金曜日, 3月 23, 2018

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まる か?』



ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』
他の記事でも怒涛のメモ更新。自分でもこんなに読んでメモとっていたのかとびっくり。
努力を量で実感できるなあ。このブログのメモは大抵の他のブログのメモよりも量が多いよ。
この記事にある良い面接法って本当に死活問題だろ会社にとって。
既存の面接判定では良い人材は確保しにくい!正しい面接で人材選ぶ法!
著者カーネマンはイスラエル国防軍心理学部門勤務歴ありでノーベル賞受賞(北欧系利権)者なので有効なのは支配層のお墨付きだ。カーネマンが作ったイスラエル軍の面接法こそが心理学的に最高の面接法。

ぐだトマト @pteras14 9月5日 
あの、「面接」って制度が採用の質に "全く貢献していない"どころか、 むしろ"誤った採用を助長する"って 事がスタンフォードのフェファー教授 の研究で明らかになってるからね。
出来れば週一か夜間の声優学校にも 通ってみたいんだよな。
若干高めだけど。 
顔は整形しないと直せないけど、 声はまだ努力の余地が残されてる 部分だからね!

これね、けっこう〜声で落とされてる 学生って多いんだよね〜、意外と。 
「声に覇気がない」とか、 
「蚊が鳴いた様な声だ」とか、 
「アイツは打てば響く様な元気な 声で話す」とか。

例えばこれは実経験なんだけど ボクシングや合気道って声出さない のよ。総合に至っては声出すとルール 違反で反則になる。 
カラテをやった事がないんで分からない んだけど、
あの就活生だった頃の 落としやがったクソ役員が言うには カラテは声出すらしいんだ。

で、趣味でジムとか道場に通ってる とか言ったら、当然乗ってくるわけだ。 
で、声を上げるのかどうかという 話題になって
「相手に気付かれると 動きを読まれるんで声を出さない のが鉄則なんですよ」と答えたら 落とされたw 
後日、同席してたもう一人の面接官に 聞いた話だからガチだよ。

(ほら、能力ではなく気に入らんから落としただけ)

ーー

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』

上巻
・システム1
自動運転であり、速度がとても早い。ファスト。努力不要か必要でもわずか。
自動的な反応。起動に意識の介在は必要ないし、逆に止めることもできない。自分でコントロールしている感覚は一切ない。でしゃばり。
システム2に余計な先入観を与える。
あまり疑り深くない。二通りの解釈が可能でもそんなことはあっさり無視してできるだけつじつまのあう筋書きをすらすらと作ってしまう。すぐ嘘とわかる情報でないかぎり真実だとみなしてしまう。疑うより信じたい。
現実以上に筋の通った現実像を作り上げる。

・システム2
スロー。意識的。速度は遅い。代理、選択、集中などの主観的経験と関連づけられることが多い。自分こそが行動主体だと考えている。
余裕がない時は特に怠け者。面倒くさがり。最小努力。
ちゃんと考えたようにみえるが、単にシステム1の印象に合理性の飾り付けをしたものを生み出すことがあり。
相容れない可能性を同時に留保して比べられるので疑う能力を備えている。だが徹頭徹尾疑い続けるのは、もっともらしいことをすぐに信じるよりはるかに難事業。ゆえに疑うより信じたい、というバイアスがかかる。

(判断や疑いは検証まで伴うと大変だからなあ。このブログの記事作製の労力は上からネタ貰って書いているやつよりかかっているだろうね)

・連想マシン。
私たちを誘導するプライム(prime。先行刺激)。
バナナ げろ の二語を見たとする。
システム1この単なる二つの言葉の組み合わせを現実を表すものと扱う。あなたの体は実際の嘔吐に対する反応をいくらか弱めた形で体験した。
感情的反応や身体的反射もこの出来事に対する貴方の解釈の一部。
認知科学者が近年強調するように、認知は身体化されている。あなたは体で考えるのであって、脳だけで考えるわけではない。
こうした現象を引き起こすメカニズムはずっと昔から知られており、観念連合と呼ばれていた。私たちは経験から、意識の中では考えが次から次へと順序立てて推移するものだと理解している。

ヒュームは連合(連想)の原則三つを
①類似
②時間と場所の近接性
③因果律
とした。
心理学者は観念を広大なネットワークに浮かぶノード(節点)ととらえている。
このネットワークは連想記憶と呼ばれ、その中に納められた観念はほかの多くの観念とリンクしている。リンクには様々なタイプがある。
原因と結果 ウイルスと風邪、
ものと属性 ライムとグリーン、
ものとカテゴリー バナナと果物
など。
ヒュームのころから進歩した点の一つは、意識的観念が一つずつ順番に扱われるとは考えなくなったことである。
現在の見方では大半を同時に扱うと考えられている。
すなわち活性化された一つの観念は別の観念を一つだけ呼び覚ますのではなく、多くの観念を活性化し、それらがまた別の観念を活性化する。
しかも、意識に記録されるのは、そのうちのごくわずかでしかない。連想思想の大半はひそやかに進行し、意識的自己からは隠されている。
思考の全てにアクセスできるわけではないという認識は、自分の経験と相いれないためなかなか受け入れがたい。だがこれが真実。あなたは自分で思っているよりずっと少ししか、自分について知らない。
(単語を覚えるときは関連単語とセットで覚えるとよい理由。マインドマップやメモリーツリーというノート術。生命の木記憶術も同様の原理)

