日曜日, 10月 21, 2018

ミュルダール(Karl Gunnar Myrdal、1898 - 1987)


リンク::::::::::経済学
ヴィクセル『利子と物価』:WICKSELL, K. , Geldzins und Gütenpreise. 1898
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/wicksell-k-geldzins-und-gutenpreise-1898.html
ミュルダール
https://nam-students.blogspot.com/2018/10/karl-gunnar-myrdal1898-1987.html@

K a r l G u n n a r M y r d a l ( 1 8 9 8 〜 1 9 8 7 )
ストックホルム大学で法学を専攻後 、経済学で博士号取得 。 1 9 3 0年に国会議員に 。 3 3年より社会民主党政権の経済社会顧問 。理論だけでなく政策面でも政府の役割に決定的な影響を与えた 。 7 4年度ノ ーベル経済学賞受賞 。著書はほかに 『貨幣的均衡論 』など多数 。


ミュルダールの活動は多彩であり、不況期に景気を刺激するための財政赤字を好況期に黒字で相殺していくという反循環政策を理論的に初めて支持した1933年の財政法案の付属文を執筆した。これはジョン・メイナード・ケインズ以前のケインズ政策とも呼ばれている。

一九三八 ─四三年にかけて 、カ ーネギ ー財団の委嘱によってアメリカの黒人問題の研究に従事した経験は 、彼をいっそう制度学派に近づける一因となったと言ってもよいであろう 。ミュルダ ールは 、 「正義 ・自由 ・機会の平等 」というアメリカの信条と黒人に対する差別という現実との不調和を説明するには 、たんに経済的変数にのみ注目するのでは不十分で 、経済的変数と非経済的変数との相互依存関係 、および条件変化相互間の累積的 ・循環的因果関係を重視しなければならないと悟ったのである (彼のこの研究は 、 『アメリカのジレンマ 』と題して一九四四年に出版された ) 。


代表的著作
Monetary Equilibrium(貨幣的均衡論)1939.

Economic Theory and Under-developed Regions, (G. Duckworth, 1957).
小原敬士訳『経済理論と低開発地域』 (東洋経済新報社, 1959年)

ミュルダール

「循環的 ・累積的因果関係の原理 」

「二重標準道義 」

ミュルダール『経済理論と低開発地域 』1957


体系は 、それ自体では 、諸力間のなんらかの種類の均衡に向かって動いているのではなく 、むしろつねにそのような状況から乖離する動きをとっている 。正常の場合において 、ある変化は平衡的な変化をひき起こすのではなく 、むしろ反対に 、最初の変化と同じような方向に 、しかし 、さらにすすんで 、体系を動かすような促進的な変化をひき起こす 。そのような循環的な因果関係のために 、ある社会過程は累積的となり 、またしばしば加速度的な度合で速度を早めるのである 。 (邦訳一四頁 )


低開発国は 、開発国に対し 、その貿易を一方的に自由化することを要求する合理的な根拠をもつ 。

制度派へ転向

現代経済学の名著 (中公新書)Kindle版
佐和隆光 (編集)


根井雅弘

人がある事を知らないというとき 、偶々そうなのではなく 、巧妙に仕組まれた障壁ゆえにそうであることが多い 。

ミュルダール

佐和隆光編名言100より
● E c o n o m i c T h e o r y a n d U n d e r D e v e l o p e d R e g i o n s ( 1 9 5 7 )
 ● 『経済理論と低開発地域 』小原敬士訳 、東洋経済新報社 (筆者が改訳 、 1 9 5 9 、 1 4 8 p )


カール・グンナー・ミュルダール(Karl Gunnar Myrdal、1898年12月6日 - 1987年5月17日)は、1974年フリードリヒ・ハイエクとともにノーベル経済学賞を受賞したスウェーデン経済学者であり、クヌート・ヴィクセルをはじめとするストックホルム学派の代表的論客である。
グンナー・ミュルダール
ストックホルム学派[1]
制度派経済学[2]

c. 1937
生誕1898年12月6日
Gustafs, Dalarna, Sweden
死没
1987年5月17日(88歳)

Danderyd, Sweden
国籍 スウェーデン
研究機関ストックホルム商科大学
ストックホルム大学
母校ストックホルム大学
実績貨幣的均衡
受賞ドイツ出版協会平和賞(1970)
ノーベル経済学賞 (1974)
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1974年
受賞部門:ノーベル経済学賞
受賞理由:貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析を称えて
妻のアルバ・ミュルダール政治家外交官として活動し、1982年ノーベル平和賞を受賞。息子ヤン・ミュルダールは作家、娘のシセラ・ボクは哲学者。

