月曜日, 4月 22, 2013

歴史学:インデックス

                       (リンク::::::歴史学
NAMs出版プロジェクト: 歴史学:インデックス
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ユリウス・カエサル
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パリ不戦条約 1928年
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ダイアモンド博士の“ヒトの秘密”
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マクニール『世界史』:メモ
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NAMs出版プロジェクト: 『流れ図で攻略詳説世界史B』谷澤伸:章立て
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柄谷行人『世界史の構造』『哲学の起源』『帝国の構造』:メモ
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NAMs出版プロジェクト: ヘロドトス『歴史』:メモ
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『大転換 』ポランニー K. Polanyi The Great Transformation 1944
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ブローデル
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ウォーラーステイン 世界システム論 Immanuel Wallerstein World-Systems Theory 1974
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ウイットフォーゲル
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日本史:メモ
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佐藤優が読む 「 隣国の歴史教科書」ロシア編[2017/10/25]&韓国&中国
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中国文明の謎(NHK):メモ 
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NAMs出版プロジェクト: 宮崎市定全集:塢(う)について
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NAMs出版プロジェクト: 無為=レッセフェール(laissez-fair)
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NAMs出版プロジェクト: 墨子関連
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NAMs出版プロジェクト: 栗本慎一郎インタビュー 2012年 他
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『137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史』:書評
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( 大陸移動説:メモ )
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(全生物の系統樹、円形バージョン)  
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ヘーゲル体系:歴史(図解)
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NAMs出版プロジェクト: ヘーゲル世界史 (ヘーゲルとナポレオン)
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カント『世界公民的見地における一般史の構想』(1784):メモ
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NAMs出版プロジェクト: イスラムの進化論:メモ
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NAMs出版プロジェクト: 博物学(Natural history):インデックス
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_91.html

考古学関連:
201605 【歴史】カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を発見(付エジプトピラミッド=オリオン座説)
 http://nam-students.blogspot.com/2016/05/201605.html


参考:
半藤一利『昭和史上』より、40年史観

NHK SWITCHインタビュー 達人達(たち)「宮崎駿×半藤一利」より
(正確にはペリー来航1853ではなく開港1865)

41 Comments:

Blogger yoji said...

カント再読 - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-42.html
『判断力批判』においてカントが考えていたのは、実は、進化論の問題だった。いうまでもないが、進化論はダーウィン以前からあった。たとえば、ライプニッツも進化論的であった。カントはそれを批判的に吟味したのである。ついでにいうと、カントは『判断力批判』以後も、人間史(一般史)における「進化」の問題について、同様の観点から考えた。《ところで我々はこの場合に、作用する様々な原因の集合をエピクロス風の考えに従って、――諸国家は物質の微塵すなわち原子と同じく、偶然的な衝突に依って有りとある形態をとるが、これらの形態はまたもや新たな衝撃に依って破壊され、このような過程が何度となく繰返されたあげく、その形態を永く保持しうるような形態をいつかは偶然に獲得する(これはとうてい起こりそうもない僥倖である)、というふうに考えてよいのだろうか。それとも、自然は、この場合にも規則正しい経過を辿り、われわれ人類を導いて動物性という低い段階から人間性という最高の段階に到らしめ、しかもその方法としては、なるほど人間から無理取りしたにせよ、しかしもともと自然の意図に出づる巧みな手段を用い、こうして一見したところ野放図な無秩序のさなかに、自然が人間に与えた根源的素質を、極めて規則正しく開展する、というふうに考えてよいのだろうか》(「世界公民的見地における一般史の構想」)。

5:20 午前  
Blogger yoji said...


http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=63936611
馬の家畜化と搾乳は5500年前から


Mason Inman
for National Geographic News
March 6, 2009

 乗馬とウマの搾乳の先駆者は、いまはカザフスタンの国土となっている広大な草原に暮らしていた人々だった。少なくとも5500年前、この地域の人々がウマを家畜として飼い慣らしていたという新しい証拠が見つかった。


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友人に教える
「ウマを食用としただけでなく、その乳も利用していた。この地域では、非常に早い段階から乗馬と搾乳の両方が行われていた」と、今回の研究を指揮したイギリス、エクセター大学の考古学者アラン・ウートラム氏は話す。この発見により、ウマの家畜化の開始時期は1000年早まることになる。

ウマがいつ頃から家畜化されていたかについては長年の研究対象だった。なぜなら、荷物の運搬を動物に頼ることで人間社会が一変したからである。物資の輸送がスピードアップし、遠隔地交易が実現され、新しいスタイルの武力衝突が始まったのだ。

 以前の研究では、3600~3100年前にカザフスタン北部に生きていたボタイ人の間で、ウマが家畜化されていたことを示す状況証拠が見つかっていた。馬具の作製に使用したと考えられる革細工道具が発見されていたのである。

 今回の研究では、過去数年間にボタイ遺跡で出土した骨や陶器の調査が行われた。「ボタイでウマが家畜化されていたことを示す、まったく異なる3つの証拠を入手できた。どれも強力な証拠だ」とウートラム氏は言う。同氏の研究成果は、3月5日発行の「Science」誌で発表された。

 1つ目の証拠は、歯の摩耗(まもう)である。出土したウマの骨を調べたところ、数頭のウマの歯にはハミ(馬銜、銜)という馬具を噛んでいたと考えられる摩耗があった。研究チームは、すり切れた歯の1つは紀元前3500年頃のものと推定している。2つ目は野生種と比べて細い脚の骨で、これは家畜化されているウマの特徴である。3つ目の証拠は、陶器のつぼの縁辺りに相当する破片から検出されたウマの脂肪と馬乳の脂肪分だ。

 ニューヨークにあるハートウィック大学の考古学者デイビッド・アンソニー氏に専門家の意見を聞いたところ、「土器に付着した脂肪で、ウマの脂肪組織だけでなく、馬乳の脂肪も特定できたことは非常に重要なことだ。野生のウマから搾乳はしない」と述べている。

 以上の証拠から、人類はウマを家畜化してまもなくその乳の利用を思い付いたらしい。この伝統は現在のカザフスタンでも引き継がれている。しかし、搾乳という発想が生まれたきっかけは明確になっていない。ウートラム氏は、「人類は思っていたよりはるかに独創的なのかもしれない」と語っている。

Photograph courtesy of Alan K. Outram

8:33 午前  
Blogger yoji said...

【考古】遺跡・遺物の木材の年代測定に1年単位の新測定法、確率ほぼ100%/名大
1 :一般人φ ★:2013/06/04(火) 23:45:23.50 ID:???
 遺跡や遺物の年代を、樹種を問わず、少量の試料で測定できる画期的な木材の年代測定法を、名古屋大大学院
環境学研究科の中塚武教授(気候学)が考案した。1年単位の高精度で安く短時間に、年代測定ができるという。
論争が続く弥生や古墳時代の開始時期など、考古学や歴史学に多大な影響を与えそうだ。7月に開かれる
日本文化財科学会の年次大会で発表される。【伊藤和史】

 新しい測定法は、木材の年輪に含まれるセルロースの酸素同位体比が、年ごとの降水量に左右される現象を
応用した。

 雨が多い年は軽い酸素同位体の比率が高くなり、少ないと重い同位体の比率が高くなる。このためセルロースには、
年輪が成長する夏季の降水量の多寡の情報が1年ずつ保存されている。

 中塚教授は現代から2000年前までの木材を測定し、1年ごとの変動パターンを突き止めた。さらに、
北海道などの一部を除き、日本列島の各地域で樹種を問わず、同様の変動パターンが表れる見通しも立った。

 これにより、50年ほどの年輪が残る木材の酸素同位体比の変動パターンを測定し、データと照合すれば、
ほぼ100%の確率で年代が特定できるという。

 遺跡や遺物の年代測定法としては、樹木年輪の1年ごとの幅を測る年輪年代法があるが、100年以上の
年輪が必要で樹種も杉やヒノキなどに限られる。また、放射性炭素14年代法は測定費が高く、必ず誤差を伴う。

 新測定法にはそうした弱点がない。現在、3500年前までの木材を測定しデータを集める作業も進めている。

 ◇ことば:酸素同位体比
 酸素には原子核に含まれる中性子の数により、重さの異なる3種の安定同位体がある(質量数16、17、18)。
地球化学では、質量数18の数量を16の数量で割った数値を「酸素同位体比」として盛んに利用している。

.▽記事引用元 毎日新聞(2013年06月03日 08時25分)
http://mainichi.jp/select/news/20130603k0000e040107000c.html

11:34 午前  
Blogger yoji said...

【考古】カンボジアの密林に幻の古代都市構造を発見 上空のヘリコプターから地表にレーザーを照射して探査/筑波大など
1 :白夜φ ★:2013/06/29(土) 01:16:28.62 ID:???
カンボジアの密林に幻の古代都市 アンコール遺跡群調査


カンボジア北西部のアンコール遺跡群から約30キロ離れた場所に、古代クメール王朝が8~9世紀に築いた首都の遺跡を見つけたと筑波大が参加する国際研究チームが28日、発表した。
密林に覆われた幻の古代都市の全容を明らかにする成果という。

遺跡は、王朝の最も初期の首都「マヘンドラパルバタ」とされ、これまで点在するれんが造りの寺院などが確認されていたが、都市が実在するかは謎だった。

チームは昨年4月、上空のヘリコプターから地表にレーザーを照射して探査。
レーザーは樹木の隙間から地表に届くため、密林に覆われていても正確に地形が分かる。

2013/06/28 20:33 【共同通信】
____________

▽記事引用元 47NEWS 2013/06/28 20:33配信記事
http://www.47news.jp/CN/201306/CN2013062801002310.html

クメール王朝の遺跡を上空からレーザーで調べた結果のCG画像。見つかった遺跡を赤で示している(クメール考古学ライダー研究コンソーシアム提供)
http://img.47news.jp/PN/201306/PN2013062801002314.-.-.CI0003.jpg

▽関連
筑波大学
空中からのレーザースキャンによりカンボジア・アンコール遺跡群にて巨大な古代都市構造を発見
http://www.tsukuba.ac.jp/wp-content/uploads/press20130628Cambodia.pdf

7:17 午後  
Blogger yoji said...

「東京大空襲なんて初めて知りました」:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130724/251502/?P=6
家父長制とテストステロンと多様性にどのような関係が・・・男性中心社会である、ということが現在、多様性を損なっている原因、ということですか。

ロイド:そうそう。社会にテストステロンが多すぎるんですよ。「マッチョ」すぎるのです。もしあなたが、お子さんのためにより良い社会を築きたいと考えるなら、長期的な視点で持続可能な社会を作るべきだと考えますよね。そこには女性的な視点が必要になるのです。男性はそもそも長期的に考えることが得意ではありません。少しでも多く種を蒔きたがるようにできている。

はぁ…。

ロイド:しかし女性というのは、1つ1つの種を確実に耕したいと考える。一般的にですよ。だから、その生物的なバランスが考え方の上でも大事なのです。すべての人々が今、バランスを求めているのです。そんな問題意識があって、私は、男性が権力を握っていった過程をこのように本に書きました。

 少なくとも西洋の文化では、家父長制が始まったのは馬を飼いならしたことに始まる。馬に乗った男性は、徒歩の男性の5倍強くなれる。もっと背が高くなり、もっと速く走れ、もっと大きな武器を運べる。だから馬を飼いならしていない社会では家母長制の文化もあった。古代ミノス文明がそう。しかしミケーネ人とギリシア人が侵攻し、さらに不運なことに津波に襲われた。そのあとにミケーネ人が入り込んで馬を飼いならしてからは、家母長制はなくなった。その文化が古代ギリシア文化へ伝わり、中東に伝わり、さらにはローマ時代を経て、果ては英国の騎士道につながった…というわけですよ。全部、馬が関係しています。770年ごろ、遠征で軍事的な力を拡大していった、欧州のフランク王国におけるカール大帝の登場は象徴的ですね。

より巧みに馬を征する者が社会を征するようになったと・・・

現代のパワーバランスにつながる転機は16世紀

ロイド:ちなみに西洋文明がなぜ、海上を征し、貿易に精を出して植民地政策をとることができたのか。そのポイントは16世紀ごろにあると思います。マルティン・ルターの宗教改革があったころ。英国の王がヘンリー8世だったころです。ヘンリー8世は世継ぎが必要でしたが、6人の妻は誰も息子を生まなかった。離婚するか、妻をギロチンにかけるしか選択肢はない。

 そこで離婚を認めないローマ教皇とモメにもめた。あげくイギリス国教会を立ち上げて、修道院を廃止してしまい、その富をすべて「略奪」して国庫に納めました。にわかに大金持ちになったヘンリー8世は何をしたか。強力な軍艦を作りました。コロンブスやバスコ・ダ・ガマの活躍を見て、海を征するものは世界を征す、と知っていたからです。

 一方で、同時期に鄭和の大艦隊を誇っていた中国は、周辺の侵攻に悩んだあげく海上覇権をあきらめて陸の強化に力をシフトし、万里の長城を築きます。そんなわけでインド、中国など東洋には海上を征する存在がなかった。そういった歴史の偶然のおかげで大英帝国は、海洋で最も強い存在となれたわけです。

4:28 午前  
Blogger yoji said...

