日曜日, 6月 09, 2019

MMT批判

http://www.twipu.com/tag/%E7%B5%8C%E8%AB%96MMT

MMTerのミッチェルもTobinのfountain pen moneyに言及/“Teaching macroeconomics students the facts” W Mitchell 2010 http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=9574  #経論 #経論MMT


The Roads Not Taken: Graph Theory and Macroeconomic Regimes in Stock-flow Consistent Modeling Miguel Carrión Álvarez, Dirk Ehnts 2015http://www.levyinstitute.org/pubs/wp_854.pdf  #経論 #経論PK #経論MMT #経論SFC


https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/3bff80e4ecdca145e1f1862afeff4abe

中野先生のMMT紹介を読んだ人たちによる中野先生のMMT批判を通じて中野先生のMMT紹介を批判する(自分で読めって言うな)



18/08/31 09:27
なお、いつものことであるが、以下でMMTあるいはMMTerとしているのは
全てパブリナ・チェルヌバの言う「第一世代」のことである。
日本に限らず、海外でもいろんなMMTがある。
特に裁量的財政政策の評価やJGPについては
だいぶ違う人たちもいるみたいだなあ。。。。。


さて、ブログをいくつか見ていると
大きな問題のひとつはMMTのTax driven monetary view まあ、
おいらは単純に租税貨幣論、と呼んでいるけれど、
この機能についてである。
どうも多くの人から、
MMTは租税に対して、特に物価(というより
貨幣の価値)を安定させるうえで重要な意義を与えすぎていると
取られているようである。
この点は、中野先生の説明がそうなっているのか、
それとも、中野先生のMMT紹介を批判している人たちの誤読なのか
まあ、よくわからないのだが、
MMTの文献では、しばしば租税がインフレ抑制のために用いられる、
と書かれているのは事実である。
また同時に、MMTでは、マネーストックは金融政策によって、
雇用は財政政策、という役割分担から
マネーストックも財政政策へ、と思考の枠組みを
切り替える必要がある、と主張しているのも事実である。
財政政策でマネーストックをコントロールする、
というのは、当然、財政支出によってマネーストックが増え、
租税によってマネーストックが減少する、ということを
念頭に置いているわけだが、
そうすると、従来の経済学的思考になじみの多い人たちは
反射的に次のように考えてしまうようだ。


租税によってマネーストックが減少



租税によってインフレーション抑制



租税によってマネーストックを減少させることができれば
フィッシャー方程式流に考えて、Vの増加率vが一定なら

m = p + t

マネーストックの増加率mが実質GDPの成長率tと
物価上昇率vの和に等しくなるので
Mが減ればPの上昇にも抑制効果がある、と。

実はこれはMMTの主張とは大きく異なる。
MMTは、フィッシャー流の数量方程式を受け入れていない、
つまりマネーストックと物価の間にそのような因果関係を
想定していないし、
実は増税についても、むしろ物価上昇に対する
加速効果にも言及している。

MMTが財政政策にマネーストックコントロールの役割を
与えているのは事実であるが、
それは民間部門に必要なマネーを供給する責任を
中央政府は負っている、という考え方がベースになっているのであって
物価を決定する要因としてではない。
また租税の役割として
確かに租税には、家計の手元にある「購買力」を減らす
効果がある。家計の保有する購買力が減れば
それを通じて最終需要が減少し
物価上昇に対する抑制効果が期待できる。そうしたものとして
累進所得税制度にはビルトイン・スタビライザーの機能があることを
強調しているが、その一方で
法人税の物価引上げ機能についても強調している。
課税はそのやり方によっては(マネーストック縮小効果にもかかわらず)
物価を引き上げる役割を果たしうる、というのである。

