(
ライプニッツ、
リンク:::::::::)
ライプニッツは『弁神論』で悪を形而上学的、物理的、道徳的悪の三つに分け、
神が(悪を含む)不完全な世界を作ったのではないかという批判に反論する(神を弁護する)。
最終部のピラミッドを使った可能世界の寓話が著名である。
ちなみにスピノザは同様の疑問に以下のように答えている。
「さらになぜ神はすペての人間を理性の導きのみによって導かれるようなふうに創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとするほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでのすべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは(もっと本源的な言いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、ある無限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ包括的なものであったからである、と。」
スピノザ『エチカ』第一部付録ラストより
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1f
邦訳ライプニッツ著作集8参照:
弁神論
形而上|
学的悪|物理的悪
____|____
道徳的悪|
|
付録:
「神の大義」(Causa dei)
30、31
32、
30 形而上学的な悪、非叡智的な事物の不完全性(通常ここに類別される畸形はライプニッツによってここには入らないとされる。(『弁神論』241))
31 物理的な悪、苦痛。
32 道徳的な悪、罪科の悪。
直視の知は「神の大義」16、もしくは『弁神論』第一部40節以下参照。
直視の知=無限のピラミッド(弁神論413〜7)参照。
http://philosophyfaculty.ucsd.edu/faculty/ctolley/texts/leibniz.html
Bd. VI (Berlin, 1885)
Essais de Théodicée 1710
(Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal)
Causa dei
Philosophische Abhandlungen (1702-1716), incl:
Lettres a Koenigin Sophie Charlotte
Principes de la Nature et de la Grace, fondes en raison
Monadologie
[googlebooks] [pdf]
http://books.google.co.jp/books?id=t84YAAAAIAAJ&as_brr=1&source=gbs_summary_s&redir_esc=y
以下は「弁神論」付録、「神の大義(Causa dei)」のライプニッツ自身によるチャート図。
(邦訳書292-3頁参照)
『弁神論』本体と多少力点が神に重きを置きすぎる点で違いはあるが呼応する。
神の大義(1)
_
| 神は他から独立(4〜6)
_ |
| 全能_| _
| | | 可能的なものは神の知性に依存する(7〜8)
| | | _
_ | |_万物は神に依存_| | 保存により
| 偉 | | | 存在することによって(9)
| 大_| |_現実的なものは |
| さ | 神の意志に依存する__| 協働により
| | |_作用することによって
| 力能と知を (10〜12)
| 完全なもの
| にする(2〜3)
予 | | _
備 | | | 単純叡智の知、可能的なものについての知(15)
的_| |_全知_| 直視の知、現実的なものについての知(16)
考 | |_中知、その何たるか(17)
察 | _
| | その本性は自由を要求し、必然性を排除する(20〜22)
神 | _ | _
の | | 意志_| | 先行的意志と帰結的意志(24〜27)
善 | | |_その分類(23)_|
意 | 善_| |_産出的意志と容認的意志(28)
と |_意 |
偉 意志を
大 完全な
さ ものにする(18〜19)
を | _
別 |意志の _ | 形而上学的で非叡智的な善・悪(30)
々 |理由す | 種類_| 物理的善・悪、苦痛としての悪(31)
に |なわち_| |_道徳的善・悪、罪科としての悪(32)
扱 |_善悪 |
う |_右の区別を神の意志にあてはめる(33〜39)
_
| 被造物一般、摂理(41〜49)
| _
| | 神の正義、その特殊な意味、現在と未来の生での叡智者の物理的善・悪(51〜59)
| | _
本 | | | 道徳的に。少なくとも容認することによって。だがこれは
論 | | | 上位の道徳的必然性の帰結としてである(66〜67)
・ | | _ |
神 | 叡 | | 神は罪や道徳的悪に
の | 智 | | 大いに協働する(61ー65)
偉_| 的 | 道 | |
大 | 被 | 徳 | | 物理的に、協働により。だがこれは悪が善を
さ | 造 | 的 | |_含むがゆえに生ずる(68〜73) _
と | 物_| 善 | _ _ | 神による
善 | と | ・ | | 最初の人間の | その原因_|(76〜78)
意 | そ | 悪 | _ | 堕落による____| |_人間による(79)
を | の | (60・61) _ | 腐敗の原因_| |_その構成(80)
一 | 統 | こ | | 腐敗_| |_後世の感染、魂の起源(81ー85)
緒 | 治 | れ_| | (75)|
に (50)| へ | _ | | _原罪、その範囲(86〜90)
扱 |_ | の | | 本性の欠陥 |_罪の構成__| _
