ドゥルーズ体系(Deleuze-system):メモ
ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925年1月18日 - 1995年11月4日)
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ体系(Deleuze-system):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html(本頁)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_3.html
ジルベール・シモンドン
http://nam-students.blogspot.com/2018/06/blog-post_93.html
ドゥルーズ体系: 分子化
スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント ベーコン
Hegel\ | /Heidegger
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン☆
ABC\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】カフカ
/|\ [修辞学]
フーコー/ | (ヒューム)
マルクス(Marx)アンチ Freud フロイト
/・オイディプス\
サルトル 【 総 合 】 ニーチェ プルースト
哲学とは何か?
潜在的
実在的+可能的
現働的
virtualité
réalité+possibilité
actualité
潜在性 実在性
+
現働性 可能性
もしくは、
実在性 潜在性
+
可能性 現働性
範疇表、カテゴリー表<判断表>◎=アンチノミー
___________________
| |1 | |1 |
| |単一性 | |実在性 |
| |<全称>| |<肯定>|
|___「量」___|___「質」◎分割合成
|2 |3総体、|2 |3 |
|多数性 |全体性 |否定性 |限界性 |
|<特称>|<単称>|<否定>|<無限>|
|____|_◎起源|____|____|
| |1 | |1 |
| |実体性 | |可能性 |
| |<定言>| |<蓋然>|
|___「関係」__|___「様相」__|
|2原因、|3 |2 |3 |
|因果性 |相互性 |現実存在|完全性 |
|<仮言>|<選言>|<実然>|<確定>|
|_◎発生|____|____|◎必然性|
純粋理性のカテゴリー
量(単一性、多数性、全体性)
質(実在性、否定性、限界性)
関係(実体性、因果性、相互性)
様態(可能性、現実存在、必然性)
スピノザ☆☆、
ニーチェが横断し、マルクス、フロイト(懐疑論)が左右において上下の断絶を決定づける。
出発点にはサルトル;Sartreがいた。
千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ(國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』単行本63-4頁参照)。
ガタリ( Félix Guattari )のいう「分裂分析 schizo-analyse」「制度分析 analyse institutionnelle」はAOの時点ではまだ総合的である。
DRは強度を外から捉えていて、LSは意味を内部から捉える。
AOは社会に留まり、MPは飛び立つ。*
ただし、分析的(分子的)に物質を基礎付けるのはMPの方である。
アプリオリな分析はLeibnizにある。Plato、プラトン哲学の転倒が課題となる。
Bergson的な質的な差異、さらには時間とともにシーニュはProustにある。
Foucaultは関係の基礎となるダイアグラムを準備する。
人格への懐疑論はHumeにある(AOには未登場だがその懐疑論は精神医学化される)。
Nietzsche、Spinozaはこれらを横断する。
Cinema1/2は狂気の断絶(1945,1968)を系譜、系列として歴史化する。
これらはカント体系【 】とずれながらも一致していると考えていい。
ドゥルーズを整理するとカントが必要になるということだ。
ガタリはカント的4分割を採用するから、ガタリとの共闘以降、カントがより潜在的に重要になる。
器官なき身体は主にMPで展開される。スピノザの名の下にあるCsOはしかし、
カント的に言えば、分析的、数学的に位置づけられる。それは潜在性と同じ意味だ。
《ここで生じてくる多くの問題は、哲学史ばかりでなく哲学にもかかわっている。内在平面のもろもろの薄層は、或る場合には、互いに対立するほどまでに、また そのひとつひとつがあれこれの哲学者に適合するほどまでに、たがいに離れ、或る場合には反対に、少なくともかなり長い期間通用するようになるために寄り集まる。そのうえ、ひとつの前・哲学的平面〔内在平面〕の創建と、哲学的諸概念の創造とのあいだの関係は、それら自身複雑なものである。長期間にわたって、 いく人かの哲学者は、おのれの師として援用するひとりの先行的な哲学者と同じ平面の上にとどまりながらも、また彼と同じイメージを前提としながらも、いくつかの新たな概念を創造することができるー(以下略) 》
『哲学とは何か』ドゥルーズ 邦訳単行本84頁より
『哲学とは何か』ドゥルーズ Deleuze-Guattari:Qu'est-ce que la philosophie ? 1991
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/Deleuze-Guattari-Quest-ce-que-la-philosophie.html
プルースト:メモ(下書き)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_30.html
『感覚の論理―画家フランシス・ベーコン論』ドゥルーズ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/francis-bacon-logique-de-la-sensation.html
ドゥルーズA.O補遺、キートン、ティンゲリ、ライヒ他
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/ao.html
ドゥルーズにとってダブルバインドは決定的な概念だ。器官なき身体と欲望する諸機械もそれぞれダブルバインドである。両者合わせてダブルダブルバインドですらある。
*
どこに行ったのか。》(宇野邦一『没後~』120頁)。
「意味の論理学」ではなく「意味の修辞学」とすべきだ。
個体 分
析
規定 + 反省
総
合 人格
LS
#16「ライプニッツの劇場に常に立ち帰る必要がある。」16:上205
#17「個体は、無限の分析命題…人格は、有限な総合命題…論理学的発生と存在論的発生の間にあるのは、平行関係ではなく…あらゆる種類の不一致と混信を伴うリレーである。」17:上212~3
ライプニッツは有限=現働的な総合命題に繋がる分析命題を打ち立てたのではないか? 『襞』での高い評価はそれを示す。
☆
ドゥルーズの解釈したベルクソンは持続の絶対化を避けるなど、独自のものであることに注意。
『ベルクソンの哲学』(Gilles Deleuze ,LE BERGSONISME, 1966)
ジル・ドゥルーズ著 宇波彰訳 法政大学出版 1974
目次
第一章 方法としての直観(方法の五つの規則) 3
第二章 直接与えられたものとしての持続(多様性の理論) 33
第三章 潜在的共存としての記憶(過去の存在論と記憶の心理学) 51
第四章 持続は一か多か(持続と同時性) 79
第五章 差異化の運動としてのエラン=ヴィタル(生命・知性・社会) 101
訳 註 130
訳者あとがき 133
Table des matières
I – L’intuition comme méthode (Les cinq règles de la méthode)
II – La durée comme donnée immédiate (Théorie des multiplicités)
III – La mémoire comme coexistence virtuelle (Ontologie du passé et psychologie de la mémoire)
