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《この問題に対する私自身の見方は 、過去三十三年間 、ニューギニア人たちといっしょに野外研究活動をしてきた経験からきている 。私は 、ニューギニア人たちと行動をともにしはじめたときから 、平均的に見て彼らのほうが西洋人よりも知的であると感じていた 。周囲の物事や人びとに対する関心も 、それを表現する能力においても 、ニューギニア人のほうが上であると思った 。》
22:
ja.wikipedia.org/wiki/方言周圏論
方言周圏論(ほうげんしゅうけんろん、英: center versus periphery)は、方言分布の解釈の原則仮説の一つ。方言周圏説(ほう ...
重出立証法
『民間伝承論』「我々の方法」より
「現在の生活面を横に切断して見ると、 地方々々で事情は千差万別である。其事象を集めて並べて見ると、起原或は原始の態様はわからぬとしても、其変化過程だけは推理することは容易である」
「現在の生活面を横に切断して見ると、 地方地方で事情は千差万別である。その事象を集めて並べてみると、起原あるいは原始の態様はわからぬとしても、その変化過程だけは推理することは容易である」『民間伝承論』文庫版全集28
「民俗学」とは、一言で言えば「民間の生活様式や伝統文化を研究する学問」と言えると考えられるが、福田アジオ[日本民俗学方法序說: 柳田国男と民俗学?]は「民俗学は全国各地において世代を超えて伝承されてきた ならわし、しきたり、いいつたえ、という民俗事象を資料として研究する学問である」という説明を加えている。
日本の民俗学は、柳田国男がその基礎を築き、弟子の折口信夫らが継承したと言えるだろう。柳田の民俗学は歴史批判から出発したという。つまり、従来の史学が文献に偏重しすぎて、真の歴史を見誤っているのではないかとの疑問をから、民俗学的な立場から日本の正しい歴史を明らかにしようとし、『民間伝承論』などを著して柳田独自の理論を展開している。そこで柳田は「重出立証法」と呼ぶ研究方法について述べている。
まず、文献史料のみに頼る歴史学の手法を批判した上で柳田は、文献や史料ではなく日常のありふれた事象に注目し、それらの事象を広域から蒐集して重ね合わせ、比較することによって、それぞれが過去からどのように変遷してきたかを知ることができるとしてこの手法を「重出立証法」と名づけ、歴史学の文献に代わる事象が民俗であって、この変遷が歴史に他ならないと言い、この方法による学問を「民俗学」と呼んだ。柳田の著した『民間伝承論』には次のようにある。
「…書物はもとより重要なる提供者と認めるが、決して是を至上最適の資料とは認めないのである。現地に観察し、採集した資料こそ最も尊ぶべきであって、書物は之に比べると小さな傍証にしか役立たぬものである」と述べて、現地調査(フィールドワーク)の重要性を説くとともに、民俗学における伝承資料の有用性を主張、かつ文献史料の安易な使用を戒めている。
ここでいうところの「重出立証法」は「比較研究法」ともいわれ、この「比較」という手法は他の学問においても重要な研究法であるが、民俗学においては、より多くの民間伝承を採集して、比較することに重点をおいた資料作成の方法である。この比較研究法の具体的な例示として柳田は「周圏論」ということを言っている。 それは民俗事象に見られる「地域差」は「時間差」でもあり、つまりは歴史的変遷を示していると言い、この現象は中央から地方へと、同心円的に伝播して行くという結論である。
以上が“柳田民俗学”のあらましだが、しかし彼が示した研究の手法は方法論として具体性に欠け問題点も多いいわれている。そこで、その問題点と柳田後の民俗学の新しい動きを述べてみる。…
参考:
佐和隆光 タイムシリーズデータ、クロスセクションデータ
53:
島崎藤村 夜明け前 下
13-3(#19)
先師平田篤胤の遺著『静の岩屋』をあの王滝の宿で読んだ日のことは、また彼の心に帰って来た。あれは文久三年四月のことで、彼が父の病を祷るための御嶽参籠を思い立ち、弟子の勝重をも伴い、あの山里の中の山里ともいうべきところに身を置いて、さびしくきこえて来る王滝川の夜の河音を耳にした時だった。先師と言えば、外国よりはいって来るものを異端邪説として蛇蝎のように憎みきらった人のように普通に思われながら、「そもそもかく外国々より万づの事物の我が大御国に参り来ることは、皇神たちの大御心にて、その御神徳の広大なる故に、善き悪しきの選みなく、森羅万象のことごとく皇国に御引寄せあそばさるる趣を能く考へ弁へて、外国より来る事物はよく選み採りて用ふべきことで、申すも畏きことなれども、是すなはち大神等の御心掟と思い奉られるでござる、」とあるような、あんな広い見方のしてあるのに、彼が心から驚いたのも『静の岩屋』を開いた時だった。先師はあの遺著の中で、天保年代の昔に、すでに今日あることを予言している。こんなに欧米諸国の事物がはいって来て、この国のものの長い眠りを許さないというのも、これも測りがたい神の心であるやも知れなかった。
73:
フランス言語地理学 (1958年) - – 古書, 1958
https://books.google.co.jp/books?id=5...
