土曜日, 11月 09, 2019

亀﨑澄夫「ストックとフローの首尾一貫した資本の蓄積過程-Marxian stock-flow-consistent Model の構築-」



亀﨑澄夫「ストックとフローの首尾一貫した資本の蓄積過程-Marxian stock-flow-consistent Model の構築-」2019/3

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Kestrel (@tagomago712)
ストック−フロー一貫モデルと従来の計量経済モデルの違い - himaginary’s diary himaginary.hatenablog.com/entry/20160905…[★]


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第2論文、亀﨑澄夫氏の「ストックとフローの首尾一貫した資本の蓄積過程-Marxian stock-flow-consistent Model の構築-」は、ポストケインズ派のWynne Godleyらによるストック・フロー・コンシステント・モデル(SFCモデル)を参照しつつ、資本回転論と社会的総資本の再生産論を合体させることによって、マルクス派のSFCモデルの形成をはかった論文です。ケインズ派の理論では付加価値部分(国民所得)だけがSFCモデルの対象となっていますが、マルクス派のSFCモデルでは中間財の再生産もモデルの対象となっています。


3: 
 ところで、GodleyらによるSFCモデルは、ケインズ・カレツキの経済理論とR.  ストーンの社会会計とに基づいて、経済の制度的諸部門のストックとフローとを首尾一貫させたポスト・ケインジアンの体系であり、ケインズ派の国民所得論に特徴的である中間財を考慮しない体系である。SFCモデルにおける取引フロー・マトリックスが「扱うのは付加価値だけであり、中間財生産に付随する錯綜した相互依存関係は捨象される」(マルク・ラヴォア〔2008〕、104頁)。しかし、マクロ経済において、資本のストックとフローとが相互に関連するのは、諸産業と金融機関などのあいだだけではない。むしろ、それら経済諸制度が存立するマクロ経済の基盤は、諸産業の資本相互の絡み合いやそれらと諸収入の運動との絡み合いにある。取引フロー・マトリックスに現れる商品取引や金融取引は、生産過程に定在する「中間財」の補填(フロー)とそれをもたらす中間財ストックの更新・増大とに密接に関連している。それゆえ、SFCモデルの構築において、中間財生産とその補填とが、「錯綜した相互依存関係」にあるからといって「捨象」されてよいわけはない。むしろ、ストックとフローの一貫的関連が典型的に出現するのは、企業会計の財務諸表にみられるように企業活動(資本回転運動)においてであり、マクロ経済の理論的枠組みは、最終財のみならず、社会的な総資本運動の「中間財生産」を包含するものでなければならない。 
 本稿は、『資本論』体系を基礎に、資本ストック(投下資本量)と商品・貨幣(資金)フローとが資本主義経済のなかでどのような相互依存関係を展開するかを、首尾一貫した理論的枠組みのなかで示すことを目的とする。とりわけ、産業資本の現実的蓄積とそれに随伴する貨幣的・資金的側面との関連に焦点をあてつつ、資本ストックと商品・貨幣フローとの相互依存関係を明かにしたい。本稿は、銀行等の金融システムを捨象した産業資本(家)と賃金労働者のみの経済過程を対象に考察するが、そこにおける資本蓄積の現実的側面と貨幣的側面の統合された解明が、銀行などの金融システムに仲介される資本主義経済の具体的な動態を解明する理論的な基盤となる。産業資本が市場において相互にどのように絡み合みあいながら社会的な蓄積過程を展開するのか、またその蓄積運動が労働者・資本家の所得の運動とどのように関連するかは、資本ストックと商品・貨幣フローの統合的枠組みによってのみ市場機構的な具体的な明確さを獲得する。それはまた資本家的再生産・蓄積過程における貨幣・資金の運動分析の不可欠性と重要性を示すであろう。Godleyらによるポスト・ケインジアンのSFC体系との対比でいれば、本稿は、資本回転論と資本の再生産過程という『資本論』の伝統に基づくMarxian  stock-flow-consistent  モデルの構築をめざしている注4。 

