MMTが間違った政策提言を導き出しているワケ
「インフレは昂進しない」という前提の危うさ
安倍首相は「MMTの論理を実行しているということではない」と述べた。また、麻生財務相もMMTには否定的な見解を述べた(写真:ロイター/Issei Kato)
安倍総理は、国会での質問に答えて、MMT(現代金融理論:Modern Monetary Theory)の提唱する政策を行っているわけではない、と述べたと報道されている。筆者は提唱者の一人であるL・ランダル・レイ(ミズーリ大学教授)の入門書を読んだことはあるが、まさか異端の経済理論とされるMMTが日本の国会で取り上げられるようになるとは思ってもみなかった。
MMTには標準的な体系があるわけではないが、筆者が知っている範囲ではこの本が最も体系的なものなので、自国通貨を持つ国は財政破綻しないという、主流派経済学の常識を外れた理論を、レイ教授の本に即して議論してみたい。
筆者の手元にあるのは、Wray, L. Randall, “Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems”, Palgrave Macmillan. Kindle Edition (2012)で、改訂版が2015年に出版されているので、この最新版の説明とは異なる部分があるかも知れないことはお断りしておく。ちなみに、この本のタイトルがMonetaryではなくMoneyである理由は不明である。
MMTはレイ教授自身が述べているように、2つの部分から成っていると考えるべきだ。ひとつは現実経済の描写であり、もうひとつは政策提言である。筆者は、経済の描写であるMMTの理論部分は注目点は異なるものの主流派経済学と本質的には変わらないと考えており、指摘には共感できる部分が多い。
しかし、失業者を救済して完全雇用を目指すための政策提言を導き出している歴史的な事例についての解釈・評価には、標準的な理解とは大きな違いがあり、筆者は結論には賛同できない部分が多い。ただし、レイ教授の主張はマスコミなどで取り上げられている他の提唱者の主張よりも、かなり慎重なものに思える。
MMTの「マネー」は「貨幣」でなく「金融資産」を指す
MMTの提唱者が主張する財政赤字拡大政策を、国が増発した債券を日銀が購入して通貨供給量を増やすことでデフレから脱却するという政策と、同じ主張であると思っている人もいるようだが、MMTは通貨供給の増加でインフレになるという単純な貨幣数量説の主張を否定している。
MMTでは、マネーという言葉が主流派の経済学とは違うニュアンスで使われているためにこのような誤解が生じ、また主流派経済学者との議論がかみ合わない原因になっているのではないだろうか。
レイ教授は、マネー(Money)と貨幣(currency)とを区別して使っていて、「マネーとは債務(Debt)のことである」と述べている。MMTのいうマネーとは金融資産のことであり、標準的な経済学で呼ぶマネーとはこの中で一般的受容性(誰もが受け取ること)の強い紙幣や銀行を通じた決済に使われる預金だと整理しておくと、MMTと標準的な経済学とを共通の枠組みで比較することができる。
MMTが間違った政策提言を導き出しているワケ
「インフレは昂進しない」という前提の危うさ
標準的な教科書は、貨幣には3つの機能があると説明している。
貨幣(お金)の3つの機能
(1) 価値の保存機能
(2) 交換機能(決済機能)
(3) 価値の尺度機能
貨幣数量説はマネーストックが増えれば名目GDPが増加すると考えるが、この場合のマネーは企業や家計が借り入れで調達したものでも構わない。つまり、(2)の交換機能を重視しているということだ。
一方、MMTでは民間部門の内部でお金の貸し借りをして貨幣が増えても、資産と負債を差し引きすると民間部門全体としては純資産が増加していないので効果がないとして、民間部門の純資産(特に金融資産)を増やすために政府が負債を増やすべきだと考えている。MMTではお金の機能のうちで(1)の価値の保存機能を強調しているということになるだろう。
MMTの特徴は、毎年の経済活動と同時に起こる純資産残高の変化の整合性を強調している点だ。
MMTは部門別の純金融資産の動きに注目
