http://www.freeassociations.org/
台湾は中国ではないんだけど 中川隆
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/288.html
(回答先: 中国大好き 投稿者 中川隆 日時 2010 年 2 月 13 日 21:20:50)
台湾を乗っ取った中国人の悪質な嘘
ほとんどの日本人が台湾人は漢民族であると考えている。実は、なによりわれわれ戦後の台湾人が「お前たちはもともと漢民族である中国人なのだ」という教育を受けてきたのだから、日本人がそう思うのも致し方ない面がある。しかし、これは間違いなのである。
台湾人は漢民族ではない―知っておきたい隣国の真実
2009/02/01/Sun
■最新の研究結果―南島語族の起源は台湾
台湾では人口の八四%が所謂「本省人」で、一四%が戦後中国から渡って来た「外省人」、そして二%が原住民とされるが、これまで本省人は清国統治時代(一六八三~一八九五)に移民してきた漢民族の子孫で、原住民はそれ以前に東南アジアから渡って来たマレー・ポリネシア民族(オーストロネシア語族=南島語族)と説明するのが常識だった。
そうした中、「マレー・ポリネシア人の起源は台湾だ」との研究結果が、一月下旬の米誌「サイエンス」で発表された。
ポリネシア文化起源地としての台湾 (Adobe PDF) -htmlで見る
kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/?action...uri...1
金沢大学考古学紀要 30 2009, 42-51. 「ポリネシア ... 的特長から推測するとフィリピンや台湾、中国南部の ..... Science 23 Vol.
台湾人は漢民族ではない―知っておきたい隣国の真実
mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-644.html
そうした中、「マレー・ポリネシア人の起源は台湾だ」との研究結果が、一月下旬の米誌「 サイエンス」で発表された。 ... しかし台湾人は中国の漢民族との比較を通じ、自分たちが異質の存在である ... 2009-02-01 日 21:21:44 /URL /星川 /編集.
17:
パトリック・V・カーチ
2018.07.28
貧富の逆転なぜ 変異を比較分析 朝日新聞読書面書評から
歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史
著者:ジャレド・ダイアモンド
出版社:慶應義塾大学出版会
ジャンル:歴史・地理・民俗の通販
価格:3024円
ISBN: 9784766425192
発売⽇: 2018/06/06
サイズ: 20cm/272,41p
ポリネシアの文化進化、アメリカ・メキシコ・ブラジルの銀行制度、フランス革命の影響…。幅広い分野の専門家たちが、それぞれのテーマについて比較史、自然実験で分析した8つの研究…
評者:柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2018年07月28日
歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史 [編著]ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン
本書の原題は「歴史の自然実験」であるが、たぶん歴史の自然実験と聞けば、歴史は実験できるのかと問いたくなるだろう。実は、実験は可能である。ただし、それは科学実験室での操作的実験のようなものとは異なる。自然実験とは、多くの面で似ているが、その一部が顕著に異なるような複数のシステムを比較することによって、その違いが及ぼす影響を分析するものだ。たとえば、ダーウィンは、複数の島で異なる進化を遂げた鳥を比較研究した。同様に、歴史の自然実験とは、それを人類の社会史について行うことだといってもよい。
本書には、歴史学、考古学、経済学、経済史、地理学、政治学にわたって、八つの研究が収録されており、それぞれが興味深いものである。その一つは、カリブ海の同一の島にあるハイチとドミニカ共和国の比較研究である。経済的に見て、前者が際立って貧しいのに、後者は相対的に豊かである。しかし、一九世紀まではその逆であった。この逆転がなぜ生じたかを見るのが、ジャレド・ダイアモンドによる「自然実験」である。さらに興味深かったのは、パトリック・V・カーチによる、太平洋のポリネシア諸島の間に生じた歴史的変異の比較分析である。
これまでの考古学的研究では、ポリネシア人の故郷はトンガやサモア島で、彼らは東南アジアから渡来したと想定されている。彼らは紀元一〇〇〇年ごろに、周辺の諸島に移住を開始し、最果ての地、ハワイまで進出した。そのことは、彼らの言語がポリネシア祖語にもとづいていることからいえる。しかし、これらの諸島の間には、政治社会的組織の点で著しい差異がある。たとえば、ハワイでは王国が生まれた。では、なぜそのような差異が生じたのか。それらを考察する「実験」を通して、世界史一般において、政治社会的組織の変異がいかに生じたかを見ることができる。
私がとりわけこの論文を面白く思ったのは、はるか前に柳田国男が同じようなことをいっていたからだ。彼は「実験の史学」(一九三五年)と題して、「郷土科学」の方法論を論じた。それはまさに「歴史の自然実験」であった。彼の考えでは、極東に位置する日本列島には、主として東南アジアからつぎつぎに渡来した人々が累積しており、そこに人類史におけるさまざまな段階が保存されている。その場合、彼が依拠したのは、言語地理学の仮説(方言周圏説)である。すなわち、日本の東西・南北の離れた地点で一致する言葉があれば、それを歴史的に古層にあると見なしてよい。つまり、柳田は日本列島を、日本人というより、人類史の実験室と見なしたのである。
◇
Jared Diamond 1937年生まれ。進化生物学者。『銃・病原菌・鉄』など▽James A. Robinson 1960年生まれ。政治経済学者。共著に『国家はなぜ衰退するのか』。
Kirch, P. V. and Yen, D. E. 1982 Tikopia : The Prehistory and Ecology of a Polynesian Outlier. Bernice P. Bishop Museum Bulletin 238.
首長制社会の多様性(1):系統発生学的アプローチ | tomoishiのブログ
ameblo.jp/tomoishi1976/entry-10959830898.html
文および1984年のパトリック・カーチによるポリネシア首長制社会の比較研究の著書(注2)にみとめられます。
その他ポリネシア - 詳細表示 - Days of tricks - Yahoo!ブログ
blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/.../357739.html?m=lc...
パトリック・ヴィントン・カーチ(ポリネシア考古学の大物研究者)がこの話聞いて盛り上がっているらしいです。
貧富の逆転なぜ 変異を比較分析 朝日新聞読書面書評から|好書好日
book.asahi.com>HOME>書評
2018年7月28日 ... さらに興味深かったのは、パトリック・V・カーチによる、太平洋のポリネシア諸島の間に生じた歴史的変異の ...
【書評】『歴史は実験できるのか』ポリネシアとアメリカ西部開拓 : なおきの ...
naokis.doorblog.jp/archives/Polynesia_and_Frontier.html
2018年8月26日 ... プロローグ; 第1章 ポリネシアの島々を文化実験する パトリック・V・カーチ; 第2章 アメリカ西部はなぜ移民が ...
https://ameblo.jp/tomoishi1976/entry-10959830898.html
首長制社会の多様性(1):系統発生学的アプローチ
2011-07-20 21:01:34
テーマ:理論考古学
かつての新進化論における発展段階論では、首長制社会は部族社会段階と国家段階の間にある中間的な社会とされてきました。しかしその後、首長制社会とひとくちにいっても、あまり階層性が発達せず、首長と平民の二段階くらいしか区分のない社会(例:レイモンド・ファースが報告したティコピア島の社会)から、最高位首長を頂点とし、地方首長―職能民―平民と連なるピラミッド構造をもつ高度な階層化社会(例:ハワイやトンガ)まで、さまざまなレベルがあります。そうした首長制社会の多様性をとらえていこうとするのが、1980年代以降の首長制研究の流れとなりました。
そういうわけで今回から数回に分けて、首長制社会の多様性に着目した研究を振り返ってみたいと思います。
まずは「系統発生学的(phylogenetic)アプローチ」と呼ばれる方法です。この言葉はオセアニア考古学者のパトリック・カーチとロジャー・グリーンによる1987年の共著の論文(注1)で初めて用いられますが、そのはじまりはすでに紹介した1982年のジョナサン・フリードマンによる威信財システムの論
文および1984年のパトリック・カーチによるポリネシア首長制社会の比較研究の著書(注2)にみとめられます。
1984年のカーチの著書では、トンガ・ハワイ・イースター島の三つの社会を比較していますが、その前提としてこれらの社会が、共通の祖文化である祖ポリネシア社会(Ancestoral Polynesian Society)から派生したものであり、それら社会の差異はそれぞれの地域の環境へ適応していく歴史的過程によるものと理解しました。つまり、これらの社会は共通の祖先から枝分かれした兄弟のような関係にあるわけです。カーチは、トンガ社会では祖ポリネシア社会に由来する威信財システムが発展し、トンガ王国を中心とし周囲の島々を朝貢させる「トンガ海洋帝国」が成立したのに対し、ハワイでは戦争による覇権主義が卓越し、土地の支配とそこから生産物を収奪する税制システムが発達したと論じます。そしてイースター島では資源が乏しいうえに度重なるモアイ建造により社会自体が疲弊し、いったん首長制社会が崩壊したあと、鳥人崇拝などのカルトが支配する不安定な社会になったとしました。
カーチによるこうしたアプローチは、当初は生態学的アプローチによるプロセス考古学的な指向性をもっていましたが、その後は文化史的・歴史主義的アプローチに変化します。2001年のグリーンとの共著(注3)では、比較言語学による語彙復元によって、共通の祖先である「祖ポリネシア社会」それ自体を復元しようと試みます。ここではもはや首長制社会の比較研究という側面は影をひそめます。
カーチによる「系統発生学的アプローチ」は、時代も地域も異なる社会どうしを比較する多くの比較研究よりも、論理的に正統性のある議論を展開できるという利点があります。こうしたアプローチは他地域の事例においても応用できる可能性があり、再評価に値すると思います。
注1:Kirch, P. V. and R. C. Green, 1987. History, phylogeny, and evolution in Polynesia. Current Anthropology 28: 431-56.
注2:Kirch, P. V. 1984. The Evolution of the Polynesian Chiefdoms. Cambridge: Cambridge University Press. ★
注3:Kirch, P. V. and R. C. Green 2001 Hawaiki, Ancestral Polynesia: An Essay in Historical Anthropology, Cambridge, Cambridge University Press.
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The Evolution of the Polynesian Chiefdoms (New Studies in Archaeology) Paperback – July 28, 1989
by Patrick Vinton Kirch (Author)
5.0 out of 5 stars 2 customer reviews
ISBN-13: 978-0521273169 ISBN-10: 0521273161
The Evolution of the Polynesian Chiefdoms (New Studies in Archaeology) (英語) ペーパーバック – 2010/11/18
Patrick Vinton Kirch (著)
https://www.amazon.co.jp/Evolution-Polynesian-Chiefdoms-Studies-Archaeology/dp/0521273161/
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ポリネシアの血統@台湾
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その道徳は外からくるとカントの場合は読める
自律的であると同時に他律的なのだ
連載時
柄谷
二つの妖怪
一葛の妖怪柳田が民俗学に向かった時期、「怪談」が流行し、また、「妖怪」のブームがあった。しかし、彼が民俗学に向かい、「山人」に関心を抱いたのは、そのためではない。また、それは先住民が山に残っているという観点からだけでもなかった。彼は農政学者、農商務省官僚として、実際に「山」にかかわったのであZつ。先に述べたように、柳田の民俗学は、むしろ神道研究であった。その意味で、彼は貧しい神官であった父松岡約斎の志を継ごうとしたといえる。この点で、島崎藤村が『夜明け前』を書いたことと似ている。ただ、藤村が五七歳でそのような仕事にとりかかったのに対して、柳田は若くしてそれに取り組んだ。しかも、興味深いことに、彼はある意味で、藤村の父の志をし実践的に受け継いだ、といってよい。『夜明け前』の主人公、青山半蔵が王政復古を渇望したのは、山林を古代のように共有地とすることを実現するためであった。彼は森林の使用を制限する尾張藩を批判し、明治維新に希望を抱いた。しかし、維新後に彼が見たのは、近代西洋化(文明開化)であり、山林の国有化によって一切の伐採を禁じるという仕打ち柄谷行人であった。しかも、ここには、藤村が書かなかった問題がある。それは、山林の国有化が皇室財産である御料林を増やすためになされたということにある。村上重良は、つぎのようにいっている。たとえば尾張藩では、本曾のヒノキの山は御留め山という扱いで藩の所有であり、周辺の住民はそこへ入って下草を刈ったり下枝を取ったりする入会権を伝統的に認められていた。しかし御料林への編入にさいしては、そういう既得権をいっさい認めず、立ち入り禁止とした。また所有関係が曖昧なも贅:17のも、御料林に編入してしまった。そういうことで、北は北海道から南は九州まで、広大な面積の御料林が設定された。3日本史の中の天皇』講談社学術文庫)村上によれば、明治初期に「ごく小規模の資産しかなかった皇室は、明治維新からわずか七十数年のうちに、世界有数の富豪といわれるまでに資産を拡大した」のである。明治維新のころ、国学者も農民も、王政復古によって尾張藩時代からあった山林問題が解決されるだろうと期待した。が、復古した「王政」は、古代を復古させるどころではなかった。近年まで存在した「古代」の痕跡である共同所有を一掃したのである。
このことで私が想起するのは、若いマルクスが学者の道を断念して「ライン新聞」の記者となったときに書いた論説2八四二年)である。彼は当時ライン州で頻発した「木材窃盗」事件をとりあげた。窃盗といっても、貧しい人々が森で木材や枯れ枝を集める慣習的行為が、私有財産制の発達の下で、窃盗として取り締まられるようになっただけである。マルクスはむろん農民を擁護しようとしたのだが、この問題をたんに法律的に考えたため、有効な結論を出せなかった。しかし、後に彼自身が述べているように、この事件が、彼の視点を経済学の分野に向ける一契機となった。つまり、これは貨幣経済の一般的浸透によって生じた事件なのである。
したがって、このような事件は、別にドイツに限定されない。日本でも、明治以後、各地で「入会地」にかかわる紛争が起こった。今でも続いているところがある。『夜明け前』のケースでは、森林は国有化された。が、国有は私有財産制に反するのではなく、逆に、後者の一形態なのだ。私有。国有の反対概念は、共同所有である。島崎藤村の父にとって、この共同所有をとり戻すことが、「復古」であり平田神道の道であった。一方、柳田国男は農政学者として最初から、「協同組合」に取り組んだ。本来、協同組合は産業資本主義に対抗する「協同自助」的な運動であり、 一九世紀の半ばに、イギリスでロバート・オーウェンなどによって推進され、他の地域にも広がった。だが、ドイツでは、それは国家主導で組織されるものとなり、それが「産業組合法」として日本に導入されたのである。それに対して、柳田の考えはイギリスの協同組合論に立ち帰るものである。また、それは晩年に社会主義を唱えた自由主義者、J。S・ミルの考えに近いものであった。ただ、重要なのは、柳田がそれをたんに輸入するのではなく、同様の試みを日本や中国の近代以前の社会に見ようとしたことである。先に述べたように、柳田は大学卒業論文で、ヨ一倉沿革」という題で、ヨ一倉」、すなわち、義倉、社倉、常平倉の歴史と機能について論じた。これらは、元来中
#17
まさにトマス·モアが書いた『ユートピア」とつながっ
は、
羊毛をオランダに輸出するために、
地方の民風」『柳田國男全集gil筑
ユートピア(どこにもない場所)は、実は、現存したのです。一六世
農地から農民を追い出し
彼がここでいう「ユートピア」
ています。
モアにとって、
これに憤激し
スでは
主らが、
Tae末のイ~矛リ
込み)と呼ばれるものです。
r
ェンクロージャー」(囲い
!s A!"
