水曜日, 11月 30, 2011

インド唯名論と実在論:再送

            (インドのシュリーアントラ(Sriyantra)リンク:::::::::) 


NAMs出版プロジェクト: インド唯名論と実在論:再送

http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post_30.html

NAMs出版プロジェクト: カジュラーホー寺院群

http://nam-students.blogspot.jp/2018/01/blog-post_65.html

インド唯名論と実在論
 http://yojiseki.exblog.jp/8774845/

『ウパデーシャ・サーハスリー』:
(千の教説、シャンカラ著)最近岩波文庫でヒンズー教唯名論の古典が再刊されたので、以前書いた関連著作の書評を採録します。 ☆図

インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ) (単行本)
宮元 啓一 (著)

哲学における失われたミッシングリンクとして、今後重要となるであろう仏教以外のインド哲学(ヒンドゥー教側)の紹介である。
類書よりも本書をわかりやすいものにしている、実在論のヒンドゥー教側と唯名論の仏教側の論争という構図は、著者も言うようにおおざっぱな位置づけとしては有効だろう。
それは中国において老子と孔子が、西欧哲学においてスピノザとカントがあるようなものだ。
ただ、ヒンドゥー側に立つ著者には少し「外道」としてのコンプレックスがあり、それが参考文献の紹介の少なさに加えて本書の欠点となってしまっている。しかし、それを補って余ある貴重な論考でもある。
特に、( 索引がついておりそれも便利だが)前作『牛は実在するのだ』にあったものからさらに推敲されたインド哲学相関年譜↓(p24)は役に立つ。






改訂版:インド哲学相関年譜(参照:宮元啓一『インド哲学七つの難問』24頁)↓

               <ヴェーダの宗教>     (『ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド』)
               最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.
前8             ウッダーラカ・アールニ『チャーンドーギア・ウパニシャッド』6章(実在論)=「有」の哲学
     沙門たちの宗教     |____________________________☆文法学派          
前6 <ジャイナ教 <◯仏教>仏陀|                             |
      など>(前6〜前5)<ヒンドゥー教>                       |
前4         |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ(前4)
           |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |
前2       『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
   <大乗仏教> の問い』   |           |         (前2〜後1) |(前2〜前1)
西暦紀元   |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    |
       |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 ナーガールジ  |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
   ュナ=龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    |     
 『方便心論』|   |     |__|________|_______|____|____|_サーンキヤ学派
 4 <ヴァスバンドゥ=世親>  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    |   |___ヨーガ学派
『唯識三十頌』|   |(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |『カーリカー』『ヨーガ
    ディグナーガ |     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月|   |(4)スートラ
 6 =陳那(6)『 |     テ  |『ウ      |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|   |   |  (4)
因明正理門論』|   |     ィ パデーシャ・  __|   ウッディヨー   |    バルト |   ヴィヤーサ 
     ダルマキ  |     時 サーハスリー』|  |   タカラ(6) プラシャス  リハリ |   |  (5)
 8   ールティ  |     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6) |   |  
『他相続の存(7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |   |   |
   在論証』|   |     |  |   プラーバ |       |____|    |   |   |
       |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |   |   |
       |   |     |  |   (8)  |          |      |   |   |
       |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |   |   |
       |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |   |   | 
       |   |     |<一元論>     <___多____元____論____>   <二元論> 
       <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   <唯名論or実在論?>


☆=語は常住、『顕現論者』、
◯=語は人為的、『生起論者』、中村元選集第25巻p418より




本書においては著者が学問的飛翔を試みている部分が貴重だが、研究上より正確を期すなら他の参考文献(ヒンドゥー教側と仏教側との論争、特にニヤーヤ学派と龍樹から陳那にかけての仏教側との論争については本書には記述が少ないので中公新書の類書、『インド人の論理学』がよい)に本書以降当たることが望ましい。
龍樹が楽器は否定できても、音楽は否定できなかったことが興味深い。これは空海が説く般若心経における真言の優位に繋がる。
なお、石飛道子氏のHPに本書に対する批評が掲載されていることを追記しておく。

注:
今回再刊されたシャンカラの著作はヒンズー教側だが、不二一元論で唯名論側とされる。(『ニヤーヤ・バーシュヤ(論証学入門)』や『勝宗十句義論』など)実在論側の文庫化が望まれる。

ちなみに、『ヨーガ・スートラ』(佐保田鶴治訳)などによると、ヨガは基本的に実在論であり、編纂された経典には仏教唯識派への反論が見られるという。また、ヴァーツヤーヤナは『カーマスートラ』の作者として知られる。

「兎角」など無をめぐる議論はカントのそれと比較すると面白いだろう。

参考:
世界の名著1『バラモン教典原始仏典』(中央公論)

追記、
再改訂版:インド哲学相関年譜(宮元啓一『インド哲学七つの難問』24頁を参照、追加記述した。)



               <ヴェーダの宗教>
               最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
            ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8               |
     沙門たちの宗教     |____________________________☆文法学派          
前6 <ジャイナ教 <◯仏教>  |                             |
      など>(前6〜前5)<ヒンドゥー教>                       |
前4         |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ(前4)
           |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |
前2       『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
   <大乗仏教> の問い』   |           |         (前2〜後1) |(前2〜前1)
西暦紀元   |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    |
       |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 ナーガールジ  |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
   ュナ=龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    |     
       |   |     |__|________|_______|____|____|_サーンキヤ学派
 4 <ヴァスバンドゥ=世親>  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    |   |___ヨーガ学派
       |   |(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |『カーリカー』『ヨーガ
    ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月|   |(4)スートラ』
 6  陳那(6)  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|   |   |  (4)
       |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |    バルト |   ヴィヤーサ 
     ダルマキ  |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス  リハリ |   |  (5)
 8   ールティ  |     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6) |   |  
      (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |   |   |
       |   |     |  |   プラーバ |       |____|    |   |   |
       |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |   |   |
       |   |     |  |   (8)  |          |      |   |   |
       |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |   |   |
       |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |   |   | 
       |   |     |  |        |          |      |   |   |
       |   |     |<一元論>     <___多____元____論____>   <二元論> 
       <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   <唯名論or実在論?>



龍樹とインド論理学の誕生

http://manikana.la.coocan.jp/paper/origin.html
 多くのインド論理学の概説1)を整理してみると、インドの論理学の源泉を探るために、いわゆる「論理思想」の萌芽を求めるという方法が採られている。
 一つは、「論理」を意味する「ニヤーヤ(nyAya)」という言葉の用例から探っていくやり方である。この方法では『ヴェーダ』や『ブラーフマナ』の祭祀規定にかんする解釈学の伝統に至るのである。このような解釈学的な研究は「考究(ミーマーンサー)」と呼ばれたが、このミーマーンサーと同義の言葉として、「ニヤーヤ」とか「タルカ(tarka)」の語も用いられた。ここにきわめて漠然と論理思想の萌芽を推測するのである。
 もう少しはっきりとした起源の探求としては、インド論理学が論証にかかわる部分を多くもち論争の規則にも触れているという点から、論争の伝統に論理学の萌芽をみる方法がある。『ウパニシャッド』の中には、公の場で多くの論争や討論が行われ勝ち負けを争ったということが述べられている。また、『マハーバーラタ』の中の論理家にかんする記述なども根拠としてあげられる。例えば、アシュヴァッターマンは論詰(vitaNDA)と呼ばれる論法を好んだと述べられるなどである2)。このような討論の伝統の中から、討論規則などが整備されていき、論理学がこれまた何となく醸成されてきて体系だったものになっていったというものである。このような討論規則の手引き書として現存最古のものがインドの医学書『チャラカ・サンヒター』の中の一節であるというのが、これまでのおおかたの見解である。
 このような「論理思想」の濫觴を探る考察がなぜなされてきたかというと、それはインドの論理学研究の中にある根強い伝統な見方のためであると考えられる。松尾義海博士はかつて『インド論理学の構造』3)を著したとき、その序において次のように述べた。
「印度に於ける論理学は学的要求によって一時に成立したのではなく、実際的な論争法の必要から生まれ、長い発達の後に論理学として組織されたものである。」



