金曜日, 5月 03, 2013

『存在と時間』訳語比較用目次

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        現 存 在
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界_____自己   内=存在
  | | ____________|  不
  | ||    頽        \_安
  | || 了解_落__企投  内    
  | ||/視___好奇心 \・存
  | | |語り____沈黙| 在
  | | 情状性____不安/ ・ 
  | | ・気分    被投性 ・
  |  \・     良心 死 ・
 _|_ |・        ・ ・
|   ||_共現存在/共存在・ ・ 気遣い  
|   | ・  __|__ ・ 自・・関心
|   | ・非本来的/本来的・・己  |
|   | ・ |   ・  ・ ・  |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|         決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論

        現 存 在
   ____世界=内=存在____
         |       
  世界_____自己   内=存在
    ____________|  不
  | |    頽        \_安
   | 了解_落__企投  内    
   |/視___好奇心 \・存
    |語り____沈黙| 在
    情状性____不安/ ・  
 _|_ (気分)  良心 死   
|   | \共現存在/共存在・  気遣い  
|   |   __|__  ・関心
|   | ・非本来的/本来的・・  |
|   | ・ |   ・  ・   
|世界性| 開示性_決意性_先駆的  
環境世界|         決意性  
|   道具全体性_適所性・・・世  
場              ・ 界   
        配慮/瞬視  ・  日常性
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論

『存在と時間』:目次
 緒論 存在の意味如何という問いの開陳
第一章 存在問題の必要と構造と優位 1-4
第二章 存在問題の精錬確立における二重課題。探究の方法とその構図 5-8


 第一部 時間性にもとづくとする現存在の学的解釈と、存在如何の問いの超越論的〔先験的〕地平としての時間の解明
  第一篇 現存在の予備的基礎分析
第一章 現存在の予備的分析の課題の開陳 9-11
第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般 12-13
第三章 世界の世界性 14-24
第四章 共同存在および自己存在としての、「世界内存在」。『ひと・世人 das Man』 25-27

第五章 「内存在」そのもの 28-38
第六章 現存在の存在としての慮(気遣い) 39-45

  第二篇 現存在と時間性
第一章 現存在の可能的全体存在と、死への存在 46-53
第二章 自己本来的存在可能の現存在的証言と、覚悟性 54-60

第三章 現存在の自己本来的な全体存在可能と、慮の存在論的意味としての時間性 61-66
第四章 時間性と日常性 67-71
第五章 時間性と歴史性 72-77
第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての時間内部性 78-83

参考:http://www.eleutheria.com/philosophia/data/22.html


            現   1:1
   ________世界=内=存在________
  1:3   1:2             
  世界 
________1:4       内存在1:52:2
  |  _____________________不安 世界 内=存在
  | |              1:6           
  | 被投性___好奇心___企投__企投   内   
  | |__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存   
  |   |_____空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界   \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_    気分 ・1:5  負い目・  ・     ・
|   |  ________         ・     ・
|   |       ・   |        ・     ・   1:6 
環境世界|    _____________   ・     ・   気遣い
1:3|   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自関 心
道具  |  本来的 ・ /共同存在  ・ ・ ・ ・ 己   cura  
|   |   | ・  1:4   ・ 自己 ・     ・   Sorge 
遠ざかり|   |_開示_______決意性__先駆的決意性 ・   
|   |                      2:3    
|\  |              道具的存在性 ・     世   
|方域 道具全体性__道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   
|/      1:3      \_適所_/   ・         
場  非本来/本来          全体性    ・         
   事物的存在性 
 配視 瞬視        ・    2:4
     既在性________現成化_______到来_  脱自態 時間性
     過去_________現在________未来_|_____2:3 
    忘却/反復_______現前________予期_| 通俗的
                              2:6内部性) 
    (事実性)      (頽落性)  0:1(実存性)  存在存在論
                               2:5 歴史
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    72
     好古的歴史学_____記念碑的歴史学___批判的歴史学 
                               |
 フッサール、10  カント7、43  アリストテレス  |   
 デカルト  ヘーゲル     、64    ニーチェ76__|
 18〜21 6、82          パルメニデス36、44
 43                                TOP
    活動し努力する者の歴史   記念碑的歴史
    保存し崇敬する者の歴史   骨董的歴史
    苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
    (ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
    以上、『存在と時間』第76節で言及されている。


「現存在とはこの「中間」の存在であるというのであれば、いくらか現象的実態に近くなるであろう。…しかしこれらの存在者をはじめから設定すると、問題の現象ははやくも、破裂してしまう…」
(ちくま文庫上287−8頁 第一篇第五章 1:5 第28節より)




/////////

Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit

 (ドイツ語目次、頁数は1967年ドイツ語版http://www.amazon.com/dp/3484701536/より)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html

1 桑木務 訳 旧岩波 1960-3
2 細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
3 原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
4 辻村公一 訳 河出1967,創文社1997
5 熊野純彦 訳 新岩波 2013

の順番。


マルティン・ハイデガー
最初旧岩波文庫『存在と時間』(桑木務訳 1960-3)

 

英数字は 細谷 貞夫,ちくま学芸文庫 上下 より


漢数字は原佑、渡邊二郎 共訳の中公クラシックス版目次
参考:http://www.kengakusha.com/MHBT.html 


有(う)と時(とき)
辻村公一訳 目次 河出書房(1967年版)
()内は創文社版

注:
同じ訳者による創文社全集版(1997年)では「有論的」は(オントローギッシュな)、「有的」は(オンテッシュな)、「関心」は(慮)、「実存論的」は(実存論的)あるいは(実存論的 - オントローギッシュな)、「廻りの世界」が(廻り世界)等になっている。
創文社全集版には原語に近いという「ハイデッガー」と表記した理由、『有と時』として訳した理由(=繋辞としての有)が訳者の辻村公一によって書かれている。 1997年版は、1967年版にあった九鬼周造の訳語を使用していないという。また、Seinを「有」と訳したのは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時間」)。

ハイデガー『存在と時間』1927 熊野純彦訳 岩波文庫 2013.4
 (マックス・ニューマイヤー社、一九九三年、第一七版 底本)


献辞
序にかえて
gehaltenen Vorlesung.

Vorbemerkung
巻頭言

VII Inhalt 
目次
Die Exposition der Frage nach dem Sinn von Sein 
序説 存在の意味への問いの究明
序論
 存在の意味への問いの提示
序論 存在の意味への問いの開陳
序論 有の意味への問の概要的提示
序論 存在の意味への問いの呈示

Erstes Kapitel Notwendigkeit, Struktur und Vorrang der Seinsfrage
 第一章 存在の問いの必要、その問いの構造と優位
 第1章 存在の問いの必然性、構造および優位
第一章 存在問題の必然性、構造、および優位
第一章 有・の・問の必然性と構造と優位
  第一章 存在の問いの必然性と構造、ならびにその優位
§ 1. Die Notwendigkeit einer ausdrücklichen Wiederholung der Frage nach dem Sein ... 2 
  第一節 存在への問いを、はっきりと繰返すことの必要
  第1節 存在への問いをあからさまに反復する必然性
  第一節 存在の問いを表立って繰り返すことの必然性
 第一節 有への問を表明的に反復することの必然性
   第一節 存在への問いを明示的に反復することの必要性
§ 2. Die formale Struktur der Frage nach dem Sein ... 5 
  第二節 存在への問いの形式的構造
  第2節 存在への問いの形式的構造
  第二節 存在への問いの形式的構造 
 第二節 有への問の形式的構造
   第二節 存在への間いの形式的な構造
§ 3. Der ontologische Vorrang der Seinsfrage ... 8 
  第三節 存在の問いの存在論的優位
  第3節 存在問題の存在論的優位
  第三節 存在問題の存在論的優位
 第三節 有・の・問の有論的優位
   第三節 存在の問いの存在論的優位
§ 4. Der ontische Vorrang der Seinsfrage ... 11 
  第四節 存在の問いの存在的優位
  第4節 存在問題の存在的優位
  第四節 存在問題の存在的優位
 第四節 有・の・問の有的優位 
   第四節 存在の問いの存在的優位
 Zweites Kapitel Die Doppelaufgabe in der Ausarbeitung der Seinsfrage Die Methode der Untersuchung und ihr Aufriß
 第二章 存在の問いを検討するばあいの二重の課題、探求の方法とその概略
 第2章 存在問題の開発における二重の構造 考究の方法および構図
第二章 存在問題を仕上げるときの二重の課題 根本的探求の方法とその構図
第二章 有・の・問を仕上げる労作に於ける二重の課題研究の方法と構図
  第二章 存在の問いを仕あげるさいの二重の課題 探究の方法とその概略
§ 5. Die ontologische Analytik des Daseins als Freilegung des Horizontes für eine Interpretation des Sinnes von Sein überhaupt ... 15 
  第五節 存在一般の意味解釈のために、視界を開くこととしての、現存在の存在論的分析論
  第5節 存在一般の意味の解釈のための地平を打開する作業としての、現存在の存在論的分析論
  第五節 存在一般の意味を学的に解釈するための地平から
       邪魔者を取り払うこととしての現存在の存在的分析論
 第五節 有の意味全般を研究的に解釈するための地平の露開としての現有の有論的分析論
   第五節 存在一般の意味を解釈するための地平を発掘することとしての、現存在の存在論的分析論
  第六節 存在前史を解体する課題
  第6節 存在論の歴史の解体の課題
  第六節 存在論の歴史の破壊という課題 
 第六節 有論の歴史の構造解体という課題
   第六節 存在論の歴史の破壊という課題
  第七節 現象学的研究方法
  第7節 考究の現象学的方法
  第七節 根本的探求の現象学的方法
 第七節 研究の現象的方法
   第七節 探究の現象学的方法
  A. Der Begriff des Phänomens ... 28 
   A 現象という概念
    A 現象の概念
    A 現象という概念
    a 現象という概念 
    A 現象という概念
 B. Der Begriff des Logos ... 32 
   B ロゴスという概念
    B ロゴスの概念
     B ロゴスという概念
     b ロゴスという概念
    B ロゴスという概念 
C. Der Vorbegriff der Phänomenologie ... 34
   C 現象学の予備概念
    C 現象学の予備概念
     C 現象学の予備概念
    c 現象学の予備概念
    C 現象学の予備的概念
§ 8. Der Aufriß der Abhandlung ... 39
  第八節 論究の構図
  第8節 論考の綱要
  第八節 この論述の構図
 第八節 論攷の構図 
   第八節 論述の構図  
  Erster Teil Die Interpretation des Daseins auf die Zeitlichkeit und die Explikation der Zeit als des transzendentalen Horizontes der Frage nach dem Sein 
 第一部 時間性へ向けての現存在の解釈、および存在についての問いの先験的視界としての時間の解明
第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する
第一部 時間性をめがける現存在の学的解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の究明
第一部 現有を時性に向って解釈することと時を有への問の超越論的地平として解明すること
第一部 時間性へと向けた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の解明
 Erster Abschnitt Die vorbereitende Fundamentalanalyse des Daseins 
第一編 現存在の予備的基礎分析
 第1編 現存在の準備的な基礎分析
第一篇 現存在の予備的な基礎的分析 
第一編 現有の準備的基礎分析
 第一篇 現存在の予備的な基礎的分析
 Erstes Kapitel Die Exposition der Aufgabe einer vorbereitenden Analyse des Daseins 
 第一章 現存在の予備的分析の課題を解明すること
  第1章 現存在の準備的分析の課題の提示
第一章 現存在の予備的分析の課題の開陳
 第一章 現有の準備的分析という課題の概要的展開
  第一章 現存在の予備的分析の課題の呈示
  第九節 現存在の分析論の主題
   第9節 現存在の分析論の主題
  第九節 現存在の分析論の主題
 第九節 現有の分析論の主題
   第九節 現存在の分析論の主題
§ 10. Die Abgrenzung der Daseinsanalytik gegen Anthropologie, Psy- chologie und Biologie ... 45
  第十節 人間学、心理学ならびに生物学から、現存在の分析論を区別
   第10節 人間学、心理学および生物学に対する現存在の分析論の境界設定
  第十節 人間学、心理学、および生物学に対して、現存在の分析論の境界を画すること
 第一〇節 人間学と心理学と生物学とに対する現有分析論の限界づけ
   第一〇節 人間学、心理学および生物学に対して、現存在の分析論を境界づけること
  第十一節 実存論的分析諭と原始的な現存在の解釈。「自然的世界概念」を得るための種々の難かしさ
   第11節 実存論的分析論と未開的現存在の解釈、「自然的世界概念」を取得することの困難さ
  第十一節 実存論的分析論と未開の現存在の学的解釈 「自然的な世界概念」を獲得することの諸困難
 第一一節 実存論的分析論と未開的現有の解釈。「自然的な世界概念」を獲得することに属する諸困難
   第一一節 実存論的分析論と未開の現存在の解釈 「自然的世界概念」を獲得することのむずかしさ
  VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般 
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
§ 12. Die Verzeichnung des In-der-Welt-seins aus der Orientierung am In-Sein als solchem ... 52 
  第十二節 内・存在そのものに方向づけることからする世界・内・存在
   第12節 世界=内=存在を、内=存在そのものを手引きとして素描する
  第十二節 内存在そのものに定位することにもとづいて描かれた世界内存在の下図
 第一二節 内に=有ることそのことに定位しつつ世界の=内に=有ることを予め輪郭づけすること
   第一二節 内存在そのものに方向づけることにもとづいて、世界内存在をあらかじめ素描すること
§ 13. Die Exemplifizierung des In-Seins an einem fundierten Modus. Das Welterkennen ... 59 
  第十三節 或る基礎づけられた様相における内・存在の例示。世界認識
   第13節 ひとつの基づけられた様態についてなされる、内=存在の例示 世界認識
  第十三節 一つの基礎づけられた様態で示された内存在の範例 世界認識
 第一三節 内に=有ることを或る一つの基礎づけられた様態に即して例示すること。世界認識
   第一三節 或る基底づけられた様態による、内存在の範例化 世界認識
 Drittes Kapitel Die Weltlichkeit der Welt 
 第三章 世界の世界性
 第3章 世界の世界性
第三章 世界の世界性
第三章 世界の世界性
  第三章 世界が世界であること
  第十四節 世界の世界性一般の理念
    第14節 世界一般の世界性の理念
  第十四節 世界一般の世界性の理念
 第一四節 世界の世界性一般という理念
   第一四節 世界一般の世界性の理念
   A 環境世界性と世界性一般との分析
A 環境性と世界性一般の分析
A 環境世界性と世界性一般との分析
A 廻りの世界性と世界性一般との分析
  A 周囲世界性と世界性一般との分析
§ 15. Das Sein des in der Umwelt begegnenden Seienden ... 66 
  第十五節 環境世界で出会う存在するものの存在
    第15節 環境世界のなかで出会う存在者の存在
     第十五節 環境世界の内で出会われる存在者の存在
    第一五節 廻りの世界のなかで出会われる有るものの有
   第一五節 周囲世界のうちで出会われる存在者の存在
  第十六節 内世界的な存在するものに告げられるところの、環境世界が世界に適合するということ
    第16節 内世界的存在者において通示される、環境世界の世界適合性
     第十六節 世界内部的存在者に即しておのれを告げるところの、環境世界の世界適合性
    第一六節 内世界的に有るものに即してそれ自身を通告する廻りの世界適合性
   第一六節 世界内部的な存在者にそくしてじぶんを告げる、周囲世界の世界適合性
§ 17. Verweisung und Zeichen ... 76 
  第十七節 指示と記号
    第17節 指示と記号
     第十七節 指示と記号
    第一七節 附託と記号(指し向けと標示)
   第一七節 指示としるし
  第十八節 適在性と有意義性——世界の世界性
    第18節 趣向性と有意義性、世界の世界性
     第十八節 適所性と有意義性  世界の世界性
    第一八節 帰趨(趨向)と指示性、世界の世界性
   第一八節 適所性と有意義性——世界の世界性
 B. Die Abhebung der Analyse der Weltlichkeit gegen die Interpretation der Welt bei Descartes 
   B デカルトの世界解釈に対して世界性の分析を際立たせること
B 世界性の分析を、デカルトにおける世界の解釈と比較対照する
B 世界性の分析をデカルトでみられる世界の学的解釈に対して対照させること
B デカルトに於ける世界の解釈に対して世界性の分析を対照させること
  B デカルトにおける世界の解釈に対して、世界性の分析をきわだだせること
§ 19. Die Bestimmung der »Welt« als res extensa ... 89 
  第十九節 延長するものとしての「世界」の規定
    第19節 res extensaとしての「世界」の規定
     第十九節 拡ガリアルモノとしての「世界」の規定
    第十九節 「世界」を延長セル物<res extensia>として規定すること
   第一九節 res extensa としての「世界」の規定
§ 20. Die Fundamente der ontologischen Bestimmung der »Welt« ... 92 
  第二十節「世界」の存在論的規定の諸基礎
    第20節 「世界」の存在論的規定の基礎
     第二十節 「世界」の存在論的規定の諸基礎
    第二◯節 「世界」の有論的規定の諸基礎
   第二〇節 「世界」の存在論的規定の基礎
§ 21. Die hermeneutische Diskussion der cartesischen Ontologie der »Welt« ... 95 
  第二十一節 デカルトの「世界」存在論についての解釈学的討論
    第21節 デカルトの「世界」存在論の解釈学的論究
     第二十一節 「世界」のデカルト的存在論についての解釈学的討議
    第二一節 デカルトの「世界」有論に関する解釈学的論議
   第二一節 「世界」をめぐるデカルトの存在論についての解釈学的討議
   C 環境世界の環境性と現存在の「空間性」
C 環境世界の「身の廻り」的性格と現存在の空間性
C 環境世界の環境性と現存在の空間性
C 廻りの世界の廻りという性格と現有の「空間性」
  C 周囲世界が〈周囲であること〉と、現存在の空間性
  第二十二節 内世界的な手もと存在者の空間性
    第22節 世界の内部にある用具的存在者の空間性
     第二十二節 世界内部的な道具的存在者の空間性
    第二二節 内世界的に手許に有るものの空間性
   第二二節 世界内部的に手もとにあるものの空間性
§ 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins ... 104 
  第二十三節 世界・内・存在の空間性
    第23節 世界=内=存在の空間性
    第二十三節 世界内存在の空間性
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性
   第二三節 世界内存在の空間性
§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum ... 110 
  第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
    第24節 現存在の空間性と空間
    第二十四節 現存在の空間性と空間
    第二四節 現有の空間性と空間
   第二四節 現存在の空間性と空間
Viertes Kapitel Das In-der-Welt-sein als Mit- und Selbstsein. Das »Man« 
 第四章 共同存在および自己存在としての世界・内・存在。「ひと」
  第4章 共同存在と自己存在としての世界=内=存在、「世間」
  第四章 共存在および自己存在としての世界内存在―「世人」
  第四章 共に有ることと自己で有ることとしての世界の = 内に = 有ること。「ひと」
  第四章 共同存在ならびに自己存在としての世界内存在 「ひと」
  第二十五節 現存在は〈だれか〉という実存論的問いの手掛り
   第25節 現存在の誰れかをたずねる実論的な問いの手がかり
   第二十五節 現存在の誰かに対する実在論的な問いのために置かれた発端
   第二五節 現有の誰への実存論的問の着手(設定)
   第二五節 現存在が〈だれ〉、であるかへの、実存論的な問いの着手点
  第二十六節 他人の共同現存在と日常的共同存在
   第26節 ほかの人びとの共同現存在と日常的共同存在
   第二十六節 他者の共現存在と日常的な共存在
   第二六節 他人の共現有と日常的な共に有ること
   第二六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
  第二十七節 目常的自己存在と〈ひと〉
   第27節 日常的自己存在と世間
   第二十七節 日常的な自己存在と世人
   第二七節 日常的に自己であることとひと 
   第二七節 日常的な自己存在と〈ひと〉
Fünftes Kapitel Das In-Sein als solches 
      (ここから旧岩波文庫版は中巻)
 第五章 内・存在そのもの
  第5章 内=存在そのもの
  第五章 内存在そのもの
第五章 内に = 有ることそのこと
  第五章 内存在そのもの
  第二十八節 内・存在の主題的分析の課題
   第28節 内=存在を主題的に分析する課題
   第二十八節 内存在の主題的な分析の課題
 第二八節 内に = 有ることを主題的に分析するという課題
   第二八節 内存在の主題的分析の課題
 A. Die existenziale Konstitution des Da 
   A 「現」の実存論的構成
  A 現の実存論的構成
   A 現の実存論的構成
  A 現の実存論的構成
  A〈現〉の実存論的構成
  第二十九節 情態性としての現=存在
    第29節 心境としての現=存在
    第二十九節 情状性としての現にそこに開示されている開示 
 第二九節 情態性としての現に = 有ること
   第二九節 情態性としての現—存在
§ 30. Die Furcht als ein Modus der Befindlichkeit ... 140 
  第三十節 情態性の一様態としての恐れ
    第30節 心境のひとつの様態としての別れ
    第三十節 情状性の一つの様態としての恐れ
 第三◯節 情態性の一様態としての恐れ
   第三〇節 情態性の一様態としての恐れ
  第三十一節 了解の働きとしての現=存在
    第31節 了解としての現=存在
    第三十一節 了解としての現にそこに開示されている現存在
 第三一節 理解としての現に = 有ること
   第三一節 理解としての現—存在
§ 32. Verstehen und Auslegung ... 148 
  第三十二節 了解の働きと解釈
    第32節 了解と解意
    第三十二節 了解と解釈
 第三二節 理解と解釈
   第三二節 理解と解釈
§ 33. Die Aussage als abkünftiger Modus der Auslegung ... 154  
  第三十三節 解釈の派生様態としての陳述
   第33節 解意の派生的様態としての言明
    第三十三節 解釈の派生的様態としての陳述
 第三三節 解釈の派生的様態としての陳述
   第三三節 解釈の派生的様態としての言明
  第三十四節 現=存在と「語り」。言葉
    第34節 現=存在と話、言語
    第三十四節 現にそこに開示されている現存在と語り  言語
 第三四節 現に = 有ることと話。言葉
   第三四節 現—存在と語り。ことば
   B 「現」の日常的存在と、現存在の転落
   B 現の日常的存在と現存在の頽落
   B 現の日常的存在と現存在の頽落
  B 現の日常的有と現有の頽落
  B〈現〉の目常的存在と、現存在の頽落
§ 35. Das Gerede ... 167 
  第三十五節 おしゃべり
    第35節 世間話
    第三十五節 空談
 第三五節 空話(雑談)
   第三五節 空談
§ 36. Die Neugier ... 170 
  第三十六節 好奇心
    第36節 好奇心
    第三十六節 好奇心
 第三六節 好奇心
   第三六節 好奇心
§ 37. Die Zweideutigkeit ... 173 
  第三十七節 あいまいさ
    第37節 曖昧さ
    第三十七節 曖昧性
 第三七節 曖昧性
   第三七節 あいまいさ
  第三十八節 転落と被投性
    第38節 頽落と被投性
    第三十八節 頽落と被投性
 第三八節 頽落と被投性
   第三八節 頽落と被投性
Sechstes Kapitel Die Sorge als Sein des Daseins 
 第六章 現存在の存在としての関心
  第6章 現存在の存在としての関心
  第六章 現存在の存在としての気遣い
第六章 現有の有としての関心(慮)
  第六章 現存在の存在としての気づかい
  第三十九節 現存在の構造全休の根源的全体性への問い
    第39節 現存在の構造全体の根源的全体性への問い
    第三十九節 現存在の構造全体の根源的な全体性に対する問い
 第三九節 現有の構造全体の根源的全体性への問
   第三九節 現存在の構造全体の根源的な全体性への問い
  第四十節 現存在の優れたひとつの開示性としての不安という根本情態性
    第40節 現存在の際立った開示態としての不安という根本的心境
    第四十節 現存在の際立った開示性としての不安という根本情状性
 第四◯節 現有の卓抜なる開示性としての不安という根本情態性
   第四〇節 現存在のきわだった開示性である、不安という根本的情態性
  第四十ー節 関心としての現存在の存在
    第41節 関心としての現存在の存在
    第四十一節 気遣いとしての現存在の存在
 第四一節 関心(慮)としての現有の有
   第四一節 気づかいとしての現存在の存在
§ 42. Die Bewährung der existenzialen Interpretation des Daseins als Sorge aus der vorontologischen Selbstauslegung des Daseins ... 196 
  第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈から、関心としての現存在の実存論的解釈を保証すること
    第42節 関心としての現存在の実論的解釈を、現存在の前=存在論的な自己解意によって検証する
    第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづく、気遣いとしての現存在の実存論的な学的解釈の確証
 第四二節 現有を関心として解釈する実存論的解釈を、現有の前有論的自己解釈にもとづいて、その真なることを確証すること
   第四二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづいて、気づかいとしての現存在の実存論的解釈を確証すること
   
  第四十三節 現存在、匪界性および実在性
    第43節 現存在、世界性および実在性
    第四十三節 現存在、世界性および実在性
 第四三節 現有と世界性と実在性
   第四三節 現存在、世界性、および実在性
  (a)「外界」の存在とその証明可能性との問題としての、実在性
     (a)「外界」の存在と証明可能性との問題としての実存性
     (a)「外的世界」の存在と証明可能性との問題としての実在性
  a 「外<的世>界」の有と証明可能性との問題としての実在性
    a 「外界」の存在と証明可能性の問題としての実在性
  (b) 存在論的問題としての実在性
     (b)存在論的問題としての実在性
     (b)存在論的問題としての実在性
  b 有論的問題としての実在性
    b 存在論的問題としての実在性
c) Realität und Sorge ... 211 
  (c) 実在性と関心
     (c)実在性と関心
     (c)実在性と気遣い
  c 実在性と関心
    c 実在性と気づかい
  第四十四節 現存在、開示性および真理
    第44節 現存在、開示態および真理性
    第四十四節 現存在、開示性および真理
 第四四節 現有と開示性と真性
   第四四節 現存在、開示性、および真理
a) Der traditionelle Wahrheitsbegriff und seine ontologischen Fundamente ... 214 
  (a) 伝統的真理概念とその存在
     (a)伝統的な心理概念とその存在論的基礎
     (a)真理の根源的現象と伝統的真理概念とその存在論的な諸基礎
  a 伝統的真性概念とその有論的諸基礎
    a 伝統的な真理概念とその存在論的基礎
b) Das ursprüngliche Phänomen der Wahrheit und die Abkünf- tigkeit des traditionellen Wahrheitsbegriffes ... 219 
  (b) 真理という根源的現象と、伝統的真理概念の派生
     (b)真理性の根源的現象と、伝統的心理概念の派生的性格
     (b)真理の根源的現象と伝統的真理概念の派生性
  b 真性の根源的現象と伝統的真性概念の派生性
    b 真理の根源的現象、ならびに伝統的真理概念が派生的なものであること
c) Die Seinsart der Wahrheit und die Wahrheitsvoraussetzung ....... 226 
  (c) 真理の在り方と真理の前提
     (c)真理の存在様相と真理の前提
     (c)真理の存在様式と真理前提
  c 真性の有り方と真性の前提
    c 真理が存在するしかたと、真理の前提
(下)
Zweiter Abschnitt Dasein und Zeitlichkeit 
第二編 現存在と時間性
第2編 現存在と時間性
第二編 現存在と時間性
第二編 現有と時性
 第二篇 現存在と時間性
§ 45. Das Ergebnis der vorbereitenden Fundamentalanalyse des Daseins und die Aufgabe einer ursprünglichen existenzialen Interpretation dieses Seienden ... 231 
  第四十五節 現存在の予備的基礎分析の成果と、この存在するものの根源的な実存諭的解釈の課題
  第45節 現存在の準備的基礎分析の成果と、この存在者の根源的な実論的解釈の課題
  第四十五節 現存在の予備的な基礎分析の成果と、この存在者の根源的な実存論的な学的解釈の課題
 第四五節 現有の準備的基礎的分析の成果とこの有るもの<すなわち、現有>の根源的な実存論的解釈という課題
   第四五節 現存在の予備的な基礎的分析の成果と、この存在者の根源的な実存論的解釈の課題
Erstes Kapitel Das mögliche Ganzsein des Daseins und das Sein zum Tode 
 第一章 現存在の可能な全休存在と、死への存在
 第1章 現存在の可能的な全体存在と、死へ臨む存在
 第一章 現存在の可能的な全体存在と、死へとかかわる存在
第一章 現有に可能な全体に・有あることと死への有
  第一章 現存在の可能な全体的存在と、死へとかかかる存在
  第四十六節 現存在的な全休存在の存在論的な把捉および規定の、外見だけの不可能さ
  第46節 現存在的な全体存在を存在論的に把握し規定することの、みかけの不可能性
  第四十六節 現存在にふさわしい全体存在を存在論的に捕捉し規定することの外見上の不可能性
 第四六節 現有に可能な全体に・有ることを有論的に把捉し規定することの外見上の不可能性
   第四六節 現存在に適合的な全体的な存在を存在論的に把握し、規定することの見かけ上の不可能性
§ 47. Die Erfahrbarkeit des Todes der Anderen und die Erfassungs- möglichkeit eines ganzen Daseins ... 237 
  第四十七節 他人の死を経験する可能性と全体的現存在を把捉する可能性
  第47節 ほかの人びとの死についての経験の可能性と、全たき現存在の把捉の可能性
  第四十七節 他者の死の経験可能性と全体的な現存在の捕捉可能性
 第四七節 他人の死の経験可能性と現有全体の把捉可能性
   第四七節 他者たちの死の経験可能性と、全体的な現存在の把握可能性
§ 48. Ausstand, Ende und Ganzheit ... 241 
  第四十八節 未済、終り、および全体性
  第48節 未済、終末ならびに全体性
  第四十八節 未済、終り、および全体性
 第四八節 未済の終末と全体性
   第四八節 未済、おわり、および全体性
§ 49. Die Abgrenzung der existenzialen Analyse des Todes gegenüber möglichen anderen Interpretationen des Phänomens ... 246 
  第四十九節 死の実存論的分析と、この現象の可能な他の諸解釈とを区別すること
  第49節 死の実存論的分析と、この現象についておこないうる諸他の解釈との対照的区別
  第四十九節 死の実存論的分析を、この現象について可能な他の学的諸解釈に対して限定すること
 第四九節 死の実存論的分析を<死という>この現象に関して可能なるその他の諸解釈に対して区別し境界づけること
   第四九節 死の実存論的分析を、当の現象について他に可能な解釈に対して境界づけること
  第五十節 死の実存論的目存在論的構造の素描
  第50節 死の実存論的=存在論的構造の素描
  第五十節 死の実存論的存在論的構造の下図
 第五◯節 死の実存論的有論的構造の先行的輪郭づけ
   第五〇節 死の実存論的—存在論的構造をあらかじめ素描すること
  第五十一節 死への存在と、現存在の日常性
  第51節 死へ臨む存在と、現存在の日常性
  第五十一節 死へとかかわる存在と現存在の日常性
 第五一節 死への有と現有の日常性
   第五一節 死へとかかわる存在と、現存在の日常性
§ 52. Das alltägliche Sein zum Ende und der volle existenziale Begriff des Todes ... 255
  第五十二節 終りへの目常的存在と、死の完全な実存論的概念
  第52節 終末へ臨む日常的存在と、死についての十全な実存論的概念
  第五十二節 終りへとかかわる日常的な存在と、死の完全な実存論的概念
 第五二節 終末への日常的な有と死の充全な実存論的概念
   第五二節 おわりへとかかかる日常的な存在と、死の完全な実存論的概念
  第五十三節 死への本来的な存在の実存諭的投企
  第53節 本来的な〈死へ臨む存在〉の実存論的投企 
  第五十三節 死へとかかわる本来的な存在の実存論的企投
 第五三節 死への本来的有の実存論的企投
   第五三節 死へとかかわる本来的な存在の実存論的投企
Zweites Kapitel Die daseinsmäßige Bezeugung eines eigentlichen Seinkönnens und die Entschlossenheit 
 第二章 本来的存在可能の現存在的な証言と、覚悟性
 第2章 本来的な存在可能の現存在的な臨証と、覚悟性
 第二章 本来的な存在しうることの現存在にふさわしい証しと、決意性
第二章 本来的に有り・得ることの現有的な証しと覚悟性
  第二章 本来的な存在可能の現存在によるあかしと、決意性
  第五十四節 本来的な実存的可能性の証言の問題
  第54節 本来的な実存的可能性の臨床の問題
  第五十四節 本来的な実存的可能性の証しの問題
 第五四節 本来的な実存的可能性を証することの問題
   第五四節 本来的な実存的可能性のあかしという問題
§ 55. Die existenzial-ontologischen Fundamente des Gewissens ... 270 
  第五十五節 良心の実存論的=存在論的諸基礎
  第55節 良心の実存論的=存在論的基礎
  第五十五節 良心の実存論的・存在論的な諸基礎
 第五五節 良心の実存論的・有論的諸基礎
   第五五節 良心の実存論的—存在論的な諸基礎
§ 56. Der Rufcharakter des Gewissens ... 272 
  第五十六節 良心の呼び声という性格
  第56節 良心の呼び声としての性格
  第五十六節 良心の呼び声の性格
 第五六節 良心の喚び声という性格
   第五六節 良心の呼び声の性格
§ 57. Das Gewissen als Ruf der Sorge ... 274 
  第五十七節 関心の呼び声としての良心
  第57節 関心の呼び声としての良心
  第五十七節 気遣いの呼び声としての良心
 第五七節 関心の喚び声としての良心
   第五七節 気づかいの呼び声としての良心
  第五十八節 呼びかけという了解の働きと責め
  第58節 呼びかけの了解と負い目
  第五十八節 呼びかけの了解と責め
 第五八節 喚び掛けの理解と負目
   第五八節 呼びかけの理解と負い目
§ 59. Die existenziale Interpretation des Gewissens und die vulgäre Gewissensauslegung ... 289 
  第五十九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
  第59節 良心の実存論的解釈と、通俗的な良心解意
  第五十九節 良心の実存論的な学的解釈と通俗的な良心解釈
 第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
   第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
§ 60. Die existenziale Struktur des im Gewissen bezeugten eigentlichen Seinkönnens ... 295 
  第六十節 良心において証言されている本来的な存在可能の実存論的構造
  第60節 良心において臨証される本来的存在可能の実存論的構造
  第六十節 良心において証しされた本来的な存在しうることの実存論的構造
 第六◯節 良心に於て証されたる本来的に有り・得ることの実存論的構造
   第六〇節 良心にあっておかしを与えられた本来的な存在可能の実存論的構造
 Drittes Kapitel Das eigentliche Ganzseinkönnen des Daseins und die Zeitlichkeit als der ontologische Sinn der Sorge
     (ここから旧岩波は下巻)
 第三章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味としての時間性
 第3章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味としての時間性
 第三章 現存在の本来的な全体存在しうることと、気遣いの存在的な意味としての時間性
第三章 現有の本来的な全体的に・有り・得ることと、関心の有論的意味としての時性
  第三章 現存在の本来的な全体的存在可能と、気づかいの存在論的意味としての時間性
  第六十一節 本来的な現存在的な全体存在の限界づけから、時間性の現象的な展示にいたる、方法的歩みの素描
  第61節 現存在の本来的な全体存在の画定から時間性の現象的打開へいたる方法的進路の素描
  第六十一節 現存在にふさわしい本来的な全体存在の限界づけより、時間性から邪 魔者を現象的に取り払うことへといたる方法的な歩みの下図
 第六一節 現有の本来的な全体的に・有ることの境界づけから時性の現象的露開に至る方法的歩みの先行的輪郭づけ
   第六一節 現存在の本来的な全体的存在の劃定から、時間性の現象的な発掘へといたる方法的な歩みをあらかじめ素描すること
  第六十二節 先駆的覚悟性としての、現存在の実存的に本来的な全体存在可能
  第62節 先駆的覚悟性としての現存性の実存的=本来的な全体存在可能
  第六十二節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体存在しうること
 第六二節 先駆的覚悟性としての現有の実存的に本来的な全体的に・有り・得ること
   第六二節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体的存在可能
§ 63. Die für eine Interpretation des Seins-sinnes der Sorge gewonnene hermeneutische Situation und der methodische Charakter der exi- stenzialen Analytik überhaupt ... 310 
  第六十三節 関心の存在=意味の解釈のためにとり得られた解釈学的情況と、実存論的分析論一般の方法的性格
  第63節 関心の存在意味の解釈のために得られた解釈学的状況と、実存論的分析論全般の方法的性格
  第六十三節 気遣いの存在意味の学的解釈のために獲得された解釈学的状況と、実存論的分析論一般の方法的性格
 第六三節 関心の有・の・意味を解釈するために獲得されたる解釈学的状況と実存論的分析論の方法的性格一般
   第六三節 気づかいの存在意味を解釈するために獲得された解釈学的状況と、実存論的分析論一般の方法的な性格
§ 64. Sorge und Selbstheit ... 316 
  第六十四節 関心と自己性
  第64節 関心と自己性
  第六十四節 気遣いと自己性
 第六四節 関心と自己性
   第六四節 気づかいと自己性
  第六十五節 関心の存在論的意味としての時間性
  第65節 関心の存在論的意味としての時間性
  第六十五節 気遣いの存在論的意味としての時間性
 第六五節 関心の有論的意味としての時性
   第六五節 気づかいの存在論的意味としての時間性
§ 66. Die Zeitlichkeit des Daseins und die aus ihr entspringenden Auf- gaben einer ursprünglicheren Wiederholung der existenzialen Analyse ... 331
  第六十六節 現存在の時間性と、これから発源する、実存論的分析のなお一層根源的な繰返しという諸課題
  第66節 現存在の時間性と、そこから生ずる実存論的分析のいっそう根源的な反復の課題
  第六十六節 現存在の時間性と、この時間性から発現する実存論的分析のいっそう根源的な繰り返しの諸課題
 第六六節 現有の時性と、この時性から発源して来る、実存論的分析の一層根源的なる反復に属する諸課題
   第六六節 現存在の時問性、ならびにその時間性から発現する、実存論的分析のより根源的な反復という課題
  Viertes Kapitel Zeitlichkeit und Alltäglichkeit
 第四章 時間性と日常性
 第4章 時間性と日常性
 第四章 時間性と日常性
第四章 時性と日常性
  第四章 時間性と日常性
  第六十七節 現存在の実存論的な構えの根本内容と、その構えの時間的解釈の素描
  第67節 現存在の実存論的構成の基綱と、その構成の時間的解釈の素描
  第六十七節 現存在の実存論的機構の根本事態と、この機構の時間的な学的解釈の下図
 第六七節 現有の実存論的体制の根本成分と、この体制の時性的解釈の先行的輪郭づけ
   第六七節 現存在の実存論的体制の根本的なりたちと、その体制の時間的解釈の素描
  第六十八節 開示性一般の時間性
  第68節 開示態一般の時間性
  第六十八節 開示性一般の時間性
 第六八節 開示性の時性一般
   第六八節 開示性一般の時間性
  (a) 了解の働きの時間性
   (a)了解の時間性
   (a)了解の時間性
  a 理解の時性
    a 理解の時問性
  (b) 情態性の時間性
   (b)心境の時間性
   (b)情状性の時間性
  b 情態性の時性
    b 情態性の時間性
  (c) 転落の時間性
   (c)頽落の時間性 
   (c)頽落の時間性
  c 頽落の時性
    c 頽落の時間性
  (d) 語りの時間性
   (d)話の時間性
    (d)語りの時間性
  d 話の時性
    d 語りの時間性
  第六十九節 世界・内・存在の時間性と、世界の超越の問題
  第69節 世界=内=存在の時間性と、世界の超越の問題
  第六十九節 世界内存在の時間性と、世界の超越の問題
 第六九節 世界の = 内に = 有ることの時性と、世界の超越の問題
   第六九節 世界内存在の時同性と、世界の超越の問題
  (a) 見まわしによる配慮の働きの時間性
   (a)配視的配慮の時間性
   (a)配視的な配慮的気遣いの時間性
  a 見廻し的配慮の時性
    a 目くばりによる配慮的気づかいの時間性
  b) Der zeitliche Sinn der Modifikation des umsichtigen Besorgens zum theoretischen Entdecken des innerweltlich Vorhandenen ....... 356 
  (b) 見まわしによる配慮の働きが、内世界的な目のまえのものを理論的に発見する作用に変様することの時問的意味
   (b)配視的配慮から内世界的客体の理論的発見への変容の時間的意味
   (b)配視的な配慮的気遣いが世界内部的な事物的存在者の理論的暴露へと変容することの時間的意味
  b 見廻し的配慮が内世界的に直前に有るものの理論的発見へと変様することの時性的意味
    b 目くばりによる配慮的た気づかいが、世界内部的に手もとにあるものを理論的に覆いをとって発見することへと変様することの時間的意味
 c) Das zeitliche Problem der Transzendenz der Welt ... 364 
  (c) 庶界の超越の時間的な問題
   (c)世界の超越の時間的問題
   (c)世界の超越の時間的問題
  c 世界の超越の時性的問題
    c 世界の超越をめぐる時間的問題
§ 70. Die Zeitlichkeit der daseinsmäßigen Räumlichkeit ... 367
  第七十節 現存在的な空間性の時間性
  第70節 現存在的空間性の時間性
  第七十節 現存在にふさわしい空間性の時間性
 第七◯節 現有的空間性の時性
   第七〇節 現存在に適合的な空間性にぞくする時間性
§ 71. Der zeitliche Sinn der Alltäglichkeit des Daseins ... 370
  第七十一節 現存在の日常性の時間的意味
  第71節 現存在の日常性の時間的意味
  第七十一節 現存在の日常性の時間的意味
 第七一節 現有の日常性の時性的意味 
   第七一節 現存在の日常性の時間的意味
XI Fünftes Kapitel Zeitlichkeit und Geschichtlichkeit
 第五章 時間性と歴史性
第5章 時間性と歴史性
第五章 時間性と歴史性
第五章 時性と歴史性
  第五章 時間性と歴史性
  第七十二節 歴史の問題を実存論的=存在論的に解明すること
第72節 歴史の問題の実存論的=存在論的提示
第七十二節 歴史の問題の実存論的・存在論的開陳
 第七二節 歴史の問題の実存論的 = 有論的な簡潔にして根本からの展開
   第七二節 歴史の問題の実存論的—存在論的呈示
§ 73. Das vulgäre Verständnis der Geschichte und das Geschehen des Daseins ... 378
  第七十三節 歴史の通俗的な了解と、現存在の生起
第73節 歴史の通俗的理解と現存在の経歴
第七十三節 歴史の通俗的了解内容と現存在の生起
 第七三節 歴史の通俗的理解と現有の経歴
   第七三節 歴史の通俗的了解と現存在の生起
§ 74. Die Grundverfassung der Geschichtlichkeit ... 382 
  第七十四節 歴史性の根本構え
第74節 歴史性の根本的構成
第七十四節 歴史性の根本機構
 第七四節 歴史性の根本体制
   第七四節 歴史性の根本体制
§ 75. Die Geschichtlichkeit des Daseins und die Welt-Geschichte ... 387
  第七十五節 現存在の歴史性と世界=歴史
第75節 現存在の歴史性と世界=歴史
第七十五節 現存在の歴史性と世界・歴史
 第七五節 現有の歴史性と世界 = 歴史
   第七五節 現存在の歴史性と世界—歴史
  第七十六節 現存在の歴史性に発する歴史学の実存論的な起源
第76節 現存在の歴史性にもとづく、歴史学の実存論的根源
第七十六節 現存在の歴史性にもとづく歴史学の実存論的根源
 第七六節 現有の歴史性からの歴史学の実存論的起源
   第七六節 現存在の歴史性にもとづく歴史学の実存論的根源
§ 77. Der Zusammenhang der vorstehenden Exposition des Problems der Geschichtlichkeit mit den Forschungen W. Diltheys und den Ideen des Grafen Yorck ... 397
  第七十七節 歴史性の問題の前述の解明と、W・ディルタイの諸研究およびヨルク伯の諸構想との連関
第77節 歴史性の問題についての上述の論述と、ウィルヘルム・ディルタイの諸研究およびヨルク伯爵の思想との連関      
第七十七節 歴史性の問題の前述の開陳と、W・ディルタイの諸研究およびヨルク伯の諸理念との連関
 第七七節 歴史性の問題の先述の展開と、ウィルヘルム・ディルタイの諸探究及びヨルク伯の諸考想との聯関  
   第七七節 歴史性の問題のこれまでの呈示と、W・ディルタイの研究ならびにヨルク伯の理念との連関
  Sechstes Kapitel Zeitlichkeit und Innerzeitigkeit als Ursprung des vulgären Zeitbegriffes
 第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内部時間性
 第6章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内時性
 第六章 時間性と、通俗的な時間概念の根源としての時間内部性
第六章 時性と、通俗的時間概念の起源としての内時間性
  第六章 時間性、ならびに通俗的時間概念の根源としての時間内部性
  第七十八節 現存在の前述の時間的分析の不完全さ
  第78節 上述した現存在の時間的分析の不備 
  第七十八節 現存在の前述の時間的分析の不完全性
 第七八節 現有の先述の時性的分析の不完備性
   第七八節 現存在のこれまでの時間的分析が不完全であること
  第七十九節 現存在の時間性と、時間を配慮する働き
  第79節 現存在の時間性と時間の配慮
  第七十九節 現存在の時間性と、時間についての配慮的な気遣い
 第七九節 現有の時性と、時を配慮すること
   第七九節 現存在の時間性と、時間についての配慮的な気づかい
  第八十節 配慮された時間と、内部時間性
  第80節 配慮される時間と内時性
  第八十節 配慮的に気遣われた時間と内時性
 第八◯節 配慮された時間と内時間性
   第八〇節 配慮的に気づかわれた時間と、時間内部性
  第八十一節 内部時間性と、通俗的時間概念の発生
  第81節 内時性と、通俗的時間概念の成立 
  第八十一節 時間内部性と、通俗的な時間概念の発生起源
 第八一節 内時間性と、通俗的時間概念の成立
   第八一節 時間内部性と、通俗的時間概念の発生
  第八十二節 時間と精神との関係についてのヘーゲルの見解に対して、時間性・現存在および世界時間という実存論的=存在論的連関を対照させること
  第82節 時間性、現存在および世界時間の実存論的=存在論的連関と、時間と精神の関係についてのヘーゲルの見解との対照
  第八十二節 時間性、現存在、および世界時間の実存論的・存在論的連関と、時間と精神との関係についてのヘーゲルの見解との対照 
 第八二節 時性と現有と世界時間との実存論的 =有論的聯関を、時間と精神との間の関係についてのヘーゲルの見解に対照して際立たせること
   第八二節 ヘーゲルによる時間と精神との関係の把握に対して、時間性、現存在ならびに世界時間の実存論的−存在論的連関をきわだたせること
 a) Hegels Begriff der Zeit ... 428
  (a) へーゲルの時間概念
   (a)ヘーゲルの時間概念
   (a)ヘーゲルの時間概念
  a ヘーゲルの時間概念
    a ヘーゲルの時間概念
 b) Hegels Interpretation des Zusammenhangs zwischen Zeit und Geist ... 433 
  (b) 時間と精神との連関についてのヘーゲルの解釈
   (b)時間と精神の連関についてのヘーゲルの解釈
   (b)時間と精神との連関についてのヘーゲルの学的解釈
  b 時間と精神との聯関についてのヘーゲルの解釈
    b へーゲルによる時間と精神との連関の解釈
§ 83. Die existenzial-zeitliche Analytik des Daseins und die fundamental- ontologische Frage nach dem Sinn von Sein überhaupt ... 436
  第八十三節 現存在の実存論的=時間的分析と、およそ存在なるものの意味への基礎的=存在論的問い
  第83節 現存在の実存論的=時間的分析論と、存在全般の意味への基礎存在論的な問い 
  第八十三節 現存在の実存論的・時間的分析論と、存在一般の意味に対する基礎的存在論的な問い
 第八三節 現有の実存論的・時性的分析論と有の意味一般への基礎的有論の問
第八三節 現存在の実在論的—時間的分析論と、存在一般の意昧への基礎存在論的問い



