月曜日, 10月 14, 2019

エスター・デュフロ 「中国における一人っ子政策の諸帰結」 Esther Duflo,“China’s demographic imbalance: Too many boys”(VOX, August 18, 2008)



貧困を減らす実験アプローチ|安田 洋祐|note
https://note.mu/yagena/n/nef09736ede58

貧困を減らす実験アプローチ




本年度のノーベル経済学賞が14日夜(日本時間の18時45分頃)に公表され、
・Abhijit Banerjee(MIT)
・Esther Duflo(MIT)
・Michael Kremer(Harvard)
の3名が選ばれました!
受賞理由は
“their experimental approach to alleviating global poverty”
「世界の貧困を軽減するための実験的なアプローチ」
に対して。デュフロ教授は経済学賞で最年少の受賞者(なんと46歳!)で、女性としては2009年のエリノア・オストロム教授に続いて二人目。いずれも素晴らしい快挙ですね!ご本人も電話インタビューの中で、早すぎる(?)受賞に少し驚かれているようでした。
【関連書籍】
貧乏人の経済学―もういちど貧困問題を根っこから考える』はバナジー&デュフロ両教授による名著。未読の方はこの機にぜひ!経済学の前提知識がゼロでも十分内容を理解することができます^^
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原著(英語版)のKindle価格は日本語訳よりもググっとお安くなんと800円!というわけで、英語が苦にならない方は検討の価値あり、かもしれません。『Poor Economics: A Radical Rethinking of the Way to Fight Global Poverty
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政策評価のための因果関係の見つけ方 ランダム化比較試験入門』はデュフロとクレーマー両教授(+レイチェル・グレナスター氏)による展望論文。彼らの貧困研究でも用いられているデータ分析の手法を学ぶことができる素晴らしい手引きで、監訳者の小林傭平氏による40ページ弱にわたる詳細な解説も圧巻です!
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この本は、2008年に出版された『Handbook of Development Economics, Volume 4』という専門家向け論文集に収録された論文(第61章)を日本語に翻訳したものです。 
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貧困と闘う知――教育、医療、金融、ガバナンス』はデュフロ教授によるコンパクトな単著。上述のベストセラー『貧乏人の経済学』とは一味違った筆致で、医療、教育、 マイクロファイナンス、政治制度といった開発経済学のフロンティアに切り込んだ一冊です。
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ところで、ノーベル経済学賞の発表会見で女性(デュフロ教授)が受賞することの意義について多くの記者が質問していたのが印象的でした。ちょうど、日本で活躍する女性経済学者たちのインタビュー記事をまとめた『本当に伝えたい経済学の魅力』が出版されたばかりですので、番外編として紹介させて頂きます。(実は、冒頭の座談会で司会を務めております)
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ノーベル経済学賞自体の解説については、以前noteで公開した
ノーベル経済学賞って何だろう?をご参照頂けると有難いです。
7年前に、シノドスのイベントで行った荻上チキさんとの対談で、『貧乏人の経済学』に言及しながら、開発経済学における実験アプローチの特徴や意義についてお話しさせて頂きました。こちらもご参考まで!
社会を変える新しい経済学:安田洋祐(ゲーム理論)×荻上チキ
以下では、公式ウェブサイトに掲載された資料のうち、今年度の受賞者たちの業績を(非専門家でも理解できるように)分かりやすくまとめた
Popular Science Background (pdf)の日本語訳を掲載します。(訳出には、自動翻訳サービス「みらい翻訳」を全面的に使用。明らかな誤訳や不自然な箇所は安田が修正しました)
ご関心のある方はぜひご覧ください。一番最後に、【その他の情報】としてTEDやYouTubeでの講演動画も紹介されています!