14:
 資本aが想定された拡大された規模での資本回転を遂行するために必要とするt1 期首の資本ストックと内訳を示せば、次のようになる。(〔  〕に計算の基礎を示す)。 
資本aの資本ストックと内訳(t1期) 
貨幣資本ストック  182.883:〔6.839p1+6.546p2+6.546p3+39.860w〕 
生産資本ストック    340.688:〔19.637p1+13.091p2+6.546p3+78.549w〕 
商品資本ストック  360.988:〔13.091p1+13.091p2+13.091p3+78.549w〕
 総投下資本            884.559 
 貨幣資本ストックの必要額には、t25期末に貨幣資本に還流する資本価値180.494のほかに、t25期末に実現される利潤6.712から資本化される蓄積額2.388を含んでいる。 
  以上、均斉的成長という想定のもとで、産業1を構成する個別資本a~fが、産業1の資本蓄積と整合した形で、どのように資本蓄積をするかが、明らかになった注17。 


18:
 資本主義経済における資本蓄積のこのような現実からみると、本稿の蓄積資金の不足という事態について主張しうることは次の点である。すなわち、社会的総資本の蓄積過程で明らかにされるべき理論的要点には、すでに明らかにされている社会的再生産・蓄積の現実的条件や「資本主義に特有なる人口法則」注24の解明のほかに、資本の再生産・蓄積に伴う貨幣的・資金的条件の解明が不可欠であるという点が、それである。拡大再生産を資本家的に達成する貨幣的・資金的条件は、本稿で見てきたように、再生産・蓄積の現実的条件との密接に関連する貨幣・資金フローを介して、資本ストックの分析に統合されなければならない注25。その貨幣的・資金的条件の解明は、宇野弘蔵の原理論体系でいえば、「流通論」における貨幣論の諸規定が「生産論」の「社会的総資本の再生産過程」においてどのように展開されるかを明らかにし、生産論における貨幣的・資金的な解明を基礎に「分配論」における利子論・信用論が展開されるという関係にある。さらにいえば、それは、資本蓄積の現実的条件や資本家的人口法則と絡み合いつつ、景気循環における資金需給や利子率の動向の解明にとって基礎的規定となるのである注26。 

注4 
D. K. Foley〔1986〕(『資本論を理解する』とくに第Ⅱ部)は、『資本論』第二部の資本循環論を基礎にフローと資本ストックの首尾一貫した数学的モデルを展開しているが、それは資本主義経済の動態分析のためのMarxian stock-flow-consistent  モデルの1つである。 

注26
D.K.Foley〔1986〕は、マルクスの拡大再生産表式を考察して、そこでは「生産された商品にたいする総貨幣需要は、拡大再生産を支障なく維持するために必要な額より小さい」(p.112)と述べている。本稿では現実的・実物的条件について需給一致を想定しているので、同じ事態は、蓄積資金(ストック)の不足という形で現れる。守山昭男〔2013〕は再生産表式の取引を媒介する貨幣流通を詳細に検討し、拡大再生産やそこにおける固定資本の補填において「貨幣の還流不足」(102頁)を指摘し、産金業による貨幣材料の再生産および「追加貨幣」(106頁)の供給を論じている。 



参考文献:
Duncan  K.  Foley〔1986〕、Money,Accumulation  and  Crisis、Harwood  Academic  Publishers GmbH、『資本論を理解する』第Ⅱ部所収(竹田茂夫/原信子訳、法政大学出版会、1990年) 
W.Godley  and  B.Zezza〔2006〕、‘Debt  and  Lending:A  Cri  de  Couer’、Policy  Note、Levy Economic  Institute  of  Bard  College 
W.Godley,et  al〔2007〕、‘The  U.S.  Economy:Is  there  a  Way  out  of  the  woods?’、Strategic Analysis、Levy  Economic  Institute  of  Bard  College 
W.Godley  and  M.Lavoie〔2006〕、Monetary  Economics、Palgrave  Macmillan 
M.Nikiforos  and  G.Zessa〔2017〕、‘stock-flow-consistent Macroeconomic Models:A Survey’、Working  Paper  No.891、Levy  Economic  Institute  of  Bard  College 
Marx,  Karl、Das Kapital、3vols、Diez Verlarg(マル=エン全集刊行委員会訳『資本論』全5 冊〔1968〕、大月書店)。なお『資本論』からの引用は煩雑さを避けるために、 上の翻訳を使い、『資』と略記し、部数はⅠなどのローマ数字で示し、『資』Ⅰ、頁数で記す。 
宇仁宏幸・坂口明義・遠山弘德・鍋島直樹〔2010〕、『入門社会経済学』(第2版)、ナカニ       シヤ出版 
宇野弘蔵〔1964〕、『経済原論』、岩波全書 
大野隆/西洋〔2011〕、「カレツキアン・モデルの新しい展開」、『季刊経済理論』第47号第4号 
関根友彦〔1995〕、「価値法則の必然的根拠--その論証と意義--」『地域分析』(愛 知学院大学産業研究所所報)第34巻第1号 
亀﨑澄夫〔2014〕「資本の回転と財務諸表」『経済科学研究』(広島修道大学)第17巻第2 号 
亀﨑澄夫〔2017〕「資本の再生産過程における貨幣流通」『経済科学研究』(広島修道大学)第20巻第2号 
守山昭男〔2013〕「商品貨幣と貨幣の循環」、『経済科学研究』(広島修道大学)第16巻第 2 号 
マルク・ラヴォア〔2008〕、『ポストケインズ派経済学入門』、宇仁宏幸・大野隆訳、ナカ ニシヤ出版 