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マルティン・ハイデガー
存在と時間 
英数字は 細谷 貞夫,ちくま学芸文庫 上下 より

漢数字は中公クラシックス版目次
参考:http://www.kengakusha.com/MHBT.html 

3つ目は 有(う)と時(とき)
辻村公一訳 目次 河出書房(1967年版)
()内は創文社版

注:
同じ訳者による創文社全集版(1997年)では「有論的」は(オントローギッシュな)、「有的」は(オンテッシュな)、「関心」は(慮)、「実存論的」は(実存論的)あるいは(実存論的 - オントローギッシュな)、「廻りの世界」が(廻り世界)等になっている。
創文社全集版には原語に近いという「ハイデッガー」と表記した理由、『有と時』として訳した理由(=繋辞としての有)が訳者の辻村公一によって書かれている。 1997年版は、1967年版にあった九鬼周造の訳語を使用していないという。また、Seinを「有」と訳したのは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時間」)。

4つ目は

ハイデガー『存在と時間』1927 熊野純彦訳 岩波文庫 2013.4
 (マックス・ニューマイヤー社、一九九三年、第一七版 底本)


献辞
序にかえて
gehaltenen Vorlesung.

Vorbemerkung
巻頭言

VII Inhalt 
目次
Die Exposition der Frage nach dem Sinn von Sein 
序論
 存在の意味への問いの提示
序論 存在の意味への問いの開陳
序論 有の意味への問の概要的提示
序論 存在の意味への問いの呈示

Erstes Kapitel Notwendigkeit, Struktur und Vorrang der Seinsfrage
 第1章 存在の問いの必然性、構造および優位
第一章 存在問題の必然性、構造、および優位
第一章 有・の・問の必然性と構造と優位
  第一章 存在の問いの必然性と構造、ならびにその優位
§ 1. Die Notwendigkeit einer ausdrücklichen Wiederholung der Frage nach dem Sein ... 2 
  第1節 存在への問いをあからさまに反復する必然性
  第一節 存在の問いを表立って繰り返すことの必然性
 第一節 有への問を表明的に反復することの必然性
   第一節 存在への問いを明示的に反復することの必要性
§ 2. Die formale Struktur der Frage nach dem Sein ... 5 
  第2節 存在への問いの形式的構造
  第二節 存在への問いの形式的構造 
 第二節 有への問の形式的構造
   第二節 存在への間いの形式的な構造
§ 3. Der ontologische Vorrang der Seinsfrage ... 8 
  第3節 存在問題の存在論的優位
  第三節 存在問題の存在論的優位
 第三節 有・の・問の有論的優位
   第三節 存在の問いの存在論的優位
§ 4. Der ontische Vorrang der Seinsfrage ... 11 
  第4節 存在問題の存在的優位
  第四節 存在問題の存在的優位
 第四節 有・の・問の有的優位 
   第四節 存在の問いの存在的優位

 Zweites Kapitel Die Doppelaufgabe in der Ausarbeitung der Seinsfrage Die Methode der Untersuchung und ihr Aufriß
 第2章 存在問題の開発における二重の構造 考究の方法および構図
第二章 存在問題を仕上げるときの二重の課題 根本的探求の方法とその構図
第二章 有・の・問を仕上げる労作に於ける二重の課題研究の方法と構図
  第二章 存在の問いを仕あげるさいの二重の課題 探究の方法とその概略
§ 5. Die ontologische Analytik des Daseins als Freilegung des Horizontes für eine Interpretation des Sinnes von Sein überhaupt ... 15 
  第5節 存在一般の意味の解釈のための地平を打開する作業としての、現存在の存在論的分析論
  第五節 存在一般の意味を学的に解釈するための地平から
       邪魔者を取り払うこととしての現存在の存在的分析論
 第五節 有の意味全般を研究的に解釈するための地平の露開としての現有の有論的分析論
   第五節 存在一般の意味を解釈するための地平を発掘することとしての、現存在の存在論的分析論
  第6節 存在論の歴史の解体の課題
  第六節 存在論の歴史の破壊という課題 
 第六節 有論の歴史の構造解体という課題
   第六節 存在論の歴史の破壊という課題
  第7節 考究の現象学的方法
  第七節 根本的探求の現象学的方法
 第七節 研究の現象的方法
   第七節 探究の現象学的方法
  A. Der Begriff des Phänomens ... 28 
    A 現象の概念
    A 現象という概念
    a 現象という概念 
    A 現象という概念
 B. Der Begriff des Logos ... 32 
    B ロゴスの概念
     B ロゴスという概念
     b ロゴスという概念
    B ロゴスという概念
 
C. Der Vorbegriff der Phänomenologie ... 34
    C 現象学の予備概念
     C 現象学の予備概念
    c 現象学の予備概念
    C 現象学の予備的概念
§ 8. Der Aufriß der Abhandlung ... 39
  第8節 論考の綱要
  第八節 この論述の構図
 第八節 論攷の構図 
   第八節 論述の構図  


  Erster Teil Die Interpretation des Daseins auf die Zeitlichkeit und die Explikation der Zeit als des transzendentalen Horizontes der Frage nach dem Sein 
第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する
第一部 時間性をめがける現存在の学的解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の究明
第一部 現有を時性に向って解釈することと時を有への問の超越論的地平として解明すること
第一部 時間性へと向けた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の解明

 Erster Abschnitt Die vorbereitende Fundamentalanalyse des Daseins 
 第1編 現存在の準備的な基礎分析
第一篇 現存在の予備的な基礎的分析 
第一編 現有の準備的基礎分析
 第一篇 現存在の予備的な基礎的分析

 Erstes Kapitel Die Exposition der Aufgabe einer vorbereitenden Analyse des Daseins 
  第1章 現存在の準備的分析の課題の提示
第一章 現存在の予備的分析の課題の開陳
 第一章 現有の準備的分析という課題の概要的展開
  第一章 現存在の予備的分析の課題の呈示
   第9節 現存在の分析論の主題
  第九節 現存在の分析論の主題
 第九節 現有の分析論の主題
   第九節 現存在の分析論の主題
§ 10. Die Abgrenzung der Daseinsanalytik gegen Anthropologie, Psy- chologie und Biologie ... 45
   第10節 人間学、心理学および生物学に対する現存在の分析論の境界設定
  第十節 人間学、心理学、および生物学に対して、現存在の分析論の境界を画すること
 第一〇節 人間学と心理学と生物学とに対する現有分析論の限界づけ
   第一〇節 人間学、心理学および生物学に対して、現存在の分析論を境界づけること
   第11節 実存論的分析論と未開的現存在の解釈、「自然的世界概念」を取得することの困難さ
  第十一節 実存論的分析論と未開の現存在の学的解釈 「自然的な世界概念」を獲得することの諸困難
 第一一節 実存論的分析論と未開的現有の解釈。「自然的な世界概念」を獲得することに属する諸困難
   第一一節 実存論的分析論と未開の現存在の解釈 「自然的世界概念」を獲得することのむずかしさ

  VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般 
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般

§ 12. Die Verzeichnung des In-der-Welt-seins aus der Orientierung am In-Sein als solchem ... 52 
   第12節 世界=内=存在を、内=存在そのものを手引きとして素描する
  第十二節 内存在そのものに定位することにもとづいて描かれた世界内存在の下図
 第一二節 内に=有ることそのことに定位しつつ世界の=内に=有ることを予め輪郭づけすること
   第一二節 内存在そのものに方向づけることにもとづいて、世界内存在をあらかじめ素描すること
§ 13. Die Exemplifizierung des In-Seins an einem fundierten Modus. Das Welterkennen ... 59 
   第13節 ひとつの基づけられた様態についてなされる、内=存在の例示 世界認識
  第十三節 一つの基礎づけられた様態で示された内存在の範例 世界認識
 第一三節 内に=有ることを或る一つの基礎づけられた様態に即して例示すること。世界認識
   第一三節 或る基底づけられた様態による、内存在の範例化 世界認識

 Drittes Kapitel Die Weltlichkeit der Welt 
 第3章 世界の世界性
第三章 世界の世界性
第三章 世界の世界性
  第三章 世界が世界であること
    第14節 世界一般の世界性の理念
  第十四節 世界一般の世界性の理念
 第一四節 世界の世界性一般という理念
   第一四節 世界一般の世界性の理念
A 環境性と世界性一般の分析
A 環境世界性と世界性一般との分析
A 廻りの世界性と世界性一般との分析
  A 周囲世界性と世界性一般との分析
§ 15. Das Sein des in der Umwelt begegnenden Seienden ... 66 
    第15節 環境世界のなかで出会う存在者の存在
     第十五節 環境世界の内で出会われる存在者の存在
    第一五節 廻りの世界のなかで出会われる有るものの有
   第一五節 周囲世界のうちで出会われる存在者の存在
    第16節 内世界的存在者において通示される、環境世界の世界適合性
     第十六節 世界内部的存在者に即しておのれを告げるところの、環境世界の世界適合性
    第一六節 内世界的に有るものに即してそれ自身を通告する廻りの世界適合性
   第一六節 世界内部的な存在者にそくしてじぶんを告げる、周囲世界の世界適合性
§ 17. Verweisung und Zeichen ... 76 
    第17節 指示と記号
     第十七節 指示と記号
    第一七節 附託と記号(指し向けと標示)
   第一七節 指示としるし
    第18節 趣向性と有意義性、世界の世界性
     第十八節 適所性と有意義性  世界の世界性
    第一八節 帰趨(趨向)と指示性、世界の世界性
   第一八節 適所性と有意義性——世界の世界性
 B. Die Abhebung der Analyse der Weltlichkeit gegen die Interpretation der Welt bei Descartes 
B 世界性の分析を、デカルトにおける世界の解釈と比較対照する
B 世界性の分析をデカルトでみられる世界の学的解釈に対して対照させること
B デカルトに於ける世界の解釈に対して世界性の分析を対照させること
  B デカルトにおける世界の解釈に対して、世界性の分析をきわだだせること
§ 19. Die Bestimmung der »Welt« als res extensa ... 89 
    第19節 res extensaとしての「世界」の規定
     第十九節 拡ガリアルモノとしての「世界」の規定
    第十九節 「世界」を延長セル物<res extensia>として規定すること
   第一九節 res extensa としての「世界」の規定
§ 20. Die Fundamente der ontologischen Bestimmung der »Welt« ... 92 
    第20節 「世界」の存在論的規定の基礎
     第二十節 「世界」の存在論的規定の諸基礎
    第二◯節 「世界」の有論的規定の諸基礎
   第二〇節 「世界」の存在論的規定の基礎
§ 21. Die hermeneutische Diskussion der cartesischen Ontologie der »Welt« ... 95 
    第21節 デカルトの「世界」存在論の解釈学的論究
     第二十一節 「世界」のデカルト的存在論についての解釈学的討議
    第二一節 デカルトの「世界」有論に関する解釈学的論議
   第二一節 「世界」をめぐるデカルトの存在論についての解釈学的討議
C 環境世界の「身の廻り」的性格と現存在の空間性
C 環境世界の環境性と現存在の空間性
C 廻りの世界の廻りという性格と現有の「空間性」
  C 周囲世界が〈周囲であること〉と、現存在の空間性
    第22節 世界の内部にある用具的存在者の空間性
     第二十二節 世界内部的な道具的存在者の空間性
    第二二節 内世界的に手許に有るものの空間性
   第二二節 世界内部的に手もとにあるものの空間性
§ 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins ... 104 
    第23節 世界=内=存在の空間性
    第二十三節 世界内存在の空間性
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性
   第二三節 世界内存在の空間性
§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum ... 110 
    第24節 現存在の空間性と空間
    第二十四節 現存在の空間性と空間
    第二四節 現有の空間性と空間
   第二四節 現存在の空間性と空間

Viertes Kapitel Das In-der-Welt-sein als Mit- und Selbstsein. Das »Man« 
  第4章 共同存在と自己存在としての世界=内=存在、「世間」
  第四章 共存在および自己存在としての世界内存在―「世人」
  第四章 共に有ることと自己で有ることとしての世界の = 内に = 有ること。「ひと」
  第四章 共同存在ならびに自己存在としての世界内存在 「ひと」
   第25節 現存在の誰れかをたずねる実論的な問いの手がかり
   第二十五節 現存在の誰かに対する実在論的な問いのために置かれた発端
   第二五節 現有の誰への実存論的問の着手(設定)
   第二五節 現存在が〈だれ〉、であるかへの、実存論的な問いの着手点
   第26節 ほかの人びとの共同現存在と日常的共同存在
   第二十六節 他者の共現存在と日常的な共存在
   第二六節 他人の共現有と日常的な共に有ること
   第二六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
   第27節 日常的自己存在と世間
   第二十七節 日常的な自己存在と世人
   第二七節 日常的に自己であることとひと 
   第二七節 日常的な自己存在と〈ひと〉


Fünftes Kapitel Das In-Sein als solches 
  第5章 内=存在そのもの
  第五章 内存在そのもの
第五章 内に = 有ることそのこと
  第五章 内存在そのもの
   第28節 内=存在を主題的に分析する課題
   第二十八節 内存在の主題的な分析の課題
 第二八節 内に = 有ることを主題的に分析するという課題
   第二八節 内存在の主題的分析の課題
 A. Die existenziale Konstitution des Da 
  A 現の実存論的構成
   A 現の実存論的構成
  A 現の実存論的構成
  A〈現〉の実存論的構成
    第29節 心境としての現=存在
    第二十九節 情状性としての現にそこに開示されている開示 
 第二九節 情態性としての現に = 有ること
   第二九節 情態性としての現—存在
§ 30. Die Furcht als ein Modus der Befindlichkeit ... 140 
    第30節 心境のひとつの様態としての別れ
    第三十節 情状性の一つの様態としての恐れ
 第三◯節 情態性の一様態としての恐れ
   第三〇節 情態性の一様態としての恐れ
    第31節 了解としての現=存在
    第三十一節 了解としての現にそこに開示されている現存在
 第三一節 理解としての現に = 有ること
   第三一節 理解としての現—存在
§ 32. Verstehen und Auslegung ... 148 
    第32節 了解と解意
    第三十二節 了解と解釈
 第三二節 理解と解釈
   第三二節 理解と解釈
§ 33. Die Aussage als abkünftiger Modus der Auslegung ... 154  
   第33節 解意の派生的様態としての言明
    第三十三節 解釈の派生的様態としての陳述
 第三三節 解釈の派生的様態としての陳述
   第三三節 解釈の派生的様態としての言明
    第34節 現=存在と話、言語
    第三十四節 現にそこに開示されている現存在と語り  言語
 第三四節 現に = 有ることと話。言葉
   第三四節 現—存在と語り。ことば

   B 現の日常的存在と現存在の頽落
   B 現の日常的存在と現存在の頽落
  B 現の日常的有と現有の頽落
  B〈現〉の目常的存在と、現存在の頽落
§ 35. Das Gerede ... 167 
    第35節 世間話
    第三十五節 空談
 第三五節 空話(雑談)
   第三五節 空談
§ 36. Die Neugier ... 170 
    第36節 好奇心
    第三十六節 好奇心
 第三六節 好奇心
   第三六節 好奇心
§ 37. Die Zweideutigkeit ... 173 
    第37節 曖昧さ
    第三十七節 曖昧性
 第三七節 曖昧性
   第三七節 あいまいさ
    第38節 頽落と被投性
    第三十八節 頽落と被投性
 第三八節 頽落と被投性
   第三八節 頽落と被投性


Sechstes Kapitel Die Sorge als Sein des Daseins 
  第6章 現存在の存在としての関心
  第六章 現存在の存在としての気遣い
第六章 現有の有としての関心(慮)
  第六章 現存在の存在としての気づかい
    第39節 現存在の構造全体の根源的全体性への問い
    第三十九節 現存在の構造全体の根源的な全体性に対する問い
 第三九節 現有の構造全体の根源的全体性への問
   第三九節 現存在の構造全体の根源的な全体性への問い
    第40節 現存在の際立った開示態としての不安という根本的心境
    第四十節 現存在の際立った開示性としての不安という根本情状性
 第四◯節 現有の卓抜なる開示性としての不安という根本情態性
   第四〇節 現存在のきわだった開示性である、不安という根本的情態性
    第41節 関心としての現存在の存在
    第四十一節 気遣いとしての現存在の存在
 第四一節 関心(慮)としての現有の有
   第四一節 気づかいとしての現存在の存在
§ 42. Die Bewährung der existenzialen Interpretation des Daseins als Sorge aus der vorontologischen Selbstauslegung des Daseins ... 196 
    第42節 関心としての現存在の実論的解釈を、現存在の前=存在論的な自己解意によって検証する
    第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづく、気遣いとしての現存在の実存論的な学的解釈の確証
 第四二節 現有を関心として解釈する実存論的解釈を、現有の前有論的自己解釈にもとづいて、その真なることを確証すること
   第四二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづいて、気づかいとしての現存在の実存論的解釈を確証すること
   
    第43節 現存在、世界性および実在性
    第四十三節 現存在、世界性および実在性
 第四三節 現有と世界性と実在性
   第四三節 現存在、世界性、および実在性
     (a)「外界」の存在と証明可能性との問題としての実存性
     (a)「外的世界」の存在と証明可能性との問題としての実在性
  a 「外<的世>界」の有と証明可能性との問題としての実在性
    a 「外界」の存在と証明可能性の問題としての実在性
     (b)存在論的問題としての実在性
     (b)存在論的問題としての実在性
  b 有論的問題としての実在性
    b 存在論的問題としての実在性
c) Realität und Sorge ... 211 
     (c)実在性と関心
     (c)実在性と気遣い
  c 実在性と関心
    c 実在性と気づかい
    第44節 現存在、開示態および真理性
    第四十四節 現存在、開示性および真理
 第四四節 現有と開示性と真性
   第四四節 現存在、開示性、および真理
a) Der traditionelle Wahrheitsbegriff und seine ontologischen Fundamente ... 214 
     (a)伝統的な心理概念とその存在論的基礎
     (a)真理の根源的現象と伝統的真理概念とその存在論的な諸基礎
  a 伝統的真性概念とその有論的諸基礎
    a 伝統的な真理概念とその存在論的基礎
b) Das ursprüngliche Phänomen der Wahrheit und die Abkünf- tigkeit des traditionellen Wahrheitsbegriffes ... 219 
     (b)真理性の根源的現象と、伝統的心理概念の派生的性格
     (b)真理の根源的現象と伝統的真理概念の派生性
  b 真性の根源的現象と伝統的真性概念の派生性
    b 真理の根源的現象、ならびに伝統的真理概念が派生的なものであること
c) Die Seinsart der Wahrheit und die Wahrheitsvoraussetzung ....... 226 
     (c)真理の存在様相と真理の前提
     (c)真理の存在様式と真理前提
  c 真性の有り方と真性の前提
    c 真理が存在するしかたと、真理の前提

(下)
Zweiter Abschnitt Dasein und Zeitlichkeit 
第2編 現存在と時間性
第二編 現存在と時間性
第二編 現有と時性
 第二篇 現存在と時間性

§ 45. Das Ergebnis der vorbereitenden Fundamentalanalyse des Daseins und die Aufgabe einer ursprünglichen existenzialen Interpretation dieses Seienden ... 231 
  第45節 現存在の準備的基礎分析の成果と、この存在者の根源的な実論的解釈の課題
  第四十五節 現存在の予備的な基礎分析の成果と、この存在者の根源的な実存論的な学的解釈の課題
 第四五節 現有の準備的基礎的分析の成果とこの有るもの<すなわち、現有>の根源的な実存論的解釈という課題
   第四五節 現存在の予備的な基礎的分析の成果と、この存在者の根源的な実存論的解釈の課題
Erstes Kapitel Das mögliche Ganzsein des Daseins und das Sein zum Tode 
 第1章 現存在の可能的な全体存在と、死へ臨む存在
 第一章 現存在の可能的な全体存在と、死へとかかわる存在
第一章 現有に可能な全体に・有あることと死への有
  第一章 現存在の可能な全体的存在と、死へとかかかる存在
  第46節 現存在的な全体存在を存在論的に把握し規定することの、みかけの不可能性
  第四十六節 現存在にふさわしい全体存在を存在論的に捕捉し規定することの外見上の不可能性
 第四六節 現有に可能な全体に・有ることを有論的に把捉し規定することの外見上の不可能性
   第四六節 現存在に適合的な全体的な存在を存在論的に把握し、規定することの見かけ上の不可能性
§ 47. Die Erfahrbarkeit des Todes der Anderen und die Erfassungs- möglichkeit eines ganzen Daseins ... 237 
  第47節 ほかの人びとの死についての経験の可能性と、全たき現存在の把捉の可能性
  第四十七節 他者の死の経験可能性と全体的な現存在の捕捉可能性
 第四七節 他人の死の経験可能性と現有全体の把捉可能性
   第四七節 他者たちの死の経験可能性と、全体的な現存在の把握可能性
§ 48. Ausstand, Ende und Ganzheit ... 241 
  第48節 未済、終末ならびに全体性
  第四十八節 未済、終り、および全体性
 第四八節 未済の終末と全体性
   第四八節 未済、おわり、および全体性
§ 49. Die Abgrenzung der existenzialen Analyse des Todes gegenüber möglichen anderen Interpretationen des Phänomens ... 246 
  第49節 死の実存論的分析と、この現象についておこないうる諸他の解釈との対照的区別
  第四十九節 死の実存論的分析を、この現象について可能な他の学的諸解釈に対して限定すること
 第四九節 死の実存論的分析を<死という>この現象に関して可能なるその他の諸解釈に対して区別し境界づけること
   第四九節 死の実存論的分析を、当の現象について他に可能な解釈に対して境界づけること
  第50節 死の実存論的=存在論的構造の素描
  第五十節 死の実存論的存在論的構造の下図
 第五◯節 死の実存論的有論的構造の先行的輪郭づけ
   第五〇節 死の実存論的—存在論的構造をあらかじめ素描すること
  第51節 死へ臨む存在と、現存在の日常性
  第五十一節 死へとかかわる存在と現存在の日常性
 第五一節 死への有と現有の日常性
   第五一節 死へとかかわる存在と、現存在の日常性
§ 52. Das alltägliche Sein zum Ende und der volle existenziale Begriff des Todes ... 255
  第52節 終末へ臨む日常的存在と、死についての十全な実存論的概念
  第五十二節 終りへとかかわる日常的な存在と、死の完全な実存論的概念
 第五二節 終末への日常的な有と死の充全な実存論的概念
   第五二節 おわりへとかかかる日常的な存在と、死の完全な実存論的概念
  第53節 本来的な〈死へ臨む存在〉の実存論的投企 
  第五十三節 死へとかかわる本来的な存在の実存論的企投
 第五三節 死への本来的有の実存論的企投
   第五三節 死へとかかわる本来的な存在の実存論的投企


Zweites Kapitel Die daseinsmäßige Bezeugung eines eigentlichen Seinkönnens und die Entschlossenheit 
 第2章 本来的な存在可能の現存在的な臨証と、覚悟性
 第二章 本来的な存在しうることの現存在にふさわしい証しと、決意性
第二章 本来的に有り・得ることの現有的な証しと覚悟性
  第二章 本来的な存在可能の現存在によるあかしと、決意性
  第54節 本来的な実存的可能性の臨床の問題
  第五十四節 本来的な実存的可能性の証しの問題
 第五四節 本来的な実存的可能性を証することの問題
   第五四節 本来的な実存的可能性のあかしという問題
§ 55. Die existenzial-ontologischen Fundamente des Gewissens ... 270 
  第55節 良心の実存論的=存在論的基礎
  第五十五節 良心の実存論的・存在論的な諸基礎
 第五五節 良心の実存論的・有論的諸基礎
   第五五節 良心の実存論的—存在論的な諸基礎
§ 56. Der Rufcharakter des Gewissens ... 272 
  第56節 良心の呼び声としての性格
  第五十六節 良心の呼び声の性格
 第五六節 良心の喚び声という性格
   第五六節 良心の呼び声の性格
§ 57. Das Gewissen als Ruf der Sorge ... 274 
  第57節 関心の呼び声としての良心
  第五十七節 気遣いの呼び声としての良心
 第五七節 関心の喚び声としての良心
   第五七節 気づかいの呼び声としての良心
  第58節 呼びかけの了解と負い目
  第五十八節 呼びかけの了解と責め
 第五八節 喚び掛けの理解と負目
   第五八節 呼びかけの理解と負い目
§ 59. Die existenziale Interpretation des Gewissens und die vulgäre Gewissensauslegung ... 289 
  第59節 良心の実存論的解釈と、通俗的な良心解意
  第五十九節 良心の実存論的な学的解釈と通俗的な良心解釈
 第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
   第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
§ 60. Die existenziale Struktur des im Gewissen bezeugten eigentlichen Seinkönnens ... 295 
  第60節 良心において臨証される本来的存在可能の実存論的構造
  第六十節 良心において証しされた本来的な存在しうることの実存論的構造
 第六◯節 良心に於て証されたる本来的に有り・得ることの実存論的構造
   第六〇節 良心にあっておかしを与えられた本来的な存在可能の実存論的構造


 Drittes Kapitel Das eigentliche Ganzseinkönnen des Daseins und die Zeitlichkeit als der ontologische Sinn der Sorge
 第3章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味としての時間性
 第三章 現存在の本来的な全体存在しうることと、気遣いの存在的な意味としての時間性
第三章 現有の本来的な全体的に・有り・得ることと、関心の有論的意味としての時性
  第三章 現存在の本来的な全体的存在可能と、気づかいの存在論的意味としての時間性
  第61節 現存在の本来的な全体存在の画定から時間性の現象的打開へいたる方法的進路の素描
  第六十一節 現存在にふさわしい本来的な全体存在の限界づけより、時間性から邪 魔者を現象的に取り払うことへといたる方法的な歩みの下図
 第六一節 現有の本来的な全体的に・有ることの境界づけから時性の現象的露開に至る方法的歩みの先行的輪郭づけ
   第六一節 現存在の本来的な全体的存在の劃定から、時間性の現象的な発掘へといたる方法的な歩みをあらかじめ素描すること
  第62節 先駆的覚悟性としての現存性の実存的=本来的な全体存在可能
  第六十二節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体存在しうること
 第六二節 先駆的覚悟性としての現有の実存的に本来的な全体的に・有り・得ること
   第六二節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体的存在可能
§ 63. Die für eine Interpretation des Seins-sinnes der Sorge gewonnene hermeneutische Situation und der methodische Charakter der exi- stenzialen Analytik überhaupt ... 310 
  第63節 関心の存在意味の解釈のために得られた解釈学的状況と、実存論的分析論全般の方法的性格
  第六十三節 気遣いの存在意味の学的解釈のために獲得された解釈学的状況と、実存論的分析論一般の方法的性格
 第六三節 関心の有・の・意味を解釈するために獲得されたる解釈学的状況と実存論的分析論の方法的性格一般
   第六三節 気づかいの存在意味を解釈するために獲得された解釈学的状況と、実存論的分析論一般の方法的な性格
§ 64. Sorge und Selbstheit ... 316 
  第64節 関心と自己性
  第六十四節 気遣いと自己性
 第六四節 関心と自己性
   第六四節 気づかいと自己性
  第65節 関心の存在論的意味としての時間性
  第六十五節 気遣いの存在論的意味としての時間性
 第六五節 関心の有論的意味としての時性
   第六五節 気づかいの存在論的意味としての時間性
§ 66. Die Zeitlichkeit des Daseins und die aus ihr entspringenden Auf- gaben einer ursprünglicheren Wiederholung der existenzialen Analyse ... 331
  第66節 現存在の時間性と、そこから生ずる実存論的分析のいっそう根源的な反復の課題
  第六十六節 現存在の時間性と、この時間性から発現する実存論的分析のいっそう根源的な繰り返しの諸課題
 第六六節 現有の時性と、この時性から発源して来る、実存論的分析の一層根源的なる反復に属する諸課題
   第六六節 現存在の時問性、ならびにその時間性から発現する、実存論的分析のより根源的な反復という課題

  Viertes Kapitel Zeitlichkeit und Alltäglichkeit
 第4章 時間性と日常性
 第四章 時間性と日常性
第四章 時性と日常性
  第四章 時間性と日常性
  第67節 現存在の実存論的構成の基綱と、その構成の時間的解釈の素描
  第六十七節 現存在の実存論的機構の根本事態と、この機構の時間的な学的解釈の下図
 第六七節 現有の実存論的体制の根本成分と、この体制の時性的解釈の先行的輪郭づけ
   第六七節 現存在の実存論的体制の根本的なりたちと、その体制の時間的解釈の素描
  第68節 開示態一般の時間性
  第六十八節 開示性一般の時間性
 第六八節 開示性の時性一般
   第六八節 開示性一般の時間性
   (a)了解の時間性
   (a)了解の時間性
  a 理解の時性
    a 理解の時問性
   (b)心境の時間性
   (b)情状性の時間性
  b 情態性の時性
    b 情態性の時間性
   (c)頽落の時間性 
   (c)頽落の時間性
  c 頽落の時性
    c 頽落の時間性
   (d)話の時間性
    (d)語りの時間性
  d 話の時性
    d 語りの時間性
  第69節 世界=内=存在の時間性と、世界の超越の問題
  第六十九節 世界内存在の時間性と、世界の超越の問題
 第六九節 世界の = 内に = 有ることの時性と、世界の超越の問題
   第六九節 世界内存在の時同性と、世界の超越の問題
   (a)配視的配慮の時間性
   (a)配視的な配慮的気遣いの時間性
  a 見廻し的配慮の時性
    a 目くばりによる配慮的気づかいの時間性
  b) Der zeitliche Sinn der Modifikation des umsichtigen Besorgens zum theoretischen Entdecken des innerweltlich Vorhandenen ....... 356 
   (b)配視的配慮から内世界的客体の理論的発見への変容の時間的意味
   (b)配視的な配慮的気遣いが世界内部的な事物的存在者の理論的暴露へと変容することの時間的意味
  b 見廻し的配慮が内世界的に直前に有るものの理論的発見へと変様することの時性的意味
    b 目くばりによる配慮的た気づかいが、世界内部的に手もとにあるものを理論的に覆いをとって発見することへと変様することの時間的意味
 c) Das zeitliche Problem der Transzendenz der Welt ... 364 
   (c)世界の超越の時間的問題
   (c)世界の超越の時間的問題
  c 世界の超越の時性的問題
    c 世界の超越をめぐる時間的問題
§ 70. Die Zeitlichkeit der daseinsmäßigen Räumlichkeit ... 367
  第70節 現存在的空間性の時間性
  第七十節 現存在にふさわしい空間性の時間性
 第七◯節 現有的空間性の時性
   第七〇節 現存在に適合的な空間性にぞくする時間性
§ 71. Der zeitliche Sinn der Alltäglichkeit des Daseins ... 370
  第71節 現存在の日常性の時間的意味
  第七十一節 現存在の日常性の時間的意味
 第七一節 現有の日常性の時性的意味 
   第七一節 現存在の日常性の時間的意味

XI Fünftes Kapitel Zeitlichkeit und Geschichtlichkeit
第5章 時間性と歴史性
第五章 時間性と歴史性
第五章 時性と歴史性
  第五章 時間性と歴史性
第72節 歴史の問題の実存論的=存在論的提示
第七十二節 歴史の問題の実存論的・存在論的開陳
 第七二節 歴史の問題の実存論的 = 有論的な簡潔にして根本からの展開
   第七二節 歴史の問題の実存論的—存在論的呈示
§ 73. Das vulgäre Verständnis der Geschichte und das Geschehen des Daseins ... 378
第73節 歴史の通俗的理解と現存在の経歴
第七十三節 歴史の通俗的了解内容と現存在の生起
 第七三節 歴史の通俗的理解と現有の経歴
   第七三節 歴史の通俗的了解と現存在の生起
§ 74. Die Grundverfassung der Geschichtlichkeit ... 382 
第74節 歴史性の根本的構成
第七十四節 歴史性の根本機構
 第七四節 歴史性の根本体制
   第七四節 歴史性の根本体制
§ 75. Die Geschichtlichkeit des Daseins und die Welt-Geschichte ... 387
第75節 現存在の歴史性と世界=歴史
第七十五節 現存在の歴史性と世界・歴史
 第七五節 現有の歴史性と世界 = 歴史
   第七五節 現存在の歴史性と世界—歴史
第76節 現存在の歴史性にもとづく、歴史学の実存論的根源
第七十六節 現存在の歴史性にもとづく歴史学の実存論的根源
 第七六節 現有の歴史性からの歴史学の実存論的起源
   第七六節 現存在の歴史性にもとづく歴史学の実存論的根源
§ 77. Der Zusammenhang der vorstehenden Exposition des Problems der Geschichtlichkeit mit den Forschungen W. Diltheys und den Ideen des Grafen Yorck ... 397
第77節 歴史性の問題についての上述の論述と、ウィルヘルム・ディルタイの諸研究およびヨルク伯爵の思想との連関      
第七十七節 歴史性の問題の前述の開陳と、W・ディルタイの諸研究およびヨルク伯の諸理念との連関
 第七七節 歴史性の問題の先述の展開と、ウィルヘルム・ディルタイの諸探究及びヨルク伯の諸考想との聯関  
   第七七節 歴史性の問題のこれまでの呈示と、W・ディルタイの研究ならびにヨルク伯の理念との連関

