以上のように、かつて「ニッポニウム」という元素名で命名されていたために「 ニッポニウム」を元素名とすること ...
1 1 1 1 1 1 1 1 1
1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8
1 2
1 H He
水 ヘリ
素 ウム
1
3 4 5 6 7 8 9 0
2 LiBe B C N O FNe
リ ベリ ホ 炭 窒 酸 フ ネ
チ リウ ウ 素 素 素 ッ オ
ウム ム 素 素 ン
1 1 1 1 1 1 1 1
1 2 3 4 5 6 7 8
3 NaMg AlSi P SClAr
ナ マグ アル ケ リ 硫 塩 ア
トリネシ ミニ イ ン 黄 素 ル
ウムウム ウム 素 ゴン
1 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 3 3 3 3 3 3
9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6
4 KCaScTi VCrMnFeCoNiCuZnGaGeAsSeBrKr
カ カルスカ チバナ ク マ 鉄コバ 二 銅 亜ガリゲル ヒ セ 臭 ク
リ シ ンジ タ ジ ロ ン ルト ッ 鉛ウムマニ 素 レ 素 リ
ウムウムウム ンウム ム ガン ケル ウム ン プトン
3 3 3 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 5 5 5 5 5
7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4
5 RbSr YZrNbMoTcRuRhPdAgCdInSnSbTe IXe
ル ス イッジ 二 モ テ ル ロ パ 銀 カ イ ス ア テ ヨ キ
ビ トロトリル オブリブク テ ジ ラ ド ン ズ ン ル ウ セ
ジ ンチウムコニ デンネチ二 ウ ジ ミ ジ チ ル 素 ノン
ウムウム ウム ウムウムム ウム ウムウム モン
5 5 7 7 7 7 7 7 7 7 8 8 8 8 8 8 8
5 6 L 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6
6 CsBaランHfTa WReOsIrPtAuHgTlPbBiPoAtRn
セ バ タノ ハ タタンレ オ イ 白 金 水 タ 鉛ビ ポ ア ラ
シ リ イドフニ ングス二 スミリジ 金 銀 リ ス ロニスタ ド
ウムウム ウムタルテンウムウムウム ウム マスウムチン ン
1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
8 8 0 0 0 0 0 0 1 1 1 1 1 1 1 1 1
7 8 A 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8
アク UuUuUuUuUu
7 FrRaチノRfDbSgBhHsMtDsRgCnNh q p h s o
フ ラ イ ラ ド シ ボ ハ マ ダ レ コ ニウンウンウンウンウン
ラ ジ ド ザブ二ーボーリッシイト ーントペルホニウンウンウンウンウン
ンシウム フォウムルギウムウムネリムスゲニ二シウム アペンヘキセプオク
ウム ージ ウム ウムタチウムウム ☆ ジ チ シ チ チ
ウム ウム ウムウムウムウムウム
アルアル 希 チ 土 クマン 鉄族=上3 銅 亜アル 炭 窒 酸 ハ不活
カリカリ 土 タ 酸 ロガン 族 鉛ミニ 素 素 素 ロ性ガ
金属土類 類 ン 金 ム 族 白金属 族ウム 族 族 族 ゲ ス
金属 族 属 族 =中6 族 ン
5 5 5 6 6 6 6 6 6 6 6 6 6 7 7
L 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1
ランタノ LaCePrNdPmSmEuGdTbDyHoErTmYbLu
イド ラ セ プ ネ プ サ ユ ガ テ ジ ホ エ ツ イ ル
ン リ ラ オ ロ マ ー ド ルスプルミ ル リッテ テ
タ ウセオ ジメチ リロピリニ ビロジウム ビ ウルビ チ
ン ムジム ムウムウムウムウムウムウム ウム ムウムウム
1 1 1 1
8 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 0 0 0 0
A 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3
アクチノ AcThPa UNpPuAmCmBkCfEsFmMdNoLr
