ストック-フロー一貫モデル(SFCモデル:Stock-Flow Consistent model)
ストック-フロー一貫モデル(SFCモデル:Stock-Flow Consistent model)
MMT_OMF:Overt Monetary Financing(明示的財政ファイナンス)
https://nam-students.blogspot.com/2019/06/mmtomfovert-monetary-financing.html
OMO
https://nam-students.blogspot.com/2020/03/open-market-operation-omo.html
Stock-Flow consistent model、Three balance approach
ウェイン・ゴドリー
http://nam-students.blogspot.com/2019/04/embracing-wynne-godley-economist-who.html
SFCプロトタイプ成長モデル2020
https://nam-students.blogspot.com/2020/02/sfc.html
![]() | Steve Keen (@ProfSteveKeen) |
While Neoclassicals stumble on with #DSGE models, @AFD_en @AFD_France is developing highly sophisticated non-equilibrium monetary models of developing economies. afd.fr/en/ressources/… @rethinkecon @PostCrashEcon @ysi_commons @StephanieKelton @stf18 pic.twitter.com/7UiuOkSfSM
|
Modelling Small Open Developing Economies in a Financialized World: A Stock-Flow Consistent Prototype Growth Model∗ S. Devrim Yilmaz† Antoine Godin‡ This version: February 6, 2020
https://www.afd.fr/sites/afd/files/2020-02-06-25-40/A%20Stock-Flow%20Consistent%20Prototype%20Growth%20Model.pdf
![]() | 地域通貨花子1 (@TiikituukaHana) |
https://twitter.com/tiikituukahana/status/1232012456483905543?s=21
MMTの源流にして基礎、ゴドリーのSFCモデルとは?
![]() | Eric Tymoigne (@tymoignee) |
Paradox of thrift (Keynes) and paradox of taxation (MMT extending Keynes). pic.twitter.com/uKamKwU3xQ
|
ケインズ:バランスの取れた予算で貿易不均衡のない経済を想定:S≡I.IはS、Sを引き起こす
経済活動の単なる残余です。 rif約を高くしてもS-は上がりませんが、Y-inが下がるだけです
S-が変わらないような方法。 国内民間部門がより多くを節約するためには、
投資(Paradox of Thrift)。
MMT:投資のない経済、貿易不均衡のない、すべてが使い捨てであると仮定する
個人所得が消費されます:T≡G. GがT. Tを引き起こしますTは経済活動の単なる残存です。
より高い税率はTを引き上げませんが、Tが変わらないような方法でY-を減らすだけです。 課税する
より多くの政府が支出する必要があります(課税のパラドックス)。
![]() | キュンキュン (@kyunkyun02) |
一般にMMTでは貯蓄-投資=純貯蓄=財政赤字 で、ここでの投資、つまり貯蓄の中から投資に使われたお金は財政赤字とは無関係になると思います。でも下記のモズラー記事では「投資のための貯蓄」自体も、財政赤字の原因となるのでは?econdays.net/?p=10584
@psj95708651 @erickqchan @motidukinoyoru |
![]() | 佐藤一光 (@kazzuaki) |
私の理解ですと、MMTは「決済の実務」の分析を通じて貨幣の本質を明らかにした、のであろうと。
ホリゾンタル→ヴァーティカル→ヒエラルキー→TDM観、貨幣主権性。 MMC→ミンスキーの半世紀+VMC=赤字の不可避性→JG/ELR。 専門じゃないので何か落ちていたらご指摘ください。 twitter.com/sumannne/statu… |
MMTとは?
政府-非政府部門間垂直取引の図、
https://econ101.jp/wp-content/uploads/2018/02/Deficit-spending-101.png
①~⑩はレイ『MMT現代貨幣理論入門』に対応する章番号
⑥歴史 (クナップ~⑥には名前はなくケインズが言及される)
⑨⑩過去 (ユーロ、イネス) キーストローク
《政府部門》[OMF=Overt Monetary Financing、④⑦ (ラーナー)
財務省と中央銀行 (明示的財政ファイナンス)]
[物やサービスを販売、▲ ┃[中央銀行業務(OMO=公開市場操作,決済)、③
金を販売] ┃ ┃ 外貨、金、 ┏━┓open market operations
┃ ▼ 政府支出]┏━┛ ┗━┓①
③ (ミンスキー) JGP⑧ ┳┻━━━━━┻┳(海外バランスシートを加えて)
《民間の信用市場》 《非政府部門》 ┃通貨のストック┃[SFCストックフロー一貫モデル
レバレッジ活動←→ 銀行、家計、 ━━ ┃準備預金、国債┃ Stock-Flow consistent model、
全取引の合計はゼロ 民間企業 貯蔵 ┻━━━━━━━┻ Three balance approach]
貸出が預金を創造 ┃ 《非政府のブリキ小屋》 (ゴドリー)
[銀行信用、 ▼ 累積財政赤字を貯蔵
社債、 《税》 ②⑤
未公開株] 純金融資産を除去[租税貨幣論(Tax-driven monetary view)]
┃
▼
《ゴミ箱》へ ディレートキー
⑩未来
同様の図が Macroeconomics ,William Mitchell 他 2019 p.371にもある、
https://i.gyazo.com/1222f5e0400220d26c894fbc52b22a05.jpg
レイのバスタブや、ケルトンの以下の説明(「a vertical line works better…」)とも呼応している。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1133002891201933313/pu/vid/1280x720/WhePUmi_ZpvaVkpH.mp4
MMTとは?
政府-非政府部門間垂直取引の図、
https://econ101.jp/wp-content/uploads/2018/02/Deficit-spending-101.png
①.~⑩はレイ『MMT現代貨幣理論入門』に対応する章番号
⑥歴史
⑩過去 キーストローク
《政府部門》[OMF=Overt Monetary Financing、④⑦
財務省と中央銀行 (明示的財政ファイナンス)]
[物やサービスを販売、▲ ┃[中央銀行業務(OMO=公開市場操作,決済)、③
金を販売] ┃ ┃ 外貨、金、 ┏━┓open market operations
┃ ▼ 政府支出]┏━┛ ┗━┓①
③ JGP⑧ ┳┻━━━━━┻┳(海外バランスシートを加えて)
《民間の信用市場》 《非政府部門》 ┃通貨のストック┃[SFCストックフロー一貫モデル
レバレッジ活動←→ 銀行、家計、 ━━ ┃準備預金、国債┃ Stock-Flow consistent model、
全取引の合計はゼロ 民間企業 貯蔵 ┻━━━━━━━┻ Three balance approach]
貸出が預金を創造 ┃ 《非政府のブリキ小屋》
[銀行信用、 ▼ 累積財政赤字を貯蔵
社債、 《税》 ②⑤
未公開株] 純金融資産を除去[租税貨幣論(Tax-driven monetary view)]
┃
▼
《ゴミ箱》へ ディレートキー
⑨未来
ランドール・レイ『MMT現代貨幣理論入門』目次
序論 現代貨幣理論の基礎
① マクロ会計の基礎 ~1つの部門の赤字は、別の部門の黒字に等しい
② 自国通貨の発行者による支出 ~租税が貨幣を動かす
③ 国内の貨幣制度 ~銀行と中央銀行
④ 自国通貨を発行する国における財政オペレーション~政府赤字が非政府部門の貯蓄を創造する
⑤ 主権国家の租税政策 ~「悪」に課税せよ、「善」ではなく
⑥ 現代貨幣理論と為替相場制度の選択~失敗するように設計されたシステム「ユーロ」
⑦ 主権通貨の金融政策と財政政策 ~政府は何をすべきか
⑧「完全雇用と物価安定」のための政策 ~「就業保証プログラム」という土台
⑨ インフレと主権通貨 ~「紙幣印刷」がハイパーインフレを引き起こすわけではない
⑩ 結論──主権通貨のための現代貨幣理論 ~MMTの文化的遺伝子
同様の図が Macroeconomics ,William Mitchell 他 2019 p.371、
https://i.gyazo.com/1222f5e0400220d26c894fbc52b22a05.jpg
レイのバスタブや、ケルトンの以下の説明(「a vertical line works better…」)とも呼応している。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1133002891201933313/pu/vid/1280x720/WhePUmi_ZpvaVkpH.mp4
MMTとは?
