金曜日, 8月 07, 2015

カント『純粋理性批判』高峯一愚訳、目次



                   ( カント:インデックスリンク:::::::::

NAMs出版プロジェクト: カント『純粋理性批判』高峯一愚訳、目次

http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html [本頁]



《先験的観念論者は経験的実在論者であることができる。すなわちいわゆる二元論者であることができるのである。〔A370〕換言すれば、単なる自己意識の外に出ることなく、またわたくしのうちなる表象の確実性、すなわち「われ思う。ゆえにわれ在り」(cogito, ergo sum.)より以上の何ものをも想定することなくして、物質の実際的存在を承認する者である。》

(カント『純粋理性批判』)


上記は岩波文庫版下では誤訳があるとして有名な箇所。



http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001274497-00

世界大思想全集 [第1期] 第10 上 (哲学・文芸思想篇 第10)


(現行、河出書房新社版の目次はもう少し詳しい。)☆☆☆

 

詳細情報

タイトル 世界大思想全集

出版地 東京

出版社 河出書房

出版年 1956

大きさ、容量等 321p 図版 ; 19cm

JP番号 52011946

巻次 [第1期] 第10 上 (哲学・文芸思想篇 第10)

部分タイトル 純粋理性批判 上(カント著 桝田啓三郎,高峯一愚訳)

http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001274497-00

 