経済学では毎年の生産額であるGDP(国内総支出)が注目されることが多く、それと同時に起こる資産残高の変化はあまり問題にされない。議論されるとしても生産を支えるために適切な水準の生産設備があるかどうかという実物資産を見る場合が多く、経済活動に伴って家計や企業の金融資産と負債がどう変化するかということはほとんど議論されない。
一方MMTは政府・企業・家計・海外という部門別の金融資産と負債、特にそのバランス(差額)である純金融資産の動きを重視している。中でも重要なのは、会計的な関係から、フローでもストックでもすべての部門のバランスを合計すると以下のようにゼロとなるという関係が必ず成り立っているということだ。
(1)フロー
(家計貯蓄-家計投資)+(企業貯蓄-企業投資)+(政府貯蓄-政府投資)-(輸出等-輸入等)=0
(2)ストック(残高)
純金融資産(家計) + 純金融資産(企業) + 純金融資産(政府) + 純金融資産(海外) = 0
以前に東洋経済オンラインのコラム『企業による投資や賃上げが財政再建のカギだ~「経済成長」や「緊縮財政」だけではダメな理由』で取り上げたように、筆者は、この部門別のバランスを合計するとゼロになるという制約が財政再建の議論では無視されがちだと考えているので、MMTの主張には共感する部分がある。
MMTが間違った政策提言を導き出しているワケ
「インフレは昂進しない」という前提の危うさ
MMTが指摘するように、財政赤字が減れば(=「政府貯蓄-政府投資」は増加)、他の部門の黒字が減る。政府債務がネットで減っていれば(=政府の純金融資産が増加)、どこか他の部門の純金融資産が減少しているはずだ。家計や企業がフローの収支悪化や純資産の減少を回避する行動(=支出の削減)をとると、景気が大きく落ち込んでしまったり、景気の悪化で財政赤字が期待したほどは減らなかったりということが起こってしまう。
筆者は、MMTがこの問題を提起しているのは正しいが、失業者の発生や、企業の投資の減少といった経済活動の縮小均衡を避けるために、財政再建をせずに財政を拡張させるべきだという、問題解決の方向性は間違っていると考える。財政再建を成功させるためには、歳出削減や増税で財政部門の収支を改善させる努力をするだけでなく、民間部門の経済構造も変える必要があるというのが正しい理解であろう。
財政危機を訴える際に、政府債務残高の上限として民間貯蓄残高が引き合いに出されることがよくある。しかし、部門別の資産・債務のバランスの合計がゼロという制約があるので、財政赤字分だけ民間部門は黒字になっているはずで、政府債務残高の増加分だけ民間貯蓄残高も増加している。海外部門がない場合(閉鎖経済)を考えると、政府の純債務残高と民間の純金融資産残高は常に同額になるはずなので、危機が起こる政府債務残高の目安としては機能しないはずだ。
筆者は、この点ではMMTの主張は正しいが、財政破綻ということの意味をもっと厳密に定義する必要があると考える。財政破綻は、①原理的に財政赤字をファイナンスできなくなる、②現行制度の下で財政赤字がファイナンスできなくなる、③原理的には可能だが別の問題が生じて赤字をファイナンスしないほうがマシになる、という3つのケースに分けられるだろう。
「インフレが昂進しない」という前提は危うい
MMTが自国通貨を持つ国は財政赤字がファイナンスできなくなることはないというのは、①のような財政破綻は起こらないということを言っているにすぎない。そして、②のような制約があるなら法律や制度を変えればよいと考えている。一方、財政当局や財政学者は現状の制度や法律を前提に、②のケースの財政破たんが起こると主張することが多いので、議論が噛み合わないのは当然だ。
ギリシャのように自国通貨を発行できない政府はともかく、自国の中央銀行と通貨を持つ国であれば、中央銀行に通貨を発行させて政府が支出を賄うことは原理的には可能だから、①のような財政破綻は確かに起こらないことになる。しかし、中央銀行による国債の直接引き受けを禁じている現行制度では財政赤字を出し続けると資金調達ができなくなって破綻する、②の危険があるのは明らかだ。しかし、重要な問題は、法や制度を改正したとしても、③のように財政赤字をファイナンスし続けることが不適当な場合があるということなのだ。
MMTが間違った政策提言を導き出しているワケ
「インフレは昂進しない」という前提の危うさ
