木曜日, 11月 30, 2017

Akira KUROSAWA


黒澤明、関連動画:

A message from Akira Kurosawa
Послание Акиры Куросавы (A message from Akira Kurosawa: for beautiful mo...


ドゥルーズ 黒澤明を語る


黒澤明 アカデミー名誉賞 1990年


 
1990/03/26

フェデリコ・フェリーニ、黒澤明を語る

https://youtu.be/9D3-bFlICy4

淀川さん黒澤映画を語る

https://youtu.be/iyTJXDBVptY

 

黒澤明 アカデミー名誉賞 1990年
https://youtu.be/jJHWKUeGz2E

“狂気の世界では
狂気のみが正気である” 黒澤明
“In a mad world only the mad are sane.”-Akira KUROSAWA

“芸術家であるならば物事から
目を背けてはならない” 黒澤明
“ To be an artist means never to avert one's eyes.” -Akira KUROSAWA

 



http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20080418/1009558/
「…いや、というのも、まだ、私は映画というものをはっきりとつかんでいない気
がするからです。映画は素晴らしい。しかし、この素晴らしく美しいものをつかむ
のは大変難しい。これからも映画という素晴らしいものをつかむために全力を尽くす
つもりです。それこそが、この賞に応える一番いい方法だと思うからです」

 


續姿三四郎 1945年

http://www.d3.dion.ne.jp/~masaji.s/kuro13.html
苦悩する三四郎の姿を描く場面が多くて沈みがちなシーンが多い中にあって、時折ユーモアのあるシーンが挿入される。
和尚と座禅を組み合って、眠りこけてしまった三四郎に対して和尚は朝になってもまだ座禅を組み続けていたのだが、目を覚ました三四郎がよくよく見ると、和尚も座禅を組みながら眠っていたなどは、その最たるもの。
その他にも、小夜と別れた三四郎が振り返ると、小夜が別れの会釈をしていて、何度もこれを繰り返して名残を惜しむシーンなども張り詰めたものを解きほぐすシーンとなっていた。
黒澤明の第一作が「姿三四郎」で、その続編がこの「続姿三四郎」だったという黒沢ライブラリーとしての歴史的な存在価値で本作はその名を留める作品なのだと思う。

《「この断片と断片の間のあやしい生命--これこそ映画のいのちがはじ

まるところであるが--それを的確につかむ事こそ、フイルムの断片を

っなぐ仕事の本質なのである」

(黒澤明「映画の編集について」『キネマ旬報』1948年1月下旬号)


 黒澤は、この「間」に映画そのものがあると考える。


「カットとカット、シーンとシーン、シークエンス(ひと続きの画面)と

シークエンスのつなぎ目に映画があるんですよ。映画の流れのつなぎ目

に映画そのものがある。つなぎ方の呼吸が大事で、その呼吸から映画

が出てくるといってもいいのだけれど」(「黒澤明の世界『語る』」

「朝日新聞(夕)」一九九四年四月十四日)》


黒澤明全作品と全生涯269頁より孫引き(朝日の方は『大系』には未収録?)





https://i.imgur.com/cBKkWfM.gifv
「野武士はッ?……野武士はッ?……野武士はッ?……」
「野武士はもうおらん!」




24 Comments:

Blogger yoji said...

マールイ劇場ソローミン芸術監督「黒澤監督は『白痴』の映画化は失敗だったと思っていた」
https://jp.sputniknews.com/opinion/201606172323776/
オピニオン
2016年06月17日 22:30(アップデート 2016年06月22日 15:19) 短縮 URL
タチヤナ フロニ
0 725100
「『羅生門』を撮影するまで、私はずっと『白痴』をやりたかったんです。若い頃から、ロシア文学を愛していました。ドストエフスキーこそ最良だと思っていましたし、彼の原作から、素晴らしい映画を撮ることができるだろうと、長い間思っていました。ドストエフスキーはやはり今でも大好きな作家です。私の意見では、彼は唯一の、人間という存在について真実を書いた作家です。」偉大な日本人映画監督、黒澤明氏はそう語った。