http://www.l.u-tokyo.ac.jp/assets/files/student/nishizawa231013.pdf

論理学,より厳密には,因明(hetuvidyå)は,文法学や薬医学等と同様に,外学として位置付けられてきたのであり,端的には仏教教義(内学)とは見做されていなかった.それは,元来,討論(våda)において,自派ないし他派が各々の主張を論証するために立てた証因(hetu)の妥当性を検証する学問(vidyå)であり,仏教教義とは無関係であった.しかるに,インドにおける仏教論理学の大成者であるダルマキールティ(Dharmakårti, ca. 600-660)が,論理学を解脱道に結び付けたことを契機として,論理学は徐々に仏教教義として受容されるようになり,最終的には,チベットのゲルク派において,その他の全ての仏教教学の基礎学の地位にまで高められることになる.


ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド : 

http://yojiseki.exblog.jp/11494639/

ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド

ユングの東洋趣味はよく知られているが、フロイトも1920年『快感原則の彼岸』(ちくま文庫『自我論集』191頁)の脚注で、ウパニシャッド(「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」)の以下の部分を孫引きして、プラトン(『響宴』でアリスとファネスに語らせている神話)への影響の可能性を論じている(前出のちくま文庫では「ブリハード・アラニヤーカ・ウパニシャッド」と表記されてしまっている)。
さすがにフロイトはユングのような元型論はとっていない。

http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/handle/10487/3311
ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド(Brhadaranyaka-Upanisad)
湯田豊:訳

1:4:3
それ(アートマン)は快として楽しまなかった。
それゆえ,単独でいる時には,人は楽しまない。それは第二者を望んだ。
それは抱擁している夫妻の大きさであった。
それは,自己自身を二つの部分に分割した。
それから,夫と妻が生じた。
それゆえ,われわれ両人は,いわば,この片割れである,とヤージュニャヴァルキヤは言うのを常とした。
それゆえ,この空虚は妻によって満たされる。
彼は妻を抱いた。
それから,人間が生まれた。

http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/3311/1/kana-7-5-0002.pdf

注:
インド哲学の側から見ると、シャンカラが『ウパデーシャ・サーハスリー』で一部このテクストの註釈(不二一元論の源流?)をしていることからもわかるように最重要のテクストである(ただし「世界の名著」1に部分訳があるだけで手近かな邦訳はない)。湯田氏が「ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド」として『ウパニシャッド―翻訳および解説』(上記引用箇所は20頁)で全訳しているが、ユングは冒頭の文章も断片的(下259頁等)に引用しているので『変容の象徴』が入手しやすいテクストということになる。

追記:
フロイトの知識はユング経由だと思う。『変容の象徴』上本文321及び345頁の脚注に(「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」ではなく)「ブラダーラニヤカウパニシャド」という書名で同じ箇所の紹介及び同じ指摘がすでにされているからだ。
脚注(プラトンへの影響説=ユングの場合はフロイトのように『響宴』ではなく『ティマイオス』を引用しているが)は1952年版にはじめてつけられたからユングがフロイトを模倣した可能性もあるが、「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」自体の紹介はドイセン(またはドイッセン)経由で本文(1912年)にあり、ユングの方が早い。
a0024841_4135021.jpg

http://nirmukta.com/2009/12/16/the-upanishads-attempt-to-reform-brahmanism/
「実に、感覚器官のかなたに事物があり、事物のかなたに思考がある。
思考のかなたに理解力があり、理解力(buddhi)のかなたに、大いなる自己(mahan atma)がある。」
(カタ・ウパニシャッド3:10、上記書456頁より、湯田豊訳)
湯田豊によればウパニシャッドという言葉の語源は弟子が師匠の下に座っていたことを意味するのではなく、人と事物の属性を規定していることにあるようだ。ネットで拾った上記の図は(西欧的文脈だが)ウパニシャッドの意義を良く指し示している。 




「お前はそれである」 : 

http://yojiseki.exblog.jp/11527385/

「お前はそれである」

http://www.geocities.jp/princegifu/indotetu25.htm
以下上記サイト参照。


 「この微細なるものはと言えば、・・・この一切(全宇宙)はそれを本質とするものである。
 それは真実である。それはアートマンである。
 お前はそれである (Tat tvam Asi)。シュヴェータケートゥよ」
(『チャーンドーギア・ウパニシャッド(Chāndogya Upanishad)』6章第8節、ウッダーラカ・アールニUddalaka Aruniの息子シュヴェータケートゥŚvetaketuへの教えより)英訳

「お前はそれである」(tat tvam asi、タット・トヴァン・アスィ、タット ワム アシー、you are that、お前はそのようである)という文言は、われわれの内にあるアートマンが、本質的に絶対者ブラフマンと同一であることを端的に示す文章として、そして「ウパニシャッド」全体の中心思想を的確に表現している文章として、今ひとつの重要な文章「私はブラフマンである」(aham brahm?smi)とともに、極めて有名である。 中でもヴェーダーンタ学派の中の不二一元論を主張するシャンカラならびにその後継者たちによって、自分たちの立場を明確に表現している文章として、大文章(mah?v?kya)といって大変に尊重している。


  この後ウパニシャッドは、蜂蜜の比喩(六・九)、河川の比喩(六・一〇)、樹木の比喩(六・一一)、バニヤン(榕樹)の比喩(六・十二)、塩水の比喩(六・一三)、目隠しされた人の比喩(六・一四)、重体に陥った人の比喩(六・一五)、手を縛られた人の比喩(六・一六)を巧みに用い、その後で定型句

〜「この微細なるものはと言えば、・・・この一切(全宇宙)はそれを本質とするものである。 それは真実である。 それはアートマンである。 お前はそれである。 シュヴェータケートゥ」よ。
  [子が言った、]「父上、さらに、私に教えてください」と。
 [父が]言った、「愛児よ。 よろしい」と。が繰り返されている。


参照:世界の名著1

以下引用:
http://kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-05-15-13
[インドの一元論]  何を万有の根源とするかについてインドでは古くから諸説があったが,ウパニシャッド,とくにウッダーラカ・アールニの有論によって,中性原理ブラフマンがそれであるとする説が主流となった。この説を展開したのがベーダーンタ学派であるが,ブラフマンと万有との関係については種々の異説があった。5世紀前半に完成したとされる《ブラフマ・スートラ》では,ブラフマンは世界の質料因であると同時に,動力因,つまり最高主宰神でもあり,まったく自律的に世界を開展 paril´ma すると説かれている。のちにシャンカラは,ブラフマンが世界を開展するのは無明avidy´ によるのだとし,《ブラフマ・スートラ》のいわば実在論的一元論を,幻影主義的一元論(不二一元論)に置き換えた。しかし,ブラフマン以外に無明を立てることはサーンキヤ学派的二元論に陥ることを意味し,シャンカラ以降,不二一元論派の学匠の間で,無明の位置づけが激しく議論された。⇒多元論∥二元論          宮元 啓一

http://www.harekrsna.com/sun/features/08-08/features1121.htm

シャンカラについては以下、
http://ancientindians.net/2010/09/14/sankaracharya-and-advaitam/ 


39 Comments:

Blogger yoji said...