目次

略歴編集

生涯編集

スウェーデンダーラナ県ガグネーフ生まれ。ストックホルム大学で法律を専攻の後、経済学に転向し博士号を取得、1924年アルバ・ライマルと結婚した。1930年スウェーデン社会民主労働党から国会議員に当選し、ペール・アルビン・ハンソン内閣で経済社会顧問を務めながら『貨幣的均衡論』を上梓し、瞬間的動向分析を導入して経済学に一石を投じた。
1933年から1947年までストックホルム商科大学で経済学の教授として教壇に立ち、さらに1945年から1947年までは通商大臣を歴任する。この間、1944年に『アメリカのジレンマ─黒人問題と近代民主主義(An American Dilemma: The Negro Problem and Modern Democracy)を上梓、「アメリカのジレンマ」という言葉を生み出した。
1956年にアルバ夫人が駐インド大使となると、インドへ赴き其処を拠点に南アジアの政治・経済・社会を調査。この時の研究を基に『アジアのドラマ』をまとめ、ニューヨーク・タイムズの編集者によって要約・縮刷されたものが一般に公刊された。その後、1960年から1967年まではストックホルム大学で国際経済学の教授として教鞭を執った。
ノーベル経済学賞の創設に尽力したうちの一人がミュルダールであり、スウェーデン国立銀行が創立300年を迎えた1968年に、それを記念する経済学賞の創設を検討していた際、ミュルダールは積極的に後押しした[3]。因みにミュルダールは「経済学は科学ではない」という持論を持っており、自身の受賞については否定的であった[4]
ミュルダールは、自身のノーベル賞受賞について複雑な気持ちで「ノーベル賞を受理してしまったのは、連絡を受けた日の朝、寝ぼけていたからである」と述べた一方で、受賞を喜び「ようやく肩の荷がおりた」と述べている[5]

業績編集

ミュルダールの最も大きな業績として挙げられるのは、静学理論の動学化である。これは「期間分析」あるいは「継起分析」と呼ばれ、時間とともに変動する経済過程を一連の期間に区切り、経済主体の事前の計画と事後の結果を逐次的に追跡する手法である。これに関してミュルダールは経済主体の期待・予測を決定的に重視し、事前の予測値と事後の結果の値を区別して、事後の結果が再び時期の予測値の出発点となり、事前と事後が矛盾する動態的な経済過程として説明した。ミュルダールのこの考え方は、価格変動は期間と期間の移行時点において撹乱的に生ずる短期均衡の連続であると主張したエリック・リンダールの考え方とともにストックホルム学派の伝統となる事前・事後の概念を築き上げた。こうした理論的貢献は後にジョン・ヒックスによって吸収され、現代のマクロ的動態理論の重要な要素となった。またミュルダールはこの研究に関連して、「貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析」が称えられ、1974年にフリードリヒ・ハイエクとともにノーベル経済学賞を受賞した。ノーベル賞選考委員会は当初ミュルダール単独でに経済学賞を贈るつもりであったが、経済に対する政府の幅広い干渉を容認するミュルダールの立場とバランスをとるべきとの声に押されて、ハイエクとの共同受賞が決まったとされている[6]
これ以外にもミュルダールの活動は多彩であり、不況期に景気を刺激するための財政赤字を好況期に黒字で相殺していくという反循環政策を理論的に初めて支持した1933年の財政法案の付属文を執筆した。これはジョン・メイナード・ケインズ以前のケインズ政策とも呼ばれている。理論的には1939年に発表した代表的著作Monetary Equilibrium(貨幣的均衡論)において、ストックホルム学派の伝統である事前・事後の概念を用いて期待の概念をマクロ経済学に導入した。またミュルダールは新古典派経済学を強く批判し、1960年Beyond he Welfare State(福祉国家を越えて)で福祉国家思想を展開した。さらに開発問題に対しても関心を示し、1968年にはAsian Drama(アジアのドラマ)を発表した。
ミュルダールは、経済学が価値判断からは不可分であること、およびそこでそのような価値判断を前提としているかを明らかにすべきであるという立場を終生維持した。

