土曜日, 10月 13, 2018

フリードリッヒ・リスト(Friedrich List, 1789 - 1846)


フリードリッヒ・リスト(ドイツ歴史学派)1789~1846
http://nam-students.blogspot.com/2018/10/friedrich-list-1789-1846.html@



 なぜ 、自由貿易というドグマは 、これほどまでに強い影響力を発揮することができるのであろうか 。
 なぜ 、それを疑うことすら許されないのか 。この謎を解く鍵を握っているのが 、十九世紀前半のドイツで活躍した政治経済学者フリ ードリヒ ・リスト ( 1 7 8 9 ー1 8 4 6 )である 。
 リストは 、自由貿易論の代表的な批判者として知られ 、その理論は 、国民経済学あるいは経済ナショナリズムと呼ばれている 。主著は 『政治経済学の国民的体系 (Friedrich List, Das nationale System der politischen Ökonomie 1840 ) 』である ( * ) 。経済学説史上 、リストは 「ドイツ歴史学派 」の祖として位置づけられる 。

* 同書について 、小林昇は 『経済学の国民的体系 』と訳している 。フリ ードリッヒ ・リスト 『経済学の国民的体系 』 ( 1 9 7 5 、岩波書店 ) 。しかし 、 p o l i t i s c h e n Ö k o n o m i eは 「政治経済学 」と訳した方がリストの理論の趣旨に合っているので 、本書では 『政治経済学の国民的体系 』と呼ぶこととする 。

経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ (朝日新書) Kindle版
中野 剛志 (著)2017


中野 そう 、保護主義というのは 、不況のときになると必ず出てきますね 。一般に保護主義の始祖と見なされているのが 、一九世紀ドイツのフリードリッヒ・リストですね 。彼は 『政治経済学の国民的体系 』という本を書いているのですが 、この本を書いた当時 、ヨ ーロッパは不況だったんです 。その次に保護主義の議論が起きるのが一八七〇年代あたりで 、このときもイギリスを中心に大不況が起きていた 。
柴山 アメリカが保護主義をとって成功した時代ですね 。

グローバル恐慌の真相 (集英社新書) 2011 Kindle版
中野剛志 (著), 柴山桂太 (著)


ポランニー人間の経済2補論2によればリストはケアリーの影響を受けている。
エンゲルもケアリーの影響を公言している。

フリードリッヒ・リスト(Friedrich List, 1789年8月6日 - 1846年11月30日)は、19世紀のドイツ人経済学者。ドイツ歴史学派の先駆者。ナショナルシステムまたは後にナショナルイノベーションシステム英語版と呼ばれるいくつかの理論を発展させた。初期の欧州統一理論家であるとされ、その考えは欧州経済共同体の礎となった。
フリードリッヒ・リスト
歴史学派
生誕1789年8月6日
ヴュルテンベルク公国ロイトリンゲン
死没1846年11月30日(57歳没)
ドイツ連邦クーフシュタイン
国籍ドイツの旗 ドイツ
研究分野経済学
影響を
受けた人物
アレクサンダー・ハミルトン
ダニエル・レイモンド英語版
影響を
与えた人物
アーサー・グリフィス
エリック・S・レイナート英語版
ハ・ヨンジュン・チャン英語版
実績ナショナルイノベーションシステム英語版
歴史学派の創始
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生涯と活動編集


Nationale System der politischen Ökonomie, 1930
ヴュルテンベルクの帝国直属都市ロイトリンゲンの革なめし匠の子として生まれた。14歳の時にラテン語学校を中位の成績で卒業するが、父の職業には適さなかったために、1806年にはブラウボイレンの市役所事務室に書記として勤め、ウルム、シェルクリンゲン、1813年にはテュービンゲンの県庁へ転任した。テュービンゲン大学の講義に出席し、独学を始める。1816年シュトゥットガルトへ移住して、自由主義的な大臣ヴァンゲンハイムに認められ、1817年にはテュービンゲン大学に新しく設立された財政学科「国家政策」の教授に任命された。1819年からドイツ商工業同盟を創立、活動を指導し、そのため1820年5月21日に官職を罷免されている。この年にウィーンを訪問し、かねてからヴュルテンベルク憲法闘争でのリストの活躍に目をつけていたメッテルニヒによる生涯にわたる迫害を引き起こし、翌年にかけて領邦議会にも進出している。現国家制度反対の煽動、政府への侮辱の罪という宣告を受けて亡命し、アルザスバーデンスイスロンドンパリと放浪し、1824年に帰郷しホーエンアスペルクに投獄される。翌1825年にアメリカ移住を条件として放免され、以前から同道を勧められていたフランスの名士ラファイエットの忠告にしたがって渡米、6月10日にニューヨークに到着する。
国賓としてアメリカ各地を旅行していたラファイエットと3ヶ月行動をともにし、アメリカ一流の政治家に紹介された。ペンシルベニア州ハリスバーグに農場を手に入れて農業経営のかたわら、主にアメリカの制度・実業・経済事情に研究に従事した。農業には失敗したのでレディングで《Readinger Adler》というドイツ語新聞の編集を引き受け、年俸700フランで政治記事を書く。工業と農業の対立が先鋭にあらわれ、運輸機関が国民生活を急激に変えつつあったアメリカでの経験が後の著作に生かされている。鉱山事業に成功し、故国での名誉ある地位を望んだリストは、1832年夏にアメリカ領事として帰国した。
1833年までロッテック=ヴェルッカーの『国家学辞典』の編集に協力、ライプツィヒ=ドレスデン鉄道の敷設に貢献し、ドイツ鉄道網の完成を奨励した。諸雑誌の創刊、関税同盟の設立、記者としての活動で多忙を極めながら、政治的圧迫と中傷とアメリカでの事業の崩壊に苦しみ、1837年にはパリに旅行する。そこで「保護関税より自由貿易への推移のもっとも合理的な方法について」というパリ学士院の懸賞問題に刺激され、リストの主著政治経済学の国民的体系Das nationale System der politischen Oekonomie』が書かれ、帰国後の1841年に完成されている。同年、ライン新聞英語版の編集長のポストを提示されるも療養を理由に断る(カール・マルクスが就くことになる)[1]1844年ハンガリーを訪問し、1846年にロンドンで議会を傍聴している。オーストリアクフシュタインでピストル自殺を遂げた。