MMTの提唱者には完全雇用になるまでは経済には未利用の生産能力があるのでインフレにならないと主張する人もいるが、レイ教授は少し慎重だ。財政赤字による総需要拡大のトリクルダウン効果で失業を解消するという方法は非効率で、既に豊かな人たちをより豊かにすることになり、どこかにボトルネックが生じて経済の一部分だけの賃金上昇や価格上昇からインフレになりやすいと述べている。「完全雇用になるまではインフレにはならず、財政赤字は問題ない」というわけではないのだ。
レイ教授は、MMT提唱者の間で意見の相違があることを認めつつ、職の保証制度(Job Guarantee : JG)をMMTの不可欠な要素だとしている。これを、中央銀行の「最後の資金の貸し手機能」(Lender of last resort)をもじって、"Employer of Last Resort: ELR”とも呼んでいる。失業者に対して政府が直接仕事を提供するという、職の保証制度があれば通貨価値のアンカーになるのでインフレが昂進することはないと考えているようだが、そのメカニズムについては納得のいく説明がない。
政府に最適な行動ができるとは限らない
経済のどこかにボトルネックがあれば、完全雇用が実現する以前にインフレが起こってしまうことはレイ教授も認めている。ボトルネックを回避するための職の保証制度のような仕組みが主要国には存在せず、少なくとも当面採用される見通しもない現状では、財政赤字を使って経済を刺激し続けると、どこかで物価上昇が加速していってしまうおそれが大きいだろう。つまり、③のように財政赤字をファイナンスすることは可能でも他の問題が大きくなってファイナンスし続けることが不適当になるということもありうるのだ。
MMTの提唱者と標準的経済学の信奉者の主張に大きな違いが生まれる一つの要因は、歴史の教訓をどう読むかという点にあると考える。政府が常に悪者であるかのような主張は間違っており、筆者は政府の能力をもっと活用すべきだと考えている。しかし、全面的に政府を信頼するのも行きすぎだ。政府の力はしばしば誤用・悪用されるので、社会に壊滅的な打撃を与えられるほどの力を一つの機関に与えるのは危険だ。
司法・立法・行政の三権分立など、民主的な制度の多くは政府の効率性を下げているが、安全装置として設計されたものだ。MMTの提唱者は、政府が問題が深刻化する前に財政赤字を減らせば大丈夫だと言っているが、こうした場合に政府が最適な行動ができるとは限らない。歴史の教訓は、政治家も選挙民も近視眼的で最適な行動はできず、行きすぎを回避するのは極めて難しいということだ。
MMTが間違った政策提言を導き出しているワケ
「インフレは昂進しない」という前提の危うさ
中央銀行の関係者はしばしば自分たちは政府の一部ではないと主張するが、標準的な経済学の教科書は中央銀行を政府の一部として扱っている。一方、主要国は中央銀行による国債の直接引き受けを禁止しており、教科書もそれが望ましいとしている。その結果、政府が国債を市中で売却して、中央銀行は市中の国債を買い入れるという操作を行っている。これはMMTが指摘するようにムダな操作だ。しかし、なぜこのような非効率な制度を採用しているのかと言えば、安全装置の役割が期待されているからだ。
政府が常に最善な政策を行うのであれば何も問題は起こらないが、政府に自由に通貨を発行できる権限を与えると、必ずと言ってよいほど乱用して経済的な大惨事を引き起こすことを、歴史は教えている。だから、わざわざこのような非効率なことをする制度を多くの国が採用しているのだ。
MMTでも、目標以上の物価上昇が起こった場合には政府支出を抑制することには賛同している。例えば、インフレが昂進するのを抑制するために物価上昇に応じ政府支出が増えるという仕組みを止めるべきだと述べているが、これは、具体的には物価が上がっても生活保護や年金を増やさないといった対応を意味している。
インフレが加速すると貧しい人ほど打撃は大きい
MMTの提唱者は「インフレにならない限り、財政赤字は問題ない」と主張するが、増税や歳出削減には法律改正や政府予算の議決が必要で、それほど機動的に変更できるわけではないから、インフレ加速の危険性が明らかになってから財政赤字を削減しようとしても間に合わない可能性が大きい。目標を上回る物価上昇が起こり、政府が歳出を抑制しても、多額の資産を保有している人たちはひどく生活に困るということはないが、社会保障給付や政府の施策への依存度が高い貧しい人たちの生活は大きな打撃を受ける。
