月曜日, 11月 13, 2017

G・ドゥルーズ 『批評と臨床』


 
            (リンク::::::::::ドゥルーズ体系)
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ「書誌の計画」1989
http://nam-students.blogspot.jp/2016/11/1989.html
NAMs出版プロジェクト: G・ドゥルーズ 「批評と臨床」
ダブルバインド(Double bind)Bateson, G.1956

NAMs出版プロジェクト: What's the difference?:再々投稿

http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/whats-difference.html 

Gilles Deleuze, Critique et Clinique, Les Éditions de Minuit, 1993.

G・ドゥルーズ 「批評と臨床」 Critique et clinique
http://hisaaki.net/2010/10/g.html
2010年10月30日 14:03 | Permalink
ドゥルーズの読み手には
『批評と臨床』が今年になって河出文庫化されたのは
よろこばしいコトにちがいない。

全17章の目次を以下に網羅します。

1.文学と生 
2.ルイス・ウルフソン、あるいは手法
3.ルイス・キャロル
4.最も偉大なるアイルランド映画―ベケットの『フィルム』
5.カント哲学を要約してくれる四つの詩的表現について
6.ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ
7.マゾッホを再び紹介する
8.ホイットマン
9.子供たちが語っていること
10.バートルビー、または決まり文句
11.ハイデガーの知られざる先駆者、アルフレッド・ジャリ
12.ニーチェによるアリアドネの神秘
13.……と彼は吃った
14.恥辱と栄光―T・E ロレンス
15.裁きと訣別するために
16.プラトン、ギリシア人たち
17.スピノザと三つの『エチカ』

いかがですか?
あなたがドゥルーズの読み手であり、
かつ、未読=「批評と臨床」状況であるとしたら、
これらの章タイトルのキーワードにふれただけで、
一も二もなく入手に走るでしょう。

僕はこれまで何度も、繰り返し、読んでます。
どこを開いてもオーケー。
章の途中から読んでも何の問題もない。
たちどころにドゥルーズの概念が展開されます。
それは彼の他の諸作品の概念に通底しています。
矛盾するかのような概念でさえ、
パラドックスのなかで通じあっています。

文學界2017年12月号 - 2017/11/7
▼松本卓也「健康としての狂気とは何か―ドゥルーズ『批評と臨床』試論」

これは、本格的でよかった。
ドゥルーズが扱った「狂気」が強調されて取り上げられることが多い中、
ドゥルーズ自身は病的でも狂人でもなかったという観点からの解説。

ポスト構造主義的問題系の「深層(profondeur)」と「表面(surface)」、
ラカン派による病跡学的アプローチ。



松本論考、前半は『意味の論理学』を扱い、

キャロル
ルーセル
ウルフソン
____
アルトー
ヘルダーリン

というように表面と深層に分け
ドゥルーズは深層の精神分裂病から上へ、キャロルの自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)
評価へ移行したという

論理としては二項を超えた可能性を各作家に見たという

(サドとマゾ(プルースト、カフカも批評と臨床の対象)のように外に開くための二項…)

ただしラカン(=脱ラカン的父権主義)を引くならスキゾ症例三種を

ベケット
ジョイス
アルトーに見た浅田&花村(『ダブル・バインドを超えて』1985)の方が有益だ

同書1985をさらに敷衍するとそれぞれ

想像界
象徴界
現実界の欠損を持った作家ということになる

ジョイス  
  ____ベケット
__\__/__
   \/
  アルトー

あるいは、

 象徴界  I 想像界
ジョイス  I ベケット(=分裂症ではなくパーソナリティ障害、アスペルガー症候群)
ヘルダーリンI キャロル、ルーセル、ウルフソン
______I___________
      I
 現実界  I  x
アルトー  I

欠損の箇所が作家の生きる場所である
(フーコー、ハイデガーの着目したヘルダーリンはジョイスに、キャロル等はベケットに近い。)
ドゥルーズもベケットに近いがじつは xを志向している

(ベケット論は映画研究の一環だが、シネマ2の「系列」がシネマ1の狂気に対する応答だということを考えれば臨床と呼べなくもない)