う | 反 | | のゆえに | | 現実的罪(92)
(40) |_論 | | | |_派生的罪(91)_|
| | | |_習性的罪(93〜96)
| | | _
| | | | 叡智者の光の中で(98〜100)
| | |_ 潔白さの残存(97)____|
| | | 意志の自由において消えぬもの(101〜108)
| | |_(反論に答えて)
| | _ _
| 人間はさほどに | 意志する者に これは万人に与えられる。所与の恩寵を善用す | 通常の恩寵
|_協働しない | とっての る者にはこの最高段階は拒まれない。_____|(100)
(74) | 十分なる恩寵 |_尋常ならざる恩寵
| | (111〜113)
| 思寵の | _
| 欠陥 | 意志する | 人間嫌い 神の恩寵がある間は
| ゆえに__| ために これは万人に |(115〜 勝ちを収める(128〜129)
|_(109)| 実効的に 与えられている | 127) 神の善行は誤って少数の選ぱれた者に
| 恩寵 わけではない。 | 限られる (130〜133)
|_(114)これがないと |
陥るのが____| えこひいき 個別事象の究極的理由と
| キリストにおける 状況の次第からパウロの
| 選びの理由 「深み」を知らねばならない。
|_(134〜138) 万物の調和は無限の考察を
含むがゆえに(139〜144)
以下、『弁神論』最終部より。上のチャート化された「神の大義」(1〜144)の節番号にあえて当てはめるなら、14〜17に対応するだろう。
四一六 それらの部屋は[全体で]ピラミッドを形作っていた。頂上に近づくほど各部屋は必ずや一層美しさを
増し、ますます美しい世界を繰りひろげていた。遂にそのピラミッドの頂点にまで行き着くと、そこはすべての部屋の中
で最も美しいところであった。というのも、ピラミッドには一つの出発点はあるがその終点は見えないからである。つま
り、一つの[頂]点はあるが底面はないからである。[底に向かって]無限に増大して行くのである。それは、(女神が説明したよ
うに)無数の可能的な世界の中で最善なる世界があるからである。さもなければ、神はおよそ世界を創造しようと決意す
ることができなくなってしまう。しかしこの頂点の部屋の下のどの階にも、その部屋ほどに完全であるような部屋はない。
したがって、このピラミッドは下に向かって無限に延びている。テオドロスはこの頂上の部屋に入ると、法悦の境地に達
し、われを失ってしまった。彼には女神の助けが必要であった。神酒の一滴が舌に注がれると彼はわれに返った。彼はも
はや歓喜を覚えることはなかった。
女神が言う。「わたしたちはいま真の現実世界にいます。あなたはここでの幸福の出発点に立っておいでです。
ご覧なさい。これはユピテルがあなたのために用意なさった世界です。あなたがユピテルに忠実に仕え続けるならこのよ
うになるのです。こちらはセクストゥスのありのままの姿です。現実にこのようになるのです。彼は怒って宮殿を立ち去
ると神々の忠告を軽蔑します。彼がローマに行き、手当りしだい滅茶苦茶に振る舞い友人の娘に暴行を働くのがわかるで
しょう。こうして彼は父親と共に追われ、戦に破れて不幸な目に遇うのです。もしユピテルがここでセクストゥスをコリ
レトスに赴かせトラキアの王として幸福にさせようとなさるなら、それはこの世界とは違ってくることでしょう。しかし
ユピテルはこの世界を選択せざるを得ませんでした。この世界は他のすべての世界を完全性において上回り、ピラミッド
の頂点をなしているのです。もしこの世界を選択なさらないとしたら、ユピテルはご自分の知恵に背くことになり、娘で
ある私を追放なさることでしょう。あなたもご覧になったように、私の父がセクストゥスを悪人になさったのではありま
せん。セクストゥスは永遠の昔から悪人でした。彼は常に自由に悪人となっていたのです。父は彼に存在をお与えになっ
ただけです。セクストゥスを含む世界に対して父の知恵はこのような存在を拒むことができなかったのです。父はセクス
トゥスを可能なるものの領域から現実存在の領域へとお移しになりました。セクストゥスの犯罪は大局的には役に立って
います。彼はローマを解放し、帝国の偉大な範となるべき大帝国を築かせたのです。しかしそれはこの世界の全体を犠牲
にしてのことではありません。この世界の美しさはあなたが称えていらっしゃる通りです。あなたが現在の死すべき状態
から幸いにしてより幸福なる別の状態へと移り行けば、神々の力によりあなたはそのことを理解なされることでしょう。」
四一七 この瞬間テオドロスは目覚めた。彼は女神に感謝し、ユピテルの正しさを認め、見聞きしたことにつ
いて深く考えた。彼は、神の真なる僕としての熱意に燃え、死すべき者に許された歓喜に打ち震えて、偉大なる供儀者
の務めを続けた。以上のように話を続けてきたのは、こうすればヴァラが触れようとはしなかった難点を解明することが
できると思われたからである。もしアポロンが神の直視の知(これは存在に関わるものだが)をうまく表現していたなら、バラ
スはいわゆる単純叡智の知(これはあらゆる可能的なものに関わる)を擬人化するという誤りを犯すことはなかったであろうが、
ここにこそ万物の源泉を求めるべきなのである。 了
邦訳著作集第8巻158〜160頁より
以下、「神の大義」(Causa dei)より
一四 可能的なものについての知は、単純叡智の知と言われる。この知は、諸事物にも諸事物相互の結びに
にも関わっている。ところで、事物にも事物相互の結び付きにも、それぞれに必然的なものと偶然的なものとがある。
一五 可能的で偶然的なものは、それぞれ個別に考察することもできるし、無数の可能的世界のそれぞれの全
体性の中で互いに秩序づけられたものとして考察することもできる。この無数の可能的世界の各々は神によって完全に知