「白夜の調べ」
© 写真: MOSFILM, 1976
あれから40年:ユーリー・ソローミン氏「白夜の調べ」と栗原小巻を思い出す
世界的な巨匠である黒澤監督と、一緒に仕事をすることができた幸せなロシア人俳優の数は、そんなに多くはない。劇場俳優であり映画俳優の、ユーリー・ソローミン氏(現・マールイ劇場芸術総監督)は、そのような幸せなロシア人俳優のうちの一人である。
ソローミン氏「私はいつも喜びをもって日本のことを思い出します。そのような大事な思い出の中のひとつが、もちろん黒澤明監督との出会いです。私は『デルス・ウザーラ』で主役をさせてもらいました。黒澤監督は、第二次世界大戦が始まる前に既に監督としての仕事を始め、映画人生の第一歩として、『デルス・ウザーラ』を撮りたかったのだと私に話してくれました。実際のところ、監督は当初、主役に日本人をあてることを考えていたのですが、ある日本人プロデューサーが、私を起用するよう要求したのですよ。それは私にとっては本当にラッキーなことでした。なぜなら、全ての俳優が、天才的な巨匠である黒澤監督と出会えるわけではありませんからね。そして私にとっては、彼との出会いは更に貴重なものでした。『デルス・ウザーラ』の撮影の後、私と監督とは30年以上も、彼が亡くなるまで、ずっとずっと友情が続いたのですから。私は90年代に、マールイ劇場を率いて、初めて日本で公演をおこないました。そのとき黒澤監督は個人的に、マールイ劇場の日本公演を宣伝してくれたのです。その際、マールイ劇場の俳優とステージの写真が入った、特別アルバムを作りました。

ロマン・キム、ソ連の忍者だった男
© SPUTNIK/ LYUDMILA SAAKYAN
ロマン・キム、ソ連の忍者だった男
黒澤監督はそのアルバムに、冒頭の挨拶文を書いてくれました。私にとっては、彼がロシア文学を愛し、ロシアの古典から何本かの映画を撮影したことは、とてもありがたく大切なことです。日本ではロシア文学が愛されていますし、みんなトルストイやドストエフスキーを知っています。特にチェーホフは、愛されていますね。マールイ劇場は3回、日本で公演したのですが、その3回とも、チェーホフの『桜の園』を上演しましたよ。日本の観客の皆さんが『桜の園』が見たい、また見たいとリクエストされるのです。皆さん、『桜の園』が好きなんですね。」
ソ連時代、黒澤監督の映画は非常にたくさんの人に鑑賞され、人気を博した。「デルス・ウザーラ」が公開された後、黒澤監督のもとには何回も、何かしら新しい映画をロシアで撮ってほしいというリクエストが来ていたという。ソローミン氏は、当時を次のように思い出している。

ソローミン氏「私も黒澤監督に、もう一本映画を撮ってくれるよう提案しました。黒澤監督は、当時の『モスフィルム』の総裁だったニコライ・シゾフ氏を大変尊敬していました。何といっても、シゾフ総裁が、黒澤監督が『デルス・ウザーラ』を撮ることを提案したのです。黒澤監督はすぐに賛成しました。それは彼の長い間の夢だったのですからね。その夢がかなった後、黒澤監督はエドガー・アラン・ポーの『赤き死の仮面』をロシアで撮影したいと考えていました。黒澤監督は『赤き死の仮面』の主役を私が演ずるよう誘ってくれました。音楽は、イサーク・シュワルツが作曲する予定でした。彼は『白夜の調べ』に素晴らしい音楽を提供した人です。

