考えられる。

京都学派(哲学)の人物編集

京都学派(近代経済学)編集

戦前の日本で「国際的に評価された最初の経済学者」[1]である柴田敬を中心に、その一般均衡理論の師であり「日本のマーシャル」とも呼ばれた高田保馬、高田門下で戦後多くの俊秀を育てた青山秀夫の3人の京大教授を挙げて、「近代経済学の京都学派」と名付けたのは、東大の根岸隆[2]である。
また、森嶋通夫も、「戦前日本の代表的経済学者は、高田保馬、園正造、そして柴田敬の3人の京大教授」[3]だと言っている。
柴田敬は、京大で河上肇のゼミ生としてマルクス経済学を河上に、一般均衡論を高田保馬に、国民主義経済学を作田荘一に学んだ後、黄金時代のハーバード大やケインズ革命勃興期のロンドンに留学し、シュンペーターケインズからも日本人経済学者として最も高い評価[4]を受けた理論経済学者であったが、留学から帰国後、京都学派(哲学)や近衛文麿等の新体制運動の経済理論上の指導者となり、戦後、公職追放となった。しかしながら、近年、根岸隆、福岡正夫等から、柴田経済学の再評価が行われている[5]。また柴田の代表的な弟子の一人が杉原四郎である。杉原は柴田の師匠である河上を研究し、また書誌学・図書館学と経済思想史を結びつけた研究を展開した[6]。また、柴田の恩師の河上は山口高等商業にて西田幾多郎からドイツ語を学び、その縁で京大時代も西田と交流をもち、近衛も西田と河上に学ぶために東大から京大に転学しており、柴田ならびにその周辺は京都学派(哲学)と縁が深く、さらに西田ら京都学派(哲学)が蓑田胸喜の執拗な攻撃の対象となったのも、昭和研究会、近衛の延長上に彼らがいたからであるとの説も紹介されている[7]

京都学派(京大人文研)編集

また、上記とは別に戦後京都大学人文科学研究所(京大人文研)にて頻繁に共同研究会を開き、活発な討論を行っていた一派も、京都学派と呼ばれるが、上記の京都学派とは直接の関係はない。こちらは東洋史学の貝塚茂樹塚本善隆藤枝晃中国文学吉川幸次郎フランス文学桑原武夫植物学中尾佐助生態学から人類学にまたがる成果を挙げた今西錦司らが特に著名である。この顔ぶれからも推察されるように、この京大人文研の活動範囲は狭義の人文科学から自然科学の領域にまでまたがった学際的なもので、今西は自らの学問領域を自然学とも称した。また、国立民族学博物館へと活躍の場を移した梅棹忠夫(生態学→民族学人類学)や、国際日本文化研究センターの設立に尽力した梅原猛(哲学)らも、この京大人文研の京都学派に含める。また桑原によって京大人文研助教授に迎えられた鶴見俊輔、同助手でのちに教育学部助教授に配置換えとなった加藤秀俊らは一般に京都学派に含めないが、桑原武夫をはじめ多くの人文研スタッフとともに思想の科学研究会の主要メンバーでもあった(鶴見はメンバーというよりも会の創設者)。鶴見らは京都学派(哲学)の中井正一、久野収らとも懇意で、中井、久野と一緒に運動を行った世界文化同人の多くが思想の科学研究会に加わっていて(例えば武谷三男。なお武谷は上記人文研の貝塚茂樹の弟湯川秀樹の共同研究者としても名高い)、その点で、京都学派(哲学)の左派と京都学派(人文研)二つをつなぐ媒介項に、鶴見、桑原、思想の科学研究会があったともいえよう。なお京都学派(哲学)の主流には思想の科学研究会は批判的で、例えば同研究会『共同研究 転向』第2篇第2章第6節「総力戦理論の哲学―田辺元・柳田謙十郎」(後藤宏行)では田辺に代表される京都学派の主流が戦争協力した点を断罪し、中井正一らの着想によってそれが乗り越えられるとしているし(その点で先述の中村雄二郎『共通感覚論』での指摘の先駆でもある)、また鶴見も「哲学の言語」(『思想』1950年)で西田が「即というコプラ」を多用することを批判的に捉える。

東洋史学編集

東洋史学分野における京都学派は、より古く京都帝国大学期の内藤湖南桑原隲蔵(上記、人文研の桑原武夫の父)、羽田亨を創始者とし、他に狩野直喜矢野仁一等がいる。弟子に宮崎市定田村実造三田村泰助谷川道雄、ほか多数の東洋学者たちがおり、京大人文研の一角をなした島田虔次川勝義雄吉川忠夫(上記、吉川幸次郎の子息)等もいる。
その特色は、湖南が提唱した時代区分論である。時代までを上古(古代)、魏晋南北朝時代を中世以降を近世アヘン戦争以降を近代とする四時代区分法を中心に中国史の研究を展開した。大戦後には、東京大学に本拠を置く歴史学研究会唯物史観を基にした時代区分法(東京学派)(唐中期までを古代とし、宋以降を中世とする)との間で激しい史学論争が行われた。

京都学派(憲法学)編集

佐々木惣一大石義雄阿部照哉佐藤幸治らを中心とした憲法学の学派。東京大学を中心とする学派の政治学的解釈に対する法律学的解釈を志向するなどを特色とする。

京都学派(精神医学)編集

今村新吉初代教授により京都大学医学部精神医学教室には哲学的精神病理学の方向性が示された。その後三代目村上仁教授によって精神病理学の伝統は受け継がれ、後に加藤清笠原嘉木村敏藤縄昭など時代を代表する精神医学者を多数輩出した[8]。なお木村敏は西田哲学会で「西田哲学と私の精神病理学」という演題の講演を行っており[9]、京都学派(哲学)と京都学派(精神医学)との関係は深い。

関連人物編集

脚注編集

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  1. ^ 根岸隆:「経済思想10日本の経済思想2」鈴木信雄編 第4章 柴田敬 国際的に評価された最初の経済学者
  2. ^ 根岸隆:「現代経済思想の散歩道」倉林義正ほか編2004年7月15日 日本評論社 第8章 近代経済学の京都学派
  3. ^ 宮崎義一伊東光晴「忘れられた経済学者・柴田敬」経済評論S53/8月号
  4. ^ 「日本の経済学者でシュンペーターのもとを訪れた者のうち、シュンペーター自身が、来る前から異常に高く評価したのは柴田敬であり、来た後に高く評価したのが都留重人であって、これ以外の人についてはほとんど評価していない」、「ケインズの日本人嫌いの理由の一つには、日本の経済学者でケインズのところへ来た人間にろくなやつがいなかったということがあります。論争らしい論争をやったのは柴田さん一人ですか」宮崎義一、伊東光晴「忘れられた経済学者・柴田敬」経済評論53/8月号
  5. ^ 国際的な経済学大辞典 (The New Palgrave1987) の独立項目にその名を記す日本人経済学者は僅か5人を数えるのみであるが、その一人として、柴田敬が選ばれている
  6. ^ 後藤嘉宏 「社会科学における書誌作成の意義と根拠:杉原四郎における経済思想史の方法論と図書館学的関心の関わり」『図書館学会年報』44巻2号(1998年9月)、pp.49-64
  7. ^ 小林敏明『西田幾多郎の憂鬱』岩波現代文庫,2011年
  8. ^ 藤縄昭 『私家本 仏像遍歴』 ナカニシヤ出版、2002年2月、94頁。ISBN 9784888486729
  9. ^ 西田哲学会 第10回年次大会プログラム”. 2014年4月閲覧。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集




・西周(1829-1897)
・福沢諭吉(1835-1901)
・中江兆民(1847-1901)
・井上哲次郎(1856-1944)
・井上円了(1858-1919)
・内村鑑三(1861-1930)
・岡倉天心(1862-1913)
・清沢満之(1863-1903)
・南方熊楠(1867-1941)
・鈴木大拙(1870-1966)
・柳田國男(1875-1962)
・折口信夫(1887-1953)
・柳宗悦(1889-1961)
・宮沢賢治(1896-1933)
・井筒俊彦(1914-1993)