音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク:::::

10:49 午後  
Blogger yoji said...

カーマ・スートラ

世界遺産であるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院のミトゥナ(交合)像もカーマ・スートラに基づく


カーマ・スートラ(サンスクリット: कामसूत्र, 英: Kama Sutra)は、古代インドの性愛論書(カーマ・シャーストラ)で、推定でおよそ4世紀から5世紀にかけて成立した作品といわれており[1]、現存するもとのとしては最古の経典である。『アナンガ・ランガ』『ラティラハスヤ』と並んでインド3大性典のひとつとされ、そのうちで最も重要なものとされる。

著者はヴァーツヤーヤナ[2]


で、正式なタイトルは『ヴァーツヤーヤナ・カーマスートラ(Vātsyāyana Kama Sutra)』となる。
目次

1 概要
2 映像化
3 脚注
4 主な文献
5 関連項目
6 外部リンク

概要 [編集]

カーマ・スートラは、1000編におよぶといわれる現存する古代インドの性愛論書『カーマ・シャーストラ』のうち、最も古く重要な文献である[3]。

カーマ(性愛)は、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)とともに古来インドにおける人生の三大目的とされてきたが、ヴァーツヤーヤナはカーマの研究の重要性を説き、本書の最後には、情欲を目的としたものではないことをことわっている[3]。

『カーマ・スートラ』は、7部35章に渡って書かれており、その内訳は以下の通り。第2部は赤裸々に性行為について綴ってあるため、特に有名である。

導入部(全四章) 一般的な愛について。
性交について(全十章) 接吻、前戯、性的絶頂、 88手の体位のリスト、 オーラルセックス、スパンキング、 変態性欲、三人婚、インド版九状(玉茎の動かし方)、性器の種類と大きさ。
妻を得るには(全五章) 求愛 と 結婚
妻について(全二章) 妻の適切な行為
人妻について(全六章) 主に婦女誘惑の方法。
娼婦(妓生)について(全六章) 妓女必須の64芸に巧み。特に演劇に詳しいことを求める。最高位はガニカー。
他人を惹き付けるには(全二章)

当時のインド社会や人びとの生活を知るうえでも重要な歴史資料である。
この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

KamaSutra11.jpg
KamaSutra12.jpg
KamaSutra13.jpg
KamaSutra14.jpg
KamaSutra15.jpg
KamaSutra16.jpg

映像化 [編集]

『カーマ・スートラ 愛の教科書』
『カーマ・スートラ 悦楽の香り』
『完全なる結婚 (1968年の映画)』(一部に導入されている)

脚注 [編集]
[ヘルプ]

^ ただしこの成立年代の根拠は確かではない
^ バーツヤーヤナ(マッラナーガ)とも表記。生没不明。(Vātsyāyana)
^ a b 『南アジアを知る事典』辛島昇・前田専学ほか監修、平凡社、1992年、増補版2002年、ISBN 4582126340

主な文献 [編集]

『完訳 カーマ・スートラ』 岩本裕訳著、平凡社東洋文庫、1998年、ISBN 4582806287
『ビジュアル版 カーマスートラの世界』 ランス・デイン、山下博司訳、東洋書林、2009年、ISBN 4887217633
『バートン版 カーマ・スートラ』 大場正史訳、角川文庫ソフィア 改版1997年、リチャード・バートンの英訳に基づいた版

1:29 午後  
Blogger yoji said...

taka

2:04 午後  
Blogger yoji said...

           <ヴェーダの宗教>
           最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
        ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8           |
 沙門たちの宗教     |____________________________☆文法学派          
前6ジャイナ教 <◯仏教>|                             |
   など(前6〜前5)<ヒンドゥー教>                       |
前4     |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ(前4)
       |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |
前2   『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
<大乗仏教> の問い』  |           |         (前2〜後1) |(前2〜前1)
紀元 |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    |
   |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 |   |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
  龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    |     
   |   |     |__|________|_______|____|____|_サーンキヤ学派
 4 ヴァスバンドゥ   シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    |   |___ヨーガ学派
   |   |(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |『カーリカー』『ヨーガ
ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月|   |(4)スートラ』
 6 陳那  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|   |   |  (4)
   |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |    バルト |   ヴィヤーサ 
 ダルマキ  |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス  リハリ |   |  (5)
 8ールティ |     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6) |   |  
  (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |   |   |
   |   |     |  |   プラーバ |       |____|    |   |   |
   |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |   |   |
   |   |     |  |   (8)  |          |      |   |   |
   |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |   |   |
   |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |   |   | 
   |   |     |  |        |          |      |   |   |
   |   |     |<一元論>     <___多____元____論____>   <二元論> 
   <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   <唯名論or実在論?>

1:17 午前  
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           <ヴェーダの宗教>
           最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
        ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8           |
沙門たちの宗教、ジャイナ教|____________________________☆文法学派          
前6   <◯仏教>   |                             |
    (前6〜前5) <ヒンドゥー教>                       |
前4     |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ(前4)
       |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |
前2   『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
<大乗仏教> の問い』  |           |         (前2〜後1) |(前2〜前1)
紀元 |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    |
   |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 |   |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
  龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    |     
   |   |     |__|________|_______|____|____|_サーンキヤ学派
 4 ヴァスバンドゥ=  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    | | ヨーガ学派
   | 世親|(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ | : 『ヨーガ
ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月|   スートラ』
 6 陳那  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|   | (4)
   |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |    バルト ヴィヤーサ 
 ダルマキ  |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス  リハリ | (5)
 8ールティ |     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6) |
  (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |   |
   |   |     |  |   プラーバ |       |____|    |   |
   |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |   |
   |   |     |  |   (8)  |          |      |   |
   |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |   |
   |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |   |
   |   |     |  |        |          |      |   |
   |   |     |<一元論>     <___多____元____論____> <二元論> 
   <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   ?

1:25 午前  
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           <ヴェーダの宗教>
           最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
        ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8           |
沙門たちの宗教、ジャイナ教|____________________________☆文法学派          
前6   <◯仏教>   |                             |
    (前6〜前5) <ヒンドゥー教>                       |
前4     |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ
       |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |(前4)
前2   『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
<大乗仏教> の問い』  |           |         (前2〜後1) |(前2〜
紀元 |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    | 前1)
   |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 |   |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
  龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    | サーンキヤ    
   |   |     |__|________|_______|____|____|_学派
 4 ヴァスバンドゥ=  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    ||ヨーガ学派
   | 世親|(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |:『ヨーガ
ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月| スートラ』
 6 陳那  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|  (4)
   |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |   バルト ヴィヤ
 ダルマキ  |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス リハリ ーサ
 8ールティ |     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6)(5)
  (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |  |
   |   |     |  |   プラーバ |       |____|    |  |
   |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |  |
   |   |     |  |   (8)  |          |      |  |
   |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |  |
   |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |  |
   |   |     |  |        |          |      |  |
   |   |     |<一元論>     <___多____元____論____> <二元論> 
   <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   ?