目次 / 

扉の辞 / p9 

献辞 / p11 

第一版序 / p13 

第二版序 / p21 

緒言 / p43 

 一、純粋認識と経験的認識との区別について / p43 

 二、われわれは或る先天的認識を有し、普通の常識といえども決してこれを欠いてはいない / p44 

 三、哲学は、あらゆる先天的認識の可能性、諸原理及び範囲を定める一個の学を必要とする / p47 

 四、分析的判断と総合的判断との区別について / p49 

 五、理性がつくる理論的学にはすべて先天的総合判断が原理として含まれている / p53 

 六、純粋理性の一般的課題 / p55 

 七、純粋理性批判と名づけられた特殊な学の理念と区分 / p59 

一、 先験的原理論 / p64 

第一部 先験的感性論 / p64 

緖言 一 / p64 

 第一節 空間について(二、三) / p66 

 第二節 時間について(四―七) / p72 

第二部 先験的論理学 / p89 

緖言 先駆的論理学の理念 / p89 

第一部門 先験的分析論 / p97 

第一篇 概念の分析論 / p98 

 第一章 すべての純粋悟性概念を見いだす手引について / p98 

  第一節 悟性の論理的使用一般について / p99 

  第二節 判断における悟性の論理的機能について(九) / p100 

  第三節、純粋悟性概念すなわち範疇について(一〇―一二) / p104 

 第二章 純粋悟性概念の演繹について / p111 

  第一節 先駆的演繹一般の原理について(一三) / p111 

  第二節 純粋悟性概念の先駆的演繹(一五―二七) / p119 

第二篇 原則の分析論(判断力の先駆的理説) / p142 

 緖言 先駆的判断力一般について / p143 

 第一章 純粋悟性の図式性について / p146 

 第二章 純粋悟性のあらゆる原則の体系 / p152 

  第一節 あらゆる分析判断の最高原則について / p153 

  第二節 あらゆる総合判断の最高原則について / p155 

  第三節 純粋悟性のあらゆる総合的原則の体系的表現 / p157 

 第三章 あらゆる対象一般を現象体と本質体とに区分する根拠について / p214 

 附録 反省概念の多義性について / p231 

訳者附録 / p250 

第二部門 先験的弁証論 / p270 

 緖言 / p270 

第一篇 純粋理性の概念について / p279 

 第一節 理念一般について / p280 

 第二節 先駆的理念について / p285 

 第三節 先駆的理念の体系 / p292 

訳者注 / p296 

解説 / p315 


 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001281093-00

目次 / p3 

一、先験的原理論 / p9 

第二部 先験的論理学 / p10 

第二部門 先験的弁証論 / p10 

第二篇 純粋理性の弁証的推理について / p10 

 第一章 純粋理性の誤謬推理について / p11☆

 第二章 純粋理性の二律背反 / p32 

  第一節 宇宙論的理念の体系 / p33 

  第二節 純粋理性の背反論 / p40 

  第三節 これら二律背反の抗争において理性がもつ関心について / p67 

  第四節 端的に解決されることができなければならないかぎりにおける、純粋理性の先験的課題について / p74 

  第五節 宇宙論的問題について四個の先験的理念のいずれによっても生ずる懐疑的な考え方 / p79 

  第六節 宇宙論的弁証論解決の鍵としての先験的観念論 / p83 

  第七節 理性の宇宙論的自己矛盾の批判的解決 / p87 

  第八節 宇宙論的理念に関する純粋理性の統整的原理 / p93 

  第九節 すべての宇宙論的理念に関する理性の統整的原理を経験的に使用することについて / p98  ☆☆

 第三章 純粋理性の理想 / p127 

  第一節 理想一般について / p127 

  第二節 先験的理想(先験的原型)について / p129 

  第三節 思弁的理性が最高存在体の定在を推論するにいたる諸論拠について / p137 

  第四節 神の定在に関する実体論的証明の不可能なゆえんについて / p142 

  第五節 神の定在に関する宇宙論的証明の不可能なゆえんについて / p148 

  第六節 物理神学的証明の不可能なゆえんについて / p159 

  第七節 理性の思弁的原理にもとづくあらゆる神学に対する批判 / p165 

先験的弁証論への附録 / p173 

訳者附録 / p209 

二、先験的方法論 / p244 

緒言 / p244 (0128.jp2)

 第一章 純粋理性の訓練 / p245 

  第一節 独断的使用における純粋理性の訓練 / p247 

  第二節 論争的使用に関する純粋理性の訓練 / p262 

  第三節 仮設に関する純粋理性の訓練 / p281 

  第四節 証明に関する純粋理性の訓練 / p289 

 第二章 純粋理性の規準 / p297 

  第一節 われわれの理性の純粋使用の究極目的について

  第二節 純粋理性の究極目的の決定理由としての、最高善の理想について / p302 

  第三節 臆見と知と信仰とについて / p311 

 第三章 純粋理性の建築術 / p319 

 第四章 純粋理性の歴史 / p331 

解説 / p335 

索引 / p1 



☆☆

ドゥルーズ経由、カントによれば、自由とは、


《自由とは「自己自身から、ある状態を創始する」能力》
(ドゥルーズ『カントの批判哲学』法政大学出版局阪47頁)

《私が宇宙論的意味において自由と言うのは、或る状態をみずから始める能力のことである。》
(カント『純粋理性批判』岩波文庫中206,b561)

一方、デリダは場に力点を置く。
《私が「新たな」〈人文学〉という表現によって何を言おうとしているのか、これから明確に
してみましょう。これらの議論が批判的なものであろうと、脱構築的なものであろうと、それ
は人間、人間本性、人権、人道に反する罪、等々に関係する真理の問いと歴史に関わるのです
が、それらすべては原則的に、大学のなかに、また大学のなかでもとりわけ〈人文学〉のなか
に、無条件的で前提を欠いたその議論の場を、何かを検討し再考するための正当な空間を、見
い出さなければなりません。それはこの種の議論を大学や〈人文学〉のなかに閉じ込めるため
ではなく、逆に、コミュニケーションや情報、アーカイヴ化、知の生産をめぐる新しい技術に
よって変容する新たな公共空間へと接近するための最良の方法を見い出すためです》
(『条件なき大学』ジャック・デリダ=著 西山雄二=訳)

 ______純_粋_理_性_批_判______
(緒言)  |     |     |  手引き=判断表
|     |     |  緒言 |概念分析 |範疇表
| 空間  |  時間 |     |演繹   |
|  (感 性 論)  |__(論 理 学)__|
|     |     |  /分 析 論   |  
|     |     |   図式| 付録: |
|     |     |原則分析 |反省概念 |
|_【原  理  論】_|体系_根拠|___(無)
|  (感性論と論理学)|     |     |
| 概 念 |  霊魂 | 緒言  |  訓練 |
|     |     |     |     |
|(論 理 学)推 理_|__【方 法 論】__|
|/弁 証 論  存在論|     |  (図式)  
量 世界 質|  神  | 規準  | 建築術_|
|二律背反 |宇宙 神学|     (体系)  |
関係__様相|_論___|_____|__|歴史|