・プライミング効果のふしぎ

大学生に五つの単語セットから四単語の短文を作るように指示。一語は不要な単語。
一つのグループには文章の半分に高齢者を連想させる単語を混ぜた。
この文章作成問題を終えると学生グループはほかの実験に臨むため、廊下の突き当りにある別の教室に移動。この移動こそが実験の眼目でこっそり移動速度を計測。
すると高齢者関連の単語(フロリダ、忘れっぽい、はげ、ごましお、しわなど)をたくさん扱ったグループは他のグループより明らかに歩く速度が遅かった。
高齢といった言葉が一度も出てこないにもかかわらず老人という観念のプライムとなった。
老人という観念が高齢者から連想される行動や歩く速度のプライムとなった。
これらはまったく意識せずに起きた。
実験後の調査で、出された単語に共通性があることに気づいた学生は一人もいないと判明。彼らは最初のタスクで接した単語から影響を受けたはずはないと主張。
老人という観念は彼らの意識に上らなかったが行動は変化。
無意識的に受けた観念で行動が変わるプライミング現象はイデオモーター効果として知られる。
この文章もプライムだ。貴方の行動はゆっくりになっているだろう。
あなたが老人嫌いなら調査によれば逆に動作が通常より早くなるはず。
このイデオモーター効果は逆にも働く。
通常の歩く速度の約三分の一で歩かされた人は忘れっぽい、年老いた、孤独などの高齢者関連の単語を通常より素早く認識するようになった。
楽しいと笑顔になり、笑顔になると楽しくなる。

A 鉛筆を横向きにくわえると笑顔に近くなり、
B 鉛筆を縦向きにくわえるとしかめ面に近くなる。

A状態で漫画を読むとB状態よりも漫画を面白く感じるという実験結果有り。

首を縦に動かしながら、つまり頷きながら論説を聞くと賛成した気持ちになる。 
左右だと否定的。
やさしく親切に行動することで、あなたは実際にやさしく親切な気持ちになる。これはとても好ましいご褒美である。
(プライミングは本当に恐ろしいな。
気づきと意識は洗脳に対抗できるが限界があるので支配層は圧倒的物量作戦を仕掛ける。
プライミングも善用するしかない)

・少数の法則 統計に対する直感を疑え。
わたしたちの脳と統計学はなじみが悪い。
因果関係が存在しなくても原因と結果を仕立て上げるのが得意である。
システム1は単なる統計的な事実に対して無能。
この単なる統計的事実とは結果の発生確率を変えはするがそれを起こすのではない事実。
ある群の人口が少ないとしてもガンになりにくいとかなりやすいということはない。単にがんの出現率が人口の多い群よりはるかに高くなるだけだ。
が我々はなんとか合理的な原因の説明をしようとしてしまう。
極端なケース(極めて高いおよび低い確率)は大きい標本より小さい標本に多く見られるという統計的事実であるだけで原因を示すものではない。
翌年も同様の調査をしたら、恐らくは小さな標本の時に極端なケースが起きるという一般的パターンが再び観察されるだろう。
群の人口密度によるがん出現率の違いは実際に存在しないのであって、違いがあるように見えるのは、専門家がアーティファクトと呼ぶものに当る。
アーティファクトは不適切な調査方法や統計処理の結果として現れ、この例でいえば原因は標本サイズの差である。
読者は驚くかもしれないが、これは真実でもなんでもなく、大きい標本が小さい標本より信頼に値することは読者もずっと前からすでに知っていたはず。
①標本サイズが大きければ小さい場合より正確である
②標本サイズが小さいと大きい場合より極端なケースが発生しやすくなる
①と②は完全に同じことを意味している。

①が明らかに正しいと判っても、②を直感的に理解できるようになるまであなたは①を本当に理解したとはいえない。
高度な知識を持つ研究者でさえ直感的理解に欠けておりサンプリングの影響についての理解があやふやであることが判明した。

・実験心理学者にとって標本変動(標本抽出のやり方次第で結果に大きな変動が出ること)は単なる興味の対象どころではなく、非常に迷惑な阻害要因で大きな代償を伴う。これのせいであらゆる研究プロジェクトがギャンブルになりかねない。

少なすぎる標本数で済まそうとする研究者は偶然に身をゆだねることがある。標本サイズを十分に大きくすることがこのリスクを減らす唯一の方法である。
だが心理学者は標本サイズの決定に計算を行っていない。
自分の判断に従い決定するのだがこれは大体において間違っている。
心理学者が選ぶ標本は一般に小さすぎるため、真の仮説の実証に失敗するリスクは五十パーセントに達するという論文がある。この論文の指摘は著者自身の研究で発生したトラブルをまさに言い当てていた。大半の心理学研究者と同じように私はたびたび小さすぎる標本サイズで調査を行っていた。そして有意な結果を得られずに終わることがよくあった。統計学を教える著者はリスクを許容可能な水準に抑えるために標本サイズをどう決めるべきかの計算方法も知っているのにこのような失敗をしでかすとは痛恨の極み。実際に著者は標本サイズを決めるのに計算したことがない。
慣例を信頼し実験計画を立てるときの自分の直感を過信していた。

全員が高度な知識を持つ研究者であり中には統計学の教科書の著者も二名含まれている人々を対象とする調査を行ったところ、
専門家といえども標本サイズに無頓着だとはっきりした。
統計では印象を信じず計算することだ。

私たちは原因追及思考が大好きなので実際に全くでたらめに起きたことのランダム性を評価するときに重大なミスを犯しやすい。
男の子と女の子が生まれる順序は明らかにランダム。それぞれ事象は互いに独立して起こる。しかし、
①女女女女
②男男男男
③男女男女
をみてどの順序も起こる確率は等しいかと問われれば、直感的にはノー。
だが実際は独立事象なので生まれる確率はほぼ等しい。

・マイクの音声「だ、だれか、たす、たすけて げほげほ、死に、そう、だほっさ」(その後沈黙した)を聞いてその死にかかった演技をしたサクラのブースに行く人は何人かの調査について。
十五人の参加者のうちすぐさま行動を起こして助けを呼んだのはたった四人、つまり全体の二十七パーセント。
助けを求める声を聞いた人がほかにもいると判っている場合には人は自分の責任を感じないことを示している。