  Sechstes Kapitel Zeitlichkeit und Innerzeitigkeit als Ursprung des vulgären Zeitbegriffes
 第6章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内時性
 第六章 時間性と、通俗的な時間概念の根源としての時間内部性
第六章 時性と、通俗的時間概念の起源としての内時間性
  第六章 時間性、ならびに通俗的時間概念の根源としての時間内部性
  第78節 上述した現存在の時間的分析の不備 
  第七十八節 現存在の前述の時間的分析の不完全性
 第七八節 現有の先述の時性的分析の不完備性
   第七八節 現存在のこれまでの時間的分析が不完全であること
  第79節 現存在の時間性と時間の配慮
  第七十九節 現存在の時間性と、時間についての配慮的な気遣い
 第七九節 現有の時性と、時を配慮すること
   第七九節 現存在の時間性と、時間についての配慮的な気づかい
  第80節 配慮される時間と内時性
  第八十節 配慮的に気遣われた時間と内時性
 第八◯節 配慮された時間と内時間性
   第八〇節 配慮的に気づかわれた時間と、時間内部性
  第81節 内時性と、通俗的時間概念の成立 
  第八十一節 時間内部性と、通俗的な時間概念の発生起源
 第八一節 内時間性と、通俗的時間概念の成立
   第八ー節 時間内部性と、通俗的時間概念の発生
  第82節 時間性、現存在および世界時間の実存論的=存在論的連関と、時間と精神の関係についてのヘーゲルの見解との対照
  第八十二節 時間性、現存在、および世界時間の実存論的・存在論的連関と、時間と精神との関係についてのヘーゲルの見解との対照 
 第八二節 時性と現有と世界時間との実存論的 =有論的聯関を、時間と精神との間の関係についてのヘーゲルの見解に対照して際立たせること
   第八二節 ヘーゲルによる時間と精神との関係の把握に対して、時間性、現存在ならびに世界時間の実存論的−存在論的連関をきわだたせること
 a) Hegels Begriff der Zeit ... 428
   (a)ヘーゲルの時間概念
   (a)ヘーゲルの時間概念
  a ヘーゲルの時間概念
    a ヘーゲルの時間概念
 b) Hegels Interpretation des Zusammenhangs zwischen Zeit und Geist ... 433 
   (b)時間と精神の連関についてのヘーゲルの解釈
   (b)時間と精神との連関についてのヘーゲルの学的解釈
  b 時間と精神との聯関についてのヘーゲルの解釈
    b へーゲルによる時間と精神との連関の解釈
§ 83. Die existenzial-zeitliche Analytik des Daseins und die fundamental- ontologische Frage nach dem Sinn von Sein überhaupt ... 436
  第83節 現存在の実存論的=時間的分析論と、存在全般の意味への基礎存在論的な問い 
  第八十三節 現存在の実存論的・時間的分析論と、存在一般の意味に対する基礎的存在論的な問い
 第八三節 現有の実存論的・時性的分析論と有の意味一般への基礎的有論の問
第八三節 現存在の実在論的—時間的分析論と、存在一般の意昧への基礎存在論的
問い


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新岩波文庫版の刊行で入手可能な『存在と時間』の訳は全五種になった。

桑木務 訳 旧岩波 1960-3
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
辻村公一 訳 河出1967,創文社1997
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
熊野純彦 訳 新岩波 2013

新岩波訳は今までのすべての邦訳を参照、訳語を取り入れている。例えば、15節Umwelt「周囲」は辻村訳、22節Gegend「方位」、23節Man「ひと」は旧岩波訳を参照している。全体としては中公とちくま版、とくに中公版に印象は近いが、ひらがなを多用し、より現象学的なアプローチとなっている。

ちなみに旧岩波だけ38節 Verfallen は「頽落」ではなく「転落」となっている(旧岩波版はドイツ語原文を活かした竹を割る文体で逆に読みにくいが三巻本区分の仕方は一番納得出来る)。

これまでの訳の中では中公版が一番読みやすいがちくま版のようにギリシア語の注解が十分だというわけではないのが欠点だった。
ちくま版は少し日本語として読みにくい。全集版と旧岩波版はそれよりもなお読みにくかった。新岩波版はこの両者の欠点を補って決定版となり得ている。
ただし、原著を成立させていた第一次大戦後の死を先取りするような緊張感はここにはない。
本来は木田元が訳すべきなのだが、、、
また挟まれる注解は親切で的確だが別に解説書を書くべきだと思う。ハイデガー自身の注解が存在感を無くしているからだ。
以下の第一巻冒頭に紹介された総目次を読んだ限りでは日本語として一番こなれた翻訳であることは間違いないので続巻(全四巻)を楽しみにしたい。



 ハイデガー『存在と時間』1927 熊野純彦訳 岩波文庫 2013.4 
 (マックス・ニューマイヤー社、一九九三年、第一七版 底本)

   総 目 次

   一九五三年 第七版へのまえがき
序論 存在の意味への問いの呈示
  第一章 存在の問いの必然性と構造、ならびにその優位
   第一節 存在への問いを明示的に反復することの必要性
   第二節 存在への問いの形式的な構造
   第三節 存在の問いの存在論的優位
   第四節 存在の問いの存在的優位
  第二章 存在の問いを仕あげるさいの二重の課題 探究の方法とその概略
   第五節 存在一般の意味を解釈するための地平を発掘することとしての、
      現存在の存在論的分析論
   第六節 存在論の歴史の破壊という課題
   第七節 探究の現象学的方法
    A 現象という概念
    B ロゴスという概念
    C 現象学の予備的概念
   第八節 論述の構図

第一部 時間性へと向けた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的
   地平としての時間の解明
 第一篇 現存在の予備的な基礎的分析
  第一章 現存在の予備的分析の課題の呈示
   第九節 現存在の分析論の主題
   第一〇節 人間学、心理学および生物学に対して、現存在の分析論を
       境界づけること
   第一一節 実存論的分析論と未開の現存在の解釈 「自然的世界概念」を
       獲得することのむずかしさ
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
   第一二節 内存在そのものに方向づけることにもとづいて、世界内存在を
       あらかじめ素描すること
   第一三節 或る基底づけられた様態による、内存在の範例化 世界認識
  第三章 世界が世界であること
   第一四節 世界一般の世界性の理念
  A 周囲世界性と世界性一般との分析
   第一五節 周囲世界のうちで出会われる存在者の存在
   第一六節 世界内部的な存在者にそくしてじぶんを告げる、周囲世界の
       世界適合性
   第一七節 指示としるし
   第一八節 適所性と有意義性——世界の世界性
  B デカルトにおける世界の解釈に対して、世界性の分析をきわだだ
   せること
   第一九節 res extensa としての「世界」の規定
   第二〇節 「世界」の存在論的規定の基礎
   第二一節 「世界」をめぐるデカルトの存在論についての解釈学的討議
  C 周囲世界が〈周囲であること〉と、現存在の空間性
   第二二節 世界内部的に手もとにあるものの空間性
   第二三節 世界内存在の空間性
   第二四節 現存在の空間性と空間
                           (以上、第一分冊)

  第四章 共同存在ならびに自己存在としての世界内存在 「ひと」
   第二五節 現存在が〈だれ〉、であるかへの、実存論的な問いの着手点
   第二六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
   第二七節 日常的な自己存在と〈ひと〉
  第五章 内存在そのもの
   第二八節 内存在の主題的分析の課題
  A〈現〉の実存論的構成
   第二九節 情態性としての現—存在
   第三〇節 情態性の一様態としての恐れ
   第三一節 理解としての現—存在
   第三二節 理解と解釈
   第三三節 解釈の派生的様態としての言明
   第三四節 現—存在と語り。ことば
  B〈現〉の目常的存在と、現存在の頽落
   第三五節 空談
   第三六節 好奇心
   第三七節 あいまいさ
   第三八節 頽落と被投性
  第六章 現存在の存在としての気づかい
   第三九節 現存在の構造全体の根源的な全体性への問い
   第四〇節 現存在のきわだった開示性である、不安という根本的情態性
   第四一節 気づかいとしての現存在の存在
   第四二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづいて、気づかいとしての
       現存在の実存論的解釈を確証すること
   第四三節 現存在、世界性、および実在性
    a 「外界」の存在と証明可能性の問題としての実在性
    b 存在論的問題としての実在性
    c 実在性と気づかい
   第四四節 現存在、開示性、および真理
    a 伝統的な真理概念とその存在論的基礎
    b 真理の根源的現象、ならびに伝統的真理概念が派生的なものであること
    c 真理が存在するしかたと、真理の前提
                           (以上、第二分冊)

 第二篇 現存在と時間性
   第四五節 現存在の予備的な基礎的分析の成果と、この存在者の根源的な
       実存論的解釈の課題
  第一章 現存在の可能な全体的存在と、死へとかかかる存在
   第四六節 現存在に適合的な全体的な存在を存在論的に把握し、規定する
       ことの見かけ上の不可能性
   第四七節 他者たちの死の経験可能性と、全体的な現存在の把握可能性
   第四八節 未済、おわり、および全体性
   第四九節 死の実存論的分析を、当の現象について他に可能な解釈に
       対して境界づけること
   第五〇節 死の実存論的—存在論的構造をあらかじめ素描すること
   第五一節 死へとかかわる存在と、現存在の日常性
   第五二節 おわりへとかかかる日常的な存在と、死の完全な実存論的概念
   第五三節 死へとかかわる本来的な存在の実存論的投企
  第二章 本来的な存在可能の現存在によるあかしと、決意性
   第五四節 本来的な実存的可能性のあかしという問題
   第五五節 良心の実存論的—存在論的な諸基礎
   第五六節 良心の呼び声の性格
   第五七節 気づかいの呼び声としての良心
   第五八節 呼びかけの理解と負い目
   第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
   第六〇節 良心にあっておかしを与えられた本来的な存在可能の
       実存論的構造
  第三章 現存在の本来的な全体的存在可能と、気づかいの存在論的意味
     としての時間性
   第六一節 現存在の本来的な全体的存在の劃定から、時間性の現象的な
       発掘へといたる方法的な歩みをあらかじめ素描すること
   第六二節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体的
       存在可能
   第六三節 気づかいの存在意味を解釈するために獲得された解釈学的
       状況と、実存論的分析論一般の方法的な性格
   第六四節 気づかいと自己性
   第六五節 気づかいの存在論的意味としての時間性
   第六六節 現存在の時問性、ならびにその時間性から発現する、実存論的
       分析のより根源的な反復という課題

    解説——『存在と時間』ヘの途上で
                             (以上、第三分冊)

  第四章 時間性と日常性
   第六七節 現存在の実存論的体制の根本的なりたちと、その体制の時間的
       解釈の素描
   第六八節 開示性一般の時間性
    a 理解の時間性
    b 情態性の時間性
    c 頽落の時間性
    d 語りの時間性
   第六九節 世界内存在の時間性と、世界の超越の問題
    a 目くばりによる配慮的気づかいの時間性
    b 目くばりによる配慮的た気づかいが、世界内部的に手もとにあるものを
     理論的に覆いをとって発見することへと変様することの時間的意味
    c 世界の超越をめぐる時間的問題
   第七〇節 現存在に適全的な空間性にぞくする時間性
   第七一節 現存在の日常性の時間的意味
  第五章 時間性と歴史性
   第七二節 歴史の問題の実存論的—存在論的呈示
   第七三節 歴史の通俗的了解と現存在の生起
   第七四節 歴史性の根本体制
   第七五節 現存在の歴史性と世界—歴史
   第七六節 現存在の歴史性にもとづく歴史学の実存論的根源
   第七七節 歴史性の問題のこれまでの呈示と、W・ディルタイの研究
       ならびにヨルク伯の理念との連関
  第六章 時間性、ならびに通俗的時間概念の根源としての時間内部性
   第七八節 現存在のこれまでの時間的分析が不完全であること
   第七九節 現存在の時間性と、時間についての配慮的な気づかい
   第八〇節 配慮的に気づかわれた時間と、時間内部性
   第八ー節 時間内部性と、通俗的時間概念の発生
   第八二節 ヘーゲルによる時間と精神との関係の把握に対して、時間性、
       現存在ならびに世界時間の実存論的—存在論的連関をきわだた
       せること
    a ヘーゲルの時間概念
    b へーゲルによる時間と精神との連関の解釈
   第八三節 現存在の実在論的—時間的分析論と、存在一般の意昧への
       基礎存在論的問い

   書き込み一覧表
   主要訳語対照表
   索引(人名・事項・文献)
                           (以上、第四分冊)


 旧岩波文庫『存在と時間』(桑木務訳 1960-3)内容目次

      上  巻
序説 存在の意味への問いの究明
 第一章 存在の問いの必要、その問いの構造と優位
  第一節 存在への問いを、はっきりと繰返すことの必要
  第二節 存在への問いの形式的構造
  第三節 存在の問いの存在論的優位
  第四節 存在の問いの存在的優位
 第二章 存在の問いを検討するばあいの二重の課題、探求の方法と
   その概略
  第五節 存在一般の意味解釈のために、視界を開くこととしての、現
   存在の存在論的分析論
  第六節 存在前史を解体する課題
  第七節 現象学的研究方法
   A 現象という概念
   B ロゴスという概念
   C 現象学の予備概念
  第八節 論究の構図
 第一部 時間性へ向けての現存在の解釈、および存在についての問いの先
   験的視界としての時間の解明
第一編 現存在の予備的基礎分析
 第一章 現存在の予備的分析の課題を解明すること
  第九節 現存在の分析論の主題
  第十節 人間学、心理学ならびに生物学から、現存在の分析論を区別
  第十一節 実存論的分析諭と原始的な現存在の解釈。「自然的世界概念」
   を得るための種々の難かしさ
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
  第十二節 内・存在そのものに方向づけることからする世界・内・存在
  第十三節 或る基礎づけられた様相における内・存在の例示。世界認識
 第三章 世界の世界性
  第十四節 世界の世界性一般の理念
   A 環境世界性と世界性一般との分析
  第十五節 環境世界で出会う存在するものの存在
  第十六節 内世界的な存在するものに告げられるところの、環境世界
   が世界に適合するということ
  第十七節 指示と記号
  第十八節 適在性と有意義性——世界の世界性
   B デカルトの世界解釈に対して世界性の分析を際立たせること
  第十九節 延長するものとしての「世界」の規定
  第二十節「世界」の存在論的規定の諸基礎
  第二十一節 デカルトの「世界」存在論についての解釈学的討論
   C 環境世界の環境性と現存在の「空間性」
  第二十二節 内世界的な手もと存在者の空間性
  第二十三節 世界・内・存在の空間性
  第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
 第四章 共同存在および自己存在としての世界・内・存在。「ひと」
  第二十五節 現存在は〈だれか〉という実存論的問いの手掛り
  第二十六節 他人の共同現存在と日常的共同存在
  第二十七節 目常的自己存在と〈ひと〉

      中  巻
 第五章 内・存在そのもの
  第二十八節 内・存在の主題的分析の課題
   A 「現」の実存論的構成
  第二十九節 情態性としての現=存在
  第三十節 情態性の一様態としての恐れ
  第三十一節 了解の働きとしての現=存在
  第三十二節 了解の働きと解釈
  第三十三節 解釈の派生様態としての陳述
  第三十四節 現=存在と「語り」。言葉
   B 「現」の日常的存在と、現存在の転落
  第三十五節 おしゃべり
  第三十六節 好奇心
  第三十七節 あいまいさ
  第三十八節 転落と被投性
 第六章 現存在の存在としての関心
  第三十九節 現存在の構造全休の根源的全体性への問い
  第四十節 現存在の優れたひとつの開示性としての不安という根
   本情態性
  第四十ー節 関心としての現存在の存在
  第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈から、関心としての現
       存在の実存論的解釈を保証すること
  第四十三節 現存在、匪界性および実在性
  (a)「外界」の存在とその証明可能性との問題としての、実在性
  (b) 存在論的問題としての実在性
  (c) 実在性と関心
  第四十四節 現存在、開示性および真理
  (a) 伝統的真理概念とその存在
  (b) 真理という根源的現象と、伝統的真理概念の派生
  (c) 真理の在り方と真理の前提

第二編 現存在と時間性
  第四十五節 現存在の予備的基礎分析の成果と、この存在するもの
   の根源的な実存諭的解釈の課題
 第一章 現存在の可能な全休存在と、死への存在
  第四十六節 現存在的な全休存在の存在論的な把捉および規定の、
   外見だけの不可能さ
  第四十七節 他人の死を経験する可能性と全体的現存在を把捉する
   可能性
  第四十八節 未済、終り、および全体性
  第四十九節 死の実存論的分析と、この現象の可能な他の諸解釈と
   を区別すること
  第五十節 死の実存論的目存在論的構造の素描
  第五十一節 死への存在と、現存在の日常性
  第五十二節 終りへの目常的存在と、死の完全な実存論的概念
  第五十三節 死への本来的な存在の実存諭的投企
 第二章 本来的存在可能の現存在的な証言と、覚悟性
  第五十四節 本来的な実存的可能性の証言の問題
  第五十五節 良心の実存論的=存在論的諸基礎
  第五十六節 良心の呼び声という性格
  第五十七節 関心の呼び声としての良心
  第五十八節 呼びかけという了解の働きと責め
  第五十九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
  第六十節 良心において証言されている本来的な存在可能の実存論
   的構造

     下  巻
第二編 現存在と時間性
 第三章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味
   としての時間性
  第六十一節 本来的な現存在的な全体存在の限界づけから、時間性の
   現象的な展示にいたる、方法的歩みの素描
  第六十二節 先駆的覚悟性としての、現存在の実存的に本来的な全
   体存在可能
  第六十三節 関心の存在=意味の解釈のためにとり得られた解釈学
   的情況と、実存論的分析論一般の方法的性格
  第六十四節 関心と自己性
  第六十五節 関心の存在論的意味としての時間性
  第六十六節 現存在の時間性と、これから発源する、実存論的分析の
   なお一層根源的な繰返しという諸課題
 第四章 時間性と日常性
  第六十七節 現存在の実存論的な構えの根本内容と、その構えの時
   間的解釈の素描
  第六十八節 開示性一般の時間性
  (a) 了解の働きの時間性
  (b) 情態性の時間性
  (c) 転落の時問性
  (d) 語りの時間性
  第六十九節 世界・内・存在の時間性と、世界の超越の問題
  (a) 見まわしによる配慮の働きの時間性
  (b) 見まわしによる配慮の働きが、内世界的な目のまえのもの
   を理論的に発見する作用に変様することの時問的意味
  (c) 庶界の超越の時間的な問題
  第七十節 現存在的な空間性の時間性
  第七十一節 現存在の日常性の時間的意味
 第五章 時間性と歴史性
  第七十二節 歴史の問題を実存論的=存在論的に解明すること
  第七十三節 歴史の通俗的な了解と、現存在の生起
  第七十四節 歴史性の根本構え
  第七十五節 現存在の歴史性と世界=歴史
  第七十六節 現存在の歴史性に発する歴史学の実存論的な起源
  第七十七節 歴史性の問題の前述の解明と、W・ディルタイの諸研
   究およびヨルク伯の諸構想との連関
 第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内部時間性
  第七十八節 現存在の前述の時間的分析の不完全さ
  第七十九節 現存在の時間性と、時間を配慮する働き
  第八十節 配慮された時間と、内部時間性
  第八十一節 内部時間性と、通俗的時間概念の発生
  第八十二節 時間と精神との関係についてのヘーゲルの見解に対し
   て、時間性・現存在および世界時間という実存論的=存在論的連
   関を対照させること
  (a) へーゲルの時間概念
  (b) 時間と精神との連関についてのヘーゲルの解釈
  第八十三節 現存在の実存論的=時間的分析と、およそ存在なるも
   のの意味への基礎的=存在論的問い


            現   
   ________世界=内=存在________
  |                      
  世界 
________己          内存在
  |  _____________________不安 世界 内=存在
  | |                          
  | 被投性___好奇心___企投__企投   内   
  | |__/ 視____好奇心           \__存   
  |   |_____空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界   \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_    気分 ・     負い目・  ・     ・
|   |  ________         ・     ・
|   |       ・   |        ・     ・      
環境世界|    _____________   ・     ・   気遣い
|   |   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自関 心
道具  |  本来的 ・ /共同存在  ・ ・ ・ ・ 己   cura  
|   |   | ・        ・ 自己 ・     ・   Sorge 
遠ざかり|   |_開示_______決意性__先駆的決意性 ・   
|   |                             
|\  |              道具的存在性 ・     世   
|方域 道具全体性__道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   
|/               \_適所_/   ・         
場  非本来/本来          全体性    ・         
   事物的存在性 
 配視 瞬視        ・       (
     既在性________現成化_______到来_  脱自態 時間性
     過去_________現在________未来_|______| 
    忘却/反復_______現前________予期_| 通俗的
                                 (内部性) 
    (事実性)      (頽落性)     (実存性)  存在存在論
                                   歴史
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    
     好古的歴史学_____記念碑的歴史学___批判的歴史学 


_____

存在と時間 : マルティン・ハイデガー/〔著〕 高田珠樹/訳 

http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106356220/

存在の意味を問い直し、固有の可能性としての死に先駆けることで、良心と歴史に添った本来的な生を提示する西欧哲学の金字塔。傾倒40年、熟成の訳業。附:用語・訳語解説、詳細事項索引。

目次

序論 存在の意味を問う問いの提示(存在の問いの必要性と構造と優位

存在の問いを練り上げる上での二重の課題、考察の方法と概略)

第1部 現存在を時間性へと解釈し、時間を、存在を問う問いの超越論的地平として解明する(現存在の準備的な基礎分析(現存在の準備的な分析の課題の提示

現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般

世界の世界性

共同存在と自己存在としての世界=内=存在、「ひと」

内=存在そのもの

気遣いが現存在の存在である)

現存在と時間性(現存在が全体的であることの可能性と、死に臨んで在ること

本来的な在りうべき在り方を裏付ける現存在にふさわしい証と果断さ

現存在の本来約に全体として在りうべき在り方と気遣いの存在論的な意味としての時間性

時間性と日常性

時間性と歴史性))

ISBN

978-4-86182-454-8

著者情報

高田 珠樹

1954年、福井県生まれ。1976年、大阪外国語大学ドイツ語学科卒業、1981年、京都大学大学院文学研究科博士課程哲学専攻単位取得退学。現在、大阪大学教授 

※本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです



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5つ星のうち 5.0 斬新な『存在と時間』の新訳! 2013/12/2

By mountainside 

熊野氏に続き、高田珠樹氏の『存在と時間』の新訳が出ました。熊野氏の翻訳が全巻出版されていないので、結果的には高田氏の新訳が先に出版されたことになります。訳者が14年かけての力業ということで、訳文にも随所に工夫が凝らされています。

 ハイデッガーの術語については師の辻村公一氏の『有と時』から採られた用語が多いように思われます。「帰趨」「身のまわりの世界」など。特に「身のまわりの世界」については、自己から見て配慮、目配りが及ぶまわりの事物の世界のことですから、これが一番良い訳語だと感心しました。「環境世界」という従来の訳語では、自己から見られた世界のニュアンスがぼかされ、曖昧さを残す訳語になってしまうと思います。
 時間性、Zeitlichkeit,Temporalitaetについては、前者を「時間性」と訳し、後者を「時節性」と訳しています。この後者の訳語については細谷貞雄他訳『存在と時間』(現在はちくま学芸文庫版)から採られた訳語かと思われますが、時間の文節構造を訳語に反映させるということ、訳者が細谷氏の翻訳が最も参考になったと述べているように、その意図は十分に理解できますが、「時節」という日本語が「時間の節目」を意味する一般的イメージが先行するので、私個人はこの訳は日本語として不自然だと思います。「テンポラリテート」とカタカナで訳し、注を付けてその意味を説明するのが良いと思います。「存在時制」と訳した原・渡邉訳もありますが、テンポラリテートにはそもそもラテン語の「テンプス(時間)」を原語とし、「時間」という意味はありますが、「存在」という意味はありません。したがって、この訳も原語のニュアンスを正しく反映していないという意味においては好ましくないと思います。だとすれば、「ツァイトリッヒカイト」を「時間性」と訳したならば、「テンポラリテート」に付ける日本語訳は適当な表現が見つからないと思われます。
 もう一つ、気になる訳語は「Da Sein」を「現を在る」と訳していることです。やはり日本語としてやや不自然な感じがします。「現存在」でよいのではないでしょうか。
 本書の素晴らしさは随所にありますが、巻末に訳語解説が付いていることはとても有益です。著者の長年に及ぶ研究の蓄積が述べられており、ハイデッガーの用語事典としても使用出来ます。
 私が一番感心したのは訳文を読むことでハイデッガーの息遣いが聞こえてくるような口調で翻訳されていることです。本書は最初の1頁からハイデッガーの世界に誘ってくれます。熊野氏の翻訳がどちらかと言えば原・渡邉訳の踏襲が多いのに最近やや失望した私ですが、この翻訳と熊野氏の翻訳を読み比べ、原書を読むのに参考にするには本書は最適な翻訳だと思います。とても日本語としてこなれていて、ハイデッガーの雰囲気が読者に伝わる翻訳です。ハイデッガーに興味あるすべての人に本書を薦めます。



『存在と時間』目次 1

2013/12/31 10:082.数学

 『存在と時間』より

  諸言

  序論 存在の意味を問う問いの提示

   第一章 存在の問いの必要性と構造と優位

    第一節 存在を問う問いをあえて明示的に反復するのが必要であること

    第二節 存在を問う問いの形式的構造

    第三節 存在の問いの存在論的な優位

    第四節 存在の問いの存在相上の優位

   第二章 存在の問いを練り上げる上での二重の課題、考察の方法と概略

    第五節 現存在の存在論的な分析の作業とは、存在全般の意味を解釈する地平を洗い出すことである

    第六節 存在論の歴史の解体という課題

    第七節 考察の現象学的方法

     A 現象の概念

     B ロゴスの概念

     C 現象学の予備概念

    第八節 論考の概略

  第一部 現存在を時間性へと解釈し、時間を、存在を問う問いの超越論的地平として解明する

  第一編 現存在の準備的な基礎分析

   第一章 現存在の準備的な分析の課題の提示

    第九節 現存在の分析作業の主題

    第十節 現存在の分析作業を人間学や心理学、生物学から峻別する

    第十一節 実存論的な分析作業と未開の現存在の解釈、「自然な世界概念」を獲得するのに伴うさまざまな困難

   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般

    第十二節 世界=内=存在の略図を内=存在そのものに着目して描いてみる

    第十三節 世界を認識することは、内=存在を基盤とし、かつ内=存在のひとつの様態であり、これを例にとって内=存在ということを示してみる

   第三章 世界の世界性

    第十四節 世界全般の世界性の理念

   A 身のまわりの世界に固有の世界性と世界性全般の分析

    第十五節 身のまわりの世界で出会う存在するものの存在

    第十六節 世界の内部に存在するものからは、身のまわりの世界が世界に即応していることが窺われる

    第十七節 指示と記号

    第十八節 帰趨と有意性、世界の世界性

   B デカルトにおける世界の解釈と対比して世界性の分析の特質を明らかにする

    第十九節 「延長する物」として規定された「世界」

    第二十節 「世界」の存在論的規定の基盤

    第二十一節 デカルト流の「世界」の存在論に対する解釈学的検討

   C 身のまわりの世界に備わる「まわり」という性格と現存在の「空間性」

    第二十二節 世界の内部で手許に在るものの空間性

    第二十三節 世界=内=存在の空間性

    第二十四節 現存在の空間性と空間

   第四章 共同存在と自己存在としての世界=内=存在、「ひと」

    第二十五節 現存在とは誰なのかを問う実存論的な問いの設定

    第二十六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在

    第二十七節 日常的な自己存在と「ひと」

   第五章 内=存在そのもの

    第二十八節 内=存在の主題的分析という課題

   A 現の実存論的構成

    第二十九節 情態性としての現=存在

    第三十節 情態性のひとつの様態としての恐れ

    第三十一節 理解としての現=存在

    第三十二節 理解と解釈

    第三十三節 解釈の派生的な様態としての言明

    第三十四節 現=存在と語り。言語

   B 日常的に現を在る在り方と現存在の顛落

    第三十五節 巷談

    第三十六節 好奇心

    第三十七節 曖昧さ

    第三十八節 頽落と被投性

   第六章 気遣いが現存在の存在である

    第三十九節 現存在の構造全体の根源的な全体性を問う問い

    第四十節 現存在の格別な開示性としての不安という根本的情態性

    第四十一節 現存在の存在は気遣いである

    第四十二節 現存在とは気遣いだとする実存論的な解釈を、現存在の前存在論的な自己解釈から裏付ける

    第四十三節 現存在、世界性、実在性

     a 「外的世界」が存在し証明されうるのかという問題としての実在性。

     b 存在論的問題としての実在性。

     c 実在性と気遣い。

    第四十四節 現存在、開示性、真理性

     a 伝統的な真理概念とその存在論的な基盤

     b 根源的な真理の現象と伝統的な真理概念の派生的性格

     c 真理の在リようと真理の前提

http://blog.goo.ne.jp/tgalmoh/e/57bfae80b1955779666ae2297d8d08df



  第二編 現存在と時間性

   第四十五節 現存在の準備的な基礎分析の成果と、この存在するものを根源的に実存論的に解釈するという課題

   第一章 現存在が全体的であることの可能性と、死に臨んで在ること

    第四十六節 現存在らしく全体的で在ることを存在論的に捉えたり規定したりするのは、 一見、不可能であるかに見えること

    第四十七節 他者の死が経験できることと、ひとつの現存在を全体として把捉する可能性

    第四十八節 未済と終わり、全体性

    第四十九節 死の実存論的分析を、死の現象について考えられる別の解釈から峻別する

    第五十節 死の実存論的かつ存在論的な構造の素描

    第五十一節 死に臨んで在ることと現存在の日常性

    第五十二節 終わりに臨んで在ることの日常的な様態と、死の万全な実存論的概念

    第五十三節 本来的に死に臨んで在ることの実存論的な素描

   第二章 本来的な在りうべき在り方を裏付ける現存在にふさわしい証と果断さ

    第五十四節 本来的な実存的可能性を裏付ける証の問題

    第五十五節 良心の実存論的かつ存在論的な基礎

    第五十六節 良心の呼び声としての性格

    第五十七節 気遣いの呼び声としての良心

    第五十八節 呼びかけを理解するということと負い目

    第五十九節 実存論的な良心解釈と通俗的な良心解釈

    第六十節 良心がその証となる本来的な在りうべき在り方の実存論的な構造

   第三章 現存在の本来的に全体として在りうべき在り方と気遣いの存在論的な意味としての時間性

    第六十一節 現存在固有の本来的に全体として在る在り方を定義することから時間性を現象的に洗い出すまでの方法上の行程のあらまし

    第六十二節 現存在が実存的かつ本来的に全体として在りうべき在り方とは先駆ける果断さである

    第六十三節 気遣いの存在意味の解釈のために得られた解釈学的状況と、実存論的分析作業全般の方法上の性格

    第六十四節 気遣いと自己性

    第六十五節 時同性が気遣いの存在論的な意味である

    第六十六節 現存在の時間性と、そこから生じる実存論的な分析をさらに根源的に反復するという課題

   第四章 時間性と日常性

    第六十七節 現存在の実存論的体制の根幹と、この体制の時間的解釈についての大まかな構図

    第六十八節 開示性全般の時間性

    第六十九節 世界=内=存在の時間性と、世界の超越の問題

    第七十節 現存在固有の空間性の時間性

    第七十一節 現存在の日常性の時間的な意味

   第五章 時間性と歴史性

    第七十二節 歴史の問題の実存論的かつ存在論的な提示

    第七十三節 通俗的な歴史理解と現存在の歴史生起

    第七十四節 歴史性の根本体制

    第七十五節 現存在の歴史性と世界=歴史

    第七十六節 史学の実存論的な根源は現存在の歴史性にある

    第七十七節 以上での歴史性の問題の提示とディルタイの一連の研究ならびにヨルク伯爵の構想との連関

   第六章 時間性と、通俗的な時間概念の起源としての時間内部性

    第七十八節 これまでに行なった現存在の時間的な分析が不完全であること

    第七十九節 現存在の時間性と時間の配慮

    第八十節 配慮される時間と時間内部性

    第八十一節 時間内部性と通俗的な時間概念の成立

    第八十二節 時間性と現存在、ならびに世界時間の実存論的かつ存在論的な連関と、時間と精神の関係についてのヘーゲルの見解との対比

    第八十三節 現存在の実存論的かつ時間的な分析作業と、基礎的存在論が提起する存在全般の意味を問う問い

http://blog.goo.ne.jp/tgalmoh/e/f1cbe586d72cef42ce2d44e359ef5ca2/?cid=ce77573b192b3a0a636308db164e0dda&st=0



存在と時間 [単行本]

マルティン・ハイデガー (著), 高田 珠樹 (翻訳)


商品の説明

内容紹介

世界=内=存在の本来的な在り方

存在の意味を問い直し、固有の可能性としての死に先駆けることで、両親と歴史に添った本来的な生を提示する西欧哲学の金字塔。傾倒40年、熟成の訳業。

【用語・訳語解説、詳細事項索引】

内容(「BOOK」データベースより)

存在の意味を問い直し、固有の可能性としての死に先駆けることで、良心と歴史に添った本来的な生を提示する西欧哲学の金字塔。傾倒40年、熟成の訳業。附:用語・訳語解説、詳細事項索引。

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登録情報

単行本: 741ページ

出版社: 作品社 (2013/11/30)

言語: 日本語

ISBN-10: 4861824540

ISBN-13: 978-4861824548

発売日: 2013/11/30


序論 存在の意味を問う問いの提示、

高田訳は序論のタイトルからして優れていることがわかる。



『存在と時間』:図解(改訂版)

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3_____自己4   内=存在5
  | | ____________|  不
  | ||    頽        \_安
  | || 了解_落__企投  内    
  | ||/視___好奇心 \・存
  | | |語り____沈黙| 在
  | | 情状性____不安/ ・  
  | |  気分   被投性  ・
 _|_ \     良心  死 ・  
|   | \____ ・  ・ ・ 気遣い  
|   | ・  __|__ ・ 自・・関心
|   | ・非本来的/本来的・・己  |
|   | ・ |   ・  ・ ・  |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|         決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性6
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論1

了解 企投−Entwrulf−超越 
気分 被投性−Geworfenheit−事実性 


以下、#43a中公より(改行引用者)

《この世界内存在は
気遣い
といういっそう根源的な存在機構
(世界内部的な存在者のもとでの存在として・おのれに先んじて・なんらかの世界の内ですでに存在しているというあり方)をもっているのである。》

Dieses ist wesenhaft nur als innerweltliches Seiendes zugänglich. Aller Zugang zu solchem Seienden ist ontologisch fundiert in der Grundverfassung des Daseins, dem In-der-Welt-sein. Dieses hat die ursprünglichere Seinsverfassung 
der Sorge 
(Sich vorweg – schon sein in einer Welt – als Sein bei innerweltlichem Seienden).
  自己     世界         内存在

世界、自己、内存在

下の日本語の語順がハイデガーの構成の順序

世界内存在

という言葉にすでに全体構造の3要素がある
この(解釈次第の)入れ子構造によって
受動的能動が可能になる

そこに仏教的解釈を誘う(誘ってしまった)何かがある
ただしハイデガーの思考は仏教と違い発生論を模索する

『存在と時間』:図解(改訂版。世界と自己を内存在が調停する。)

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3___内=存在5    自己4
  | / _共現存在/共存在___|
  || /        先駆的
  ||| 開示性_決意性_決意性
  ||| ・ |   ・  ・ 
  |||_・非本来的/本来的・・自
  ||_ ・    |   ・ 己
 _|_ |・    良心  死 ・
|   ||・気分   被投性  ・
|   ||情状性____不安  内  気遣い
|   ||/語り____沈黙\ 存・・関心
|   | |視____好奇心|・在  |
|世界性| \了解_頽__企投/ ・  |
環境世界|     落      ・  |
|   道具全体性__適所性・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性6
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論1

関心=Sorgeの有意性は能動性というよりは、
世界、自己、内存在の3要素を総合するところにある。


231 Comments:

Blogger yoji said...


これまでの訳の中では中公版が一番読みやすいがちくま版のようにギリシア語の
注解が十分だというわけではないのが欠点だった。
ただしちくま版は少し日本語として読みにくい。全集版と旧岩波版はそれよりも
なお読みにくかった。新岩波版はこの両者の欠点を補って決定版となり得ている。
ただし、原著を成立させていた第一次大戦後の死を先取りするような緊張感はこ
こにはない。
本来は木田元が訳すべきなのだが、、、
また挟まれる注解は親切で的確だが別に解説書を書くべきだと思う。ハイデガー
自身の注解が存在感を無くしているからだ。
以下の第一巻冒頭に紹介された総目次↓を読んだ限りでは日本語として一番こなれ
た翻訳であることは間違いないので続巻(全四巻)を楽しみにしたい。
ttp://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#2

3:04 午前  
Blogger yoji said...

Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
(ドイツ語目次、頁数は1967年ドイツ語版http://www.amazon.com/dp/3484701536/より)

http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html



3:47 午前  
Blogger yoji said...

1-四章25節に原注:


シェーラーの共心論について - 東洋大学(Adobe PDF) - htmlで見る
シェーラーは 「同情倫理」 を批判する。 これは 「共同感情の中に最高の道徳的価値を 認め、 共同. 感情から道徳的に価値ある一切の態度をひきだそう とする」 (S'ー7) もの として規定される。 具体的. に念頭におかれているのは、 アダム=ス ミス、 ルソー、 ショ~ ...
rdarc.rds.toyo.ac.jp/webdav/frds/public/kiyou/.../rd-v8-93.pdf
Amazon.co.jp: シェーラー著作集〈8〉同情の本質と諸形式 (1977年 ...
Amazon.co.jp: シェーラー著作集〈8〉同情の本質と諸形式 (1977年): 吉沢 伝三郎, 飯島 宗享, 小倉 志祥: 本.


3:53 午前  
Blogger yoji said...

ヘーゲル
荘子
ユクスキュル
シェーラー
キルケゴール
ヘーゲル

3:55 午前  
Blogger yoji said...

四種の訳を比べると、熊野訳がまんべんなく参照しているのがわかる。

10:17 午前  
Blogger yoji said...



            現 存 在 1:1
   ________世界=内=存在_______
  |1:3       |       1:2 |
  世界 _______自己1:4       内存在1:5〜2:2       
  | | ___________________|\_不安 世界 内=存在   
  | ||       頽      良 1:6    
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・1:5  負い目・  期待・     ・    
|   |  \________     ・    ・     ・    
環境世界|    _______|______   ・     ・       
|1:3|   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自   気遣い   
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己・・・関 心  
|   |   | 顧慮・  1:4   ・ 自己 ・     ・   cura 
遠ざける|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   Sorge
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体_性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/      1:3      \_適所_/   ・         |
場 非本来/本来           全体性    ・         |
  事物的存在性  配慮 配視 瞬視        ・    2:4(日常性)
    既在性_________現成化_______到来_  脱自態 時間性
    過去__________現在________未来_|_____2:3 
   忘却/反復__________________予期_| 通俗的
                 今             2:6(内部性) 
   (事実性)       (頽落性)  1:1(実存性)  存在、存在論
                               2:5 歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    72
    好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学 
                               |
 フッサール7、10  カント7、43  アリストテレス6  |   
 デカルト  ヘーゲル     、64    ニーチェ76__|
 18〜21 6、82          パルメニデス36、44
 43                                TOP
   活動し努力する者の歴史   記念碑的歴史
   保存し崇敬する者の歴史   骨董的歴史
   苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。

11:19 午前  
Blogger yoji said...



            現 存 在 1:1
   ________世界=内=存在________
  |1:3   1:2  |           |
  世界 ________自己1:4       内存在1:5〜2:2       
  | | ____________________|\_不安 世界 内=存在   
  | ||       頽      良 1:6    
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・1:5  負い目・  期待・     ・    
|   |  \________     ・    ・     ・    
環境世界|    _______|______   ・     ・       
|1:3|   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自   気遣い   
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己・・・関 心  
|   |   | 顧慮・  1:4   ・ 自己 ・     ・   cura 
遠ざける|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   Sorge
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体_性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/      1:3      \_適所_/   ・         |
場 非本来/本来           全体性    ・         |
  事物的存在性  配慮 配視 瞬視        ・    2:4(日常性)
    既在性_________現成化_______到来_  脱自態 時間性
    過去__________現在________未来_|_____2:3 
   忘却/反復__________________予期_| 通俗的
                 今             2:6(内部性) 
   (事実性)       (頽落性)  1:1(実存性)  存在、存在論
                               2:5 歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    72
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   保存し崇敬する者の歴史   骨董的歴史
   苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。

11:21 午前  
Blogger yoji said...



            現 存 在 1:1
   ________世界=内=存在________
  |1:3   1:2  |           |
  世界 ________自己1:4       内存在1:5〜2:2       
  | | ____________________|\_不安 世界 内=存在   
  | ||       頽      良 1:6    
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・1:5  負い目・  期待・     ・    
|   |  \________     ・    ・     ・    
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環境世界|    _______|______   ・     ・       
|1:3|   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自   気遣い   
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己・・・関 心  
|   |   | 顧慮・  1:4   ・ 自己 ・     ・   cura 
遠ざける|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   Sorge
|   |                     ・     ・   |
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体_性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/      1:3      \_適所_/   ・         |
場 非本来/本来           全体性    ・         |
  事物的存在性  配慮 配視 瞬視        ・    2:4(日常性)
    既在性_________現成化_______到来_  脱自態 時間性
    過去__________現在________未来_|_____2:3 
   忘却/反復__________________予期_| 通俗的
                 今             2:6(内部性) 
   (事実性)       (頽落性)  1:1(実存性)  存在、存在論
                               2:5 歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    72
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   保存し崇敬する者の歴史   骨董的歴史
   苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。

11:24 午前  
Blogger yoji said...