京都学派
・西田幾多郎(1870-1945)
・波多野精一(1877-1950)
・田辺元(1885-1962)
・九鬼周造(1888-1941)
・和辻哲郎(1889-1960)
・久松真一(1889-1980)
・三木清(1897-1945)(京都学派左派)
・戸坂 潤(1900-1945)(京都学派左派)
・高坂正顕(1900-1969)(京都学派四天王、近代の超克)
・西谷啓治(1900-1990)(京都学派四天王、近代の超克)
・高山岩男(1905-1993)(京都学派四天王、近代の超克)
・鈴木成高(1907-1988)(京都学派四天王、近代の超克)
・梅原猛(1925-)
・上田閑照(1926-)
・大橋良介(1944-)  
下村寅太郎(1902-1995)(京都哲学、近代の超克)

下村 寅太郎(しもむら とらたろう、1902年明治35年)8月17日 - 1995年平成7年)1月22日)は、日本哲学者科学史家
科学史から芸術美術史精神史まで幅広い論考著述を行った。

目次

略歴編集

京都市生まれ。京都帝国大学哲学科卒。西田幾多郎に師事し、後に「全集」編集委員。1941年昭和16年)東京文理科大学助教授、1945年(昭和20年)教授、学制改革により校名変更し東京教育大学教授、1967年(昭和42年)定年退官。学習院大学教授に就いた。1971年(昭和46年)『ルネッサンスの芸術家』により学士院賞受賞。1975年(昭和50年)日本学士院会員。
『著作集』(全13巻)は11年かけ、みすず書房で刊行された。蔵書は関西学院大学図書館に収められ、2002年(平成14年)に『下村寅太郎蔵書目録』が出された。

著書編集

  • ライプニッツ』 弘文堂〈西哲叢書〉 1938、みすず書房(増補版) 1983
  • 『自然哲学』 弘文堂〈教養文庫〉 1939
  • 『科学史の哲学』 弘文堂 1941、評論社(新版) 1975
  • 『無限論の形成と構造』 弘文堂 1944、みすず書房(新版) 1979
  • 『西田哲学』 白日書院 1947、「西田哲学への道」現代教養文庫 1951
  • 『若き西田幾多郎先生 「善の研究」の成立前後』 人文書林 1947
  • 『科学以前』 弘文堂〈アテネ文庫〉 1948
  • 『精神史の一偶』 弘文堂 1949
  • レオナルド・ダ・ヴィンチ』 勁草書房 1961、新版1979
  • 『ヨーロッパ遍歴 聖堂・画廊・広場』 未來社 1961、新版1975
  • 『西田幾多郎 人と思想』 東海大学出版会 1965 新版1977
  • アッシシの聖フランシス』 南窓社 1965、新版1980、1991(キリスト教歴史双書)
  • 『ルネッサンスの芸術家 精神史的研究』 筑摩書房 1969
  • 『遭逢の人』 南窓社 1970
  • 『精神史の森の中で 研究ノートより』 河出書房新社 1972
  • モナ・リザ論考』 岩波書店 1974
  • 『スウェーデン女王クリスチナ バロック精神史の一肖像』 中央公論社 1975、中公文庫 1992
  • 『ルネッサンス的人間像 ウルビーノの宮廷をめぐって』 岩波新書 1975、復刊1992
  • 『レオナルド 遠景と近景』 南窓社 1977
  • 『西東心景 雁のたより1』 北洋社 1977
  • 『わが書架 雁のたより2』 北洋社 1979
  • 『明治の日本人 雁のたより3』 北洋社 1979
  • 東郷平八郎』 講談社学術文庫 1981
  • 『精神史の中の芸術家』 筑摩書房 1981
  • 『煙霞帖』 南窓社 1982
  • ブルクハルトの世界 美術史家・文化史家・歴史哲学者』 岩波書店 1983
没後出版
  • 大橋良介編解説 「精神史の中の日本近代」 京都哲学撰書4 燈影舎 2000
  • 野家啓一編解説 「精神史としての科学史」 京都哲学撰書27 燈影舎 2003
  • 加藤尚武解説 「科学史の哲学」 みすず書房〈始まりの本〉 2012
  • 小坂国継編解説 「西田幾多郎研究資料集成 第5巻 下村寅太郎集」クレス出版 2012

著作集編集

  • 下村寅太郎著作集』全13巻 みすず書房 1988-99
  1. 「数理哲学・科学史の哲学」、1988
  2. 「近代科学史論」、1992
  3. 「アッシジのフランシス研究」、1990
  4. 「ルネサンス研究 ルネサンスの芸術家」、1989
  5. 「レオナルド研究」、1992
  6. 「ルネサンスとバロックの人間像」、1993
  7. 「ライプニッツ研究」、1989
  8. 「聖堂・画廊・広場 ヨーロッパ遍歴」、1988
  9. 「ブルクハルト研究」、1994
  10. 「美術史・精神史論考」、1995
  11. 「哲学的問題」、1997
  12. 「西田哲学と日本の思想」、1990
  13. 「エッセ・ビオグラフィック」 、1999

編著編集

  • 『哲学研究入門』 淡野安太郎共編 小石川書房 1949
  • 『現代哲学入門 唯物論と人間』 有斐閣 1958
  • 『学問の建設 心の対話』 今西錦司との対話 日本ソノサービスセンター 1969
    • 新装版 『学問のこころ 心の対話』 ぺりかん社 1982
  • 『西田幾多郎 同時代の記録』 岩波書店 1971
  • 『哲学思想 現代日本思想大系24』 古田光と共編・解説 筑摩書房 1975
  • スピノザライプニッツ』、「世界の名著25」中央公論社 1969、新版1978
    • 『ライプニッツ モナドロジーほか』、中公クラシックス 2005、解説「来るべき時代の設計者」
  • 『レオナルド・ダ・ヴインチ 世界美術全集5』 田中英道と解説、集英社 1977、普及版1978
  • 『光があった 地中海文化講義』 小川国夫との対話 朝日出版社 1979
  • アッシジ修道院 世界の聖域14』 長塚安司と解説、講談社 1981

翻訳編集

記念論集編集

  • 『ヨーロッパ精神史の基本問題 下村寅太郎先生退官記念論文集』

外部リンク編集




近代の超克」(きんだいのちょうこく)は、戦中期日本文芸誌文学界』(1942年(昭和17年)9月および10月号)の特集記事で、掲載された13名の評論家によるシンポジウム
この特集をまとめ、単行本が1943年創元社で刊行された。竹内好による同タイトルの批判論文(1959年)もある。

目次

概要編集

「知的協力会議」と銘打ったこのシンポジウムは、対米英開戦という時局のもと、明治時代以降の日本文化に多大な影響を与えてきた西洋文化の総括と超克を標榜して1942年7月、河上徹太郎を司会として2日間にわたり行われた。
『文学界』の同年9月号にはシンポジウムに参加した西谷啓治諸井三郎津村秀夫吉満義彦の論文が、10月号には亀井勝一郎林房雄三好達治鈴木成高中村光夫の論文、およびシンポジウム記録が掲載された(このうち事後に書かれた三好・中村のものを除く論文は、事前に執筆されシンポジウムで検討に供されたものである)。これらは翌1943年7月には同名タイトルの単行書として創元社より刊行されたが、この際、鈴木の論文は外され、代わりに当初未掲載であった下村寅太郎菊池正士の論文、および司会の河上による「結語」が新たに収録されている(論文タイトルなどは後出)。
第二次世界大戦後、竹内好は『近代日本思想史講座』第7巻(筑摩書房より1959年刊)に、論文「近代の超克」を寄稿し、当時はほとんど忘れ去られていたこのシンポジウムを批判的に検討し日本思想史の問題として全面的に総括することを提起した。

