東浩紀らが編集する『思想地図』のWEBサイトでNAMに関して議論されている。
ソーシャルキャピタルが必要だというあたりまえの結論だが、地域再投資法などとNAMが実践した地域通貨の試みは矛盾する訳ではない。
NAMの過去ログが公開されていない現在、検証は難しいが、上記の議論において気になったことを指摘しておきたい。
>【東浩紀】
>本当にそうです。僕の考えではNAMというのも実は、「地域通貨を使っていれば運動に参加していること
>になります」というものだったはずです。
http://www.nhk-book.co.jp/books/nhk_books/shisou/report_nishida/part1_03.html東の指摘の通り、
NAMは共同体ではなく、プルードンの交換銀行が目指したような社会革命であり、平たくいえば相互扶助組織のはずだったが、結果的にマルクス主義の延命装置でしかなかった。
それは『トランスクリティーク』であれほど言及されたプルードンの名前が『NAM原理』に一箇所しかないことから伺える。
>【西田】‥…そしてもう一点、NAMが捨てられなかったものとして、理想的な状態に一発で社会を変える
>という「革命待望」ではないでしょうか。
Qとの関係悪化がNAMの命取りとなったが、それはNAMから"地域通貨"=社会革命をとったら政治主義しか残らないことからもわかるように必然だった。
もうひとつNAMで重要なのは、関心系(東やレッシグの用語では「レイヤー」)と地域系が構造として交差するという認識だ。
ここにスケールフリー化する社会に対する歯止めの可能性があるのだ。そして逆に地域共同体はまた外に開かれる可能性(スモールワールド化の可能性と言っていい)がある、、、
このことに関して最近の社会学者の認識は甘い(スモールワールドとスケールフリーの共存といった認識は最悪だ)。
NAMの構造は主要メンバーはプロジェクトに忙しかったから当人たちの自覚はなかった(MLでは上記の交差は可視化されない)。
新たなアプリケーションを活用した過去ログの条件付き公開を待つしかない、、、、、
2 Comments:
<パスカルは「私はなぜここにいて、あそこにいないのか」と問う。この問いもまた近代的なものだ。
なぜなら、こことあそこが質的に異なる空間だった中世の位階的な世界像においては、このような問い
はありえないからである。そこでは、ひとびとは、ここにいてあそこにいない「理由」をもっていた。
ちょうど、江戸時代の人間が、自分は百姓であって武士ではないということをすこしも不思議とは思わ
なかったようにである。このような問いは、均質的な空間、または市民社会においてのみ可能である。>
(『日本近代文学の起源』1980)
http://d.hatena.ne.jp/hinonaname/20090504/1241438808
地域通貨運営にはNAMのようはサービス網が必要だった
NAMは左翼運動用の出会い系サイトと考えていい
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