その学説編集

  1. 国民国家
    リストは同時代の歴史家アダム・ミュラー英語版と「国家は人間が基本的に必要とする一つのものであるのみならず、人間が必要とする至上最高のものである」という見解を共有していた。国家は国民を保護しなければならないだけではなく、国民性のあらわれそのものであった。「全世界をわがものとするも、国民性にして損なわれることあらば何の得るところがあろうか」とリストは書いている。
  2. 発展段階論
    リストは国民が経過しなければならない発展段階を5つに分けた。原始的未開状態、牧畜状態、農業状態、農工業状態、農工商業状態である。その国民がどの発展段階にいるかによって、国家が果たすべき役割は異なる。諸国民の間には無限の差異があり、どの国家でもそれぞれの使命を持つ。未開国民を文明化し、弱小国民を強大化するのがすべての国家の使命である。
  3. 保護貿易論
    リストは、かつての重商主義をドイツの情勢に適用し、ドイツを国民として統一し、自由な国民とするためには単なる農業国であってはならず、商業国として独立するためには自国の工業を興さなければならない、と主張する。国際貿易で後進工業国がイギリスに太刀打ちするためには、国家による干渉が必要であるとの結論は、アメリカのアレクサンダー・ハミルトンなどの見解とも一致する。
  4. 農業制度論
    イギリスは工業のための原始蓄積として、農村から過剰人口が流出するにまかせたが、「ドイツはイギリスのようにはなり得ないし、またそうなってはならない」。そしてそのために国内の零細農業を排し、中産農場主を創出する政策を説く。彼らの存在は社会主義への防壁となり、国家を偉大なものにする保障となるであろう。
  5. 政治経済学
    「政治経済学」は、国民にそれ自身の使命を自覚させるためにあり、経済状態が推移するにつれて変化しなければならない。経済学は静態的なものではなく、より現実の変化に適合したものへと発展しなければならない。アダム・スミスは自由貿易のために十分成長したイギリスのためにその経済学を考え出したが、それは「国民」「国家」の役割を度外視する「万民経済学」である。ドイツの現在の発展段階に適合した学問ではない。
  6. 歴史学派
    リストは、歴史が示す実例を用いて国家への警告とする。ある経済政策、国家の行動が妥当かどうかの基準を普遍的な経済理論にではなく、過去の事実に求めるというこの態度は、シュモラーなどのドイツ歴史学派に受け継がれた。

評価編集

中野剛志はフリードリッヒ・リストは『政治経済学の国民的体系』の中で「ネイション」(国民)と「ステイト」(政府)の概念を明確に区別しているとしている。リストの経済学は重商主義と混同され、重商主義と経済ナショナリズムは同一視されるが全く異なるものであるとし、その主眼は利益でも効用でもなく、国民が共有する「文化」であり、物質的要素と文化的要素は相互に関連し、ともに発展できると考えたことであるとしている[2]
柴山桂太はリストの保護主義のポイントは、
  1. 重商主義と保護主義は異なること
  2. 保護主義は保護そのものが目的ではなく、国内分業を進め、かつ分業した国民同士の結合を強めていくことが根幹で、それが経済発展につながるということ
  3. 保護主義を実践するには気候条件と一定の人口規模が必要であること
  4. 保護主義と鎖国は異なり、国内分業といっても自給自足を目指したものではない
としている[3]
中野は自由貿易も得意な分野に特化し輸出で稼ぐということになると、他人の市場を奪い取るなどの経済的な利益だけを考えているため、ほとんど重商主義に近くなるとしている。このような重商主義のロジックとリストの経済ナショナリズムが決定的に違うのは、富を取りに行くとか、富を交換するといった論点ではなく、富を自分で作り出すにはどうしたらいいかという、生産の創造性について語った点であるとしている。デイビット・リカードをはじめとする標準的な自由貿易の理論は、モノを交換すると効率が良くなるとか、消費者の効用が上がると言っているだけであり、そのモノ自体をどうやって人間が作っていくか、どういう条件があれば生産ができるかという議論が全くなされていないとしている[4]
経済学者の野口旭は「『幼稚産業保護』論を唱えたフリードリッヒ・リストの貿易思想は、その後の発展途上国の貿易政策に大きな影響を与えた」と指摘している[5]