政府-非政府部門間垂直取引の図、https://econ101.jp/wp-content/uploads/2018/02/Deficit-spending-101.png
①.~⑩はレイ『MMT現代貨幣理論入門』に対応する章番号
⑥歴史
⑨⑩過去 キーストローク
《政府部門》[OMF明示的財政ファイナンス]④⑦
財務省と中央銀行
[物やサービスを販売、▲ ┃[中央銀行業務(OMO=公開市場操作,決済)、③
金を販売] ┃ ┃ 外貨、金、 ┏━┓
┃ ▼ 政府支出]┏━┛ ┗━┓①
③ JGP⑧ ┳┻━━━━━┻┳(海外バランスシートを加えて)
《民間の信用市場》 《非政府部門》 ┃通貨のストック┃[SFCストックフロー一貫モデル
レバレッジ活動←→ 銀行、家計、 ━━ ┃準備預金、国債┃ Stock-Flow consistent model、
全取引の合計はゼロ 民間企業 貯蔵 ┻━━━━━━━┻ Three balance approach]
貸出が預金を創造 ┃ 《非政府のブリキ小屋》
[銀行信用、 ▼ 累積財政赤字を貯蔵
社債、 《税》 ②⑤
未公開株] 純金融資産を除去[租税貨幣論(Tax-driven monetary view)]
┃
▼
《ゴミ箱》へ ディレートキー
⑩未来
OMF=Overt Monetary Financing(明示的財政ファイナンス)
OMO=open market operations(公開市場操作)
ランドール・レイ『MMT現代貨幣理論入門』目次
序論 現代貨幣理論の基礎
① マクロ会計の基礎 ~1つの部門の赤字は、別の部門の黒字に等しい
② 自国通貨の発行者による支出 ~租税が貨幣を動かす
③ 国内の貨幣制度 ~銀行と中央銀行
④ 自国通貨を発行する国における財政オペレーション~政府赤字が非政府部門の貯蓄を創造する
⑤ 主権国家の租税政策 ~「悪」に課税せよ、「善」ではなく
⑥ 現代貨幣理論と為替相場制度の選択~失敗するように設計されたシステム「ユーロ」
⑦ 主権通貨の金融政策と財政政策 ~政府は何をすべきか
⑧「完全雇用と物価安定」のための政策 ~「就業保証プログラム」という土台
⑨ インフレと主権通貨 ~「紙幣印刷」がハイパーインフレを引き起こすわけではない
⑩ 結論──主権通貨のための現代貨幣理論 ~MMTの文化的遺伝子
同様の図が Macroeconomics ,William Mitchell 他 2019 p.371、
https://i.gyazo.com/1222f5e0400220d26c894fbc52b22a05.jpg
レイのバスタブや、ケルトンの以下の説明(「a vertical line works better…」)とも呼応している。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1133002891201933313/pu/vid/1280x720/WhePUmi_ZpvaVkpH.mp4
https://econ101.jp/ビル・ミッチェル「赤字財政支出-101-part-3」(2009年3月2日/…
政府-非政府部門間垂直取引の図、
https://econ101.jp/wp-content/uploads/2018/02/Deficit-spending-101.png
OMF=Overt Monetary Financing(明示的財政ファイナンス)
OMO=open market operations(公開市場操作)
《政府部門》
財務省と中央銀行 OMF,キーストローク
[物やサービスを販売、▲ ┃[中央銀行業務(OMO,決済)、
金を販売] ┃ ┃ 外貨、金、 ┏━┓
┃ ▼ 政府支出]┏━┛ ┗━┓
┳┻━━━━━┻┳
《民間の信用市場》 《非政府部門》 ┃通貨のストック┃
レバレッジ活動←→ 銀行、家計、━━ ┃準備預金、国債┃
全取引の合計はゼロ 民間企業 貯蔵 ┻━━━━━━━┻
貸出が預金を創造 ┃ 《非政府のブリキ小屋》
[銀行信用、 ▼ 累積財政赤字を貯蔵
社債、 《税》
未公開株] 純金融資産を除去 → 《ゴミ箱》へ
(OMO - open market operations、公開市場操作)
上で示した図では、ストック累積が、我々が「非政府部門のブリキ小屋」
(Non-government Tin Shed)と名付けた不換紙幣・準備預金・政府債券の蓄積
によってなされるということを示している。.…どこかに備蓄地域があって、国民
政府がそこにすべての余剰物資を後の利用のために備蓄している…という大衆の
思い込みを解除するために、「ブリキ小屋」(Tin shed)というアナロジーを用
いている…実際には、そこに備蓄などない…。垂直の線の一番下は税で、ごみ箱
に繋げることで、何かをファイナンスしているのではないことを強調している。
税は民間部門の金融収支を減じるが、何ら政府のプラスになるわけではない――
その減少分は請求されるものの、どこかへ流れるわけではないのだ。
同様の図が Macroeconomics ,William Mitchell 他 2019 p.371、
https://i.gyazo.com/1222f5e0400220d26c894fbc52b22a05.jpg
レイのバスタブや、ケルトンの以下の説明(「a vertical line works better…」)とも呼応している。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1133002891201933313/pu/vid/1280x720/WhePUmi_ZpvaVkpH.mp4
![]() | MMT gang (@KF0612) |
カレツキのモデルと統合したものは有るみたいだけど、MMTというよりポストケインジアンの話。 / “CiNii 論文 - カレツキアン・モデルの新しい展開 : ストック・フロー・コンシステント・モデル(<特集>カレツキ経済学の現…” htn.to/Sy7bYyf4
|
https://twitter.com/kf0612/status/843755060047765504?s=21
https://www.jstor.org/stable/1991374 有料
https://core.ac.uk/download/pdf/59289236.pdf 13p
IS-LM分析によって代表される標準的ケインジアンの「所得・支出モデル」に含まれている資産は、トービンによれば、①政府要求払債務,②銀行預金,③長期国債,④実物資本,⑤民間債務の5つである1)。このモデルには5資産(あるいは①と②をひとまとめにして貨幣とすれぽ4資産)が存在するけれども、奇妙なことに収益率は2つしか存在しない。すなわち、1つは貨幣の名目利子率であるが、通常これは制度的にゼロであると考えられる。他は「単一利子率」(the rate of interest)である。これは③,④,⑤の3資産に共通する利子率であると仮定されるが、長期国債利子率と同一視されている。こうした単一利子率の基礎にある考え方は、実物資本資産、長期国債および民間債務が資産保有者のポートフォリオにおいて完全な代替物であるとみなしていることである。いったん1つの利子率(たとえば長期国債利子率)が決定されると、その他の利子率はそれから危険と価格変動期待の適当な掛酌分だけ異なることになる。したがって、「所得・支出モデル」において市場諸力が説明すべきは、貨幣と貨幣以外の収益資産との間のボー、トフォリオ選択という問題に単純・圧縮されるのである。
しかしながら、存在する資産を貨幣と非貨幣的資産の2つのグループに分けることは行き過ぎた単純化であると言わざるを得ない。むしろ諸収益資産が完全な代替物であるよりは、それらが密接であるが不完全な代替物であるとみなす方が合理的であろう。トービンは諸資産をいくつかの異なったタイプの資産に類別化し、各資産に対する需要・供給の均衡によってそれらの相対市場利子率が決定されると考える。こうした認識の背景には、第2次大戦後、巨額の国債の累積と商業銀行以外の金融仲介機関の発達とによって代表される、先進資本主義経済における金融構造の著しい変化があることはいうまでもない。
カレツキアンモデル,大野・西論考2011
https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/47/4/47_KJ00009361663/_pdf 13p
![]() | MMT gang (@KF0612) |
リアルビジネスサイクルは代表的個人、ロビンソン・クルーソー1人居れば成立するけど、サーキットセオリーは貸借関係なので最低でも主体が2人必要。
リアルビジネスサイクルは財の生産が全てを規定するけど、サーキットセオリーは財の生産は貨幣を得るための手段でしかない。 twitter.com/KF0612/status/… |
《政府部門》[*OMF明示的財政ファイナンス]
財務省と中央銀行
[物やサービスを販売、▲ ┃[中央銀行業務(OMO=公開市場操作,決済)、
金を販売] ┃ ┃ 外貨、金、 ┏━┓
┃ ▼ 政府支出]┏━┛ ┗━┓
┳┻━━━━━┻┳(海外バランスシートを加えて)
《民間の信用市場》 《非政府部門》 ┃通貨のストック┃[*SFCストックフロー一貫モデル
レバレッジ活動←→ 銀行、家計、━━ ┃準備預金、国債┃ Stock-Flow consistent model、
全取引の合計はゼロ 民間企業 貯蔵 ┻━━━━━━━┻ Three balance approach]
貸出が預金を創造 ┃ 《非政府のブリキ小屋》
[銀行信用、 ▼ 累積財政赤字を貯蔵
社債、 《税》
未公開株] 純金融資産を除去[*租税貨幣論(Tax-driven monetary view)]

1900年 世界恐慌 2000年 世界金融危機
人類学 ┏イネス ポランニー グレーバー
┃グリアソン インガム
社会学 ┃ジンメル
リスト ⬇︎ ウェーバー
ドイツ ┃ ⬆︎ [☆=MMT]
┏歴史学派┃クナップ(➡︎ケインズ、ラーナー)
⬇︎ ┗┓ ⬇︎
┗旧制度学派┃コモンズ (ジョン・ガルブレイス)➡︎ ジェームス・ガルブレイス☆
┃ ┃ (ケインズ➡︎┛)
マルクス ┃ ┃ カレツキ━━━━┓ ラヴォア
┃ ┗━━➡︎┓ ⬇︎ ゴドリー
ケインズ ┗━━━━━➡︎ケインズ ➡︎ ミンスキー ➡︎ レイ☆、ケルトン☆
ポスト・ケインズ派┏━━┛┗➡︎ラーナー⬆︎ ミッチェル☆、キーン
┏━┛ ┃(カルドア)
┃ ┃ グッドハート
実務家 ⬆︎ エクルズ ┃ オカシオ=コルテス☆
┗ホートリー(ケインズ)┃ (リスト) モズラー☆
日本 ┃ ┗➡︎中野剛志☆、三橋貴明☆
┃ 西田昌司☆、藤井聡☆
┃
シュンペーター シュンペーター━━━━┛ カルドア ムーア
https://en.wikipedia.org/wiki/Modern_Monetary_Theory
Illustration of the saving identity with the three sectors, the computation of the surplus or deficit balances for each and the flows between them[36]
MMT labels any transactions between the government, or public sector, and the non-government, or private sector, as a "vertical transaction". The government sector is considered to include the treasury and the central bank. The non-government sector includes domestic and foreign private individuals and firms (including the private banking system) and foreign buyers and sellers of the currency.[37]
CITATION Close[36] CBO-An Update to the Economic Outlook: 2018 to 2028-Retrieved November 12, 2018
CITATION Close[37] Mitchell, William; Wray, L. Randall; Watts, Martin: Macroeconomics, Red Globe Press, 2019, ISBN 978-1137610669. pp.84-87
さて、前回(MMT集中講義①)では、通貨が本質的に負債であり、国家貨幣が(徴税前借)政府負債として機能することで、現代金融資本主義の基礎が用意された旨(Tax-driven monetary view)を紹介した。
ここでは、MMTの理論構造のもう一つの柱、Stock-Flow consistent model(SFCモデル)について論じる。Stockは(金融)資産、Flowは(金融)資産の増減(キャッシュフロー)で、consistentは「一貫した、整合性のある」という意味である。要するに、「金融資産とその変動における一貫的整合的モデル」と呼べるだろう。
このモデルでは、一般に、民間バランスシート、政府バランスシート、海外バランスシートに分類して分析が進められる。このため、当該モデルはThree balance approachと呼称されることもある。
「現在、アメリカでMMTが議論されるのは
結局のところ、政府が財政政策によって
いくら赤字を出しても、債務が累積しても
困ることはない、という場当たり財政主義的な
要請が大きい模様だ。
しかし、実際には、MMTの理論は
クリントンの時代、
アメリカがGoldilock経済成長を実現したと思われており、
政府予算の黒字が定着した、と、世間や
主流派経済学が思い込んでいた時に、
危機の理論として完成している。
全く逆なのだ。」
"Stock-Flow Consitent Approach"
あるいは"Three Balance Approach"
といわれるものである。
これは、Wynne Godleyというイギリスの経済学者(2012年没)によって
発展させられた論理パターンあるいは方法論である。
Wynne Godley 自身はMMTではない。
ストック−フロー一貫モデルと従来の計量経済モデルの違い
長所 | 短所 |
---|---|
通常、国民経済計算の制約を用いて枠組みを提供する | モデルの方程式が特定の主体の最適化問題に明示的に結び付いていない |
グロスのフローとバランスシートのポジションが部門別にモデル化できる | 枠組みがきちんと確立されておらず、他の研究から洞察を取り入れるのが困難 |
金融資産や債務のポジションから生産や支出の経路へのフィードバックをモデル化するのに使える | モデルは複雑であり、使われている主要な経済のメカニズムの働きを説明するのが困難 |
貨幣、信用、金融システムの重要な役割を取り込むことができる | データに持っていくのが大変:必要とされるデータが、より標準的なDSGEモデルに比べて多い |
主体の予想を様々に特定化する枠組みを提供できる | モデルのパラメータはルーカス批判を免れない:政策レジームの変化や、駆動過程の時系列特性の変化に影響される |
SFCは、おそらく間違いなく、ミクロ的基礎付けを持つ多くのモデルよりも行動の仮定が現実的である | モデルがあまり明確に経済理論と関連付けられていない |
この表についてレン−ルイスは以下のような指摘を行っている。
- 短所1はほぼ定義そのもの。DSGEモデルはミクロ的基礎付けを持つが、SFCモデルはマクロベースの関係を出発点とする。ただ、このことはSFCモデルに限った話ではなく、従来の計量経済モデルも同様。
- 短所3と短所4も、多くの大型の計量経済モデルと共通した話。また、短所5は短所1から直に出て来る話。
- レン−ルイスに言わせれば、短所6こそが、他の計量経済モデルに比べた場合のSFCモデルの特徴。他の計量経済モデルでは、使用する関係性の理論的起源にこだわるのが一般的だが、BOE論文を見る限り、SFCモデルはそうではない。
- 長所に目を転じると、他の計量経済モデルへの目配りが欠けていることが一層明らかとなる。長所1と長所2は、DSGEを含め、どのモデルにも当てはまる話である。長所3は非常に重要ではあるものの、やはり多くの計量経済モデルと、DSGEモデルの一部に当てはまる。
- 長所4もDSGEを含めたどのモデルにも当てはまる話。長所5も、予想変数が明示的に特定化されていれば、どの計量経済モデルにも当てはまる。
- 長所6も、ほぼ必然的にどの計量経済モデルにも当てはまる話。というのは、マクロベースから出発して理論と折り合いを付けようとすれば(かつ、内的整合性を暗黙裡に断念すれば)、DSGEに比べてデータの当てはまりは良くなる。
レンールイスは以下のようにエントリを結んでいる。
To summarise, if you were to ask how this model compares to other aggregate (non-microfounded) models, the answer would probably be that it takes theory less seriously and it has a rather elaborate financial side.
