ミュルダールの最も大きな業績として挙げられるのは、静学理論の動学化である。これは「期間分析」あるいは「継起分析」と呼ばれ、時間とともに変動する経済過程を一連の期間に区切り、経済主体の事前の計画と事後の結果を逐次的に追跡する手法である。これに関してミュルダールは経済主体の期待・予測を決定的に重視し、事前の予測値と事後の結果の値を区別して、事後の結果が再び時期の予測値の出発点となり、事前と事後が矛盾する動態的な経済過程として説明した。ミュルダールのこの考え方は、価格変動は期間と期間の移行時点において撹乱的に生ずる短期均衡の連続であると主張したエリック・リンダールの考え方とともにストックホルム学派の伝統となる事前・事後の概念を築き上げた。こうした理論的貢献は後にジョン・ヒックスによって吸収され、現代のマクロ的動態理論の重要な要素となった。またミュルダールはこの研究に関連して、「貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析」が称えられ、1974年にフリードリヒ・ハイエクとともにノーベル経済学賞を受賞した。ノーベル賞選考委員会は当初ミュルダール単独でに経済学賞を贈るつもりであったが、経済に対する政府の幅広い干渉を容認するミュルダールの立場とバランスをとるべきとの声に押されて、ハイエクとの共同受賞が決まったとされている[6]。
これ以外にもミュルダールの活動は多彩であり、不況期に景気を刺激するための財政赤字を好況期に黒字で相殺していくという反循環政策を理論的に初めて支持した1933年の財政法案の付属文を執筆した。これはジョン・メイナード・ケインズ以前のケインズ政策とも呼ばれている。理論的には1939年に発表した代表的著作Monetary Equilibrium(貨幣的均衡論)において、ストックホルム学派の伝統である事前・事後の概念を用いて期待の概念をマクロ経済学に導入した。またミュルダールは新古典派経済学を強く批判し、1960年のBeyond he Welfare State(福祉国家を越えて)で福祉国家思想を展開した。さらに開発問題に対しても関心を示し、1968年にはAsian Drama(アジアのドラマ)を発表した。
ミュルダールは、経済学が価値判断からは不可分であること、およびそこでそのような価値判断を前提としているかを明らかにすべきであるという立場を終生維持した。
5 Comments:
中野
富国と強兵
一九四四年 、スウェ ーデン政府は 「戦後経済計画委員会 」を設け 、戦後の経済プランニングの構想を練った 。その委員長に就任したのは 、グンナ ー ・ミュルダ ールであった 。この 「戦後経済計画委員会 」の前身は 、一九二八年から一九三五年に設置されていた 「失業委員会 ( A r b e t s l ö s h e t s u t r e d i n g ) 」である 。この失業委員会には 「ストックホルム学派 」あるいは 「新経済学 ( N e w E c o n o m i c s ) 」と呼ばれる経済学者のグル ープが多数参加しており 、その中にミュルダ ールもいたのである 。ストックホルム学派の経済思想は一九三 ○年代の経済危機の中で形成されていったが 、それはケインズ主義との共通点が認められるものであり 、 「ケインズ以前のケインズ主義 」と評されることもある 。ミュルダ ールは 、このストックホルム学派における最も重要な経済学者の一人である 。ストックホルム学派が集結した失業委員会は多数の報告書を刊行したが 、中でも一九三四年の報告書では 、不況時の拡張的財政政策の理論が提示されていた 。それを書いたのがミュルダ ールであった ★ 3 0 。
ミュルダ ールは 、一九三九年の論文 「景気循環における財政政策 」においても 、一九三 ○年代のスウェ ーデンにおける経済危機の経験を参考にしつつ 、次のように論じている 。健全財政論に基づき 、不況時に歳出削減と増税を行うことは 、デフレ圧力を発生させることになるので好ましくない 。しかしながら他方で 、財政赤字の拡大は 、企業に将来に対する不安を抱かせることとなり 、景気刺激効果を減殺しかねない 。したがって 、景気循環を考慮し 、単年度ではなく 、長期的な視点に立った新たな財政規律を確立する必要がある 。具体的には 、不況時にはむしろ積極的に財政赤字を拡大させ 、好況時には歳出を削減するというような 、反循環的な景気安定化策をル ールとするのである 。 「この予算システムは 、次に恐慌が起きた時には 、確立された予算の原則を破ることなく 、ずっと大胆な歳出拡大プログラムを実行することを可能にするのである ★ 3 1 。 」
★ 3 0 K l a u s e n ( 1 9 9 8 : p . 1 1 0 )