歴史探偵 半藤一利さん(2)歴史は40年サイクルで回っている -- 2009/09/12 -- 注目の読書人インタビュー -- 総合図書大目録
http://www.sogotosho.daimokuroku.com/?index=intdok&date=20090912
●「昭和史」上は40年サイクルで回っている

―昭和以降は40年周期で勃興と衰退を繰り返しているというお話が印象的でした。

40年史観といいますか、歴史を現象だけでみていくと、きちんと40年周期で回ってるんです。アメリカの占領下にあった昭和26年までの間、日本に主権はなかった。戦後日本というのは昭和27年、1952年から始まったわけです。それから成長期がずっと続いて1989年にバブル最盛期を迎えます。そして冷戦構造解体後の1992年にはバブルがはじけ、株が暴落して景気が悪くなる。困ったことに戦後のスタートから数えるとぴったり40年なんですね。

―歴史のサイクルからすると、バブル崩壊40年後の2032年まで日本は衰退の過程にあると考えるべきなんでしょうか?

あと23年残ってますね(笑)。しかし、この滅びのサイクルを止める方法はあります。今のうちにみんなできちっと考えて、選択を誤らなければいいんですよ。民間人を含めて310万人もの犠牲者を出して戦争をやった教訓をきちんといかして、その都度その都度迫られる選択を誤らなければいい。何のためにたくさんの人々が犠牲になったのかということを私たち現代人が学んで、過ちを繰り返して国を滅ぼすようなことをしないということです。

1:25 午前  
Blogger yoji said...

【古人類】ネアンデルタール人の新たな道具発見、皮革加工に使用。初期の現生人類より先進的な道具を持っていた証拠/フランス
1 :一般人φ ★:2013/08/17(土) 16:53:38.80 ID:???
【8月13日 AFP】ネアンデルタール人が初期の現生人類ホモ・サピエンスよりも進んだ道具を持っていたことの初の証拠
となり得る、皮革加工用の精巧な骨角器がフランスの洞窟で見つかった。研究者らが12日、発表した。

 米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に12日発表された
研究によると、フランス南西部で近接するペシュ・ド・ラゼ(Pech de l'Aze)洞窟とアブリ・ペイロニ(Abri Peyrony)洞窟から、
皮をなめすために使われた骨角器の破片4個が見つかった。シカの肋骨(ろっこつ)からできたなめらかなへりと丸い
両端を持つ道具で、前後に動かして皮をなめし、しなやかさや光沢、耐水性などを与える。研究チームによれば、
これと似た道具を現代の皮革加工職人も使うという。

 放射性炭素年代測定では約5万年前のものと判定されており、欧州で発見された骨角器としてはこれまでで
最も古く、現生人類がネアンデルタール人に置き換わった約4万年前よりも前に使われていたことになる。

 ネアンデルタール人が石器を使うことはよく知られている。一方、石器よりも進んだ骨角器の使用は、
現生人類によってネアンデルタール人にもたらされたと多くの考古学者たちは考えてきた。今回の発見はまだ
決定的とはいえないが、ネアンデルタール人が自分たちで骨角器を作り出した可能性を示すもので、
ネアンデルタール人と現生人類のどちらが皮革加工のために、いつごろから骨角器を使用していたのかについて、
これまでとは違う見解が導かれる可能性がある。

 これまでにもネアンデルタール人の生息した場所から骨角器は見つかっているが、へら状の削器や端が
鋸歯状のもの、手斧などだった。しかし、論文の主著者で独マックス・プランク進化人類学研究所
(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology)のシャノン・マクファーロン(Shannon McPherron)氏は
「ネアンデルタール人たちが骨の柔軟性を生かし、石器ではできなかった新しい形状を作っていた例だ」と述べている。

 現生人類が考えられてきたよりも早く欧州に到達し、ネアンデルタール人にこの技術を伝授した可能性も
排除できないが、ネアンデルタール人以外の文化が存在していたことを示す道具などは見つかっていない。

 論文の共著者であるオランダ・ライデン大学(Leiden University)のマリー・ソレッシ(Marie Soressi)氏は、
「ネアンデルタール人たちがこうした種類の骨角器を自分たちで作り出したのならば、現生人類は
ネアンデルタール人たちからその技術を獲得した可能性もある。現生人類が欧州に到達したときに持っていたのは
先のとがった骨角器だけで、その後に皮をなめすための道具を作り始めたとすれば、
ネアンデルタール人から私たちの直接の祖先への伝授を示す初めての証拠となり得る」と語っている。

 ネアンデルタール人は最長30万年間にわたって現在の欧州、中央アジア、中東などに生息していた。
約4万年前に姿を消滅した理由については様々な説がある。(c)AFP

▽画像 ネアンデルタール人が住んでいた仏アブリ・ペイロニ(AbriPeyrony)の遺跡から発見された皮革加工用の骨角器(撮影日不明)。
(c)AFP/Pech-de-l'AzeIProjects/AbriPeyrony
http://img.afpbb.com/i-img/image_for_msafari.php?article_id=11179034&mode=normal_detail&.jpg

▽記事引用元 AFPBB News( 2013年08月13日 21:51)
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2961657/11179034


▽PNAS
「Neandertals made the first specialized bone tools in Europe」
http://www.pnas.org/content/early/2013/08/08/1302730110.abstract

7:03 午後  
Blogger yoji said...

【考古】太古の芸術家は大半が女性だった?
1 :一般人φ ★:2013/10/13(日) 14:21:48.00 ID:???
 最近実施された古代人の手形の分析調査から、太古の壁画の大部分が女性によって描かれた可能性が浮上している。
作者が男性という説をだれも疑わなかったが、今後は再考を迫られるかもしれない。

 アメリカ、ペンシルバニア州立大学の考古学者ディーン・スノー(Dean Snow)氏は、フランスとスペインに
ある計8カ所の洞穴を調査。描かれた手形の指の長さを比較したところ、4分の3が女性の作品と判明したという。

 長い間、創作物は男性の作品という固定観念に縛られてきた。作者とその目的について、実は勝手な想像を
巡らしているだけだ」とスノー氏は批判する。

 世界中の洞窟壁画には、多数の手形が描かれている。しかし、太古のバイソンやトナカイ、馬、マンモスなど、
数多くの狩猟対象の動物がまず注目され、多くの研究者が狩猟を行う男性が描いたという説を提唱していた。
今回の研究結果はこれに反論を突き付ける形となる。

「狩猟採集社会で狩りをするのは、ほとんど男性だが、獲物を居住場所まで運ぶのは女性だ。男性と同じように、
狩りの生産性を担っている。バイソンを追いかけ回していれば済むわけではない」とスノー氏は語る。

 スノー氏の新しい研究結果については、さまざまな意見が飛び交っている。

「手形は現代人と旧石器時代の人々とをつなぐ明確な手掛かりとなるため、壁画の研究に皮肉な事実を突き
付けることもある。太古の人々の生活がわかったような気になっていても、調査を進めるほど理解の浅さを
思い知らされる」と、イギリスにあるダラム大学の考古学者ポール・ペティット(Paul Pettitt)氏は述べる。

(本文>>2以降に続く)

▽記事引用元 ナショナルジオグラフィックニュース(October 10, 2013)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20131009002

2 :一般人φ ★:2013/10/13(日) 14:22:10.95 ID:???
>>1続き

◆性差

 10年以上前、イギリス人生物学者のジョン・マニング(John Manning)氏が、男性と女性は指の長さの
バランスに相違点を発見。女性は人差し指と薬指がほぼ同じ長さだが、男性は薬指の方が長くなる傾向があるという。
スノー氏が研究を開始したのも同じ時期だった。

 マニング氏の研究を伝え聞いたスノー氏は、本棚から壁画に関する40年前の書籍を取り出した。裏表紙には、
フランス南部の有名なペシュ・メルル洞窟に描かれた、カラフルな手形が映っている。「直感でほぼ間違いない
と思った。これは女性の手だ」。

 手形はアルゼンチンやアフリカ、ボルネオ、オーストラリアの洞窟でも発見されているが、最も有名なのは、
フランス南部とスペイン北部の洞窟の壁に描かれた1万2000~4万年前の手形である。

 まずスノー氏は、ヨーロッパの洞窟に描かれた数百の手形を調査。大部分はかすれてしまっていたが、
スペインのエル・カスティージョ洞窟の16件、フランスのガルガス洞窟の6件、先述のペシュ・メルル洞窟の
5件を含む、計32件の手形が分析対象となった。

 スノー氏は所属大学の地元で、ヨーロッパ系の人々から手形のデータを収集、それを基に作成したアルゴリズムを
使って数値解析を行った。指の長さや手の長さ、人差し指と薬指または小指の長さのバランスなど、複数の測定
基準に従って性別を判断するアルゴリズムである。しかし共通点も多数あるため、このアルゴリズムも完全に
正確とは言い切れない。現代人の性別を正しく判断できる可能性は60%ほどだったという。

 だが、旧石器時代の人々の手形を分析する際にはさほど問題とならなかった。意外なことに、洞窟の手形は
現代人より性差が大きく、測定基準と照らし合わせると男性と女性で共通する部分がほとんどなかったのである。

「非常にはっきりとした特徴が現れていた。2万年前は、男性はより男性らしく、女性はより女性らしかった
ということだろう」とスノー氏は語った。

◆なぜ手形を残すのか?

 結局の所、分析対象となった32件のうち、24件が女性の手形と判明した。なんと75%が、女性の手による
作品ということになる。

「これは画期的な成果になる」と、カリフォルニア州テハチャピにある考古学研究のコンサルティング会社
「ASM Affiliates」の考古学者デイブ・ホイットリー(Dave Whitley)氏は評価する。「壁画の手形に関して、
ここ5年間ほど議論が紛糾しているが、具体的な実測データがまとめられたのは初めてと言えるだろう」。

 実り多い研究ではあるが、それ以上に多くの疑問点が生まれることとにもなった。なぜ女性作者が多いのか。
女性が描いていたのは手形だけなのか、それともほかの絵も描いていたのか。あるいは、作者が現生人類ではなく
ネアンデルタール人だった場合でも、この測定データは通用するのか。

 しかし作者の性別はさておき、スノー氏が最も気になる疑問は、なぜ古代人はそもそも壁に手形を描いたのか
という点だという。

「確かなことはわからないが、“自分が描いた絵だ、作者は自分だ”ということを示すサインではないかと思う」。

(以上本文引用ここまで)

5:48 午後  
Blogger yoji said...

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/102450
2013/08/04 「アイヌは交易を重要視し、市場依存型の社会を形成していた」 ~岩上安身による旭川市博物館 主幹 瀬川拓郎氏インタビュー







 アイヌ研究者の瀬川拓郎氏は、アイヌの歴史と文化について、旧石器時代からの縄文人とアイヌの関連性、他の民族との関係や経済システムなどについて語った。さらに、「アイヌの人たちは、サハリンで元朝(モンゴル)と戦争をしている」と述べ、意外な歴史の一面を紹介した。

 2013年8月4日、北海道の旭川市博物館にて、同館主幹の瀬川拓郎氏に、岩上安身がインタビューを行なった。瀬川氏は北海道出身の考古学者で、『アイヌ・エコシステムの考古学』『アイヌの歴史』『アイヌの沈黙交易』など、アイヌに関する多数の著書がある。


■旭川市博物館HP http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/hakubutsukagaku/museum/



◆旧石器時代から縄文時代、そして弥生時代へ

 冒頭、岩上は「以前から、日本の歴史や起源に興味があり、縄文人や、その末裔とも考えられるアイヌの人たちについて学びたかった。それらの歴史は、現在の日本人の国家観にも反映されているのではないかと思う」と前置きして、まず、縄文人とアイヌについての関連性を尋ねた。

 瀬川氏は「現在の説では、2万数千年前、日本列島に移ってきた旧石器時代の人たちを、縄文人の祖先としている。彼らは、沖縄から北海道まで全域に定住していた。縄文系は彫りが深く、濃い顔だちで、耳あかが湿っているのが特徴と言われる。二重構造モデル(縄文人と他民族との混血化)もあり、縄文人も単一民族ではなく多様性があっただろう。土器に関しては、縄目文様という共通性があり、縄目の意味は滑り止めという説があるが、もっと精神的な意味合いもあったのではないか」と語った。

 続けて、「旧石器時代と縄文人とは歴史的な断絶が見られないので、つながっている可能性は高い。ただ、旧石器時代は氷河期なので、縄文とそれ以前とでは、生活様式はかなり違っていただろう。DNAや遺跡の研究から、縄文人は他民族との活発な交流はなかったようだが、紀元前数百年頃から、大陸から弥生人の流入があり、二重構造モデルは定説になった」と述べた。

 「縄文時代も含め、多くの人間が往来して、文化の変容が繰り返し行なわれていたと考えたほうがいい。本州が弥生時代の時、北海道は続縄文時代。のちに擦文(さつもん)時代(7~13世紀ころ)になり、擦文土器が出土する。その装飾はヘラで『擦る』デザインだった」。こう語る瀬川氏に、岩上が「アイヌの伝統衣装のデザインは、袖口や襟ぐりに文様が施されている。魔除けの意味だと聞いた」と言うと、瀬川氏は「魔物が入ってこないようにと、口元などに装飾が施されることが多い。土器の口に装飾が多いのも、魔除けの意味ではないか」と話した。

