金曜日, 12月 27, 2019

中央銀行がインターバンク市場の金利を正…

参考:
ティモワーニュ2014
http://www.levyinstitute.org/pubs/wp_788.pdf
(後述)



https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13217968968

中央銀行がインターバンク市場の金利を正に保ちたい、と考えているとすると、中央...

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2019/12/2612:51:32
中央銀行がインターバンク市場の金利を正に保ちたい、と考えているとすると、中央銀行は、何らかの有利子資産を市場に提供し、銀行の超過準備を回収することが必要になります。MMTによれば、そ
のための手段として国債は(形の上では財務省によって)発行されているのであり、財務省の資金調達のためではない。

このMMTの説明は、正しいんでしょうか?




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2019/12/2710:40:32
財務省の資金調達のためではない、

という部分は、MMTは財務省と連銀を会計的に
連結して考察している、ということに納得がいけば
ほぼ自明といってもいいことでしょう。
財務省と連銀を連結すれば、
ベースマネーは連結政府の債務になるし、
連銀に開設されている政府預金の残高は常にゼロです。
国債をいくら発行したところで
ある形の債務(ベースマネー)を他の形の債務(国債)と
交換しているだけですから、
財源調達という意味は全くありません。

そのうえで国債発行の経済的意義とは何か、
ということですが、
結局、インターバンク市場の金利を下支えすることぐらいしか
ないんですよね。実際、MMTによれば
付利制度がなく、法定準備制度が機能しており、
中央銀行がプラスのインターバンクレートを
維持しようとしている場合、
政府支出によってインターバンク市場で過剰な超過準備が発生すると
インターバンク市場金利がゼロにまで
圧縮されてしまうことになる。というのは
銀行がベースマネーを必要とする理由は、
①預金者への預金払い戻しの準備のため、
②日中の、預金者による送金指示や政府への納付依頼の
決済を実行するため、
③法定準備制度に基づく所要準備を満たすため、
の三つで、この需要は、その瞬間ごとに
待ったなしで決まってしまうので(①は多少余裕があるかも
しれないが)、ともかく
絶対に必要なものである一方で、
ベースマネーは資産として保有していても
金利が付くわけでもなく、過剰なベースマネーを
保有している銀行は、少しでも金利を稼ごうとして
インターバンク市場で運用しようとするためです。
だから少しでも過剰があれば、すぐに
オーバーナイト物の金利はゼロになってしまうし
不足があれば、オーバーナイト物は、所要準備を満たせなかった
場合のペナルティー金利まで、日中物はそれこそ
青天井で、金利が上昇することになります。
だから、中央銀行は、決済や所要準備に不足がないように
インターバンク市場に資金を供給すると同時に
インターバンク市場の日中ものあるいは翌日物金利を
プラスに維持したいのであれば、
こまめに有利子負債を提供することが必要になるわけですが、
その場合、十分な民間の手形などの金融資産を
日銀が保有しているのであれば、それを使うという手も
絶対あり得ないわけではないですが、
ベースマネーと同等の「デフォルトリスクゼロ」であることが
望ましければ、結局、自分自身で有利子負債を発行するか
国債を使うしかないわけです。

当座貸越ファシリティー云々の話は
レイが昔からしばしば言及していることですけれど
(先般、邦訳が出た入門書にも
書かれていたと思います)、別に
そうでなければならない、という話ではなくて、
他にもっといいやり方があれば、それでもいいんです。
要は、連銀が直接融資を行い、
自分自身で有利子負債を民間向けに発行できれば
なんでもいいんです。ただし、
以下のティモワーニュの引用に示すとおり、
実は超過準備に対する付利制度が導入された後でも
国債(あるいは連銀のCDという手もありますが)が
必要だったケースはあるんです。

アメリカでは、先般の金融危機の際、
よく知られているとおり、連銀が大規模な介入を行い、
ベースマネーを供給しました。
ところがその一方で、こちらはあまり知られていないことですが、
財務省に依頼して、(付利制度導入後であったにも
かかわらず)新規国債を発行してもらっていました。
財務省は、この国債発行で集めた資金を
すべてニューヨーク連銀の口座にとどめたまま、
一切、支出には使いませんでした。なぜこのようなことを
したか、というと
連銀は、クレジット・クランチを防がなければならないので
大規模に資金を市場に流したのですが、その一方、
決済に使われた資金がそのまま市場に滞留した場合、
金利が一気にゼロにまで低下すれば、
プラスの金利でインターバンク市場から資金を調達していた
金融機関が経営困難に陥るか、
破綻することが懸念されたためです。そして
アメリカの場合、連銀に口座を持っていない
政府系金融機関や海外の銀行に対する影響も大きかったため、
付利だけでは対応しきれなかった。
この時のことを、MMT主義者のエリック・ティモワーニュと
いう人は、次のように説明しています。