★ 3 1 G u n a r M y r d a l , ' F i s c a l P o l i c y i n t h e B u s i n e s s C y c l e , ' T h e A m e r i c a n E c o n o m i c R e v i e w , 2 9 ( 1 ) , S u p p l e m e n t , P a p e r s a n d P r o c e e d i n g s o f t h e F i f t y F i r s t A n n u a l M e e t i n g o f t h e A m e r i c a n E c o n o m i c A s s o c i a t i o n , 1 9 3 9 , p . 1 9 2
戦後のスウェ ーデンの社会民主的な経済システムの基礎は 、一九三 ○年代の経済危機と失業委員会における 「新経済学 」の検討 、そして戦時経済の経験の蓄積の上に築かれたのである 。これに大きな貢献をしたのがミュルダ ール率いる 「戦後経済計画委員会 」であった ★ 3 2 。ミュルダ ールは経済運営における 「プランニング 」を提唱したが 、それはまさにクロ ーセンが定義した意味におけるものであった 。ミュルダ ールの言う 「プランニング 」とは 、政府やその他の団体が民主的な政治過程を通じて設定された目的に向けて 、政策をより合理的に調整しようとするプラグマティックで漸進的な過程のことである ★ 3 3 。ミュルダ ールの 「プランニング 」は 、前章において参照したケインズ 、コモンズ 、デュ ーイの構想とも共鳴するものであろう 。ミュルダ ールの理論とケインズ主義の近接性はすでに知られているので 、ここでは 、コモンズの制度経済学との関係を参照しておこう 。ミュルダ ールは 、一九三 ○年にウィスコンシン大学を訪問し 、コモンズとも会っている 。当時のウィスコンシン大学は制度経済学の隆盛期にあった 。もっとも 、 「私は当時 、 『新経済学 』と呼ばれるものには転向していなかった 。私は学問的発展の 『理論的 』段階にいたのである 。 」その後 、ミュルダ ールは一九三 ○年代の経済危機の中にあるスウェ ーデンに戻り 、社会的平等やアメリカの人種差別といった社会問題を研究しているうちに 、従来の経済学の専門主義的な限界に気づき 、 「その間に 、私は制度経済学者になったのである ★ 3 4 。 」
★ 3 2 K l a u s e n ( 1 9 9 8 : C h . 4 )
★ 3 3 G u n n a r M y r d a l , B e y o n d t h e W e l f a r e S t a t e : E c o n o m i c P l a n n i n g a n d I t s I n t e r n a t i o n a l I m p l i c a t i o n s , B a n t a m B o o k s , 1 9 6 0 , p . 2 0
★ 3 4 G u n n a r M y r d a l , ' I n s t i t u t i o n a l E c o n o m i c s , ' J o u r n a l o f E c o n o m i c I s s u e s , X I I ( 4 ) , D e c e m b e r 1 9 7 8 , p p . 7 7 1 7 7 2 .
富国と強兵#14
ミュルダールは制度派に転向
607 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ fbc9-7pCq)[sage] 2020/10/20(火) 19:35:13.31 ID:YTZbfc690
支配的な理論体系にしがみついている人々は、主流派グループを形成し、彼らの書いたものは、権威を与えられる。また、彼ら
は互いに引用し合うが、他の者の文献は引用しないのが普通である。ことに主流派経済学者(establishment economist)に
共通するアプローチや理論に、あえて極端な形で疑義をさしはさむ反逆者の経済学者が存在しようものなら、それをけっして
引用しようとはしない。こうして彼らは、他の社会科学分野に対してだけでなく、自らの周りにも、他から隔絶した空間を作ろう
と努力する。そして、彼らのグループの内部で、何人かの研究者は、全員の推薦によって、卓越したもとして持ち上げられている。
しかし彼らより劣った何千人もの研究者たちでさえ、その主流派グループに仲間として籍を置き、その集団の枠内で誠実に仕事
をすることによって地位を得ることができる。こうした順応の力は、とくに経済学の場合に強いように思われるけれども、もちろん、
他の社会科学でも同じことが起こりうる。
反主流の経済学 (1975年) (ダイヤモンド現代選書) G.ミュルダール(著), 加藤 寛 (翻訳), 丸尾 直美 (翻訳)
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