(誰か~よりも具体的に個人を特定して助けを求めよう。特定できなくても
「そこの~な帽子かぶっている人!」とかね。「誰かが助けるんじゃなくてあなたが助けるんだ、私を助けて!」)とか)

読者はこの結果にきっと驚いただろう。私たちの大半は自分がそこそこ親切だと自認しているしああいう状況ならすぐさま助けに駆けつけるだろうと自負しているがこの実験通りその期待は誤り。
他人がやってくれそうならやらないのだ。たぶんあなたも。
他の人の存在が自分の責任感を弱めてしまい実際このようなことが起きたら私も動こうとしないだろう、ということを学んでもらいたい。
責任が分散されると親切な人も驚くほど不親切になりうる。

この実験参加者に対するインタビューというふれこみで二名の動画をとり学生たちに見せた。
ごく穏当な短いインタビューで二人とも感じがよくまともで親切そうに見える。
このビデオを見終えた学生たちに二人がすぐさま助けに行った確率を推定するよう指示。
確立を推定する学生は二つのグループに分けた。
第一グループには人助け実験の概要だけを話し、結果は話さなかった。
予想通り二人ともすぐ助けに行ったと全員が答えた。
第二グループには人助け実験の概要と結果、救助に向かった率二十七パーセント。
二グループの推定を比較すれば、学生は人助け実験から考え方を変えるような何かを学べたかという重大な質問の答えが得られる。
両者とも何も学ばなかった。
実験結果を知らされたグループも
「ビデオで見た感じの良い人たちはすぐさま助けに行ったに違いない」という考えを頑として変えなかった。

心理学を教える身にとっては実に意気消沈させられる。
実は、わずかに社会的圧力を被験者にかけ、通常では想像もできないような苦痛に満ちた電気ショックを他人に与えさせる、有名な実験において伝えた場合も同様だった。
少なくとも学生は「自分自身および友人知人はそういうことはしない」と結論した。
だが絶望してはならない。
人助け実験から教訓を学ばせる方法もある。
今度は新たな学生グループを準備し人助け実験の概要だけを説明して結果は知らせずに例のビデオを見せた。そのあとにビデオに出てきた二人の人物はどちらも助けに行かなかったと伝え、そのうえで実験結果を推定するように指示した。
結果は劇的で学生たちはきわめて正確に確率を推定した。
驚くべき統計事実を示しても何も学ばない。
驚くべき事例、あんなに感じの良い二人が助けに行かなかった、には反応しただちにそれを一般化した。
「被験者は全体から個を推論することには不熱心だが、まさにそれと釣り合うように、個から全体を推論することには熱心である」
心理学を学んだかどうかのテストは、知識が増えたことではなく、遭遇する状況の味方や認識の仕方が変わったかどうか。
統計を考えるときと個別の事例を考えるときとで向き合い方が大きく異なる。
統計的結果は長年の信念や個人的経験に根差した信念を変えるには至らない。
一方驚くべき事例は強烈なインパクトを与え心理学を教えるうえで有効な手段となりうる。なぜなら信念との不一致は必ず解決され一つのストーリーとして根付くからだ。
読者に個人的に呼びかける質問が本書に多く含まれているのはこのためである。
人間一般に関する驚くべき事実を知るよりも、自分自身の行動の中に驚きを発見することによってあなたは学ぶことができるだろう。

「ただの統計データを見て、彼らが本当に意見を変えるとは思えないね。それより一つか二つ、代表的な事例を示して、システム1に働きかけるほうがいい」

「この統計データが無視されるなんて心配は無用だ。それどころか、この情報に基づいてすぐさまステレオタイプが形成されるだろう」

(本書の章の最後にこのような要約的会話文がある。会話文なのが重要。応用しやすいし印象に残る。

世界観を変えるほどの衝撃を与え、行動を変えさせたいなら、論理と数字、特に統計的数字よりも具体例で感情と直感に訴えろ!
これって支配層が古代から採用している手法そのまんま。
感情に訴えられて動く人と動かない人の割合を考えるとそりゃ感情に訴えるわな。
本当に助けが必要な人の救助に貢献するか怪しい募金とかも)

・平均への回帰 褒めても叱っても結果は同じ

著者が仕事をしていて心から満足した経験の一つは、イスラエル空軍の訓練教官に、訓練効果を高めるための心理学を指導していたときのもの。
教官にスキル強化訓練の重要な原則として、失敗を叱るより能力向上を褒めるほうが効果的だと力説。
この原則は鳩、ネズミ、人その他多くの動物実験で確かめられている。
ベテラン教官の一人が自説を開陳。飛行訓練性が曲芸飛行をうまくこなしたときは大いにほめるが、次に同じ曲芸飛行をさせると大抵は上手くできない。一方、まずい操縦をした訓練生はマイクを通じてどなりつけてやる。
するとだいたいは次は上手くできるものだ。だから褒めるのはよくて叱るのはダメだとどうか言わないでほしい。
この共感の観察は鋭く事実に即しているが、褒めるとへたくそになり叱るとうまくなるという推論は間違い。
教官が観察したのは、平均への回帰 regression to the mean
として知られる現象でこの場合には訓練生のできがランダムに変動しただけ。
教官はランダム事象につきものの変動に因果関係をあてはめただけ。
教官が何もしなくても次は多かれ少なかれ、前がまずければましに、前が上手ければまずくなる可能性が高い。
このベテラン教官の指摘に答えるにあたって確率予測の授業ではなく、床にチョークで印をつけて標的とし教官全員に的当てをやってもらった。
一人ずつ標的に背を向けて立ち、結果を見ずにコインを二回投げる。
そして標的からの距離を測定し、各人の結果を表にして黒板に書きだした。
その後に一投目の成績が良かった順に並べ替えると、一投目の成績が良かった人の大半が、全員ではないが、二投目には悪くなった。
一投目が悪い人の大半は二投目はよくなっていた。
曲芸飛行と同様、不出来だった後はよくなるし、上出来だった後はまずくなるのであってこれは褒め言葉や叱責とは関係がない。