られているが、そのうち一つの世界だけが存在へと至るのである。実際、多くの世界が現実に存在していると想像するこ
とは無意味である。なぜなら、あらゆる場所あらゆる時間に存在する被造物を普遍的に包括することは、われわれにとっ
ては一つの世界においてのみできることだからである。ここでは世界という言葉をこの意味で用いる。
一六 現実的なものについての知、もしくは存在へと至った世界についての知、そしてその世界における過去・
現在・未来のすべてのものについての知は、直視の知と呼ばれる。この知が、可能的と見なされた当の世界についての単
純叡智の知と異なるのは、直視の知には反省的認識が付け加わっているという点だけである。この認識によって神は、世
界を存在へと至らしめる自らの決意について知ったのである。この知以外に、神の予知の基礎を求める必要はない。
一七 いわゆる中知は、既に示した意味において、単純叡智の知の下位にあるものと理解される。しかしもし
この中知を単純叡智の知と直視の知との間におこうとするなら、単純叡智の知と中知は普通とは違ったように理解される
ことになろう。つまり中知は、一定の条件の下で未来のことついて認められるだけではなく、一般に可能的で偶然的なも
のについても認められることになる。そうすると単純叡智の知の方が制限されていると考えられる。つまりそれは可能的
で必然的な真理[のみ]に与っていることになる。そして中知は可能的で偶然的な真理に与り、直視の知は偶然的で現実
的な真理に与る。中知は第一の[単純叡智の]知と共通点を有することになろう。どちらも可能的真理に与るからである。
中知は最後の[直視の]知とも共通点を有している。どちらも偶然的真理に与るからである。
一八 これまでは神の偉大さについて論じてきた。ここからは神の善意について検討しよう。ところで、知恵、
つまり真なるものについての認識が知性の完全性であるように、善意、つまり善なるものへの欲求は意志の完全性である。
すべての意志は確かに善なるものをその対象としている。少なくとも見かけの上ではそうである。しかし神の意志は、善
でありかつ同時に真であるもののみをその対象としている。
…
二九 これまでは意志について論じてきた。次には意志する[欲する]ことの理由、つまり善と悪とについて論
じよう。善も悪も三つに分けられる。形而上学的な善と悪、物理的な善と悪、道徳的な善と悪である。
三〇 形而上学的な善と悪は、一般に[それぞれ]非叡智的な事物の完全性と不完全性とに存する。キリストは
言った。天の父は野の百合のことも雀のことも心配している、と。『ヨナ書』では、神は獣に配慮をしている。
三一 物理的な善と悪は、とりわけ叡智的実体にとっての快適さと不快さと解される。苦痛の悪はこの不快さ
に属する。
三二 道徳的な善と悪は、叡智的実体の行為についての、有徳さと悪徳さと解される。罪科の悪はこの悪徳に
属する。この意味で物理的悪は道徳的悪から生じ得るのである。もっとも、このこと[二極の悪の関係]が常に同じ人につい
て言えることだとは限らない。しかしともかく、異常と見られるようなものも、それを利用して埋め合わせをすることが
できる。ちょうど、無実の者でも、[来世の幸せを信じて現世の悪の]苦しみを甘んじて受けることがあるのと同じである。
この点については以下の五五節で論じる。
邦訳著作集第8巻256〜261頁より
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/1710.html
「神の大義」(Causa dei)
_神の偉大さ(ピラミッド)
|
| 別々
|
|_善意(意志。三つの悪の分類)
意志の方向、自由
意志の理由、善悪
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
無限級数を思わせる。
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
(「神の大義」122邦訳285頁)
形而上|
学的悪|物理的悪
____|____
道徳的悪|
|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
この副題は以下の構図を明確にする。
悪___(意志の理由)__善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
_神の偉大さ_
| |
| 一緒
| |
|_善意____|
協働あり(三つの悪)
協働なし(具体的、罪科の悪)
44 Comments:
「神の大義」(Causa dei)
_神の偉大さ
| 別々
|_善意
_神の偉大さ
| 一緒
|_善意
協働あり(三つの悪)
協働なし(具体的、罪科の悪)
「神の大義」(Causa dei)
_神の偉大さ(ピラミッド)
| 別々
|_善意(意志。三つの悪の分類)
_神の偉大さ
| 一緒
|_善意
協働あり(三つの悪)
協働なし(具体的、罪科の悪)
スピノザ『エチカ』第一部付録ラスト
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1f
さらになぜ神はすペての人間を理性の導きのみによって導かれるようなふうに創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとするほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでのすべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは(もっと本源的な言いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、ある無限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ包括的なものであったからである、と。
