http://www.freeassociations.org/
書評:
ベンヤミン『パサージュ論4』岩波文庫(2021全5巻)
同書内のサン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、
プルードン関連の孫引き(マルクスの章内)が特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこに
ヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されて
いる。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)ではない。」「長い間、プルードンが経理
担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の
哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定
している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」で
あると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(『マルクス
主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇~一八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。元になった現代文庫版より解説他細部のつくりが親切。
柄谷の『世界史の構造』以降、断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることは
できないが刺激的ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?
という疑念はますます深まった。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk(German Edition) Walter Benjamin
千のプラトー
1 序──リゾーム
われわれがモデルの二元論を用いるのは、ただあらゆるモデルを斥けるような
プロセスに到達するためである。われわれは二元論を作ろうと欲したわけでは
なく、それを通過するのにすぎない。そのたびに、もろもろの二元論を解体
する頭脳的訂正装置を持たなければならない。われわれみんなが求めて
いる〈多元論〉=〈一元論〉という魔術的等式に、敵であるすべての二元論を
経由して到達すること。しかし敵といっても、これはまったく必要な敵、
われわれがたえず移動させる調度なのだ。
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世界には時間的な始まりがあるか、空間的な限界はあるか。 世界は無限に分割できるか、それ以上は分割できなくなるのか。 人間に自由はあるか、それとも必然的な自然法則にしたがうだけなのか。 そして、 世界には必然的な存在者[=神]が存在するのかどうか。 この四つの「二律背反」を考察。これまで多くの読者の前に立ちはだかってきたこの難関を、カントの思考の流れがみえるクリアな訳文と詳細な解説で、完全理解へ。 <このカントの四つの二律背反は、第一と第四の二律背反が次の「純粋理性の理想」で扱われる神の存在の問題を考察し、第二と第三の二律背反は、前の「純粋な理性の誤謬推論について」で扱われた自我の問題を考察するのである。その意味ではこの四つの二律背反は前後の章をつなぐ形で巧みに構成されていると言えるだろう。 ただしこれらの二律背反の問題はすでに哲学の世界で重要な問題として考察されてきたものである。たとえば一八世紀の初頭にライプニッツとニュートンのあいだで、世界、神、自由について激しい論争が行われた。ニュートンの代理としてクラークいう科学者がライプニッツと往復書簡を交わす形で、この論争は行われたが、ニュートンの遺稿の中にクラークの書簡の草稿が残っていたというから、これはライプニッツとニュートンの論争と考えてよいだろう。一七五六年にライプニッツの著作集が刊行され、カントはこの論争に大きな関心をもっていた。 そしてこの二律背反で取り上げられる四つの論点はすべて、ライプニッツとクラークの論争で取り上げられている。そしてつねにニュートン派が定立命題を主張し、ライプニッツが反定立命題を主張していたのである。この論争を手掛かりに考えると、プラトンとエピクロスという古代ギリシアの哲学者の対立として考えるよりも、カントの真意がはっきりとみえてくるところがある。…>226頁~解説より (参照:『ライプニッツとクラークとの往復書簡』米山優+佐々木能章訳、『ライプニッツ著作集 9』工作舎。ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』河辺六男訳、中央公論社。) 各巻の解説は必要ない気もするが、第五巻における上記の解説は非常に有益だ(『自由の哲学者カント』第五章にも多少簡潔になったほぼ同内容の解説がある)。
NAMs出版プロジェクト: カント『純粋理性批判』:メモ及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_27.html#_12222二律背反、アンチノミー ___________________ | | | |1 | | | | |実在性 | | | | |分割合成| |___「量」___|___「質」___| | |3総体、| | | | |全体性 | | | | | 起源| | | |____|____|____|____| | | | | | | | | | | | | | | | |___「関係」__|___「様相」__| |2原因、| | |3 | |因果性 | | |完全性 | | 発生 | | | 必然性| |__自由|____|____|____| カント=アンチノミー 観念論 唯物論 1a ◯世界には時間的な始まりがある 世界には時間的な始まりがない 空間的な限界はある 空間的な限界はない 1b ◯世界は無限に分割できる 世界は無限に分割できない 1c ◯人間に自由はある 人間に自由はない 1d ◯世界には必然的な存在者[=神] が存在する 存在しない 2 徳の格律が幸福の作用原因 幸福を得ようとする欲望が、 徳の格律に向かわしめる動因◯ 3a ◯趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく 3b 物質は 機械的法則に従ってのみ可能 であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ可能◯ ◯=正命題(1a1b3aの左右は逆に解釈し得る) ◆純粋理性の二律背反 先験的理念の第一の矛盾 定 立〔B454〕〔A426〕 世界は時間において初まりを有し、空間に関しても限界の内に囲まれている。◯ 反定立〔B455〕〔A427〕 世界は初めを持たず、空間においても限界を有せず、かえって時間に関しても空間に関しても無限である。 先験的理念の第二の矛盾 定 立〔B462〕〔A434〕 世界における各複合的実体は、単純な部分から成り、かつ実際に存在するものはいずれも単純体か、もしくは単純体か、もしくは単純体から合成されたものにほかならない。◯ 反定立〔B463〕〔A435〕 世界におけるいかなる複合物も単純な部分からはつくられない。世界には一般に単純体なるものは実際に存在しない。 先験的理念の第三の矛盾 定 立 自然の法則に従う原因性は、世界の現象がことごとくそこから導き出されるような唯一のものをなしていない。〔B472〕〔A444〕世界の現象を説明するためにはなお自由による原因性を想定することが必要である。◯ 反定立 自由というものはなく、世界における一切はもっぱら自然法則に従って生起する。〔B473〕〔A445〕 先験的理念の第四の矛盾 定 立〔B480〕〔A452〕 世界には、世界の部分としてか世界の原因としてか、端的に、必然的存在体をなすものが属している。◯ 反定立〔B481〕〔A453〕 世界の内にも世界の外にも、端的必然的存在体が世界の原因として存在するということはない。 以上、世界の大思想5より
実践理性のアンチノミー
「すると幸福を得ようとする欲望が、徳の格律に向かわしめる動因でなければならないか◯、それとも徳の格律が幸福の作用原因でなければならないか、二つのうちのいずれかである。」(岩波文庫231頁) または(別訳)、 「それゆえ、幸福の欲求が徳の格律(格率)へとむかわせる動因であるか◯、あるいは徳の格律(格率)が幸福を結果とする原因であるか、いずれかにちがいない。」
以上、
NAMs出版プロジェクト: 実践理性批判:付リンク
http://nam-students.blogspot.jp/2012/09/blog-post_3.html?m=0#refa
趣味のアンチノミー
正命題 :趣味判断は概念に基づかない。なぜなら、もしも基づくとするならば、趣味判断について論議できる(証明によって決定できる)ことになってしまうからである。◯ 反対命題:趣味判断は概念に基づく。なぜなら、もしも基づかないとするならば、趣味判断が異なっているにもかかわらず、趣味判断について論争する(他のひとびとがこの判断に必然的に同意することを要求する)ことすらできなくなってしまうからである。 (第56節) 判断力のアンチノミー 正命題 :物質的な物とその形式との産出は、すべて単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定されなければならない。◯ 反対命題:物質的自然における所産のなかには、単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定され得ないものがある。 (第70節)
以上、
NAMs出版プロジェクト: 判断力批判:メモ、付リンク
http://nam-students.blogspot.jp/2012/09/blog-post_6351.html?m=0#ref566
参考:
弁証法の優先権〜Table of Dühring "Cursus der Philosophie als strengwissenschaftlicher Weltanschauung und Lebensgestaltung"1875 デュ ー リング 再考
NAMs出版プロジェクト: デューリング批判的歴史1871、経済学の重要な基盤1866メモ
1866
『国民経済学説の批判的基礎づけ(経済学の重要な基盤)』
Dühring、Eugen. “Kritische Grundlegung der Volkswirthschaftslehre.”
主に#6にプルードンへの言及があるが、エンゲルス、マルクスは無視している。
デューリングはプルードンの弁証法批判という重要な箇所を指摘している。
Proudhon bekennt, dass er durch die von ihm nun als irrthümlich bezeichnete Hegel'sche Dialektik früher verleitet worden sei, an die Bildung einer höheren Formation zu glauben. Indessen habe er nun erkannt, dass es sich in der Realität des Daseins nicht um aufzulösende logische Widersprüche, sondern um wirkliche »Balancen« handle. Die gegenseitige Gravitation der in entgegengesetzter Richtung wirkenden beiden Kräfte, von denen die eine das egoistische Eigenthum, die andere die comrau-. nistische Beschränkung desselben anstrebe, könne niemals aufhören und in einem höheren Gebilde aufgehen, da sonst das Motiv alles lebendigen Lebens fortfallen würde. Diese Emancipation Proudhons von der Hegel'schen Dialektik und diese Annäherung an den Gedanken des Gleichgewichts oder des statischen Verhaltens der Kräfte ist sehr verdienstlich.
