無明、四門出遊
以下、『仏教論争』(宮崎哲弥)の戦前の第一次仏教論争を扱った#2,3より
《木村[泰賢]は力説している 。仏教が描き出すものは 、カント的な整然とした客観的な
世界像などではなく 、ショーペンハウアー的な盲目的に生存を求める意志の表象とし
ての世界であると 。かくして 「識名色 」の根源に行 、さらには無明が想定される
こととなる 。木村はさらに一歩踏み込んで 、先にみたバラモン教 、ヒンドゥー教の
聖典リグ ・ヴェーダとの連関性も示唆している 。
「況んや 、前にも述べたごとく 、無明 - 行 - 識の系列は梨俱吠陀の創造讃歌以来の
縁起観の形式であったとすれば 、背景思想の関係からしても 、この系列を度外視し
得ないものがあったにおいてをや 」 ( 「事実的世界観 」第五章三節 )
「梨俱吠陀 」とはリグ・ヴェーダの音写だ 。》#2
《[一般的には、あるいは宇井伯寿の説では]無明は無知なのだ 。宇井において 、ブッダの
根本思想を知らぬことが無明なのである 。だが …
木村(泰賢)は 『原始仏教思想論 』附録の反論文 「縁起観の開展 」の 「上 」において 、
一見奇妙な論法で反駁して…
仏出でたる後の無明はそれでよしとしても 、出でざる以前の無明は少なくも 、それだけ
では説明することの出来ぬ欠点を伴って来よう 」と難じた ( 「縁起観の開展 」上二節 ) 。》#3
四門出遊
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/satdb2015.php
T0001_.01.0006b07: 見老命將盡 拄杖而羸歩
T0001_.01.0006b08: 菩薩自思惟 吾未免此難
…
T0001_.01.0006c09: 又於異時。太子復勅御者嚴駕出遊。於其
T0001_.01.0006c10: 中路逢一死人。雜色繒幡前後導引。宗族
T0001_.01.0006c11: 親里悲號哭泣。送之出城。太子復問。此爲
T0001_.01.0006c12: 何人。答曰。此是死人。問曰。何如爲死。答
T0001_.01.0006c13: 曰。死者盡也。風先火次諸根壞敗。存亡異
T0001_.01.0006c14: 趣室家離別。故謂之死。太子又問御者。吾
T0001_.01.0006c15: 亦當爾。不免此患耶。答曰然。生必有死
T0001_.01.0006c16: 無有貴賤。於是太子悵然不悦。即告御者
T0001_.01.0006c17: 迴車還宮。靜默思惟念。此死苦吾亦當然。
T0001_.01.0006c18: 佛時頌曰
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/satdb2015.php
T0001_.01.0006b07: 見老命將盡 拄杖而羸歩
T0001_.01.0006b08: 菩薩自思惟 吾未免此難
…
T0001_.01.0006c09: 又於異時。太子復勅御者嚴駕出遊。於其
T0001_.01.0006c10: 中路逢一死人。雜色繒幡前後導引。宗族

T0001_.01.0006c11: 親里悲號哭泣。送之出城。太子復問。此爲
T0001_.01.0006c12: 何人。答曰。此是死人。問曰。何如爲死。答
T0001_.01.0006c13: 曰。死者盡也。風先火次諸根壞敗。存亡異
T0001_.01.0006c14: 趣室家離別。故謂之死。太子又問御者。吾
T0001_.01.0006c15: 亦當爾。不免此患耶。答曰然。生必有死
T0001_.01.0006c16: 無有貴賤。於是太子悵然不悦。即告御者
T0001_.01.0006c17: 迴車還宮。靜默思惟念。此死苦吾亦當然。
T0001_.01.0006c18: 佛時頌曰
天野論考
2.11五分律』「受戒法」における釈尊幽家記事の形成過程
ここでは,『五分律』「受戒法」における釈尊出家記事の形成過程について検討する.この記事の大きな特徴は,いわゆる四門出遊としてひろく知られるエピソードを,出家の要因として描いている点にある.菩薩が東・南・両の三門から出て遊観したとき,順次に老入,病人,死入をみて楽しまず,その後で北門の記述はないのだが,「即ち車を廻らして還る」ときに出家人をみて,出家の決意をしたことが詳細に描かれている(r.22,pp.10ib−io2b).