意志の方向、自由
意志の理由、善悪
「神の大義」(Causa dei)
_神の偉大さ(ピラミッド)
| 別々
|_善意(意志。三つの悪の分類)
意志の方向、自由
意志の理由、善悪
_神の偉大さ
| 一緒
|_善意
協働あり(三つの悪)
協働なし(具体的、罪科の悪)
Le Choix du monde et la creation des monades
http://muse.hum.fukuoka-u.ac.jp/~hiraiya/leibniz/leibniz1998.htm
2-2. <単なる知性の知>・<中間知>・<直視の知>
では、帰結的意志に対応する知性の働きとはなんであろうか。意志における先行的/帰結的の区別に対応する区別として、知性においては、<単なる知性の知la science de simple intelligence10>、<中間知la science moyenne>(および<直視の知la science de Vision>)が挙げられる。ライプニッツは、モリナと共に、神の全知をその対象への関わり方に応じて三種に区分している(cf. CD 14-7, G6:124-5 [6:151] , COF:2-3, 17, Arnauld:110-111 etc.)。(1)単なる知性の知は「可能的で必然的な真理に与り」、(2)中間知は「可能的で偶然的な」、(3)直視の知は「偶然的で現慟的な」真理に与る11。
<単なる知性の知>が、第1節でみてきたような諸可能性の領野としての神の知性を意味とすることは、そこにおける諸項の可能的かつ必然的な性格から言って明白であろう。ところで、選択に際して最善を認識する働きは、偶然的な真理に関わるが、ライプニッツにおいてはこの選択(決定)自体可能的なものと規定される。「偶然的真理が可能的であることの概念のうちには、その原因である神の自由決定が可能的であることが含まれている(Arnauld (9):116 [8:260])」というわけである。こうして「神の決定は可能的なものと解される(ibid.)」。とすれば<中間知>がこの選択=決定(帰結的意志)に相当するものであることは明白である。
http://muse.hum.fukuoka-u.ac.jp/~hiraiya/leibniz/leibniz1998.htm
2-1. <先行的意志>・<帰結的意志>
現実世界の選択は、もちろん神の「意志」によるものだが、ライプニッツはトマスやスコトゥスに倣ってこの意志をさらに分析し、単に「善」を欲する意志と「最善」を欲する意志とを区別している(Theo 22-25, 116etc.)。前者が先行的意志、後者が帰結的意志と呼ばれ、神の「決意Decretum, Decret」とはとりわけこの後者の帰結的意志を指す(CD 26)、とされる。先行的意志とは、「結合から全く切り離された個々の善と悪それ自体に関わる(Theo 119)」もので、それぞれの個別的善の実現へと「無制限にindefiniment (Theo 222)」向かう、「切り離された detaches 決意(Theo 196)」である。だがこれはいまだ個別的な善の考察にとどまっているが故に、「真の決意」とは区別されねばならない(ibid.)。この意志は、単に可能的な肯定的諸項の「それぞれの善と悪の程度degreに応じて(強調引用者、G6:382[7:171], cf. CD24 [7:259])」しか善を目指さないのであり、秩序における「最善」を考慮しないのである8。これら先行的意志は、いわばそれぞれが「考えられる全ての善へと向かおうとする」、「諸々の傾向性inclinations (Theo 325)」なのである。そしてこれら先行的意志の「競合 concursus (CD26)」・「抗争 conflit (Theo22)」から、最終的で決定的なものとしての帰結的意志が結果する。この「究極的かつ全体的意志(G6:382 [7:171])」は、個別的な先行的意志を総合し、最大限に共存在可能な諸項の配列へと収斂させるのである。
第1節でみたような知性との類比性をここで確認することができる。選択以前の諸観念の領域としての知性が、いわば俯瞰的な視点を持たないが故に、他の可能性との間に生じうる論理的背理にかえって関知することなく一切の個別的な可能性を包摂できたように、先行的意志もまた、個々の善を、単独で・したがって他の善との間に生じうる道徳的背理に関知することなく・対象とするのである。このように、選択に先立っては、神は知性においても意志においても、何ら全てを「秩序」のもとで監視する超越的な視点を有さない。とすれば、神が可能的諸「項」から可能的諸「世界」をまず構成し、ついでこれら複数の可能的諸世界を外在的な視点から対象化・比較考量することによって最善なる世界を選択する、という描像がいかに妥当でないかは明白である。このような描像には、諸可能性がそれ自体として有する「現実存在への要求」や、「善悪の程度」の競合・抗争という観点が取り落とされてしまうからである。「本質はそれ自身で現実存在へと向かう(G7:303 [8:94])」。選択において神は、散在する多数の内的視点の競合として、むしろ徹底的に内在的な自己組織化を行っていると考えるべきであろう(cf. Belaval:400.)9。
_
| 神は他から独立(4〜6)
_ |
| 全能_| _
| | | 可能的なものは神の知性に依存する(7〜8)
| | | _
_ | |_万物は神に依存_| | 保存により
| 偉 | | | 存在することによって(9)
| 大_| |_現実的なものは |
| さ | 神の意志に依存する__| 協働により
| | |_作用することによって
| 力能と知を (10〜12)
| 完全なもの
| にする(2〜3)
予 | | _
