(
ヘーゲル、
リンク::::::::::)
以下転載:
http://yojiseki.exblog.jp/6013122/
先の日記にも書いたが、カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来』(未来社)の冒頭で紹介されていたヘーゲル自身による素描↓は『自然哲学』(素描はこの草稿に描かれたという*)よりも『精神現象学』(左上から、意識、自己意識、理性)を説明するものと解釈できる。
(以下の画像はわかり難いが、上のヘーゲルの素描を自分の解釈で書き直したもの。)
まず中央上部の楕円にある記号は「U」と読める。
これはUnendlichkeit(無限性)の頭文字と解釈できる。「自己意識が他者としてむきあいたいのは(略)無限の否定力をもつ存在としての他者なのである(p133以後長谷川宏訳より引用)」とヘーゲルは述べている。さらに『エンチクロペディー』111節には「他者のうちで自己に出あうという真の無限」(岩波文庫『小論理学(上)』p331)とあり、線によってつながった自己意識内の人間内(後述)にもうひとつの「U」とあることも説明できる。
左の円から中央に延びる線は明らかに視覚を表している。これは意識から延びるものと解釈できる。
対象は「まっさきにわたしたちの目に飛びこんでくる知」(p66)である。眼球は人型にも解釈できるが大差はない。その左は耳を表すだろう。これはすぐ下の「自己意識」の中の楕円と相似になっているのがわかる。
大きな人間の内部に人間を抱える「自己意識」と目される円の中には小さな人間がおり、これがさらに複雑化した耳とつながっている。これは内面的なものが聴覚とつながっているという『エンチクロペディー』第358節の記述と重なる。
自己意識の章でも述べられたように「内面的承認」(p157)は聴覚だけではそのままにとどまるのだ。
その右の自己意識内の人間は視覚であり外面である。内部に「無限性」を抱えた外面的自己意識は視覚とともに触覚を持って無限(U)に、むかって手を伸ばす。 ちなもに『精神哲学』の人間学では胎児と未覚醒の自己意識がパラレルで語られており、関連づけられるかもしれない。
一番右にある三角形(その中の左上にも三角形がある)がさまざまな解釈が可能であり問題だが、これは上部を上位概念と見たい。上の巻き物のようなものから無限者に線が引かれているからだ。この巻き物は「世界史」(p202)あるいは「掟の吟味」と解釈できよう。
そうなるとこの素描全体は意識、自己意識、理性、さらに精神をも図示したものと言える。
そもそもなぜ「無限」が頭文字として採用されるほど重要かといえば、『精神現象学』の末尾の言葉(p549)にもあるように無限性の解釈が自己形成の軌跡そのものだからだ。これは『大論理学』の第1篇でも強調されている。真無限と悪無限の差異は、ヘーゲルがスピノザを曲解したものでもあるが、絶対者というタームを過大視(絶対視)するよりもヘーゲルを神秘主義から救うだろう。
視覚と聴覚に関してはデリダが『哲学の余白』(p173)で語っているし、無限に関しても同書(p52)で語っている。マラブーはその師を越えていないと言わなければならない(同書でデリダはハイデッガーを引用しヘーゲルをいちはやくペンローズ的人工知能の問題につなげており秀逸だ)。
自己意識内の外面と内面に関しては理性の章でも語られるが(p191)、自然宗教の節でも語られることからわかるように(p474)、ヘーゲルの重要なテーマだったと言える。
この素描の描かれた1805-6年は、ちょうど『精神現象学』(1807年刊行)の書かれた時期だったこともあり、ここに説明したような恣意的な解釈も可能だと思う。
少なくともジジェクの様にラカンとつなげる前に、スピノザとカントを捨象してしまったヘーゲルをそれ自身によって読み直すことはできるだろう。
追記:
なお『現象学』のオーソドックスな読みをする上で、ネット上で言及されている佐野正晴氏作成の、ヘーゲル『精神現象学』マッピングが参考になる。興味のある方は下記HP製作者に問い合わせていただきたい。
http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re09.html
またヘーゲルの素描は『ヘーゲルの未来』の英語版では表紙に採用されており、アマゾンでは大きなイメージで見ることができ、内部も少し読むことができる。
http://www.amazon.com/Future-Hegel-Plasticity-Temporality-Dialectic/dp/0415287219/ref=pd_bbs_sr_1/102-4651908-1276956?ie=UTF8&s=books&qid=1187426933&sr=8-1