Google 翻訳
Proudhonは、以前は彼が誤って指定したHegelian弁証法によって、より高い地層の形成を信じるように誘惑されたと自白している。 しかし、彼は現在、存在の現実は論理的な矛盾を解決する問題ではなく、実際の「バランス」の問題であることを認識しました。 反対方向に作用する2つの力の相互重力、そのうちの1つは自我主義的性質であり、もう1つは仲間である。 すべての生命の原動力が落ちるので、より高い構造で決して立ち上がることはできません。 このProudhonのHegelian弁証法の解放と、この力の平衡または静的な行動の考え方へのこのアプローチは非常に功績がある。
...
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http://books.google.co.jp/books/about/Théorie_de_la_propriété.html?id=avVMAAAAMAAJ&redir_esc=y
Théorie de la propriété - Pierre-Joseph Proudhon - Google Books
books.google.com/books/.../Théorie_de_la_propriété.html?id...
Common terms and phrases ... Pour l'un comme pour l'autre, la propriété est un polygone dont il faut abattre les angles : mais, l'opération faite, ...
Page 52 - L' ANTINOMIE NE SE RÉSOUT PAS; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose se BALANCENT, soit entre eux, soit avec d'autres termes antinomiques : ce qui conduit au résultat cherché..
世界には時間的な始まりがあるか、☆空間的な限界はあるか。
世界は無限に分割できるか、☆それ以上は分割できなくなるのか。
人間に自由はあるか、☆それとも必然的な自然法則にしたがうだけなのか。 そして、
世界には必然的な存在者[=神]が存在するのかどうか。 ☆
実践理性のアンチノミー
「すると
☆幸福を得ようとする欲望が、徳の格律に向かわしめる動因でなければならないか、
それとも
徳の格律が幸福の作用原因でなければならないか、
二つのうちのいずれかである。」(岩波文庫231頁)
趣味のアンチノミー
正命題 :趣味判断は概念に基づかない。なぜなら、もしも基づくとするならば、趣味判断について論議できる(証明によって決定できる)ことになってしまうからである。
☆反対命題:趣味判断は概念に基づく。なぜなら、もしも基づかないとするならば、趣味判断が異なっているにもかかわらず、趣味判断について論争する(他のひとびとがこの判断に必然的に同意することを要求する)ことすらできなくなってしまうからである。
(第56節)
判断力のアンチノミー
☆正命題 :物質的な物とその形式との産出は、すべて単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定されなければならない。
反対命題:物質的自然における所産のなかには、単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定され得ないものがある。
(第70節)
☆=唯物論
世界には時間的な始まりがあるか、空間的な限界はあるか。☆
世界は無限に分割できるか、☆それ以上は分割できなくなるのか。
人間に自由はあるか、☆それとも必然的な自然法則にしたがうだけなのか。 そして、
世界には必然的な存在者[=神]が存在するのかどうか。 ☆
実践理性のアンチノミー
「すると
☆幸福を得ようとする欲望が、徳の格律に向かわしめる動因でなければならないか、
それとも
徳の格律が幸福の作用原因でなければならないか、
二つのうちのいずれかである。」(岩波文庫231頁)
趣味のアンチノミー
正命題 :趣味判断は概念に基づかない。なぜなら、もしも基づくとするならば、趣味判断について論議できる(証明によって決定できる)ことになってしまうからである。
☆反対命題:趣味判断は概念に基づく。なぜなら、もしも基づかないとするならば、趣味判断が異なっているにもかかわらず、趣味判断について論争する(他のひとびとがこの判断に必然的に同意することを要求する)ことすらできなくなってしまうからである。
(第56節)
判断力のアンチノミー
☆正命題 :物質的な物とその形式との産出は、すべて単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定されなければならない。
反対命題:物質的自然における所産のなかには、単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定され得ないものがある。
(第70節)
☆世界には時間的な始まりがあるか、空間的な限界はあるか。
☆世界は無限に分割できるか、それ以上は分割できなくなるのか。
人間に自由はあるか、☆それとも必然的な自然法則にしたがうだけなのか。 そして、
世界には必然的な存在者[=神]が存在するのかどうか。 ☆
実践理性のアンチノミー
「すると
☆幸福を得ようとする欲望が、徳の格律に向かわしめる動因でなければならないか、
それとも
徳の格律が幸福の作用原因でなければならないか、
二つのうちのいずれかである。」(岩波文庫231頁)
趣味のアンチノミー
正命題 :趣味判断は概念に基づかない。なぜなら、もしも基づくとするならば、趣味判断について論議できる(証明によって決定できる)ことになってしまうからである。
☆反対命題:趣味判断は概念に基づく。なぜなら、もしも基づかないとするならば、趣味判断が異なっているにもかかわらず、趣味判断について論争する(他のひとびとがこの判断に必然的に同意することを要求する)ことすらできなくなってしまうからである。
(第56節)
判断力のアンチノミー
☆正命題 :物質的な物とその形式との産出は、すべて単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定されなければならない。
反対命題:物質的自然における所産のなかには、単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定され得ないものがある。
(第70節)
☆世界には時間的な始まりがあるか、空間的な限界はあるか。
☆世界は無限に分割できるか、それ以上は分割できなくなるのか。
人間に自由はあるか、☆それとも必然的な自然法則にしたがうだけなのか。 そして、
世界には必然的な存在者[=神]が存在するのかどうか。 ☆
実践理性のアンチノミー
「すると
☆幸福を得ようとする欲望が、徳の格律に向かわしめる動因でなければならないか、
それとも
徳の格律が幸福の作用原因でなければならないか、
二つのうちのいずれかである。」(岩波文庫231頁)
趣味のアンチノミー
正命題 :趣味判断は概念に基づかない。なぜなら、もしも基づくとするならば、趣味判断について論議できる(証明によって決定できる)ことになってしまうからである。
☆反対命題:趣味判断は概念に基づく。なぜなら、もしも基づかないとするならば、趣味判断が異なっているにもかかわらず、趣味判断について論争する(他のひとびとがこの判断に必然的に同意することを要求する)ことすらできなくなってしまうからである。
(第56節)
判断力のアンチノミー
☆正命題 :物質的な物とその形式との産出は、すべて単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定されなければならない。
反対命題:物質的自然における所産のなかには、単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定され得ないものがある。
(第70節)
☆=唯物論
カント=アンチノミー
観念論 唯物論
1a
世界には時間的な始まりがない 世界には時間的な始まりがある
空間的な限界はない 空間的な限界はある
1b
世界は無限に分割できない 世界は無限に分割できる
1c
人間に自由はある 人間に自由はない
1d
世界には必然的な存在者[=神]
が存在する 存在しない
2
幸福を得ようとする欲望が、 徳の格律が幸福の作用原因
徳の格律に向かわしめる動因
3a
趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく
3b
物質は
機械的法則に従ってのみ可能
であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ
カント=アンチノミー
観念論 唯物論
1a
世界には時間的な始まりがない 世界には時間的な始まりがある◯
空間的な限界はない 空間的な限界はある◯
1b
世界は無限に分割できない 世界は無限に分割できる◯
1c
◯人間に自由はある 人間に自由はない
1d
◯世界には必然的な存在者[=神]
が存在する 存在しない
2
◯幸福を得ようとする欲望が、 徳の格律が幸福の作用原因
徳の格律に向かわしめる動因
3a
◯趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく
3b
物質は
機械的法則に従ってのみ可能
であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ可能◯
◯=正命題
カント=アンチノミー
観念論 唯物論
1a
世界には時間的な始まりがない 世界には時間的な始まりがある
空間的な限界はない 空間的な限界はある◯
1b
世界は無限に分割できない 世界は無限に分割できる◯
1c
◯人間に自由はある 人間に自由はない
1d
◯世界には必然的な存在者[=神]
が存在する 存在しない
2
◯幸福を得ようとする欲望が、 徳の格律が幸福の作用原因
徳の格律に向かわしめる動因
3a
◯趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく
3b
物質は
機械的法則に従ってのみ可能
であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ可能◯
◯=正命題
◆純粋理性の二律背反
先験的理念の第一の矛盾
定 立〔B454〕〔A426〕
世界は時間において初まりを有し、空間に関しても限界の内に囲まれている。
反定立〔B455〕〔A427〕
世界は初めを持たず、空間においても限界を有せず、かえって時間に関しても空間に関しても無限である。
先験的理念の第二の矛盾
定 立〔B462〕〔A434〕
世界における各複合的実体は、単純な部分から成り、かつ実際に存在するものはいずれも単純体か、もしくは単純体か、もしくは単純体から合成されたものにほかならない。
反定立〔B463〕〔A435〕
世界におけるいかなる複合物も単純な部分からはつくられない。世界には一般に単純体なるものは実際に存在しない。
先験的理念の第三の矛盾
定 立
自然の法則に従う原因性は、世界の現象がことごとくそこから導き出されるような唯一のものをなしていない。〔B472〕〔A444〕世界の現象を説明するためにはなお自由による原因性を想定することが必要である。
反定立
自由というものはなく、世界における一切はもっぱら自然法則に従って生起する。〔B473〕〔A445〕
先験的理念の第四の矛盾
定 立〔B480〕〔A452〕
世界には、世界の部分としてか世界の原因としてか、端的に、必然的存在体をなすものが属している。
反定立〔B481〕〔A453〕
世界の内にも世界の外にも、端的必然的存在体が世界の原因として存在するということはない。
世界の大思想5
カント=アンチノミー
観念論 唯物論
1a
世界には時間的な始まりがない 世界には時間的な始まりがある◯
空間的な限界はない 空間的な限界はある◯
1b
世界は無限に分割できない 世界は無限に分割できる◯
1c
◯人間に自由はある 人間に自由はない
1d
◯世界には必然的な存在者[=神]
が存在する 存在しない
2
◯幸福を得ようとする欲望が、 徳の格律が幸福の作用原因
徳の格律に向かわしめる動因
3a
◯趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく
3b
物質は
機械的法則に従ってのみ可能
であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ可能◯
◯=正命題
10:37 午前
yoji said...
