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原理の結果=効果のなかには、複合観念がある。すなわち、
一般観念。
関係
\ 複合観念
/
実体
一般観念。作用するのは、その構成にかかわる類似の原理であり、それのみである。
実体。因果と隣接が作用する(p.82,1.61/第一巻・二八-二九頁)
関係。三つの原理がいずれ劣らず作用する。
類似 (1)一般観念。他の観念に代わる価値をもつ個別的な
観念(抽象観念と混同しないこと)
因果または隣接 (2)実体。何ものかヘの帰属。様態と実体を混同しないこと
連合原理
因果、隣接、 (3)関係。ひとつの観念が所与として学えられている
または類似 とき、所写として与えられていない同かの観念を精神に
もたらすこと。ただし、自然な関係と哲学的関係を混同
しないこと。哲学的関係のほうがゆるやかである。
したがって、それぞれの場合に、混同してはならないふ
たつの結果=効果があることになる。
:171~2
印象の関係
間接的情念/
情念/ \
人問本性 / \ 観念の関係
\ 直接的情念
知性
:197
精神が、
情念の原理 反省の /印象の発生源へと
感覚の印象→(自然な態度)→印象→ / 向かう
\ 自我の観念
\精神が、 (誇りと卑下)
印象の産出する /
対象の観念へと向かう \他人の観念
(愛と憎しみ)
:200
__因果、隣接、類似_[関係]_
| ____ |
| / \ |
| /因果、隣接 \ 類似 |
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|| [実体] |[一般観念]|
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| \ / |
| \____/ |
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6 Comments:
フロイトはトーテムとタブー3:1でヒュームに言及している
in his Natural History of Religions, where he said: “There is a universal tendency among mankind to conceive all beings like themselves and to transfer to every object those qualities with which they are familiarly acquainted and of which they are intimately conscious”[95].
1757 David Hume - The Natural History of Religion ヒューム『宗教の自然史』 ... 1913 Sigmund Freud - Totem and Taboo フロイト『トーテムとタブー』. 1912 Émile Durkheim - The Elementary Forms of Religious Life デュルケム『宗教 ...
《無生物に生命をあたえることを正当化して、すでにヒュームはその著「宗教の自然史」において次のように
書いている。「すベての存在を自分自身と同じもののように考え、自分が親しく知っていて内心で意識して
いる性質を、すベての対象に移すというー般的傾向が人間間には存在している**」》
**タイラー『原始文化』第一巻、四七七頁による。
フロイト著作集3:212頁
トーテムとタブー#3:1,1912~3
LS
#3命題について
むしろ、表出作用は指示作用を可能にし、推理が組織的な統一体を形成して、そこからさまざまな連合が派生する。ヒュームはそのことを洞察していた。ヒュームによれば、原因から結果へという連合においては、関係そのものよりも《関係による推理》が先行する。こうした表出作用の優位は、言語学的な分析によって立証される。なぜなら、命題のなかには、特別な分子としての《表出するもの》があるからである。それは、私・君・明日・つねに・ほかに・いたるところに、などである。そして、固有名詞が特権的な指示語であるのと同様に、私は、基本的な表出するものである。私に依存しているのは、単にその他の表出するものだけでなく、指示語の全体が私に関係する。指示作用は、個体的な事物の状態、個々のイマージュ、特別な指示するものを含む。しかし、私を出発点とする表出するものは、可能なすべての指示作用にとって原理の役割をする人格的なもの(le personal)の領域を構成する。最後に、指示作用から表出作用へは、コギトによって表象される論理的価値の転位が生ずる。つまり、真実か虚偽かではなく真実性と欺晴が問題になる。蜜蝋のかたまりについての有名な分析のなかで、デカルトは蜜蝋のなかに残っているものを探求するのではなく――デカルトはこのテクストのなかではその問題の提起さえもしていない――、 コギトにおいて表出されている私が、蜜蝋の確認の根拠となる指示作用の判断をどのように基礎付けているかを示している。
ドゥルーズ『哲学とは何か』
結論
原注(12)ヒュームは、『人性論』において、この受動的観照-縮約による想像力を定義している(第一篇、第三部、第一四節)388頁^356頁
第十四節 必然的結合の観念について こうして、われわれが直接の印象を越えて推論し、しかじかの特定の原因はしかじかの特定の結果を伴わねばならぬと断定する、その仕方を解明しおえたので、今度
…
「原因」とは、他の対象に先行し、かつ近接した対象であり、前者と結びついて、一方の観念が他方の観念を形作るよう、一方の印象が他方のより生き生きとした観念を形作るように心を規定するものである
ドゥルーズ書簡2016より
原理の結果=効果のなかには、複合観念がある。すなわち、
一般観念。
関係
\ 複合観念
/
実体
一般観念。作用するのは、その溝成にかかわる類似の原理であり、それのみである。
実体。因果と隣接が作用する(p.82,1.61/第一巻・二八-二九頁)
関係。三の原理がいずれ劣らず作用する。
類似 (1)一般観念。他の観念に代わる価値をもつ個別的な
観念(抽象観念と混同しないこと)
因果または隣接 (2)実体。何ものかヘの帰属。様態と実体を混同しないこと
連合原理
因果、隣接、 (3)関係。ひとつの観念が所与として学えられている
または類似 とき、所写として与えられていない同かの観念を精神に
もたらすこと。ただし、自然な関係と哲学的関係を混同
しないこと。哲学的関係のほうがゆるやかである。
したがって、それぞれの場合に、混同してはならないふ
たつの結果=効果があることになる。
:171~2
印象の関係
間接的情念/
情念/ \
人問本性 / \ 観念の関係
\ 直接的情念
知性
:197
精神が、
情念の原理 反省の /印象の発生源へと
感覚の印象→(自然な態度)→印象→ / 向かう
\ 自我の観念
\精神が、 (誇りと卑下)
印象の産出する /
対象の観念へと向かう \他人の観念
(愛と憎しみ)
:200
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