この形式の出家記事は,現存の阿含・ニカーヤにはほとんど存在しないm.パーり増支部3−38,3−39〔肋g確α瀏厭醜,vo1」, PTS, pp、145−147),『中阿含経』ll7「柔軟経」(T.1, pp.607c−−6e8a)において,釈尊の出家以前の生活が,富裕であったが,その中で老,病,死の逃れがたき事実に恐怖することが述べられている.これらの資料は悶門出遊の原型になるものと考えられており,後世に四門出遊は定型化されるにいたるとみなされている⊥2).阿含経では,過去仏であるヴィパッシン
五分律
920 スジャータ大山.[sage] 2019/01/07(月) 17:00:32.13 ID:0
岩波仏教辞典
過去現在因果経、普曜経、四出観品、仏本行集経…
過去七仏と縁起成仏説 - J-Stage
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方で 北伝部派に伝わる多くの 仏伝テキス ト4)に も導 ..... 起経』『普曜経』)『過去現在 因果経』 『仏本行経』 『仏本行集経』.
国訳・解説 仏所行讃 (馬鳴菩薩造)
菴摩羅女見仏品第二十二 .... 本の梵文『ブッダチャリタ(仏の生涯)』は、四行一節の非常に調ったものであるが、この .... 普曜経(8巻)、方広大荘厳経(12巻)、過去現在 因果経(4巻)、仏本行集経(60巻)、仏説衆許 ...
国訳一切経 - 大東出版社
本縁部 第1・2巻, 雑宝蔵経/仏本行集経〔上〕, ¥6,480, 646頁・送料¥460 ... 本縁部 第4巻, 過去現在因果経/衆許摩訶帝経/仏所行讃〔上〕, ¥7,560, 408頁・送料¥350 ... 本縁部 第11巻, 出曜経〔下〕/法句譬喩経/生経, ¥7,560, 504頁・送料¥460
尾道市持光寺所藏粗迦八相國
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形式の過去現在因果経(醍醐寺本外、国宝)が作られており、大画面に描い ..... ことは当然であろう。従って、「第一」幅は、『仏本行集経』が詳説 ..... 経』二巻. 3 西晋・笠法護訳『仏説普曜経』八巻 ..... 同・四出観品第十一「(父王自浄)展之出家宿夜将護。高其魔壁 ...
takasuj018.pdf (1.92MB)
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の場面で、死体の肌がにわかに生気を帯びるということである。 厳食相 ... 典にあっては、『仏本行集経」をはじめとして、太子と死との出 .... 出観品第十」(『大正新脩大蔵経』三巻五○三頁上段)、『方 ... 巻五七〇頁下段)、『過去現在因果経』巻第二(『大正新脩大.
結 論
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一方、漢訳時期の遅い『四分律』や『仏本行経』では、双方を共に記している。 .... その後、劉宋の求那跋陀羅訳『過去現在因果経』、同じく劉宋の仏陀什・竺道生訳『五分 ..... 以上の指摘について、一つは、『法華経』と『仏説観普賢菩薩行法経』(『普賢経』)は、.
『今昔物語集』天竺部を仏伝として読むために
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究を黒部通善が行っている*4。 ..... 過去現在因果経、仏本行経、修行本起経、中本起経、(太子)瑞応本起経、. 異出(菩薩)本 ... ・Lalitavistara (サンスクリット文、漢訳=普 曜経、方広大荘厳経)。
チベットの仏伝図「釈尊絵伝」の基礎研究 多田等観請来チベット資料の ...
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No.13-4 (2014年 3月 31日) ..... 護訳『普曜経j] (大正No.186),求那蹴陀羅訳『過去 現在因果経』. (大正No.189),闇那山屈多訳『仏本行集経j] (大正No.190) などの経典を形成した。それらの経で.