◆オホーツク人や元(モンゴル)との攻防

 瀬川氏は、弥生時代以降の北日本、北海道の文化について、「一般的に13世紀以降をアイヌ文化と言うが、それは歴史的にたどれる、という意味であって、アイヌ文化が発生したということではない」と述べた。その上で、「7世紀頃、アイヌとはまったく違うオホーツク人がサハリンから南下してくる。当初はアイヌと共存していたが、本州との交易で貴重なオオワシの羽をめぐって、10世紀ぐらいから、オホーツク人とアイヌの間に利害対立が生まれた。結果、11世紀後半の北海道には、日本海側と太平洋岸に2つの擦文文化があり、道東のトビニタイ文化(のちに擦文文化に吸収される)を入れて、大きな3つの文化圏ができた。この頃、アイヌ文化のアウトラインができたと考えられる」と見解を述べた。

 岩上が、アイヌと元(モンゴル)の戦いについて尋ねると、瀬川氏は「アイヌの人たちは11世紀頃から、狩り場を求めてサハリンへ渡っていた。それが13世紀半ばに拡大して、先住民とのトラブルが起こった。当時、サハリンの先住民を支配していたのは元。そのため、元とアイヌは半世紀にわたって、夏になると戦争をやっていた。アイヌ排除のため、元は1万人規模の軍隊を派遣したと言われている」と意外な史実を語った。

◆縄文人と蝦夷、アイヌの関係

 さらに岩上が、蝦夷(えみし。大和朝廷時代、関東、東北、北海道に住んでいた人々を指す)について、「縄文人の末裔が、蝦夷なのか。アイヌとはつながるのか」と質問すると、瀬川氏は「蝦夷がアイヌなのかどうか、はっきりしない。7世紀後半に、蝦夷が札幌や千歳に入ってきて農耕や祭祀文化をもたらし、擦文文化が興ったとも言われている」と答えた。

 また、「縄文文化が、日本文化にどれだけ影響したかは判断がむずかしい。同様に、縄文人がアイヌの祖先とも断言できない。たとえば、縄文文化では、ゴミ捨て場は貝塚が基本。そこに何でも、遺体すら捨てた。しかし、アイヌのゴミ捨て場は、上位から動物の骨、魚、生活ゴミというように分別されていた。縄文人とアイヌ人の精神性は、かなり違っている」と所見を述べた。

◆日本との交易を重視していたアイヌ

 瀬川氏は、アイヌと和人(アイヌから見た日本人)の関係について…



このアーカイブの完全

古代の蝦夷がアイヌと断言できる証拠はない。 ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/PdCaoi9jXM)
hiroezk 2013-09-28 21:14:09

旭川市博物館(http://t.co/gT8QuAQT1y)サイトの説明から→元との戦い http://t.co/G6Y983FOVZ ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/h7IotOfr6c)
soraito21 2013-09-28 21:19:58

【IWJ・UST】9月29日(日)15時から、Ch1では「岩上安身による木村朗氏インタビュー」を配信します。鹿児島大学教授に日米関係や秘密保全法などについて聞く Ch1→ ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/yFOsLEBD2o )
iwakamiyasumi 2013-09-28 21:22:33

縄文時代には「ゴミ」という概念がなかったらしく、役割を終えたものをすべて(遺体も)同じ場所に葬った。 ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/PdCaoi9jXM)
hiroezk 2013-09-28 21:24:26

イヨマンテ? ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/h7IotOfr6c)
soraito21 2013-09-28 21:24:52

古墳時代に北海道のアイヌが南下して東北に進出し、「ナイ(=川)」などに代表される地名を残していった。 ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/PdCaoi9jXM)
hiroezk 2013-09-28 21:33:40

和人とアイヌの関係。文化交流などというものではなく、利害に突き動かされたされた関係。 (#iwakamiyasumi live at http://t.co/PdCaoi9jXM)
hiroezk 2013-09-28 21:40:21

沈黙交易。対面を忌避する交易。疫病が原因と。 ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/PdCaoi9jXM)
hiroezk 2013-09-28 21:44:23

疫病除けと言えば、「蘇民将来」ですねえ。 ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/PdCaoi9jXM)
hiroezk 2013-09-28 21:45:09

松前藩の支配が、アイヌの伝統社会を破壊。漁場を奪われ一介の賃金労働者に強要された。明治の同化政策で言葉も文化も奪われた。 ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/PdCaoi9jXM)
hiroezk 2013-09-28 21:49:38

アイヌは、狩猟(移動生活)が核であったために、固定的な社会制度が不要だった。王権なども成立しなかった。 ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/PdCaoi9jXM)
hiroezk 2013-09-28 22:07:54

和人とアイヌの歴史を学んで、米国と日本の関係に思いをはせます。 ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/PdCaoi9jXM)
hiroezk 2013-09-28 22:22:08

配信お疲れ様でした。日本の古代史にはまだまだ未解明なことが沢山あることが分かりました。勉強になりました。ありがとうございました。 ( #iwakamiyasumi live at http://t.co/QoEgyoXROE)
uedayukimura 2013-09-28 22:25:09
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アイヌ, インタビュー, 岩上安身, 瀬川拓郎

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3:12 午後  
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%B5%B7%E7%B5%8C
山海経
『山海経』(せんがいきょう、山海經、中国語 Shān Hăi Jīng)は、中国の地理書。中国古代の戦国時代から秦朝・漢代にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書(地誌)とされる。

目次 [非表示]
1 概要
2 山海経の神々と妖怪
3 構成
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
概要[編集]

『山海経』は今日的な地理書ではなく、古代中国人の伝説的地理認識を示すものであり、「奇書」扱いされている。著者は禹の治水を助けた伯益に仮託されるが、実際は多数の著者の手によるものと考えられる。

劉歆が漢室にたてまつった際には18編、『漢書』「芸文志」では13編。『隋書』「経籍志」や『新唐書』「芸文志」では23巻、『旧唐書』「経籍志」では18巻。『日本国見在書目録』では21巻としている。現行本には、西晋の郭璞の伝(注釈)を付しており、5部18巻。

各地の動物、植物、鉱物などの産物を記すが、その中には空想的なものや妖怪、神々の記述も多く含まれ、そこに古い時代の中国各地の神話が伝えられていると考えられている。そのため、後世失われたものの多い中国神話の重要な基礎資料となっている。

河南省の洛陽近郊を中心として叙述されている。山経5書は、時代を追って成立した本書の中でも最古の成立であり、儒教的な傾向を持たない中国古代の原始山岳信仰を知る上で貴重な地理的資料となっている。洛陽を中心としている所から、東周時期の成立と推定される。

もともとは絵地図に解説文の組み合わせで、『山海図経』と呼ばれたが、絵地図は失われ、後世に解説文を頼りに想像で挿絵をつけた。

日本へは平安時代に伝わり、江戸時代には刊本として流通していた。

山海経の神々と妖怪[編集]



山海経に記載の女媧
開明獣
窮奇(キュウキ)
義和
燭陰
饕餮(トウテツ)
禺彊(グウキョウ)
句芒(クボウ)
祝融(シュクユウ)
蓐収(ジョクシュウ)
西王母
女媧(ジョカ)
九尾狐(キュウビコ)
讙(カン)
貫匈人(カンキョウジン)
夔(キ)
天狗
応竜
構成[編集]

山経5書
南山経
西山経
北山経
東山経
中山経
海外4書
海外南経
海外西経
海外北経
海外東経
海内4書
海内南経
海内西経
海内北経
海内東経
大荒4書
大荒東経
大荒南経
大荒西経
大荒北経
補遺1書
海内経
参考文献[編集]

『支那歴史地理研究』 小川琢治著(弘文堂、1928年)
『山海経~中国古代の神話世界』 高馬三良・訳 平凡社ライブラリー ISBN 4582760341
関連項目[編集]

倭・倭人関連の中国文献
三星堆遺跡
外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、山海経に関連するカテゴリがあります。
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
山海經
怪力乱神を語ろう『山海経』談義
山海経動物記 表紙

8:30 午後  
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【国際】 韓国の学者が主張 「古代中国の神話に登場する神々は韓国が起源だ」
1 :影のたけし軍団ρ ★:2013/11/19(火) 12:58:01.74 ID:???0
2013年11月19日、金羊網によると、韓国の学者が古代中国の神話に登場する神々は韓国が起源だと主張している。
鳳凰網が伝えた。

韓国の梨花女子大学の鄭在書教授は、一般的には中国の神話が韓国の神話に影響を与えたと考えられているが、
その逆のケースもあり得るとしている。

鄭教授は「空間的な角度から分析すれば、無数の民族が共存する場所で生まれた中国の神話は、1つの民族や1つの国家によるものとは言いがたい。
また、時間的な角度からみると、漢代の中国人は黄帝を中心とした神話を整理し、自分たちを“黄帝の子孫”と呼んでいたが、
近代になってからは炎帝を追加し“炎黄の子孫”と言い始めている」と指摘。

「中国では最近、黄帝の最大のライバルである蚩尤も祖先に組み込み、アジアの民族がすべて中国人の範疇に入るという新たな神話体系を打ち出している。
周辺国の文化をスポンジのように吸収する中国の神話の中には、韓国の失われた古代神話の原型がある可能性が高い」としている。

鄭教授は「山海経」に登場する炎帝、蚩尤、誇父、風伯など東夷系の神々が高句麗古墳の壁画に描かれていることは、
それが失われた韓国神話であることの1つの証拠だと主張している。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=79329

8:30 午後  
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【人類】米先住民に2系統の祖先 DNA分析で示唆
1 :白夜φ ★:2013/11/24(日) 00:52:03.90 ID:???
米先住民に2系統の祖先、DNA分析で示唆
2013年11月22日 15:15 発信地:パリ/フランス

【11月21日 AFP】人類の「アフリカ起源説」では、ホモサピエンスは誕生の地である東アフリカを5万年ほど前に去り、北と西、南へと広まっていったとされる。
東アジアに住み着いた子孫たちはその後、約1万5000年前にシベリア(Sibera)から凍り付いたベーリング海峡(Bering Strait)を越えて
アラスカ(Alaska)に渡り、北米大陸に定住したとされてきた。

だが、英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された最新の研究によると、人類のたどった道はもっと複雑で、同じくらい興味深いものだった。

2万4000年前のシベリアに生きていた子どもの骨から取り出したDNAの分析結果は、あらゆる予想を裏切るものだった。
アメリカ先住民の祖先のルーツが、アジアの西端付近である西ユーラシアにもさかのぼることを示していたのだ。

分析されたのは、シベリア中南部のマリタ(Mal'ta)で1920年代に発掘され、現在はサンクトペテルブルク(St Petersburg)の
エルミタージュ博物館(State Hermitage Museum)に保管されている化石標本「MA-1」。

MA-1のミトコンドリアと細胞の核から取り出されたわずか0.15グラム分のDNAサンプルからは、2系統の祖先の痕跡が発見された。
一方は現代の東アジア人、もう一方は現代の西ユーラシア人に関連がみられた。
同じ結果は、シベリアで発掘された約1万7000年前の別のサンプルでも確認された。

論文は、アメリカ先住民の祖先の14~38%は西ユーラシアから来た人々を起源としていた可能性があると述べている。

この発見は、人類の移住がこれまで考えられていたよりも複雑だったことを示唆している。
北へ向かったホモサピエンスはその後、これまで考えられていたよりもはるか東へと移住していたようだ。

また過去の研究で指摘されていた、初期アメリカ先住民の一部の頭蓋骨に東アジア人と異なる特徴が見られた点についても、説明が付くかもしれない。

調査を率いたデンマークの地理遺伝学センター(Centre for GeoGenetics)のエスケ・ビラスリウ(Eske Willerslev)教授は
「この結果は完全な驚きだった。東アジアから来たと学校で教えられてきた現代のアメリカ先住民が、
最近まで西ユーラシア人と進化の歴史を共有していたなんて、誰が想像できただろう」と述べている。(c)AFP
___________

▽記事引用元 AFPBBNews 2013年11月22日15:15配信記事
http://www.afpbb.com/articles/-/3003715

▽関連
・NatureYear published:(2013)DOI:doi:10.1038/nature12736
Received14 July 2013 Accepted04 October 2013 Published online20 November 2013
Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans
http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/abs/nature12736.html
・Centre for GeoGenetics
20 November 2013
Ancient Siberian genome reveals genetic origins of Native Americans
http://geogenetics.ku.dk/latest-news/malta/

2 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 00:55:07.40 ID:xoIdfLsx
へ~

3 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 00:55:58.58 ID:nwL2Pplw
ホモサピエンスはアフリカから全世界に散ったのだからさもありなん。

東南アジアからサモア南アメリカに渡ったホモサピエンスは北アメリカには行かなかったのだろうか。

4 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:05:14.45 ID:tA08dipu
西ユーラシア人とは誰だ
白人の事か

5 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:06:58.14 ID:eJKkniK1
韓国人のDNAにキムチの痕跡が

6 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:09:56.84 ID:+6H0zhtf
北側ルートと南側ルートだろ
んなもん常識だろ?

7 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:11:14.47 ID:Y0afn8GE
コーカソイドのことを最近では西ユーラシア人と呼ぶらしい

8 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:14:30.76 ID:rULlirHx
つまり、落ちこぼれの白人があの大西洋を渡ってアメリカにも住みついたって言うこと?

