日曜日, 6月 02, 2019

現代貨幣理論MMTを問う(下)政策の枠組み、日本と相違 宮尾龍蔵・東京大学教 授 2019/6/3付日本経済新聞 朝刊


現代貨幣理論MMTを問う(下)政策の枠組み、日本と相違

上記事は以下のような認識が足りない

https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/e6298021c0fa9ce5be4c47d467474bde

それ故に、と、Wrayは言う。

政府の財政黒字(=貯蓄超過)は、常に
その後の景気沈滞を伴う。
合衆国の歴史において、財政黒字の期間は
過去に6回あった。そして、いずれもその直後に
深刻な景気後退に陥っている。1835年には合衆国の歴史において
初めて、そして唯一、公的債務が完済された。予算黒字は
その後2年間続いた。37年には深刻な不況に陥り、連邦政府はそれ以来
公的債務を完済したことはない。1817年から1821年にかけて、債務残高は
GDPの29パーセントまで低下した。23年から36年にかけて上記のとおり、ゼロを達成した。
52年から57年にかけて、59パーセントまで低下した。
67年から73年にかけて、27パーセントまで。
80年から93年にかけて、50パーセントほど、そして、1920年から1930年にかけて、
約33%程度までに減らしている。これら6回の債務残高減額の努力は、
1819、1837、1857、1893、1929の深刻な不況に終わった。
これは偶然ではない。
民間部門だけで、政府の貯蓄を吸収して
なおかつ成長が続くほどに民間投資が活発で、
しかも、収益力がある―繰り返すが
投資収益が金利を下回れば
持続不可能である―状態が継続するということは、
貿易収支が安定して黒字でもない限り、
極めて難しいのである。。。。。

あるいは、



https://www.nikkei.com/content/pic/20190603/96959999889DE6E7E7E3E0EBEAE2E1E3E2E7E0E2E3EB9997EAE2E2E2-DSKKZO4551299031052019KE8000-PB1-1.jpg