それが
este, 'As
たトマス
イギリスでは羊が人間を喰っていると書いた。
モアは、
そのとき、
的に、
所有社会を
彼はそれと対照
ブラジル地域の先住民の共同
アメリゴ·ヴェスプッチが
「新世界』
という本で伝えた、
「ユートピア」として見出したわけです。
同様の意味で、椎葉村は柳田にとって、「ユートピア」でした。といっても、彼はそれを西
洋の経験や思想だけから得たのでありません。なぜなら、「協同自助」を実現する運動が日本
にもあった、というより、彼の身近にあったからです。例えば、それは、木曽山林の平田神道
派の運動です。藤村の父はそれに取り組んだ。その息子が晩年に『夜明け前』を書いたのです
が、
彼自身はこのような問題に取り組むことはなかった。
..
それに比べると、柳田にはむしろ、
つ
その行動において、
平田派の活動家に近いものがあります。
そもそも木曽山林の農民運動には、もっと普遍的な歴史的背景があるのです。トマス·モア
がイギリスで経験したような変化は、その後に、別の地域でも起こりました。その一例は、一
八四○年代のドイツです。例えば、マルクスは学位論文を終えたあと、ライン新聞の記者とな
ったのですが、彼が最初に出会った事件が、まさに「材木窃盗罪」に関するものでした。それ
まで農民は共有地で薪などを自由に得ていたが、その頃になって、それが「窃盗罪」とみなさ
れるようになったのです。同じことが木曽山林地帯にもあったはずです。マルクスは当初、こ
75
76
れを法律問題として扱おうとしたのですが、それでは不十分だと気づいて、その後、社会・経
済史的な研究に向かった。その意味で、この事件がマルクスの出発点となった、といっても過
言ではありません。
さらにいえば、エンゲルスは一八四八年の革命の挫折の後、一六世紀ドイツにあった「農民
戦争」をとりあげました。それは、トマス·ミュンツァーに
す。エンゲルスは、ミュンツァーにこそ「共産主義」を見出したのです。
よる千年王国運動(一五二四年)で
主義に3じていた。そして、近代の共産主義的宗派で,二月革命の前夜になってもまだそ
の駆使する理論的武器庫の内容が一六世紀の「ミュンツァー派」のそれを越えなかったもの
は1つにとどまらなかったのである。この綱領111当時の都市平民の諸要求の総括というよ
りも、むしろこの都市平民のあいだにやっと発展しはじめたプロレタリア的分子の解放条件
の天才的な予見であったこの綱領は、教会をその本来の姿にひきもどし、このいわゆる原始
キリスト教的な、しかし、じつはきわめて斬新な教会に矛盾するいっさいの制度を除くこと
liner神の国、すなわち予 された千年王国をただちに地上にうちたてることを要求し
ミュンツァーの宗教哲学が無神論につうじるところがあったように、彼の政治綱領は共産
うちrapideykest Aprられるもの
一
八五〇年)
ではないし、キリスト教に限られ,
しない社
、これも一向宗あるいは仏教に限られた
ました。例えば、
果たしたことは確かですが,この場今
一六世紀に加賀
なされた.
木材窃盗法を研究し、モーゼル農民の状態をしらべたことが動機となって、私は、純然たる政治から経済的諸関係の研究に、したがって社会主義にすすんだ。-マルクス1.ⅹⅹⅱ
22:関連
日本民俗学方法序說: 柳田国男と民俗学 - 8 ページ
https://books.google.co.jp/books?id...
福田アジオ - 1984 - スニペット表示 - 他の版
柳田国男と民俗学 福田アジオ ... そして理論的完成期の著書『民間伝承論』で重出立証法と表現された。その一節「我々の方法」の中で「現在の生活面を横に切断して見ると、 地方々々で事情は千差万別である。其事象を集めて並べて見ると、起原或は原始の態様はわからぬとしても、其変化過程だけは推理することは容易である」とし、これを重出 ...
#8
という論文で明確にされた‐超自我」は、それとは異質である。一検閲官・が他律的であるのに対して、超自我は自律的、つまり、自己規制的なのであるc別の観点からいえば、検閲官が外部から来るのに対して、超自我は内部から来るのだ。また、前者が 社会一から来るのに対して、後者は「自然一から来る、といってもよい。死の欲動を導入することによって、フロイトは、むしろ社会的規範=現実原則を越える一自律性」の根拠を見出したのである①ここから、『トーテムとタブー一の議論をふりかえってみよう。そこでは、兄弟たちが原父を殺すことによって原父の「現実原則」が内画化されることになっていた。しかし、今や、原父を想定する必要はないぃ超白我は外から来るのではなく、内から来るのだ。つまり、それは一死の欲動 が攻撃性として外に向かったのちに、内に向かって一戻ってくるときに成立するのしたがつて、原父や原父殺しがなくても、厳しい向律性が可能になる。しかも、それは彼らの間に原父的な存在が生じることを不叫能にする。このように見ると、原遊動民が定住した後に互酬原理が生まれたことを、原父殺しに訴えることなく説明できるはずである。フロイトによれば、死の欲動とは有機体が無機質であった状態に戻ろうとする衝迫である。遊動民のバンド社会では、構成員は少数であり、また、いつでも他人との関係を切断できた。その意味で、彼らの社会は「無機質」であった。しかし、定住以後の社会では、それらが多数結合された一有機体一になる。それは高藤。相克に満ちた状態である。フロイトは、攻撃欲動は死の欲動が外に向けられたものだというc彼はそれをつぎのように説明した。原初の単細胞生物が互いに結び合って多細胞生物となった結果、個々の細胞に宿る死の欲動がうまく中和され、―一―――――――一―一―――――――――――――――――一――――――――――一¬岩波書店辞典編集部編創業11年記念出版ヽ政治.学術.芸aVからビジネス.スポーツ.ポップカルチャーまで.すべての地域・国の人名を網羅する 架空人名やグループ名も収録.正確で豊富な情幸に満載 B51J2分冊3610「(本体28000円(71・別)全項目名・全文を対象に多様な検索ができる(Wh/Mac対応)価格28,000円`税別'岩波書店CD…ROM版破壊的な姦きが何らかの特別の器官を介して首尾ょく外界へとそらされることになったのかもしれない。むろんこの特別の器官とは筋肉組織のことでぁつて、とすれば死の欲動は‐‐ぉそらくはその一部であろうが‐―外界ならびに他の生物を標的とする破壊欲動とヽして姿を現わす之いうことになる。(自我とエスマ『フロィト全集一18巻、岩波書店)外に向けられた攻撃欲動が内に回帰したときに、超自我が成立する。この仮説は、遊動バンドが定住したあとにいかなる変化が生じたかを見るのに役立つだろう。遊動バンドはいわば無機質である。しかし、定住すると、多数の者が共存する有機体になる。そこでは、無機質墜戻ろうとする「死の欲動」は、先ずそれを妨げる他者に対する攻撃欲動となる。そこで、さまざまな葛藤が生じる。それらが解消されるのは、他に向けられる攻撃欲動が内部にふり向けられたときである。それが集団全体を律する強迫的な掟としてあらわれるcそれが,酬原理であるのそれは、このような不安定な有機体的状態から、安定した無機質的な状態にもどろうとする「死の欲動」に由来すると見てよい。くりかえすと、互酬原理(交換様式A)は、フロイトの言葉でいえば、「抑圧されたものの回帰」として生じた。したがつて、それは反復強迫的である。だが、定住によって「抑圧されたもの一は原父ではなくて、「原遊動性只u)でぁる。そして、その回帰は、不平等を許さない兄弟同盟を作り出す。つまり、それが国家の出現を妨げる。したがって、氏族社会はたんに禁止によって縛られた抑圧的な社会ではない。それは、原父のような専制的権力の出現を決して許さない誇り高い社会なのだ。
たとえば、モンテーニュは『ェセー』でつぎのようなことを記した。アメリカのインディアン社会では、首長は権力や名誉をもつのだが、誰もがそれを望むわけではない。むしろ首長になることを激しく拒絶する。といぅのは、首長には数々の重い責務があるからだ。旅行者に、首長の特徴は何なのかと聞かれて、原住民は、それは戦いのときに先頭に立って進むことだと答えた。ブラジルの遊動狩猟採集民を調査したレヴィ‐‐ストロースは、彼らの口から、四世紀も前にモンテーニュに感銘を与えたのとまったく同じ言葉を聞いて驚嘆した、と語っている「悲しき熱帯」中公クラシックス)。(からたにこうじん・思想家)
ケインズ1883-1946
柳田国男1875-1962
三倉
国連
戦争
イプセン
対マルクス
『遠野物語』(とおのものがたり)とは、柳田国男が明治43年(1910年)に発表した岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集である。 遠野地方の土淵村出身の民話蒐集家であり小説家でもあった佐々木喜善より語られた、遠野地方に伝わる伝承を柳田が筆記、編纂する形で出版され、『後狩詞記』(1909年)『石神問答』(1910年)とならぶ柳田国男の初期三部作の一作。日本の民俗学の先駆けとも称される作品である[1]。
後狩詞記(のちのかりことばのき)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/後狩詞記-859734
百科事典マイペディア - 後狩詞記の用語解説 - 柳田国男の著書。1909年刊。1908年著者が宮崎県椎葉(しいば)村で村長中瀬 ...
いま蘇る柳田國男の農政改革(新潮選書)
https://books.google.co.jp/books?id...
山下一仁 - 2018 - プレビュー
入省まもない頃のこと、先輩とのふとした会話の中で柳田國男が農商務省にいたことがあることを小耳にはさんだ。 ... 東畑精一(1899ー1983)はケインズと並び称される経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの高弟であり、日本の経済学、農学、農政にその名を残す ...
いま蘇る柳田國男の農政改革(新潮選書) Kindle版
山下一仁 (著)
柳田
折口
熊楠
このセットが大事
一人では変革の力にならない
柳田は明治官僚の立場から報徳社を評価しきれなかった
江戸を一時的に切り離す必要があったからだ
神道を内在的に評価できなかった
ユダヤ教から改宗したマルクスのように
歴史・文化史・民俗学
柳田国男のスイス 渡欧体験と一国民俗学
石垣島川平の宗教儀礼
本体3600円(+税)
岡村民夫[著]
四六判/400頁
978-4-86405-044-9
C1039
2013.1
民俗学
1921年、柳田国男は国際連盟委任統治委員としてスイスに赴いた。エスペラントや言語地理学を学び、ジュネーヴ郊外やアルプスを散策しながら南洋群島や移民問題に思いを馳せる……。 足かけ三年におよぶヨーロッパ体験は彼の学問に何をもたらしたのか。
【目次】
プロローグ 柳田国男と私
[Ⅰ 風景の地政学]
第一章 住まい
第二章 山
第三章 川
第四章 郊外
[Ⅱ 言語の地政学]
第一章 国際連盟委任統治委員会
第二章 国際連盟と使用言語問題
第三章 エスペラント
第四章 島と大陸
第五章 言語地理学
[Ⅲ 新たなる日本へ]
第一章 啓蒙する帰朝ジャーナリスト
第二章 島のエスペラント
第三章 成城郊外学
第四章 島と山
第五章 一国語民俗学
第六章 予定調和に抗して
エピローグ 柳田国男と日記
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【著者紹介】
1961年、横浜に生まれる。立教大学大学院文学研究科単位取得満期退学。法政大学国際文化学部教授。表象文化論、場所論。
著書『旅するニーチェ リゾートの哲学』(白水社、2004年)、『イーハトーブ温泉学』(みすず書房、2008年)など。訳書『デュラス、映画を語る』(みすず書房、2003年)など。
日本フランス語フランス文学会会員、宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事、スイス史研究会会員。
国際連盟の発案はフィッシャーという説をフィッシャー自身が言っているが本当だろうか?
