木曜日, 5月 30, 2019

MMT「インフレ制御不能」批判がありえない理由 「自民党の一部」が支持の動き、国会でも論議 次ページ » 中野 剛志 : 評論家 2019/05/29 6:20



MMT「インフレ制御不能」批判がありえない理由 「自民党の一部」が支持の動き、国会でも論議 中野剛志 2019/05/29 

参考:



MMT「インフレ制御不能」批判がありえない理由

「自民党の一部」が支持の動き、国会でも論議








MMT批判には「誤解」が含まれている
「財政は赤字が正常で黒字のほうが異常、むしろ、どんどん財政拡大すべき」という、これまでの常識を覆すようなMMT(現代貨幣理論)。関連する新聞報道が増え続ける中、さらには国会でも議論されることが増えている。そのなかで必ずと言っていいほど出てくるのが「MMTで必ず起こるインフレはコントロールできないのではないか」という批判である。こうした批判をどう受け止め、考えるべきなのか。
富国と強兵 地政経済学序説』で、いち早くMMT(現代貨幣理論)を日本に紹介した中野剛志氏が解説する。

自民党の一部にもMMTを支持する動きが

去る4月2日に寄稿した論考「異端の経済理論『MMT』を恐れてはいけない理由」で、筆者はMMT(現代貨幣理論)が、日本で一大ムーブメントを起こすかについて、「残念ながら、筆者は悲観的である。権威に弱く、議論を好まず、同調圧力に屈しやすい者が多い日本で、異端の現代貨幣理論の支持者が増えるなどということは、想像もつかないからだ。そうでなければ、20年以上も経済停滞が続くなどという醜態をさらしているはずがない」と予測した。

『富国と強兵 地政経済学序説』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)
実際のところは、国会でMMTが頻繁に論議されるようになり、また、自民党などの一部にMMTを支持あるいは研究しようという動きが予想以上に出てきた。
その一方で、政策当局(財務大臣・日銀総裁など)はMMTを一蹴しており、マスメディアに登場する学者・評論家・アナリストの大半もまた、MMT批判を展開している。やはりMMTは、「異端」の烙印を押されたままである。
典型的なMMT批判というのは、次のようなものである。
「(財政赤字を拡大させれば)必ずインフレが起きる。(MMTの提唱者は)インフレになれば増税や政府支出を減らしてコントロールできると言っているが、現実問題としてできるかというと非常に怪しい」
MMT批判のほとんどは、このような「インフレを制御できない」というものに収斂している

しかし、この程度の批判しかできない知的貧困にこそ、日本経済の長期停滞の根本原因がある。
順を追って説明しよう。
第1に、日本は20年にも及ぶ長期のデフレである。このような長期のデフレは、少なくとも戦後、他国に例を見ない。今の日本は、インフレを懸念するような状況にはない。長期デフレの日本で「財政赤字の拡大は、インフレを起こす」などと心配するのは、長期の栄養失調の患者が「栄養の摂取は、肥満を招く」と心配するようなものである。
もしかしたら、インフレを懸念するMMT批判者たちは、デフレの異常さや恐ろしさを理解していないのではないか。
デフレとは、需要不足(供給過剰)の状態が続くことである。
需要が不足しているから、消費や投資の抑制が続く。当然にして、経済は成長しなくなり、国民は貧困化する。長期的に見ても、設備投資・人材投資・R&D投資が不足することで、日本経済の成長力そのものが弱体化する。
逆に、インフレとは、需要過剰(供給不足)の状態であり、貨幣価値が継続的に下落する現象である。企業は、旺盛な需要を目指して供給力を強化すべく、積極的な投資を行う。また、貨幣価値が下落していくので、個人も企業も、貯蓄よりも支出を拡大しようとする。その結果、経済は成長する。
要するに、持続的な経済成長はインフレを伴うものなのであり、デフレでは不可能である。
もちろん、過剰なインフレは有害であるが、マイルドなインフレは正常な経済には必要である(『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』)。
だから、正常な経済運営であれば、インフレの過剰を警戒しつつも、デフレだけは絶対に回避しようとする。インフレが心配だからデフレのままでいいなどという判断は、ありえない。
インフレを心配するMMT批判者たちは、デフレの異常さ・深刻さをわかっていないのだろうか。