『世界の貧困層を支援する研究』

世界の貧困を削減する対策を立案する最善の方法は何か。フィールド実験に基づく革新的な研究を用いて、Abhijit Banerjee、Esther Duflo、Michael Kremerは、人類にとって非常に重要なこの疑問に答えるための基礎を築いた。
この20年間、世界のほぼすべての地域で人々の生活水準が著しく向上した。最貧国の経済的幸福(一人当たりのGDPで測定される)は1995年から2018年の間に倍増し、子どもの死亡率は1995年に比べて半減し、学校に通う子どもの割合も56%から80%に増加した。
このような進展にもかかわらず、巨大な課題が残っている。7億人以上の人々が依然として非常に低い所得で暮らしているのだ。毎年500万人の子供が五歳の誕生日を迎える前に死亡しており、その多くは比較的安価で簡単な治療で予防や治療が可能な病気によるものだ。世界の子どもの半数は、基本的な識字能力や計算能力がないまま学校を卒業している。
【世界の貧困を緩和する新たなアプローチ】世界の貧困と闘うために、我々は最も効果的なアクションを見定めなければならない。今年の受賞者たちは、世界の貧困問題を、個人やグループのレベルで、より小さな、しかしより正確ないくつかの問題に分解することによって、どのように取り組むことができるかを示した。次に、特別に設計されたフィールド実験を使用して、これらのそれぞれに答えていった。わずか20年の間に、このアプローチは開発経済学として知られる分野の研究を完全に再編した。この新たな研究は、現在、具体的な成果を着実にもたらし、世界の貧困問題の緩和に貢献している。
豊かな国と貧しい国の平均生産性には大きな違いがあることは、以前から認識されていた。しかし、Abhijit BanerjeeとEsther Dufloが指摘したように、生産性は富裕国と貧困国の間だけでなく、貧困国の中でも大きく異なる。最新の技術を使っている個人や企業もあれば、時代遅れの生産手段を使っている(似たような商品やサービスを生産する)企業もある。このように平均的な生産性が低いのは、一部の個人や企業が遅れをとっているためである。これは、信用の欠如や、設計の不十分な政策を反映しているのだろうか、それとも人々が完全に合理的な投資判断を下すことが困難であると感じているのだろうか。今年の受賞者たちが考案した研究アプローチは、まさにこのような問題を扱っている。
【学校で行われた初期のフィールド実験】ノーベル賞受賞者の最初の研究は、教育に関する問題をどのように扱うかを検討したものだった。最も低コストで教育成果を向上させるのはどのような介入か。低所得国では教科書が少なく、子どもたちは飢えて学校に行くことが多い。もっと多くの教科書にアクセスできれば、生徒の成績は向上するだろうか? それとも無償給食の方が効果的なのだろうか? 1990年代半ば、マイケル・クレマーと同僚たちは、こうした疑問に答えるために、研究の一部をアメリカ北東部の大学からケニア西部の農村部に移すことを決めた。彼らは現地の非政府組織(NGO)と協力して多くのフィールド実験を行った。
なぜ研究者たちはフィールド実験を選択したのか。例えば、より多くの教科書を持つことが生徒の学習成果に与える影響を調べたいのであれば、単に教科書へのアクセスが異なる学校を比較することは有効なアプローチではない。学校はさまざまな点で異なっている可能性があるからだ。裕福な家庭は子供のためにより多くの本を買うのが普通である。また、成績は、本当に貧しい子供が少ない学校の方が良いだろう。これらの問題を回避する1つの方法は、比較される学校が同じ平均的な特性を持つことを保証することである。これは、比較のためにどの学校をどのグループに置くかを偶然(ランダム)に決めることによって達成できる。これは、自然科学と医学における実験の長い伝統の根底にある古い洞察である。従来の臨床試験とは対照的に、ノーベル賞受賞者は、個人が日常の環境でどのように行動するかを研究するフィールド実験を用いてきました。
Kremer氏らは、かなりの支援を必要とする多くの学校を選び、それらを無作為に異なるグループに分けた。これらのグループの学校はすべて追加の資源を受け取ったが、形態や時期は異なっていた。ある研究では、1つのグループにはより多くの教科書が与えられ、別の研究では無償の学校給食が試された。どの学校が何を得たかは偶然に決まっていたので、実験の開始時にはグループ間に平均的な差はなかった。このようにして、研究者たちは、学習結果の後の違いをさまざまな形の支援に確実に結びつけることができた。実験の結果、教科書の増加も無償給食も学習成果に影響を与えなかった。もし教科書が肯定的な効果を持っていたなら、それは最も優秀な生徒にだけ当てはまるものだった。
その後のフィールド実験で、多くの低所得国の主要な問題は資源の不足ではないことが示された。むしろ、最大の問題は、教師が生徒のニーズに十分に適応していないことである。最初の実験では、Banerjee、Dufloらがインドの2つの都市で児童のための補習指導プログラムを研究した。ムンバイとヴァドダラの学校には、特別な支援を必要とする子どもたちを支援する新しい助手がいる。これらの学校は巧妙かつランダムに異なるグループに配置されていたため、研究者は助手の効果を確実に測定することができた。この実験は、最も弱い生徒たちを対象とする支援が短期的および中期的に有効な手段であることを明らかに示した。
ケニアとインドにおけるこうした初期の研究に続き、その他の国々でも、保健、クレジットへのアクセス、新技術の採用といった重要な分野に焦点を当てた多くの新しいフィールド実験が行われた。3人の受賞者がこの研究の最前線にいた。彼らの活動のおかげで、貧困緩和策の効果を調査する際の開発経済学者の標準的な手法となっている。
【理論と結びついたフィールド実験】うまく設計された実験は信頼性が高く、内部的な妥当性[訳注:internal validity = 内的妥当性]がある。この方法は、特に参加者を募った新薬の従来の臨床試験で広く用いられている。問題はしばしば、特定の治療が統計的に有意な効果を有するかどうかであった。
今年の受賞者がデザインした実験には、二つの特徴がある。第一に、参加者は介入群と対照群の両方で日常環境で実際の決定を行った。これは、例えば、新しい政策措置をテストした結果が現場で適用されることが多いことを意味した。
第二に、ノーベル賞受賞者たちは、私たちが改善したいこと(教育成果など)の多くが、数多くの個々の決定(例えば児童や保護者や教師の間で)を反映しているという基本的な洞察に依存している。したがって、持続可能な改善には、人々がなぜ意思決定を行うのか、つまり意思決定の背後にある原動力を理解する必要がある。Banerjee、Duflo、およびKremerは、特定の介入が有効であるか/ないかだどうかけでなく、その理由についても検証した。
参加者の意思決定の動機となったインセンティブ、制約、情報を研究するために、過去の受賞者たちは契約理論と行動経済学を用い、それぞれ2016年と2017年に経済学賞を受賞している。
【結果の一般化】一つの重要な問題は、実験結果が外部妥当性[訳注:external validity = 外的妥当性]を持つかどうか、言い換えれば、結果が他の文脈に当てはまるかどうかである。ケニアの学校での実験結果をインドの学校に一般化することは可能だろうか。専門のNGOや公的機関が、健康改善を目的とした特定の介入を実施すれば、状況は変わるのだろうか。実験的介入が少数の集団からより多くの人々を含むように拡大されるとどうなるか。介入はまた、介入グループ外の個人にも影響を及ぼすのだろうか。なぜなら、彼らは希少資源へのアクセスから締め出されているか、あるいはより高い価格に直面しているからである。
受賞者はまた、外部妥当性の問題に関する研究の最前線に立ち、クラウディング・アウト効果やその他の波及効果を考慮した新しい方法を開発した。実験と経済理論を密接に結びつけることは、行動の基本的パターンがより広い文脈に関係することが多いため、結果を一般化する機会を増やすことにもなる。