著書編集

  • The Cost of Living in Sweden 1830-1930, (King & Son, 1933).
  • Crisis in the Population Question (1934).
  • Monetary Equilibrium, (W. Hodge, 1939).
傍島省三訳『貨幣的均衡論』(実業之日本社, 1943年)
  • Population: A Problem for Democracy, (Harvard University Press, 1940).
河野和彦訳『人口問題と社會政策』(協和書房, 1943年)
  • An American Dilemma: the Negro Problem and Modern Democracy, (Harper & Row, 1944).
  • The Political Element in the development of Economic Theory, (Routledge & Kegan Paul, 1953).
山田雄三佐藤隆三訳『経済学説と政治的要素』(春秋社, 1967/増補改訂版, 1983年)
  • Realities & Illusions in Regard to Inter-governmental Organizations, (Oxford University Press, 1955).
  • An International Economy: Problems and Prospects, (Routledge & Kegan Paul, 1956).
  • Rich Lands and Poor: the Road to World Prosperity, (Harper & Brothers, 1957).
  • Economic Theory and Under-developed Regions, (G. Duckworth, 1957).
小原敬士訳『経済理論と低開発地域』 (東洋経済新報社, 1959年)
  • Value in Social Theory: A Selection of Essays on Methodology, (Routledge & Kegan Paul, 1958).
  • Beyond the Welfare State: Economic Planning and its International Implications, (Yale University Press, 1960).
北川一雄監訳『福祉国家を越えて――福祉国家での経済計画とその国際的意味関連』(ダイヤモンド社, 1963年)
  • Challenge to Affluence, (Pantheon Books, 1962).
小原敬士・池田豊訳『豊かさへの挑戦』(竹内書店, 1964年)
  • Asian Drama: An Inquiry into the Poverty of Nations, (Allen Lane, 1968).
板垣与一監訳『アジアのドラマ――諸国民の貧困の一研究(上・下)』(東洋経済新報社, 1974年)
  • Objectivity in Social Research, (Pantheon Books, 1969).
丸尾直美訳『社会科学と価値判断』(竹内書店, 1971年)
  • An Approach to the Asian Drama: Methodological and Theoretical, (Vintage Books, 1970).
  • The Challenge of World Poverty: A World Anti-poverty Program in Outline, (Allen Lane, 1970).
大来佐武郎監訳『貧困からの挑戦(上・下)』(ダイヤモンド社, 1971年)
  • Against the Stream: Critical Essays on Economics, (Pantheon Books, 1973).
加藤寛・丸尾直美訳『反主流の経済学』(ダイヤモンド社, 1975年)

脚注編集

  1. ^ The Swedish Schools
  2. ^ 根井雅弘『異端の経済学』、筑摩書房、1995年4月、p.90
  3. ^ 日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、142-143頁。
  4. ^ 日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、143頁。
  5. ^ トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、284-285頁。
  6. ^ マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 日経BP社、2002年、354頁。

関連項目編集

外部リンク編集


5 Comments:

Blogger yoji said...

中野
富国と強兵

一九四四年 、スウェ ーデン政府は 「戦後経済計画委員会 」を設け 、戦後の経済プランニングの構想を練った 。その委員長に就任したのは 、グンナ ー ・ミュルダ ールであった 。この 「戦後経済計画委員会 」の前身は 、一九二八年から一九三五年に設置されていた 「失業委員会 ( A r b e t s l ö s h e t s u t r e d i n g ) 」である 。この失業委員会には 「ストックホルム学派 」あるいは 「新経済学 ( N e w E c o n o m i c s ) 」と呼ばれる経済学者のグル ープが多数参加しており 、その中にミュルダ ールもいたのである 。ストックホルム学派の経済思想は一九三 ○年代の経済危機の中で形成されていったが 、それはケインズ主義との共通点が認められるものであり 、 「ケインズ以前のケインズ主義 」と評されることもある 。ミュルダ ールは 、このストックホルム学派における最も重要な経済学者の一人である 。ストックホルム学派が集結した失業委員会は多数の報告書を刊行したが 、中でも一九三四年の報告書では 、不況時の拡張的財政政策の理論が提示されていた 。それを書いたのがミュルダ ールであった ★ 3 0 。
ミュルダ ールは 、一九三九年の論文 「景気循環における財政政策 」においても 、一九三 ○年代のスウェ ーデンにおける経済危機の経験を参考にしつつ 、次のように論じている 。健全財政論に基づき 、不況時に歳出削減と増税を行うことは 、デフレ圧力を発生させることになるので好ましくない 。しかしながら他方で 、財政赤字の拡大は 、企業に将来に対する不安を抱かせることとなり 、景気刺激効果を減殺しかねない 。したがって 、景気循環を考慮し 、単年度ではなく 、長期的な視点に立った新たな財政規律を確立する必要がある 。具体的には 、不況時にはむしろ積極的に財政赤字を拡大させ 、好況時には歳出を削減するというような 、反循環的な景気安定化策をル ールとするのである 。 「この予算システムは 、次に恐慌が起きた時には 、確立された予算の原則を破ることなく 、ずっと大胆な歳出拡大プログラムを実行することを可能にするのである ★ 3 1 。 」

