マルクスによる協同組合論(1866+1875ゴータ綱領批判):メモ
参考:
http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/1033.html
『個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示』(1866年)より
五 協同組合運動(労働)
国際労働者協会の任務は、労働者階級の自然発生的な運動を結合し、普遍化することであって、なんであろうと、空論的な学説を運動に指示したり押しつけたりすることではない。したがって、大会は特殊な協同組合制度を唱道すべきではなく、若干の一般原理を明らかにするだけにとどめるべきである。
(イ)われわれは、協同組合運動が、階級敵対に基礎をおく現在の社会を改造する諸力のひとつであることを認める。この運動の大きな功績は、資本に対する労働の隷属にもとずく、窮乏を生み出す現在の専制的制度を、自由で平等な生産者の連合社会という、福祉をもたらす共和的制度とおきかえることが可能だということを、実地に証明する点にある。
(ロ)しかし、協同組合制度が、個々の賃金奴隷の個人的な努力によってつくりだされる程度の零細な形態に限られるかぎり、それは資本主義社会を改造することは決してできないであろう。社会的生産を自由な協同組合労働の巨大な、調和ある一体系に転化するためには、全般的な社会的変化、社会の全般的条件の変化が必要である。この変化は、社会の組織された力、すなわち国家権力を、資本家と地主の手から生産者自身の手に移す以外の方法では、決して実現することはできない。
(ハ)われわれは労働者に、協同組合商店よりは、むしろ協同組合生産にたずさわることを勧める。前者は現在の経済制度の表面にふれるだけであるが、後者はこの制度の土台を攻撃するのである。
(ニ)われわれは、実例と教導との双方によって、言いかえれば、新しい協同組合工場の設立を促進することと、また説明し説教することの双方によって、協同組合の原理を宣伝するために、すべての協同組合がその協同収入の一部をさいて基金を作ることを勧告する。
(ホ)協同組合がふつうの中間的株式会社(societes par actions)に堕落するのを防ぐため、協同組合に働くすべての労働者は、株主であってもなくても、平等の分けまえを受け取らなければならない。たんに一時的な便法として、低い率の利子を株主に支払うことには、われわれも同意する。
定本柄谷❸T.272@
個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示 (要ログイン)
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK01_16_00&p=244
《[生産諸手段の共有を基礎とする協同組合的な社会の内部では、生産者達は彼らの生産物を交換しない。同様に、ここでは生産物に費やされた労働はこれらの生産物の価値として、即ち生産物が持つ一つの物質的特性として現われない。というのは、今では、資本主義社会とは反対に、個人的な労働は、もはや間接にではなく、直接に、総労働の構成部分として存在するからである。]itc453頁
(「労働収益」という文句は、今日でさえその曖昧さの故に不愉快なものであるが、こうしてあらゆる意味を失う。)
個々の生産者は、彼がある形態で社会に与えたのと同じ量の労働を、他の形態と交換するのである。》
ドイツ労働者党綱領(ゴータ綱領)評注
◆労働論
G「労働はすべての富とすべての文化の源泉である。」(25)
M「労働はすべての富の源泉ではない。自然もまた労働と同じ程度に諸使用価値の源泉である。……人間があらゆる労働手段と労働対象との第一の源泉である自然に対し、はじめから所有者として関係を結び、それら労働手段と労働対象とを自分自身に属するものとして取り扱う場合にのみ、労働は諸使用価値の源泉となり、かくしてまた富の源泉ともなるのである。」(25-26)
G「効用を生む労働は、ただ社会のなかでのみ、また社会を通じてはじめて可能である。」
M「ただ社会のなかでのみ、効用ゼロの、公共に害をもたらすような労働も一個の生業部門となることができ、ただ社会のなかでのみ、何もせず生きていくことができる」(27-28)
G「今日の社会では、労働手段は資本家階級の独占物である。」(30)
M「今日の社会では、労働手段は土地所有者と資本家階級の独占物である。」
→ラサールは、土地所有者には目をつぶって資本家階級だけを攻撃した。(31)
◆社会主義における社会的総生産物の用途
・労働収益=労働の生産物=社会的総生産物とする。(33)
→ここからまず次のものを控除する。①消耗した生産手段を入れ換えるための補填部分、②生産を拡張するための追加部分、③事故や自然災害に備える基金。
→さらに、残りの部分が個人に分配される前に、その中から次のものが差し引かれる。
1)直接に生産に属さない一般的な行政費用。これは社会の発展とともに減少する。(34)
2)学校や衛生設備などのように、さまざまな欲求を共同で満たすためにあてられる部分。これは社会の発展とともに増大する。
3)労働不能者などのための基金。公共救貧事業のための基金。
◆共産主義社会の権利
・「ここで問題にしているのは、それ自身の基礎の上に発展した共産主義社会ではなくて、反対に、資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会である。」(35)