The New Classical counter revolution had many good and bad consequences, but one of the undesirable consequences was, it seems, to define the equivalent of a year zero in macroeconomics, where nothing that was not in the New Classical tradition created before (or even after) this revolution is deemed to exist. The same should not be true for heterodox economists. If you are going to effectively return to a pre-DSGE tradition, please do not pretend that tradition did not exist.
...One of the big dangers with any kind of elaborate aggregate model is that you can get bizarre model properties from not thinking enough about the theory, or imposing enough because of the theory. Knowing some of the authors I doubt that has happened in this case. But it would be a mistake for others to believe that the properties of their model show the importance of accounting rather than the theory they have used.
(拙訳)
まとめると、このモデルが他のマクロ(ミクロ的基礎付けを持たない)モデルと比較してどう違うのか、と問うた場合、その答えは、理論をそれほど真剣に捉えていない半面、金融面を丁寧に作り込んでいる、というものになろう。
新しい古典派の反革命は、善悪両面の帰結を数多くもたらしたが、望ましくない帰結の一つは、マクロ経済学における零年に相当するものを定義したように思われる点である。即ち、この革命以前に(あるいは以後でも)創造されたもので新しい古典派の伝統に則っていないものは、存在していないものと見做される。異端派の経済学者はそのような態度をとるべきではない。DSGE以前の伝統に正式に回帰したいのであれば、そうした伝統が存在しなかった振りはお止め頂きたい。
・・・いかなる種類の精密なマクロモデルにおいても大きな落とし穴が存在するが、その一つは、理論のことを十分に考えないため、もしくは、理論の制約を十分に掛けないため、奇妙なモデル特性を得てしまう、というものである。論文の著者の中には知人もいるので、ここでそうしたことが起きたとは思わない。しかし、彼らのモデルが、彼らの使用した理論よりも会計の重要性を示した、と考えるのは間違いである。
さて、前回(MMT集中講義①)では、通貨が本質的に負債であり、国家貨幣が(徴税前借)政府負債として機能することで、現代金融資本主義の基礎が用意された旨(Tax-driven monetary view)を紹介した。
ここでは、MMTの理論構造のもう一つの柱、Stock-Flow consistent model(SFCモデル)について論じる。Stockは(金融)資産、Flowは(金融)資産の増減(キャッシュフロー)で、consistentは「一貫した、整合性のある」という意味である。要するに、「金融資産とその変動における一貫的整合的モデル」と呼べるだろう。
大袈裟な名前に比して、内容は極めて簡単だ。誰かの金融資産が追加されるとき、誰かの金融資産が減少しているか、あるいは金融負債が発生している。全体で見て、金融資産と金融負債は相殺されてゼロになる。誰かの黒字は誰かの赤字であり、その必然的帰結として、誰かの金融資産は誰かの金融負債である。
注意しておくべきなのは、これはマクロ金融に関する一貫的整合的モデルの話であって、実務会計とはかなり異なるということである。
実務会計では、保守性原則に従って資産は若干割り引かれて評価されるし、株式のように、資金調達手段ではあるが実務的には負債として計上されないものもある他、政府貨幣は(財務省が現金主義的会計を取っているため)日銀券とは異なり、純資産として計上されることになる。
しかし、保守性原則(履行不確実性の評価)をとりあえず置いておいた場合は、ある者の負債は必ず同額のある者の資産になることは明白だし、株式は、履行義務がないから負債として計上されないとはいえ、その保有は配当及び所有-被所有関係に基づくのであって、株式それ自体がマクロで純資産として機能することはない。また、前にも述べたように、国家貨幣は徴税前借政府負債として機能するのであって、これは政府貨幣も同様である。政府貨幣が実務で金融負債として記述されないのは、単に会計制度的な問題に過ぎず、マクロで見て政府貨幣それ自体が純資産として機能することなどあり得ないことは明らかであろう。
こうしたマクロ的金融評価の原則を評価した分析統計としては、資金循環統計がある。こちらでは、株式も、政府貨幣も、それぞれすべて企業負債、政府(日銀)負債として処理され、一貫性のある(consistentな)バランスシートが記述されている。
このモデルでは、一般に、民間バランスシート、政府バランスシート、海外バランスシートに分類して分析が進められる。このため、当該モデルはThree balance approachと呼称されることもある。
内容は極めてシンプルだ。もし政府バランスシートの黒字を目指そうと思ったら、民間、海外バランスシートの赤字形成を目指さなければならない、というだけである。
当然、民間バランスシートの黒字を目指すなら、政府、海外バランスシートの赤字を実現するしかない。
さて、ここからがMMTの真骨頂である。このモデルを紹介しているwankonyankorickyさんの記事を参照しよう。
MMTについて⑥ストック・フロー・アプローチまたはGoldilocksの経済学
「現在、アメリカでMMTが議論されるのは
結局のところ、政府が財政政策によって
いくら赤字を出しても、債務が累積しても
困ることはない、という場当たり財政主義的な
要請が大きい模様だ。
しかし、実際には、MMTの理論は
クリントンの時代、
アメリカがGoldilock経済成長を実現したと思われており、
政府予算の黒字が定着した、と、世間や
主流派経済学が思い込んでいた時に、
危機の理論として完成している。
全く逆なのだ。」
危機の理論、危機の思想としてのMMTというのはどういうことか。それは以下のような意味においてである。
アメリカの経済史の事実として、政府が大幅に財政黒字を達成するようなことが起きると、そのあと必ずといってよいほど金融ショックを経験した。これは偶然ではなく、会計的な必然である。
まず、政府が財政赤字を減らし、財政黒字を増やすような経済とは、海外B/Sがそこまで極端に動かない限りにおいては、民間のキャッシュフローが大きな赤字になっている経済である。これは、一般には、民間が多大な借入債務を負ってどんどん支出しているような経済である。
技術的に大きなキャッチアップ過程にあり、どんどん必要な生産設備を作っているような状態であれば、そのようなキャッシュフロー赤字も許容できるかもしれない。しかし、そういった場合はあまりなく、基本的には、そうした民間債務の爆発的成長は、金融バブルの産物である。
つまり、財政黒字の出現は、金融バブルの発生を知らせる、極めて特異度の高い「腫瘍マーカー」なのである。
MMTは、金融ショックの回避を選好し、同時に総需要の高位安定を目指す。いわゆる「好景気」ですら、それがバブル発生を促すようであれば、忌避され得る。
その中で、少なくとも安定成長以下の経済においては、十分な財政赤字の提供こそが、民間バブルの形成を抑制する「最低限の」条件である。そうでなければ、バブル抑制と十分な総需要を両立できないからである。
(このことは、低成長経済における金融財政政策のトリレンマ (及び 成長批判のトリレンマ再訪)でも論じたことがある)
また、この理論的枠組みを利用しつつ基軸通貨国(=アメリカ)の最適政策を考察した記事として、基軸通貨国アメリカが経常収支赤字を維持すべき理由という記事を書いたことがある。
骨子はこうだ。国際貿易が基軸通貨ドルによって行われるにあたり、各国にはドルの貯蓄需要が不可避的に発生するが、それはアメリカの経常収支赤字(ドルの発行と提供)という形でしか実現しない。民間での赤字累積(fromバブル)を回避する限りにおいては、そこで発生するのは(海外B/Sの黒字に対応する)政府赤字である。つまり、アメリカの双子の赤字は、ドルが基軸通貨として機能するにあたって、必然的に起こることであり、また起こるべきことであるから、それを「解決」しようとする態度それ自体が間違っているのである。
Stock-Flow consistent model、Three balance approachの適切な理解は、こうして適切な政策の導出に不可欠なものであるが、このMMTの卓見もまた、ほとんど世界的に共有されていない状況である。
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続き:MMT集中講義③ 内生的貨幣供給、そしてJob Guarantee Program
"Stock-Flow Consitent Approach"
あるいは"Three Balance Approach"
といわれるものである。
これは、Wynne Godleyというイギリスの経済学者(2012年没)によって
発展させられた論理パターンあるいは方法論である。
Wynne Godley 自身はMMTではない。
しかし、MMTの中心地であるbard collageの