★★

20:

 理論的なSFCモデルの場合、長期均衡とは、そこでストック-フロー比率が安定している状態と定義される。言い換えると、ストックとフローが同じ率で成長するのである。システムはシステムがこうした均衡へ向かうのは短期均衡が連続する状態で、したがってカレツキーの言葉でいう「長期トレンドとは、短期状況の連鎖の諸要素の緩慢な変化でしかない。つまり独立した状態ではないのである」(Kalecky 1971: 165)。


邦訳カレツキ1984:

第15章

趨勢と景気循環

[1968]

1. はじめに

 資本主義経済の成長に関する今日の理論は,景気循環理論で用いられるのと

同様のアプローチをとるというよりはむしろ, この問題を移動均衡の見地から

考察する傾向にある。前者は2つの関係を設定することから成り立っている。

1つは,投資によって生み出された有効需要の, 利潤と国民所得に及ぼす影響

に基礎をおくものであり,いま1つは, 投資決意が, 大雑把にいって,経済活

動の水準とその変化率とによって決定されることを示すものである。最初の関

係にはいまではこれといって複雑な問題点も含まれていない。 2番のものは,

私の考えによれば, いまでもやはり経済学の中心論点(pièce de résistance)

たるを失わない。

 このアプローチが長期的成長という問題を前にしてなぜ放棄されなければな

らないのか,私は理解に苦しむ。実際,長期的越勢というものは, 短期的状態

の連鎖のうちの変化がなだらかな構成部分にすぎないのであって,それは独立

の実体などなんらもたず, 上にあげた2つの基礎的関係も, 景気循環現象を伴

う趣勢を生み出すような形で定式化さるべきなのである。なるほどこの仕事は,

別の抽象化,すなわち「純粋景気循環」の場合に比べると比較にならぬほど

因難であり,このような探求の結果は, 以下みていくように, この場合ほど

「機械的」ではない。しかしだからといってこのようなアプローチを放棄して

もいいということにはならず, 私にはこれこそが資本主義経済の動態に関する

現実的分析の唯一の鍵となるように思われる。

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ストック−フロー一貫モデルと従来の計量経済モデルの違い - himaginary’s diary

https://himaginary.hatenablog.com/entry/20160905/SFC_model

ストック−フロー一貫モデルと従来の計量経済モデルの違い

サイモン・レン−ルイスが、SFCモデル(Stock-Flow Consistent model)なるモデルをブログで批判的に取り上げている

レン−ルイスがWikipediaから引用するところによれば、SFCモデルとは、「a family of macroeconomic models based on a rigorous accounting framework, which guarantees a correct and comprehensive integration of all the flows and the stocks of an economy(厳密な会計のフレームワークに基づくことにより、経済のすべてのフローとストックを正しく包括的に統合することが保証されたマクロ経済モデルの一群)」とのことである。