1:31 午前  
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           <ヴェーダの宗教>
           最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
        ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8           |
沙門たちの宗教、ジャイナ教|____________________________☆文法学派 
前6   <◯仏教>   |                             |
    (前6〜前5) <ヒンドゥー教>                       |
前4     |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ
       |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |(前4)
前2   『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
<大乗仏教> の問い』  |           |         (前2〜後1) |(前2〜
紀元 |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    | 前1)
   |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 |   |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
  龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    | サーンキヤ
   |   |     |__|________|_______|____|____|_学派
 4 ヴァスバンドゥ=  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    ||ヨーガ学派
   | 世親|(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |:『ヨーガ
ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月| スートラ』
 6 陳那  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|  (4)
   |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |   バルト ヴィヤ
 ダルマキ  |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス リハリ ーサ
 8ールティ |     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6)(5)
  (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |  |
   |   |     |  |   プラーバ |       |____|    |  |
   |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |  |
   |   |     |  |   (8)  |          |      |  |
   |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |  |
   |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |  |
   |   |     |  |        |          |      |  |
   |   |     |<一元論>     <___多____元____論____> <二元論>
   <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   ?

1:33 午前  
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           <ヴェーダの宗教>
           最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
        ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8           |
沙門たちの宗教、ジャイナ教|____________________________☆文法学派 
前6   <◯仏教>   |                             |
    (前6〜前5) <ヒンドゥー教>                       |
前4     |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ
       |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |(前4)
前2   『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
<大乗仏教> の問い』  |           |         (前2〜後1) |(前2〜
紀元 |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    | 前1)
   |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 |   |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
  龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    | サーンキヤ
   |   |     |__|________|_______|____|____|_学派
 4 ヴァスバンドゥ=  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    ||ヨーガ学派
   | 世親|(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |:『ヨーガ
ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月| スートラ』
 6 陳那  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|  (4)
   |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |   バルト ヴィヤ
  ダルマキ |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス リハリ ーサ
 8 ールティ|     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6)(5)
  (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |  |
   |   |     |  |   プラーバ |       |____|    |  |
   |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |  |
   |   |     |  |   (8)  |          |      |  |
   |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |  |
   |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |  |
   |   |     |  |        |          |      |  |
   |   |     |<一元論>     <___多____元____論____> <二元論>
   <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   ?

1:36 午前  
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           <ヴェーダの宗教>
           最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
        ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8           |
沙門たちの宗教、ジャイナ教|____________________________☆文法学派 
前6   <◯仏教>   |                             |
    (前6〜前5) <ヒンドゥー教>                       |
前4     |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ
       |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |(前4)
前2   『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
<大乗仏教> の問い』  |           |         (前2〜後1) |(前2〜
紀元 |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    | 前1)
   |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 |   |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
  龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    | サーンキヤ
   |   |     |__|________|_______|____|____|_学派
 4 ヴァスバンドゥ=  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    ||ヨーガ学派
   | 世親|(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |:『ヨーガ
ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月| スートラ』
 6 陳那  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|  (4)
   |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |   バルト ヴィヤ
  ダルマキ |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス リハリ ーサ
 8 ールティ|     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6)(5)
  (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 | :|
   |   |     |  |   プラーバ |       |____|    |『カ|
   |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |ーリ|
   |   |     |  |   (8)  |          |      |カー|
   |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |』(|
   |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |4)|
   |   |     |  |        |          |      |  |
   |   |     |<一元論>     <___多____元____論____> <二元論>
   <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   ?

3:38 午前  
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           <ヴェーダの宗教>
           最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
        ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8           |
沙門たちの宗教、ジャイナ教|____________________________☆文法学派 
前6   <◯仏教>   |                             |
    (前6〜前5) <ヒンドゥー教>                       |
前4     |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ
       |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |(前4)
前2   『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
<大乗仏教> の問い』  |           |         (前2〜後1) |(前2〜
紀元 |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    | 前1)
   |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 |   |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
  龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    | サーンキヤ
   |   |     |__|________|_______|____|____|_学派
 4 ヴァスバンドゥ=  シ 『ブラフマ  シャバラス 『カーマス|ートラ』|    ||ヨーガ学派
   | 世親|(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |:『ヨーガ
ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月| スートラ』
 6 陳那  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|  (4)
   |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |   バルト ヴィヤ
  ダルマキ |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス リハリ ーサ
 8 ールティ|     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6)(5)
  (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 | :|
   |   |     |  |   プラーバ |       |____|    |『カ|
   |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |ーリ|
   |   |     |  |   (8)  |          |      |カー|
   |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |』(|
   |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |4)|
   |   |     |  |        |          |      |  |
   |   |     |<一元論>     <___多____元____論____> <二元論>
   <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   ?

3:40 午前  
Blogger yoji said...


【当夜案内(千夜千冊編集部より)】

 Q:もし行為より知性が優れていると考えられるなら、何故あなたは、私を
   恐ろしい行為に駆り立てるのか。

 A:この世には二種の立場がある。知識のヨーガによるサーンキヤ(理論家)
   の立場と、行為のヨーガによるヨーギン(実践家)の立場とである。人
   は行為を企てずして、行為の超越に達することはない。なぜなら、一瞬
   の間でも行為をしないでいる人は誰もいないからだ。

   あなたは定められた行為をなせ。行為は無為よりも優れているから。
   執着することなく、常に、なすべき行為を遂行せよ。実に、執着なしに
   行為を行えば、人は最高の存在に達する。

   すべての行為を私(クリシュナ)のうちに放擲し、自己に関することを
   考察して、願望なく、自分のものという思いなく、苦熱を離れて戦え。
(『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫より抜粋)

               *∴*∴*

 『ギーター』を愛読書としていたガンディーは自らのグジャラーティー語訳
 への序文で、「結果を放棄することは結果への無関心を決して意味しない。
 あらゆる行為に関して、人はその予期される結果、それを達成するための手
 段、そのための能力を知らなければならない。このような用意の出来た者が、
 結果への願望なく、しかも目の前の仕事の達成に全く没頭しているなら、彼
 は自らの行為の結果を放棄していると言われる」と記している。

     http://1000ya.isis.ne.jp/sp079

12:09 午前  
Blogger yoji said...


【当夜案内(千夜千冊編集部より)】

 Q:もし行為より知性が優れていると考えられるなら、何故あなたは、私を
   恐ろしい行為に駆り立てるのか。

 A:この世には二種の立場がある。知識のヨーガによるサーンキヤ(理論家)
   の立場と、行為のヨーガによるヨーギン(実践家)の立場とである。人
   は行為を企てずして、行為の超越に達することはない。なぜなら、一瞬
   の間でも行為をしないでいる人は誰もいないからだ。

   あなたは定められた行為をなせ。行為は無為よりも優れているから。
   執着することなく、常に、なすべき行為を遂行せよ。実に、執着なしに
   行為を行えば、人は最高の存在に達する。

   すべての行為を私(クリシュナ)のうちに放擲し、自己に関することを
   考察して、願望なく、自分のものという思いなく、苦熱を離れて戦え。
(『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫より抜粋)

               *∴*∴*

 『ギーター』を愛読書としていたガンディーは自らのグジャラーティー語訳
 への序文で、「結果を放棄することは結果への無関心を決して意味しない。
 あらゆる行為に関して、人はその予期される結果、それを達成するための手
 段、そのための能力を知らなければならない。このような用意の出来た者が、
 結果への願望なく、しかも目の前の仕事の達成に全く没頭しているなら、彼
 は自らの行為の結果を放棄していると言われる」と記している。

     http://1000ya.isis.ne.jp/sp079

12:09 午前  
Blogger yoji said...