【具体的な結果】以下では、受賞者が自らの研究に重点を置いて始めた研究から得られた具体的な結論の例をいくつか紹介する。
<教育>
私たちは今、多くの貧しい国の学校の核心的な問題について明確な見解を持っている。カリキュラムと教育は生徒たちのニーズに合わない。教師の欠勤率は高く、教育機関は概して脆弱だ。
前述のBanerjee、Dufloらの研究では、弱い生徒を対象とした支援は中期的にも強い正の効果があることが示されている。この研究は、新しい研究結果がますます大規模になる児童を支援するプログラムと結びついた、相互作用的なプロセスの始まりであった。これらのプログラムは現在、10万以上のインドの学校に届いている。
他のフィールド実験では、教師に対する明確なインセンティブと説明責任の欠如が調査され、それは高いレベルの欠席に反映された。教師のやる気を高める一つの方法は、成果が出れば延長できる短期契約で彼らを雇うことだった。Duflo、Kremerたちは、これらの期間における教員採用の効果を、恒常的に雇用されている教員1人当たりの児童数を少なくすることによって、生徒ー教師割合を低下させる効果と比較した。短期契約の教師を持つ生徒は有意に良い試験結果を示したのに対して、常勤の教師1人当たりの生徒数が少ないことは有意な効果を示さなかった。
全体的に見て、低所得国における教育に関する実験に基づくこの新たな研究は、追加的な資源投下の価値は一般に限られていることを示している。しかし、生徒のニーズに合わせた教育改革は大きな価値がある。学校のガバナンスを改善し、仕事をしていない教師に責任を求めることも、費用対効果の高い方法である。
<医療>
1つの重要な問題は、医薬品と医療サービスの対価が請求されるべきかどうか、そして請求された場合にはその費用はどうなるべきかということである。Kremerと共著者による野外実験は、寄生虫感染症のための駆虫薬の需要が価格によってどのように影響されるかを調査した。その結果、薬が無料だったときには親の75%が子どもにこれらの錠剤を与えていたのに対し、1米国ドル以下[訳注:の有料]だったときには18%であったことが明らかになった。その後、多くの同様の実験が同じことを発見した:貧しい人々は予防医療への投資に関して非常に価格に敏感である。
サービスの質が低いことも、貧しい家庭が予防対策にほとんど投資しない理由の一つである。例えば、予防接種を担当する保健センターの職員が欠勤することが多い。Banerjee、Dufloらは、医療スタッフが常に現場にいる移動予防接種クリニックがこの問題を解決できるかどうかを調査した。これらの診療所が利用できるように介入した無作為に選択した村では、ワクチン接種率が6%から18%へと3倍に増えた。さらに、子どもにワクチンを接種したときに、その家族がおまけとしてレンズ豆の入った袋を受け取ると、その割合は39%にまで上昇した。移動診療所は固定費が高いので、レンズ豆の追加費用にもかかわらず、1回のワクチン接種あたりの総費用は実際には半分になった。
<限定合理性>
ワクチン接種の研究では、子どもの61%が部分的にしか予防接種を受けられないままであったため、奨励策とより良い治療の利用可能性が問題を完全には解決しなかった。多くの貧しい国でのワクチン接種率の低さには、おそらく他の原因もあるだろう。その一つは、人々が必ずしも完全に合理的ではないということである。この説明は、少なくとも最初は理解が難しいと思われる他の観察の鍵となるかもしれない。
そのような観察の1つは、多くの人々が現代技術の採用に消極的であるということである。Duflo、Kremerらは巧妙に設計された野外実験において、小規模営農者 (特にサハラ以南のアフリカ)が、大きな利益をもたらすであろうにもかかわらず、なぜ人工肥料のような比較的単純なイノベーションを採用しないのかを調査した。理由の1つは、現在バイアスである。現在は人々の意識の多くを占めており、投資の決定を遅らせる傾向がある。明日になれば、彼らは再び同じ決断に直面し、投資を遅らせることを選択する。その結果、個人は将来に投資することが長期的な利益になるにもかかわらず、投資しないという悪循環に陥る可能性がある。
限定合理性は政策設計に重要な意味を持つ。もし個人が現在に偏っているのであれば、一時的な補助金の方が恒久的な補助金よりも優れている。つまり、ここでしか適用されず、現在では投資を遅らせるインセンティブを減じる提案である。これはまさにDuflo、Kremerらが彼らの実験で発見したことである:一時的な補助金は恒久的な補助金よりも肥料の使用にかなり大きな影響を与えた。
<マイクロクレジット>
開発経済学者は、すでに大規模に実施されているプログラムを評価するためにも、フィールド実験を利用している。その一例が、各国におけるマイクロ・ローンの大規模な導入であり、これが大きな楽観の源となっている。
Banerjee、Dufloらは、インドの大都市ハイデラバードの貧困世帯に焦点を当てたマイクロクレジット・プログラムに関する初期調査を行った。彼らのフィールド実験では、既存の小規模企業への投資に対するプラスの効果は比較的小さかったが、消費やその他の開発指標に対する効果は、18カ月でも36カ月でも見られなかった。ボスニア・ヘルツェゴビナ、エチオピア、モロッコ、メキシコ、モンゴルなどで行われた同様の野外実験でも、同様の結果が得られている。
【政策への影響】
ノーベル賞受賞者の活動は、直接的にも間接的にも、政策に明確な影響を与えてきた。当然のことながら、各国の政策形成における研究の重要性を正確に測ることはできない。しかし、研究から政策への直線を引くことができる場合もある。
すでに述べたいくつかの研究は、実際に政策に直接影響を与えている。補習指導の研究は、最終的には大規模な支援プログラムの議論をもたらし、現在では500万人以上のインドの子どもたちに支援が届いている。駆虫研究は、駆虫が学童に明白な健康利益をもたらすだけでなく、親が非常に価格に敏感であることを示した。これらの結果に従い、WHOは、20%以上の子どもたちが特定のタイプの寄生虫感染症にかかっている地域に住む8億人以上の学童に、無料で薬を配布することを勧告している。
また、これらの研究結果によって影響を受けた人数の概算も出ている。その一つが、二人の受賞者が発見に一役買った世界的な研究ネットワーク「J-PAL」だ。ネットワークの研究者による評価を受けて規模を拡大したプログラムは、4億人以上に達している。しかし、すべての開発経済学者がJ-PALに所属しているわけではないため、研究の全体的な効果を過小評価していることは明らかであり、貧困対策には効果のない対策に投資しないことも必要である。政府と組織は、信頼できる方法を用いて評価され、効果がないことが示された多くのプログラムを終了させることによって、より効果的な対策のための重要な資源を公開してきた。
ノーベル賞受賞者の研究はまた、公共団体や民間組織の活動方法を変えることによって、間接的な影響を及ぼしてきた。より良い決定をするために、世界の貧困と闘う多くの組織が、しばしばフィールド実験を用いて、新しい対策を体系的に評価し始めている。
今年の受賞者たちは、開発経済学における研究の形を変えるのに決定的な役割を果たした。わずか20年の間に、開発経済学は、主として実験的な、主流の経済学分野として盛んになった。この新たな実験に基づく研究は、既に世界の貧困の緩和に貢献しており、地球上で最も貧しい人々の生活をさらに改善する大きな可能性を秘めている。
【その他の情報】
Esther Duflo氏のTEDでの講演:貧困と闘う社会実験
https://www.ted.com/talks/esther_duflo_social_experiments_to_fight_poverty/transcript 
Michael Kremer氏によるYouTube講演:ランダム化実験の起源と進化
https://www.youtube.com/watch?v=YGL6hPgpmDE