(Levy Instituteのw.p.788 "Modern Money Theory and
Interrelation between the Treasury and central bank"
2014年)


通常の環境であれば、FFR[アメリカで
政策目標に採用されているインターバンクレート] を
目標水準に安定させるためには OMO [公開市場操作]および
TT&L 送金[納税によるインターバンクレート乱高下を防ぐための
アメリカ独特のシステム]で十分なのであるが、
近年の金融危機に期間中はこれらのツールでは不十分であった。
2007 年 12 月、連銀は流動性問題を抱えた銀行に、割引窓口および
緊急融資プログラム(例えば入札型ターム物融資 the Term Auction
Facility をはじめとする数多くのもの)を通じて準備供給を開始した。
流動性問題を抱えた銀行はこうした特別融資等で自分の債務を
決済することができたのだが、その結果、FF 市場では超過準備が発生した。
当時、FFR 目標は 4.25%であったので、連銀は緊急貸し付けによって
発生した望ましからざる準備を取り除くことになる。目標は、
危機にある金融機関を支援しながら借り手のいない
準備を FFR 目標と矛盾しない水準に維持することである。……

2008 年 9 月 15 日、リーマンブラザーズが破綻し、これがパニックの引
き金を引いた。 連邦準備の対応は、緊急融資枠を通じての準備供給であった。
2008 年 10 月には、連銀はこの手法で 1 兆ドルを超える準備を注入したが、
これは 2%の目標 FFR と整合的ではなかった。しかし 1 兆ドルもの準備を
回収するには、大量の財務省証券を売却することが必要だが、連銀は
10 月には担保の付いていない財務省証券を 2500 億ドル程度しか持っておらず、
そしてそれも今後の TSLF に必要とされるものだった。代わりに連銀は
二つの戦略を講じた。最初の手段は、FFR 目標を徐々に引き下げることだった。
10 月初頭には1.5%、10 月末には 1%、2008 年 12 月半ばには 0 から
0.25%の範囲まで引き下げた。とはいえ、FFR 目標を 0 に引き下げるまでは、
超過準備を回収しなければならない。そのために第二の戦略が用いられた。
これは財務省が二つのルートで関与している。

第一に、図 2 に示すとおり、財務省は資金を TGA へ移した。2007 年の
50 億ドルの伸びから 2008 年には 350 億ドルへ成長し、最終的に
2009 年には1100 億ドルとなった。ほとんどの資金は TT&L 口座から
移された。2007 年には 700 億ドル、2008 年には 390 億ドル、
2009 年には 20 億ドルである。とはいえ、2008 年の 300 億ドルの
回収、2009 年の800 億ドルの回収では 1 兆ドルの準備注入を相殺するには
十分ではない(図 3)。連銀は手持ちの担保が付いていない財務省証券を
売ることができない以上、財務省に T ビルを、この目的で
発行することを要請した。……

補完金融プログラム(SFP)証券の残高は、2008 月 10 月末には急速に
成長し5600 億ドルに達した。そして 1 か月間、そのままとなる。
集められた資金はすべて連銀に開設された財務省特別資金口座(TSFA)に
置かれる。11 月以降、SFP 証券の額は全く劇的に減少し、それが
短期証券市場を不安定にした。……
最終的には、財務省は 2000 億ドル相当の SFP 証券の更改に
応じたが、2009 年末、そして 2010 年の初頭には、更改は
ほぼゼロにまで減少した。 2011年 2 月以降、SFP 証券の残高の額は
徐々に低下し、2011 年 8 月までに SFP 証券はすべて満期を迎えた。

全体的にみると、財務省は 2008 年 10 月、11 月に、TT&L 口座からの
資金移動及び SFP 証券発行により、6100 億ドルの準備回収を支援した。
財務省のオペレーションが FFR を目標値に近づけるために十分であったと
いうことはなかった(FFR は一貫して目標より 60 ベーシスポイントか
それ以上低かった(図4))が、FFR が完全に崩壊してゼロになってしまうことは
防いだ。理論的には、SFP 証券金利は FFR の床を設定し、そして
T ビルは FFR よりごくわずか低い金利で取引される。しかし
FFR は SFP 証券の金利以下に低下した。というのはそれだけでは
超過準備を抱える金融機関へ供給するのには十分ではなかったからである。
2008 年 10 月 9 日、準備預金への付利が導入されるとともに、SFP 証券は
理論的には余計なものとなった。ところが、財務省はこれを、少なくとも
二つの理由で発行し続けた(Santoro 2012, 8)。第一に、SFP 証券は
大量の準備を取り除き、そして金利安定に貢献した。準備への
付利によって FFR に床が設けられると想定されていたが、実際には
それが当てはまるのは、すべての連銀準備を抱えた経済主体が連銀に
有利子口座を開設することができる場合だけであり、それは
政府支援機関や一部の国際金融機関には当てはまらなかった(Kahn 2010)。