プラトン的詩人狂人論、ロマン主義的詩人論(フロイト的神経症の裏返し)、からドゥルーズが遠いことは確かだが、ベケット論がないとそれがわかりにくい。
ベケット(断片的論考#)は批評と臨床でも重要な位置(場所)にあるし、ベケット論の消尽したものは
ドゥルーズの実質的遺書でもある

Joyce 妄想型 paranoid   https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic  https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman カット・オフ

破瓜型は近年では解体型と呼ばれ、また、ダブルバインドのような理論の多くは
統合失調症の原因というよりも、パーソナリティ障害の原因らしいと言われている。母
なるものを批判的に扱うことも批判される(岡田尊司『統合失調症』PHP新書)。
アルトー、ヘルダーリン以外は統合失調症ではなくアスペルガー症候群(ASD)というのが松本論考の病跡学的主張なので、この流れに沿う。


ちなみにアルトーを擁護するならアルトーは自身の身体に物自体を見たのである。深いという形容はそのことから目をそらす(誰だって身体を抱えている)。

ドゥルーズはアルトーのような病気ではなかったから素晴らしい、というのであれば反動思想にすぎない。



一応想像界(の欠損)に置いたが、ベケット(を論じたドゥルーズ)において三つの界は一つになっている



#《アイルランドの司教・バークリーが言ったように、存在するとは知覚されることである(esse est percipi)というのが真実だとすれば、知覚から逃れることは、はたして可能だろうか?…》


ダブルバインドの反復により発症する分裂症の症例の分類:
言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)1
言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型[解体型])2
コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)3

ベイトソンの1956年に発表した論文「精神分裂症の理論化に向けて」
(『精神の生態学 』新思索社,299~308頁)参照
「疫学の見地から見た精神分裂」(1955,1971)同287頁も参照。

浅田彰『ダブル・バインドを超えて』(1985)では、
1がジョイス、2がベケット、3がアルトーに対応するとされている(浅田64,87~8頁)。

《 …ベイトソンが分裂症の発生因であるとしたダブル・バインド状況の定義…

①そこから逃げることのできない人間関係の場において、

②一定のメッセージが与えられ、

③しかもそのメッセージを否定するメタメッセージが同時に与えられる状況をダブル・バインド状況といい、

④それが反復されると分裂症を生む…》

(浅田76頁)


Joyce 妄想型 paranoid   https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic  https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman カット・オフ

ただし、破瓜型は近年では解体型と呼ばれ、また、ダブルバインドのような理論の多くは統合失調症の原因というよりも、パーソナリティ障害の原因らしいと言われている。母なるものを批判的に扱うことも批判される(岡田尊司『統合失調症』PHP新書)。

参考:

http://nomadicartsfestival.com/wp-content/uploads/2015/02/Gregory-Bateson-Ecology-of-Mind.pdf

p.216~7

邦訳(2000),299~300頁



Joyce 妄想型
 

Beckett 破瓜型
 


Artaud 緊張型
 

カタトニーはパゾリーニ豚小屋にも出てくる。

PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen Official)ペンパイナッポーアッポーペン/PIKOTARO
(ピコ太郎)
https://youtu.be/0E00Zuayv9Q

ドゥルーズ『意味の論理学』より
11.ナンセンスについて(カバン語)