イド アク ト プ ウ ネ プ ア キ バ カアイ フ メ ノ ロ
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ウム
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【化学者】「ノーベル賞がつらかった」田中耕一が初めて明かした16年間の“苦闘”
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1ばーど ★2019/03/27(水) 07:54:45.92ID:ygQD7lBT9>>32>>39>>41>>94
平成に入って、自然科学系ノーベル賞を受賞したのは18人(アメリカ国籍取得者含む)。その中でも世界を驚かせたのが、2002年(平成14年)にノーベル化学賞を受賞した田中耕一だ。いち民間企業のエンジニア、修士号すら持たない研究者に化学賞が贈られたのは、世界で初めてのことだった。バブル崩壊の後遺症に苦しみ、「失われた20年」と言われた時代。中年サラリーマンの快挙に、日本中が沸いた。
ところが、時代の寵児となった田中は、こつ然とテレビの画面から姿を消す。その後、16年間、メディアを遠ざけ続けてきた。再び表舞台に登場したのは去年。発症30年前にアルツハイマー病の診断につながる技術を開発し、科学誌ネイチャーに掲載されたのだ。この間の田中の知られざる苦闘。これこそが番組の命題である「平成のスクープ」となった。
■ノーベル賞は苦痛でしかたなかった
実は田中は、この16年間、サインを求められても、一度として応じることがなかった。人前では握手すら断っていた。ノーベルメダルは、自宅の押し入れにしまったまま。田中は科学界、最高の栄誉が与えられたことが苦痛でしかたなかったという。
「ノーベル賞に値することをやっていたとは、私自身思っていなかった。周りの人もそう思っていた。受賞する人たちの功績を見ると、最初に発見をしたこと、かつそれを育てていったこと、ペアでやっている方が多い。私はあくまで発見しただけで、何か大きなことを成し遂げた気持ちになれなかった」
田中が自分の業績に自信が持てなかったのは、“世界的な発見”に至る過程にあった。大学では電気工学の専門だった田中だが、島津製作所に入社後、化学の研究を命じられる。課題はレーザーを用いてタンパク質を分析する方法の開発だった。
人体の15%を占め、生命活動に重要な役割をするタンパク質。さまざまな病気の解明の鍵を握ると思われていた。だが、いくつものアミノ酸が連なり、複雑な構造を持つタンパク質を壊さずに分析することには、世界で誰も成功していなかった。
「自分は何かを成し遂げたのか」と自問
田中はレーザーを当ててもタンパク質が壊れない、「緩衝材」の作成に取りかかった。入社2年目の冬、田中は、試薬にグリセリンを誤って混ぜてしまう。以前の実験で、グリセリン単体では緩衝材として効果がないことを確認していたが、それでも敢えて実験してみることにした。すると、タンパク質の反応が現れたのだ。このとき、田中は25歳だった。
それからおよそ20年。突如、ノーベル賞授賞の知らせが届いた。田中の人生は一夜にして変わった。一歩外へ出れば人々に囲まれ、「先生」と呼ばれるようになった。受賞当時、田中はまだ43歳。「次はどんな大発見をするのか」と、周囲の期待は膨れあがっていった。一方、学術界の一部からは「偶然、発見をしただけだ」「研究を発展させた科学者のほうが受賞にふさわしい」といった批判的な声が聞こえてきた。「自分は本当に何かを成し遂げたのか」。「自分は受賞に値する科学者なのか」。田中は自問自答を続けた。
※本文省略
■血液一滴で病気を診断する方法を開発する
■実験結果が医学界の常識を覆すことになった
■「偶然は、強い意志がもたらす必然」
■インタビューでは終始謙遜していたが……
受賞から16年、ノーベル賞の呪縛から解き放たれた田中。「もがいて進んできた」経験を伝えたいと、私たちの取材に応じることも決断してくれた。
「例えば化学の実験で、これは間違っているからやめておこうということも、私たちは深い専門知識がないためにやってしまう。天才だったらこんなことしないだろう。でも、こういうふうに解釈したら、別の分野の考え方で捉えたらうまくいくことがいくつかできたために、発展ができた」
「失敗を恐れて取り組まないと、結果として何もできないということになる。もっと色んな可能性というものにチャレンジというか、失敗してもいいから、私も失敗ばかりしていますから、チャレンジしてほしい」
インタビューでは終始、謙遜していた田中だが、一つ一つの言葉は自らの手で掴んだ確信から絞り出されたもののように思われた。