(著者はイスラエル国防軍心理学部門勤務歴あり。軍隊は心理学の最新情報が欲しいからねえ。
この本がやたら売れた理由の一つでもある。
ベテラン教官への返答が具体的体験をさせることなのが上手い。理屈より実体験のほうが説得力がある、と痛感しているのでしょう)

・相関と回帰は別々の概念ではない。相関と回帰は同じ概念を別の角度から見たにすぎない。二つの変数の相関が不完全なときは、必ず平均への回帰が起きる。
非常に頭のいい女性は自分より頭の悪い男性と結婚する。
にいろいろ理由をつけるものだが、この文は
夫と妻の知能指数の間には完全な相関関係は認められない
と数学的には同じことを言っている。
が、後者だと面白くないし理由を考える気にもなるまい。
知能指数が高い女性の知能指数以下の知能指数の男性の方が数が多いから結婚しやすいだけ。
刑事訴訟であれ民事であれ裁判で回帰が問題となったときはそれを陪審員に説明しないといけない側が必ず負けるという。
なぜそれほどわかりにくいかというと、私たちの頭は因果関係を見つけたがる強いバイアスがかかっておりただの統計は上手く扱えないから。

(陰謀追及者が本当に気をつけないといけない)

うつ状態の子供治療にエネルギー飲料を用いると三カ月で症状が劇的に改善した

うつの子供たちとは他の多くの子供たちと比べて極端な集団。よって時間の経過とともに平均回帰する。継続的な検査値に完全な相関が成立しないのであれば必ず平均回帰が起きる。うつの子は何もしなくてもある程度はよくなる。
エネルギー飲料またはほかのことが効果があったと結論付けるためには、何の治療も受けない「コントロール・グループ」という集団をもうけないといけない。
プラセボとよばれる偽薬の治療を受ける集団をもうければなおよい。コントロール・グループは平均回帰によってのみ症状改善すると考えられるので、治療がそれ以上に効果があるかどうか確かめることができる。たくさんの著名な研究者が単なる相関関係を因果関係と取り違えている。
「彼の二次面接が一次面接ほど好印象でなかったのは、失敗しないように緊張していたせいかもしれない。だがそれよりも一次面接ができすぎだった可能性のほうが高い」

「当社の採用方式はなかなかよくできているが、完璧ではない。よって回帰が起きるものと考えておく必要がある。非常に優秀な応募者が頻繁に期待を裏切っても驚いてはいけない」

・自分の直感的判断、予測と真実とは完全には相関しない

・面接で見事な話術で全員を魅了したが過去に十分な実績がないキム

優れた研究実績を持つが面接での印象はキムに劣るジェーン

見たものがすべて効果 が働くなど直感的に選ぶならキムを選ぶだろう。
ジェーンよりキムのほうが情報の標本が少ない。小さい標本ほど極端な結果が出る可能性が高い。
小さい標本の結果では運が大きく作用する。
よってキムの将来の業績を予測するにあたり大幅に平均に回帰させなければならない。キムのほうがジェーンより回帰の幅が大きいという事実を認めるなら、印象が劣ってもジェーンを選ぶべきだろうが
キムのほうが良いという印象をさえつけるのに苦労するだろう。

・後講釈する脳は意味付けをしたがる器官。人間の脳の一般的な限界として、過去における自分の理解の状態や過去に持っていた自分の意見を正確に再構築できないことが挙げられる。
新たな世界観をたとえ部分的にせよ採用した途端、
直前まで自分がどう考えていたのかもはや殆ど思い出せなくなってしまう。

決定はよかったが実行はまずかった場合でも意思決定者を攻撃しがち。結果が悪いと前兆はあったのになぜ気づかなかったと非難する。だがその前兆なるものは事後になって初めて見える代物であることを忘れている。

(ミステリ読んで、ああ確かに私も犯人だと思っていたんだよと白々しく言う奴。それ防ぐための読者への挑戦コーナー。自分はこいつが犯人だと選択したと意識させないと怪しいと持ってたんです~って言われちゃうからね)

・3つの変数(夏の生長期の平均気温、収穫期の降雨量、前年の冬の降雨量)
しか含まないワイン価格式が正確な予測を達成、相関係数0.90以上。
人間の判断、専門家への挑戦。
不確実性が高く予測が難しい分野では専門家はアルゴリズムを下回る。
試飲してしまったあとでは計算式のように首尾一貫して天候を考慮することはできない。

メディカルスクールの入学試験では教授陣が受験生と面接した後に合議により最終合格者を決める方式が多い。
確実に言えるのは、面接を実施して面接官が最終決定を下すやり方は選抜の精度を下げる可能性が高い。
面接官は自分の直感に過剰な自信を持ち、印象を過大に重視してその他の情報を不当に軽視し結果として予測妥当性を押し下げる。