☆☆☆

目 次 

 ◆扉の辞 

◆献 辞 

◆第一版序 

◆第二版序 

◆緒  言 

 一、純粋認識と経験的認識との区別について 

 二、われわれは或る先天的認識〔形式〕を有し、普通の常識といえども決してこれを欠いてはいない 

 三、哲学はあらゆる先天的認識〔形式〕の可能性、諸原理及び範囲を定める一個の学を必要とする 

 四、分析的判断と総合的判断との区別について 

 五、理性がつくる理論的学にはすべて先天的総合判断が原理として含まれている 

 六、純粋理性の一般的課題 

 七、純粋理性批判と名づけられた特殊な学の構想と区分 

一、先験的原理論

第一部 先験的感性論 

緒言 一 

 第一節 空間について(二、三) 

 第二節 時間について(四─七) 

 ◆先験的感性論に対する一般的注解(八) 

 ◆先験的感性論の結語 第二部 先験的論理学 

 ◆緒言 先験的論理学の構想 

  一、論理学一般について 

  二、先験的論理学について 

  三、一般論理学の区分について──分析論と弁証論── 

  四、先験的論理学の区分について──先験的分析論と先験的弁証論── 

第一部門 先験的分析論

第一篇 概念の分析論 

第一章 すべての純粋悟性概念を見いだす手引について 

 第一節 論理的な悟性使用一般について 

 第二節 判断における悟性の論理的機能について(九) 

 第三節 純粋悟性概念すなわち範疇について(一〇─一二) 

第二章 純粋悟性概念の演繹について 

 第一節 先験的演繹一般の原理について(一三) 

 ◆範疇の先験的演鐸への移りゆき(一四) 

 第二節 純粋悟性概念の先験的演繹(一五─二七) 

    総合が一般に可能であることについて(一五)、統覚の根源的・総合的統一について(一六)、統覚が総合的統一の働きをなすという原則はあらゆる悟性使用の最高原理である(一七)、自覚の客観的統一とは何か(一八)、あらゆる判断が含む論理的形式の意味は、判断に含まれている概念が統覚によって客観的統一をえる形式を示すものであるところにある(一九)、すべての感性的直観は範疇にしたがう。範疇とはその下にのみ直観の多様が一つの意識に総括されることのできる条件である(二〇)、注(二一)、範疇は経験の対象に適用される以外には、物の認識のために使用されることはない(二二、二三)、感官の対象一般に対する範疇の適用について(二四、二五)、純粋悟性概念が一般に経験的に使用されうることの先験的演繹(二六)、悟性概念をこのように演繹した成果(二七)、この演繹の要約 

第一版の叙述(一)

 第二篇 原則の分析論(判断力の先験的理説) 