・「彼が社会に与えるものとは、彼の個人的労働量である。たとえば、社会的労働日は、個人的労働時間の総和からなる。……個々の生産者は……これこれの量の労働を給付したという証書を社会から受け取り、そしてこの証書をもって消費手段の社会的な蓄えのなかから、それとちょうど等しい量の労働が費やされている消費手段を引き出す。/ここで支配しているのは、商品交換――それが等価物の交換である限りで――を規制するのと明らかに同一の原則である。」(35-6)
→〈原則〉と〈法則〉の区別。
・「だから、平等な権利とは、ここでもまだやはり原則的には、ブルジョア的権利である。」(36)「生産者たちの権利は彼らの労働給付に比例しており、平等が、平等の尺度つまり労働で測られているのである。……ここでの平等な権利は、不平等な労働にとっての不平等な権利である。……それは労働者の不平等な個人的天分と、したがってまた不平等な給付能力を、生まれつきの特権として暗黙のうちに認めている。だからそれは、すべての権利と同様に、内容においては不平等の権利である。……彼らを同じ視点のもとに連れてきて、ある特定の一面からだけ捉える[からである]……。例えば以上の場合では、諸個人はただ労働者としてだけ考察され、労働者として以外の彼らの資質はいっさい認められず、ほかのすべてが無視される限りにおいてである。」(37)「これらすべての欠陥を避けるためには、権利は平等であるよりも、むしろ不平等でなければならないだろう。」(38)
◆各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!
・「共産主義社会のより高次の段階において、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立もなくなったのち、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととなったのち、また、諸個人の全面的な発展につれて彼らの生産能力をも成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち――その時はじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏み越えられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」(38)
G「ドイツ労働者党は、社会問題解決の道をひらくために、労働人民の民主的管理のもとにおかれ国家補助を受ける生産協同組合の設立を要求する。」(49)
M「現におこなわれている階級闘争の代わりに、『社会問題』という新聞記者的な決まり文句があらわれ、その『解決』の『道がひらかれる』わけだ。」
「労働者たちが協同組合的生産の諸条件を社会的な規模で、まず自国に国民的な規模で作り出そうとすることは、彼らが現在の生産諸条件の変革を目指して働くということにほかならず、国家補助を受けて協同組合を設立することとはなんの共通点もないのだ。」(50)
☆
ゴータ綱領批判(ゴータこうりょうひはん、独:Kritik des Gothaer Programms、英:Critique of the Gotha Program)は、1875年5月にカール・マルクスが、ドイツ社会民主主義運動の中でマルクスやフリードリヒ・エンゲルスに近い、「アイゼナハ派」に書いた手紙を中心とした文書である。
1875年にザクセン=コーブルク=ゴータ公国のゴータで、アウグスト・ベーベルらのドイツ社会民主労働党(いわゆる「アイゼナハ派」)が会議を開いて、フェルディナント・ラッサールらの全ドイツ労働者協会(「ラサール派」)との合同・統一党結成を決定した。アイゼナハ派は統一党のための綱領草案をマルクスに送りコメントを求めたが、ラッサールの理論による否定的な影響をマルクスは見出し、ラサール派を政府への譲歩のために労働者運動の要望を制限しようと意図する日和見主義者とみなしていた。綱領案に対するコメントとしてマルクスは「ドイツ労働者党綱領評注」を送付したが、マルクスの文書は公表されぬまま同年5月の後半にゴータでアイゼナハ・ラサール両派の会議が開かれ、綱領草案はわずかな修正のみで可決し統一党としてドイツ社会民主党が結党された。
「ゴータ綱領批判」は長く、マルクスの最も詳細な革命戦略の組織論の宣言であり、「プロレタリア独裁」 や、資本主義から共産主義への過渡期や、プロレタリア国際主義や労働者階級の政党について議論した文書であるとされてきた。
この文書はまた、資本主義からの移行の直後の共産主義社会の低い段階では「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、そして将来の共産主義社会の高い段階では「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(本来はルイ・ブランに由来する表現)などの、のちにスターリンが定式化した〈原則〉である二段階発展論を明示した文書と読まれてきた。低い段階での記述では「個人は社会から、与えただけ正確に受け取る」と述べている。また、資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリア独裁とした。この「ゴータ綱領批判」は、彼の死後に出版され、マルクスの最後の主要文書の一つとなった。
この手紙は、かなり後の1891年、ドイツ社会民主党が新綱領であるエルフルト綱領の採用の意向を宣言した際に、これを批判したエンゲルスが、公開し出版した。またエンゲルスはエルフルト綱領批判を書いて出版した。
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ヘーゲル法批判 | ザスーリチへの手紙