単純で統計的なルールのほうが直感的な「臨床」判断よりも正しい、ということに基づき著者はイスラエル軍全体の面接システムを設計した。
面接で失敗する原因の少なくとも一部は、面接官が自分にもっとも興味のある話題を取り上げて相手の内面生活を知ろうとする点にある。
限られた時間を有効に使って相手の通常環境での生活情報を集めるべき。
面接官の総合評価をもって最終決定とすべきではない。
そのような評価は信頼に値せず、個別に評価された属性を統計的に統合する方が信頼性が高い。
著者は面接官がいくつかの人格特性を評価し、それぞれに個別に点数をつける方式を採用。
面接官からのインプットはこの個別の点数だけで戦闘任務の適性を示す最終スコアは計算式に従ってコンピュータ処理する。
著者は戦闘部隊での行動に関係があると考えた六つの人格特性(責任感、社交性、誇りなど)のリストを作成し、
それぞれについて一連の質問を準備した。召集前の生活における過去の事実をたずねる質問でたとえば就いた職業の数、職場および学校での遅刻や欠席・欠勤、友人と交際する頻度、スポーツに対する興味と参加度合いなどである。その趣旨はそれぞれの分野で過去にどれだけうまくやって来たかをできるだけ客観的に評価することにあった。
第一印象がその後の判断に影響を与えるという、ハロー現象を排除するため、6つの人格特性について決められた順序で質問すること、次の質問に移る前に五段階で採点するように面接官に指示。
これ以上のことをしてはいけない。新兵が軍隊でどれだけうまくやっていけるかなど彼の将来のことを考える必要はない、と著者は面接官に伝えた。面接官の仕事は新兵の過去について必要な事実を聞き出しその情報を項目ごとに採点することであってそれ以上でも以下でもない。
「貴方がたの任務は信頼性の高い採点を行うことだ。将来予測の方は私が行う」
と言ったが、その「私」とは面接官の採点を統合する数式のことだった。
ロボットになってしまうと抗議されたので妥協した。

「面接は指示通りに確実に実行してください。最後にあなた方の希望通りにしましょう。目を閉じて、兵士になった新兵を想像してください。そして五段階でスコアを付けてください」

この新たな面接方式のほうが従来よりはるかに正確に兵士の適性を予測していた。
完璧にはほど遠く、まったく役立たず から いくらか役に立つ へと進歩したというのが適切。
大きな驚きだったのは、「目を閉じて」面接官が仕上げに行う直感的判断も非常に良い成績だったことだ。面接で直感を軽蔑することは正しいが、直感が価値をもたらすこともある。ただしそれは客観的な情報を厳密な方法で収集しルールを守って個別に評価した後に限られる。私は「目を閉じる」評価に六項目評価と同じ重みをもたせた計算式を作成。
直感的判断を無条件に信用してはいけないが無視してもいけない。
著者のノーベル賞受賞後にイスラエルに行ったところ、この面接方式はほとんど変わっていなかった。

応用可能。
努力はあまりいらないが相当の自己規律が必要。
最高の人材を得たいならやるべきことはこうだ。
仕事で必須の適正(技術的な理解力、社交性、信頼性など)をいくつか決める。
欲張ってはいけない。六項目がちょうどよい。
あなたが選ぶ特性はできるだけ独立したものであることが望ましい。
またいくつかの事実確認質問によってその特性を洗い出せるようなものがよい。
次に、各項目について質問リストを作成し採点方式を考える。
五段階でもいいし「その傾向が強い、弱い」といった評価形式でもよい。
この準備にかかる時間はせいぜい三十分だろう。わずかな投資で採用する人材のクオリティは大幅に向上するはずだ。
ハロー効果を防ぐために、面接官には項目ごとに、つまり次の質問に進む前に評価させる。
また質問を飛ばしてはいけない。
応募者の最終評価は各項目の採点を合計して行う。
あなたが最終決定者の場合「目を閉じて」はいけない。
合計点が最も高い応募者を採用すること。
この点は強く心に決めなければならない。
他に気に入った応募者がいてもそちらを選んではいけない。
順位を変えたくなる誘惑に断固抵抗しなければいけない。
膨大な量の研究は今説明した手順に従う方が最高の人材を選べる可能性が遥かに高いことを約束している。
つまり、さしたる準備もなく面接を行い
「私は彼の目を見つめ、そこに表れている強い意志に感動した」といった直感に従って採用を決めるよりもずっとましだということである。

「人間による判断を計算式で代用することが可能な場合には、少なくとも一度はそれを検討してみるべきだ」
「彼は細かいところまでよく見て精緻な判断を下しているつもりらしい、だが、項目別のスコアを単純に足し合わせるほうが多分いい結果が出るだろう」
「応募者の過去の実績についてどのデータに重みを付けるのかを面接前に決めておこう。さもないと、面接で受けた印象を重視する結果になりかねない」


(面接は選抜の精度を下げるって衝撃的。面接禁止ではないが、面接重視はまずい)



下巻
・自信過剰からくる楽観主義を訓練で克服できるか。
著者は楽観的になれない。
自分の判断の不正確さを考慮して数字を見積もる訓練などが行われているがさしたる効果は上がっていない。
過去の実例を学習させたり、対立する仮説も考慮するように指導するなどして自信過剰がいくらか抑えられた報告もある。
だが自信過剰はシステム1の本来的な性質に由来するのであり、いくらか手なずけることはできても完全に支配することはできない。
問題なのは判断の裏付けとなる情報の質や量がどうあれ、自分でこしらえあげたストーリーが首尾一貫していさえすれば主観的な自信が形成されることである。
組織であれば楽観主義を上手く抑えられるかもしれない。
また個人の集団よりは一人の個人のほうが抑えやすいだろう。
一番良いと考えられるの楽観主義対策が、
死亡前死因分析 premortem。
やり方は簡単。
重要な決定の際にはまだそれを正式に公表しないうちにその決定をよく知っている人たちに集まってもらい、
「今が一年後だと想像してください。私たちは先ほど決めた計画を実行しました。すると大失敗に終わりました。どのように失敗したのか、5~10分でその経過を簡単にまとめてください」
と頼む。
死亡前死因分析のメリットは
決定の方向性がはっきりしてくると多くのチームは集団思考に陥りがちになるがそれを克服でき、
事情をよく知っている人の想像力を望ましい方向に開放できることの二点である。
チームがある決定に収束するにつれその方向性への疑念は次第に表明しにくくなりしまいには忠誠心の欠如とみなされるようになる。
とりわけリーダーが無思慮に自分の意向を明らかにした場合がそうだ。
懐疑的な見方が排除されると集団内に自信過剰が生まれその決定の支持者だけが声高に意見を言うようになる。
死亡前死因分析のよいところは懐疑的な見方に正統性を与えることだ。
更に、その決定の支持者にもそれまで見落としていた要因がありうると考えさせる効果がある。
だが万能薬ではない。予想外の不快な事態を完全に防げない。
少なくとも「見たものがすべて」という思い込みと無批判の楽観主義というバイアスのかかった計画からいくらかは損害を減らす役に立つことだろう。