9 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:23:06.51 ID:d1la5k+N
化石なんて調べても絶滅してるわけで意味ないじゃん

現生人類のDNAを調べろよ

ばかじゃね

10 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:29:44.61 ID:pnujNIfJ
シベリアの化石からとれたDNAと現代の東アジア人&白人に遺伝的関連が見られたという事実

そこからアメリカ先住民と白人(西ユーラシア?)の間に遺伝的関連があると言うのは論理の飛躍だろ

11 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:34:51.78 ID:lGpNykQL
アジア人の一派だと思って今まで馬鹿にしまくってきたもんな。

12 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:39:12.08 ID:Up7l3+iF
血液型は0型が多いらしいが

13 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:52:40.65 ID:paL5lLJZ
1万5千年ぐらい前には海水が150メートルぐらい低かったんだから西ヨーロッパから
北米のほうにアザラシおっかけて移住したバイキングの祖先がいてもおかしくないな。

14 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 01:54:34.24 ID:WI0dKgtD
>>9
絶滅?バカはお前だ

15 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 02:11:27.08 ID:dSpvcsvY
2万年ほど前は西ユーラシアも東ユーラシアも旧石器時代でアボリジニっぽい黒人だったろう
ブラジルでアボリジニそっくりな頭骨が発見されてるし、ヨーロッパでも中国でも沖縄でも
旧石器時代の人骨はアボリジニそっくりだそうだ

16 :名無しのひみつ:2013/11/24(日) 02:18:27.69 ID:J6JQjZ9o

6:10 午後  
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現在位置:ホーム > 全集・著作集 > 父が子に語る世界歴史
父が子に語る世界歴史
全8巻

「お誕生日がくると、おまえは贈りものをもらったり、お祝いのことばを受けたりするのがならわしだった。けれども、このナイニー刑務所から、わたしはなにを贈りものにしたものだろうか?」――J・ネルーは14歳の一人娘インディラに、世界歴史を語る200通の手紙を贈った――古代文明から第二次大戦直前の時代まで。戦後、インドの初代首相となったネルーは、1930年代にイギリスに対するインド解放闘争に参加し、何度も投獄されていた。生きたことばと感動と新鮮さにみちた名著が復活する。中学生からシルバーエイジまですべての読者に贈る。
第1巻:文明の誕生と起伏
第2巻:中世の世界
第3巻:ルネサンスから産業革命へ
第4巻:激動の十九世紀
第5巻:民主主義の前進
第6巻:第一次世界大戦と戦後
第7巻:中東・西アジアのめざめ
第8巻:新たな戦争の地鳴り
ジャワハルラル・ネルー(Jawaharlal Nehru)

1889年生まれ。インドの政治家、民族独立運動の指導者。英国の支配に抵抗、1945年までに下獄9回、人生の最盛期を獄中に過ごした。この間、ガンディの不服従非暴力運動にも協力した。1947年の独立とともに、首相、外相および連邦関係相を兼ねた。49年連邦首相会議、55年バンドンのアジア・アフリカ会議と内政に外交に多面的な活躍をした。その反帝国主義、反植民地主義、反人種差別主義には戦後世界をリードしていく歴史感覚と民衆への愛情があった。1964年歿。おもな著書『自叙伝』(「世界の名著」63、中央公論社、1967)、『インドの発見』(全2巻、岩波書店、1953-56)ほか。


http://www.msz.co.jp/book/writings/list_55.html

9:46 午後  
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天皇陛下:インド訪問で感想文「理解を更に深める機会に」

毎日新聞 2013年11月28日 19時42分(最終更新 11月28日 20時30分)
ニューデリー近郊の農村を訪れ、花吹雪の歓迎を受ける若き日の天皇、皇后両陛下=1960年12月
ニューデリー近郊の農村を訪れ、花吹雪の歓迎を受ける若き日の天皇、皇后両陛下=1960年12月
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 天皇、皇后両陛下が30日からインドを公式訪問するに当たり、宮内庁は28日、天皇陛下の感想を記した文章を公表した。天皇陛下は、IT産業など各分野で発展が著しいインドと日本との間で「理解を更に深める機会となることを期待しています」と記した。

 両陛下は、皇太子夫妻時代の1960年11月に昭和天皇の名代としてインドを公式訪問。その後、各国訪問の途中に立ち寄るなどしたことはあるが、公式訪問としては53年ぶりの再訪となる。当時はお二人とも26歳で、現在の皇太子さまが誕生したばかりだった。

 天皇陛下は感想の文章の中で、当時の大統領らと会った思い出に触れ、皇后さまが学生時代にネルー首相が記した「父が子に語る世界歴史」を読んでいたことから、「ネルー首相との会話は非常に心に残ることであったと思います」「歴史や文化に触れ、インドへの理解を深めることができました」などと振り返った。

 また、「独立以来民主主義を堅持し、国を発展させてきました」などとインドの歴史に触れつつ、最後に「両国民が互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、両国が相携えて発展していくことを願ってやみません」との希望をつづった。【真鍋光之】


http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20131129k0000m040043000c.html

9:46 午後  
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https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130216-10-11036

番組タイトル:発見!北のシルクロード「雲岡(うんこう)石窟・美の全貌」

チャンネル:BSプレミアム
放送日時: 2013年2月16日(土)
午後1:30~午後3:00(90分)
ジャンル: ドキュメンタリー/教養 > 歴史・紀行
情報/ワイドショー > 暮らし・住まい
趣味/教育 > 音楽・美術・工芸
番組HP: -

世界遺産で中国有数の仏教遺跡・雲岡石窟の全貌を徹底的に紹介する決定版。極彩色のインドの神々から、シルクロード伝来の女神、そして巨大な石仏までミラクルワールドが。

世界遺産で、中国有数の仏教遺跡・雲岡石窟の全貌を徹底的に紹介する。極彩色のインドの神々から、シルクロード伝来の女神、巨大な石仏まで。1500年前の人々の祈りの空間が、タイムカプセルのように残されている。懐かしさを感じさせる微笑の仏。万里の長城の近く、辺境の地に巨大仏教遺跡を作った北の騎馬民族の正体とは? 石窟づくりに身をささげた王女の物語とは?【出演】いとうせいこう、夢枕獏、小沢真珠、六田知弘

11:21 午後  
Blogger yoji said...

人類最古のDNA抽出…40万年前の人骨から
読売新聞 12月5日(木)7時10分配信

読売新聞

 スペイン北部の洞窟で発見された古い人骨からDNAを取り出し、遺伝情報を解読することに成功したと、独マックスプランク研究所などのチームが5日の英科学誌ネイチャー電子版に発表する。

 分析の結果、約40万年前の人類とわかった。DNA分析はこれまで、猿人から原人、旧人、現代人へという進化段階のうち、旧人の段階にとどまっていたが、今回は原人の時代(200万~30万年前)までさかのぼり、最古の例になるという。

 洞窟からは28体分の骨が見つかった。欧州最古の人類で原人と旧人の中間にあたるハイデルベルク人とみられる。研究チームは、保存状態のよい大腿(だいたい)骨から、細胞内の小器官「ミトコンドリア」のDNAを取り出して解読した。これを、旧人である欧州のネアンデルタール人(20万~3万年前)とシベリアのデニソワ人(5万~3万年前)のDNAと比較。長い年月の間に生じた変化の量などから、洞窟の人類は約40万年前のものと断定した。この人類が、デニソワ人の祖先と70万年前に枝分かれしたこともわかった。

最終更新:12月5日(木)7時10分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131204-00001610-yom-sci
2013

5:46 午後  
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【考古学】ネアンデルタール人も高齢者介護、墓地跡の調査で発見
1 :伊勢うどんφ ★:2013/12/18(水) 10:33:23.16 ID:???
歯が抜け落ち、歩くこともままならなかった高齢のネアンデルタール人が、
仲間から介護され、死後は手厚く埋葬されたとする研究論文が16日、発表された。

 今回の発見は、フランス中部の発掘現場における13年間の調査に基づいたもので、洞穴に住んでいた
石器時代人は実はかなり洗練されていたのではないかとする議論に新たな証拠をもたらした

 仏ラ・シャペル・オ・サン(La Chapelle-aux-Saints)の墓穴が最初に発見されたのは1908 年。
墓にあったのは身体に障害がある高齢のネアンデルタール人の遺骨で、ここからネアンデルタール人は知能が低く、
猫背で足を引きずっていたという「定説」が生まれた。

■敬意と思いやりのネアンデルタール人像

 しかし長い年月をかけてこの墓穴をさらに綿密に分析し、また欧州各地で他にも墓穴が発見された結果、
ネアンデルタール人はそれまで考えられていたよりも他者に敬意を払い、思いやりがあった可能性が示された。

 米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に掲載された論文によると、
研究チームは現在、洞穴の床が自然に形成された可能性を排除し、人が掘ったものだと主張している。

 研究を率いたウィリアム・ランドゥ(William Rendu)氏によると、約5万年前に埋葬された老人の墓穴の付近では、
他に子供2人と成人1人の遺骨が発見されているが、この3人が近親者だったかどうかや、
同時期の人々であるかどうかは明らかになっていない。

2013年12月17日 16:55 AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3005247

PNAS
Neandertals made the first specialized bone tools in Europe
http://m.pnas.org/content/110/35/14186

7:26 午後  
Blogger yoji said...

http://www.amakanata.com/2013/09/blog-post_29.html
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。そして聖人は経験から悟る
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
と言ったのは、ドイツの名宰相であるオットー・ビスマルクということになっている。

だが彼が本当に語ったのは、
愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。
Nur ein Idiot glaubt,aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.
というものらしい。

しかし、それより「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉のほうが人々によく知られている。格言というものが時間によって取捨選択された人々の智慧なのだとしたら、冒頭の言葉の方が、格言としてふさわしいと思う。

5:15 午前  
Blogger yoji said...

頼朝と政子の喧嘩に似ている。時代も近い。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3
冬のライオン
『冬のライオン』(ふゆのライオン、The Lion in Winter)は、1966年初演のブロードウェイの演劇作品。1999年にはリバイバル上演されている。また、1968年にイギリスで映画化され、2003年にはアメリカ合衆国でテレビ映画としてリメイクもされた。

1183年クリスマスのシノン城を舞台に、中世のイングランド国王ヘンリー2世と王妃エレノア、その3人の息子とフランス王を絡め、権力と人間関係を巡る愛憎を描く。

歴代のエレノア役を演じた女優が常に絶賛され、様々な賞に輝く一方で、フィリップ役には将来が有望な新鋭の美男俳優が起用されることでも話題になる作品である。

目次 [非表示]
1 あらすじ
2 登場人物
3 1966年 舞台版
4 1968年 映画版
4.1 キャスト
4.2 賞
4.3 外部リンク
5 1999年 舞台版
6 2003年 テレビ版
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク
あらすじ[編集]

この節の加筆が望まれています。
1183年のクリスマス。イングランド国王ヘンリーは、自分への反乱が絶えない家族や、領土を巡るフランス王との長年の争いを解決するため、軟禁中の妃エレノア、息子のリチャード、ジェフリー、フランス王のフィリップをシノン城に呼び集めた。これに、ヘンリーの愛する末子のジョンと、愛人のフランス王女アリースが絡んで、様々な駆け引きが繰り広げられる中、崩壊した家庭の人間模様が改めて浮き彫りにされてゆく。息子たちの相変わらずの裏切りに愛想が尽きたヘンリーは、かれらを幽閉し、エレノアとの結婚を無効として、アリースと結婚して新たな子を得ようと、ローマの教皇の下へ赴こうとする。

11:23 午後  
Blogger yoji said...

【芸能】デヴィ夫人、インドネシア大虐殺の真実を暴いた米監督に感謝「真実は必ず勝つ」/映画「アクト・オブ・キリング」試写会
1 :禿の月φ ★@転載禁止:2014/03/26(水) 05:12:39.20 ID:???0
 1960年代のインドネシアで行われた大量虐殺を加害者側の視点から描いた
ドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」の試写会が3月25日、都内で行われ、
インドネシア元大統領夫人のデヴィ・スカルノと来日中のジョシュア・オッペンハイマー監督が対談した。

 1965年に起きた軍事クーデター「9・30事件」により、“赤狩り”と称した100万人規模の
大量虐殺がインドネシアの全土で行われた。当局から被害者への接触を禁止された
オッペンハイマー監督は、取材対象を加害者側に切り替え、映画製作という名目で
過去の虐殺行為を本人たちに再現させるという前代未聞のアプローチで、人類に潜む闇に迫った。

 夫スカルノ氏を失脚させ、自身も亡命するきっかけとなった9・30事件を振り返ったデヴィ夫人。
当時は宮殿に潜んでいたといい、「川の中に何分隠れていられるか、走ってどれくらいで
庭を突っ切れるかなどを考えながら、毎晩ズボンをはいて寝ていた。護衛官もいつ裏切るか
分からないし、味方なのかスパイなのかも分からない。人間って何も食べないで眠らなくても
これだけ生きられるんだと知った」と壮絶な体験を明かした。(>>2以降に続きます)

ソース:eiga.com
http://eiga.com/news/20140325/17/
画像:デヴィ夫人とジョシュア・オッペンハイマー監督
http://image.eiga.k-img.com/images/buzz/42861/1_large.jpg
http://image.eiga.k-img.com/images/buzz/42861/2_large.jpg
http://image.eiga.k-img.com/images/buzz/42861/3_large.jpg
http://image.eiga.k-img.com/images/buzz/42861/4_large.jpg

2 :禿の月φ ★@転載禁止:2014/03/26(水) 05:12:59.45 ID:???0
(>>1からの続きです)
 オッペンハイマー監督は、デヴィ夫人との対話は「言葉で表せないくらい感動してる。この場に
駆けつけてくれたことを光栄に思う。デヴィ夫人は大虐殺を経験した生存者でもある」と最敬礼。
デヴィ夫人も、「虐殺が事実だと証明されてうれしく思う。監督の偉業には心から感謝。
(故スカルノ元大統領には)やっと真実が明かされ、あなたの汚名をそそぐひとつの
きっかけになったと報告したい。真実は必ず勝つと信じていた」と語った。

 娘に勧められて本作を鑑賞したというデヴィ夫人は、「虐殺をした人間がそれを自慢するという神経は、
非常に異常なこと。恐ろしさに身震いした」と衝撃を受けていた。そして、「スカルノは共産主義だったわけではなく、
当時のアメリカとロシアの勢力に対抗するべく、アメリカの基地を拒否し、アジア・アフリカなどの中立国家たちと
第3の勢力を作ろうとしていただけ。そのためホワイトハウスやペンタゴンから憎まれ、5回ほど暗殺を仕掛けられた
けれど神のご加護か助かった。大虐殺に国連が全く動かなかったのは、国連がアメリカの影響下にあったことを
裏付ける証拠」と訴えた。

 オッペンハイマー監督は、「『映画を楽しんで』とは言えないけど、大いに笑ってくれていい。
映画を見たインドネシアの人たちも、感動しながら笑っていた。作品に込めたユーモアは意図的なもの。
笑いは人が生き延びるためのもの、人をいやすためのものだから。魔法のような時間を過ごしてほしい」と
客席に語りかけた。「アクト・オブ・キリング」は4月12日から公開。(了)

10:15 午後  
Blogger yoji said...