カント=アンチノミー
観念論 唯物論
1a
世界には時間的な始まりがない 世界には時間的な始まりがある
空間的な限界はない 空間的な限界はある◯
1b
世界は無限に分割できない 世界は無限に分割できる◯
1c
◯人間に自由はある 人間に自由はない
1d
◯世界には必然的な存在者[=神]
が存在する 存在しない
2
◯幸福を得ようとする欲望が、 徳の格律が幸福の作用原因
徳の格律に向かわしめる動因
3a
◯趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく
3b
物質は
機械的法則に従ってのみ可能
であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ可能◯
◯=正命題
◆純粋理性の二律背反
先験的理念の第一の矛盾
定 立〔B454〕〔A426〕
世界は時間において初まりを有し、空間に関しても限界の内に囲まれている。○
反定立〔B455〕〔A427〕
世界は初めを持たず、空間においても限界を有せず、かえって時間に関しても空間に関しても無限である。
先験的理念の第二の矛盾
定 立〔B462〕〔A434〕
世界における各複合的実体は、単純な部分から成り、かつ実際に存在するものはいずれも単純体か、もしくは単純体か、もしくは単純体から合成されたものにほかならない。○
反定立〔B463〕〔A435〕
世界におけるいかなる複合物も単純な部分からはつくられない。世界には一般に単純体なるものは実際に存在しない。
先験的理念の第三の矛盾
定 立
自然の法則に従う原因性は、世界の現象がことごとくそこから導き出されるような唯一のものをなしていない。〔B472〕〔A444〕世界の現象を説明するためにはなお自由による原因性を想定することが必要である。○
反定立
自由というものはなく、世界における一切はもっぱら自然法則に従って生起する。〔B473〕〔A445〕
先験的理念の第四の矛盾
定 立〔B480〕〔A452〕
世界には、世界の部分としてか世界の原因としてか、端的に、必然的存在体をなすものが属している。○
反定立〔B481〕〔A453〕
世界の内にも世界の外にも、端的必然的存在体が世界の原因として存在するということはない。
世界の大思想5より
カント=アンチノミー
観念論 唯物論
1a
世界には時間的な始まりがない 世界には時間的な始まりがある
空間的な限界はない 空間的な限界はある◯
1b
世界は無限に分割できない 世界は無限に分割できる◯
1c
◯人間に自由はある 人間に自由はない
1d
◯世界には必然的な存在者[=神]
が存在する 存在しない
2
◯幸福を得ようとする欲望が、 徳の格律が幸福の作用原因
徳の格律に向かわしめる動因
3a
◯趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく
3b
物質は
機械的法則に従ってのみ可能
であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ可能◯
◯=正命題
◆純粋理性の二律背反
先験的理念の第一の矛盾
定 立〔B454〕〔A426〕
世界は時間において初まりを有し、空間に関しても限界の内に囲まれている。◯
反定立〔B455〕〔A427〕
世界は初めを持たず、空間においても限界を有せず、かえって時間に関しても空間に関しても無限である。
先験的理念の第二の矛盾
定 立〔B462〕〔A434〕
世界における各複合的実体は、単純な部分から成り、かつ実際に存在するものはいずれも単純体か、もしくは単純体か、もしくは単純体から合成されたものにほかならない。◯
反定立〔B463〕〔A435〕
世界におけるいかなる複合物も単純な部分からはつくられない。世界には一般に単純体なるものは実際に存在しない。
先験的理念の第三の矛盾
定 立
自然の法則に従う原因性は、世界の現象がことごとくそこから導き出されるような唯一のものをなしていない。〔B472〕〔A444〕世界の現象を説明するためにはなお自由による原因性を想定することが必要である。◯
反定立
自由というものはなく、世界における一切はもっぱら自然法則に従って生起する。〔B473〕〔A445〕
先験的理念の第四の矛盾
定 立〔B480〕〔A452〕
世界には、世界の部分としてか世界の原因としてか、端的に、必然的存在体をなすものが属している。◯
反定立〔B481〕〔A453〕
世界の内にも世界の外にも、端的必然的存在体が世界の原因として存在するということはない。
世界の大思想5より
カント=アンチノミー
観念論 唯物論
1a
世界には時間的な始まりがない 世界には時間的な始まりがある
空間的な限界はない 空間的な限界はある◯
1b
世界は無限に分割できない 世界は無限に分割できる◯
1c
◯人間に自由はある 人間に自由はない
1d
◯世界には必然的な存在者[=神]
が存在する 存在しない
2
徳の格律が幸福の作用原因 幸福を得ようとする欲望が、
徳の格律に向かわしめる動因◯
3a
◯趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく
3b
物質は
機械的法則に従ってのみ可能
であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ可能◯
◯=正命題(a1と2の左右は逆に解釈し得る)
◆純粋理性の二律背反
先験的理念の第一の矛盾
定 立〔B454〕〔A426〕
世界は時間において初まりを有し、空間に関しても限界の内に囲まれている。◯
反定立〔B455〕〔A427〕
カント=アンチノミー
観念論 唯物論
1a
世界には時間的な始まりがない 世界には時間的な始まりがある
空間的な限界はない 空間的な限界はある◯
1b
世界は無限に分割できない 世界は無限に分割できる◯
1c
◯人間に自由はある 人間に自由はない
1d
◯世界には必然的な存在者[=神]
が存在する 存在しない
2
徳の格律が幸福の作用原因 幸福を得ようとする欲望が、
徳の格律に向かわしめる動因◯
3a
◯趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく
3b
物質は
機械的法則に従ってのみ可能
であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ可能◯
◯=正命題(1a1bの左右は逆に解釈し得る)
10.5現代史研究会レジュメ(内田弘):『資本論』の対称性 -1841年マルクスが『資本論』を定礎する- | ちきゅう座
http://chikyuza.net/archives/38820
<内田 弘(うちだひろし):専修大学名誉教授>
現代史研究会2013年10月5日(土)
明治大学リバティタワー1133号教室
[1] カント批判と対称性
マルクスの『資本論』はいわゆる「経済学」ではない。『資本論』は「ひとつの芸術的な全体」をめざすものである。その哲学的背景を知るためには、彼が批判した哲学者の著作も直に読むことが不可欠である。マルクスの「哲学」といえば、「ヘーゲル」と連鎖反応する。しかし、マルクスは《ヘーゲルはドイツ古典哲学の始祖であるカントを正確に批判したであろうか》という問題意識からヘーゲルを読み批判したのである。これまでほとんど論究されることがなかったこの問題《マルクスのカント批判》こそ、1841年の学位論文「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」(以下「差異論文」と略)を解読する核心である。しかも、マルクスは《カント問題》を1870~80年代まで継承し、その時期に作成した膨大な数学草稿のなかで、つぎのように指摘する。
「フィヒテはカントと手を結び、シェリングはフィヒテと手を結び、ヘーゲルはシェリングと手を結んでいる。しかし、フィヒテもシェリングもヘーゲルも、誰一人としてカントの一般的な基礎づけ、すなわち、観念論一般を研究することはなかった。そのため、彼らは観念論一般をいっそう発展させることはできなかったのである」。[1]
カント認識論の根源的批判=再定義という本来的課題にカント以後のドイツの哲学者は誰一人として取り組まなかった。その未決問題を自分は数学研究でも取り組んでいるというのである。マルクスは(数学草稿の編集者が推定する1870年代以後ではなく)『1863-65年草稿』などで数学を援用した記述の多い1860年代以後の数学研究、すなわち、微分可能性=数の「連続性」や二項定理が展開する「対称性」の研究で、《カントによる観念論の一般的な基礎づけに対する批判》を確認している。これから論証するように、「差異論文」の主題は『純粋理性批判』に対する全面的体系的批判にある。カントのアンチノミー論(無限と有限、全体と部分、自由と必然、有神と無神の二律背反)をカントのように絶対的な対立のままに放置するのではなく、対立する両者を媒介する止揚形態を探求すること、その媒態が「対称性」であることを「差異論文」のみならず『資本論』でも把握していた。だからこそ、「数学における対称性」まで進んでいったのである。その意味で『資本論』の副題「経済学の《批判(Kritik)》」もカント批判を含意する。マルクスは「差異論文」の1840年前後から1883年に死去するまで、同じ問題の解明に一貫して取り組んでいたのである。
[2]「感性・悟性・理性」の分離=解体
「差異論文」の主題が何であるのかを確定するには、「差異論文」準備のために作成した7冊のノートを丹念に読むことが有効である。ノートは公表を前提してはいない。ノート作成という準備にこそ、準備するものが何を目的としているのかが示唆されるからである。いわば「書斎での準備を見る」という手法である。そこで明らかになるのが「差異論文」の主題、カント批判である。マルクスはデモクリトス(BC460ca~BC370ca)とエピクロス(BC341~BC270)というカント(1724~1804)の時代からみて約2100年から2200年も前の自然哲学者の哲学的基礎を検討する。すると、カント『純粋理性批判』「第1部 超越論的分析論」の「感性・悟性・理性」論に対応する彼らの哲学的基礎がすでに分裂し解体していたことが判明する。マルクスは「自己の問題意識(カント批判)をその起源(古代ギリシャ自然哲学)に射影する方法」を駆使しているのである。マルクスの彼に先行する思想家(哲学者・経済学者など)を研究する方法がこれである。アリストテレス『デ・アニマ』、スピノザ『神学・政治論』、スミス『国富論』などのノートはこの方法でとられている。