著作編集

  • 1827年『アメリカ経済学綱要 Outline of American Political economy』
  • 1837年『政治経済学の国民的体系 Le systèm naturel d'économie politique』
  • 1838年『国民的運輸制度 Das nationale Transportsystem』
  • 1842年『農地制度論 Die Ackerverfassung,die Zwergwirtschaft und die Auswanderung』
    • 小林昇訳『農地制度論』岩波書店(岩波文庫)、1974年
  • 1846年『ドイツ人の政治的・経済的国民統一 Die politisch-konomische Nationaleinheit der Deutschen』

脚註編集

[ヘルプ]
  1. ^ Henderson, William O. Friedrich List: Economist and Visionary. Frank Cass: London, 1983, p. 85.
  2. ^ 中野剛志・柴山桂太 『グローバル恐慌の真相』 173-174頁。
  3. ^ 中野剛志・柴山桂太 『グローバル恐慌の真相』 178-179頁。
  4. ^ 中野剛志・柴山桂太 『グローバル恐慌の真相』 179-180頁。
  5. ^ 野口旭 『グローバル経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2007年、141頁。

関連項目編集

  • 大島貞益 - 「日本のリスト」と呼ばれる明治時代の保護貿易論者。




長沼伸一郎著作集
http://book.motion.ne.jp/
現代経済学の直観的方法(2016年ブルーバックス版とは別)



経済学の系譜

                        ハイエク
                           フリードマン
   セー                      (マネタリズム)
 ベンサム        JSミル
                (一般均衡理論)
             ワルラス パレート\         自由市場
            ジェボンズ  →            万能主義
                          ピグー
                   (新古典主義)  シュムペーター
                マーシャル     \
        リカード
  [アダム·スミス]↗︎               ヒックス
                         ( IS-LM分析) 
                               \
**                          アメリカン·ケインジアン
                          サミュエルソン→
モンテスキュー →    [ケインズ]↗︎
         マルサス        カーン ハロッド
   スチュアート      ウェブレン     ロビンソン
   (重商主義)      (制度学派)
            リスト         \高度福祉社会思想
          《歴史学派,国鉄論》
***
           [マルクス]→    ↘︎
                       (ソ連崩壊)

 1700       1800     1900       2000
図の上へ行くほど自由放任主義の傾向が強い。





19 Comments:

Blogger yoji said...

2011
グローバル恐慌の真相 (集英社新書) Kindle版
中野剛志 (著), 柴山桂太 (著)

1:53 午前  
Blogger yoji said...

第四章冬の時代のための経済ナショナリズム
危機の時代に生まれた異端の経済思想が現代を救う
重商主義の進出を防ぐための保護主義
ネイションを主体としたリストの保護主義
人口と気候の条件が整えば保護主義が機能する
自由貿易論に欠けている 「生産 」の視点
「創造 」 「生産 」の原動力を考える
有形無形のナショナル ・キャピタルに注目する

1:55 午前  
Blogger yoji said...


フリードリッヒ・リスト - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/フリードリッヒ・リスト
フリードリッヒ・リスト(Friedrich List, 1789年8月6日 - 1846年11月30日) .... 柴山桂太 はリストの保護主義のポイントは、.



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1:57 午前  
Blogger yoji said...

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中野 剛志 (著)
5つ星のうち 4.4 9件のカスタマーレビュー

2:03 午前  
Blogger yoji said...

経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ (朝日新書) Kindle版
中野 剛志 (著)2017
5つ星のうち 4.4 9件のカスタマーレビュー

2:03 午前  
Blogger yoji said...

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スコット・A. シェーン (著), Scott A. Shane (原著), 谷口 功一 (翻訳), 中野 剛志 (翻訳), 柴山 桂太 (翻訳)

3:01 午前  
Blogger yoji said...

中野 そう 、保護主義というのは 、不況のときになると必ず出てきますね 。一般に保護主義の始祖と見なされているのが 、一九世紀ドイツのフリ ードリッヒ ・リストですね 。彼は 『政治経済学の国民的体系 』という本を書いているのですが 、この本を書いた当時 、ヨ ーロッパは不況だったんです 。その次に保護主義の議論が起きるのが一八七〇年代あたりで 、このときもイギリスを中心に大不況が起きていた 。
柴山 アメリカが保護主義をとって成功した時代ですね 。

5:10 午前  
Blogger yoji said...

中野 そう 、保護主義というのは 、不況のときになると必ず出てきますね 。一般に保護主義の始祖と見なされているのが 、一九世紀ドイツのフリ ードリッヒ ・リストですね 。彼は 『政治経済学の国民的体系 』という本を書いているのですが 、この本を書いた当時 、ヨ ーロッパは不況だったんです 。その次に保護主義の議論が起きるのが一八七〇年代あたりで 、このときもイギリスを中心に大不況が起きていた 。
柴山 アメリカが保護主義をとって成功した時代ですね 。

グローバル恐慌の真相 (集英社新書) 2011 Kindle版
中野剛志 (著), 柴山桂太 (著)

5:11 午前  
Blogger yoji said...

