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posted by yoji at 6:54 午前
古代メソポタミアの金融では債務証書の陶器プレートが陶器ケースに封じられていた。返済時までケースは破られなかった。債務者印章はケースの面面に刻まれていたがプレートにはなかった。流通の中途でプレートが盗まれ後でケースが偽造されるのを防ぐため。物理的存在があると偽造防止が比較的簡単。https://twitter.com/makotosaito0724/status/1117548037289545728?s=21バビロニアの債務証書のタブレット(特に譲渡可能な)を研究したPruessnerの論文、そもそもタブレットは誰が作成したのか…を丁寧に論じている。タブレットは契約当事者でなく第三者の証人が作成。金融契約行為は依然公共空間だったが、そのために引受はできなくなった。jstor.org/stable/528493?…https://www.jstor.org/stable/528493?seq=1#metadata_info_tab_contents返済時に割ってしまうのにタブレットが残った理由も書かれていた。
653 考える名無しさん[sage] 2019/08/10(土) 13:35:15.39 ID:0 また、上の話は歴史による反証もできる。アケメネス朝ペルシアのキュロス大王の円筒印章は、あらゆる奴隷制や強制労働の廃止が記されていたことから、世界最初の人権宣言とみなされている(そのレプリカは、国連本部の安全保障理事会議場の横に置かれている)。つまり、実際には、「人権」は「取り決め」以前に成立しえたもので、キュロス大王の時代には当然近代哲学は成立していないから、当然「人権」が近代以降の哲学に依存しているかのように語るのは間違い、ということになる。「暗黒啓蒙」の誤りは、「ファクトでもエビデンスでもないもの」を全て否定することにあるのではなく、そもそも「ファクト」「エビデンス」として認めるべき対象を誤認させることにある(ファクト以前に理論的に誤っている)。人権は人間的な必要性から擁護できれば、それで合意するに足る観念で、それについて科学主義的に問う解釈態度は、端的に理論的に間違っていると批判すべきである。
明石ソポタミアにおいて市場は存在せず,交易は非市場的な管理交易であると主張していた166)。しかし,その後の粘土板資料の発掘と解読,それらに応じた研究成果によりポランニーの根拠は崩されてきている167)。古アッシリアの商人は明らかに利潤動機が大きく働いた商人であり,受動的な仲買人ではなかった168)。同時代にあった古バビロニアの商人たちも利潤動機が働いていなかったと断定するのは難しいであろう169)。ウル第三王朝時代にさかのぼっても,その商人たち(dam-gàr) は身分動機に基づく仲買人の性格を十分持っていたと判断しうる170)。しかし,そのような状況にあって彼らは取り巻く環境を巧妙に利用して貸し付けや請負耕作などを通じて富を蓄積していた。利潤動機が欠落していたとは断定できないであろう。身分という枠組みの中でも利潤動機を持った商人ないし企業家が存在しうることを古代メソポタミア社会で認めることはけっして的外れではない。本稿の冒頭でもふれたように,ポランニーとは別に市場の生成と商人の関係を正面から扱った経済学者にJ. ヒックスがいる。彼は『経済史の理論』のなかで「慣習経済」と「指令経済」の狭間の中で商人が交換の領域を作り出していく状況をとりあげ,商人たちが共同体をつくり商人的国家ならびに植民地を形成して商人的(mercantile) 経済=市場経済の領域を拡大していく過程を描いていった171)。市場の発展は制度的に他の経済領域の仲介者である商人が互いに集合して拡大していく過程であり,市場取引の円滑化を図るため種々の制度(貨幣,法,制裁,信用,銀行など)を発展させていき,最終的には市場経済(商人的経済)の範囲がほかの経済に浸透し拡大していくというシナリオを提示したのである。そしてそのダイナミックな過程には一貫して利潤動機が働いていたのである。市場の領域が商人的経済と重なり,商人の役割をクローズアップさせ,慣習ならびに指令経済の境界部分にあって当初は周辺的な位置にあった点,さらには地中海地域のギリシャ人都市やフェニキア人都市の展開を念頭にあったかも166) Polanyi (1957, 1963)167) Powell (1999)168) Veenhof (1972: 348-51)169) Adams (2009: §6.13), Goddeeris (2002: 392-96)170) Polanyi(1977:訳164-65)171) Hicks (1969)人間の文明史経済史の理論