[カント認識論の解体] マルクスはカント認識論の分裂と解体をノートしている。
「エピクロスの批判基準(真偽判断の基準)は感覚的知覚であった。これには客観的現象が照応している」[M(I/1)26, W272:訳198]。[2]「[エピクロスにとって]感覚はすべて真理の使者である」・「デモクリトスは感覚的知覚を主観的な仮象とみる」[M(I/1)28, W271:訳199]。「デモクリトスが哲学で満足せず、経験的知識の腕に身を投げる。これに対してエピクロスは実証的な諸学問を軽蔑する。なぜなら、それらは(知恵の)真の完成には何も寄与しないからである」[M(I/1)28, W273:訳201。( )は引用者補足]。
エピクロスは感性を全面的に受け入れる。エピクロスは感性的統覚がとらえる対象を客観的な現象として満たされていると考え、それ以上の経験的実証的知識を分析する悟性を軽視する。エピクロスは理性のみが原子を認識できると考える。これを要するに、エピクロスは「感性の承認・悟性の軽視・原子論的理性像」という認識論で提示する。エピクロスではカント認識装置は一面化し解体している。
デモクリトスは感性を「仮象の現象」と考え、感覚による認識を拒否する。代わって悟性で経験的知識を限りなく収集することを認識の根拠とする。原子は理性によってのみ認識可能であると考える。デモクリトスは「感性の拒否・悟性の重視・原子論的理性像」という、エピクロスとは反転した側面でカント認識論を強調する。デモクリトスの原子論は外部に実証性を無限に求める「自発性」をしめし、エピクロスの原子論は感覚的現象の「受容性」をしめす。カントのいう人間の認識能力の基盤である感覚の「自発的受容性」はデモクリトスの「悟性の外延的な自発性」とエピクロスの「感性の内包的な受容性」に分裂している。マルクスは、カント認識論の基礎がすでに二千数百年前のデモクリトスとエピクロスの自然哲学で分裂し解体していることを確認する。
[3] カント・アンチノミーの止揚形態の対称性
マルクスは『純粋理性批判』「第1部 超越論的原理論」の「感性・悟性・理性」がすでに分離=解体していることを確認するだけでない。さらに『純粋理性批判』「第2部 純粋理性の弁証論的推論」「第2章 純粋理性のアンチノミー」でカントが「理性の仮象」を批判する「アンチノミー」を取りあげる。マルクスが「差異論文」でカント・アンチノミーを念頭においていることは、「ここではまだ、アンチノミーを説明する場所ではない。その存在は否定できないということを認めるだけで十分である。これとは反対にエピクロスに聴こう」[M(I/1)26, W271. 訳188]との引用文に示されている。アンチノミーはカントが主張するような回避すべき対立ではない。それらは止揚される対立である。このことをすでにエピクロスが論証しているという。カントのアンチノミーとはつぎの四つである。
[第1の量のアンチノミー] 世界は時間・空間で有限か、無限か(時間に始元があるか否か、空間に限界があるか否か)、
[第2の質のアンチノミー] 世界は要素(部分)から成るか、無限に分割できる(全体)か、
[第3の関係のアンチノミー] 世界には絶対的な始めとしての自由が存在するか、世界の出来事はすべて自然必然性が支配するか、
[第4の様相のアンチノミー] 世界の因果の連鎖に絶対的必然的存在者があるか、否か。
マルクスの「差異論文」は当時のヘーゲル左派内部の宗教批判に発する問題意識である。第4のアンチノミー「神は存在するか、存在しないか」が「差異論文」の直接の主要なモチーフである。マルクスはカントのいうアンチノミーもすでに古代自然哲学の原子論で止揚されていることを論証する。マルクスは「差異論文」そのものを執筆するまえに、7冊のノートに膨大なノートを取った。「エピクロスの哲学 第1ノート」の冒頭でカントのアンチノミーに対応するノートをつぎのようにとる。
[第1のアンチノミー]「全宇宙は限界のないもの[無限]である。なぜなら、限界のあるもの[有限]は端をもっているからである」[M(IV)17, W32. 訳30。[ ]内は引用者補注。以下同]。「原子はたえず永遠に運動する」・「これらの運動には始元というものはない。なぜなら、原子と空虚とは永遠であるからである」[M(IV/1)18, W32. 訳30]。
[第2のアンチノミー]「物体のうち或るものは結合体であり、他のものは結合体をつくる要素である」。
[第3のアンチノミー]「万物のうち或るものは偶然に生じ、或るものは我々の力の及ぶ範囲内にある[必然的である]」[M(IV/1)13:W22:訳21[ ]は引用者]。
[第4のアンチノミー]「神はたしかに存在している。なぜなら神々についての思惟は明晰であるからである。しかし神々は民衆が信じているようなもの[天体]ではない(神についての共通の思惟、諸民族の一致を参照) [3]」[M(IV/1)11:W20:訳18]。
[対立の止揚形態の対称性] カントの四つのアンチノミーはすでに古代自然哲学者が論じていた問題である。しかも、それらの対立は対立に留まるのではなく、特にエピクロスによって事実上、止揚されている。つまりこうである。宇宙形成の原理は「原子(Atom)および空虚(Leere)」である[M(IV/1)81:W160:訳118]。原子はそれ自体に限界をもつ「有限」である。原子と原子の間には空虚が存在する。空虚は原子を有限な存在と規定する「無限」である。原子と原子はその間の空虚を極小化しそれを媒介に連結し結合体になる[無限か有限かの第一アンチノミーの止揚]。原子は要素(部分)でありかつ集合(全体)になる[部分か全体かの第二アンチノミーの止揚]。原子と原子は相互に空虚を媒介に結合する。[原子][空虚][原子][空虚][原子]・・・というように《対称的に結合する連鎖》を成す。[4] デモクリトスの原子のように直線運動でなく、エピクロスの原子は曲線運動(クリナーメン)をする。原子には自由に運動する本性がある。原子が互いに曲がって運動すれば、相互に結合する可能性がある。その結合連鎖運動は天体という予想さえしなかった結果を生む[自由か自然必然性の第三アンチノミーの止揚]。しかも、その天体を民衆は自らの力量を超越する存在として崇拝する。天体は宗教の対象になる。天体崇拝はエピクロスのアタラクシア(安逸)の思想を脅かす。民衆が崇拝する神々は真の神ではないと拒絶する[有神か無神かの第四アンチノミーの止揚]。対立は「対立する両項を相互に内含しあう対称性」に止揚される(MEGA,IV/1,S.20)。[5] マルクスはエピクロス原子論にカント・アンチノミーを止揚する「対称性を特徴とする論証法」を洞察する。対称性はその後、マルクスの宗教批判=経済学の批判の原理となって展開する。
[1] K.Mаркс, Maтeмaтичecкиe Pукoписи, Haукa,1968 (独露対訳), p.208; Marx’s Mathematical Manuscripts, translated by C. Aronson, M. Meo, and R. A. Archer, New Park Publications, 1983, p.119.マルクス『数学手稿』菅原仰訳、大月書店、1973年、98頁。訳文一部変更。
[2] この引用頁表記は、新MEGA, I/1.S.26、Marx/Engels Werke, Bd.40,S.272、『マルクス・エンゲルス全集』第40巻、訳198頁の略である。以下同じ。なお「差異論文」準備のために作成した「七冊のノート」は新MEGAではWerke版を再編集して第IV部第1巻[M(IV/1)]に収められている。
[3] のちにみるように《神の観念は集団によって異なり、神の絶対性は相対化される》とマルクスは指摘する。
[4] マルクスの後年の数学研究の主題がこの「対称性(Symmetrie)」である。内田弘「『資本論』の《不変の対称的構造》」『情況』2013年5・6月合併号を参照せよ。『資本論』の例証・化学結晶体も対称的結合体である。
[5] 『資本論』の基本観点が③交換過程論=「価値(使用価値)・使用価値(価値)」に総合されるのも、これと同じ対称性による(9頁参照)。内田弘「『資本論』の自然哲学的基礎」『専修経済学論集』通巻第111号、2012年3月、43頁参照。
[6] 『経済学批判要綱』(MEGA,II/1.2,S.344)でも剰余価値配分をめぐる価格規定における「相互的瞞着(die wechselseitige Prellerei)」という。マルクスはその配分比率の多様性にもかかわらず剰余価値総額は一定であるという。そのとき彼は剰余価値総額を自然対数の底e(ネイピア数)で根拠づけ、剰余価値の配分比率を「標準正規分布曲線」で想定していると思われる。
邦訳8頁
「最初に差をとる操作を定立し、ついでこれをふたたび止揚することは、文字どおり無に導く。微分操作の理解において困難な点はことごとく(一般に否定の否定の理解におけるそれと同様に)この操作がこのような簡単な手続といかにして区別されるのか、またそれゆえいかにして実際的な成果に導くのか、を見定めることである。」
http://blogs.yahoo.co.jp/kazuya_kagamihara/35597304.html
『資本論』形成史における『哲学の貧困』 - 専修大学 (Adobe PDF) -htmlで見る
www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/nenpo_47_utida.pdf
1841年の学位論文「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」(以下「 差異論文」. と略)から始まる。「差異論文」の .... 草稿』執筆中に取った「『国富論』第二 ノート」である。4) その順序と内容にマルクスが『国富論』. に発見した問題が記録されて ...