ヨシフ・スターリン
© SPUTNIK/ RIA NOVOSTI
アーカイブから人気番組:これがロシア人!ヨシフ・スターリンという人物の今日の評価
しかし、残念ですが、その計画は実現しませんでした。当時黒澤監督はサンクト・ペテルブルグに来て、私たちはこの映画についてたくさんの打ち合わせをしました。しかし、あるとき、黒澤監督は何人かのロシア人映画関係者たちから侮辱されたと感じたのです。それはどういうことかというと、当時のソ連には芸術評議会というものが存在していたのですね。この評議会と、どういうアーティストを起用するかについて、お伺いをたて、意見を一致させなければならなかったのです。黒澤監督はそのシステムに慣れていませんし、それをすることを拒否しました。でも私は、その撮影されなかった映画の脚本のロシア語版を、聖なる人の遺物のように、今でも大事に保管しているのですよ。
そのことがあっても私たちの友情は続きました。私が日本へ行ったときには必ず彼と会いました。私がマールイ劇場の芸術監督に就任した1989年、この劇場で、好きな戯曲を上演してくれるよう黒澤監督に提案しました。彼は長い間それについて考えていましたが、その提案をのみませんでした。なぜならば、彼はロシア古典文学を愛してはいましたけれども、彼が撮影したドストエフスキーの『白痴』は失敗に終わった、と考えていたのです。本当に残念でした。もし監督がOKしてくれていたら、私たちは彼の望む条件、劇場に求める条件を、全て満たす用意がありました。『白夜の調べ』で私と共演していた栗原小巻さんがその劇に出演してくれたかもしれません。

黒澤監督はそれからまもなくこの世を去ってしまいました。でも私のまわりには、黒澤監督に関わる色々な物が今でも残っています。映画監督になる前、彼は芸術アカデミーを卒業しました。私の書斎には、黒澤監督がくれたサイン入りの絵が飾ってあります。彼が自分で描いた、目が輝いている虎の頭の絵です。これは『デルス・ウザーラ』の思い出の品なのです。この絵は、私の誕生日に、ロシア語で書いたお祝いのメッセージと一緒にプレゼントしてもらいました。これは私にとってとても大切なものです。その後、彼はロシアに来ることはありませんでしたが、毎年の正月と、誕生日には、『黒澤画家』は新しい絵葉書を送ってくれました。そのたくさんの絵葉書は、私たちの友情の記憶として、書斎に大切にしまってあります。」

10:09 午後  
Blogger yoji said...

黒澤明「生きる」言葉 (@AkiraK_Bot)
2014/08/12 1:14
カットとカットの繋ぎ目に映画がある 「まだよく分からないけれど,これは映画になったと納得できるところは,繋ぎ目が的確なところだと気が付いたんだ」転換のタイミングが絶妙で,描き出そうとするものに力を与える感じ,間に存在する正真正銘映画的なものなんだと。 #kuroken

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11:25 午後  
Blogger yoji said...

黒澤明「生きる」言葉 (@AkiraK_Bot)
2014/08/12 1:14
カットとカットの繋ぎ目に映画がある 「まだよく分からないけれど,これは映画になったと納得できるところは,繋ぎ目が的確なところだと気が付いたんだ」転換のタイミングが絶妙で,描き出そうとするものに力を与える感じ,間に存在する正真正銘映画的なものなんだと。 #kuroken

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11:27 午後  
Blogger yoji said...

黒澤明全作品と全生涯
都築政昭/著
ISBN:978-4-487-80434-4
本体価格3,000円
発売年月:2010-02-01

11:28 午後  
Blogger yoji said...

天国と地獄


《エド・マクベインの小説は、ほんのー部分を借りただけです。マクベインのものとして
は、はっきりいえばいい作品ではないですね。ただ、誰をさらおうとも、脅迫は成り立つ、
というあの思いつき。あれがすばらしい着眼だったので、そこのことだけもらったんです。
誘拐罪というのは、日本では実に罪が軽いんですよね。事実、こんなことでもし子供が誘
拐されたらどうしようか、という気持はそれまでも多分に持っていたところへ、あれを読
んだものだから、いっきに作りたくなった。
 例の、列車のトイレの窓からお金を落とすアイディア。部屋の中で、地図・設計図など
と首っぴきで実際どうなっているのかを、全部調ベあげて、ときどき国鉄に電話で聞いた
りした。しまいには「いったい、あんたたち何者ですか」なんていわれる始末でね。トイ
レというのは、調べてみたらあそこしか窓があかないんですね。何センチあく、というこ
とまで設計図できまっているんです。そこから落とす点と、電話を利用するという点。新
しい開拓はこの二つだな。》キネ旬インタビューより


冒頭の株取得のやり取りは原作通り。
他人のために自分を犠牲にするというのは黒澤的主題。内田吐夢の主人公なら
自分のために戦うが、黒澤映画では違う。






https://i.imgur.com/t7iCXpr.gif


https://i.imgur.com/trx75Sw.gif



https://i.imgur.com/Vp4t0DM.gif


https://i.imgur.com/MgeKOMy.gif

7:30 午前  
Blogger yoji said...