レン−ルイスは、英国のSFCモデルを提示したBOE論文から、SFCモデルをDSGEモデルと比べた場合の長所と短所を列挙した表を引用している。以下はその表の拙訳。

長所短所
通常、国民経済計算の制約を用いて枠組みを提供するモデルの方程式が特定の主体の最適化問題に明示的に結び付いていない
グロスのフローとバランスシートのポジションが部門別にモデル化できる枠組みがきちんと確立されておらず、他の研究から洞察を取り入れるのが困難
金融資産や債務のポジションから生産や支出の経路へのフィードバックをモデル化するのに使えるモデルは複雑であり、使われている主要な経済のメカニズムの働きを説明するのが困難
貨幣、信用、金融システムの重要な役割を取り込むことができるデータに持っていくのが大変:必要とされるデータが、より標準的なDSGEモデルに比べて多い
主体の予想を様々に特定化する枠組みを提供できるモデルのパラメータはルーカス批判を免れない:政策レジームの変化や、駆動過程の時系列特性の変化に影響される
SFCは、おそらく間違いなく、ミクロ的基礎付けを持つ多くのモデルよりも行動の仮定が現実的であるモデルがあまり明確に経済理論と関連付けられていない

この表についてレン−ルイスは以下のような指摘を行っている。

  • 短所1はほぼ定義そのもの。DSGEモデルはミクロ的基礎付けを持つが、SFCモデルはマクロベースの関係を出発点とする。ただ、このことはSFCモデルに限った話ではなく、従来の計量経済モデルも同様。
  • 短所3と短所4も、多くの大型の計量経済モデルと共通した話。また、短所5は短所1から直に出て来る話。
  • レン−ルイスに言わせれば、短所6こそが、他の計量経済モデルに比べた場合のSFCモデルの特徴。他の計量経済モデルでは、使用する関係性の理論的起源にこだわるのが一般的だが、BOE論文を見る限り、SFCモデルはそうではない。
  • 長所に目を転じると、他の計量経済モデルへの目配りが欠けていることが一層明らかとなる。長所1と長所2は、DSGEを含め、どのモデルにも当てはまる話である。長所3は非常に重要ではあるものの、やはり多くの計量経済モデルと、DSGEモデルの一部に当てはまる。
  • 長所4もDSGEを含めたどのモデルにも当てはまる話。長所5も、予想変数が明示的に特定化されていれば、どの計量経済モデルにも当てはまる。
  • 長所6も、ほぼ必然的にどの計量経済モデルにも当てはまる話。というのは、マクロベースから出発して理論と折り合いを付けようとすれば(かつ、内的整合性を暗黙裡に断念すれば)、DSGEに比べてデータの当てはまりは良くなる。

レンールイスは以下のようにエントリを結んでいる。

To summarise, if you were to ask how this model compares to other aggregate (non-microfounded) models, the answer would probably be that it takes theory less seriously and it has a rather elaborate financial side.
The New Classical counter revolution had many good and bad consequences, but one of the undesirable consequences was, it seems, to define the equivalent of a year zero in macroeconomics, where nothing that was not in the New Classical tradition created before (or even after) this revolution is deemed to exist. The same should not be true for heterodox economists. If you are going to effectively return to a pre-DSGE tradition, please do not pretend that tradition did not exist.
...One of the big dangers with any kind of elaborate aggregate model is that you can get bizarre model properties from not thinking enough about the theory, or imposing enough because of the theory. Knowing some of the authors I doubt that has happened in this case. But it would be a mistake for others to believe that the properties of their model show the importance of accounting rather than the theory they have used.
(拙訳)
まとめると、このモデルが他のマクロ(ミクロ的基礎付けを持たない)モデルと比較してどう違うのか、と問うた場合、その答えは、理論をそれほど真剣に捉えていない半面、金融面を丁寧に作り込んでいる、というものになろう。
新しい古典派の反革命は、善悪両面の帰結を数多くもたらしたが、望ましくない帰結の一つは、マクロ経済学における零年に相当するものを定義したように思われる点である。即ち、この革命以前に(あるいは以後でも)創造されたもので新しい古典派の伝統に則っていないものは、存在していないものと見做される。異端派の経済学者はそのような態度をとるべきではない。DSGE以前の伝統に正式に回帰したいのであれば、そうした伝統が存在しなかった振りはお止め頂きたい。
・・・いかなる種類の精密なマクロモデルにおいても大きな落とし穴が存在するが、その一つは、理論のことを十分に考えないため、もしくは、理論の制約を十分に掛けないため、奇妙なモデル特性を得てしまう、というものである。論文の著者の中には知人もいるので、ここでそうしたことが起きたとは思わない。しかし、彼らのモデルが、彼らの使用した理論よりも会計の重要性を示した、と考えるのは間違いである。