http://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/nenpo_47_utida.pdf#search='マルクス+差異論文+ノート'
内田弘
光文社5解説
第三節 第二の二律背反
二つのテーゼの紹介
「単純なもの」をめぐる第二の二律背反は、第一の二律背反が世界にかかわる問題であったのにたいして、主として世界と自我にかかわるテーゼである。定立命題は、「世界において、合成された実体はすべて単純な部分で構成されている。また世界には、単純なものか、単純なものから合成されたものしか現存しない」(507)と主張する。これにたいして反定立命題は「世界のうちのいかなる合成されたものも、単純な部分で構成されたものではない。だからまた世界のうちには単純なものはまったく現存しない」(509)と主張する。
どちらのテーゼも背理法で証明を試みる。まず定立命題の側は、もしも世界のすべての合成された実体が単純な部分で構成されていないと想定すると、合成されたものは部分で構成されたものではないことになると指摘する。すると世界には合成されたものは存在しえなくなることになる。その場合には世界には何ものも存在しないか、世界には単純なものだけが存在することになる。世界にはものが存在するのはたしかだから、存在するのはすべて単純なものだけであり、「合成された状態は、これらの単純な存在者の外的な状態」(508)だということになる。これはデモクリトスとエピクロスの原子論であり、ライプニッツのモナド論である。反定立命題は反対に、合成された実体が単純な部分で構成されていると想定すると、合成された実体が占めている空間も、この単純な部分に対応する「一つの空間」(509)に分割されることになると指摘する。しかし単純な部分が占めているこの「一つの空間」は、ある実在的なものによって占められているのであった。これは多様なものを含むのであって、合成されたものである。そうすると単純な部分は合成されたものとなって自己矛盾することになる。だからそれ以上は分割できない原子のようなものは存在せず、原子のような粒子も、それが場所を占めるのであれば、さらに分割することができるはずである。空間は理念的に無限に分割することができるからである。
これは少し分かりにくいが、アリストテレスによる古代の原子論への批判で、すでに提起されていた難問である。原子が存在していて他の原子に働きかけるためには、他の原子と接触しなければならないだろう。そのためには原子は場所をもっていなければならない。しかし場所というものは連続的なものである。しかし「どんな連続的なものも、不可分なものではない(5)」。だから原子はさらに分割されることになり、単純なものではないことになる。これは時間と空間の無限分割の可能性の問題として、ゼノンの「飛ぶ矢」のパラドックスの背景にある難問なのである。
2011-05-01 02:36:29
『判断力批判』第1部第2篇55
感覚の自由な遊び。
賭事遊び(一種の関心を必要とする)、音調の遊び(音楽。感覚の交替を必要とし、美学的理念を喚びおこす)、思惟の遊び(機知。表象の交替から生じ、心を生き生きさせる)http://twitter.com/miniaturebook/statuses/64518523426312192
2011-05-01 07:22:23
『判断力批判』第1部第2篇56
趣味のアンチノミー
正命題:趣味判断は概念に基づかない。もし基づくと、趣味判断は証明により決定されうることになるから。
反対命題:趣味判断は概念に基づく。もし基づかないと、我々の判断への必然的な同意を他人に要求できなくなるから。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/64590472110284800
2011-05-01 09:53:28
『判断力批判』第1部第2篇57
趣味のアンチノミーの解決
趣味判断はなんらかの概念に関係せねばならないが、一定の概念にもとづいて証明されうるものではなく、不定の概念である。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/64628494625280000
2011-05-02 23:35:56
『判断力批判』第1部第2篇57 注1
美学的理念:主観的原理に従って直観に関係される理念。概念的に表示できない構想力の表象。
理性理念:客観的原理に従って概念に関係される理念。直感的に証示できない理性概念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65197864564965376
2011-05-03 01:14:03
『判断力批判』第1部第2篇57 注2
純粋理性の3種の認識能力、アンチノミー、理念を順に列挙する。
1 悟性。認識能力に対しては無条件者にまで及ぶ悟性の理論的使用に関する理性のアンチノミー。
自然の基体としての超感性的なもの一般の理念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65222553114918913
2011-05-03 01:14:23
『判断力批判』第1部第2篇57 注2(続き1)
2 判断力。快・不快の感情に対しては判断力の美学的使用に関する理性のアンチノミー。
判断力に対する自然の主観的合目的性の原理としての超感性的なものの理念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65222639471431681
2011-05-03 01:14:48
『判断力批判』第1部第2篇57 注2(続き2)
3 (実践)理性。欲求能力に対してはそれ自体立法的な理性の実践的使用に関するアンチノミー。
自由の目的の原理および道徳的なものにおける自由とかかる目的との一致の原理としての超感性的なものの理念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65222742835855360
2011-05-03 02:14:24
『判断力批判』第1部第2篇58
自然・美における合目的性の観念論(ア・プリオリな根拠に基づいて判断すること)は、美の判定において判定のア・プリオリな基準を我々自身のうちに求めること及び美学的判断力は美の判断に関して立法的であることを証明する。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65237742405160960
2011-05-03 13:52:35
『判断力批判』第1部第2篇59
感覚的表示の仕方。
1 図式的:概念の直接的表示を直観的証示によって行なう。
2 象徴的:概念の間接的表示を類比(経験的直観を含む)を用いて行なう。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413447659159552
2011-05-03 13:53:03
『判断力批判』第1部第2篇59(続き1)
「美は道徳的善の象徴である」
美と道徳の比較。
1美は直接に快いものである。道徳は概念によって快い。
2美は一切の関心にかかわりなく快いものである。道徳的善はある種の関心と必然的に結びついている。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413563925274624
2011-05-03 13:53:23
『判断力批判』第1部第2篇59(続き2)
3構想力の自由は美の判定で悟性の合法則性と一致、調和すると考えられる。
意志の自由は道徳的判断で意志が理性の普遍的法則に従って自分自身と一致すると考えられる。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413645689032704
2011-05-03 13:53:48
『判断力批判』第1部第2篇59(続き3)
4美を判定する主観的原理は普遍的なものと考えられるが、普遍的概念によって表示され得ない。
道徳的判断は格律(主観的原理)の根拠を構成的原理とその普遍性に求めることによって可能となる。
※第1部美学的判断力の批判の実質的なまとめの節。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413752190808064
2011-05-05 02:20:05
『判断力批判(下)』読了。
第2部は第1部とは変わり、自然、目的論、神について語られる。
『実践理性批判』では「神の要請」だったのが、「神の存在の道徳的証明」となり、神、心の不死、自由をめぐる(カントの考える)形而上学の課題をまとめて解く。
うーん。こう解くのか。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65963947081211904
2011-05-06 12:05:13
『判断力批判』第1部第2篇60
予備的なものとして学より前にある純粋理性や実践理性への批判とは異なり、趣味の予備的訓練は道徳的理念の開展、道徳的感情の涵養のためにある。
感情が道徳的感情と一致させられる場合に、真正の趣味は一定不変の形式を帯びることができる。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/66473588357738496
2011-05-06 12:44:18
『判断力批判』を1790年に著したカントが、1794年に現れ突然消えた写楽をもしも知っていたら?