重要文化財|絵因果経|奈良国立博物館
重要文化財 えいんがきょう 絵因果経 .... 絵因果経』は『過去現在因果経』(劉宋求那跋陀羅、元嘉年間五世紀中頃訳)四巻に ... 巻第四上)、東京藝術大学本(巻第四下)、の四本と出光美術館本(巻第三上)がある。
鷹巣論考
四門出遊(しもんしゅつゆう)とは
ブッダの出家するエピソードです。
四門遊観(しもんゆうかん)とも言われます。
四門遊観(しもんゆうかん)とも言われます。
ブッダが出家を決意するエピソード
ブッダは生きることに対して思い煩う性格だった幼少期でしたが、
その思いは青年になっても変わることがありませんでした。
その思いは青年になっても変わることがありませんでした。
ある時、自分の国の城の外の世界を見に行こうと、
東の門にいき、そこで「老人」をみて、
南の門にいき、そこで「病人」をみて、
西の門にいき、そこで「死人」をみて、
生きることに対しての思い患いはさらに深まるなかで、
南の門にいき、そこで「病人」をみて、
西の門にいき、そこで「死人」をみて、
生きることに対しての思い患いはさらに深まるなかで、
北の門にいき、そこで静謐(せいひつ)な所作の「出家者」をみました。
長部経典 第14経 大本経(大アパナーダ)
ブッダが過去世のヴィパッシンの時代に、出家者(道をすすむ者)をみて、話しかけ「すばらしいと出家する」法に通った所作、静謐(せいひつ)な所作、道徳的な所作、福徳ある行い、何物も害さない、生けるものへの憐れみがすばらしいと思い出家したとエピソードが出てきます。
長部経典 第16経「大般涅槃経」
「何かしらの善をもとめて出家した」とスバッダに話しています。
「四門出遊」関する「図解」は↓
「図解」1.実在したブッダ
さらに詳しく知りたい人はこちら↓
(参考:「図解」ブッダの教えもくじ)
さらに用語を見る方はこちら↓
(参考:「用語集」もくじはこちら)
阿含経 - Wikipedia
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。 (2016年4月) ... 経蔵はそれぞれ阿含(āgama, アーガマ)または部(nikāya、ニカーヤ) の名で ...
「四門出遊」(しもんしゅつゆう)とは ブッダの教え・仏教・用語 |えん坊 ...
2018年11月9日 ... スポンサーリンク 目次四門出遊(しもんしゅつゆう)とはブッダが出家を決意するエピソード長部経典 第14経 大 ...
龍谷大学世界仏教文化研究センター公開研究会 (第27回仏教文化セミナー)
講演名 開催⽇時 釈尊の出家動機−仏伝における「四門出遊」の成立− 2017 年7⽉27⽇(⾦) 13:15〜14:45 場所 講演者 ⿓⾕⼤学⼤宮学舎⻄黌2階⼤会議室 天野 信⽒(仏教⽂化研究所客員研究員)
司会 主催 能仁 正顕⽒(⿓⾕⼤学⽂学部教授) ⿓⾕⼤学仏教⽂化研究所(能仁研究班) 共催 参加⼈数 ⿓⾕⼤学世界仏教⽂化研究センター 22 ⼈
【講演のポイント】 ブッダの伝記が抽出できる仏伝文献類には、様々な逸話が含まれている。講演は「四門出遊」のエピソードについて注目した内容であった。天野氏はこれまでの蓄積されてきた初期(原始)仏教研究について初学者にもわかるよう、仏伝そのものの性格について解説をした後に、釈尊の出家動機において浄居天(じょうごてん)の神々が密接に関わっていることを明らかにした。また『大本経』を始めとする南伝資料には、仏陀ではなく、過去仏の事蹟として「四門出遊」が描かれていることが豊富な参考資料とともに提示された。 【講義の概要】 ■仏伝について 仏伝とは、釈尊の生涯における重要な事蹟のことであり、「釈迦八相」として八つの場面にまとめられたり、「四大事」と名付けられて四つの場面で語られることがある。その原典は、初期仏典(漢訳阿含とパーリ語ニカーヤ、律蔵)に見ることができる。しかし、それらは断片的で、釈尊の生涯丸ごとの一代記を残しているのではない。初期仏典の断片的な記述をつなぎ合わせることによって、釈尊の一代記は知りうることができる。降誕から涅槃までを体系的に記載する仏伝が登場するのは時代が下って大乗経典の登場を待たなくてはならない。その頃には文献のみならず、美術作品を通して釈尊の生涯を知ることもできるようになる。 1