リストは 、自由貿易論の代表的な批判者として知られ 、その理論は 、国民経済学あるいは経済ナショナリズムと呼ばれている 。主著は 『政治経済学の国民的体系 ( D a s n a t i o n a l e S y s t e m d e r p o l i t i s c h e n Ö k o n o m i e ) 』である ( * 2 8 ) 。経済学説史上 、リストは 「ドイツ歴史学派 」の祖として位置づけられる 。


小林昇は 『経済学の国民的体系 』と訳している 。フリ ードリッヒ ・リスト 『経済学の国民的体系 』 ( 1 9 7 5 、岩波書店 ) 。しかし 、 p o l i t i s c h e n Ö k o n o m i eは 「政治経済学 」と訳した方がリストの理論の趣旨に合っているので 、本書では 『政治経済学の国民的体系 』と呼ぶこととする 。
* 2 9フリ ードリッヒ ・リスト 『農地制度論 』 、岩波文庫 、 1 9 7 4 、 p p . 2 5 6 .
* 3 0リスト ( 1 9 7 5 : p p . 1 7 )

5:24 午前  
Blogger yoji said...

* 2 8同書について 、小林

5:25 午前  
Blogger yoji said...


なぜ 、自由貿易というドグマは 、これほどまでに強い影響力を発揮することができるのであろうか 。なぜ 、それを疑うことすら許されないのか 。この謎を解く鍵を握っているのが 、十九世紀前半のドイツで活躍した政治経済学者フリ ードリヒ ・リスト ( 1 7 8 9 ー1 8 4 6 )である 。

Friedrich List, Das nationale System der politischen Ökonomie 1840

5:28 午前  
Blogger yoji said...


なぜ 、自由貿易というドグマは 、これほどまでに強い影響力を発揮することができるのであろうか 。
なぜ 、それを疑うことすら許されないのか 。この謎を解く鍵を握っているのが 、十九世紀前半のドイツで活躍した政治経済学者フリ ードリヒ ・リスト ( 1 7 8 9 ー1 8 4 6 )である 。

リストは 、自由貿易論の代表的な批判者として知られ 、その理論は 、国民経済学あるいは経済ナショナリズムと呼ばれている 。主著は 『政治経済学の国民的体系 (Friedrich List, Das nationale System der politischen Ökonomie 1840 ) 』である ( * 2 8 ) 。経済学説史上 、リストは 「ドイツ歴史学派 」の祖として位置づけられる 。


* 2 8同書について 、小林昇は 『経済学の国民的体系 』と訳している 。フリ ードリッヒ ・リスト 『経済学の国民的体系 』 ( 1 9 7 5 、岩波書店 ) 。しかし 、 p o l i t i s c h e n Ö k o n o m i eは 「政治経済学 」と訳した方がリストの理論の趣旨に合っているので 、本書では 『政治経済学の国民的体系 』と呼ぶこととする 。
* 2 9フリ ードリッヒ ・リスト 『農地制度論 』 、岩波文庫 、 1 9 7 4 、 p p . 2 5 6 .
* 3 0リスト ( 1 9 7 5 : p p . 1 7 )

5:29 午前  
Blogger yoji said...


なぜ 、それを疑うことすら許されないのか 。この謎を解く鍵を握っているのが 、十九世紀前半のドイツで活躍した政治経済学者フリ ードリヒ ・リスト ( 1 7 8 9 ー1 8 4 6 )である 。

リストは 、自由貿易論の代表的な批判者として知られ 、その理論は 、国民経済学あるいは経済ナショナリズムと呼ばれている 。主著は 『政治経済学の国民的体系 (Friedrich List, Das nationale System der politischen Ökonomie 1840 ) 』である ( * ) 。経済学説史上 、リストは 「ドイツ歴史学派 」の祖として位置づけられる 。


* 2同書について 、小林昇は 『経済学の国民的体系 』と訳している 。フリ ードリッヒ ・リスト 『経済学の国民的体系 』 ( 1 9 7 5 、岩波書店 ) 。しかし 、 p o l i t i s c h e n Ö k o n o m i eは 「政治経済学 」と訳した方がリストの理論の趣旨に合っているので 、本書では 『政治経済学の国民的体系 』と呼ぶこととする 。

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中野 剛志 (著)2017

5:30 午前  
Blogger yoji said...

なぜ 、自由貿易というドグマは 、これほどまでに強い影響力を発揮することができるのであろうか 。
なぜ 、それを疑うことすら許されないのか 。この謎を解く鍵を握っているのが 、十九世紀前半のドイツで活躍した政治経済学者フリ ードリヒ ・リスト ( 1 7 8 9 ー1 8 4 6 )である 。

リストは 、自由貿易論の代表的な批判者として知られ 、その理論は 、国民経済学あるいは経済ナショナリズムと呼ばれている 。主著は 『政治経済学の国民的体系 (Friedrich List, Das nationale System der politischen Ökonomie 1840 ) 』である ( * ) 。経済学説史上 、リストは 「ドイツ歴史学派 」の祖として位置づけられる 。


* 同書について 、小林昇は 『経済学の国民的体系 』と訳している 。フリ ードリッヒ ・リスト 『経済学の国民的体系 』 ( 1 9 7 5 、岩波書店 ) 。しかし 、 p o l i t i s c h e n Ö k o n o m i eは 「政治経済学 」と訳した方がリストの理論の趣旨に合っているので 、本書では 『政治経済学の国民的体系 』と呼ぶこととする 。

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5:31 午前  
Blogger yoji said...



