ヴァイトリングは、遍歴職人活動家としてスイス、フランス、イギリス各都市で義人同盟を組織していた頃は、キリスト教的扇動家として知られ、多くの職人たちをひきつけて離さなかった。その際ヴァイトリングを魅力ある存在とした根拠の一つは、彼のメシア主義である。そのような発想のもとにヴァイトリングは、1838年に義人同盟の綱領的文書として上述の『人類、そのあるがままの姿とあるべき姿』を発表し、1841~1842年には雑誌『ドイツ青年の救いを叫ぶ声(Der Huelferruf der Deutschen Jugend)』を編集し、1845年には友人の手で『貧しき罪人の福音(Das Evangelium eines armen Suenders, Berlin 1845)』を刊行する。そしてこう述べる。 旧約聖書にもまた、私有財産は神によって選ばれた人びとに尊重されない、とある・・・・・諸君はキリスト者だ、そうだろう? だから諸君は、少なくともコムニオーンとコムニステンという言葉について、名前くらいは知っていよう
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ヴァイトリングは、遍歴職人活動家としてスイス、フランス、イギリス各都市で義人同盟を組織していた頃は、キリスト教的扇動家として知られ、多くの職人たちをひきつけて離さなかった。その際ヴァイトリングを魅力ある存在とした根拠の一つは、彼のメシア主義である。そのような発想のもとにヴァイトリングは、1838年に義人同盟の綱領的文書として上述の『人類、そのあるがままの姿とあるべき姿』を発表し、1841~1842年には雑誌『ドイツ青年の救いを叫ぶ声(Der Huelferruf der Deutschen Jugend)』を編集し、1845年には友人の手で『貧しき罪人の福音(Das Evangelium eines armen Suenders, Berlin 1845)』を刊行する。そしてこう述べる。
旧約聖書にもまた、私有財産は神によって選ばれた人びとに尊重されない、とある・・・・・諸君はキリスト者だ、そうだろう? だから諸君は、少なくともコムニオーンとコムニステンという言葉について、名前くらいは知っていよう
たとえ暴力的な蜂起という手段に訴えようとも、ヴァイトリングの説くメシア主義的共産主義は、19世紀前半期ドイツの手工業職人の心を強烈にとらえた。コムニステンはコムニオーン(共同の食事)から由来すると語ったり、ヤーヴェはモーセの口を借りて、ユダヤ教徒は搾取者エジプト人から物品を奪いかえせと言ったとして盗奪をプラスに語ったりするヴァイトリングは、やがてアメリカに渡ると、中国で1851~1864年にかけて生じた太平天国をニューヨークのドイツ人に報道しつつ、ついに中国に「貧しき罪人」イエスの弟がメシアとして出現したと宣伝した。洪秀全が上帝会(ヤーヴェの会)を組織して原始キリスト教的平等組織の樹立を目指したことを報道したのだった。
しかし、19世紀後半に科学的なものの見方が人びとの間で勢いをつけ、とくに進化主義=ダーウィニズム的な考え方に労働者大衆と社会主義指導者たちが慣れ親しむようになると、メシア主義はそのままの形態や宣伝方法では労働者の支持を得にくくなっていき、合理主義と物的欲望拡大の前に、無力となっていった。原始キリスト教的清貧を旗印とするプロパガンダよりも、それに代えてダーウィニズム的なプロパガンダが俄然優勢となるのだった。
ヴァイトリング思想の1848年前の前期と1850年代の後期の双方に一貫している特徴は、共産主義的であると同時にアナキズム的だったということである。その根拠は、三月前ヴァイトリングの独裁理論と若きバクーニンのそれとを比較し、1850年代ヴァイトリングのアソシアシオン論とプルードンのそれとを比較するとはっきり認識できる。
wiki日本語版だけにプルードンの記述あり
https://youtube.com/watch?v=c_DR_VQpY-A
大陸横断鉄道建設はジョンフォードのサイレントの傑作『アイアンホース』で感動的に描かれている。
(当然ながら、映画にヴァイトリングは出てこない。主にリンカーンの功績が強調される。)
最後のシーンなどは史実に忠実だと言うことが分かる。 以下は実際の写真。
https://lh3.googleusercontent.com/-TuV6zgP3NtA/U2qReYNvjWI/AAAAAAAAdzc/SoMBYNTxU1k/s640/blogger-image-400856030.jpg
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