◆緒言 先験的判断力一般について 

第一章 純粋悟性の図式性について 

第二章 純粋悟性のあらゆる原則の体系 

 第一節 あらゆる分析判断の最高原則について 

 第二節 あらゆる総合判断の最高原則について 

 第三節 純粋悟性のあらゆる総合的原則の体系的表現 

 1 直観についての公理 

 2 知覚における予料 

 3 経験における類推 

  ◆A 第一の類推 実体を常住不変と見ることの生ずる原則 

  ◆B 第二の類推 因果律にしたがって時間継起の下に事がらを見ることの生ずる原則 

  ◆C 第三の類推 交互作用或いは相互性の法則にしたがって同時存在的に事がらを見ることの生ずる原則 

 4 経験的思惟一般の要請 

  ◆観念論論駁 

  ◆原則の体系に対する一般的注解 

第三章 あらゆる対象一般を現象体と本質体とに区分する根拠について 

 ◆付録 反省概念の二義性について 

 ◆反省概念の二義性への注解 

第二部門 先験的弁証論 

◆緒 言 

一、先験的仮象について 

二、先験的仮象の在り処としての純粋理性について 

 ◆A 理性一般について 

 ◆B 理性の論理的使用について 

 ◆C 理性の純粋な使用について 

第一篇 純粋理性の概念について 

 第一節 理念一般について 

 第二節 先験的理念について 

 第三節 先験的理念の体系 

第二篇 純粋理性の弁証的推理について 

 第一章 純粋理性の誤謬推理について 

 ◆魂の常住不変に関するメンデルスゾーンの証明に対する反駁 

 ◆心理学上の誤謬推理を解決するにあたっての結論 

 ◆合理的心理学から宇宙論へ移るについての一般的注解 

第一版の叙述(二) 

