土曜日, 12月 02, 2017

ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)


                  ( 経済学マルクスリンク::::::::::

ゲゼル:減価式貨幣と世界通貨案 1914,1920
http://nam-students.blogspot.jp/2011/12/blog-post_4033.html?m=0
平和の経済的帰結 The Economic Consequences of the Peace (1920)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/economic-consequences-of-peace-1920.html
ケインズ『貨幣論』1929(1930)『貨幣改革論』1923:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/1979-john-maynard-keynes-treatise-money.html 

ケインズ「わが孫たちの経済的可能性」- On John Maynard Keynes -"Economic Possibilities for Our Grandchildren (1930)"- ...

http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/1930-on-john-maynard-

NAMs出版プロジェクト: ケインズ関連動画1931他:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/09/blog-post_11.html

NAMs出版プロジェクト: マルクス・カレツキ・ケインズ1933

http://nam-students.blogspot.jp/2017/04/blog-post.html
NAMs出版プロジェクト: ケインジアンの交差図 1936
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/blog-post_12.html
ケインズ=カレツキ往復書簡 Keynes ,Kalecki Correspondence 1937
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/keynes-kalecki-correspondence-1937.html
NAMs出版プロジェクト: ハロッド=ケインズ往復書簡1938
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/1938.html
NAMs出版プロジェクト: バンコール(経済学)1940~2
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/blog-post_11.html(@)

ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)

http://nam-students.blogspot.jp/2017/12/blog-post.html


1942年、ケインズは一次産品の価格安定のために緩衝在庫案を出した。

柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉常平倉)の国際版ようなものだ(特に常平倉。参考:柄谷行人『遊動論』他)。

バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。

(『危機の中でケインズから学ぶ』平井論考より)


参考:


ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)  平井俊顕 (Toshiaki Hirai)ブログ 


「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)#27,133~223頁

 競争システムは、大きな需要と小さな需要の時期を平均化させることができる緩衝在庫の存在を、それが負の収益を引き起こすがゆえに――自然が真空を嫌うのと同じように強く――反射的に嫌う(「原材料の国際統制」一九四二年四月。JMK. 27, p. 131,152頁)。

 一九二〇年代の初頭以来、ケインズは一貫して「自由放任哲学」ならびにそれに依拠する「自由放任経済学」を批判していた。市場メカニズムに任せておいても、最適な資源配分が達成されることはない。それは現実を無視した想定に立つものであり、実際の市場社会を安定化させるには政府による介入・調整が必要、と考えるからだ。
 右の引用文は、ケインズによる国際緩衝在庫案からのものである。競争的市場システムは緩衝在庫を嫌うため一次産品の価格は激しい変動にさらされる。ケインズの提案は、「コモド・コントロール」(Commod Control)と名づけられた国際機関による一次産品の売買活動を通じて、短期的な価格の安定化と、一定の生産の拡張を許容する長期的な価格政策の結合を目指すものであった。同案はその後、妥協を重ね、「生産制限」を大幅に取り入れたものに変更されていったにもかかわらず、イギリス内部でも合意を得るには至らず、結局のところ廃案となった。

KM100  



戦後世界の形成―雇用と商品 (ケインズ全集#27)単行本 – 1996/8

https://www.amazon.co.jp/dp/4492813276/
本文(7th草案)133頁,解説591頁に常平倉なる言葉(訳語)がある。

似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")からアイデアを得たようだ。


柄谷西部の用語では協同組合は資本主義に対して超出的、

階級闘争は内在的ということになる


逆のような気もするが


Henry A. Wallace and the Ever-Normal Granary - Jstor

 

(Adobe PDF)

www.jstor.org/stable/2049789

tural measures carried out by Mr. Wallace while Secretary of Agriculture. (1933- 40), those grouped under the title of "The Ever-Normal Granary" had been inspired by ancient Chinese practice. Because of the importance of. Wang An- shih ...