参考:
ヘーゲルの場合、主体が対象に関与している点が違うが、ヘーゲルにはデカルトの『人間論』("Traite de l Homme、"1664年、邦訳『デカルト著作集4』p271)掲載の以下の図が頭にあったのかもしれない。
この図を援用すると耳よりも脳が重要な要素であるということになる。
ちなみにデカルトは脳の中にある精気を出すという器官(腺)をUではなくH(腺H、腺は松果腺=Glandula pinealis; Corpus pinealeのこと)と表記している。
http://www.hyperkommunikation.ch/personen/descartes.htm
訂正:
Uは非有機物(Unorganischen)のことかも知れない。
「直接的な類それ自体は、プロセスに入り込み、現実的となっている」『自然哲学(下)』(未来社p221)より
追記:
Unmittelbare 即時の、直接的
「この推理はそこに在る-形成作用はそれの生成、自己自らによる生産-(a)根、茎、および葉は、(b)プロセスとしての個別であり、(C)生きた木である。」(同p229)より
よって素描読解図は以下のようになる。
追記の追記:
もう少し見やすい「ヘーゲルの自然哲学草稿の素描」(英語版『ヘーゲルの未来(The Future of Hegel)』表紙より。アマゾンの中見検索は、サファリを使うと構成ファイル一覧からコピーできる。)
Naturphilosophie und Philosophie des Geistes.Felix Meiner Verlag, Philosophische Bibliothek, Bd 333, page 113
*以下、『ヘーゲルの未来』p20より
「有機的なものの推論」
類はここでは有機的なものの側に立つ/ーー結論は、類は非有機的なものと直接に合一されるということである。ーー個体は自分自身を食い尽くす。排除することのない分裂。有機的なもののそれ自身との関係。/個体は自らの無機性を止揚し、自分自身から栄養を摂取し、自らを自分自身へと分岐させ、自分の普遍を自分の諸職別へと分裂させる。これが個体自身における過程の推移である。
訳注
☆1『自然哲学(下)ーーヘーゲル哲学体系初期草稿(三)』本田修郎、未来社、1984年、212頁。なお、同様の表現は『自然哲学(下)』、第342節補論、476頁にみられる。
補足説明:
http://yojiseki.exblog.jp/7080038/
Uを否定性としてとらえた解釈をあらたに考えたが↑、上記の無限性としての解釈が無駄だとは思えない。
「この無限がそのものとして意識の対象になる時、その意識は自己意識になっているのである」(牧野紀之訳『精神現象学』p308)
追記(2017.1.30):
Unmittelbare 即時の、直接的
Uは、
無限性ではなくこちらかもしれない。
参考:
2-1、Das Sein ist das unbestimmte Unmittelbare; es ist frei von der ersten Bestimmtheit gegen das Wesen und von der zweiten innerhalb seiner. Dieses reflexionslose Sein ist das Sein, wie es unmittelbar an und für sich ist. (Große Logik, S. 47)
寺沢訳・存在は無規定な直接的なものである。それは本質に対する第一の規定態をも・それ自身の内部での第二の規定態をもまぬかれている。この反省の欠如している存在が、直接にそれ自身で独立してあるがままの存在である。
牧野訳・〔始原を為す〕存在は〔存在なのだから〕直接的なものであるのはもちろんだが、規定を持たない直接者である。そこには〔第二段階の〕本質との対比で表面化する規定もなければ、自己自身の内部での規定もない。この反省無き〔外への反省も内への反省も無い〕存在が完全に無媒介に所与として在る存在である。
感想・これは「大論理学」の本文の冒頭の句です。最後のan und für sichはschlechthinと同じではなかろうか。再版ではan ihm selberと替えられています。つまり、何の根拠もなくただ「そういう事がその存在の表に出ている」という事でしょう。
2-2、Das Sein ist das unbestimmte Unmittelbare; es ist frei von der Bestimmtheit gegen das Wesen sowie noch von jeder, die es innerhalb seiner selbst. Dieses reflexionslose Sein ist das Sein, wie es unmittelbar nur an ihm selber ist. (Suhr. Bd.5, S. 82)