過去七仏と仏伝 紀元前後になると仏陀観も一様ではなくなってくる。多仏信仰が盛んになり、過去仏の登場が要請される時期だ。天野氏によると過去仏とは「過去にダルマ(法)を発見した人」と規定され、過去七仏について詳細に記す『大本経』の解説が行われた。『大本経』の構成は⑴七仏の事蹟→⑵ヴィパッシン仏伝→⑶浄居天の神の報告の順で成り立ち、⑵において菩薩の誕生、四門出遊、出家、成道、梵天勧請、初転法輪、サンガの成立、波羅提木叉の誦出といったトピックが語られている。 ここで、釈尊はいかにして過去仏の生涯の出来事を知り得たのかという疑問を比丘たちは抱いたという。釈尊による回答は「神たちが釈尊に過去仏の存在を告げたため」とされている。その神とは誰なのか。それは釈尊が以前に、浄居天へ訪問した時に面会した神たちであり、この神たちはかつての師であった過去仏の事蹟を釈尊に伝えることが可能な存在として描かれている。
■「四門出遊」と浄居天の神
過去七仏の事跡を釈尊に報告するのは浄居天の神々である。そして「四門出遊」の状況を作り出したのも、浄居天の神々であるという。 現存の阿含・ニカーヤには「四門出遊」逸話はほとんど見当たらない。ただし、釈尊の出家以前の生活は裕福であったが、生老病死の逃れ難き事実に恐怖するという記事は存在し、それが「四門出遊」エピソード成立の素材になっている。ジャータカの注釈書、『ニダーナカター』には、神たちが王子に対して成道の前兆として意図的に老人を作り出して示したことが記されており、上座部大寺派では「四門出遊」は過去仏の事蹟として確立され仏伝に組み込まれた。一方、北伝の仏伝になると「四門出遊」は釈尊の事蹟へと変化する。
【まとめ】 天野氏は、初期仏典の資料を用いて「四門出遊」エピソードの差異と形成過程を示された。『大本経』中の「全てのブッタの生涯は共通する」という通底概念をピックアップし、そこに浄居天の神の役割を明確にした。「四門出遊」と同程度有名なエピソードである成道後の梵天勧請(説法勧請)では、浄居天の神々はどのような役割を果たすのか。また梵天という神の登場自体は、浄居天の神々にどのような影響を及ぼすのか。引き続き説法勧請についても研究を進めるという今後の展望に期待の持てる講演であった。 以上 【文責】龍谷大学世界仏教文化研究センター博士研究員金澤豊
上座部仏教(南伝仏教)のパーリ語経典に伝わる『パーリ律』、中国仏教(北伝仏教)に伝わる『四分律』『五分律』『十誦律』『摩訶僧祇律』(以上、「四大広律」)と並び、現存する6つの律の内の1つ。チベット仏教において継承・採用されている。
チベット大蔵経に収録されている。漢訳の大蔵経には、義浄訳の『根本説一切有部毘奈耶』関連の典籍が収録されている(大正新脩大蔵経1442-1459番・律部)。(ちなみに、唐招提寺にある『根本説一切有部戒経』等は、国の重要文化財に指定されている[1]。)
その名の通り、「根本説一切有部」(en:Mulasarvastivada)という部派の律とされる。この部派は説一切有部(『十誦律』はこの部派のものとされる)よりは後に成立したことは分かっているものの、その詳細や説一切有部との関係は明らかになっていない。
脚注・出典
- ^ 根本説一切有部戒経とは - 国指定文化財等データベース/Weblio辞書
関連項目
仏教では、釈尊が出家した理由を「四門出遊」として説明していますが、この四門出遊は、どこに出典があるのでしょうか。原始仏教経典の中に記述はあるのでしょうか。ないとしたら、どこでしょうか。HPに四門出遊を紹介している人たちは、いったいどうして四門出遊によって、釈尊が出家したのだということを知っているのでしょうか。 
