火曜日, 3月 05, 2019

vice-diction

…日本人がヨーロッパ人に対して実際の年齢よりも若く見えるというのはたしかに事実であり、訳者も、ヨーロッパではしばしば、「お父様は何をしていらっしゃるのか」という子供向けの質問をされて閉口することがある。ドゥルーズは、訳者の顔をまじまじと見つめながら、しわがれた低音で、「何を研究しているのか」と尋ねた。訳者は、「フランス現代思想を学んでおりますが、デカルト研究から出発し、いまでもデカルト研究を続けています。したがって御著書の訳者としては必ずしも適任ではないかもしれません」と答え、そして念のため「大学で教えています」と付け加えた。つまり、ドゥルーズが訳者に対して抱いたかもしれない或る種の疑念を払おうとしてである。ドゥルーズは、安心したようにうなずいて、「デカルト研究を続けるのはよいことだ。私も、スピノザの研究者であり、ライプニッツの研究者である」と語った。この現代哲学の天才のあまりの謙虚さに、訳者は一瞬言葉を失った。
 緊張に震える体を感じながら、あらかじめ考えておいた質問にとりかかった。たとえば、『差異と反復』のなかで、「ヴィス‐ディクシオン vice-diction」こという単語が使われている。これは、どんな辞書にも載っていない言葉である。途方に暮れっぱなしであった訳者は、この言葉の意味をドゥルーズに尋ねた。するとドゥルーズは、辞書をもっていないか、もっていたら、「海軍中将(ヴィス・アミラル) vice-amiral」の項を見よと指示された。そこで訳者がカバンから一冊の仏和辞典を取り出し、頁をめくると、ドゥルーズは椅子から立ちあがって訳者に近より、指でその項を示してくれた。そして「ヴィス vice」とは、「〜のかわりに(ア・ラ・プラス・ド)」という意味で用いていると明言された。「ヴィス‐ディクシオン」とは、ヘーゲルの「 矛 盾 (コントラディクシオン)にかわるもの」という意味である。このような具体的な問いを、時間が許すかぎり(すなわち、ドゥルーズの健康状態からして約一時間)続けたが、終始ドウルーズは、たいへん友好的に、というよりはむしろ父親が子にさとすように、ゆっくりと丁寧に教示してくれた。さらに訳者は、ちょうどベルリンの壁が打ち倒された直後でもあり、東欧における急速な共産主義勢力の崩壊についても尋ねてみた。当時、新聞の報道は、一般に、東欧の解放という明るい見通しのもとでなされていたように思う。ところがドゥルーズは、バルカン半島はふたたび混乱の渦に巻き込まれ、多くの地域的な紛争が発生するだろうと断言された。そのときは、ドゥルーズのひどくペシミスティックな発言にやや納得のいかないものを感じたのだが、いまとなってみれば、ドゥルーズの予言は、まったく正しかったわけである…


差異と反復 解説にかえて