経済学 下巻 (角川ソフィア文庫)
宇野 弘蔵, 大島 清, 玉野井 芳郎, 大内 力
Kindle 版

上巻
目次
はしがき
序論
第一部 資本主義の発達と構造
第一章 封建社会とその崩壊
一 序説第一部の課題イギリスを問題にするゆえん
二 封建農村の構造
 封建社会の概要 マナの農地制度 マナの農民領主と農民の関係 マナ経済の本質
三 封建都市の構造
 商業の発達と都市の成立 ギルドとその構造 ギルド的強制都市の行政
四 マナおよびギルドの崩壊
 農民層の分解 農民戦争ギルドの崩壊
第二章 資本主義の発生
一 エンクロージャ・ムーヴメント(囲込み運動) 資本主義成立の前提条件 「囲込み運動」出された無産者の状態
二 商人資本の機能とマニュファクチァの限度
 商品経済と商人資本 問屋制度 マニュファクチァ イギリスの羊毛工業 
三 重商主義の経済政策
 経済政策と資本主義の発展段階 重商主義の経済政策の歴史的意義 前期重商主義の政策 後期重商主義の政策
第三章 資本主義社会の確立
一 産業革命
 産業革命の歴史的意義 機械と労働 利潤の源泉 イギリスにおける産業革命の経過 機械の労働者に対する社会的影響
二 産業資本と国際的分業
 産業資本の発展と国内市場の完成 国際的分業 自由貿易運動 近代的金融機関の発展
三 典型的な資本主義社会
 資本主義社会の基本的な社会関係 資本の蓄積と労働人口 資本主義の矛盾の発現としての恐慌現象
第四章 後期資本主義への転化
一 株式会社の発達と金融資本の成立
 重工業の発達と後進国における株式会社制度による資本主義の急速なる発展 株式会社の機能 金融資本の成立
二 独占的企業組織の発達
 カルテルおよびシンジケート トラストおよび持株会社 独占資本の生産関係
三 帝国主義的政策と国際的経済関係の変化
 保護関税とダンピング 資本の輸出と勢力圏の拡張 帝国主義の難点
第二部 経済学説の発展
第一章 序説 第二部の課題 社会科学としての経済学の発展とその確立
第二章 一七世紀の経済学
一 重商主義思想
 重商主義思想の歴史的意義とその一般的特徴 重商主義思想の変遷 重金主義 貿易差額主義とトマス・マンの学説 保護主義
二 ウィリアム・ペティ
 経済学の発生 『租税貢納論』の構成、および経済学の理論的展開の端緒 発生期の経済学の特色
第三章 一八世紀の経済学
一 自由主義思想の台頭
 重商主義から自由主義への転回 経済思想の変遷と経済学の発展
二 ステュアートとケネー
 ジェームズ・ステュアート……過渡的学説としての『経済学原理』
 フランソワ・ケネー……フィジオクラシーの歴史的意義『経済表』
三 アダム・スミス
 『国富論』の構成、および経済学の理論的体系化 『国富論』における経済学の理論
第四章 古典経済学の確立とその解体
一 デーヴィド・リカアドオ
  リカアドオ経済学の目標 『経済学および課税の原理』の構成──『国富論』との対比 価値論 賃銀論および利潤論 地代論 価値論の例外的修正
二 リカアドオ以後 失業および恐慌の問題、資本主義弁護論の台頭および若干の注目さるべき著書の出現
三 古典経済学の限界 古典経済学における科学的伝統と資本主義的思想
解説──三段階論を体系的に編集した唯一の書 佐藤優

目次
下巻
第五章 カール・マルクス
一 『資本論』
 『資本論』の科学性 『資本論』の目標 『資本論』第一巻の要旨 『資本論』第二巻の要旨 『資本論』第三巻の要旨
二 マルクス経済学の発展
 帝国主義の研究とマルクス経済学の方法
第六章 歴史学派および現代の諸学派
一 歴史学派
二 現代の諸学派
第三部 日本資本主義の諸問題
第一章 日本資本主義発達史の概要
一 封建社会としての徳川時代の特色
 徳川時代の歴史的地位 商品経済の発展 農村への商品経済の滲透 農民層の分解 農村工業の発展
二 明治維新と資本の原始的蓄積
 明治維新の必然性 維新政府の課題 封建制度の撤廃 新制度と近代的産業の移植 地租改正 農民層の分解と資本の原始的蓄積
三 独占資本主義への推転とその発展
 明治末葉までの資本主義の発展 農業の発達国家の役割 日本資本主義の諸欠陥 独占資本主義への推転 帝国主義の発展
第二章 日本資本主義の構造と問題
一 労働者問題
 労働者の数 工場労働者の構成 労働諸条件──賃銀労働諸条件──労働時間その他 失業問題 労働運動
二 農業問題農業経営の構成
 農業経営と土地所有 土地所有の構造 地主・小作関係 農業技術と農業生産力 農家経済の状態 農民運動とその限界
三 中小企業問題
 中小企業の量的把握 中小企業の分布 中小企業における問屋制的支配 中小企業問題の本質
四 財閥財閥の意義
 財閥の生成財閥の機構 財閥の支配力 財閥の解体と再編成
解説──リストに注目した慧眼 佐藤優

7:23 午後  
Blogger yoji said...