役者絵のブロマイド的販売→報酬のための仕事
木版画、肉筆絵画→造形芸術
人間の個性・表情を大胆に描く→≠自然美
せいぜいこんなところか、うーん。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/66483423635701760
僕のツイッター「哲学書読みの哲学知らず」からカント『判断力批判』第1部第2篇に関するツイートをまとめました。
投稿時間がどうもおかしいようですが、おおよその日付と投稿間隔がわかるので入れておきました。
http://tetsugakusya2.blog38.fc2.com/?mode=m&no=16
カント
プラトン主義 エピクロス主義
マルクス
エピクロス
アリストテレス デモクリトス
『人口論』 (マルサス著 光文社古典新訳文庫 2011): 弁護士進士肇のブログ
http://shinji-shinji.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/2011-3417.html
2. マルサス「人口論」に対する批判と評価
このマルサスの人口論に対しては,敵も極めて多い。マルサスは,「社会の下層階級の困窮をなくすことは実に困難な事業である。この階層のひとびとの上にのしかかる苦難は,社会の深部に根ざした害悪であるから,人間のアイデアでどうなるものではない。」とした上で,「救貧法・年金制度は無意味であり,社会保障は廃止すべき。貧乏人に甘えを与えることで,養育能力のない貧乏人が増殖され,結果的に社会を圧迫することになる。」としているからです。「自己責任論」のさらに手前だと言えます。
これは後に,社会主義者・共産主義者から猛烈な批判を受けることになります。プルードンは,マルサス主義者を「所得のない者は生きる権利も家族を持つ権利もないと主張する者」と定義づけ,マルクスは『資本論』で,「カトリックの僧侶のように潔く独身を通せばいいのに,彼自身結婚し子供を増やせるプロテスタントの牧師であることで,性欲の充足と人口増に寄与することになった。自分はこうした自由を得ながらも,他人の性欲と人口増には我慢ならない。」と辛辣に皮肉っています。
現代の考え方からマルサスを批判するのは慎まなければなりませんが,やはりマルサスの考え方は,18~19世紀ゆえの限界を抱えています。しかし,当時の経済理論に,(十分な証拠があるかはともかく)リアリズムを持ち込んで,さらにこの考え方が現代にまで影響していることは,十分評価に値すると思います。
哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。問題なのは世界を変えることなのである。
マルクス
マルクス
「哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。問題なのは世界を変えることなのである。」
フォイエルバッハに関するテーゼ
"Die Philosophen haben die Welt nur verschieden interpretiert, es kommt darauf an, sie zu verändern."
Karl Marx: Thesen über Feuerbach (Fassung 1845)
プルードン
「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。
アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」
『革命と教会における正義』未邦訳より
http://www.kagomma.net/saito/works.html
L' ANTINOMIE NE SE RÉSOUT PAS; là est le vice fondamental de toute la
philosophie hégelienne. Les deux sermes dont elle se compose, se balancent,
soit entre eux, soit avec d'autres terms antinomiques, ce qui conduit au
resultat cherche. Une balance n'est point une synthese telle que l'entendait
Hegel et que je l'avais supposee apres lui.
De la justice…,ed. Bougle-Moysset, t.II, p.155.
左翼にもマルクス主義とプルードなどのアナーキズムがある
マクロ、ミクロのように分離しているわけではないが。
日蓮はヘーゲルのように歴史をトリアーデの展開と捉える
ただしヘーゲルのように絶対精神が西欧近代には置かれず
到達点は法華経の中に措定される
カントが第一批判から積み上げたのと逆に
法華経は浄土のヴィジョンを提示する
あえてカントに対応させるなら
永遠平和は可能
機械法則は当てはまらない
趣味判断に概念はいらない
徳の戒律が幸福につながる、と下降する
左翼にもマルクス主義とプルードンなどのアナーキズムがある
マクロ、ミクロのように分離しているわけではないが。
日蓮はヘーゲルのように歴史をトリアーデの展開と捉える
http://tidouji.la.coocan.jp/hihan/gojyusanndan.htm
ただしヘーゲルのように絶対精神が西欧近代には置かれず
到達点は法華経の中に措定される
カントが第一批判から積み上げたのと逆に
法華経は浄土のヴィジョンを提示する
あえてカントに対応させるなら
永遠平和は可能
機械法則は当てはまらない
趣味判断に概念はいらない
徳の戒律が幸福につながる、と遡行する
対話主義は共通している
日蓮はヘーゲルのように歴史をトリアーデの(フラクタル的)展開と捉える
http://tidouji.la.coocan.jp/hihan/gojyusanndan.htm
ただしヘーゲルのように絶対精神が西欧近代には置かれず
到達点は法華経の中に措定される
カントが第一批判から積み上げたのと逆に
法華経は浄土のヴィジョンを提示する
あえてカントに対応させるなら
永遠平和は可能
機械法則は当てはまらない
趣味判断に概念はいらない
徳の戒律が幸福につながる…、と遡行する
対話主義は共通しているが
阿僧祇劫に於いて 常に霊鷲山 及び余の諸の住處に在り
衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり
園林諸の堂閣 種種の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天天鼓を撃って
常に衆の伎楽を作し 曼陀羅華を雨らして 仏及大衆に散ず
十の五十六乗劫のあいだ、わたしはつねに、
この霊鷲山もしくは別の場所にいつづけているのです。
生きとし生けるものが、この世の終わりがきて、
世界がすべて焼き尽くされていると見たり思ったりしているときも、
わたしがいる世界は安穏なのです。
天人が舞い踊り、緑したたる樹林があり、いろいろな宝石で飾られた絢爛豪華な建物があまたあるのです。
宝石でできた樹木や、花や実をつけた樹木が、たくさんあって、生きとし生けるものはみな、楽しく暮らしているのです。
空のうえでは、つねに神々が太鼓を打ち鳴らし、さまざまな楽器をかなで、たとえようもなく美しい花が、
雨のように、仏やその弟子たちの頭上に、降り注いでいるのです。
法華経寿量品より
今年は偉人の死が続いたが、寿量品の比喩が身に染みる
然るに今、実の滅度に非ざれども、而も便ち、唱えて當に滅度を取るべしと言う。
(こういうわけで、如来は、ほんとうは死なないのだけれど、死ぬのだと言うのです。)
今年は偉人の死が続いたが、寿量品の比喩が身に染みる
《然るに今、実の滅度に非ざれども、而も便ち、唱えて當に滅度を取るべしと言う。
(こういうわけで、如来は、ほんとうは死なないのだけれど、死ぬのだと言うのです。)
…
阿僧祇劫に於いて 常に霊鷲山 及び余の諸の住處に在り
衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり
園林諸の堂閣 種種の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天天鼓を撃って
常に衆の伎楽を作し 曼陀羅華を雨らして 仏及大衆に散ず
(十の五十六乗劫のあいだ、わたしはつねに、
この霊鷲山もしくは別の場所にいつづけているのです。
生きとし生けるものが、この世の終わりがきて、
世界がすべて焼き尽くされていると見たり思ったりしているときも、
わたしがいる世界は安穏なのです。
天人が舞い踊り、緑したたる樹林があり、いろいろな宝石で飾られた絢爛豪華な建物があまたあるのです。
宝石でできた樹木や、花や実をつけた樹木が、たくさんあって、生きとし生けるものはみな、楽しく暮らしているのです。
空のうえでは、つねに神々が太鼓を打ち鳴らし、さまざまな楽器をかなで、たとえようもなく美しい花が、
雨のように、仏やその弟子たちの頭上に、降り注いでいるのです。)》
法華経寿量品より
「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。
アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスを
とる」
(プルードン『革命と教会における正義』☆未邦訳、斉藤悦則氏のHPより)
http://www.kagomma.net/saito/works.html
矛盾と生きる――プルードンの社会主義(91.10)
http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
☆De la justice dans la Révolution et dans l’Eglise - Tome I 1858
この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている。
純理5
中山訳
形式: Kindle版|Amazonで購入
世界には時間的な始まりがあるか、空間的な限界はあるか。
世界は無限に分割できるか、それ以上は分割できなくなるのか。
人間に自由はあるか、それとも必然的な自然法則にしたがうだけなのか。
世界には必然的な存在者[=神]が存在するのかどうか。
以上、宣伝文より。
これだけだと漠然としているが、表にすると分かり易い。本書にでて来るのは1a〜1d。
カント=アンチノミー
観念論 唯物論
1a
◯世界には時間的な始まりがある 世界には時間的な始まりがない
空間的な限界はある 空間的な限界はない
1b
◯世界は無限に分割できる 世界は無限に分割できない
1c
◯人間に自由はある 人間に自由はない
1d
◯世界には必然的な存在者[=神]
が存在する 存在しない
2
徳の格律が幸福の作用原因 幸福を得ようとする欲望が、
徳の格律に向かわしめる動因◯
3a
◯趣味判断は概念に基づかない 趣味判断は概念に基づく
3b
物質は
機械的法則に従ってのみ可能
であると判定され得ない 機械的法則に従ってのみ可能◯
◯は正命題
カテゴリー表に対応して展開されたこうしたアンチノミーはカント理解の肝であるが、従来は分かり難かった。その点、本書巻末にある訳者による解説が秀逸だ。
<このカントの四つの二律背反は、第一と第四の二律背反が次の「純粋理性の理想」で扱われる神の存在の問題を考察し、第二と第三の二律背反は、前の「純粋な理性の誤謬推論について」で扱われた自我の問題を考察するのである。その意味ではこの四つの二律背反は前後の章をつなぐ形で巧みに構成されていると言えるだろう。
ただしこれらの二律背反の問題はすでに哲学の世界で重要な問題として考察されてきたものである。たとえば一八世紀の初頭にライプニッツとニュートンのあいだで、世界、神、自由について激しい論争が行われた。ニュートンの代理としてクラークいう科学者がライプニッツと往復書簡を交わす形で、この論争は行われたが、ニュートンの遺稿の中にクラークの書簡の草稿が残っていたというから、これはライプニッツとニュートンの論争と考えてよいだろう。一七五六年にライプニッツの著作集が刊行され、カントはこの論争に大きな関心をもっていた。
そしてこの二律背反で取り上げられる四つの論点はすべて、ライプニッツとクラークの論争で取り上げられている。そしてつねにニュートン派が定立命題を主張し、ライプニッツが反定立命題を主張していたのである。この論争を手掛かりに考えると、プラトンとエピクロスという古代ギリシアの哲学者の対立として考えるよりも、カントの真意がはっきりとみえてくるところがある。…>(226頁解説より)
参照:『ライプニッツとクラークとの往復書簡』米山優+佐々木能章訳、『ライプニッツ著作集 9』工作舎。ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』河辺六男訳、中央公論社。
他の各巻の解説は必要ない気もするが、第五巻における上記の解説はやはり非常に有益だ(『自由の哲学者カント』第五章にも多少簡潔になったほぼ同内容の解説がある)。
ただし、検索のしやすさでkindle版よりibooks版を勧める。
トップカスタマーレビュー
5つ星のうち4.0訳者によるアンチノミーの解説が秀逸
同じことを書くのはテンプレとして、基礎教養としてです
過去の書き込みと比べていただければ少しづつ表現がわかりやすくなっているはずです
弁証法に関してもやはりプルードンの以下の指摘が決定的てす。
「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。
アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスを
とる」
(プルードン『革命と教会における正義』未邦訳、斉藤悦則氏のHPより)
http://www.kagomma.net/saito/works.html
矛盾と生きる――プルードンの社会主義(91.10)
http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
De la justice dans la Revolution et dans l’Eglise - Tome I 1858
この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている。
ベンヤミンが参照したのは、
CUVILLIER, Armand "Marx et Proudhon" in A la Lumiere du marxisme, obra colectiva
(Tomo II), Paris, Editions sociales interna¬tionales, 1937, 240 p.
ヘーゲルの欠点、つまり弁証法への過信をマルクスも受け継いでしまった…
ケインズは確かに資本論をコーランみたいなものだとバーナード・ショー宛の書簡に書いているが
ただしこれは擬態で
有効需要の原理を直感的に資本論から受け取っている
ケインズは階級闘争を認めなかっただけでケインズとマルクスの差はそこまでない
官僚が投資先を決めるか民間が決めるかの差だ
カレツキはもっと自覚的にマルクスを再構築した点でケインズより優れていたが
パサージュ論4岩波文庫
430
の直接税を、選挙権を得るには三〇歳で三〇〇フランの直接税を納めていなければなら
なかった。(支払いを怠る納税者には兵営の男(兵士?)が一人割り当てられ、彼らは自
分たちの納税義務を清算するまでこの男の面倒を見なければならなかった。)
[a19, 3]
ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲ
ル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。
バランス ジンテーゼ
収支は総合ではない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れ
てはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者·社会学者)は付け加えている。ほか
の箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記に
も形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン·キュヴィリエ「マルク
スとプルードン」(「マルクス主義に照らして』I、パり、一九三七年、一八〇l-八一ページ)
[a19, 4]
「聖家族」でのマルクスは、プルードンの次のような根本思想がすでにイギリスの経済
学者サドラーにょって一八三〇年に述べられていることに気づいている。プルードンは
言う。「「労働者たちの連合と調和や、彼らの努力が集中し、同時に働いた結果として生
孫引きだが、サドラーにベンヤミンは集合力の優先権があるという
ジンメル貨幣の哲学にもベンヤミンは批判的
#4
248-253
唯物論なら集合力を認めるべきだ
信用貨幣論を唯物論で排除し、肝心なところで現実を見ない
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition) はKindle Cloud Reader