備 | | | 単純叡智の知、可能的なものについての知(15)
的_| |_全知_| 直視の知、現実的なものについての知(16)
考 | |_中知、その何たるか(17)
察 | _
| | その本性は自由を要求し、必然性を排除する(20〜22)
神 | _ | _
の | | 意志_| | 先行的意志と帰結的意志(24〜27)
善 | | |_その分類(23)_|
意 | 善_| |_産出的意志と容認的意志(28)
と |_意 |
偉 意志を
大 完全な
さ ものにする(18〜19)
を | _
別 |意志の _ | 形而上学的で非叡智的な善・悪(30)
々 |理由す | 種類_| 物理的善・悪、苦痛としての悪(31)
に |なわち_| |_道徳的善・悪、罪科としての悪(32)
扱 |_善悪 |
う |_右の区別を神の意志にあてはめる(33〜39)
ライプニッツは『弁神論』で悪を形而上学的、物理的、道徳的悪の三つに分け、
神が(悪を含む)不完全な世界を作ったのではないかという批判に反論する(神を弁護する)。
以下は邦訳著作集第八巻付録「神の大義」(弁神論の付録)にあるライプニッツ自身によるチャート図。
弁神論本体と多少力点が神に重きを置きすぎる点で違いはあるが呼応する。
http://2.bp.blogspot.com/-X5TtSTo09eY/Unm1quYwmYI/AAAAAAAAY_E/UGnzMErPxAg/s1600/leibniz.jpg
神の大義 122
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
邦訳285頁
ライプニッツは『弁神論』で悪を形而上学的、物理的、道徳的悪の三つに分け、
神が(悪を含む)不完全な世界を作ったのではないかという批判に反論する(神
を弁護する)。
ちなみにスピノザは同様の疑問に以下のように答えている。
「さらになぜ神はすペての人間を理性の導きのみによって導かれるようなふうに
創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとするほかは
ない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでのすべてのも
のを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは(もっと本源的な言
いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、ある無限の
知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ包括的なものであ
ったからである、と。」
スピノザ『エチカ』第一部付録ラストより
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1f
以下は邦訳著作集第八巻付録「神の大義」(弁神論の付録)にあるライプニッツ自身によるチャート図。
弁神論本体と多少力点が神に重きを置きすぎる点で違いはあるが呼応する。
http://2.bp.blogspot.com/-X5TtSTo09eY/Unm1quYwmYI/AAAAAAAAY_E/UGnzMErPxAg/s1600/leibniz.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-hgZG3kqtpcQ/UnmrDD3pP5I/AAAAAAAAY-s/GeH-9tR0MlQ/s1600/causadei1.jpg
http://1.bp.blogspot.com/-9r-v7SipmzQ/UnmrD6c1vmI/AAAAAAAAY-0/-Abj-7dK_90/s1600/causadei2.jpg
ヤスパースはライプニッツの影響を受けているだろう。
カントはライプニッツを矮小化した上で影響を受けているようだ。
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
副題は以下の構図を明確にする。
悪______善
\ /
\ /
\/
人間の自由
底のない可能世界のピラミッド
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
/ \
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜
底のない可能世界のピラミッド
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
/__________\
底のない可能世界のピラミッド
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
/__________\
無限級数を思わせる。
底のない可能世界のピラミッド
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
/ \
無限級数を思わせる。
「神の大義」(Causa dei)
_神の偉大さ(ピラミッド)
| 別々
|_善意(意志。三つの悪の分類)
意志の方向、自由
意志の理由、善悪
_神の偉大さ
| 一緒
|_善意
協働あり(三つの悪)
協働なし(具体的、罪科の悪)
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
副題は以下の構図を明確にする。
意志の
悪__理由__善
\ /
\ /
\/
意志の
方向
人間の自由
底のない可能世界のピラミッド
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
/ \
無限級数を思わせる。
「神の大義」(Causa dei)
_神の偉大さ(ピラミッド)