第六章 歴史学派および現代の諸学派
一 歴史学派
 イギリスは先進資本主義国として、資本主義の発生期においては重商主義を代表し、また資本主義の確立期においては自由主義を代表して世界市場に有力な地位を占めたのであった。このようにイギリスが、世界資本主義を代表して、一九世紀の中葉、自由貿易運動を積極的に展開しつつあったとき、大陸、特にドイツにおいては、自由貿易の主張に反対し、したがってまた、自由貿易の理論的基礎として役立った古典経済学を否定せんとした「歴史学派」と呼ばれる一派が現われた。フリードリッヒ・リスト(FriedrichList,1789─1846,DasnationaleSystemderpolitischenOekonomie,1841.正木一夫訳『政治経済学の国民的体系』)はこの派の先駆者である。当時のドイツはまだ農業国の域を脱せず、資本家的工業はようやく輸入せられんとしつつあったにすぎなかった。のみならず国内はまだ小国に分裂し、統一的な交通制度が整備しないうえに、諸邦間には関税の障壁が設けられていて、国内商品経済の発展、したがってまた資本主義の発展をさまたげていた。一八三四年の「関税同盟」の成立によってこうした障害はある程度緩和せられ、国内商品経済の発展を促進せられることとなったが、それと同時に、先進資本主義国との競争から、ドイツの幼稚産業を保護するための対外的保護関税の主張が台頭したのである。そうした主張を代表して、ドイツの国内的経済統一を積極的に力説したのが、リストの経済学であった。
 もともと保護制度は資本の原始的蓄積の一要因をなすものであって、自由貿易に対立する意味での保護制度も、一九世紀の機械制工業を移入せんとする、後進資本主義に特有な原始的蓄積のための方策にすぎない。しかしリストは、このような保護制度について、その歴史的意義を明確にしていたわけではない。ただこれをいわば本能的に、実際的に強調することによって、イギリスに追いつかんとする後進資本主義の発展の要求を述べるために古典経済学に対立した見解を展開したのである。もちろんそれは資本主義の世界史的発展を代表したイギリスの自由貿易主義とその理論的基礎をなした古典経済学とを克服しうるものではなかった。ドイツという一つの後進資本主義の立場によってそれを排撃しようとしたのであるが、しかしそのために古典経済学の理論的抽象規定に対して歴史的研究を対置することになったのであった。かくてリストは、価値論を基軸とした古典経済学の理論的成果を摂取するかわりに、これを単に「万民経済学または世界経済学」と呼んでいたずらに排斥し、みずからは「政治的経済学または国民的経済学」を提唱して、経済学とは「ある特定の世界情勢のもとで、いかにすれば農業・工業および商業によって幸福と文明とを招来するかを教える」学問でなければならないという素朴な見解を表明した。そしていわゆる経済発展段階説を提唱して、「未開状態」、「遊牧状態」、「農業状態」、「農工業状態」、「農工商業状態」、というきわめて常識的な五段階の発展図式を想定し、最後の「農工商業状態」を理想の状態とみなして、これに到達するための政策として保護貿易主義の必要を力説したのである。
 このようなリストの幼稚産業保護の思想は、経済学の理論的発展のうえには格別の意義をもちえないで、実際上は後進諸国の政策にその通俗的影響を及ぼしたにすぎなかったのであるが、かれの歴史的、国民的見方は前に指摘したように、「歴史学派」の端緒を開くこととなった。まもなくロッシャー(WilhelmRoscher,1817─1894,GrundrisszuVorlesungenüberdieStaatswirtschaftnachgeschichtlicherMethode,1843.山田雄三訳『国家経済学講義要綱』、SystemderVolkswirtschaft,1854─1894)、ヒルデブラント(BrunoHildebrand,1812─1878,DieNationalökonomiederGegenwartundZukunft,1848)およびクニース(KarlKnies,1821─1898,DiepolitischeOekonomievomStandpunktedergeschichtlichenMethode,1853)が「旧歴史学派」を代表して現われた。このうちロッシャーは、一国の経済を政治・法律・文化史等との総合的関連において観察することを強調し、ヒルデブラントは、「自然経済、貨幣経済および信用経済」という、生産様式の歴史的差異を無視して現象的特徴のみを追った経済発展三段階説をとなえた。
 右の三人につづいて、シュモラー(GustavSchmoller,1838─1917,ÜbereinigeGrundfragendesRechtsundderVolkswirtschaft,1875.戸田武雄訳『法及び国民経済の根本問題』、DieVolkswirtschaft,VolkswirtschaftslehreundihreMethode,1893.戸田武雄訳『国民経済、国民経済学及び方法』)、ブレンターノ(L.Brentano,1844─1931)その他の「新歴史学派」が現われて、歴史的細目の研究に従事し、経済史の領域においてはある程度の注目すべき足跡を残したけれども、経済学の理論的研究の面はしだいに放棄される結果となった。たとえばさきのクニースは、経済現象の法則性にかえて、経済現象における単なる「類似性」を強調するにとどまったし、シュモラーとなると、経済現象を概念的に抽象する理論一般に対して疑いをかけたのであった。そしてそのためにシュモラーは、次節で述べるカール・メンガーによって論難攻撃をうけ、両者のあいだに激しい方法論争がまき起されることにもなったのである。シュモラーなどの「新歴史学派」はまた、資本主義がすでにいくたの困難をはらんだ一九世紀末葉において、いわゆる社会問題を、社会主義的に解決するかわりに、依然として資本主義のワクのなかでこれを解決するものとしての社会政策を主張した。そこでかれらは「講壇社会主義」とも称されている[*]。