柳田国男 故郷七十年
https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/55742_65234.html
ジュネーヴの思い出
国際連盟の仕事は、委任統治委員会の委員というので、日本の役人ではなく、日本側で指定した向うの人間になっていた。英仏が憎らしく幅をきかしていたが、小さい国々は日本と同じように一種の憂いをもち、そのなかで自国をどう維持していくかということに苦心しているようなところがみえた。オランダ代表は、元ジャバの行政長官かなにかしていた、非常に立派な人だった。ノルウェーは大学の先生であった。女で大学の先生をしていた人がいたり、政治家がいたり、大変いい印象をうけた。それに五月から九月いっぱい会を開けばよくて、あとは翌年暮までゆっくり遊んでいられる。それに本国へ帰ってくる旅費もくれることになっていた。はじめの年は、吉野丸というドイツから取上げた船で帰ったが、翌年(大正十一年から十二年にかけて)は帰らずに、ドイツ、オランダ、フランス、イタリアと、欧州各国を旅行した。イタリアは旧知の関口泰君や矢代幸雄君などの案内で、ずっと南の方まで、くわしく見て歩いた。エジプトからやってきたという木下杢太郎君の一行にも会い『即興詩人』を語り、一緒に鴎外さんをなつかしんだりした。
ジュネーヴではホテルがざわつくので、一人でフランス領に近い奥の方のボーセジイルというところに借家をしていた。宮島幹之助君がここに訪ねてきてくれて、沖縄の話をしたことを覚えている。同じ町には日本ではだれ知らぬものもないチェンバレン博士が住んでおられたが、目を病んでおられて、あまり人に会われぬという話だったので、とうとうお目にかからずにしまった。先生の旧蔵の書籍が古本屋に出るというのを聞いて、たった一冊、先生の著書の『日本口語文典』を買ってきた。たくさん書き入れのしてある本だった。ときにはジュネーヴの大学へ人類学の講義を聞きに行ったり、書物や辞書類をみせてもらいに行ったりしたが、どこでも大変親切にしてくれた。
ただ言葉の不自由な点が困った。ときどきは、ひとりごとでもいいから思いきり日本語でしゃべってみたいという気がしたこともあった。同じような悩みをもつ人たちが始めていたエスペラントの運動に加わってみようかと思ったことがあった。国際連盟の通訳室にプリヴァという有名なエスペランチストがいて、この人につつかれて私から新渡戸さんに話し、連盟でエスペラントを用語に採用する決議案を出そうとして話を持出したところ、大変な反対にあった。英仏が反対したばかりでなく、他の国の代表も、いまさらエスペラントを覚えるというのでは、学生がかわいそうだと躍起になって反対したので、とうとうものにならなかった。
こんなこともジュネーヴ時代の一つの思い出となったが、この言葉の問題では実際に考えさせられることが多かった。われわれ日本人は機会があっても、どうも避けるようにしてしゃべるけいこをしたがらない傾きがある。連盟で私は日本の不平等な実例をみせつけられたが、この言葉さえ、心を打ちあけて話すことができるようになっていれば、かなりの難問題が解決せられるのにと痛感させられたことであった。
故郷七十年
柳田国男
-目次
+起筆の言葉
+母の思い出に――序にかえて
+故郷を離れたころ
+私の生家
+布川時代
+辻川の話
+兄弟のこと
+文学の思い出
+学生生活
-官界に入って
+就職
+信州の柳田家に入る
+捕獲審検所のころ
+九州の旅・北国の旅
+茶の話
+内閣文庫
+台湾から広東へ
+シナ大陸旅行
+朝日新聞記者となる
+国内旅行
+沖縄に渡る
+ジュネーヴで働く
+ジュネーヴの思い出
+イタリア・子安貝
+柳田家のこと
+交友録
+私の学問
+筆をおくに臨みて
故郷七十年
柳田国男
-目次
+起筆の言葉
+母の思い出に――序にかえて
+故郷を離れたころ
+私の生家
+布川時代
+辻川の話
+兄弟のこと
+文学の思い出
+学生生活
-官界に入って
(+就職
+信州の柳田家に入る
+捕獲審検所のころ
+九州の旅・北国の旅
+茶の話
+内閣文庫
+台湾から広東へ
+シナ大陸旅行
+朝日新聞記者となる
+国内旅行
+沖縄に渡る
+ジュネーヴで働く
+ジュネーヴの思い出
+イタリア・子安貝)
+柳田家のこと
+交友録
+私の学問
+筆をおくに臨みて
11:50 午前 削除
https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/55742_65234.html#midashi2030
官界に入って
就職
https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/55742_65234.html#midashi2040
友達にも恵まれ、順調だった私の学生生活にとって、いちばん不幸であったのは、私が高等学校から大学に入る夏、父母が相ついで死んでしまったことであった。私の両親はどちらかといえば、巡り合せが悪く、寂しい生涯を送っていたので、私はそのころ東京に見られるようになった馬車、それを乗りまわしている人たちはみなヒゲを生やしたりっぱな人たちだったので、早く私もそうなって、寂しい両親をのせて喜ばせて上げたいと願っていたにもかかわらず、母が亡くなり、父も間もなく後を追ってしまった。その上、私はその後腸チフスのひどいのに罹り、寄宿舎にもおられなくなったため、まるで気持が変ってしまった。
大学はせっかく法科へ入ったが、何をする気もなくなり、林学でもやって山に入ろうかなどとロマンチックなことを胸に描くようになった。しかし林学はそのころいちばん難しい実際科学で、大変数学の力が必要であった。私は数学の素養が十分でないので、農学をやることにした。両親も亡くなり、もう田舎に住んでもかまわないくらいの積りであった。そこへ松崎蔵之助という先生が、ヨーロッパ留学から帰り、農政学(アグラール・ポリティク)ということを伝え、東京大学で講義をしておられた。新渡戸博士が東大へ来る以前の話だが、そんなことから、私も農村の問題を研究して見ようかと
大学はせっかく法科へ入ったが、何をする気もなくなり、林学でもやって山に入ろうかなどとロマンチックなことを胸に描くようになった。しかし林学はそのころいちばん難しい実際科学で、大変数学の力が必要であった。私は数学の素養が十分でないので、農学をやることにした。両親も亡くなり、もう田舎に住んでもかまわないくらいの積りであった。そこへ松崎蔵之助という先生が、ヨーロッパ留学から帰り、農政学(アグラール・ポリティク)ということを伝え、東京大学で講義をしておられた。新渡戸博士が東大へ来る以前の話だが、そんなことから、私も農村の問題を研究して見ようかということになり、三十三年七月に大学を出てから、農商務省の農政課に入り、三十五年二月までそこにつとめた。仕事は産業組合のことと、農会法が主であった。
遊動論とバージョン違い
遊動論
。岡村民夫が詳細に論じたように、「滞欧生活」の影響は、むしろこのような公的活動に見るべきだろう(『柳田国男のスイス─渡欧体験と一国民俗学
柳田はジュネーブで、日本で考えていた山人問題を普遍化しようとしたのである。また、彼は帰国して、吉野作造とともに、朝日新聞の論説委員となり、普通選挙を実現する運動の先頭に立った。さらに、選挙の応援演説にまで出向いた。その一方で、彼はエスペラントを普及する運動を始めた。岡村民夫が詳細に論じたように、「滞欧生活」の影響は、むしろこのような公的活動に見るべきだろう(『柳田国男のスイス─渡欧体験と一国民俗学
http://michi01.com/inamura/312ksb26700315.html
国際連盟の委任統治委員会の委員を務めた柳田国男は『ジュネーブの思い出──初期の委任統治委員会』の中で次のように述懐している。
しかし結局は委任統治と言う組織が、妙な理屈倒れの人工的なものなので、そう言う結果になるものだ、と思わずにはいられなかった。2年間の経験で私に役に立ったのは、島というものの文化史上の意義が、本には書いた人が有っても、まだ常人の常識にはなり切って居ないことを、しみじみと心付いた点であった。所詮裏南洋の陸地は、寄せ集めて滋賀県ほどしか無いのに、島の数が大小三千、うち七百まではたしかに人が住んでいる。それでは巡査だけでも七百人はいるわけだと、冗談を言った委員もあったが、その島々が互いにくい違っためいめいの歴史を持って、或る程度、別々の生活をしていることまでは、陸続きで交際する大陸の連中には呑込めない。茶碗の水も池の水も、水は水だと言うような考えは、西洋で物を覚えた我邦の外交官までが皆もって居て、第一に本国の周辺に、大小数百の孤立生活体の有ることをさえ考えない。数を超越した「人」というものの発達を、せめては歴史の側からなりとも考えて見ることの出来るのが、日本の恵まれた一つの機会だったということを、気付かぬ者だけが政治をして居る。だからまだまだ我々は、公平を談ずる資格が無いと、思うようになって還ったのは御蔭である。
527 考える名無しさん[] 2019/03/10(日) 19:51:51.69 ID:0
佐藤優・評 『世界史の実験』=柄谷行人・著
毎日新聞2019年3月10日 東京朝刊
柄谷思想とカトリシズムの親和性
柄谷行人氏の思想的自叙伝の性格を帯びた興味深い作品だ。
<私は一九六九年に夏目漱石論で群像新人文学賞(評論部門)を受賞した後、文学
評論を数多く書き、一九七二年にそれらを『畏怖(いふ)する人間』、つぎに『意味
という病』という本にまとめました。しかし、その後、文学評論が物足りなくなって
きて、一九七三年ごろに、文学以外の評論を試みました。その一つは「マルクスその
可能性の中心」で、もう一つは「柳田国男試論」です。それぞれ雑誌に連載したので
すが、対象が異なるとはいえ、ほぼ同じ時期に構想し準備していたものです。だから、
それらは必然的に交錯するものでした。/例えば、マルクスに関して、「その可能性
の中心」を見るというのは、何を意味するのでしょうか。マルクスは体系的な思想家
だと考えられています。(中略)/いうなれば、私はマルクスの思想の核心を、通常
彼の著作において中心であると見なされていたような所ではなく、周縁に求めたので
す>。柄谷氏のマルクス論の背景には、日本という特殊な文脈において共産主義革命
をどのようにして行うかという特殊と普遍に関する問題意識があった。
この問題意識を柄谷氏は柳田国男のテキストを読み解くことを通じて、中華帝国の
周縁にある日本人の宗教意…
20190310
https://mainichi.jp/articles/20190310/ddm/015/070/017000c
ことは、生者も大切にしないという
ことです。(中略)すでに天にある
方が我々のために祈っているという
信仰は、実にカトリック的な信仰で
す。その代表格は聖母マリアという
ことになるんでしょうが、すべての
天使と聖人、そして亡くなった家族、
友人が、天にあって神のそばで我ら
のために神にとりなしてくれる>と
の言説を紹介する。祖霊崇拝という
日本人の宗教性の特殊性をカトリシ
ズムが包摂できるという晴佐久氏の
認識に柄谷氏は共鳴している。
かつて、柄谷氏が共産主義、アソシエーション、Xなどと表現してい
た人間の新たな共同体がカトリシズムの普遍主義に回収されつつあるの
かもしれない。そこからあらたな問題も出てくる。カトリック的な普遍
性は、概念ではなくイエス·キリストの代理人であるローマ教皇によっ
て担保されている。そうなると共産主義、アソシエーション、Xなど表
現は異なるが柄谷氏が一貫して追求していた事柄は、具体的な人格
によって体現されるということになる。柄谷氏は今後、教皇論に踏
み込まざるを得なくなると思う。近未来に柄谷神学が誕生するかもしれ
ない。
のテキストを読み解くことを通じて,中華帝国の周縁にある日本人の
宗教意識(先祖信仰)が双系制に あるという結論に至る。
<柳田によれば、日本の先祖信仰の特徴は、死者が母系·父系のようる>
な血のつながりがなくても、養子やその他の縁故があれば、祖霊の
中に入れられるということである。これはおそらく、双系制と関連して
いる。単系制では、父系であろうと母系であろうと、先祖は一つである。
それを目印にして、集団が組織された。このシステムは、現在でも歌舞
伎や相撲の世界に残っている。これらは母系制の名残りではない。それ
は「イエ」の存続を優位におくものであり、双系的なものに根ざしてい
る>
「イエ」の存続が血統よりも重要であるという文化は、歴史的に実証
できる。これに対して、この文化が双系制に根ざすということは、実証
に馴染まない。ここで柄谷氏は、実証はできないが確実に存在した事柄
として双系制を位置づける。これは
る。ところが、双系制が残る場合、
出自が何であれ、ひとが今帰属する
場が重視される。イエがそのような
場である。柳田によれば、イエは家
族というより労働組織である。「親」
は元来、労働組織の「親方」(親分)
を意味した。
したがって、日本では,出自を重
視しない養子制が広範に採用された
のである。家父長的な武士のイエで
も、養子制が多く見られた。徳川時
代では、大坂だけでなく、江戸でも、
商家は男子に相続させず、代々優秀
な番頭を婿にとるというやり方をし
柳田の山人の想定に類比的だ。神学
では、実証はできないが確実に存在
する事柄を原歴史(Urgeschic
hte)というが、柄谷思想におい
ても原歴史が存在する。
過去の柄谷氏の著作と比較して、
本書においては、キリスト教、特に
カトリシズムに対する位置付けが変
化しているように思える。柄谷氏は、
ライプニッツが『中国自然神学論』
で中国人の祖先崇拝を肯定的に評価
していることを紹介した後、<キリ
スト教は先祖崇拝を否定するという
通念から見ると、ライプニッツが以
上のような考えを支持するのは訝(いぶか)
しく聞こえる。しかし,カトリック
にはマリア崇敬や多くの天使、聖人(セイント)
への崇敬など多神教的な要素がふく
まれている>と記している。そして、
カトリック教会司祭の晴佐久昌英氏
が<カトリック教会は、伝統的に十
一月を死者の月として、死者と深い
交わりを持つ時として過ごします。
言うなれば,カトリックの「お盆」
です。日本では亡くなられた方々を
お盆にお迎えしますけど、尊い習慣
ですね。死者を大切にしないという
527 考える名無しさん[] 2019/03/10(日) 19:51:51.69 ID:0
20190310
https://mainichi.jp/articles/20190310/ddm/015/070/017000c
佐藤優・評 『世界史の実験』=柄谷行人・著
毎日新聞2019年3月10日 東京朝刊
柄谷思想とカトリシズムの親和性
柄谷行人氏の思想的自叙伝の性格を帯びた興味深い作品だ。
<私は一九六九年に夏目漱石論で群像新人文学賞(評論部門)を受賞した後、文学