参加者編集

参加者の大半は京都学派(「世界史の哲学」派)の哲学者、旧『日本浪曼派』同人・『文学界』同人の文学者文芸評論家により構成されていた。なお役職名は当時のものであり、論文タイトルは1943年創元社版に収録されたものを記した。
  • 西谷啓治 - 京都学派の哲学者。京都帝国大学助教授。論文「「近代の超克」私論」を執筆。
  • 諸井三郎 - 音楽評論家。東洋音楽学校・東京高等音楽院講師。論文「吾々の立場から」を執筆。
  • 鈴木成高 - 京都学派の西洋史家。京都帝大助教授。
  • 菊池正士 - 物理学者。大阪帝国大学教授。論文「科学の超克について」を執筆
  • 下村寅太郎 - 京都学派の科学史家。東京文理科大学教授。論文「近代の超克の方向」を執筆。
  • 吉満義彦 - 哲学者・カトリック神学者。東京帝国大学講師。論文「近代超克の神学的根拠」を執筆。
  • 小林秀雄 - 文学界同人の文芸評論家。明治大学教授。
  • 亀井勝一郎 - かつて日本浪曼派に参加し、文学界同人の文芸評論家。論文「現代精神に関する覚書」を執筆。
  • 林房雄 - 文学界同人の文芸評論家。論文「勤王の心」を執筆。
  • 三好達治 - 文学界同人の詩人。明大講師。論文「略記」を執筆。
  • 津村秀夫 - 映画評論家。朝日新聞記者。文部省専門委員。論文「何を破るべきか」を執筆。
  • 中村光夫 - 文学界同人の文芸評論家。論文「「近代」への疑惑」を執筆。
  • 河上徹太郎 - 文学界同人の文芸評論家。論文「「近代の超克」結語」を執筆。

参考文献編集

1943年の創元社版に、松本健一による「解題」、竹内好の同名論文を併録。
  • 廣松渉『〈近代の超克〉論-昭和思想史への一断想-』(朝日出版社、1980年/講談社学術文庫、1989年)
  • 孫歌『竹内好という問い』(岩波書店)
  • 菅原潤『「近代の超克」再考』(晃洋書房)
  • 子安宣邦『「近代の超克」とは何か』(青土社)

関連項目編集



しかし、1943年の「こどものための小交響曲」を発端に、それまでの彼の作品には有り得なかった日本的、叙情的な作風が顔を出すようになる。1944年に書かれた「交響曲第3番」は、彼が戦争による死を覚悟し、まさしく遺書として書かれた、日本の音楽史上に燦然と輝く壮絶な大作である。特に最終楽章「死に関する諸観念」の、苦悩から悟りの境地に達する音楽は圧倒的感銘を聴き手に与える。2004年にナクソスよりこの曲のCDが発売され(指揮:湯浅卓雄)、多くの人々の感動を呼んでいる。
戦後の作曲活動は不活発で、1945年から没年の1977年の32年の間にわずか8曲しか残していない。その理由は、「交響曲第3番」の作曲によって「燃え尽きた」ためであるという指摘が多い。しかし1951年の「交響曲第4番」は、当時国内に流入しはじめてきたロシア音楽の素材を彼なりに消化した、「交響曲第3番」とは驚くほど対照的な明朗快活な音楽である。また最晩年の1977年に書かれた「ピアノ協奏曲第2番」では、弟子たち(入野義朗柴田南雄)や息子(諸井誠)より数十年遅れて十二音技法による作曲を試みており、作品数は少ないながらも新境地を切り開いていることは大いに注目に値する。
作曲活動が下火になるのと対照的に、著作者としての顔が表に現れるようになる。1946年からの20年間に、平均して年2冊のペースで著書を出版するほどに力を注いだ。
https://www.amazon.co.jp/諸井三郎-交響曲-第3番・交響的二楽章他/dp/B0002V04A8/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1495201985&sr=8-1&keywords=諸井三郎



西田幾多郎 日本文化の問題

西田幾多郎『日本文化の問題』岩波新書

「nisidakitaro_nihonbunka.pdf」をダウンロード


 此書は一昨年の春、京大の月曜講義に於て話した所のものを敷演したのである。その時は一時間宛三囘の講演であつたから、此書は量に於て、質に於て、面目を一新した。併し兎に角、それが此書を書く機縁となつたのである。 「二」「三」「四」は、此の書に於ての如き問題を論するに當つて、根柢となる私の考の要點を述べたものである。 「五」以下はそれを基として、東西文化の問題、日本精神の問題を、如何なる點から如何に見るべきかを考へて見たのである。此等の考は私が未だ之を專門的に考究したのではなく、自分の哲學的體系に沈潛する傍、心に浮び來つたものを記したものに過ぎない。その未熟なることは云ふまでもない。唯、大方の教を乞ふのみである。 「二」から「四」までは、右に云つた如く私の考の要點を此處に必要なだけ述べたのであるから、哲學專門の人には簡に過ぐると思はれるでもあらう。それ等の人は私の「哲學論文集」について詳細を知られんことを望む。又哲學的思索に慣れない人には、あまりに專門的にして理解し難いと思はれるかも知れない。それ等の人は「五」以下だけによつてでも、私の云はんと欲する所を、大體に於て了解せられるであらうと思ふ。
 「學問的方法」と云ふのは、昭和十二年の秋、日比谷に於ての講演の要領である。文部省教學局の教學叢書の中に收められたものであるが、教學局に願つて此書の終に附加することとした。

昭和十五年二月
著者

日本文化の問題
附録 學問的方法


人闇の祉會は絶對矛盾的自己伺一的世界の自己限定として瓧田會であるのである。我國の歴史に於ては、如何なる時代に於ても、杜曾の背後に皇室があつた。源罕の戰は氏族と氏族との主體的鬪爭であらう。併し頼朝は以仁王の令旨によつて立つた。最も皇室式微と考へられるのは足利末期であらう。併し毛利元就が陶晴賢を討つに當つて勅旨を乞うた。我國の歴史に於て皇室は何處までも無の有であつた、矛盾的自己同一であつた。それが紹述せられて明治に於て欽定憲法となつて現れたのであらう。故に我國に於ては復古と云ふことは、いつも維新と云ふことであつた。 75頁



西田幾多郎「御進講草案 歷史哲學ニツイテ」 : 