山口訳・存在は無規定な直接的なものである。それは本質に対する規定性から自由である。それ自身の内部でそれが持ちうるどの規定からもまだ自由であるのと同様にである。この反省を欠く存在は、直接にただそれ自身のもとにのみある存在である。
牧野訳・〔ここで謂う所の純粋〕存在は〔存在なのだから〕直接的なものであるのはもちろんだが、規定を持たない直接者である。つまり、それは本質との対比で規定を持たないのみならず、自己自身の中にもいまだに規定を持っていない。〔更に言い換えるならば〕この反省無き〔外への反省も内への反省も無い〕存在が自己の表面に出てきただけの存在である。
2-3、寺沢の解説・B版ではここ〔2-1の下線部〕は「直接にただそれ自身のもとに(an ihm selber)あるがままの存在」というように改められている。A版には"an und für sich"というという表現をB版よりも気軽に使う一般的傾向がある。ここもその一例で「それ自身で独立して」という位の軽い意味だと考えて、そう訳した。だが1831年のヘーゲルにとっては、この表現はもっと重々しい意味をもつものになっていたので、ここのような場合にこの表現を用いることをふさわしくないと考えて、訂正したのであろう。小さな表現上の改変であるが、ヘーゲル哲学の重要な術語の用法に関することであるから、注目しておきたい。(寺沢1、385頁)
2-4. 牧野の感想・①私は初版と再版の詳しい対比的検討をしたことがありませんので、「A版には"an und für sich"というという表現をB版よりも気軽に使う一般的傾向がある」という寺沢の指摘は、感謝してそのまま受け入れます。
___
河出エンチュクロペディーでは:
《A 質 a 有 八六 純粋有が始まりをなす。なぜなら純粋有は純粋な思想でもあり、また無規定な、単純な直接者〔無媒介者〕でもあるからである。ちなみに、最初の始まりは媒介されたものではありえず、またそれ以上に規定されたものではありえないのである。》
直接者なる訳語は刺激的だ。
G. W. F. Hegel; Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse, 1830
そう考えると無限性Unendlichkeitも捨てがたいが。)
U(=直接者)
自然哲学
論理学
精神哲学
あるいは、
U(=直接者)
論理学
自然哲学
精神哲学
といった解釈も出来る。
U(=直接者)論理学
自然哲学
精神哲学
としても良い。
9 Comments:
μ
マイクロは、ギリシャ語で「小さい」という意味のμικρός (mikros) に由来する。
Unmittelbare 即時の、直接的
Uは、
無限性ではなくこちらかもしれない
即時の
Sokuji no
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[197] Etwas wird ein Anderes, aber das Andere ist selbst ein Etwas, also wird es gleichfalls ein Anderes, und so fort ins Unendliche.
[198]
§ 94
Diese Unendlichkeit ist die schlechte oder negative Unendlichkeit, indem sie nichts ist als die Negation des Endlichen, welches aber ebenso wieder entsteht, somit ebensosehr nicht aufgehoben ist, – oder diese Unendlichkeit drückt nur das Sollen des Aufhebens des Endlichen aus. Der Progreß ins Unendliche bleibt bei dem Aussprechen des Widerspruchs stehen, den das Endliche enthält, daß es sowohl Etwas ist als sein Anderes, und ist das perennierende Fortsetzen des Wechsels dieser einander herbeiführenden Bestimmungen.