IV – Une ou plusieurs durées ? (Durée et simultanéité)
V – L’élan vital comme mouvement de la différenciation (Vie, intelligence et société)
http://www.puf.com/Quadrige:Le_bergsonisme
%20III/DELEUZE,%20Gilles.%20Le%20Bergsonisme.pdf
(小林秀雄の書き込みは第三章前半、第四章全体に多い。第五章も全体にラインが多い。)
小林秀雄について:メモ(ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』への書き込み)
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_12.html
差異化の概略的シェーマ(『創造的進化』第二章)
↗|
物質 ↗↘|さまざまな世界。そしてそれぞれの世界に物質のもろもろのタイプがあり、
(弛緩)→ |それは、生命が回避すべき外的・内的な障害として出現する。
/ ↘ |
/ 炭素同化作用
記憶-持続 植物:葉緑素の作用(連続的にエネルギー|/
\ / を蓄積し、爆薬を貯蔵する。) |\窒素同化作用
\生命
(収縮) 非中心化した神経系:本能
\動物:神経系(非連続的にエネ|/ 物質の外在化と支配
ルギーを消費し、爆薬を|\中心化した神経系 :知性/
爆発させる。) | \生命の転換と包括(直観)
ベルクソンの生命の捉え方を「差異化の概略的シェーマ」(『創造的進化』第二章)としてジル・ドゥルーズ(1995)が示している(『ベルクソンの哲学』邦訳p114)。ドゥルーズは、「生命」とは、「動物」と「植物」であり、「物質」を除いているのである。
Introduction : Rôle et importance de l’expression
Première partie : Les triades de la substance
Chapitre I : Distinction numérique et distinction réelle –
Deuxième partie : Le parallélisme et l’immanence
Chapitre VI : L’expression dans le parallélisme –
Troisième partie : Théorie du mode fini
Chapitre XII : L’essence de mode : passage de l’infini au fini –
はしがき
序論 表現の役割と重要性
第 I 部 実体の三つ組
第1章 数的区別と実在的区別
第2章 表現としての属性
第3章 属性と神の名称
第4章 絶対者
第5章 力
第 II 部 平行論と内在性
第6章 平行論における表現
第7章 二つの力と神の観念
第8章 表現と観念
第9章 非十全性
第10章 デカルトとスピノザ
第11章 表現の内在性と歴史的要素
第 III 部 有限様態について
第12章 様態の本質、無限から有限への移行
第13章 様態の存在
第14章 身体は何をなしうるか
第15章 三つの秩序と悪の問題
第16章 倫理的世界観
第17章 共通概念
第18章 第三種の認識に向かって
第19章 至福
結論 スピノザにおける表現の理論(哲学における表現主義)
付録 『エティカ』の計画とこの計画が実現された際の注解の役割についての形式的研究──二つの『エティカ』
原注
訳者注
訳者あとがき
著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ドゥルーズ,ジル(ドゥルーズ,ジル/Deleuze,Gilles)
1925年生まれのフランスの哲学者。1969年からパリ第八大学教授をつとめる。ドゥルーズは概念の創造に哲学本来のあり方を探り、自ら概念を新たに創造することによって哲学を作り直そうとした。1995年11月4日死去
工藤 喜作(クドウ キサク)
1930年横浜に生まれる。東京教育大学大学院博士課程満期退学。筑波大学名誉教授、目白大学名誉教授。文学博士。2010年死去
________
Chapitre premier - Vie de Spinoza
BIBLIOGRAPHIE
II. Dévalorisation de toutes les valeurs, et surtout du bien et du mal (au profit du « bon » et du « mauvais ») : Spinoza l’immoraliste
Chapitre IV - Index des principaux concepts de l’Éthique
Chapitre V - L’évolution de Spinoza (sur l’inachèvement du Traité de la réforme)
Chapitre VI - Spinoza et nous
https://sites.google.com/site/kyototekken2011/shu-ping/supinoza-shi-jianno-zhe-xue
著者:G.ドゥルーズ 平凡社ライブラリー (440) 発売日:2002/08
【内容】
ドゥルーズのスピノザについての論文集。 第一章はスピノザの伝記。第三章はスピノザの概念をいくつか辞典的に整理。第六章はエッセイ。あとは論文という構成。
【目次】
第一章 スピノザの生涯
第二章 道徳と生態の倫理のちがいについて
第三章 悪についての手紙(ブレイエンベルフとの往復書簡)
第四章 『エチカ』主要概念集
第五章 スピノザの思想的発展(『知性改善論』の未完成について)
第六章 スピノザと私たち
【レビュー】
■全体の構成
六章仕立てだが、内容として続き物であるわけではなく、好きな箇所から読んでいっていいと思う
読んでおもしろいと思ったのは、第二章と第五章。
■おもしろかった章(2,5,6)
第二章は、スピノザ哲学を生の哲学と規定しているのが特徴。意識、善悪の倫理観、悲しみの受動的感情を否定する理論を作ったとして解釈している。ニーチェよりも先に、ニーチェ的なことを言った哲学者という解釈。 スピノザは、形而上学から入るには難解なので、生の哲学という方面から入るのはとっかかりとしていいかもしれない。
第五章は、思想の発展過程を検証する系の論文。知性改善論からエチカの間の発展を説明するものとして、「共通概念」に着目している。六章のうちで一番研究論文っぽい。研究者が、論文を作るために個々の解釈を知る必要がある場合は、参考になるかもしれない。
あと、読み物としては第六章がおもしろかった。エチカを音楽と結びつけたエッセイ。論証的ではなく、これが一番気楽に読める。
Différence et répétition (1968)
0=はじめに、
序 論:反復と差異
1=第1章:それ自身における差異
2=第2章:それ自身へ向かう反復
3=第3章:思考のイマージュ
4=第4章:差異の理念的総合
5=第5章:感覚されうるものの非対称的総合
6=結 論:差異と反復
__________反 復__________
|\ |\ |はじめに/|
潜在性 可能性 未来 \(6)|ハイデガー|
|//\ 6結論 表象| \ | ///|
|〜差異と反復 |(5)\ | /(0)|
|////\スピノザ | \|/反復と差異
|///永劫回帰 |___0序論、1___|
|//ニーチェ\ 運動、行動 <質>////|
|//5////\ |(4)//|/\(1)|
〜感覚されうるもの\ | ///|//\//|
|の非対称的総合//\ | /(3)|(2)\/|
|//////////\|/////|////\|空
|_____ドゥルーズ『差異と反復』|_____差
|///////////|(ショーペンハウアー)異
|/ライプニッツ/// | \/アリストテレス/|間
〜差異の理念的総合/矛盾| \それ自身における|
|//4/////同一性|キルケ\差異/1///|
|/////// 想起 |ゴール \/スコトゥス|
|//微分// 弁証法 |ヒューム \プラトン/|
|///// | <様相>////|
|//// 3 | 2 \///|
|//〜思考のイマージュ|それ自身へ向かう反復/|
|//プラトン、デカルト|ベルクソン タルド\/|