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資本論 | ゴータ綱領批判
| 個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示
大月書店公式サイト、全集版『資本論』目次:
第一巻
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK02_23_01
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK02_23_02
第二巻
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK02_24_00
第三巻
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK02_25_01
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK02_25_02
大月書店 マルクス=エンゲルス全集 Web版 - 第16巻 - 1864年-1870年
個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示 (要ログイン)
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK01_16_00&p=244
マルクス『資本論』:メモ及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_29.html?m=0
資本論(量を起点にした図解):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2010/06/blog-post_13.html?m=0
wiki/カール・マルクス
http://ja.wikipedia.org/wiki/カール・マルクス
弁証法の優先権〜Table of Dühring "Cursus der Philosophie als streng wissenschaftlicher Weltanschauung und Lebensgestaltung"1875
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_3.html
Dühring『ユダヤ人問題』:目次、メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/durhring.html
《労働者たち自身の協回組合工場は、古い形態のなかでではあるが、古い形態の最初の
突破である。といっても、もちろん、それはどこでもその現実の組織では既存の制度の
あらゆる欠陥を再生産しているし、また再生産せざるをえないのではあるが。しかし、
資本と労働との対立はこの協同組合工場のなかでは廃止されている。たとえ、はじめは、
ただ、労働者たちが組合としては自分たち自身の資本家だという形、すなわち生産手段
を自分たち自身の労働の価値増殖のための手段として用いるという形によってでしか
ないとはいえ。このような工場が示しているのは、物質的生産力とそれに対応する社会
的生産形態とのある発展段階では、どのように自然的に一つの生産様式から新たな生産
様式が発展し形成されてくるかということである。資本主義的生産様式から生まれる
工場制度がなければ協同組合工場は発展できなかったであろうし、また同じ生産様式
から生まれる信用制度がなくてもやはり発展できなかったであろう。信用制度は、資本
主義的個人企業がだんだん資本主義的株式会社に転化して行くための主要な基礎をなして
いるのであるが、それはまた、多かれ少なかれ国民的な規模で協同組合企業がだんだん
拡張されて行くための手段をも提供するのである。資本主義的株式大企業も、協同組合
工場と同じに、資本主義的生産様式から結合生産様式への過渡形態とみなしてよいのであっ
て、ただ、一方では 対立が消極的に、他方では積極的に廃止されているだけである。》
(『資本論』第三巻27章「資本主義的生産における信用の役割」、大月文庫第7巻227−8頁)
マルクスの推奨する協同組合は生産レベルでの分配を意味する。
マルクスは株式会社も評価しているがその場合、税制と再分配の問題は残る。
《労働者が協同組合的生産の諸条件を社会的規模で、まず最初は自国に国民的規模でつくりだそうとするのは、現在の生産諸条件の変革のために努力することにほかならず、国家の補助による協同組合の設立とはなんのかかわりもないものである! 今日の協同組合についていえば、それらは政府からもブルジョアからも保護を受けずに労働者が自主的につくりだしたものであるときに、はじめて価値をもっているのだ。》(『ゴータ綱領草案批判』、山辺健太郎訳) 国民文庫
国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって替わるべきだと、マルクスはいっているのです。しかし、何らかの国家の補助がないならば、生産者協同組合が資本制企業に敗れてしまうことは避けがたい。だから、マルクスはプロレタリアートが国家権力を握ることが不可欠だと考えました。にもかかわらず、マルクスがラッサールと対立するのは、つぎの点においてです。ラッサールがヘーゲルにならって国家を理性的なものとしてみなしているのに、マルクスは国家を消滅すべきものとして見ていた。その点で、マルクスはあくまでプルードン派なのです。
世界共和国へ
(世界史の構造372頁参照)