| 別々
|_善意(意志。三つの悪の分類)
意志の方向、自由
意志の理由、善悪
_神の偉大さ
| 一緒
|_善意
協働あり(三つの悪)
協働なし(具体的、罪科の悪)
底のない可能世界のピラミッド
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
/ \
無限級数を思わせる。
形而上|
学的悪|物理的悪
____|____
道徳的悪|
|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
副題は以下の構図を明確にする。
意志の
悪__理由__善
\ /
\ /
\/
意志の
方向
人間の自由
「神の大義」(Causa dei)
_神の偉大さ(ピラミッド)
| 別々
|_善意(意志。三つの悪の分類)
意志の方向、自由
意志の理由、善悪
_神の偉大さ
| 一緒
|_善意
協働あり(三つの悪)
協働なし(具体的、罪科の悪)
底のない可能世界のピラミッド
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
/ \
無限級数を思わせる。
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
副題は以下の構図を明確にする。
意志の
悪__理由__善
\ /
\ /
\/
意志の
方向
人間の自由
形而上|
学的悪|物理的悪
____|____
道徳的悪|
|
「神の大義」(Causa dei)
_神の偉大さ(ピラミッド)
| 別々
|_善意(意志。三つの悪の分類)
意志の方向、自由
意志の理由、善悪
底のない可能世界のピラミッド
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
/ \
無限級数を思わせる。
形而上|
学的悪|物理的悪
____|____
道徳的悪|
|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
副題は以下の構図を明確にする。
意志の
悪__理由__善
\ /
\ /
\/
意志の
方向
人間の自由
_神の偉大さ
| 一緒
|_善意
協働あり(三つの悪)
協働なし(具体的、罪科の悪)
「神の大義」(Causa dei)
_神の偉大さ(ピラミッド)
| 別々
|_善意(意志。三つの悪の分類)
意志の方向、自由
意志の理由、善悪
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
/ \
無限級数を思わせる。
形而上|
学的悪|物理的悪
____|____
道徳的悪|
|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
副題は以下の構図を明確にする。
意志の
悪__理由__善
\ /
\ /
\/
意志の
方向
人間の自由
_神の偉大さ
| 一緒
|_善意
協働あり(三つの悪)
協働なし(具体的、罪科の悪)
意志の
悪__理由__善
\ /道徳的
\ /物理的
\/形而上学的
意志の
方向
人間の自由
意志の
悪__理由__善
\ /道徳的
物理的\ /
\/形而上学的
意志の
方向
人間の自由
意志の
悪__理由__善
\ /道徳的
物理的\ /
\/形而上学的
意志の方向
人間の自由
意志の
悪___理由___善
\ 道徳的 /
\物理的 /
形而上学的
\/
意志の
方向
人間の自由
悪 _(意志の理由)_ 善
▽ 道徳的 ▽
\ 物理的 /
\形而上学的/
\ /
\ /
▽
(意志の方向)
人間の自由
悪__(意志の理由)___善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
(意志の方向)
人間の自由
悪__(意志の理由)___善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
悪__(意志の理由)___善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
悪___(意志の理由)__善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
無限級数を思わせる。
神の大義 122
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
邦訳285頁
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
:弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
副題は以下の構図を明確にする。
悪__(意志の理由)___善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
無限級数を思わせる。
神の大義 122
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
邦訳285頁
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
:弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
副題は以下の構図を明確にする。
悪___(意志の理由)__善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
無限級数を思わせる。
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
(「神の大義」122邦訳285頁)
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