通常のマクロ経済運営の範囲内で十分に可能

第2に、平時の先進国で、インフレがコントロールできなくなるなどという事態は、想定しがたい。
MMT批判者は「増税や歳出削減は、政治的に容易ではないから、インフレを抑えられない」と言うが、これは甚だしい誤解だ。
例えば、安倍政権同様、2%という控えめのインフレ目標を設定する場合を考えてみよう。
そして財政赤字を拡大して、インフレ率が2%になったら、政府はどうすべきか。

増税も歳出削減も必要ない。単に、2%程度のインフレ率を維持するために、予算規模を前年と同程度にすればよいだけである。それは増税や歳出削減と違って既得権を奪うものではないから、政治的にはるかに容易だ。
しかも、この目標値は、あくまで目安にすぎない。実際のインフレ率は、目標値をやや超過して4%程度になるかもしれないが、そうであっても何の問題もない。インフレ率が許容範囲内に収まるよう、財政支出の規模を安定的に推移させていればよいのだ。
また、所得税(とくに累進課税)は、好景気になると税負担が増えて、民間の消費や投資を抑制するという性格をもつ(いわゆる「自動安定化装置」)。このため、インフレになると、増税や歳出削減をしなくとも、自動的に財政赤字が削減され、インフレの過剰を抑止するのだ。
ほかにも、中央銀行による金利の引き上げによってインフレを退治するという手段もある。
要するに、高インフレを起こさないようにするのは、増税や歳出削減を強行せずとも、通常のマクロ経済運営の範囲内で十分に可能なのだ。

ハイパーインフレは、戦争など極めて異常なケースのみ

仮に増税や歳出削減が必要なほど高インフレになったとしても、日本政府が増税や歳出削減に踏み切れないなどという証拠はない。
実際、日本政府には、過去20年間、高インフレどころかデフレにもかかわらず、消費税率を2度も引き上げ、公共投資を大幅に削減したという実績がある。愚かで不名誉な実績ではあるが、日本政府がインフレを抑止できることを見事に証明しているではないか。
財政赤字の拡大によってインフレがコントロールできなくなるなどという懸念は杞憂なのだ。
その証拠に、歴史上、インフレがコントロール不能(ハイパーインフレ)になるという事例は、極めてまれである。
しかも、そのわずかな事例は、戦争で供給力が破壊された場合、戦時中で軍事需要が過剰になった場合、独裁政権が外資系企業に対する強制収用を行ったために供給不足となった場合、経済制裁により国内が物資不足となった場合など、極めて異常なケースに限られる。
戦後の先進国で、財政赤字の拡大を容認したためにハイパーインフレに陥ったなどという事例は皆無だ。
ちなみに、MMTは、インフレの問題を無視した理論ではない。
むしろ、その逆である。
例えば、MMTに大きな影響を与えたハイマン・ミンスキーは、インフレが問題となっていた1960年代後半から70年代にかけて、その理論を形成・発展させていた。
ミンスキーは、ただ単に財政赤字を量的に拡大して需要を刺激するだけでは、民間投資が過剰になってインフレになる一方で、完全雇用や格差是正が達成できないという可能性があると論じた。そのような悪性のインフレを回避するため、ミンスキーは、公的部門が失業者を直接雇用するなど、有効な政策目的に特定した財政支出を提案した
JOURNAL ARTICLE

Effects of Shifts of Aggregate Demand upon Income Distribution

Hyman P. Minsky
American Journal of Agricultural Economics
Vol. 50, No. 2 (May, 1968), pp. 328-339   12-p