            現 存 在 1:1
   ________世界=内=存在________
  |1:3   1:2  |           |
  世界 ________自己1:4       内存在1:5〜2:2       
  | | ____________________|\_不安 世界 内=存在   
  | ||       頽      良 1:6    
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・1:5  負い目・  期待・     ・    
|   |  \________     ・    ・     ・    
|   |       ・   |    ・    ・     ・
環境世界|    _______|______   ・     ・   気遣い        
|1:3|   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自・・・関 心  
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己   cura   
|   |   | 顧慮・  1:4   ・ 自己 ・     ・   Sorge
遠ざける|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   |
|   |                     ・     ・   |
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体_性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/      1:3      \_適所_/   ・         |
場 非本来/本来           全体性    ・         |
  事物的存在性  配慮 配視 瞬視        ・    2:4(日常性)
    既在性_________現成化_______到来_  脱自態 時間性
    過去__________現在________未来_|_____2:3 
   忘却/反復__________________予期_| 通俗的
                 今             2:6(内部性) 
   (事実性)       (頽落性)  1:1(実存性)  存在、存在論
                               2:5 歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    72
    好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学 
                               |
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 18〜21 6、82          パルメニデス36、44
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   活動し努力する者の歴史   記念碑的歴史
   保存し崇敬する者の歴史   骨董的歴史
   苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
  (ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
   以上、『存在と時間』第76節で言及されている。

11:28 午前  
Blogger yoji said...




               現 存 在 1:1
   ___________世界=内=存在____________
  |1:3        1:2|            1:4|
  世界 __________内存在1:5〜2:2       自己 
  | |             \_不安 世界 内=存在   |
  | |       頽      良 1:6         | 1:6  
  | |被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内 | 気遣い
  | |__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存・|・関 心
  |   |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在 | cura
 世界性   \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・ | Sorge
 _|_    気分 ・1:5  負い目・  期待・     ・ | |
|   |      ・    _________________| |
環境世界|   _______|______   ・     ・   |   
|1:3|  |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自   |   
道具  | 非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己   |  
|   |  | 顧慮・  1:4   ・ 自己 ・     ・   | 
遠ざける|  |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   |
|\  |             道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体性_道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/     1:3      \_適所_/   ・         |
場 非本来/本来          全体性    ・         |
  事物的存在性 配慮 配視 瞬視        ・    2:4(日常性)
    既在性________現成化_______到来_  脱自態 時間性
    過去_________現在________未来_|_____2:3 
   忘却/反復_________________予期_| 通俗的
                今             2:6(内部性) 
   (事実性)      (頽落性)  1:1(実存性)  存在、存在論
                              2:5 歴史性
                            開示と解釈(歴史学)
                              |    72
   好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学 
                              |
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   活動し努力する者の歴史   記念碑的歴史
   保存し崇敬する者の歴史   骨董的歴史
   苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
(ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
以上、『存在と時間』第76節で言及されている。

「現存在とはこの「中間」の存在であるというのであれば、いくらか現象的実態に近くなるであろう。…しかしこれらの存在者をはじめから設定すると、問題の現象ははやくも、破裂してしまう…」
(ちくま文庫上287−8頁 第一篇第五章 1:5 第28節より)

6:13 午後  
Blogger yoji said...


            現 存 在 1:1
   ________世界=内=存在________
  |1:3   1:2  |           |
  世界 ________自己1:4       内存在1:5〜2:2       
  | | ____________________|\_不安 世界 内=存在   
  | ||       頽      良 1:6    
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・1:5  負い目・  期待・     ・    
|   |  \________     ・    ・     ・    
|   |       ・   |    ・    ・     ・
環境世界|    _______|______   ・     ・   気遣い        
|1:3|   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自・・・関 心  
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己   cura   
|   |   | 顧慮・  1:4   ・ 自己 ・     ・   Sorge
遠ざける|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   |
|   |                     ・     ・   |
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体性__道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/      1:3      \_適所_/   ・         |
場 非本来/本来           全体性    ・         |
  事物的存在性  配慮 配視 瞬視        ・    2:4(日常性)
    既在性_________現成化_______到来_  脱自態 時間性
    過去__________現在________未来_|_____2:3 
   忘却/反復__________________予期_| 通俗的
                 今             2:6(内部性) 
   (事実性)       (頽落性)  1:1(実存性)  存在、存在論
                               2:5 歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    72
    好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学 
                               |
 フッサール7、10  カント7、43  アリストテレス6  |   
 デカルト  ヘーゲル     、64    ニーチェ76__|
 18〜21 6、82          パルメニデス36、44
 43                                TOP
   活動し努力する者の歴史   記念碑的歴史
   保存し崇敬する者の歴史   骨董的歴史
   苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
   (ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
   以上、『存在と時間』第76節で言及されている。

6:20 午後  
Blogger yoji said...

第三章 現存在の自己本来的な全体存在可能と、慮の存在論的意味としての時間性 61-66
第四章 時間性と日常性 67-71
第五章 時間性と歴史性 72-77
第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての時間内部性 78-83


            現 存 在
   ________世界=内=存在________
  |           |           |
  世界 ________自己          内存在
  | | ____________________|\_不安 世界 内=存在
  | ||       頽      良            
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心           \__存   
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・     負い目・  期待・     ・
|   |  \________     ・    ・     ・
|   |       ・   |    ・    ・     ・       
環境世界|    _______|______   ・     ・   気遣い
|   |   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自・・・関 心
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己   cura  
|   |   | 顧慮・        ・ 自己 ・     ・   Sorge 
遠ざける|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   |
|   |                     ・     ・   |
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体性__道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/               \_適所_/   ・         |
場  非本来/本来          全体性    ・         |
   事物的存在性 配慮 配視 瞬視        ・       (日常性)
     既在性________現成化_______到来_  脱自態 時間性
     過去_________現在________未来_|______| 
    忘却/反復_________________予期_| 通俗的
                 今                (内部性) 
    (事実性)      (頽落性)     (実存性)  存在、存在論
                                   歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    
    好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学 

10:07 午後  
Blogger yoji said...


新岩波版は環境世界論に関しては周囲世界、周囲であることなどと訳し、京都学派の影響が濃い。

3:45 午前  
Blogger yoji said...

実質的価値倫理学の人間学的帰結 - of Systemics Archive
www.systemicsarchive.com/ja/b/scheler_anthropologie.html‎
周知のようにハイデガーは、Entfernen が Ent-fernen=Nähern でもある( 日本語で言えば 「遠ざける」=「遠さを避ける」,「距離」=「離ヲ距ツ」でもある )ことを指摘し、「現存在の存在様式としての Entfernung」を たんなる「間隔 Abstand」から区別している ...

3:55 午前  
Blogger yoji said...

新岩波版は
「距たりを取りさること」と訳されている
23節
491頁

3:59 午前  
Blogger yoji said...

遠=ざける

4:05 午前  
Blogger yoji said...

22
Gegend
方域
方面

方位

23
ent-fernen (Entfernung)

開離

距てを遠ざけること(p.497)

4:23 午前  
Blogger yoji said...

entfernen



距てて遠ざけること

新岩波

4:33 午前  
Blogger yoji said...

22
Gegend
方域
方面

方位

23
ent-fernen (Entfernung)

開離(遠隔性の取り消し)

距てを遠ざけること(p.497)

4:38 午前  
Blogger yoji said...

22
Gegend
方域
方面

方位

23
ent-fernen (Entfernung)

開離(遠隔性の取り消し 上p.234)

距てを遠ざけること(p.497)

4:40 午前  
Blogger yoji said...

   第二五節 現存在が〈だれ〉、であるかへの、実存論的な問いの着手点
   第二六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
   第二七節 日常的な自己存在と〈ひと〉


〈ひと〉などは旧岩波訳を踏襲している
1960-3年
岩波文庫桑木勉訳

6:36 午前  
Blogger yoji said...

細谷貞雄訳1963年

6:39 午前  
Blogger yoji said...

中公1971年,2003年原佑、渡邊二郎
有と時1997年辻村公一(河出書房(1967年版))

6:47 午前  
Blogger yoji said...

旧岩波
ちくま
辻村
中公
新岩波


の時間順

6:48 午前  
Blogger yoji said...


旧岩波 1960-3
細谷 1963,1994
辻村 1967,1997
中公 1971,2003
新岩波 2013

の先行時間順

6:51 午前  
Blogger yoji said...

[PDF]
見る/開く
ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/.../1/doukyr_14_015.pdf‎
佐藤光友 著
を見出すとはどういう こ とを意味するのだろうか。ハイデガーによれば、. 道具に気を遣う ということは

『距の取り除き (Ent-fernen)」

(Suz,S・. ー08) という性格をもっこ とである。 言い換えれば、 人間が距を取り除. いて、 自己の身の回りに何らかの方向付けを ...

7:05 午前  
Blogger yoji said...


これで入手可能な『存在と時間』の訳は全五種になった。新岩波訳は今までのすべての邦訳を参照、訳語を取り入れている。15節umWelt「周囲」は辻村訳、22節Gegend「方位」、23節Das man「ひと」は旧岩波訳を取り入れている。全体としては中公とちくま版、とくに中公版に印象は近いがひらがなを多用し現象学的なアプルーチとなっている。


桑木務 旧岩波 1960-3
細谷貞雄  理想社1963,ちくま1994
辻村公一  河出1967,創文社1997
原佑、渡邊二郎 中公1971,中公2003
熊野純彦 新岩波 2013

の先行時間順

7:17 午前  
Blogger yoji said...

これで入手可能な『存在と時間』の訳は全五種になった。

桑木務 旧岩波 1960-3
細谷貞雄  理想社1963,ちくま1994
辻村公一  河出1967,創文社1997
原佑、渡邊二郎 中公1971,中公2003
熊野純彦 新岩波 2013

新岩波訳は今までのすべての邦訳を参照、訳語を取り入れている。例えば、15節umWelt「周囲」は辻村訳、22節Gegend「方位」、23節Das man「ひと」は旧岩波訳を取り入れている。全体としては中公とちくま版、とくに中公版に印象は近いがひらがなを多用し、より現象学的なアプローチとなっている。

7:20 午前  
Blogger yoji said...


これで入手可能な『存在と時間』の訳は全五種になった。

桑木務 旧岩波 1960-3
細谷貞雄  理想社1963,ちくま1994
辻村公一  河出1967,創文社1997
原佑、渡邊二郎 中公1971,中公2003
熊野純彦 新岩波 2013

新岩波訳は今までのすべての邦訳を参照、訳語を取り入れている。例えば、15節Umwelt「周囲」は辻村訳、22節Gegend「方位」、23節Man「ひと」は旧岩波訳を参照している。全体としては中公とちくま版、とくに中公版に印象は近いが、ひらがなを多用し、より現象学的なアプローチとなっている。

7:50 午前  
Blogger yoji said...

旧岩波だけ38節 Verfallen は「頽落」ではなく「転落」

旧岩波はドイツ語原文を活かした竹を割る文体で逆に読みにくいが三巻本区分の仕方は一番納得出来る

〜1−4
__

1−5〜2−2
___
2−3〜

9:06 午前  
Blogger yoji said...

旧岩波文庫『存在と時間』(桑木務訳 1960-3)内容目次

      上  巻
序説 存在の意味への問いの究明
 第一章 存在の問いの必要、その問いの構造と優位
  第一節 存在への問いを、はっきりと繰返すことの必要
  第二節 存在への問いの形式的構造
  第三節 存在の問いの存在論的優位
  第四節 存在の問いの存在的優位
 第二章 存在の問いを検討するばあいの二重の課題、探求の方法と
   その概略
  第五節 存在一般の意味解釈のために、視界を開くこととしての、現
   存在の存在論的分析論
  第六節 存在前史を解体する課題
  第七節 現象学的研究方法
   A 現象という概念
   B ロゴスという概念
   C 現象学の予備概念
  第八節 論究の構図
 第一部 時間性へ向けての現存在の解釈、および存在についての問いの先
   験的視界としての時間の解明
第一編 現存在の予備的基礎分析
 第一章 現存在の予備的分析の課題を解明すること
  第九節 現存在の分析論の主題
  第十節 人間学、心理学ならびに生物学から、現存在の分析論を区別
  第十一節 実存論的分析諭と原始的な現存在の解釈。「自然的世界概念」
   を得るための種々の難かしさ
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
  第十二節 内・存在そのものに方向づけることからする世界・内・存在
  第十三節 或る基礎づけられた様相における内・存在の例示。世界認識
 第三章 世界の世界性
  第十四節 世界の世界性一般の理念
   A 環境世界性と世界性一般との分析
  第十五節 環境世界で出会う存在するものの存在
  第十六節 内世界的な存在するものに告げられるところの、環境世界
   が世界に適合するということ
  第十七節 指示と記号
  第十八節 適在性と有意義性——世界の世界性
   B デカルトの世界解釈に対して世界性の分析を際立たせること
  第十九節 延長するものとしての「世界」の規定
  第二十節「世界」の存在論的規定の諸基礎
  第二十一節 デカルトの「世界」存在論についての解釈学的討論
   C 環境世界の環境性と現存在の「空間性」
  第二十二節 内世界的な手もと存在者の空間性
  第二十三節 世界・内・存在の空間性
  第ニ十四節 現存在の空間性、ならびに空間
 第四章 共同存在および自己存在としての世界・内・存在。「ひと」
  第二十五節 現存在は〈だれか〉という実存論的問いの手掛り
  第二十六節 他人の共同現存在と日常的共同存在
  第二十七節 目常的自己存在と〈ひと〉

      中  巻
 第五章 内・存在そのもの
  第二十八節 内・存在の主題的分析の課題
   A 「現」の実存論的構成
  第二十九節 情態性としての現=存在
  第三十節 情態性の一様態としての恐れ
  第三十一節 了解の働きとしての現=存在
  第三十二節 了解の働きと解釈
  第三十三節 解釈の派生様態としての陳述
  第三十四節 現=存在と「語り」。言葉
   B 「現」の日常的存在と、現存在の転落
  第三十五節 おしゃべり
  第三十六節 好奇心
  第三十七節 あいまいさ
  第三十八節 転落と被投性
 第六章 現存在の存在としての関心
  第三十九節 現存在の構造全休の根源的全体性への問い
  第四十節 現存在の優れたひとつの開示性としての不安という根
   本情態性
  第四十ー節 関心としての現存在の存在
  第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈から、関心としての現
       存在の実存論的解釈を保証すること
  第四十三節 現存在、匪界性および実在性
   (a)「外界」の存在とその証明可能性との問題としての、実在性
   (b) 存在論的問題としての実在性
   (c) 実在性と関心
  第四十四節 現存在、開示性および真理
   (a) 伝統的真理概念とその存在
   (b) 真理という根源的現象と、伝統的真理概念の派生
   (c) 真理の在り方と真理の前提

第二編 現存在と時間性
  第四十五節 現存在の予備的基礎分析の成果と、この存在するもの
   の根源的な実存諭的解釈の課題
 第一章 現存在の可能な全休存在と、死への存在
  第四十六節 現存在的な全休存在の存在論的な把捉および規定の、
   外見だけの不可能さ
  第四十七節 他人の死を経験する可能性と全体的現存在を把捉する
   可能性
  第四十八節 未済、終り、および全体性
  第四十九節 死の実存論的分析と、この現象の可能な他の諸解釈と
   を区別すること
  第五十節 死の実存論的目存在論的構造の素描
  第五十一節 死への存在と、現存在の日常性
  第五十二節 終りへの目常的存在と、死の完全な実存論的概念
  第五十三節 死への本来的な存在の実存諭的投企
 第二章 本来的存在可能の現存在的な証言と、覚悟性
  第五十四節 本来的な実存的可能性の証言の問題
  第五十五節 良心の実存論的=存在論的諸基礎
  第五十六節 良心の呼び声という性格
  第五十七節 関心の呼び声としての良心
  第五十八節 呼びかけという了解の働きと責め
  第五十九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
  第六十節 良心において証言されている本来的な存在可能の実存論
   的構造

     下  巻
第二編 現存在と時間性
 第三章 現存在の本来的な全休存在可能と、関心の存在論的意味
   としての時間性
  第六十一節 本来的な現存在的な全体存在の限界づけから、時間性の
   現象的な展示にいたる、方法的歩みの素描
  第六十二節 先駆的覚悟性としての、現存在の実存的に本来的な全
   体存在可能
  第六十三節 関心の存在=意味の解釈のためにとり得られた解釈学
   的情況と、実存論的分析論一般の方法的性格
  第六十四節 関心と自己性
  第六十五節 関心の存在論的意味としての時間性
  第六十六節 現存在何時間性と、これから対流する、実存論的分析の
   なお一層根源的な繰返しという諸課題
 第四章 時間作と日常性
  第六十七節 現存在の実存論的な構えの根本内容と、その構えの時
   間的解釈の素描
  第六十八節 開示性一般の時間性
   (a) 了解の働きの時間性
   (b) 情態性の時間性
   (c) 転落の時問性
   (d) 語りの時間性
  第六十九節 世界・内・存在の時間性と、世界の超越の問題
   (a) 見まわしによる配慮の働きの時間性
   (b) 見まわしによる配慮の働きが、内世界的な目のまえのもの
   を理論的に発見する作用に変様することの時問的意味
   (c) 庶界の超越の時間的な問題
  第七十節 現存在的な空間性の時間性
  第七十一節 現存在の日常性の時間的意味
 第三章 時間性と歴史性
  第七十二節 歴史の問題を実存論的=存在論的に解明すること
  第七十三節 歴史の通俗的な了解と、現存在の生起
  第七十四節 歴史性の根本構え
  第七十五節 現存在の歴史性と世界=歴史
  第七十六節 現存在の歴史性に発する歴史学の実存論的な起源
  第七十七節 歴史性の問題の前述の解明と、W・ディルタイの諸研
   究およびヨルク伯の諸構想との連関
 第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内部時間性
  第七十八節 現存在の前述の時間的分析の不完全さ
  第七十九節 現存在の時間性と、時間を配慮する働き
  第八十節 配慮された時間と、内部時間性
  第八十一節 内部時間性と、通俗的時間概念の発生
  第八十二節 時間と精神との関係についてのヘーゲルの見解に対し
   て、時間性・現存在および世界時間という実存論的=存在論的連
   関を対照させること
   (a) へーゲルの時間概念
   (b) 時間と精神との連関についてのヘーゲルの解釈
  第八十三節 現存在の実存論的=時間的分析と、およそ存在なるも
   のの意味への基礎的=存在論的問い

11:05 午前  
Blogger yoji said...

旧岩波文庫『存在と時間』(桑木務訳 1960-3)内容目次

      上  巻
序説 存在の意味への問いの究明
 第一章 存在の問いの必要、その問いの構造と優位
  第一節 存在への問いを、はっきりと繰返すことの必要
  第二節 存在への問いの形式的構造
  第三節 存在の問いの存在論的優位
  第四節 存在の問いの存在的優位
 第二章 存在の問いを検討するばあいの二重の課題、探求の方法と
   その概略
  第五節 存在一般の意味解釈のために、視界を開くこととしての、現
   存在の存在論的分析論
  第六節 存在前史を解体する課題
  第七節 現象学的研究方法
   A 現象という概念
   B ロゴスという概念
   C 現象学の予備概念
  第八節 論究の構図
 第一部 時間性へ向けての現存在の解釈、および存在についての問いの先
   験的視界としての時間の解明
第一編 現存在の予備的基礎分析
 第一章 現存在の予備的分析の課題を解明すること
  第九節 現存在の分析論の主題
  第十節 人間学、心理学ならびに生物学から、現存在の分析論を区別
  第十一節 実存論的分析諭と原始的な現存在の解釈。「自然的世界概念」
   を得るための種々の難かしさ
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
  第十二節 内・存在そのものに方向づけることからする世界・内・存在
  第十三節 或る基礎づけられた様相における内・存在の例示。世界認識
 第三章 世界の世界性
  第十四節 世界の世界性一般の理念
   A 環境世界性と世界性一般との分析
  第十五節 環境世界で出会う存在するものの存在
  第十六節 内世界的な存在するものに告げられるところの、環境世界
   が世界に適合するということ
  第十七節 指示と記号
  第十八節 適在性と有意義性——世界の世界性
   B デカルトの世界解釈に対して世界性の分析を際立たせること
  第十九節 延長するものとしての「世界」の規定
  第二十節「世界」の存在論的規定の諸基礎
  第二十一節 デカルトの「世界」存在論についての解釈学的討論
   C 環境世界の環境性と現存在の「空間性」
  第二十二節 内世界的な手もと存在者の空間性
  第二十三節 世界・内・存在の空間性
  第ニ十四節 現存在の空間性、ならびに空間
 第四章 共同存在および自己存在としての世界・内・存在。「ひと」
  第二十五節 現存在は〈だれか〉という実存論的問いの手掛り
  第二十六節 他人の共同現存在と日常的共同存在
  第二十七節 目常的自己存在と〈ひと〉

      中  巻
 第五章 内・存在そのもの
  第二十八節 内・存在の主題的分析の課題
   A 「現」の実存論的構成
  第二十九節 情態性としての現=存在
  第三十節 情態性の一様態としての恐れ
  第三十一節 了解の働きとしての現=存在
  第三十二節 了解の働きと解釈
  第三十三節 解釈の派生様態としての陳述
  第三十四節 現=存在と「語り」。言葉
   B 「現」の日常的存在と、現存在の転落
  第三十五節 おしゃべり
  第三十六節 好奇心
  第三十七節 あいまいさ
  第三十八節 転落と被投性
 第六章 現存在の存在としての関心
  第三十九節 現存在の構造全休の根源的全体性への問い
  第四十節 現存在の優れたひとつの開示性としての不安という根
   本情態性
  第四十ー節 関心としての現存在の存在
  第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈から、関心としての現
       存在の実存論的解釈を保証すること
  第四十三節 現存在、匪界性および実在性
  (a)「外界」の存在とその証明可能性との問題としての、実在性
  (b) 存在論的問題としての実在性
  (c) 実在性と関心
  第四十四節 現存在、開示性および真理
  (a) 伝統的真理概念とその存在
  (b) 真理という根源的現象と、伝統的真理概念の派生
  (c) 真理の在り方と真理の前提

第二編 現存在と時間性
  第四十五節 現存在の予備的基礎分析の成果と、この存在するもの
   の根源的な実存諭的解釈の課題
 第一章 現存在の可能な全休存在と、死への存在
  第四十六節 現存在的な全休存在の存在論的な把捉および規定の、
   外見だけの不可能さ
  第四十七節 他人の死を経験する可能性と全体的現存在を把捉する
   可能性
  第四十八節 未済、終り、および全体性
  第四十九節 死の実存論的分析と、この現象の可能な他の諸解釈と
   を区別すること
  第五十節 死の実存論的目存在論的構造の素描
  第五十一節 死への存在と、現存在の日常性
  第五十二節 終りへの目常的存在と、死の完全な実存論的概念
  第五十三節 死への本来的な存在の実存諭的投企
 第二章 本来的存在可能の現存在的な証言と、覚悟性
  第五十四節 本来的な実存的可能性の証言の問題
  第五十五節 良心の実存論的=存在論的諸基礎
  第五十六節 良心の呼び声という性格
  第五十七節 関心の呼び声としての良心
  第五十八節 呼びかけという了解の働きと責め
  第五十九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
  第六十節 良心において証言されている本来的な存在可能の実存論
   的構造

     下  巻
第二編 現存在と時間性
 第三章 現存在の本来的な全休存在可能と、関心の存在論的意味
   としての時間性
  第六十一節 本来的な現存在的な全体存在の限界づけから、時間性の
   現象的な展示にいたる、方法的歩みの素描
  第六十二節 先駆的覚悟性としての、現存在の実存的に本来的な全
   体存在可能
  第六十三節 関心の存在=意味の解釈のためにとり得られた解釈学
   的情況と、実存論的分析論一般の方法的性格
  第六十四節 関心と自己性
  第六十五節 関心の存在論的意味としての時間性
  第六十六節 現存在何時間性と、これから対流する、実存論的分析の
   なお一層根源的な繰返しという諸課題
 第四章 時間作と日常性
  第六十七節 現存在の実存論的な構えの根本内容と、その構えの時
   間的解釈の素描
  第六十八節 開示性一般の時間性
  (a) 了解の働きの時間性
  (b) 情態性の時間性
  (c) 転落の時問性
  (d) 語りの時間性
  第六十九節 世界・内・存在の時間性と、世界の超越の問題
  (a) 見まわしによる配慮の働きの時間性
  (b) 見まわしによる配慮の働きが、内世界的な目のまえのもの
   を理論的に発見する作用に変様することの時問的意味
  (c) 庶界の超越の時間的な問題
  第七十節 現存在的な空間性の時間性
  第七十一節 現存在の日常性の時間的意味
 第三章 時間性と歴史性
  第七十二節 歴史の問題を実存論的=存在論的に解明すること
  第七十三節 歴史の通俗的な了解と、現存在の生起
  第七十四節 歴史性の根本構え
  第七十五節 現存在の歴史性と世界=歴史
  第七十六節 現存在の歴史性に発する歴史学の実存論的な起源
  第七十七節 歴史性の問題の前述の解明と、W・ディルタイの諸研
   究およびヨルク伯の諸構想との連関
 第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内部時間性
  第七十八節 現存在の前述の時間的分析の不完全さ
  第七十九節 現存在の時間性と、時間を配慮する働き
  第八十節 配慮された時間と、内部時間性
  第八十一節 内部時間性と、通俗的時間概念の発生
  第八十二節 時間と精神との関係についてのヘーゲルの見解に対し
   て、時間性・現存在および世界時間という実存論的=存在論的連
   関を対照させること
  (a) へーゲルの時間概念
  (b) 時間と精神との連関についてのヘーゲルの解釈
  第八十三節 現存在の実存論的=時間的分析と、およそ存在なるも
   のの意味への基礎的=存在論的問い

11:11 午前  
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旧岩波文庫『存在と時間』(桑木務訳 1960-3)内容目次

      上  巻
序説 存在の意味への問いの究明
 第一章 存在の問いの必要、その問いの構造と優位
  第一節 存在への問いを、はっきりと繰返すことの必要
  第二節 存在への問いの形式的構造
  第三節 存在の問いの存在論的優位
  第四節 存在の問いの存在的優位
 第二章 存在の問いを検討するばあいの二重の課題、探求の方法と
   その概略
  第五節 存在一般の意味解釈のために、視界を開くこととしての、現
   存在の存在論的分析論
  第六節 存在前史を解体する課題
  第七節 現象学的研究方法
   A 現象という概念
   B ロゴスという概念
   C 現象学の予備概念
  第八節 論究の構図
 第一部 時間性へ向けての現存在の解釈、および存在についての問いの先
   験的視界としての時間の解明
第一編 現存在の予備的基礎分析
 第一章 現存在の予備的分析の課題を解明すること
  第九節 現存在の分析論の主題
  第十節 人間学、心理学ならびに生物学から、現存在の分析論を区別
  第十一節 実存論的分析諭と原始的な現存在の解釈。「自然的世界概念」
   を得るための種々の難かしさ
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
  第十二節 内・存在そのものに方向づけることからする世界・内・存在
  第十三節 或る基礎づけられた様相における内・存在の例示。世界認識
 第三章 世界の世界性
  第十四節 世界の世界性一般の理念
   A 環境世界性と世界性一般との分析
  第十五節 環境世界で出会う存在するものの存在
  第十六節 内世界的な存在するものに告げられるところの、環境世界
   が世界に適合するということ
  第十七節 指示と記号
  第十八節 適在性と有意義性——世界の世界性
   B デカルトの世界解釈に対して世界性の分析を際立たせること
  第十九節 延長するものとしての「世界」の規定
  第二十節「世界」の存在論的規定の諸基礎
  第二十一節 デカルトの「世界」存在論についての解釈学的討論
   C 環境世界の環境性と現存在の「空間性」
  第二十二節 内世界的な手もと存在者の空間性
  第二十三節 世界・内・存在の空間性
  第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
 第四章 共同存在および自己存在としての世界・内・存在。「ひと」
  第二十五節 現存在は〈だれか〉という実存論的問いの手掛り
  第二十六節 他人の共同現存在と日常的共同存在
  第二十七節 目常的自己存在と〈ひと〉

      中  巻
 第五章 内・存在そのもの
  第二十八節 内・存在の主題的分析の課題
   A 「現」の実存論的構成
  第二十九節 情態性としての現=存在
  第三十節 情態性の一様態としての恐れ
  第三十一節 了解の働きとしての現=存在
  第三十二節 了解の働きと解釈
  第三十三節 解釈の派生様態としての陳述
  第三十四節 現=存在と「語り」。言葉
   B 「現」の日常的存在と、現存在の転落
  第三十五節 おしゃべり
  第三十六節 好奇心
  第三十七節 あいまいさ
  第三十八節 転落と被投性
 第六章 現存在の存在としての関心
  第三十九節 現存在の構造全休の根源的全体性への問い
  第四十節 現存在の優れたひとつの開示性としての不安という根
   本情態性
  第四十ー節 関心としての現存在の存在
  第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈から、関心としての現
       存在の実存論的解釈を保証すること
  第四十三節 現存在、匪界性および実在性
  (a)「外界」の存在とその証明可能性との問題としての、実在性
  (b) 存在論的問題としての実在性
  (c) 実在性と関心
  第四十四節 現存在、開示性および真理
  (a) 伝統的真理概念とその存在
  (b) 真理という根源的現象と、伝統的真理概念の派生
  (c) 真理の在り方と真理の前提

第二編 現存在と時間性
  第四十五節 現存在の予備的基礎分析の成果と、この存在するもの
   の根源的な実存諭的解釈の課題
 第一章 現存在の可能な全休存在と、死への存在
  第四十六節 現存在的な全休存在の存在論的な把捉および規定の、
   外見だけの不可能さ
  第四十七節 他人の死を経験する可能性と全体的現存在を把捉する
   可能性
  第四十八節 未済、終り、および全体性
  第四十九節 死の実存論的分析と、この現象の可能な他の諸解釈と
   を区別すること
  第五十節 死の実存論的目存在論的構造の素描
  第五十一節 死への存在と、現存在の日常性
  第五十二節 終りへの目常的存在と、死の完全な実存論的概念
  第五十三節 死への本来的な存在の実存諭的投企
 第二章 本来的存在可能の現存在的な証言と、覚悟性
  第五十四節 本来的な実存的可能性の証言の問題
  第五十五節 良心の実存論的=存在論的諸基礎
  第五十六節 良心の呼び声という性格
  第五十七節 関心の呼び声としての良心
  第五十八節 呼びかけという了解の働きと責め
  第五十九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
  第六十節 良心において証言されている本来的な存在可能の実存論
   的構造

     下  巻
第二編 現存在と時間性
 第三章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味
   としての時間性
  第六十一節 本来的な現存在的な全体存在の限界づけから、時間性の
   現象的な展示にいたる、方法的歩みの素描
  第六十二節 先駆的覚悟性としての、現存在の実存的に本来的な全
   体存在可能
  第六十三節 関心の存在=意味の解釈のためにとり得られた解釈学
   的情況と、実存論的分析論一般の方法的性格
  第六十四節 関心と自己性
  第六十五節 関心の存在論的意味としての時間性
  第六十六節 現存在の時間性と、これから発源する、実存論的分析の
   なお一層根源的な繰返しという諸課題
 第四章 時間作と日常性
  第六十七節 現存在の実存論的な構えの根本内容と、その構えの時
   間的解釈の素描
  第六十八節 開示性一般の時間性
  (a) 了解の働きの時間性
  (b) 情態性の時間性
  (c) 転落の時問性
  (d) 語りの時間性
  第六十九節 世界・内・存在の時間性と、世界の超越の問題
  (a) 見まわしによる配慮の働きの時間性
  (b) 見まわしによる配慮の働きが、内世界的な目のまえのもの
   を理論的に発見する作用に変様することの時問的意味
  (c) 庶界の超越の時間的な問題
  第七十節 現存在的な空間性の時間性
  第七十一節 現存在の日常性の時間的意味
 第五章 時間性と歴史性
  第七十二節 歴史の問題を実存論的=存在論的に解明すること
  第七十三節 歴史の通俗的な了解と、現存在の生起
  第七十四節 歴史性の根本構え
  第七十五節 現存在の歴史性と世界=歴史
  第七十六節 現存在の歴史性に発する歴史学の実存論的な起源
  第七十七節 歴史性の問題の前述の解明と、W・ディルタイの諸研
   究およびヨルク伯の諸構想との連関
 第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内部時間性
  第七十八節 現存在の前述の時間的分析の不完全さ
  第七十九節 現存在の時間性と、時間を配慮する働き
  第八十節 配慮された時間と、内部時間性
  第八十一節 内部時間性と、通俗的時間概念の発生
  第八十二節 時間と精神との関係についてのヘーゲルの見解に対し
   て、時間性・現存在および世界時間という実存論的=存在論的連
   関を対照させること
  (a) へーゲルの時間概念
  (b) 時間と精神との連関についてのヘーゲルの解釈
  第八十三節 現存在の実存論的=時間的分析と、およそ存在なるも
   のの意味への基礎的=存在論的問い

12:08 午後  
Blogger yoji said...

ヘーゲル、カント、アリストテレス、プラトン
荘子、フッサール
ユクスキュル、デカルト
シェーラー
キルケゴール
ヘーゲル

8:04 午後  
Blogger yoji said...

シェーラー
10,25注で言及

11:54 午後  
Blogger yoji said...

『存在と時間』を図式化すると以下になる。

        現 存 在
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界 _____自己    内=存在 
  | | ____________|  不
  | ||    頽        \_安
  | || 了解_落_企投_  内    
  | ||/視___好奇心 \・存
  | | |語り___沈黙_| 在
  | | 情状性___不安_/ ・  
 _|_ \(気分) 良心  死 ・  
|   | \____ ・  ・ ・ 気遣い  
|   | ・  __|__ ・ 自・・関心
|   | ・非本来的/本来的・・己  |
|   | ・ |   ・  ・ ・  |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|         決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論

これでわかるのは全体がまず(横と縦それぞれ)3つに分かれるということだ。
本来の二部構成に騙されてはならない。

この構成を理解しているのは旧岩波文庫だけだと思う。
三分冊の分け方(図では縦の三分割)が絶妙なのだ(第一巻に世界と自己他、第二巻に内=存在、第三巻に時間性他が所収される)。
ただし訳はドイツ語原文と対照させたい人以外には硬く感じられるかもしれない。
その分正確ではあるが、、、、

7:51 午前  
Blogger yoji said...

シェーラーは「自己」における影響が重要

8:05 午前  
Blogger yoji said...

§ 6. Die Aufgabe einer Destruktion der Geschichte der Ontologie ... 19
  第六節 存在前史を解体する課題
  第6節 存在論の歴史の解体の課題
  第六節 存在論の歴史の破壊という課題 
 第六節 有論の歴史の構造解体という課題
   第六節 存在論の歴史の破壊という課題



脱構築 - Wikipedia
デリダによる脱構築-広義の意味-脱構築の中心問題-関連項目
デリダは、直訳の「解体 Destruction」がもつ破壊的で否定的な意味合いを避け、「脱 構築 Déconstruction」(dé-「分離、除去」/construction「構築、建設」)を造語した。その 意味で、彼の脱構築はハイデガーの試みを ...
ja.wikipedia.org/wiki/脱構築
脱構築 - Masm.jp
デリダ-脱構築 † · デリダの用語。 deconstructionは「解体」と訳されて「破壊」 (destruction)と混同されがちであった。デリダはハイデガーが『存在と時間』で使った Destruktionのフランス語訳としてdeconstructionをあえて採用したこと ...

5:21 午後  
Blogger yoji said...

この3区分法は中公版も追随しているが、、、


存在と時間 2 / ハイデガー【著】〈Heidegger,Martin〉/原 佑/渡辺 二郎【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784121600530
現象学的解釈学の方法によってあばき出される「現存在」の存在の意味と真相。
目次
内存在そのもの;現存在の存在としての気遣い;第2篇 現存在と時間性(現存在の可能的な全体存在と、死へとかかわる存在;本来的な存在しうることの現存在にふさわしい証しと、決意性)

5:34 午後  
Blogger yoji said...

デリダの用語。
 deconstructionは「解体」と訳されて「破壊」(destruction)と混同されがちであった。デリダはハイデガーが『存在と時間』で使ったDestruktionのフランス語訳としてdeconstructionをあえて採用したことに由来する。
デリダの解釈では,ハイデガーの「デストルクチオン」は「破壊」ではなく「脱構築」であった。形而上学的思考を単に「破壊」ではなく「脱構築」するとはどういうか。
デリダは次のように説明している.
「哲学を<脱構築>するとは,歴史的由来をもって構造化されている哲学的諸概念を用いて最も忠実かつ内在的に仕事をしながら,他方では哲学では名づけることも記述することもできないある外部の視座にたって,この哲学的諸概念の歴史が,利益がらみの抑圧をすることによってみずから歴史たらしめたさいに隠蔽しあるいは排除してきたものは何か,それを見きわめることである」(デリダ『ポジシオン』)

5:41 午後  
Blogger yoji said...


http://blog.goo.ne.jp/blue1001_october/e/2a2357b5497c90e0b77039518e478598

ハイデガーの『存在と時間』全83節を読む─第6節〔存在論史を解体する課題〕 extra A- 06
2012/12/12 17:30extra A
[マルティン・ハイデガー『存在と時間』/序説「存在の意味への問いの究明」・第2章「存在の問いを検討するばあいの二重の課題。探求の方法とその概略」・第6節「存在論史を解体する課題」/1969年8月30日第11刷の桑木務訳岩波文庫]

存在の問いそのもののために、その本来の歴史の見通しがえられるのなら、そのときはじめて硬くなった伝統を和らげたり、伝統によって重く垂れた遮りを取り除いたりすることが必要です。わたしたちはこの課題を、存在の問いを手始めとしておこなわれるところの、根源的な経験に基づいた、古代存在論の伝承的内容の解体であると、解します。

Soll fuer die Seinsfrage selbst die Durchsichtigkeit ihrer eigenen Geshichete gewonnen werden, dann bedarf es der Auflockerung der verhaerteten Tradition und der Abloesung der durch sie gezeitigten Verdeckungen. Diese Aufgabe verstehen wir als die am Leitfaden der Seinsfrage sich vollziehende Destruktion des ueberlieferten Bestandes der antiken Ontologie auf die urspruenglichen Erfahrungen, in denen die ersten und fortan leitenden Bestimmungen des Seins gewonnen wurden.

第6節のポイントを紹介する、いつもの冒頭の引用が長くなってしまったけれど、大事な内容なので、じっくりお読みいただければ幸いだ。ここで最も重要なことは、何といっても「解体」であるだろう。ハイデガーが、ここにきて初めて「解体」ということばをもってくるのには、大きな背景がある。ハイデガーは、プラトンやアリストテレスに代表される古代ギリシア哲学、さらには中世・近代にわたる「存在論」に対し、存在の「現前性」<Anwesenheit>(後に詳説)を定義し、壮大な見直しをはかるのである。

「解体」といえば、すなわち「破壊」であるが、ハイデガーはそのようにはいわない。彼は、「硬くなった伝統を和らげたり、伝統によって重く垂れた遮りを取り除いたりすること」と、非常にていねいないい回しで、やわらかく示唆するのだ。「解体」の前段階として、何を「解体」しなければならないのかをきちんと注視し、対象の遮蔽物を注意深く除去することこそが今大事なのだ、とハイデガーは述べる。

具体的には、ハイデガーはアリストテレスの「ウーシア」(実体)を、一つの「解体」の対象とする。「ウーシア」は、主語と述語の関係において、述語にしかならないものをいう。例えば「ハイデガーは、人間であり、哲学者である。」という場合の「ハイデガー」は、「実体」である。アリストテレスは、実体を10の性質に分類する。JIS+2D21実体=主語は何であるか。JIS+2D22量=どれだけあるか。JIS+2D23質=どの様であるか。JIS+2D24関係=関係はなんであるか。JIS+2D25場所=場所はどこであるか。JIS+2D26時=いつなのか。JIS+2D27状況=何をするか。JIS+2D28状態=物との関係。JIS+2D29為す=能動。JIS+2D2A為される=受動。

ハイデガーは、こうしたアリストテレスの「ウーシア」に対し、「このようなギリシア的存在解釈は、その際働いている導きの糸についてなんらの明確な知識もなく、時間の基礎的な存在論的な機能の認識も、さらにはその理解すらなく、またこの機能の可能性の根拠へと察知することもなしにおこなわれています。」(桑木務訳岩波文庫『存在と時間』58頁/傍線は筆者)と痛烈に批判する。もちろんハイデガーは、アリストテレスのみならず、デカルトやカントについても、批判の矛先を向ける。デカルトに対しては、「時間と『われ思う』との間の重要な連関は、全く闇に包まれ」てしまい、カントに対しては、「デカルトの存在論的立場を継承することによって、カントは本質的な怠りを共にしています」とさえいい切る。両者ともに「現存在の存在論」に怠惰であったというわけだ。

ハイデガーの「解体」は、いうまでもなくフランスの哲学者ジャック・デリダ(1935-2004)の「脱構築」(デコンストリュクシオン)に継承されるのは、論を俟たない。デリダは、ハイデガーのあまりに直接的な「解体」とか「破壊」ということばを避け、「脱構築」といい換えたのであろう。デリダのそれは、「パロール」と「エクリチュール」という階層的二項対立軸において、基本的に「エクリチュール」は、「パロール」に先立たれる、とする。そしてそれこそがこの二項対立を生み出してしまうのだ。けれどもこの「エクリチュール」の多様性の海の中から、「存在」(パロール)が覚醒するのも事実。デリダの「脱構築」は、やがて対存在の「差延」という、彼独自の独特な概念を派生させるが、ここではこれ以上記述しない。

さて、桑木務訳の岩波文庫『存在と時間』には、読者の精読に際し、非常に有用な「訳者注」がついている。今回は、ハイデガーの「伝統的な時間概念」(44頁)に対応する桑木務の「訳者注」を転写してみよう。

「時間の問題はギリシア哲学においてはエレア派のゼノンによって運動の問題として理解され提出されたが、時間そのものとして最初に取り扱ったのはアリストテレスであった。(略。)空間時間の分割可能性については前者は非連続的に、後者は連続的に考えたのである。これらに対して中世のアウグスチヌス(Aureriusu Augusutinus 354-430)はキリスト教の歴史観を背景にして神の目的観念によって未来から現在を経て過去に流れる時間を考えた。カントは空間および時間を直観の形式と見て経験的実在性と先験的観念性を明らかにしたが、時間を数量的に考えて空間と同列においたことはアリストテレスの時間の解釈を継承したのにほかならない。ヘーゲルはカントのそのような二元的解釈を弁証法の立場から空間・点・時間と導出して『空間が時間になる』との一元的な説明の場所を、かれの自然哲学のなかの『力学』に見出した。(略。)」

5:45 午後  
Blogger yoji said...