3月26日 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/11145
https://bunshun.jp/mwimgs/3/c/-/img_3c5d6f6e7e3778a3a29bdda2fda7cae0171017.jpg
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https://amd.c.yimg.jp/im_sigglix9f8r1HOSNjzAty4vTMg---x286-y400-q90-exp3h-pril/amd/20190326-00011145-bunshun-000-4-view.jpg
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血液一滴で病気を診断する方法を開発する
メディアから距離をとるようになった田中。自分を見失いそうになるなかで、ある目標を立てた。タンパク質を分析する技術を発展させ、「血液一滴で病気を診断する方法を開発する」というものだった。幼いころ病気で母を亡くした田中は、「人々の役に立つ研究をしたい」という入社当時の志に、立ち返ろうと考えたのだ。
田中は社長らに決意を語って説得し、年間1億円の予算と研究環境を得た。しかし、道のりは困難を極めた。例えば、ガンなど様々な病気に関連する「糖鎖」の構造は、1500万通り以上の組み合わせがあるとされる。思うように研究は進まなかった。責任を果たせない不甲斐なさを抱えながら、苦悶する日々が7年、続いた。
そんな状況を打開する転機が訪れる。2009年(平成21年)、世界最先端の研究に資金を補助する国のプログラムに選ばれ、5年で35億円という多額の研究資金を得ることができたのだ。田中は若手スタッフを雇うなどして、研究を一気に加速させた。
もっとも力を入れたのが、認知症の約7割を占めるアルツハイマー病。アミロイドβというタンパク質が脳内に蓄積し、神経細胞を傷つけることで病気が発症するとされている。蓄積が始まるのは発症30年前。血液中に微量しか含まれないアミロイドβだが、血液検査で捉えることができれば、早期発見や治療薬の開発に役立てられるのではと考えた。
現在、若手スタッフとともに研究を行っている ©NHK
現在、若手スタッフとともに研究を行っている ©NHK
実験結果が医学界の常識を覆すことになった
研究開始から2年。ひとりの若手スタッフがアミロイドβの検出に成功する。田中は天にも昇る心地で、この成果を認知症の専門家に持ち込んだ。ところが、意外にも反応は冷ややかだった。血液中のアミロイドβは、その日の体調などにより量が増減する。そのため、アミロイドβが検出できても、病気を診断することはできないというのが“医学界の常識”だったからだ。実は医療の専門家でない田中は、このことをまったく知らず、研究を進めていたのだった。
しかし、田中が示した別の実験結果が医学界の常識を覆すことになった。それはアミロイドβとはわずかに構造が異なる「未知のタンパク質」のデータ。学界では、理論上、存在が否定されていたが、今回の実験の過程で偶然、田中たちは検出に成功していた。
https://bunshun.jp/articles/-/11145?page=3
「偶然は、強い意志がもたらす必然」
認知症研究の第一人者である柳澤勝彦(国立長寿医療研究センター)。当初「正直、何が新しいのか分からなかった」と言うが、田中たちと議論を重ねるうち、この未知のタンパク質が早期診断の鍵を握っているのではないかと考えるようになった。そして、柳澤は脳内で病気の異変が起きている人と、起きていない人の血液を分析することにした。すると、驚きの結果が出た。
異変が起きていない人の血液では、アミロイドβは未知のタンパク質より多かった。かたや、異変が起きている人では、その逆。アミロイドβは未知のタンパク質より少なかった。ふたつのタンパク質の比率に注目することにより、認知症を発症するリスクを診断できる可能性があることを突き止めた。
若き日、田中は化学薬品を誤って混ぜたことで、タンパク質の分析方法を発見。ノーベル賞を受賞した。そして今回、田中は「常識」を知らないまま研究に挑み、さらに副産物として未知のタンパク質を発見したことで、認知症の早期診断に扉を開いた。2度の発見はラッキーパンチだったのだろうか。私はそうは思わない。常識を打ち破る科学的発見は、偶然から導かれることが少なくない。だが、その偶然を生み出すには、失敗を恐れずにチャレンジし続ける、不断の努力で裏打ちされているものだ。「偶然は、強い意志がもたらす必然である」。
「失敗してもいいから、私も失敗ばかりしていますから、チャレンジしてほしい」 ©NHK