 11.ナンセンスについて

…カバン語それ自体が二者択一の原理であり、この原理によってカバン語は二つの関係項を
作る(frumieux=fumant〔湯気が立つ〕+furieux〔怒った〕、 もしくは furieux+fumant)。こうした
語のそれぞれの潜在的な部分は、他の部分の意味を指示するか、逆にその部分を指示する
他 の部分を表現する。この形式のもとでも、語の全体はそれ自体の意味を語り、この新しい
資格でナンセンスである。実際、意味を与えられた名の、第二の通常の法則は、それらの名
の意味は、それらの名が入って行く二者択一を決定できないということである。したがって、ナ
ンセンスには二つのかたちがある。ひとつは退行的な綜合に対応するかたちであり、もうひ
とつは分離的綜合に対応するかたちである。
 こうしたことのすべては、何を語ろうとするものでもないという反対論がある。定義によって、
ナンセンスには意味がないのであるから、ナンセンスがそれ自体の意味を語るとするのは
駄洒落だというのである。こうした反対論には根拠がない。ナンセンスには意味がないという
意味があると語るのは、ことばのたわむれである。しかし、われわれの仮説はそんなことでは
ない。ナンセンスがそれ自体の意味を語るというとき、われわれはむしろ意味とナンセンスは、
真偽の関係を写すものではありえない特別な関係、つまり、単なる排他関係とは考えられえ
ない関係を持っていると言いたいのである。これが、意味の論理学の最も一般的な問題であ
る。真実の領域から意味の領域へと上昇したとしても、もしもそれが意味とナンセンスとのあい
だに、真と偽とのあいだにあるものと似た関係を見出すためであるならば、何の役にも立たな
いだろう。われわれはすでに、可能性の単なる形式として、条件付けられたものと類推して条
件を考えるために、条件付けられたものから条件へと上昇することがむだであることを指摘し
ておいた。条件とその否定との関係は、条件付けられたものとその否定との関係と、同じタイ
プのものではありえない。


ヘルダーリンに関してはハイデガー、フーコーを参照。特にフーコー・コレクション1所収の「父の〈否(ノン)〉」

6 Comments:

Blogger yoji said...

文學界2017年12月号 - 2017/11/7
▼松本卓也「健康としての狂気とは何か―ドゥルーズ『批評と臨床』試論」

これは、本格的でよかった。
ドゥルーズが扱った「狂気」が強調されて取り上げられることが多い中、
ドゥルーズ自身は病的でも狂人でもなかったという観点からの解説。

ポスト構造主義的問題系の「深層(profondeur)」と「表面(surface)」、
ラカン派による病跡学的アプローチ。

松本論考、前半は『意味の論理学』を扱い、

キャロル
ルーセル
ウルフソン
____
アルトー
ヘルダーリン

というように表面と深層に分け
ドゥルーズは深層の精神分裂病から上へ、キャロルの自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)へ、移行したという
論理としては二項を超えた可能性を各作家に見たという

ただしラカンを引くならスキゾ症例三種を

ベケット
ジョイス
アルトーに見た浅田&花村(『ダブル・バインドを超えて』1985)の方が有益だ

同書1985をさらに敷衍するとそれぞれ

想像界
象徴界
現実界の欠損を持った作家ということになる

ジョイス
  ____ベケット
__\__/__
   \/
  アルトー

あるいは、

 象徴界  I 想像界
ジョイス  I ベケット(=分裂症ではなくパーソナリティ障害?)
ヘルダーリンI ルーセル、ウルフソン?
______I___________
      I
 現実界  I  x
アルトー  I

欠損の箇所が作家の生きる場所である
(フーコー、ハイデガーの着目したヘルダーリンはジョイスに近い)
ドゥルーズはベケットに近いがじつは xを志向している
ベケット(断片的論考#)は批評と臨床でも重要な位置(場所)にあるし、ベケット論の消尽したものは
ドゥルーズの実質的遺書でもある

#アイルランドの司教・バークリーが言ったように、存在するとは知覚されることである(esse est percipi)というのが真実だとすれば、知覚から逃れることは、はたして可能だろうか?…

Joyce 妄想型 paranoid https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman カット・オフ

ただし、破瓜型は近年では解体型と呼ばれ、また、ダブルバインドのような理論の多くは
統合失調症の原因というよりも、パーソナリティ障害の原因らしいと言われている。母
なるものを批判的に扱うことも批判される(岡田尊司『統合失調症』PHP新書)。
アルトー以外は統合失調症ではないというのが松本論考と主張なので、この流れに沿う。

4:20 午前  
Blogger yoji said...