早過ぎたノーベル賞―貧困への実験アプローチ…の周りの人達

今年もノーベル賞の季節が来ましたね。今年はMITのバナジー教授・デュフロ教授とハーバードのクレマー教授がノーベル経済学賞を受賞しました、おめでとうございます。授賞理由は、開発経済学におけるフィールド実験によって、貧困と戦うための知を切り開いたという点にあります(より詳しい授賞理由はこちら)。このお三方の功績は国際教育協力をやっていれば本当に日々実感する所であり、それはこのお三方がこの賞をいつか受賞しなければおかしいレベルだったので、選考委員会は良い仕事をしたなと思います(余談ですが、デュフロ教授のTEDトークは素晴らしいので、ぜひ見てみて下さい)。

高くて儲かるRCTが氾濫を起こす

ですが、タイミングとしては割と最悪だったように思います。それはなぜかと言うと、今現在この実験アプローチ(主流はRCTなので、以下RCT)が国際協力(日本を除く、重要なので二度言いますが、日本を除く)で氾濫していて、それを悪化させるのではないか、という懸念があるからです。
RCTの特徴の一つに、高いコストが挙げられます。わざわざ途上国まで出向いて、プロジェクト実施前にデータを取って、参加者(学校だったり、村だったり、個人だったりするので「者」という表現も変ですが)をランダム化して、またデータを取るわけですから、高いコストがかかるのは想像に難くないと思います。具体的にどの程度いくかというと、ある程度の規模のRCTであれば、自前のプロジェクトが多くはないような小規模から中規模程度のユニセフのオフィスの、教育部門の予算の1年分を上回ります。
そして、この高いコストが局地的にRCTの資金がジャブついている理由ともなっています。一般的に国際機関がプロジェクト評価をする時には、第三者に依頼するわけですが、この第三者の取り分はオーバーヘッドと呼ばれ、プロジェクトの額に対してX%をかけたものになります。つまり、プロジェクト評価のコストが大きいほど、第三者の実入りも良くなるというものです。オーバーヘッドを無視しても、大きなプロジェクト程人件費を大きくしやすいので、受注側としては儲けやすいのですが。
これだけだと、なぜ資金が局地的にジャブつくのか分からないと思いますが、モーメンタムを持つ儲かる場所にはロビーイングありです。
プロジェクト評価は、あるプロジェクトがどういう結果を導いたのかを知るものなので、RCT程はコストがかからない他の因果推論の方法(IV, DiD, RD, and Panel)が実施可能であれば、これらでもそこまで悪くはないんですよね(※RCTと比べると、やはり仮定が強くバイアスが入りやすい、推計がノイジーになりやすいといった点があるので、コストを度外視すればRCTがベストなのは間違いないですし、米国の少人数学級に関する研究で、この点が示されていました)。
しかし、国際機関の本部で勤務していると、因果推論を理解していないほぼほぼ全てと言ってよい国連職員やドナーに対して、RCTじゃないとダメなんだ、とロビーイングしている団体達の存在に気が付くはずです(そもそも因果推論を理解していないので、一般的な国連職員にとっては、よくあるアドボカシー程度にしか映っていないと思われますが)。
この結果、ドナーはエビデンスという誰もが良いものだと思ってしまう錦の旗の下、というかジャーゴンの下にRCTにジャブジャブお金をつけるようになっていますし(DFIDのValue for Moneyなんかは分かりやすいと思います。あれも、現場の職員はVfMとは何ぞやというのを理解していないので、費用対効果ではなく安物買い競争になっていて酷いものですが…)、援助機関も積極的にRCTを実施するようになっています。
まあ、現場の職員からしても、お金を取ってこないと誰かのクビを切らなければならなくなるので、お金が付くところに注力してしまうのは仕方がないと言えば仕方が無いのですが。
これにより、現在ではRCTが局地的に氾濫を起こしていて、「RCTをする資金は付いたのですが、何かすることありませんか?」と営業にやってくる人を見かけるようになりましたし、Comparative and International Education Societyに行くと、資金が付いたが故に本当にしょうもない事でRCTをしてその結果を発表している団体・NGOをよく見かけます。

「しょうもない」RCT

少し「しょうもない」について解説もしておきましょう。ノーベル賞を受賞された先生方が実施したRCTは、それを実施して新たな知を得ない事には局面が切り開かれないというものばかりでした。それに対して、「しょうもない」RCTというのは、先行研究を読めばわかるうえに、追試をする必要もないようなことを、わざわざ高いお金をかけて、先行研究と変わらない結果を出している物を指します。例えば教員研修のRCTは、CIESや他の教育系の学会でもよく見かけて、カスケード方式の教員研修は上手くいきませんでしたみたいな発表をしていますが、カスケード方式は研修を通じて伝えなければならない情報が伝言ゲームになるので、カスケードの段階が増すほど効果は落ちる、なんていうのはずっと昔から分かっていることで、それを今さらRCTで追試して同じことを発見するというのは、リソースの無駄でしかありません。似た事は現金給付の分野でも見られて、ユニセフの研究部門がRCTを用いた現金給付の研究を進めていますが、国際機関が実施するにしては、正直言ってメキシコで実施された条件付き現金給付の研究結果で十分で、新たにやる必要はないだろうと感じられます。
世銀にいた時に、幹部候補生試験の担当官にinformation interviewをした時に、「教育分野のやつはマジで勉強しない」と文句を言われましたが、国際教育協力でのRCTの氾濫を見ていると、それから10年以上経ったけど、やはり教育分野の人は他分野の人と比べて勉強を全然していながために、しょうもないRCTを通じて車輪の再発明を繰り返し続けているなと感じます。まあ、エビデンスエビデンスと無批判に有難がる多くの国連職員にもこれはそのまま当てはまりますが。モーメンタムを持つ儲かる場所にロビーイングあり、というか援助貴族は貧困に巣食う、というのは何も評価や教育分野に限った事ではないので、新たなジャーゴンやモーメンタムが出てきたら常に疑ってかかるぐらい、もっとしっかりとしてもらいたいものです(自分が体験したわけではなく、本部勤務の際に聞いた話ですが、最近話題の環境問題の分野ですらそういった存在があります。そのカラクリを聞いた時は、自分なんか足元にも及ばない天才がいるものだなと思いました)。

援助貴族は貧困に巣食う

RCTは倫理的に問題があるとよく言われます。しかし、実際の所、RCTには様々なやり方があり、時間差を利用するなど、ランダムにトリートメントを受けられないという倫理的な問題を最小化するための努力や改善が日々為されています。むしろ、今日においてはRCTの倫理的な問題は無作為にトリートメントを受けられない事よりも、このリソースの無駄遣いの方が大きくなっていると感じます。
RCTを推進して、実際にその実施を請け負っている存在達に支払う人件費は、1人当たりでも月に100万円を超えてきます。もちろん、RCTの実施など一人でできる訳がないので、月収100万を超える人達を何人も使うことになります。そして、その人達は往々にしてビジネスクラスのフライトで優雅にフィールドにやってくるわけです。その援助貴族たちの懐に入るお金は、本来、途上国の貧困にあえぐ人たちが受け取るはずだったものです。なんなら現金給付は効果が高いし多岐に渡るというのは既にRCTで分かっているので、しょうもないRCTをやるぐらいならフィールドで現金のバラマキをやった方がよっぽど効果的なようにも思われます。
ないしは、私が実施していた統計のキャパビルプロジェクト(Web-basedのシステムを構築して、それを使いこなせるように地方と中央の教育行政官をトレーニングして、地方の教育事務所にPCとソーラーパネルを配布して、etc.)の総予算がそれなりの規模のRCT1.5回分程度でしたが、StudentやSchool IDを用いた強固なadministrative dataを整備すれば、DiDやRDのようなもう少しコストのかからない因果推論の実施可能性も高まるものですし、RCTでは出来ないモニタリングの機能を果たすことも出来ます(教育行政官が研修によって算数に強くなると、南アや別のセクターに頭脳流出するという課題は残されたままでしたが。。。)。
そのRCTが貧困に巣食う援助貴族を利しているだけではないのか、しょうもないRCTになっていないかチェックするためにも、RCTが行う費用対効果分析、それの費用対効果分析が必要なのかもしれませんね。