評論を数多く書き、一九七二年にそれらを『畏怖(いふ)する人間』、つぎに『意味
という病』という本にまとめました。しかし、その後、文学評論が物足りなくなって
きて、一九七三年ごろに、文学以外の評論を試みました。その一つは「マルクスその
可能性の中心」で、もう一つは「柳田国男試論」です。それぞれ雑誌に連載したので
すが、対象が異なるとはいえ、ほぼ同じ時期に構想し準備していたものです。だから、
それらは必然的に交錯するものでした。/例えば、マルクスに関して、「その可能性
の中心」を見るというのは、何を意味するのでしょうか。マルクスは体系的な思想家
だと考えられています。(中略)/いうなれば、私はマルクスの思想の核心を、通常
彼の著作において中心であると見なされていたような所ではなく、周縁に求めたので
す>。柄谷氏のマルクス論の背景には、日本という特殊な文脈において共産主義革命
をどのようにして行うかという特殊と普遍に関する問題意識があった。
この問題意識を柄谷氏は柳田国男のテキストを読み解くことを通じて,中華帝国の周
縁にある日本人の 宗教意識(先祖信仰)が双系制に あるという結論に至る。
<柳田によれば、日本の先祖信仰の特徴は、死者が母系·父系のよう
な血のつながりがなくても、養子やその他の縁故があれば、祖霊の
中に入れられるということである。これはおそらく、双系制と関連して
いる。単系制では、父系であろうと母系であろうと、先祖は一つである。
それを目印にして、集団が組織される。ところが、双系制が残る場合、
出自が何であれ、ひとが今帰属する場が重視される。イエがそのような
場である。柳田によれば、イエは家族というより労働組織である。「親」
は元来、労働組織の「親方」(親分)を意味した。
したがって、日本では,出自を重視しない養子制が広範に採用された
のである。家父長的な武士のイエでも、養子制が多く見られた。徳川時
代では、大坂だけでなく、江戸でも、商家は男子に相続させず、代々優秀
な番頭を婿にとるというやり方をした。このシステムは、現在でも歌舞
伎や相撲の世界に残っている。これらは母系制の名残りではない。それ
は「イエ」の存続を優位におくものであり、双系的なものに根ざしてい
る>
「イエ」の存続が血統よりも重要であるという文化は、歴史的に実証
できる。これに対して、この文化が双系制に根ざすということは、実証
に馴染まない。ここで柄谷氏は、実証はできないが確実に存在した事柄
として双系制を位置づける。これは柳田の山人の想定に類比的だ。神学
では、実証はできないが確実に存在する事柄を原歴史(Urgeschichte)
というが、柄谷思想においても原歴史が存在する。
過去の柄谷氏の著作と比較して、本書においては、キリスト教、特に
カトリシズムに対する位置付けが変化しているように思える。柄谷氏は、
ライプニッツが『中国自然神学論』で中国人の祖先崇拝を肯定的に評価
していることを紹介した後、<キリスト教は先祖崇拝を否定するという
通念から見ると、ライプニッツが以上のような考えを支持するのは訝(いぶか)
しく聞こえる。しかし,カトリックにはマリア崇敬や多くの天使、聖人(セイント)
への崇敬など多神教的な要素がふくまれている>と記している。そして、
カトリック教会司祭の晴佐久昌英氏が<カトリック教会は、伝統的に十
一月を死者の月として、死者と深い交わりを持つ時として過ごします。
言うなれば,カトリックの「お盆」です。日本では亡くなられた方々を
お盆にお迎えしますけど、尊い習慣ですね。死者を大切にしないという
ことは、生者も大切にしないということです。(中略)すでに天にある
方が我々のために祈っているという信仰は、実にカトリック的な信仰で
す。その代表格は聖母マリアということになるんでしょうが、すべての
天使と聖人、そして亡くなった家族、友人が、天にあって神のそばで我ら
のために神にとりなしてくれる>との言説を紹介する。祖霊崇拝という
日本人の宗教性の特殊性をカトリシズムが包摂できるという晴佐久氏の
認識に柄谷氏は共鳴している。
かつて、柄谷氏が共産主義、アソシエーション、Xなどと表現してい
た人間の新たな共同体がカトリシズムの普遍主義に回収されつつあるの
かもしれない。そこからあらたな問題も出てくる。カトリック的な普遍
性は、概念ではなくイエス·キリストの代理人であるローマ教皇によっ
て担保されている。そうなると共産主義、アソシエーション、Xなど表
現は異なるが柄谷氏が一貫して追求していた事柄は、具体的な人格
によって体現されるということになる。柄谷氏は今後、教皇論に踏
み込まざるを得なくなると思う。近未来に柄谷神学が誕生するかもしれ
ない。
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内容紹介
著者プロフィール
「運動は物質に本質的である」とスピノザを批判したアイルランド生まれの思想家ジョン・トーランド(1670-1722年)。書簡形式で書かれた五つの論考から成る本書は、宗教的支配の源泉にある魂不滅説を習俗的原因から解明するとともに、自然哲学から非物質的存在を排除することで、人々を縛る宗教的恐怖を打破する。ライプニッツやピエール・ベールとの論争を経て彫琢された唯物論的自然哲学の世界が、いま立ち現れる!
目次
凡 例
序 文 これはロンドンの一紳士に宛てた手紙で、以下の諸論考と一緒に送られた。各論考について執筆のきっかけが含まれている
第一書簡 偏見の起源と力
第二書簡 異教徒における魂不滅説の歴史
第三書簡 偶像崇拝の起源および異教信仰の諸理由
第四書簡 オランダの一紳士に宛て、スピノザの哲学体系には原理あるいは基盤がないことを示す
第五書簡 運動は物質に本質的である。「スピノザ反駁」に寄せられた、ある貴人からのいくつかの意見に答える
訳 注
解 説
人名・書名索引
本を見る・探す
主題による図書紹介
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スピノザ書簡
しかし著者の結論では、最高権力は正義と誠実の維持だけ配慮していればよいのであって、「どんな教義と礼拝が真理と最も合致するか」という問題は著者にとってどうでもよい(書簡四十二)。
彼が無神論と非難されたのは、真の宗教の原理を求め、啓示を理性という自然の光によって置き換えようとしたからだ。トルコ人やhttp://iwanmayataka.hatenablog.com/entry/2016/11/28/115323
異教徒について、「もし彼らが正義にたいする崇拝と隣人愛とを神に祈るなら、ムハンマドや信託を信じようとも、彼らは自己のうちにキリストの精神を有しており、救われていると思う」と書いた人を、どうして赦せるだろうか! このような非難にたいして、彼はただこう答える。「もし私を知っているなら、そうやすやすと私が無神論を教えているとは思わないであろう。なぜなら、無神論はすべてにまさって名誉と金とを求めるのがつねであるから。私が名誉と金を軽蔑していることは、すべての友人がよく知っているところである。」スピノザは、彼の宗教があかししているように、「真理」でないすべてのものから離れた、質素な単純な生活を営んでいたのがわかる。このようなあかしがなければ、率直に言って他のすべてのことは無価値のはずだ。名誉と金とをまだ追求している人間が神を知り、神を理解し愛していると信じられるか。誰も二人の主人に仕えることはできない。
私は神および自然については近代のキリスト教徒たちが通常説いている見解とはまるで異なった見解を抱いております。すなわち私は、神がいわゆる万物の内在的原因であって超越的原因ではないと見ています。私はあえて、いっさいが神の中に生き神の中に動いていると主張しています。これはパウロもそう一言っておりますし、またお(剖)そらくすべての古代の哲学者たちも、異なった表現でではありますが、そう言っているのです。78
神と世界と近づけた結果、神が物質になってしまう。あるいはふたつが同一になってしまう。パウロ
スピノザ、一六七五年十一月または十二月付けのオルデンプルク宛書簡、畠中尚志訳『スピノザ往復書簡集』岩波文庫、一九五八年、三二五ページ
書簡73
私は神および自然については近代のキリスト教徒たちが通常説いている見解とはまるで異なった見解を抱いております。すなわち私は、神がいわゆる万物の内在的原因であって超越的原因ではないと見ています。私はあえて、いっさいが神の中に生き神の中に動いていると主張しています。これはパウロもそう一言っておりますし、またお(剖)そらくすべての古代の哲学者たちも、異なった表現でではありますが、そう言っているのです。78
神と世界と近づけた結果、神が物質になってしまう。あるいはふたつが同一になってしまう。パウロ
スピノザ、一六七五年十一月または十二月付けのオルデンプルク宛書簡、畠中尚志訳『スピノザ往復書簡集』岩波文庫、一九五八年、三二五ページ
スピノザー「無神論者」は宗教を肯定できるか -上野修より
そして 、ある日おかみさんから 、いまの自分の宗教で幸福になれるだろうかと尋ねられて 、こう答えたという 。
あなたの宗教は立派です 。あなたは静かに信心深い生活に専念なさりさえすれば 、幸福になるために何も他の宗教を求めるには及びません 。 (リュカス 、コレルス 『スピノザの生涯と精神 』 )
木材窃盗法を研究し、モーゼル農民の状態をしらべたことが動機となって、私は、
純然たる政治から経済的諸関係の研究に、したがって社会主義にすすんだ。-マルクス1.ⅹⅹⅱ(エンゲルスの証言)
552 考える名無しさん[sage] 2019/03/20(水) 14:29:09.95 ID:0
『アナキスト民俗学』(絓+木藤)に、柳田国男の敗戦時の関心は天皇制の存続で、
枢密顧問官就任もその延長だったことが、割と実証的に説明されている
柄谷は当然意識して書いているだろうけどね
NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
https://i.gyazo.com/9a9a12669debd89031739868198f019d.jpg
上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
(サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
さらに、
《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より)
キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
https://i.gyazo.com/90fd04e8943742430ef50b252f7909c8.jpg
「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。
1条と9条はセットだから天皇制存続を願う柳田は平和憲法を志向するしかない
NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
以下はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
https://i.gyazo.com/9a9a12669debd89031739868198f019d.jpg
現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
(サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
さらに、
《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より)
キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
https://i.gyazo.com/90fd04e8943742430ef50b252f7909c8.jpg
「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。
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>http://www.kojinkaratani.com/jp/pdf/errata_20190324.pdf
正誤表
『世界史の実験』(岩波新書 2019年)に下記の通り誤りがありましたので
訂正します。
P.6 9行目
【誤】それは、マルクスのようにヘーゲル哲学を単に"唯物論的に転倒”して
も出てこない。
【正】それは、ヘーゲル哲学を単に"唯物論的に転倒”しても出てこない。
p.97 8行目
【誤】それは、彼がこの論文をフランス語で書いていたのに、なぜ最後に、突
然ラテン語で Cogito ergo sumと書いたのか、ということである。
【正】それは、彼がこの論文をフランス語で書いていたのに、なぜ後の『省察』
では、ラテン語 Cogito ergo sumと書いたのか、ということである。
p.98 11行目
【誤】であれば、彼が最後に、その部分だけをラテン語にしたのはなぜか。
【正】であれば、彼が後に、それをラテン語で書いたのはなぜか。
以下『方法序説』ちくま学芸文庫山田弘明訳より
《…「私は考える、ゆえに私はある」…》56頁
《 原文はJe pense, donc je suisである。この命題は解釈者たちによってラテン語でcogito, ergo sum
(コギト·エルゴ·スム)と表記され、デカルト哲学の標語とされてきた。だが、厳密に言えばデカル
ト自身がこのラテン語表記をしたことは一度もない。『省察』[1641]では、Ego sum, ego existo (私はある、
私は存在する。AT. VII. 25)となっていて、ergoがなくegoやexisto という語が付加されている。
『[哲学]原理』[1644]ではego cogito, ergo sum (私は考える、ゆえに私はある。第一部七節)、『[方法]序説』[1637]のラテン語
訳でもEgo cogito, ergo sum, sive existo (私は考える,ゆえに私はある、あるいは存在する。AT.
VI.558)となっている。『真理の探究』[la recherche de la verite 1684?,1701?]に一箇所だけcogito, ergo sum(AT. X.523)とあるが、これ
は第三者による翻訳である。こうした表記の相違を根拠として、『序説』と『省察』とではコギト命題
の意味が異なるとする解釈(アルキエやマリオン)が出てきている。》234~5頁脚注
山田は「厳密に言えばデカルト自身がこのラテン語表記をしたことは一度もない」と書くが、
むしろ厳密に言えばあるということになるのではないか?