★ 3 0 K l a u s e n ( 1 9 9 8 : p . 1 1 0 )

★ 3 1 G u n a r M y r d a l , ' F i s c a l P o l i c y i n t h e B u s i n e s s C y c l e , ' T h e A m e r i c a n E c o n o m i c R e v i e w , 2 9 ( 1 ) , S u p p l e m e n t , P a p e r s a n d P r o c e e d i n g s o f t h e F i f t y F i r s t A n n u a l M e e t i n g o f t h e A m e r i c a n E c o n o m i c A s s o c i a t i o n , 1 9 3 9 , p . 1 9 2

3:32 午後  
Blogger yoji said...

戦後のスウェ ーデンの社会民主的な経済システムの基礎は 、一九三 ○年代の経済危機と失業委員会における 「新経済学 」の検討 、そして戦時経済の経験の蓄積の上に築かれたのである 。これに大きな貢献をしたのがミュルダ ール率いる 「戦後経済計画委員会 」であった ★ 3 2 。ミュルダ ールは経済運営における 「プランニング 」を提唱したが 、それはまさにクロ ーセンが定義した意味におけるものであった 。ミュルダ ールの言う 「プランニング 」とは 、政府やその他の団体が民主的な政治過程を通じて設定された目的に向けて 、政策をより合理的に調整しようとするプラグマティックで漸進的な過程のことである ★ 3 3 。ミュルダ ールの 「プランニング 」は 、前章において参照したケインズ 、コモンズ 、デュ ーイの構想とも共鳴するものであろう 。ミュルダ ールの理論とケインズ主義の近接性はすでに知られているので 、ここでは 、コモンズの制度経済学との関係を参照しておこう 。ミュルダ ールは 、一九三 ○年にウィスコンシン大学を訪問し 、コモンズとも会っている 。当時のウィスコンシン大学は制度経済学の隆盛期にあった 。もっとも 、 「私は当時 、 『新経済学 』と呼ばれるものには転向していなかった 。私は学問的発展の 『理論的 』段階にいたのである 。 」その後 、ミュルダ ールは一九三 ○年代の経済危機の中にあるスウェ ーデンに戻り 、社会的平等やアメリカの人種差別といった社会問題を研究しているうちに 、従来の経済学の専門主義的な限界に気づき 、 「その間に 、私は制度経済学者になったのである ★ 3 4 。 」


★ 3 2 K l a u s e n ( 1 9 9 8 : C h . 4 )
★ 3 3 G u n n a r M y r d a l , B e y o n d t h e W e l f a r e S t a t e : E c o n o m i c P l a n n i n g a n d I t s I n t e r n a t i o n a l I m p l i c a t i o n s , B a n t a m B o o k s , 1 9 6 0 , p . 2 0
★ 3 4 G u n n a r M y r d a l , ' I n s t i t u t i o n a l E c o n o m i c s , ' J o u r n a l o f E c o n o m i c I s s u e s , X I I ( 4 ) , D e c e m b e r 1 9 7 8 , p p . 7 7 1 7 7 2 .

3:33 午後  
Blogger yoji said...

富国と強兵#14

3:33 午後  
Blogger yoji said...

ミュルダールは制度派に転向

6:51 午前  
Blogger yoji said...

607 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ fbc9-7pCq)[sage] 2020/10/20(火) 19:35:13.31 ID:YTZbfc690
支配的な理論体系にしがみついている人々は、主流派グループを形成し、彼らの書いたものは、権威を与えられる。また、彼ら
は互いに引用し合うが、他の者の文献は引用しないのが普通である。ことに主流派経済学者(establishment economist)に
共通するアプローチや理論に、あえて極端な形で疑義をさしはさむ反逆者の経済学者が存在しようものなら、それをけっして
引用しようとはしない。こうして彼らは、他の社会科学分野に対してだけでなく、自らの周りにも、他から隔絶した空間を作ろう
と努力する。そして、彼らのグループの内部で、何人かの研究者は、全員の推薦によって、卓越したもとして持ち上げられている。
しかし彼らより劣った何千人もの研究者たちでさえ、その主流派グループに仲間として籍を置き、その集団の枠内で誠実に仕事
をすることによって地位を得ることができる。こうした順応の力は、とくに経済学の場合に強いように思われるけれども、もちろん、
他の社会科学でも同じことが起こりうる。

反主流の経済学 (1975年) (ダイヤモンド現代選書)  G.ミュルダール(著), 加藤 寛 (翻訳), 丸尾 直美 (翻訳)

4:04 午前  

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