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
パサージュ論4岩波文庫
430
ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲ
ル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。
収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れ
てはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者·社会学者)は付け加えている。ほか
の箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記に
も形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン·キュヴィリエ「マルク
スとプルードン」(「マルクス主義に照らして』I、パり、一九三七年、一八〇l-八一ページ)
[a19, 4]
サンシモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
パサージュ論4岩波文庫
430
ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者·社会学者)は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン·キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]
他にジンメル『貨幣の哲学』についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition) はKindle Cloud Reader
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的と言うだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが示唆的ではある。
パサージュ論4岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition) はKindle Cloud Reader
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。
信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないと言う疑念はますます深まった。
パサージュ論4岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition) はKindle Cloud Reader
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。
信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないという疑念はますます深まった。
パサージュ論4岩波文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4003246365/
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00STLN8S8/
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
742:
Bei den Choleraepidemien bezichtigten die Leute die Spirituosenhändler der Schuld an der Infektion. [U 14 a, 2]
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
書評
パサージュ論4岩波文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4003246365/
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
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Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition)
Walter Benjamin
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912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
742:
Bei den Choleraepidemien bezichtigten die Leute die Spirituosenhändler der Schuld an der Infektion. [U 14 a, 2]
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
書評
『パサージュ論4』岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の
基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)
はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ
[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している
思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・
キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇〜
一八一ページ)[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
柄谷の『世界史の構造』以降、断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的
ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk (German Edition)
Walter Benjamin
書評
『パサージュ論4』岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の
基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)
ではない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ
[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している
思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・
キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇〜
一八一ページ)[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
柄谷の『世界史の構造』以降、断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的
ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
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Das Passagen-Werk (German Edition)
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『パサージュ論4』岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の
基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)
ではない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ
[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している
思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・
キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇〜
一八一ページ)[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。細かいところで現代文庫版よりつくりが親切。
柄谷の『世界史の構造』以降、断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的
ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
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『パサージュ論4』岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の
基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)
ではない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ
[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している
思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・
キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇〜
一八一ページ)[a19, 4]》430頁
ヘーゲル批判としてはあらゆる現代思想を先駆けている。
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。細かいところで現代文庫版よりつくりが親切。
柄谷の『世界史の構造』以降、断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的
ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
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『パサージュ論4』岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の
基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)
ではない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ
[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している
思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・
キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇〜
一八一ページ)[a19, 4]》430頁
プルードンの経歴を含め、上記はヘーゲル批判としてはあらゆる現代思想を先駆けている。
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。細かいところで現代文庫版よりつくりが親切。
柄谷の『世界史の構造』以降、断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的
ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
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『パサージュ論4』岩波文庫
サン=シモン、フーリエ、マルクスのように章立てされていないが、プルードン関連の孫引きが特筆される。
《ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)ではない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者・社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(『マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇~一八一ページ)
[a19, 4]》430頁
他にジンメル『貨幣の哲学』(主に第五章)についての批判的引用が興味深い。
第5巻に索引がつくそうだ。現代文庫版よりつくりが親切。
柄谷の『世界史の構造』以降、断片的というだけでベンヤミンを持ち上げることはできないが刺激的ではある。例えば、
《コレラが流行したとき、人々は感染の原因を酒屋のせいにした。[U14a, 2]》81頁
ただし信用貨幣論(プルードン、ジンメル)を唯物論者は理解出来ないのではないか?という疑念はますます深まった。
kindle原語版全一冊が安価なのでおすすめ。
これだと検索が楽。
Das Passagen-Werk
(German Edition)
Walter Benjamin
Das Passagen-Werk: Die Straßen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Spätkapitalismus (German Edition) はKindle Cloud Reader
912:
Proudhon über Hegel: »L’antinomie ne se résout pas; là est le vice fondamental de toute la philosophie hégélienne. Les deux termes dont elle se compose, se balancent … Une balance n’est point une synthèse.« »… N’oublions pas«, fügt Cuvillier hinzu, »que Proudhon avait été longtemps comptable.« An anderer Stelle spricht Proudhon von den seine Philosophie bestimmenden Gedanken als »idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique«. Armand Cuvillier: Marx et Proudhon (A la lumière du marxisme II Paris 1937 p 180/181) [a 19, 4]
パサージュ論4岩波文庫
430
ヘーゲルについてプルードンは言っている。「二律背反は解消されない。そこにヘーゲル哲学全体の基本的な欠陥がある。それを作り上げる二つの項は、相殺されている。収支(バランス)は総合(ジンテーゼ)はない。」「長い間、プルードンが経理担当者だったことをわれわれは忘れてはならない」と、キュヴィリエ[20世紀仏の哲学者·社会学者]は付け加えている。ほかの箇所でプルードンは、彼の哲学を決定している思想は、「基本的な考え方で、簿記にも形而上学にも共通した考え方」であると述べている。アルマン・キュヴィリエ「マルクスとプルードン」(「マルクス主義に照らして』II、パリ、一九三七年、一八〇一-八一ページ)[a19, 4]
Œuvres complètes de P.-J. Proudhon - 第 9 巻 - 129 ページbooks.google.co.jp › books
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Pierre-Joseph Proudhon · 1868
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Pierre-Joseph Proudhon ... les principes de cette comptabilité que j'appellerai , si l'on veut , transcendante ; j'ai rappelé cent fois , depuis Février , ces idées élémentaires , communes à la tenue des livres et à la métaphysique .