|/ カント、ヘーゲル 過去 フロイト ラカン\|
/__________起源___________\
「差異は現象(フェノメノン)ではなく、現象にこの上なく近い可想的存在(ヌーメノン)である。」(第五章冒頭部分より)
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/raum-und-zeit-minkowski1908.html
参考:
////\ 時間的 ///////
/////\ | ////////
//////\ 未来 /////////
///////\ | //////////
////////\ | ///////////
____ 空間的_\|/_空間的(=物自体)__
//////////|\///////////
///////// | \//////////
//////// 過去 \/////////
/////// | \////////
////// 時間的 \///////
ミンコフスキー時空図
参照:湯川秀樹『物理講義』
___________________
弁神論〜神の善意、人間の自由、悪の起源 Essais de Theodicee:ライプニッツ,1710
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/1710.html
ヒューム:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
ルイス・キャロルの論理ゲーム:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html
プラトンの洞窟の比喩と映画
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/test_18.html
ヘーゲル体系
http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5795.html?m=0
NAMs出版プロジェクト: マルコフ連鎖:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_54.html
NAMs出版プロジェクト: アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症
http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_5039.html
笑い:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/blog-post_28.html
小林秀雄について:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_12.html
NAMs出版プロジェクト: 『意味の論理学(上、下)』 ドゥルーズ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/05/blog-post_21.html
プルースト:メモ(下書き)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_30.html
スピノザ:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_6805.html
ライプニッツ:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4574.html
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』参考動画リスト
http://nam-students.blogspot.jp/2010/08/blog-post_31.html
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』参考動画
http://nam-students.blogspot.jp/2011/07/blog-post.html
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_77.html
シネマ1、シネマ2、アンチ・オイディプス、千のプラトー
_________
Mille Plateaux: Capitalisme et schizophrenie 2 (1980)
11 一八三七年──リトルネロについて
暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。
Ⅱ 逆に、今度はわが家にいる。もっとも、あらかじめわが家が存在するわけではない。わが家を得るには、もろくて不確実な中心を囲んで輪を描き、境界のはっきりした空間を整えなければならないからである。あらゆる種類の目印や符号など、きわめて多様な成分が介入してくる。これは第一の場合についても当てはまることだ。けれども、ここで問題になる成分は、一つの空間を整えることを目指しているのであり、もはや一時的に中心を定めることを目指しているのではない。こうして、カオスの諸力ができるかぎり外部に引きとめられ、内側の空間が、果たすべき務めの、あるいはなすべき事業の胚種となる諸力を保護するにいたる。ここでは選別、排除、抽出の活動がくりひろげられ、それによって大地の内密な諸力、大地の内部にある諸力が、埋没することなく抵抗し、さらに、成立した空間のフィルターやふるいでカオスを選別して、カオスから何かを取り入れることもできるようになる。声と音の成分は特に重要だ。それは音の壁であり、少なくとも壁の一部は音響的なものである。一人の子供が、学校の宿題をこなすため、力を集中しようとして小声で歌う。一人の主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力をもたせているのだ。ラジオやテレビは、個々の家庭にとっていわば音の壁であり、テリトリーを標示している(だから、音が大きすぎると近所から苦情が来るのだ)。都市の建造とか、ゴーレムの製造といった崇高な事業を起こすときにも、やはり輪が描かれる。だが、とりわけ重要なのは、子供が輪になって踊るのと同じように、輪の周囲を歩き、子音や母音を組み合わせてリズムをとり、それを内に秘められた創造の力や、有機体の分化した部分に対応させるということである。速度やリズムやハーモニーに関する過失は破局をもたらすはずだ。それはカオスの諸力を回復させ、創造者も被造物も破壊することになるからである。
Ⅲ さて、今度は輪を半開きにして開放し、誰かを中に入れ、誰かに呼びかける。あるいは、自分が外に出ていき、駆け出す。輪を開く場所は、カオス本来の力が押し寄せてくる側にではなく、輪そのものによって作られたもう一つの領域にある。それはあたかも輪そのものが、みずからの内部に収容した活動状態の力と連動して、未来に向けて自分を開こうとしているかのようだ。そして、いま目的となっているのは未来の力や宇宙的な力に合流することなのである。身を投げ出し、あえて即興を試みる。だが、即興することは、世界に合流し、世界と渾然一体になることなのだ。ささやかな歌に身をまかせて、わが家の外に出てみる。ふだん子供がたどっている道筋をあらわした運動や動作や音響の線に、「放浪の線」が接ぎ木され、芽をふきはじめ、それまでと違う輪と結び目が、速度と運動が、動作と音響があらわれる(1)。
http://hideonakane.com/text/2004TraceXII.html
…
リュイエが言うように、生得性はいってみれば行為の先にあり、行為の下流に位置するのである。
…