「彼らはコントロールの錯覚に陥っている。不都合な要因をひどく過小評価しているせいだろう」
「彼らは競争の無視をしていたため、今になって窮地に陥っている」
「彼らは自信過剰だね。自分たちが実際に知っている以上のことを知っている気になっているらしい」
「我々は死亡前死因分析をやるべきだと思う。そうすれば見落としていたリスクに誰かが気づくかもしれない」

(本ブログへのコメントで「自分が見たキリスト教の修行者は高潔だったからキリスト教黒幕説は嘘だ云々言ってきた人って典型的な「見たものがすべて」という思い込みと無批判の楽観主義ですな。
現地での目撃者だから一番信用できるとは限らない)


・効用は参照点からの変化に左右される。
経済理論では経済主体は合理的かつ利己的でその選好は変わらないものと定義される。
行動経済学者のリチャード・セイラーは、経済学者が定義する合理的経済人はエコン類(Econs)と呼ぶべき別人類であって、ヒューマンではないと揶揄している。
普通の人間はエコンと違いシステム1を持つ。

・曲線上の各点は所得と休暇日数の組み合わせを表す無差別曲線を、経済学の初歩で教わるだろう。
無差別曲線は同等の効用を持つ二つの材の組み合わせを表す。
このグラフの重大な欠陥は、
 現在の 
所得と
 現在の
休暇日数
という
 あなたの現状を示す参照点
が存在しないことである。

(著者は心理学者だがノーベル経済学賞=北欧ノルウェー・スウェーデン(ボルグ)賞受賞。英仏ロスチャイルド賞じゃないよ。
しかも著者はイスラエル軍人脈で、イスラエル軍の面接の仕組みを作ったのも彼。完全に支配層側だね)


・利益を得るより損失を避けたい。
ある実験によれば怒った顔は大勢のにこにこ顔の中から飛び出して見えるという。
一方、大勢の怒った顔に混じったニコニコ顔は見つけるのが難しい。人間に限らず動物の脳には悪いニュースを優先的に処理するメカニズムが組み込まれているからだ。
捕食者を感知するのにほんのの100分の数秒しか要さないこのメカニズムのお陰で動物は子供を産むまで生き延びることができる。システム1は自動作動する。
一方良いニュースに関してはこのようなメカニズムは存在しない。
人間も動物も異性や餌を獲得するチャンスには敏感に反応するし、広告や看板はそうした性質を利用して制作されている。それでもなお危険は好機よりも優先されるしそうあるべきだ。
脳は単に象徴的な危険に対しても敏感。
感情的な言葉はすぐに注意をひきつける。
危険をはらむ言葉、犯罪、戦争は
幸福感に満ちた言葉、平和、愛
よりも早く注意を喚起。
現実に危険がない時に悪いことを思い出すときもシステム1は危険として扱う。
先述の バナナ げろ で経験した通り何かを表す言葉はその者に対する反応の多くをいくらか弱めた形でよびさます。
生理的反応のほか、動作(逃げる、しり込みする、近づく、身を乗り出す)まで含まれる。危険に対する高い感応性は自分が強く反対する意見が表明されたときにも現れる。
人間は悪い感情、悪い両親、悪い評価を、よい感情、よい両親、よい評価よりもずっとくわしく検討する者である。
よい自己規定を求めるよりも熱心に、悪い自己規定を避けようとする。
悪い印象や悪いステレオタイプはよい印象やよいステレオタイプより容易に形成され、しかもなかなか取り消されない。

心理学者で名高いゴッドマンによれば、
安定した関係を維持するためには楽しい会話と楽しくない会話との比率を少なくとも五対一にしなければならない。

(楽しい内容:楽しくない内容
=約83%:約17%。
導入は楽しい内容、締めも楽しい内容。
楽しくない内容は全体の二割以下に抑えつつ、さらっと言うこと。
カルト布教者みたいなのはダメ。
ひも付きが使う、
九割=餌=事実で釣って、
一割=毒=嘘を食わせる詐術も上記の応用っぽい。
人間心理の法則に沿っているから使われる。
善用すればOK)


・善悪の非対称性は顕著。
長年にわたる主張がたった一度の行動で壊れてしまうことは珍しくない。
よいと悪いの区別が人間には生物学的に組み込まれているようである。生まれたばかりの赤ちゃんが足を踏み入れる世界は既に、痛いは悪い、甘いはある程度まではよいと決まっている。
だが境界は変化する。にもかかわらず多くの状況で参照点になる。

・臓器移植に関する意思表示は多くの国で免許証に記載されている。
この意思表示の仕方はフレームによって大きな違いが出る。
2003年に発表された記事によると、
同意率はオーストリアは100%近い、
隣国のドイツはわずか12%。
スウェーデンは86%なのに
同じ北欧のデンマークは4%。
これほどの違いは出るのは質問形式によるフレーミング効果が原因。
臓器提供の同意率が高い国では、提供したく「ない」人は所定の欄にチェックマークを入れなければならない(オプトアウト方式)。
これをしない場合には提供の意思ありとみなされる。
一方、同意率の低い国では提供したい人が所定の欄にチェックマークを入れなければならない(オプトイン方式)。
市民が臓器提供に同意するかどうかはチェック欄のデフォルト設定がどちらかで予想がつく。
システム1の特徴に由来すると考えられるほかのフレーミング効果とは異なり、臓器提供はシステム2の怠け加減を示す好例と言える。
どうするかすでに決めていた人はちゃんとチェックマークを入れるだろう。だが質問への心構えができていなかった人は入れるか否かに頭を悩ませなければならない。