【当夜案内(千夜千冊編集部より)】

 Q:もし行為より知性が優れていると考えられるなら、何故あなたは、私を
   恐ろしい行為に駆り立てるのか。

 A:この世には二種の立場がある。知識のヨーガによるサーンキヤ(理論家)
   の立場と、行為のヨーガによるヨーギン(実践家)の立場とである。人
   は行為を企てずして、行為の超越に達することはない。なぜなら、一瞬
   の間でも行為をしないでいる人は誰もいないからだ。

   あなたは定められた行為をなせ。行為は無為よりも優れているから。
   執着することなく、常に、なすべき行為を遂行せよ。実に、執着なしに
   行為を行えば、人は最高の存在に達する。

   すべての行為を私(クリシュナ)のうちに放擲し、自己に関することを
   考察して、願望なく、自分のものという思いなく、苦熱を離れて戦え。
(『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫より抜粋)

               *∴*∴*

 『ギーター』を愛読書としていたガンディーは自らのグジャラーティー語訳
 への序文で、「結果を放棄することは結果への無関心を決して意味しない。
 あらゆる行為に関して、人はその予期される結果、それを達成するための手
 段、そのための能力を知らなければならない。このような用意の出来た者が、
 結果への願望なく、しかも目の前の仕事の達成に全く没頭しているなら、彼
 は自らの行為の結果を放棄していると言われる」と記している。

     http://1000ya.isis.ne.jp/sp079

12:09 午前  
Blogger yoji said...

━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ★ 千夜千冊 1512夜(2013年7月5日 更新)思構篇
 ★ 『バガヴァッド・ギーター』
 ★ [訳]上村勝彦(1992)岩波文庫
 ★ http://1000ya.isis.ne.jp/sp079
─────────────────────────────────────
 ┏
  古代インドの至高の「神の歌」を
  『バガヴァッド・ギーター』という。
  ティラクやガンジーの座右の書だった。
  西ではシュレーゲル兄弟、フンボルト、エマーソン、
  グルニエ、カミュ、シモーヌ・ヴェーユが愛読した。
  日本には辻直四郎が和訳して届けてくれた。
  これほどに戦闘と葛藤にひそむ知と知識の行方を
  高遠に謳ったものは、西洋には見当たらない。
  クリシュナは王子アルジュナに
  「闘いなさい、知は平静になれる」と
  不思議なことを言ってのけたのだ。
  かつまた、この一書ほどに放擲することの意義を
  みごとに説いてみせたものは、ない。
  放擲とは知のすべてを他者に捧げることだった。
                          ┛

12:10 午前  
Blogger yoji said...


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━http://1000ya.isis.ne.jp/sp079
 ★千夜千冊PRESS★ vol.79 2013年7月10日
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■千夜千冊PRESSは、編集工学研究所関連サービスをご利用いただいたこと
 があるみなさまにお届けしております。配信を希望されない方は、お手数です
 がメール下部にある、配信解除URLをクリックの上、解除手続を行ってください。

 みなさん、こんにちは。
 千夜千冊編集部より、千夜千冊PRESS vol.79をお届けします。
 1512夜は、思構篇『バガヴァッド・ギーター』です。

 古代インドの長大な叙事詩『マハーバーラタ』の中の第6巻にあたるのが
 『バガヴァッド・ギーター』です。

 最高のバガヴァッド(=崇高神)であるクリシュナが、
 バラタ家の親族が分かれて戦うことに苦悩する王子アルジュナに
 説いてみせた格別のギーター(=神の歌)という意味なんですね。

 悩むアルジュナ王子に対して、
 「行為の結果を動機としない行動的知性をもつこと」を感じろと、
 そして「戦え」と、クリシュナは説きます。
 
 そこでアルジュナが発した問いはどのようなものか、
 対するクリシュナはいかに答えたのか。

30代の松岡正剛の“煩悩”に対する、いくつものヒントが、
 『バガヴァッド・ギーター』の問答にはあったようです。
 まずは当夜案内からご覧ください。

12:12 午前  
Blogger yoji said...

カーマ・スートラ ─まんがで読破─ ヴァーツヤーヤナ / バラエティ・アートワークス 電子書籍ストア Booklive! http://booklive.jp/product/index/title_id/150798/vol_no/001 via @BookLive_PR

4:56 午前  
Blogger yoji said...

世親
世親 (天親)
300 - 400年頃

興福寺北円堂の世親像
尊称 世親菩薩、天親菩薩
生地 プルシャプラ
没地 アヨーディヤー
宗派 説一切有部
後に、瑜伽行唯識学派
師 無著(世親の実兄)
著作 『阿毘達磨倶舎論』
『唯識二十論』
『唯識三十頌』
『浄土論』他
世親(せしん、वसुबन्भु vasubandhu)は、古代インド仏教瑜伽行唯識学派の僧である。世親はサンスクリット名である「ヴァスバンドゥ」の訳名であり、玄奘訳以降定着した。それより前には「天親」(てんじん)と訳されることが多い。「婆薮般豆」、「婆薮般頭」と音写することもある。
唯識思想を大成し、後の仏教において大きな潮流となった。また、多くの重要な著作を著し、地論宗・摂論宗・法相宗・浄土教をはじめ、東アジア仏教の形成に大きな影響を与えた。浄土真宗では七高僧の第二祖とされ「天親菩薩」と尊称される。


倶舎論
仏教

基本教義
縁起 四諦 八正道
三法印 四法印
諸行無常 諸法無我
涅槃寂静 一切皆苦
中道 波羅蜜 等正覚
人物
釈迦 十大弟子 龍樹
信仰対象
仏の一覧
分類
原始仏教 部派仏教
大乗仏教 密教
神仏習合 修験道
宗派
仏教の宗派
地域別仏教
インド スリランカ
 中国 台湾 チベット
日本 朝鮮
東南アジア タイ
聖典
経蔵 律蔵 論蔵
聖地
八大聖地
歴史
原始 部派
上座部 大乗
ウィキポータル 仏教
表・話・編・歴
『阿毘達磨倶舎論』(あびだつまくしゃろん、梵: Abhidharma-kośa, アビダルマ・コーシャ)は、インドの仏教論書で、説一切有部の『発智論』『大毘婆沙論』(婆沙論)の説を中心に他部派の説も加えて仏教哲学の基本的問題を整理したものである。世親著。略称を『倶舎論』という。

1:02 午前  
Blogger yoji said...

 倶舎論 くしゃろん

阿毘達磨倶舎論あびだつまくしゃろんが本来の名前です。世親せしんというインドの僧侶が書いた仏教の入門書です。

倶舎は容れ物の意味です。そこで阿毘達磨倶舎論は阿毘達磨の教えと理論がすべて含まれている論書、という意味になります。

内容は、部派仏教の中で最も優勢だった説一切有部せついっさいうぶというグループの説を中心として、他の部派の説も加えて書かれました。たくさんある論書の中で、一番完成度が高い論書と言われています。そして説一切有部の代表的な書として、長く重んじられました。

現実世界のことから宇宙の構造、輪廻、煩悩、悟りに至る段階、などについて説明されています。

http://tobifudo.jp/newmon/okyo/kusharon.html

1:04 午前  
Blogger yoji said...

存在の分析「アビダルマ」―仏教の思想〈2〉 (角川文庫ソフィア) [文庫]
桜部 建 (著), 上山 春平 (著)

内容紹介
日本の代表的仏教哲学者が仏教の歴史、思想を紹介し、それを受けて代表的哲学者が日本文化と精神史を再検討、仏教の今日的意義を徹底的に研究した名著。
内容(「BOOK」データベースより)
「アビダルマ」とは、ブッダが説いたダルマ=法・真理を解釈し、仕上げられた壮大な思想大系を意味する。インド諸学派のアビダルマ教義の中で、5世紀ころ、仏教史上最大の思想家ヴァスヴァンドゥ(世親)が著した『アビダルマ・コーシャ』を取り上げて、仏教思想の哲学的側面を根源から捉え直す、画期的労作。

1:06 午前  
Blogger yoji said...