変動相場制下で国債発行に問題が生じず政府支出の削減が行われなかったとしても、海外を上回る物価上昇率のために円安が起こることが、問題を引き起こす可能性もある。資産家は円の下落を予想すればドルなどの海外の通貨に資産を移そうとするだろう。民間部門の保有している純金融資産が大きければ大きいほど、海外への資金逃避による円安は大幅なものとなりやすい。円安によって輸入品価格が上昇し物価上昇に拍車をかけ、それがさらなる円安の原因になるという悪循環に陥る恐れもある。
国内発のインフレにせよ、為替下落によるインフレにせよ、いずれにしても富裕層は影響を緩和する手段をたくさん持っているが、所得や資産の少ない層ほど対応策が少なく苦しい思いをすることになるはずだ。その危険性を考えれば、財政赤字を拡大して完全雇用を目指す方法は低所得者にとってはリスクが大きすぎる。
米中貿易摩擦の激化や英国のEU離脱による欧州経済の混乱などから世界経済が大きく落ち込み失業率が大きく高まるということになれば、総需要を増やして失業者を減らすべきだ。しかし、現在の日本や米国では失業率は長期的な平均水準よりもはるかに低く、労働需給はむしろひっ迫していて、危険を冒してまでさらに失業率を下げる意義は小さい。日本では人手不足にも関わらず賃金上昇率が高まらず、経済の潜在的な成長率が低下していることは確かだが、この問題の解決のためには財政・金融政策による総需要の管理とは別の手段と政策を取るべきなのである。
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MMT(Modern Monetary Theory: 現代貨幣論)をめぐる論争は、議論がかみ合わないことも多い。MMTに関する説明はWEB上への投稿など断片的なものが多く、体系的に説明されたものが少なかったため、理論の前提や提唱者たちがどう考えているのかよく分からない部分が少なくなかったことが一因だ。
MMT論者は政府の管理能力を信用しすぎている(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
櫨 浩一 :ニッセイ基礎研究所 専務理事
MMT論者は政府の管理能力を信用しすぎている
MMT(Modern Monetary Theory: 現代貨幣論)をめぐる論争は、議論がかみ合わないことも多い。MMTに関する説明はWEB上への投稿など断片的なものが多く、体系的に説明されたものが少なかったため、理論の前提や提唱者たちがどう考えているのかよく分からない部分が少なくなかったことが一因だ。
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しかし、2019年になってMMTの提唱者であるビル・ミッチェル教授やランダル・レイ教授が書いたマクロ経済学の教科書(注)が刊行されるなど、体系的に説明された書籍が増えてきたため、全体像が理解しやすくなった。
MMTが前提としている制度や政策運営のルールと、現在多くの国々が採用している政策とは異なっているということが十分に理解されていないことも議論のすれ違いを生んでいる。
(注)Mitchell,William and Wray, L. Randall and Watts, Martin, “Macroeconomics”, Red Globe Press (2019)
■許容できないような物価上昇が起きるか否か
財政赤字の持続可能性の議論では、通常、経済成長率が政府債務の金利を上回っていれば債務の対GDP(国内総生産)比が発散しない、というドーマー条件を満たしているかどうかが検討される。しかし、「自国通貨を持つ政府が財政破綻することはない」と主張するMMTでは、政府支出を賄うために国債を発行せず通貨発行で対応すればよいと考えるので、ドーマー条件を使った議論は適切ではない。
