週刊読書人2019年3月1日号(3279号)の目次
柄谷行人氏ロングインタビュー
普遍的な世界史の構造を解明するために
『世界史の実験』(岩波新書)刊行を機に
…
「実験の文学批評」
…
柄谷 一九二八年に、パリ不戦条約が締結されました。この条約は国際連盟に
関与した人たちによって考えられたものですから、同じ精神に基づいている。柳
田は当然、不戦条約についても熟知していた。一方、同じ年、日本では、三・一
五事件が起こり、共産党員への弾圧が強まる。その五年後には、共産党幹部であ
った佐野学、鍋山貞親らが転向の声明を出し、戦前の日本の共産党は、事実上終
わる。またこの年、日本は洲事変に端を発して、戦争へと向かう体制が整えられ
ていくことになるわけです。柳田がジュネーブ滞在以来考えていた道筋とは、
正反対に進んでいくことになった。そのような状況の下で、柳田は何もいわなく
なったんだろうと思います。
しかし、柳田は決して諦めることはなかった。だから、戦争末期に、彼は「新た
な社会組織」ということをいいはじめたのでしょう。柳田のその気持はわか
るような気がする。私は今世紀のはじめごろ、NAM(新アソシエーショニスト
運動)という運動をやっていました。二年で解散しましたけど、別にあきらめて
いない。もう一度やろうと思っていますよ。
…
www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni64.html
1921年(大正10)に国際連盟委任統治委員となり、スイスのジュネーヴに赴いたいきさつについて、柳田国男は『故郷七十年』の ...
週刊読書人2019年3月1日号(3279号)の目次
柄谷行人氏ロングインタビュー
普遍的な世界史の構造を解明するために
『世界史の実験』(岩波新書)刊行を機に
…
「実験の文学批評」
…
柄谷 一九二八年に、パリ不戦条約が締結されました。この条約は国際連盟に
関与した人たちによって考えられたものですから、同じ精神に基づいている。柳
田は当然、不戦条約についても熟知していた。一方、同じ年、日本では、三・一
五事件が起こり、共産党員への弾圧が強まる。その五年後には、共産党幹部であ
った佐野学、鍋山貞親らが転向の声明を出し、戦前の日本の共産党は、事実上終
わる。またこの年、日本は洲事変に端を発して、戦争へと向かう体制が整えられ
ていくことになるわけです。柳田がジュネーブ滞在以来考えていた道筋とは、
正反対に進んでいくことになった。そのような状況の下で、柳田は何もいわなく
なったんだろうと思います。
しかし、柳田は決して諦めることはなかった。だから、戦争末期に、彼は「新た
な社会組織」ということをいいはじめたのでしょう。柳田のその気持はわか
るような気がする。私は今世紀のはじめごろ、NAM(新アソシエーショニスト
運動)という運動をやっていました。二年で解散しましたけど、別にあきらめて
いない。もう一度やろうと思っていますよ。
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