福田アジオ 44 の『民間伝承論』の中で彼は「重出立証法」と呼びました。比較研究というと、比較の ... するようになりました。イギリスの一九世紀末から二 O 世紀にかけての代表的な民俗学者であった、ジョージ・ローレンス・ゴム( G ・ L ・ Gonne )の一九○七年.
II 実験の文学批評
39~91
58:『荒政要覧』
60~1:ゾラ『実験小説論』@
62:田山花袋『重右衛門の最期』@
70:
ライプニッツ「中国自然神学論」『ライプニッツ著作集10』
*11=中国の政治。宗教に通じていたのである。ライプニッツの『中国自然神学論』を読んで驚いたのは、儒教をキリスト教と矛盾しないものとしてみるその見方である。それは、明代の宣教師、了アオ・リッチに基づいている。リッチは布教の手段としてそうしたのだが、彼の教えや聖書の漢訳はその後、中国だけでなく、朝鮮。日本にも大きな影響を与えた。日本でのその代表的な例は、平田篤胤の国学に見られる。彼はリッチの書(漢文)を読み、且つ翻訳もしたのだった。ライプニッツはリッチの考え方に賛同した。
《リッチ神父が、中国古代の哲学者が、上帝つまり天上にいる王である至高存在とそれに臣従する多くの精霊の存在を認め、それらを崇めているといい、中国人はそうした仕方で真なる神についての知識をもっていると主張したとき、彼は決してまちがってはいなかったのです》「中国自然神学論」『ライプニッツ著作集』10巻、工作舎)。
ライプニッツはつぎのようにいう。
禘(てい)において人が祖先に犠牲を捧げるとき、実は、そうした犠牲を、自分がそこから生まれ出、死ねばそこへ帰る根源者に捧げているのである。つまり彼らは祖先よりも根源者を優位に置いているのであり、祖先の霊は、宇宙を包括する至高の霊に従属する下位の霊として扱われているのである。(「禘」は天帝を中心に始祖をまつる大祭)
キリスト教は先祖崇拝を否定するという通念から見ると、ライプニッツが以上のような考えを支持するのは訪しく聞こえる。しかし、カトリックには、マリア崇拝や多くの天使、聖人への信仰など多神教的な要素がふくまれている。
75~6:
マルクス「材木窃盗罪」 (連載時は「木材窃盗」事件)
そもそも木曽山林の農民運動には、もっと普遍的な歴史的背景があるのです。トマス·モア がイギリスで経験したような変化は、その後に、別の地域でも起こりました。その一例は、一 八四〇年代のドイツです。例えば、マルクスは学位論文を終えたあと、ライン新聞の記者とな ったのですが、彼が最初に出会った事件が、まさに「材木窃盗罪」に関するものでした。それ まで農民は共有地で薪などを自由に得ていたが、その頃になって、それが「窃盗罪」とみなされるようになったのです。同じことが木曽山林地帯にもあったはずです。マルクスは当初、これを法律問題として扱おうとしたのですが、それでは不十分だと気づいて、その後、社会・経 済史的な研究に向かった。その意味で、この事件がマルクスの出発点となった、といっても過言ではありません。
さらにいえば、エンゲルスは一八四八年の革命の挫折の後、一六世紀ドイツにあった「農民 戦争」をとりあげました。それは、トマス・ミュンツァーによる千年王国運動(一五二四年)です。エンゲルスは、ミュンツァーにこそ「共産主義」を見出したのです。
ここは以下の連載時の方がわかりやすい#17
《つまり、これは貨幣経済の一般的浸透によって生じた事件なのである。
したがって、このような事件は、別にドイツに限定されない。日本でも、明治以後、各地で「入会地」にかかわる紛争が起こった。今でも続いているところがある。『夜明け前』のケースでは、森林は国有化された。が、国有は私有財産制に反するのではなく、逆に、後者の一形態なのだ。私有。国有の反対概念は、共同所有である。》
76~7:
エンゲルス『ドイツ農民戦争』1850
80:
原武史『皇后考』#4