http://makorin.blog.jp/archives/51963131.html
西田幾多郎「御進講草案 歷史哲學ニツイテ」
『西田幾多郎全集 第十二巻』(岩波書店)
 今日西洋ニ於テ學問ハ多岐多様ノ専門ニ分レテ居リマスガ、學問ト申スモノハ固人間ノ歴史的社會的生活卽チ實踐生活ヨリ生レテ何處マデモソノ爲ニ存スルモノデナケレバナリマセヌ。之ヲ離レテ單ナル學問ト云フモノガアルノデハゴザイマセヌ、ソコデ學問ガ多岐多様ニ分化發展イタシマスレバイタシマス程此等ノ學問ヲ統一シテ我々ノ實踐生活ニ結ビツケル學問ガナケレバナリマセヌ。コレガ哲學ト申ス學問デゴザイマス。
 古代ニ於テハ學問ハ未ダ分化セズ哲學ガ卽チ學問ト考ヘラレテヰマシタガ、近世ニ至リ學問ガ色々ニ分化發展イタシマスニ從ツテ、此等ヲ統一スル哲學トイフ一ツノ専門ノ學問ガデキテマヰリマシタ。
 希臘以來今日ニ至ルマデ、時代ニ從ヒ哲學モ色々ニ變ツテ來テ居リマス。希臘哲學ハ希臘人ノ都市生活ヲ中心トシタぽりす的哲學ト申スコトガデキマスナラ、中世哲學ハ歐洲ノ基督敎的生活ヲ中心トシタ宗敎的哲學ト申スコトガデキ、近世哲學ハ近世ノ科學的文化トシタ科學的哲學ト申上ゲルコトガデキルト思ヒマス。
 東洋ニ於テハ孔孟ノ敎ヲ宗トスル儒學及ビ諸子百家ノ學ト申スモノガ哲學デゴザイマス。特ニ佛敎ノ敎理ノ如キハ西洋哲學ニ勝ルモ劣ラザル深イ哲理ヲ含ンダモノト思ヒマス。ソシテ此等ノ思想ハ我國ノ思想界ニ大ナル影響ヲ與ヘマシタ。唯東洋哲學ハ西洋哲學ノ樣ニ十分ニ學問的ニ發達イタシマセヌデシタ。我々ハ此點ニ於テ努力セナケレバナラナイト存ジマス。
 西洋ニ於テハ哲學ハ學問的ニ發達シタト申上ゲマシタガ、十八世紀ニ於キマシテハがりれい、にゅーとん以來物理學ノ非常ナル發展ノ影響ヲ受ケ、世界ヲ何處マデモ自然科學的ニ考へ、各國特有ノ歴史的文化モ自然現象ノ如クニ一般的法則ニ從フモノト考へラレテヰマシタガ、十九世紀ニ入ルニ從ヒ各國文化ノ自己反省ガ起リマシタ。歴史學ト申スモノハ主トシテ十九世紀ニ於テ發達セルモノト存ジマス。ソコデ自然科學的法則ト歴史的法則トノ相違ガ着眼セラレテマヰリマシタ。今日ハ世界ノ根本的構造ヲ自然科學的ニ考へルヨリハ寧ロ歴史哲學的ニ考へル方ニ移リツヽアルト考へマス。此故ニ因果律ノ考へ方モ異ナツテマヰリマシタ。物理學ノ量子論ト申スモノハカヽル意義ヲ有ツタモノト考ヘマス。

 陛下 生物學ニ於テ御造詣深クアラセラルヽ由拜聞イタシマスニヨリ、生物界ニツイテ申上ゲレバ、生物的生命ト申スモノハ種々ナル生物的種ノ形成作用トソノ環境トノ相互作用カラ成立スルノデゴザイマス。生物的種ノ形成作用ト云フノハ目的的ニ働イテ行クモノデアツテ、物質ノ機械的因果作用ダケカラハ説明ノデキナイモノト存ジマス。生物的種ガ如何ニシテ環境ヲ形成シ、環境ガ如何ニシテ生物的種ヲ形成シ行クカト申シマスレバ、細胞作用ノ媒介ニヨルト申サナケレバナリマセヌ。細胞作用ト云フモノガ媒介トナツテ生物的種ガ環境ヲ形成シ、環境ガ生物的種ヲ形成シ行クノデゴザイマス。
 人間ノ生命モ種的形成作用ト環境トノ相互作用トシテ形成セラレ行クコトハ生物的生命ト同ジデゴザイマスガ、人間ノ生命ニ於テハ作ラレタモノガ單ニ物質的デナク、ソレ自身ノ精神ヲ有ツタモノデアツテ、逆ニ人間ヲ精神的ニ動カスノデゴザイマス。例ヘバ、古代人民ノ作ツタモノデモ、單ニ過去ノモノデハナク、ソレ自身ノ精神ヲ有シ、現在ニ於テモ我々ヲ動カスノデゴザイマス。又自分ノ作ツタモノモ他人ノ作ツタモノノ如ク自分ニ對シ、他人ノ作ツタモノデモ自分ノ作ツタモノノ如ク自分ニ對スルノデゴザイマス。故ニ我々ハイツモ共同ノ傳統ヲ有シ、之ヲ中心トシテ我々ノ生命ヲ發展シ行クノゴザイマス。我々ノ生命ハ單ナル生物的生命ト異ナツテ、歴史的ト云ハナケレバナリマセヌ。人間ノ歴史的生命ニ於テハ過去ハ單ニ過ギ去ツタモノデハナク、過去ト未來トガイツモ現在ニ含マレテ居ルト考へナケレバナラナイノデゴザイマス。過去ト未來トヲ含ンダ現在ガ中心トナツテ歴史ノ世界ハ動イテ行クノデゴザイマス。歴史的世界ハ物質界ノ如クニ機械的ニ動異イテ行クノデモナク、生物界ノ如クニ單ニ目的的ニ動イテ行クノデゴザイマセヌ。時ヲ越エタ永遠ナルモノヲ内容トシテ發展シ行クノデゴザイマス。卽チ歴史的世界ハ文化的デゴザイマス。

 歴史的世界ハ或民族ガ或地方ニ住スルヨリ始マルノデゴザイマス。民族ガ自己ノ生活ニ適スル樣ニ環境ヲ作ルト共ニ、又ソノ地方ノ風土ニヨツテ形作ラレル、同一ノ民族デモ、環境ノ異ナルニ從ツテ異ナツタ文化ヲ形成スルノデゴザイマス。最始ニハ種々ナル民族ガ種々ナル地方ニ住ミ、各自ノ文化ヲ形成スルノデゴザイマスガ、漸次交通ガ發展イタシマスニ從ツテ、各民族ガ相互關係ニ入ツテマヰリマス。ソコデ一ツノ世界ト云フモノガデキ、世界史ト云フモノガ發達スルノデゴザイマス。種々ノ民族ガ一ツノ世界ニ入ルト云フコトハ、一ツノ環境ニ入ルコトデゴザイマス。故ニソコニ必ズ民族ト民族トノ相剋摩擦ガ起リ、戦争ト云フモノモ免レルコトガデキナイト共ニ、ソレニヨツテ種々ナル民族ノ文化ガ綜合統一セラレ、偉大ナル人類文化ノ發展ガ出テ來ルノデゴザイマス。
 大歴史家らんけガ羅馬以前ノ文化ハ皆羅馬ト云フ湖ニ流レ入リ、羅馬以後ノ文化ハ皆羅馬ト云フ湖カラ流レ出タト申シテ居ル樣ニ、羅馬ノ征服ニヨツテ歐洲諸國ハ一ツニ統一セラレ、ソレ以來一ツノ世界ヲ形成シタト存ジマス。然ルニ今日ハ世界的交通ノ發達ニヨリ、全世界ガ一ツノ世界トナリマシタ。今日ノ國家主義ハカヽル立場ニ於テノ國家主義デアルコトヲ考ヘナケレバナリマセヌ。各國ガ各國自身ニ還ルトイフ意味ノ國家主義デハナク、各國ガ此世界ニ於テ自己ノ位置ヲ占メルトイフ意味ノ國家主義デゴザイマス。卽チ各國ガ世界的トナラナケレバナラナイト云フ意味ノ國家主義ト思ヒマス。
 右ノ如ク種々ナル民族ガ世界史的關係ニ入ル時、今日ノ如ク國家間ニ烈シイ鬪爭ノ起ルノハ自然ノ勢ト存ジマスガ、ソノ中最モ世界史的傾向ヲ有スルモノガ中心トナツテ時代ガ安定スルノデアラウト考ヘマス。一ツノ國家ガ世界史的性質ヲ有ツトハ如何ナルコトヲ意味スルカト申シマスレバ、ソレハ何處マデモ全體主義デアルト共ニ、單ニ個人ヲ否定スルノデナク、何處マデモ個人ノ創造ヲ媒介トスルト云フコトデアラウト存ジマス。今日個人主義ト全體主義トガ相反スル如ク考ヘラレマスガ、個人主義ト云フモノハ時代遲レタルコトハ云フマデモゴザイマセヌガ、個人ヲ否定スル單ナル全體主義ト云フモノモ過去ノモノタルニ過ギマセヌ。個人ハ歴史的社會ハ又個人ノ創造ヲ媒介トスルカギリ、世界史的トシテ永遠ノ生命ヲ有ツノデゴザイマス。恰モ生物的生命ガ細胞作用ヲ媒介トシテ生キテ行クト同樣デゴザイマス。
 我國ノ歴史ニ於テハ全體ガ個人ニ對スルノデモナク、個人ガ全體ニ對スルノデモナク、個人ト全體トガ互ニ相否定シテ、皇室ヲ中心トシテ生々發展シ來タト存ジマス。時ニハ或全體的勢力ガ中心トナツタ樣ナコトモゴザイマシタガ、イツモ亦肇國ノ精神ニ復歸シ皇室ヲ中心トシテ更ニ新ナ時代ニ蹈ミ出シ、新ナル時代ヲ創造シ來ツタト存ジマス。嚮ニ歴史ハイツモ過去未來ヲ含ンダ現在ヲ中心トシテ動イテ行クト申シマシタガ、我國ニ於テハ皇室ガイツモカヽル過去未來ヲ含ンダ現在ノ意義ヲ有ツタモノト思ヒマス。故ニ私ハ我國ニ於テハ肇國ノ精神ニ還ルコトハ唯古ニ還ルコトデナク、イツモ更ニ新ナ時代ニ蹈ミ出スコトト存ジマス。復古ト云フコトハ、イツモ維新トイフコトト存ジマス。

