新渡戸稲造
国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。東京女子大学初代学長。東京女子経済専門学校(東京文化短期大学・現:新渡戸文化短期大学)初代校長。
生涯
稲之助は、巡幸中に新渡戸家で休息していた明治天皇から「父祖伝来の生業を継ぎ農業に勤しむべし」という主旨の言葉をかけられたことから、農学を志すようになったという。
…
国際連盟事務次長編集
1920年(大正9年)の国際連盟設立に際して、教育者で『武士道』の著者として国際的に高名な新渡戸が事務次長の一人に選ばれた[7]。新渡戸は当時、東京帝国大学経済学部で植民政策を担当していたが辞職し、後任に矢内原忠雄が選ばれる。新渡戸らは国際連盟の規約に人種的差別撤廃提案をして過半数の支持を集めるも、議長を務めたアメリカのウィルソン大統領の意向により否決されている。
【産経抄】伊藤博文「朝鮮人は偉い。国を経営できない理由はない」→安重根が暗殺→ハルビン駅に石碑建立へ→100年たっても…
1 : ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★:2013/11/20(水) 14:44:59.61 ID:???0
★【産経抄】100年たっても彼の国の政治は…11月20日
世の中、便利になったもので、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造氏が、昭和初期に書いた
エッセーを電子書籍で簡単に読めたのには驚いた。しかも無料じゃあ、神田の古本屋もたまったもんじゃない。
▼と、ブツブツ言いながら読んだのが「偉人群像」である。内外の偉人たちのあれこれを
エピソードを交えて描いており、彼が実際に会って話をした同時代人の生き生きとした口跡が伝わってくる。
▼伊藤博文元首相(公爵)の巻は、ことに感慨深い。東京帝大で植民政策を講じていた新渡戸は、
明治41年ごろ、初代韓国統監を務めていた伊藤に会うためソウルに渡った。「韓国併合」に
難色を示す伊藤公をなんとか説得してほしい、と友人の官僚に頼まれたのである。
▼「朝鮮人だけでこの国を開くことが果たしてできましょうか」と勢い込んで日本人の大規模
移住を説いた新渡戸に伊藤はこう諭したという。「君、朝鮮人は偉いよ。この民族にして
これしきの国を自ら経営できない理由はない」と。
▼42年、統監を辞したばかりの伊藤博文は、ハルビン駅頭で安重根の凶弾に倒れた。歴史に
「もし」はないが、併合に批判的だった彼が健在だったならば、その後の日韓関係はもっと
違った風景になっていたはずである。そんな犯罪者をたたえる石碑をハルビン駅に建立しよう
という計画が、中韓両国で進んでいる。
▼父の朴正煕大統領を狙い、母を殺した文世光の像をソウル駅前に建てるのと同じ愚挙である
ことを娘の朴槿恵大統領はお気づきでない。新渡戸に伊藤はこうも語った。「(韓国が)今日の
有様(ありさま)になったのは、人民が悪いのじゃなくて、政治が悪かったのだ」。
100年たっても彼(か)の国の政治は、一向に改まっていないようである。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131120/art13112003100001-n1.htm
1 Comments:
slowslow2772
@slowslow2772
新渡戸稲造 『偉人群像』
1931年11月1日実業之日本社
blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl…
310頁 pic.x.com/rANnPtKR6Y
2024/12/21 15:32
https://x.com/slowslow2772/status/1870356596523753830?s=61
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