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AA11618725/AA11618725_56_45.pdf#search='シェーラー著作集+ハイデガー'



Zusätze aus den nachgelassene Manuskripten,
in: GW9, Bouvier 1995.
シェーラーのハイデガーへの反論

8:53 午後  
Blogger yoji said...


http://www32.ocn.ne.jp/~jizaiya/list/zensyu/Scheler.html
 Bd.9:Spate Schriften (1976) 売切れ
  (1)"Die Stellung des Menschen im Kosmos"
  (2)"Philosophische Weltanschauung"
      ・Philosophische Weltanschauung
      ・Die Formen des Wissens und die Bildung
      ・Mensch und Geschichte
      ・Der Mensch im Weltalter des Ausgleichs
      ・Spinoza
  (3)"Idealisme - Realismus"
      ・Teil II. Sonderung, Anordnung und Losung der Probleme, die der Realitatsfrage vorhergehen
      ・Teil III. Das eigentliche Realitatsproblem
  (4)"Zusatze aus den nachgelassenen Manuskripten"
      ・Zu <Idealismus-Realismus>
      ・Aus Teil IV. Lehre von Wesen und Wesenserkenntnis, Folgerungen fur die phanomenologische Reduktion und die Ideenlehre
      ・Aus Teil V. Das emotionale Realitatsproblem
      ・Aus kleineren Manuskripten zu <Sein und Zeit>
      ・Rand- und Textbemerkungen in <Sein und Zeit>

8:55 午後  
Blogger yoji said...

(GW9-c, 280)。ディルタイの影響については措いて おくとして,ここでは「主観主義」あるいは「独在論」 というハイデガー解釈について確認しておこう。 シェーラーはハイデガーの立場を「現存在独在論
(Daseinsolipsisimus)」(GW9-c, 260) と も 呼 ん で い る。これは「デカルトのわれ思惟す,ゆえに存在す (cogito ergo sum)からわれ存在す,ゆえに思惟す
ない。そのときには,そのようなことは了解可能で ・・・・・・
在するとも,存在者が存在しないともいうことがで ・・・
たがって客体性の了解も存在するかぎり,存在者は ・・・・・・・・ そのときにもなお存続するであろうということがで
きるのである」(SZ, 212/442)。
・・ (sum ergo cogito)への純粋な反転」であるとされる。
シェーラーはそのように解釈させるものとしてハイデ ガーのつぎの文章を引用する。
「 現存在が実存していないならば,そのときには「独
立性」も「存在」しないし,「自体」も「存在」し
も了解不可能でもない...そのときには,存在者が存
きない。もっとも,いまは,存在了解が存在し,し

9:06 午後  
Blogger yoji said...


かつて「憂い」(cura)が川を渡って行くと、そこに陶土の土地を見た。


いまのところ42節の寓話詩の訳はちくま上細谷訳が一番平易でいい。
これだけでちくま版が推薦され得る。
新岩波版が楽しみだ。

3:31 午前  
Blogger yoji said...

『存在と時間』を図式化すると以下になる。

        現 存 在
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界 _____自己    内=存在 
  | |  ___________|  不
  | | |    頽       \_安
  | | | 了解_落_企投_     
  | | |/視___好奇心 \  内
  | | ( 語り___沈黙_ )・存
  | |  情状性___不安_/  在 
 _|__\ (気分) 良心  死  ・  
|    |\_____ ・  ・  ・  
|    | ・  __|__ ・  自・・関心
|    | ・非本来的/本来的・・・己  気遣い
|    | ・ |   ・ |・  ・  |
| 世界性| 開示性_決意性_先駆的 ・  |
環境世界 |         決意性 ・  |
|    道具全体性_適所性・・・・・世  |
場               ・  界  | 
                ・     | 
         配慮/瞬視  ・   日常性
   既在性___現成化___到来__(脱自態)
   過去____現在____未来   時間性 
          今         内部性 
                    歴史性
                 存在、存在論

これでわかるのは全体が3つに分かれるということだ。
本来の二部構成に騙されてはならない。

2:14 午前  
Blogger yoji said...

『存在と時間』を図式化すると以下になる。

        現 存 在
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界 _____自己    内=存在 
  | |  ___________|  不
  | | |    頽       \_安
  | | | 了解_落_企投_     
  | | |/視___好奇心 \  内
  | | ( 語り___沈黙_ )・存
  |  \ 情状性___不安_/  在 
 _|__ \(気分) 良心  死  ・  
|    | \     ・  ・  ・ 
|    | ・\___ ・  ・  ・  
|    | ・  __|__ ・  ・  
|    | ・ |   ・ |・  自・・関心
|    | ・非本来的/本来的・・・己  気遣い
|    | ・ |   ・ |・  ・  |
| 世界性| 開示性_決意性_先駆的 ・  |
環境世界 |         決意性 ・  |
|    |          ・  ・  |
|    道具全体性_適所性・・・・・世  |
場               ・  界  | 
                ・     | 
         配慮/瞬視  ・   日常性
   既在性___現成化___到来__(脱自態)
   過去____現在____未来   時間性 
          今         内部性 
                    歴史性
                 存在、存在論

これでわかるのは全体が3つに分かれるということだ。
本来の二部構成に騙されてはならない。

2:19 午前  
Blogger yoji said...

『存在と時間』を図式化すると以下になる。

        現 存 在
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界 _____自己    内=存在 
  | |  ___________|  不
  | | |    頽       \_安
  | | | 了解_落_企投_     
  | | |/視___好奇心 \  内
  | | ( 語り___沈黙_ )・存
  |  \ 情状性___不安_/  在 
 _|__ \(気分) 良心  死  ・  
|    | \____ ・  ・  ・  
|    | ・  __|__ ・  自・・関心
|    | ・非本来的/本来的・・・己  気遣い
|    | ・ |   ・ |・  ・  |
| 世界性| 開示性_決意性_先駆的 ・  |
環境世界 |         決意性 ・  |
|    道具全体性_適所性・・・・・世  |
場               ・  界  | 
                ・     | 
         配慮/瞬視  ・   日常性
   既在性___現成化___到来__(脱自態)
   過去____現在____未来   時間性 
          今         内部性 
                    歴史性
                 存在、存在論

これでわかるのは全体が3つに分かれるということだ。
本来の二部構成に騙されてはならない。

2:21 午前  
Blogger yoji said...

『存在と時間』を図式化すると以下になる。

        現 存 在
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界 _____自己    内=存在 
  | |  ___________|  不
  | | |    頽       \_安
  | | | 了解_落_企投_     
  | | |/視___好奇心 \  内
  | | ( 語り___沈黙_ )・存
  |  \ 情状性___不安_/  在 
 _|__ \(気分) 良心  死  ・  
|    | \     ・  ・  ・ 
|    | ・\___ ・  ・  ・  
|    | ・  __|__ ・  ・  
|    | ・ |   ・ |・  自・・関心
|    | ・非本来的/本来的・・・己  気遣い
|    | ・ |   ・  ・  ・  |
| 世界性| 開示性_決意性_先駆的 ・  |
環境世界 |         決意性 ・  |
|    |          ・  ・  |
|    道具全体性_適所性・・・・・世  |
場               ・  界  | 
                ・     | 
         配慮/瞬視  ・   日常性
   既在性___現成化___到来__(脱自態)
   過去____現在____未来   時間性 
          今         内部性 
                    歴史性
                 存在、存在論

これでわかるのは全体が3つに分かれるということだ。
本来の二部構成に騙されてはならない。

6:46 午前  
Blogger yoji said...

WP_NextGenerationResearch_87_MOMOKI_blank.pdf
アーレントとハイデガー
https://www.gcoe-intimacy.jp/images/library/File/working_paper/New%20WP/WP_NextGenerationResearch_87_MOMOKI_blank.pdf

現れであってみれば、そこでの現れは「共通のもの koinon」たる公共領域から「自分自身 のもの idion」たる私的領域への潜伏としての運動として現れる。これに対して、アーレン トはちょうどそれとは反対の運動に現れの本質的側面を見出している(Jacques Taminiaux, La fille de thrace et le penseur professionel: Arendt et Hidegger, Payot, 1992 [The Thracian Maid and the Professional Thinker, State University of New York Press, 1997], pp. 30-4)。
ここで特に注目したいのは、ハイデガーとアーレントが共有する――というより後者が 前者から引き継いだ――形而上学批判が積極的にはどのような構想として展開されたかと いう点での両者の相違に関してである。同様の問題設定の下で二人の議論を詳細に検討し た参照されるべき研究としては、デーナ・ヴィラの『アーレントとハイデガー』(Dana R. Villa, Arendt and Heidegger, Princeton University Press, 1996. 青木隆喜訳、法政大学出版局、2008 年) を挙げなければならない。ヴィラもタミニオーの考察を引き継ぎつつ、アーレントの行為 (活動)論が実のところハイデガーに多くを負っていることを詳細に描き出すところから 始める。この点を反復することはしないが、ヴィラは仕事/行為というアーレントの区分 がハイデガーの日常性/超越の区分に大きく重なることを説得的に論じている。特に世界 を道具連関の総体と捉えるハイデガーの説明が、アーレントのいう工作人の生産主義的態 度の説明へと、すなわち、ハイデガーの語彙を用いながら「〈のために das Um-zu〉が〈の ゆえに das Worumwillen〉の実質になってしまう」という仕方で意味そのものが効用の観点 から把握されるような世界理解について論じるアーレントの説明へと受け継がれている点 が、ヴィラにより明らかにされている(pp. 228-230)。そして、そのような道具としての世 界からの超越の可能性が、先駆的決意性や卓越した行為という形で明らかにされるに際し ても、決してそれらが日常世界の全面的な否定や排除によって実現されるものではなく、 反対にそのような世界のなかで/上で成し遂げられるものとして、二人が論じていたこと が明確化される。ハイデガーでは、この区分が開示性/非開示性ではなくてあくまで本来 的開示性/非本来的開示性として提示されていることに、またアーレントについては、仕 事が作り出す世界と行為が照らし出す世界の同一性に、それぞれ注意を促す(pp. 224-6, pp. 230-2)6。
目的‐手段図式によって了解されるポイエーシスの領域存在論を不当に一般化する西洋 形而上学の伝統を批判して、現象としての存在へと目を向けようとする点で、アーレント はハイデガーを継承している。だがヴィラによれば、日常的世界理解からの超越の在処に ついて両者の見解は鋭く対立する。一言でいえば、タミニオーも指摘しているように、ハ イデガーが本来的開示性の場を自己へと回帰することで求めようとするのに対し、アーレ ントは師が救いがたく頽落した場とみなした公共領域としての世界でこそ、それは達成さ れうると論じるのである。“本来性/非本来性”と“内面性/公共性”の対応は反転させら れた上で、ハイデガーが大衆的世界解釈として非本来性へと結びつけた公共性は、近代の
6 このことによってヴィラは、ハーバーマスや R.ウォーリン、さらには L.シュトラウスによる批判が決定 的なところで見当違いであることを明らかにしている。ウォーリンは、決意性の内容が未基底であるとい う論点を拡張して、ハイデガーのそれは「無からの決断」というニヒリズムへと陥っていると論難する

公共領域を支配した「社会的なもの」へと限定化されて置き換えられることになる。つま り、アーレントはハイデガーの区別を空間化あるいは外面化したのだといえる(pp. 233-4)。 ハイデガーは、その反プラトン主義的な徹底した形而上学批判にもかかわらず、ポイエ ーシスとテオーリアの概念に拠る世界了解に対して対置したのは、思索 Denken/詩作 Dichten であった。これに対して、アーレントはまさにプラトンの評価を逆転させて、エピ ステーメーに対するところのドクサを活動的生活の中核に据える。ハイデガーの後期著作 は、アーレントの視点からすれば相互的なプラクシスの可能性を不当に切り詰めるもので ある。1930 年代にハイデガーが示した開示の詩的モデルは、アーレントの体系から見てみ るならば、なおポイエーシスとしての仕事・作品の域を超え出るものではない。世界を「開 く」あるいは「創設する」ものとしての芸術作品は、政治的にはポリスとしての国家であ り、さらには、真理の歴史的生起は作品の中の作品である国家という場所――〈現〉Da― ―においてこそ果たされるとさえ論じられることになる。ドクサを卓越した者たちの活動
と言論に結びつけてそこにプラクシスとしての政治を見出すアーレントの観点からすれば、 ハイデガーは政治を作品としての国家の創設と保持に制限していると評されるだろう(pp. 366-372)。







ている「反復しうる実存可能性」に由 来」し、それゆえ「反復 Wiederholung として理解される本来的行為を可能にする権威は、 共同の〈歴史的運命 Geschick〉についての一つの解釈である」(op. cit., pp. 360)。
けれども、本来的開示へと導く死への先駆的決意に向けた呼びかけや、反復されるべき 歴史的現存在としてのみ、他者は意味をもつのだろうか。アーレントの議論からすれば、 ハイデガーが言うところの死の本来的な理解を可能にする条件として、他者はまた別の仕 方でも本質的な意義をもつだろう。それは、本来的現存在と非本来的現存在との関係性で はなく、あるいは反復されるべき本来的な他者として現存在を本来性へと導き入れる存在 者ではなく、本来的現存在どうしの関係性である。『人間の条件』においては、本来的な死 の理解というべきものは、「永遠」と区別された「不死」の追求であった。すなわち、人間 にとっての死は、その本来的な形では自然の永続する循環的時間には還元されえないもの であるが、同時に少なくとも個体の生を超えるような語り継がれうる場があらねばならな い。それを待って、つまり不死への可能性――確実な「保証」ではなく――が明らかにさ れてはじめて、「永遠の現在」への根拠づけに陥ることなしに死を本来的に理解することが 可能になる8。ハイデガーにあっても、英雄としての歴史的現存在の反復可能性は、そのよ うなことを実質的に前提せざるをえないのであり、『存在と時間』において想定されている 他者との本来的な関係性は、実存主義的で個人主義的なそれのみに限定されてしまってい ることになる。
卓越した行為を見られ聴かれること、そして、それらがそこにおいて記憶され想起され ることで不死の名声/名誉へと変換される場としてのポ

8:01 午前  
Blogger yoji said...

序 アーレントはなぜ近代の親密圏よりも古代の公共圏を高く評価したのか?
――ハイデガー、不死、集合的記憶――
上野 大樹(京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程)
近代社会とアイデンティティ、そして実存への問い
個人のアイデンティティが核心的な問題として問われるようになったことは、近代社会 の決定的な特徴のひとつである。アレクシス・ド・トクヴィルに頻繁な参照を求める今日 のフランスの政治・社会理論によれば、近代社会とはアリストクラシー(身分制秩序)の 崩壊の後に出現したデモクラシー(諸条件の平等)の社会である。前近代の階層社会では

8:07 午前  
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2 ジャック・タミニョー「行動の現象学者たちと複数性」、松丸和弘訳(『現代思想』、5 月臨時増刊、特集「ハイデ ガーの思想」、1999 年、青土社、所収)、p.176 頁
3 この概念史的背景はガダマーの見解に従った。Vgl.H.G.Gadamer, Hermeneutik als praktische Philosophie, in:Vernunft im Zeitalter der Wissenschaft, Frankfurt.a.M.,1976,S.80ff.
4 アリストテレス『政治学』、山本光雄訳、岩波書店、1253b25 以下、1277a33 以下、1961 年
5 Vgl.J.Taminiaux, La Réappropriation de l’Ethique à Nicomaque : ποιησις et πραζις dans l’articulation de l’ontologie fondamentale, in : Lectures de l’Ontologie fondamentale, Essais sur Heidegger, Editions Jérôme Millon, Grenoble, 1995,
pp.149.

8:11 午前  
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http://polylogos.org/philosophers/arendt/heide.html
ハイデガー狐
(ハンナ・アレント、中山 元訳)


 ハイデガーは誇らしげに語る--「人々はハイデガーが狐だという」。よろしい。それではハイデガー狐の本当の話をお聞かせしよう。


 昔むかしあるところに、一匹の狐がいました。この狐は悪智恵を働かせることがまったくできないために、いつも罠にかかってしまうのです。それはなんと、この狐は罠と罠でないものの区別ができないからです。この狐には他にも大きな欠陥がありました。毛皮に問題があって、狐につきものの厳しい生活から、狐を保護してくれる自然の力を借りることが、まったくできなかったのです。そして人々の罠の回りをうろつきながら若い時代のすべてを費やしてしまったこの狐の毛皮には、いわば無傷なところがもはやまったく残っていませんでした。そこでこの狐は、狐の世界から完全に身を引いて、自分だけの〈穴〉を掘ることに決めたのです。この狐は、罠に落ちるたびに、信じられないほどの手酷い経験を身をもって味わいながらも、罠と罠でないものを区別できないという驚くべき欠陥に悩まされていたので、まったく新しい考えを思い付きました。これは狐たちがまだだれも聞いたことのないような考えでした--この狐は自分の〈穴〉を、ひとつの罠として作り上げたのです。そしてこの狐は穴の中に潜み、これを普通の穴のようにみせかけました。悪巧みからではなく、罠はみんな他の狐の穴だと信じていたからです。そしてこの狐は、自分なりに悪賢くなり、自分のために作った穴、自分だけにぴったりと合う穴を、他の人々にも合うように支度しました。しかしこれも、罠というものについての無知を示すものでした。罠の中に狐が座っているのだから、他の狐はこの罠にはかかりようがないのです。これにはこの狐もうんざりしました。だれもが知っているように、狐たちは悪賢い生き物ですが、いつかは罠にかかるものだからです。狐の罠、しかも罠についてはどの狐よりも豊富な経験を積んでいる狐が作った罠が、人間や狩人の作った罠に太刀打ちできない理由があるでしょうか。わかった、この罠が〈罠〉であることが、すぐにわからないのが理由に違いない! そこでわたしたちの狐は、罠を美しく飾り立て、「おーい、みんなぁ。来いよぅ。ここに罠があるぞぉ。世界で一番きれいな罠だぞぉ」と、だれにも誤解のしようのない標識を、そこらじゅうに立てて置けばいいと思い付きました。それからは、間違って狐がこの罠に落ちることはありえないことが、だれの目にも明らかになりました。しかしなんと、多くの狐がここにやってきたのです。この罠はわたしたちの狐の穴で、この狐が自宅で寛いでいるところを訪問するには、罠に足をふみ入れなければならなかったからです。そしてもちろん、わたしたちの狐以外のどの狐も、この罠から再び逃れることはできませんでした。この罠は文字通り、彼の大きさに合わせて作られていたのです。しかしこの罠に住んでいるこの狐は誇らしげに語ります--「とてもたくさんの狐がぼくの罠を訪問してくれるので、ぼくは世界で最高の狐になった」。そしてこれは必ずしも間違っているわけではありません。一生をかけて罠の中に座っている狐ほど、罠についてよく知っている狐はいないからです。


注:ハイデガーに、そしてハイデガーの思想の構造に対する愛憎のこもったこの文章は、アレントの1953年の『思考メモ』に収録されています。Arendt:Essays in Understanding 1930-1954, PP.361-2から。

10:17 午後  
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世界への愛 -ハンナ・アレントを読む- (Adobe PDF) -htmlで見る
(p-95=ー49 頁) ) アレン トが く活動的生活) と呼んでいる) 労働, 仕事, 活動は, いずれ. もこの世界概念と関係してく る- 労働の産物である消費財, 仕事の産物である使用対象 物. 一 「消されるのではなく使用 される物, そして使用するうちに私たちが慣れ親 しむよ ...
nwudir.lib.nara-wu.ac.jp/.../AN10436699vol16_pp5-26.pdf

10:17 午後  
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http://polylogos.org/philosophers/arendt/heide.html
ハイデガー狐
(ハンナ・アレント、中山 元訳)

 昔むかしあるところに、一匹の狐がいました。この狐は悪智恵を働かせる
ことがまったくできないために、いつも罠にかかってしまうのです。それは
なんと、この狐は罠と罠でないものの区別ができないからです。



「とてもたくさんの狐がぼくの罠を訪問してくれるので、ぼくは世界で最高
の狐になった」。そしてこれは必ずしも間違っているわけではありません。
一生をかけて罠の中に座っている狐ほど、罠についてよく知っている狐はい
ないからです。


注:ハイデガーに、そしてハイデガーの思想の構造に対する愛憎のこもった
この文章は、アレントの1953年の『思考メモ』に収録されています。
Arendt:Essays in Understanding 1930-1954, PP.361-2から。
邦訳『アーレント政治思想集成 2』


http://polylogos.org/philosophers/arendt/heide.html
ハイデガー狐
(ハンナ・アレント、中山 元訳)


 ハイデガーは誇らしげに語る--「人々はハイデガーが狐だという」。
よろしい。それではハイデガー狐の本当の話をお聞かせしよう。


 昔むかしあるところに、一匹の狐がいました。この狐は悪智恵を働かせる
ことがまったくできないために、いつも罠にかかってしまうのです。それは
なんと、この狐は罠と罠でないものの区別ができないからです。



「とてもたくさんの狐がぼくの罠を訪問してくれるので、ぼくは世界で最高
の狐になった」。そしてこれは必ずしも間違っているわけではありません。
一生をかけて罠の中に座っている狐ほど、罠についてよく知っている狐はい
ないからです。


注:ハイデガーに、そしてハイデガーの思想の構造に対する愛憎のこもった
この文章は、アレントの1953年の『思考メモ』に収録されています。
Arendt:Essays in Understanding 1930-1954, PP.361-2から。

10:26 午後  
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http://polylogos.org/philosophers/arendt/heide.html
ハイデガー狐
(ハンナ・アレント、中山 元訳)

 昔むかしあるところに、一匹の狐がいました。この狐は悪智恵を働かせる
ことがまったくできないために、いつも罠にかかってしまうのです。それは
なんと、この狐は罠と罠でないものの区別ができないからです。



「とてもたくさんの狐がぼくの罠を訪問してくれるので、ぼくは世界で最高
の狐になった」。そしてこれは必ずしも間違っているわけではありません。
一生をかけて罠の中に座っている狐ほど、罠についてよく知っている狐はい
ないからです。


注:ハイデガーに、そしてハイデガーの思想の構造に対する愛憎のこもった
この文章は、アレントの1953年の『思考メモ』に収録されています。
Arendt:Essays in Understanding 1930-1954, PP.361-2から。
邦訳『アーレント政治思想集成 2』


労働と仕事と活動の悪しき一致

10:32 午後  
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http://blog.livedoor.jp/kagamikakolog/archives/23353.html
--「とてもたくさんの哲学者がぼくのメタフィジカルを訪問してくれるので、


ぼくは世界で最高の哲学者になった」。





そしてこれは必ずしも間違っているわけではありません。


一生をかけてメタフィジカルの中に座っている哲学者ほど、


メタフィジカルについてよく知っている哲学者はいないからです。

5:21 午前  
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桑木務 訳 旧岩波 1960-3
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
辻村公一 訳 河出1967,創文社1997
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
熊野純彦 訳 新岩波 2013
(松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69も古書で入手可)

6:52 午前  
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近代の哲学的ディスクルス〈1〉 (SELECTION21) [単行本]
The Philosophical Discourse of Modernity 
ユルゲン ハーバマス (著), 三島 憲一 (翻訳), 木前 利秋 (翻訳), 轡田 収 (翻訳), 大貫 敦子 (翻訳)



精神の生活 (下)―第2部 意志 ハンナ・アーレント、 佐藤 和夫 (1994/5/20)

10:38 午後  
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ブック 1.indb - 国立民族学博物館 (Adobe PDF) -htmlで見る
ハイデガーは,現存在の空間性をめぐってさらに,現存在にとって「距離」(Entfernung). とは「距たりを取りさること」(Ent-fernung)であるとする,有名な議論を展開してゆ. く。「 歩いているときに,通りは一歩ごとにふれられており,一見したところ,総じて手 ...
ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/.../SER90_002.pdf
ハイデガーの空間論(山本英輔) - ハイデガー・フォーラム (Adobe PDF) -htmlで見る
この発表では、それらをひっくるめて、ハイデガーの議論を「空間」論と呼び、『存在と時. 間』の空間性の ... ハイデガーの追究する空間は、後期では特に、いわゆる「生きられる 空間」(der gelebte Raum). とも異なる ... それは、Ent-fernung(遠ざ. かりの奪取)と ...
heideggerforum.main.jp/ej5data/yamamoto.pdf

6:03 午後  
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ドゥルーズ潜在性の現実性と
ハイデガー現存在の存在はベクトルは逆だが似ている
ドゥルーズは線を志向し
ハイデガーは点に帰着する

6:06 午後  
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ドゥルーズもぐら

あるところにドゥルーズもぐらがいました

ガタリ犬とハイデガー狐の住処をつなぐ穴を開けて

真面目な分析哲学ザルの怒りを買っていました

もぐらは死んでしまいましたがその残した穴は


あらゆる動物の遊び場になり

移動が楽になりみんなに感謝されています

6:11 午後  
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ドゥルーズもぐら

あるところにドゥルーズもぐらがいました

ガタリ犬とハイデガー狐の住処をつなぐ穴を開けて

真面目な分析哲学ザルの怒りを買ったりしていました

もぐらは死んでしまいましたがその残した穴は

あらゆる動物の遊び場になり

移動が楽になりみんなに感謝されています

6:13 午後  
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http://polylogos.org/philosophers/arendt/heide.html
ハイデガー狐
(ハンナ・アレント、中山 元訳)

 昔むかしあるところに、一匹の狐がいました。この狐は悪智恵を働かせる
ことがまったくできないために、いつも罠にかかってしまうのです。それは
なんと、この狐は罠と罠でないものの区別ができないからです。



「とてもたくさんの狐がぼくの罠を訪問してくれるので、ぼくは世界で最高
の狐になった」。そしてこれは必ずしも間違っているわけではありません。
一生をかけて罠の中に座っている狐ほど、罠についてよく知っている狐はい
ないからです。

6:14 午後  
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複数世界  | 発生論
ライプニッツ| スピノザ、ベルグソン
______|_____
自由間接話法| 系列
ヒューム  | ニーチェ

参考:ドゥルーズの方法

ドゥルーズ=潜在性の現実性と
ハイデガー=現存在の存在はベクトルは逆だが似ている
ドゥルーズは線を志向し
ハイデガーは点に帰着する

ドゥルーズ哲学は、純哲学的にはスピノザ(単一性)とライプニッツ(複数性)の調停という形を取る

7:41 午後  
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     存 在
複数世界  | 発生論
ライプニッツ| スピノザ、ベルグソン
______|_____
自由間接話法| 系列
ヒューム  | ニーチェ
     現存在

参考:ドゥルーズの方法

ドゥルーズ=潜在性の現実性と
ハイデガー=現存在の存在はベクトルは逆だが似ている
ドゥルーズは線を志向し
ハイデガーは点に帰着する

ドゥルーズ哲学は、純哲学的にはスピノザ(単一性)とライプニッツ(複数性)の調停という形を取る

7:42 午後  
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   存 在=潜在性
複数世界  | 発生論
ライプニッツ| スピノザ、ベルグソン
______|_____
自由間接話法| 系列
ヒューム  | ニーチェ
   現存在=現実性

参考:ドゥルーズの方法

ドゥルーズ=潜在性の現実性と
ハイデガー=現存在の存在はベクトルは逆だが似ている
ドゥルーズは線を志向し
ハイデガーは点に帰着する

ドゥルーズ哲学は、純哲学的にはスピノザ(単一性)とライプニッツ(複数性)の調停という形を取る

7:44 午後  
Blogger yoji said...

   存 在=潜在性
      | 
複数世界  | 発生論
ライプニッツ| スピノザ、ベルグソン
______|_____
自由間接話法| 系列
ヒューム  | ニーチェ
      | 
   現存在=現実性

参考:ドゥルーズの方法

ドゥルーズ=潜在性の現実性と
ハイデガー=現存在の存在はベクトルは逆だが似ている
ドゥルーズは線を志向し
ハイデガーは点に帰着する

ドゥルーズ哲学は、純哲学的にはスピノザ(単一性)とライプニッツ(複数性)の調停という形を取る

7:45 午後  
Blogger yoji said...

   存 在=潜在性
      | 
複数世界  | 発生論
ライプニッツ| スピノザ、ベルグソン
______|________
自由間接話法| 系列
ヒューム  | ニーチェ
      | 
   現存在=現実性

参考:ドゥルーズの方法

ドゥルーズ=潜在性の現実性と
ハイデガー=現存在の存在はベクトルは逆だが似ている
ドゥルーズは線を志向し
ハイデガーは点に帰着する

ドゥルーズ哲学は、純哲学的にはスピノザ(単一性)とライプニッツ(複数性)の調停という形を取る

7:46 午後  
Blogger yoji said...

   存 在=潜在性
      | 
複数世界  | 発生論
ライプニッツ| スピノザ、ベルグソン
______|______
自由間接話法| 系列
ヒューム  | ニーチェ
      | 
   現存在=現実性

参考:ドゥルーズの方法

ドゥルーズ=潜在性の現実性と
ハイデガー=現存在の存在はベクトルは逆だが似ている
ドゥルーズは線を志向し
ハイデガーは点に帰着する

ドゥルーズ哲学は、純哲学的にはスピノザ(単一性)とライプニッツ(複数性)の調停という形を取る

7:46 午後  
Blogger yoji said...

ドゥルーズのヴィトゲンシュタイン嫌いは有名だが
数学を複数体系とする考えは似ている

7:50 午後  
Blogger yoji said...

   存 在=潜在性
      | 
複数世界  | 発生論
ライプニッツ| スピノザ、ベルグソン
______|______
自由間接話法| 系列
ヒューム  | ニーチェ
      | 
   現存在=現実性

参考:ドゥルーズの方法

ドゥルーズ=潜在性の現実性と
ハイデガー=現存在の存在はベクトルは逆だが似ている
ドゥルーズは線を志向し
ハイデガーは点に帰着する

ドゥルーズ哲学は、純哲学的にはスピノザ(単一性)とライプニッツ(複数性)の調停という形を取る

ちなみにドゥルーズのヴィトゲンシュタイン嫌いは有名だが
数学を複数体系とする考えは似ている
違いはドゥルーズが法よりも判例を重視するところである

7:52 午後  
Blogger yoji said...

   存 在=潜在性
      | 
複数世界  | 発生論
ライプニッツ| スピノザ、ベルグソン
______|______
自由間接話法| 系列
ヒューム  | ニーチェ
      | 
   現存在=現実性

参考:ドゥルーズの方法

ドゥルーズ=潜在性の現実性と
ハイデガー=現存在の存在はベクトルは逆だが似ている
ドゥルーズは線を志向し
ハイデガーは点に帰着する

ドゥルーズ哲学は、純哲学的にはスピノザ(単一性)とライプニッツ(複数性)の調停という形を取る

ちなみにドゥルーズのヴィトゲンシュタイン嫌いは有名だが
数学を複数体系とする考えは似ている
違いはドゥルーズが法よりも判例を重視するところである

7:53 午後  
Blogger yoji said...

ハイデガーとサルトル

ハイデガーとサルトルの思想の根本的な差異は何でしょうか?

ベストアンサーに選ばれた回答

サルトルは、「本質的存在が事実存在に先立つ」という伝統的形而上学の
テーゼを逆転させて、「事実的存在が本質的存在を規定する」と主張して、
形而上学の克服をはかる「実存主義」の根本テーゼとして立てたのですが、
ハイデガーはこの主張を嗤って、「形而上学的命題を転倒させても、それは
所詮一個の形而上学的命題にすぎない」のであり、必要なのはむしろ、
とという存在の
二義的区別がいかなる存在の命運から生じたのかを問うことであり、
そうすることによって、始原の「単純な存在」の近みに立つことだと、
「ヒューマニズム書簡」という論文で書いているそうです。

4:13 午前  
Blogger yoji said...

houseが現存在でhomeが存在

ただしハイデガーは最終的にはこれを逆転させる

〔{建てること←→場所(空間←四者の会域)}建物←住まう〕バウエン=住まわせること

主に
houseは建物自体
homeは家庭
のニュアンス

プログレッシブ英和中辞典より引用

[類語]houseは人々がいっしょに住む建物としての家, が基本的な意味. いっしょに住む人々を集合的にさすこともある. homeは自分が居住している家, が基本的な意味. いっしょに住む家族も含めて家庭という感じで用いることも多い. residenceはだれかの住むりっぱな住居, 重要人物の住む住居. ただし, 不動産広告では, homeもresidenceも事実上houseと同じ意味で用いることがある.

9:06 午後  
Blogger yoji said...

「ドゥルーズの哲学原理」は、
自由間接話法、発生論の有無、系列の思考、ガタリとの関係、、、
「ドゥルーズの哲学原理」は基本的なドゥルーズの方法を押さえた
いい論考だと思う。
ただ「哲学原理」というからには、やはり、スピノザとライプニッツ
の折衷案たるドゥルーズ哲学の原理面への考察がもう少し欲しかった。
千葉某氏はライプニッツ派で國分氏はスピノザ派だそうだが、、、
発生論のないカント哲学にいら立ちながらもカント派であり続けるという
アカデミックな部分は評価出来る。

7:26 午後  
Blogger yoji said...


http://www.sakuhinsha.com/nextrelease.html
■ 2013年10月刊行予定の本
『存在と時間』
 ハイデガー  高田珠樹訳  予価:7,000円(税別)

6:42 午前  
Blogger yoji said...

>>26
柄谷行人はハイデガーの存在論を「ハイデガーが究極的に見出すのは、自己言及的
な形式体系、あるいは自己差異的な差異体系である」としてある程度評価していま
す(定本第2集p.133)。
ちなみに、存在=メタレベル、存在者=オブジェクトレベルという柄谷の解釈を東
浩紀は受け継いで図解↓しています。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/41/a0024841_4162993.jpg

_______       ____メタレベル(存在)
   ||  \     /
   ||規定 \   /
   ||    \ /二重襞
   \/     )
__○__○__○__○__○__○__  オブジェクトレベル
                  (存在者の集合=世界)



    ↓メタレベル(存在)
       _____
      (  __ )↑論理形式の産出 
       )(  )|                   
      /↓ \//___実存論的構造(2レベルの媒介)
     /規定 //  
    /  _| |\ ↑
   / _/   | \
  /_/______\_\オブジェクトレベル(存在者)
 //   ☆現存在  \_\
(○ (メタレベルへの入り口) )
 \○__○____○_____/

○=客体的存在者

7:05 午前  
Blogger yoji said...

トピズレになるが、三島の自決は自身の同性愛の隠蔽にすぎない。
あれは心中なのだ。

同じようにハイデガーもアーレントとの愛欲を隠蔽した。
エクスターゼに性的な意味はないとハイデガーが言う時図らずも
その根源を暴露しているのだ。
だからマルクスは批判してもフロイトは批判しなかった。
(戦前に精神分析について言及したが戦後は知らないふりをした)

ハイデガーのアーレントへの恋文は美しいけれど、研究者は言及
しないし言及出来ない。
恋愛はハイデガー哲学にとって論理的な裏ということになる。

不倫=非本来的な本来性or本来的な非本来性、と言えなくもないが、
哲学を人生論に回収しようとしても人生そのものが回収出来ない。

7:01 午前  
Blogger yoji said...

ただハイデガーは20世紀最大の哲学者であることは間違いない
構造主義的であり、なおかつその構造主義の限界を提示(A=非A)しているから、、、
世に言われる構造主義者は全くその限界を想定していないから説得力がない、、

自分が彼を評価するのは哲学史家としてだが、スピノザを排除したとしても、
ニーチェやライプニッツを論じたのは意味がある
カントの批判哲学の系譜にありながらその限界を体現(B=非B)している、、、、

ドイツとギリシアの間で思考するのは
存在と本質の間に立つのと同じことだ

日本人でこうした間に立つことを自身に強いている人は少ない

7:00 午前  
Blogger yoji said...

不安=腸?
内存在と内胚葉というあくまで言葉の類似による連想だが、細胞分化におけるcell mapはハイデガー『存在と時間』の体系を連想させる。

以下は、サイエンスゼロで紹介されたヴァージョンのcell map。
http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/cell-map.html?m=0

細胞分化は受精卵というひとつの細胞からはじまる。図では下から上へ。
約200種類、60兆個の細胞へ分化する過程はまだよくわかっていないらしい。






                    血球     内蔵と血管の 
               血管内皮 |      結合組織と平滑筋
          心内筋    |  |          |
           |_____|__|_________◯|生殖腺の口
              内蔵の胸膜           |||
    心臓____〇____|_____________ |〇〇  胸膜、囲心嚢、
             |   |           |||   腹膜
             腹膜 腸問膜 副腎皮質_____〇〇〇   |
                              |    |
                       卵黄嚢と尿膜の| ___〇       羊膜・漿膜の
                        胚体外中胚葉|| __________胚体外中胚葉
        筋肉_______________    ||||
目の外層____________________ |   ||||
            ___________ ||   |||| 子宮 卵管 膣
           | 頭の結合組織___ ||| __〇〇〇〇  \ | /
           |   |      ||||| 原腎      \|/   後腎、腎管
           |   |      〇〇〇〇| |       〇〇〇   |
           頭骨と |_______  ||〇〇________|____|__中腎、輸出管
           鰓軟骨_________| |||  |         |     
     交感神経節      歯のぞうげ質_| |||  ◯       後腎の憩室、尿管、
副腎髄質___|_________〇_____| |||  |       腎う、集合管
          |            | ||| 精巣上体、
         神経性の   脳の感覚神経 | ||| 精小管
         骨髄神経根  および神経節_| |||
                       | |||〇________皮膚の結合膜層
脳  脳の運動神経       網膜と    〇 ||||  胴の骨格筋     ____外肢の筋肉
|     |     〇___視神経    | |||| /         /
|     |     |          | ||||〇_________〇_____付属肢骨格
|_____|_____|____〇_____| |||||〇________________中軸骨格
 |          |    |     | ||||||         
 |      運動性腎臓神経根 |     | ||||||          後鰓体
脳下垂体             脊髄    | ||||||           |
神経葉       〇___肛門       | |||||| 副甲状腺______◯
    脳下垂体  |            | ||||||      |  中耳
      前葉  |            | |||||| 扁桃腺__|__ユースタキー管
       |  |鼻と嗅上皮、      | ||||||      |
歯のエナメル質|  |嗅神経         | |||||| _____◯   
      ||  ||           | |||||||
      ||  ||    内耳の機構  | ||||||◯____甲状腺  
口の上皮__〇〇  ||      |    | |沿軸中胚葉|____________消化管
       \  ||      〇    | | |   |  気管、 \____膵臓
    皮脂腺 \ ||目のレンズ |    | | |  原腸__気管支、 \\_肝臓
     |   \|| |    |    | | |   |  肺     \尿膜
     |____〇◯_|____|__外胚葉 中胚葉 内胚葉          |
     |    /||  |       \  |  /           膀胱
     毛髪  / |乳腺 羊膜、頭膜の   \ | /
        爪 汗腺   胚体外外胚葉    \|/
                         受精卵 



以下は、以前作った『存在と時間』体系図解。
http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post_26.html
上下が逆になる。
不安がcell mapの腸に当る。

        現 存 在 
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界 _____自己    内=存在
  | | ____________|  不
  | ||    頽        \_安
  | || 了解_落_企投_  内    
  | ||/視___好奇心 \・存
  | | |語り___沈黙_| 在
  | | 情状性___不安_/ ・  
 _|_ \(気分) 良心  死 ・  
|   | \____ ・  ・ ・ 気遣い  
|   | ・  __|__ ・ 自・・関心
|   | ・非本来的/本来的・・己  |
|   | ・ |   ・  ・ ・  |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|         決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性

10:12 午前  
Blogger yoji said...