【考古学】青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明 旅人や客人を手厚くもてなす風習が広がった影響か [転載禁止]©2ch.net
1 :もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@転載は禁止:2015/05/26(火) 07:12:07.72 ID:???
青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/052500114/


http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/052500114/01.jpg
「エクトヴィズ・ガール」と呼ばれる青銅器時代の若い上流階級の女性の遺体から、この時代のデンマークの暮らしや旅の手がかりが得られた。彼女が身につけていた羊毛製の衣服は保存状態がよく、
ベルトには太陽をデザインした青銅製の円盤がついていた。(PHOTOGRAPH BY ROBERTO FORTUNA, NATIONAL MUSEUM OF DENMARK)


 1921年、デンマークのエクトヴィズ付近で、非常に保存状態のよい青銅器時代の女性の遺体が発掘された。3500年前に16歳から18歳で亡くなったとされるその女性は、「エクトヴィズ・ガール」という
名で知られている。新たな分析により、彼女は遠く離れた場所で生まれ、長距離を旅していたことが明らかになった。エクトヴィズ・ガールは、家でじっとしているタイプではなく、世界をわたり歩く
コスモポリタンだったようだ。

 この研究は、『Scientific Reports』5月21日号に発表された。論文の筆頭著者であるデンマーク国立博物館の考古学者カリン・フレイ氏は、「現代人は、自らを高度に発展した人間であると思い、
グローバル化を新しい現象のように考えています」と言う。「ところが先史時代の研究が進むにつれて、人類は大昔からグローバルに暮らしていたことが明らかになってきているのです」

 フレイ氏は、ストロンチウムという元素の同位体比の微妙なばらつきを分析する専門家だ。ストロンチウムは地殻中に広く分布していて、植物や動物の組織に蓄積する。この元素の同位体比は
場所ごとに異なるため、体の各部位に含まれるストロンチウムを調べれば、その組織が形成されたときに地球上のどこにいたかがわかるのだ。「いわば、地質学的GPSですね」

 エクトヴィズ・ガールの各部位に含まれるストロンチウムを、ヨーロッパ北西部各地のストロンチウムと比較することで、いくつのときにどこで暮らしていたかを突き止められるのだ。

 生まれ育った場所は、歯のエナメル質に含まれるストロンチウムを調べれば分かる。歯のエナメル質は子供時代にのみ形成されるからだ。分析の結果、彼女はエクトヴィズから800kmも離れた、現在の
ドイツ南西部にあたる地域で生まれたらしいことが明らかになった。

 彼女が着ていた羊毛製の衣服の繊維は、場所を厳密に特定するのは難しいものの、ドイツのシュバルツバルト地方のものであるようだ(彼女は、なかなかおしゃれなブラウスとミニスカートを身につけて
埋葬されていた)。

「エクトヴィズ・ガールはデンマークでは非常に有名で、デンマーク人は皆、学校で彼女のことを教わります」とフレイ氏は言う。「彼女は確かにデンマークで発見されましたが、とても国際的な女性でした」

 彼女が死ぬ前の2年間を暮らした場所は、毛髪と親指の爪に蓄積されたストロンチウムを調べれば分かる。分析の結果、彼女はその時期にデンマークと生まれ故郷の間を2度行き来していたという。

2 :もろ禿HINE! ★@転載は禁止:2015/05/26(火) 07:12:23.28 ID:???
交易経済の基礎が発展

 今となってはエクトヴィズ・ガールが旅をした理由を正確に知ることは不可能だが、青銅器時代には部族間で盛んに同盟が結ばれていた。フレイ氏は部族間の同盟を強固にし、交易を安定させる
ために、彼女が北方の首長のもとに嫁いだのではないかと考えている。(参考記事:「青銅器時代の沈没船:黄金の腕輪」)

 英国の歴史保存団体「Historic England」で青銅器時代を研究しているジョナサン・ラスト氏は、今回の研究は「青銅器時代の社会システムの規模や、遠く離れた部族との接触や移動のあり方に
ついて、新たな疑問を投げかけるものです」とコメントしている。(参考記事:「地中海東岸の文明は干ばつで崩壊?」)

 さらなる証拠がないかぎり、エクトヴィズ・ガールが政略結婚のためにデンマークに嫁いできたと断言することはできない、とラスト氏は言う。「例えば、2つの地域を頻繁に行き来していたという事実は、
彼女が政治の道具というよりは、むしろ自主性の高い人物だったと示すことにならないでしょうか?」

 デンマーク国立博物館の青銅器時代の専門家フレミング・カウル氏によると、北欧青銅器時代の女性たちは、首長の跡継ぎとなる直系男子がいない場合などには、政治権力を握ることもあった
という。「この時代の女性たちが、ほかの部族に嫁ぐという形をとらずに、みずから部族間の交渉を行い、友好関係を結ぶことができた可能性はあります」

 エクトヴィズ・ガールが生きた時代には、旅人や客人を手厚くもてなす風習が生まれた。この変化が長距離の移動を可能にし、交易にもとづいた経済の基礎を作った。彼女もまた、こうした変化の
恩恵を受けていたのかもしれない。

 今後の研究で、エクトヴィズ・ガールが示唆する可能性はさらに広がりそうだ。「彼女はますますミステリアスな存在になりました」とフレイ氏は言う。「彼女は大昔に発見されましたが、これからさらに多くの
事実を語ってくれることでしょう」


文=Brandon Keim/訳=三枝小夜子

3:40 午前  
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【考古学】青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明 旅人や客人を手厚くもてなす風習が広がった影響か [転載禁止]©2ch.net
1 :もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@転載は禁止:2015/05/26(火) 07:12:07.72 ID:???
青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/052500114/


http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/052500114/01.jpg
「エクトヴィズ・ガール」と呼ばれる青銅器時代の若い上流階級の女性の遺体から、この時代のデンマークの暮らしや旅の手がかりが得られた。彼女が身につけていた羊毛製の衣服は保存状態がよく、
ベルトには太陽をデザインした青銅製の円盤がついていた。(PHOTOGRAPH BY ROBERTO FORTUNA, NATIONAL MUSEUM OF DENMARK)


 1921年、デンマークのエクトヴィズ付近で、非常に保存状態のよい青銅器時代の女性の遺体が発掘された。3500年前に16歳から18歳で亡くなったとされるその女性は、「エクトヴィズ・ガール」という
名で知られている。新たな分析により、彼女は遠く離れた場所で生まれ、長距離を旅していたことが明らかになった。エクトヴィズ・ガールは、家でじっとしているタイプではなく、世界をわたり歩く
コスモポリタンだったようだ。

 この研究は、『Scientific Reports』5月21日号に発表された。論文の筆頭著者であるデンマーク国立博物館の考古学者カリン・フレイ氏は、「現代人は、自らを高度に発展した人間であると思い、
グローバル化を新しい現象のように考えています」と言う。「ところが先史時代の研究が進むにつれて、人類は大昔からグローバルに暮らしていたことが明らかになってきているのです」

 フレイ氏は、ストロンチウムという元素の同位体比の微妙なばらつきを分析する専門家だ。ストロンチウムは地殻中に広く分布していて、植物や動物の組織に蓄積する。この元素の同位体比は
場所ごとに異なるため、体の各部位に含まれるストロンチウムを調べれば、その組織が形成されたときに地球上のどこにいたかがわかるのだ。「いわば、地質学的GPSですね」

 エクトヴィズ・ガールの各部位に含まれるストロンチウムを、ヨーロッパ北西部各地のストロンチウムと比較することで、いくつのときにどこで暮らしていたかを突き止められるのだ。

 生まれ育った場所は、歯のエナメル質に含まれるストロンチウムを調べれば分かる。歯のエナメル質は子供時代にのみ形成されるからだ。分析の結果、彼女はエクトヴィズから800kmも離れた、現在の
ドイツ南西部にあたる地域で生まれたらしいことが明らかになった。

 彼女が着ていた羊毛製の衣服の繊維は、場所を厳密に特定するのは難しいものの、ドイツのシュバルツバルト地方のものであるようだ(彼女は、なかなかおしゃれなブラウスとミニスカートを身につけて
埋葬されていた)。

「エクトヴィズ・ガールはデンマークでは非常に有名で、デンマーク人は皆、学校で彼女のことを教わります」とフレイ氏は言う。「彼女は確かにデンマークで発見されましたが、とても国際的な女性でした」

 彼女が死ぬ前の2年間を暮らした場所は、毛髪と親指の爪に蓄積されたストロンチウムを調べれば分かる。分析の結果、彼女はその時期にデンマークと生まれ故郷の間を2度行き来していたという。

2 :もろ禿HINE! ★@転載は禁止:2015/05/26(火) 07:12:23.28 ID:???
交易経済の基礎が発展

 今となってはエクトヴィズ・ガールが旅をした理由を正確に知ることは不可能だが、青銅器時代には部族間で盛んに同盟が結ばれていた。フレイ氏は部族間の同盟を強固にし、交易を安定させる
ために、彼女が北方の首長のもとに嫁いだのではないかと考えている。(参考記事:「青銅器時代の沈没船:黄金の腕輪」)

 英国の歴史保存団体「Historic England」で青銅器時代を研究しているジョナサン・ラスト氏は、今回の研究は「青銅器時代の社会システムの規模や、遠く離れた部族との接触や移動のあり方に
ついて、新たな疑問を投げかけるものです」とコメントしている。(参考記事:「地中海東岸の文明は干ばつで崩壊?」)

 さらなる証拠がないかぎり、エクトヴィズ・ガールが政略結婚のためにデンマークに嫁いできたと断言することはできない、とラスト氏は言う。「例えば、2つの地域を頻繁に行き来していたという事実は、
彼女が政治の道具というよりは、むしろ自主性の高い人物だったと示すことにならないでしょうか?」

 デンマーク国立博物館の青銅器時代の専門家フレミング・カウル氏によると、北欧青銅器時代の女性たちは、首長の跡継ぎとなる直系男子がいない場合などには、政治権力を握ることもあった
という。「この時代の女性たちが、ほかの部族に嫁ぐという形をとらずに、みずから部族間の交渉を行い、友好関係を結ぶことができた可能性はあります」

 エクトヴィズ・ガールが生きた時代には、旅人や客人を手厚くもてなす風習が生まれた。この変化が長距離の移動を可能にし、交易にもとづいた経済の基礎を作った。彼女もまた、こうした変化の
恩恵を受けていたのかもしれない。

 今後の研究で、エクトヴィズ・ガールが示唆する可能性はさらに広がりそうだ。「彼女はますますミステリアスな存在になりました」とフレイ氏は言う。「彼女は大昔に発見されましたが、これからさらに多くの
事実を語ってくれることでしょう」


文=Brandon Keim/訳=三枝小夜子

3:41 午前  
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【考古学】青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明 旅人や客人を手厚くもてなす風習が広がった影響か [転載禁止]©2ch.net
1 :もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@転載は禁止:2015/05/26(火) 07:12:07.72 ID:???
青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/052500114/


http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/052500114/01.jpg
「エクトヴィズ・ガール」と呼ばれる青銅器時代の若い上流階級の女性の遺体から、この時代のデンマークの暮らしや旅の手がかりが得られた。彼女が身につけていた羊毛製の衣服は保存状態がよく、
ベルトには太陽をデザインした青銅製の円盤がついていた。(PHOTOGRAPH BY ROBERTO FORTUNA, NATIONAL MUSEUM OF DENMARK)


 1921年、デンマークのエクトヴィズ付近で、非常に保存状態のよい青銅器時代の女性の遺体が発掘された。3500年前に16歳から18歳で亡くなったとされるその女性は、「エクトヴィズ・ガール」という
名で知られている。新たな分析により、彼女は遠く離れた場所で生まれ、長距離を旅していたことが明らかになった。エクトヴィズ・ガールは、家でじっとしているタイプではなく、世界をわたり歩く
コスモポリタンだったようだ。

 この研究は、『Scientific Reports』5月21日号に発表された。論文の筆頭著者であるデンマーク国立博物館の考古学者カリン・フレイ氏は、「現代人は、自らを高度に発展した人間であると思い、
グローバル化を新しい現象のように考えています」と言う。「ところが先史時代の研究が進むにつれて、人類は大昔からグローバルに暮らしていたことが明らかになってきているのです」