われわれは、地層化した環境から始めて、領土化したアレンジメントに到達した。同時に、カオスの諸力が環境によって振り分けられ、コード化され、コード変換を受けたところから始めて、大地の諸力がアレンジメントの中に集められるところまでたどりついた。次に領土的アレンジメントから相互的アレンジメントへと進み、脱領土化の線に沿ったアレンジメントの開放に到達した。それと同時に、集められた大地の諸力から、脱領土化した、あるいはむしろ脱領土化する宇宙の諸力にたどりついた。この最後の運動は、大地の「様相」であることをやめ、宇宙への「抜け道」になっている。パウル・クレーはそれをどのように描いているだろうか。そして、精密であるはずの操作を語るにあたって宇宙という大げさな言葉が使われるのはどうしてなのか。クレーは言う。「人は大地から飛び立とうとして衝動的に試みをくりかえす」、そして「重力に打ち勝つ遠心力の支配下に入ると、実際に大地から舞い上がっていくのだ」と。さらに言う。芸術家はまず自分の周囲を見つめ、あらゆる環境を見つめるが、それは被造物の中に残った創造の痕跡をとらえ、所産的自然の中に残った能産的自然の痕跡をとらえるためだ。そして芸術家は「大地の境界」に腰をすえ、顕微鏡や結晶に、分子や原子や微粒子に関心をもつが、彼は科学的整合性を求めているわけではない。運動を求めているからそうするのだ。内在的運動だけを求めるのである。芸術家は心に思う。この世界は昔、今とは違う光景を呈していたし、これから先も、また違った光景を呈することだろう、それに、別の惑星に行けば、もっと違った光景が見られるのだ、と。芸術家は宇宙に向けておのれを開き、「作品」に宇宙の諸力を注ぎ入れようとする(さもなければ宇宙に向けての開放は単なる夢想にとどまり、大地の境界を広げるなど望むべくもない)。そのような作品を目指すなら、簡素で純粋このうえない、そしてほとんど児戯に近い手段が必要になる。だが、それと同時に民衆の力も必要だ。そしてこれこそまさに、いまもって欠けているものにほかならない。「われわれにはこの力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ。われわれはバウハウスでそれを始めた。それ以上のことはできないのだ……(38)。」
…
(1) Cf. Fernand Deligny,《Voix et voir》, Cahiers de I'immuable. 自閉症児の場合、「流浪の線」が通常の道筋を離れて「振動」し、「身震い」を起こし、「急に針路をそれる」。
(38) Paul Klee, Théorie de l'art moderne, pp.27-33.〔『造形思考』上145-151ページ〕
以下の対応も可能だろう(『差異と反復』邦訳解説参照)。
カント【】、ドゥルーズ『』:
| 『差異と反復』
|【純粋理性批判】
| 感性論 分析論
| (カテゴ
| リー*)
| 弁証論 方法論
|(二律背反)
_________|_________
【実践理性批判】 |【判断力批判】
分析論 | 美学
(カテゴリー)| 分
| 弁
弁証論 方法論 | 目的論
(アンチ | 分
ノミー | 弁 方
|
『アンチ・ オイディプス』 『シネマ』『感覚の論理学』
『千のプラトー』
- __________
- カント純粋理性批判&三批判書の位置づけ:
理性|\ 第二批判 『アンチ・ オイディプス』『千のプラトー』
__|範型:判断力 第三批判 『シネマ』『感覚の論理学』
悟性|範疇\
__|図式:構想力 『意味の論理学』
感性|____\ 第一批判 『差異と反復』
ただし、三批判書は真善美が三方向から互いに牽制しあっているというのが現代的な読みだろう。
そこには一方向のヒエラルキーはない。
【分析(分子化)】
\ | /
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | \ヒューム
(マルクス)アンチ(フロイト)
/・オイディプス\
【 総 合 】 - 【 分 析 】
\ | /
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | \ヒューム
/アンチ・ \
/ オイディプス\
【 総 合 】 - スピノザ 【分析=分子化】
- \ | /
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | \ヒューム
(マルクス)アンチ(フロイト)
/・オイディプス\
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche - スピノザ 【分析=分子化】
- \ | /
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン☆
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
(マルクス)アンチ フロイト
/・オイディプス\
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche - スピノザ 【分析=分子化】
- \ | /
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン☆ - \|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム) - (マルクス)アンチ フロイト
/・オイディプス\
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
『経験論と主体性 : ヒュームにおける人間的自然についての試論』1953ドゥルーズ:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_2.html
ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』(Gilles Deleuze ,LE BERGSONISME, 1966)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/gilles-deleuze-le-bergsonisme-1966.html
ドゥルーズ『差異と反復』1968:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_20.html
『スピノザと表現の問題』1968ドゥルーズ:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html
NAMs出版プロジェクト: 『意味の論理学(上、下)』1969 ドゥルーズ:目次(転載)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/05/blog-post_21.html
『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』1972
http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_5039.html
『千のプラトー 資本主義と分裂症』:目次 1980
http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_13.html
NAMs出版プロジェクト: リーマン空間 by ロートマン:メモ(ドゥルーズMP1980#14より)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/mp14.html
Foucault (1986)『フーコー』ドゥルーズ:目次
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/foucault-1986.html
Le Pli: Leibnitz et le Baroque (1988) 『襞──ライプニッツとバロック』
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/le-pli-leibnitz-et-le-baroque-1988-1998.html
_______________
オイディプス/
ライプニッツ| ベルクソン
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
/ 千のプラトー\
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
分子化
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_2074.html
"My name is Sigmund Freud"
http://nam-students.blogspot.jp/2010/10/my-name-is-sigmund-freud.html
ドゥルーズ体系:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html