Levy Institute の一員として
Wray やTchereva と同僚であり、
Papadimitriou やマルク・ラボワなどを通じても
MMTに大きな影響を与えている(ラヴォア自身もMMTではない)。
ラボワによれば、GodleyはMMTの
強力な支持者だった、ということであるが、、
Wray によれば、Godleyは
最終的に" Tax Driven Money View "を共有するには
至っていなかった(もう少し、長く共同で研究を続けることができれば、
受け入れたであろうと、信じているそうだが)。また、
政策としての、Job Guarantee Program についての言及も
見られない。さらに言えば、為替市場の役割について。
Wrayは、この点では絶対に合意に達することはなかっただろう、
といっている。
もともとGodleyは、さほど高名な学者というわけではない。
むしろ、どちらかというと「挫折を繰り返す」タイプの
学者だったようだ。
マスコミのトーク番組に引き出されるような
タイプではない。これは彼自身の経歴と、
「典型的なイギリスジェントルマン」と揶揄された
控えめな性格によるところも大きいとのこと
(幼少期の心理療法が悪かった、という説も?)。
そのため、長らく「知る人ぞ知る」という存在に甘んじていたわけだが
ロバート・シラーやスティーブ・キーンなどと同様、
サブプライム危機の発生を予言できた珍しい経済学者として
(経済学者以外では、それほど珍しくない?)、
それ以前に比べれば、大いに知られるようになった。が、
もともと、どちらかというと寡作なタイプでもあり
さらには、2008年に大著"Monetary Economics" を
出した後、2012年に、第二版の出版に前後して
永眠するなど、どうあっても絶対にメジャーにはなれないように
運命づけられていたような学者であった。
経済学者になる前は音楽家を目指しており、
パリ管弦楽団にオーボエ奏者として
入団したものの、目が出ず経済学者に転じたという変わり種である。
そのため、「近年のアングロサクソン人ではめったに見られないほど」
フランス語が堪能だったという。
また、早くから、フランスやイタリアのケインジアンとの交流があり、
最初の著書Francis Clipps との共著"Macro Economics" は
August Graziani の影響も大きく受けた
ほかのアングロ・サクソン系には見られない
きわめて独創的な教科書となっている。
経済学者(アナリスト)としてのキャリアは
イギリスの中央銀行から始まっている。
しかし、サッチャー政権の登場とともに、
根っからのケインジアンであったため
見せしめ的に、かどうかは知らないが、
中央銀行を放逐されたという。そののち、
ケンブリッジに職を得るが、
ケンブリッジでの研究生活は理解を得られたものとは言えなかったようで、
マルク・ラボワが初めてケンブリッジに訪れ、
ハーコートやカルドアといった人々の知遇を
得た際、
Godleyにも会いたい、と申し出たところ、
「あんな無学の馬鹿者」と会っても時間の無駄だ、といわれ、
結局会うことができなかった、という。(誰がそういったのかは、
書かれていない。)
ラボワ自身は、その後も彼の著作活動において
貨幣問題については上述の書物を参照することが多かった、とのことであるが、
アンワー・シャイクによれば、
Godley自身は、決して数学的才能に恵まれていたわけではなかった
(ジョーン・ロビンソンに似ているという)とのことだが、
若い研究者には数学モデルの構築を積極的に勧めていたようである。
また、初めてRandall Wray に会った時も
Godley は独特の数学的モデルを提示したのであったが、
しかしWrayは、当時、数学的モデルから落ちこぼれる制度的要件の研究に
没頭しており、Godleyの数学的モデルの価値を認めることができなかった。
そのため、両者の最初の面談は
あまり穏やかなものではなかったとのことである。
Godleyの着眼点は明確である。
CT派と同様、貨幣の流れそのものに着目する。
CT派同様、マクロ経済学の「会計的一貫性」を重視するが、
CT派が、理論的武器としてどちらかというと
T勘定によってその一貫性を確認しようとする傾向が強いのに対し、
Godleyは、多欄式、というか、各部門ごとの連結状態を示す
マトリックスを用いる。このマトリックスは
文字通りの「バランスシート」(「残高表」のことであり、
日本語でいうところの、企業の「貸借対照表」や
ポジションステイトメントとは全く別)である。
諸部門間の貨幣的な結びつきは、
このマトリックスに示される貨幣的な貸借の関係として
「事後的に」示される。
マクロ経済学がミクロ経済学によって基礎づけをすることは
不可能だと考える点は、PK派、CT派共通の問題意識である。
外生的ショックなりなんなりで不均衡が生じた場合、
マーケットメカニズムによって均衡に達するというのは,
まあ、いい。
しかし問題は、その不均衡が均衡へと調整されるとき、
価格や数量に大きな変化が生じるわけだが、
ミクロ経済学では、この変化によって生じる大量の不良債権や
滞留在庫がどうなるのかが、全く議論されない。
これらの扱いが決まらなければ、
マクロ経済学的な変数は何も決まらない―つまり、
会計的な一貫性はまったく保てない。
要するに、ミクロ経済学というのは、マクロ経済学的には
フィージブルではないのである。
それにもかかわらずマクロ経済学をミクロ経済学によって基礎づけてしまえば、
つまり、均衡価格と均衡数量に達してしまえば、
そこから漏れてしまうもの、そこに発生しうる大量の
不良債権や不良在庫の問題は、なくなってしまう。
本来マクロ経済学が取り組むべき問題とは、
こうしたところにあるはずであろう。
つまり、ミクロ経済学に基礎づけられたマクロ経済学というものは
そもそもマクロ経済学が取り組むべき問題が発生しないように
組み立てられているのではないだろうか。
ミクロ的均衡は問題の解決ではなく、せいぜいよく言って
出発点でしかないのだろう。市場が均衡しているかしていないかにかかわらず
我々は生産や取引を続けざるを得ないのであり、
常に、在庫不足・在庫過剰、デフォルト、リスケジュール、
こうした出来事に直面しているのであり、
そしてそれを表現する手段を必要としている。
フローとストックを一枚の表で表現することで
こうした関係を示す便利なツールを手に入れることができる。
Godleyの理論を詳細に知ろうと思えば
500ページにも及ぶ彼の大学院生向けの教科書に
目を通すしかないが、
これはさしあたり、今のおいらの手に負える話ではない(いつなら
負えるんだ?)。
ざっと見たところ、
数学的なレベルは、せいぜい二階の微分方程式が出てくる程度で
難しくはなさそうである。しかし
数学はともかく、コンピューターを使ったシミュレーション云々の話になると
ますますおいらの手におえるものではなくなってしまう。
若い人にはぜひ取り組んでほしい。
日本評論社あたりで、翻訳出してくれないかなあ。
できれば、5000円ぐらいで。。。(ふざけるな、って言われちゃうか)
ここでは、Godleyの追悼論文集に寄稿された
Wrayの論文を紹介することで、
MMTとGodleyのStock-Flowアプローチの関係を
紹介するにとどめる。
もっとも、このWrayの論文も
突然の訃報に対応する形で
急ぎまとめられたものなのかもしれないが
全体の3分の2、下手をすると5分の4ぐらいが
過去の論文の引用という、
やや、やっつけ仕事感の漂う論文である
(学生がこういうレポートを提出してきたら
どう対応しているのかね?)。
と、いうわけで、このブログは
やっつけ論文をさらにいい加減にまとめただけの
超貧困ブログということになってしまうが、
それでも、両者の関係を知るには
今更新しいことをあれこれ言われるよりは、
具体的に、
過去においてどのような論文でどのようなつながりがあったのかを
知るほうが、
有効かもしれない。(と、無理やり正当化してみるわけだが。。。)
本論文ではGoldilocks 経済とWrayが呼ぶもの、
つまり、クリントン時代の、熱すぎもせず、
冷え過ぎもしない経済状態、
アメリカの対外経常赤字が史上最大となり
同時に国内では、政府予算が黒字となり、
ゴア副大統領が「未来の社会保障制度のため、
政府が貯蓄をする」という計画を打ち出し、
そして、(今日でも)しばしば、
「アメリカ経済が最適経路に乗った時期」といわれる時代の経済について、
当時、WrayやGodley が行った批判が
回顧されている。どうでもいいが、Goldilocks というのは
童話「三匹のくま」に出てくる女の子の名前だそうである。
当時、サマーズやイエレン(現連銀理事帳。
この論文が書かれた時期、イエレン女史が連銀議長になるとは
あまり想像していなかったであろう)といった主流派の
エコノミストが、当時の状態についてどのような楽観的なコメントを
との比較によって、このアプローチの性格が
明瞭になるだろう。
以下、本論文の内容であるが、
Wrayは、Godley のストック=フローアプローチを
ケインズ/カレツキー/レヴィモデルに代わるもの
と位置付けている。
ケインズの所得方程式、カレツキーの
利潤方程式、レヴィーの所得方程式など
いずれも、同じ内容であるが、もっとも簡単なのは
カレツキーの利潤方程式である。
カレツキーの利潤方程式は、
企業利潤=
企業投資 + 政府支出 + 純輸出 + 利潤からの消費(資本家消費)
- 賃金からの貯蓄(労務者貯蓄)
で、定義できる。
ここで、企業の利潤が正であるためには
たとえば、企業の投資、純輸出、資本家消費、労務者貯蓄が
すべてゼロの時、政府支出が正である必要がある。
80年代、レーガン政権の初期、
純輸出はすでに長年マイナスであり続け、今後一層
大きくなる見込みであった。企業投資は縮小を続けていた。
簡単に、資本家消費と労働者貯蓄をゼロと仮定した場合、
つまり、「古典派」ケースの場合、
政府支出が大きくならない限り、
利潤の低下とともに、ますます投資支出が減少し、
アメリカ企業の利潤はますます小さくなってゆく。
しかし、資本家の消費が大きければ?
それどころか、労務者の貯蓄がマイナスになったら?