ICC:

Keynes,  J.  M.  (1974)   “The   International  Control  of   Raw  Materials,”   Journal   of   International  Economics,  pp.299-‐315,   August.  



http://www.global-systems-science.org/wp-content/uploads/2012/11/ussher_Bancor_19Dec12.pdf

John  Maynard  Keynes 

In his  1941 proposal  for international  monetary reform  at  Bretton Woods, Keynes  had envisaged at  least  five  international  postwar institutions:  an International  Clearing Union (ICU) and central  bank that  would issue  by fiat  an international  reserve  which he  called Bancor;  a reconstruction and relief  organization;  an international  police  and disaster relief  force;  an international  trade  organization;  and an ICC to manage  international  commodity buffer stocks (see  Moggeridge  1980).  Keynes  elaborated on the  role  of  the  ICC in a  draft  a  year later in 1942 and only published after his  death in 1974 entitled “The  International  Control  of  Raw  Materials” (Keynes  1974). Keynes  proposed an ICC called the  Commod Control, where  ‘commod’ was  the generic  term  for an individual  commodity, with representatives  of  the  governments  of  the  leading producing and consuming nations  though the  management  of  the  buffer stocks  would be  by independent  experts. His  plan consisted of  individual  commodity buffer stock schemes  to stabilize  Bancor prices  of  internationally traded raw  materials  over the  short  run, but  allow gradual  changes  over the  longer run to balance  supply and demand and allow  a  steady rate  of expansion for the  cheaper-cost  producers.  While  his  plan was  never seriously considered outside 

Combining International Monetary Reform with Commodity Buffer ...

(Adobe PDF)

 

-htmlで見る

www.global-systems-science.org/.../ussher_Bancor_19Dec12.p...

and only published after his death in 1974 entitled “The International Control of Raw Materials”. (Keynes 1974). Keynes proposed an ICC called the Commod Control, where 'commod' was the generic term for an individual commodity, with representatives of the governments of the leading producing and consuming nations though the management of the buffer stocks would be by independent experts. His plan consisted of individual commodity buffer stock schemes to stabilize Bancor ...

Combining International Monetary Reform with Commodity Buffer ...

(Adobe PDF)

 

-htmlで見る

www.ineteconomics.org/.../BWpaper_USSHER_04081...

John Maynard Keynes. In the lead up to Bretton Woods, Keynes (1941) had envisaged five international postwar institutions: the International Clearing Union (ICU), a reconstruction and relief organization, an international fund to finance an international police force and disaster relief, an international trade organization, and international commodity buffer stocks. The latter would be managed by an agency he called the International Commod Control (ICC), where 'commod' was the ...

死後発表

平和#6に関連

http://www.econlib.org/library/YPDBooks/Keynes/kynsCP6.html



_____


ゲゼルは自身の立場を暫定的国家主義と定義している

(子供を産んだ全ての母親に土地を給与する政策など国家にしか出来ない)

ケインズのような終生国を背負ったエリートとは立場が違うが…


岩村充は『新しい物価理論』でゲゼルとFTPL(=物価水準の財政理論)の考え方とを繋げている

ケインズの脱金本位制の考え方(ニュー・リベラリズム)と似ているかもしれない


ちなみにケインズの世界通貨案(バンコール)はゲゼルのそれ(IVA)とそっくりだ

暫定的国家主義とは地域主義とともに世界全体を見ているということだろう


暫定的国家主義なる言葉は本来は20世紀のマルクス主義者たちに当てはまる



自称自由主義国家も対外的には帝国主義(=資本の輸出)の立場を取る

ソ連や中国と変わらない

日本のような小国は今後共和国になるべきだろう

(天皇は京都が引き取るしかない)

中央集権官僚国家では知恵が働かない

現代では目標が複数あるからだ

その点過去のマルクスとアナーキスト達との論争が参考になる

柄谷行人のように双方から学ぶべきだろう








シェークスピア、ワーズワースに加え、

平和…最後でケインズはシェリーのプロメテウスを引用している


 本書執筆時点の1919年秋、私たちは幸運の死に絶えた季節にいる。過去五年の苦闘、恐怖、苦しみの反動がいま絶頂に達している。自分自身の物質的な福祉に関する目先の問題以上のものを感じたり気に掛けたりする力は、一時的に消えている。自分自身の直接体験や最悪の予測以外のことは、どんな大事件だろうと人々を動かせない。


各人の心には恐怖が生きる

それは荒廃を貪る極度の恐れ

それが真実と思うだけで軽蔑するものすべて

偽善と習慣がその心を作り

多くが信仰した神殿もいまやすり切れた。

人の資産にとって善をもたらすことは決してなく

しかももたらさないということを知らずにいる。

善は力を求めるが無為の涙を流すのみ。

強き者は善良さを求め、それよりひどいところは善良性が必須。

賢者は愛を求め、愛する者は知恵を求める。

こうして最高のものはすべて混乱し悪化している。

多くの者は強く豊かで公正となるはずが

苦しむ仲間たちに交じって暮らすと

だれも何も感じないかのようだ。自分が何をしているかさえわからない。


 私たちはもはや忍耐の限界を超えて動かされ、休息が必要だ。現存する人類の生涯の中で、いまほど魂の普遍的な要素が輝きを失った時期はない。

 こうした理由から新世代の真の声はまだ口を開いて織らず、沈黙の反対もまだ形成されていない。未来の総意の形成に、私は本書を捧げる。


   おしまい






参考:

ケインズは一次産品の価格安定のために緩衝在庫案を出した。

柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。

バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。

(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)

協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。



ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)  平井俊顕ブログ 

https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html


 競争システムは、大きな需要と小さな需要の時期を平均化させることができる緩衝在庫の

存在を、それが負の収益を引き起こすがゆえに――自然が真空を嫌うのと同じように強く―

―反射的に嫌う(「原材料の国際統制」一九四二年四月。JMK. 27, p. 131)。


似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")からアイデアを得たようだ。


ゲゼルとケインズは長期的かつ世界的視野を持った数少ない経済学者だ。

フィッシャーが国際連盟を発案したという説があるが詳細不明。





常平倉(じょうへいそう)とは - コトバンク

kotobank.jp/word/常平倉-79807

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 常平倉の用語解説 - (1) 中国において物価 調節のために設けられた穀倉。常平の名は漢の五鳳4 (前 54) 年初出するが軍糧の 貯蔵にすぎず,豊凶互いに融通する意味の常平倉は,晋の泰始4 (268) 年が初めで ある。

常平倉とは - 歴史民俗用語 Weblio辞書

www.weblio.jp/content/常平倉

常平倉とは?歴史民俗用語。 759年,公廨稲(くがいとう)の一部を割いて別置して諸国 に設けられた倉庫。左右平準署が管轄。米を廉価時に買い入れ,高価時に売り出し, その利を調庸運脚夫の救済にあて,同時に京中の米価調節を図ろうとしたも...

常平倉(じょうへいそう)の意味 - goo国語辞書

dictionary.goo.ne.jp>...>辞書>国語辞書>日本史>平安時代まで

じょうへいそう【常平倉】とは。意味や解説、類語。奈良時代、穀物の価格の変動を防 ぐために、穀類を貯蔵した官営の倉。豊年で安価のときに買い入れ、凶年で高価のとき に放出して価格の調節を図った。江戸時代にも水戸・会津・土佐・薩摩 (さつま) などの諸 藩 ...

日本史には、義倉、社倉、などが出てきますが、これらの差異が分かり ...

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp>...>歴史>日本史

日本史には、義倉、社倉、などが出てきますが、これらの差異が分かりません。 義倉と 社倉は、当知恵袋にもあって、納得したのですが、常平倉や籾蔵などが出てくると、もう 混乱してしまいます。これらの4つの倉庫の意味(差異)、創...

義倉 - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/義

義倉(ぎそう)とは、災害や飢饉に備えて米などの穀物を一般より徴収し、または富者 から寄付を得て、これを貯蓄するために国内の要地に設けた倉庫。 ... 寧倉 - 江戸時代 後期に姫路藩家老の河合道臣が藩内に整備した。 穀倉院 · 常平倉 · 一般財団法人 義倉.

水戸藩の「常平倉」について書かれている資料はありますか ...

crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id...

常平倉」とは米価調節や貧民救済のための米備蓄の制度。水戸藩では徳川斉昭が 設立しています。その簡単な年表を以下にあげます。 ・天保元年12月17日 斉昭,常平 の企画を諮問する・天保2年3月19日 斉昭,常平倉の創設より凶行対策を急務と すべし ...

常平倉- MBA智库百科

wiki.mbalib.com/zh-tw/常平

常平倉是指當市場糧價低賤時,政府就提價向農民收購糧食,用以儲備;當市場糧價 上漲時,政府就減價出售自己儲備的糧食以平抑糧價,發生災害時,也可用儲備的 糧食救災。常平倉不僅是一項國家儲備的措施,更是一個保護農民利益的政策,其 實質是 ...



https://kotobank.jp/word/%E5%B8%B8%E5%B9%B3%E5%80%89-79807

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

常平倉
じょうへいそう


(1) 中国において物価調節のために設けられた穀倉。常平の名は漢の五鳳4 (前 54) 年初出するが軍糧の貯蔵にすぎず,豊凶互いに融通する意味の常平倉は,晋の泰始4 (268) 年が初めである。隋,唐時代にも行われ,宋代では,淳化3 (992) 年京畿が豊作で米価が下落したとき,京城の四門で市価より高く買上げて凶年にそなえることにし,この倉を常平倉といい,のち各地に設けられた。明・清時代には,社倉義倉が発達したので,常平倉はふるわなかった。 (2) 日本でも天平宝字3 (759) 年5月穀価安定のため藤原仲麻呂の建議によって設置された。この制度も奈良時代末期にはくずれ,平安時代に再興が試みられたが,実効はなかった。 (→義倉 )