RCT自体は必要だし、ノーベル賞の授与は完全に妥当

こう書くと、なんだRCTは高い上に援助貴族の巣窟なのかと思われるかもしれませんが、私はRCTの肯定派ではあります。今現在、途上国における幼児教育や障害児教育の研究をしていますが、1990年からずっと国際的に普遍的な初等教育が念仏のように唱えられてきたため、これらの分野は研究どころか、データもそもそもないという状況になっています(実際に今回のノーベル賞受賞者の先生方も、教育に関しては基礎教育レベルでの実験アプローチが主流です)。このため、intuitiveにもcontradictingなものがいくつもいくつもあり、これをRCTを使って解明しないと、最もmarginalizeされている子供達や、最も重要な教育段階への効果的かつ効率的な支援が出来ないという状態です(データが無いので、他の因果推論の方法をそもそも用いられない…)。
このように、RCT自体は必要かつ素晴らしいものですし、ノーベル賞を受賞された先生方が実験アプローチで明らかにした知は、当時は現在の幼児教育や障害児教育並みによく分からなかったもので、現在では途上国の教育問題に取り組むために欠かせないものとなっています(短期契約の教員の話の様に、知の受け手側に問題があって、無茶苦茶な状態になってしまっている物もありますが、これもRCTや先生方に問題があるのではなく、不勉強な国連職員などの問題です)。
ただ今回の授与は、「しょうもない」RCTが氾濫してしまっている今じゃなくても良かったのにな、氾濫が収まってむしろモーメンタムが必要になった時に授与してくれたらよかったのにな…とは思います。むしろ、絶対にノーベル賞受賞間違いなし&デュフロ教授の指導教官であったアングリスト教授(分野は因果推論)よりも先にデュフロ教授が賞を取ってしまわれたので、師匠であるアングリスト教授がひょっとして受賞できないのでは?などと心配になってしまう順番でしたよね。
さてさて、今回の授与により、しょうもないRCTの氾濫は今後どうなっていくのでしょうか。まあ、その前に、明日の計量経済学の中間試験の心配をした方が良いのですが。。。



121 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2019/10/15(火) 09:42:39.01  ID:XsuDZV9E 
 ノーベル経済学賞に米研究者3人 世界の貧困削減へ実験的手法
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191014/k10012131111000.html

ノーベル経済学賞の選考委員会は、授賞の理由について、
世界的な貧困の削減のために、途上国の実際のデータを使い、
因果関係を分析する実験的なアプローチを取り入れたことを評価したとしています。

このうちデュフロ氏は46歳。ノーベル経済学賞としては、最年少の受賞者で、女性では2人目となります。

デュフロ氏は受賞が決まったあと電話会見に臨み「受賞できるとは思っておらず恐縮だ。
3人の受賞は貧困問題に取り組むたくさんの研究者を代表するものだ」と喜びを語りました。

また「貧しい人たちは絶望的で怠惰だと考えられがちだが、
私たちの研究のゴールは科学的な証拠に基づいて貧困に立ち向かうことだ」と述べました。

ことしのノーベル経済学賞の受賞者に決まった3人が評価された「実験的なアプローチ」とは、
実際に途上国の特定の町や村を実験のフィールドとして使い、
そこにあるさまざまな社会的条件と貧困の緩和の因果関係を探る手法です。

たとえば、貧困を緩和するのに何が必要かを探るため、
ビジネスを行う際に少額の資金を貸し出してもらった人と、
資金の貸し出しを受けなかった人の両方のグループを観察し、
結果にどのような違いが生じるか分析したということです。

その結果、資金の提供を受けたかどうかは、
貧困の緩和に欠かせない人々の健康や教育、
それに女性の社会参加などといった要素には、あまり影響を与えないことがわかったということです。

ことしのノーベル経済学賞に、世界の貧困の削減に関する研究を続けた
アメリカの大学の研究者3人が選ばれたことについて、
ノーベル経済学賞に詳しい慶應義塾大学の坂井豊貴教授は
「3人は発展途上国で徹底したフィールドワークを行って、
貧困を削減するにはどういった政策が効果的なのかを明らかにした。
世界的に貧富の差が広がる中、こうした研究に光があたったのかもしれない」と評価しました。  


125 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2019/10/15(火) 10:10:59.69  ID:XsuDZV9E 
ノーベル経済学賞、米の大学の3氏に 貧困との戦い前進
https://www.asahi.com/articles/ASMBG6J7DMBGUHBI00R.html

3人は、国レベルの問題と考えられがちだった貧困を個人や小さな集団が抱える問題の積み重なりととらえ直し、
どう対処したら効果的に解消に導けるかを実験的手法で検証した。

例えば、初期の研究では、貧困につながる教育の問題は、
教科書の不足や子どもが空腹で登校することに起因すると仮説を立てた。
NGOなどと協力してケニアで改善を試みたが、物品の提供による効果は薄かった。
代わりにインドで行った実験で、勉強が苦手な子どもへのきめ細かい学習支援が効果を生むことを突き止めた。

3人は貧困対策として途上国での教育や予防医療などの向上を提唱した。
インドでは、500万人以上の子どもが研究成果を踏まえた教育プログラムを受けたという。

フィールドワークはこの約20年間で、途上国の貧困軽減効果を研究する手法の一つとして定着した。
アカデミーは3人の研究を「世界の貧困とのたたかいを大きく前進させた」と評価した。
発表会見に電話で参加したデュフロ氏は「問題を一つ一つほどき、
精力的かつできるだけ科学的に対処するよう努めた」と話した。

会見では、デュフロ氏が2人目の女性受賞者となったことも注目された。
デュフロ氏は「女性でも成功できる姿を見せられた。女性が働き続けることを後押しできたら良いし、
男性は彼女たちに、すべての人が得られるべき敬意を表してほしい」と話した。


128 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2019/10/15(火) 10:27:57.89  ID:XsuDZV9E 
ノーベル経済学賞、MITのバナジー氏ら 貧困を緩和
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50967130U9A011C1I00000/

クレマー氏を含めた3氏は、実験により効果を確かめた貧困の具体的な解決手段を提唱。
注目したのは学校教育や子どもの公衆衛生の改善だ。

1990年代半ばにケニア西部で実際に子どもの成績を改善するための実験を繰り返すなど
「小さくても実践的な問題に取り組んだ」(同アカデミー)ことが評価された。

発展途上国への支援は財源が限られるため、3氏はより有効な手法に実験で迫った。
貧困に直面する生徒たちに「教科書」か「無料の食事」のどちらを与えるのが学習への効果が大きいか、
条件をそろえて比較した。