NAMs出版プロジェクト: 定本柄谷行人集(付『世界共和国へ』『NAM原理』)総合索引

http://nam-students.blogspot.jp/2006/05/nam_31.html#5
西田幾多郎.NISHIDA Kitaro, ❶J.40/❹A.53,203@日本文化の問題/❺H.231-,233@日本文化の問題、御進講草案 歴史哲学ニツイテ


京都学派 (講談社現代新書) 菅原潤  Kindle
2018/2/13

https://www.amazon.co.jp/dp/B079L1VDTK/

西田幾多郎に始まる「京都学派」の思想は、西洋哲学にも匹敵するオリジナルな哲学として、
高く評価されています。しかし一方、戦前日本の海外侵略的姿勢に思想面からのお墨付きを与
えたとして、厳しい批判にもさらされています。本書では、いったん彼らの「政治的な誤り」
はカッコに入れた上で、客観的なその哲学的評価を試みます。その上で、なぜ彼らは過ちを
犯すことになったのか、その深い理由に迫ります。


目次
プロローグなぜ今 、京都学派なのか ☆
第一章それは東大から始まった ─ ─フェノロサから綱島梁川まで
  コラム 1九鬼周造
第二章京都学派の成立 ─ ─西田幾多郎と田辺元
1対照的な二人の哲学者 ─ ─西田と波多野精一
2西田哲学の変遷
3京都学派の成立 ─ ─田辺元による西田批判とその影響
  コラム 2和辻哲郎
第三章京都学派の展開 ─ ─京大四天王の活躍と三木清
1西谷啓治と高山岩男 ─ ─京大四天王の代表者 ☆☆
2三木清と昭和研究会 
3二つの座談会 ─ ─ 「世界史的立場と日本 」と 「近代の超克 」
4戦時中の西田と田辺
  コラム 3左派の哲学者たち
第四章戦後の京都学派と新京都学派 ─ ─三宅剛一と上山春平
1 「包弁証法 」と三宅剛一
2新京都学派と上山春平
  コラム 4広松渉
エピロ ーグ自文化礼賛を超えて ─ ─京都学派のポテンシャル
1唐木順三と 「型の喪失 」
2上山春平と柄谷行人 ─ ─ポスト京都学派に向けて
読書案内
あとがき



☆京都学派の特徴…
1 .弁証法を基軸とした透徹した論理的思考 。
2 .東洋的 (ないしは日本的 )思想への親和性 。
3 .現代思想の批判的摂取 。
4 .本場の欧米に匹敵する西洋哲学研究の水準 。

☆☆
 一般にプラグマティズムに分類される哲学者はパース 、ジェームズ 、デューイの三人である 。すでに触れたように東大の心理学講座の初代教授である元良勇次郎はパ ースから直接学んでおり 、第四章で論じるように新京都学派の上山春平も原点はパースにある 。西田哲学のキーワードである 「純粋経験 」はジェームズに由来する概念であり 、また高山岩男もデューイの 「探究 」を重視するから 、プラグマティズムはカント 、シェリング 、ヘーゲルらのドイツ観念論とともに陰に陽に京都学派の哲学の土壌を形成したといってよいだろう 。

14 Comments:

Blogger yoji said...

近代の超克

(0)『「近代の超克」その戦前・戦中・戦後』 (2015) 鈴木貞美

(1)『近代の超克』 (1943/1979)
   西谷啓治、諸井三郎、鈴木成高、菊池正士、下村寅太郎、吉満義彦、小林秀雄、
   亀井勝一郎、林房雄、三好達治、津村秀夫、中村光夫、河上徹太郎、竹内好

(2)『季刊・思潮 No.4 近代の超克と西田哲学』 (1989) 廣松渉、浅田彰、市川浩、柄谷行人

(3)『論 昭和思想史への一視角』 (1989) 廣松渉

(4)『「近代の超克」とは何か』 (2008) 子安宣邦

・西谷啓治 - 京都学派の哲学者。京都帝国大学助教授。論文「「近代の超克」私論」を執筆。
・諸井三郎 - 音楽評論家。東洋音楽学校・東京高等音楽院講師。論文「吾々の立場から」を執筆。
・鈴木成高 - 京都学派の西洋史家。京都帝大助教授。
・菊池正士 - 物理学者。大阪帝国大学教授。論文「科学の超克について」を執筆
・下村寅太郎 - 京都学派の科学史家。東京文理科大学教授。論文「近代の超克の方向」を執筆。
・吉満義彦 - 哲学者・カトリック神学者。東京帝国大学講師。論文「近代超克の神学的根拠」を執筆。
・小林秀雄 - 文学界同人の文芸評論家。明治大学教授。
・亀井勝一郎 - かつて日本浪曼派に参加し、文学界同人の文芸評論家。論文「現代精神に関する覚書」を執筆。
・林房雄 - 文学界同人の文芸評論家。論文「勤王の心」を執筆。
・三好達治 - 文学界同人の詩人。明大講師。論文「略記」を執筆。
・津村秀夫 - 映画評論家。朝日新聞記者。文部省専門委員。論文「何を破るべきか」を執筆。
・中村光夫 - 文学界同人の文芸評論家。論文「「近代」への疑惑」を執筆。
・河上徹太郎 - 文学界同人の文芸評論家。論文「「近代の超克」結語」を執筆。


目新しいのは鈴木 『「近代の超克」その戦前・戦中・戦後』。

近代の超克に留まらない、日本と世界の近現代史論。
哲学、科学、政治、宗教・精神史から
生命論、エネルギー論、言語論などを通し、
圧倒的なスケールで近代の超克問題を立て直す、21世紀の必読書。

☆☆☆☆☆


      宗 教
       |
       |西谷啓治
   林房雄 |亀井勝一郎 
       |   小林秀雄  
国______|_______個
家      |       人
       | 
   諸井三郎|
       |下村寅太郎
       |
      科 学





      科学
      |
      |
      |
  ----+----
      |
      |
      |
     宗教

4:00 午後  
Blogger yoji said...