 *なお、歴史学派およびマルクスの影響を受けながらもこれと独立に経済史および社会科学方法論に関する重要な著作を書いた学者として、有名なマクス・ウェーバー(MaxWeber,1864─1920,DieprotestantischeEthikundderGeistdesKapitalismus,1904─5,梶山力訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、DieObjektivitätsozialwissenschaftlicherundsozialpolitischerErkenntnis,1904.富永裕司・立野保男訳『社会科学方法論』、戸田武雄訳『社会科学と価値判断の諸問題』)がある。また同じく歴史学派とマルクスの影響を受けつつ経済史の研究に従事した学者に、ゾムバルト(WernerSombart,1863─1941,DermoderneKapitalismus,1902.岡崎次郎訳『近世資本主義』、梶山力訳『高度資本主義』)がある。

7:35 午後  
Blogger yoji said...

〈もともと保護制度は資本の原始的蓄積の一要因をなすものであって 、自由貿易に対立する意味での保護制度も 、一九世紀の機械制工業を移入せんとする 、後進資本主義に特有な原始的蓄積のための方策にすぎない 。しかしリストは 、このような保護制度について 、その歴史的意義を明確にしていたわけではない 。ただこれをいわば本能的に 、実際的に強調することによって 、イギリスに追いつかんとする後進資本主義の発展の要求を述べるために古典経済学に対立した見解を展開したのである 。もちろんそれは資本主義の世界史的発展を代表したイギリスの自由貿易主義とその理論的基礎をなした古典経済学とを克服しうるものではなかった 。ドイツという一つの後進資本主義の立場によってそれを排撃しようとしたのであるが 、しかしそのために古典経済学の理論的抽象規定に対して歴史的研究を対置することになったのであった 。かくてリストは 、価値論を基軸とした古典経済学の理論的成果を摂取するかわりに 、これを単に 「万民経済学または世界経済学 」と呼んでいたずらに排斥し 、みずからは 「政治的経済学または国民的経済学 」を提唱して 、経済学とは 「ある特定の世界情勢のもとで 、いかにすれば農業 ・工業および商業によって幸福と文明とを招来するかを教える 」学問でなければならないという素朴な見解を表明した 。そしていわゆる経済発展段階説を提唱して 、 「未開状態 」 、 「遊牧状態 」 、 「農業状態 」 、 「農工業状態 」 、 「農工商業状態 」 、というきわめて常識的な五段階の発展図式を想定し 、最後の 「農工商業状態 」を理想の状態とみなして 、これに到達するための政策として保護貿易主義の必要を力説したのである 。このようなリストの幼稚産業保護の思想は 、経済学の理論的発展のうえには格別の意義をもちえないで 、実際上は後進諸国の政策にその通俗的影響を及ぼしたにすぎなかったのであるが 、かれの歴史的 、国民的見方は前に指摘したように 、 「歴史学派 」の端緒を開くこととなった 〉 (下巻七二 ~七三頁 [ * ] ) 。

二一世紀の今日 、経済のグロ ーバル化と同時に 、国家の経済に対する機能も強まっている 。現実に存在する資本主義を理解する上で 、マルクスの 『資本論 』とリストの 『政治経済学の国民的体系 』の双方に目配りをすることが重要だ 。
玉野井は 、一九六〇年代に宇野経済学を離れ 、カ ール ・ポランニ ー流の経済人類学に軸足を移す 。本書の執筆でマルクス後の経済学説史を学んだことが 、玉野井の理論的発展過程において無視できない影響を与えたと思う 。

7:39 午後  
Blogger yoji said...