これは、ミンスキーの中では、ただの理論的可能性の話にすぎず、
現実の資本制経済の動態としてイメージされていたわけではなかった。
ところが、80年代、そして90年代の景気回復時期を通じて
アメリカの一般家計(その大部分は、労務者であろう)は
現実に、大きなマイナスの貯蓄を記録することとなった。
(尚、こうした事実をWrayは、
人口に膾炙しているいわゆる「ミンスキーモメント
(ミンスキーの瞬間)」に対して
「ミンスキーの半世紀」と呼んでいる。家計部門の大幅な赤字は
短期的なユーフォーリアではなく、
世界恐慌から50年以上たって、社会構造・心理構造自体が
家計のポンツイ金融を発生させやすくしてしまった、
という長期的構造変化に対応するものと
考えられているらしい。)
WrayがGodleyに出会ったのは、
こうした問題を考察している時であった。
GodleyのThree Balance Approach であれば、
カレツキーやケインズの方程式より、
はるかに論点を明確にできる。
Godleyは、国内を
政府部門、民間部門、海外部門に区分する。
そして、民間部門の買い部門として
企業部門と家計部門を配置する。
国内経済を3部門に区分した場合、
3つの部門の純資産・純負債の残高の合計は
当然、ゼロになる。
Goldilocks経済の時代、
アメリカの対外経常赤字は、極端に膨れ上がった。
対外経常赤字、ということは
外国をアメリカ国内経済の「海外部門」として扱った場合、
黒字部門、資金余剰部門ということになる。
こうした中で政府部門まで黒字予算になった、
つまり、資金余剰主体になった、ということは
民間部門の赤字が、
政府部門及び海外部門の黒字の両方を吸収できるほど
大きいということだ。
これは、いくつかのことを意味している。
まず、この赤字は、家計の消費支出が主導で行われた。
家計の累積債務は過去にないほど大きくなった。
次に、この間、アメリカの製造業の生産性の上昇は
芳しくなかった。海外製品との競争に
打ち勝てるような条件はなかった。
そしてこのことは、アメリカという国が
外国諸国にとって大きな貯蓄フローの吸収源になっていた、
ということを意味する。
当時の世界経済では、アメリカが、ほぼ唯一の
過剰貯蓄の吸収源になっていたのである。
と、言うことはアメリカ経済が揺らいで
債務の返済ができなくなるようなことがあれば
それだけで世界経済に大きな影響が生じる、
ということである。
国内金利の支払いのほうが、国内収益より大きければ
当然、金利の支払いができなくなり
経済的には行き詰まる。
当時のアメリカの国内の生産性を前提とすれば
この成長モデルは行き詰るのが自明とも言えた。
実際、アメリカではITバブルは2002年にははじけることとなった。
しかし、
こうして膨れ上がった民間の債務が償還不能となり
危機に陥るかに思われたのだが、
この点ではWrayやGodley、Papadimitoriouらは
やや悲観的過ぎたようである。
"マエストロ"グリーンスパンの金利の引き下げによって
今度は再び住宅にバブルが発生し
「雇用改善なき回復jobless recovery」が始まる。
結局、民間債務はさらに大きく膨らみ続けた。
さて、ここで問題にしたいのは
民間部門と政府部門の関係である。
政府部門が黒字であるためには、
民間部門が赤字でなければならない。
(海外部門は、黒字が続くものと想定されている。)
つまり民間部門には、政府の貯蓄超過 + 対外経常赤字
に等しい債務が毎年つみあがってゆくことになる。
ミンスキーとWrayが討論していた時代には
そのようなことは考えられなかった。
民間部門の赤字は
基本的には企業の投資需要であって
家計が大きく赤字になって、
海外部門や政府部門の黒字を吸収するなどということは
想像の話にすぎなかった。こうしたことが
ごく短期的にはありえないとは言わなくても
長期的にサステナブルであるとは考えられなかった。
つまり、
当時、サマーズやイエレンが主張したような
10年も20年もの政府の黒字予算を続けるためには
それだけの借金を民間、とりわけ家計部門が
形成してゆかなければならないのである。
これが持続可能であるためには、
この借金および金利を家計が
償還し続けることができなければならない。
それだけ、家計の所得が伸び続けなければならない。
そのためには、家計部門が、
さらに速度を上げて負債を借り続けなければならない。
つまり誰かが借金をして、その借金で支出をし
その支出が誰かの所得を形成し
それでその所得を受け取った人が、借金と金利を返済し続けることが
できなければならない。そのためには、
少なくとも貨幣所得が急激に伸びなければならない。
たとえ、借入人がサブプライム層であっても。
償還に必要な所得を、借入の増加が下回れば
これはもう持続不可能である。
そして、たまたま持続不可能となる家計の数が、
ある時に集中するような条件がそろえば、
そこからはドミノ倒し式に、負債が償還不能となる。
当然、危機が発生する。
こんな危うい状態を、サマーズやイエレンは
20年も持続可能である、と信じていたのだ。
そしてゴア(マグマ大使の悪党じゃなくて、
民主党の大統領候補)は、この余剰金は
ゆくゆくは、福祉のための基金に充てられるであろう、
と考え、これを
「将来世代に対するプレゼント」だといったのである。
もちろん、民間部門と政府部門が同時に黒字になる、
ということもあり得ないわけではない。その場合には
海外部門が赤字、つまり、それだけの対外経常黒字を
生み出さなければならない。
しかし、これは全く非現実的な話であった。
国際収支バランスが対外経常黒字となるには、
輸出が伸びるか、輸入が減るか
この二つのどちらかを実現することが必要である。
(対外投資収益だけで経常収支を黒字にする、
というのはもとより不可能であった。)
アメリカの当時の生産性では、とても輸出を伸ばすことなど
見込めない。他方で、
輸入を制限するとなれば、
国内的な景気を著しく悪化させるという方法があるが、
これは、結果として税収を著しく落ち込ませるであろうから
サマーズやイエレンのプランとは矛盾する。
そして、国際的な貯蓄過剰をもたらし
国際経済全体を沈滞させる結果になるであろう。
逆に言えば、こうしたことから考えるなら
結局のところ、アメリカ政府の黒字は
政府自身の努力の成果というよりは
単に、景気がよくなり、政府の税収が増えた一方で
民間の貯蓄不足が生じたため、
民間部門の資金余剰を同部門の資金不足が上回り
政府の資金過剰を吸収することができた、という「構造」によるものなのであり、
もしも民間不足で貯蓄超過状態であれば
政府がどれほど努力しようと
政府の貯蓄超過が形成されることはありえなかった。
ただ政府の支出を上回る租税と
民間の貯蓄超過が無駄な棚卸品として民間に形成されるだけであり
そしてそれは、経済を沈滞へと追い込むだけである。
それ故に、と、Wrayは言う。
政府の財政黒字(=貯蓄超過)は、常に
その後の景気沈滞を伴う。
合衆国の歴史において、財政黒字の期間は
過去に6回あった。そして、いずれもその直後に
深刻な景気後退に陥っている。1835年には合衆国の歴史において
初めて、そして唯一、公的債務が完済された。予算黒字は
その後2年間続いた。37年には深刻な不況に陥り、連邦政府はそれ以来
公的債務を完済したことはない。1817年から1821年にかけて、債務残高は
GDPの29パーセントまで低下した。23年から36年にかけて上記のとおり、ゼロを達成した。
52年から57年にかけて、59パーセントまで低下した。
67年から73年にかけて、27パーセントまで。
80年から93年にかけて、50パーセントほど、そして、1920年から1930年にかけて、
約33%程度までに減らしている。これら6回の債務残高減額の努力は、
1819、1837、1857、1893、1929の深刻な不況に終わった。
これは偶然ではない。
民間部門だけで、政府の貯蓄を吸収して
なおかつ成長が続くほどに民間投資が活発で、
しかも、収益力がある―繰り返すが
投資収益が金利を下回れば
持続不可能である―状態が継続するということは、
貿易収支が安定して黒字でもない限り、
極めて難しいのである。。。。。
Wrayは、現在(書かれたのは2012年)のオバマ政権において
サマーズやイエレンが再び重用されていることを
危惧している。(イエレンがFRBの理事長に就任するのは
2014年4月)
アメリカは、大規模な金融緩和によって
景気が改善しそうな兆候を見せ始めてはいる。
しかしながら、議会や世論には、常に
「財政ヒステリー」グループが存在しており、
この圧力が強まれば、再び政府に財政黒字
(政府貯蓄超過)を迫ることになる。
これによって、再び歴史が繰り返されることに
なるかもしれない。
結局のところ、
均衡財政など、経済の健全性を示す指標には
なりはしない。経常収支が赤字である以上
財政が黒字になってしまえば
海外部門と政府部門の双方が貯蓄部門となってしまい、
民間部門だけでそれを吸収しなければならないが
そのためには、民間部門が急速に
債務比率を高める必要がある。
サブプライムローンバブルのようなものが、
必然的に発生する、あるいは、しているのである。
本論文が公表されたのは、2012年であるが、
その大部分は、冒頭に述べたとおり、
ほとんどが過去のペーパーからの引用である。
つまり、ここに書かれていることの多くは
後知恵的な話ではなく、
同時代・進行形で書かれていた。
2012年時点で回顧した時、
MMTのスリー・バランス・アプローチが
どれほど適切であったか―ITバブル崩壊の影響を
「軽視」しすぎたことを除いて(火薬を積み増しすることによって、
目先の爆発を先送りするという手段がありうるとは、
当時は、MMTの誰にも想像できなかったのである)―、
改めて理解できる。そして、
逆説的だが、
政府部門の赤字の累積は危機の兆候ではない。
黒字こそ、将来の危機を予告するものなのである。
これが、GodleyのStock=Flow Approach あるいは
Three Balance Approach といわれるものから得られた
MMTの結論である。
ところで、同じことを日本に当てはめて考えてみよう。
ちょうど、日本も、今や海外部門が均衡しつつある。
そのうえで、日本の政府部門が
累積債務残高は、財務省の公表によれば
2013年時点で224.3%に及ぶという。
何年かかけてこれを100%までに減らすとすれば、
民間部門は、目標年数の期間をかけて、
GDPの124.3%に及ぶ金額の投資超過額を吸収しなければならないのである。
問題は、政府部門より民間部門にある
といわなければならない。
さて、最後に二つの点に注意しておきたい。
第一は、MMTの出自にかかわる問題だ。
現在、アメリカでMMTが議論されるのは
結局のところ、政府が財政政策によって
いくら赤字を出しても、債務が累積しても
困ることはない、という場当たり財政主義的な
要請が大きい模様だ。
しかし、実際には、MMTの理論は
クリントンの時代、
アメリカがGoldilock経済成長を実現したと思われており、
政府予算の黒字が定着した、と、世間や
主流派経済学が思い込んでいた時に、
危機の理論として完成している。
全く逆なのだ。
MMTは、政府債務の規模が大きくなりすぎ
それによって経済に対する悪影響が懸念されていた時ではなく、
政府の債務が減少し始め、
将来世代が、政府の貯蓄によって恩恵を受けることができる、と
副大統領が華々しく宣言をしたときに
そんなはずはない、という産声を上げたのである。
救済の伝道者ではなく、危機の預言者だった。
いわゆる「リフレ派」やネオケインジアン
(といっても、実はおいらもよく知らないのだが)とは、
こうした点が明瞭に異なっている。
このような、危機の思想が、
「金を刷れば、世の中が救済される」などという
楽観的なものになるはずはない。
確かに、政府部門はいくら債務を膨らませても
自国通貨建てである限り、
それ自体でデフォルトに陥るという危機はない。
それどころか、政府部門の債務が累増してゆくことは、
必然ですらある。仮に、
現在のアメリカ合衆国の国債を全額返済する、となれば、
アメリカの民間部門及び海外部門が
それだけの赤字を計上し続けなければならない。
民間家計部門が、単独でそれを実現することは、
上記のとおり、不可能である。
民間投資が大きくなるためには、
それだけの購入先がなければならないが、
政府部門がその役割を果たせないわけだから、
民間家計部門と海外部門が、それだけの投資から生まれる製品を
購入し続けなければならない。
これは、国際的に、
アメリカ以外、ほぼすべての国が
巨額の赤字を毎年計上し続けなければならないことを
