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第三章 「譬喩品(ひゆぼん) 」 (第三 )
「三車火宅(さんしゃかたく)の譬え 」
…続けて釈尊は言います 。
「その時 、舎利弗よ 、その資産家は 、腕力が強いのに 、腕力を差し置いて 、巧みなる方便によってそれらの子どもたちを 、その燃え上がった家から脱出させ 、脱出させて後に 、それらの子どもたちに立派な大いなる乗り物を与えた 。まさにそのように 、舎利弗よ 、正しく完全に覚った尊敬されるべき如来もまた 、如来の智慧の力と 、四つの畏れなきことを具えているのに 、如来の智慧の力と四つの畏れなきことを差し置いて 、巧みなる方便という智慧によって 、屋根と覆いが燃え上がっている老朽化した邸宅のようなこの三界 ( * 3 8 )から衆生を脱出させるために 、三つの乗り物 、すなわち声聞のための乗り物 (声聞乗 ) 、独覚果に到る乗り物 (独覚乗 ) 、菩薩のための乗り物 (菩薩乗 )を示されるのである 」
資産家は自分で子どもたちを抱えて連れ出そうと思えばできた 。でもそれをやらなかった 。ここに仏教の特質が出ていると思います 。相手が納得していないのに強引に外に連れて行くのではなく 、子どもたちが自分で自覚し 、自分たちの意志でそこを抜け出してくることを尊重しているのです 。つまりここで釈尊は 、超能力や神がかり的な救済を説いたのではなく 、方便など言葉を駆使して 、子どもたちの自覚的行動を促したのです 。
* 3 8三界仏教の世界観で 、悟って成仏することのできないすべての衆生が 、生死流転する三つの迷いの世界 。欲界 (欲望にとらわれた境涯 ) 、色界 (欲界は超克しても 、なお物質的制約を受けている境涯 ) 、無色界 (欲望も物質的制約も超克した純粋精神の境涯 ) 。
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