黒澤には多様性がある
アジアでは社会派
ヨーロッパでは芸術派
アメリカでは娯楽派として影響を与えた

5:48 午後  
Blogger yoji said...

https://i.imgur.com/ZQnwBLM.gif
續姿三四郎 黒澤明監督 1945年
http://www.d3.dion.ne.jp/~masaji.s/kuro13.html
苦悩する三四郎の姿を描く場面が多くて沈みがちなシーンが多い中にあって、
時折ユーモアのあるシーンが挿入される。
和尚と座禅を組み合って、眠りこけてしまった三四郎に対して和尚は朝になって
もまだ座禅を組み続けていたのだが、目を覚ました三四郎がよくよく見ると、
和尚も座禅を組みながら眠っていたなどは、その最たるもの。

12:30 午前  
Blogger yoji said...

「私公滅して万民の公僕たるかな」滅私奉公 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/滅私奉公 この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。 (2015年8月); 独自研究が含まれているおそれがあります。(2015年8月). 桜井駅跡に ある石像 (揮毫は近衛文麿). 滅私奉公(めっしほうこう)は、私を滅し、公に奉ずることを 意味する故事である。出典は戦国策の秦策に由来する。 概要[編集]. 一般的には、私心 や私情を抑えて、国家・地方公共団体・社会・世間などに対して奉仕する精神を意味する 。

「生きる」のお通夜のシーンで千秋実が言う
「私公滅して万民の公僕たるかな」
という台詞は台本になかったみたいで、
どうやら千秋がアドリブで言ったと思われる。
だとしたらすごいね。
http://fast-uploader.com/file/7072914874906/

6:37 午後  
Blogger yoji said...


 僕の言う「演出窯変説」というのは、一応ちゃんとコンテニュィティは書くんだけど、その通り撮れても面白くない。そうではなくて、何かの時に急にそれが変わって不思議な効果が生まれてくる時がある。それを全体のバランスを崩さず支えていった場合、大変面白くなる。
 これは、壺などを焼く時、窯の中で壺が灰をかぶり、それがガラス状のうわぐすりのように流れて不思議な美しさをつくることがある。演出している時、 そのような計算に入っていなかった面白い事が起こることが時々あるので、それを僕は「演出窯変」と言っているのです。

6:43 午後  
Blogger yoji said...


 僕の言う「演出窯変説」というのは、一応ちゃんとコンテニュィティは書くんだけど、
その通り撮れても面白くない。そうではなくて、何かの時に急にそれが変わって不思議な
効果が生まれてくる時がある。それを全体のバランスを崩さず支えていった場合、大変面白くなる。
 これは、壺などを焼く時、窯の中で壺が灰をかぶり、それがガラス状のうわぐすりの
ように流れて不思議な美しさをつくることがある。演出している時、 そのような計算に入
っていなかった面白い事が起こることが時々あるので、それを僕は「演出窯変」と言っているのです。

(「映画についての雑談」(1975)『大系黒澤明』第4巻(2010年)に再録)

6:44 午後  
Blogger yoji said...