松本論考、前半は『意味の論理学』を扱い、

キャロル、ルーセル、ウルフソン
_______________
アルトー、ヘルダーリン

というように表面と深層に分け
ドゥルーズは深層の精神分裂病から上へ、キャロルの自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)評価へ移行したという

さらに論理としては二項を超えた可能性を各作家に見たという

(サドとマゾ(プルースト、カフカも批評と臨床の対象)のように外に開くための二項…)

ただしラカン(=脱ラカン的父権主義)を引くならスキゾ症例三種を

ベケット/ジョイス/アルトーに見た浅田&花村(『ダブル・バインドを超えて』1985)の方が

有益だ


同書1985をさらに敷衍するとそれぞれ

想像界/象徴界/現実界の欠損を持った作家ということになる

ジョイス
  ____ベケット
__\__/__
   \/
  アルトー

あるいは、

 象徴界  I 想像界
ジョイス  I ベケット(=分裂症ではなくパーソナリティ障害、アスペルガー症候群)
ヘルダーリンI キャロル、ルーセル、ウルフソン
______I___________
      I
 現実界  I  x
アルトー  I

欠損の箇所が作家の生きる場所である
(フーコー、ハイデガーの着目したヘルダーリンはジョイスに近い)
ドゥルーズはベケットに近いがじつは xを志向している

プラトン的詩人狂人論、ロマン主義的詩人論、からドゥルーズが遠いことは確かだが、ベケット論がないとそれがわかりにくい。
ベケット(断片的論考#)は批評と臨床でも重要な位置(場所)にあるし、ベケット論の消尽したものは
ドゥルーズの実質的遺書でもある

Joyce 妄想型 paranoid https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman カット・オフ
破瓜型は近年では解体型と呼ばれ、また、ダブルバインドのような理論の多くは
統合失調症の原因というよりも、パーソナリティ障害の原因らしいと言われている。

母なるものを批判的に扱うことも批判される(岡田尊司『統合失調症』PHP新書)。

アルトー、ヘルダーリン以外は統合失調症ではなくアスペルガー症候群(ASD)というのが松本論考と主張なので、この流れに沿う。


ちなみにアルトーを擁護するならアルトーは自身の身体に物自体を見たのである。深いという形容はそのことから目をそらす(誰だって身体を抱えている)。

ドゥルーズはアルトーのような病気ではなかったから素晴らしい、というのであれば反動思想にすぎない。

9:30 午後  
Blogger yoji said...


松本論考、前半は『意味の論理学』を扱い、

キャロル、ルーセル、ウルフソン
_______________
アルトー、ヘルダーリン

というように表面と深層に分け
ドゥルーズは深層の精神分裂病から上へ、キャロルの自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)評価へ移行したという

さらに論理としては二項を超えた可能性を各作家に見たという

(サドとマゾ(プルースト、カフカも批評と臨床の対象)のように外に開くための二項…)

ただしラカン(=脱ラカン的父権主義)を引くならスキゾ症例三種を

ベケット/ジョイス/アルトーに見た浅田&花村(『ダブル・バインドを超えて』1985)の方が

有益だ


同書1985をさらに敷衍するとそれぞれ

想像界/象徴界/現実界の欠損を持った作家ということになる

ジョイス
  ____ベケット
__\__/__
   \/
  アルトー

あるいは、

 象徴界  I 想像界
ジョイス  I ベケット(=分裂症ではなくパーソナリティ障害、アスペルガー症候群)
ヘルダーリンI キャロル、ルーセル、ウルフソン
______I___________
      I
 現実界  I  x
アルトー  I

欠損の箇所が作家の生きる場所である
(フーコー、ハイデガーの着目したヘルダーリンはジョイスに近い)
ドゥルーズはベケットに近いがじつは xを志向している

プラトン的詩人狂人論、ロマン主義的詩人論、からドゥルーズが遠いことは確かだが、ベケット論がないとそれがわかりにくい。
ベケット(断片的論考#)は批評と臨床でも重要な位置(場所)にあるし、ベケット論の消尽したものは
ドゥルーズの実質的遺書でもある

Joyce 妄想型 paranoid https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman カット・オフ