無限性
も捨てがたい
google
[197]何かが何か他のものであるが、他は少しそのものですので、際限上そうも何か他のものである、と。[198]94§この無限は、それが何もなく、有限の否定はありませんが、また再び起こるもので、不良または負の無限大であるため、限り解除されません - あるいは、この無限大では唯一の有限をキャンセルするべきで表現しています。無限への進行は、そのほかのようなものでもあり、そして多年生の相互誘導規制の交流を継続していることを、有限が含まれている矛盾する発言で停止します。
九三 或るものは一つの他者になるが、この他者もそれ自身一つの或るものであり、したがって同じく一つの他者になる。このようにして無限に進む。
九四 この無限性は悪無限あるいは否定的無限性である。というのはこれは有限者の否定にすぎないが、有限者は〔否定されても〕またふたたび同じように生成してくるので、これはまた止揚されていないのでもあるわけだからである。──言い換えると、この無限性は単に有限者の止揚の当為〔止揚すべしということ〕を言い表わしているだけである。この無限進行は、有限者が含んでいる矛盾、すなわち、有限者は或るものであるとともにそれの他者でもあるという矛盾を言い表わすだけにとどまっている。そしてこの無限進行はこの互いに誘いこみあいをする二つの規定の交替の永続的続行である。
九五 実際に目の前にあるのは、或るものが他者になり、そして一般的にこの他者がまた他者になる、ということである。…
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダニエル・デネット
解明される意識』 編集
ヘテロ現象学 (Heterophenomenology)
他者の内省報告を観察データとして認める「ヘテロ現象学」(Heterophenomenology)を掲げ、行動主義に陥ることなく、観察可能なデータから第三者の立場を通して主観的意識の問題を扱えるとする。デネットは、意識(心)と物理的・神経的なプロセス(身体、脳)を異なる次元のものとして考えてきた、心身二元論というデカルト以来の哲学的伝統を覆そうとしているのである。
カルテジアン劇場のイメージ
多元的草稿モデル(Multiple Drafts Model)とカルテジアン劇場批判
意識をつかさどる中央処理装置「カルテジアン劇場」(Cartesian Theater)の存在を否定し、それに代わるものとして意識の「多元的草稿理論」(Multiple Drafts Theory)モデルを提唱している。意識とは「カルテジアン劇場」のような中央処理装置をもたない、空間的・時間的に並列した複数のプロセスから織り出され構成されるものだとデネットは論じる(意識のパンデモニアム・モデル)。以上のようなプロセスを経て構成される意識を、デネットは「物語的重力の中心」(Center of Narrative Grativity)と呼んでいる。
デネットは、人間の思考プロセスはコンピュータ(ジョン・フォン・ノイマン・マシーン)によってシミュレートすることが原理的に可能なものだと考える。したがって彼はチューリング・テストの意義を認めている。
デカルトの頭の中
http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/20/41/a0024841_15461527.jpg
デカルト『人間論』("Traite de l Homme、"1664年、邦訳『デカルト著作集4』p271)掲載の図
ヘーゲルの頭の中
http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/18/41/a0024841_17322374.jpg
カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来』で紹介されていたヘーゲル『自然哲学』草稿の図
マルクスの頭の中
https://lh5.googleusercontent.com/-ut-d_q2KJ84/U2ZHzhs0VfI/AAAAAAAAdxE/vWBXOR3y2xo/s640/blogger-image-148496617.jpg
https://lh6.googleusercontent.com/-tVWXJzHyywg/U2ZHujpJMbI/AAAAAAAAdw8/dfu6DzXbqVE/s640/blogger-image-2016139846.jpg
マルクスのエンゲルス宛ヘの手紙(1863.07.06)より、マルクス経済表 全集第30巻p289~292
循環的、自己言及的である点がヘーゲルとマルクスの共通点
デカルトの頭の中
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デカルト『人間論』("Traite de l Homme、"1664年、邦訳『デカルト著作集4』p271)掲載の図
ヘーゲルの頭の中
http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/18/41/a0024841_17322374.jpg
カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来』扉で紹介されていたヘーゲル『自然哲学』草稿の図
「有機的なのの推論」
マルクスの頭の中
https://lh5.googleusercontent.com/-ut-d_q2KJ84/U2ZHzhs0VfI/AAAAAAAAdxE/vWBXOR3y2xo/s640/blogger-image-148496617.jpg
https://lh6.googleusercontent.com/-tVWXJzHyywg/U2ZHujpJMbI/AAAAAAAAdw8/dfu6DzXbqVE/s640/blogger-image-2016139846.jpg
マルクスのエンゲルス宛ヘの手紙(1863.07.06)より、マルクス経済表 全集第30巻p289~292
循環的、自己言及的である点がヘーゲルとマルクスの共通点
(デカルトもそのように読める)
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