            現 存 在 1:1
   ________世界=内=存在________
  |1:3   1:2  |           |
  世界 ________自己1:4       内存在1:5〜2:2
  | | ____________________|\_不安 世界 内=存在
  | ||       頽      良 1:6           
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存   
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・1:5  負い目・  期待・     ・
|   |  \________     ・    ・     ・
|   |       ・   |    ・    ・     ・   1:6 
環境世界|    _______|______   ・     ・   気遣い
|1:3|   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自・・・関 心
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己   cura  
|   |   | 顧慮・  1:4   ・ 自己 ・     ・   Sorge 
遠ざける|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   |
|   |                     ・     ・   |
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体性__道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/      1:3      \_適所_/   ・         |
場  非本来/本来          全体性    ・         |
   事物的存在性 配慮 配視 瞬視        ・    2:4(日常性)
     既在性________現成化_______到来_  脱自態 時間性
     過去_________現在________未来_|_____2:3 
    忘却/反復_________________予期_| 通俗的
                 今             2:6(内部性) 
    (事実性)      (頽落性)  1:1(実存性)  存在、存在論
                               2:5 歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    72
    好古的歴史学___________記念碑的歴史学_批判的歴史学 

10:13 午前  
Blogger yoji said...


http://yojiseki.exblog.jp/7663787
ハイデガーの「脱自」
編集 | 削除
エクスタシーという言葉はギリシャ語のエクスタシスが語源で、神との合一、魂の現象界への離脱といった意味合いがあるという。
ハイデガー研究者のあいだでは多くの場合「脱自」と訳される。
「脱自」という訳語はそれ自体はエクスタシーという本来の語が指し示すような意味においてはまったく官能的ではない。これらは言語及び翻訳の問題でもあるだろう。そもそも(多和田葉子『エクソフォニー』の説では)官能的という語そのものが「官」と「能」というまったく官能的でない言葉同士を合わせた言葉であって、言語というものの不可思議さをよく示していると思う。

さて、ここからが本題だが、(ハイデガー自身は『現象学の根本問題講義』でその官能性を否定しているが)この「脱自」を「エクスタシー」として読めば、ハイデガーはじつに官能性について語っているかのような様相を呈する。

以下邦訳全集26巻より。

(図は『ハイデガー=存在神秘の哲学 』講談社現代新書、古東 哲明 、p174より孫引き)

/////////////


期待することは、必ずしも望むか恐れることではなく、それ自体さらに様々な変様、すなわち張りつめた不寛容、無関心な成り行き-まかせを示しうる。
(略)われわれが予期作用と名付けたものはそれらの態度の根底にある、そのとき的なもののなカへの脱出以外の何ものでもない。それは、われわれがそれについて、そのときそれはそうなるだろう、と言うことができ、また言わなければならないようなあらゆる可能なあるものを、あらかじめすでにこれに先立って跳び超えてしまっているのだ。
(p280)

予期作用は、われわれが言うように、脱自的[ekstatisch]である。
(略)


自己へ向かってということが、将来ということの第一次的で脱自的な概念である(略、図1上)。
(p281)
過去はもう一本の軸の上に自己を巻き込んでいく(略、図2下)。
脱自態([Ekstase])は、直接的に、中断なくそして第一次的に、既に有ったことのうちへ伸張していくのだ。
(p282)

(略)それらの有はまさに自由な脱自的な振動のうちに存する。
(p283)

脱自は、或る限定された可能的なものを自ら産出するのではないが、しかしおそらく、その内部で或る限定された可能的なものが何か期待されうるような可能性一般の地平というものを産出する。(略)地平はエクスタシスの[脱自]のエクステーマ[脱自域]である。
(略)このエクステーマ的なものは、振幅運動しつつ、世界することとして時熟する。脱自的な振幅運動のようなものがそのつど或る時性として時熟するかぎりにおいてのみ、世界への進入が起きる。
(p285)

////////


ハイデガーは自らの存在論がライプニッツのモナド(*)と呼応することを認めつつも、モナドがデカルト的な自我を未だに基礎としていると批判している。デカルト的自我に対してハイデガーが打ち出すのが脱自=エクスタシスである。これよって自我から脱するわけだから、エクスタシスは重要な概念ということになる。(『個体性の解釈学』四日谷敬子)。

またその脱自の仕方も(あえて言うなら)男性的な直線的原理というわけではない。
ベルグソン的な図解(図1)に対抗して提出した図(図2)は、(古東哲明が「暫時」を「刹那」と訳しているため)一見神秘主義的だが、一般的なイメージと違ったハイデガーの(あえて言うなら)女性原理的な特質を指し示しており重要だと思う。



以下、試しに普遍論争の見取り図を描いてみた。ホッブズやルソーの近代的アトミズムも含めアトミズムは本来唯名論に分類される。
ライプニッツ的モナドはそこに「(叡智者や天使の)すべての個体は最低種である」というトマス・アクィナス的種の原理(『形而上学序説』第9節参照)を導入することで、実体論的に改良したものと言える。
以下、参考までに普遍論争を図式化し、ライプニッツとハイデガーを位置づけてみた(object-subjectの逆転に近いことがこの論争に当てはまるので位置づけは恣意的に変わり得る)。

           神          
           |
           |
プラトン       |      オッカム
トマス・アクィナス  |
           |
           |カント
           |
実       アリストテレス        唯
在__________|__________ 名
論          |   アトミズム   論
     ライプニッツ|スアレス
 ドゥンス・スコトゥス|ハイデガー  ホッブズ
 スピノザ      |デカルト   ジョン・ロック
           |
           |     
           |
          人間的
           

さらにアラベール等の概念論を実在論と唯名論の両者を止揚したものと考える人もいる。
(ドゥンス・スコトゥスから出発した)ハイデガーは実体論から唯名論へ、(スアレスの個体的定義から出発した)ライプニッツは唯名論から実体論へ移行したとも解釈できる。
ハイデガーの脱自(あるいは脱自域)という言葉はそうした移行をも説明するものかもしれない。

6:45 午後  
Blogger yoji said...

ハイデガーはミンコフスキーについてカッセル講演、邦訳109頁で言及している。

10:56 午後  
Blogger yoji said...


            現 存 在 
   ________世界=内=存在________
  |           |           |
  世界 ________自己          内存在
  | | ____________________|\_不安 世界 内=存在
  | ||       頽      良         
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心           \__存   
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・     負い目・  期待・     ・
|   |  \________     ・    ・     ・
|   |       ・   |    ・    ・     ・    
環境世界|    _______|______   ・     ・   気遣い
|   |   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自・・・関 心
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己   cura  
|   |   | 顧慮・        ・ 自己 ・     ・   Sorge 
遠ざける|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   |
|   |                     ・     ・   |
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体性__道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/               \_適所_/   ・         |
場  非本来/本来          全体性    ・         |
   事物的存在性 配慮 配視 瞬視        ・       (日常性)
     既在性________現成化_______到来_  脱自態 時間性
     過去_________現在________未来_|______|
    忘却/反復_________________予期_| 通俗的
                 今                (内部性) 
    (事実性)      (頽落性)     (実存性)  存在、存在論
                                   歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    
    好古的歴史学______記念碑的歴史学___批判的歴史学

11:17 午前  
Blogger yoji said...


以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 p65より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

http://yojiseki.exblog.jp/7748670/

7:37 午後  
Blogger yoji said...


以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 p65より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 『死ぬ瞬間』        『 存 在 と 時 間 』

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

http://yojiseki.exblog.jp/7748670/

7:40 午後  
Blogger yoji said...


以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 p65より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

  『死ぬ瞬間』       『 存 在 と 時 間 』

7:41 午後  
Blogger yoji said...


以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 65頁より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

  『死ぬ瞬間』       『 存 在 と 時 間 』

7:44 午後  
Blogger yoji said...


「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)

ここで行為に関わる選択的中庸とは,先のアリストテレスの問題設定からいうと,情
念・感情をいかに導きいかに統御して,正しく美しい行為に帰結するか,それも習慣的・
安定的に関連させ移行させるかに力点を置くものである。それがこの徳の定義の場面で
は,中庸としてあらたに提起されているわけである。つまりそれが二つの情念の中間とい
う直接的な意味での中庸でもあることは,次に続く章(第二巻第七章)で言及される)情念
41))

と徳・悪徳の「一覧表 」を見るとき,はっきりするであろう。情念を中庸において発揮
すれば,徳・器量と評され,情念を過剰ないし不足において表出するとき悪徳と見なされ るわけである。『ニコマコス倫理学』の第二巻七章の記述を整理して「一覧表」化したも のを,ここに示しておこう。

         〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉

項           不足         中間性・中庸    過剰
恐れと平静       むこうみず      勇気        臆病
快楽と苦痛(自分)   無感覚        節制        ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ      (もの惜しみしない) しまりなさ
                       心の広さ 
財貨の供与と取得(大) 卑小         豪気        俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大)   卑屈         高邁        虚栄
名誉と不名誉(小)   功名心のない人    無名称       功名心のある人
怒り          腑抜け        温和        怒りっぽい
言葉と行為(真)    おとぼけ       真実        はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮         機知        道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り・気難しや 情愛        御機嫌取り・胡麻すり
情           恥知らず       恥を知る      引っ込み思案
苦痛と快楽(他人)   人の悪い喜び     義憤        嫉み
正義(第5巻)                全般的・特殊的正義


『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331

8:28 午後  
Blogger yoji said...


「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)

ここで行為に関わる選択的中庸とは,先のアリストテレスの問題設定からいうと,情
念・感情をいかに導きいかに統御して,正しく美しい行為に帰結するか,それも習慣的・
安定的に関連させ移行させるかに力点を置くものである。それがこの徳の定義の場面で
は,中庸としてあらたに提起されているわけである。つまりそれが二つの情念の中間という直接的な意味での中庸でもあることは,次に続く章(第二巻第七章)で言及される)情念と徳・悪徳の「一覧表 」を見るとき,はっきりするであろう。情念を中庸において発揮すれば,徳・器量と評され,情念を過剰ないし不足において表出するとき悪徳と見なされ るわけである。『ニコマコス倫理学』の第二巻七章の記述を整理して「一覧表」化したも のを,ここに示しておこう。

         〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉

 項           不足       中間性・中庸    過剰
恐れと平静       むこうみず    勇気        臆病
快楽と苦痛(自分)   無感覚      節制        ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ    (もの惜しみしない) しまりなさ
                       心の広さ 
財貨の供与と取得(大) 卑小       豪気        俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大)   卑屈       高邁        虚栄
名誉と不名誉(小)   功名心のない人  無名称       功名心のある人
怒り          腑抜け      温和        怒りっぽい
言葉と行為(真)    おとぼけ     真実        はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮       機知        道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り    情愛        御機嫌取り
            ・気難しや              ・胡麻すり
情           恥知らず     恥を知る      引っ込み思案
苦痛と快楽(他人)   人の悪い喜び   義憤        嫉み
正義(第5巻)              全般的・特殊的正義

『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331

8:32 午後  
Blogger yoji said...


「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)

ここで行為に関わる選択的中庸とは,先のアリストテレスの問題設定からいうと,情
念・感情をいかに導きいかに統御して,正しく美しい行為に帰結するか,それも習慣的・
安定的に関連させ移行させるかに力点を置くものである。それがこの徳の定義の場面で
は,中庸としてあらたに提起されているわけである。つまりそれが二つの情念の中間という直接的な意味での中庸でもあることは,次に続く章(第二巻第七章)で言及される)情念と徳・悪徳の「一覧表 」を見るとき,はっきりするであろう。情念を中庸において発揮すれば,徳・器量と評され,情念を過剰ないし不足において表出するとき悪徳と見なされ るわけである。『ニコマコス倫理学』の第二巻七章の記述を整理して「一覧表」化したも のを,ここに示しておこう。

         〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉

 項           不足       中間性       過剰
                      ・中庸
恐れと平静       むこうみず    勇気        臆病
快楽と苦痛(自分)   無感覚      節制        ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ    (もの惜しみしない) しまりなさ
                      心の広さ 
財貨の供与と取得(大) 卑小       豪気        俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大)   卑屈       高邁        虚栄
名誉と不名誉(小)   功名心のない人  無名称       功名心のある人
怒り          腑抜け      温和        怒りっぽい
言葉と行為(真)    おとぼけ     真実        はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮       機知        道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り    情愛        御機嫌取り
            ・気難しや              ・胡麻すり
情           恥知らず     恥を知る      引っ込み思案
苦痛と快楽(他人)   人の悪い喜び   義憤        嫉み
正義(第5巻)              全般的
                     ・特殊的正義

『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331

8:33 午後  
Blogger yoji said...

以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 65頁より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

  『死ぬ瞬間』       『 存 在 と 時 間 』



以下、藤江泰男氏作成、
         〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉

 項           不足         中間性       過剰
                        ・中庸 
恐れと平静       むこうみず      勇気        臆病
快楽と苦痛(自分)   無感覚        節制        ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ      (もの惜しみしない) しまりなさ
                       心の広さ 
財貨の供与と取得(大) 卑小         豪気        俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大)   卑屈         高邁        虚栄
名誉と不名誉(小)   功名心のない人    無名称       功名心のある人
怒り          腑抜け        温和        怒りっぽい
言葉と行為(真)    おとぼけ       真実        はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮         機知        道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り・気難しや 情愛        御機嫌取り・胡麻すり
情           恥知らず       恥を知る      引っ込み思案
苦痛と快楽(他人)   人の悪い喜び     義憤        嫉み
正義(第5巻)                全般的・特殊的正義

『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331


「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)

8:38 午後  
Blogger yoji said...

以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 65頁より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

  『死ぬ瞬間』       『 存 在 と 時 間 』

http://yojiseki.exblog.jp/7748670/

以下、藤江泰男氏作成、
         〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉

 項           不足         中間性       過剰
                        ・中庸 
恐れと平静       むこうみず      勇気        臆病
快楽と苦痛(自分)   無感覚        節制        ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ      (もの惜しみしない) しまりなさ
                       心の広さ 
財貨の供与と取得(大) 卑小         豪気        俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大)   卑屈         高邁        虚栄
名誉と不名誉(小)   功名心のない人    無名称       功名心のある人
怒り          腑抜け        温和        怒りっぽい
言葉と行為(真)    おとぼけ       真実        はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮         機知        道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り・気難しや 情愛        御機嫌取り・胡麻すり
情           恥知らず       恥を知る      引っ込み思案
苦痛と快楽(他人)   人の悪い喜び     義憤        嫉み
正義(第5巻)                全般的・特殊的正義

『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331


「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)

8:39 午後  
Blogger yoji said...

以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 65頁より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
http://yojiseki.exblog.jp/7748670/
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

  『死ぬ瞬間』       『 存 在 と 時 間 』


以下、藤江泰男氏作成、
         〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉

 項           不足         中間性       過剰
                        ・中庸 
恐れと平静       むこうみず      勇気        臆病
快楽と苦痛(自分)   無感覚        節制        ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ      (もの惜しみしない) しまりなさ
                       心の広さ 
財貨の供与と取得(大) 卑小         豪気        俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大)   卑屈         高邁        虚栄
名誉と不名誉(小)   功名心のない人    無名称       功名心のある人
怒り          腑抜け        温和        怒りっぽい
言葉と行為(真)    おとぼけ       真実        はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮         機知        道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り・気難しや 情愛        御機嫌取り・胡麻すり
情           恥知らず       恥を知る      引っ込み思案
苦痛と快楽(他人)   人の悪い喜び     義憤        嫉み
正義(第5巻)                全般的・特殊的正義

『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331


「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)

8:40 午後  
Blogger yoji said...

「しかしながら,単純で基本的な情念(passions primitives)の数はたいして多くない。というのは,右に数え上げたすべての情念を見直すと,単純で基本的なものは六つしかないこと,すなわち,〈驚き admiration〉〈愛 amour〉 〈憎しみ haine〉〈欲望 désir〉〈喜び joie〉〈悲しみ tristesse〉の六つしかない,そして他のすべての情念 は,これら六つの情念のいくつかから複合されていること,あるいはむしろ六つの情念の種であること が,たやすく気づかれるからである。それ故,他の複合情念の数多いことに読者が悩まされないよう に,私はここで,まず六つの基本的情念を別に論ずるであろう。そして,そのあとで他のすべての情念がどのようにしてこの六つの情念から由来するかを示すであろう」

この種の発想としてすぐに連想されるのは,ストア派における「四つの基本感情」であり,プラトンで言えば,四つの主要なる徳〔四大徳〕の考え方であろう。 ストア派にあって整理された基礎的感情とは,廣川氏の論考によれば「悲しみ・喜び・恐れ・欲望」の四つである,という 。
(参考:藤江泰男「情念論の起源を求めて」)
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331

さらに、
アリストテレス『弁論術』第二巻(のうち第2~11章)は、情念論の原型である。アリストテレスは、

怒り2と 穏和3、
友愛と  憎しみ4、
恐れと  大胆さ5、
恥と   無恥6、
親切と  不親切7

という具合に、感情論を対になる感情の組み合わせで論じている。これらに続いて、

憐れみ8、義憤9、
妬み10、
競争心11

を取り上げている。
(参考:濱岡剛:不平等をめぐる感情)

9:04 午後  
Blogger yoji said...


アリストテレス『弁論術』第二巻(のうち第2~11章)は、情念論の原型である。アリストテレスは、

怒り2と 穏和3、
友愛と  憎しみ4、
恐れと  大胆さ5、
恥と   無恥6、
親切と  不親切7

という具合に、感情論を対になる感情の組み合わせで論じている。これらに続いて、

憐れみ8、義憤9、
妬み10、
競争心11

を取り上げている。
(参考:濱岡剛:不平等をめぐる感情)
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~hamaoka/hamaoka/essays/indignation&envy.pdf

以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 65頁より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
http://yojiseki.exblog.jp/7748670/
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

  『死ぬ瞬間』       『 存 在 と 時 間 』


以下、藤江泰男氏作成、
         〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉

 項           不足         中間性       過剰
                        ・中庸 
恐れと平静       むこうみず      勇気        臆病
快楽と苦痛(自分)   無感覚        節制        ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ      (もの惜しみしない) しまりなさ
                       心の広さ 
財貨の供与と取得(大) 卑小         豪気        俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大)   卑屈         高邁        虚栄
名誉と不名誉(小)   功名心のない人    無名称       功名心のある人
怒り          腑抜け        温和        怒りっぽい
言葉と行為(真)    おとぼけ       真実        はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮         機知        道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り・気難しや 情愛        御機嫌取り・胡麻すり
情           恥知らず       恥を知る      引っ込み思案
苦痛と快楽(他人)   人の悪い喜び     義憤        嫉み
正義(第5巻)                全般的・特殊的正義

『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331


「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)

9:06 午後  
Blogger yoji said...


アリストテレス『弁論術』第二巻(のうち第2~11章)は、情念論の原型である。アリストテレスは、

怒り2と 穏和3、
友愛と  憎しみ4、
恐れと  大胆さ5、
恥と   無恥6、
親切と  不親切7

という具合に、感情論を対になる感情の組み合わせで論じている。これらに続いて、

憐れみ8、義憤9、
妬み10、
競争心11

を取り上げている。
(参考:濱岡剛:不平等をめぐる感情)
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~hamaoka/hamaoka/essays/indignation&envy.pdf


以下、藤江泰男氏作成、
         〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉

 項           不足         中間性       過剰
                        ・中庸 
恐れと平静       むこうみず      勇気        臆病
快楽と苦痛(自分)   無感覚        節制        ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ      (もの惜しみしない) しまりなさ
                       心の広さ 
財貨の供与と取得(大) 卑小         豪気        俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大)   卑屈         高邁        虚栄
名誉と不名誉(小)   功名心のない人    無名称       功名心のある人
怒り          腑抜け        温和        怒りっぽい
言葉と行為(真)    おとぼけ       真実        はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮         機知        道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り・気難しや 情愛        御機嫌取り・胡麻すり
情           恥知らず       恥を知る      引っ込み思案
苦痛と快楽(他人)   人の悪い喜び     義憤        嫉み
正義(第5巻)                全般的・特殊的正義

『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331


以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 65頁より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
http://yojiseki.exblog.jp/7748670/
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

  『死ぬ瞬間』       『 存 在 と 時 間 』


「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)

9:08 午後  
Blogger yoji said...


アリストテレス『弁論術』第二巻(のうち第2~11章)は、情念論の原型である。アリストテレスは、

怒り2と 穏和3、
友愛と  憎しみ4、
恐れと  大胆さ5、
恥と   無恥6、
親切と  不親切7

という具合に、感情論を対になる感情の組み合わせで論じている。これらに続いて、

憐れみ8、義憤9、
妬み10、
競争心11

を取り上げている。
(参考:濱岡剛:不平等をめぐる感情)
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~hamaoka/hamaoka/essays/indignation&envy.pdf


以下、藤江泰男氏作成、
         〈アリストテレスの中庸の徳・一覧表 〉

 項           不足         中間性       過剰
                        ・中庸 
恐れと平静       むこうみず      勇気        臆病
快楽と苦痛(自分)   無感覚        節制        ふしだら
財貨の供与と取得(小) さもしさ      (もの惜しみしない) しまりなさ
                       心の広さ 
財貨の供与と取得(大) 卑小         豪気        俗悪と陳腐
名誉と不名誉(大)   卑屈         高邁        虚栄
名誉と不名誉(小)   功名心のない人    無名称       功名心のある人
怒り          腑抜け        温和        怒りっぽい
言葉と行為(真)    おとぼけ       真実        はったり
言葉と行為・遊び(快) 野暮         機知        道化
言葉と行為・生活(快) つむじ曲り・気難しや 情愛        御機嫌取り・胡麻すり
情           恥知らず       恥を知る      引っ込み思案
苦痛と快楽(他人)   人の悪い喜び     義憤        嫉み
正義(第5巻)                全般的・特殊的正義

『ニコマコス倫理学』II-7 から作成。訳語も藤江泰男氏のもの。
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/handle/123456789/331

「徳とは選択にかかわる性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)なのであり,そ
の本質はわれわれとの関係における中庸(メソテース)なのである,ということになる
が,その場合の中庸とは,道理(ロゴス)によって,しかも思慮ある人が中庸を規定す
るのに用いるであろうような道理によって規定されたものなのである 。」
(『ニコマコス倫理学』,II-6, 1106b–1107a. 40)



以下、村田久行『ケアの思想と対人援助』 65頁より、
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間("Stafes" of Dying)』におけるチャートとの比較。
http://yojiseki.exblog.jp/7748670/
              死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53参照。

    "Stafes" of Dyingと本来的な自己存在への移行表

 Stages    非 本 来 的       本 来 的
   of 
  Dying   空談 好奇心 曖昧性   沈黙 内省 決意性
   否認      @  @  @
   怒り      @  @  @
   取り引き       @  @      @  @
   抑鬱            @      @  @
   受容                   @  @  @

  『死ぬ瞬間』       『 存 在 と 時 間 』


9:09 午後  
Blogger yoji said...

世界退屈
    自己退屈
        内存在退屈

11:21 午後  
Blogger yoji said...

世界退屈1
        内存在退屈2
    自己退屈3

時間性退屈(1)

11:28 午後  
Blogger yoji said...


『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係

       現 存 在 
   ___世界=内=存在____
  |      |       |
  世界 __内=存在     自己
  | |      \_不安  |  
  | | 了解_頽_企投_  内|   
  | |/視__落_好奇心\・存・・関心
  |  |語り___沈黙_| 在| 気遣い
  |  情状性___不安_/ ・| |
 _|_ (気分) 良心  死 ・| |
|   |・     ______| |
|   |・  __|__C・ ・  |
| A |・非本来的/本来的・・自  |
|   |・ |   ・  ・ 己  |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|        決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・世  |
場             ・ 界  |   
        配慮/瞬視 ・  (日常性)
  過去____現在____将来  時間性 
  既在性___現成化___到来__脱自態 
       B 今       (内部性) 
                  歴史性
                 (存在論)

A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
 『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照

補足:
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)

11:33 午後  
Blogger yoji said...

2は時間性と内存在が合わさっているとも解釈できる
時間性は2にも当てはまる

2は複合的に解釈できる

11:35 午後  
Blogger yoji said...

世界退屈1
          自己退屈3
    内存在退屈2


時間性退屈(1)

11:28 午後
yoji said...

『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係

       現 存 在 
   ___世界=内=存在____
  |      |       |
  世界 __内=存在     自己
  | |      \_不安  |  
  | | 了解_頽_企投_  内|   
  | |/視__落_好奇心\・存・・関心
  |  |語り___沈黙_| 在| 気遣い
  |  情状性___不安_/ ・| |
 _|_ (気分) 良心  死 ・| |
|   |・     ______| |
|   |・  __|__C・ ・  |
| A |・非本来的/本来的・・自  |
|   |・ |   ・  ・ 己  |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|        決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・世  |
場             ・ 界  |   
        配慮/瞬視 ・  (日常性)
  過去____現在____将来  時間性 
  既在性___現成化___到来__脱自態 
       B 今       (内部性) 
                  歴史性
                 (存在論)

A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
 『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照

補足:
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)

11:33 午後
yoji said...
2は時間性と内存在が合わさっているとも解釈できる
時間性は2にも当てはまる

2は複合的に解釈できる

1:31 午前  
Blogger yoji said...

世界退屈1
          自己退屈3
    内存在退屈2


    時間性退屈(2)



『形而上学の根本諸概念』退屈論との対応関係

       現 存 在 
   ___世界=内=存在____
  |      |       |
  世界 __内=存在     自己
  | |      \_不安  |  
  | | 了解_頽_企投_  内|   
  | |/視__落_好奇心\・存・・関心
  |  |語り___沈黙_| 在| 気遣い
  |  情状性___不安_/ ・| |
 _|_ (気分) 良心  死 ・| |
|   |・     ______| |
|   |・  __|__C・ ・  |
| A |・非本来的/本来的・・自  |
|   |・ |   ・  ・ 己  |
|世界性|開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|        決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・世  |
場             ・ 界  |   
        配慮/瞬視 ・  (日常性)
  過去____現在____将来  時間性 
  既在性___現成化___到来__脱自態 
       B 今       (内部性) 
                  歴史性
                 (存在論)

A退屈の第一形式(世界性)
B退屈の第二形式(時間性)
C退屈の第三形式(内=存在、自己)
 『存在と時間』第65節(気遣いと時間性)参照

補足:
退屈=根本気分のひとつ
(気分は情状性、心境の様態)


2は時間性と内存在が合わさっているとも解釈できる
時間性は2にも当てはまる

2は複合的に解釈できる

1:32 午前  
Blogger yoji said...

内存在は了解において第三形式だ

1:49 午前  
Blogger yoji said...


      →旧岩波、最新岩波文庫目次、比較用目次、図

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3_____自己4   内=存在5
  | | ____________|  不
  | ||    頽        \_安
  | || 了解_落__企投  内    
  | ||/視___好奇心 \・存
  | | |語り____沈黙| 在
  | | 情状性____不安/ ・  
 _|_ \(気分)  良心 死 ・  
|   | \____ ・  ・ ・ 気遣い  
|   | ・  __|__ ・ 自・・関心
|   | ・非本来的/本来的・・己  |
|   | ・ |   ・  ・ ・  |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|         決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性6
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論1


自己を中央に置く方が優れている

1:51 午前  
Blogger yoji said...

存在と時間 : マルティン・ハイデガー/〔著〕 高田珠樹/訳 - セブンネットショッピング
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106356220/
存在の意味を問い直し、固有の可能性としての死に先駆けることで、良心と歴史に添った本来的な生を提示する西欧哲学の金字塔。傾倒40年、熟成の訳業。附:用語・訳語解説、詳細事項索引。
目次
序論 存在の意味を問う問いの提示(存在の問いの必要性と構造と優位
存在の問いを練り上げる上での二重の課題、考察の方法と概略)
第1部 現存在を時間性へと解釈し、時間を、存在を問う問いの超越論的地平として解明する(現存在の準備的な基礎分析(現存在の準備的な分析の課題の提示
現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
世界の世界性
共同存在と自己存在としての世界=内=存在、「ひと」
内=存在そのもの
気遣いが現存在の存在である)
現存在と時間性(現存在が全体的であることの可能性と、死に臨んで在ること
本来的な在りうべき在り方を裏付ける現存在にふさわしい証と果断さ
現存在の本来約に全体として在りうべき在り方と気遣いの存在論的な意味としての時間性
時間性と日常性
時間性と歴史性))
ISBN
978-4-86182-454-8
著者情報
高田 珠樹
1954年、福井県生まれ。1976年、大阪外国語大学ドイツ語学科卒業、1981年、京都大学大学院文学研究科博士課程哲学専攻単位取得退学。現在、大阪大学教授
※本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです

6:57 午前  
Blogger yoji said...

44 人中、40人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 斬新な『存在と時間』の新訳! 2013/12/2
By mountainside
 熊野氏に続き、高田珠樹氏の『存在と時間』の新訳が出ました。熊野氏の翻訳が全巻出版されていないので、結果的には高田氏の新訳が先に出版されたことになります。訳者が14年かけての力業ということで、訳文にも随所に工夫が凝らされています。
 ハイデッガーの術語については師の辻村公一氏の『有と時』から採られた用語が多いように思われます。「帰趨」「身のまわりの世界」など。特に「身のまわりの世界」については、自己から見て配慮、目配りが及ぶまわりの事物の世界のことですから、これが一番良い訳語だと感心しました。「環境世界」という従来の訳語では、自己から見られた世界のニュアンスがぼかされ、曖昧さを残す訳語になってしまうと思います。
 時間性、Zeitlichkeit,Temporalitaetについては、前者を「時間性」と訳し、後者を「時節性」と訳しています。この後者の訳語については細谷貞雄他訳『存在と時間』(現在はちくま学芸文庫版)から採られた訳語かと思われますが、時間の文節構造を訳語に反映させるということ、訳者が細谷氏の翻訳が最も参考になったと述べているように、その意図は十分に理解できますが、「時節」という日本語が「時間の節目」を意味する一般的イメージが先行するので、私個人はこの訳は日本語として不自然だと思います。「テンポラリテート」とカタカナで訳し、注を付けてその意味を説明す... 続きを読む ›

6:58 午前  
Blogger yoji said...

『存在と時間』目次 1
2013/12/31 10:082.数学
 『存在と時間』より
  諸言
  序論 存在の意味を問う問いの提示
   第一章 存在の問いの必要性と構造と優位
    第一節 存在を問う問いをあえて明示的に反復するのが必要であること
    第二節 存在を問う問いの形式的構造
    第三節 存在の問いの存在論的な優位
    第四節 存在の問いの存在相上の優位
   第二章 存在の問いを練り上げる上での二重の課題、考察の方法と概略
    第五節 現存在の存在論的な分析の作業とは、存在全般の意味を解釈する地平を洗い出すことである
    第六節 存在論の歴史の解体という課題
    第七節 考察の現象学的方法
     A 現象の概念
     B ロゴスの概念
     C 現象学の予備概念
    第八節 論考の概略
  第一部 現存在を時間性へと解釈し、時間を、存在を問う問いの超越論的地平として解明する
  第一編 現存在の準備的な基礎分析
   第一章 現存在の準備的な分析の課題の提示
    第九節 現存在の分析作業の主題
    第十節 現存在の分析作業を人間学や心理学、生物学から峻別する
    第十一節 実存論的な分析作業と未開の現存在の解釈、「自然な世界概念」を獲得するのに伴うさまざまな困難
   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
    第十二節 世界=内=存在の略図を内=存在そのものに着目して描いてみる
    第十三節 世界を認識することは、内=存在を基盤とし、かつ内=存在のひとつの様態であり、これを例にとって内=存在ということを示してみる
   第三章 世界の世界性
    第十四節 世界全般の世界性の理念
   A 身のまわりの世界に固有の世界性と世界性全般の分析
    第十五節 身のまわりの世界で出会う存在するものの存在
    第十六節 世界の内部に存在するものからは、身のまわりの世界が世界に即応していることが窺われる
    第十七節 指示と記号
    第十八節 帰趨と有意性、世界の世界性
   B デカルトにおける世界の解釈と対比して世界性の分析の特質を明らかにする
    第十九節 「延長する物」として規定された「世界」
    第二十節 「世界」の存在論的規定の基盤
    第二十一節 デカルト流の「世界」の存在論に対する解釈学的検討
   C 身のまわりの世界に備わる「まわり」という性格と現存在の「空間性」
    第二十二節 世界の内部で手許に在るものの空間性
    第二十三節 世界=内=存在の空間性
    第二十四節 現存在の空間性と空間
   第四章 共同存在と自己存在としての世界=内=存在、「ひと」
    第二十五節 現存在とは誰なのかを問う実存論的な問いの設定
    第二十六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
    第二十七節 日常的な自己存在と「ひと」
   第五章 内=存在そのもの
    第二十八節 内=存在の主題的分析という課題
   A 現の実存論的構成
    第二十九節 情態性としての現=存在
    第三十節 情態性のひとつの様態としての恐れ
    第三十一節 理解としての現=存在
    第三十二節 理解と解釈
    第三十三節 解釈の派生的な様態としての言明
    第三十四節 現=存在と語り。言語
   B 日常的に現を在る在り方と現存在の顛落
    第三十五節 巷談
    第三十六節 好奇心
    第三十七節 曖昧さ
    第三十八節 頽落と被投性
   第六章 気遣いが現存在の存在である
    第三十九節 現存在の構造全体の根源的な全体性を問う問い
    第四十節 現存在の格別な開示性としての不安という根本的情態性
    第四十一節 現存在の存在は気遣いである
    第四十二節 現存在とは気遣いだとする実存論的な解釈を、現存在の前存在論的な自己解釈から裏付ける
    第四十三節 現存在、世界性、実在性
     a 「外的世界」が存在し証明されうるのかという問題としての実在性。
     b 存在論的問題としての実在性。
     c 実在性と気遣い。
    第四十四節 現存在、開示性、真理性
     a 伝統的な真理概念とその存在論的な基盤
     b 根源的な真理の現象と伝統的な真理概念の派生的性格
     c 真理の在リようと真理の前提
http://blog.goo.ne.jp/tgalmoh/e/57bfae80b1955779666ae2297d8d08df

6:59 午前  
Blogger yoji said...

  第二編 現存在と時間性
   第四十五節 現存在の準備的な基礎分析の成果と、この存在するものを根源的に実存論的に解釈するという課題
   第一章 現存在が全体的であることの可能性と、死に臨んで在ること
    第四十六節 現存在らしく全体的で在ることを存在論的に捉えたり規定したりするのは、 一見、不可能であるかに見えること
    第四十七節 他者の死が経験できることと、ひとつの現存在を全体として把捉する可能性
    第四十八節 未済と終わり、全体性
    第四十九節 死の実存論的分析を、死の現象について考えられる別の解釈から峻別する
    第五十節 死の実存論的かつ存在論的な構造の素描
    第五十一節 死に臨んで在ることと現存在の日常性
    第五十二節 終わりに臨んで在ることの日常的な様態と、死の万全な実存論的概念
    第五十三節 本来的に死に臨んで在ることの実存論的な素描
   第二章 本来的な在りうべき在り方を裏付ける現存在にふさわしい証と果断さ
    第五十四節 本来的な実存的可能性を裏付ける証の問題
    第五十五節 良心の実存論的かつ存在論的な基礎
    第五十六節 良心の呼び声としての性格
    第五十七節 気遣いの呼び声としての良心
    第五十八節 呼びかけを理解するということと負い目
    第五十九節 実存論的な良心解釈と通俗的な良心解釈
    第六十節 良心がその証となる本来的な在りうべき在り方の実存論的な構造
   第三章 現存在の本来的に全体として在りうべき在り方と気遣いの存在論的な意味としての時間性
    第六十一節 現存在固有の本来的に全体として在る在り方を定義することから時間性を現象的に洗い出すまでの方法上の行程のあらまし
    第六十二節 現存在が実存的かつ本来的に全体として在りうべき在り方とは先駆ける果断さである
    第六十三節 気遣いの存在意味の解釈のために得られた解釈学的状況と、実存論的分析作業全般の方法上の性格
    第六十四節 気遣いと自己性
    第六十五節 時同性が気遣いの存在論的な意味である
    第六十六節 現存在の時間性と、そこから生じる実存論的な分析をさらに根源的に反復するという課題
   第四章 時間性と日常性
    第六十七節 現存在の実存論的体制の根幹と、この体制の時間的解釈についての大まかな構図
    第六十八節 開示性全般の時間性
    第六十九節 世界=内=存在の時間性と、世界の超越の問題
    第七十節 現存在固有の空間性の時間性
    第七十一節 現存在の日常性の時間的な意味
   第五章 時間性と歴史性
    第七十二節 歴史の問題の実存論的かつ存在論的な提示
    第七十三節 通俗的な歴史理解と現存在の歴史生起
    第七十四節 歴史性の根本体制
    第七十五節 現存在の歴史性と世界=歴史
    第七十六節 史学の実存論的な根源は現存在の歴史性にある
    第七十七節 以上での歴史性の問題の提示とディルタイの一連の研究ならびにヨルク伯爵の構想との連関
   第六章 時間性と、通俗的な時間概念の起源としての時間内部性
    第七十八節 これまでに行なった現存在の時間的な分析が不完全であること
    第七十九節 現存在の時間性と時間の配慮
    第八十節 配慮される時間と時間内部性
    第八十一節 時間内部性と通俗的な時間概念の成立
    第八十二節 時間性と現存在、ならびに世界時間の実存論的かつ存在論的な連関と、時間と精神の関係についてのヘーゲルの見解との対比
    第八十三節 現存在の実存論的かつ時間的な分析作業と、基礎的存在論が提起する存在全般の意味を問う問い
http://blog.goo.ne.jp/tgalmoh/e/f1cbe586d72cef42ce2d44e359ef5ca2/?cid=ce77573b192b3a0a636308db164e0dda&st=0

7:02 午前  
Blogger yoji said...

存在と時間 [単行本]
マルティン・ハイデガー (著), 高田 珠樹 (翻訳)

商品の説明
内容紹介
世界=内=存在の本来的な在り方
存在の意味を問い直し、固有の可能性としての死に先駆けることで、両親と歴史に添った本来的な生を提示する西欧哲学の金字塔。傾倒40年、熟成の訳業。
【用語・訳語解説、詳細事項索引】
内容(「BOOK」データベースより)
存在の意味を問い直し、固有の可能性としての死に先駆けることで、良心と歴史に添った本来的な生を提示する西欧哲学の金字塔。傾倒40年、熟成の訳業。附:用語・訳語解説、詳細事項索引。
商品の説明をすべて表示する
登録情報
単行本: 741ページ
出版社: 作品社 (2013/11/30)
言語: 日本語
ISBN-10: 4861824540
ISBN-13: 978-4861824548
発売日: 2013/11/30

7:05 午前  
Blogger yoji said...

存在と時間

桑木務 訳 旧岩波 1960-3
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
熊野純彦 訳 岩波 2013
高田珠樹 作品社2013

7:46 午後  
Blogger yoji said...

Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html

存在と時間 邦訳
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
熊野純彦 訳 岩波 2013
高田珠樹 訳 作品社2013

7:53 午後  
Blogger yoji said...


http://blog.goo.ne.jp/eksistenz/e/8dca8d3495f690367a9a84690c297ad1
特別シンポジウム 「『存在と時間』とは何か――その翻訳をめぐって――」
Information 2014/04/02 22:22
ハイデガー研究会・東京ドイツ文化センター共催特別シンポジウム
「『存在と時間』とは何か――その翻訳をめぐって――」



2013年、ハイデガーの『存在と時間』の新たな邦訳が刊行されました。高田珠樹訳の作品社版(全一巻)と熊野純彦訳の岩波文庫版(全四巻)がそれです。寺島実仁訳の三笠書房版(全二巻、1939-1940年)、桑木務訳の岩波文庫版(全三巻、1960-63年)、松尾啓吉訳の勁草書房版(全二巻、1960-66年)、細谷貞雄訳のちくま学芸文庫版(前理想社版・全二巻、1963-64年/1994年)、辻村公一訳の創文社版(前河出書房新社版・全一巻、1967年/1997年)、原佑・渡邊二郎訳の中央公論社版(全三巻、1971年/2003年)とあわせると、全部で八つの邦訳が刊行されたことになります。古典と呼ばれる哲学書や思想書には複数の邦訳が刊行されていますが、原著の刊行(1927年)からまだ一世紀もたたない時点でこれほどの数の邦訳が刊行されているのは、稀有な事態と言ってよいでしょう。加えて、同じ書物の新しい邦訳が一年のうちに二点も刊行されるというのも、じつに珍しい出来事です。これはまさしく『存在と時間』がわが国の哲学・思想界に与えた影響の深刻さを物語るものです。

わけてもハイデガーをはじめドイツ思想史に造詣の深い高田氏の今回の訳業は、研究者ならずとも注目せざるをえないところでしょう。初期から後期までのハイデガー哲学の歩みを視野に収めたご著書の『ハイデガー――存在の歴史』(講談社、1996年)は、初学者にとっても研究者にとっても必携の書物です。また『言葉についての対話――日本人と問う人とのあいだの』(平凡社ライブラリー、2000年)や『アリストテレスの現象学的解釈――『存在と時間』への道』(通称『ナトルプ報告』、平凡社、2008年)は、いずれも小品ながら重要なハイデガーの著作ですが、その達意の訳文の完成度の高さは誰しも認めるところでしょう。氏はさらに、ティモシー・クラークの『マルティン・ハイデガー』(青土社、2006年)や、スローターダイクやクロコウ、岩波版『フロイト全集』の新訳も手がけられています。こうしたお仕事のかたわら、長年の研鑽の末に完成されたのが今回の『存在と時間』の新訳というわけです。

そこでこのたびハイデガー研究会と東京ドイツ文化センターは、この最新版の邦訳の刊行を祝して、「『存在と時間』とは何か」と題した特別シンポジウムを開催することにいたしました。訳者の高田珠樹氏(大阪大学)をお招きして、陶久明日香氏(学習院大学)の司会のもと、コメンテーターの池田喬(明治大学)、齋藤元紀(高千穂大学)とのディスカッションを交えながら、翻訳の観点から、また思想内容の観点から『存在と時間』についてお話いただきます。『存在と時間』をはじめとして、ハイデガーの思想、そして哲学に関心を寄せるみなさまのご参加、心よりお待ちしています。

*日時:2014年11月24日(月・祝)
*場所 東京ドイツ文化センター図書館
(〒107-0052 東京都港区赤坂7丁目5−56)
*プログラム
16:00〜 開会の挨拶
16:10〜 高田珠樹氏講演
17:00〜17:10 休憩
17:10〜 セッション1 池田喬(明治大学)
17:50〜 セッション2 齋藤元紀(高千穂大学)
18:30〜18:40 休憩
18:40〜19:30 全体討議
司会: 陶久明日香(学習院大学)

*参加無料、要参加登録。登録は下記を参照してください。
http://www.goethe.de/ins/jp/tok/ver/ja12586788v.htm

4:59 午前  
Blogger yoji said...

勁草書房版目次

M.ハイデガー 著
松尾啓吉 訳
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b26570.html
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b51445.html

目次
凡例
献辞
巻頭言

緒論 存在の意味如何という問いの開展

第一章 存在問題の必要と構造と優位
 第一節 存在如何の問いをことさらに繰返すことの必要
 第二節 存在如何の問いの形式的構造
 第三節 存在問題の存在論的優位
 第四節 存在問題の存在的優位

第二章 存在問題の精練確立における二重課題。探究の方法とその構図
 第五節 そもそもの存在の意味を解釈せんがための地平の拓開露表としての、現存在の存在論的分析論
 第六節 存在論史を破壊する課題
 第七節 探究の現象学的方法
 第八節 論文の構図

第一部 時間性にもとづくとする現存在の学的解釈と、存在如何の問いの超越論的〔先験的〕地平としての時間の解明

第一篇 現存在の予備的基礎分析

第一章 現存在の予備的分析の課題の開展
 第九節 現存在の分析論の主題
 第一〇節 人間学、心理学、および生物学に対する現存在分析論の界限
 第一一節 実存論的分析論と、原始的現存在の解釈。『自然的世界概念』獲得の困難

第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
 第一二節 「内存在」そのものの方に定位しての「世界内存在」の予描
 第一三節 基づけられた〔高次〕様態において示される「内存在」の範例。世界認識作用

第三章 世界の世界性
 第一四節 世界一般の世界性の理念
 A.環境界性と世界性一般との分析
 第一五節 環境界内で出会する存在者の存在
 第一六節 世界内部的存在者において告げられている環境界の世界適合性
 第一七節 指示と記号
 第一八節 適在性と有意義性。世界の世界性
 B.デカルトにおける世界解釈に対する世界性分析の対照
 第一九節 延長的事物としての『世界』の規定
 第二〇節 『世界』の存在論的規定の諸基礎
 第二一節 デカルト的『世界』存在論の解釈学的討究
 C.環境の環性 des Umhafte と現存在の『空間性』
 第二二節 世界内部的に用在せる者の空間性
 第二三節 「世界内存在」の空間性
 第二四節 現存在の空間性、および空間

第四章 共同存在および自己存在としての、「世界内存在」。『ひと・世人 das Man』
 第二五節 現存在は誰かという実存論的問いの始設
 第二六節 他人の共同現存在と日常的共同存在
 第二七節 日常的自己存在と「ひと」

第五章 「内存在」そのもの
 第二八節 「内存在」の主題的分析の課題
 A.「現われ」の実存論的構成本質
 第二九節 感存性としての「現われ―在ること」
 第三〇節 感存性の一様態としての「恐れ」
 第三一節 了解作用としての「現われ―在ること」
 第三二節 了解作用と解釈
 第三三節 解釈の派生様態としての陳述
 第三四節 「現われ―存在」と「語り」。言語
 B.「現われ」の日常的存在と、現存在の頽落
 第三五節 空談
 第三六節 好奇心
 第三七節 曖昧性
 第三八節 頽落と被投性

第六章 現存在の存在としての慮
 第三九節 現存在の構造全体の根源的全体性如何の問い
 第四〇節 現存在の最も顕著な開示性としての不安という根本感存性
 第四一節 慮としての現存在の存在
 第四二節 現存在の前存在論的自己解釈からする、慮としての現存在の実存論的解釈の保証
 第四三節 現存在、世界性、および実在性
 第四四節 現存在、開示性、および真理

訳者注および訳注補遺
あとがき


第二篇 現存在と時間性

第一章 現存在の可能的全体存在と、死への存在

第二章 自己本来的存在可能の現存在的証言と、覚悟性

第三章 現存在の自己本来的な全体存在可能と、慮の存在論的意味としての時間性

第四章 時間性と日常性

第五章 時間性と歴史性

第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての時間内部性

訳者注および訳注補遺
あとがき
事項索引兼訳語対照表
人名索引


勁草書房版目次

M.ハイデガー 著
松尾啓吉 訳
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b26570.html
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b51445.html

5:03 午前  
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1 桑木務 訳 旧岩波 1960-3
2 細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
3 原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
4 辻村公一 訳 河出1967,創文社1997
5 熊野純彦 訳 新岩波 2013

§ 35. Das Gerede ... 167
  第三十五節 おしゃべり
    第35節 世間話
    第三十五節 空談
 第三五節 空話(雑談)
   第三五節 空談


Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                     § 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
桑木務 訳 旧岩波 1960-3          第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69       第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013          第三十五節 巷談

 寺島實仁訳三笠書房1939~40は未確認

5:21 午前  
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http://www.goethe.de/ins/jp/tok/ver/ja12586788v.htm
『存在と時間』、その翻訳を巡って-『存在と時間』とは何か
講演とディスカッション
2014年11月24日(月・祝)16:00
東京ドイツ文化センター図書館
日本語
参加無料、要参加登録
03-3584-3203
yoshitsugu@tokyo.goethe.org

2013年、ハイデッガーの『存在と時間』の新たな邦訳が刊行されました。熊野純彦訳の岩波文庫版(全四巻)と、高田珠樹訳の作品社版(全一巻)の二冊がそれです。寺島実仁訳の三笠書房版(全二巻、1939-1940年)、桑木務訳の岩波文庫版(全三巻、1960-63年)、松尾啓吉訳の勁草書房版(全二巻、1960-66年)、細谷貞雄訳のちくま学芸文庫版(前理想社版・全二巻、1963-64年/1994年)、辻村公一訳の創文社版(前河出書房新社版・全一巻、1967年/1997年)、原佑・渡邊二郎(中央公論社、全三巻、1971年/2003年)とあわせると、全部で八つの邦訳が刊行されたことになります。古典と呼ばれる哲学書や思想書には複数の邦訳が刊行されていますが、原著の刊行(1927年)からまだ一世紀もたたない時点でこれほどの数の邦訳が刊行されているのは、稀なことで、世界でも日本以外にはないでしょう。それはまた、『存在と時間』がわが国の哲学・思想界に与えた影響の深刻さを物語るものとも言えます。この二つの新たな翻訳が出版された機会に次のように問うてみるべきでしょう。

1. 日本にこれほどの影響を与えたこの著作の力はどこからくるのか。
2. 繰り返しこの本を翻訳する試みはどのような意味を持っているのか。
3. 新しい翻訳と古い翻訳の違いはどこにあるのか。
4. どのような理由で翻訳者は、この著作を翻訳するという課題を引き受けたのか。
5. 翻訳に際して、翻訳者はどのような点に注意をはらったのか。
6. 翻訳者は、他の翻訳に関してどのような考えを持っているか。
7. 『存在と時間』は哲学の将来にとってどのような意味を持っているのか。
等々。

このような問いを問い、議論するために東京ドイツ文化センターはハイデガー研究会の全面的協力をいただき、『存在と時間』の翻訳を巡ってシンポジウムを開催することにいたしました。『存在と時間』の新たな翻訳の翻訳者、高田珠樹(大阪大学)氏をお招きして、翻訳の観点から、また思想内容の観点から『存在と時間』についてお話いただきます。これに続けて、コメンテーターとして池田喬氏(明治大学)と齋藤元紀氏(高千穂大学)にご参加いただき、議論を展開し、徹底した意見交換を行います。司会は陶久明日香氏(学習院大学)が担当いたします。20世紀最重要の哲学書について自由に議論できる貴重な機会です。ふるってご参加ください。

プログラム
16:00 開会の挨拶
16:10 高田珠樹氏講演
17:00 休憩
17:10 セッション1 池田喬(明治大学)
17:50 セッション2 齋藤元紀(高千穂大学)
18:30 休憩
18:40 全体討議
19:30 終了
司会: 陶久明日香(学習院大学)

高田珠樹氏略歴
1954年、福井県生まれ。1976年、大阪外国語大学ドイツ語学科卒業。1981年、京都大学大学院文学研究科博士課程哲学専攻単位取得。現在、大阪大学教授。
著書:
『ハイデッガー・存在の歴史』講談社
『現代思想の冒険者たち』第8巻(1996)
翻訳:
スローターダイク『シニカル理性批判』ミネルヴァ書房(1996)
『フロイト全集』第7巻、11巻、15巻、20巻
ハイデッガー『アリストテレスの現象学的解釈』(2008) 他

5:24 午前  
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1 桑木務 訳 旧岩波 1960-3
2 細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
3 原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
4 辻村公一 訳 河出1967,創文社1997
5 熊野純彦 訳 新岩波 2013

§ 35. Das Gerede ... 167
  第三十五節 おしゃべり
    第35節 世間話
    第三十五節 空談
 第三五節 空話(雑談)
   第三五節 空談


Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                     § 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40は未確認    第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3          第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69       第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013          第三十五節 巷談

2:55 午前  
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存在と時間 [単行本]
マルティン・ハイデガー (著), 高田 珠樹 (翻訳)

最も参考になったカスタマーレビュー
49 人中、45人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 斬新な『存在と時間』の新訳! 2013/12/2
By mountainside
 熊野氏に続き、高田珠樹氏の『存在と時間』の新訳が出ました。熊野氏の翻訳が全巻出版されていないので、結果的には高田氏の新訳が先に出版されたことになります。訳者が14年かけての力業ということで、訳文にも随所に工夫が凝らされています。
 ハイデッガーの術語については師の辻村公一氏の『有と時』から採られた用語が多いように思われます。「帰趨」「身のまわりの世界」など。特に「身のまわりの世界」については、自己から見て配慮、目配りが及ぶまわりの事物の世界のことですから、これが一番良い訳語だと感心しました。「環境世界」という従来の訳語では、自己から見られた世界のニュアンスがぼかされ、曖昧さを残す訳語になってしまうと思います。
 時間性、Zeitlichkeit,Temporalitaetについては、前者を「時間性」と訳し、後者を「時節性」と訳しています。この後者の訳語については細谷貞雄他訳『存在と時間』(現在はちくま学芸文庫版)から採られた訳語かと思われますが、時間の文節構造を訳語に反映させるということ、訳者が細谷氏の翻訳が最も参考になったと述べているように、その意図は十分に理解できますが、「時節」という日本語が「時間の節目」を意味する一般的イメージが先行するので、私個人はこの訳は日本語として不自然だと思います。「テンポラリテート」とカタカナで訳し、注を付けてその意味を説明するのが良いと思います。「存在時制」と訳した原・渡邉訳もありますが、テンポラリテートにはそもそもラテン語の「テンプス(時間)」を原語とし、「時間」という意味はありますが、「存在」という意味はありません。したがって、この訳も原語のニュアンスを正しく反映していないという意味においては好ましくないと思います。だとすれば、「ツァイトリッヒカイト」を「時間性」と訳したならば、「テンポラリテート」に付ける日本語訳は適当な表現が見つからないと思われます。
 もう一つ、気になる訳語は「Da Sein」を「現を在る」と訳していることです。やはり日本語としてやや不自然な感じがします。「現存在」でよいのではないでしょうか。
 本書の素晴らしさは随所にありますが、巻末に訳語解説が付いていることはとても有益です。著者の長年に及ぶ研究の蓄積が述べられており、ハイデッガーの用語事典としても使用出来ます。
 私が一番感心したのは訳文を読むことでハイデッガーの息遣いが聞こえてくるような口調で翻訳されていることです。本書は最初の1頁からハイデッガーの世界に誘ってくれます。熊野氏の翻訳がどちらかと言えば原・渡邉訳の踏襲が多いのに最近やや失望した私ですが、この翻訳と熊野氏の翻訳を読み比べ、原書を読むのに参考にするには本書は最適な翻訳だと思います。とても日本語としてこなれていて、ハイデッガーの雰囲気が読者に伝わる翻訳です。ハイデッガーに興味あるすべての人に本書を薦めます。
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7:31 午後  
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http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/458799.html
存在と時間 上巻
ハイデッガー 著 ; 寺島実仁 訳
原タイトル: Sein und Zeit
「国立国会図書館デジタルコレクション」より

[目次]
標題
目次
緖論 存在の意味の問題の展望 / 5
第一章 存在問題の必然性構造並びに優位 / 5
第一節 存在問題の明瞭な復活の必然性 / 5
第二節 存在問題の形式的構造 / 9
第三節 存在問題の存在學的優位 / 14
第四節 存在聞題の存在的優位 / 18
第二章 存在問題開明に於ける二重の課題、探究の方法とその構圖 / 24
第五節 存在一般の意味の說明の爲の地平の展開としての生存の存在學的分析學 / 24
第六節 存在學の歷史の破壞の課題 / 30
第七節 現象學的探究方法 / 40
A 現象の槪念 / 42
B ロゴスの槪念 / 47
C 現象學の豫備槪念 / 51
第八節 論文の構圖 / 57
第一篇 生存の豫備的基礎分析 / 61
第一章 生存の豫備的分析の課題の展開 / 62
第九節 生存の分析學の主題 / 62
第十節 人間學、心理學、及び生理學からの生存分析の區別 / 68
第十一節 覺存學的分析學と原始生存の說明、「自然的世界槪念」獲得の困難 / 75
第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般 / 78
第十二節 『にあること』自體に論定方向をとる事からの『世にあるもの』の豫備的提示 / 78
第十三節 基づけられた樣相に於ての『にある』の事例化、世界認識 / 88
第三章 世界の世界性 / 94
第十四節 世界の世界性一般の理念 / 94
A 環境(世)界性と世界性一般の分析 / 99
第十五節 環境界で出會はれる存在者の存在 / 99
第十六節 世界内部的存在に於て告げられた所の環境世界の世界適合性 / 107
第十七節 指示と記號 / 115
第十八節 事情Bewandtnisと有意義性、世界の世界性 / 124
B デカルトに於ける世界說明から世界性の分析を區別すること / 133
第十九節 延長物としての「世界」の規定 / 134
第二十節 「世界」の存在學的規定の基礎 / 138
第二十一節 デカルトの「世界」の存在學に就ての解釋學的討議 / 142
C 環境界の環境たることdas Umhafteと生存の空間性 / 151
第二十二節 世界内部的に手許にあるものめ空間性 / 152
第二十三節 『世にあること』の空間性 / 156
第二十四節 生存の空間性と空間 / 165
第四章 共同存在及び自己存在としての『世にあるもの』『世人』(ひと) / 170
第二十五節 生存の誰の覺存學的問ひの端緖 / 171
第二十六節 他人の共同生存と日常的共同存在 / 175
第二十七節 日常的自己存在と『ひと』(世人) / 187
第五章 『にある』ことそのもの / 195
第二十八節 『にある』の主題的分析の課題 / 195
A 「に於て」の覺存學的構成 / 200
第二十九節 心情性としての『にあること』 / 200
第三十節 心情性の一樣相としての恐怖 / 209
第三十一節 了解(性)としての『にあること』(生存) / 213
第三十二節 了解(性)と解釋 / 222
第三十三節 解釋から派生した樣相としての言表 / 231
第三十四節 に於てある(生存)と語ること、言葉Sprache / 240
B 「に於て」の日常的存在と生存の頽落 / 250
第三十五節 空談(噂話) / 251
第三十六節 好奇心 / 255
第三十七節 曖昧性 / 259
第三十八節 頽落と被投性 / 263
第六章 生存の存在としての關心 / 271
第三十九節 生存の構造全體の根源的全體性の問題 / 271
第四十節 生存の特殊の開示性としての不安と云ふ根本心情性 / 276
第四十一節 關心としての生存の存在 / 286
第四十二節 生存の先存在學的自己解釋から關心としての生存の覺存學的說明を保證すること / 294
第四十三節 生存、現實性、及び實在性 / 299
(a) 「外界」の存在及び證明可能性の問題としての實在性 / 301
(b) 存在學的問題としての實在性 / 312
(c) 實在性と關心 / 315
第四十四節 生存、開示性並びに眞理 / 317
(a) 傳統的眞理槪念とその存在學的基礎 / 320
(b) 眞理の根源的現象と傳統的眞理槪念の派生 / 327
(c) 眞理の在り方と眞理前提 / 337
譯註並びに補遺 / 345
「国立国会図書館デジタルコレクション」より

書名 存在と時間
著作者等 Heidegger, Martin
寺島 実仁
ハイデッガー
書名ヨミ ソンザイ ト ジカン
書名別名 Sonzai to jikan
Sein und Zeit
巻冊次 上巻
出版元 三笠書房
刊行年月 昭14-15
ページ数 2冊
大きさ 23cm
NCID BN14936625
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全国書誌番号
47035318
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言語 日本語
原文言語 ドイツ語
出版国 日本
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7:40 午後  
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存在と時間 下巻
ハイデッガー 著 ; 寺島実仁 訳
原タイトル: Sein und Zeit
「国立国会図書館デジタルコレクション」より

[目次]
標題
目次
第二篇 生存と時間性 / 3
第四十五節 生存の豫備的基礎分析の成果とこの存在者の根源的覺存學的說明の課題 / 3
第一章 生存の可能的全體存在と死への存在 / 10
第四十六節 生在的なる全體在在の存在學的捕捉と規定の外見だけの不可能 / 10
第四十七節 他人の死の經驗可能性と全體生存の捕捉可能性 / 12
第四十八節 未濟、終り並びに全體性 / 18
第四十九節 死の覺存學的分析をこの現象の可能たる他の諸說明から區別すること / 25
第五十節 死の覺存學的構造の豫備的提示 / 30
第五十一節 死への存在と生存の日常性 / 34
第五十二節 終りへの日常存在と死の全き覺存學的槪念 / 38
第五十三節 死への本來的存在の覺存學的投企 / 45
第二章 本來的存在可能の生存的な證明と決意性 / 56
第五十四節 本來的な覺存的可能性の證明の問題 / 56
第五十五節 良心の覺存學的、存在學的基礎 / 60
第五十六節 良心の喚ぶ性格 / 63
第五十七節 關心の喚ぶこととしての良心 / 66
第五十八節 喚びかけの了解(性)と責め / 75
第五十九節 良心の覺存學的說明と通俗的良心解釋 / 89
第六十節 良心の中で證明せられた本來の存在可能の覺存學的構造 / 98
第三章 生存の本來的全體存在可能と關心の存在學的意昧としての時間性 / 108
第六十一節 本來的な生存的全體存在の限定から時間性の現象的展開に到る方法的步みの豫備說明 / 108
第六十二節 先驅的決意性としての生存の覺存的に本來的な全體存在可能 / 112
第六十三節 蘭心の存在意味の說明の爲に獲られた解釋學的情況と覺存學的分析學一般の方法的性絡 / 119
第六十四節 關心と自己性 / 128
第六十五節 關心の存在學的意味としての時間性 / 137
第六十六節 生存の時間性とそれから生ずる覺存學的分析の根源的繰り返しの課題 / 148
第四章 時間性と日常性 / 152
第六十七節 生存の覺存學的機構の基礎組織とその時間的說明の豫備的提示 / 152
第六十八節 開示性一般の時間性 / 154
(a) 了解(性)の時間性 / 154
(b) 心情性の時間性 / 160
(c) 頽落の時間性 / 168
(d) 語ることの時間性 / 172
第六十九節 『世にあることの』時間性と世界の超越の問題 / 174
(a) 用視的配慮の時間性 / 176
(b) 用視的配慮が世界内部的に眼の前にあるものの理論的發見に變樣することの時間的意味 / 183
(c) 世界の超越の時間的問題 / 193
第七十節 生存的な空間性の時間性 / 197
第七十一節 生存の日常性の時間的意味 / 201
第五章 時間性と歷史性 / 205
第七十二節 歷史の問題の覺存學的、存在學的展望 / 205
第七十三節 歷史の通俗的了解と生存の『過ごし』 / 212
第七十四節 歷史性の根本構造 / 218
第七十五節 生存の歷史性と世界歷史 / 225
第七十六節 生存の歷史性からの歷史學の覺存學的起源 / 231
第七十七節 上述の歷史性の問題の展望のディルタイの硏究並びにヨーク伯の理會との聯關 / 238
第六章 時間性と通俗的時間槪念の起源としての時間内部性 / 247
第七十八節 生存の前述の時間的分析の不完全性 / 247
第七十九節 生存の時間性と時間の配慮 / 250
第八十節 配慮的時間と時間内部性 / 258
第八十一節 時間内部性と通俗的時間槪念の發生 / 271
第八十二節 時間と精神の關係に關するヘーゲルの見解から時間性、生存並びに世界時間の覺存學的、存在學的聯關を區別すること / 281
(a) ヘーゲルの時間槪念 / 282
(b) 時間と精神の聯關に就てのヘーゲルの說明 / 289
第八十三節 生存の覺存學的、時間的分析學と存在一般の意味への基礎的存在學的問ひ / 293
譯註並びに補遺 / 297
あとがき / 303
人名索引 / 305
「国立国会図書館デジタルコレクション」より

書名 存在と時間
著作者等 Heidegger, Martin
寺島 実仁
ハイデッガー
書名ヨミ ソンザイ ト ジカン
書名別名 Sonzai to jikan
Sein und Zeit
巻冊次 下巻
出版元 三笠書房
刊行年月 昭14-15
ページ数 2冊
大きさ 23cm
NCID BN14936625
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全国書誌番号
47035318
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言語 日本語

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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                 § 5.(Temporalitaet)  § 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40は未確認    覺第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3          第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69       第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013          第三十五節 巷談

1:30 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                 § 5.(Temporalitaet)  § 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40は未確認    覺時性 第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3          第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    時節性 第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69       第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  存在時性 第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       時節性 第三十五節 巷談

1:33 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                 § 5.(Temporalitaet)  § 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40は未確認    (覺時性 )第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3          第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性 )第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69       第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出 第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 第三十五節 巷談

1:41 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                 § 5.(Temporalitaet)  § 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40は未確認    (覺時性 )第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性 )第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69       第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出 第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 第三十五節 巷談

1:44 午前  
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木田元はテンポラリテートと記載する

1:48 午前  
Blogger yoji said...

『現象学の根本問題』で木田元はテンポラリテートと記載する

1:50 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                 § 5.(Temporalitaet)  § 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性 )第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69      (時性) 第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 第三十五節 巷談

2:02 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                 § 5.(Temporalitaet)  § 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69      (時性) 第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 第三十五節 巷談

2:03 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
                 § 5.(Temporalitaet)熊野第一巻141頁に解説あり § 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69      (時性) 第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 第三十五節 巷談

2:56 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
          § 5.(Temporalitaet)熊野第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69      (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 第、三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談

3:04 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
          § 5.(Temporalitaet)熊野第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69      (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談

3:08 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
          § 5.(Temporalitaet)熊野版第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1960-66     (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談

8:35 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
         訳語例: § 5.(Temporalitaet)熊野版第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1960-66     (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談

8:37 午前  
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http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 Ereignisの意味は何であるのか? これは『フライブルク講演』の第三講演「同一性と差異」にて詳しく記されている。もともとの原義は、er-augen(エア-オイゲン)であり、これは「見つめて自分の方へ呼ぶこと」を意味している。Ereignisは名詞形であり、意味は「出来事、事件」である。ハイデッガーの後期思想の始まる『ヒューマニズム書簡』(1947)に登場しているのはsich sreignen(生じる、起こる)という意味の再帰動詞である。
 以上から、「エアアイグニス」という言葉の意味は少なくとも理解できる。基本的に、この言葉はハイデッガーにとって無限に深い奥行きを与えられていて、「ギリシア語のロゴスや、中国語のタオと同様、翻訳不可能である」とまでいわれているのであるが、それでも存在論的な意味をエアアイグニスに与えると、かろうじて「存在が人間を呼び求めているという存在論的関係そのもの」になると今のところは解釈できるはずである。
 よくハイデッガー関連の本を読んでいて、「Kehre(転回)」という言葉を目にするが、この語の存在論的な本来的意味は、「人間と存在の相互性(呼応関係)」を指しているとされている。特に重要なテクストは、「エアアイグニスは、見えざるものの内で最も見えざるもの、単純なものの内で最も単純なもの、近いものの内で最も近いもの、遠いものの内で最も遠いものであり、我々はその中に、死すべき者として生涯滞在するのである」(『フライブルク講演』)という箇所である。
 こうした意味が明確には伝達されない謎めいた性格をエアアイグニスは持っている。それは翻訳不可能であり、表現不可能性に帰属されるテーマであるが、少なくとも「極度に見えざるもの」でありつつ、「存在と人間の関係性」を指示する語として理解できよう。もともと、この言葉にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。



 ここで、sich ereignen(生じる)という言葉を詩人が使用している。この「真なるものが出来事として生起する」ことを、ハイデッガーはそのヘルダーリン論の中で「存在の露になること」と理解した。より詳しく述べると、「乏しき時代」としての現代が、「世界の転換」にどのようにして遭遇するか、いうなれば「転換」がどのように「生じる」かを意味するのである。
 重要なことに、エアアイグニスは、「時間/存在」を、与えるところのものであるとも考えられている。「時間」というのは、実質的にエアアイグニスの発現形態なのだ。
 『寄与』におけるエアアイグニスについての言及によれば、「存在は没落する者たちを必要とし、ある存在者が現象する場合には彼らを既に呼び求めており、自らに割り当ててしまっている。これが存在それ自身の本質活動であり、この本質活動を我々はエアアイグニスと名付ける」とある。このテクストが重要なのは、「存在が存在者を呼び求めている」と記されている点にあり、実はこれは原義であるer-augen(エア-オイゲン)の「見つめて自分の方へ呼ぶこと」の意味と深く重なり合っているのである。いうなれば、「存在」が我々「存在者」を「呼び求める」という、その存在それ自身の「不可視」の「活動」を、ハイデッガーは「エアアイグニス」と規定する。
 ここまでの段階で、我々はまだハイデッガーのエアアイグニスという言葉の意味を紹介しただけに過ぎない。これは繰り返すが後期ハイデッガーを語る上で避けては通れない概念である。しかし、読者はここに何故「霊」的な意味が結び付いてくるのか、頭を傾げるだろう。それを示すためには、エアアイグニスと並んで重大な意味を持つ、Ab-grund(深淵)というテーマについて考えねばならないのだ。

8:49 午前  
Blogger yoji said...

http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122
ムネーモシュネー

われらはひとつのしるし、解くすべもなく、
苦しみも感ぜず、ほとんど
言葉を異国のなかで失ってしまった。
それゆえ、人間たちの頭上の
天に争いがおこり、荒々しく
あまたの月が進むとき、海もまた
語り、川の流れはおのれの道を
探し求めねばならぬ。けれども、疑いもなく
ある一者は存在する。この一者は
日ごとに事態を変えることができる。彼にはほとんど
掟は無用なのだ。そして木の葉は響きを立て、
かしわの樹々は万年雪のかたわらで
風にゆれる。なぜならば、天上のものたちも
いっさいをなしうるわけではない。すなわち
死すべき身の者たちはまず深淵のほとりに到達するのだ。
こうしてエコーは
彼らとともに変転する。ながながと
時は流れるが、
真実のことはおこるのだ。

ヘルダーリン「ムネーモシュネー」第二稿第一連 浅井真男訳

8:57 午前  
Blogger yoji said...

http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-41.html
ヘルダーリンの詩作の解明〈第1部門〉既刊著作(1910‐76) (ハイデッガー全集)
(1997/06)
ハイデッガー、Martin Heidegger 他

商品詳細を見る


ハイデガーはヘルダーリンから圧倒的な詩的影響を受けつつ、現代の神を「最後の神」と名づける。
「ヘルダーリンの大地と天」という有名なヘルダーリン論の中で、彼は世界の基本原理を以下の四つの概念でまとめている。

1、天
2、大地
3、神
4、人間

9:00 午前  
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http://yojiseki.exblog.jp/6388324/
後期ハイデガー:メモ
後期ハイデガーは老子をドイツ語訳し、言葉の円環のなかに住まおうとした。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。

      天

神々           人間たち
  

      大地


大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
トートナウベルクには日本人留学生に教えた謝礼金で造った山小屋があったのだ。
そしてドイツとギリシアをつなぐ媒介に選ばれた詩人がヘルダーリンだった。

以下、年譜におけるハイデガーの葬儀(=1976年5月28日、死去は26日)の記述より。

<死の少し前、ヘリングラード編のヘルダーリンの詩句を、「私の墓へ告別の挨拶としてゆっくりと単純に朗読する」ことを望み、ヘルダーリンの讃歌では「ドイツ人に寄す」、「宥和する者」、「巨人たち」から、悲歌では「パンと葡萄酒」から選ぶことを望んだ。(略)ヘルマン・ハイデッガーは父の意志通りにヘルダーリンを朗読した。その結びは「パンと葡萄酒」第三節のものであった。>

(人類の知的遺産75『ハイデガー』芽野良男、講談社p313より)
上記に挙げられた詩はすべて全集第2巻に所収されている。以下、その一節を引用する。


童児を嘲ってはいけない、鞭を手に 拍車をつけて
かれが木馬にまたがり 自分を雄々しい偉大なものと思っているときも。
なぜならドイツ人諸君よ、君たちも
思想に富んで行為に貧しい者なのだから。(以下略)

「ドイツ人に寄せる」  ヘルダーリン(手塚富雄訳)
(『ヘルダーリン全集2』河出書房p10より)

Spottet nimmer des Kinds, wenn noch das alberne
Auf dem Rosse von Holz herrlich und viel sich dünkt,
O ihr Guten! auch wir sind
Thatenarm und gedankenvoll!

"An die Deutschen"    Hölderlin
http://www.hoelderlin-gesellschaft.de/index.php?id=137
(ドイツ、ヘルダーリン協会サイトより)


ラジオ、テレビ、映画(『羅生門』に関して日本人との会話で触れている)との関わり(*)が端的に指し示すような、その技術論とともにこうした民族主義も後期ハイデガーを読む上で重要になるだろう。

*追記:
ハイデガーがヘルダーリンの詩を朗読したCDが現在販売されている。

9:03 午前  
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http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(Ereignis性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。

この認識はマルクスと同じだ。つまり唯物論と観念論は一致し得る 。属性が違うだけだ。

9:13 午前  
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http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122

http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(Ereignis性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。

この認識はマルクスと同じだ。つまり唯物論と観念論は一致し得る 。属性が違うだけだ。

9:14 午前  
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http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(Ereignis性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。

http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122
この認識はマルクスと同じだ。つまり唯物論と観念論は一致し得る 。属性が違うだけだ。

9:15 午前  
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http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/kotobasyu/meiriron/top.html
 

マルクス『資本論』第1部、S.791
「資本主義的生産様式の桎梏論」
「資本独占は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏となる。生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」

9:44 午前  
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http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/chyosyo/kenkyu/huroku4.html
附録 収奪者の収奪

高畠素之(譯)


『此の變化行程が、深さに於ても廣さに於ても、舊社會を十分に分解すると同時に、勞働が無産階級化し、其の勞働諸條件が資本化すると同時に、資本家的生産方法が自立すると同時に、勞働の尚それ以上の社會化、及び土地その他の生産機關の、社會的に利用される、即ち共同的なる、生産機關への、尚それ以上の轉化、隨つて又た私有權の尚それ以上の収奪は、一箇の新形態を受ける。斯くて今や収奪せらるべき者は、もはや自營的勞働者でなく、多くの勞働者を搾取してゐる資本家である。

『そして此収奪は、資本家的生産その者の内在的理法の作用に依つて、資本の集中に依つて行はれる。一人の資本家は常に多くの資本家を打ち殺す。そして此集中と、或は少數資本家に依る多數資本家の収奪と竝んで、勞働行程の、絶えず擴大する規模に於ての協業的形態が、科學の意識的なる技術的應用が、土地の秩序的利用が、勞働要具の只だ共同的にのみ使用し得る勞働要具への轉化が、すべての生産機關をば結合的・社會的勞働の生産機關として使用することに依る其の節約が、すべての國民が世界市場の網に絡まることが、そして又それと共に資本家制度の國際的性質が、ますます發達する。斯くの如き變化行程の總ての利益を私し獨占する大資本家の數が絶えずますます減少すると共に、窮乏、壓迫、奴隷状態、壞頽、搾取などの分量はますます増大する。然しまた之れと共に、絶えず其人員を加へ、そして資本家的生産行程それ自體のカラクリに依つて訓練され、結合され、組織だてられる所の勞働階級の反抗が、益々發達する。斯くて資本の獨占は、其獨占と共に、又其もとに、開花繁榮した生産方法の、桎梏となる。生産機關の集中と勞働の社會化とは、遂に、それが資本家的外殻と一致することの出來ぬ點に達する。茲に於て、資本家的外殻は破裂する。資本家的私有權の亡びの時は鳴る。収奪者は収奪される。』(『資本論』第一卷第六版七二八頁)


注記:

※参考に改造社版『資本論』第1巻第2冊の「収奪者の収奪」(第1巻第24章の一部)を掲げておく。

この轉形行程が、舊來の社會をば深さに於いても廣さに於いても十分に分解させてしまふや否や、勞働者がプロレタリアに轉化され、彼等の勞働條件が資本に轉化されるや否や、資本制生産方法が自己の脚を以つて立つやうになるや否や、勞働の更らに進んだ社會化、及び土地その他の生産機關の、社會的に利用される所の、隨つて共同的たる所の、生産機關への更らに進んだ轉化、隨つてまた、私有者からの更らに進んだ収奪は、一の新たなる形態を採るやうになる。今や収奪を受ける者は、もはや自家經營的の勞働者ではなく、多くの勞働者を搾取する所の資本家なのである。

この収奪は、資本制生産それ自身の内在的法則の作用たる資本の集中に依つて完成される。つねに一人の資本家が多くの資本家を打ち殺すのである。この集中、換言すれば少數資本家に依る多數資本家からの収奪と相竝んで、勞働行程の益々大規模となりつつある協業的形態、科學の意識的なる技術的應用、土地の計畫的利用、勞働要具の共同的にのみ利用し得べき勞働要具への轉化、凡ゆる生産機關を結合的社會的なる勞働の生産機關として使用することに依る節約、凡ゆる國民が世界市場の網に絡められるといふ事實、それと共にまた資本制度の國際的性質、等──此等一切の事象が發達して來るのである。この轉形行程に伴ふ一切の利益を横奪獨占する大資本家の數が益々減少すると同時に、窮乏や、壓迫や、隷從や、壞頽や、搾取などの量が益々増大して來る。が、それと共にまた、資本制生産工程それ自身の機構に依つて訓練、統合、組織される所の、不斷に膨大しつつある勞働者階級の反抗が増進する。資本獨占は、それと共に、またその下に、開花繁榮した生産方法の桎梏となる。生産機關の集中と勞働の社會化とは、その資本制的外殻とは兩立し難き點に達する。資本制的外殻は破裂する。資本制的私有の終焉を告ぐる鐘がなる。収奪者が収奪される。

9:45 午前  
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http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(Ereignis性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。

http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122
この認識はマルクスと同じだ。つまり唯物論と観念論は一致し得る 。属性が違うだけだ。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/kotobasyu/meiriron/top.html
マルクス『資本論』第1部24章より
「資本独占は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏となる。
生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的外皮とは調和できなくなる一
点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。
収奪者が収奪される。」



9:46 午前  
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http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(Ereignis性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。

http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122
この認識はマルクスと同じだ。つまり唯物論と観念論は一致し得る 。
最後の神は最後の鐘に対応する。属性が違うだけだ。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/kotobasyu/meiriron/top.html
マルクス『資本論』第1部24章より
「資本独占は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏となる。
生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的外皮とは調和できなくなる一
点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。

9:48 午前  
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http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(Ereignis性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。

参考:http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122

この認識はマルクスと同じだ。つまり唯物論と観念論は一致し得る 。
最後の神は最後の鐘に対応する。属性が違うだけだ。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/kotobasyu/meiriron/top.html
マルクス『資本論』第1部24章より
「そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。」

9:49 午前  
Blogger yoji said...


http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(Ereignis性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。

参考:http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122

この認識はマルクスと同じだ。つまり観念論と唯物論は一致し得る 。
最後の神は最後の鐘に対応する。属性が違うだけだ。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/kotobasyu/meiriron/top.html
マルクス『資本論』第1部24章より
「そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。」

9:50 午前  
Blogger yoji said...

http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(Ereignis性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。

参考:http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122

この認識はマルクスと同じだ。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/kotobasyu/meiriron/top.html
マルクス『資本論』第1部24章より
「そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。」

つまり観念論と唯物論は一致し得る 。
最後の神は最後の鐘に対応する。属性が違うだけだ。

「疑いつつ在る(我は思惟しつつ存在する Ego sum cogitans)」
  スピノザ( 『デカルトの哲学原理』)

9:52 午前  
Blogger yoji said...

http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1259.html
 この言葉(=Ereignis,性起)にハイデッガーが憑かれたのは、ヘルダーリンの
「ムネモシュネー」に由来するといわれている。

 
 Lang ist
 Die Zeit, es ereignet sich aber
 Das Wahre.


 時は
 永い、だが真なるものは
 出来事として生じる。

参考:http://asasinblr.tumblr.com/post/23942071122

この認識はマルクスと同じだ。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/kotobasyu/meiriron/top.html
マルクス『資本論』第1部24章より
「そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。」

つまり観念論と唯物論は一致し得る 。最後の神は最後の鐘に対応する。属性が違うだけだ。

「疑いつつ在る(我は思惟しつつ存在する Ego sum cogitans)」
  スピノザ( 『デカルトの哲学原理』)

9:53 午前  
Blogger yoji said...

ここでファシストとしてのハイデガーを擁護するなら
彼の民族主義はドイツ人であるとともにギリシアを志向していたと
いうことである
その言葉の揺らぎ、移り変わりをテクストから読み取るべきだろう
マルクスもまたドイツからイギリスへと移った、、、
そのユダヤ人としてのアイデンティティの欠如は
ハイデガーに存在忘却と言われても仕方ないものだが
彼らは相補的とも言える
ナチスは、ドイツ国家社会主義を意味する

9:17 午前  
Blogger yoji said...

国家社会主義ドイツ労働者党(こっかしゃかいしゅぎドイツろうどうしゃとう、独: Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei 、略称: NSDAP)は、かつて存在したドイツの政党。一般にナチス、ナチ党などと呼ばれる、、、


ベクトルは違えど両者の表象批判は共通する。

9:21 午前  
Blogger yoji said...

ここでファシストとしてのハイデガーを擁護するなら
彼の民族主義はドイツ人であるとともにギリシアを志向していたと
いうことである
その言葉の揺らぎ、移り変わりをテクストから読み取るべきだろう
マルクスもまたドイツからイギリスへと移った、、、
そのユダヤ人としてのアイデンティティの欠如は
ハイデガーに存在忘却と言われても仕方ないものだが
彼らは相補的とも言える
ナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党を意味する。

ハイデガーとマルクス、ベクトルは違えど両者に共通するのはその表象批判である。

9:22 午前  
Blogger yoji said...