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古代メソポタミアの金融では債務証書の陶器プレートが陶器ケースに封じられていた。返済時までケースは破られなかった。債務者印章はケースの面面に刻まれていたがプレートにはなかった。流通の中途でプレートが盗まれ後でケースが偽造されるのを防ぐため。物理的存在があると偽造防止が比較的簡単。
https://twitter.com/makotosaito0724/status/1117548037289545728?s=21
バビロニアの債務証書のタブレット(特に譲渡可能な)を研究したPruessnerの論文、そもそもタブレットは誰が作成したのか…を丁寧に論じている。タブレットは契約当事者でなく第三者の証人が作成。金融契約行為は依然公共空間だったが、そのために引受はできなくなった。
jstor.org/stable/528493?…
https://www.jstor.org/stable/528493?seq=1#metadata_info_tab_contents
返済時に割ってしまうのにタブレットが残った理由も書かれていた。
653 考える名無しさん[sage] 2019/08/10(土) 13:35:15.39 ID:0
また、上の話は歴史による反証もできる。アケメネス朝ペルシアのキュロス大王の円筒印章は、あらゆる奴隷制や強制労働の廃止が記されていたことから、世界最初の人権宣言とみなされている(そのレプリカは、国連本部の安全保障理事会議場の横に置かれている)。
つまり、実際には、「人権」は「取り決め」以前に成立しえたもので、キュロス大王の時代には当然近代哲学は成立していないから、当然「人権」が近代以降の哲学に依存しているかのように語るのは間違い、ということになる。
「暗黒啓蒙」の誤りは、「ファクトでもエビデンスでもないもの」を全て否定することにあるのではなく、そもそも「ファクト」「エビデンス」として認めるべき対象を誤認させることにある(ファクト以前に理論的に誤っている)。
人権は人間的な必要性から擁護できれば、それで合意するに足る観念で、それについて科学主義的に問う解釈態度は、端的に理論的に間違っていると批判すべきである。
明石
ソポタミアにおいて市場は存在せず,交易は非市場的な管理交易であると主張していた166)。しかし,その後の粘土板資料の発掘と解読,それらに応じた研究成果によりポランニーの根拠は崩されてきている167)。古アッシリアの商人は明らかに利潤動機が大きく働いた商人であり,受動的な仲買人ではなかった168)。同時代にあった古バビロニアの商人たちも利潤動機が働いていなかったと断定するのは難しいであろう169)。ウル第三王朝時代にさかのぼっても,その商人たち(dam-gàr) は身分動機に基づく仲買人の性格を十分持っていたと判断しうる170)。しかし,そのような状況にあって彼らは取り巻く環境を巧妙に利用して貸し付けや請負耕作などを通じて富を蓄積していた。利潤動機が欠落していたとは断定できないであろう。身分という枠組みの中でも利潤動機を持った商人ないし企業家が存在しうることを古代メソポタミア社会で認めることはけっして的外れではない。本稿の冒頭でもふれたように,ポランニーとは別に市場の生成と商人の関係を正面から扱った経済学者にJ. ヒックスがいる。彼は『経済史の理論』のなかで「慣習経済」と「指令経済」の狭間の中で商人が交換の領域を作り出していく状況をとりあげ,商人たちが共同体をつくり商人的国家ならびに植民地を形成して商人的(mercantile) 経済=市場経済の領域を拡大していく過程を描いていった171)。市場の発展は制度的に他の経済領域の仲介者である商人が互いに集合して拡大していく過程であり,市場取引の円滑化を図るため種々の制度(貨幣,法,制裁,信用,銀行など)を発展させていき,最終的には市場経済(商人的経済)の範囲がほかの経済に浸透し拡大していくというシナリオを提示したのである。そしてそのダイナミックな過程には一貫して利潤動機が働いていたのである。市場の領域が商人的経済と重なり,商人の役割をクローズアップさせ,慣習ならびに指令経済の境界部分にあって当初は周辺的な位置にあった点,さらには地中海地域のギリシャ人都市やフェニキア人都市の展開を念頭にあったかも166) Polanyi (1957, 1963)167) Powell (1999)168) Veenhof (1972: 348-51)169) Adams (2009: §6.13), Goddeeris (2002: 392-96)170) Polanyi(1977:訳164-65)171) Hicks (1969)
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