京都学派 (講談社現代新書) | 菅原潤 | 哲学・思想 | Kindleストア | Amazon
2018/2/13
https://www.amazon.co.jp/dp/B079L1VDTK/
西田幾多郎に始まる「京都学派」の思想は、西洋哲学にも匹敵するオリジナルな哲学として、
高く評価されています。しかし一方、戦前日本の海外侵略的姿勢に思想面からのお墨付きを与
えたとして、厳しい批判にもさらされています。本書では、いったん彼らの「政治的な誤り」
はカッコに入れた上で、客観的なその哲学的評価を試みます。その上で、なぜ彼らは過ちを
犯すことになったのか、その深い理由に迫ります。



目次
プロロ ーグなぜ今 、京都学派なのか ☆
第一章それは東大から始まった ─ ─フェノロサから綱島梁川まで
  コラム 1九鬼周造
第二章京都学派の成立 ─ ─西田幾多郎と田辺元
1対照的な二人の哲学者 ─ ─西田と波多野精一
2西田哲学の変遷
3京都学派の成立 ─ ─田辺元による西田批判とその影響
  コラム 2和辻哲郎
第三章京都学派の展開 ─ ─京大四天王の活躍と三木清
1西谷啓治と高山岩男 ─ ─京大四天王の代表者
2三木清と昭和研究会
3二つの座談会 ─ ─ 「世界史的立場と日本 」と 「近代の超克 」
4戦時中の西田と田辺
  コラム 3左派の哲学者たち
第四章戦後の京都学派と新京都学派 ─ ─三宅剛一と上山春平
1 「包弁証法 」と三宅剛一
2新京都学派と上山春平
  コラム 4広松渉
エピロ ーグ自文化礼賛を超えて ─ ─京都学派のポテンシャル
1唐木順三と 「型の喪失 」
2上山春平と柄谷行人 ─ ─ポスト京都学派に向けて
読書案内
あとがき



☆京都学派の特徴…
1 .弁証法を基軸とした透徹した論理的思考 。
2 .東洋的 (ないしは日本的 )思想への親和性 。
3 .現代思想の批判的摂取 。
4 .本場の欧米に匹敵する西洋哲学研究の水準 。

2:46 午後  
Blogger yoji said...

4考える名無しさん2018/01/19(金) 00:22:01.450
西田幾多郎ってマルクスをどれくらい読んでたんだろうな。

5考える名無しさん2018/01/19(金) 00:23:46.520
マルキスト来たりて云々とかいう句があるくらいだから
本人もそれなりに読んでたんだろうか。

6考える名無しさん2018/01/19(金) 01:00:46.410
「夜更けまで又マルクスを論じたり、マルクスゆえにいねがてにする」
※「いねがてにする」は「寝ることができない」の意

これか。西田とマルクスの関係は初めて知った。

7考える名無しさん2018/01/19(金) 01:27:39.030
「此頃屢々マルキスト来りマルクスを論ず」

8考える名無しさん2018/01/19(金) 01:35:45.830
西田とかマルクスより難解だから理解できなさそう

9考える名無しさん2018/01/19(金) 17:34:00.740>>10

6:29 午後  
Blogger yoji said...

一九二 0年代の後半から、マルクス主義の哲学は日本で広く流布され始めた。三木清、戸坂潤など、西田の学生もマルクス主義の哲学を研究し始めた。西田は、さまざまな新しい哲学思潮を捕まえることが得意だった。だから、マルクス主義の哲学の出現は、自ずから西田の強い関心をひいた。


一九二九年、彼は「夜更けまで又マルクスを論じたりマルクスゆえにいねがて[寝難]にする」(-九二九年、『続思索と体系』・「歌並詩」)という短歌を詠んでいる。この歌には、西田が、彼を来訪したマルクス主義の立場に立った弟子たちとマルクス主義を検討する場面と気持ちとが述べられている。
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/66586/mp_27-017.pdf

西田は、マルクス主義に対して拒否的な敵視態度を取らずに、学問的にマルクス主義を研究し評論しようとする。その際、彼の学生の戸坂潤は、マルクス主義に基づいて、西田哲学を批判する論文「京都学派の哲学」(-九三二年)を発表し、西田哲学を「ブルジョア観念哲学」、「解釈主義的・超歴史主義的・形式主義的・浪漫主義的… (6) との関係の面で、「哲学の原理としての自覚と、宗教の要件たる絶対性とは、果して絶対無の自党といふ概念に於いて結合せ(7) られ得るものであろうか」と批判したのである。田辺元の批判に対して、西田は、『無の自覚的限定』(-九三二年)で解釈を進め、哲学はたしかにこのような限定のない自己の自覚的事実…現象学的哲学」と評した。翌年、戸坂潤は、「『無の論理』は論理であるか」という論文を発表し、西田哲学の具体的な内容を批判した。西田は戸坂潤への手紙の中で、彼の自分への批判を肯定的に評価し、感激の意を表わした。その時、西田はすでに有名な哲学者になっていたが、謙虚な気持ちで心から自分の学生からの批判を受け入れ、学問の面で互いに学び励ましあっ24 の中で形成されたのだと強調した。て、本当の哲学者としての気高い品格を体現した。実は、西

6:33 午後  
Blogger yoji said...

西田幾多郎 愚禿親鸞
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3503_13512.html
愚禿親鸞

西田幾多郎




 余は真宗の家に生れ、余の母は真宗の信者であるに拘かかわらず、余自身は真宗の信者でもなければ、また真宗について多く知るものでもない。ただ上人しょうにんが在世の時自ら愚禿ぐとくと称しこの二字に重きを置かれたという話から、余の知る所を以て推すと、愚禿の二字は能よく上人の為人ひととなりを表すと共に、真宗の教義を標榜し、兼て宗教その者の本質を示すものではなかろうか。人間には智者もあり、愚者もあり、徳者もあり、不徳者もある。しかしいかに大なるとも人間の智は人間の智であり、人間の徳は人間の徳である。三角形の辺はいかに長くとも総べての角の和が二直角に等しというには何の変りもなかろう。ただ翻身ほんしん一回、此この智、此この徳を捨てた所に、新な智を得、新な徳を具そなえ、新な生命に入ることができるのである。これが宗教の真髄である。宗教の事は世のいわゆる学問知識と何ら交渉もない。コペルニカスの地動説が真理であろうが、トレミーの天動説が真理であろうが、そういうことは何方どちらでもよい。徳行の点から見ても、宗教は自ら徳行を伴い来るものであろうが、また必ずしもこの両者を同一視することはできぬ。昔、融禅師ゆうぜんじがまだ牛頭山ごずさんの北巌に棲すんでいた時には、色々の鳥が花を啣ふくんで供養くようしたが、四祖大師しそだいしに参じてから鳥が花を啣んで来なくなったという話を聞いたことがある。宗教の智は智その者を知り、宗教の徳は徳その者を用いるのである。三角形の幾何学的性質を究めるには紙上の一小三角形で沢山であるように、心霊上の事実に対しては英雄豪傑も匹夫匹婦ひっぷひっぷと同一である。ただ眼は眼を見ることはできず、山にある者は山の全体を知ることはできぬ。此この智此この徳の間に頭出頭没する者は此この智此この徳を知ることはできぬ。何人であっても赤裸々たる自己の本体に立ち返り、一たび懸崖けんがいに手を撒さっして絶後に蘇った者でなければこれを知ることはできぬ、即ち深く愚禿の愚禿たる所以ゆえんを味い得たもののみこれを知ることができるのである。上人の愚禿はかくの如き意味の愚禿ではなかろうか。他力といわず、自力といわず、一切の宗教はこの愚禿の二字を味うに外ならぬのである。
 しかし右のようにいえば、愚禿の二字は独り真宗に限った訳でもないようであるが、真宗は特にこの方面に着目した宗教である、愚人、悪人を正因しょういんとした宗教である。同じく愛を主とした他力宗であっても、猶太ユダヤ教から出た基督キリスト教はなお、正義の観念が強く、いくらか罪を責むるという趣があるが、真宗はこれと違い絶対的愛、絶対的他力の宗教である。例の放蕩息子を迎えた父のように、いかなる愚人、いかなる罪人に対しても弥陀みだはただ汝のために我は粉骨砕身せりといって、これを迎えられるのが真宗の本旨である。『歎異抄』の中に上人が「弥陀の五劫思惟ごこうしゆいの願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」といわれたのがその極意を示したものであろう。終りに宗祖その人の人格について見ても、かの日蓮上人が意気冲天ちゅうてん、他宗を罵倒し、北条氏を目して、小島の主らが云々と壮語せしに比べて、吉水一門の奇禍に連つらなり北国の隅に流されながら、もし我われ配所に赴かずんば何によりてか辺鄙の群類を化せんといって、法を見て人を見なかった親鸞上人の人格は頗る趣を異にしたものといわねばならぬ。風号さけび雲走り、怒濤澎湃どとうほうはいの間に立ちて、動かざること巌いわおの如き日蓮上人の意気は、壮なることは壮であるが、煙波渺茫びょうぼう、風静しずかに波動かざる親鸞上人の胸懐はまた何となく奥床おくゆかしいではないか。
(『宗祖観』大谷学士会発行、明治四十四年四月、第一巻)




底本:「西田幾多郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1996(平成8)年10月16日第1刷発行
   1998(平成10)年9月16日第3刷発行
底本の親本:「西田幾多郎全集 第一巻」岩波書店
   1987(昭和62)年11月
初出:「宗祖観」大谷学士会
   1911(明治44)年4月
入力:アキトチ
校正:鈴木厚司
2003年10月23日作成
2016年2月19日修正
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6:38 午後  
Blogger yoji said...