*19=求めるように促したことを指摘している雪皇后考』講談社、二〇一五年)。具体的にいえば、明治天皇の皇后美子や大正天皇の皇后節子は幼い頃から日蓮宗に帰依していたし、昭和天皇の皇后良子は戦時中にもキリスト教の講義を受けていた。昭和天皇もまたカトリック信仰に近づいた。ゅえに、現在の皇后美智子が聖心女子大出身であることに謎はない。彼女が皇太子妃となったことに関して、原武史はこう述べている。皇太子妃〔現皇后〕は、表向きには宮中祭祀など皇室神道を尊重しつつも、根底にはやはリカトリックの信仰があるように見える。その信仰は貞明皇后がのめり込んだ「神ながらの道」とは対照的に、ナショナリズムを超えるものとして、今日まで一貫しているのではないか。皇太子妃の役割は、自らもカトリックに接近した天皇〔昭和天皇〕が結婚に際して期待したように、決してステロタイプ化した戦後の日米関係に還元されるわけではなかったのだ。(同前)(からたにこうじん。思想家)
84~:柳田国男「先祖の話」
87,88,90:憲法九条
第二部 山人から見る世界史 92~199
95:デカルト
97:スピノザ
102:中上健次『軽蔑』(#1=*2)
103:怪談(#2=*17)
104:井上圓了
康有為と井上圓了
105:ハイネ『流刑の神々(諸神流竄記)』
109:山人(#3=*3)
113:岡正雄『岡正雄論文集 異人その他』岩波文庫 *9,*13
異人その他―他十二篇 (岩波文庫) 文庫 – 1994/11/16 岡 正雄 (著)
114:網野善彦
119:マルクス『資本論』
119~124:
フロイト
124:『トーテムとタブー』
125:
125~6は以下の連載時#8とほぼ同じ
《…互酬原理(交換様式A)は、フロイトの言葉でいえば、「抑圧されたものの回帰」として生じた。したがって、それは反復強迫的である。だが、定住によって「抑圧されたもの」は原父ではなくて、「原遊動性」(U)である。そして、その回帰は、不平等を許さない兄弟同盟を作り出す。つまり、それが国家の出現を妨げる。したがって、氏族社会はたんに禁止によって縛られた抑圧的な社会ではない。それは、原父のような専制的権力の出現を決して許さない誇り高い社会なのだ。
たとえば、モンテーニュは『エセー』でつぎのようなことを記した。アメリカのインディアン社会では、首長は権力や名誉をもつのだが、誰もがそれを望むわけではない。むしろ首長になることを激しく拒絶する。といぅのは、首長には数々の重い責務があるからだ。旅行者に、首長の特徴は何なのかと聞かれて、原住民は、それは戦いのときに先頭に立って進むことだと答えた。ブラジルの遊動狩猟採集民を調査したレヴィ=ストロースは、彼らの口から、四世紀も前にモンテーニュに感銘を与えたのとまったく同じ言葉を聞いて驚嘆した、と語っている「悲しき熱帯」中公クラシックス)。(からたにこうじん・思想家)》
モンテーニュ『 エセー』(1580)
インディアン
126:
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
参考:
「人食い人種について」(第 1 巻第31章)30
(『悲しき熱帯』川田順造訳、中央公論社)
学術書というより、旅行記もしくはエッセイと呼ぶべき文章によって綴られた『悲しき熱帯』を、ぜひ一度は読んでみてほしい。
ブラジルの奥地へと分け入った長い調査旅行での出来事を行きつ戻りつしながら語った著作の最後で、レヴィ=ストロースはナンビクワラ族の首長に言及する。
権力は、熱烈な競争の対象にはなっていないようであり、私の知っている首長たちは、それを誇るよりは、むしろ、彼らの重い任務とかずかずの責務を嘆いていた。それではいったい、首長の特権とは何であり、義務とは何なのであろうか。
1560年ころ、モンテーニュがルワンの町で、ある航海者が連れ帰った3人のブラジル人インディアンに出あったとき、モンテーニュは、インディアンの1人に、彼の国では首長〔モンテーニュは王といった〕の特権は何なのかとたずねている。それにたいして、彼自身首長だったこの原住民は、それは戦いのときに先頭にたって進むことだと答えた。
モンテーニュはこの話を、『エセー』のなかの有名な一章でものがたり、この誇りにみちた定義に目を驚きの目を見はっている。しかし私にとっては、4世紀後に、まったく同じ答えを聞いたということのほうが、さらに大きな驚きであった。文明化された国は、その政治哲学において、これほどの持続を示しはしない!