現代の資本制経済では多くの生活資材は管理価格となっている。
これは実際に管理価格となっている製品がどの程度あるか
(日本では農産物など、とても管理価格とは言えない状況だろう)
国内市場が閉鎖的であるか、あるいは独占・寡占状況が
どの程度であるか(とりわけ労働市場)などの条件によって
変わっても来るが
しかし基本的に流通している最終商品の多くは
フルコスト原則あるいはそれにつき従う価格決定方法で
決まってくる。つまり目標(必要)最終利潤がまず
決定され、そこから逆算する形で製品価格や
供給量、投資水準が決まる。信用貨幣制度の下
必要な貨幣は銀行によって供給される。
銀行の貨幣供給は、したがって企業の目論見書に対する
銀行側の評価によってきまってしまい、
銀行の貨幣供給を量的に制限するものは
経済原理的には存在しない。(これは
行政や法律によって銀行を縛ることが不可能だ、と
言っているわけではないが、しかしこうした規制も
銀行側の「イノベーション」によってしばしば
打ち崩される。)
そうなってしまうと、法人税や固定資産税が引き上げられると
企業はそれを(市場における競争の状態次第では)
容易に価格転嫁し、これに対抗する形で労働者が賃金引き下げを
要求し、それを企業が受け入れ、銀行がそれに対応する
運転資金を供給すれば、
インフレはますます加速する。こうした事態が実際に起こるかどうかは
市場の状態に大きく依存するのだが、
いずれにせよ増税⇒マネーストックの減少⇒物価上昇率の低下
という話には単純に結びつかない。増税自体には
マネーストックを引き下げる効果があるが
銀行がそれを上回る貨幣の発行を行えば
マネーストックはかえって増加してしまう。

勿論、例えば政府が一方で財政支出を突然大幅に抑制し
同時に突然高額の増税を行えば
企業の将来の需要・利益予想は崩壊し、インフレはたちまち
おさまりデフレに陥ることさえあるかもしれない。
その意味でも課税にはインフレ抑制機能はある。
だがこれはMMTがまともな財政運営として視野に入れている話ではない。
やらない方がまし、ということになるのだろう。
税収の増加が物価安定に帰するとしたら
せいぜい家計所得に対する累進制度などであって、
MMTが全体としてそれほど重視しているわけではないと思う。
(一部には、MMTの立場から
適切な税制を考える議論も行われている。)

そうなると物価水準、あるいは
貨幣の価値(購買力)を決定するものは何か、ということになってくる。
MMTは基本的に
MV = PT
に基づいてMがPを決定する、という図式を受け入れていない。
それよりは
フルコスト原則に近いわけだから、
問題は、どのようにすれば企業の目標(所要)最終利潤率を
引き下げるか(引き下げればよい、というものではない)、
原価水準を安定させるか(そのためには
貨幣賃金の安定も必要になる)、といったことが問題になってくる。
これは必ずしも物価水準の引き下げと両立しない話ではない。
所定の目標利潤率の下、貨幣賃率が安定していても
製品生産量が増加し、法人税、資産税、金利が低下すれば
貨幣賃金の安定と企業経営の安定と物価水準の低下が
同時に成立可能ではある。もちろんこれは単なる
論理的可能性の話にすぎず、
資本制経済はそんな都合よくできてはいない。
恐らくは政府がどう介入しようと、経済は浮き沈みを繰り返し、
物価は簡単には安定しないだろう。
だからこそ、MMTは貨幣賃率を安定させることと
経済が停滞していても、文化的に暮らせる最低限の賃金水準の下で
働きたい人にはすべて職を与える、という
JGPを主張する。JGPが重要だ、というのは
一方で不安定な資本制経済の中にあって
人々の勤労機会と所得(それは当然消費支出)を守る、ということと
同時に、賃金水準を安定させ
原価を相対的に安定させることを通じて
物価水準を安定させ、同時にマネーストックを安定させよう、
という考え方に基づいている。