スピノザ 【分析=分子化】
\ | /
\差異と反復/
ライプニッツ| ベルクソン
アンチ・ \|/
【規定】オイディプスーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | \ヒューム
(マルクス) | (フロイト)
/ 千のプラトー\
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
スピノザ 【分析=分子化】
\ | /
\千のプラトー
ライプニッツ| ベルクソン
アンチ・ \|/
【規定】オイディプスーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | \ヒューム
(マルクス) | (フロイト)
/ 差異と反復 \
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
ドゥルーズ体系:
スピノザ 【 分 析 】
\ アンチ・ /
オイディプス/
ライプニッツ| ベルクソン
\|/
【規定】千のプラトーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | \ヒューム
(マルクス) | (フロイト)
/ 差異と反復 \
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
分子化
スピノザ 【 分 析 】
\ アンチ・ /
オイディプス/
ライプニッツ| ベルクソン☆
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | \ヒューム
(マルクス) | (フロイト)
/ 千のプラトー\
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
潜在的
可能的+実在的
現働的
Bergsonisme#2、DR#4を読めばわかるが、潜在性は実在的たり得る。そして、
これらがスピノザ的汎神論だとするなら、現働的な出来事とは多様性のことだ。
スピノザの汎神論も潜在的な多様性を持つから二種類の多様性があることになる。
ライプニッツは出来事の多様性を共可能性として提示する。
ドゥルーズはスピノザとライプニッツの間に理論的な共可能性を見出している。
\ | /
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン☆
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
(マルクス)アンチ フロイト
/・オイディプス\
【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
Bergsonisme#2、DR#4を読めばわかるが、潜在性は実在的たり得る。そして、
これらがスピノザ的汎神論だとするなら、現働的な出来事とは多様性のことだ。
スピノザの汎神論も潜在的な多様性を持つから二種類の多様性があることになる。
ライプニッツは出来事の多様性を共可能性として提示する。
ドゥルーズはスピノザとライプニッツの間に理論的な共可能性を見出している。
スピノザ 【分析=分子化】Heidegger
\ | /
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
(マルクス)アンチ フロイト
/・オイディプス\
サルトル 【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
潜在的
可能的+実在的
現働的
千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ。
ドゥルーズ体系: 分子化
スピノザ 【 分 析 】 Heidegger
Hegel\ | /カント、Plato
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
(Marx)アンチ Freud
/・オイディプス\
サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
ドゥルーズ体系: 分子化
スピノザ 【 分 析 】 Plato、カント
Hegel\ | /Heidegger
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
(Marx)アンチ Freud
/・オイディプス\
サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
ドゥルーズ体系: 分子化
スピノザ 【 分 析 】 Heidegger、Kant、カント
Hegel\ | /Plato
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン☆
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
(Marx)アンチ Freud
/・オイディプス\
サルトル 【 総 合 】 ニーチェ、Nietzsche
参考:
哲学史的見取り図としては、アガンベンの『思考の潜勢力(La Potenza del pensiero)』の最後で
紹介されている図が参考になる(邦訳単行本では、雑誌掲載時と違い線が一本追加*されている)。
超越 内在
カント スピノザ
| |
フッサール ニーチェ
\ / |
ハイデガー |*
/ \ |
レヴィナス、デリダ フーコー、ドゥルーズ
「(略)彼(引用者注:ドゥルーズ)の遺書を哲学の使命として引き受けるとともに、近代哲学
〜その大部分は、新たな意味での「生の哲学」である〜を内在の線と超越の線ではっきり区別す
るような系譜図を遡及的に再構成してゆくという仕事も、その一端として必然的に課されるので
ある。それはたとえば、このような概略的な系統図が目安になるだろう。」
(アガンベン「絶対的内在」『現代思想2002.8』)
ドゥルーズ;Deleuze体系:
分子化 プラトン;Plato
スピノザ;Spinoza【 分 析 】 カント;Kant
Hegel\ | /Heidegger
千のプラトー/
ライプニッツ;Leibniz | ベルクソン;Bergson
\|/
【規定】差異と反復ーーシネマ①②ーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学]
フーコー;Foucault/ | \(ヒューム;Hume)
(マルクス;Marx)/ アンチ \フロイト;Freud
/・オイディプス\
サルトル;Sartre【 総 合 】 ニーチェ;Nietzsche
ことによって先験的なものを描くなどということをしない唯一の手段なのである》
ガタリとの共著
- L'Anti-OEdipe: Capitalisme et schizophrénie 1 (1972)
- 『アンチ・オイディプス──資本主義と分裂症』 市倉宏祐訳、河出書房新社、1986
- 『アンチ・オイディプス』 宇野邦一訳、河出文庫上下、2006
- Kafka: Pour une littérature mineure (1975)
- Rhizome, extrait de Mille Plateaux (1976)
- Mille Plateaux: Capitalisme et schizophrenie 2 (1980)
- 『千のプラトー──資本主義と分裂症』 宇野邦一ほか訳、河出書房新社、1994/河出文庫上中下、2010.9-11
- Qu'est-ce que la philosophie? (1991)
- 『哲学とは何か』 財津理訳、河出書房新社、1997
- Politique et psychanalyse
- 『政治と精神分析』 杉村昌昭訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1994 ISBN 4588004603
ドゥルーズ体系: 分子化
スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント ベーコン
Hegel\ | /Heidegger
千のプラトー/
ライプニッツ| ベルクソン☆
\|/
【規定】差異と反復ーーーシネマーーー意味の論理学【反省】
/|\ [修辞学?]