特に『哲学原理』(1644)のego cogito,ergo sumにはcogito,ergo sumが含まれる。
柄谷の正誤表について言えば「最後」というのが問題で常にラテン語は並行論的に存在するのだ
マルクスの最後の鐘ではないが究極を考える人間が陥り易いレトリックだ
前太田出版社長の高瀬幸途氏死去 たけしさんの著書担当:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM4T4CCZM4TUCLV009.html
744 考える名無しさん[sage] 2019/04/26(金) 00:11:46.94 ID:0
高瀬幸途さん
(たかせ・よしみち=前太田出版社長、本名中里幸途〈なかざと・よしみち〉)が24日、
大動脈解離で死去した。71歳だった。
通夜は28日午後6時、葬儀は29日午前11時30分から
東京都杉並区高円寺北2の2の5の公益社高円寺会館で。
喪主は妻雅子(まさこ)さん。
編集者としてタレントのビートたけしさん、哲学者の柄谷行人さんらの著書を手がけ、
95~06年に同社社長を務めた。
柄谷は日本近代文学の延命装置は外したが
マルクス主義は延命させ続けた
第一期NAMはマルクス主義の延命装置でしかなかった
マルクス主義における自らをデザインする組織論の欠如は目に余る
労働組合と言っても大企業とワンセットだから自律した組織論にはならない
消費組合の軽視もまだまだ根強い
多様性がない
高円寺で素人を中心にNAMを再建するのがベストだろう
出版社に頼ってネットを使った空中戦をしても労力の無駄だ
世界共和国へ
1 「生産 」から 「交換 」へ
史的唯物論への疑問
資本とネ ーションと国家について考えるとき 、私が参照したいのはマルクスです 。というのは 、マルクスだけがそれらに関して 、包括的な把握を示したからです 。しかし 、すでに述べたように 、そこには国家やネ ーションに関する認識上の欠落があります 。たとえば 、マルクスはつぎのように書いています 。
わたくしの研究にとって導きの糸として役立った一般的結論は 、簡単につぎのように公式化することができる 。人間は 、その生活の社会的生産において 、一定の 、必然的な 、かれらの意志から独立した諸関係を 、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を 、とりむすぶ 。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており 、これが現実の土台となって 、そのうえに 、法律的 、政治的上部構造がそびえたち 、また 、一定の社会的意識諸形態は 、この現実の土台に対応している 。物質的生活の生産様式は 、社会的 、政治的 、精神的生活諸過程一般を制約する 。 ( 『経済学批判 』序言 、武田隆夫ほか訳 )
このような見方は 、のちにエンゲルス以下のマルクス主義者によって 「史的唯物論 」と呼ばれています 。ここで問題があるのは 、国家を 、文学や哲学その他と同じようなものであるかのように 「上部構造 」においたことです 。しかし 、国家が経済的な下部構造の上にある上部構造だというような見方は 、近代資本主義国家以後にしか成立しません 。それ以前においては 、国家 (政治 )と経済とに 、はっきりした区別はありえないのです 。
たとえば 、原始社会 (部族的共同体 )においては 、そもそも国家がなく 、したがって 、経済的な構造と政治的な構造の区別はありません 。また 、 「東洋的国家 」においても 、国家装置 (軍 ・官僚 ・警察機構など )は 、経済的な意味での支配階級の上にあるものではない 。皇帝 ・王とそれを支える官僚層全体が 、まさに経済的な意味での支配階級なのです 。
「生産様式 」がもたらす誤謬
マルクスは 「経済的社会構成体が進歩してゆく段階として 、アジア的 、 〔古典 〕古代的 、封建的 、および近代ブルジョア的生産様式をあげることができる 」と書いています (同前 ) 。しかし 、資本制以前の社会構成体においては 、国家もいわば生産様式の一部です 。つまり 、そこでは経済的構造と政治的構造の区別がありません 。にもかかわらず 、 「生産様式 」という観点に立つと 、まるでそのような区別があるかのように見えてしまいます 。したがって 、このような混乱を避け 、資本制以前をふくめて社会構成体の歴史を普遍的に見るためには 、 「生産様式 」という言い方をやめたほうがよいのです 。
マルクスは 「経済学批判序説 」で 、個人と個人の間の商品交換からはじめるアダム ・スミスに対して 、それは近代社会での在り方を原始段階に投影することだと批判しました 。だが 、そうだとしたら 、史的唯物論にも同じ誤があるといわねばならないでしょう 。
「生産様式 」から 「交換様式 」へ
マルクスが経済的な下部構造を重視したのは 、人間をまず自然との関係において見るという観点をとったからです 。そのために彼は 、人間が自然に働きかけて財を作り出す 「生産 」を重視した 。さらに 、彼は 、生産が人間と人間の関係を通してなされること 、いいかえれば 、一定の生産関係の下で生産がなされることを見た 。それが生産様式という概念です 。
本来 、生産様式とは 、生産が一定の交換や分配の形態でなされる形態を意味します 。つまり 、生産があって 、そののちに交換 ・分配がなされるのではない 。ところが 、 「生産様式 」という表現をとると 、交換や分配が二次的なものとみなされてしまいます 。
たとえば 、原始的氏族的生産様式という場合 、それは狩猟採集というようなこと人間と自然の関係を指すのではありません 。それは 、生産物が互酬によって全員に配分されるような生産の様式人間と人間の関係を指します 。であれば 、それは生産様式というよりも 、 「交換様式 」と呼ぶべきだと思います 。その場合 、交換様式は一つではありません 。交換は普通 、商品交換のようなイメ ージで考えられています 。
それは相互の合意と契約によって成立するものです 。しかし 、そのような交換は 、交換一般の中ではむしろわずかの部分でしかありません 。
799 a[] 2019/05/13(月) 10:40:39.03 ID:0
「生産様式 」から 「交換様式 」へ
マルクスが経済的な下部構造を重視したのは 、人間をまず自然との関係において見るという観点を
とったからです 。そのために彼は 、人間が自然に働きかけて財を作り出す 「生産 」を重視した 。
さらに 、彼は 、生産が人間と人間の関係を通してなされること 、いいかえれば 、一定の生産関係の
下で生産がなされることを見た 。それが生産様式という概念です 。
本来 、生産様式とは 、生産が一定の交換や分配の形態でなされる形態を意味します 。つまり 、
生産があって 、そののちに交換 ・分配がなされるのではない 。ところが 、 「生産様式 」という
表現をとると 、交換や分配が二次的なものとみなされてしまいます 。
たとえば 、原始的氏族的生産様式という場合 、それは狩猟採集というようなこと人間と自然の
関係を指すのではありません 。それは 、生産物が互酬によって全員に配分されるような生産の
様式人間と人間の関係を指します 。であれば 、それは生産様式というよりも 、 「交換様式 」と
呼ぶべきだと思います 。その場合 、交換様式は一つではありません 。交換は普通 、商品交換の
ようなイメ ージで考えられています 。
それは相互の合意と契約によって成立するものです 。しかし 、そのような交換は 、交換一般の
中ではむしろわずかの部分でしかありません 。
『世界共和国へ』より
6:43 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
国家もまた交換様式の一形態だとすることで柄谷は総合的な視野を開いた
それは定量的分析と矛盾しない
資本論は国家を捨象したために官僚主義への免疫を作り損ねたから
この視座は重要だ
6:45 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
国家もまた交換様式の一形態だとすることで柄谷は総合的な視野を開いた
(それは定量的分析と矛盾しない。カレツキが同じことをしている)
資本論は国家を捨象したために官僚主義への免疫を作り損ねたから
この視座は重要だ
6:47 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
___________
|B再分配 |A互酬 |
|(略奪と | (贈与と|
| 再分配)| 返礼)|
|_____|_____|
|C商品交換|D |
| (貨幣と| X |
| 商品)| |
|_____|_____|
『世界共和国へ』より
Bは日本の鎌倉時代で言えば御恩と奉公
6:47 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
国家もまた交換様式の一形態だとすることで柄谷は総合的な視野を開いた
(それは定量的分析と矛盾しない。カレツキが同じことをしている)
資本論は国家を捨象したために官僚主義への免疫を作り損ねたから
この視座は重要だ
___________
|B再分配 |A互酬 |
|(略奪と | (贈与と|
| 再分配)| 返礼)|
|_____|_____|
|C商品交換|D |
| (貨幣と| X |
| 商品)| |
|_____|_____|
『世界共和国へ』より
例えばBは日本の鎌倉時代で言えば御恩と奉公
6:49 午後 削除
817 考える名無しさん[] 2019/05/20(月) 21:41:19.75 ID:0
(21) 柄谷行人 一九九四「自主的憲法について」(柄谷 一九九四、一九八―
二〇三頁)。
(6) 一九九一年の柄谷らの湾岸戦争反対論は、従来の護憲論を観念的にラディカ
ルにしたポストモダン版であり、他方、北岡の日米同盟リアリズム論は日米協調の軍
事的強化の論だった。
(9) 柄谷行人は、そこで、こう述べている。カントは「構成的理念と統整的理念」
を「区別した。構成的理念とは、それによって現実に創りあげるような理念だと考え
て下さい。たとえば、未来社会を設計してそれを実現する。通常、理念と呼ばれてい
るのは、構成的理念ですね。それに対して、統整的理念というのは、けっして実現で
きないけれども、絶えずそれを目標として、徐々にそれに近づこうとするようなもの
です。カントが、『目的の国』とか『世界共和国』と呼んだものは、そのような統整
的理念です」(柄谷行人 二〇〇九)。
(12) 柄谷行人 二〇〇六、二二五頁。
柄谷行人 一九九四 『〈戦前〉の思考』 文藝春秋
柄谷行人 二〇〇六 『世界共和国へ』 岩波新書
柄谷行人 二〇〇九 「生活クラブとの対話」 二〇〇九年五月一一日、柄谷行人
公式ウェブサイト http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-40.html
地域系、関心系、階層系
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947 考える名無しさん[] 2019/07/10(水) 21:11:28.99 ID:0
イトウ シンイチロウ
伊藤 新一郎 社会福祉学部 福祉計画学科 教授
■ 標題
柄谷行人「世界史の構造」論の再検討
www2.hokusei.ac.jp/hguhp/KgApp?chosyouid=ymdmygymggy&chosyoseq=26
ネット上にpdfもあり。
柄谷は以前敵はなんですかと聞かれて自然(じねん)ですねと答えたはず
ここまでは丸山眞男的だが
二項対立に安住してはならないというのがポイントで
神=自然とするスピノザや
論理によって形式を内側から崩すゲーデルが参照される
地域系、関心系、階層系
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地域系、関心系、階層系
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1000 考える名無しさん[] 2019/07/24(水) 23:30:14.20 ID:0
第十三回 長池講義 開催情報
日 時
2019年8月24日(土) 15:00~17:00
会 場
たんぽぽ舎
東京都千代田区神田三崎町2-6-2ダイナミックビル4F(スペースたんぽぽ)
講 師
柄谷行人
テ ー マ
「力」と交換様式
定 員
80名(申込多数の場合は抽籤とします)
入 場 料
500円
お申し込み
こちらからお申し込みください。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/6e59cbee624143
東の柄谷に対する優位性は東がマルクスに固着していないという点だけにあった
ただし今や柄谷はプルードンの交換概念を導入することでそこから脱した
東のマルクスに対する固着の欠如は経済学へのコンプレックスとして変異してしまった
カレツキあたりを読んでさえいればMMTがポストケインジアンの信用貨幣論の変奏に過ぎないことは明白だが
それさえわからない
主流派が崩壊した現在、カレツキ経由のマルクスさえ押さえておけばMMTに対応出来たはず
これは東の限界というよりも社会的インフラを無意識裡に前提としてしまう現代社会学の限界であろう
実践としてミクロ経済を知った人間は
家計を政府財政に当てはめるという間違いを犯しやすい
左翼は国家の枠組みを絶対視しない
反日美術展示などは良くも悪くも
象徴としての天皇に依存しているので左翼でもなんでもない
右翼のやり方はかえって天皇個人を危険に晒す(これは柄谷も言っていた)
天皇家は日本が共和国になり自治都市としての京都が奪還する以外に落とし所はない
慰安婦に関しては日本人や中国人の慰安婦もいたわけだから
ナショナリズムに回収できないフェミニズムの問題だろう
竹島は漁民同士の国際的同業者組合の問題だし
尖閣は石油が出るのでエネルギー企業同士の問題だろう
後者は日本におけるグリーンニューディールの必要を示している
ナショナリズムを喚起してもエネルギー問題は解決しない
石油がなくなればすぐに危機になるという日本の課題は戦前から変わっていない
国家の枠組みを絶対視しないということが
経済学上では有効需要の原理の軽視や
MMTの信用貨幣論への軽視を組んだが
これはカレツキなどを読めば問題ない
柄谷の交換論も国家を客観視するのに役立つ
193 考える名無しさん[sage] 2019/08/13(火) 21:26:43.55 ID:0
吉永剛志 @take4luckylong
11m
柄谷行人が、こないだふらりとやってきて、「2日前、交換様式Dの謎が解けた」と言った。
吉永剛志 @take4luckylong
7m
噂として、柳田国男のごとく、あるいは、カント『永遠平和のために』の国家の秘密条項
(哲学者に君主はアドヴァイスもらっていい)のごとく、
先天皇に「ご進講」したという噂が流れていたが、
それは否定。
立花「NHKは見ないから受信料を払いません」
柄谷「NHKは見たから受信料を払いません」
立花「NHKは見ないから受信料を払いません」
これはまだ甘い↑
柄谷「NHKは見たから受信料を払いません」
これこそ批評家↑
立花「NHKは見ないから受信料を払いません」
↑これはまだ甘い
柄谷「NHKは見たから受信料を払いません」
↑これこそ批評家
立花「NHKは見ないから受信料を払いません」←これはまだ甘い
柄谷「NHKは見たから受信料を払いません」←これこそ批評家
234 考える名無しさん[] 2019/08/31(土) 01:54:30.83 ID:0
November 5, 2019
Critical Theory Seminar. Kojin Karatani. Power and mode of exchange A.
Whitney Humanities Center Room 208
New Haven, CT
November 6
Why the mode of exchange?
November 7
Power and modes of exchange B, C, and D.