この副題は以下の構図を明確にする。
悪___(意志の理由)__善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
http://www.kousakusha.co.jp/BOOK/ISBN4-87502-180-1.html
ISBN4-87502-180-1
ISBN978-4-87502-180-3
ライプニッツ著作集
[7] 宗教哲学 [弁神論…下]
ライプニッツ
佐々木能章=訳
税込価格8610円(本体8200円)【品切】
A5判/上製 函入 356頁 1991.5
「なぜ神はこの世界に悪の侵入を許したのか?」──当時の流行思想家ピエール・ベールの懐疑論を予定説をもって論駁。別冊ラテン語文「弁神論」も収録。
■目次
本論 神の正義、人間の自由、悪の起源について
第3部
第一付録 三段論法形式での論争要約
第二付録 ホッブズ論─ホッブズ氏が英語で出版した著作『自由、必然性、偶然』についての考察
第三付録 キング『悪の起源』考─英語で最近出版された『悪の起源』という著作についての考察
神の大義─神の正義をそれ以外の神の完全性ならびにその全作用と両立させることにより弁ぜられたるところの(別冊ラテン語文)
ISBN4-87502-164-X
ISBN978-4-87502-164-3
ライプニッツ著作集
[6] 宗教哲学 [弁神論…上]
ライプニッツ
佐々木能章=訳
税込価格8666円(本体8253円)
A5判/上製 函入 352頁 1990.1
ライプニッツの聡明な弟子にして有力な庇護者ゾフィ・シャルロッテの追想のために刊行された一書。神の善性、人間の自由、悪の起源についての論証。
■目次
序文
緒論 信仰と理性の一致について
本論 神の正義、人間の自由、悪の起源について
第1部
第2部
永遠回帰は?
ニーチェの弁神論:
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2013-08-13
「 生きるために、ギリシア人は、これらの神々を最も深い必要から創造(schaffen)しなければならなかった。・・・ 恐怖というティタン族の神々の秩序から、歓喜というオリンポスの神々の秩序が、ゆっくりした経過をたどりながらアポロ的な美の衝動を通して発展していった。それは、棘(とげ)のある藪の中からバラの花が咲き出るようなものだった。もしも存在(Dasein)がより高い栄光につつまれて神々のうちに示されていなかったとしたら、あれほど鋭い感受性のもち主で、あれほどはげしい欲求をもち、あれほど苦悩にたいして類ない能力をそなえていたあの民族は、どうして存在することを耐えることができただろうか? 芸術を人生の中へと呼びこむ衝動が…オリンポスの世界を成り立たせ、そこでギリシア人の「意志」は美化する(verklaeren)鏡をかかげたのである。こうして神々は、人間の生を身をもって生きることにより、人間の生を正当化する――これだけが満足のいく弁神論なのだ! こうした神々の澄んだ陽の光のもとで存在することが、それ自体として追求するに値するものと感じられるのである」(第3節)
これが『悲劇の誕生』のニーチェの「弁神論」である。「アポロン的」な神の正当化というべきであろう。おそらくこれより一層根本的な形の弁神論があって、それは「ディオニュソス」的な弁神論と呼ぶことができるかもしれない。しかし、アポロン的な弁神論であれディオニュソス的な弁神論であれ、ニーチェが古代ギリシア人の文化の根底に見て取った宗教(または芸術)の誕生は、おそらくは同じことに帰着するはずなのだが、話が複雑化するので今はこの点に立ち入らない。
2. 上で述べたことはアポロン的な世界観である。これをニーチェは(第一節で引用されているが)ショーペンハウアーの考え方から引き出したのだろう。参考のために、ニーチェにとってもっとも印象的だったショーペンハウアーの考え方の一節を掲げておこう。ショーペンハウアーは、人間がこの世界でどのような位置にあるかを、次のような比喩的な言い回しで語っていた。
「四方はてしなく、山なす波が、猛りつつ起伏している荒れ狂った海上で、一艘(そう)の小舟にひとりの舟人がすわり、そのたよりない小舟に命を託している。それと同じように、苦悩の世界のまっただ中で、個体としての人間が安らかにすわっているのは、『個体化の原理』にささえられ、それに命を託しているからである」。
この「個体化の原理」については詳しく解説することはできないが、簡単に説明してみると、この例にあるように、世界は大海のような絶えざる(ヘラクレイトス的な)流れであるわけだが、人間はその切れ目のない連続的な世界をあたかも非連続的な「個体」から成り立っているかのように捉える。そうした「幻想」によって世界を人間にとって御しやすいものとして捉えるわけである。「個体化の原理」の意義はそこにある。アポロン的な世界観はそうした幻想に立脚しているのである。
しかし、それをあたかも否定するかのような別の原理がある。上の例からまた引き合いに出せば、それは、小舟を苦もなく飲み込んでしまうような海の破壊的・否定的な作用である。その作用そのものになることに「ディオニュソス的なもの」の原理があるのだが、この点にさらに深入りすることはできない。ただし、確かなことは「アポロン的なもの」も「ディオニュソス的なもの」も、やはり“Illusion”である点では変わりないということだ(第18節の冒頭部分を参照)。時として「アポロン的なもの」は表層的な錯覚であるのに対して、「ディオニュソス的なもの」はもっと根底的で真実に近いものという捉え方を見かけるが、そんな把握はありえない。いずれも「生き延びる戦略として妄想」のヴァリエーションなのである。いずれも「存在の恐怖」になす術もなく飲み込まれてしまうのを防ぐために、人間が自己と世界の間に掲げる幻想なのである。だから、どちらがより高次のものという捉え方はありえない。