千秋実などは『どん底』の本番中に切れた鼻緒を直していたという。
アドリブとは違うが絵コンテ通りに取るようなヒッチコックや小津とは演出方針が異なる。
そのための複数カメラだろうし。

 《僕の言う「演出窯変説」というのは、一応ちゃんとコンテニュィティは書くんだけど、
その通り撮れても面白くない。そうではなくて、何かの時に急にそれが変わって不思議な
効果が生まれてくる時がある。それを全体のバランスを崩さず支えていった場合、大変
面白くなる。
 これは、壺などを焼く時、窯の中で壺が灰をかぶり、それがガラス状のうわぐすりの
ように流れて不思議な美しさをつくることがある。演出している時、 そのような計算に入
っていなかった面白い事が起こることが時々あるので、それを僕は「演出窯変」と言って
いるのです。》
(「映画についての雑談」(1975)『大系黒澤明』第4巻(2010年)に再録)

7:04 午後  
Blogger yoji said...

千秋実は『どん底』の本番中に切れた鼻緒を直していたというし、
アドリブとは違うが絵コンテ通りに撮るようなヒッチコックや小津とは演出方針が異なる。
そのための複数カメラだろう。

 《僕の言う「演出窯変説」というのは、一応ちゃんとコンテニュィティは書くんだけど、
その通り撮れても面白くない。そうではなくて、何かの時に急にそれが変わって不思議な
効果が生まれてくる時がある。それを全体のバランスを崩さず支えていった場合、大変
面白くなる。
 これは、壺などを焼く時、窯の中で壺が灰をかぶり、それがガラス状のうわぐすりの
ように流れて不思議な美しさをつくることがある。演出している時、 そのような計算に入
っていなかった面白い事が起こることが時々あるので、それを僕は「演出窯変」と言って
いるのです。》
(「映画についての雑談」(1975)『大系黒澤明』第4巻(2010年)に再録)

7:06 午後  
Blogger yoji said...

Blogger yoji said...
千秋実は『どん底』の本番中に切れた鼻緒を直していたというし、
アドリブとは違うが絵コンテ通りに撮るようなヒッチコックや小津とは演出方針が異なる。
そのための複数カメラだろう。

 《僕の言う「演出窯変説」というのは、一応ちゃんとコンテニュイティは書くんだけど、
その通り撮れても面白くない。そうではなくて、何かの時に急にそれが変わって不思議な
効果が生まれてくる時がある。それを全体のバランスを崩さず支えていった場合、大変
面白くなる。
 これは、壺などを焼く時、窯の中で壺が灰をかぶり、それがガラス状のうわぐすりの
ように流れて不思議な美しさをつくることがある。演出している時、 そのような計算に入
っていなかった面白い事が起こることが時々あるので、それを僕は「演出窯変」と言って
いるのです。》
(「映画についての雑談」(1975)『大系黒澤明』第4巻(2010年)に再録)

7:20 午後  
Blogger yoji said...

以下「映画についての雑談」(1975)より
(『THE KUROSAWA黒澤明全作品集 姿三四郎から乱まで』1985、
『大系黒澤明 第4巻』2010に再録)

 《本当に映画を愛している若い人たちの、映画に対している姿勢は、僕が接しているかぎり
ではみんなそれなりに正しいと思う。ただ、一人前になるためには、僕個人の力ではどうに
もならない。
 これは政治の責任なんだ。政治が映画を無視しているかざり、僕にはどうしようもない。
だから僕は、いつもはっきり言うんだが――しかし、 これは新聞記者諸君は絶対書いて
くれない――要するに自衛隊の戦闘機2機ぶんをよこせ、1機ぶんでもいいっていうこと
です。そうしたら、この人たちの映画学校も出来るし、作品を作らせることも出来る。僕
はもっと激烈なことをいつも言ってるんだけれど、それがいつも無視されている。編集長が
削るのかその前に削ってしまっているのかわからないけれど。だから書いても刺身のツマ
みたいに書くだけ。政府がほんとうに日本文化を大切にするというのなら、 日本映画も
大切にしてほしい。戦闘機の1機や2機多くたって少なくたって大した事はないじゃない
か。その予算をくれたら、日本映画は立ち直ります。僕は責任を持つ。日本映画を立ち直ら
せるには、現実的に金が無きゃだめです。映画学校もつくれない。もちろんそこで優秀な
人が育つとは限らないけれど、とにかく実験させるだけのものを作ってやらせてみなけれ
ばどうしようもない。不幸にして、この年代では僕一人生き残ってすごくらいけれど、何
とかしなきゃ死にきれない思いなんだ。》

9:51 午前  
Blogger yoji said...