 フレイ氏は、ストロンチウムという元素の同位体比の微妙なばらつきを分析する専門家だ。ストロンチウムは地殻中に広く分布していて、植物や動物の組織に蓄積する。この元素の同位体比は
場所ごとに異なるため、体の各部位に含まれるストロンチウムを調べれば、その組織が形成されたときに地球上のどこにいたかがわかるのだ。「いわば、地質学的GPSですね」

 エクトヴィズ・ガールの各部位に含まれるストロンチウムを、ヨーロッパ北西部各地のストロンチウムと比較することで、いくつのときにどこで暮らしていたかを突き止められるのだ。

 生まれ育った場所は、歯のエナメル質に含まれるストロンチウムを調べれば分かる。歯のエナメル質は子供時代にのみ形成されるからだ。分析の結果、彼女はエクトヴィズから800kmも離れた、現在の
ドイツ南西部にあたる地域で生まれたらしいことが明らかになった。

 彼女が着ていた羊毛製の衣服の繊維は、場所を厳密に特定するのは難しいものの、ドイツのシュバルツバルト地方のものであるようだ(彼女は、なかなかおしゃれなブラウスとミニスカートを身につけて
埋葬されていた)。

「エクトヴィズ・ガールはデンマークでは非常に有名で、デンマーク人は皆、学校で彼女のことを教わります」とフレイ氏は言う。「彼女は確かにデンマークで発見されましたが、とても国際的な女性でした」

 彼女が死ぬ前の2年間を暮らした場所は、毛髪と親指の爪に蓄積されたストロンチウムを調べれば分かる。分析の結果、彼女はその時期にデンマークと生まれ故郷の間を2度行き来していたという。

2 :もろ禿HINE! ★@転載は禁止:2015/05/26(火) 07:12:23.28 ID:???
交易経済の基礎が発展

 今となってはエクトヴィズ・ガールが旅をした理由を正確に知ることは不可能だが、青銅器時代には部族間で盛んに同盟が結ばれていた。フレイ氏は部族間の同盟を強固にし、交易を安定させる
ために、彼女が北方の首長のもとに嫁いだのではないかと考えている。(参考記事:「青銅器時代の沈没船:黄金の腕輪」)

 英国の歴史保存団体「Historic England」で青銅器時代を研究しているジョナサン・ラスト氏は、今回の研究は「青銅器時代の社会システムの規模や、遠く離れた部族との接触や移動のあり方に
ついて、新たな疑問を投げかけるものです」とコメントしている。(参考記事:「地中海東岸の文明は干ばつで崩壊?」)

 さらなる証拠がないかぎり、エクトヴィズ・ガールが政略結婚のためにデンマークに嫁いできたと断言することはできない、とラスト氏は言う。「例えば、2つの地域を頻繁に行き来していたという事実は、
彼女が政治の道具というよりは、むしろ自主性の高い人物だったと示すことにならないでしょうか?」

 デンマーク国立博物館の青銅器時代の専門家フレミング・カウル氏によると、北欧青銅器時代の女性たちは、首長の跡継ぎとなる直系男子がいない場合などには、政治権力を握ることもあった
という。「この時代の女性たちが、ほかの部族に嫁ぐという形をとらずに、みずから部族間の交渉を行い、友好関係を結ぶことができた可能性はあります」

 エクトヴィズ・ガールが生きた時代には、旅人や客人を手厚くもてなす風習が生まれた。この変化が長距離の移動を可能にし、交易にもとづいた経済の基礎を作った。彼女もまた、こうした変化の
恩恵を受けていたのかもしれない。

 今後の研究で、エクトヴィズ・ガールが示唆する可能性はさらに広がりそうだ。「彼女はますますミステリアスな存在になりました」とフレイ氏は言う。「彼女は大昔に発見されましたが、これからさらに多くの
事実を語ってくれることでしょう」


文=Brandon Keim/訳=三枝小夜子

3:41 午前  
Blogger yoji said...

スキタイの黄金の埋葬品を発掘、「世紀の大発見」 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/052600115/


http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/052600115/ph_thumb.jpg
バケツ型の器が2つ、杯3つ、指輪1つ、首輪2つ、腕輪1つ。ロシア南部にあるスキタイ人の墳丘墓から発見された純金の埋蔵品の数々だ。(Photograph by Andrei Belinsky)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/052600115/02.jpg
スキタイ人の器に施された見事な意匠。怒り狂った夫が、不実な妻が産んだ子供を殺す場面ではないかとも言われる。(Photograph by Andrei Belinsky)


 ユーラシア大陸の広大な草原をおよそ千年間にわたって支配した騎馬民族。彼らは古代ギリシャ人やペルシャ人を恐怖で震え上がらせたが、都市や住居の痕跡は一切存在せず、今はただ
モンゴルから黒海にかけて広がる草原にクルガンと呼ばれる墳丘墓が点々と残るのみ――。

 ロシア南部のカフカス山脈にあるそのクルガンから、このほど興味深い発見が報告された。見つかったのは、騎馬民族のなかでもギリシャの歴史家ヘロドトスがさまざまな偉業と麻薬の儀式について
書き残した勇猛にして謎の人々、スキタイの黄金の埋葬品だ。

「これは世紀の大発見です。これまでに一帯で発見された中でも、とりわけすばらしい逸品です」。ドイツ、ベルリンにあるプロイセン文化財団の考古学者アントン・ガス氏はそう語る。

 埋蔵品が最初に発見されたのは2013年の夏のことだった。略奪を防ぐため、これまで情報が伏せられていたのだ。ロシア、スタブロポリの考古学者アンドレイ・ベリンスキー氏は当時、送電線を通す前の
調査の一環として、「シンギリェフスコエ-2(Sengileevskoe-2)」と名付けられたクルガンの発掘を行っていた。

 発掘を始めた当初は、この場所からはたいしたものは見つからないだろうと考えられていた。クルガンにはすでに略奪された痕跡があったからだ。ところが作業開始から数週間後、発掘チームはぶ厚い
粘土層に突き当たった。さらに掘り進めると、その下から平たい幅広の石で囲まれた長方形の部屋が見つかった。そこに鎮座していたのは略奪者の目を逃れた埋葬品の数々――2400年前にこの墓に
安置された黄金の宝物だった。

 バケツ型の黄金の器が2つ、逆さまに伏せられていた。その中には、黄金の杯が3つ、ずしりと重たい指輪が1つ、首輪2つ、腕輪1つが入っていた。保存状態の良い黄金の埋葬品の数々は、合わせて
3.2キロもの重量があった。

「まったくの予想外でした。こんなものが見つかるとは夢にも思っていなかったのです」とベリンスキー氏は言う。(参考記事:「騎馬民族スキタイの美しい金細工」)

 黄金の器に残された黒い物質の分析をベリンスキー氏がスタブロポリ近郊の犯罪学者に依頼すると、そこにはアヘンと大麻が含まれていることが判明した。これは古代ギリシャの歴史学者ヘロドトスが
記録に残した内容と一致する。ヘロドトスは、スキタイ人が植物を燃やして発生させる煙が「ギリシャの蒸し風呂とは比べ物にならないほど強烈なもので……その煙で興奮した人々は、大きな叫び声を
上げる」と書いている。

 ねっとりとした黒い物質が付着していたのが器の内側だったことから、スキタイ人は器の中で強力なアヘン入りの液体を調合して飲み、そばで大麻を燃やしていたのだろうと考えられる。「アヘンと大麻が
同時に使われていたことは間違いありません」とガスは言う。

7:26 午後  
Blogger yoji said...


996 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2016/01/19(火) 00:17:03.71 ID:KNSA+v/50
キムタクさんに捧ぐ

「人間の運命は車輪のようなもので、くるくると廻りつつ、
同じ者がいつまでも幸運であることを許さぬものだということを御承知なさいませ。」
(元リュディア王クロイソスが、ペルシアのキュロス大王へ言った忠告の言葉)

ヘロドトス(2千数百年前の歴史家で「歴史の父」)
『歴史(上)』第1巻、第207節 岩波文庫(松平千秋訳)

7:37 午前  
Blogger yoji said...

町工場二階空目薬煙突工房:アファンの森で語る会:第4回:C.W.ニコル講演「イヌイットと私」
http://www.entotsu.net/afan/04/nicol05.html
ラウダ先生が若い頃、西の北極で8千年前にマンモスを追いかけて来た人々の発掘をしてたんです。その時にマンモスの子供の牙が出たんですね。それには人間が作った道具の傷跡があったんです。そして同じ層には石で出来た小さな道具のかけらがあった。だから、この動物は人間が獲ったという証拠にはなるなと。

彼が小躍りして、一緒に行ってたイヌイットの年寄りに、「ほら見て。こんなでっかいセイウチの牙は見たことないだろう。」と。冗談のつもりだったですよ。その年寄りが怒って、「馬鹿、お前は。これはセイウチじゃないよ。形が全然違うじゃないか。」と。「この層には貝があったか?ないだろう。これは陸の動物だ。お前はカイファルクゥエを知らないのか?」と。その年寄りは字が読めない。本も読んでない。テレビがない。ラウダ先生は、「カイファルクゥエって何ですか?」と。その年寄りは彼のノートを取って、サササとマンモス描いたんです。8千年前の動物の形と名前は知ってる。僕はこの話しを彼から聞いて、頭の中に入っちゃった訳。

その探検の後、僕は一度日本に行ってから、バフィン島でアザラシの調査してました。私も26になって、7回目の探検でした。そこで5軒の家族がキャンプしてたんです。春でした。よく吹雪が来た。

大きなテントがあって、そのテントで、おばあちゃんが子供達に話しをしてたの。そのばあちゃん、入れ墨あったんですね。もう見れませんよ、カナダ北極で。彼女90いくつだろうな。あやとりを取りながら、海の神様の話しとか、色んな話しをしてた。それで僕が座って、「ばあちゃん、カイファルクゥエって知ってるか?」と。彼女「えっ?」って。「カイファルクゥエって知ってますか?」「何、カイファルクゥエ?」「昔、動物。」って言ったら、「あー。あんた発音が悪い。ケーフェルキー。」方言が違うんです。

それで、びっくりした。あやとりでマンモスを作った。どうやって、8千年の歴史を残すのかと思ったんですよ。縄文人がどんな歌、歌ってた?どういう服を着たかちょっと分かる。酒飲んだか?飲んでなかったか?我々分からないですよ。ピラミッドを作る4千年前ですよ。

そのばあちゃんが子供達に話しをした。カイファルクゥエは昔の動物。男が男の肩の上に立てば、それはカイファルクゥエの肩の高さ。ジャコウウシと同じ様に、人間が攻めると肩を合わせて自分達を守る、子供を守る。もの凄い大きな牙があったと。それで、長い黒い毛があった。その毛はとても丈夫でこの位長い毛だった。それを編んでロープを作ったりしました。それで柔らかい茶色の毛があった。それはおむつに使ったり、ブーツの中に入れたり、色々と使いました。でも人間が賢いから、それを獲ってましたよ。

どうやって獲ったかと。カイファルクゥエは目が悪い。でも鼻がとってもいい。それでハンターが自分のアノラックを持って、カイファルクゥエの真ん前だったらあんまりよく見えないから、斜め横の辺でアノラックをバタバタして、「ホーホーホー!」と言うと、カイファルクゥエのでっかいのが、その内に怒ってパッとそこに向く。そしてハンターがアノラックを落としてサッと逃げる。そこからまた別の人が「ハーハーハー。」それで行ったり来たりする。疲れます。その内に後ろの腱を切ったり、銛で腹刺して引っ張ったら内臓が出る。その内に疲れて死ぬ。長い間、他のケーフェルキーが動かない。ずっと鳴いてます。でもしばらくするとみんな去って行く。そして人間がそれを使った。

あっ・・・。私は今でも・・・8千年前ですよ!おばあちゃんが昨日の様に話ししてた。これは文化だなと思いました。但し、2回目のあの辺の探検に行ったら、おばあちゃんは居なくなったんです。そしてカナダ政府の命令で、子供達はみんな学校に行かなくちゃいけないんです。だから猟で生活してた人々がみんな集まった。ハンターが何百人。そうすると猟はほとんど出来なくなって、文化が滅びた。それも見ましたね。

4:51 午後  
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【歴史】カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を発見!!©2ch.net

1 : 筑前鐵太郎 ★@無断転載は禁止 ©2ch.net2016/05/10(火) 19:37:10.11 ID:CAP_USER
カナダ・ケベック在住の15歳の少年William Gadoury君は、「マヤ暦で2012年に世界の終りが予言されている」という逸話を知ったことをきっかけに南米の古代文明に興味を持ち、
3年前からある仮説を立てて独自に「研究」を行っていた。その仮説とは、マヤ文明の古代都市が星座の並びを模して配置されているというものである。

Gadoury君は「なぜマヤ文明の都市は川から離れた山奥の不便な場所に造られたのか?」と疑問を持ち、上述の仮説を思いついた。
この仮説を検証するためにGadoury君が使ったツールはなんとGoogle Maps。Gadoury君はマヤのGISをダウンロードして地図上にプロットし、その地図に南米から見ることのできる範囲の星図を重ね合わせてみた。

結果、驚くべきことが明らかになった。マヤ文明の117の都市が実際の星の並びと一致していたのだ。さらにGadoury君は、当時のマヤ文明の星座では重要とされていた星に対応する都市がまだ見つかっていないことに気づいた。
それは現在のオリオン座に相当する部分の星だった。Gadoury君はこの発見をカナダ宇宙庁に報告し、
NASAとJAXAの撮影した画像を提供してもらった。もし仮説の通りなら、メキシコのユカタン半島に未発見の古代都市が存在するはずだった。

衛星画像を拡大して調査した結果、86メートルのピラミッドと数十の家屋からなる新たな都市が発見された。
マヤ文明でこれまで発見された中でも特に規模の大きなこの都市は、Gadoury君によって「K’ÀAK’ CHI’」と名付けられた。これは古代マヤ文明の言葉で「火の口」という意味である。

地元のヒーローになったGadoury君は「3年間の努力と人生の夢が報われました」と語っている。
Gadoury君は5月18日にモントリオールのマギル大学で開催される「全カナダ科学エキスポ」で報告を行う予定だという。

翻訳ソース
http://societas.blog.jp/1057101629#PkmJ5vq.twitter_tweet_box_count

大本のソース(仏語)
http://www.journaldemontreal.com/2016/05/07/un-ado-decouvre-une-cite-maya

5:43 午前  
Blogger yoji said...