「失敗してもいいから、私も失敗ばかりしていますから、チャレンジしてほしい」 ©NHK
インタビューでは終始謙遜していたが……
受賞から16年、ノーベル賞の呪縛から解き放たれた田中。「もがいて進んできた」経験を伝えたいと、私たちの取材に応じることも決断してくれた。
「例えば化学の実験で、これは間違っているからやめておこうということも、私たちは深い専門知識がないためにやってしまう。天才だったらこんなことしないだろう。でも、こういうふうに解釈したら、別の分野の考え方で捉えたらうまくいくことがいくつかできたために、発展ができた」
「失敗を恐れて取り組まないと、結果として何もできないということになる。もっと色んな可能性というものにチャレンジというか、失敗してもいいから、私も失敗ばかりしていますから、チャレンジしてほしい」
インタビューでは終始、謙遜していた田中だが、一つ一つの言葉は自らの手で掴んだ確信から絞り出されたもののように思われた。
(文中一部敬称略)
INFORMATION
平成史スクープドキュメント 第5回
“ノーベル賞会社員”~科学技術立国の苦闘~
NHK総合にて再放送
2019年3月27日(水)午前00:40~01:29(26日深夜)
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190217
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8不要不急の名無しさん2020/09/18(金) 19:22:49.15ID:eXYf3hHV0>>74
漢字のみの中国語は致命的な欠陥言語だ
http://livedoor.blogimg.jp/route408/imgs/e/d/ed9ea143.jpg
[中国語周期表]
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/31f3ff231ae092df09a9a575c2058d6c
中国はすべて漢字表記だから、覚える漢字が多すぎて
そっちに時間を大量にとられて学問にまわす時間がないw
要するに大量な漢字を単に覚えさせるだけに子供の成長が費やされ、
会話の発達が遅れ高度理論の展開など更々不可能にしてしまうのだ。
無駄に大量な漢字を覚えさせることで多くの脳の記憶領域を費やしてしまい、
一番重要な、創造的な頭脳の開発の余裕などなくなるのだ。
この致命的な欠陥を見事に解決したのが日本語である。日本人が開発した「ひらがな」は、
劣った中国語の致命的な欠陥を完全に解決したのである
https://zh-classical.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%B4%A0%E9%80%B1%E6%9C%9F%E8%A1%A8
元素週期表
Simple Periodic Table Chart-en.svg
元素週期表,載列諸元素,以質子多寡、電子構型,並化性所類而序之。如名所示,是表律有週期。以縱為族,而橫列週期。金類處左,非金置右,同族有似化性者。有六族特賦名之,若鹵素族十七、稀有氣體族十八。又有四矩,通軌域之佈也。
此表所列,可繫諸原行之近性,亦可測新素而考其性也。創表者,俄化學家門捷列夫也,一八六九年製成,時所察元素眾,旨表律之,又可估未得元素之性。嗣後,多有發現,模型易新,漸次更易,以至今貌。今為化效分析、化學諸範、並核物理所用。
今覓有原行序一(氫)至一百一十八(鿫),首七週期俱全[一][二]。自然所得者,有頭九十八類,亦有幾稀之屬;餘者序九十九至一百一十八皆實驗室所製[註 一]。將有第八週期元素始製,多有究察。又,有放射同位素,多合成於實驗室矣。
章
一 概
二 列規
三 註
四 攷
概
元素者,各賦以序,示質子之數。[註 二]夫同種元素,其中子之數亦可異,曰同位素。碳者常存同位素有三,質子有六,而中子數異:六中子者盈(碳十二),七中子者百中有一(碳十三),而八中子者稀(碳十四)。週期表內,置於一格,不以區分。是表常列原子量,而同位素皆燥者,則以至久半化者,又以弧括示之。[三]
周期表內之元素者,增序而列之。若有電子置乎新殼層者,表列新行,為次週期矣。至於縱列(族),電子構型所定。乎同族之元素,電子之數同侔。氧硒同族,皆有四電子於p軌也。同族者,化性亦類乎,而f區、d區者,各區元素亦類性也。故若知某素之性,則亦可估旁者也。[四]
迨二零一六年,列有實存元素一百一十八。新覓者四,有一百一十三、一百一十五、一百一十七、一百一十八,二零一五年十二月,國際純粹與應用化學聯合會有証合成,二零一六年六月定其名(又定為官名於十一月),至於大陸,定漢名於丁酉年五月,曰鉨nihonium,符Nh、曰鏌moscovium,符Mc、曰鿬書如“石田”,tennessine,符Ts、曰鿫從“气”傍加“奧”,oganesson,符Og。[五][六][七][八]