■倶舎論や唯識は非常に難解なので、唯識三年倶舎八年、という言葉があります。
■倶舎論を八年学んだ後に、唯識を三年学ばなければ理解不能、というような意味です。
■倶舎論や唯識は、仏教を学ぶ者にとって、古来必修の科目とされていました。

 
 
 
 
 

 
 
 
 
世親
ガンダーラ地方の生まれの人で、インドでの名前はヴァスバンドゥです。
世親は新訳名で、旧訳名では天親てんじんです。

400-480年頃の人、異説もあります。小乗仏教から大乗仏教に転向し、唯識思想を確立した人で、唯識派三大論師の一人です。


 部派仏教 ぶはぶっきょう

お釈迦様が亡くなって100年位経つと、教えの解釈の違いによって分裂が起きます。

まず、伝統をそのまま守ろうとする保守的な上座部じょうざぶと、進歩的な大衆部だいしゅぶに分かれます。

次に両派から数多くの部派が生まれ、それらが分立した時代の仏教を、部派仏教と呼びます。

 阿毘達磨 あびだつま

阿毘達磨はサンスクリット語の音写です。阿鼻達磨とも書きます。アビは勝れる、という意味で、ダルマには仏教語としては色々な意味があります。秩序を保つ-規則-お釈迦様の教え-真理-本質-特性などです。

阿毘達磨は、ダルマに関する研究、ダルマを理解する人達の智慧、のような意味になります。そして阿毘達磨の研究書を、論ろんとか論書ろんじょと言います。

論書は紀元前2世紀ごろから作られはじめ、次第に有力な部派は、みな各自の阿毘達磨=論書を持ちました。また、論書の注釈書も数多くつくられました。

 倶舎論 くしゃろん

阿毘達磨倶舎論あびだつまくしゃろんが本来の名前です。世親せしんというインドの僧侶が書いた仏教の入門書です。

倶舎は容れ物の意味です。そこで阿毘達磨倶舎論は阿毘達磨の教えと理論がすべて含まれている論書、という意味になります。

内容は、部派仏教の中で最も優勢だった説一切有部せついっさいうぶというグループの説を中心として、他の部派の説も加えて書かれました。たくさんある論書の中で、一番完成度が高い論書と言われています。そして説一切有部の代表的な書として、長く重んじられました。

現実世界のことから宇宙の構造、輪廻、煩悩、悟りに至る段階、などについて説明されています。


http://tobifudo.jp/newmon/okyo/kusharon.html

1:07 午前  
Blogger yoji said...

【外交】安倍・モディ両首相が会談、「インド新幹線」23年に開業[11/11] [無断転載禁止]©2ch.net

1 : 朝一から閉店までφ ★ がんばれ!くまモン!©2ch.net2016/11/11(金) 21:36:02.98 ID:CAP_USER
2016年 11月 11日 9:04 PM JST
(写真)
 11月11日、安倍首相とインドのモディ首相は会談を行い、日本の新幹線方式を採用したインドの高速鉄道を
2023年に開業することを確認した。共同記者会見で撮影(2016年 ロイター/Franck Robichon/Pool)

[東京 11日 ロイター] - 安倍晋三首相とインドのモディ首相は11日に会談し、日本の新幹線方式を採用した
インドの高速鉄道を2023年に開業することを確認した。日本は鉄道建設を通じ、製造業の基盤強化を目指すインドを支援する。

一方、海上自衛隊の救難飛行艇「US─2」の輸出は継続協議となった。

高速鉄道の対象の路線はインド西部のムンバイ─アーメダバード間で、両国は昨年12月に
新幹線方式を採用することで合意していた。今回の会談で工期を詰め、今年中に設計、18年着工し、23年に開業することを決めた。

安倍首相は会談後の会見で「日印新時代に象徴的な高速鉄道。インドの高速鉄道の実現が、
新たな経済成長の起爆剤になることを期待している」と述べた。他の路線にも日本の鉄道技術の採用を働きかけていく。

両首脳は、日本の製造技術をインドに伝えるための教育プログラムを設立することでも合意した。今後10年で3万人を育成する。
モディ首相は「インド経済は製造業と投資の集積地になることを目指している。日本は不可欠なパートナーだ」と語った。

かねてから両国で協議している海上自衛隊のUS─2のインドへの輸出は、今回の会談でも合意に至らなかった。
両国の政府関係者によると、日本は値下げを打診。インドはモディ首相の来日前に防衛装備品の調達会議を開いて議論したものの、
艦艇などの老朽化が進むなか、予算配分をめぐって意見が割れたという。

(久保信博)
http://jp.mobile.reuters.com/article/idJPKBN13616E?feedType=RSS&;feedName=topNews&utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

8:39 午前  
Blogger yoji said...

インド人の論理学―問答法から帰納法へ (中公新書) | 桂 紹隆 |本 | 通販 | Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/4121014421/ref=ntt_at_ep_dpt_1
インド人の論理学―問答法から帰納法へ (中公新書) 新書 – 1998/10
桂 紹隆 (著)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030466863&Action_id=121&Sza_id=F3
[要旨]
インド人の思考法の基本は、観察から法則を導き出す帰納法にある。それがギリシャのアリストテレスが創造した演繹法的論理学との最大の違いである。彼らの帰納法的な思考の淵源は、インド文法学の伝統と、さらにさかのぼってブッダの「縁起」の教えにあると推測される。本書は、インドにおいて、どのような論理的思考が、いかにして発展していったか、インドの人々の考え方の基本を、歴史的に明らかにしようとする試みである。
[目次]
第1章 インドに哲学はあるか?
第2章 インド論理学の構造
第3章 インドにおける討論の伝統
第4章 帰謬法―ナーガールジュナの反論理学
第5章 インド人の思惟方法―帰納法
商品の返品について

11:17 午前  
Blogger yoji said...

5つ星のうち 5.0「仏教論理学」は成仏の役に立つのか?
投稿者 vivekatrek VINE メンバー 投稿日 2012/2/25
形式: 新書
 凡夫を「悟り」に導いたブッダ釈尊の教法を論理の視点から明確にするのでなければ、「仏教論理学」など世俗諦でしかないと私は考える。それを確認すべく、幾つかの本を読んでみたが、仏教独特の論理用語の説明に終始するだけで、釈尊の教法である成仏法(三十七菩提分法)を明確にする論理は皆無であった。
 本書も、インド論理学を丁寧に解説し、「遍充関係」までベン図で紹介しているが、ウッディヨータカラの十六因説も、見かけ上の4つの独立した領域の組み合わせ数=4C4+4C3+4C2+4C1+4C0=16の説明に過ぎないと分かるだけである。そうした論理を理解したところで凡夫の人間が聖者に進化するための仏道修行の役に立つ訳では無い。