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百科事典マイペディアの解説

常平倉【じょうへいそう】


中国・朝鮮で物価を調節するために設けられた官営の倉庫。取り扱うのはおもに穀物で,安値のときに買い高値のときに売る。商人はこれによって利益を得,政府は物価の調節を図った。

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世界大百科事典 第2版の解説

じょうへいそう【常平倉 cháng píng cāng】

物価の調節や農民救済のために設けられた官倉。政府資本で穀価の安いときに買い入れて常平倉に貯蔵し,高いときに市価より安く放出して穀価の安定をはかり,あわせて差額を国庫収入とした。
[中国]
 常平倉の名は前漢宣帝のとき(前54年)にみえるが,これは軍糧の貯蔵にすぎない。物価安定策としては西晋(265‐316)に始まり,南北朝・隋・唐を通して置かれているが消長がある。唐代,806年(元和1),常平倉は改組されて常平と義倉,すなわち需給調整と農民の賑済の両機能を果たした。

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大辞林 第三版の解説

じょうへいそう【常平倉】


759年、公廨稲くがいとうの一部を割いて別置して諸国に設けられた倉庫。左右平準署が管轄。米を廉価時に買い入れ、高価時に売り出し、その利を調庸運脚夫の救済にあて、同時に京中の米価調節を図ろうとしたもの。771年廃止。同種のものが、平安時代に常平所として設置され、また江戸時代にも、水戸・会津・鹿児島の諸藩に置かれた。 →  義倉 ・  社倉

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

常平倉
じょうへいそう

奈良・平安時代および江戸時代に、主として米の価格を調節するために設けられた備荒貯穀の倉庫。元来は古代中国で発達したもので、豊年で米価が安いときには買い入れて貯蓄し、凶年で米価が高いときにはこれを放出して、人民の生活を安定させるという常平法によって設けられたもの。[平田耿二]

日本目次を見る

わが国では藤原仲麻呂(なかまろ)政権下の759年(天平宝字3)、諸国の公廨(くがい)(官稲)を割いて設置し、そこから得られる利によって、京で病や飢えに苦しむ運脚(うんきゃく)(調庸(ちょうよう)を都に運ぶ役夫)の食糧を補給した。同時に全国の米価を比較するために中央に平準署(へいじゅんしょ)が設けられたが、早くも771年(宝亀2)に廃止され、常平倉も同じく停廃されたと考えられる。しかし平安時代になると、京の米価調節のために常平所(じょうへいじょ)として、この制度はしばしば再興されたが、実効はあまりなかったようである。のち江戸時代にも、社倉(しゃそう)・義倉(ぎそう)とともに三倉の一つとして、土佐、会津、薩摩(さつま)、水戸、松江の諸藩で行われたが、逆に農民負担の過重により一揆(いっき)の原因ともなった。[平田耿二]

中国目次を見る

中国で物価調節や農民救済の目的で設けられた官倉。穀物の価格は豊凶によって変動が大きく、農民を苦しめたので、政府資本で穀価の安いときに買い入れて常平倉に貯蔵し、高いときに市価より安く放出し、かつ、その間の差額利潤を図った。常平倉の名は、前漢宣帝の時代にみえるが、物価安定策としては晋(しん)の268年に始まる。以後消長はあるが、南北朝、隋(ずい)、唐と設置された。宋(そう)の1006年、辺境を除く各州県に置かれた。王安石の青苗(せいびょう)法は、常平倉に蓄えられている銭穀を貸付資本に活用したものである。新法廃止後は旧制に戻り、元(げん)、明(みん)にも設置されてはいたが、あまり活用されず、農民救済は義倉、社倉などによった。清(しん)では順治(じゅんち)年間(1644~61)各州県に置かれたが、不正流用が多く、本来の機能は失われた。朝鮮でも高麗(こうらい)の993年に同様の目的で設置されたが、以後、廃置は定まらなかった。[柳田節子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の常平倉の言及