フーコー/ | (ヒューム)
(Marx)アンチ Freud
/・オイディプス\
プルースト サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
潜在的
可能的+実在的
現働的
千のプラトーをアンチ・オイディプスに対して潜在的なものと考え、
分析を分子化として捉え直したところが味噌だ。
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/Deleuze-Guattari-Quest-ce-que-la-philosophie.html
Qu'est-ce que la philosophie ? 1991
http://www.leseditionsdeminuit.fr/f/index.php?sp=liv&livre_id=2316
Gilles Deleuze
Félix Guattari
208 p.
Qu'est-ce que la philosophie ?
2005
Introduction. Ainsi donc la question.
I - PHILOSOPHIE
1. Qu'est-ce qu'un concept ?
2. Le plan d'immanence.
3. Les personnages conceptuels
4. Géophilosophie.
II - PHILOSOPHIE, SCIENCE LOGIQUE ET ART
5. Fonctifs et concepts.
6. Prospects et concepts.
7. Percept, affect et concept.
Conclusion. Du chaos au cerveau.
Qu'est-ce que la philosophie ?
1991,2005
http://www.leseditionsdeminuit.fr/f/flip.php?editor=3&livre_id=2316
Couverture1
Des mêmes auteurs 4
Titre 5
Copyright 6
Introduction. Ainsi donc la question... 7
I – PHILOSOPHIE 19
1. Qu’est-ce qu’un concept ? 21
2. Le plan d’immanence 39
3. Les personnages conceptuels 63
4. Géophilosophie 86
II – PHILOSOPHIE, SCIENCE, LOGIQUE ET ART 115
5. Fonctifs et concepts 117
6. Prospects et concepts 135
7. Percept, affect et concept 163
Conclusion. Du chaos au cerveau 201
Table des matières 220
Des mêmes auteurs (suite) 221
Dans la même collection 222
Justification 223
NEOACA BLOG: ネオアカ読書会 第1回ドゥルーズ『哲学とは何か』
http://neoaca.blogspot.jp/2012/10/blog-post_30.html
目次
序論 こうして結局、かの問は・・・・・・
Ⅰ 哲学
1 ひとつの概念とは何か
2 内在平面
3 概念的人物
4 哲学地理
Ⅱ 哲学 -科学、論理学、そして芸術
5 ファンクティヴと概念
6 見通しと概念
7 被知覚態、変様態、そして概念
結論 カオスから脳へ
\ | /ベルクソン
フーコー
潜在的
実在的+可能的
現働的
virtualité
réalité+possibilité
actualité
ドゥルーズ体系(改訂版):
スピノザ 【 分 析 】 プラトン、カント
Hegel\ 差異と反復 /Heidegger
\ | /
ライプニッツ| ベルクソン☆
アンチ・ ABC\|/
【規定】オイディプスーーーシネマーーー意味の論理学【反省】カフカ
/|\ [修辞学]
フーコー/ | (ヒューム)
(Marx) | Freud フロイト(マゾッホ)
/千のプラトー \
サルトル 【 総 合 】 ニーチェ プルースト ベーコン
潜在的
実在的+可能的
現働的
virtualité
réalité+possibilité
actualité
参考:
『ドゥルーズ書簡…』(河出書房新社2016月8月)ではじめて邦訳された。
以下、ドゥルーズ「書誌の計画」(邦訳『ドゥルーズ書簡』10~17頁より。項目を抜粋)
1 ヒュームからベルクソンヘ(ヒューム、カント、ベルクソン)
2 古典研究(スピノザ、ライプニッツ)
3 ニーチェ研究
4 批評と臨床(マゾッホとサド、プルーストとシーニュ、カフカ)
5 美学(ベーコン、ベーネ)
6 映画研究(運動、時間)
7 現代研究(フーコー、アラファト、構造主義)
8 意味の論理学
9 アンチ・オイディプス
10 差異と反復
11 千のプラトー
1.En1989,Deleuze a repris et classe lensemble de ses travaux,y compris les livres,
I.De Hume a Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzscheennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthetique/
VI.Etudes cinematographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.L'Anti-OEdipe/
X.Difference et repetition/
XI.Milleplateaux.”
『無人島(上)』「はじめに」編者注*でその存在が知られていた「書誌の計画」1989は、
『ドゥルーズ書簡…』2016で完全版が邦訳された。
*
1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,
selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.LAnti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»
書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より。項目のみ抜粋)
1 ヒュームからベルクソンヘ
2 古典研究(スピノザ、ライプニッツ)
3 ニーチェ研究
4 批評と臨床(マゾッホとサド、プルーストとシーニュ、カフカ)
5 美学(ベーコン、ベーネ)
6 映画研究(運動、時間)
7 現代研究(フーコー、アラファト、構造主義)
8 意味の論理学
9 アンチ・オイディプス
10 差異と反復
11 千のプラトー
*
1.En1989,Deleuze a repris et classé lensemble de ses travaux,y compris les livres,selon une série de thèmes généraux:«
I.De Hume à Bergson/
II.Etudes classiques/
III.Etudes nietzschéennes/
IV.Critique et clinique/
V.Esthétique/
VI.Etudes cinématographiques/
VII.Etudes contemporaines/
VIII.Logique du sens/
IX.L'Anti-Œdipe/
X.Différence et répétition/
XI.Milleplateaux.»
