金曜日, 10月 19, 2018

神経経済学 Neuroeconomics


神経経済学入門―不確実な状況で脳はどう意思決定するのか 単行本 – 2008/7/1
ポール・W. グリムシャー (著), Paul W. Glimcher (原著), 宮下 英三 (翻訳)
5つ星のうち 2.5 4件のカスタマーレビュー

 まず、第1部「歴史的な取り組み」で、ギリシャ・ローマ時代の思想から、反射(脊髄反射)の理論、現代のパーセプトロン、モジュールまで、神経科学を概説しています。 ベーコン、デカルト、ライプニッツ、ニュートン、チューリング、マー、あるいは、ハーベイ、シェリングトン、パブロフ、その他、多くの人物が登場し、その業績を説明しています。

 次に、第2部「神経経済学」では、確率理論、捕食モデル、視覚の生理学、ゲーム理論などを概説しています。パスカル、ベルヌーイ、ベイス、ラプラス、あるいは、ノイマン、モルゲンシュテルン、ナッシュなどの人物が登場します。その後、総括として、「行動と生理学」「哲学的な含意」について、考察しています。

 本書全体で、決定論 determinism と非決定論 indeterminism (自由意思 free will )が、問題にされています。また、ニューロンの発火頻度は、効用(満足・幸福) utility を反映するのでしょうか。経済学の問題を、神経科学で証明することができるのでしょうか。なお、本書には、fMRIについての記載はありません。

 神経経済学 neuroeconomics とはどのような分野なのか、概観できます。ただし、新書などとは異なり、それほどやさしく書かれているわけではありません。



神経経済学

神経経済学

所属部署:技術戦略グループ
氏名:永易 久志

神経経済学とは

神経経済学(Neuroeconomics)とは、神経科学と経済学が融合した学際的な学問のことです。神経科学を活用して経済活動における意思決定の仕組みを解明するなど、近年研究が活発化しています。その背景には主に心理面から経済行動を究明する行動経済学の進展および脳の機能を解明する神経科学の発展があります。ダニエル・カーネマンのノーベル経済学賞受賞や"脳トレ"ブームは記憶に新しいでしょう。さらに研究手法の発達も寄与しており、例えば被験者に損傷を与えずに脳の活動を計測して画像化するニューロイメージング技術の向上が挙げられます。もともと米国を中心に研究が行われてきましたが、最近では日本においても過剰債務に陥る際の意思決定の傾向や初対面の取引相手が信頼できるかどうかの見極めプロセスなど、さまざまなトピックで盛んに研究が行われています。

必ずしも合理的でない意思決定

我々の生活は意思決定の連続といえます。例えば株式投資を考えてみましょう。株式に投資する際、長期的な視点でポートフォリオを決定し、それに従うことで安定的に利益が得られることを理解しているつもりでも、目の前で暴騰している株につい飛び付いたがために大損をしてしまったという話を耳にしたことがあると思います。このような意思決定は一体どのように行われているのでしょうか。この問いに対して、ニューロイメージング技術を用いた研究*1が興味深い結果を示しています。それによると、情動をつかさどる「大脳辺縁系」と理性をつかさどる「前頭前野」の活動が競合し、どちらが優勢となるかで意思決定が異なるというのです(図表1参照)。すなわち、前者が後者よりも勝れば感情的になって今すぐに報酬を得ようとし、逆に前者が後者に負ければ理性的に冷静な判断を下して将来まで報酬を待つことが明らかとなりました。これは、いわば自分の中に複数の意思決定者が存在し、誰の意見が押し通されるかによって決断が異なることを意味しています。

 
図表1.脳の部位とその機能
資料:各種資料を基に日立総研作成

また、金銭に関わる意思決定を行う人が専門家から助言を受けると、たとえそれらが道理にかなわない場合においても、判断や思考を担うはずの「前帯状皮質」と「背外側前頭前皮質」が活性化せず、しばしば活動停止さえするという実験結果*2もあります。つまり、与えられた情報が専門家からもたらされたと分かるやいなや、自分自身で考えることを放棄しているのです。これは、"どのような情報か"ではなく"誰からの情報か"に意思決定が大きく左右されることを示しています。 以上の例は、個々人が必ずしも合理的なホモ・エコノミスト(経済人)ではなく、感情や権威などに心理的影響を大きく受けて経済活動を行っていることを示唆しています。これは、行動経済学における主張を神経経済学によって裏付けていることにほかなりません。

心のメカニズムから経済を解明

現在の神経経済学の研究では、証券投資など個別の経済行動が分析されており、まずはこのような個々の事例分析が進展すると考えられます。先に挙げた株式投資の例でいえば、長期的な投資ポートフォリオと短期的な株式売買における決定プロセスの相違解明や、機関投資家やエコノミスト、アナリストの動向が個人投資家の投資行動に与える影響分析などです。そしてこれらの分析を統合することで、脳の仕組みや神経システムを反映した行動モデルがつくられ、ひいては、経済活動のより正確な予測が可能となるでしょう。例えば、金融バブルの発生プロセスや人間の集団心理が一因となり引き起こされると考えられるアノマリー*3をモデリングできるようになれば、証券市場の動向やバブル発生の高精度な予測も可能となるかもしれません。ゆくゆくは、人間に内在する経済行動原理が解明され、その原理に基づいた新たな経済理論が生み出されると考えられます。 このように、神経経済学は複雑な心のメカニズムをひもとくことによって、経済のメカニズムを現実に即して解き明かそうとする実践的な学問といえます。そして、政策や事業戦略およびそれらの影響分析などに人間の思考や行動パターンを織り込むことができれば、より効果的に国や企業の施策を実現できるでしょう。経済分野にとどまらず多彩な分野への応用の可能性を秘めており、今後のさらなる発展が期待されます。

*1
Samuel M. McClure,David I. Laibson,George Loewenstein and Jonathan D. Cohen,"Separate Neural Systems Value Immediate and Delayed Monetary Rewards," Science,Vol. 306(5695),p.p. 503 - 507,October 15,2004
*2
Jan B. Engelmann,C. Monica Capra,Charles Noussair and Gregory S. Berns,"Expert Financial Advice Neurobiologically "Offloads" Financial Decision-Making under Risk," Public Library of Science One,Vol. 4(3),e4957,March 24,2009
*3
現状の経済理論や投資理論では説明できず、明確な理論的根拠を持たない証券市場の変則性をアノマリーといいます。例えば、時価総額の小さい銘柄(小型株)が大きい銘柄(大型株)よりも高い収益率をもたらす小型株効果や、1月の収益率が他の月に比して高くなる1月効果などが有名です。