【囲米】より


…このほか米価対策として行われた囲米として,(1)幕領年貢収納量がピークに達した宝暦年間(1751‐64)に,諸大名にたいし1万石につき籾1000俵の囲置きを命じた例,(2)寛政(1789‐1801)初年に幕領農村に郷倉を設置したり,江戸・大坂に籾蔵を建てるなどして,農民・町人に貯籾を命じ,凶作時の夫食(ぶじき)・救米の備えとした例,(3)低米価に悩んだ文化年間(1804‐18)に,大坂の豪商に囲米を命じ米価引上げを図った例などがある。また備荒貯穀として独自な囲米制度を採用している藩も多く,水戸藩の常平倉,会津藩の社倉,米沢藩の義倉などは著名である。【大口 勇次郎】。…

【飢饉】より

…そのために平常からの備荒貯蓄が必要であった。各国にあって備荒のみを目的とする貯穀としては,大宝令によって,戸の貧富に応じてアワなどの穀物を規定量徴収するように定められた義倉や,759年(天平宝字3)諸国の運脚(調・庸を都まで徒歩で運ぶ人夫)の飢えをいやすために諸国に設置された常平倉(じようへいそう)の制などがあったが,その機能する範囲は小さく,むしろ各国の財源たる正税の方が一般的に機能した。正税を蓄える正倉には,平常の公出挙などに用いる動倉と非常用の不動倉があり,後者は国郡司が被害実態を申告して,太政官の命によって開く定めであった。…

【平準署】より

…奈良時代に諸国の常平倉(じようへいそう)を管理するために中央に置かれた物価を調節する役所。常平倉は豊年や秋期の米価の安い時期に購入して蓄え,米価が高騰すると市価より安く放出して米価を安定させ,得られた利潤で京より帰る運脚夫の飢えを救うために設けられた。…

※「常平倉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

常平倉の関連キーワード |奈良時代(年表) |宋の時代(年表) |囲米・囲籾 |草茅危言 |備荒貯蓄 |青苗法 |さつま |静岡藩 |平準署 |常平所 |還穀 |帥司 |李悝 |三倉 |荒政 |薩摩

佐藤優は宇野弘蔵のマルクス解釈はキリスト教的、

廣松渉の解釈は仏教的として前者に可能性を見ている

一方熊野純彦は後者の不純物を含む解釈に可能性を見ている


ただし宇野弘蔵は不純物を経済政策論、段階論に回したので不純物を自覚的に扱っているのは

宇野弘蔵の方だ

廣松渉はドイツイデオロギーから幽霊論を省いてしまった


再生産表式から実物経済を捨象することで有効需要の原理を発見したカレツキの例もある

宇野弘蔵の経済政策論は柄谷行人に受け継がれて帝国主義と自由主義の交互循環分析に

展望を与えた



追記:
カレツキは戦後すぐ国連で統計を取る仕事をしたが無記名の発表なのでどこまで関わったかはわからない(都留重人群像参考)。 サーカーに似た同心円条の段階的経済認識も興味深い。ヴィクセル的不安への対抗策だ。

1 Comments:

Blogger yoji said...

国際的な常平倉「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)

形式: 単行本|Amazonで購入
「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)#27,133~223頁

1942年、ケインズは一次産品の価格安定のために緩衝在庫案を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉常・常平倉)の国際版ようなものだ(特に常平倉。参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』平井論考より)

参考:
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年) 平井俊顕 (Toshiaki Hirai)ブログ

 競争システムは、大きな需要と小さな需要の時期を平均化させることができる緩衝在庫の存在を、それが負の収益を引き起こすがゆえに――自然が真空を嫌うのと同じように強く――反射的に嫌う(「原材料の国際統制」一九四二年四月。JMK. 27, p. 131,152頁)。

 一九二〇年代の初頭以来、ケインズは一貫して「自由放任哲学」ならびにそれに依拠する「自由放任経済学」を批判していた。市場メカニズムに任せておいても、最適な資源配分が達成されることはない。それは現実を無視した想定に立つものであり、実際の市場社会を安定化させるには政府による介入・調整が必要、と考えるからだ。
 右の引用文は、ケインズによる国際緩衝在庫案からのものである。競争的市場システムは緩衝在庫を嫌うため一次産品の価格は激しい変動にさらされる。ケインズの提案は、「コモド・コントロール」(Commod Control)と名づけられた国際機関による一次産品の売買活動を通じて、短期的な価格の安定化と、一定の生産の拡張を許容する長期的な価格政策の結合を目指すものであった。同案はその後、妥協を重ね、「生産制限」を大幅に取り入れたものに変更されていったにもかかわらず、イギリス内部でも合意を得るには至らず、結局のところ廃案となった。

本文(7th草案)133頁,解説591頁に常平倉なる言葉(訳語)がある。
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")からアイデアを得たようだ。

3:38 午前  

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