この考え方は、驚くべきものではあるが、ナンビクワラ語で、首長をさすのに用いられていることばは、さらに意味深長である。「ウリカンデ」は、「統一するもの」または 「いっしょにつなぎあわせるもの」を意味するように思われる。
このような語源は、さきに私が強調した現象、つまり首長は、集団が集団として成り立ちたいという欲求の原因として現われてくるものであって、すでに形成された集団によって感じられる、集権的な権威の必要の結果から生まれるのではないという現象を、原住民の精神が意識していることを意味している。
131:『三国志演義』(ベトナム関連)
138:臼田雅之『近代ベンガルにおけるナショナリズムと聖性』
139:ルイ・デュモン『ホモ・ヒエラルキクス』
150:
狼の群れと暮らした男 単行本 – 2012/8/24
ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた単行本 – 2015/11/27
157~8:ライプニッツ
禘(てい)[「禘」は天帝を中心に始祖をまつる大祭]において人が祖先に犠牲を捧げるとき、実は、そうした犠牲を、自分がそこから生まれ出、死ねばそこへ帰る根源者に捧げているのである。つまり彼らは祖先よりも根源者を優位に置いているのであり、祖先の霊は、宇宙を包括する至高の霊に従属する下位の霊として扱われているのである。
159:晴佐久昌英『あなたに話したい』
あなたに話したい (晴佐久神父説教集) 単行本 – 2011/8/1
168:岡正雄
170:
*13=#11
家族システムの起源(上) 〔I ユーラシア〕〔2分冊〕 単行本 – 2016/6/24
「家族システムの起源は“核家族"である」! 40年の集大成!
伝統的な家族構造が多様な近代化の道筋をつけたと論証してきたトッドは、家族構造が不変のものではなく変遷するという方法の大転換を経て、家族構造の単一の起源が核家族であること、現在、先進的なヨーロッパや日本はその古代的な家族構造を保持しているということを発見した。
(上)中国とその周縁部/日本/インド/東南アジア
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日本語版への序文
序 説 人類の分裂から統一へ、もしくは核家族の謎
第1章 類型体系を求めて
第2章 概観――ユーラシアにおける双処居住、父方居住、母方居住
第3章 中国とその周縁部――中央アジアおよび北アジア
第4章 日 本
第5章 インド亜大陸
第6章 東南アジア
原註
家族システムの起源 (下) 〔I ユーラシア〕〔2分冊〕 単行本 – 2016/6/24
E・トッドによる世界史!
人類の起源的家族形態は核家族である、と見抜いたトッドは、ヨーロッパの繁栄の理由が、技術的・経済的発展を妨げる家族システムの変遷を経験しなかったからだと分析する。つまり、ヨーロッパは家族システムの面では、古い形態が残って起源的な形態に留まり続けているのである。
(下)ヨーロッパ/中東(古代・近年)
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第7章 ヨーロッパ――序論
第8章 父系制ヨーロッパ
第9章 中央および西ヨーロッパ――1 記述
第10章 中央および西ヨーロッパ――2 歴史的解釈
第11章 中東 近年
第12章 中東 古代――メソポタミアとエジプト
第II巻に向けて――差し当たりの結論
原註
訳者解説
訳語解説
参考文献
図表一覧
索引(地名・民族名/人名)
186:『ママ~』韓国ドラマ *14
190:丸山眞男『日本の思想』
191~3:同『忠誠と反逆』193@
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柄谷行人ロングインタビュー。『読書人』3月1日号。『世界史の実験』(岩波新書)をめぐって。久々の文芸批評「実験の文学批評」についてもうかがっております。島崎藤村と柳田国男を比較考証しながら、柳田の「実験の史学」について浮き彫りにする論考です。
週刊読書人2019年3月1日号(3279号)の目次
柄谷行人氏ロングインタビュー
普遍的な世界史の構造を解明するために
『世界史の実験』(岩波新書)刊行を機に
…
「実験の文学批評」
…
柄谷 一九二八年に、パリ不戦条約が締結されました。この条約は国際連盟に
関与した人たちによって考えられたものですから、同じ精神に基づいている。柳
田は当然、不戦条約についても熟知していた。一方、同じ年、日本では、三・一
五事件が起こり、共産党員への弾圧が強まる。その五年後には、共産党幹部であ