ピラミッドがオリオン座の形に並べられたという説があるが↓…
http://nagano.cool.ne.jp/shuei/pyramid.html

【歴史】カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を発見!!©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1462876630/-100

翻訳ソース
http://societas.blog.jp/1057101629#PkmJ5vq.twitter_tweet_box_count

大本のソース(仏語)
http://www.journaldemontreal.com/2016/05/07/un-ado-decouvre-une-cite-maya

【歴史】カナダ人の少年、星座の並びをヒントに古代マヤ文明の都市を発見!!©2ch.net

1 :筑前鐵太郎 ★@無断転載は禁止 ©2ch.net2016/05/10(火) 19:37:10.11 ID:CAP_USER
カナダ・ケベック在住の15歳の少年William Gadoury君は、「マヤ暦で2012年に世界の終りが予言されている」という逸話を知ったことをきっかけに南米の古代文明に興味を持ち、
3年前からある仮説を立てて独自に「研究」を行っていた。その仮説とは、マヤ文明の古代都市が星座の並びを模して配置されているというものである。

Gadoury君は「なぜマヤ文明の都市は川から離れた山奥の不便な場所に造られたのか?」と疑問を持ち、上述の仮説を思いついた。
この仮説を検証するためにGadoury君が使ったツールはなんとGoogle Maps。Gadoury君はマヤのGISをダウンロードして地図上にプロットし、その地図に南米から見ることのできる範囲の星図を重ね合わせてみた。

結果、驚くべきことが明らかになった。マヤ文明の117の都市が実際の星の並びと一致していたのだ。さらにGadoury君は、当時のマヤ文明の星座では重要とされていた星に対応する都市がまだ見つかっていないことに気づいた。
それは現在のオリオン座に相当する部分の星だった。Gadoury君はこの発見をカナダ宇宙庁に報告し、
NASAとJAXAの撮影した画像を提供してもらった。もし仮説の通りなら、メキシコのユカタン半島に未発見の古代都市が存在するはずだった。

衛星画像を拡大して調査した結果、86メートルのピラミッドと数十の家屋からなる新たな都市が発見された。
マヤ文明でこれまで発見された中でも特に規模の大きなこの都市は、Gadoury君によって「K’ÀAK’ CHI’」と名付けられた。これは古代マヤ文明の言葉で「火の口」という意味である。

地元のヒーローになったGadoury君は「3年間の努力と人生の夢が報われました」と語っている。
Gadoury君は5月18日にモントリオールのマギル大学で開催される「全カナダ科学エキスポ」で報告を行う予定だという。

翻訳ソース
http://societas.blog.jp/1057101629#PkmJ5vq.twitter_tweet_box_count

大本のソース(仏語)
http://www.journaldemontreal.com/2016/05/07/un-ado-decouvre-une-cite-maya

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オリオン・ミステリー―大ピラミッドと星信仰の謎: ロバート ボーヴァル, エイドリアン ギルバート, Robert Bauval, Adrian Gilbert, 近藤 隆文: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4140802154#customerReviews


単行本: 370ページ
出版社: 日本放送出版協会 (1995/03)

5つ星のうち 4.0基本文献
投稿者 yojiseki 投稿日 2009/1/4
形式: 単行本
ボーヴァルの発見は、ピラミッド番組などで紹介されるが、その意義は正当に評価されているとは言えない。

(メンカウラー王の小ピラミッドは、本当は、ほかの二基と同じ大きさにする予定だったのだろう、という反論も、本書で証明された当時のオリオン信仰〜それはシュメール経由であり太陽神ラーと対立し消滅寸前だったと思われる〜を否定できない。)

10,500年前の星の位置を意図しただけであってピラミッド製造年がその年とは限らないとは思うが、、、

その説は十分科学的であり、トンデモ本として回収するべきではない。

今日ではメキシコのテオティワカンのピラミッドも相似系だとされているし、世界各国のオリオン信仰(あるいは太陽信仰との相克)の再発見は途上にある。

ちなみに、より厳密には魂の再生を願う民間信仰は以下の推移をたどっていると思う。
トーテム信仰(スフィンクスを含む)→星信仰(航海での位置把握手段。北極星信仰を含む)→太陽信仰(権力者の統制の強化と併行)→歴史忘却及び再発見(現代)。

日本では住吉大社、古代古墳にオリオン信仰の跡がみられる。

視覚に訴える説なので、決定版としてBBC番組のDVD発売が待たれる。

5:55 午前  
Blogger yoji said...


http://potato.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1476312333/-100
【古人類学】古代人の謎の足跡400個超、年代と成因が明らかに 状態のよい極めて貴重な遺跡、タンザニア [無断転載禁止]©2ch.net

1 : もろ禿HINE! ★@無断転載は禁止2016/10/13(木) 07:45:33.49 ID:CAP_USER
古代人の謎の足跡400個超、年代と成因が明らかに | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/101200386/
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/101200386/ph_thumb.jpg


 アフリカに暮らすマサイが「神の山」と呼ぶ火山から15キロほど離れた地点に、人類の足跡が状態よく大量に残されている。これまで謎とされてきたその年代が、1万9000年前から5000年前のものであることが9月28日付けの学術誌「Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology」に発表された。

 400を超える足跡は、テニスコートよりも若干広い程度の範囲に散らばっている。場所はタンザニア、ナトロン湖南岸のエンガレ・セロにある泥地。これほど多くのホモ・サピエンスの足跡が残っている遺跡は、アフリカには他にない。(参考記事:「全長3万3000キロ 人類の旅路を歩く」)

 なかには、時速8キロ以上という小走りほどの速さで泥の上を複数の人間が駆け抜けたことを示唆する足跡があった。また親指の形がやや変わったものもあり、これはおそらく指に怪我をしていたのではないかと推測される。

 その他、主に女性や子供からなる12人ほどのグループが、一斉に南西の方角に向かって歩いたような足跡も見られる。エンガレ・セロの泥の上には、彼らが一歩踏み出すごとにその足から落ちた泥のしずくの跡までがくっきりと残されている。

「初めて現地を訪れて車から降りたとき、私は涙ぐんでしまいました」と語るのは、調査チームのリーダーを務めた米アパラチアン州立大学の地質学者、シンシア・リウトカス・ピアース氏だ。

「私は人類の起源、つまり我々はどこから来たのか、我々が現在の我々であるのはなぜなのかといった問題に強く惹かれます。足跡の遺跡に私たち人類の歴史を見るのはとても感動的でした」

 エンガレ・セロの他にも、長い年月を越えて残ってきた人類の足跡は存在する。たとえばオーストラリアのウィランドラ湖遺跡には、およそ2万年前に付けられた700個の足跡化石がある。また南アフリカの海岸沿いの2つの遺跡には、12万年前に生きていたホモ・サピエンスの足跡が残っている。(参考記事:「人類の出アフリカは定説より早かった?」)

 エンガレ・セロから南西へおよそ100キロの位置にあるタンザニアのラエトリ遺跡には、はるか360万年前の足跡があり、これは人類の祖先であるアウストラロピテクス・アファレンシスのものではないかと考えられている。(参考記事:「初期人類の少女の化石発見」)

 エンガレ・セロの遺跡で特筆すべきは、足跡の数の多さと多様さだ。こうした特徴が、アフリカにいた人類の祖先がどのような暮らしを送っていたのか、その一端を非常に具体的に推測することを可能にしてくれる。(参考記事:「アフリカ以外で最古の人類の足跡」)

「この遺跡はきわめて複雑です」と、米ニューヨーク市立大学の古人類学者で、今回の調査チームに参加しているウィリアム・ハーコート・スミス氏は言う。「特に多くの足跡が付いている場所が1カ所あり、我々はそこを『ダンスホール』と名付けました。これほどたくさんの足跡が1カ所に固まって残っている例は見たことがありません」(参考記事:「謎の人類ホモ・ナレディ、手足は極めて異例だった」)
2 : もろ禿HINE! ★@無断転載は禁止2016/10/13(木) 07:45:49.97 ID:CAP_USER
足跡が発見されるまで

 エンガレ・セロ遺跡は、ナトロン湖畔にそびえるオル・ドイニョ・レンガイ火山と深い関わりがある。標高およそ2300メートルのこの山は、薄く広がる銀色がかった奇怪な溶岩が見られることで知られており、牧畜民のマサイはこの山に登り、神エンガイに雨や牛、子供を授けてもらうために祈りを捧げる。

 調査チームは、足跡が残されていた火山灰をたっぷりと含んだ泥は、オル・ドイニョ・レンガイ山の斜面から流れてきたもので、それが麓に広がって泥地を形成したのだろうと推測している。

 泥の表面は数時間から数日のうちに乾いて固くひび割れ、そこに付けられた足跡が消えずに残された。その後、少なくとも1万年から1万2000年前にまた別の泥が流れてきて一帯を覆い尽くし、それ以降、数千年間にわたって足跡は地中に埋もれたままの状態で保たれることになった。

 地元の村に住むコンゴ・サッカエ氏は、2006年には足跡の存在を知っていたが、これが専門家の目に止まったのは2008年のことだ。きっかけは、ペンシルベニア州の自然保護活動家であるジム・ブレット氏が、現場から数百メートルの距離にあるナトロン湖のキャンプ場に偶然滞在したことであった。

 そこで見たものに衝撃を受けたブレット氏は、できる限り多くの写真を撮影し、以前から知り合いだったリウトカス=ピアース氏に見せることにした。

 ブレット氏の写真を見たリウトカス=ピアース氏は、足跡の保存状態のよさに驚き、すぐさまざまな分野の専門家からなる調査チームを結成した。そのひとりが、彼女の旧友で、米スミソニアン協会の人類起源プログラムに所属する古人類学者、ブリアナ・ポビナー氏だ。(参考記事:「探求の新たなる時代」)

「すべてがほぼ同時期に付けられた足跡が数多く残っているおかげで、古代人類の暮らしの社会的な側面を直接的に研究できます」と彼女は述べている。


火山灰ではなく泥だった

 しかしエンガレ・セロの謎――特に人類が泥の上を歩いた正確な時期――を解き明かすのは、容易なことではなかった。調査チームは、学術誌「Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology」に発表した論文で、その経緯について明かしている。

 彼らは最初、足跡の付いた泥の由来は、オル・ドイニョ・レンガイ山が噴火した後に一帯に降り注いだ灰であろうと考えていた。そうであれば、灰と足跡はほぼ同じ古さ、つまりは12万年前のものということになる。

 しかしその後、灰がエンガレ・セロまで水によって運ばれてきたものであることが判明すると、足跡の年代を特定するためには、泥の中から最も新しい結晶体を見つけ出すという、恐ろしく手間のかかる作業が必要となった。

 足跡の上にある泥から見つかったひとつの貝殻が、これ以上時代が新しいことはあり得ないという限界を特定する決め手となり、足跡が付けられた年代は最終的に、1万9100年前から5000年前であるという結論が導かれた。

 遺跡の年代を特定する作業の遅れによってチームは大いに疲弊させられ、年代の範囲は絞られたものの、人類学的な分析作業は今も立ち往生を余儀なくされている。


3Dスキャン画像で保存も

 エンガレ・セロ遺跡の難解な地質についての論文発表がようやく終わったことで、ポビナー氏とハーコート・スミス氏はこの先、古人類学的な分析が進むだろうと期待している。その内容についてふたりは、2012年に結果が公表された、小走りをする人々や一斉に移動する12人超のグループなど、少なくとも24の足跡についてその特徴が解明された初期調査と似たものになるだろうと述べている。

 リウトカス=ピアース氏はまた、エンガレ・セロを長期間保存する方法についても検討を進めている。

 現在はタンザニア政府が仮の対策として、現場の周囲に有刺鉄線を張って立ち入りを禁止している。しかし万が一最悪の事態が起こったとしても、未来の研究者たちには、8年前にリウトカス=ピアース氏が目にしたのと同じ光景を見る手段が残されている。調査チームがスミソニアン協会の協力の元に作成した、エンガレ・セロ遺跡全体の3Dスキャン画像があるからだ。(参考記事:「レーザーで遺跡をデジタル保存」)