このミンスキーのインフレ抑止策の提案は、検討に値する。ただし、現在の日本は、インフレ抑止策の検討以前に、デフレ脱却を優先しなければならない状況にあるということは、再度強調しておかなければならない。

賃金上昇やインフレを望むなら、グローバル化に制約を

この状況判断は、次の論点とも関わってくる。
第3に、過去30年間、日本経済に限らず、先進国経済は、新自由主義的な経済運営に傾斜したために、インフレが起きにくい経済構造へと変化している。インフレで悩んでいた1970年代以前とは、資本主義の姿がまるで違うのだ。
1980年代以降、日本を含む先進諸国では、労働組合の交渉力が弱体化する一方、規制緩和や自由化による競争の激化、さらにはグローバル化による安価な製品や低賃金労働者の流入により、賃金が上昇しにくくなり、インフレも抑制されるようになった。最近では、ITやAI・ロボットなどの発達・普及が、この変化に拍車をかけている。
また、金融市場の規制緩和や投資家の発言力を強めるコーポレートガバナンス改革により、金融部門が肥大化し、投資家の力が強くなり、労働分配率は低下していった。
つまり、政策的にマネーを増やしても、実体経済、とりわけ労働者には回らず、金融部門に流れていってしまう経済構造になったのである。
その結果、1980年代後半の日本、2000年代前半のアメリカなどでは、好景気にもかかわらず、インフレ率は穏当な水準で推移するという現象が起きた。好景気を牽引していたのは、肥大化した金融市場が生み出した資産バブルであり、賃金上昇や実体経済の需要拡大ではなかったのである。
このため、現在の日本の経済構造では、財政赤字を拡大しただけではインフレは起きない可能性がある。
例えば、日本政府は、本年4月から本格的な移民政策へと舵を切った。このため、財政支出を拡大して需要を喚起しても、海外から低賃金労働者が流入するために、賃金は上昇しないかもしれない。しかも、世界経済の景気後退により、海外から安価な製品や労働者の流入によるデフレ圧力は、さらに増している。
賃金上昇やインフレを望むなら、グローバル化に制約を加えなければならない。バスタブに水を貯めたければ、底の栓を閉めなければならないのだ。
MMT批判者は「財政支出を拡大したら、インフレが止まらなくなる」などと懸念するが、これは、過去20年間の経済構造の変化をまったく考慮していない時代遅れの認識にすぎない。
今日、われわれが本当に懸念すべきなのは、「財政支出を拡大したにもかかわらず、インフレにならないこと」なのだ。
したがって、財政赤字の拡大だけでは、十分ではない。新自由主義的政策によって賃金抑圧的に改造された経済構造を改革し、賃金上昇が経済成長を牽引するようにしなければならない。それは、新自由主義とは正反対の方向の構造改革である。
実は、晩年のミンスキー(1996年没)も、この新自由主義によって歪められた経済構造を修正しなければならないと考えていた。MMTの支持者の多くも、同様であろう。

新自由主義とは正反対の経済構造改革を

以上の議論をまとめよう。
日本は20年にも及ぶデフレであるために、長期の経済停滞が続いている。
したがって、財政赤字を拡大して、デフレを脱却する必要がある。
ただし、新自由主義に基づく改革のせいで、財政赤字を拡大してもインフレが起きない経済構造になってしまっている。
このため、財政赤字の拡大と同時に、新自由主義とは正反対の経済構造改革をしなければならない。
要するに、平成時代に行われた一連の改革とは逆の方向に転換しなければならないということだ。
ところが、日本の政策当局や経済学者らの大半は、インフレのリスクを誇張してMMTを批判し、財政赤字の削減を主張し続けている。日本の長期停滞を招いた従来のパラダイムから抜け出せないのだ。
この日本の現状は、ドイツ生まれのイギリスの経済学者、エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーの次の言葉を思い起こさせる。
「頭のいいバカは物事を必要以上に大きくし、複雑にし、凶暴にする。
逆の方向に転換するにはわずかの才とたくさんの勇気がありさえすればいい」