筆者は政府が市場で国債を発行して資金調達するというルールは、政府債務が際限なく増加していかないための歯止め、安全装置として利用されてきたと考えている。このため、MMTの主張の是非を検討するには、以前にも書いたように財政赤字を継続した場合に、許容できないような物価上昇が起きてしまうかどうかを議論すべきだと考える(東洋経済オンライン記事『MMTが間違った政策提言を導き出しているワケ「インフレは昂進しない」という前提の危うさ』ご参照)。
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財政赤字を通貨発行でまかなうことはマネタリーベース(ハイパワードマネー)の増加からマネーストック(通貨残高)の増加を引き起こすので、インフレにつながると考えるのが普通だ。これは長期的には名目GDPを通じて通貨残高(マネーストック)と物価水準には比例的な関係があると考えるからだが、MMTはこのような貨幣数量説的な考えを否定していて、経済の総需要と供給力の差が物価上昇率を決める主因だと考えている。
マネーストックが物価に影響するという考えに基づいて、日本だけでなく主要国では政府が国債を発行する際に、中央銀行が直接引き受けを行うことは原則として禁止されており、市中で消化している。これは、政府が国債を発行することでマネーストックが増加することを回避するためだ。新規に発行される国債を民間金融機関が引き受けると、国債発行額分だけ金融機関の日銀当座預金が減少するので、多くの場合日銀はこれを相殺するような操作を行い、金利やマネーストックが大きく変動しないようにしている。
しかし、マネーストックの変化がインフレを引き起こすわけではないと考えているMMTでは、政府が発行する国債を中央銀行が直接引き受けてマネーストックが増加しても、インフレの原因にはならないと考える。ミッチェル教授は、政府の財政赤字を通貨発行で賄う(明示的財政ファイナンス)ことが国債発行で賄うよりもインフレ的だということはない、と述べている。インフレが起きるかどうかは支出の規模のみに依存しており、総需要の成長速度が生産力の伸びを超えない限りハイパー・インフレーションの危険はないと主張している(注)。
(注)Mitchell, William. “Reclaiming the State: A Progressive Vision of Sovereignty for a Post-Neoliberal World” (pp.187-188). Pluto Press. Kindle 版.
■これまでは民間部門の貯蓄超過が続いた
日本では1990年以降にマネーストックが大幅に増加しているにも関わらず、名目GDPはわずかしか増加していない。古典派のような単純な貨幣数量説が成立していないのは明らかだ。日本はハイパーインフレどころか、前年比2%の消費者物価上昇すら視野に入ってこない状況なので、当面は財政赤字の継続による政府債務残高の増加が高インフレをもたらすという心配は不要に見える。
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しかし、財政赤字が続くと民間部門、特に家計の純金融資産が増加していくので、いずれ状況は大きく変わるだろう。金融資産とは誰かの債務であり、MMTが強調する部門別のフローとストックの会計的な関係で分かるように、政府が財政赤字を続けると民間部門の金融資産は増加していく。1980年度末から2018年度末までの間に、日本の家計は純金融資産の名目GDP比を95.6%から279.5%にまで高めてきた。
家計が金融資産を増やそうとしているときに、誰も債務を増やそうとしなければ家計は目的を達することができないので、さらに消費支出を切り詰めて金融資産を増やそうとする。このため経済は需要不足となって低迷する。だが、政府が減税するなり支出を増やすなりして債務を増やせば、GDPが高い水準に戻り均衡する。
政府が提供する金融資産は通常は国債だが、MMTでは政府と中央銀行を一体と考えるので通貨(実際には民間銀行が日銀に保有する当座預金)だという違いがある。だが、狙っている経済効果には大差がない。金融緩和で株価を上昇させて家計金融資産を増やすというのも、家計の貯蓄意欲を満たすための政策と考えられるだろう。