った佐野学、鍋山貞親らが転向の声明を出し、戦前の日本の共産党は、事実上終
わる。またこの年、日本は洲事変に端を発して、戦争へと向かう体制が整えられ
ていくことになるわけです。柳田がジュネーブ滞在以来考えていた道筋とは、
正反対に進んでいくことになった。そのような状況の下で、柳田は何もいわなく
なったんだろうと思います。
しかし、柳田は決して諦めることはなかった。だから、戦争末期に、彼は「新た
な社会組織」ということをいいはじめたのでしょう。柳田のその気持はわか
るような気がする。私は今世紀のはじめごろ、NAM(新アソシエーショニスト
運動)という運動をやっていました。二年で解散しましたけど、別にあきらめて
いない。もう一度やろうと思っていますよ。
「九条を推進したのは誰か」
…
2019年3月1日に公開
貧富の逆転なぜ 変異を比較分析 朝日新聞読書面書評から
歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史
著者:ジャレド・ダイアモンド
出版社:慶應義塾大学出版会
ジャンル:歴史・地理・民俗の通販
価格:3024円
ISBN: 9784766425192
発売⽇: 2018/06/06
サイズ: 20cm/272,41p
ポリネシアの文化進化、アメリカ・メキシコ・ブラジルの銀行制度、フランス革命の影響…。幅広い分野の専門家たちが、それぞれのテーマについて比較史、自然実験で分析した8つの研究…
評者:柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2018年07月28日
歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史 [編著]ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン
本書の原題は「歴史の自然実験」であるが、たぶん歴史の自然実験と聞けば、歴史は実験できるのかと問いたくなるだろう。実は、実験は可能である。ただし、それは科学実験室での操作的実験のようなものとは異なる。自然実験とは、多くの面で似ているが、その一部が顕著に異なるような複数のシステムを比較することによって、その違いが及ぼす影響を分析するものだ。たとえば、ダーウィンは、複数の島で異なる進化を遂げた鳥を比較研究した。同様に、歴史の自然実験とは、それを人類の社会史について行うことだといってもよい。
本書には、歴史学、考古学、経済学、経済史、地理学、政治学にわたって、八つの研究が収録されており、それぞれが興味深いものである。その一つは、カリブ海の同一の島にあるハイチとドミニカ共和国の比較研究である。経済的に見て、前者が際立って貧しいのに、後者は相対的に豊かである。しかし、一九世紀まではその逆であった。この逆転がなぜ生じたかを見るのが、ジャレド・ダイアモンドによる「自然実験」である。さらに興味深かったのは、パトリック・V・カーチによる、太平洋のポリネシア諸島の間に生じた歴史的変異の比較分析である。
これまでの考古学的研究では、ポリネシア人の故郷はトンガやサモア島で、彼らは東南アジアから渡来したと想定されている。彼らは紀元一〇〇〇年ごろに、周辺の諸島に移住を開始し、最果ての地、ハワイまで進出した。そのことは、彼らの言語がポリネシア祖語にもとづいていることからいえる。しかし、これらの諸島の間には、政治社会的組織の点で著しい差異がある。たとえば、ハワイでは王国が生まれた。では、なぜそのような差異が生じたのか。それらを考察する「実験」を通して、世界史一般において、政治社会的組織の変異がいかに生じたかを見ることができる。
私がとりわけこの論文を面白く思ったのは、はるか前に柳田国男が同じようなことをいっていたからだ。彼は「実験の史学」(一九三五年)と題して、「郷土科学」の方法論を論じた。それはまさに「歴史の自然実験」であった。彼の考えでは、極東に位置する日本列島には、主として東南アジアからつぎつぎに渡来した人々が累積しており、そこに人類史におけるさまざまな段階が保存されている。その場合、彼が依拠したのは、言語地理学の仮説(方言周圏説)である。すなわち、日本の東西・南北の離れた地点で一致する言葉があれば、それを歴史的に古層にあると見なしてよい。つまり、柳田は日本列島を、日本人というより、人類史の実験室と見なしたのである。
◇
Jared Diamond 1937年生まれ。進化生物学者。『銃・病原菌・鉄』など▽James A. Robinson 1960年生まれ。政治経済学者。共著に『国家はなぜ衰退するのか』。