現実的な出版の際のボリュームごとに分類されたものだろう。全11巻全集といったように。
NAMs出版プロジェクト: チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』再考
書誌の計画(1989年。引用者:『ドゥルーズ書簡』2016邦訳10~17頁より)
1 ヒュームからベルクソンヘ
『経験論と主体性』(一九五三年)
一九五五年の未刊の講義〔『ドゥルーズ書簡』「ヒューム講義」〕
ヒューム(『哲学史』シャトレ編)〔『無人島』22〕
本能と制度〔『無人島』3〕
『カントの批判哲学』(一九六三年)
四つの定式……(一九八六年)〔『批評と臨床』第5章〕
べルクソニスム(一九六六年)〔『ベルクソンの哲学』〕
ベルクソンにおける差異の概念(一九五六年)〔『無人島』5〕
ベルクソン〔『無人島』4〕
英語版序文(一九八八年)〔『狂人の二つの体制』49〕
2 古典研究
『スピノザと表現の問題』(一九六八年)
M・ゲルーの書評(『道徳・形而上学雑誌』)〔『無人島』20〕
ネグリ『野生のアノマリー』序文〔『狂人の二つの体制』25〕
『スピノザ、実践の哲学』(一九八一年)
スピノザの文体について(ベンスマイアヘの書簡、一九八八年)〔『記号と事件』「レダ・ベンスマイアヘの手紙(スピノザについて)」〕
『襞(ライプニッツとバロック)』(一九八八年)
『リベラシオン』紙のインタビュー(一九八八年九月)〔『記号と事件』「ライプニッツについて」〕
3 ニーチェ研究
『ニーチェと哲学』(一九六二年)
アリアドネの神秘〔『批評と臨床』第12章〕
ニーチェとノマド的思考〔『無人島』34)
英語版序文〔『狂人の二つの体制』28〕
『ニーチェ』人生と作品〔『ニーチェ』ちくま学芸文庫〕
ニーチェと迷宮〔『批評と臨床』第12章〕
ニーチェと聖パウロ、ロレンスとヨハネ〔『批評と臨床』第6章〕
力能の意志と永遠回帰(ロワイヨモン)〔『無人島』15〕
4 批評と臨床
『ザッヘル=マゾッホ紹介』(一九六七年)〔『マゾッホとサド』〕
『プルーストとシーニュ』[(一九六四年,一九七四年)]
『カフカ』(一九七五年)〔『カフカ--マイナー文学のために』〕
ルイス・キャロルに関する短いテクスト二篇〔『批評と臨床』第3章〕
ウルフソン、序文〔『批評と臨床』第2章〕
(計画)
5 美学
『感覚の論理学、ベーコン』(一九九一年)
冷たいものと熱いもの、フロマンジェ〔『無人島』33〕
『重合、ベーネ』(一九七九年)
ベーネと声に関する短いテクスト〔『狂人の二つの体制』24〕
怪物、フリンカー(そして病室)=デッサン〔『書簡』所収「五つのデッサン」〕
IRCAM〔『狂人の二つの体制』16、『書簡』所収「音楽的時間」〕
ブーレーズでブルースト、時間〔『狂人の二つの体制』41〕
声がテクストにもたらすもの……(八七年一一月)〔『狂人の二つの体制』46〕
推理小説について(一九六六年)〔『無人島』11〕
6 映画研究
『運動イメージ』(一九八三年)
植樹者の技芸〔『無人島』39〕
ベケットの『フィルム』〔『批評と臨床』第4章〕
『6×2』をめぐる3つの問い(『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌)〔『記号と事件』〕
『リベラシオン』紙の書簡(八三年一〇月)〔『狂人の二つの体制』29〕
『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー(八三年一〇月)『記号と事件』「『運動イメージ』について」〕
英語版『運動イメージ』序文〔『狂人の二つの体制』38〕
『時間イメージ』(一九八五年)〔『シネマ2*時間イメージ』〕
「結晶イメージ」(『枠外』誌、一九八六年)〔『記号と事件』「想像界への疑義」〕
『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌のインタビュー〔『狂人の二つの体制』40〕
『シネマ』誌のインタビュー〔『記号と事件』「『時間イメージ』について」〕
セルジュ・ダネヘの手紙〔『記号と事件』「セルジュ・ダネヘの手紙」〕
FEMISでの講演--映画におけるアイデアが浮かぶこと(一九八七年)(創造するとは何か)
〔『狂人の二つの体制』45〕
英語版序文(一九八八年)〔『狂人の二つの体制』52〕
7 現代研究
『対話』(一九七七年)〔『ディアローグ--ドゥルーズの思想』〕
クレソールヘの手紙〔『記号と事件』「口さがない批評家への手紙』〕
英語版序文〔『狂人の二つの体制』43〕
『マガジン〔・リテレール〕』の対談(一九八八年)〔『記号と事件』「哲学について」〕
主体について、英語で発表(『トポイ』誌)〔『狂人の二つの体制』51〕
『フーコー』(一九九六年)
ミシェル・フーコーとの対談〔『無人島』26〕
ドンズロ『家族に介入する社会』序文〔『狂人の二つの体制』10〕
フーコーをめぐるテクスト三篇―
(a)『ヌーヴェル・ロプセルヴァトゥール』誌〔『記号と事件』「芸術作品としての生」〕、
(b)『リベラシオン』紙〔『記号と事件』「物を切り裂き、言葉を切り裂く」〕、
(c)『ロートル・ジュルナル』誌〔『記号と事件』「追伸 管理社会について」〕
装置とは何か(シンポジウム)〔『狂人の二つの体制』50〕
アラファトの偉大〔『狂人の二つの体制』34〕
フランソワ・シャトレの哲学についての命題(一九八七年)(『ペリクレスとヴェルディ』)〔『ドゥルーズ・コレクション2』所収、河出文庫〕
何を構造主義として認めるか(一九七二年)〔『無人島』23〕
8 『意味の論理学』(一九六九年)
加えて essais “Points”
9 『アンチ・オイディプス』(一九七二年)
〔ガタリ〕『精神分析と横断性』序文〔『無人島』24〕
オッカンガムヘの序文〔『無人島』38〕
精神分析と政治〔『無人島』36、『狂人の二つの体制』8〕
フェリックスとの対談、『ラルク』誌〔『記号と事件』「フェリックス・ガタリとともに『アンチ・オイディプス』を語る」〕