November 8
Power and the Modern World
235 考える名無しさん[] 2019/09/03(火) 16:45:47.46 ID:0
講談社文芸文庫
2019.10.10
柄谷行人浅田彰全対話
柄谷 行人,浅田 彰
長池講義資料 2019.8.24
1 基礎的な交換様式
B 服従と保護 A 互酬交換
(略取と再分配) (贈与と返礼)
C商品交換 D
(貨幣と商品) X
近代世界システム(資本=ネーション=国家)
B A
国家 ネーション
C D
資本 X
2 マルクス「経済学批判』
《わたくしの研究にとって導きの糸として役立った一般的結論は、簡単につぎのように公式化することができる。
人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれ
らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経
済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、
また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は社会的、政治的、
精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなく、逆に、人間の社会的存在がそ
の意識を規定するのである。(……)経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ、急激にせよ、
くつがえる。このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正
確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術または哲
学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とをつねに区別しなければならない。(……)おおざっぱにい
って、社会の経済的構成体が進歩してゆく段階として、アジア的、(古典)古代的、封建的、および近代ブルジョ
ア的生産様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人
的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後
のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のため
の物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。》(『経
済学批判序説』
3 マルクス『資本論』第一巻
《経済的諸形態の分析では、顕微鏡も化学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力なるものがこの両者にとってかわ
らねばならない》(第一版序文)
《私は自分があの偉大な思想家の弟子であるとおおっぴらに認め、しかも、価値論に関する章のあちこちでヘーゲル
特有の表現法におもねることさえした。弁証法がヘーゲルの手中で神秘化されたとしても、このことによって、弁証
法の一般的な運動形態を最初に包括的または意識的に述べたのが彼であったということは、いささかも妨げられるも
のではない。弁証法は、ヘーゲルのばあい、頭で立っている。神秘的なヴェールのなかに合理的な核心を発見する
ためには、それを、ひっくりかえさねばならない》(第二版序文)
《資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「彪大な商品の集積」としてあらわれ、個々の商品は、その富
の基本的形態としてあらわれる。だから、われわれの研究は、商品の分析から始まる》。(『資本論」第一巻第一章、
以下同様)
《商品交換は、共同体の終わるとおろに、すなわち、共同体が他の共同体または他の共同体の成員と接触
する点に
始まる》
《商品は、一見したところ、わかりきった平凡な物に見える。だが、これを分析してみると、きわめて面倒なもの、
形而上学的な小理屈や神学的な偏屈さでいっぱいのものであることがわかる》
《物の使用価値は交換なしで、したがって、物と人との直接的関係のなかで実現されるが、その価値のほうは、逆に、
交換のなかで、つまり社会的過程のなかでしか実現されない》
《交換において、物は「感覚的でありながら超感覚的なものに転化してしまう」。商品の価値とは、そのとき物に
付着した何かである。《それは労働生産物が商品として生産されると、ただちにそこに付着するものであり、それゆ
え商品生産と不可分のものである》
《貨幣蓄蔵者は、黄金物神のために自分の欲情を犠牲にする。彼は禁欲の福音に忠実なのだ。……勤勉、節約、そ
して、食欲が彼の主徳をなし、多く売って少なく買うことが、彼の経済学のすべてをなす》
《こういう絶対的な致富衝動、こういう情熱的な価値追求は、資本家にも賃幣蓄蔵者にも共通のものであるが、し
かし貨幣蓄蔵者が狂気の資本家でしかないのに対して、資本家のほうは合理的な貨幣蓄蔵者である。貨幣蓄蔵者は、
資本の休みなき増殖を、貨幣を流通から救い出そうとすることによって追求するが、より賢明な資本家は、貨幣を
つねに新たに流通にゆだねることによって達成するわけである》
4 フロイト『続精神分析入門」
《マルクス主義のすぐれたところは、察しますに、歴史の理解の仕方とそれにもとづいた未来の予言にあるのではな
く、人間の経済的諸関係が知的、倫理的、芸術的な考え方に及ぼす避けがたい影響を、切れ味鋭く立証したところ
にあります。これによって、それまではほとんど完壁に見誤られていた一連の因果関係と依存関係が暴き出される
ことになったわけです。しかしながら、経済的動機が社会における人間の行動を決定する唯一のものだとまで極論
されると、私たちとしましては、受け入れることができなくなります。さまざまに異なった個人や種族や民族が、
同じ経済的条件下にあってもそれぞれ異なった動きをするといまぎれもない事実ひとつを見ただけでも、経済的契
機の専一的支配というものが成り立たないことが分かるはずです。そもそも理解できないのは、生きて動く人間の
反応が問題になる場合に、どうして心理的ファクターを無視してよいわけがあろうかという点です。と申しますのも、
経済的諸関係が生みだされるところにはすでに、そうした心理的ファクターが関与していたはずだからですし、そ
ればかりか、経済的諸関係の支配がすでに行き渡っているところでも、人間は、ほかでもない、自己保存欲動、攻
撃欲、愛情欲求が、自らの根源的な欲動の舞きを発動させ、快獲得と不快忌避を衝迫的に求めるからです。あるい
はまた、以前の探究で超自我の重要な要求について論じておきましたように、超自我が、過去の伝統と理想形成を
代表し、新たな経済状況からの動因に対してしばらくのあいだは抵抗したりもするわけです》
5 ミシェル・フーコー『コレクション」
《国家機関より下層の別の次元に、それとある程度独立した形の大きな権力装置が存在し、それが常に衰えることな
く凄まじい力を及ぼし続けていること、そして、その装置が一ー少なくとも司法機関や軍隊といった国家の中枢機
関と同程度には、ーー社会体を堅固で安定したものにしていること》 (「コレクション4』、p216)。
265 考える名無しさん[] 2019/09/17(火) 17:17:15.42 ID:0
また、来年には岩波少年文庫が創刊七〇年、岩波現代文庫は創刊二〇年を迎えます。子
供に限らず、幅広い年代層に楽しんでいただける少年文庫は、偶数月の刊行を予定して
います。装丁や本文の組みなど、子供たちが手に取りやすいよう積極的な工夫をしてい
きたいと思っています。記念フェアは来年の七月を予定しています。現代文庫は、一月
から装丁を一新して臨みます。柄谷行人『哲学の起源』や上野千鶴子『近代家族の成立
と終焉』など、単行本刊行時に大きな話題を呼んだものが文庫として刊行されます。
探究IIのスピノザ読解は國分スピノザの方法に影響を与えた
その後の柄谷のカントへの転回はジジェクの方が先だから特筆すべきことではない
それでも探究IIのスピノザ読解が基礎にあるからカントの読みもジジェクより深いものとなった
探究III連載時に柄谷はプルードンを発見しトランスクリティークに改稿してゆくわけだが
後の歴史家への転身のきっかけも自分はプルードン発見にあると考える
(at連載はマルクス、ウイットフォーゲルの検証だが、プルードンの交換理論、社会革命理論が方法論として通底する)
それはプルードンマルクス往復書簡引用という形で世界史の構造に結実する
探究IIのスピノザ読解は國分スピノザの方法に影響を与えた
その後の柄谷のカントへの転回はジジェクの方が先だから特筆すべきことではないが
それでも探究IIのスピノザ読解が基礎にあるからカントの読みもジジェクより深いものとなった
探究III連載時に柄谷はプルードンを発見しトランスクリティークに改稿してゆくわけだが
後の歴史家への転身のきっかけも自分はプルードン発見にあると考える
(at連載テーマはマルクス、ウイットフォーゲルの検証だが、プルードンの交換理論、社会革命理論が方法論として通底する)
それはプルードンマルクス往復書簡引用という形で世界史の構造に結実する
探究IIのスピノザ読解は國分スピノザの方法にも影響を与えた
その後の柄谷のカントへの転回はジジェクの方が先だから特筆すべきことではないが
それでも探究IIのスピノザ読解が基礎にあるからカントの読みもジジェクより深いものとなった
探究III連載時に柄谷はプルードンを発見しトランスクリティークへと改稿してゆくわけだが
後の歴史家への転身のきっかけも自分はプルードン発見にあると考える
(at連載テーマはマルクス、ウイットフォーゲルの検証だが、プルードンの交換理論、
社会革命理論が方法論として通底する)
それはプルードンマルクス往復書簡(未来展望)引用という形で世界史の構造に結実する
探究IIには吉本に足りなかったものがある
探究IIとIIIには吉本に足りなかったものがある
それはスピノザであり
プルードンである
宇野もウォーラーステインも
プルードンから受け継いだ交換概念によって総合される
探究IIのスピノザ読解は國分スピノザの方法にも影響を与えた
その後の柄谷のカントへの転回はジジェクの方が先だから特筆すべきことではないが
それでも探究IIのスピノザ読解が基礎にあるからカントの読みもジジェクより深いものとなった
探究III連載時に柄谷はプルードンを発見しトランスクリティークへと改稿してゆくわけだが
後の歴史家への転身のきっかけも自分はプルードン発見にあると考える
(at連載テーマはマルクス、ウイットフォーゲルの検証だが、プルードンの交換理論、
社会革命理論が方法論として通底する)
それはプルードンマルクス往復書簡引用という形で世界史の構造に結実する
福音と世界2018年5月号
福音と世界2018年5月号:表紙
福音と世界2018年5月号
本体価格:588円
サイズ:A5 80ページ
月刊誌:1952年4月創刊
年間予約(送料共):8,460円
≪ 前月号へ 次月号へ ≫
内容紹介
【目次】
特集 マルクス主義とキリスト教――マルクス生誕200年に考える
マルクス、エンゲルスの宗教観について......不破哲三
エンゲルスとキリスト教......柄谷行人
神学と社会主義
――カール・バルトの場合......武田武長
『キャリバンと魔女』の問い
――マルクス主義フェミニズムを再考する......小田原 琳
大学でイスラームを教えて『資本論』に行き着いた......四戸潤弥
キリスト教的な革命家たち?
――マルクス主義の革命観へのキリスト教的評価をめぐって......デヴィッド・ライアン
*
オオカミ復活と農村伝道......星野正興
*
【連載】
地のいと低きところにホサナ5
――シラ書に首ったけ。......ブレイディみかこ
福音の地下水脈(アンダーグラウンド)7......植本一子(前編)
聖書とわたし26 ギュツラフ訳聖書に思う......福岡伸一
みことば散歩17 この果てしない空の向こうに......望月麻生
野に咲く民衆の神学――別所梅之助を読む2
――桜・コールタール・復活......森 宣雄
現代神学の冒険――新しい海図を求めて20
――生命の神学1――脳死・臓器移植の問題を検討する......芦名定道
レヴィナスの時間論 『時間と他者』を読む38......内田 樹
佐藤優のことばの履歴書50 官僚と良心......佐藤 優
新約釈義27 第一テモテ書(5:3-16)......辻 学
表紙画について......八木美穂子
「福音と世界」Kindle版は2014年1月号から発行を始めましたが、2015年12月号をもって休止いたしました。バックナンバーは下記のリンクからお探しいただけます。
「福音と世界」Kindle版
2016/01/18
「福音と世界」取扱店、入荷日一覧
小社月刊誌「福音と世界」は、現在以下の書店で取り扱いがあります。
発行日(出版社納庫日)は毎月10日ですが、各書店への入荷日にばらつきがあります。各書店への入荷日目安も併記しました。あくまでも目安ですので、お求めの際は各書店に予めお問い合わせいただければ幸いです。
【キリスト教専門書店】
北海道キリスト教書店......13-15日
善隣館書店......12日-
仙台キリスト教書店......12日-
清光書店......12日-
平福音センター......12日-
ブックセンターロゴス......12日-
教文館キリスト教書部......10日
待晨堂......12日-
聖公書店......12日-
アバコブックセンター......12日-
CLC BOOKS お茶の水店......12日-
東宣社......12日-
横浜キリスト教書店......12日-
恵泉書房......12日-
静岡聖文舎......12日-
名古屋聖文舎......12日-
CLC BOOKS 名古屋店......12日-
CLC BOOKS 金沢店......12日-
大阪キリスト教書店......12日-
BIBLE HOUSE びぶろすの森......12日-
京都ヨルダン社......12日-
CLC BOOKS 京都店......12日-
神戸キリスト教書店......12日-
カベナンター書店......12日-
広島聖文舎......12日-
CLC BOOKS 広島店......12日-
CLC BOOKS 岡山店......12日-
徳島キリスト教書店......12日-
松山キリスト教書店......12日-
高知福音書房......12日-
新生館......12日-
北九州キリスト教ブックセンター......12日-
キリスト教書店ハレルヤ......12日-
宮崎ともしび書房......12日-
沖縄キリスト教書店......13-15日
以上の各書店の連絡先は、以下のリンクに掲載。
http://www.shinkyo-pb.com/help/shop.php
【一般書店】
ジュンク堂池袋本店(4F)......10-11日
丸善&ジュンク堂渋谷店......11日-
紀伊國屋新宿本店(3F)......11日-
紀伊國屋新宿南店(5F)......11日-
有燐堂伊勢佐木町本店(5F)......11日-
ジュンク堂難波店......11日-
同志社大学生協今出川店......12日-
ジュンク堂広島駅前店......12日-
ジュンク堂福岡店......12日-
以上。
変更・追加などは随時アップデートいたします。
https://honto.jp/netstore/pd-book_29951391.html
戦後思想の到達点~柄谷行人、自身を語る 見田宗介、自身を語る
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発売日:2019/11/25
出版社: NHK出版
サイズ:四六判/256ページ
ISBN:978-4-14-081802-2
紙の本
戦後思想の到達点~柄谷行人、自身を語る 見田宗介、自身を語る (シリーズ・戦後思想のエッセンス)新刊
著者 柄谷行人 (著),見田宗介 (著),大澤真幸 (編著)
戦後思想を牽引した柄谷と見田。2人の思想のポイントとは何か? 2人は日本人と人類の未来をどう展望しているのか? 巧みなインタビューと解説で、両者の思考の軌跡を浮かび上がら...