私たちはたとえ重要な選択であってもその表現や書式など本質とは関係のない事柄に振り回される。

メーリングリストに登録したくない人だけチェックマークを入れることにしているとする。もし登録したい人だけチェックする形式なら登録者数は激減するだろう。


・図15のグラフ(省略)は、二人の患者が苦痛を伴う大腸内視鏡検査を受けたときの様子を表したもので、ドナルド・レデルマイヤーと著者が設計した調査から借用した。レデルマイヤーは卜ロント大学教授で医師でもあり、一九九〇年代前半にこの実験を行った。現在では検査時に軽い麻酔を使うことが多いようだが、当時はまだ一般的でなかった。患者には六〇秒ごとに、そのとき感じている苦痛を一〇段階で評価してもらい、その結果をグラフで表した。
0は「まったく痛くない」、10は「我慢できないほど痛い」である。グラフを見るとわかるように、患者が感じる苦痛は大幅に変動している。
検査は、患者Aでは八分間、患者Bでは二四分間かかった(それ以降の0は計測値ではない)。この実験には合計一五四名の患者に参加してもらい、検査時間は最短で四分、最長で六九分だった。

ではここで、簡単な質問に答えてほしい。二人の患者が同じ評価基準を持っていたと仮定した場合、どちらの患者の苦痛が大きいだろうか。考えるまでもなく、患者Bである。患者Bはピーク時に患者Aと同じ度合いの強い苦痛を昧わっているうえ、グラフの斜線部分の面積は、Bのほうが明らかにAより大きい。これは言うまでもなく、Bの検査時間が長かったからである。以下では、患者が実際に感じた苦痛の合計を「実感計測値」と呼ぶことにする。
検査が終了してから、患者全員に「検査中に感じた苦痛の総量」を評価してもらった。この表現は、患者が時々刻々と感じた苦痛を足し合わせることを意図しており、そうすれば当然ながら実感計測値に等しくなるだろう、と著者たちは予想していた。ところが驚いたことに、まったくちがう結果が出たのである。患者の回答を統計分析すると、次の二つの傾向が認められた。この傾向は、他の実験でも確認されている。

・ピーク・エンドの法則
――記憶に基づく評価は、ピーク時と終了時の苦痛の平均でほとんど決まる。

・持続時間の無視
――検査の持続時間は、苦痛の総量の評価にはほとんど影響をおよぼさない。

ではこの二つのルールを、患者AとBに当てはめてみよう。どちらの患者もピーク時の苦痛(一〇段階の八)は同じだが、最後に感じた苦痛はAが七でBは一である。したがってピークーエンドの平均は、Aが七・五、Bは四・五になる。この結果からわかるように、AはBに比べ、検査に対してはるかに悪い印象を持っていた。Aにとって不運だったのは、痛い瞬間に検査が終わったことである。そのせいで、不快な記憶しか残らなかった。

いまや私たちは、経験効用について豊富なデータを手に入れたわけである。一つは実感計測値、
もう一つは記憶に基づく評価で、この二つは根本的にちがう。
実感計測値は、六〇秒ごとの苦痛の報告を足し合わせれば計算できる。この計測値には持続時間が加味されており、どの瞬間にも同じ重みが割り当てられている。つまりレペル九の苦痛が二分続くのは、一分の場合の二倍つらいことになる。だがこの実験をはじめとするさまざまな実験の結果、記憶に基づく評価は持続時間と無関係であること、ピーク時と終了時の二つの瞬間の重みが他の瞬間よりはるかに大きいことがわかった。となれば、実感と記憶とどちらが重要なのだろうか。また、このような検査を行うとき、医者はどうすべきだろうか。この選択は、医療現場に影響を与えうる。簡単にまとめておこう。

・患者の苦痛の記憶を減らすことが目的ならば、ピーク時の苦痛を減らすことが、時間を短くするより効果的である。同じ理由から、終了間際の苦痛がおだやかなほうが快い記憶が残るので、苦痛を伴う治療や検査は、一気に終わらせるより徐々に終わらせるほうがよい。

・患者が実際に経験する苦痛を減らすことが目的ならば、たとえピーク時の苦痛が大きくなり、かつ患者が悪印象を抱いても、治療や検査をさっさと終わらせるほうがよい

恐らく大半の人が苦痛の記憶を減らしたいと答えるだろう。
二つの自己
経験する自己と
記憶する自己。
今痛いかという質問に答えるのが経験自己、
終ってから全体としてどうでしたかという質問に答えるのが記憶自己。
実際の経験から残るのは記憶だけであり従って過去に起きたことについて私たちが採用する視点は記憶する自己の視点。

記憶と経験とを区別して考えることは難しい。
ある長い交響曲をうっとり聴いていた人がいる。最後の方でCDに傷があったらしく耳障りな音になった。「せっかくの音楽が台なしだな」と思ったが、壊れたのは記憶。経験が全て壊れたのではない。だが最後が悪かったので経験全体の評価を下げた。
経験する自己には発言権がない。