分裂症〔『狂人の二つの体制』2〕
10『差異と反復』(一九六八年)
ドラマ化の方法〔『無人島』14〕
無人島についての考察(一九五〇)〔『無人島』1〕
英語版序文〔『狂人の二つの体制』42〕
11 『千のプラトー』(一九八〇年)
リベラシオン紙のインタビュー〔『記号と事件』「『千のプラトー』を語る」〕
イタリア語版序文〔『狂人の二つの体制』44〕
編者注
* 書誌の計画は、おそらく一九八九年に外国の出版社のために執筆された。…
(389頁の訳者による解説文「後期」参照)
1 ヒュームからベルクソンヘ
『経験論と主体性』(一九五三年)
一九五五年の未刊の講義〔『ドゥルーズ書簡』「ヒューム講義」〕
『カントの批判哲学』(一九六三年)
四つの定式……(一九八六年)〔『批評と臨床』第五章〕
べルクソニスム(一九六六年)〔『ベルクソンの哲学』〕
ベルクソンにおける差異の概念(一九五六年)〔『無人島』〕
2 古典研究
『スピノザと表現の問題』(一九六八年)
『スピノザ、実践の哲学』(一九八一年)
『襞(ライプニッツとバロック)』(一九八八年)
『リベラシオン』紙のインタビュー(一九八八年九月)〔『記号と事件』「ライプニッツについて」〕
3 ニーチェ研究
『ニーチェと哲学』(一九六二年)
『ニーチェ』人生と作品〔『ニーチェ』ちくま学芸文庫〕
5 批評と臨床
『プルーストとシーニュ』[(一九六四年,一九七四年)]
『カフカ』(一九七五年)〔『カフカ--マイナー文学のために』〕
ウルフソン、序文〔『批評と臨床』第二章〕
5 美学
『感覚の論理学、ベーコン』(一九九一年)
『重合、ベーネ』(一九七九年)
5 映画研究
『運動イメージ』(一九八三年)
植樹者の技芸〔『無人島』39〕
ベケットの『フィルム』〔『批評と臨床』第四章〕
『6×2』をめぐる3つの問い(『カイエ〔・デュ・シネマ〕』誌)〔『記号と事件』〕
英語版『運動イメージ』序文〔『狂人の二つの体制』38〕
『時間イメージ』(一九八五年)『シネマ2*時間イメージ』
「結晶イメージ」(『枠外』誌、一九八六年)〔『記号と事件』「想像界への疑義」〕
7 現代研究
『対話』(一九七七年)〔『ディアローグ ドゥルーズの思想』〕
クレソールヘの手紙〔『記号と事件』「口さがない批評家への手紙』〕
『フーコー』(一九九六年)
ミシェル・フーコーとの対談〔『無人島』〕
アラファトの偉大〔『狂人の二つの体制』〕
フランソワ・シャトレの哲学についての命題(一九八七年)(『ペリクレスとヴェルディ』)〔『ドゥルーズ・コレクション2』所収、河出文庫〕
何を構造主義として認めるか(一九七二年)〔『無人島』〕
8 『意味の論理学』(一九六九年)
9 『アンチ・オイディプス』(一九七二年)
10『差異と反復』(一九六八年)
ドラマ化の方法〔『無人島』〕
英語版序文〔『狂人の二つの体制』〕
11 『千のプラトー』(一九八〇年)
リベラシオン紙のインタビュー〔『記号と事件』「『千のプラトー』を語る」〕
イタリア語版序文〔『狂人の二つの体制』〕
編者注
* 書誌の計画は、おそらく一九八九年に外国の出版社のために執筆された。…
(389頁の訳者による解説文「後期」参照)
________________
エリアス・サンバール宛て
一九八五年七月一五日 月曜日
…
1 『ザッヘル・マゾッホ紹介』
2 『カフカ』
3 『アンチ・オイディプス』
4 『千のプラトー』
(1)「古典主義、ロマン主義、現代芸術」#11
(2)「ノマドロジー」#12
(3)「樹木とリゾーム」#0
5 『運動イメージ』(「二つの空間類型、黒澤と溝口」…)
6 『プルーストとシーニュ』(第七章)
7 『ニーチェと哲学』
8 『スピノザ、実践の哲学』
9 『意味の論理学』
(1)「プラトン主義とは何か」付録
(2)「命題とは何か」#3
10『差異と反復』「思考の要請」#3
クストのアンソロジーを出発点として、アラブの読者にドゥルーズの思想を知らしめようとするものであった。このアンソロジーは、当
http://s3.amazonaws.com/academia.edu.documents/30213846/Intro_PDF.pdf
2. In particular, see the series of articles on the plight of the Palestinian people including „Les gêneurs‟ in Le Monde, 7 avril 1978, translated as „Spoilers of Peace‟, (Deleuze 2007: 161–3); „Les Indiens de Palestine‟ in Libération, 8–9 May 1982, translated as „The Indians of Palestine‟, (Deleuze 2007: 194–200); „Grandeur de Yasser Arafat‟ in the Revue d‟Études Palestiniennes 10, 1984, translated as „The Importance of Being Arafat‟ (Deleuze 2007: 241–5); and „Les Pierres‟ in Al-Karmel 29, 1988, translated as „Stones‟ (Deleuze 2007: 3389).
AWSAccessKeyId=AKIAJ56TQJRTWSMTNPEA&Expires=1479603549&Signature=5c7MeoRXK5JP1Ufs%2B1AwM1%2FWOjU%3D&response-content-disposition=attachment%3B%20filename%3Dwith_Paul_Patton_Deleuze_and_the_Postco.pdf