ここでファシストとしてのハイデガーを擁護するなら
彼の民族主義はドイツ人であるとともにギリシアを志向していたと
いうことである
その言葉の揺らぎ、移り変わりをテクストから読み取るべきだろう

マルクスもまたドイツからイギリスへと移った、、、
そのユダヤ人としてのアイデンティティの欠如は
ハイデガーから存在忘却と言われても仕方ないものだが
彼らは相補的とも言える
ナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党を意味する。

ハイデガーとマルクス、ベクトルは違えど両者に共通するのはその表象批判である。

9:23 午前  
Blogger yoji said...

ここでファシストとしてのハイデガーを擁護するなら
彼の民族主義はドイツ人であるとともにギリシアを志向していたと
いうことである
その言葉の揺らぎ、移り変わりをテクストから読み取るべきだろう

マルクスもまたドイツからイギリスへと移った、、、
そのユダヤ人としてのアイデンティティの欠如は
ハイデガーから存在忘却と言われても仕方ないものだが
彼らは相補的とも言える

ハイデガーとマルクス、ベクトルは違えど両者に共通するのはその表象批判である。

ちなみにナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党を意味する。

9:24 午前  
Blogger yoji said...

ここでファシストとしてのハイデガーを擁護するなら
彼の民族主義はドイツ人であるとともにギリシアを志向していたと
いうことである
その言葉の揺らぎ、移り変わりをテクストから読み取るべきだろう

マルクスもまたドイツからイギリスへと移った、、、
そのユダヤ人としてのアイデンティティの欠如は
ハイデガーから存在忘却と言われても仕方ないものだが
彼らは相補的とも言える

ハイデガーとマルクス、ベクトルは違えど両者に共通するのはその表象(代表制)批判である。

ちなみにナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党を意味する。

9:25 午前  
Blogger yoji said...

ここでファシストとしてのハイデガーを擁護するなら
彼の民族主義はドイツ人であるとともにギリシアを志向していたと
いうことである
一国中心主義ではないのだ
その言葉の揺らぎ、移り変わりをテクストから読み取るべきだろう

マルクスもまたドイツからイギリスへと移った、、、
そのユダヤ人としてのアイデンティティの欠如は
ハイデガーから存在忘却と言われても仕方ないものだが
彼らは相補的とも言える

ハイデガーとマルクス、ベクトルは違えど両者に共通するのはその表象(代表制)批判である。

ちなみにナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党を意味する。

10:50 午前  
Blogger yoji said...


http://blog.goo.ne.jp/tobiomasahiro/e/e4537af6ee6d78bdefd40e77e4626444
脱自(ekstasis)
思想・学問 10/08/23
 昨日41歳になり、私はあらためて来し方を振り返ったのでした。
 
 実際に存在する私(existence)は、死に向かう一方通行の時間に閉じ込められながら、死に向かう時間を忘れて、あるいは無視して日常の雑事にかまけています。そこにあるのは、ハイデガー言うところの対象化された私です。
 様々な日常との関係性のなかで生きている私とも言うべきでしょうか。
 ハイデガーは、非対象化した生き方、脱自(ekstasis)を求めます。
 
 これは理論としては面白いですが、実際には無理でしょう。ekstasisは恍惚とも訳され、性的絶頂の意もあります。
 
 三島由紀夫は「絹と明察」という小説で、以下のように簡略に説明しています。
 自己から漂い出して世界へ開かれて現実化され、根源的時間性と一体化する。

 また、和泉式部の和歌に、

 もの思へば 沢の蛍もわが身より あくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る
(p65)
 という、魂が遊離した恍惚状態を歌ったものがあります。

 いずれも脱自(ekstasis)ですね。
 私はこれらのことを知識として知りながら、やっぱり対象化した私でしか、生きられません。

 また、同じ歌人の歌に、

 冥きより 冥き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月 
 
 という、絶望的な歌があります。
 これは、脱自(ekstasis)の不可能を嘆いているようにも受け取れます。 

 最後に、素行不良の恋多き女、和泉式部らしい歌を一首。

 黒髪の 乱れも知らずうち臥せば まづかきやりし人ぞ恋しき

 ハイデッガーは哲学者ですが、脱自(ekstasis)を多少なりとも可能にするのは、宗教と芸術だけのような気がします。
 ほぼ人生の折り返し地点に来て、私が求めるべきは脱自(ekstasis)なのか、それとももっと現実的な、例えば金儲けなどか、惑うおじさんなのです。


絹と明察 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社


存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)
Martin Heidegger,細谷 貞雄
筑摩書房
存在と時間〈下〉 (ちくま学芸文庫)
Martin Heidegger,細谷 貞雄
筑摩書房

 

和泉式部集・和泉式部続集 (岩波文庫 黄 17-2)
和泉式部,清水 文雄
岩波書店
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1:11 午前  
Blogger yoji said...

226 :吾輩は名無しである:2011/10/27(木) 10:26:52.23
『仏教といふのは妙なもんだ』と岡野は考へてゐた。『慈眼で見張れば、湖上の船も難から
救はれるといふ考へなんだ。こんな死んだ金いろの目で』
見るといふことは岡野にとつて、本来、残酷さの一部だつたが、
「遠くひろがる湖面には、
帆影に起る喜悦の波。
払暁の町はかなたに
今花ひらき明るみかける」
などといふ彼の好きなヘルダアリンの詩句も、この千体仏の暗い金の重圧、慈悲による、
見ることによる湖の支配の前に置かれては、たちまち力を喪ふやうに思はれた。


ハイデッガーのいはゆる「実存(エクジステンツ)」の本質は時間性にあり、それは本来
「脱自的」であつて、実存は時間性の「脱自(エクスターゼ)」の中にある、と説かれてゐるが、
エクスターゼは本来、ギリシア語のエクスタテイコン(自己から外へ出てゐる)に発し、
この概念こそ、実存の概念と見合ふものである。つまり実存は、自己から外へ漂ひ出して、
世界へひらかれて現実化され、そこの根源的時間性と一体化するのである。

三島由紀夫「絹と明察」より

1:48 午前  
Blogger yoji said...

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1287085245/l50

1:49 午前  
Blogger yoji said...

『保田與重郎全集』各巻目次
http://binder.gozaru.jp/yasuda.htm
第17巻 「日本語録」他 1987.03

はしがき
倭姫命(慎んで怠ること勿れ)
日本武尊(大和は国のまほろば)
神功皇后(服(マツロ)ふ者を殺す勿れ)
聖徳太子(日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す)
蘇我石川麻呂(先づ神祇を祀り後政事を議(ハカ)るべし)
柿本人麻呂(大君は神にしませば天雲(アマクモ)の雷(イカツチ)の上に廬(イホリ)せるかも)
山部赤人(田児の浦ゆうち出て見れば真白にぞ不盡(フジ)の高嶺に雪は降りける)
海犬養岡麻呂(みたみ吾生けるしるしあり天地(アメツチ)の栄ゆる時に逢へらく思へば)
今奉部与曽布(今日よりは顧みなくて大君のしこの御楯と出でたつ吾は)
大伴家持(海行かば 水漬く屍 山行かば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ)
最澄(心形久しく労して一生こゝに窮る)
紀貫之(力をもいれずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、猛き武士の心をもなぐさむるは歌也)
菅原道真(駅長莫驚時変改 一栄一落是春秋)

和泉式部(もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞみる)

清少納言(駿馬の骨を買はずや)
源為朝(鎮西の八郎是にあり)

14に和泉式部私抄

2:12 午前  
Blogger yoji said...

むしろレヴィナスは典型的現象学で、それは熊野を見ればわかるように翻訳という
行為と相性がいい
ハイデガーの文献学もそれに出自は似てはいるが構造主義的だからレヴィナスより
現代思想の出発点としてより普遍的なのだ(多義性を含むくらいの意味)
レヴィナスの民族主義的現象学とハイデガーの神なき信仰体系は相補的ではあるが
両者ともにスピノザ理解を欠いているから書き換える必要はある
ちなみにスピノザ理解の欠如はデリダも受け継いでしまっている

3:18 午前  
Blogger yoji said...

むしろレヴィナスは典型的現象学で、それは熊野を見ればわかるように翻訳という
行為と相性がいい
ハイデガーの文献学もそれに出自は似てはいるが構造主義的だからレヴィナスより
現代思想の出発点としてより普遍的なのだ(多義性を含むくらいの意味)
ただしそれは翻訳と相性が悪い
レヴィナスの民族主義的現象学とハイデガーの神なき信仰体系は相補的ではあるが
両者ともにスピノザ理解を欠いているから再構成、書き換える必要はある
ちなみにスピノザ理解の欠如はデリダも受け継いでしまっている

3:20 午前  
Blogger yoji said...

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3_____自己4   内=存在5
  | | ____________|  不
  | ||    頽        \_安
  | || 了解_落__企投  内    
  | ||/視___好奇心 \・存
  | | |語り____沈黙| 在
  | | 情状性____不安/ ・  
 _|_ \(気分)  良心 死 ・  
|   | \____ ・  ・ ・ 気遣い  
|   | ・  __|__ ・ 自・・関心
|   | ・非本来的/本来的・・己  |
|   | ・ |   ・  ・ ・  |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|         決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性6
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論1

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3_____自己4   内=存在  時間
世界性
環境世界                  過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在
適所性     決意性本来性   良心   未来
                 企投
  |       |       |
  |____気遣い、関心_____|
          |____________|





        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3_____自己4   内=存在5
  | | ____________|  不
  | ||    頽        \_安
  | || 了解_落__企投  内    
  | ||/視___好奇心 \・存
  | | |語り____沈黙| 在
  | | 情状性____不安/ ・  
 _|_ \(気分)  良心 死 ・  
|   | \____ ・  ・ ・ 気遣い  
|   | ・  __|__ ・ 自・・関心
|   | ・非本来的/本来的・・己  |
|   | ・ |   ・  ・ ・  |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|         決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性6
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論1


第五章 時間性と歴史性 72-77
第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての時間内部性 78-83
参考:http://www.eleutheria.com/philosophia/data/22.html


            現 存 在 1:1
   ________世界=内=存在________
  |1:3   1:2  |           |
  世界 ________自己1:4       内存在1:5〜2:2
  | | ____________________|\_不安 世界 内=存在
  | ||       頽      良 1:6           
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存   
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・1:5  負い目・  期待・     ・
|   |  \________     ・    ・     ・
|   |       ・   |    ・    ・     ・   1:6 
環境世界|    _______|______   ・     ・   気遣い
|1:3|   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自・・・関 心
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己   cura  
|   |   | 顧慮・  1:4   ・ 自己 ・     ・   Sorge 
遠ざかり|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   |
|   |                     ・     ・   |
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体性__道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/      1:3      \_適所_/   ・         |
場  非本来/本来          全体性    ・         |
   事物的存在性 配慮 配視 瞬視        ・    2:4(日常性)
     既在性________現成化_______到来_  脱自態 時間性
     過去_________現在________未来_|_____2:3 
    忘却/反復_______現前________予期_| 通俗的
                 今             2:6(内部性) 
    (事実性)      (頽落性)  0:1(実存性)  存在、存在論
                               2:5 歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                               |    72
     好古的歴史学_____記念碑的歴史学___批判的歴史学 
                               |
 フッサール7、10  カント7、43  アリストテレス6  |   
 デカルト  ヘーゲル     、64    ニーチェ76__|
 18〜21 6、82          パルメニデス36、44
 43                                図、TOP
    活動し努力する者の歴史   記念碑的歴史
    保存し崇敬する者の歴史   骨董的歴史
    苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
    (ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
    以上、『存在と時間』第76節で言及されている。

9:17 午後  
Blogger yoji said...

              

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3_____自己4   内=存在5 時間
世界性
環境世界                  過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在
適所性     決意性本来性   良心   未来
                 企投
  |       |       |
  |____気遣い、関心_____| 存在、存在論1
          |____________|

9:19 午後  
Blogger yoji said...

              

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3_____自己4   内=存在5 時間
世界性
環境世界                  過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
                 企投
  |       |       |
  |____気遣い、関心_____| 存在論1 日常性6
          |____________|

9:22 午後  
Blogger yoji said...

              

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3_____自己4   内=存在5 時間
世界性
環境世界                  過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
                 企投
  |       |       | 存在、
  |____気遣い、関心_____| 存在論1 日常性6
          |____________|

9:23 午後  
Blogger yoji said...


        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |    |
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心_____| 存在論1 日常性6
          |____________|

9:26 午後  
Blogger yoji said...

Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
§ 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins /§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum
寺島實仁訳 三笠書房1939~4
  第二十三節 『世にあること』の空間性 / 第二十四節 生存の空間性と空間
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
  第二十三節 世界・内・存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
    第23節 世界=内=存在の空間性/第24節 現存在の空間性と空間
松尾啓吉 訳 第二三節 
   「世界内存在」の空間性 /第二四節 現存在の空間性、および空間
辻村公一 訳 河出1967,(創文社1997では変更あるかも)
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性/ 第二四節 現有の空間性と空間
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
    第二十三節 世界内存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性と空間
熊野純彦 訳 新岩波 2013
    第二三節 世界内存在の空間性/第二四節 現存在の空間性と空間
高田珠樹 訳 作品社2013 
    第二十三節 世界=内=存在の空間性/ 第二十四節 現存在の空間性と空間
中山元訳
    ?/?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |    |
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心_____| 存在論1 日常性6
          |____________|

10:28 午後  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
  § 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins /§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum
寺島實仁訳 三笠書房1939~4
  第二十三節 『世にあること』の空間性 / 第二十四節 生存の空間性と空間
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
  第二十三節 世界・内・存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
    第23節 世界=内=存在の空間性/第24節 現存在の空間性と空間
松尾啓吉 訳 第二三節 
   「世界内存在」の空間性 /第二四節 現存在の空間性、および空間
辻村公一 訳 河出1967,(創文社1997では変更あるかも)
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性/ 第二四節 現有の空間性と空間
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
    第二十三節 世界内存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性と空間
熊野純彦 訳 新岩波 2013
    第二三節 世界内存在の空間性/第二四節 現存在の空間性と空間
高田珠樹 訳 作品社2013 
    第二十三節 世界=内=存在の空間性/ 第二十四節 現存在の空間性と空間
中山元訳
    ?/?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |    |
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心_____| 存在論1 日常性6
          |____________|

10:29 午後  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
  § 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins /§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum
寺島實仁訳 三笠書房1939~4
  第二十三節 『世にあること』の空間性 / 第二十四節 生存の空間性と空間
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
  第二十三節 世界・内・存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
    第23節 世界=内=存在の空間性/第24節 現存在の空間性と空間
松尾啓吉 訳 第二三節 
   「世界内存在」の空間性 /第二四節 現存在の空間性、および空間
辻村公一 訳 河出1967,(創文社1997)
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性/ 第二四節 現有の空間性と空間
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
    第二十三節 世界内存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性と空間
熊野純彦 訳 新岩波 2013
    第二三節 世界内存在の空間性/第二四節 現存在の空間性と空間
高田珠樹 訳 作品社2013 
    第二十三節 世界=内=存在の空間性/ 第二十四節 現存在の空間性と空間
中山元訳
    ?/?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |    |
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心_____| 存在論1 日常性6
          |____________|


10:31 午後  
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Heidegger, Martin 1927  存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
  § 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins /§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum
寺島實仁訳 三笠書房1939~4
  第二十三節 『世にあること』の空間性 / 第二十四節 生存の空間性と空間
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
  第二十三節 世界・内・存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
    第23節 世界=内=存在の空間性/第24節 現存在の空間性と空間
松尾啓吉 訳 第二三節 
   「世界内存在」の空間性 /第二四節 現存在の空間性、および空間
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997)
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性/ 第二四節 現有の空間性と空間
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
    第二十三節 世界内存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性と空間
熊野純彦 訳 新岩波 2013
    第二三節 世界内存在の空間性/第二四節 現存在の空間性と空間
高田珠樹 訳 作品社2013 
    第二十三節 世界=内=存在の空間性/ 第二十四節 現存在の空間性と空間
中山元訳
    ?/?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |    |
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心_____| 存在論1 日常性6
          |____________|


10:33 午後  
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        現 存 在1
   ____世界=内=存在2___
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

10:50 午後  
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存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになる
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

11:02 午後  
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        現 存 在1
   ____世界=内=存在2___
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

11:03 午後  
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Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
  § 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins /§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二十三節 『世にあること』の空間性 / 第二十四節 生存の空間性と空間
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
  第二十三節 世界・内・存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
    第23節 世界=内=存在の空間性/第24節 現存在の空間性と空間
松尾啓吉 訳 第二三節 
   「世界内存在」の空間性 /第二四節 現存在の空間性、および空間
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性/ 第二四節 現有の空間性と空間
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
    第二十三節 世界内存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性と空間
熊野純彦 訳 新岩波 2013
    第二三節 世界内存在の空間性/第二四節 現存在の空間性と空間
高田珠樹 訳 作品社2013 
    第二十三節 世界=内=存在の空間性/ 第二十四節 現存在の空間性と空間
中山元訳
    ?/?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3



        現 存 在1
   ____世界=内=存在2___
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

11:11 午後  
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Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
  § 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins /§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二十三節 『世にあること』の空間性 / 第二十四節 生存の空間性と空間
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
  第二十三節 世界・内・存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
    第23節 世界=内=存在の空間性/第24節 現存在の空間性と空間
松尾啓吉 訳 第二三節 
   「世界内存在」の空間性 /第二四節 現存在の空間性、および空間
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性/ 第二四節 現有の空間性と空間
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
    第二十三節 世界内存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性と空間
熊野純彦 訳 新岩波 2013
    第二三節 世界内存在の空間性/第二四節 現存在の空間性と空間
高田珠樹 訳 作品社2013 
    第二十三節 世界=内=存在の空間性/ 第二十四節 現存在の空間性と空間
中山元訳
    ?/?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3



        現 存 在1
   ____世界=内=存在2___
  |       |       |
  世界3☆    自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

11:18 午後  
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Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
  § 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins /§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二十三節 『世にあること』の空間性 / 第二十四節 生存の空間性と空間
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
  第二十三節 世界・内・存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
    第23節 世界=内=存在の空間性/第24節 現存在の空間性と空間
松尾啓吉 訳 第二三節 
   「世界内存在」の空間性 /第二四節 現存在の空間性、および空間
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性/ 第二四節 現有の空間性と空間
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
    第二十三節 世界内存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性と空間
熊野純彦 訳 新岩波 2013
    第二三節 世界内存在の空間性/第二四節 現存在の空間性と空間
高田珠樹 訳 作品社2013 
    第二十三節 世界=内=存在の空間性/ 第二十四節 現存在の空間性と空間
中山元訳
    ?/?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3



        現 存 在1
   ____世界=内=存在2___
  |       |       |
  世界3☆    自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

11:19 午後  
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        現 存 在1
   ____世界=内=存在2___
  |       |       |
  世界3☆    自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
  § 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins /§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二十三節 『世にあること』の空間性 / 第二十四節 生存の空間性と空間
桑木務 訳 旧岩波 1960-3
  第二十三節 世界・内・存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
    第23節 世界=内=存在の空間性/第24節 現存在の空間性と空間
松尾啓吉 訳 第二三節 
   「世界内存在」の空間性 /第二四節 現存在の空間性、および空間
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
    第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性/ 第二四節 現有の空間性と空間
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
    第二十三節 世界内存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性と空間
熊野純彦 訳 新岩波 2013
    第二三節 世界内存在の空間性/第二四節 現存在の空間性と空間
高田珠樹 訳 作品社2013 
    第二十三節 世界=内=存在の空間性/ 第二十四節 現存在の空間性と空間
中山元訳
    ?/?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3

11:22 午後  
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Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins//
  § 23. Die Räumlichkeit des In-der-Welt-seins /§ 24. Die Räumlichkeit des Daseins und der Raum
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般
  第三章 第二十三節 『世にあること』の空間性 / 第二十四節 生存の空間性と空間
桑木務 訳 旧岩波 1960-3 
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
 第三章 第二十三節 世界・内・存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性、ならびに空間
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
  第3章  第23節 世界=内=存在の空間性/第24節 現存在の空間性と空間
松尾啓吉 訳 第二三節
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
 第三章  「世界内存在」の空間性 /第二四節 現存在の空間性、および空間
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
   第三章 第二三節 世界の = 内に = 有ることの空間性/ 第二四節 現有の空間性と空間
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
第三章    第二十三節 世界内存在の空間性/第二十四節 現存在の空間性と空間
熊野純彦 訳 新岩波 2013
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
  第三章  第二三節 世界内存在の空間性/第二四節 現存在の空間性と空間
高田珠樹 訳 作品社2013 
 第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
 第三章   第二十三節 世界=内=存在の空間性/ 第二十四節 現存在の空間性と空間
中山元訳
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11:40 午後  
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        現 存 在1
   ___☆世界=内=存在2___
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般
桑木務 訳 旧岩波 1960-3 
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
松尾啓吉 訳 第二三節
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
  第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
熊野純彦 訳 新岩波 2013
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
高田珠樹 訳 作品社2013 
   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
中山元訳
    ?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3

11:43 午後  
Blogger yoji said...




        現 存 在1
   ___☆世界=内=存在2___
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般
桑木務 訳 旧岩波 1960-3 
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
松尾啓吉 訳 勁草書房、1960-66
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
  第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
熊野純彦 訳 新岩波 2013
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
高田珠樹 訳 作品社2013 
   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
中山元訳
    ?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3

12:12 午前  
Blogger yoji said...

なお、Seinを「有」と訳した のは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時」)。

12:15 午前  
Blogger yoji said...




        現 存 在1
   ___☆世界=内=存在2___
  |       |       |
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般
桑木務 訳 旧岩波 1960-3 
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
松尾啓吉 訳 勁草書房、1960-66
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
  第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
熊野純彦 訳 新岩波 2013
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
高田珠樹 訳 作品社2013 
   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
中山元訳
    ?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3


なお、Seinを「有」と訳した のは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時」創文社)。

12:16 午前  
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Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
         訳語例: § 5.(Temporalitaet)熊野版第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1960-66     (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談
中山元訳光文社古典新訳文庫??

12:26 午前  
Blogger yoji said...




        現 存 在1☆☆
   ___☆世界=内=存在2___
  |       |       |☆☆☆
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般
桑木務 訳 旧岩波 1960-3 
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
松尾啓吉 訳 勁草書房、1960-66
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
  第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
熊野純彦 訳 新岩波 2013
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
高田珠樹 訳 作品社2013 
   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
中山元訳
    ?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3


なお、Seinを「有」と訳した のは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時」創文社)。


追加:

Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
         訳語例: § 5.(Temporalitaet)☆☆熊野版第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede ☆☆☆

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1960-66     (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談
中山元訳光文社古典新訳文庫??


12:34 午前  
Blogger yoji said...




        現 存 在1
   ___☆世界=内=存在2___
  |   @   |       |@@
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般
桑木務 訳 旧岩波 1960-3 
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
松尾啓吉 訳 勁草書房、1960-66
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
  第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
熊野純彦 訳 新岩波 2013
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
高田珠樹 訳 作品社2013 
   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
中山元訳
    ?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3


なお、Seinを「有」と訳した のは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時」創文社)。


追加:
Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
         訳語例: § 5.(Temporalitaet)@熊野版第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede @@

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1960-66     (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談
中山元訳光文社古典新訳文庫??


12:36 午前  
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        現 存 在1
   ___☆世界=内=存在2___
  |   @   |       |@@
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般
桑木務 訳 旧岩波 1960-3 
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
松尾啓吉 訳 勁草書房、1960-66
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
  第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
熊野純彦 訳 新岩波 2013
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
高田珠樹 訳 作品社2013 
   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
中山元訳 光文社古典新訳文
    ?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3


なお、Seinを「有」と訳した のは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時」創文社)。


追加:
Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
         訳語例: § 5.(Temporalitaet)@熊野版第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede @@

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1960-66     (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談
中山元訳光文社古典新訳文庫??


12:37 午前  
Blogger yoji said...


        現 存 在1
   __☆@世界=内=存在2___
  |       |       |@@
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般
桑木務 訳 旧岩波 1960-3 
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
松尾啓吉 訳 勁草書房、1960-66
 第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
  第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
熊野純彦 訳 新岩波 2013
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
高田珠樹 訳 作品社2013 
   第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
中山元訳 光文社古典新訳文
    ?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3


なお、Seinを「有」と訳した のは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時」創文社)。


追加:
Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
         訳語例: § 5.(Temporalitaet)@熊野版第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede @@

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1960-66     (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談
中山元訳光文社古典新訳文庫 ?、?

12:38 午前  
Blogger yoji said...

後期ハイデガー:メモ
編集 | 削除
後期ハイデガーは老子をドイツ語訳し、言葉の円環のなかに住まおうとした。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。

      天

神々           人間たち
  

      大地


大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
トートナウベルクには日本人留学生に教えた謝礼金で造った山小屋があったのだ。
そしてドイツとギリシアをつなぐ媒介に選ばれた詩人がヘルダーリンだった。

以下、年譜におけるハイデガーの葬儀(=1976年5月28日、死去は26日)の記述より。

<死の少し前、ヘリングラード編のヘルダーリンの詩句を、「私の墓へ告別の挨拶としてゆっくりと単純に朗読する」ことを望み、ヘルダーリンの讃歌では「ドイツ人に寄す」、「宥和する者」、「巨人たち」から、悲歌では「パンと葡萄酒」から選ぶことを望んだ。(略)ヘルマン・ハイデッガーは父の意志通りにヘルダーリンを朗読した。その結びは「パンと葡萄酒」第三節のものであった。>

(人類の知的遺産75『ハイデガー』芽野良男、講談社p313より)
上記に挙げられた詩はすべて全集第2巻に所収されている。以下、その一節を引用する。


童児を嘲ってはいけない、鞭を手に 拍車をつけて
かれが木馬にまたがり 自分を雄々しい偉大なものと思っているときも。
なぜならドイツ人諸君よ、君たちも
思想に富んで行為に貧しい者なのだから。(以下略)

「ドイツ人に寄せる」  ヘルダーリン(手塚富雄訳)
(『ヘルダーリン全集2』河出書房p10より)

Spottet nimmer des Kinds, wenn noch das alberne
Auf dem Rosse von Holz herrlich und viel sich dünkt,
O ihr Guten! auch wir sind
Thatenarm und gedankenvoll!

"An die Deutschen"    Hölderlin
http://www.hoelderlin-gesellschaft.de/index.php?id=137
(ドイツ、ヘルダーリン協会サイトより)


ラジオ、テレビ、映画(『羅生門』に関して日本人との会話で触れている)との関わり(*)が端的に指し示すような、その技術論とともにこうした民族主義も後期ハイデガーを読む上で重要になるだろう。

10:07 午前  
Blogger yoji said...

ちなみに、
日本にとっての中国、と
ドイツにとってのギリシア、は似ている

10:13 午前  
Blogger yoji said...

《時として、底無しの深淵を基づけるあの者たちは、守護されたものの炎の中で焼き尽くされなければならない。
それは人間にとって現-有が可能となり、そのようにして有るもののただ中での存立性が救済されるためであり、
有るものそれ自体が大地と世界の戦いの開けのなかで回復を経験するためである。》


『哲学への寄与論稿』創文社版冒頭11頁

6:04 午後  
Blogger yoji said...

北欧神話が
インド古代宗教に対応する

6:28 午後  
Blogger yoji said...


http://hadbap.tea-nifty.com/sonzai/2008/08/post_f21b.html
「四方界」とは、後期ハイデガーの独特の思索であり、天空と大地と神聖なる者たちと我々人間、死すべき者たちの四界である。これは西洋という風土の中でキリスト教・ユダヤ教の一神教に対する異論でもある。それは上田氏や大拙の説く、西洋からは「神秘主義」と看做されがちな禅に関する異論として展開される論説と呼応しながら辿ると実に面白い思索である。


ハイデッガーにおける 「四方界 (Geviert)」 の思想の可能性と限界を巡って
ci.nii.ac.jp/naid/40004502991
ハイデッガーにおける「四方界(Geviert)」の思想の可能性と限界を巡って. 神尾 和寿. この論文をさがす. NDL-OPAC · CiNii Books. 収録刊行物. 宗教哲学研究. 宗教哲学 研究 (18), 18-32, 2001. 北樹出版 学文社(発売). Tweet. 各種コード. NII論文ID(NAID) : ...

1:45 午前  
Blogger yoji said...

建てられた者は四方域を保持する。それらはその様態において四方域をいたわる物である。四方域をいたわること、大地を救済し、天を受け入れ、神々を待ち望み、死すべき者に同行すること、これらの四様のいたわりは住むことの本質である。
(M.Heidegger, Vortrage und Aufsatze)
 四方域[Geviert]とは何だろうか。後期ハイデガーのいくつかの文章、講演にあらわれるその用語を解説しようとするとき、結局はハイデガーの言葉を鸚鵡返に引用する他はないというのが、端的に、この問いの困難さをしめしてる。つまり、なぜ四方域としてこれらの四つの語(大地[Erde]・天空[Himmel]・神々しいもの[die Gottlichen]・死すべき者[die Stervlichen])が選択されたのか、その理論的意義は何か、そもそもなぜ「四」方域なのかがまったく不可解であり、そのため、何の批判も吟味も経ず、ハイデガーが神話的にかたるのを、ただ従順にくりかえすことが吾々に強いられてしまうのだ。こうした困難は、たとえば「四方域」の用語が“世界”を創るものとして提示されている点を要とし、ハイデガーにおける“世界”概念の変遷の最終段階に四方域を位置づけようとしたF・ダステュールの論文「『存在と時間』以後のハイデガーにおける世界の概念」(論文邦訳, 石原陽一郎訳, 『現代思想』99年5月臨時増刊号)でも避けられてはいない。そこでは「超越論的世界観」から「宇宙的世界観」への移行という枠組みのもとに、ハイデガーの“世界”の概念をめぐる変更を次のように素描している。まず『存在と時間』において、それまでは単なる実在する事物の総和としてあやまって解されていた“世界”という概念を、ハイデガーは、現存在が最終的な目的となる道具の総体性=環境世界と理解した。世界内部の存在者は、日常的には、単に現前している事物として出会われるだけではなく、手許にあるあつかいやすい道具として出会われる。そしてこれらさまざまの道具の「何々のために」の連鎖の果ては、常に現存在の存在「のために」である。こうした有意義性の全体は、現存在がそのつど自分の前に投げかけ、くり広げているものと考えられ、またこの投げかけが存在者の現れる条件であることを顧慮するなら、これを世界の超越論的企投と呼ぶことができるだろう。しかし一方で『存在と時間』ですでに強調されているように、あらゆる企投はつねに投げられている、あるいは受動的に投げさせられている、そのかぎりで、世界の企投をただ超越論的な主体の行為とみなすことはできない。1935年および1936年の『芸術作品の起源』についての講演を参照すれば、現存在の受動性はより運命的、歴史的に理解され、“世界”も、日常的な環境世界という理解をしりぞけ、逆に、その中である民族の本質的な決定や、勝利や、犠牲や、営為が接ぎあわされるさまざまな関係の総体と定義される。さらに『ヒューマニズムについての書簡』にいたり、その中で、「企投する、と言うとき、投げる者は、人間ではなく、存在それじたいであり、この存在が人間を現存在の脱自存在へ、およびその本質へと赴かせる」と云われるとき、現存在の受動性=被投性は極端化され、もはや“世界”は現存在の企投の結果ではなく、現存在にむけておのずから到来する原初的な出来事となっている。こうした、人間に「構成」されるのでない、他のものにもとづくことのない究極の存在としての世界という「脱自存在的=宇宙論的」考えかたは、1950年の講演『物』でひとつの頂点に達する。現存在ではもはや-ない人間存在(死すべき者たち)をその内にふくむ四方域の本質的な相互依存、それ以外のものでその根底を解することのできない、四者のおりなす一重性[Einfalt]の世界観である。
http://trounoir.ohitashi.com/geviert.html

1:47 午前  
Blogger yoji said...

ハイデガーが神秘主義に堕したという印象を与えたとしたら本意ではない

四方界もその技術論を発展するなかから出てきたものだ

技術論も現代批判というよりは理解することに重点がある

アリストテレスの存在論や存在と時間の構造は
神秘的というより素朴になった

偽装した素朴さではあるが、ヘルダーリンを読むとよくわかる

1:51 午前  
Blogger yoji said...

ハイデガーが神秘主義に堕したという印象を与えたとしたら本意ではない

四方界もその技術論を発展するなかから出てきたものだ

その技術論は現代批判というよりは理解することに重点がある

アリストテレスの存在論や存在と時間の構造的認識は、神秘的というより素朴になった

偽装した素朴さではあるが、、、ヘルダーリンを読むとよくわかる

1:54 午前  
Blogger yoji said...

ハイデガーは神秘主義に堕したのではない

四方界もその技術論を発展するなかから出てきたものだ

その技術論も単なる現代文明批判というよりは理解することに重点がある

アリストテレスの存在論や存在と時間の構造的認識は、神秘的というより素朴になった

偽装した素朴さではあるが、、、ヘルダーリンを読むとよくわかる

1:57 午前  
Blogger yoji said...

前スレ
マルティン・ハイデガー
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1409171121/

594 :魂は地上にあっては見知らぬものだ:2015/10/01(木) 22:22:39.12 O
ヘルダーリン論で有名だがハイデガーはトラークルについても、印象深い考察を残している。「詩の中の言葉 ゲオルク・トラークルの詩の論究」。

同学社 トラークル詩集より
魂の春
眠りの中の叫び;黒い通りを風が走る、
春の青みが枝々のすき間から合図する、
深紅の夜霧 そして周りの星が消えてゆく。
淡く緑に流れは明るみ、銀いろに古い並木道
そして町の搭群。ああ柔らかい酔いは
滑る小舟の中にそしてうたどりの暗い叫びは
幼い日の庭々に。もう明るんでいる薔薇いろの満開。

荘重に音たてる流れの水。ああ川べりの草地のしめったかげ、
歩む獣;芽吹くもの、花の枝々が
水晶の額に触れる;秘かに光る揺れ小舟。
秘かに太陽は丘の薔薇の群雲の中で鳴っている。
深いことよ 縦の森のしじまは、流れのへりのつつましいかげりは。

清らなり!清らなり!どこに死の怖ろしい小路はある、
灰いろの石の如き沈黙の小路、夜の岩々
不穏な影は?輝かしい太陽の深淵。

595 :魂は地上にあっては見知らぬものだ:2015/10/01(木) 22:40:17.30 O
魂の春 続き
妹よ。ぼくはお前を森の
さみしい空地で見つけた 真昼で 獣の沈黙は深かった;
野の槲の下に白い姿、銀いろに茨が咲いていた。
力づよい死と心の中で歌う炎。

更に暗く水は魚たちの美しい戯れを巻いて流れる。
悲しみの刻、太陽の黙す姿;
魂は地にあっては異邦の物だ。
霊こめてたそがれる
青みが伐り尽された森の上 そして鳴っている
尾をひいて暗い鐘の音が村で;安らかな同伴。
静かにミルテは死者の白いまぶたの上に花咲く。

沈む午後を秘かに水が鳴っている
岸辺の荒野は緑にかげって、薔薇いろの風の中の歓喜;
兄弟のやさしい歌が夕暮るる丘で。

596 :魂は地上にあっては見知らぬものだ:2015/10/01(木) 23:19:42.13 O
ハイデガー 詩のなかの言葉より

―詩作品の一つは言う。
魂は地上にあっては見知らぬものだ。
この句に接して我々は思いがけず一つの通念の中にあるのを知る。その通念によると、地上は我々にとって、無常なるものの意味で地上的なものを意味する。魂はそれに反して不滅のもの、超地上的なものとされている。魂はプラトンの説以来、超感覚的なものに属している。―

ハイデガーはトラークルの魂について、プラトン的、キリスト教的に不滅なものとして解釈され、ハイデガーの有限論とは違うものとされる死に向き合った限定されたものでなく受け取られる可能性を認める。
しかし、そうではないという。
不滅の魂の超地上的な故郷については、この詩の中で一言も語ってないし、トラークルの詩はキリスト教的魂の地獄巡りや天上への到達などを語っているものは基本ない。
魂は地上にあっては見知らぬものと名付ける。魂の旅がこれまで到達しえなかった行く先が他ならぬ地上であって、魂は先ず地上を探すのであって、地上を逃れるのではない。
ハイデガーは別の詩、夢の中のセバスチャンを引用しながら、魂は没落へと呼び入れられていることを語る。その没落は破局でもなければ頽落への単なる消滅でもない。
ハイデガーの拒否する神学的摂理論でも、日常性に存在者に埋没することでもないとハイデガーは言う。トラークルの語る没落は、魂の行き先は。

魂は地上にあっては見知らぬものだ。
霊気をおびて青穹は
切り払われた森の上に薄明のうちに霞む。

そこには不思議なことが歌われている。

青さが夕暮れの夜の暗さの前に消えることを歌っているのか。
しかし、薄明は日の明るさでもある。
一体そこでは明るくなっているのか暗くなっているのか。なくなっているのは明るさか暗さか。
青穹と薄明は時間的に逆行してもいる。
ここではアリストテレス的線形の時間への反逆が語られている。

青さとは何か。

トラークルの詩には大戦での己の死と西洋の没落を予言するように西洋の夕暮れについて語る二つの詩がある。

7:25 午前  
Blogger yoji said...

http://blog.goo.ne.jp/maru_kame_ya/e/165c4b9cd5a7cc23dd12b27a85abcdd9
トラークル詩集


平井俊夫訳「トラークル詩集」筑摩書房1985年初版第3刷 を手に入れた。
Georg Trakl : Die Dichtungen 12. Auflage (Otto Müller Verlag, Salzburg) を原本としている。
平井氏のあとがきに「この詩人の心髄はこの一巻に尽くされている。
そうしてこの一巻の詩集が現代史に占める位置は他にその比類をみず、
近年、年とともにその評価は高まるばかりである」とあった。

この本の素晴らしいところはトラークルのほとんどの詩が読めるだけではない。
Emil Barth : Georg Trakl (Scherpe-Verlag, 1948)という
トラークルについての評論の全訳が最後についていることが大きい魅力になっている。
日本語訳で原稿70枚足らずの掌編だが、このトラークル論は格調の高い名文で
トラークルの本質を鋭く追及している、と平井氏は書いている。
そして翻訳された平井俊夫氏の日本語も素晴らしいと私には思える。

この本が出版された1967年はトラークルの生誕80周年だったそうで、
つまり今年は124周年になる。来年は125周年というちょっとした区切りだ。
若くして亡くなったことと、どの詩を読んでも古さを感じさせない翻訳で、
そういう年代だとは数えてみるまで感じなかったが。
筑摩叢書の100冊目として出たこの本をいま読めたのはこの上なく幸いなことだった。

「トラークルについて書いたEmil Barthの本を知ってる?」
「そんな古い本のことは知らない」
「でもこの評論がトラークルについて書いた最高のものだといってるけど」
「そうか、それはぜひ読まねばならないなー」
「トラークルとヘルダーリンを比較検討しているのよね」
「ああ、それはあり得る、二人が狂気だったと言う点で」
「でも、ヘルダーリンの作品はさまざまな点で痛ましい破綻が伺えるけど、
トラークルの100編の詩は熟しきった果実のように充実しているって
バルトさんは書いてる」
「うん、ヘルダーリンは狂気になってから数十年も生きたしね。問題もあった。
それに残した作品も多いし、佳くないものもあったかもしれない」
「それから、トラークルの詩では<狂気>(Wahnsinn)という言葉が
<佳い音>(Wohllaut)<やさしい>(sanft)<やわらかい>(weich)
という言葉と結びついて表現されている、とも書いているけど」
「そう、それは確かにそうだと思う。この詩にもそう言う言葉が出てくるしね」
「エミール・バルトによると、トラークルは初め韻を踏んだ詩を書いていたのに
後になって、韻を踏まない詩に変わったんだって。
それはそのほうが表現が自由に出来るから、って書いている。
それであなたの考えを聞きたいのだけど、詩を書くときに、
韻を踏むより踏まないほうが書きやすい?」
「詩を書くとき人ははじめは皆が韻を踏む練習をする。そうして詩を作ることに習熟してから
自由な詩を書くのが普通で、でも今はもう初めから韻を踏まない詩を書く人もいるけど
私にとってはどちらが書きやすいということは特にない」
「ふ〜ん、トラークルは後になって韻を踏まない方がいいと思ったのかなー。
この詩は初期のものだから、単純だけどきれいに韻を踏んでるね。
いま私はトラークルにはまっているから今度ドイツに行くことがあればぜひ
トラークル詩集を買おうと思ってる」
「それはいい!いつ来る?いつでもいいよ、みんなで歓迎する」
「さぁね、いつ、というよりは、行けるかどうか、それが問題だけど・・・」

先生との雑談はいつまでも続く。

7:32 午前  

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