解説 ─ ─リストに注目した慧眼佐藤優 (作家 ・元外務省主任分析官 )

 宇野弘蔵 (一八九七 ~一九七七年 )の略歴と思想の特徴については 、上巻の解説を参照していただきたい 。
 下巻では 、玉野井芳郎の執筆による経済学説史の後半部分 (マルクス以降 )と 、大内力の執筆による現状分析が収録されている 。いずれの論考にも 、宇野が詳細に目を通して加除修正と編集を行っているので 、これら著者と宇野の共同作品と位置づけることができる 。
 宇野は 、フリ ードリヒ ・リストの国民経済学に対して強い関心を持っていた 。段階論で 、宇野は自由主義的経済政策を取ったイギリスとは別の類型として 、後発資本主義国であるドイツがとった国家主導の経済政策に着目する 。
 その理論的支柱となったのがリストだ 。玉野井はリストの意義についてこう記す 。

〈イギリスは先進資本主義国として 、資本主義の発生期においては重商主義を代表し 、また資本主義の確立期においては自由主義を代表して世界市場に有力な地位を占めたのであった 。このようにイギリスが 、世界資本主義を代表して 、一九世紀の中葉 、自由貿易運動を積極的に展開しつつあったとき 、大陸 、特にドイツにおいては 、自由貿易の主張に反対し 、したがってまた 、自由貿易の理論的基礎として役立った古典経済学を否定せんとした 「歴史学派 」と呼ばれる一派が現われた 。フリ ードリッヒ ・リスト ( F r i e d r i c h L i s t , 1 7 8 9 1 8 4 6 , D a s n a t i o n a l e S y s t e m d e r p o l i t i s c h e n O e k o n o m i e , 1 8 4 1 .正木一夫訳 『政治経済学の国民的体系 』 )はこの派の先駆者である 。当時のドイツはまだ農業国の域を脱せず 、資本家的工業はようやく輸入せられんとしつつあったにすぎなかった 。のみならず国内はまだ小国に分裂し 、統一的な交通制度が整備しないうえに 、諸邦間には関税の障壁が設けられていて 、国内商品経済の発展 、したがってまた資本主義の発展をさまたげていた 。一八三四年の 「関税同盟 」の成立によってこうした障害はある程度緩和せられ 、国内商品経済の発展を促進せられることとなったが 、それと同時に 、先進資本主義国との競争から 、ドイツの幼稚産業を保護するための対外的保護関税の主張が台頭したのである 。そうした主張を代表して 、ドイツの国内的経済統一を積極的に力説したのが 、リストの経済学であった 〉 (下巻七一 ~七二頁 [ * ] ) 。

 リストの経済学は 、 E U (欧州連合 ) 、ユ ーラシア共同体のような形態で二一世紀の今日にも影響を与え続けている 。リストに注目した宇野と玉野井の慧眼に脱帽する 。
 玉野井は保護主義を 、後発資本主義国における資本の原始的蓄積の文脈でとらえる 。

7:41 午後  
Blogger yoji said...


Fwd: 母国のために生涯を捧げた小卒の経済学者

【12月31日までの特別なご案内】

この度、三橋貴明の
新プロジェクトが始動しました。


それは「日本に正しい貨幣観を取り戻す」
というものです。


貨幣とは分かりやすく言うとお金のことですが
一体、なぜ、正しい貨幣の知識が
必要なのでしょうか?


実は、今の日本で起こっている
経済の問題、政治の問題は
全て「貨幣観の間違い」が原因だと
三橋貴明は語ります。


今回のプロジェクト始動にあたり、
三橋貴明よりメッセージを
いただきましたので
まずはこちらをご覧ください。

>メッセージを視聴する


===================

あなたは次の人物をご存知でしょうか?

・最終学歴は小学校卒業。

・その後、独学で勉強を続け、
 28歳の若さでドイツ最古の経済学部の
 教授に就任。

・就任の翌年に教授の職を降り、政治家となる。

・政敵に訴訟を起こされ、敗訴。その後、投獄。

・その後、アメリカに亡命し鉄道・炭坑の事業で成功。


まさに波乱万丈の人生ですね。
この人物こそが、
異色の経済学者フリードリヒ・リストです。


リストは西南ドイツの王国で
「書記見習い」からスタートし、
そこから少しずつ地方行政の改善に取り組み
28歳の時に、現存するドイツ最古の経済学部の
教授に就任します。


そんなリストが生涯をかけて行ったのが
主流派経済学への批判です。


リストは生きていた時代は
イギリスが覇権を握っており、
世界中で関税をなくそうとする
自由貿易の波が広がっていました。


しかし、リストはこの自由貿易に
疑問を持ちます。
そして、自由貿易を正解とする
主流派経済学への批判を強めていくのです。


そもそも、主流派経済学は
かなり限定的な条件を前提にしている学問です。


実際の世界経済の状況と
合わない箇所が出てきても何の不思議もありません。


しかし、時代は主流派経済学全盛の時代です。
リストの意見は受け入れられることは
ありませんでした。


彼は、教授職をやめ、政治家に立候補し
議員としてドイツを変えようとしました。


しかし、政敵に嵌められ
冤罪で投獄させられるのです。。。


そして、最後には
自分自身に銃を向け、自殺をしてしまいます。


そして、現代も
リストの主張はメジャーではなく
今なお主流派経済学が世界を牛耳っています。


海外の大学では
主流派経済学以外の論文には目も
通さず、評価も低くつけるという
仕組みもあるのです。


なぜ、これほどまでに間違った
学問が続いてきたのでしょうか?


それは、人類が5000年以上も
ある勘違いを起こしているからです。

それは一体なんでしょうか?

3:48 午前  

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