こうした政策でしばらくの間は経済はフローの均衡を実現することができるが、時間が経てばストックにひずみがたまり、どこかで家計や企業の行動が大きく変化する恐れが大きい。米国のITバブルや、サブプライムローンによる住宅バブルも、金融緩和で株価や住宅価格を上昇させて家計資産を増やすことにより、消費の拡大を維持しようとする政策の結果起きたことだ。景気はしばらく好調だったが、資産価格の上昇を維持できなくなっていずれもバブルが崩壊し、経済が大混乱に陥った。
■団塊世代がもっと高齢になれば取り崩しが始まる
資産価格を上昇させるのに比べれば、財政赤字を続ける方法は家計金融資産の増加が緩やかな分、持続性が高いだろう。しかし、家計貯蓄が黒字のまま維持されるとは限らない。貯蓄を増やすためには消費支出を可処分所得以下に維持し続けなくてはならないが、現在積み上げられている貯蓄の多くは、将来の老後生活に使うなどの目的で蓄えられているものだ。団塊世代が完全に引退して、もっと高齢になって医療や介護で貯蓄を取り崩すようになると、日本の家計部門全体でも、毎年の所得に比べて金融資産が積み上がる状態が止まり、取り崩しが進んでいくと考えられる。
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MMT論者は政府の管理能力を信用しすぎている
日本の場合には人口の高齢化と減少が進むので、子孫のために残す資産は減少し、運用機会を求めて円建て資産から外貨建て資産へのシフトが今よりも活発になるだろう。円高のトレンドが弱まり円安に動き出せば、海外への資本逃避が加速するおそれもある。急速な円安が起こって輸入物価の上昇から消費者物価上昇率が大幅に高まっても、政府が増税や歳出削減を行うには国会の審議を経なくてはならず、対応が後手に回る恐れが大きい。
単純化すると、MMTでは上図の青い線のようにGDPギャップがプラスであれば物価が上昇し、マイナスであれば物価が下落するという関係を想定していることになる。インフレが行きすぎないようにするには、物価上昇率が高まったら、政府支出を削減したり増税したりしてGDPギャップを縮小すれば、物価上昇率は低下すればよいことになっている。
しかし、物価の動きはそれほど単純ではない。物価上昇率の低下が続いたデフレの状況ではGDPギャップと物価上昇率との関係は、赤い線のようにGDPギャップがかなり大きなプラス(需要超過)にならないと物価上昇率がプラスにならない。逆に、過去に物価上昇が続いていたインフレの場合には、黄緑色の線のようにGDPギャップがマイナス(供給超過)になっても物価上昇がしばらく続くというように、過去の物価状況の履歴が残ると考えられている(履歴効果)。
■歴史上、物価のコントロールは難しかった
このため、現在の日本のようにデフレ心理が定着している状況では、GDPギャップをかなり大きなプラスにしないと物価上昇率をプラスにできない。だが、物価が上昇するようになり、上昇率が高くなりすぎた場合、これを適切な水準に引き戻すためには、黄緑色のカーブが示すように厳しい財政引き締めが必要になり、低所得層を中心に生活に悪影響が出るだろう。
世界経済は1970年代から1980年代にかけて、失業率が高いにも関わらず物価上昇率が高いというスタグフレーションに悩まされた。スタグフレーションでは、GDPギャップがプラスになって実際の需要が経済の供給力を超えるよりも前に、物価上昇率が高まってしまう。ミッチェルらのマクロ経済学の教科書にもスタグフレーションの歴史の記述はあるが、どのような政策を行えばよいと考えているのか明確な記述は見当たらなかった。
状況認知の遅れ、判断の誤り、合意形成の遅れなど、最適な政策が最適なタイミングで実施できない可能性は歴史を見れば高い。経済の動きは政府が自在に微調整できるというものではない。スタグフレーションへの対処法などわかっていないことも多いことを考えれば、政府がインフレをうまくコントロールできるというのは、信用しすぎというものではないか。
櫨 浩一 :ニッセイ基礎研究所 専務理事
参考:
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20170109/EconReporter_Cochrane_interview
インタビュアー
サージェントはこの理論を30年以上前に開発しましたが、主流派にこれまで採用されてこなかったのはなぜでしょうか? 何が最近変わったのでしょうか?