意味する。今後、中国やインド、ロシアやブラジルがどのような
経済発展を遂げるのかはわからないが、
しかし、少なくとも、合理的な根拠をもとに
あてにできるシナリオではない。
アメリカ、あるいはすべての、
資本蓄積が一定以上の水準に達した産業国では
政府の赤字の累増は、必然ですらある。
そして、デフォルトの可能性がなく債務を膨らまし続けることができるのは
唯一、主権通貨を発行している政府部門だけなのだ。
おそらくは、こうした歴史的背景の違いが、
Tchernevaの言うMMTの「第一世代」と
それ以後のMMT系のエコノミストとの違いに現れているのではないだろうか。
MMTの「第一世代」にとっては
大切なのは、民間部門および海外部門との関係の中での
政府部門の役割である。政府債務は
民間部門に対応して大きくなることによって
資本制経済を、相対的に安定させることに寄与するだろう。
政府部門の債務は、いくら大きくなってもデフォルトを心配する必要はない。
だがそれは、政府部門がいくら債務を膨らませても問題ない、ということを
意味するわけではない。あくまでも、マクロ経済的な条件に応じて
増やすべきなのだ。
だから、民間の支出が不足している場合には
政府が赤字を生み出すことで、つまり、民間部門に
新しい資産を提供することで、民間の成長を支えるに
とどまる。それゆえ、政府の貨幣発行による赤字は
Job Guarantee Program のような、
裁量に基づくまでもなくカウンターサイクリカルな動きをするものに
限定されなければならない。
景気の過熱をさまし、ベースマネーを減らすために
税収が支出を上回ることはあっても、
それは政府の「将来に備えての貯蓄」を意味するようなものではなく、
あくまでも貨幣の流通残高をコントロールするだけのものでなければならない。
こうした問題意識は、その後の
サブプライムローン危機による雇用崩壊から
政府貨幣論にたどり着いた人の間に
大きな意識のずれがあったとしても、不思議ではない。
そして、最後にもう一つ指摘すれば、
このストック=フローアプローチの、外国に対する含意である。
ストック=フローアプローチでは、外国は、
国内の海外部門として一括されていた。
これは、海外に対する債権であれ債務であれ、
その保有者は国内にいるわけだから
その反対勘定を海外部門とすれば、貨幣的にはそれで事足りたわけだが、
しかし、実際には、外国は外国であって、
国内の海外部門ではない。
ストック=フローアプローチを拡張して
複数国にまたがる債権・債務関係を、同様に考えることも
可能なはずだ。
そうすると、たとえば、日本とアメリカのことを考えてみよう。
日本もアメリカも、数多くの国と交易している。だから、
日本とアメリカ二つの国の間の関係だけを取り上げても、
実際上の分析には、大した意味はないだろう。
だから、これはあくまでも、きちんとした問題提起に先行して
その準備として、イメージを膨らませておこう、という程度の意味しかないが、
世界に日本とアメリカしかないとした場合、
そして、めんどくさいから国際間の資本取引もなくしちゃうが、
その場合、日本で政府部門と民間部門が同時に黒字であるためには
海外部門が赤字(輸出超過)でなければならない。
日本で海外部門が赤字であるためには、
アメリカの海外部門が黒字(輸入超過)でなければならない。
そのためには、アメリカの民間部門か政府部門の
少なくともどちらか一方が、赤字でなければならない。
かつて、日本のある「経済通」の政治家が、
「アメリカには、黒人とかプエルトリコとかいて、
破産したって、アッケらかんのカーだ」とのたもうたことが
国際的な批判を浴びたことがあった。
これは、日米貿易摩擦の中で、
アメリカが、巨額の対日貿易赤字を
まるで日本の責任であるかのように主張してきていることに対する
反論というような文脈で出た言葉でもあった。
しかし、今や別の見方をしなければならないことになる。
政府-非政府部門間垂直取引の図、
https://econ101.jp/wp-content/uploads/2018/02/Deficit-spending-101.png
改訂版:
《政府部門》[*OMF明示的な貨幣供給]
財務省と中央銀行
[物やサービスを販売、▲ ┃[中央銀行業務(OMO公開市場操作,決済)、
金を販売] ┃ ┃ 外貨、金、 ┏━┓
┃ ▼ 政府支出]┏━┛ ┗━┓
┳┻━━━━━┻┳(海外バランスシートを加えて)
《民間の信用市場》 《非政府部門》 ┃通貨のストック┃[*SFCストックフロー一貫モデル
レバレッジ活動←→ 銀行、家計、━━ ┃準備預金、国債┃ Stock-Flow consistent model、
全取引の合計はゼロ 民間企業 貯蔵 ┻━━━━━━━┻ Three balance approach]
貸出が預金を創造 ┃ 《非政府のブリキ小屋》
[銀行信用、 ▼ 累積財政赤字を貯蔵
社債、 《税》
未公開株] 純金融資産を除去[*租税貨幣論(Tax-driven monetary view)]
┃
▼
《ゴミ箱》
パソコンの画面モデルへの連想から原図はゴミ箱が下隅に置かれていたが、真下の方がいい
ケルトンのディレートキーの比喩がわかりやすい
ミッチェルはOMFとヘリコプターマネーを同一視しているが、jGPのようなシステム構築が必要だ。
なぜなら物価が上がってからはjGPは効力がなくなるから。
ミッチェル最新書籍における同様の図 Macroeconomics ,William Mitchell 2019 p.371、
Figure 23.2 Vertical and horizontal macroeconomic relations、
https://i.gyazo.com/1222f5e0400220d26c894fbc52b22a05.jpg
三橋貴明による同種の図、https://i.gyazo.com/38b2bf4d857fd651ec8953ce68bebc59.png
…
政府の財政黒字(=貯蓄超過)は、常に
その後の景気沈滞を伴う。
合衆国の歴史において、財政黒字の期間は
過去に6回あった。そして、いずれもその直後に
深刻な景気後退に陥っている。1835年には合衆国の歴史において
初めて、そして唯一、公的債務が完済された。予算黒字は
その後2年間続いた。37年には深刻な不況に陥り、連邦政府はそれ以来
公的債務を完済したことはない。1817年から1821年にかけて、債務残高は
GDPの29パーセントまで低下した。23年から36年にかけて上記のとおり、ゼロを達成した。
52年から57年にかけて、59パーセントまで低下した。
67年から73年にかけて、27パーセントまで。
80年から93年にかけて、50パーセントほど、そして、1920年から1930年にかけて、
約33%程度までに減らしている。これら6回の債務残高減額の努力は、
1819、1837、1857、1893、1929の深刻な不況に終わった。
これは偶然ではない。
民間部門だけで、政府の貯蓄を吸収して
なおかつ成長が続くほどに民間投資が活発で、
しかも、収益力がある―繰り返すが
投資収益が金利を下回れば
持続不可能である―状態が継続するということは、
貿易収支が安定して黒字でもない限り、
極めて難しいのである。。。。。
資本とは 資本と資産の違いと、資本と利益の関係 会計の基礎知識
資本とは 資本と資産の違いとは 会計の基礎知識
貸借対照表での違い

資本と利益の関係 会計の基礎知識



終わりに
プログレッシブ宣言! feat. 大石あきこさん!
今回はちょっと雰囲気変えて、日常の調子で飲みに行っておりまして。【にゅん氏なじみの小料理屋にて】
「大将こんばんは!」
「にゅんさんいらっしゃい。今夜はカウンターで二名様だよね?予約とか珍しいね!」
「そうそう、ありがとう。大将、もしかして大石あきこさん(ご本人サイト)って人知ってる?大阪の。その人が来るんだけど。」
「おー、知ってるも何も、自分大阪出身ですからね。橋下府知事の最初の朝礼でその人が立ち上がって知事に噛みついたニュースはよく覚えるし。たしか新知事が、若手職員だけに一斉メール送って『職場に不満があったらどんどん自分に言え』ってやったんだよね。」
「そうだっけ。」
「若いのにしてみりゃあ、そんなこと言われても困っちゃうわなあ、直属の上司に言って通じなかったらってならわかるけどよ。」
「大将、わかってるね。サラリーマンやってたっけ?」
「で、奴はその朝礼で壇上から『始業前の朝礼が時間外だって言うなら勤務中のタバコも私語もオレは認めないぞ、給与カットだぞ』みたいにぶったわけだ。ガキか。そこでだ。我らが大石、作業服のまま思わず立ち上がり、こうタンカを切ったってわけよ。「ちょっと待ってくださいよ!」って。ありゃあスカッとしたもんよ。よくぞ立ち上がった!(うっとり)」
「(そうだったのか)」
「で、たしか、さいきん公務員やめて選挙に出て、、、ってにゅんさん知り合いなの?」
「いやね、その大石さんからメールをもらってさ。なんでもMMTに関心があるとかで、にゅんブログなんてもんを見つけてくれて質問があるって来て。それで、ちょっとやりとりしたら面白くなってきねえ。だって労働運動やってるって言うじゃない。大将にはいつも言ってるけど、いまMMTに足りないのは労働運動でしょ。それじゃあ、実際に対談をやってそのままブログネタにしちゃえばってことになったんよ。」
「うわ、そりゃ合うね。」
「それでほら、ブログでMMTレンズシリーズやってるでしょ。あれって、JGPをGIFアニメにしたいってだけなんだけど、書き始めたら結構説明が長くなっちゃってて。」
「あれはあと何回くらいなの?」
「内容的にはあと三回分くらいだけど、一人でやってると表現が行き詰っちゃうんだよね。それで筆が進まないし、聞き手役みたいなキャラを入れたいイメージも出てきて。ダメ元で大石さんに打診してみたら乗り気になってくれたというわけ!」
「へえ、そいつは楽しみだ。」
「ただねえ、大石さんって松尾匡先生と行動を共にしているわけね。緩和マネーの。。。それで、ブログとかでもこの店でもさんざん批判してたやん。あー、薔薇マークもやったし。そのことを大石さんすごく気にされちゃって。」
「そりゃそうだろうね。あんなの見たら。」
「でもよく聞いたらねえ、松尾先生は関西では労働運動を先導している大きな存在だとかで、まあこっちは匿名をいいことに、ちとやりすぎたかなと...」
「まあ、そこは素直に下手に出るところだな。『にゅんさんのやっていることは左派の分断です!』とか言われるかもよ!」
「あはは、そんなこと言ってて『ちょっと待ってくださいよ!』って登場したらどうすんの!カウンターの下に隠れるか(笑)」
【大石さん登場】
「あっはっは。あ、らっしゃーい!」
「大石です、こんばんはー」
(起立して)
「(…怖くなさそう)こんばんは。自分がにゅんオカシオコルテスです!」
「(...リアルでハンドルネーム?)ど、どうも、こちらのお席でよろしいのですか。失礼します。」
「さっそくですが、じゃあ流れでお話よろしくお願いしまーす!飲み物どうします?」
「それじゃ、とりあえずビールでお願いします。ええと、MMTなんですけど、私も薔薇マークの活動でケルトン教授の来日講演に関わるなど、反緊縮運動の中で世界で話題のMMTというものがどのようなものか見極めてみたいと考えているので、このお話は願ったりかなったりではあるんです。」
「この企画のきっかけは、大石さんからメールをいただいたことでした。自分が翻訳サイト道草で紹介した、とあるレイのエントリの内容についてでした。まず送信者のお名前を見て、え~!あの大阪で薔薇マークの大石さん??ってまずびっくりしたんです。ご質問は結構マニアックなところで、真面目な方だなあという印象でした。そもそも翻訳テキトーなんですけど。。。」
「今はそのレイさんのご本を読み始めています。これまでは情報が少なくて、勉強会に参加して望月さんのレクチャーを受けたり、にゅんさんのブログ読んだりもしてはいるのですが、むつかしいです。でも、労働運動に思い入れのあるものとして特にJGPの考え方をよく理解したいと思っています。あと、「反緊縮」のキャンペーンに参加してるので、納得のいったことから発信していきたいなぁと」
「それは松尾匡先生を中心とした運動のことですね。松尾先生のことはブログでも批判的に取り上げたり、ツイッターで失礼なことをさんざんいってしまったこと。。。あらためて、お詫びいたします。実は大石さんからご活動の話を聞いてびっくりしたんですよね。」
「ほんまですよ...。松尾さんむちゃがんばってるんですから。私のほうも、MMTとニューケインジアンとでは理論的な違いがあるということは聞いていましたが。でも!ブログとかタイムラインをのぞいたら本当にひどい言われようで!