実験結果からは、弱い立場の生徒に支援を絞ると効果が表れたという。

一橋大学の黒崎卓教授は
「発展途上国の現場で社会実験を繰り返し、貧困を解消するための最適な政策を導入する基礎を築いた。
医学で薬の効果を試すような厳密な実験手法を貧困問題に導入した功績は大きい」と話す。

研究成果は現実の貧困問題にも応用された。
同アカデミーによると、インドでは500万人以上の生徒が、受賞者らが築いた教育プログラムの成果を享受したという。

アレックス・タバロック「今年のノーベル経済学賞はバナジー,デュフロ,クレマーが受賞」

Alex Tabarrok “ The Nobel Prize in Economic Science Goes to Banerjee, Duflo, and Kremer” Marginal Revolution, October 14, 2019
今年のノーベル経済学賞は,開発経済学でのフィールド実験を理由にアビジット・バナジーエステル・デュフロマイケル・クレマー(リンク先は各人のホームページ)に与えられた。デュフロはジョン・ベイツ・クラーク賞,マッカーサー「天才」賞を受賞し,今やノーベル経済学賞を受賞した史上2番目の女性で,これまでの受賞者の中で群を抜いて一番若い(これまで一番だったのはアロー1 )。デュフロとバナジーは夫婦なのでノーベル経済学賞を受賞した最初の夫婦ということになるが,ノーベル賞を受賞した最初の夫婦というわけじゃない。過去に夫婦でノーベル賞を受賞してそのうち片方がノーベル経済学賞受賞者だった夫婦がいる。さて,どの夫婦かわかるかな?2

私の大好きな論文の中にマイケル・クレマーの書いたのがふたつランクインしている。ひとつはPatent Buyouts[特許買収]で,私の『Entrepreneurial Economics: Bright Ideas from the Dismal Science』にも収録している。Patent Buyoutsの考えは,政府が特許を買い取ってそれを放棄し,パブリックドメインにそのアイデアを公開するというものだ。政府はどれだけ支払う必要があるだろうか。それを決定するために,政府はオークションを開くことができる。オークションにはだれでも参加できるけれど,落札者は特許をその存続期間の例えば10%だけ受け取り,残りの90%の期間は政府が市場価格で特許を買い取るとしよう。この手続きの価値は,90%の期間私たちはその特許のあらゆるインセンティブ財産を特許の独占によって生じる費用をなんら支払うことなしに得られるということだ。つまりは,イノベーションのトレードオフをなくせるのだ。実際には政府はイノベーションのインセンティブを上昇させるために例えば買取価格に15%上乗せしたっていい。特許買収の考えは非現実的だって思うかもしれない。しかし実のところクレマーはこの考えをさらに推し進め,重要な発展版であるthe Advance Market Commitment for Vaccines[ワクチンのための先進市場委員会]という先駆的業績につなげた。これは今や1億4300万人の子供たちに支給されている肺炎球菌ワクチンの市場を保証するために利用された。ビル・ゲイツもこのプロジェクトの支援のために政府と協力している。
次に気に入っているクレマーの論文はPopulation Growth and Technological Change: One Million B.C. to 1990〔人口成長と技術変化:紀元前100万年から1990年まで〕だ。ひとりの経済学者が経済を100万年にわたって検証したんだ!私は人類についてふたつの見方があると思ってる。ひとつは人々とは胃であるというもの,もうひとつは人々は頭脳であるというものだ。人々は胃だという見方では,より多くの人々はより多くの食い手,より多くの消費者,みんなの取り分が減るということを意味する。人々は頭脳だという見方では,より多くの人々はより多くの頭脳,より多くのアイデア,人々の取り分が増えるということを意味する。私の見方は人々は頭脳だのほうで,これはポール・ローマーの見方(アイデアは非競合的)でもある。クレマーはこのふたつの見方を検証した。彼は長期では経済成長が人口成長とともに増大していることを示した。
おっとクレマーの論文をもうひとつ加えてもいいかな3 。O-Ring Model of Development〔開発のOリングモデル〕は偉大かつ奥深い。(Oリングモデルに関するMarginal Revolution大学の動画はこちら)
ノーベル賞が与えられた業績は,開発経済におけるフィールド実験だ。この研究分野におけるクレマーの第一歩はケニアでの教育政策に関するランダム化実験だ。デュフロとバナジーはフィールド実験の利用をさらに広げて深堀りし,2003年にはPoverty Action Lab〔貧困行動実験室〕を立ち上げた。これは世界中の数百人もの研究者が行った開発経済学のフィールド実験の結節点となっている。
フィールド実験によって,何がうまくいって何がうまくいかないのかについて多くのことが分かった。Incentives Work〔インセンティブはうまくいく〕という論文において,デュフロ,ハンナ,ライアンはインドにおける教師の慢性的な欠勤を監視・減少させるのに成功したプログラムを作り上げた。この教師の欠勤問題はマイケル・クレマーがMissing in Action〔行方不明〕という論文示したように,ふつうの日において約30%の教師が出勤しないという深刻なものだった。しかし,彼らがPutting a Band-Aid on A Corpse 〔遺体にバンドエイドを貼る〕という論文で同様のプログラムを看護師用にはじめたときは,そのプログラムは地元政治家によってすぐに阻まれ,「発足から18か月後,プログラムは完全に無効になった」。同様に,バナジー,デュフロ,グレナースター,キンナンはマイクロファイナンスは良いものだけれど奇跡を起こしはしないということも見出した(ノーベル賞仲間のムハマド・ユヌスにはお気の毒な話だ)。この分野における教訓でもどかしいのは,結果が文脈に依存するという性質と外部への妥当性を見つけることが難しいというものだ。(ラント・プリチェットは「ランダム屋」の批判のなかで,本当の開発はミクロ実験ではなくマクロ政策に基づくと主張している。ワシントン・コンセンサスの成功に関するビル・イースタリーの論文も読んでほしい)。