コクラン
実際のところ、FTPLはもっとずっと以前に遡ります。アダム・スミスは次のような素晴らしい言葉を残しています:
税のうち一定割合はある種の紙幣で支払わなければならない、と布告した王子は、それによってその紙幣に一定の価値を与えているのである。(国富論、第2冊)
“A prince who should enact that a certain proportion of his taxes should be paid in a paper money of a certain kind might thereby give a certain value to this paper money.” (Wealth of Nations, Book II)
ということで、基本的な考えはアダム・スミスにあったのです。
すべての貨幣経済学における謎は、「この紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのか?」というものです。考えてみれば、それは本当に謎です。あなたも私も一日中額に汗して働き、家に何を持ち帰るのでしょうか? 死んだ大統領の絵が印刷された幾枚かの紙切れです。この小さな紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのでしょうか? 誰かがそれを受け取ると知っているからです。しかしなぜその誰かはそれを受け取るのでしょうか? これが経済学の謎です。
FTPLはこの謎に根本的な回答を与えます。その理由というのは、米国では毎年4月15日に税金を払わなければならないからです。そして納税は、まさにその政府貨幣によって行わねばなりません。かつては羊や山羊で納税していた時代もありましたが、今は受け取ってもらえません。彼らは紙幣を取り戻したがっています。ということで、根本的には、貨幣の価値は、政府がそれを税金として受け取ることから生じているのです。
サージェントの研究はそのことを示す上で極めて素晴らしいものでした。しかしミルトン・フリードマンも、金融政策と財政政策の協調について有名な論文を書いています。ということで、ある意味においては、この理論は昔から存在していたのです。問題は、どの程度重きを置くか、ということに過ぎなかったわけです。
Cochrane, John H. (1998) “A Frictionless View of US Ination.” In Ben S. Bernanke and Julio J. Rotemberg. eds. NBER Macroeconomics Annual 1998. Cambridge, MA US: MIT Press. pp. 323–334.
Sargent & Wallace (1981)
Some Unpleasant Monetarist Arithmetic Thomas Sargent,Neil Wallace (1981)
https://www.minneapolisfed.org/research/qr/qr531.pdf
《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないという、法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうるであろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部
世界の大思想上
1 Comments:
民間の信用創造と政府の信用創造(負債)の中間が抜けている
https://toyokeizai.net/articles/-/278558?page=2
標準的な教科書は、貨幣には3つの機能があると説明している。
貨幣(お金)の3つの機能
(1) 価値の保存機能
(2) 交換機能(決済機能)
(3) 価値の尺度機能
貨幣数量説はマネーストックが増えれば名目GDPが増加すると考えるが、
この場合のマネーは企業や家計が借り入れで調達したものでも構わない。
つまり、(2)の交換機能を重視しているということだ。
一方、MMTでは民間部門の内部でお金の貸し借りをして貨幣が増えても、
資産と負債を差し引きすると民間部門全体としては純資産が増加していないので
効果がないとして、民間部門の純資産(特に金融資産)を増やすために政府が
負債を増やすべきだと考えている。MMTではお金の機能のうちで(1)の価値の
保存機能を強調しているということになるだろう。
MMTの特徴は、毎年の経済活動と同時に起こる純資産残高の変化の整合性を強調している点だ。
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