 リウトカス=ピアース氏は言う。「たとえ遺跡への立ち入りや調査が禁止されたとしても、我々には3Dプリンターで遺跡の複製を作ることも可能です」(参考記事:「未来の形を変える3Dプリント」)
3 : 名無しのひみつ@無断転載は禁止2016/10/13(木) 07:49:25.41 ID:E0+nER/O
南極からアフリカへ移住した場合、話が・・・・だ

9:12 午後  
Blogger yoji said...


https://www.amazon.co.jp/オリオン・ミステリー―大ピラミッドと星信仰の謎-ロバート-ボーヴァル/dp/4140802154 1995
5つ星のうち 4.0基本文献
投稿者 yojiseki 投稿日 2009/1/4
形式: 単行本
ボーヴァルの発見は、ピラミッド番組などで紹介されるが、その意義は正当に評価されているとは言えない。

(メンカウラー王の小ピラミッドは、本当は、ほかの二基と同じ大きさにする予定だったのだろう、という反論も、本書で証明された当時のオリオン信仰〜それはシュメール経由であり太陽神ラーと対立し消滅寸前だったと思われる〜を否定できない。)

10,500年前の星の位置を意図しただけであってピラミッド製造年がその年とは限らないとは思うが、、、

その説は十分科学的であり、トンデモ本として回収するべきではない。

今日ではメキシコのテオティワカンのピラミッドも相似系だとされているし、世界各国のオリオン信仰(あるいは太陽信仰との相克)の再発見は途上にある。

ちなみに、より厳密には魂の再生を願う民間信仰は以下の推移をたどっていると思う。
トーテム信仰(スフィンクスを含む)→星信仰(航海での位置把握手段。北極星信仰を含む)→太陽信仰(権力者の統制の強化と併行)→歴史忘却及び再発見(現代)。

日本では住吉大社、古代古墳にオリオン信仰の跡がみられる。

視覚に訴える説なので、決定版としてBBC番組のDVD発売が待たれる。

5:46 午前  
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ベストアンサーに選ばれた回答
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manase8775さん 2010/2/1219:47:13
田村麻呂とアテルイやモレは、和議を結ぶということで記500人を引き連れ投降、その後二人は京にむかいます。

そこで待っていたのは公家たちの「殺せ」の判断でした。
この二人のをとても恐れた結果ですね。当時朝廷は、蝦夷軍の強さに恐怖していました。
何しろ、その前の巣伏の戦いで少数の蝦夷奇襲軍に朝廷精鋭軍が壊滅させられましたから。
で、殺されたのは、河内の杜山だったような。アテルイらを一目見ようと民衆が大勢集まったらしいです。


蝦夷と呼ばれた東北地方の人々の能力のすごさは有名でした。
そこで朝廷は、むつ国(岩手・宮城北部)の蝦夷達は諸国に移動配置しました。入れ替わり、大量の坂東・東山道付近の住民を入植させました。出羽国の蝦夷・ミシハセなどは、移動させられることなく、日本人と共に東北人を増やしました。
今でもその名残があって、山形・秋田あたりの子供たちは背が日本で1といってもいいくらい高いそうです。
先の戦争でも東北出の部隊はとても強く、逆に関西の部隊は弱かったそうです。

ナイス 2
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質問した人からのコメント2010/2/18 21:53:30
坂上田村麻呂は助命する気があっても、アテルイ、モレは人を信じて騙されて殺されてしまったんですよね。可哀想な気がします。

4:29 午後  
Blogger yoji said...


内容説明
なぜホモ・サピエンスだけが繁栄したのか?国家、貨幣、企業…虚構が文明をもたらした!48カ国で刊行の世界的ベストセラー!


サピエンス全史 上 / ハラリ,ユヴァル・ノア【著】〈Harari,Yuval Noah〉/柴田 裕之【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
2016
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784309226712
上目次
第1部 認知革命
唯一生き延びた人類種
虚構が協力を可能にした
狩猟採集民の豊かな暮らし
史上最も危険な種

第2部 農業革命
農耕がもたらした繁栄と悲劇
神話による社会の拡大
書記体系の発明
想像上のヒエラルキーと差別

第3部 人類の統一
統一へ向かう世界
最強の征服者、貨幣
グローバル化を進める帝国のビジョン
下目次
第3部 人類の統一
宗教という超人間的秩序
歴史の必然と謎めいた選択

第4部 科学革命 無知の発見と近代科学の成立
科学と帝国の融合
拡大するパイという資本主義のマジック
産業の推進力
国家と市場経済がもたらした世界平和
文明は人間を幸福にしたのか
超ホモ・サピエンスの時代へ

サピエンス全史 下 / ハラリ,ユヴァル・ノア【著】〈Harari,Yuval Noah〉/柴田 裕之【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784309226729
内容説明
文明は人類を幸福にしたのか?帝国、科学、資本が近代をもたらした!現代世界の矛盾を鋭くえぐる!

著者紹介
ハラリ,ユヴァル・ノア[ハラリ,ユヴァルノア] [Harari,Yuval Noah]
1976年生まれのイスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えている。軍事史や中世騎士文化についての3冊の著書がある。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している

柴田裕之[シバタヤスシ]
翻訳家。早稲田大学、Earlham College卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社内容情報
虚構が他人との協力を可能にし、文明をもたらした! では文明は人類を幸福にしたのか? 現代世界を鋭くえぐる世界的ベストセラー!

ユヴァル・ノア・ハラリ[ハラリ,Y.N]
イスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えている。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。
柴田 裕之[シバタ ヤスシ]
翻訳家。早稲田大学・Earlham College卒業。訳書にブオノマーノ『バグる脳』、コスリン/ミラー『上脳・下脳』、リフキン『限界費用ゼロ社会』、ファンク『地球を「売り物」にする人たち』など。

2:59 午前  
Blogger yoji said...

物理
化学
生物
歴史学的現象

135億年前

物理学的現象   物質エネルギー時間空間の誕生 化学的現象原子の誕生(物質×エネルギー)分子の誕生(原子の結合)の現象が誕生約38億年前~約20万年前生物学的現象  有機体の誕生ホモ属の誕生ホモ・サピエンスが進化人類だけが歴史的現象を発生させており、そこに人類が地球上で成功している大きな理由がある。約7万年前歴史的現象認知革命が起こり、サピエンス(ホモ・サピエンス)による文化の形成が始まる

10:24 午後  
Blogger yoji said...

サイエンス全史

物理
化学
生物
歴史学的現象

135億年前
物理学的現象   物質エネルギー時間空間の誕生

 化学的現象原子の誕生(物質×エネルギー)分子の誕生(原子の結合)の現象が誕生

約38億年前~約20万年前
生物学的現象  有機体の誕生ホモ属の誕生ホモ・サピエンスが進化人類だけが歴史的現象を発生させており、そこに人類が地球上で成功している大きな理由がある。

約7万年前
歴史的現象認知革命が起こり、サピエンス(ホモ・サピエンス)による文化の形成が始まる

10:27 午後  
Blogger yoji said...

https://note.mu/my_kyon_note/n/n31bcbd197a73

10:28 午後  
Blogger yoji said...

サイエンス全史

物理
化学
生物
歴史学的現象

_____
宇宙の成り立ち

宇宙の創生から4つの現象が誕生

135億年前
物理学的現象   物質エネルギー時間空間の誕生

 化学的現象原子の誕生(物質×エネルギー)分子の誕生(原子の結合)の現象が誕生

約38億年前~約20万年前
生物学的現象  有機体の誕生ホモ属の誕生ホモ・サピエンスが進化人類だけが歴史的現象を発生させており、そこに人類が地球上で成功している大きな理由がある。

約7万年前
歴史的現象認知革命が起こり、サピエンス(ホモ・サピエンス)による文化の形成が始まる

https://note.mu/my_kyon_note/n/n31bcbd197a73

10:31 午後  
Blogger yoji said...

サイエンス全史

物理→化学→生物→歴史学的現象

_____
宇宙の成り立ち

宇宙の創生から4つの現象が誕生

135億年前
物理学的現象   物質エネルギー時間空間の誕生

 化学的現象原子の誕生(物質×エネルギー)分子の誕生(原子の結合)の現象が誕生

約38億年前~約20万年前
生物学的現象  有機体の誕生ホモ属の誕生ホモ・サピエンスが進化

約7万年前
歴史的現象認知革命が起こり、サピエンス(ホモ・サピエンス)による文化の形成が始まる




人類だけが歴史的現象を発生させており、そこに人類が地球上で成功している大きな理由がある。

https://note.mu/my_kyon_note/n/n31bcbd197a73

10:33 午後  
Blogger yoji said...

nhkその時歴史
世界偉人編 編集
(ISBN 978-4-8342-7394-6 / 発売日:2007年9月14日)

マルコ・ポーロ『マルコ・ポーロは見た巨大国家の盛衰—「東方見聞録」誕生の時』(画:柳リカ)
ガリレオ・ガリレイ『それでも地球は動いたガリレオ・ガリレイの栄光と挫折』(画:牟田康二)
ベートヴェン『ベートーヴェン第九誕生!—民衆に自由を呼びかけた交響曲』(画:しろみかずひさ)
カラカウア王『幻のハワイ日本連合—カラカウア王・祖国防衛に賭けた生涯』(画:御堂司)
アラビアのロレンス『悲劇の英雄—“アラビアのロレンス”の真実』(画:高芝昌子)
ヘレン・ケラー『人生に絶望なし—ヘレン・ケラー来日の時』(画:狩那匠)

11:13 午後  
Blogger yoji said...

NHKその時歴史が動いた コミック版 世界偉人編 (ホーム社漫画文庫) 文庫 – 2007/9/14

マルコ・ポーロ『マルコ・ポーロは見た巨大国家の盛衰—「東方見聞録」誕生の時』(画:柳リカ)
ガリレオ・ガリレイ『それでも地球は動いたガリレオ・ガリレイの栄光と挫折』(画:牟田康二)
ベートヴェン『ベートーヴェン第九誕生!—民衆に自由を呼びかけた交響曲』(画:しろみかずひさ)
カラカウア王『幻のハワイ日本連合—カラカウア王・祖国防衛に賭けた生涯』(画:御堂司)☆
アラビアのロレンス『悲劇の英雄—“アラビアのロレンス”の真実』(画:高芝昌子)
ヘレン・ケラー『人生に絶望なし—ヘレン・ケラー来日の時』(画:狩那匠)




柳 リカ (著), しろみ かずひと (著), 三堂 司 (著), 狩那 匠 (著), 高芝 昌子 (著), 牟田 康二 (著), NHK取材班 (編集)
5つ星のうち 4.7 3件のカスタマーレビュー
その他()の形式およびエディションを表示する
文庫
¥ 751 より

11:15 午後  
Blogger yoji said...

BS1スペシャル▽“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス~[字]
1/1 (火) 21:00 ~ 22:50 (110分) NHK BS1(Ch.1) ドキュメンタリー/教養
iEPGおまかせ気になる
BS1スペシャル▽“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス[字][再]
1/6 (日) 13:00 ~ 14:50 (110分) NHK BS1(Ch.1) ドキュメンタリー/教養
iEPGおまかせ気になる

4:33 午前  
Blogger yoji said...

【中国】ウィキペディア遮断 天安門事件30年控え規制か[5/18]

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1右大臣・大ちゃん之弼 ★ 転載あかん2019/05/19(日) 01:12:22.89ID:CAP_USER>>52>>61>>68
【重慶=多部田俊輔】インターネット百科事典「ウィキペディア」を運営する米国の非営利組織、ウィキメディア財団は18日までに、中国で全面的にウィキペディアの利用ができなくなったと発表した。これまでも日本語や中国語は利用できなかったが、海外の中国語メディアなどによると、4月下旬までに英語版などのアクセスも遮断されたという。

中国当局が民主化運動を武力弾圧した天安門事件から6月4日で30年となるのを控え、警戒を強める中国当局がネット統制を強化した可能性がある。ウィキメディア財団は遮断の理由は分からず、当局からの通知はないとしたうえで、公開情報の自由な入手は「基本的な人権だ」と主張し、遮断の解除を求めた。

中国当局は治安維持を目的に「ネットの長城」と呼ばれるネット監視システム「金盾工程」を構築している。2009年にはチベット族やウイグル族の抗議活動などに関する動画などを掲載したとして米動画サイトのユーチューブ、米フェイスブック、米ツイッターの利用をできなくした。

10年には検閲を巡って中国当局と対立した米グーグルの検索サービスの利用もできなくなった。中国政府は17年にビッグデータの持ち出し規制などを盛り込みネット空間の統制を強めたインターネット安全法を施行し、日本のヤフーの検索サービスも使えないようにした。

中国当局は外国のネットサービスの多くを排除したうえで、中国国内のネットメディアや交流サイト(SNS)の運営企業には24時間体制で掲載内容を厳しくチェックする体制を構築させている。中国共産党や政府への批判を押さえ込み、ネットがけん引する国内世論への統制を強めている。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44977150Y9A510C1000000/
日本経済新聞 2019/5/18 11:52
37(´・ω・`)(`ハ´  )さん2019/05/19(日) 02:30:30.52ID:DrnBjc4C
ネット社会では「六四天安門事件」の文言は
共産党工作への結界のお札代わりになるらしいね

変な思想の人がネットで絡んできたら
「六四天安門事件」の文言を一言つぶやけば
大陸のサーバーが自動的に遮断して
海の向こうに居る工作員も入って来れなくなるらしいよ

38(´・ω・`)(`ハ´  )さん2019/05/19(日) 02:31:12.42ID:cTL+zESj>>40

1:48 午後  

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