正直、その『実績』からしてMMTerの皆さん簡単には信用できませんけど(笑)。まあ当面は警戒しつつ、勉強させてもらえれば。」
「MMTのJGPは金本位制ならぬ『労働本位性』であると言われるほどで、だからMMTは社会における労働の価値を極めて重視する学派なんですよ。貧困層出身のAOCがMMTを支持するのも、理論そのものが貧困や格差問題とマッチしているからと言えると思います。ですから、皆さんのご活動とMMTの相性が悪いはずがないんですよねえ。」
「なるほど。では、なぜあんな…」
「言い訳に聞こえそうですが、大きな理由は、いわゆる金融政策というものの理論的な位置づけの違い。これはもう決定的なところでしょう。これと関連として初期アベノミクスの評価も正反対です。もちろん、だからと言って何の運動実績もないブロガー風情が、数十年間に渡って労働運動に取り組まれて来られた方々へのリスペクトを欠いた表現をしたことは本当に失礼でした。反省しています。」
「殊勝なところもあるようですね。人としてどうなのかレベルの発言も見ましたからね...。」
「現状犬キャラですしね…」
「笑。できるだけ双方のリスペクトの上で、その理論的な違いというのも今後の対話でぜひ説明してください。」
【MMTとは、という話】
「それでは、まず、大石さんからはMMTってどんな風なものとして見えているのですか?」
「MMTが日本で今年ごろから急速に話題になり、当初は、なんだか私には都市伝説みたいで。薔薇マークの朴教授がレイさんの要約を作成しましたが、私には独学はむつかしいなあーと。7/17にケルトン教授の講演をお聞きして、記述的(説明的)な側面と、処方箋的な側面を持つとおっしゃっていました。処方箋的な側面をもつということから、現代社会に問題があると考えて理論化したんだなと思い、興味は増しました。特にJGPのところで、本人がやりたくない仕事でもやらされちゃうのか?との質問に対して、そうじゃなくてその本人のあるがままを受け入れたり、地元で通えて、本人の能力を活かせることを目的にしてる、といった回答をしてて、お金換算の冷たい学問ではなく、正義をうったえているんだなと思いました。」
「なるほどお、さすがケルトンと思います。世間的には、『政府に財政制約はない』『インフレになるまで財政支出せよ』という理論という認識が強いと思うんですよね。」
「確かにそうした話をよく見かけます。」
「それらが全然違うとは言いませんが、理論の骨格部分が伝わっていないと思うんです。そもそもマクロ経済運営の目的は、一般的に言えば、まずは経済の安定、中心的には雇用と物価の問題を扱い、それを踏まえて成長や格差といった問題に広げていく。そういうものではないですかね。これはニューケインジアンを掲げる松尾先生も同意されると思います。」
「今、日本で流布されているMMTへの理解がまだまだ浅いところがあって、MMTの雇用や物価への考え方など、骨格への理解が大事ということでしょうか。そのあたり、もっとよく聞かせてくださいますか?」
「大きな流れで言えば、MMT創始者であるモズラー氏が70~80年代の米国を生きて、マネタリズムやニューケインジアンの経済学を背景とした政府の経済運営とその帰結を観察し、政策が根本的におかしいんじゃね?という疑問を抱いた。彼はそこから財政支出や徴税の実際のオペレーションを詳細に分析し、『事実はこうなっているのだから、政策はこう考えるべきですよね?』という主張をした。MMTのこの骨格はぜんぜん変わっていないと思います。」
「えっ。ニューケインジアンなどへの疑問からその学問が発していると?」
「ニューケインジアンへの疑問より先に、そうした理論に立脚したことになっている政策への疑問があった、と言うのが正確かもしれません。ケルトンの言葉を借りて表現すれば、政府のオペレーションをきちんと「記述」して経済を捉えなおすと、1970年代から政府によってずっと行われてきた「処方箋」は、てんでおかしくて、それが2007年の金融危機で証明されたんじゃないか。MMTはずっと警告を発してきたし、起こってしまった金融危機によって大きく注目はされるようになったという流れがあります。」
「そうなんですか。知りませんでした。私、学問がどういう経緯で出たのかが一番大事だと思うんですよね。私の勝手なイメージでいうと、今の支配層のやり方(貨幣に関する)への痛烈な暴露と、その背景に何か反骨なものを感じていました。」
「まあ、支配層への反骨という意味では名前が出たモズラーとケルトンは薄い感じがありますねえ。NOCの印象では...」
「あ、ちょっと割ってごめんなさい。NOCてなんですか?」
「にゅん・オカシオコルテスの略ですが...」
「まじですか(笑) にゅんさん、プロフィールに『AOCは嫁』って書いてて、やべぇ奴なんじゃないかと思ってました。」
「えー」
「とりあえずNOCを了解...(笑) ええっと、話は戻って、モズラーとケルトンはMMT派の中では反骨精神が薄い感じ?」
「特にモズラーという人は成功者ですから、いわゆる支配層に属する知己も多くて、NOCから見ると『誰かへの怒』りというよりも、世間の人々の思考を含めた大きな『システムの根本的なおかしさ』を問題にしていると思います。その意味では、こんど来日するミッチェルとレイはいわゆる反新自由主義、とくにミッチェルですね。彼が日本について何を話してくれるかは実に楽しみです。」
「私も、反骨を期待します!」
「あとですね。大石さんも関心を持たれたというJGPは、MMTのド中核の要素です! 何故かというと、貨幣、物価、所得、金融システムといったことをまっすぐに考えていくと、必然的にJGPが要請されるんです。」
【MMT受容の現状と『雇用』】
「海外の新しい考え方が輸入されるときって、どうしても最初は何かが抜け落ちたり、少し歪んだ形で紹介されたりするものですよね。現時点のMMTの場合は、物価と雇用という根本的な問題意識がかなり希薄になっているように感じます。それどころか、この二つが大きな論点であることが、まだほとんどの人に伝わっていないのではないでしょうか。」
「抜け落ちる原因は何だと思われますか?」
「別に誰かが悪いとかではなくて、最初の紹介者である中野剛志さんを筆頭とした皆さんの論点には、当然ながらMMTとは別のところもあるから、というのが自分の見立てなんです。MMTが日本の論壇に最初に紹介されたのは、中野さんの大著『富国と強兵』ですが、本の主題はMMTではありませんし、それに続いたみなさんもそのような構造があります。藤井さんには国土強靭化論がある、というように。」
「ほうほう」
「それで、いまNOCがとても憂慮していることがあります。」
「どのようなことでしょうか?」
「MMTの議論からは出てくるはずがない話が、『MMTではこうだ』と語られることが結構見受けらることです。ひどい場合は、MMTとは正反対のことを言っていたりします。たとえば、
『MMTでも金融政策が重視されていて、インフレが昂進したときには中央銀行の役割が期待されている』
『MMTとは、少なくともデフレ環境下ではいくらでも政府支出をすることができるとする理論だ』
『MMTは財政政策でインフレをコントロールする』
『とにかく国債発行せよ!』
とか。。。」
「つまり、『MMTは金融政策を重視する理論ではない』『MMTはインフレやデフレをコントロールする考えではない』ということなんですよね? 違うのにそうだ、と言われるのは気持ちが悪いですよね。 ただ、そもそもマクロ的に経済を把握するのが難しくて直感的でないことも、議論の錯綜の要因とは思います。あと、私自身が思い当たる感覚として、”政治・政策的な文脈で「結果として同じ」なら大胆に「同じ」って言っちゃえ!的なところはありますかね。例えば、私が選挙のとき掲げてた、消費税減税や、介護の所得倍増、といった政策は、ニューケインジアン派もMMT派も「YES」って言いますよね。でもそれが「デフレ脱却のため」を含むのか、そうでないのかはそぎ落とされているとは思います。まだまだ抽象的という課題もありますね。」
「そうですねえ。そこはインフレだのデフレだのいうときの物価観がぜんぜん違うんです。えーと例えば、さきほどモズラーの名前を出しましたけど、彼の説明でも米国の70年代の物価上昇はどう見ても貨幣が原因じゃなくて、中東諸国がカルテルで原油価格を高値を維持したという事実だけで説明できるのだと。でもそのときフォード大統領は、インフレは悪いものだ!という強力な政治キャンペーンを推進して労働組合を攻撃したのですよ。労働組合が強すぎて、組合員は仕事をしないのに高給をはんでいるからだ!という洗脳ですね。」
「あー聞いててムカつきます!日本でも80年代に国がマスメディアをうまく利用して国鉄労働組合を攻撃したのが有名ですよね。」
「そのインフレは原油価格の下落や緊縮財政で沈静化し、その後は世界的な分業の進展などの理由で高インフレにはなりにくい環境になったのです。でも、権力はそうなったらそうなったで別の神話を構築していきます。つまり『政府の財政が危ない』、『デフレが悪いから金融緩和が必要だし有効だ』といった。経済学がそれを体系化します。そして政府の経済運営はいつもそうした言説や「理論」を前提として推し進められてきた。しかしです。そもそもの神話に根拠がないのだから、この30年以上の期間に渡るマクロ経済運営は、そもそもぜんぶおかしかったのではないか?企業と労働者(生活者)との力関係という観点ではひたすら一方的に企業側、つまりサプライサイドを強化するものだったのでは?」
「うーん、議論が一足飛びで理解できません...。私はずっと、いち公務員・労働者の立場で生きてきて、労働者や生活者を重んじる考えしかなかったですので、マクロ経済政策的なものに反感を持っていました。資本家を利するだけだろ、的な。MMTは、これまでのマクロ経済政策へのアンチ又は代替として、労働者や生活者を重んじる政策として登場したと言いたいのですかね?」
「そのご疑問は今後の対話の中でお話していきたいですね。そもそもMMTの権力を疑うこの姿勢がほとんど伝わっていないのですよね。そして、その伝わっていない穴を埋めるべきなのは、マクロ経済政策のいちばんの被害者である労働者、生活者の立場からであるのが自然だと思うのですよね。つまり大石さんたち、あなた方です!中野さんたちに問題があるのではありません。労働運動側が出遅れているんですよ。遅すぎます。」
「遅すぎるというか・・・まさにそういう攻撃によって労組がガタガタにされてきた過程なんでしょうね。もはやNOをいう気骨さえ奪われた。でも、たしかに学者ばかりではなく、労働運動側がもっと出てこなきゃいけないですよね。”弱い立場の人を守る”思想を、観念や神学論争に終わらせずに、具体的な実践で検証・実証していける存在だから。」