 集めた仏教論理学の著作を廃棄しようと決意した時、ツルティム・ケサン(白館戒雲)師の国プロ翻訳事業<論理学・認識論の研究 I および II :『量評釈』第2章および第3章>が図書館にあることを知り、それを読み、その“あとがき”を読んで合点が行った。
**********
 インド大乗仏教のディグナーガ(陳那)は主著『集量論』において、仏陀こそがその智恵と慈悲の実践を通じて解脱の希求者にとって「量」(基準)であり、有益なものと有害なものの弁別を教え、人士の利益を達成させる教師であること、聖典の権威性も結局は現量(直接知覚)と比量(推理)に他ならないことを示し、因明学(論理学、認識論)を確立した。
 ダルマキールティ(法称)はその評釈として『量評釈』(知識論評釈、知識批判書とも訳す)を著し、それを大成した。これにはインドでも幾つもの註釈と復註が著され、中観・唯識の哲学の基礎になり、インドの諸学派にも多大な影響を与えた。
 『量評釈』の第2章「量の成立」(「量成就」とも訳す)は、ディグナーガ著『集量論』の帰敬偈に示された「量となった者」「衆生を利益したいと欲する者」「教主」「善逝」「救護者」の五つの呼称を解説し、「仏世尊こそが解脱の希求者にとって量(権威、認識基準)である」と、論証するものである。
 まず、仏世尊の存在は、思惟と行動という因の円満二つと、自利と利他という果の円満二つから捉えられる。「思惟」は「衆生を利益したいと欲する大悲」、「行動」は「無我を証得する智恵を他者のために修習する教主」である。「自利」は「障礙の断除と智・悲の証得を本体とする善逝の特性を具えたこと」、「利他」は「自己が見た道を他者に教えて救護すること」である。
 残り四つの呼称についても順と逆の次第を通じて、彼こそが「量となった者」であることが、確立される。「解脱」は、苦行や儀式などによってではなく、苦集滅道という四聖諦の理解と我執の否定こそにより実現できること、「世間」は何か超越的な存在の造ったものでなく、我々の精神活動とそれに基づいた行動により造られること、よって現世だけでなく過去生と未来生が存在し、慈悲や利他の実践が本質的であるし、智恵や慈悲など精神的なものは身体的なものと異なって訓練を通じて無限に成長しうることを、説いている。
**********
 ツォンカパ・ロサンタクパは、『量評釈』が世俗の学問であるという従来の評価を一変させた。無常、空性といった凡夫にとって不明瞭な事物の真相は、言語や概念を用いてこそ理解されると確信したからだという。

 <『量評釈』第2章および第3章>の膨大な書物の論理を費やして、ディグナーガやダルマキールティが言っていることは「ブッダ釈尊の教法は正しい」だけである。『四念処法』等の『三十七菩提分法』の極意を論じている訳では無い。四沙門果の聖者の真義を説き明かしている訳ではない。拍子抜けするとはこういうことである。
結局、ディグナーガもダルマキールティも釈尊の教義は理解できていなかったと言わざるを得ない。これではインドで仏教が滅びたのも当然である。
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5:21 午後  
Blogger yoji said...

自分が推薦するのはこの二冊

東洋の合理思想 (1970年) (講談社現代新書) 末木 剛博
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9BWPY/

インド人の論理学―問答法から帰納法へ (中公新書) 桂 紹隆
https://www.amazon.co.jp/dp/4121014421/

特に前者は幅広くわかりやすくてオススメ
仏教の論理学的側面を知るには後者

4:19 午前  
Blogger yoji said...

自分が推薦するのはこの二冊

東洋の合理思想 (1970年) (講談社現代新書) 末木 剛博
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9BWPY/

インド人の論理学―問答法から帰納法へ (中公新書) 桂 紹隆
https://www.amazon.co.jp/dp/4121014421/

特に前者は幅広くわかりやすくてオススメ
仏教(vs.バラモン)の論理学的側面を知るには後者

4:21 午前  
Blogger yoji said...


http://manikana.la.coocan.jp/canon/mahavagga.html
『アングッタラ・ニカーヤ』Ⅲ.67(PTS Text,Vol.1,pp.197-8)
三の集まり 大なる章 67

1.比丘たちよ。つぎのような三つが、討論に関することがらである。三つとは何か。
比丘たちよ。過去の時については、「過去の時に、このようであった」と語らねばならない。あるいは、比丘たちよ、未来の時については、「未来の時に、このようであろう」と語らねばならない。あるいは、今現在に関しては、「今現在このようである」と語らねばならない。


2.討論を通じて、(相手の)人がともに語るにふさわしいのかそうではないのかを知らねばならない。比丘たちよ。もしある人が質問されて、断定的に解答すべき問いに、断定的に解答せず、分けて答えるべき問いに、分けて解答せず、反問して答えるべき問いに、反問して解答せず、捨て置くべき問いを捨て置かないならば、このような人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしくないのである。

またもし、比丘たちよ、もしある人が質問されて、断定的に解答すべき問いに、断定的に解答し、分けて答えるべき問いに、分けて解答し、反問して答えるべき問いに、反問して解答し、捨て置くべき問いを捨て置くならば、このような人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしいのである。

1:32 午後  
Blogger yoji said...

心にしみる原始仏典
http://manikana.la.coocan.jp/canon/canonindex.html
http://manikana.la.coocan.jp/canon/mahavagga.html

1:34 午後  
Blogger yoji said...

心にしみる原始仏典
http://manikana.la.coocan.jp/canon/canonindex.html
http://manikana.la.coocan.jp/canon/mahavagga.html
『アングッタラ・ニカーヤ』Ⅲ.67(PTS Text,Vol.1,pp.197-8)
三の集まり 大なる章 67

1.比丘たちよ。つぎのような三つが、討論に関することがらである。三つとは何か。
比丘たちよ。過去の時については、「過去の時に、このようであった」と語らねばならな
い。あるいは、比丘たちよ、未来の時については、「未来の時に、このようであろう」と
語らねばならない。あるいは、今現在に関しては、「今現在このようである」と語らねば
ならない。


2.討論を通じて、(相手の)人がともに語るにふさわしいのかそうではないのかを知ら
ねばならない。比丘たちよ。もしある人が質問されて、断定的に解答すべき問いに、断定
的に解答せず、分けて答えるべき問いに、分けて解答せず、反問して答えるべき問いに、
反問して解答せず、捨て置くべき問いを捨て置かないならば、このような人は、比丘たち
よ、ともに語るにふさわしくないのである。

またもし、比丘たちよ、もしある人が質問されて、断定的に解答すべき問いに、断定的に
解答し、分けて答えるべき問いに、分けて解答し、反問して答えるべき問いに、反問して
解答し、捨て置くべき問いを捨て置くならば、このような人は、比丘たちよ、ともに語る
にふさわしいのである。

1:35 午後  
Blogger yoji said...

ブラフマンー祭祀ーアートマン  バラモン
無ーーーーー空・悟りーーー色  仏教
イデアーーー人間ーーーイドラ  プラトン
神ーーーーーキリストーー人間  キリスト教
実体ーーーー属性ーーーー様態  スピノザ
モナド−ーー個体化ーーー世界  ライプニッツ
物自体ーーー範疇ーーーー現象  カント
意志ーーーーイデアーーー表象  ショーペンハウアー

12:43 午前  
Blogger yoji said...