デュフロ,クレマー,ロビンソンは「肥料の収益率はどれほどか:ケニアでのフィード実験による証拠」について研究した。これは特に面白い研究論文で,というのも収益率は非常に高いのに農家は肥料をあまり使わないということを彼らは見つけたんだ。なんでだろうか。その理由は合理性よりも行動バイアスに関係しているようだ。いくつかの介入には効果がある。
私たちの発見は,肥料の費用にも利益にも影響しない単純な介入が肥料の使用を大きく増大させうることを示唆している。特に,収穫の直後に農家に対して肥料を購入するという選択肢(完全な市場価格,ただし無料配送で)を提供することで,肥料を使用する農家の割合が少なくとも33%引き上げられる。これは肥料価格を50%引き下げた時の効果と同等である(対照的に,追肥用に肥料が実際に必要となる時期に無料配達を提供しても肥料使用率には何の効果もない)。この発見は,低い資料率は低いリターンや信用の制約のせいであるという考えとは非整合的であり,生産に関する意思決定を説明するにあたって非完全合理的な行動が役割を果たしうることを示唆している。
これは途上国の人々が退職貯蓄制度の貯蓄率を調整せず,企業拠出分を活用しないことを思い起させるものだ(セイラーの業績と関係している)。
デュフロとバナジーは彼らのフィールド実験の多くをインドで行い,従来の開発経済学の問題に限らず,政治にも焦点を当てた。1993年,インドは各州における村落評議会議長のうち3分の1を女性に割当てなければならないとする憲法上の制度を導入した。一連の論文において,デュフロは女性が評議会議長となった村のランダム化による自然実験の研究を行った。(チャトパディヤイと共著の)Women as Policy Makers〔政策決定者としての女性たち〕において,彼女は女性政治家が資源配分を女性に関係するインフラへと割り振ることを見出した。(ビーマン他との共著の)Powerful Women〔力強い女性たち〕において,一度女性が村のリーダーになった村では,将来女性がリーダーになる見込みが増大することを彼女は発見した。すなわち,曝露がバイアスを減少させるのだ。
バナジーはランダム屋となる前は理論家だった。彼のA Simple Model of Herd Behavior[群衆行動の単純モデル]も私のお気に入りだ。このモデルのキモは(この論文にある)単純な例で説明できる。2つのレストランAとBがあるとしよう。事前確率では,AはBよりも良いレストランである可能性が若干高いが,実際のところはBのほうが良いレストランだ。人々は順番にレストランを訪れ,それぞれどちらのレストランが良いかのシグナルを受け取るとともに,自分の前の人がとった選択も見る。列の最初の人がレストランAのほうが良いとのシグナル(事実とは異なる)を得たとしよう。この人はAを選ぶ。次に2番目の人はレストランBのほうが良いというシグナルを受け取る。列の2番目の人は最初の人がAを選ぶのも見ているので,この時点でAに1シグナル,Bに1シグナルとなっていて,事前確率ではAの方が良いとなっているので証拠を載せた天秤はAに傾いているので2番目の人もレストランAを選ぶ。列の次の人もBのシグナルを受け取るが,同じ理由でAを選ぶ。実際のところ,100のうち99のシグナルがBであっても全員がAを選ぶのだ。これが群衆というものだ。この連続的な情報構造は情報が無駄になっていることを意味している。したがって,どのように情報が配布されるかによって何が起きるか大きく左右されうる。ツイートやFacebookをするのにたくさん学ぶところがあるだろう。
バナジーはインドの経済史に関する独創的かつ重要ないくつかの論文の著者でもあり,その中でも(アイヤーとの共著の)History, Institutions, and Economic Performance: The Legacy of Colonial Land Tenure Systems in India〔歴史,制度及び経済パフォーマンス:インドにおける植民地時代の土地保有制度の遺産〕が有名だ。 
デュフロのTED Talk動画はこちら。当ブログのデュフロクレマーバナジーに関する過去記事はそれぞれリンク先から。
去年のノーベル賞発表の前にタイラーは以下のように書いた4 。
これまでに予想が的中したことは一度としてない。候補に挙げた人物が後になって(別の年に)受賞した例はあれど、「今年の受賞者は誰々」という予想がばっちり的中した試しは一度としてないのだ。そんなわけでこれまでに候補者として勝手に名前を挙げてしまった面々には大変申し訳なく思うばかりだ(ボーモル、ごめんよ)。・・・と言いつつ懲りずに今年も予想させてもらうとすると、エスター・デュフロ(Esther Duflo)&アビジット・バナジー(Abihijit Banerjee)の二人に一票といかせてもらうとしよう。マイケル・クレマー(Michael Kremer)も一緒に付け加えてもいいかもしれないが、開発経済学の分野にランダム化比較試験(RCT)を持ち込んだ第一人者というのが受賞理由だ。
タイラーの予想どおり,彼は間違っていたけど正しかった。というわけで今年の受賞は時機を得たものだし,十分に彼らの功績は十分にそれに見合うものだ。3人ともおめでとう。
  1. 訳注;アローの受賞は51歳のとき,デュフロは46歳 []
  2. 訳注;正解はhicksian氏訳の過去記事を参照。 []
  3. 訳注;この一文は当初掲載時にはなく,後から書き足された。 []
  4. 訳注;以下の引用部分はhicksian氏による訳を使用した。 []