これは中野先生を通じてMMTを知った人たちによる
MMTのもう一つの批判点に対する回答にもなっている。
中野先生の紹介を読んだ人の中には
財政政策による景気やマネーストックのコントロールに対しては
批判的な方もおり、その理由の一つは
財政政策ではとてもではないが機動的な財政拡大
緊縮などできず、景気の変動に対応できない、というものである。
これについては多くのMMTerは共感するところである。
従って、MMTもまた、裁量的財政政策による景気刺激あるいは
景気抑制には反対である。こうしたものは
しばしば景気を安定させるよりますます
変動を激しくする。企業の利益・売上期待を不安定にし、
時には崩壊させることで恐慌さえ引き起こしかねない。
裁量的財政政策で雇用を無理に増やそうとすれば
完全雇用(MMT的な意味で)に達するよりはるかに手前で
インフレが生じるだろう。インフレを抑制しようとして
政府支出を減らせば、そのしわ寄せはまず
もっとも経済的に立場の弱い人たちに向けられるだろう。
財政支出が拡大すればインフレによって、
縮小すれば失業によって、
本来なら政府の支援を最も必要としているはずの
経済的救貧層を犠牲にして、成長を目指そうというのがこうした
裁量的財政政策の結果である、というのがMMTの評価だ。
だからMMTerは裁量的財政政策には反対である。
この点は明確に強調しておきたい。

最近、「MMT=裁量的財政支出で景気回復を求める」
という図式を描いている人たちが(特に政治家界隈に)いるようだが、
MMTはこれには明確に反対である。
アバ・ラーナーの機能的財政理論などを
MMTerが高く評価していることから(おいらてきには
MMTの起源の一つと位置付けている)、
MMTが裁量的財政政策を高く評価している、と考えている人たちも
いるようなのだが、そういうわけではない。
機能的財政理論というのは、あくまでも
赤字・黒字・債務残高に関係なく
政府が必要な支出を、貨幣創造を通じて行う、という点に
眼目があるのであり、イコール裁量的財政政策ではない。
MMTが財政政策によってマネーストックをコントロールし
景気を安定させる、というのは
累進課税制度やJGPによる自動安定化装置のことだ。JGPは実現まで
まだまだ論点も多く政治的経済的なハードルも高いが、
それならそれで、何かJGPに代わるものがあれば良い。
いずれにせよ、MMTの言う財政政策による
マネーストックのコントロールというのは
裁量的財政政策のことではない。
(※ただし、2007年に始まる世界金融危機のような
大規模で、影響が長期にわたる金融危機に際しても
裁量的財政政策を行ってはいけない、
と意味ではない。こうした場合、不稼働となった設備資本を
稼働させることで景気を安定させることができるなら
そうした対応を取ることが必要であろう。だが
こうした極端な危機については
危機が始まってからあわてて財政支出などで
対応するより――そんなこと言ったって、
なってしまえばしょうがないんだけれど――、未然に防ぐことが
重要だ、というのがMMTの立場であり、
そして裁量的財政政策は、こうした危機を
抑制するよりしばしば引き起こす側に働きかけるのである。)

どうも全体的に
いろんなブログを通じて知った中野先生のMMT紹介というのは
おいらの見方からすると財政の能動的役割を
過大視しすぎているように思う。
MMTの財政観というのは、景気に関しては
基本的には受動的なものである。政府が能動的に
経済活動をするべき課題というのは基本的には
長期的なものであり、それは長期的視点に立った
インフラ整備であったり教育研究制度の拡充であったり
貧困対策であったり、いろいろで
こうしたものに関しては政府が直接に能動的に
活動することが必要なのだろう。(こうした政策の
経済的機能についてはまた機会を改めて。)
しかし景気変動などのような問題に対しては
一方で、変動を抑制し雇用と決済システムを安定させることについては
能動的であるべきだが、
起こってしまう景気変動については
受動的にならざるを得ない。そのためにビルト・イン・スタビライザーが
重視されるのである。
カテゴリー:MMT & SFC

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