岩波文庫続思索と体験208頁

昭和四年


「此頃屢々マルキスト来りマルクスを論ず」


「夜更けまで又マルクスを論じたり、マルクスゆえにいねがてにする」
※「いねがてにする」は「寝ることができない」の意




2:53 午前  
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歌并詩
[ならびに]


西田幾多郎続思索と体験岩波文庫208頁


歌并[ならびに]詩

昭和四年


「此頃屢々マルキスト来りマルクスを論ず」


「夜更けまで又マルクスを論じたり、マルクスゆえにいねがてにする」
※「いねがてにする」は「寝ることができない」の意

2:55 午前  
Blogger yoji said...

西田幾多郎

続思索と体験岩波文庫208頁


歌并[ならびに]詩

昭和四年


《此頃屢々マルキスト来りマルクスを論ず

夜更けまで又マルクスを論じたり、マルクスゆえにいねがてにする》


*「いねがてにする」は「寝ることができない」の意

2:58 午前  
Blogger yoji said...

西田幾多郎

続思索と体験岩波文庫208頁


歌并[ならびに]詩

昭和四年


《此頃しばしばマルキスト来りマルクスを論ず

夜更けまで又マルクスを論じたりマルクスゆゑにいねがてにする》


*「いねがてにする」は「寝ることができない」の意

2:59 午前  
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NAMs出版プロジェクト: 定本柄谷行人集(付『世界共和国へ』『NAM原理』)総合索引
http://nam-students.blogspot.jp/2006/05/nam_31.html#5
西田幾多郎.NISHIDA Kitaro, ❶J.40/❹A.53,203@/❺H.231-,233@

3:31 午後  
Blogger yoji said...

NAMs出版プロジェクト: 定本柄谷行人集(付『世界共和国へ』『NAM原理』)総合索引
http://nam-students.blogspot.jp/2006/05/nam_31.html#5
西田幾多郎.NISHIDA Kitaro, ❶J.40/❹A.53,203@日本文化の問題/❺H.231-,233@日本文化の問題、御進講草案 歴史哲学ニツイテ

3:43 午後  
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岩波文庫
続思索と体験

御進講草案所収

3:44 午後  
Blogger yoji said...

西田幾多郎「御進講草案 歷史哲學ニツイテ」 : 柄谷行人を解体する
http://makorin.blog.jp/archives/51963131.html
西田幾多郎「御進講草案 歷史哲學ニツイテ」
『西田幾多郎全集 第十二巻』(岩波書店)
 今日西洋ニ於テ學問ハ多岐多様ノ専門ニ分レテ居リマスガ、學問ト申スモノハ固人間ノ歴史的社會的生活卽チ實踐生活ヨリ生レテ何處マデモソノ爲ニ存スルモノデナケレバナリマセヌ。之ヲ離レテ單ナル學問ト云フモノガアルノデハゴザイマセヌ、ソコデ學問ガ多岐多様ニ分化發展イタシマスレバイタシマス程此等ノ學問ヲ統一シテ我々ノ實踐生活ニ結ビツケル學問ガナケレバナリマセヌ。コレガ哲學ト申ス學問デゴザイマス。
 古代ニ於テハ學問ハ未ダ分化セズ哲學ガ卽チ學問ト考ヘラレテヰマシタガ、近世ニ至リ學問ガ色々ニ分化發展イタシマスニ從ツテ、此等ヲ統一スル哲學トイフ一ツノ専門ノ學問ガデキテマヰリマシタ。
 希臘以來今日ニ至ルマデ、時代ニ從ヒ哲學モ色々ニ變ツテ來テ居リマス。希臘哲學ハ希臘人ノ都市生活ヲ中心トシタぽりす的哲學ト申スコトガデキマスナラ、中世哲學ハ歐洲ノ基督敎的生活ヲ中心トシタ宗敎的哲學ト申スコトガデキ、近世哲學ハ近世ノ科學的文化トシタ科學的哲學ト申上ゲルコトガデキルト思ヒマス。
 東洋ニ於テハ孔孟ノ敎ヲ宗トスル儒學及ビ諸子百家ノ學ト申スモノガ哲學デゴザイマス。特ニ佛敎ノ敎理ノ如キハ西洋哲學ニ勝ルモ劣ラザル深イ哲理ヲ含ンダモノト思ヒマス。ソシテ此等ノ思想ハ我國ノ思想界ニ大ナル影響ヲ與ヘマシタ。唯東洋哲學ハ西洋哲學ノ樣ニ十分ニ學問的ニ發達イタシマセヌデシタ。我々ハ此點ニ於テ努力セナケレバナラナイト存ジマス。
 西洋ニ於テハ哲學ハ學問的ニ發達シタト申上ゲマシタガ、十八世紀ニ於キマシテハがりれい、にゅーとん以來物理學ノ非常ナル發展ノ影響ヲ受ケ、世界ヲ何處マデモ自然科學的ニ考へ、各國特有ノ歴史的文化モ自然現象ノ如クニ一般的法則ニ從フモノト考へラレテヰマシタガ、十九世紀ニ入ルニ從ヒ各國文化ノ自己反省ガ起リマシタ。歴史學ト申スモノハ主トシテ十九世紀ニ於テ發達セルモノト存ジマス。ソコデ自然科學的法則ト歴史的法則トノ相違ガ着眼セラレテマヰリマシタ。今日ハ世界ノ根本的構造ヲ自然科學的ニ考へルヨリハ寧ロ歴史哲學的ニ考へル方ニ移リツヽアルト考へマス。此故ニ因果律ノ考へ方モ異ナツテマヰリマシタ。物理學ノ量子論ト申スモノハカヽル意義ヲ有ツタモノト考ヘマス。

 陛下 生物學ニ於テ御造詣深クアラセラルヽ由拜聞イタシマスニヨリ、生物界ニツイテ申上ゲレバ、生物的生命ト申スモノハ種々ナル生物的種ノ形成作用トソノ環境トノ相互作用カラ成立スルノデゴザイマス。生物的種ノ形成作用ト云フノハ目的的ニ働イテ行クモノデアツテ、物質ノ機械的因果作用ダケカラハ説明ノデキナイモノト存ジマス。生物的種ガ如何ニシテ環境ヲ形成シ、環境ガ如何ニシテ生物的種ヲ形成シ行クカト申シマスレバ、細胞作用ノ媒介ニヨルト申サナケレバナリマセヌ。細胞作用ト云フモノガ媒介トナツテ生物的種ガ環境ヲ形成シ、環境ガ生物的種ヲ形成シ行クノデゴザイマス。
 人間ノ生命モ種的形成作用ト環境トノ相互作用トシテ形成セラレ行クコトハ生物的生命ト同ジデゴザイマスガ、人間ノ生命ニ於テハ作ラレタモノガ單ニ物質的デナク、ソレ自身ノ精神ヲ有ツタモノデアツテ、逆ニ人間ヲ精神的ニ動カスノデゴザイマス。例ヘバ、古代人民ノ作ツタモノデモ、單ニ過去ノモノデハナク、ソレ自身ノ精神ヲ有シ、現在ニ於テモ我々ヲ動カスノデゴザイマス。又自分ノ作ツタモノモ他人ノ作ツタモノノ如ク自分ニ對シ、他人ノ作ツタモノデモ自分ノ作ツタモノノ如ク自分ニ對スルノデゴザイマス。故ニ我々ハイツモ共同ノ傳統ヲ有シ、之ヲ中心トシテ我々ノ生命ヲ發展シ行クノゴザイマス。我々ノ生命ハ單ナル生物的生命ト異ナツテ、歴史的ト云ハナケレバナリマセヌ。人間ノ歴史的生命ニ於テハ過去ハ單ニ過ギ去ツタモノデハナク、過去ト未來トガイツモ現在ニ含マレテ居ルト考へナケレバナラナイノデゴザイマス。過去ト未來トヲ含ンダ現在ガ中心トナツテ歴史ノ世界ハ動イテ行クノデゴザイマス。歴史的世界ハ物質界ノ如クニ機械的ニ動異イテ行クノデモナク、生物界ノ如クニ單ニ目的的ニ動イテ行クノデゴザイマセヌ。時ヲ越エタ永遠ナルモノヲ内容トシテ發展シ行クノデゴザイマス。卽チ歴史的世界ハ文化的デゴザイマス。