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Œuvres complètes de P.-J. Proudhon: Idée générale de la ... - 180 ページbooks.google.co.jp › books
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Pierre-Joseph Proudhon · 1929 · スニペット表示
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Pierre-Joseph Proudhon ... les principes de cette comptabilité que j'appellerai , si l'on veut , transcendante ; j'ai rappelé cent fois , depuis Février , ces idées élémentaires , communes à la tenue des livres et à la métaphysique .
idées élémentaires, communes à la tenue des livres et à la métaphysique
1851 - Les Confessions d’un révolutionnaire
XI. QUI SUIS-JE ?
革命家の告白―二月革命史のために 単行本 – 2003/8/1
ピエール=ジョゼフ プルードン (著), Pierre‐Joseph Proudhon (原名), 山本 光久 (翻訳)
11章 私は何者か
203頁
所有においては、あらゆる経済要素においてと同様、その損害ないし乱用は利益と不可分であって、ちょうど
複式簿記において借方貸方が切り離しえないのと同断である。一方が必然的に他方を生み出すのだ。所有の乱
用を抑えようとすることは、所有それ自体を崩壊させることだが、それは会計の借方で削減することが、貸方で
財産をなくすことになるのと同様である。 所有の乱用ないし障害に対してなしうることとは、所有を反対の要素
と融合させ、統合し、組織化し、均衡させることだが、この反対の要素とは、債権者が債務者に相対し、株主が
業務担当社員に相対し・・・・・・等々といったように所有に相対するものである(例えばそれは件の「共同体」であろ
う)。その結果、この二つの原理は変質ないし相殺しあうことなく、片方の善がもう一方の悪を補うようになる
のだが、それは例えばバランスシートで、双方が互いに清算しあった上で、全くの損失か丸々の利益となるよう
な、最終的な結果に至りつくようなものである。
くだん
したがって、 貧困問題の解決は、会計係の技術をもっと高度なレベルに引き上げることであり、会社の帳簿の
水準を上げることであり、それぞれの機構での借方貸方をきちんと確立することにあるのだが、それは、社会
的原簿の一般会計ないし区分のために、もはや「資本」 「金融機関」「一般商品」「手形」「割引」等々といった通
常の会計的用語ではなく、哲学的、 法学的、政治学的用語―すなわち「競争と独占」「所有と共同体」「市民と
「国家」 「人間と神」等々といった用語を採用することによってなのである。最後にこのたとえを締めくくれば、
その時期ごとに秩序か無秩序かを確認し、〈均衡〉pを提示しうるためには、毎日きちんと帳簿をつけること、す
なわち権利と義務を正確に決定しなければならないのである。
P 「一九世紀における革命の一般的理念」を参照。そこで私はこうした経済的諸効果の組織化について概観している。
私は二冊の本を費やして、お望みならば超越的と呼んでもよい、この会計学の諸原理を説明した。 「二月」以
来、会計管理と形而上学とに共通するこの基本的理念について、何度となく注意を喚起しているのだが、旧態依
然たる経済学者たちは、私を前にして嘲笑したのである。また、政治的イデオローグたちは、民衆のために執筆
するよう、私に丁重に勧めたのであった。 私と強い利害関係にあった人々に関して言えば、彼らはなおのことひ
第11章 私は何者か
初期の報告書においては、私は既存の秩序を正面から攻撃しつつ、 例えばこう主張したものだ―「財産とは
窃盗である!」。 問題は、われわれの制度の無価値さに抗議し、言わばそれを浮き彫りにすることであった。当
時私は、それ以外のことにかかずらう必要は何もなかった。さらに、この耳を聾さんばかりの反響を呼んだ命題
厳密に証明した報告書においては、私は共産主義的なあらゆる結論に対しても抗議するべく、意を用いていた
のであった。
「貧困の哲学」においては、最初の定義を呼び戻し、確認した上で、 それとは全く反対ではあるが、別の秩序
の考察に基づいた定義をつけ加えたが、これは最初の論拠を覆すものでも、それによって覆されるものでもあり
えなかった。 すなわち、「財産、それは自由である」ということ。財産は窃盗である、 財産は自由である こ
の二つの命題は「貧困の哲学」においてはともに隣り合って明示されている。 同様にして、「分業」 「競争」「国
「家」 「信用」 「共同体」等々については、それぞれの経済学的カテゴリーに基づいて取り扱っている。 そして交互
に、これらの観念のそれぞれが、したがって、それらが生み出す諸制度がいかに肯定的側面を持っているか、ま
たそれらがいかにすべての点で対立する一連の二重の結果を引き起こしているかを示している。しかし私は結論
として、常にそれらが一致、和解、 総合されるという必然性に至るのである。したがってここでは、所有は、他
の経済学的カテゴリーとともに、その存在理由と非存在理由とともに、すなわち経済的・社会的体系に、二重に
直面する要素として立ち現われていた。
こうした論述は詭弁的で、矛盾した、曖昧さと悪意にまみれたものに思われたのである。 所有を再び例に取っ
て、これをもっとわかりやすいものにするよう努めてみよう。
社会的諸制度の全体の中で考えてみると、所有には、言わば周知の二つの説明がある一つは、所有がもた
らす財は、所有の本質から直接に生じるということである。もう一つは、所有が作り出す不都合やそれが要する
費用は、財と同様にやはり所有の本性に直接由来するというものである。
それは競争、 独占、国家などについても同様である。
10
《「二月」以来、会計管理と形而上学とに共通するこの基本的理念について、何度となく注意を喚起しているのだが、旧態依然たる経済学者たちは、私を前にして嘲笑したのである。》
(プルードン『革命家の告白』作品社、邦訳203頁より)
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Alex Prichard · 2013
次の書籍のコンテンツと一致: – 101 ページ
... THE ANTINOMY CANNOT BE RESOLVED; this is the fundamental flaw of the entire Hegelian philosophy. The two terms composing the antinomy BALANCE either against each other, or against other antinomic terms: which leads to the desired result ...
THE ANTINOMY CANNOT BE RESOLVED; this is the funda-
mental flaw of the entire Hegelian philosophy. The two terms compos-
ing the antinomy BALANCE either against each other, or against other
antinomic terms: which leads to the desired result. A balance is not
a synthesis in the way Hegel understood it and as I had supposed
https://books.google.com/books/about/Justice_Order_and_Anarchy.html?hl=ja&id=FdW0aXymcZAC
ページ
... 49. Proudhon, De la Justice (Vol. II), p. 567.
https://books.google.co.jp/books?id=SZ-Bf1x_zqEC&pg=PT122&dq=other+antinomic+terms:+which+leads+to+the+desired+result&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=0&sa=X&ved=2ahUKEwiVi_vr3LqDAxUraPUHHdsMD_YQ6AF6BAgNEAI#v=onepage&q=49&f=false
Justice, Order and Anarchy: The International Political Theory of Pierre ...
著者: Alex Prichard
THE ANTINOMY CANNOT BE RESOLVED; this is the fundamental flaw of
the entire Hegelian philosophy. The two terms composing the antinomy
BALANCE either against each other, or against other antinomic terms:
which leads to the desired result. A balance is not a synthesis in the way
Hegel understood it and as I had supposed like him. Apart from this
reservation that I make for the sake of pure logic, I stand behind
everything I said in Contradictions. 49
THE ANTINOMY CANNOT BE RESOLVED; this is the fundamental flaw of the entire Hegelian philosophy. The two terms composing the antinomy BALANCE either against each other, or against other antinomic terms: which leads to the desired result. A balance is not a synthesis in the way Hegel understood it and as I had supposed like him. Apart from this reservation that I make for the sake of pure logic, I stand behind everything I said in Contradictions. 49
これはヘーゲル哲学全体の根本的な欠陥である。アンチノミーを構成する2つの用語は、互いに対して、あるいは他のアンチノミーの用語に対してバランスをとる。均衡は、ヘーゲルが理解していたような、また私がヘーゲルと同様に考えていたような総合ではない。純粋な論理のために行ったこの留保を除けば、私は『矛盾』で述べたすべてを支持する。49