現代貨幣理論MMTを問う(下)政策の枠組み、日本と相違

米国を中心に「現代貨幣理論(MMT=Modern Monetary Theory)」を巡る論争が熱を帯びている。「自国の通貨を発行して借金ができる国は財政赤字を増やしても心配ない」とする主張は、主流派の経済学者や政策当局トップから「大惨事を招く」「全くの誤り」と痛烈に批判されてきた。
この論争が分かりにくいのは、批判する主流派学者もインフラ投資の拡大や医療保険の充実など積極的な財政支出を提唱する点だ。政策の内容だけをみれば、伝統的なケインズ経済学とMMTは共通点が多い。
われわれ日本人が困惑するのは、提唱者のステファニー・ケルトン米ニューヨーク州立大教授が「日本はMMTを実践してきた」と、最近の財政金融政策をMMT理論の実践と位置付ける点だ。政府・日銀は明確に否定するが、公的債務は膨張を続け、日銀による大規模国債買い入れや長期金利をゼロ%程度にコントロールする政策は、MMTの政策提案に重なってみえる。
MMTの理論は経済学の中にどう位置づけられるのか。そしてそれはどう誤りで、日本の財政金融政策の枠組みと何が異なるのか。議論の整理を試みたい。
経済学の中の位置づけから考えたい。伝統的なケインズ経済学では、不況や失業を克服する手立てとして政府の介入を是とし、処方箋として財政金融政策を提唱する。簡単に確認すると、金利が短期・長期とも十分なプラス領域にあれば、金融緩和で金利を引き下げ、企業の設備投資や家計の消費支出、住宅投資などを刺激する。公共投資や減税などの財政の拡張はより直接に支出に働きかけられる。
一方、財政赤字は国債の増発と長期金利の上昇を招き、民間支出を締め出す恐れがある。ただし深刻な不況などの場合には、積極財政と金融緩和を同時に実行して金利上昇を抑制し、より大きな支出創出効果を目指すという選択肢もある。
主流派経済学には政府の介入に慎重な新古典派経済学もある。景気減速や失業は人々の最適な行動の結果である一方、政府の財政出動には無駄が多く含まれ、経済の生産性や効率性をむしろ阻害する要因とみる。政府サービスは国防や法制度など必要最低限とし、小さな政府に通じる減税は容認しても、公共投資や社会保障など大きな政府につながる財政赤字は容認しないというのが基本姿勢だ。
MMTは伝統的ケインズ経済学との親和性が高いようにみえる。失業や需要不足を前提としたモデルで議論する点、公共投資や社会保障など積極財政を支持する点、金融緩和と組み合わせて金利上昇を抑制する点など、多くの面で共通する。
ではなぜローレンス・サマーズ米ハーバード大教授などケインズ派の重鎮たちがこぞってMMTを批判するのか。それは理論の背景で想定される政策レジームの違いにある。政策レジームとは、一連の政策が将来にわたり繰り返し実行される制度的な枠組みを指す。
表1は政府と中央銀行の政策レジームの組み合わせを表したものだ。主流派経済学では、政府は財政収支の均衡を目指し、中央銀行は物価の安定を目指すことが想定される(表1のA)。
新古典派では財政バランスを短期かつ厳格に守り、ケインズ派では中長期かつ緩やかに目指すといった違いはあるが、収支の帳尻という制約があることに変わりはない。中央銀行は政府・財政とは独立した法制度のもと、物価安定を目標として金融政策運営を行う。これらは現代の先進国に共通する政策レジームだ。
一方、MMTでは財政収支の均衡を目指さない政府と、物価安定を目指さず政府・財政に従属する中央銀行の組み合わせを想定する(表1のB)。政府は無規律・無制約に財政赤字の拡大を続け、中央銀行は物価安定でなく、財政をサポートするための金融緩和と金利抑制が義務づけられる。
MMTが異端で誤りとされる理由はまさにここにある。財政拡張や金融緩和という政策行動は同じにみえても、それを実行する政策レジームの組み合わせが異端なのだ。MMTの世界では、中央銀行は枠組みとしての財政従属に取り組む責任があるため、それが実行可能となるように中央銀行法や財政法は改正される。インフレ率をコントロールする責務は、中央銀行ではなく政府と議会が担う。
景気過熱や高インフレが懸念されれば、増税により抑え込むとMMT論者は主張する。しかしただでさえ増税は不人気であり、合意形成に時間がかかる。機動的かつ十分な増税ができなければインフレが高進し、「インフレ税」により人々の生活は圧迫される。
政策レジームという観点からとらえれば「日本はMMTを実践してきた」との主張が誤りなのも理解できよう。政府と日銀による機動的な財政政策と大規模な金融緩和というポリシーミックス(政策行動の組み合わせ)は、MMTが想定するような政策レジームの下で実施されたものではない。
すなわち日本政府は中長期の財政再建を国際的な公約として表明している。膨張を続ける社会保障関連支出も、保険料引き上げ、年金のマクロ経済スライド、消費税増税などの取り組みを伴っている。決してフリーランチ(ただ食い)で運営されているのではない。
日銀は物価の安定を政策目標とし、その政策運営の独立性と透明性は日本銀行法により規定されている。国債引き受けも財政法で禁じられている。大規模な国債買い入れや長短金利をコントロールする政策は、政府と合意した2%の物価安定目標のもと、日銀自らの判断で実施してきた。
政策レジームは一連の政策行動が将来にわたり繰り返され、そして当局がそれにコミットするという意味を持つ。そのためには制度的な枠組みも必要となる。同じ財政赤字と金融緩和でも、日本は通常のレジームを堅持しているからこそ経済の安定が保たれている。
かつてデフレ脱却の処方箋として「ヘリコプターマネー」(貨幣発行でファイナンスされる減税政策)や「インフレが2%に達するまで財政再建を棚上げにして消費税増税を延期すべきだ」との議論(物価水準の財政理論)といった提案がなされた。それぞれが依拠するレジームは表1のBおよびCに分類できる。仮に各提案を実行すれば、法制度など枠組みの変更を伴う点に留意する必要がある。
MMTを巡る論争に意義があるとすれば、財政政策の選択肢を再考するきっかけになったことだ。主流派の学者の間でも、財政赤字や公的債務のメリットが見直されるようになった(オリビエ・ブランシャール前米国経済学会長の講演)。これまでの前提が近年変化し、安全資産である国債の金利が成長率を持続的に下回っている(図2参照)。
仮にこの状態が持続すれば、公的債務の国内総生産(GDP)比率の発散は抑えられ、財政政策の余地は広がる。MMTのようなフリーランチは仮定せず、しかし分断された社会の声にも応えていく知恵が主流派経済学にも求められる。
<ポイント>
○伝統的なケインズ経済学と多くの共通点
○政府・中銀、財政均衡や物価安定目指さず
○日銀は金融緩和策を財政に従属せず実施
みやお・りゅうぞう 64年生まれ。ハーバード大博士。専門はマクロ金融。元日銀政策委員会審議委員