 歴史的世界ハ或民族ガ或地方ニ住スルヨリ始マルノデゴザイマス。民族ガ自己ノ生活ニ適スル樣ニ環境ヲ作ルト共ニ、又ソノ地方ノ風土ニヨツテ形作ラレル、同一ノ民族デモ、環境ノ異ナルニ從ツテ異ナツタ文化ヲ形成スルノデゴザイマス。最始ニハ種々ナル民族ガ種々ナル地方ニ住ミ、各自ノ文化ヲ形成スルノデゴザイマスガ、漸次交通ガ發展イタシマスニ從ツテ、各民族ガ相互關係ニ入ツテマヰリマス。ソコデ一ツノ世界ト云フモノガデキ、世界史ト云フモノガ發達スルノデゴザイマス。種々ノ民族ガ一ツノ世界ニ入ルト云フコトハ、一ツノ環境ニ入ルコトデゴザイマス。故ニソコニ必ズ民族ト民族トノ相剋摩擦ガ起リ、戦争ト云フモノモ免レルコトガデキナイト共ニ、ソレニヨツテ種々ナル民族ノ文化ガ綜合統一セラレ、偉大ナル人類文化ノ發展ガ出テ來ルノデゴザイマス。
 大歴史家らんけガ羅馬以前ノ文化ハ皆羅馬ト云フ湖ニ流レ入リ、羅馬以後ノ文化ハ皆羅馬ト云フ湖カラ流レ出タト申シテ居ル樣ニ、羅馬ノ征服ニヨツテ歐洲諸國ハ一ツニ統一セラレ、ソレ以來一ツノ世界ヲ形成シタト存ジマス。然ルニ今日ハ世界的交通ノ發達ニヨリ、全世界ガ一ツノ世界トナリマシタ。今日ノ國家主義ハカヽル立場ニ於テノ國家主義デアルコトヲ考ヘナケレバナリマセヌ。各國ガ各國自身ニ還ルトイフ意味ノ國家主義デハナク、各國ガ此世界ニ於テ自己ノ位置ヲ占メルトイフ意味ノ國家主義デゴザイマス。卽チ各國ガ世界的トナラナケレバナラナイト云フ意味ノ國家主義ト思ヒマス。
 右ノ如ク種々ナル民族ガ世界史的關係ニ入ル時、今日ノ如ク國家間ニ烈シイ鬪爭ノ起ルノハ自然ノ勢ト存ジマスガ、ソノ中最モ世界史的傾向ヲ有スルモノガ中心トナツテ時代ガ安定スルノデアラウト考ヘマス。一ツノ國家ガ世界史的性質ヲ有ツトハ如何ナルコトヲ意味スルカト申シマスレバ、ソレハ何處マデモ全體主義デアルト共ニ、單ニ個人ヲ否定スルノデナク、何處マデモ個人ノ創造ヲ媒介トスルト云フコトデアラウト存ジマス。今日個人主義ト全體主義トガ相反スル如ク考ヘラレマスガ、個人主義ト云フモノハ時代遲レタルコトハ云フマデモゴザイマセヌガ、個人ヲ否定スル單ナル全體主義ト云フモノモ過去ノモノタルニ過ギマセヌ。個人ハ歴史的社會ハ又個人ノ創造ヲ媒介トスルカギリ、世界史的トシテ永遠ノ生命ヲ有ツノデゴザイマス。恰モ生物的生命ガ細胞作用ヲ媒介トシテ生キテ行クト同樣デゴザイマス。
 我國ノ歴史ニ於テハ全體ガ個人ニ對スルノデモナク、個人ガ全體ニ對スルノデモナク、個人ト全體トガ互ニ相否定シテ、皇室ヲ中心トシテ生々發展シ來タト存ジマス。時ニハ或全體的勢力ガ中心トナツタ樣ナコトモゴザイマシタガ、イツモ亦肇國ノ精神ニ復歸シ皇室ヲ中心トシテ更ニ新ナ時代ニ蹈ミ出シ、新ナル時代ヲ創造シ來ツタト存ジマス。嚮ニ歴史ハイツモ過去未來ヲ含ンダ現在ヲ中心トシテ動イテ行クト申シマシタガ、我國ニ於テハ皇室ガイツモカヽル過去未來ヲ含ンダ現在ノ意義ヲ有ツタモノト思ヒマス。故ニ私ハ我國ニ於テハ肇國ノ精神ニ還ルコトハ唯古ニ還ルコトデナク、イツモ更ニ新ナ時代ニ蹈ミ出スコトト存ジマス。復古ト云フコトハ、イツモ維新トイフコトト存ジマス。
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3:52 午後  
Blogger yoji said...

「善の研究」などで知られる哲学者西田幾多郎(1870〜1945年)の未公開ノート50冊が見つかったと、
京都大などが30日、発表した。宗教学や倫理学と題した京大での講義ノートなどで、
京大文学研究科の林晋教授(思想史)は「西田の生の思考過程をたどることのできる第一級の史料」と話す。

 石川県西田幾多郎記念哲学館(かほく市)によると2015年10月、
遺族からノート50冊とリポート類250点が預けられた。東京都の遺族宅倉庫で保管されていた。
湿気による損傷が激しく、奈良文化財研究所などの協力を得て汚れを落とした後、
写真撮影して電子データ化。これまでノート14冊分の内容を書き起こした。

 これまで分かっている範囲では、
最も古いノートは東大の学生時代だった1891〜94年に書かれたとみられる。
1928年の京大教授定年退職の前後に記された内容もあり、数十年にわたる思索の軌跡が刻まれている。
英語やドイツ語を交えてつづられ、表紙に「倫理学」、宗教を意味する「Religion」などと記されていた。

 10年代に京大で教べんを取った頃に記されたとみられる倫理学講義ノートでは、
客観的な現象と主観的な活動について「(純粋経験上)同一のもの」という記述があり、
「善の研究」を執筆した初期の西田哲学のエッセンスが跡づけられる。
アリストテレスやカントなどの古典から、
ドイツの数学者デデキントや米国の心理学者ウィリアム・ジェームズといった同時代の学者にも言及。
同館の中嶋優太専門員は「独自の哲学を展開した西田だが、
幅広い範囲でほかの研究者の思索に関心を払っていたと分かる」と指摘する。

 現在もノートの解読作業は進めていて、
西田が考えを深める過程について新たな視点を提供できる可能性があるという。

画像:遺族から寄託された西田幾多郎の直筆ノート。湿気などによって損傷が激しかった
http://www.kyoto-np.co.jp/picture/2018/05/20180530202707nishida450.jpg

京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180530000189

5:59 午前  

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