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
無限級数を思わせる。13~17
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
(「神の大義」122邦訳285頁)
形而上学|物理的悪
学的30|31
____|____
道徳的悪|
32|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
この副題は以下の構図を明確にする。30~32
悪___(意志の理由)__善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
13~17
無限級数を思わせる。
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
(「神の大義」122邦訳285頁)
形而上学|物理的悪
学的30|31
____|____
道徳的悪|
32|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
この副題は以下の構図を明確にする。30~32
悪___(意志の理由)__善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
13~17
無限級数を思わせる。
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
(「神の大義」122邦訳285頁)
形而上学|物理的悪
学的30|31
____|____
道徳的悪|
32|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
この副題は以下の構図を明確にする。30~32
悪___(意志の理由)__善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由
(意志の方向)
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
13~17
無限級数を思わせる。
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
(「神の大義」122邦訳285頁)
形而上学|物理的悪
学的30|31
____|____
道徳的悪|
32|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
この副題は以下の構図を明確にする。30~32
悪___(意志の理由)__善
\ 道徳的 /
\ 物理的 /
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由20~22
(意志の方向)
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
13~17
無限級数を思わせる。
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
(「神の大義」122邦訳285頁)
形而上学|物理的悪
学的30|31
____|____
道徳的悪|
32|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
この副題は以下の構図を明確にする。30~32
悪___(意志の理由)__善
\ 道徳的 /60~144
\ 物理的 /51~59
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由20~22
(意志の方向)
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
13~17
無限級数を思わせる。
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
(「神の大義」122邦訳285頁)
形而上学|物理的悪
学的30|31
____|____
道徳的悪|
32|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
この副題は以下の構図を明確にする。30~32
善___(意志の理由)__悪
\ 道徳的 /60~144
\ 物理的 /51~59
\ 形而上学的/
\ /
\ /
\/
人間の自由20~22
(意志の方向)
底のない可能世界の「ピラミッド」(弁神論より)
偉大さ
/\
/ \
/ \
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全知/ \(全能)
13~17
無限級数を思わせる。
…幾何学者は、新しい無限小解析の手法によって、ある意味で神を模倣している。
(「神の大義」122邦訳285頁)
形而上学|物理的悪
学的30|31
____|____
道徳的悪|
32|
Essais de Théodicée sur la bonté de Dieu, la liberté de l'homme et l'origine du mal
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源
この副題は以下の構図を明確にする。30~32
善___(意志の理由)__悪
\ 道徳的 /60~144、聖性
\ 物理的 /51~59、正義
\ 形而上学的/35
\ /
\ /
\/
人間の自由20~22
(意志の方向)
予定調和説
最善説
/ \
/ \
無窓説 無窓説
/ 予定説 \
/ ① \デカルト
思惟/汎心論①①①①①動力学\延長説
ライプニッツ
コメントを投稿
<< Home