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戦後思想の到達点~柄谷行人、自身を語る 見田宗介、自身を語る (シリーズ・戦後思想のエッセンス) 税込 1,430 円 13pt
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『世界の多様性』における家族型
表は『新ヨーロッパ大全』より
トッド『世界の多様性』における家族型
https://ja.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・トッド
1.絶対核家族 (イングランド)
2.平等主義核家族 (フランス)
3.直系家族 (ドイツ、日本)
4.外婚制共同体家族 (ロシア、モンゴル)
5.内婚制共同体家族 (トルコ)
6.非対称共同体家族 (南インド)
7.アノミー的家族 (東南アジア)
8.アフリカ・システム (アフリカ)
トッドはこれら家族制度こそが、社会の価値観を生み出すのだと主張した。
これを先験的(アプリオリ)と表現する。
上記トッド『世界の多様性』における家族型(表は『新ヨーロッパ大全』より)を
柄谷交換図と対応させると、
兄弟関係
非平等 平等
権威・不平等 権威・平等
権威 直系家族3 外婚制共同体家族4
ドイツ、日本 ロシア
親子関係
自由 自由 自由・平等
絶対核家族1 平等主義核家族2
イングランド フランス
(浅田彰はトッドを経験主義的と批判している。アプリオリは絶対ではない)
トッド『世界の多様性』における家族型
https://ja.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・トッド
1.絶対核家族 (イングランド)
2.平等主義核家族 (フランス)
3.直系家族 (ドイツ、日本)
4.外婚制共同体家族 (ロシア、モンゴル、中国)
5.内婚制共同体家族 (トルコ)
6.非対称共同体家族 (南インド)
7.アノミー的家族 (東南アジア)
8.アフリカ・システム (アフリカ)
トッドはこれら家族制度こそが、社会の価値観を生み出すのだと主張した。
これを先験的(アプリオリ)と表現する。
上記トッド『世界の多様性』における家族型(表は『新ヨーロッパ大全』より)を
柄谷交換図と対応させると、
兄弟関係
非平等 平等
権威・不平等 権威・平等
権威 直系家族3 外婚制共同体家族4
ドイツ、日本 ロシア
親子関係
自由 自由 自由・平等
絶対核家族1 平等主義核家族2
イングランド フランス
トッドの理論は様々な疑問を説明する。例えば、なぜ共産主義体制はマルクスが予想したような資本主義先進国で
はなくロシアや中国で実現したのか、なぜ遠く離れたドイツと日本の社会制度が似ているのか、なぜアメリカ人は
自由と独立を重視するのか、などである。説明があまりに明快で決定的だったため、マルクス主義が失墜しつつ
ある当時にあって、新たな決定論であるとして激しい攻撃を受けることとなった。トッドはこれを、倫理的な判断に
よって事実を否定するものであるとし、事実を事実として認める者だけが事実を乗り越えられると述べている*。
またマルクスに代表される、経済を下部構造とするモデルは説明能力が無いとし、家族構造から識字率と経済を説明
するべきであるとした。これより、直系家族である日本がヨーロッパに追い付くが追い越しはしないこと、東南アジア
および南インドが近いうちに中南米を追い越すこと、女性の地位が低い西アジア・中央アジアと北インドが世界で
最も遅れた地域となり、いずれギニア湾岸諸国に抜かれること、などを予想した。
*Todd, Emmanuel (2001), “我が「世界像革命」の歩み”, 『世界像革命』, 東京: 藤原書店, ISBN 4-89434-247-2
浅田彰はトッドを経験主義的と批判している。
トッド『世界の多様性』における家族型
https://ja.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・トッド
1.絶対核家族 (イングランド)
2.平等主義核家族 (フランス)
3.直系家族 (ドイツ、日本)
4.外婚制共同体家族 (ロシア、モンゴル、中国)
5.内婚制共同体家族 (トルコ)
6.非対称共同体家族 (南インド)
7.アノミー的家族 (東南アジア)
8.アフリカ・システム (アフリカ)
トッドはこれら家族制度こそが、社会の価値観を生み出すのだと主張した。
これを先験的(アプリオリ)と表現する。
上記トッド『世界の多様性』における家族型(表は『新ヨーロッパ大全』より)を
柄谷交換図と対応させると、
兄弟関係
非平等 平等
権威・不平等 権威・平等
権威 直系家族3 外婚制共同体家族4
ドイツ、日本 ロシア
親子関係
自由 自由 自由・平等
絶対核家族1 平等主義核家族2
イングランド フランス
トッドの理論は様々な疑問を説明する。例えば、なぜ《共産主義体制》はマルクスが予想したような資本主義先進国で
はなくロシアや中国で実現したのか、なぜ遠く離れたドイツと日本の社会制度が似ているのか、なぜアメリカ人は
自由と独立を重視するのか、などである。説明があまりに明快で決定的だったため、マルクス主義が失墜しつつ
ある当時にあって、新たな決定論であるとして激しい攻撃を受けることとなった。トッドはこれを、倫理的な判断に
よって事実を否定するものであるとし、事実を事実として認める者だけが事実を乗り越えられると述べている*。
またマルクスに代表される、経済を下部構造とするモデルは説明能力が無いとし、家族構造から識字率と経済を説明
するべきであるとした。これより、直系家族である日本がヨーロッパに追い付くが追い越しはしないこと、東南アジア
および南インドが近いうちに中南米を追い越すこと、女性の地位が低い西アジア・中央アジアと北インドが世界で
最も遅れた地域となり、いずれギニア湾岸諸国に抜かれること、などを予想した。
*Todd, Emmanuel (2001), “我が「世界像革命」の歩み”, 『世界像革命』, 東京: 藤原書店, ISBN 4-89434-247-2
浅田彰はトッドを経験主義的と批判している。
トッド『世界の多様性』における家族型
https://ja.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・トッド
1.絶対核家族 (イングランド)
2.平等主義核家族 (フランス)
3.直系家族 (ドイツ、日本)
4.外婚制共同体家族 (ロシア、モンゴル、中国)
5.内婚制共同体家族 (トルコ)
6.非対称共同体家族 (南インド)
7.アノミー的家族 (東南アジア)
8.アフリカ・システム (アフリカ)
トッドはこれら家族制度こそが、社会の価値観を生み出すのだと主張した。
これを先験的(アプリオリ)と表現する。
上記トッド『世界の多様性』における家族型(表は『新ヨーロッパ大全』より)を
柄谷交換図と対応させると、
兄弟関係
非平等 平等
権威・不平等 権威・平等
権威 直系家族3 外婚制共同体家族4
ドイツ、日本 ロシア
親子関係
自由 自由 自由・平等
絶対核家族1 平等主義核家族2
イングランド フランス
トッドの理論は様々な疑問を説明する。例えば、なぜ《共産主義体制》はマルクスが予想したような資本主義先進国
ではなくロシアや中国で実現したのか、なぜ遠く離れたドイツと日本の社会制度が似ているのか、なぜアメリカ人は
自由と独立を重視するのか、などである。説明があまりに明快で決定的だったため、マルクス主義が失墜しつつ
ある当時にあって、新たな決定論であるとして激しい攻撃を受けることとなった。トッドはこれを、倫理的な判断に
よって事実を否定するものであるとし、事実を事実として認める者だけが事実を乗り越えられると述べている*。
またマルクスに代表される、経済を下部構造とするモデルは説明能力が無いとし、家族構造から識字率と経済を説明
するべきであるとした。これより、直系家族である日本がヨーロッパに追い付くが追い越しはしないこと、東南アジア
および南インドが近いうちに中南米を追い越すこと、女性の地位が低い西アジア・中央アジアと北インドが世界で
最も遅れた地域となり、いずれギニア湾岸諸国に抜かれること、などを予想した。
*Todd, Emmanuel (2001), “我が「世界像革命」の歩み”, 『世界像革命』, 藤原書店
浅田彰はトッドを経験主義的と批判している。
カール・マルクス30
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1570258964/
トッド『世界の多様性』における家族型
https://ja.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・トッド
1.絶対核家族 (イングランド)
2.平等主義核家族 (フランス、南米)
3.直系家族 (ドイツ、日本)
4.外婚制共同体家族 (ロシア、モンゴル、中国)
5.内婚制共同体家族 (トルコ)
6.非対称共同体家族 (南インド)
7.アノミー的家族 (東南アジア)
8.アフリカ・システム (アフリカ)
トッドはこれら家族制度こそが、社会の価値観を生み出すのだと主張した。
これを先験的(アプリオリ)と表現する。
上記トッド『世界の多様性』における家族型(表は『新ヨーロッパ大全』より)を
柄谷交換図と対応させると、
兄弟関係
非平等 平等
権威・不平等 権威・平等
権威 直系家族3 外婚制共同体家族4
ドイツ、日本 ロシア、モンゴル、中国
親子関係
自由 自由 自由・平等
絶対核家族1 平等主義核家族2
イングランド フランス、南米
トッドの理論は様々な疑問を説明する。例えば、なぜ《共産主義体制》はマルクスが予想したような資本主義先進国
ではなくロシアや中国で実現したのか、なぜ遠く離れたドイツと日本の社会制度が似ているのか、なぜアメリカ人は
自由と独立を重視するのか、などである。説明があまりに明快で決定的だったため、マルクス主義が失墜しつつ
ある当時にあって、新たな決定論であるとして激しい攻撃を受けることとなった。トッドはこれを、倫理的な判断に
よって事実を否定するものであるとし、事実を事実として認める者だけが事実を乗り越えられると述べている*。
またマルクスに代表される、経済を下部構造とするモデルは説明能力が無いとし、家族構造から識字率と経済を説明
するべきであるとした。これより、直系家族である日本がヨーロッパに追い付くが追い越しはしないこと、東南アジア
および南インドが近いうちに中南米を追い越すこと、女性の地位が低い西アジア・中央アジアと北インドが世界で
最も遅れた地域となり、いずれギニア湾岸諸国に抜かれること、などを予想した。
*Todd, Emmanuel (2001), “我が「世界像革命」の歩み”, 『世界像革命』, 藤原書店
浅田彰はトッドを経験主義的と批判している。
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ここで非平等とは、平等への無関心(絶対核家族)と積極的な不平等(直系家族)を含む用語である。
カール・マルクス30
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1570258964/
トッド『世界の多様性』における家族型
https://ja.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・トッド
1.絶対核家族 (イングランド)
2.平等主義核家族 (フランス、南米)
3.直系家族 (ドイツ、日本)
4.外婚制共同体家族 (ロシア、モンゴル、中国)
5.内婚制共同体家族 (トルコ)
6.非対称共同体家族 (南インド)
7.アノミー的家族 (東南アジア)
8.アフリカ・システム (アフリカ)
トッドはこれら家族制度こそが、社会の価値観を生み出すのだと主張した。
これを先験的(アプリオリ)と表現する。
上記トッド『世界の多様性』における家族型(表は『新ヨーロッパ大全』より)を
柄谷交換図と対応させると、
兄弟関係
非平等 平等
権威・不平等 権威・平等
権威 直系家族3 外婚制共同体家族4
ドイツ、日本 ロシア、モンゴル、中国
親子関係
自由 自由・無関心 自由・平等
絶対核家族1 平等主義核家族2
イングランド フランス、南米
ここで非平等とは、平等への無関心(絶対核家族)と積極的な不平等(直系家族)を含む用語である。
トッドの理論は様々な疑問を説明する。例えば、なぜ《共産主義体制》はマルクスが予想したような資本主義先進国
ではなくロシアや中国で実現したのか、なぜ遠く離れたドイツと日本の社会制度が似ているのか、なぜアメリカ人は
自由と独立を重視するのか、などである。説明があまりに明快で決定的だったため、マルクス主義が失墜しつつ
ある当時にあって、新たな決定論であるとして激しい攻撃を受けることとなった。トッドはこれを、倫理的な判断に
よって事実を否定するものであるとし、事実を事実として認める者だけが事実を乗り越えられると述べている*。
またマルクスに代表される、経済を下部構造とするモデルは説明能力が無いとし、家族構造から識字率と経済を説明
するべきであるとした。これより、直系家族である日本がヨーロッパに追い付くが追い越しはしないこと、東南アジア
および南インドが近いうちに中南米を追い越すこと、女性の地位が低い西アジア・中央アジアと北インドが世界で
最も遅れた地域となり、いずれギニア湾岸諸国に抜かれること、などを予想した。
*Todd, Emmanuel (2001), “我が「世界像革命」の歩み”, 『世界像革命』, 藤原書店
浅田彰はトッドを経験主義的と批判している。
第十四回 長池講義 開催情報
日 時 : 2019年12月1日(日) 15:00~17:00
会 場 :
たんぽぽ舎
東京都千代田区神田三崎町2-6-2ダイナミックビル4F(スペースたんぽぽ)
講 師 : ジョ・ヨンイル、柄谷行人
テ ー マ : 柄谷行人と韓国文学
定 員 : 80名(申込多数の場合は抽籤とします)
入 場 料 :
500円
お申し込み :
こちらからお申し込みください。
文学界2019/12
【講演】柄谷行人「交換様式と「マルクスその可能性の中心」」
交換の場に働く強い力=フェティシズムとは何か? 批評の新たなフェーズを予告する講演録!
429 考える名無しさん[sage] 2019/11/16(土) 12:44:51.65 ID:0
(書評)『近現代日本の民間精神療法 不可視なエネルギーの諸相』
栗田英彦、塚田穂高、吉永進一〈編〉
■国境越えねつ造された起源を暴く
私は学生の頃から、催眠術、西式健康法、野口整体、手かざし、静坐(せいざ)法
などをやってきた。医者に行ってもどうにもならない問題があったからだ。一定の効果
が感じられる以上、それらの療法を斥(しりぞ)ける理由はなかった。それらにどういう
「科学的」根拠があるのかわからないが、そのうちわかるだろうと思っていた。まだ、
そうなってはいない。ただ、「民間療法」と呼ばれる、これらの療法に関する研究は
進んできている。私は以前に『癒しを生きた人々』(1999年)という本を読んだことが
あるが、本書はそれを受け継ぐとともに、もっと本格的に考察を広げている。
そのことは、巻末の「民間精神療法主要人物および著作ガイド」を見れば明白である。
その中に、私にとってなじみのない療法が一つある。それはレイキである。
私は聞いたこともなかった。臼井甕男(うすいみかお)(1865~1926)が考案したとされる
「霊気療法」が一九七〇年代にアメリカなどに伝わり、レイキヒーリングとして大流行した
あと、日本に「レイキ」という名で逆輸入される形で戻ってきて以来、その起源がさまざまに
論じられるようになったのである。禅の修行をした後で京都の鞍馬山で断食を行ったと
されたり、チベットでも修行したとされたりする。また中国思想の「気」の概念で説明される
こともある。
430 考える名無しさん[sage] 2019/11/16(土) 12:46:24.28 ID:0
しかし、臼井に先立って「霊気説」を唱えた玉利喜造(1856~1931)は、すでに
西洋から来た催眠術(動物磁気の理論)に立脚していた。また臼井自身も、ヨーガの
プラーナの概念や呼吸法を取り入れていた。さらに、彼が取りいれたヨーガの理論は、
インドのラマチャラカが書いたと思われているが、実は、アトキンソンというアメリカ人が
書いたものだ。こうなると、どこが起源ともいえない。本書には、海外から三人の著者が
参加しており、それぞれねつ造された起源についても論じているのが面白い。
それらが示すのは、起源がそう信じられているように、インド、中国、日本などにあるの
ではないということである。それはむしろ、一九世紀後半、アメリカに生まれた
オカルティズム、あるいは、神智学などにある。鈴木大拙の禅がアメリカで流行した
ことも、それを示すものだ。実は大拙は、日本に18世紀の神秘主義思想家
スウェーデンボルグを翻訳紹介した人である。編者の吉永進一が示唆するように、
このような傾向をグローバル・スピリチュアリズムと呼んでもよいだろう。
私の考えでは、それはグローバル資本主義と切り離せない。しかし、それに
対抗するためにも、本書のような研究が不可欠である。
評・柄谷行人(哲学者)
452 考える名無しさん[sage] 2019/11/25(月) 16:41:44.64 ID:0
Pierre Riviere なんか合格通知みたいで恐いですねw
今や柄谷の取り巻きも敷居が高くなったということでしょうか
Makoto Sasaki 今回は応募が少なかったのかな
Pierre Riviere まー応募も少なそうだね。
戦後思想総決算大澤本で柄谷インタビューのパート読了しました。
Makoto Sasaki 目新しい話ありました?