「おっしゃるとおりですねえ。NOCは、いわゆる『左派』というものに勝手に期待しているんです。中野さんはじめ先行の皆さんは国家やインフラと言ったもともとの大きな問題意識をお持ちで、そこにMMTを引き付けているわけです。それは良いでしょう。しかしMMTの本質は、人々の毎日の暮らしの方こそ向いているはずなのですね。労働からの所得を安定化させることが経済を安定にするんです!あれ?これ初めて言いましたっけ?」
「中野さんも労働運動や左派運動を一緒にやってくれへんかな...。
労働運動とか左派運動をやろうとしてる学者さんって松尾さんとかその界隈だけじゃないですかね。それでは足りません。」
「まあその一方で、これまでの左派運動だって『国の財政が危ない』という別の神話にハマり、公共事業潰しに加担してきたのは隠しようのない事実です。というか、今でも...」
「左派にも色々あると思いますけど。民主党政権の『コンクリートから人へ』なんてスローガンは確かに左派の『公共事業』イコール『税金無駄使い』的な感覚になじむものではあったでしょうね。私は国がつぶれようとも人の生活を保障しろという、左派のなかでも過激とされる考えでしたが、多くの人にとって『財政収支が悪化すると国がつぶれる』というのは懸念材料でしょう。」
「ですよねえ。国の財政収支は問題ではありません。インフレもデフレも本当の問題ではありません。景気の問題でもありません。本当の問題は、第一に、労働力を無駄にすることです。資源のうち労働力だけの特徴があって、それはストックできないことです。働く意思と意欲のある人が仕事ができれば、その分の結果が生まれます。逆に言えば、労働者を失業状態、ワープア状態にしておくほど無駄なことはないんです。」
「私も労働の無駄が一番イヤです。住民のための仕事が本来たくさんあるのに、それとは違う仕事が膨大にあることに怒りを感じていました。民間でも同じだとは思います。それに、失業は人を殺しますし、一回きりの人生が、国の失策のせいで、不必要にワープア状態にされるのは本当に無駄で許せません。」
「そして労働者の所得が保証されることによって物価が安定します。物価の安定は密室の「金融政策」なんかでできるわけがそもそもないんです。それは途方もない嘘で、むしろ金融政策は民間債務を不安定化します。それに誘発される金持ちたちの投機の行き過ぎから、もしも金融危機に至ったときに、しわ寄せが行くのは弱者であり労働者なんですよ。同時に政府は金融資本を救済するですよ。こんなバカな話があるでしょうかね!」
「金融政策をディスってるんですよね。まあ、一義的には労働者の所得は保証されるべきだと思いますし、それで物価が安定だとか他の改善効果もあるならなおさら良いことなので、所得の向上を何よりがんばるべきですね。」
「利子率を上下させる『金融政策』に改善効果なんてないですよ、嘘ですよ、むしろ破壊的ですよというのがMMTが主張するところですね。そして、たとえ金融危機が避けられないものだとしても、その時に弱者そして生活者は保護されていなければおかしいですよね。このあたりがMMTのハートなんです。財政支出の仕訳などよりも。」
「そうなんですね。」
「『不景気の時は財政出動』という考えも「金融政策で対応」と同じでくらい滅茶苦茶におかしくて、それで得をするのはなんだかんだで政治に近い勢力が先になるに決まっています。生活者、弱者は必ず一番最後です。もちろん、景気対応の財政が嬉しい人たちは必ずいますよ。しかし全体で捉えると、それ自体が格差や不安定を生み出すわけで。」
「…今、ニューケインジアンをディスってます?(笑)政治的な統一スローガンとしては全然普通だと思いますけどね。MMTの理論的にはあり得ない、と。」
「財政の中身の話を飛ばして年間30兆円!インフレまで!とか、金額を先に言う人いるじゃないですか。しかもMMTですよ、と言いながら。」
「ああ、節操ないのはダメですよね。ただ、人々のために必要な予算の積み上げの結果として30兆円出せ!ならいいんじゃないですか?私はそんな試算を現場の人たちとしていきたいと思っています。ところでさっきからなんでそんなに怒っているんでしょうか?」
「そういう積み上げ計算が絶対に『先に』必要ということですよー。そんなのあたりまえに考慮しているよと言うのでしょうが、それだと政府に近い勢力に利用されちゃうじゃないですか。つまり、財政の内容こそを見よというMMTの出張と逆のことを言うことになっているからです。もちろん、誰でもそういた主張をしてもいいですよ。しかしそれを流行りだからと言ってMMTに抱き着いて語るなら、『嘘』を言っていることになりますよ、あれ。だって、少し考えても企業への助成と人々への助成だと、その意味も効果は違うはずですから。」
「とことんまで人々のためであること、社会正義に基づいたものでなければウソになりますよね。まあ何にそこまで怒っているのかは、私にはまだよくわかりませんが。正義感がすごくおありなんだなと言うことがよくわかりました!労組や住民の生活の役に立つような、具体的な運動をされている方々のあいだで反緊縮の考えが浸透していくなかで、理論の違いによって運動の方向性に支障が出てきたり、あっちよりこっちのほうがいい、という模索の中で、それぞれの理論の真価がわかったり、また止揚されたりするんじゃないでしょうか。ぜひそのプロセスをご一緒したいです。」
【プログレッシブの旗を】
「ところで『左派』という言葉ですが、MMT主導者のミッチェルは『進歩的(プログレッシブ)』という言い方をします。これが広まって、労働者や弱者の権利を大切にする『プログレッシブ運動』が立ち上がり、それが中野さんや藤井さんの大きな視点からの運動とうまく連携していくのがじぶんの理想なんです。」
「ほんとそうですねー。」
「いわゆる反新自由主義、反民営化の流れです。国民の権利と公(おおやけ)の役割りを尊重することがスタートです。だから政治的には反維新、反改憲ということにはなりますね!」
「異議なしです!そんなMMTなら、私も心強いです!」
「はい、まとまりました。では、このくらいにしましょうか。」
「えーと、この対談のタイトルは『プログレッシブ宣言』なんですよね、すごい決意を感じる言葉です。にゅんさんとしてはこの内容で終わりにするつもりですか?」
「日本にもプログレッシブという旗印はぜったいに必要だと確信しているのですけど、かと言って、NOCは旗を掲げて先頭に立つ気か?とか受け取られたならちょっとなあと。」
「今はそういう環境になく、お仕事の関係ということですかね。」
「まあ、そもそも能力も知識もないのです。うーん、正義を掲げる犬として、嗅覚が人間より利くせいか、人間たちの理解がどこか歪んでいるときにそれを嗅ぎつけることができる時もあるような気がするというか。結論として、やっぱり、MMTの旗を掲げるのは労働運動の現場の皆さん以外にないと思うワン。」
「なんでいきなり犬キャラに...(笑) さっき、最後に「プログレッシブ」の理想を語っていらっしゃいましたが、もしそうなれば日本の運動も海外の『プログレッシブ・インターナショナル』運動の潮流に合流していきますね。」
「こんなイメージがあるんです。中野さんらの活躍で、日本の大通りにもMMTのバスが走るようになりました。犬はバスに乗せてもらえません。そこで、バス停をちょっとづつ蹴飛ばして大石さんや松尾さんのような左派の方の家の前まで動かして行きたいなと。口にはプログレッシブの旗を咥えていて、乗り込む皆さんに持たせるわけです\(^o^)/」
「にゅんさんのこと、すごく噛みつくキャラとして、ツイートを拝見していましたが、実はそういうカワイイ柴犬設定なのですね(笑) 最近、プロフィール変えられましたよね。」
「見なくていいです\(^o^)/」
「JGPの回、また楽しみにお待ちしています。それじゃ、今日は失礼します。」
「お気をつけて」
(大石さん、帰る)
【そのあと】
「本物の大石さんって優しそうでぜんぜんジャンヌ・ダルクって感じじゃなかったね。」
「そうね、攻められるかと思ってたけど。」
「でもなんか面白いことになって来てない?」
「うん、もし大石さんMMTってなったらちょっと凄いよ。労働運動家ご本人とか、絶好ポジション過ぎるわ。心配なのは、緩和マネー論とか公共マネー論が。。。」
「でうれしすぎるからアイキャッチ画像作っちゃう!どうよこれ!」
「にゅんさん、犬。。。
そう言えばこんど藤井さんが労働経済学のビル・ミッチェル呼ぶんだよね。ケルトンのときみたく薔薇マークだっけ、あそこでまた何かやるのかね?」
「どうなんだろうねー。でも意気投合しそうだよね。バリバリ反新自由主義のミッチェルと反維新の旗手!それまでにうまくMMTに誘導できればいいんだけどねー」
【翌朝】
「もしもし、にゅんさん、ツイッターみた? いまリンク送ったけど!」
「え、うわー、バス乗っちゃってるし。。。」
「でもミッチェルの返事、いいなあこれ。『財政均衡を目指すべき』という世間の考えは緊縮バイアスがかかりすぎていると。その思考をやめて、『実物資源、とりわけ雇用をまず見る』というプログレッシブレフトの考えを推しすすめましょうよと。ほんと、成功を祈るばかり。」
ケルトンは政府予算における循環図を危険視しているが別の信用レベルではやはり循環図が
必要になる。
中野剛志氏作成:
財政政策は、金融政策
国債発行(財政赤字)が通貨(預金)供給量を増やす。
①銀行が国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預
金は、政府の日銀当座預金勘定に振り替えられる。
↓ ↑
②政府は公共事業の発注にあた ⑤政府保有の日銀当座預金が、銀
り、企業に政府小切手で支払い 行の日銀当座預金勘定に振り替え
られる(日銀当座預金が戻ってくる)。
↓ 国債発行に資金的な制約はない! ↑
③企業は取引銀行に小切手を持 ④銀行は小切手相当額を企業の
ち込み、代金の取立を依頼 → 口座に記帳(新たな預金の創造)。
同時に、日銀に代金の取立を依頼
https://i.gyazo.com/bcb8b43eb0e7bf1010846ea8dd621bf3.jpg
(参考)建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」 2014
http://ir.c.chuo-u.ac.jp/repository/search/binary/p/5721/s/3577/