日本への影響 編集

パーニニの文法体系が仏教伝来とともに日本に伝えられ、空海の『声字実相義』などにもその影響が見られる。

外部リンク

6:21 午前  
Blogger yoji said...

http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-writing/post-6.html

声字実相義
 声字実相という言葉は大日経疏巻七に「如来の一一の三昧門の声字実相は有仏無仏法として是の如くなるが故に」と説かれるところに見出され、それは大日経巻二具縁真言品における真言の相を解釈するところである。
 従来の仏教では言語文字は真如実相を表現し得ないとしているが、大師は大日経疏の思想に基づいて、声字がそのまま実相であると主張する。この思想は具体的には法身説法の思想を明らかにしたものである。法身説法の思想はすでに弁顕密二教論等で説かれ、それが顕密を区別する密教の特色の一つとされたが、その法身説法の思想を詳説したものが本書であるといえうる。
 本書は第一叙意、第二釈名体義、第三問答の三段から成っている。
 第一の叙意は声字実相の大意を叙述したもので、その中に「如来の説法は必ず文字による、文字の所在は六塵その体なり。六塵の本は法仏の三密これなり」といい、また「名教の興りは声字にあらざれば成ぜず、声字分明にして実相顕わる。いわゆる声字実相とはすなわちこれ法仏平等の三密、衆生本有の曼荼なり」ともいう。
 第二の釈名体義では、釈名と釈体との二段に分け、釈名の段では声と字と実相との名を解釈し、声字実相の関係を六合釈にあてて説く。つぎの釈体の段では、初めに経証として大日経具縁真言品の「等正覚真言」の頌を引き、この頌を釈して、平等の法仏は実相、真言は声、言名は字であるとし、また阿字本不生がそのまま声字実相であるともいう。
 つぎに正しく体義を釈す段では、「五大皆有響」の頌をつくって、一、声の体と、二、真妄の文字と、三、内外の文字と、四、実相との四項目に分けて考究している。この中、 一、声の体を考究して、内外の五大は悉く声響を具し、五大は声の体であり、音響はその用であるという。
二、真妄の文字を考究する段では、九界の文字は妄であるが、仏界の文字は真実であり、これが真言という秘密語ともいわれる。字母は阿等であり、その名字の根本は法身であるという。
三、内外の文字を明かす段では、六塵に各々文字の相があるとし、その中、とくに色塵を明かすに「顕形表等色」の頌をつくり、これを解釈して、有情と器世界とが相互に依報となり正報となる思想や、法然所成の法身の身土と随縁所成の報身・応化身・等流身の身土の思想などを説いている。
四、実相を考究する段は説かれていないが、その意味は叙意の中や、等正覚の頌の中で汲みとることができる。
 第三の問答の段も説かれていない。それd古来この書は未完成であるともいわれている。

 本書の著作年代は明らかでないが、「五大の義は即身成仏義の中に釈するが如し」とあるから、即身成仏義より後の著作である。
(『弘法大師著作全集』第1巻(山喜房仏書林、1968年)解説、勝又俊教)


【要文名句】               
●それ如来(大日)の説法は必ず文字による、文字の所在は六塵(色・声・香・味・触・法、つまり六境)その体なり。六塵の本は法仏の三密これなり。
●いわゆる声字実相とはすなわちこれ法仏平等の三密、衆生本有の曼荼なり
●五大にみな響あり 十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり
●顕形表等の色あり 内外の依正に具す
法然と随縁とあり よく迷いまたよく悟る
●かの字母とは梵書の阿字等乃至呵字等これなり。この阿字等はすなわち法身如来の一一の名字密号なり。乃至天龍鬼等もまたこの名を具せり。名の根本は法身を根源となす。彼より流出して稍く転じて世流布の言となるのみ。

【関連サイト】              
★ウィキぺディア「空海」
★当サイト「オープンフォーラム」<六塵ことごとく文字>ほか
★当サイト「空海の言語論ー声字実相義<現代語訳>」

【参考文献】               
★『弘法大師著作全集』第1巻(山喜房佛書林、1968年)
★『弘法大師空海全集』第2巻(筑摩書房、1983年)
★『現代語訳 声字実相義』(福田亮成、ノンブル社、2002年)

6:22 午前  
Blogger yoji said...

唯識とはなにか 唯識三十頌を読む (角川ソフィア文庫) Kindle版
多川 俊映 (著)
5つ星のうち 4.3 9件のカスタマーレビュー

商品の説明
内容紹介
唯識仏教の大本山、奈良興福寺の貫首が、身近な例を用いつつ、心のしくみや働きに迫りながら『唯識三十頌』を易しく解説。日常の己をみつめ、よりよく生きるための最良の入門書。『唯識 こころの哲学』を改題。
内容(「BOOK」データベースより)
あらゆる現象は心によって生み出されると説く「唯識」。『唯識三十頌』は、5世紀のインドの学僧・世親が、教説を30の詩句で簡潔に示す根本聖典である。その教えの真髄を、玄奘三蔵の漢訳をもとに、本文を書下し、現代語訳。「私」とは何か、「心」とは何か―。唯識仏教の大本山、奈良・興福寺の貫首が、身近な例を用いながら、心のしくみやはたらきを平易に解説。日常の自己をみつめ、よりよく生きるための最良の入門書。
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4:31 午前  
Blogger yoji said...

【本文 】 【書下し 】 〔帰敬の頌 〕 1稽首唯識性唯識性において 、 2満分清浄者満に分に清浄なる者を稽首す 。 3我今釈彼説我 、今 、彼の説を釈し 、 4利楽諸有情諸の有情を利楽せん。

〔帰敬の頌 〕すべてはわが心の展開だという真実を前にして 、私は 、仏陀と菩薩 、とりわけその真実を簡潔に示された世親菩薩に深く首を垂れます 。そして 、その真実の世界に 、私もまた深く分け入り 、あらゆるもの ・あらゆることがらを心の問題とし 、すべてを心の要素に還元して考え 、いのちあるものたちを利楽したいと思います 。

4:32 午前  
Blogger yoji said...

‪わたしは、論理的でないものや、辻褄の合わないものが嫌みたい。でも、きっちり理詰めで話をしても、そもそも論理的でない人には理解してもらえない。他のアプローチを考えなくちゃなんだけど、ううむ、わからん……
池澤春菜20180926


インドの論理学は三段論法ではなく比喩を間にひとつ必ず入れた四段?五段?論法になっているらしいです。火のないところに煙は立たない、とかもそうした比喩の一つらしいです。昔読んだ中公新書のインド論理学の曲解ですが。‬

5:58 午前  
Blogger yoji said...

インド人の論理学―問答法から帰納法へ (中公新書) 新書 – 1998/10
桂 紹隆 (著)

6:02 午前  
Blogger yoji said...

射精後の「賢者タイム」、その原因はとあるホルモンにあった?

2015.5.16 07:00dot.#セックス#朝日新聞出版の本#男と女




「賢者タイム」はホルモンが影響?(※イメージ)
「賢者タイム」はホルモンが影響?(※イメージ)


 この「賢者タイム」、実は性別問わずヒトの体内で生成されるとあるホルモンが影響しているということをご存知だろうか。

 女性ホルモンや男性ホルモンなど、ホルモンにまつわる話をまとめた書籍『なんでもホルモン』(朝日新書)によると、この「賢者タイム」の正体はプロラクチンというホルモンの作用だという。プロラクチンは通称「ミルクホルモン」と呼ばれ、その名の通りミルクに関係したホルモンで、成長ホルモンと同じく思春期に分泌され、乳腺を発達させる。つまり、授乳には欠かせない女性にとって大切なホルモンなのである。

 そんなプロラクチンにはもう一つ、少し面白い作用がある。私たちはしばしば、何かに熱中している時や何かをどうしても手に入れたいという感情に駆られた時に「ドーパミンが出ている」と表現するが、プロラクチンにはこのドーパミンの分泌を抑制させる力があるという。要するにプロラクチンが増えれば執着心が薄れていくというのである。「賢者タイム」がプロラクチンの作用と関係があるのは、そのためだ。

 セックス後のパートナーとの雰囲気にいら立ちを覚えがちな女性も、「ホルモンのせいだから、仕方ない」と思えば、少しはその不満も解消されるかもしれない。

11:31 午前  
Blogger yoji said...

https://dot.asahi.com/dot/2015051200064.html?page=2

11:31 午前  
Blogger yoji said...

賢者タイム
阿修羅タイム

11:36 午前  
Blogger yoji said...

賢者タイム→勇者タイム→愚者タイム→賢者タイム→

11:38 午前  

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