・冷水実験
短時間実験は摂氏14度の冷たい水に手を1分間入れてもらい、手を自ら出すよう指示した後で温かいタオルを渡す。

長時間実験は摂氏14度の水に手を1分間入れた後、いくらか温かい湯をその冷水が入っている水槽に流し込む。その後30秒間、約一度上昇した水に手を浸したままでいる。ちなみに温度が一度上がると苦痛がいくらか和らぐ、と大半の参加者が報告している。
一回目と二回目は短時間と長時間を一階ずつ行う。
3回目はどちらにするか選ばせる。
ピークエンドの法則より、長い実験より短い方が悪い記憶を残すし、
持続時間を無視する傾向からすれば苦痛時間は問題にされない。
したがって参加者は長い実験の方が好ましい、不快感が少ないと考えてこちらを選ぶだろう。
予想的中。
長い方では苦痛が薄らいだと報告した被験者の80%がこちらを選んだ。

システム1の機能の一つである私たちの記憶は
①苦痛又は快楽が最も強い瞬間(ピーク時)
②終了時の感覚
とで経験を代表させるように進化してきた。
持続時間を無視するため快楽を長く苦痛を短くしたいという好みを満足させることはできない。

(悪いニュースは先に言え、良いニュースは後に言え)

”ある交響曲をうっとり聴いていた。最後の方でCDに傷があったらしく耳障りな音になった。「せっかくの音楽が台なしだな」と思ったが、壊れたのは記憶で経験が全て壊れたのではない。最後の記憶は悪くても交響曲を聴いた経験は無意識の中に残り、意味がある(Dカーネマン『ファスト&スロー』上p219)。

これが記憶と経験の違いらしい。記憶には極端な場合と最後の経験しか残らない。経験は平均化する癖があるとカーネマンはいう。

冷水実験がある。Aグループは摂氏14度の冷たい水に手を1分間入れた後タオルで拭く。Bグループは摂氏14度の水に手を1分間入れた後少し暖かい湯に30秒間手を入れてから出す。2回交互にし、3回目は苦痛が和らいだ後者を選ぶという(同上p220)。

* * * 
苦痛を伴う大腸内視鏡検査を受けた患者の苦痛を計測した実験がある。苦痛は苦痛の程度と時間を掛け算して計測する。患者Aと患者Bの苦痛のピークは8で最後の苦痛はAが7と高くBは1と低かった。このとき苦痛の平均はAが7・5でBは4・5だ。検査時間はAが短くてBが長くても最後の苦痛のせいで苦痛の記憶はAの方がはるかに高いという(同上p218)。

* * * 
「いま痛いですか」が記憶で、終わった後「全体としてどうでしたか」が経験である。記憶は、ある代表的な瞬間を保有し、ピークと終了時に強く影響されるピーク・エンドの法則がある(同上p223)。人は記憶する自己で過去を認識し、記憶する自己の紡ぐ物語に耳を傾ける(下p261)。

* * * 
経験と記憶の関係はりんごでいえば、経験は果実で記憶は皮に相当する。記憶には極端な出来事や最近の出来事だけが残る。時間を無視し後知恵に影響され、実際の経験を歪んだ形で思い出すことになる。

記憶は経験の一部だが、代表を選び平均化、合理化する癖があるから間違うことが多い。経験の果実に比べ記憶の薄い皮は表層で経験は果実の中に凝縮されている(下p270)。

* * * 
無意識は起こりそうもない結果に過大な重みをつける(同下p135)。「津波は日本でもごくまれにしか起きないが、イメージが余りにナマナマしく鮮明なので観光客は可能性を過大に思う」「大災害によくあることだが、最初は発生率を大げさに考え、時が経つにつれて無視するようになる」(同下p150)。

* * * 
休暇の終わりに薬を飲んで、撮影した写真もビデオも記憶も、全て消し去る場合、休暇プランが変わるか調べる。経験する自己は残るが、記憶を喪失した他人と同じだという。麻酔をせず手術した後、記憶を失う薬を飲む場合、ほとんどの人が苦痛を感じた経験の自己には、痛がる他人への同情と同じように無関心になるという(下p231)。

ウィルスと風邪のような原因と結果、バナナと果実のようなものとカテゴリー、お茶と緑のようなものと属性が連想記憶といわれる(上p77)。言葉を見ただけで瞬時に自動的に一連の反応が起き、止めようにも止められないのが無意識の直感である。言葉が記憶を呼び覚まし記憶が感情を掻き立て感情が顔の表情や緊張や回避を促す(上p76)。

* * * 
連想記憶は通常の出来事と予想外の出来事を瞬時に識別し、その出来事で何を予想していたか瞬時に思い浮かべ、予想外の出来事と本来起きるはずの出来事の因果的な説明を自動的に探す(同下p270)。

人が犯す誤りの大半は無意識の直感に端を発するが人が行なう正しい事の大半もまた直感のおかげである(同下p270)。
市場での判断や行動も思考も大体が正しいが、時々誤りもするのは無意識の直感に導かれるからだろう。

「無意識の直感は進化の過程で生命体が生き延びるために、今どんな状況か、何か危険な兆候があるか、チャンスがあるか、近づくべきか、逃げるべきか、万事いつも通りかなど重要問題を常にモニターするようになった。」(上p134)

* * * 
路上の細長い物体を「蛇だ!」と思うが、よく見ると木の枝だとわかる(Tウィルソン『自分を知り自分を変える』新曜社p68)。

人の五感は両眼だけで無意識に毎秒1100万の情報を得て脳に送っている。このうち光の点滅を見分け、匂いを嗅ぎ文字を読むなど意識的に処理できるのは毎秒約40という(同p33)。”
http://www.itsuji.ne.jp/?p=3360

(自由意志ってなんだ?って言いたくなる。
神学で自由意志を認めるか否かが重要。
悪を人間に負わせるなら自由意志確保が必須。特に一神教。
でも一神教神学でも自由意志否定がある。
悪をなしたら人間のせい、善をなしたら神のお陰ってひどいよな。
あと自由意志否定したら法律が崩壊する)