破瓜型は近年では解体型と呼ばれ、また、ダブルバインドのような理論の多くは
統合失調症の原因というよりも、パーソナリティ障害の原因らしいと言われている。
母なるものを批判的に扱うことも批判される(岡田尊司『統合失調症』PHP新書)。
アルトー、ヘルダーリン以外は統合失調症ではなくアスペルガー症候群(ASD)というのが松本論考の病跡学の主張なので、この流れに沿う。


ちなみにアルトーを擁護するならアルトーは自身の身体に物自体を見たのである。深いという形容はそのことから目をそらす(誰だって身体を抱えている)。

ドゥルーズはアルトーのような病気ではなかったから素晴らしい、というのであれば反動思想にすぎない。

9:32 午後  
Blogger yoji said...


https://www.amazon.co.jp/dp/4560019754/

消尽したもの | ジル ドゥルーズ, サミュエル ベケット, Gilles Deleuze, Samuel Beckett, 宇野 邦一, 高橋 康也 |本 | 通販 | AmazonAmazon

消尽したもの 単行本 – 1994/2
ジル ドゥルーズ (著),‎ & 5 その他
5つ星のうち 4.7 3件のカスタマーレビュー
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
スピノザ、ニーチェ、カフカ、ゴダール…。その線の上にサミュエル・ベケットがつらなるとき、〈消尽したもの〉という新しい哲学概念がかたちづくられる。本書をもって、ベケットのテレビ放送用シナリオ4作品とドゥルーズ待望のベケット論、すなわち演劇と思想の最先端がスリリングに邂逅する。

内容(「MARC」データベースより)
スピノザ、ニーチェ、カフカ、ゴダール…の系列にベケットがつらなる時〈消尽したもの〉という新しい哲学概念が形づくられる。ベケットのTV放送用シナリオ4作品とドゥルーズ待望のベケット論を紹介。
登録情報
単行本: 118ページ
出版社: 白水社 (1994/02)
言語: 日本語
ISBN-10: 4560019754
ISBN-13: 978-4560019757
発売日: 1994/02
梱包サイズ: 19 x 13.2 x 1.6 cm