Pierre Riviere なんか嫌な感じの話ならありましたがw
Pierre Riviere ああいうマンセー系のインタビューアーは駄目ですよw
まーそうでなかったら柄谷は決して話を引き受けないだろうけどさ。
Pierre Riviere 要するに柄谷行人のすべて問題点を隠蔽するためにこのインタビューは
為されましたという感の話。
Pierre Riviere 次に書かれる予定のシリーズ、
國分の柄谷論もこの調子だったらちょっとヤバいね。NHK出版
451 考える名無しさん[] 2019/11/25(月) 15:51:53.30 ID:0
古須ペク
@pekuhurusu
國分功一郎が柄谷行人について一書をものするのか。出るのは来年7月とな。
https://twitter.com/pekuhurusu/status/1197842725170581504/photo/1
午後8:42 · 2019年11月22日·Twitter for iPhone
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
456 考える名無しさん[sage] 2019/11/26(火) 18:40:35.82 ID:0
柄谷行人と韓国文学 単行本 ? 2019/11/30
ジョ・ヨンイル (著), 高井修 (翻訳)
群像
2020年3月号
批評『マルクスその可能性の中心』英語版序文 柄谷行人
『世界史の実験』、『世界史の構造』、『トランスクリティーク』へとつながる、世界的思想家による思考の原点。
gunzo.kodansha.co.jp/55737/55971.ht…
文学界は12月長池講義
https://nam-students.blogspot.com/2020/03/blog-post_31.html?m=1
以下、『日本近代文学の起源』#4「病という意味」より
《…「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で
東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の
下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。
…
このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。》(定本149~153頁)
以下、New Associationist Movement(NAM)の原理 第二版 より
《…もし匿名投票による普通選挙、つまり議会制民主主義がブルジョワ的な独裁の形式であるとするならば、
くじ引き制こそプロレタリアート独裁の形式だというべきなのである。アソシエーションは中心
をもつが、その中心はくじ引きによって偶然化されている。かくして、中心は在ると同時に無い
といってよい。》
病という意味 の 日本近代文学の起源#4病という意味 …「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病 原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体 (医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、 神学的な枠組は医療の枠組に由来している。 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、 身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。 そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で 東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の 下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。 …フーコーは、フランスの場合、一八世紀における流行病の 状況およびその研究によって、医学が国家的な規模で情報収集、管理、拘束する必要にせまられ、 一七七六年政府によって王立医学協会が設立されたことに、その起源を見出している。このころに 二つの神話が形成された。その一つは国家化された医療であり、医者は一種の聖職者となる。もう 一つは、健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えである。したがっ て、「医師の最初のつとめは政治的なものである(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房)。 医学はもはやたんなる治療技術とそれが必要とする知識の合成物でなく、健康な人間と健康な社会 に対する知識をも意味し、「人間存在の管理の上で、医学は規範的な姿勢をとることになる」(同前)。 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、 且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。 149~153 New Associationist Movement(NAM)の原理 第二版 柄谷行人 2001/07/01 http://nam21.
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660 A[sage] 2020/03/13(金) 20:26:03.61 ID:0
1900年
https://ja.wikipedia.org/wiki/1900%E5%B9%B4
1月15日 - 東京市がペスト予防のため鼠の買上げを開始(1匹あたり5銭)
1月27日 - 各国公使団が清国に義和団の鎮圧を要求
1月28日 - 社会主義協会発足
2月13日 - 足尾銅山鉱毒事件の被害者農民らが東京へ陳情へゆく途中で警官隊と衝突(川俣事件)
4月15日 - パリ万国博覧会開催( - 11月15日)
5月14日 - パリ五輪(第2回夏季オリンピック大会)開催( - 10月28日)
8月8日 - ヒルベルトがパリで行われた国際数学者会議において、「ヒルベルトの23の問題」を発表
8月14日 - 義和団の乱: 連合軍が北京総攻撃開始(翌日陥落)
8月30日 - 幸徳秋水「自由党を祭る文」発表(萬朝報)
9月8日 米国ガルベストン (テキサス州)がハリケーンで壊滅(死者六千名以上)
10月14日 - ジークムント・フロイトの『夢判断』が出版される
12月14日 - マックス・プランクがプランクの法則と共にエネルギー量子仮説を提唱
思想
新渡戸稲造 Bushido The Soul of Japan(「武士道」)。米国滞在中にトランプ遊びに興じながら口述
内村鑑三が「聖書之研究」を創刊
エドムント・フッサール「論理学研究」
アンリ・ベルクソン「笑い」
2019/04/29
弔辞。
これまでの人生で私は葬儀で弔辞を読んだことが二度あります。
その二度とも高橋さん、あなたが来てくれました。
一人は小説家の中上健次、もう一人は太田出版で雑誌「批評空間」の編集長をやっていた内藤裕二。
凡そ30年前そして20年前のことでした。彼らは癌で長く闘病した後で亡くなりました。
しかしあなたは今回突然亡くなられた。そしてわたしももう若くない。
だから私が受けた打撃はそれだけ深刻です。
振り返るとあなたと私の縁が深くなったのは、1990年代はじめ「批評空間」の発行を引き受けてくれた時からです。
平成の始めのことでした。
それまで「批評空間」は別の出版社から出ていたのですがさほど評判にもならなかった。
太田出版であなたが育ててくれて注目を浴びるようになったのです。
次に私は今世紀に入って大阪で新アソシエーショニズム運動、通称NAMを始めたのですが、
それを陰に陽に支えてくれたのも高橋さん、あなたでした。
例えば『NAM原理』を刊行してくれました。その中にはあなたの論文も入っています。
またNAMの事務局を太田出版でやってくれました。
私がお願いしたのではなく私が知らないうちにそのように計らってくれたのです。
またNAM解散後もあなたはアソシエーションの運動を生活クラブ生協で続けてこられた。
おそらくそこでもあなたは目立たないが重要な役割をしてこられたのだと思います。
また2011年の東日本震災の後、私は反原発のデモに参加し始めたのですが、
その時もあなたはアソシエーションJPという運動体を結成し、先頭に立ってくれました。
近年私はあなたの提案でNAMについて振り返りそれを歴史的に検討する仕事を始めました。
そして解散とともに絶版にした『NAM原理』を書き直し、あなたのインタビューとともに
刊行する計画を進めていました。それは今後に必ず実現させる所存です。
振り返ればあなたは私より年少であるのに実際はやんちゃな弟を見守るやさしい兄のような人でした。
ある人が「柄谷はドン・キホーテで高瀬はサンチョ・パンサだ」と言いました。
実際その通りだと思います。
もしサンチョがいなくなったらドン・キホーテはどうするのでしょうか? それが今の私の状態です。
平成の始めに始まった私たちの縁は丁度平成の終わりに終わったように見えます。
しかしそれはそれは終わっていない。
あなたが常に考えてこられた未来の社会は必ず今後に実現されると、そう思います。
Apr 29, 2019
Condolence From.
Twice in my life so far I have read eulogies at funerals.
Both of those times, Takahashi-san, you came to us.
One is the novelist Kenji Nakagami and the other is Yuji Naito, who was the editor-in-chief of the magazine "Criticism Space" at Ota Publishing Co.
That was about 30 years ago and 20 years ago. They passed away after a long battle with cancer.
But this time you passed away suddenly. And I am no longer young.
So the blows I've taken are just that serious.
Looking back, you and I became deeply connected in the early 1990s when you accepted to publish "Criticism Space".
It was the beginning of the Heisei era.
Until then, "Criticism Space" had come out from another publisher, but it wasn't very well received.
It was you who nurtured me at Ota Publishing and brought me into the limelight.
Next, at the beginning of this century, I started the New Associationism Movement (NAM) in Osaka.
It was you, Mr. Takahashi, who supported me through the yin and the yang.
For example, he published "The NAM Principle". Your thesis is included in it.
Ohta Publishing Co., Ltd. also provided the secretariat for NAM.
I didn't ask for it, but he measured it out that way without my knowing it.
Also, even after the dissolution of NAM, you have continued the association movement in the living club co-op.
Perhaps even there, you've played an inconspicuous but important role.
Also, after the 2011 earthquake and tsunami, I started participating in anti-nuclear demonstrations.
At that time too, you formed a motion body called Association JP and took the lead.
Recently I have begun the work of looking back at the NAM at your suggestion and examining it historically.
and rewrite "The NAM Principle", which was out of print with the dissolution of the company, with your interview.
We were moving forward with plans to publish the book. We are determined to make that happen in the future.
Looking back, you were younger than me, but in reality you were like a gentle brother watching over your mischievous brother.
Someone said, "Karatani is Don Quixote and Takase is Sancho Panza.”
I think that's actually true.
What will Don Quixote do if Sancho is gone? That's where I am now.
Our relationship that began at the beginning of the Heisei era appears to have ended exactly at the end of the Heisei era.
But that's not the end of it.
I believe that the future society that you have always been thinking about will be realized in the future.
いうなれば、私はマルクスの思想の核心を、通常彼の著作において中心であると見なされていたような所ではなく、周縁に求めたのです。しかし、私がそのように考えたとき、マルクス自身の言葉からヒントを得た、といえます。彼は一八五八年に、ラサール宛書簡で、かつて学位論文として書いた「デモクリトスとエピクロスの差異」に関して、こう述べた。
君がこの仕事で克服しなければならなかった困難は、僕も約一八年まえにもっとずっとやさしい哲学者エピクロスについて似たような仕事──つまり断片からの全体系の叙述をやったので、僕にはよくわかっている。ついでだが、この体系については、ヘラクレイトスの場合と同じように、体系はただそれ自体エピクロスの著作のなかにあるだけで、意識的な体系化のなかに存在しなかった、と僕は確信している。その仕事に体系的な形をあたえている哲学者たち、たとえばスピノザの場合でさえ、彼の体系の本当の内的構造は、彼によって体系が意識的に叙述された形式とはまったくちがっている。
(マルクスからフェルディナント・ラサール(在ベルリン)へ、一八五八年五月三一日『マルクス=エンゲルス全集第29巻』大月書店)
柄谷実験
貧富の逆転なぜ 変異を比較分析 朝日新聞読書面書評から
歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史
著者:ジャレド・ダイアモンド
出版社:慶應義塾大学出版会
ジャンル:歴史・地理・民俗の通販
価格:3024円
ISBN: 9784766425192
発売⽇: 2018/06/06
サイズ: 20cm/272,41p
ポリネシアの文化進化、アメリカ・メキシコ・ブラジルの銀行制度、フランス革命の影響…。幅広い分野の専門家たちが、それぞれのテーマについて比較史、自然実験で分析した8つの研究…
評者:柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2018年07月28日
歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史 [編著]ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン
本書の原題は「歴史の自然実験」であるが、たぶん歴史の自然実験と聞けば、歴史は実験できるのかと問いたくなるだろう。実は、実験は可能である。ただし、それは科学実験室での操作的実験のようなものとは異なる。自然実験とは、多くの面で似ているが、その一部が顕著に異なるような複数のシステムを比較することによって、その違いが及ぼす影響を分析するものだ。たとえば、ダーウィンは、複数の島で異なる進化を遂げた鳥を比較研究した。同様に、歴史の自然実験とは、それを人類の社会史について行うことだといってもよい。
本書には、歴史学、考古学、経済学、経済史、地理学、政治学にわたって、八つの研究が収録されており、それぞれが興味深いものである。その一つは、カリブ海の同一の島にあるハイチとドミニカ共和国の比較研究である。経済的に見て、前者が際立って貧しいのに、後者は相対的に豊かである。しかし、一九世紀まではその逆であった。この逆転がなぜ生じたかを見るのが、ジャレド・ダイアモンドによる「自然実験」である。さらに興味深かったのは、パトリック・V・カーチによる、太平洋のポリネシア諸島の間に生じた歴史的変異の比較分析である。
これまでの考古学的研究では、ポリネシア人の故郷はトンガやサモア島で、彼らは東南アジアから渡来したと想定されている。彼らは紀元一〇〇〇年ごろに、周辺の諸島に移住を開始し、最果ての地、ハワイまで進出した。そのことは、彼らの言語がポリネシア祖語にもとづいていることからいえる。しかし、これらの諸島の間には、政治社会的組織の点で著しい差異がある。たとえば、ハワイでは王国が生まれた。では、なぜそのような差異が生じたのか。それらを考察する「実験」を通して、世界史一般において、政治社会的組織の変異がいかに生じたかを見ることができる。
私がとりわけこの論文を面白く思ったのは、はるか前に柳田国男が同じようなことをいっていたからだ。彼は「実験の史学」(一九三五年)と題して、「郷土科学」の方法論を論じた。それはまさに「歴史の自然実験」であった。彼の考えでは、極東に位置する日本列島には、主として東南アジアからつぎつぎに渡来した人々が累積しており、そこに人類史におけるさまざまな段階が保存されている。その場合、彼が依拠したのは、言語地理学の仮説(方言周圏説)である。すなわち、日本の東西・南北の離れた地点で一致する言葉があれば、それを歴史的に古層にあると見なしてよい。つまり、柳田は日本列島を、日本人というより、人類史の実験室と見なしたのである。
◇
Jared Diamond 1937年生まれ。進化生物学者。『銃・病原菌・鉄』など▽James A. Robinson 1960年生まれ。政治経済学者。共著に『国家はなぜ衰退するのか』。