544 :無名草子さん:2015/03/18(水) 01:06:38.46
ともに面白いことには違いがないが、「切腹」は芸術的に優れていると言い(昭和37年9月)、
「天国と地獄」は芸術的にはどうかと言うほどのものでもない(昭和38年3月)と評している。黒澤については昭和43年1月、
三島由紀夫・大島渚・小川徹(司会)の対談で≪ テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャンですよ。思想はない。
思想はまあ中学生くらいですね。昔の中学生といまの中学生とくらべるとえらいよ、ずいぶん

小川徹「黒澤明はどうですか」 三島由紀夫「テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャン ですよ。思想はない。
思想はまあ中学生くらいですね」 (映画芸術 昭和四十三年一月号 大島渚との対談「ファシストか革命家か

6:14 午前  
Blogger yoji said...

三島由紀夫が黒澤明の思想性を中学生程度といったそうだが
悪口とは思えない
三島由紀夫は彼自身その自分の中学生時代の思想に殉じたからだ
『乱』の顧問弁護士が製作裏話を書いているが、
その乗杉弁護士は三島由紀夫とも面識があったそうだ


6:18 午前  
Blogger yoji said...

https://www.amazon.co.jp/dp/B00ANW5OBA

6:19 午前  
Blogger yoji said...


http://akiboss.fc2web.com/bungei.htm
萩原
なんで最近は、カラーで撮るようになったんですか?

黒澤
…フランスのシネマテークでエイゼンシュタインの「イワン雷帝」第二部のカラーの部分
を見せられて「三十年前にあれだけのカラーを撮っているんだから、黒澤さんもカラーを
撮らない手はない」といわれたけどね。…

1976年

12:13 午前  
Blogger yoji said...


http://akiboss.fc2web.com/bungei.htm
萩原
なんで最近は、カラーで撮るようになったんですか?

黒澤
なんでって・・・・・・カラーじゃなけりゃ今は通用しないよね。白黒で撮りたいものがあったら、もちろん白黒で撮るけど。「デルス・ウザーラ」だって、そうはうまく撮れなかったけど、ウスリー地方は黄金の秋って、秋がすごくきれいなんだよね。そういうのをカラーでちゃんと撮りたかったから。でもカラーは、白黒の表現の豊かさまではまだいってないね。「ラストタンゴ・イン・パリ」なんかは調子はいいけどね。あれは向うで本物を見るとすごいんだ。

萩原
よかったですね。僕も向こうで見たんです。

黒澤
カラーも、あそこまでいけるんだからね。宮川一夫君(編集部註・「羅生門」のキャメラマン)なんかで、ああでもない、こうでもないとやかましいことを言ってやったら、いいシャシンができるだろうね。「羅生門」なんかネガがきちんと残っているんだったら、一つ一つ宮川君にチェックして焼いてもらったら、白黒の撮影じゃ、世界最高の部類だね。考えてみると、白黒映画というのは、表現として一つの完成までいっていたわけでね。サイレント映画はサイレント映画で、登り詰めるところまで登り詰めちゃっていたわけだね。それから、今度はカラーも相当のとろこまでいっているけれど、まだまだ新しい可能性はあるんじゃないの。もう少しフィルムの感度も、良くなるだろうし、コクもよくなるだろうし、工夫すべき問題がたくさんある、と思うんだよ。フランスのシネマテークでエイゼンシュタインの「イワン雷帝」第二部のカラーの部分を見せられて「三十年前にあれだけのカラーを撮っているんだから、黒澤さんもカラーを撮らない手はない」といわれたけどね。そうそう、今度アメリカで、七〇ミリの三倍くらい画面の大きい映画ができたらしいね。フィルムを横に廻す式で。その専門映画館を今、作ってるらしい。画面の中に自分が入っちゃったような感じが、するらしいね。とにかく実にでかいんだって、画面が。



1976

12:14 午前  
Blogger yoji said...