自存於世者有前九十四元素,所餘廿四元素,皆為所製。自存者有八十三性穩而自有,所剩十一類獨顯乎衰變之進程也。砹(號八十五)、甚重於鎄者(九十九爾後者)未能製眾,而鈁者(號八十七)僅錄乎光輻射於塵量下(僅有原子三十萬)。[九]
列規
是表序原子之輕重,上者輕,下者重。亦述其性質,歸之於屬,左爲金屬之屬,右爲非金屬之屬,又序過渡金屬、鑭、錒凡其種種,錄於其間。
其間有列,由首及終因質子數也。週期橫列,族則縱列,族支職副。其中橫有週期七,縱有主族七,副族同之,另有第八族三,〇族數一,凡十八縱列。同族元素者,以最外層電子數同故也。是表自左至右,自上至下,既易橫行,元素性質週而復同,故名之曰「元素週期表」。
註
有元素若干,乃是先製而又有覓於自然者。玆列於此: 鎝/鍀(四十三)、鉕(六十一)、砹(八十五)、錼/鎿(九十三)、鈽/鈈(九十四)、鋂/鎇(九十五)、鋦(九十六)、鉳/錇(九十七)、鉲/鐦(九十八)。
又有列中子為零號元素者。
攷
Chemistry: Four elements added to periodic table- BBC News - 存於2016-01-04自[{{{址}}} 原本]。
Four New Names Officially Added to the Periodic Table of Elements- New York Times - 存於2017-08-14自[{{{址}}} 原本]。
Greenwood & Earnshaw, pp. 24–27
Gray, p. 6
New elements on the periodic table are named - 存於2016-06-10自[{{{址}}} 原本]。
Discovery and assignment of elements with atomic numbers 113, 115, 117 and 118 - 存於2016-06-13自[{{{址}}} 原本]。
Hello, Nihonium. Scientists Name 4 New Elements On The Periodic Table - 存於2016-06-10自[{{{址}}} 原本]。
Koppenol, W. H. .. title .. (PDF). Pure and Applied Chemistry. 2002, 74 (5): 787–791. doi:10.1351/pac200274050787. (原始内容存檔 (PDF)於2008-10-31).
Silva·Robert J. The Chemistry of the Actinide and Transactinide Elements ; 第三版; Dordrecht, The Netherlands:施普林格科學+商業媒體,二千有六年; ISBN 1-4020-3555-1;〈Fermium, Mendelevium, Nobelium and Lawrencium〉
元素週期表
譯名見異,臺譯在先,陸譯在後,香港兼從
氫 氦
鋰 鈹 硼 碳 氮 氧 氟 氖
鈉 鎂 鋁 矽硅 磷 硫 氯 氬
鉀 鈣 鈧 鈦 釩 鉻 錳 鐵 鈷 鎳 銅 鋅 鎵 鍺 砷 硒 溴 氪
銣 鍶 釔 鋯 鈮 鉬 鎝鍀 釕 銠 鈀 銀 鎘 銦 錫 銻 碲 碘 氙
銫 鋇 鑭 鈰 鐠 釹 鉕 釤 銪 釓 鋱 鏑 鈥 鉺 銩 鐿 鎦鑥 鉿 鉭 鎢 錸 鋨 銥 鉑 金 汞 鉈 鉛 鉍 釙 砈砹 氡
鍅鈁 鐳 錒 釷 鏷 鈾 錼鎿 鈽鈈 鋂鎇 鋦 鉳錇 鉲鐦 鑀鎄 鐨 鍆 鍩 鐒 鑪 𨧀 𨭎 𨨏 𨭆 䥑 鐽 錀 鎶 鉨 鈇 鏌 鉝 鿬 鿫
鹼金屬 鹼土金屬 鑭系元素 錒系元素 過渡金屬 貧金屬 類金屬 非金屬 鹵素 貴氣體 其性待考
詳知其事,請閱化學入門。
聲音動静,具錄於維基共享︰元素週期表
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鉨(Nihonium,Nh)是一种人工合成化学元素,化学符号为Nh,原子序数为113。渠具有极高个放射性,该元素最稳定个同位素鉨-286,渠个半衰期为10秒。拉元素周期表中,鉨是过度金属中个P区元素,渠是第7期搭第13组(硼组)个成员。
鉨最初发现是2003年,由俄罗斯搭美国合作拉俄罗斯杜布纳联合原子核研究所发现,拉2004年日本埼玉县和光市个理化学研究所(理研)科学家团队也有相关发现。
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