5つ星のうち5.0テレビのための作品
投稿者とぎ2003年11月22日
形式: 単行本
 ドゥルーズの著述については、なんとも言いようが無い。果たしてベケットの作品についての解説になりえているのかいないのか、どちらとも決めかねるからだ(たとえば『クワッド』は、ドゥルーズの言うような「空間の潜在性の減衰、空間の消尽」なのか、或いは寧ろ「空間の潜在性の顕現」なのか、それとも別の何かか、どれも間違いなのか、知れたものではない)。あくまでこれはドゥルーズを通して見たベケット像、ベケットを媒介としてのドゥルーズの思想の展開として受容すべきであろう(もちろん興味深い示唆はいくつもある)。
 この本のメインは、寧ろベケットのテレビ作品にある。四つの作品が収められており、いずれも興味深い。『幽霊トリオ』や『雲のように…』の舞台装置の構造や、作品に引用されている詩や曲、二種類の『クワッド』など、思索を誘う事柄も数多くある。ベケットの創作の深まりを感じ取ることができる作品群だ。個人的には、『幽霊トリオ』の「誰もいない」という言葉の繰り返し、それの第二部と第三部の関係、『雲のように…』の終幕場面が気に入っている。日本のテレビ局が放送することはほぼ無いだろうが、一度実物(?)を見てみたいものだ。
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5つ星のうち5.0ベケットとドゥルーズの幸福な出会い
投稿者天使のくまVINEメンバー2008年1月30日
形式: 単行本
 最近「ゴドーを待ちながら」いろいろな劇団によって再び演じられている。だがこの現代演劇最大のクラッシック以降、ベケットの戯曲はどんどんシンプルになっていく。だがそのイメージは一貫して終末である。タイトルのそのままの「勝負の終わり(勝負の終局という意味なのだけれど)」、砂漠で砂に埋まりながら過去を思い出す「しああせな日々」、惚け老人の死に際の妄想のような「わたしじゃない」など。この終末がいかなる種類のものであるかをドゥールズが分析したのが本書である。そして評論の対象となるベケットの晩年の4作品「クワッド」、「幽霊トリオ」なども同時に収録している。ベケットの終末を、ドゥールズは「消尽」であるとする。ベケットの「クワッド」という作品を例にとろう。この戯曲は、4人のダンサーがそれぞれ異なる4色の衣装を着、正方形、および対角線方向にステップを踏む。そこでは4色のあらゆる可能性が演じられる。さらに続いて、暗い証明の中で「クワッド2」が演じられるが、ここでは4人のダンサーの衣装はすべて白だ。ベケットによれば「クワッド2」は1の十万年後だという。ベケットにおける終末というのは、単なる世界の終末などではなく、あらゆる可能性がなくなった終末ということである。世界の終わり、宇宙の終わりといったはんぱなものではない。量子力学の分岐宇宙論では十の十の十の十二乗くらいの平行宇宙があることになるらしいが、その可能性の全てが費えてしまう宇宙ということなのだ。そこまでいってなお演劇を成立させているベケット。ベケットの戯曲について語るドゥルーズもまた、自分より元気だと思っていた盟友フェリックス・ガタリを失い、自らも人工肺で生きているという。ドゥールズ自身、自分が「勝負の終局」にさしかかっていて、なお仕事が残されているという意識があるのかもしれない。
もっと少なく読む
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5つ星のうち4.0ベケットを先に…
投稿者johnfante2002年1月20日
形式: 単行本
 原書ではベケットのテレビ作品の後に、ドゥルーズのエッセーを収めているそうだ。翻訳ではその順番が逆になっている。ドゥルーズのエッセー、ベケットの四つのシナリオ、宇野邦一のエッセー、訳者あとがき、の順である。何でこの並びになったのかわからないが、個人的にはベケットのシナリオを読んでから、ドゥルーズを読んだ方がずっと入りやすかった。
 シナリオというべきなのか、図面というべきなのか、何かほかのものなのか。いずれにせよ、ここに採録されているベケットの作品はどれもすばらし
い。特に、舞台製作者、役者、演出家、戯曲家、カメラマン、ディレクター、照明係などの、実製作者の人々に読んでもらいたいものだ。どれも短い作品だが、読みながら頭の中でじっくりと再構成していくと、一見土建屋の図面のようなシナリオがいかに音楽的で詩的なものか伝わってくる。さらに、そのあとにドゥルーズのうんちくを読めば、なんとなくわかった気にもなろうというものだ。
コメント| 11人のお客様がこれが役に立ったと考えています. このレビューは参考になりましたか?



10:08 午前  
Blogger yoji said...

あるいは、


 象徴界  I 想像界
ジョイス  I ベケット(=分裂症ではなくパーソナリティ障害、アスペルガー症候群)
ヘルダーリンI キャロル、ルーセル、ウルフソン
______I___________
      I
 現実界  I  x
アルトー  I

欠損の箇所が作家の生きる場所である
(フーコー、ハイデガーの着目したヘルダーリンはジョイスに近い)
ドゥルーズはベケットに近いがじつは xを志向している

(ベケット論は映画研究の一環だが、シネマ2の「系列」がシネマ1の「狂気」に対する応答と
考えれば臨床と呼べなくもない)

10:15 午前  
Blogger yoji said...

テクスト論で内在的にやろうとするとポリコレ批判にせよネオリベ批判にせよ
自己言及のパラドックスを避けられない
柄谷みたいに自覚的にやるならばいいが

この件についてはドゥルーズが決定的なことを言っている

《ナンセンスには意味がないという意味があると語るのは、ことばのたわむれである。
しかし、われわれの仮説はそんなことではない。ナンセンスがそれ自体の意味を語る
というとき、われわれはむしろ意味とナンセンスは、真偽の関係を写すものではありえ
ない特別な関係、つまり、単なる排他関係とは考えられえない関係を持っていると言
いたいのである。》意味の論理学#11

これはもう意味の倫理学である。論理学では倫理は語れないということ


ナンセンス=ASD

2:29 午後  

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