Kurosawa Interviews - UCI (Adobe PDF) -htmlで見る
faculty.humanities.uci.edu/sbklein/.../KurosawaInterviews.pdf
Akira Kurosawa Talks about Throne of Blood. INTERVIEW WITH TADAO ... and deprives him of his power. The age of civil wars for about 100years starting from 1460 is named such, and during thatage the trend of gekokujo prevailed here and there in Japan.] Therefore, thestory of Macbeth appealed very much to me, and it was easy for me to adapt. SATO: What did you intend to .... the CinémathèqueFrançaise, Henri Langlois, took me aside and told me that I had to make films in color.

12:41 午前  
Blogger yoji said...



Akira Kurosawa: Interviews - Akira Kurosawa - Google ブックス
https://books.google.co.jp/books?id=eVs7KxKpWeEC
https://lh3.googleusercontent.com/-5mo2E6LSV-M/WpEorawI1DI/AAAAAAABaJM/cxhx6nzgDi4NwmvC5WxX3yyPL-SJDI2zACHMYCw/s1600/blogger-image-231433197.jpg


KUROSAWA : Many, many years ago ( I can't remember exactly when),
the then-head of the Cinemathque Franqaise, Henri Langlois, took me
aside and told me that I had to make films in color. He showed me
Eisenstein's Ivan the Terrible and said, “Look, Eisenstein was doing this
many years ago and getting very good results. Yott must try. ” But I felt
at the time that the technology of color film wasn't good enough for
what I wanted to do, and that's why I kept making black-and-white
films. But I was inspired by what Langlois said-and I did want to try-
so I made Dodes'kadeu as a kind of color experiment, and since then
everything I have done has been in color.

1:04 午前  
Blogger yoji said...



Akira Kurosawa: Interviews - Akira Kurosawa - Google ブックス
https://books.google.co.jp/books?id=eVs7KxKpWeEC
https://lh3.googleusercontent.com/-5mo2E6LSV-M/WpEorawI1DI/AAAAAAABaJM/cxhx6nzgDi4NwmvC5WxX3yyPL-SJDI2zACHMYCw/s1600/blogger-image-231433197.jpg


KUROSAWA : Many, many years ago ( I can't remember exactly when),
the then-head of the Cinematheque Francaise, Henri Langlois, took me
aside and told me that I had to make films in color. He showed me
Eisenstein's Ivan the Terrible and said, “Look, Eisenstein was doing this
many years ago and getting very good results. Yott must try. ” But I felt
at the time that the technology of color film wasn't good enough for
what I wanted to do, and that's why I kept making black-and-white
films. But I was inspired by what Langlois said-and I did want to try-
so I made Dodes'kadeu as a kind of color experiment, and since then
everything I have done has been in color.

1:05 午前  
Blogger yoji said...



Akira Kurosawa: Interviews - Akira Kurosawa - Google ブックス
https://books.google.co.jp/books?id=eVs7KxKpWeEC
https://lh3.googleusercontent.com/-5mo2E6LSV-M/WpEorawI1DI/AAAAAAABaJM/cxhx6nzgDi4NwmvC5WxX3yyPL-SJDI2zACHMYCw/s1600/blogger-image-231433197.jpg


KUROSAWA : Many, many years ago ( I can't remember exactly when),
the then-head of the Cinematheque Francaise, Henri Langlois, took me
aside and told me that I had to make films in color. He showed me
Eisenstein's Ivan the Terrible and said, “Look, Eisenstein was doing this
many years ago and getting very good results. You must try. ” But I felt
at the time that the technology of color film wasn't good enough for
what I wanted to do, and that's why I kept making black-and-white
films. But I was inspired by what Langlois said-and I did want to try-
so I made Dodes'kadeu as a kind of color experiment, and since then
everything I have done has been in color.

1:06 午前  
Blogger yoji said...


Madadayo (1993) Seasons passing scene
https://i.imgur.com/ETcNvRN.gif
https://youtu.be/QZANCZGXEWM

https://i.imgur.com/0L8I3Lk.gifv
https://twitter.com/tiikituukahana/status/978833385652015104

6:09 午前  

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