 第二章 純粋理性の二律背反 

 第一節 宇宙論的理念の体系

 第二節 純粋理性の背反論 

  ◆第一の二律背反 

  ◆第二の二律背反 

  ◆第三の二律背反 

  ◆第四の二律背反 

 第三節 これら二律背反の抗争において理性がどちらに関心をもつかについて 

 第四節 端的に解決されることができなければならないかぎりにおける、純粋理性の先験的課題について 

 第五節 四個の先験的理念のすべてを通じて生ずる宇宙論的問題の懐疑的な考え方 

 第六節 宇宙論的弁証論解決の鍵としての先験的観念論 

 第七節 理性がおちいる宇宙論的自己矛盾の批判的解決 

 第八節 宇宙論的理念に関する純粋理性の統整的原理 

 第九節 すべての宇宙論的理念に関する理性の統整的原理を経験的に使用することについて

  Ⅰ 現象を総括して到達する世界全体という総体性としての宇宙論的理念の解決 

 Ⅱ 直観に与えられた一全体の分割の総体性としての宇宙論的理念の解決 

  ◆結語と前おき 

 Ⅲ 世界の出来事をその原因から導き出す導出の総体性としての宇宙論的理念の解決 

  ◆自由による原因性が可能であること 

  ◆自由という宇宙論的理念の説明 

 Ⅳ 一般に現象を現実的存在の面から見てその依存性の総体性としての宇宙論的理念の解決 

  ◆純粋理性の二律背反全部に対する結語 

第三章 純粋理性の理想 

 第一節 理想一般について 

 第二節 先験的理想(先験的原型)について 

 第三節 思弁的理性が最高存在体の現実的存在を推論するにいたる諸論拠について 

 第四節 神の現実的存在に関する実体論的証明の不可能なゆえんについて 

 第五節 神の現実的存在に関する宇宙論的証明の不可能なゆえんについて 

 ◆必然的存在体が現実に存在しているということを先験的に証明する場合、つねに現われる弁証的仮象を見いだし、かつ説明すること 

 第六節 物理神学的証明の不可能なゆえんについて 

 第七節 理性の思弁的原理に基づくあらゆる神学に対する批判 

◆先験的弁証論への付録 

 ◆純粋理性の理念の統整的使用について

 ◆人間の理性が持つおのずからなる弁証性の究極意図について 

二、先験的方法論 

緒 言 

第一章 純粋理性の訓練 

 第一節 独断的使用における純粋理性の訓練 

 第二節 論争的使用に関する純粋理性の訓練 

 ◆自己撞着にある純粋理性が懐疑的状態をもって満足することのできないゆえんについて 

 第三節 仮説に関する純粋理性の訓練 

 第四節 証明に関する純粋理性の訓練 

第二章 純粋理性の規準 

 第一節 われわれの理性の純粋使用の究極目的について 

 第二節 純粋理性の究極目的の決定理由としての、最高善の理想について 

 第三節 臆見と知と信仰とについて 

第三章 純粋理性の建築術

第四章 純粋理性の歴史 

◆解 題 

◆解 説  


 一〔目次は第一版にはあったが第二版、第三版にはなく、第四版(一七九四年)で改めて付せられた。したがってここにあげたのは第四版以後の目次である〕

 二〔第一版にはない〕 

 三〔第二版では省かれた〕

 四〔第二版でまったく書き改められたものがこれである。第一版の叙述は第一版の叙述(一)としてこの節の終わりに入れた。 

 五〔以下各章のはじめに「判断力の先験的理説(別名 原則の分析論)」とある〕 

 六〔第二篇「純粋理性の弁証的推理について」第一章「純粋理性の誤謬推理について」の中途(A三四八、B四〇六)から、カントが第二版で書き改める前の、第一版における叙述。書き改められた第二版の叙述よりも詳密で、ご覧のように項目が分けられている〕 

 七「第一の二律背反」から「第四の二律背反」までの表題は本文での表わし方と同じではないが、意味に変りはない。












貫成人『哲学史』97頁

上記図は弁証論の論理展開の順番をうまく説明している。

デカルト→ライプニッツ→プラトン(実はヒュームが背後にある)の順になる。

第二版の序文「信仰場所を作るために知を破棄しなければならない」

《信仰に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった。かくて形而上学の独断論、すなわち純粋理性を批判することもしないで形而上学において成果を収めようとする偏見は、つねにまったく独断的な、道徳とは相容れない一切の不信仰の真の源をなすものである。》xxx


第二版序文は多分カント理解で一番重要な文章だ。第一批判の全てがここにある。技術的なものは別だが。



実体はあっても認識できないという批判哲学の行き詰まりに対して

ドゥルーズの哲学があるのだが、

日本では批判哲学自体が一般化されていないし、正確に受け止められていない

ヘーゲル止りなのだ

だからドゥルーズの哲学は空回りする

ライプニッツあたりの再評価に繋がればまだいいのだが

(スピノザ再評価にはドゥルーズは確実に貢献している)



関係ないが

ドゥルーズ21歳の時に書かれた“キリストから ブルジョワジーへ”(1946年)にはウェーバーからの

影響があると思う

マルクスをまだ読んでいないドゥルーズ…


そのカント論が物自体を重視していないことからわかるように初期ドゥルーズは唯物論から距離を置いていた

1 Comments:

Blogger yoji said...



一方、デリダは場に力点を置く。
http://getsuyosha.jp/kikan/universite.html
《私が「新たな」〈人文学〉という表現によって何を言おうとしているのか、これから明確に
してみましょう。これらの議論が批判的なものであろうと、脱構築的なものであろうと、それ
は人間、人間本性、人権、人道に反する罪、等々に関係する真理の問いと歴史に関わるのです
が、それらすべては原則的に、大学のなかに、また大学のなかでもとりわけ〈人文学〉のなか
に、無条件的で前提を欠いたその議論の場を、何かを検討し再考するための正当な空間を、見
い出さなければなりません。それはこの種の議論を大学や〈人文学〉のなかに閉じ込めるため
ではなく、逆に、コミュニケーションや情報、アーカイヴ化、知の生産をめぐる新しい技術に
よって変容する新たな公共空間へと接近するための最良の方法を見い出すためです》
(『条件なき大学』ジャック・デリダ=著 西山雄二=訳)

オーウェンやフーリエは共同体主義だが、プルードンは共同体主義を取らない。
その交換銀行定款の肝は、個人が自立したまま参加できるというところにある。
いわば共同体なき共同性を模索したのだが、これは共同体主義者からは生ぬるいと批判され、
マルクスのようなインターナショナル志向の人からも批判された。つまり両側から批判された。
老子の小国寡民を基本形として連想するといいのだが、そこに連合という考え方(農工連合
など)が加わる。

ただプルードンの敵はあくまでマルサス(の法則)であってマルクスではない。
マルクスはプルードンからの手紙に書かれた忠告に従って政治主義を一旦切り離し、
資本の分析、経済的分析を遂行したのだから。

血縁に関して追記すると、プルードンは晩年は相続を認めていた。その考え方は、
教育に関して顕著だが、国家の越権を認めなかった。とはいえナポレオン三世と同期で
代議士になったりしたが、、、

2:54 午前  

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