http://www.jbf.ne.jp/m_budda02.html
http://www.shingon.or.jp/buddha.htm
http://www.link-age.or.jp/kyoushuuji/buddhism/a02_2.htm
http://plaza.rakuten.co.jp/seiichi1177/diary/200507200002/

Wikipediaの『阿含経』に関する記述が参考になるでしょう。
長阿含経はディーガ ニカーヤに対照されます。
阿含経はサンスクリット語から漢語訳されたという説があります。パーリ語によるディーガ ニカーヤに同様の記述があるということは、弟子によってまとめられた初期の法話が、釈尊という一人の人物をルーツとして言語は異なりながらも地続きのアジアに広まったと考えることができます。
四門出遊自体は漢語の表現ですから、出典元を長阿含経と考えてよいのではないでしょうか。
以下に件の部分と思われる内容を貼ります。
長阿含経 抜粋
於時菩薩欲出遊觀。告勅御者嚴駕寶車。詣彼園林巡行遊觀。御者即便嚴駕訖已。還白今正是時。太子即乘寶車詣彼園觀。於其中路見一老人。頭白齒落面皺身僂。杖羸歩喘息而行。太子顧問侍者。此爲何人。答曰。此是老人。又問。何如爲老。答曰。夫老者生壽向盡。餘命無幾。故謂之老。太子又問。吾亦當爾。不免此患耶。答曰然。生必有老無有豪賎。於是太子悵然不悦。即告侍者迴駕還宮。靜默思惟念。此老苦吾亦當有。佛於是頌曰【偈】見老命將盡 杖而羸歩菩薩自思惟吾未免此難爾時父王問彼侍者。太子出遊歡樂不耶。答曰不樂。又問其故。答曰。道逢老人是以不樂。爾時父王默自思念。昔日相師占相太子言當出家。今者不悦得無爾乎。當設方便使處深宮。五欲娯樂以悦其心令不出家。即便嚴飾宮舘。簡擇 女以娯樂之。佛於是頌曰【偈】父王聞此言方便嚴宮舘増益以五欲欲使不出家又於後時。太子復命御者嚴駕出遊。於其中路逢一病人。身羸腹大面目 黒。獨臥糞除無人瞻視。病甚苦毒口不能言。顧問御者。此爲何人。答曰。此是病人。問曰。何如爲病。答曰。病者衆痛迫切存亡無期。故曰病也。又曰。吾亦當爾。未免此患耶。答曰然。生則有病無有貴賎。於是太子悵然不悦。即告御者迴車還宮。靜默思惟念。此病苦吾亦當爾。佛於是頌曰【偈】見彼久病人顏色爲衰損靜默自思惟吾未免此患爾時父王復問御者。太子出遊歡樂不耶。答曰不樂。又問其故。答曰。道逢病人是以不樂。於是父王默然思惟。昔日相師占相太子言當出家。今日不悦得無爾乎。吾當更設方便。増諸伎樂以悦其心使不出家。即復嚴飾宮舘。簡擇 女以娯樂之。佛於是頌曰【偈】色聲香味觸微妙可悦樂菩薩福所致故娯樂其中又於異時。太子復勅御者嚴駕出遊。於其中路逢一死人。雜色 幡前後導引。宗族親里悲號哭泣。送之出城。太子復問。此爲何人。答曰。此是死人。問曰。何如爲死。答曰。死者盡也。風先火次諸根壞敗。存亡異趣室家離別。故謂之死。太子又問御者。吾亦當爾。不免此患耶。答曰然。生必有死無有貴賎。於是太子悵然不悦。即告御者迴車還宮。靜默思惟念。此死苦吾亦當然。佛時頌曰【偈】始見有人死知其復更生靜默自思惟吾未免此患爾時父王復問御者。太子出遊歡樂不耶。答曰不樂。又問其故。答曰。道逢死人是故不樂。於是父王默自思念。昔日相師占相太子言當出家。今日不悦得無爾乎。吾當更設方便。増諸伎樂以悦其心使不出家。即復嚴飾宮舘。簡擇 女以娯樂之。佛於是頌曰【偈】童子有名稱 女衆圍遶五欲以自娯如彼天帝釋又於異時。復飭御者嚴駕出遊。於其中路逢一沙門。法服持鉢視地而行。即問御者。此爲何人。御者答曰。此是沙門。又問。何謂沙門。答曰。沙門者。捨離恩愛。出家修道。攝御諸根不染外欲。慈心一切無所傷害。逢苦不 遇樂不欣。能忍如地。故號沙門。太子曰。善哉。此道眞正永絶塵累。微妙清虚惟是爲快。即飭御者迴車就之。爾時太子問沙門曰。剃除鬚髮法服持鉢。何所志求。沙門答曰。夫出家者。欲調伏心意永離塵垢。慈育群生無所侵 。虚心靜寞唯道是務。太子曰。善哉。此道最眞。

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