エスター・デュフロ 「中国における一人っ子政策の諸帰結」

●Esther Duflo, “China’s demographic imbalance: Too many boys”(VOX, August 18, 2008)

中国で実施されている一人っ子政策は1980年代から90年代にかけて出生性比(出生児の男女比)の急激な上昇をもたらすことになった。「一人っ子」世代が大人になるにつれて、犯罪の増加をはじめとした様々な問題が表面化し始めている。
中国は目下のところ共産主義の過去から抜け出そうとしている最中にあるが、それと同時に1980年代から90年代にかけての時期に仕掛けられた時限爆弾が今まさに破裂しそうな瀬戸際に立たされてもいる。かつての人口政策(人口抑制策)の影響が徐々に表面化し始めているのだ。
中国における人口政策として最も有名なのは何と言っても「一人っ子政策」である。中国で一人っ子政策が開始されたのは1978年のことだが、それ以降何度か緩和に向けた見直しがなされながらも現在も依然として続行中である。現行制度の下では、夫婦がどちらとも1人っ子である場合は子供を2人まで持つことが許されており、農村部においては第1子が女児である場合はもう1人子供をもうけてもよいことになっている。しかしながら、1980年代から90年代にかけては――地域ごとに若干の違いはあるものの――非常に厳格な運用がなされており、「上限数」を超える子供を抱えた夫婦には罰則が科せられたのであった。「上限数」を超える子供を抱えた夫婦は罰金を支払わねばならなかっただけではなく、「上限を超過した」子供の教育費や医療費を全額自己負担せねばならなかったのである。
一人っ子政策は鄧小平の指揮の下で導入されたわけだが、この積極的な産児制限策はそれ以前の毛沢東時代における「人が多いのはいいことだ」(“more people, more power”)とする方針と真っ向から対立するものだった。中国の今後は経済をうまく管理できるかどうかにかかっており、経済を管理する上では産児制限が重要な鍵を握っている。鄧小平はそう考えた上で一人っ子政策を推進したのである。
産児制限という目的に照らす限りでは一人っ子政策は大きな成功を収めたと言える。しかしながら、中国は元々男児選好の強い文化的な伝統を持つ国であったという事情も重なって、一人っ子政策は女児と男児の数の面で大きなアンバランスを生み出す格好となった。さらには、胎児の性別判断が技術的に可能となった結果として男女を産み分けるための中絶手術が普及することにもなったのである。
男児選好や女児の中絶、幼い女児の高い死亡率といった現象は中国に特有のものというわけではなく、さらには一人っ子政策だけにその責が帰せられるというわけでもない。同様の現象はインドや台湾、パキスタンといった国々でも見られるものであり、さらにはそれらの国々からアメリカに移住した移民の間でも広く観察される現象である1。しかしながら、一人っ子政策は男児を持ちたいと望む夫婦に最初に生まれてくる子供(そして唯一持つことが許されている子供)が女児とはならないように「強いる」ことで男女の数のアンバランスを加速する役割を果たした可能性はある。例えば、産児制限が実施されていない台湾では1986年に中絶が法的に認められてからというもの男女の産み分けが盛んとなったが、中絶手術が試みられているのはあくまでも第3子以降であることがわかっている2。また、中国では制度の運用が緩い地域があったり、80年代以降になると農村部では第1子が女児である場合は第2子の出産が認められることになったが、そういったケースでは第1子に関しては出生性比(出生児の男女比)は標準的な水準とほぼ同じであるが、第2子に関しては出生性比が飛びぬけて高くなっている(女児に比べて男児の数が飛びぬけて多くなっている)のである3
一人っ子政策に加えて男児選好や中絶手術の普及といった要因が重なった結果として中国では1980年代から90年代にかけて男児の数が女児の数を大きく上回ることになった。1978年の時点では100人の女児に対しておよそ102人の男児が存在する計算(男児の数が女児の数の1.02倍)だったが、1998年の時点になると100人の女児に対して112人を上回る男児が存在する(男児の数が女児の数の1.12倍以上)という状況になったのである。そして今現在は100人の女児に対して120人もの男児が存在する状況(男児の数が女児の数の1.2倍)となっており、数にして男児が女児よりも3700万人も多くなっているのである。
「一人っ子」世代も年をとり続々と大人の年齢に達しつつある(例えば1980年に生まれた子供は現在(2008年現在)28歳である)わけだが、それに伴って出生性比のアンバランスの影響が徐々に表面化しつつある。例えば、16歳~25歳の年齢層に目を向けると100人の女子に対しておよそ110人の男子がいる計算(男子の数が女子の数の1.1倍)になるが、その結果として(女性の数が相対的に少なくなっているために)若い男子(男性)が結婚相手を見つけることがますます難しくなっている。若い男子(男性)――とりわけ独身の男性――は若い女子(女性)に比べると行動上の問題を抱えがちであり犯罪を犯しやすいと言われている。例えば、アメリカの西部開拓時代に暴力に向かう傾向が強く見られた理由は(若い男性が中心となって体現していた)フロンティア精神(“frontier town” mentality)にその原因があるとはよく指摘されているところである。中国では1998年以降に犯罪件数が平均して年率13%のペースで増えているが、逮捕者の70%が16歳~25歳の若者であり、そのうちの90%は男性という結果になっている。
若い男性の数が(同世代の女性の数と比べて相対的に)増えていることと犯罪件数が増えていることとの間には一体どのようなつながりがあるのだろうか? 中国籍とアメリカ籍の研究者たちが手を組んで行ったつい最近の研究4でまさにこの問いが検証されている。この研究では1998年~2004年の期間を対象として一人っ子政策が厳格に適用されている地域とそうではない地域(第1子が女児の場合は第2子の出産が認められており、その結果として出生性比が標準的な水準とほぼ変わらない地域)との間の犯罪状況が比較されており、精緻な実証分析の結果として犯罪が増加している原因のうち7分の1は一人っ子政策5によって説明できるとの結論が導き出されている。
人口全体に占める若い男性(犯罪を犯す可能性の高い存在)の割合が高くなっていることに加えて、(女性の数が相対的に少なくなっているために)若い男性が結婚相手を見つけにくくなっていることも犯罪が増えている理由の一つとなっている可能性がある。
つい最近のニュー・リパブリック誌でも引用されているが6、ベトナム帰還兵を対象に長いスパンにわたって行われた実験がその手掛かりをいくつか与えている。テストステロンと言えば攻撃性や暴力と深い関わりのある男性ホルモンの一種として知られているが、被験者である帰還兵の男性が結婚するとテストステロンの濃度が低下する一方で、反対に離婚するとテストステロンの濃度は増加する傾向にあったという。実験の期間を通じてずっと独身のままであった男性のテストステロンの濃度は高い水準を保っていたというが、独身の男性がとりわけ攻撃的である理由はテストステロンの濃度が高いことと関係があるのかもしれない。
一人っ子として育てられること自体も何かしら関係があるかもしれない。中国の農村部においては第1子が女児の場合は第2子の出産が認められる地域があるということはこれまでに何度か触れてきたが、そのような地域に暮らしている第1子の(弟ないしは妹を持った)少女は子供の出産が1人しか認められていない地域の子供(第1子)に比べて学校に在籍する期間が長い傾向にあるという7。兄弟姉妹の数が増えることは競争(あるいは対立)をいたずらに煽る結果になるわけではなく、むしろお互いのためになるようである。「1人っ子」世代は「孤独な」世代と言えるのかもしれない。
ともあれ、将来的に一人っ子政策が更なる緩和の方向に向かうようなことがあったとしても、中国は今後しばらくの間にわたって(過去の)一人っ子政策(の影響)に頭を悩まされ続けることだろう。
  1. 原注;詳しくは以下の論文を参照のこと。 ●Jason Abrevaya(2009), “Are There Missing Girls in the United States? Evidence from Birth Data”(American Economic Journal: Applied Economics, vol.1(2), pp.1-34)/●Almond, Doug and Lena Edlund(2008), “Son-biased sex ratios in the 2000 United States Census”(Proceedings of the National Academy of Sciences, vol.105, pp.5681-5682) []
  2. 原注;詳しくは次の論文を参照のこと。 ●Lin, Ming-Jen, Liu, Jin-Tan and Qian, Nancy(2008), “More women missing, fewer girls dying: The impact of abortion on sex ratios at birth and excess female mortality in Taiwan”, CEPR Discussion Paper 6667. []
  3. 原注;詳しくは次の論文を参照のこと。 ●Nancy Qian, “Quantity-Quality: The Positive Effect of Family Size on School Enrollment in China(pdf)”, Brown University mimeograph. []
  4. 原注;Lena Edlund, Hongbin Li, Junjian Yi, and Junsen Zhang, “Sex ratio and crime: Evidence from China’s one-Child Policy(pdf)”(IZA Discussion Paper No. 3214, December 2007;その後、The Review of Economics and Statisticsに掲載) []
  5. 訳注;一人っ子政策の影響で若い男性が同世代の女性に比べて相対的に増えていること []
  6. 原注;“No Country for Young Men”, by Mara Hvistendahl, New Republic, July 9, 2008. []
  7. 原注;詳しくは次の論文を参照のこと。 ●Nancy Qian, “Quantity-Quality: The Positive Effect of Family Size on School Enrollment in China”, NBER Working Papers No. 14973 []